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シカゴ学校改革の運動と理論

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シカゴ学校改革の運動と理論

黒崎 勲

 学校参加と学校選択とは今日の学校改革の運動と理論を二分する基本的な理 念である。そしてシカゴ学校改革法とその運動は,現在,学校選択の理念によ

る学校改革というアメリカ社会における学校改革の支配的なながれに対抗す る,ほとんど唯一の実践であると位置づけられている。マイケル・カッツ

(Micael Katz)は,次のように述べている。

 シカゴ学校改革は,学校教育を市場モデルに同化させる傾向に対する有 力な代替案となっている。もしこの改革が失敗すれば,公立と私立とを問 わず「選択」の唱道者たちが教育界を支配することになろう(1)。

 A シカゴ学校改革法の概要

 1988年12月にイリノイ州議会の承認を得,翌年から実施にうつされたシカゴ 学校改革法は,アメリカ公立学校制度の歴史の中で,父母の学校への参加をも

っとも過激な形で保障したものと評価されている。

 シカゴ学校改革法は,三つの部分から成り立っている(2)。第1は,学校改革 によって実現される教育目標。10項目がそこには列挙されているが,もっとも 重視されているのは今後5年間に,シカゴ市の公立学校生徒の成績,出席率,

卒業率を全国平均のレベルにまで高めるというものである。第2は,市教育行 政スタッフの定員の削減。第3は,同法の核心的な部分だが,すべての学校に 任期2年の学校委員会(Local School Council)を設置することである。学校委 員会の構成は,校長の他,それぞれ選挙によって選出される父母の代表6人お

よび地域住民の代表2人,さらに教職員から選出される教師の代表2人。な

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ることはできないことになっている。

 学校委員会の任務は,①校長の交代・選任の決定,②総額だけが決められて 配分されてくる学校予算の具体的な支出内容の決定・承認,③学校改革計画の 策定・承認である。

 学校委員会は,いわば,もっとも小さい単位の教育委員会といってよい。シ ヵゴ学校改革法を実現させたシカゴにおける学校改革運動の特徴は,当事者の 言葉を借りれば,法律の命令によって行うという,いわば「制度の外側からの 強制による学校改革」であるというところにあった(3)。それは,教育委員会の スタッフおよび校長,教職員という,いわば制度の内側からの改革についての 断念によっている。それは,住民運動の長い失望の歴史を反映しているといえ

よう。

 容易に推測されるように,学校委員会による学校運営は,教育の専門家との 関係において,きわめて困難な課題を抱えることになる。学校委員会の構成は,

教育の専門家が多数になりえないように決められていたが,ここでの教育専門 家の地位は,いかなるものとなるだろうか。校長は,教育上の指導性を中心と して,学校の日常的運営の責任を負い,すぐれた指導性が期待される。また教 職員の採用に関しては今まで以上の強力な権限を認められた。教職員は,それ ぞれの学校で独自につくられた教職員会議(professional personnel advisory committee)を通して,教育上の専門的な問題について,校長の協力者として 学校の運営にあたることが期待されている。

 学校委員会の予算と教育改善のためのプランの決定・承認の実際のプロセス は,校長が教職員と相談し,協力して作成した原案について,教育の素人を多 数派とする委員会が協議し,承認を与えるものと想定されている。しかし,そ れは,素人が専門家に「ゴム印」を与えるものではない。

 シカゴ学校改革法は,校長の任期を4年としているが,この任期を終了した 後,校長の任期を更新するかどうかは,まったく学校委員会の裁量にまかされ

ることになる。ここで,校長の指導性と専門的力量に対する評価が行われるわ

けである。

(3)

シカゴ学校改革の運動と理論 41

 学校委員会による学校運営の特徴は,市教育委員会の行政権限を大幅に学校 現場に移譲すること,そして,学校のレベルにおいては,父母・住民の学校参 加を大胆に認め,そうした教育の素人を多数派とする学校委員会に,学校の政 策決定の最終的権限を確保するところにあった。この教育の理論は,当事者に よって「父母参加というアプローチによる学校を単位とする教育経営」と性格 づけられている。

