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秋田県体育協会の設立と大正期の活動について

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秋 田県体育協会の設立 と大正期の活動 について

森 田 信 博

A Es t abl i s hme ntandAc t i vi t i e sofAki t aAmat e urSpor t s As soc i at i oni nt heTai s hoEra

Nobuhi ro MoRI TA

Thepor pos eoft hi ss t udywasi nt e nde dt ol nVe S t l gat eae s t abl i s hme nt ‑ pr oc e s sofAki t aAmat e ur Spor t sAs s oc i at i onandi t ' sac t i vi t i e si nt het ai s hoe r a. Theas s oc i at i onwase s t abl i s he di napr i l1 92 3 whi c hhadai mst os pr e adandpr omots por t sandgymnas t i c saspr l Vat ee nt e r pr l S ei nAki t a. The as s oc i at i onhad1 0s por ts e c t i ons( s ki ,s kat e,t e nni s ,bas e ba l l ,s wi mmi ng,mout ai n‑ c l umbi nge t c)and e nc or age dpos i t i ve l yf ol l owl ngki ndsofs por t sandgymnas t i c s .

1.Aki t aol ympl Cgame.

About3 5 0pe r s onswhoat t e nde df r om whol epr e f e c t ur et ookpar ti naf i r s tgame . 2.Ac our s eme e t i ngf orgymnas t i c sands por t s .

About5 0 0pe r s onst ookpar ti name e t l ngt hathadt hec ont e nt soft he or yandpr ac t i c eunde rt he gui danc eoH amousl e c t ur e r s .

3.A 1 0daysmar at honbe t we e nTokyoandAki t a.

4.Amovi et ourande xhi bi t i onofs por t sme e t i ng( s ki ,bas e ba l l )

Butal lac t i vi t i e shadmor ec l ums i ne s st hans uc c e s , e s pe c i al l ya1 0daysmar at hon. Theas s oc i at i on wasc r i t i c i z e dgr adual l yl oudl y,s oe nt e r pr l S eWase xt r e me l ys t a gnan t . Theas s oc i at i ons t ar t e dhas t e n ans ys t e m andf i nanc er e f or m,butt her e s ul twasnotonl yl nS uf f i c i e ntbutal s oc aus e dne c e s s l t yOfa ne wr e f or m onal ages c al e.

1 . は じめに

秋田県の体育 ・スポーツの活動 は,明治 の後半か ら中 等学校を中心 に対抗戦,地域,全県規模 の大会の開催 に よって活発化 し,秋 田県教育会等の普及活動 により中等 学校以外の学校 にも各種のスポーツが定着 してい った。

明治末か ら大正始 めには水泳場,スケー ト場開設,スキー 講習会 などこれまで ほとん ど活動 されていなか った季節 を生か したスポーツや,年間を通 じたスポーツの促進が 図 られてい く。継続的な取 り組みの結果,各地 に海水浴 場が整備 され, とりわけ寒 く雪深 い冬季間のスポーツ活 動 は学校関係者以外 にも高い関心が もたれ徐々に実践が 広 まっていった。

しか しそれ らの活動 は,学校の活動 に付随 した もので あ った り,同好 の者 の極めて小集団の不定期の活動で し かなか った。体育 ・スポーツに対する無理解や誤解 もあっ たが,施設 の不十分 さと活動を継続的に保障す る基盤 と なる組織がないことが地域社会への普及 と発展 につなが

らなか ったと考 え られる。それでも最 も活動が盛んであっ た野球 は,大正 8 年 ( 1 91 9 年) には秋 田市 を中心 に一般 のクラブチームが誕生 しリーグ戦が行われるようになり, 大正1 0 年 に秋 田県野球協会が設立 され ると全県 にわた り

クラブチームの結成が続 いた。 この野球協会の活動 は他 の種 目へ と同時 に秋田県体育協会 の設立 に大 きな影響を 与えた。

そ こで本研究で は,野球協会設立 2 年後 の大正1 2 年 に 結成 される 「 秋 田体育協会」の設立 までの経緯 と初期の 活動状況 を通 して社会への体育 ・スポーツの普及促進‑

の働 きかけを明確 に し,秋 田県 における体育 ・スポーツ の定着の過程を探 ってい く。秋 田県体育協会か ら ,3 0 年 史,4 0 年史,5 0 年史,6 0 年史が発行 されているが, ここ では設立時前後 の 「 秋 田魁新報」の新聞記事を資料 とし て考察をすすめてい く

2 . 体育協会の設立の準備段階

大正1 2 年 ( 1 92 3 年)3 月 2 日の秋 田魁新報 には, 「県

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秋 田大学教育学部研究紀要 教育科学部門 第 5 3

の胆入 りで体育協会を組織」 という見出 しで,秋田県庁 の北畠良一庶務課長 らの提唱で 「 諸般 の体育施設をな し 又民衆 の体育奨励宣伝」 に努めるために 「 県体育協会の 会則」 の私案がほぼで きあが った ことを報 じている。1 )

学校 を中心 として展開 されていた体育 ・スポーツが, 地域社会に も浸透す るにつれて,すでに結成 されていた 野球協会の阿倍伸雄や佐野良太郎,県議会委員信太儀右 衛門 らが中心 とな り 「 体育 の振興 は社会人の手で」 と意 欲的に活動を行 っていた。 そ して これ に賛 同 したのが, 村地信夫警察部長 と北畠良一庶務課長であ りこの年 の新 年早々か ら,会則等の具体案づ くりなどの会合が もたれ ていた。 とりわけ北畠は,北海道か ら赴任 した こともあ りスキーの普及 には極 めて熱心 な ものが あ り, 2 )体育協 会 の設立 に県の職員 としての立場 を最大限生か しなが ら

もスポーツを愛好す る個人 として積極的な役割を果た し てい く

1 )発起人会 と秋 田体育協会会則案の成立

3 月 3 日には,協会設立 の発起人会が県庁食堂で開催 され,県側か ら村地,北畠,そ して湯本保安課長が出席 し,その他 「 学校,市役所,連隊,商業会議所,野球協 会,銀行,鉄道,新聞社」 などの関係者が集 まった。村 地が座長 とな り,北畠が 「 協会発会 の趣旨,会則の骨子, 草案」を説明 し審議 の後一部修正の うえ,6章2 9条 か ら なる秋 田体育協会の会則原案が発起人会 で承認 された。

発起人会で決定 した 「 秋 田体育協会会則」の全文 は以下 のようである 。 3 )

第 1 章 通則

第 1 条 本会 は秋 田体育協会 と称す

第 2 条 本会 は会員率先協力 して体育 の振興を図 り諸 般 の施設 を為 し併て一般民衆体育 の奨励及宣 伝 をなすを以て 目的 とす

第 3 条 本会 は事務所を秋 田県庁内に置 く

第 2 章 会員

第 4 琴 本会 の目的に賛成す るものは男女 をとはす何 人 た りとも会員たることを得

第 5 条 会員 は毎年会費金武囲但 し学生及之 に準す‑

き者 は会費 として一時金 5 0 銭 を納付すべ し 第 6 条 特 に本会 に功績 ある者 は名誉会員 に推薦す 第 7 条 会員た らむ とす る者 は入会 申込書 に会費を添

