秋田大学教育文化学部研究紀要 教育科学部門 5 4 p p. 5 1 ‑6 0. 1 9 9 9
秋田県における学校体操教授要目への対応と体操科の改善について
森 田 信 博
A I nt roduc t i onoft heGymnas t i cSyl l abusf orSc hooland i mprove me nt sofsc hoolgymnas t i ci nAki t aPre f e c t ure
Nobuhi ro MoRI TA
Abs t r ac t
Thepor pos eoft hi ss t udywasi nt e nde dt oi nve s t l gat ei mpr ove me nt sofs c hoolgymnas t i ci nAki t a pr e f e c t ur ei nTai s hoe r a.Enac t me ntoft hegymnas t i cs yl l abuswast hepr oduc tofc ombi ne de f f or t sof t hemi ni s t r yofe duc at i onandt hemi l i t ar ys e r vi c e .Thec ont e ntoft hegymnas t i cs yl l abuswasr at i onal gymnas t i c s , mi l i t ar ye xe r c i s e s, s por t sandpl aysandj apane s emi l i t ar yar t s .
Spr e adoft hes yl l abusi nAki t apr e f e c t ur ewasve r yi mpor t antandpr omp t .Thegove r norofAki t a gavei ns t r uc t i onsi nr e l at e dc onf e r e nc e s . Re l at e ddi s s e r t at i onswe r et oappe ari ne duc at i onalj our na l . Ande nc our a ge dpl ansofvar i ouspl ac ewe r ec ompar at i vec ont e s tf orgymns t i c s , f i t ne s sme t hodand t e ac hi ngpl anf ors c hoolgymnas t i c.
I nt hel as tanal ys i st hos egavet hei ns uf f i c i ne tr e s ul ti nTai s hoe r ai nAki t a.
1 .は じめに
明治11 年 の体操伝習所設立 によって, リーラン ドが提 唱す る普通体操が中心教材 とな って学校体育の基盤が確 立 されていったが,明治 1 7 年頃には富国強兵の主張が兵 式体操 の導入を迫 っていった 。2 0 年代 には森有礼 によっ て兵式体操が普通体操 よ り優位な位置を占めるようにな り, 日清戦争 に向か って,富国強兵主義国民体育が 「 忠 君愛国的国民道徳」 を基本 とした 「 軍事教練」 として具 体化 してい く。 日清戦争の勝利の結果,体育 は 「 文弱主 義 の否定,国民道徳 の昂湯 を基本 」 1 )と して著 しく軍 国 主義化 を深 めなが ら重視 されてい く。 と同時に体育の合 理性 の再確認や,近代的な 「 個の自覚」や既成 の道徳観 への反発 なども芽生 えつつあった。保健衛生 に関す る最 新 の研究成果 に基づ く各種の法令が整備 され,理論 と実 践を伴 った体育理論や指導論が展開 され,兵式 ・普通体 操のみでな く,各種の遊戯 も積極的に活用 され,伝来の 武術 の教材への要請 も強 くなる。 さ らに明治 3 5 年頃には スエーデ ン体操 も紹介 されます ます活発 な論議が繰 り広 げ られ ることになる。 この ことは教育現場での混乱 と動 揺を深めることにな り,文部省 は日露戦争 のさなか,明 治37 年 ( 1 9 0 4 年)1 0月 に 「 体操遊戯取調委員会」を設置 して明治後半 の学校体育 を取 り巻 く様 ざまな問題を広 く 検討 して明確 な回答を整えざるを得 な くな った。