 すでに述べたように,学校委員会は,最小単位での教育委員会ともいえる性 格をもっている。それは,教育の素人による統制と専門家による指導性とを統 合するという理念をもっている点でも,教育委員会の役割と機能を維持してい るといえよう。しかし,もちろん,シカゴ学校改革法は現状の教育委員会制度 を肯定しているわけではない。そこには,すでに教育委員会制度の現状がオリ ジナルな理念からみて,形骸化し,変質したものになっているという批判意識

が存在していたのである(4)。

 B 学校委員会の選挙と運営

 1989年7月に行われた最初の学校委員会選挙は,シカゴ市5,420の席に対し て17,256人の立候補者によって争われた。すでに述べたように選挙で争われる 学校委員会の委員は,高校での生徒委員を除けば,親委員6人,住民委員2 人,教師委員2人となっているが,親委員への立候補者は9,733人,住民委員 への立候補者4,944人,教師委員2,579人であった。投票総数は312,000であ

り,この運動に共感する人々からは素晴らしい成功とみなされた。オコンネル

(Mary O conell)はバーマン上院議員(Sen. Berman)の「この選挙はこの国 の歴史上もっとも民主的なものだ」という言葉を紹介している(5)。投票率でみ ればこの数は有権者の17%であった。ニューヨーク市で現在行われているコミ ュニティ学区の教育委員会選挙の投票率は平均して7%前後であり,これに比 較すれば確かに高い投票率であったといってもよい。しかし,これほどの根本 的で劇的な改革への支持と参加を表すべき数字としては十分なものといえるか どうか疑問も残る。また,1991年10月に行われた第2回の学校委員会選挙にお いては立候補者が激減している。シカゴ学校改革運動の歴史的意義を高く評価

(4)

するマイケル・カッツは,この運動を含めて,都市社会運動に共通する困難の 一つとして「運動がはじまったときの熱情の保持」をあげていた〔6}。

 1989年に創設された学校委員会の実際の運営については,改革運動の申心と なった市民団体「シカゴパネル(Chicago Panel on Public School Policy and Finance)」が調査報告書をまとめている(7)。この研究は14の学校をサンプルとし て取り出し,1990年から1991年の177回の委員会の議事と関係者のインタビュ ーによるものである。それによれば,学校委員会の親および住民委員の平均的 な学歴は小中学校の学校委員会の場合,13年間の教育期間(つまり大学1年ま での学歴),高校の委員会の場合,15年間,つまり大学3年までの学歴という ことになる。いずれの場合にも同じ学校で学校委員になる前に数年のボランテ ィア活動の経験をもっている。1989年の発足当時の委員のうち73%が最後まで 委員をつづけ,残りは任期途中で交代している。14校のうち一つの学校では全 員が交代せずに委員をつづけ,別のある学校では5人しか最後まで委員をつづ

けていない。委員会への平均的な出席率は69%,委員会の平均所要時間は1時 間45分となっている。

 後に詳細を検討することになるが,校長の選考は学校委員会のもっとも重要 な権限であった。シカゴ学校改革法は経過的措置として,542の校長の半数に ついては,この法律の実施の1年後に,任期の更新について学校委員会の評価 を受け,残りの半数は,その翌年に,評価を受けるということにしていたが,

この改革法の成立以降,市全体についてみれば,1989−90年に276の学校で校長 の評価と選考が行われ,50校の学校委員会で校長を新たに選任している。これ は全体の18%にあたる。1990−91年には251校で校長の評価と選考が行われ,65 校で新校長の選任が行われた。これは全体の26%に相当する。こうして経過的 な措置として2年間にわたって行われた校長の選考の結果,22%,115校で校 長が交代した。さらにこうした新しい校長選考制度の発足前に,改革を嫌って 退職した校長も多く,最終的に改革の2年後の時点で38%の校長が交代してい

る。これはきわめて高い比率であるといわざるをえず,学校委員会の校長の交 代,選任についての権限は,決して名目的なものではなかったといえるだろ

う。先に述べたシカゴパネルの調査でも14校のうち3校で校長の交代を決定し

(5)

シカゴ学校改革の運動と理論 43

ているが,これについては節を改めて検討することにしたい。

 第2回の学校委員会選挙の立候補者は総数で8,173人であり,1989年の第1 回選挙と比べると,親委員については48%,住民委員については38%,教師委 員については59%にしか達しないという落ち込みとなっている。詳細は不明だ が,選挙の結果は,高等学校における生徒代表委員を除いて540校5,400人の委 員のうち2,400人が新委員であった。