へて申込むへ し

第 8 条 会員 には実費を以て会員徽章を交付す 第 9 条 退会せむ とす る者 は本会 に届出て会員章 を返

還すへ し

第 1 0 条 会員 に して本会の名誉を汚涜す と認むる者 は

役員会の決議を以て之を除名す

第 3 章 役員

第1 1 条 本会 に左の役員を置 く 1.総裁 1 名

2. 会長 1 名 3. 副会長 2 名 4.顧問 若干名 5. 幹事 若干名

第1 2 条 総裁 は秋田県知事 を推戴す

顧問 は会員中本会 に対 し功労 ある者又 は体育 に関 し特別 の知識経験を有す る者 よ り総裁之 を嘱託す

幹事 は会員中より会長之を指名す

第1 3 条 会長,副会長,及幹事の任期 は 2 箇年 とす 第1 4 条 役員 は名誉職 とす

第1 5 条 会長 は本会を代表 し会務 を総理す

副会長 は会長 を補佐 し会長事故 ある時 はその 職務を代理す

顧問 は重要なる会務 に参画す

幹事 は会長 の命を受 けて会務を処理す 第 1 6 条 会長 は役員会の決議を経て予算 を定む 第1 7 条 会長 は通常総会 に於て予算及決算の報告 を為

すへ し

第1 8 条 会長 は役員会の決議を経て必要 なる規則 を定 む ることを得

第 4 章 会議

第1 9 条 会議 を分 ちて総会及役員会 とす

第 2 0 条 総会 は毎年 1 回開催す但 し会長 に於 いて必要 を認 めたるときは臨時に召集す ることあるへ

第21 条 役員会 は会長必要 と認めたるとき之を召集す 第2 2 条 本則 は役員会 の決議 を経総裁 の承認を経 るに

非れは変更す ることを得す

第23条 会議 は出席者の過半数を以て之を決す

第 5 章 事業

第2 4条 本会 に左の 8部を置 き各部 に部長及補導員 を 置 く

1. スキー部 2. 庭球部 3. 野球部 4. 山岳部 5. 講演部 6. 水泳部 7. オ リンピック競技部 8. スケー ト部 第 2 5 条 郡長及補導員 は会員中よ り会長之 を嘱託す 第 2 6 条 部長 は翌年の事業計画を樹て会長 に申出つへ

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第2 7 条 各部 は毎年 1回以上大会 を開 くへ し

第 6 章 会計

第 2 8 条 本会の会計年度 は 4 月 1 日よ り翌年 3 月 3 1 日 に至 る

第2 9 条 本会の経費 は会費寄附金補助金其の他の雑収 入を以て之 に克つ

当初会員 は ,3 0 円以上 の寄附を した特別会員 と 2 円の 年会費のみの普通会員 さ らに名誉会員 に分 け られたが, より多 くの賛同者を募 るために会則では名誉会員 と会員 のみ とな った。総裁職をお き県知事 を これに当て秋田県 の全体的な組織 になるために,秋田市長,旅団長,裁判 長 などを顧問に想定 し民間の組織であるが県主導の様相 を色濃 くし,予算,会則変更など会 の実質的な運営を役 員会で進 めることに している。部会 となるスポーツ種 目 は,すでに県内で普及 している種 目で あ るが , 「い っそ う廉 く各般の運動 に亘 り四季を通 じて所謂体育全般 」 4 ) 杏 含 ませなが ら 「 一般民衆体育 の奨励, 宣伝」 のための

「 講演部」 と注 目されだ した 「オ リンピック競技部」 が 会 の特色を示 している

2 )第 1 回発起人会の議事

発起人会の初会合では協会設立 の趣旨と会則にそって, 役員人選 の案が示 されてい く。会則 に明記 された知事を 総裁 とす る他 に , 「 井上市長 を会長 に, 辻 商業会議所会 頭を副会長 とし顧問には旅団長,鉱山学校長,裁判所長, 検事正,各新聞社長その他各官衛長 を網羅」す る事が原 案 とされた。 さ らに 8 部会 の部長 お よび活動 拠 点 は,

「スキー部 ・鉱山専門学校 ・北畠理事官, 庭球部 ・高等 女学校 ・秋 田電気株式会社 ・大林区署,水泳部 ・県教育 会,野球部 ・阿倍博士 ・佐野国手 ・五十嵐秋田新聞記者, オ リンピック競技部 ・男子師範,山岳部 ・信太県議, ス ケー ト部 ・村地部長 ・大島欣助氏,講演部 ・三新聞社」

と示 された。 5 )

さらに発起人会で重要 な未解決 の問題 とされ たのが, メイ ングラウン ドとして予定 されていた楢山 グラウン ド への工業試験場設置計画への対応であった。県が楢山 グ ラウン ドに3 , 0 0 0 坪の敷地を工業試験場 に予定 して い る 問題 に対 して,発起人会では秋田市で理想 のグラウン ド はここ以外 にな く,試験場設置 は 「 県の運動熱を阻止す るも甚だ しいとせねばな らぬ」 として発起人会全体の意 向 として極力反対 してい くことを明 らかに した。

3)野球協会の加入条件

設立発起人会か ら体育協会の概要が公 にされた ことを うけて,具体的に会員募集 と部会 に予定 された 8 競技 団

体の とりまとめが進 め られて行 くが,部会 との事前の話 し合 いがお こなわれていたわけではな く , 「元来体育 と いうふ も其種類多岐多様 に自 り主 として如何 なるものを 真向に振 り繋 し進 むつ もりなるや未だ判明せぬ」 6 ) とい う のが実状であ り,すでに大正 1 0 年 に創立 していた野球協 会 にまず体育協会加入の打診がはか られた。

野球協会 は早々に会員 による会合を もち, この時点で 野球協会 を解散 して体育協会 に加入す ることへ は若干の 異議 も出されたが 「権威 ある組織 の下 に活動す る見込充 分確立」で きるな らとし, とくに次の三点を加入 の条件

として体育協会側 に回答を求 めた

。7)

1.秋 田野球協会全体を一単位 と認 め

2. 金 3 0 円を一時 に納付 し特別会員 た らしめ個人か ら 会費を徴 しない

3. 秋田野球協会 の本年度予定の事業を継続実行す る 野球協会での議論 では,体育協会 は会費制 にな ってい て,加入 と同時に年会費を納付 しな けれ ばな らないが, 野球 は単位が個人で はな く,チームであるので個人 ごと に会費を徴収す るの は問題であろう,野球協会全体を体 育協会 に加入 してい くには上記 の条件 の容認が会員 の納 得す るところとなろ うとい うものであった。体育協会の 発起人会では全面的 に承認 してい くことになる。

4 ) 第 2 回発起人会

設立 に向けて具体的な活動 に取 り組んで きた発起人会 は, これまでの折衝 の経過や発会式の打 ち合わせのため 3月2 6日に第 2回 目の発起人会 を開催 してい く。 そ して まず,秋田体育協会 の発会式 を 4 月1 5 日とし4 月末 まで に 「 体育講習会」 を開催す ることなどを決定 してい く。

第 1 回発起人会で確定 していなか った点や変更 にな っ た点が確認 された。総裁 には会則 に明記 したように,覗 知事 の岸本正雄 そ して会長 には,井上市長が候補者 にさ れていたが内諾を得 る段階で固辞 され代わ りに野球協会 の阿倍伸雄が会長 に推薦 された。 さ らに副会長職 は,定 員 2 名であ ったが不足が懸念 され,北畠良一 の他,信太 儀右衛門,三洋力太郎が内定 した。顧問,幹事 は未定 の ままであったが,発会式後 の 4 月 2 8 日に 3 5 名 もの顧問名 が発表 され ることになる。 8 )

8 つの部会が予定 されていたが,新 たに蹴球部 と乗馬

部が加え られることにな った。蹴球部 は当初か ら予定 さ

れていたが,活動母体が確定せずに見送 られていたが候

補者, クラブも内定 し, さらに連隊か ら馬を調達で きる

ことが確実 とな り乗馬部 も部会 に加わ った。部会 の部長

も蹴球部,乗馬部を除 き, スキー部 ・北畠,庭球部 ・田

村,野球部 ・佐野, 山岳部 ・信太,講演部 ・北畠,水泳

部 ・三洋, オ リンピック部 ・相木, スケー ト部 ・村地が

内定 し,部長 を中心 に各部別を定めてい くことが決め ら

(4)