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日露戦争の勝利 は,民族的 自負を高め, 自然主義や社 会主義への関心 を引 き起 こしなが ら , 「風紀 の類廃 や淳 風美俗が叫ばれなが ら,個人道徳か ら国民道徳‑の育成 策が強化 され,万邦無比 の国体 を基本 に国民教育 」 2 ) が 求め られてい く。すなわち,戦後教育 は教育勅語 にある 国民道徳を再確認 し, とりわけ学校が国民体育振興 の拠 点を して重視 されてい く。文部省陸軍共同調査委員会を 経て,学校体育が統一 され,国際競技会への参加を通 じ てスポーツ体制 も確立 され なが ら, 大正 期 を迎 えて い
く。
大正期 は,一段 とスポーツが隆盛を極めなが らも,第 一次世界大戦を前 に再 び軍事的,国家主義的体育が求 め られ,出兵 に際 して非常時意識が煽 られなが らも,軍事 特需で経済 は活性化 し,戦後には個人の自由や権利 といっ た大正 デモクラシーが広 まってい く。
しか し東北,北海道では大正 2 年 に凶作 とな り物価 の 高騰をまね き,秋 田で も教育費の節約, 授 業料 の軽減, 免除,行事 の簡素化,勤倹貯蓄などの広範囲な教育上 の 救済策が実行 されてい く。「 健全な る国民 の養成 は普通 教育の振興 に侯つ其 の局 に当たる者 ます ます精励 せ よ」
という天皇 の 「 御沙汰」 そ して文部大臣の諮問機関 「 教
育調査会」 の建議案を受 け,大正 3 年 8 月 に坂本知事 が
郡市長会議 において次 のような 「 教育 に関す る訓示」 を
お こな っている。「 国家 に対す る責任 を 自覚 し公権 を等
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集ひ公務を重んず る忠良 なる立憲国民 たる資質」 を欠 くこ とがないよ うに 「 国民道徳の滴養」を教育の第一義 とし て 「自制力の発揮 に努め以て真筆健全 なる国民」 の育成 につ とめ , 「 実学 を奨励 し以て殖産興業発展 の根源 を培 養」 し 「国富 を増進す る」 ために 「 清新和楽の家庭 によ りて児童 の精神を醇化」す るような家庭教育の見直 しを も図 ってい くよ う,現時の弊風を矯正 し十分 な指導監督 に努 めること 。 3 〕これが大正期 の秋 田県 の教育 の基本方 針 とな ってい くが,戦時特需や時代 の個人, 自由主義思 想 などによ り形骸化 していかないために , 「時局」 の危 機感が再三 にわた り強調 されてい く
。4)このよ うな複雑 な情勢 の大正期 に 「 学校体操教授要 目」
に秋田県ではどのように対応 し,体操科 の目的,内容そ して指導方法をどのように整理 して普及促進 させてい く のかを,秋 田県教育会 の機関誌 『 秋 田県教育雑誌』を中 心 に明 らかに してい くのが,本論の課題である。
2. 学校体操教授要 目の制定
( 1 ) 体操遊戯取諏委員会の報告
日露戦争のさなか,明治 3 7 年 1 0 月 2 1 日に ,8 名 の委員 か らなる 「 体操遊戯取詞委員会」の初回の会合が開催 さ れ ,3 7 回 に及ぶ審議 の後,翌 3 8 年11 月 3 0 日に報告書が文 部大臣に答申され, さ らに翌年の官報で公表 され る。明 治後半期 には普通体操,兵式体操中心 の無味乾燥的な学 校体育 に対 して,遊戯運動 の普及やスエーデ ン体操 の紹 介が新鮮 な変化 を もた らし従来の体操批判や困惑,混乱 が起 きて きた ことに対処す る委員会であ った。その調査 報告 は 「 学校体育上 のほとん どあ らゆる問題 にわた って お り,従来雑然 として帰趨 に迷 った体育界 に一応その進 路 を指示 した もの」 5 )で あ り 「当時 の学校体育 をめ ぐる 基本的な問題が広 く討議 され,その成果 は大いに評価 さ れてよい」 6 )とい う成果 を もた らしたが, 軍 との関係 で 法規 として学校体育の方針を決定づけるものに至 らなか っ たことも確かである。
委員会 は,文部省普通学務局長,沢柳政太郎 を委員長 に三島通良,坪井玄道,波多野貞之助,井 口あ くり,可 児徳,川瀬元九都,高島平三郎 の 8 名で構成 され,当面 す る学校体育 に関わ る 1 9 の案件 についての検討結果が文 部大臣久保 田譲 に報告書 として答 申された。 各案件 は,