 第2回の学校委員会選挙は新しい方式によって行われた。第1回の選挙では 親は6人の親委員の選出のための投票権をもち,住民は2人の住民委員の選出 のための投票権をもつことになっていたが,これが「一人一票」制の憲法的要 請に違反するとされたためである。第2回の選挙ではすべての親と住民は,親 委員と住民委員について共同枠で5人までの不完全連記の投票を行うことにな った。教師委員と生徒委員については教職員および生徒集団がそれぞれの選挙 を行い,これを形式的に教育委員会が委員として任命するという方式が採用さ

れた。

 改革運動を終始理論的に指導した団体「改革のためのデザイン(Designs for Change)」は第2回の学校委員会選挙の立候補者についての緊急の調査と提言 を行っているが〔8),それは第1回の選挙が特別の状況であったのであり,そうし た状態を維持することは無理だとして,改革運動への不当な攻撃と失望とを防 こうとしたものであった。この調査はまず立候補者が激減したとはいえ,この 数字はイリノイ州の豊かな郊外の学区の教育委員会選挙と比べて遜色がないば かりかiそれを上回るほどの水準だと指摘している。1991年にシカゴ学校委員 会選挙と前後して行われたクックカウンティの選挙では立候補者は定員の1.43 倍であったが,シカゴの学校委員会選挙での立候補者は定員の1・51倍となる〔gi。

さらに立候補者の減激した理由についても,改革が進まず,学校委員会に紛争 が起きているためという理由もあるが,逆に学校の改革が進んで,親と住民が

非常に満足したために立候補しなくなっている例もあると指摘している。「候 補者を十分に得られなかった学校の間に共通する要因は1つもない」という調 査結果の結論には,第2回の選挙の低調さから学校改革運動への不信が広がる ことを抑えようとする気持ちが強く読み取れる。そのうえで,「改革のための

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デザイン」は「親の立候補者6,000人,住民の立候補者2,000人,教師の立候補 者2,000人,つまり一つの定員に対して2人の候補者が立候補し,また,すべ ての学校で少なくとも親,住民,教師委員のすべてのカテゴリーで定員を越え

る立候補者がいることが望ましい」と提言した。

 第2回の選挙によって選出された学校委員会の活動については市教育委員会 が調査を行っている。この調査は1992年の春に行われたもので,350校849人の 委員によるアンケートへの回答からなっている{1°}。なお,調査は第1回選挙に

よって選出された第1期の学校委員会の1990年度の活動と比較して行われてい

る。

 学校委員会の開催回数は1992年には1990年と比べて少なくなっている。典型 的な学校委員会の開催数は1990年には12回であったが,1992年には10回に減っ ている。15%の学校で1人,8%の学校で2人,3%の学校で3人以上の委員の 席が3ケ月以上埋まっていない。委員が学校委員会の活動のために費やす時間

は,週1〜2時間,準備にあてた時間もまた1〜2時間であるが,いずれも 1990年に比べると減少している。

 学校委員会の最大の関心は財政問題となっている。さらに,市教育委員会が 学校委員会の活動に適切な援助を行っていないなどの問題も,主要な関心にな

っている。さらに多くの委員が,学校改革が早期に打ち切られるのではないか という危惧を表明していることも注目される。同時に,改革への親,住民,教 師それぞれの関心と参加が不十分だとする回答も寄せられていた。

親は無関心だ!……教師は授業が終わると10分後には家に帰ってしま

う(11)。

 C 学校改善計画と専門家教師の活動

 シカゴ学校改革法は学校委員会に学校改善計画(School Improvement Plan)

を立てさせ,それにしたがって学校教育活動の質を改善しようとするものであ った。したがって,学校委員会にとって学校改革計画の作成は義務的なものだ が,事実上それは学校委員会のメンバーとしての校長が案をつくり,委員会が

(7)

シカゴ学校改革の運動と理論 4ラ

承認を与えるということになっている。教師の参加については教職員会議を通 して意見を反映させることが期待されていた。シカゴパネルのサンプル調査に よれば,多くの場合,教職員会議の意見が全体として尊重されている。しか