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れ た。

さ らに,前 回 に発起人会 の意 向をふ まえ,再度発起人 全会一致 で,1 .楢 山運動場 の整理 拡 張 を県 当局 に請 願 す るの件 2 . 千秋公園二 の丸並 び に図書 館 跡 を運 動 場 と して整理拡張 せ られん ことをその筋 に請願す るの件 を 決議 した。

体育協会 の初 めての行事 とな る 「体育講習会」 の概要 は,県師範学校 を会場 に 5 日間 の 日程 で, 運 動 生 理 学 , 体操理論,屍体解剖 を九州帝大 医学部教授,桜井恒次郎

にそ して体操実施指導, オ リンピック競技実施指導 を東 京市体 育顧 問,三橋義雄 を講 師 に会 費 制 で 3 0 0 名 の規 模 で計画 された

。9)

また全県男女 オ リンピック大会,東 北 6 県 オ リンピック も計画 されて い ることが発表 された。財 政 の基盤 が脆弱 で はあ ったが,大正 9 年 に設立 されて い る青森県体育協会 の活動 に劣 らないよ うに,県 そ して民 間 の支援 を得 なが ら東北 で も前例 のない活動計画 によ っ て体育協会 を発足 させ る ことを急 いだ。

3 . 秋 田体育協会 の設立

1 )体育協会 の発会式

大正 1 2 年 ( 1 9 2 3 年) 4 月 1 5 日,前夜 の雪混 じ りの降 雨 のため発会式 の開催 が予定 の 1 時間後午前 8 時 に決定 さ れ, その後 「 花火 を打 ち上 げ宣伝 の 自動車 が市 内を練 る 一方野球部員 はグラウ ン ドに総 出で諸 般 の準 備 を急 ぎ」

午後 1 時半 に,岸本総裁,阿倍会長 を初 め役員,各部長, 会員 そ して観衆 が整列 して,秋 田体育協会 の発会式 が楢 山 グ ラウ ン ドで開催 された。 阿倍会長 の開会 の挨拶 に続 いて,県知事 で もあ る岸本総裁 は 「体育 は単 に肉体 的鍛 錬 にあ らず して実 に意 力 の訓練,全人格 の淘汰 に資す る 処大 な る ものあ り会員 は能 く此点 に恩 ひを致 し協 力一致 体育 の大本 を忘却 す るな く会 の発 達 を期 せ られ た い

」10)

と告示 をのべ午後 2 時 には発会式 を終了 して い る。 引 き 続 いて発会式 を記念 して, すで に協会 と して活動実績 の あ る野球部会 が紅 白試合 を行 い, この年 は じめて の野球 の試 合で もあ り ,3 千余名 の観衆 が見守 る もの とな り体 育協会 の設立 を十分 に盛 り上 げた。

2) 全県 オ リン ピック大会 の開催

体育協会設立 の記念行事 と して 6 月 1 0 日には,秋 田県 師範学校 グラウ ン ドで , 「全県 オ リン ピ ック大 会 」 と呼 ばれ る運動競技大会 が開催 された。前 日乗 の降雨 で厚 い 雲 に覆 われなが ら午前 8 時 5 0 分,全県 の各学校,各 団体 か ら男女総数 3 5 0 名 が参加 して開会式 が お こな わ れ, 逮 手宣誓 に続 き役員 を先頭 に全選手 が 2 列縦 隊で トラ ック を 2 周 し観衆,応援 団 に応 えた。 さ らに東京朝 日新聞社 よ り 「大銀杯」 が男子 中等 学 校 8 0 0 m リレー の勝 者 に授

与 され ることにな った。主 な実施種 目は以下 のよ うな も ので あ る 。 ‑ i )

トラ ック競技

1 0 0 m 走

・2 0 0m 走

・4 0 0m 走

・8 0 0m 走

・1 5 0 0m走

一般,男女 中等学校,男女高等小学 校, 男女尋常小学 校

一般,男女 中等学校,男女高等小学 校

一般 男子 中等学校 男子 中等学校 一般

・5 0 0 m メドレーリレー 男子高等小学校

・8 0 0m メドレーリレー 一般

・8 0 0m リレー 男女子 中等学校

・ロー‑ 一 ドル走 女子 中等学校

フ ィール ド競技

・走幅跳

・走高跳

・三段跳

・棒高跳

・砲丸投

・槍投

一般,男女尋常小学校

一般,男女 中等学校,男女尋常小学 校

男子 中等学校 一般,男子 中等学校

老年組,一般,男子 中等学校 一般,男子 中等学校

・ベースボール ・スロー

男女高等小学校, 男女尋常小学校

・フットボール ・スロー 女子 中等学校

3 ) 体育講 習会 の開催

第 1 回 の全県 オ リンピック大会 の成功 を うけて,体 育 協会 は順調 な出足 をみせ,各部会 も会 則 ,事業計 画 な ど

を具体化 して 「 本県 の スポー ツマ ンの意気込 が一新 した ことは誰 もが首肯 す る」 ところ とな り,協会 の 目的 を着 実 に遂行 してい った。講演部 は , 「 宣 伝 活 動 写 真 隊」 を 結成 し体育協会関連 の ほか全 国野球大会,女子競技大会, 高 田連 隊 スキー大 会 な どを各 地 で巡 回上 映 して い く。l 幻 これ らの盛 り上 が りを背景 に 4 月末 に実施す る予定であっ た 「 体 育講 習会」 をあ らためて内容,規模 を拡大 して開 催す る ことにな った。

大正 1 2 年 8 月 1 4 日か ら 1 9 日まで県男 子師範学校 を会 場 に約 5 0 0 名 の参加者 を集 めて初 めて の体 育 講 習会 が 開 催 され た。 おおむね午前 中 は講義,講演 そ して午後 は実技 講習 の 日程 で,九 州帝大教授進 藤篤一,東京市委託 三橋 義雄 ら 1 3 名 にお よぶ講 師陣 ⊥ 3 ) か ら終 日最新 の理論 と実 践

の講 習が続 け られ た。

初 日の講習会 の状況 は, 午前 9 時 3 0 分 か ら師範学校 講

(5)

堂 で開会式 が開かれた後,進藤篤‑ の医学 的な体育講演 が11時 までお こなわれた。午後 は炎天下 の もと, 三 橋, 鍬本,山根講師 らが体操 そ して走幅跳,バ スケ ッ トボー

ル, デ ッ ドボール等 の競技 を永 田,小林,渡部 の現役 の 師範学校生が指導 をお こな ってい った 。2 日目に は, 請 演 と解剖見学 もお こなわれ体操 と各種競技 の実践が午後 4 時半過 ぎまで指導 された。初 口の講習 を聞 きつ け参加 希望者が増 え,実技指導が一部制限 され る状況 も生 じる ほどであ った。体操指導 の原,上山講師 は東京府立 の高 女 の教諭であ り,女性 の参加者 が 1 0 数名であ ったが特別 に 「 秋 田婦人 の体育 向上」 のための指導 を積極的 に講習 してい った

。14)

体育協会 の意気込 み と会員 の積極的な取 り組 みで初 め ての全県 オ リンピック大会や体育講習会 は,予算上 の問 題 で 「 優勝 メダル」が とりあえず 目録 のみ にな った り, 初 の体育講習会 での不手際が指摘 されたが,地域社会 お