「2,3 名 の特別委員の付託審査」 の後調査委員会 に提 出 して討議 を経て決定 してい った 「 我国現時の状況 に鑑 み概ね適切 なる事項な りと信ず る」事柄であった。体操 科 の目的,基本的形式 には じま り体操演 習, 運動遊戯, 設備 さらには撃剣,柔道,運動会,国立体操研究所 にま で及んでいる。 7 )
特に前文 に も明記 されているように 「 慎重審議 の後所
謂瑞典式体操」 を 「 大体 に於て採用す べ き もの と決定」
したが 「 体操法 は従来行われたるもの と異 なる点多 く之 を実地 に練習せ しむるにあ らずんば通暁す ること能 はざ るもの と認むる」 として早 々に短期講習会の必要を促 し ている。 これを受 け文部省 は,明治 3 9 年 5 月 2 9 日付 けで
「師範学校体操教員体操講習会」開催 を各地方庁 に通牒 し 6 月末か ら 1 ケ月講習会が実施 された。 さ らに取調委 員の うち,井 目,可児,川瀬,高島,坪井が報告書 の解 説書 として 『 体育 の理論 と実際』を著 し普及 につ とめて
い く
。報告書 には,体育 の改善のために国立体育研究所の設 立や体操教員待遇改善や体操視学 の設置の必要性 など体 育 に関わ る広範 な諸問題が取 り上 げ られ学制以来の学校 体育 を総括す るものであったが, スエーデ ン体操の解釈 の違 いととりわけ陸軍 との関連 の強い兵式体操 の扱 いが 明確 にされなか ったために法的に学校体育改正 に至 らな か っ
た 。報告書では兵式体操 に関 しては , 「現行規定 中改正 を 要す る事項」 に兵式体操 を 「 兵式教練」 と改 め, 兵式, 徒手体操及び器械体操で 「 学校教育 に必要 なるものは学 校体操 に包含」 してい くと述べ るに留 まっている。取調 委員 に兵式体操の関係者が含 まれて いな い こと もあ り, 従来兵式体操 として実施 されていた柔軟体操や器械運動 を 「 体操」 に組み込む代わ りに教練 として独立 させ学校 体操 と軍事訓練を区別す ることを考えていた。それは文 部省 として学校体操を一元的に管轄す るため整理統一が 必要 との意向が反映 されている。
( 2) 文部陸軍共同調査会の設立
明治 3 9 年 1 0 月寺内陸軍大臣より牧野文相 に対 して,学 校体操 を 「 陸軍歩兵操典や体操教範」 に沿 った兵式体操 に統一 して実施 してい く方針や体操教員を予後備下士官 を採用す ることが教員養成 の経費の削減 にもつなが る方 策 として要望が提示された。取調委員会報告の方針 と真 っ 向か ら対立す る提案 に対 して,文部省 は 1 2 月 に以下 のよ うな回答を陸相 に送 っている。すなわち学校体操 と陸軍 体操 は独 自の目的があ り,体操教員 の養成 には特別の設 備を要 し,予後備下士官のすべてを学校体育 の指導者 と して適任 とはいい難 い, ただ し目的に反 しない限 りで両 者の接近 をはかる ことは便宜 で あ り , 「共 同 の調 査会」
で十分 な審議 をす ることが望 ま しい。
以上 のような経緯で,明治 4 0 年 9 月 2 6 日,文部省 と陸 軍省の 「 学校体操共同調査会」の第 1 回の会合が開かれ た 。 8 ) 会合 は重ね られて い ったが, 両者 の主 張 は当初 か ら平行線のままで委員 の交代 も功を奏せず ,4 1 年夏 に文 部省主席委員である大島視学官 の文部省転出を機 に,審 議保留のまま当分休会す る事 になった。普通体操 と兵式
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体操 の調整 は,運動 の名称 や号令の統一 については問題 にな らなか ったが,文部省 は,小学校,中学校 の児童生 徒の発育発達 に沿 った長期間の体育を目的 とし,一方陸 軍省 は壮丁を対象 とす る短期間の集中的な運動訓練を 目 的 として,約一年間の調査会で も対立 は解消 されないま まにな った。文部省 は,明治37 年1 1月 に海外 の体育事情 調査のために派遣 した永井道明の留学が終わる,明治 4 2 年をまって調査会 を開催す る予定を立てた。
永井が明治 4 2 年 1 月 に帰国 し,東京高 師, 女 高師 の教 授 としてさらに文部省視学 に任命 され ,1 0 月に新メンバー により共同調査会が再 開 され る