し,教室における教師の実践の質が改革され,生徒の成績が向上するといった 成果はまだ報告されていない。もともと教育活動の質を改革するということは

きわめて時間がかかるものであり,制度改革の成果が生徒の成績として現れて くるのにはさらに長い時間を必要とする。このことはいわば常識であるが,学 校委員会メンバーによって改革の最初の二年間にそうした教育活動の改善を期 待させる雰囲気が感じられているということは見過ごせないことであろう。市 教育委員会の調査によれば,学校委員会のメンバーによる学校改革の進行につ いての評価は次の通りになっている。

      学校改善度の評価

1992年 1991年

よ く なった

変わら な い

悪 く なった

よ く なった

変わら な v・

悪 く なった

66   19 7 教育活動一般 66   22 2

43   32 5 特殊教育 38   38 3

24   28 2 英才教育 22   37 3

28   21 1 バイリンガル教育 34   25 2

41   20 1 連邦補償教育(チャプター・ワン) 42   21 2

66   18 2 州補償教育

 シカゴ学校改革運動を積極的に進めてきた人々によって顕著な教育活動の改 革の実例とされているのは,公民権運動家としても知られるモーゼ(Robert Moses)の算数の授業といくつかの学校で取り組まれているアフリカ文化を重 視するカリキュラムである。モーゼの実践は算数の計算を地下鉄の料金とを結 びつけて子どもに興味をもたせて取り組ませるという類いのものである。アフ

リカ文化を重視するカリキュラムは「子どもは自分自身の生活と文化に関係す ると感じたときにのみ学校の価値を学ぶという議論」から始まるものであっ

た働。

 しかしこれらの例も含めてほとんどの場合,学校改善計画はまだ不十分なも

(8)

のにとどまっているようである。先のシカゴパネルの調査によっても,学校改 善計画の中で,文学を基礎とした読み書きの改革およびアフリカ文化を重視す

るカリキュラムといったプログラムは検討されているが,教育活動の新しい方 法を探究するといった点ではほとんど手がつけられていないとされている(13)。

 いくつかの重要な兆候や例外はあるとしても,教職員会議が潜在的可能性を 十分に発揮していないという点で運動に参加している人々は一致している。ヘ ス(Alfred Hess, Jr.)は「システムを越えて,改革のプロセスに教師はまだ重 要な参加をしていない」圓とコメントしている。他方,シカゴ教員連盟を代表

してコツァキス(John Kotsakis)も改革が「政策決定の場所を変えただけで,

改革がいかに行われうるかというビジョンを変えてはいない」と現状を非難し ている(ls。専門家の立場からはしばしば学校委員会の役割が批判的に論じられ ている。シカゴの小学校の校長の一人は,シカゴ学校改革法は「なんら教育改 革あるいは教育の改善を意味するものではない」と手厳しく論じていた〔16)。す でに紹介したようにシカゴ学校改革法は1994年までにシカゴの公立学校が到達 すべき教育水準について規定しているが,彼によれば「われわれは生徒の成績 を法律によって上昇させることなどできない」。ここには専門家教師の立場か らみたシカゴ学校改革法の最大の問題点が凝縮されている。さらに学校委員会 の発足は校長にきわめて過大な負担を負わせることになったと,この校長は自

らの経験を述べている。

 学校の問題の背景を説明するために校長は,校長としての時間の多くの 部分を割かなければならない。これらの時間は本来,生徒の学習のために 振り向けられるべきものなのではないか(10。

 英語を理解しない親が委員会に出てくれば,議題となる情報の翻訳までもが 校長の負担になったと語られている。

 カッツはシカゴの学校改革運動の意義の一つに「新しいタイプの熟練専門家

(alternative experts)の要請」(18}を挙げていたが,それはまだ先の課題として残

されたままであるというべきであろう。

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シカゴ学校改革の運動と理論 47

 D 校長の役割と選考

 シカゴ学校改革の最大の焦点は,校長の役割をめぐるものであったといって も過言ではない。それは教育の民衆統制と専門家教育者の指導性をめぐる対立 と調和の問題である。カッッもシカゴ学校改革運動に対して「学校改革がいか にして熟練専門性の適切な行使と民主主義的統制との間の均衡を調整すること ができるのだろうか」(1艶課題を与えていた。そして校長の役割をめぐって,校 長会は最大の圧力団体として学校改革に対する反対勢力となったのである。第 1回の学校委員会選挙の方法が憲法に違反するとした裁判所の決定も,シカゴ 学校改革法に反対したシカゴ校長会の提訴によるものであった。