よび学校での体育 ・スポーツの促進 を加速 させ ると同時 に体育協会 の組織基盤 を確立 し社会での位置づ けを明確 に表明 してい くものにな った。

4 . 体育協会 の威信失墜 と活動 の停滞

1 )東京 ・秋 田間 1 0 日間マラソ ン

体育協会設立 の記念行事 の順調 な実施 と全県少年野球 大会,全県 スキー大会 な ど各部会 の活動で初年度を終え, さ らに体育協会 を県内外 に知 らしめ る行事 と して,大正 1 3 年 ( 1 9 2 4 年) 6 月 2 1 日か ら東京 ・秋 田問約 1 5 0 里 を協 会会員 2 名 の選手 によ り 1 0 日間で完走す るとい う計画 が 発表 された。

2 名 の会 員 は毎 日,秋 田 ・土崎問を往復 して練習 を重 ね,二人 の内一人が足 を痛 めて も一人 は必ず走 り通す こ とを誓 い,体育協会 はこの計画 を承認 し岸本総裁,村地 部長 は 「 銀 カ ップ」 をすで に用意 し,市 内 3 新聞社 に後 援 を依頼 しさ らに準備費,旅費等 1 7 0 円余 を市 内有 志 か ら集 め計画を全面的 に援助 した 。6 月 2 1 日東 京朝 日新 聞 社前 を社員総 出,在京秋 田県人多数見送 りのなか活動写 真 に もおさめ られ両選 手 は秋 田 に向か って 出発 した。1 5 〕 その後 は,毎 日予定通 りの目的地で大歓迎 を受 けている とい う連絡が体育協会 に伝 え られた。 その後 の行程 は極 めて順調 に進 んで いるとの情報で ,2 9 日には県内にはい り,院内を経て湯沢か ら横手 に向か った ことが伝 え られ ると,歓迎方法 を取 り決 め る一方で,待 ち きれず に横手 まで出迎 えの委員 を向かわせ る程 の騒 ぎとな った。

ところが両選手 が,途中濃霧 と寒気 のためにやむをえ ず,汽車 に乗 った とい う情報 が伝 え られた。横手 に到着 した選手 か らは,板谷峠だけではな く院内峠 も汽車 に乗 っ た ことが明 らか にされ,阿倍会長 は 3 0 日の午前 中に急速

委員会 を招集 した。 その結果, やむを得 ない こととはい え遺憾 の点 もあ るが ここまでの壮挙 を寛大 に受 け止 め, 一般 の歓迎会 を見合 わせ和 田駅 まで出迎 えて小規模 な歓 迎 と記念品を贈 ることを決 めた。 しか し午後 にな り福 島 県 白川 も汽車 で通過, 山形県漆山楯 岡問 も汽車で通過 し 出迎 えが無祝 された とい う連絡が同地か ら体育協会 に伝 え られ,再度会議が持 たれ る ことにな った。1 6 〕 午 前 中 の 会議 の決定 はすべて破棄 され , 「マ ラソ ンの規 定 にはず れている以上 は選手 の資格 に欠 く」 もの として,阿倍会 長が到着 した時点で 「 選手失格」 の宣言 を し,到着,歓 迎 の合図の花火 の打 ち上 げを中止 し,歓迎 はい っさいせ ず総裁 か らの銀 カ ップ, その他 の記念品 もすべて見合 わ せ るとい うさび しい結論 に変更 された。

体育協会 の対処が検討 されて いる間 に,両選手 はゴー ルを目指 し最後 の区間 にさ しかか り各学校 の生徒 は待 ち きれず に境,和 田まで出迎 え,歓迎 の花火 さえ打 ち上 げ られ,歓迎 と興味本意で一般 の市民 も県庁前 に集 ま り始 め,午後 8 時 1 5 分 に大群衆 が待 ちか まえ るなか両選手 が 相次 いで, ゴール地点 に到着 した。汽車 に乗 った とい う ことを知 っている者 も多 く,体育協会 の処置をかたずを 飲 むよ うに うかがい , 「 元来 な らば万歳天 に とどろ くと ころだが誰 の口か らも出ない」異様 な雰囲気 の中で,阿 倍会長 は悲痛 な声 を絞 り 「 今回東京秋 田問のマ ラソンは 各方面 か ら多大 の後援 を得 て決行 したが濃霧 その他故障 のために途中選手 は汽車 を利用 したのであるこれ は明 ら か にマ ラソンの規定 に反す るのみな らず精神 に欠 けてい る甚だ遺憾であ るが只今 の決勝点入 りはアウ トを宣告せ ざるを得 ない」 と大群衆 に向か って伝 え た

。17)

出迎 え に 集 まった群衆 は,会長 の宣告 を妥 当 と受 け止めなが らも, 何 も知 らされず この 日も横手 ・秋 田 問2 0 里 を走 って きた 両選手 の姿 をまのあた りして , 「阿倍 博士 も気 の毒, 逮 手 も気 の毒で見 て居 られない」という状況で,式が終わ っ て も群衆 は容易 にはその場 を立 ち去 れないで いた。

昭和 2 9 年 に刊行 された 『 体協 3 0 年史』 で は , 「事件 を 引 き起 こ した」両選手 も 「かな り同情 される点 もあるが, 協会 に対す る世間の不評覆 りべ くもな く, その粛正急 を 要す る」 とこの時の体育協会 の素早 い対応 を 「 立派 な も のだ」 と している。1 8 ) しか し発足 して地盤 を固 めつつあっ た体育協会 には,大 きな汚点 とな り,体育協会への責任 問題 と体質 の改善 が求 め られ ることにな った。

2 ) 体育協会への批判

体育協会 の会長 自 らの素早す ぎる と も思 え る対 処 で, 東京 ・秋 田間 マ ラソンの一件 は収 ま る予 定 で あ ったが, 各方面か ら厳 しい批判が続 出 し体育協会 の改変 に も及ぶ

ことにな る。秋 田魁新報の 「 言論」欄 での批判 は次 のよ

うである

。1

9

)

最近体育奨励 に大 い に力 が注 が れ, その結

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秋 田大学教育学部研究紀要 教育科学部門 第

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果健康 の増進が はか られ ると同時 に健全 な る精神が養わ れている。 この理解 は,学校生徒,青年団だけではな く, 社会での人物採用 の第一条件 は身体 の強健 さにあること

は疑 いのないところであ る。運動す るものはだいたいに おいて身体壮健 で,持久力 に も富 んで いるので体育奨励 が必要で あるが, さ らに大切 な ことは健全 な精神 の養成 である。 いかに技量 に優れて いて も , 「そ の精神 に して 唾棄すべ きものあるに於 いて は,極力 これを排斥」 しな ければな らない。特 に 「 一校,一県,一国を代表 して競 技場裡 にお くるべ き選手 を選定す るに際 して は,殊 に こ の点 に対 して注意 を払 う必要があ る」。 今 回 の東 京 ・秋 田問 マ ラソンで は,体育協会 に 「この点 に対す る配慮が 甚 だ足 らなか った」 ことが まず問題で あ る。 岸 本総裁 , 阿倍会長以下,体協 をあげて各方面 に援助 を依頼 しての

ことであ り, そ こで選 ばれた体育協 会 の会員 で あれ ば, 選手 の力量 の如何 は 「 岸本総裁以下 の証 明 に信頼 して, これ に援助 を与ふ る」 もので 「 各方面 の応援者 に対 して 多大 の迷惑 をか けた責任 は免 れ得ず, 協会 が深 く謝罪 」 すべ きであ る。

さ らに選手 の問題 は 「 決心 の薄弱 に して責任観念 のな か った」 ことである。「 唯単 に予定 の時 間 に, 予定 の地 に着す る ことにあせ った短慮 の結果 に出である所為 にあ らざるか。」東 京秋 田間 1 5 0 里 を 1 0 日間 で走 る ことは, 極 めて困難 な ことであるのは明 らかであ り 「この挙 を歓 迎 したの は, その精神 に共鳴 したか らである。予定通 り に走 らな くとも,一 日や二 日遅 れて も,正 当に これを決 行 さへす れば これを答む る ものでない。他府県 に於 いて は秋 田県 の代表選手 と して迎へて居 るのに斯 か る点 に無 関心 に多数 の眼を故魔化 し,恥 を県外 にさ らし,せ っか くの応援者 の期待 に背 いた ことをあ くまで も責 めなけれ ばな らぬ。」 まさに運動 は技 にあ らず して, 人物 で あ る ことを明瞭 に示 して くれた もの と して,将来 の戒 め とす べ きであ ると結んでいる。体育協会 の不十分 な配慮,計 画性 さ らには安易 さを厳 しく非難 しているが,総裁であ る知事が最初か ら関わ っていた ことが問題 をよ り大 きな もの と し,選手 に対す る県民,関係者 の過大 な期待,関 心 の大 きさが二人 の選手 に この行為 を選択 させ た ことも 確かであろ う

また 「これ は体育精神上最 も忌 むべ きことであるに相 違 ないが,一つ には選手 の無智,即 ち体育精神 に対す る 理解 の乏 しさ」 か らくるもので 「 平素余程 スポーツマ ン シップの訓練 を与へておかなければな らぬ。単 に技術体 力 の増加 をのみ競争 させ る結果, やや もすれば体育精神 を閑却す る, か くの如 き奨励 の仕方 は最 も非体育 的」 あ るとの厳 しい指摘 もお こなわれ る。 2 0 ) 運動 や スポー ツが 盛ん にな る一方で一部運動選手 の素行 や態度が批判 の的 とされ体育 ・スポーツその ものの価値 に疑問が持 たれ る

ことを避 けるために,運動 の精神性,社会化が強調 され てい く。

これ らの批判 を体育協会 と して受 け止 め,協会 の 目的 に沿 った活動 を確実 に実行 して信頼 の回復 を はか るべ き であ ったが,財政 の破綻 と協会 内の足並 みの乱 れ も生 ま れ,批判への善処 ばか りか組織 の活動 も全 くの休止状態 とな ってい く。

3 )体育協会の活動停滞 を補 う活動

体育協会 のそのよ うな状況 の中で も,体育 ・スポーツ の普及 は確実 にすすみ,大正 1 3 年 6 月 2 4 日には,女子 の 体育 向上 を 目的 に秋 田魁新報主催 で第 1 回全県 中等学 校 女子庭球大会 が,各女学校長 の賛 同の もとで開催 された。

後 に体育協会 との関係で論議 を呼ぶ ことにな るが,体育 協会 の不活発 さを補 うに 十分 な もの と して他府県 まで注

目を浴 びることになる

。21:.

さ らに 「 体育講習会」 も第 1 回の 「 首尾 が余 り能 くな か った」 との理 由で ,8 月 3 日か ら 6 日間県 教兵 課主 催 で五城 目町 にお いて開催 す る ことにな った 。 2 2 )内実 は, 県 の主催で行 う予定 であ ったが,講師謝礼等総額 1 5 0 0 円 が必要 とな るところ県予算 は 3 0 0 円 しか計上 して お らず 本格 的な陸上競技場 を建設 したばか りの五城 目町 に 「こ の講習を 2,3 年継続で五城 目で開 くし且 つ 同町経 営 の 矢場崎運動場 に於 いて競技会 を続行す るといふ黙契 の も とに」 2 3 ) ,協賛 を もちか けた。 五城 目町 は, 協 賛 金 と し て 1 2 0 0 円の寄付 を集 め,昨年同様 に三橋義雄 らを講 師 と

して講習,体操,競技 を実施 してい く。

この講習会 も,後 に体育協会 との間 に問題 を残 す が, 体育 ・スポーツの普及 を浸透 させてい った 。1 0 月 1 7 ,1 8 日には,県主催 によ り矢場崎運動場 で県予選 に続 いて第 1 回明治神宮体育大会 の青森, 山形 との 3 県 の予 選 会 が 行 われ, 2 4 ) 国をあげて体育 ・スポーツによる体力 の向上, 国民精神 の作興 が さけばれ るなか, 2 5 ) 秋 田体育 協 会 の再 生が求 め られてい く。 これ らに応 えるように , 「 極 めて極 秘 に」 で はあ ったが旧体育協会幹部が協議会 を開催 して 組織 の改革 に取 り組んで い く。特 に池 田知事 が体育協会 に意欲的な理解 を示 し補助金 の提案 まで示 してい く 。 2 6 〕

5 . 体育協会 の組織改革 1 )組織改革への提案

秋 田県 に限 らず各種の運動 が盛 んにお こなわれ,体育 の奨励 が学校以外 で も進 め られて きていたが まだ まだ偏 見や誤解が十分 には払拭 されず,青少年 のため もの と考 えた り,一片 の娯楽であ り暇を作 って まで実施す るもの でないと考 え られた り,女性が実施す る際の多 くの偏見 があ った りした。

早老で体力,気力 の衰 えを若 くか ら表 して くる原因 は

(7)

まさに運動習慣の欠如であ り, とりわけ東北地方では長 い冬季間の活用 はほとんど配慮 されてお らず,四季を通 じて適切 な運動 を普及促進 してい く必要 が求 め られた。

この意味で休眠状態である県体育協会が本来の目的達成 のために,多 くの難題 とともに再生が迫 られて きた。発 足直後か らの不手際で多 くの非難 を浴 び , 「現在 の如 き 協会の状態を以て しては,今後漸 く隆盛 に赴かん とす る 県下体育 に関す る統括及 び指導 を委す るに甚だ物足 らな く感す ると共 に,奨励せれ るるものの満足を繋 ぐに足 ら ない」 との指摘す ら見 られた。 そ こで学生中心の考えを あ らため,内部で事業の奪 い合 いなどしない組織をっ く り, とりわけ 「 充分体育 に理解 ある適当の人 を得 る」 こ とが最 も重要な課題 とな ってい った

。27)

このような世論 の要望のなか,大正1 4 年 ( 1 9 2 5 年)を 迎え ると体育協会 も再生 のための改善策を提案 しは じめ る。阿倍会長 は活動 の停滞を打開す るために,大町 2 丁 目か ら4 丁 目までの約 1 万坪を グラウ ン ドの候補地 と し て,すでに岸本総裁の時点で実地検分 を済 ませて い る。

この土地であれば 「 商店 の店員 も,学生 も会社員 もみん な随時 に出掛 けることが出来, とにか く一 日中 グラウン

ドに人影を絶やさぬ ことが出来や う」 な 「 市民 グラウン ド」 にな り得 る。 グラウン ドに運動諸器械をそろえ周囲 に観覧席を設置 し 「 欲をいえば体育館めいた ものがほ し い, そ して随時講演や講習をや りたい,殊 に冬季 は屋内 運動を奨励 したい」 と希望 を語 り, その建設経費約 5 万 円は,県市当局,商業会議所その他有志か らの寄附でま かないたいと,体育協会の活動 の拠点 となるグラウン ド 設置の必要性 を強調 しすでに知事 に勧 めて昨年の内に買 収をお こな う予定であ った ことに もふれている。

さ らに体育協会の財政的の建て直 しに ,6 万 円の体育 協会基金を各市町村 と民間か ら 3 万 円づっ寄 附 を募 る

その基金の利子 と県 と市か らの補助で年予算 1 万円位 を 活動費 として,指導員の養成 と派遣 という体育の普及 に 目的を絞 り込み, そのために市町村 に支会を設置 してい

2

8)

2)体育協会の改組 と評議委員会

そ して組織改革 として,県知事を会長 に定め,県の協 力を全面的 に引 き出す体制を確保 し,総裁 には佐竹義春 をお し,新 たに評議員制を とることにな った。 部会 も, スキー部,野球部,庭球部,水上競技部, オ リンピック 競技部, スケー ト部,山岳部,乗馬郡,相撲部,獄球部 と変更 された。 2 9 ) 佐竹候か らの内諾 を得 て ,5 月3 0 日に,

「 顧問4 9 名,評議員47 名 を発令 して」 新 たな組織 と して 再出発をはか った。 3 0 ; .