 教育活動に対する効果を考えた場合,校長選考の権限は学校委員会のもつ最 大の権限ともいえるものであった。シカゴ学校改革運動の指導理論となった

「効果的な学校」の理論においては,教育活動の質を決定する構造的な要因は,

端的に言えば教育的に指導性をもつ校長の存在であり,その下での意欲的な専 門家教職員の協調的なチームワークであった。専門職主義は官僚制とならんで 学校を教育を職業とする者の利害にしたがわせ,「親やコミュニティから学校 を遠ざけるイデオロギーとして機能してきた。しかし,経験の重要性や進んだ 知識,技能の妥当性,研究の重要性をまったく否定する」⑳ことなどできない という葛藤の中で,親や住民の期待に応える学校改革を主体的に担い,専門的 に成功させようというシカゴ学校改革の戦略にとっては,教育的に指導力のあ

る校長を確保することは学校改革の成功の鍵ともなるものであった。

 すでに述べたように,学校委員会の制度の下で38%の校長が交代している。

これは取るに足らない数とは到底いえない。シカゴ学校改革運動が教育活動の 質に対して重要な影響力をすでにおよぼしていることは,疑いのない事実であ る。しかし,それは望ましい効果を発揮しているのかどうか。実際の校長の評 価と選考の経過について検討を加えなくてはならない。

 シヵゴパネルのすでに紹介した14校事例研究は,なかでも典型的な3校の事 例を分析している。一つは校長がそのまま再任されたケースであり,第二のも のは校長の再任を学校委員会が拒否して新任の校長を採用したケース,第三の

(10)

ケースは新任校長の採用について学校委員会が一致できず,最終決定を上位の 教育委員会の教育長に委ねた例である。

 事例研究の中でもっとも理性的に校長の評価と選考を行ったとされるのはA 高校の学校委員会である。ここではまず学校委員会が校長の評価については学 校委員会全体で行うことを決定し,その基準についての議論を開始している。

生徒の成績の改善,教職員の研修活動,親と地域住民の参加活動,その他の改 善といった諸点についての学校のレポートを作成することが決められた。さら に親に対するアンケート調査を行うことも決め,その調査項目を親,住民,教 師委員がそれぞれ2項目つつ提案することにし,調整の結果,この調査は子ど

もの読みおよび数学の成績の進歩,学校の安全性の状態,学校施設の管理状態 について親の評価を聞くものとなった。この調査には300人の親が回答を寄せ た。これらの活動に加えて学校委員会は3回にわたって校長に対する面接を行 っている。また委員会は教職員に対しても調査を行い,意見を求めている。教 師委員はこれとは別に,学校委員会での投票の際の態度を決定するために,教 職員の間での非公式な投票を行っている。

 学校委員会は校長の評価を決定する日に公聴会を開いて,一般の人々の意見 を聞いている。ここでは発言者の多くは教師であったが,すべての発言者が校 長の教育活動を支持する発言を行った。委員会は面接の結果について委員会の 評価は5段階評価の3.5であると報告した。親の評価は4段階の3であり,22 人の回答があった教職員の評価でも4段階の3であった。また教師委員は非公 式の教職員の投票の結果は84人申66人が校長の再任を求めていると報告した。

学校レポートの内容も報告されたが,それによればこの学校の80%の生徒の成 績は水準に達していない,現校長は親およびコミュニティ住民の学校参加活動 を始め,生徒の規律を高めるために努力しており,教職員の間には進歩がみら れるなどとなっていた。こうして学校委員会は9人の賛成(1人の委員の席が 空席,また校長は投票を棄権,生徒委員は投票権をもたない),つまり全員一 致で校長を再任して手続きを終了している。

 この学校委員会の校長評価のフ゜ロセスが理性的なものと評価されたのは,こ の学校委員会の中でそれまで校長と委員長とが激しく対立していたからであ

(11)