大正1 4 年 ( 1 92 5 年)6 月1 9 日,第 1 回 目の評議委員会 が開催 され長野知事が会長 として出席 し,阿倍伸雄,伝

太代議士,石丸連隊長,桑原警察部長 の各顧問 と幹事長 である尾池教兵課長の他県議,郡長,銀行支店長,各学 校長 など評議員 3 0 余名が審議 した議題 は以下のようであ

る。

第 1 号議案 副会長 3 名推薦 の件

審議 の結果片野,加藤,京野県会義委員,和田師範学 校長,湯本南秋 田郡長 の 5 名が詮衡委員 に任命 され た。

昼食 を挟んで委員会の結果,橋爪内務部長,藤原警察 部長,阿倍伸雄が副会長 に推薦 され満場一致で承認 され

た 。

第 2 号議案 基本金募集 の件

6 万 円の体育協会の基本金 を次 のよ うに募集す ること にな った。 1 )6 万 円中 4 万円は‑町村平均 3 0 円以上 の寄 附を求 める特別会員 を 1名そ して 3 円以上 の通常会員 を 3 0 名以上募集す る 。2 ) 残 り 2 万円は県 と国県税 5 千 円以 上の篤志家 よ り募集す る。 さらに今年秋 に予定 されてい る皇太子行啓の記念す るグラウン ド建設 の資金募集計画 があることも紹介 された。

第 3 号議案 秋田市楢山運動場 を 3 千円にて改修 す る 件

和田師範学校長,西居秋田中学校長,京野県議 より大 グラウ ン ド建設の必要が強 く出され, その場合 には楢山 運動場 は小規模 な改修 に止 めることが付帯決議 された。

第 4 号議案 大正1 4 年度歳入出予算 の件 3 千 5 百円の原案通 り満場一致で承認 した。

最後 に,深浦評議委員 よ り 「 民衆体育の振興上緊要 な りと認 む るを以て適当なる方法 により秋田市 に大 グラウ ン ド建設方を県知事 に建議の件」が発議 され,満場一致 を持 って決議 された。 3 1 )

3)体育協会の官僚化傾向への批判

再生 された体育協会 は評議員会方式で順調な出足をみ せたが,体育の奨励を目的 としなが ら 「グラウンド建設 」

が議題 に上 げ られていなか ったことには 「 柳か本末転倒 の感を催」 し 「 評議員 の建議を待っまで もな く,当然考 へなければな らぬ し, その実現 に向か って努力を払 うべ き」 3 2 ) であるとし組織,運営 が 「体育協会 の官僚化, 逮 動競技 の官僚化」 とす る非難のあが るの もやむを得 ない ことも起 きて きた。 ひとっ は前年 に五城 目町 との協議の 結果や っと開催 した 「 体育講習会」を,再 び体育協会主 催 によ り秋田市でお こな うとい う一方 的 な決定 であ る。

「2,3 年継続 して五城 目町で開催す る」 とい う 「黙契」

(8)

秋田大学教育学部研究紀要 教育科学部門 第5 3集

が 1 年 で破棄 された結果 にな った。㍊ 〕 さ らに各郡 市 に支 部 を置 いて,県下 の運動競技 の統一 を図 る との方 針 に, 県立 の中等学校長会議 が 「 今後運動競技 は体育協会主催 の ものでなければ成 るべ く選手 は送 らぬ,殊 に女子 にあ りて は絶対 に他 の主催 に応ぜぬ」 との決定 を下 し,競技 会 の主催 の独 占化 を図 ってい った。大正 1 3 年か ら開催 さ れていた秋 田魁新報社主催 の全県中等学校女子庭球大会 も, 3 4 ) 女 子 中等学 校長 会 か ら参 加辞 退 が 申 し込 まれ た。

「 運動 は所謂運動 のための運動であ って, 競争 のた めの 運動でない。他校試合 は徒 らに女子 の競争心 を呼 び起 こ し,教育上弊害 こそあれ,効果 を見 出す ことが出来ない」

としなが らも 「 但 し競技 の統一 を計 るために,県体育協 会主催 にだ け応ず るや うになるか も知 れない」 と矛盾 し た論理 と受 け止 め られて も仕方 のない理 由で主催 の交代 をせ まった。主催者 の魁新聞社が納得 で きなか ったのは

「 然 るに県体育協会 なる ものが一体何事 をな して居 るか。

あの当時の声明書 の手前世間 に果た して申訳 あ るか 。1 0 部 の うち 1 ,2 競技 を開 いた もの もあるが, 他 に ほ とん

ど手 をふれない。偶 々実業団 の庭球 大会 を主催 せ るに, その競技 当 日にな って も,競技 を行ふべ きコー トを示 さ ず,主催者が一人 も顔 だに見せず,各郡か ら選手を集 め なが らその責任 を果 た さず,滅茶苦茶 に大会 を終 わ らし めて更 に責任 を感ず る所 を知 らなか った」 よ うな体育協 会が女子中等学校長会 がい う大会が主催で きるのか とい うことであ った。 さ らに女学校連盟 の下で,全県女 子中 等学校 の対抗競技 を開催す ることが公表 された。 3 5 〕

結局 の ところ,体制 を立 て直 して県が体育界 の統一 を 図 るとして再 出発 した県体育協会 は学生 のみな らず, む しろ一般人 の体育 の奨励 をお こな うために ,1 0 の競技部 を設置 し体育主事 をお き,毎年各競技 を開 いて平等 な発 展 を促す ことを 目的 に して きたはずであ ったが,協会 の

「 不熱心 さと無責任 さ」 によ り信頼 を失 ったばか りで な く, さまざまな疑義 と不信,官僚的 な運営への批判 が広 まることにな った。

さ らに体育講習会で も初 めての開催 の不手際,予想 を超 え る参加者 に対す る対応 が不十分で翌年以降 に問題 を残 す ことにな るが,一般市民 に も体育 ・スポーツの理論 と 実践 を広 め る機会 をっ くった ことは高 く評価 され る。

これを受 けて,各部会がそれぞれの活動計画 を実践 さ せ ようと した矢先 に,東京 ・秋 田間 1 0 日間 マラソンの失 態 が生 じ,実行 した選手 と同時 に協会 の会長 をは じめ と す る幹部役員 や体協 の体質 その もの に不 信感 が高 ま り, わずか 1 年 に して協会 の大幅な改変が求 め られ ることに な る。 しか し協会 の外部か らの批判 と同時 に, 内部 の部 会間の不協和音 も相 ま って,改革案 は具体化 までに長 い 時間を要 し,結局県知事 を会長 にお き県 の主導で協会 の 運営 をせ ざるを得ず, このことは地域社会の体育 ・スポー ツの普及促進 とともに学校体育 ・スポーツに も大 きな影 響力を与 え ることにな り,各種 の競技大会 の開催,民間 主催大会への選 手参加 の規制 な どに も関与す ることにな り,評議員制 の導入 も 「 官僚的運営」 とい う批判 をかわ す ことにはな らなか った。