シカゴ学校改革の運動と理論 4g

る。校長の評価の活動に先立って校長は委員長が公職にふさわしくない行為を 行ったとして,非難決議を委員会に提出している。委員長の職を私的な行為に 利用し,学校の備品を勝手に学校外に持ち出したことなどが列挙された。この 決議は委員長に反省を求めるという趣旨によるものと理解され,委員会で承認 された。さらに校長評価の過程でも委員長は一部の教師にのみ,しかも校長に 事前に知らせることなく,校長の評価に関する調査を行った。これに対して校 長と教師委員から,そうしたやり方は公正ではないと批判をあび,委員長は辞 任を申し出るに至っている。新たに委員長を選任する時間的なゆとりをもてな いまま学校委員会は校長の評価の活動を続行するが,こうした一連の学校委員 会内部の意見の対立や緊張にもかかわらず,学校委員会は校長評価の過程を公 正なものとするという点では常に一致していた。事例研究の当事者によって理 性的と高く評価されたのはこの点であった。

 これとは対照的にC校では,校長の評価と選考が暗礁に乗り上げ,上位の学 区教育長の決定に委ねられることになった。ここではまず委員がそれぞれ様々 な領域について現校長の活動について評価点数を与え,これを合計することを 申し合わせた。同時に学校委員会は法的な見地を考慮するために弁護士を同席 させることにしている。学校委員会は校長と面接を行うとともに「学校委員会 が校長を評価するのを援助する情報を集めるため」の公開の集会を開いてい

る。この会合では数人の教師と親とが校長を支持して発言し,校長に否定的な 発言を行ったのは1人の親にすぎなかった。次の会合では校長を支持する2通

の手紙と校長を支持しない2通の手紙が読み上げられた。親教師,住民ボ ランティア,学校技術職員,そして1人の生徒が学校と校長について意見を述 べたが,1人を除いてすべての発言者は校長と学校の教育活動に対して好意的 であり,校長の再任を支持した。

 一般の人々からは再任について好意的な発言と評価がほとんどであったにも かかわらず,学校委員会は現校長も1人の候補者として,新校長選考を開始す

るとの決議を7人の賛成票で決定した。教師委員,親委員,住民委員のそれぞ れ1人が投票を棄権している。事実上再任を拒否された校長は失望し,極度の 不満を委員会に漏らした。かれは後に現校長を候補者の1人として新校長の選

(12)

考を始めるという決定について,「ある委員は,私が応募しても書類はすぐに 屑かごに捨てられるだけだと述べた」と訴えている。こうして形式的には様々 な手続きを踏んだが,実質的には校長の評価は明快な基準をもたずにすすめら れたといえよう。

 学校委員会はその後新校長を公募し,最終的に3人まで候補者をしぼった が,いずれの候補者もシカゴ学校改革法が要求する7票を獲得することができ ず,数度の再投票を経て,学校委員会は自らの手による決定を放棄するにいた

る。学区教育長は法規にしたがって学校委員会が提出した3人の候補者リスト のなかから1人を選出したが,それは学校委員会の投票で最高数をとった候補 者ではなかった。

 こうした事例研究を通してシカゴパネルの報告書はいずれの学校委員会もシ ヵゴ学校改革法の規定にしたがって活動し,「学校委員会はそれぞれの学校で 校長の評価と選考を行うことに成功している」 21)と結論している。しかし,それ はいかにも運動を推進する立場からの政治的な発言である。いずれのケースで

も校長の評価の基準となるべきものについてほとんど共通の確信というものは 存在していなかった。さらに校長に対する表明された評価がどのように学校委

員会の政策決定に反映されていくべきなのかも定かではなかった。C校の校長 評価において現校長に否定的な見解を具体的な形で表明したのは,事例研究に

よる限り,公開の集会で発言した2人と2通の手紙だけである。しかも,この 手紙のうち少なくとも,一通は無署名のものであり,その信愚性が争われるよ

うなものであった。そして残りの全員の発言者は校長の再任を支持していたの

である。

 教育の民衆統制と専門的指導性の調和を求め,新しいタイプの専門家を要請 したと評価されるシカゴ学校改革の運動ではあるが,その課題の達成までには はるかに距離があるといわざるをえない。オコンネルもすでに特にメキシコ系 住民の運動団体,統一地域機構(United Neighborhood Organization)の影響 力の強い地域で,何人もの校長がメキシコ系ではないという理由で解雇されよ

うとしていると訴えていることを記録しているe2)。この事例研究にも校長評価 のそうした「政治的」性格は表れている。さらにこの事例研究が明らかにして

(13)