秋 田県体育協会 の大正時代 の活動 は, オ リン ピック, 明治神宮競技大会 に代表 されるように民間の体育 ・スポー

ツを大 いに刺激 し普及が促進 されたのを うけ, 当初 は目 的 にふ さわ しい活動 が展開 されたが,財政的 な裏付 けの 不十分 さと組織運営 の方法 の不適切 さによ り不手際が 目 立 ち,期待 されなが らも不信 と批判 が高 ま り,本来 の活 動 は昭和初期 のさ らな る組織改革 を待つ ことにな る。

6 . おわ リに

大正 12 年 に大 きな注 目と期待 をあつめて 「 秋 田体育協 会」 が設立 され, 当初か ら財政的 には不安 を抱 えなが ら

ら,体育 ・スポーツの普及促進 を とりわけ地域社会 に図 る目的を掲 げ活動が始 め られた。すで に協会が発足 して いた野球協会 をのぞけば,広 く全県規模 での競技会 を開 催 してい くには力量不足であ ったが,県 および秋 田市 の 援助 を受 け,全県 オ リンピック大会 の開催 は翌年 の第 1

回明治神宮競技大会 の秋 田での 3 県予選 の参加選手 に比 べて も倍近 い規模 とな り体育協会‑ の賛同 と学生以外 に もスポーツへの関心 を引 き起 こした成果が うかがわれる

註 および引用

1 )県の胆入りで体育協会を組織 :秋田魁新報 大正1 2 年 3月 2 日付

2) 発起人会で村地警察部長の草案説明の際には,北畠庶務課 長が 「 運動熱を鼓吹 しようといぶのが抑 もで,最初はスキー だけの団体にしようと思った」と述べている。 ( 秋田魁新報 大正1 2 年 3 月 5 日付)

3 )県体育協会発起人会 .秋田魁新報 大正1 2 年 3 月 4日 4)体育場か‑問題 秋田魁新報 大正1 2 年 3 月 5 日付

6) 体育協会から野球協会の加入勧誘 :秋田魁新報 大正1 2 年 3 月1 1日付

7 )体育協会から野球協会の加入勧誘 :秋田魁新報 大正1 2 年 3 月1 1日付

8) 顧問に任命された主な職名は以下のようなものである。

秋田県内務都島,第1 6 旅団長,歩兵第1 7 連隊長,秋田鉱山専

門学校長,内務省土木出張所良,日銀秋田支店長,県警察部

良,県会議島,野球部長,秋田魁新報主筆,秋田新聞社長,

勧銀秋田支店長,男子師範学校長,秋田高等女学校良,秋田

中学校島,秋田商業学校長,秋田工業学校長,県庶務課課長,

(9)

県勧業課長,南秋 E u郡長,秋電支配人,秋田税務署署長, 秩 田運輸事務所長,秋田建設事務所長,女子師範学校長,秋 田 市長,秋田商業会議所会頭,県教兵課長,秋 田市会議長, 秩 出裁判所長,検事正,秋田連隊区司令官,秋 田大林区署長。

9 ) 3 月2 6日の発起人会では,体育協会の発足会が 5 月にずれ 込む様相であったが,体育協会の第 1 の行事 と して , 「体育 講習会」を発会式前 に開催す る計画が検討 され,具体的 な 日 程,内容,講師陣が公表 された。定員 3 00 名 で会費 も一般 は 3 円,学生 は 2 円とし, 申 し込み も県庁教兵課 で 4 月 1 5 日ま で とす る事 まで決定 した。 この計画 は,青森県で も体育 講習 会の計画が検討 されていることがわか り,後手 に回 らないた めの性急な案で もあった。結局発会式が 4 月の 1 5 日に繰 り上 げされたために,体育講習会 は ,8 月 1 4 日か ら 1 9 日に変更 さ れた。

1 0) 体育協会の発会式。雨上が りの球場で体育発会式 :秋 田魁 新報 大正 1 2 年 4 月 1 4 日付 ,1 6 目付

ll ) 青空を見て元気づ く本県最初の体育競技 :秋田魁新報 大 正1 2 年 6 月 11日付

1 2) 目鼻のついた県体育協会,体育宣伝の活動写真 秋田魁新 報 大正 1 2 年 8月 4日付

大好評の体育活動写真 :秋 田魁新報 大正 1 3 年 8 月 1 3 日付 1 3) 講師陣 は,その他に埼玉県体育主事 ・鍬本政吉,茨城県師

範学校教諭 ・山根松雄,東京府立第‑高等女学校教諭 ・原清 吉,同第二高等女学校教諭 ・上山辰二,東京市築地小学校訓 導 ・吉永光雄,県師範学校教諭 ・木原貿太郎,山形県師範学 校教諭 ・滑川了之助,東京高等師範学校生徒 4 名 ・今鵬猛臣 蔵, 永田重隆,小林武夫,渡辺清也の 1 3 名で,永乱 小林,渡辺 が競技を指導 し他 は主 に体操指導 にあた った。 ( 秋 田魁新報 大正 1 2 年 8 月1 5 日付)

1 4) 炎天にさらす漆黒の体身 区:秋 田魁新報 大正 1 2 年 8 月 1 5 日 付

1 5) 沖 ノロ,浅野両君東京出発 ・秋 田魁新報 大正 1 3 年 6 月 2 2 日付

1 6) 後 日,沖 ノロ圭介,浅野三郎両選手が述べた釈明は次 のよ うなことである。

汽車に乗 った区間は 4 ヶ所であ り,福島県黒田 ・河泉 崎問 約 4 里 は浅野選手が足を痛めて歩けない状況で,沖ノロも乗 っ た。次 に庭坂 ・大洋間約 4 里 は板谷峠が非常 に難関で濃霧 と 寒気 におそわれさらに道 もな くこれまでのマラソンも選手 も ここだけは汽車に乗 っているというのでやむを得ず乗 った。

3 ヶ所 削 ま漆山 ・神町間約 2 里で,浅野選手が前 日強サ クサ ンを脚 に塗 ったため痛みで歩 けない状況で,最後 に及位 (の ぞき)・院内問約 2 里で,最初 1 0 里 と予定 して いたが実 際 に は 21 里あ り予定通 りに到着できな くなるために汽車に乗 った というものであった。 なお両選手 は,汽車に乗 ったことは事 実であるが, マラソンの レコー ドを作 ったつ もりで あ る し, 堂 々と走 ったとも述べている。

各地で非常な歓迎を受 け ,2 日目に宇都宮 に泊 まる予定 を 石橋 に変更 した際には歓迎 予定の人 々が大変失望 したとい う 話を聞 き,以来予定 した目的地 に着かなければ待 っている人

に気の毒だか ら,脚が痛 くて も予定通 りと思 い汽車 に乗 って しまった。

福島で宿代を支払わずにきたとい う非難に対 しては,朝 日 新聞の福島支局が宿など万般 にわた って世話を して歓迎 して くれ宿代 も支払 って くれてような話であ り , 「女 中 に きいた らそうです といふや うな返事で したか ら」そのまま立 って き たのであると釈明 している。 ( マラソン選手弁明 して 「日く」

秋田魁新報 大正 1 3 年 7 月 2 日付)