シカゴ学校改革の運動と理論 5r

いることは,学校委員会の活動が校長に対して精神的な緊張を与えるだけでな くきわめて多くの事務的活動を強いるものであるということである。平均的な 学校委員会の回数は年間12,3回であるが,事例研究はここで取り上げたAおよ びC校の学校委員会の回数が20回を越えたことを記録している。それらの多く の会合で校長は学校についての情報を委員に提供することを求められているの である。これは事例研究の当事者によっても問題とされており,C校の校長が 再任を拒否された後,学校委員会の職務から解放され,初めて本来の教育的指 導者としての役割に専念することができるようになったという発言を取り上げ

ている。

 私はそれまで以上に教室に出かけ,子どもと話し,教育的な指導者とし て活動するようになった。それ以前には私は定期的に学校委員会を開き,

委員会のための準備をしなければならず,活動的であることにつとめ,書 類上の仕事につとめ,姿勢を高め,戦略を練り,人々に電話をかけ,かれ らの議題になるようなことについての準備を与えるなどといったことにあ

けくれなければならなかったのだe3)。

 E 学校改革の課題と展望

 なにが学校改革を引き起こす契機となるのか。そのための教育行政制度の枠 組みとしてはどのようなものが有効であるのか。それはその地域,その学校,

その社会が抱え,あるいは置かれている具体的な文脈,条件,資源といったも のによって異なる。「他の学区での経験は,学区の改革を成功させた要因とそ の学区の独自の状況の中でこそ適用しえた方法について,慎重に検討評価され なければならない」図というヘスの発言は適切なものである。

 日本においては,学校改革の有力な手段として学校参加が主題とされる場 合,それは親の教育権の具体化の問題として理論化されてきた。こうしたアブ

ローチは,いわゆる国民の教育権論のこれまでの枠組みを擁護する場合にも,

また,逆にそれを批判的に乗り越えようとする場合においても,法論理として 教育の関係を対象化するものであるということに注意を向ける必要があろう。

(14)

教育法学の第一人者が述べるように「西欧系の資本主義国の現行法は多く形式 論理的な構成をとり,弁証法的法則や思想的概念などはそのままでは現行法論 理に受容されない」pmとすれば,こうした方法によって学校参加を論じること は,極めて大きな限界をもつことになる。それは,学校参加を自己目的にさせ,

あるいは「形式論理的な構成」には到底収まり得ない教育活動の固有な有機的 性質が過小評価される危険をもち,逆に専門性を強調する立場からは,学校参 加の要求を名目的なものにすりかえるものとなる。

 シカゴ公立学校改革運動が,「効果的な学校」の理論という,ひとつの教育 理論を媒介にして学校参加の理論を生み出してきたように,われわれもまた,

学校参加の理論に内容を与える教育のプロセスについての研究が必要なのでは ないか。もちろん,「効果的な学校」の理論の定式化がそのままわれわれの教 育問題に妥当するとは考えられず,日本における学校参加の理論は,われわれ

自身が抱える教育問題を解決し得る教育のプロセスについての独自の展望を切 り開くことと結びついてしか,明らかになってはいかない。これは・教育に関 する権利の諸概念を法理論化するということによってははたされない,広く教 育に関係する研究と結びついた,独自の教育行政ないし制度研究を必要とする

であろう。

 シカゴの改革運動においては,「効果的な学校」の理論を基礎にしながら,

教育委員会制度の現状を批判的に分析し,これに替わる教育行政制度が学校委 員会の制度として,独自に構想されていた。日本においてもすぐれた教育実践 を議論の対象として取り上げ,学校改革の道を探ろうとする研究は少なくな い。しかし,残念ながら,ほとんどの場合,すぐれた教育実践の総括が教育行 政理論として検討されるところにまではすすんでいない。「父母参加による学 校作りの運動を(父母を教育の主体とする公教育組織制度)にかわることはで きない押という主張にもかかわらず,実際にはそのような課題意識は言われる だけにとどまっているのである。教育行政の研究が長く教育関係の法論理化に 集中し,教育制度の理論として自覚的に追求されてこなかったために,また,

教育に対する国家統制の排除を緊急,かつ主要課題として教育と教育行政との 峻別を基本的な枠組みとしたために,教育実践の理論と教育行政の理論との間

(15)

シカゴ学校改革の運動と理論 53

を連携させる方法はほとんど未開拓なままである。教育の民衆統制と専門的指 導性の調和という教育行政の基本課題についての理論的探究も,長いこと放置

されたままでいる。シカゴ学校改革法やイーストハーレムの学校選択制度のよ うな注目すべき事例が日本でこれまでほとんど見過ごされてきたのはこのため である。それは決して外国の例よりも日本の実践に即した研究に価値を与えた

という現実的,実践的な態度からきたものとばかりはいえないと思う21。

(1)Katz, Micael B・, Chicago School Reform as History, Teachers College

 Record 94(Fall,1992)(iJ・玉重夫訳「歴史としてのシカゴ学校改革」森田他編

 r教育学年報2』世織書房,1993,pp.183−4).

(2)以下,シカゴ学校改革法の内容については,llighlights of Public Act 85−1418

 (prepared by Designs for Change)による。

(3)Hess, G. Alfred, School Restructuring, Chicago Sty le,1991, Newbury  Park, California;Corwin Press, Inc., P. xi.

(4)アメリカ合衆国における教育委員会の歴史的性格については議論の多いところだ  が,日本では,必ずしも十分な検討がなされずに終わっている(この点については,

 Fainstein, Norman,&Susan Fainstein, Urban Political Movements,

 Englewood Cliffs, NJ,1974.堀和郎「アメリカ教育委員会制度の成立とその観念

 的基盤」r教育学研究』43−1,1976年,森田尚人rデューイ教育思想の形成』新曜

 社,1986年,黒崎r教育と不平等』新曜社,1989年などを参照)。

(5)0℃onnell, Mary, School Reform Chicago Sty le:How Citi2ens Organized  to Change Public Policy, A Specia11ssue of The Ne ighborh ood四〇7んs,

 Spring 1991, p.28.

(6)Katz, Micael B., op. cit., P.179.

(7) Easton, John Q.,1)ecision Making and School Imψ rovement ;LSC in the

 /irst T四〇Years(ゾReノ『orm, Chicago Panel on Public School Policy and  Finance,1991/12。

(8) Designs for Change, The Untold Storツ Candidate Participation in the  1991Chicago Local School Council Elections,1991/10.

(9)立候補者の数は,次の通りである。一

 〔親の候補者:定数6人〕候補者数一12人以上→102校,7−11人→311学校,6人

  (無投票当選)→73校,5人以下(欠員)→54校

 〔住民の候補:定数2人〕候補者数一4人以上→220校,3人→120校,2人(無投

(16)

  票当選)→138校,1人以下(欠員)→62校

 〔教員の候補者:定数2人〕候補者数一4人以上→135校,3人→128校,2人(無

  投票当選)→259校,1人以下(欠員)→18校

(10)Mueller, Slegfried G.,1992 Survey Of Local School Councill Members A  Report on the Findings, Chicago Public Schools,1992/9.

(11) ibid., p.15.

(12) 0℃onnell, op. cit., P.30,

(13) Easton, op. cit., PP.34−35.

(14) 0 Conne11,0p. o露., P.30.

(15> ibid., p.30.

⑯ Hanersma, Guadalupe, Chicago School Reform:APrincipal s Perspec−

 tive,111inois Schools lournal 71−2,1992/6, P.3.

(17) ibid., p.5.

(18》Katz, op. cit., P.190.

(19) ibid., p.190.

⑫① ibid., P.189.

⑳ Easton, op. cit., P. 28.

⑳ 0℃onnell, op. cit., p.28.

囲 Easton, op. cit., p.27.

⑫勾 正less, oP. cit., p.200.

㈲ 兼子仁r教育法(新版)』有斐閣,1970,p.3.

26)佐貫宏r学校改革を考える』花伝社,1990.p.160.

鋤 こうした観点からの教育行政研究の現在の問題点については「教育権の論理から

 教育制度の理論へ」(森田・黒崎他編r教育学年報1』世織書房,1992)でやや詳  細に論じた。

*本稿は「父母の学校参加の運動と理論」(r学校の再生をめざして』第3巻,東京大

 学出版会)に大幅な加筆を行ったものの一部分である。r人文学報』の編集の都合

 で全文を掲載できなかったが,改めて以下の著作に全文の収録を予定している。黒

 崎勲r学校選択と学校参加』東京大学出版会(1994年5月発行予定)。

参照

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