1 7)体育協会の体面を汚す もの :秋田魁新報 大正 1 3 年 7 月 2 日付

1 8) 秋田県体育協会 :体協 3 0 年史 昭和2 9 年 3 貢

1 9) 言論 ・本県体育協会 の責任 .秋田魁新報 大正 1 3 年 7 月 2 日付

20) 花城生 :体育雑感 ( 下), 秋 田魁新報 大正 1 3 年 8 月 6 日付

2 1 )社説 ・女学校長諸君 に 秋田魁新報 大正 1 5 年 9 月 1 0 日付 第 1 回の中等女学校庭球大会を開催す る主 旨を次のよ うに 述べている。「日本人が其世界的活動競争 の上 に立 ちて, 先 づ其体格 に於て遥かに欧米人 に及ぼす,従 って其活動能力 に 於て も到底之 と比較す ることの出来 ない潤む可 き地位 に置か れてあると,更 に其活動精神 に就 きて も,各種の運動競技 に 依 りて養成 された欧米人のの如何 に溌刺 として旺盛を極 めて 居 るかを見て,一 日も早 く之 と相伍す るの位置に進 まん こと を熱望 しての挙措であって,単 なる運動競技 の比率比較や, 興味中心のみに基いて開催す るに到 った ものでない」, と り わけ 「伝統 的, 因習的 に萎縮退隈 の生活 に逐 ひや られて」

「 凡ゆる方面 に於 いて男子の開明進歩 の状態 に比較 して多大 の遜色ある」女子 にこそ運動競技が必要であるとの見地 か ら 体育奨励の第一歩 として開催す るにいた った。 ( 秋 田魁新報 大正 1 3 年 6 月22 日付)

2 2 ) 8 月 3 日か ら 8 日まで新築間 もない五城 目町矢場崎運動場 で開催 され,参加者総数 は 50 0 数十 名 (内女子教 員 5 0 余名, 青年団員 1 7 0 名,学生 30 名その他 は男子教員) で講習 は, 逮

日異な り,第 2 日目では午前 は三橋講師の講話 に始 まり, 午 前 1 0 時より槍投 げ,円盤投 げ,砲丸投げ,走 り幅跳 び,走 り 高跳 び,棒高跳 びおよびその他の種 目が午後 4 時まで続いた。

( 秋 田魁新報 大正 1 3 年 8 月 6 日付)

2 3) 県体育協会の不誠実を憤 る 秋田魁新報 大正 1 4 年 7 月 17 日付

2 4) 各郡の予選を勝ち抜 いた選手 1 3 0 名 が 1 0 月 5 日に, 県代表

の座を巡 って熱戦を繰 り広 げ ,1 0 月 1 7, 1 8 日に 3 県 の約 1 00

余名の県代表選手 により明治神宮競技大会への予選が行 われ

た。秋田選手の活躍 もあり ,1 8 日には 5 千名以上の観衆 が集

まるなか競技が行われた。 その結果,秋 田か らは神宮競技会

(10)

秋田大学教育学部研究紀要 教育科学部門 第 5 3

には合計3 6 名の選手が参加 した。

25)言論 ・運動精神 に対する理解 .秋田魁新報 大正1 3 年 1 2 月 2 9 日付

2 6)県体育協会の改善の密議 .秋田魁新報 大正1 3 年1 0 月2 4 日 付

お歴れ さの首 もかへて 秋田魁新報 大正1 4 年 1 月1 6 日付 27 ) 言論 ・県体育協会組織変更に際 して ・秋 田魁新報 大正1 4

年 1 月11日付

2 8) グラウン ドの選定や組織更改 秋田魁新報 大正1 4 年 3月 1 6 日付

2 9)阿倍会長の私案では陸上競技部 ( 野規 庭球,蹴球,乗馬) , 山岳弧 氷上運動部 (スキー, スケー ト),水上運動部 ( 水 泳, ボー ト) ,相撲部 という部会構成であ ったが, ボー トを 準備す るには約 6 千円必要 とな り,秋 田中学あるいは本状 中 学か ら借 り場合 には 3 千円程の予算で県の補助金次第で充分 可能性あると考え られていた。 ( 秋出魁新報 大正1 4 年 3 月 1 9 日付)

3 0)顧問 ・土田上院議員,田中 ・村山 ・信太 ・町田 ・井出 ・塩 田 ・池田代議士,橋爪内務部良,藤原警察部長, 阿倍伸雄, 山出連隊司令官,石丸連隊長,横堀高専校長,井上市長, 山 本県会議員,安藤秋田魁常務,中村秋田新聞社長,県会議員 31 名 計49 名。

評議員の職名 書記官,庶務 ・土木 ・会計 ・医務 ・衛生課長, 日銀支店長,鹿角 ・北秋田 ・山本 ・南秋田 ・河辺 ・由利 ・仙 北 ・平鹿 ・雄勝郡長,男女師範学校長,秋田中 ・秋女 ・秋 田 工業 ・秋臼商業校長,運輸事務所長,市会議員,秋田警察署 良,勧銀支店長,秋電支配人,秋 田魁 ・秋田 ・新秋田 ・東京 朝 日 ・報知新聞記者その他計47 名 ( 秋田魁新報 大正 1 4 年 5 月 31 目付)

3 1 )更正せる本県体育協会 二秋田魁新報 大正1 4 年 6 月2 0 日付 32)言論 ・体育協会更生 と運動場設置 秋田魁新報 大正1 4 年

6 月 2 4 日付

1 0 月に井上秋田市長が,皇太子行啓に際 し記念事業の検討 委員会 に私案 として秋田市郊外 に 2 万坪の大運動場建設計画 を示 し,県や体育協会が考えているような規模ではな く 「永 久 に記念す るために」経費約1 5 万円程であることを提案 した。

委員会では 「 運動場以外の もので ,3 万ない し 5 万 円程度 の ものな らばよい」 との市長案 に全面 的反対 の意見 とな った。

( 秋田魁新報 大正1 4 年1 0 月2 9 日付)魁新幸削ま , 「 必ず之 が現 実を期せ」 との社説を掲載 し,体育 ・運動の普及発展のため に市長案を全面的に支援 し 「 運動の意義を理解す るものか ら すれば,決 してそれは膨大なるものではない,又か うした問 題の解決 は,県全体の感激 に満ちた今 日の機会を措 いて は到 底実現を見 ることが出来 ぬ事柄 で あ る」 と市会議員全員 の

「 公明なる推理 と判断」を期待 している。( 秋田魁新報 大正 1 4 年11月 3日付)

33)おさまらないの は, 1 2 00 円をや っと支 出 した五城 目町で

「 不誠実極 まることであると内部の激昂甚 だ しく」 五城 目町 体育部長が県 と善後策を講ず ることになるが,結局予定通 り 秋田市で開催 されることになった。 ( 県体育協会 の不誠実 を 憤 る ・秋田魁新報 大正1 4 年 7 月17 日付)

3 4)秋 田魁新報社主催の全県女 子庭球大会 は,女子師甑 秋田, 横手,大館,能代,本荘の県立高等女学校,土崎,湯沢 の実 科高等女学校,聖霊女学院の 9 校 よ り 1 8 組 の選手 により開催 された。魁新報社 は 「 旺盛 なる体育流行 に更 に一大炬火 を点 ず るため本県 における空前の試みたる全県高等女学校庭球大 会を催す こととした」 として大会前 日か ら記事 を載せ,大会 当E ]の記事 は 1 貢を当て ,2 日後 まで大会評な どを掲載 して い く力の入れようである。 ( 本社主催全県女子庭球大会準備 万端整 う,全県女子庭球 いよいよ今 日,熱球をとばす雄 々 し き少女等 数千の観衆会場を囲綾 し空前の壮観 を呈 す, 女子 庭球大会雑観,主審大会評)

35)社説 ・女学校長諸君に :秋田魁新報 大正1 4 年 9 月1 0 日付

参照

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(注)

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