。9)休会前 の調査会 の反 省か ら,双方が原案を持 ち寄 り,審議 す る事 にな った。
陸軍省 の草案 に対 して文部 省 は, 永井 の原案 を もとに
「 学校体操整理統一案」を作成 した。 両者 はそれぞれ の 学校での具体的な実施状況 を視察 しなが ら協議を重ねて いった。永井 は文部案 を説 明す るために数度 にわた り陸 軍戸山学校を訪れ,西洋列強の学校体育 のみな らず軍隊 体育の動向を述べなが ら, 日本の国情 にふ さわ しい 「ス エーデ ン体操」 による 「 統一案」が双方 にとって最善 の 選択であることを強調 した。永井 の 「 至誠奉公」 の信念 が陸軍側 にも理解を得て,文部省案が共同調査会 の 「 学 校体操整理統一案」 とな り,明治1 9 年以来 の普通体操, 兵式体操 の並立が解消 され,兵式体操の集団訓練を教練
と呼び,体操 はスエーデ ン式体操 に統一 された。
明治4 3 年 には調査会 の統一案 は 「 学校体操統一案」 と 修正 され,翌 4 4 年 に全国の中学校 に配布 され現場での意 見を求めた うえで,大正 2 年 1 月 に 「 学校体操教授要 目」
として公布 されてい く。
( 3 ) 学校体操教授要 目の公布
永井道明の精力的な働 きか けによって文部省,陸軍の 共同調査会の協議を経て統一案 として,学校体操教授要 目は大正 2 年 ( 1 91 3 年)1 月2 8 日に文部 省訓令第 1 号 と して公布 された.大正 3 年 には第一次世界大戦が勃発 し, 学校体操 と兵式体操 の関係が再 び議論 の的 となってい く
ことを考慮す ると,文部省 と陸軍が比較的協調関係を保 てた時期であ った ことが幸 い していた。そ して 7 月に は 小学校令,同令施行規則 の改正 も行われてい く。
要 目の前文 にあるように 「 学校 に於 ける体育 は主 とし て体操科 の教授 に待つ」 と して,普通体操,兵式体操 の 名称 も区別 もな くし 「 体操」と表現 し,その内容をスエー デ ン式体操 とした。 この要 目は,週 3 時間の教科体育 と しての体操科 の 「 準拠」すべ き基準 として学年 と教材配 当 さらには詳細 な運動種 目が明示 されたが, あ くまで も
「 地方の情況 と生徒身体の発達 とに照 らし各 々適切 な る 教程を定 める」 ための参考であ った。
尋常小学校,高等小学校 の教科体育 は各年次 とも週 あ
た り 3 時間 とし , 1 D ) 教材 は 「体操 」 「教練 」 「遊戯」 の 3
群 に分類 され, l l )「 体操」 の名称 は,教科名 と同時に狭義 に体操科 の教材群 として も用い られ るようになる。体操 教材群 は11の運動種 目に分類 され,従来 の兵式体操で行 われていた 「 懸垂,跳躍」 などの器械運動 はすべて体操 に含 まれ,肋木,梯子 などのスエーデ ン式の器械運動 と 統合 された。1 2 ) 各運動種 目には 「 始 めの姿勢」 又 は 「器 械」 と 「 号令」が示 され,他 の教材群 ともに学年別,男 女別 に教材配当がなされ指導上 の注意点 として 1) 運動 の速度及 び調律 の緩急,2)運動の回数 は性質, 進度 に 応 じて,3)運動 に伴 う呼唱 は性質 に応 じて,4)号令 は
「 分解」 して模範を示す ときと連続 す るときには変化 を 加え る ,5)懸垂,跳躍以外 には亜鈴, 球竿, 梶棒等 の 利用 も可,1 3 )などをあげ,教育現場 で の活用 の利便性 を 考慮 した工夫が見 られる。
「 教練」 の教材群 は,兵式体操で行われて きた徒手体 操,器械体操の 「 体操」への統合 に伴 い , 「歩兵操典 の 定む る所 に準拠」 した 2 2 の事項 に整理 され た。 「気 を付 け 」 「 休 め」か ら 「 行進問廻れ右 ( 左 ) 」 「側面縦 隊 よ り 横隊 」 「 徒手中隊教練」 などの集団動作 とさ らには 「執 銃」での各個,小隊,中隊の部隊教練 が内容 とされ た。
注意事項 の多 くは 「 歩兵操典 に明記せ るを以て別 に之を 示 さず」 としているが, 発育発達 を考慮 して , 「行進」
「 駈足」の歩幅,速度を 「 年少 の生徒並 びに女子」 には 適宜縮小す ることをあげている。
「 遊戯」教材 は,共同調査会で争点 に もな らなか った ことか ら,十分な検討が加え られず1 6 種 目を 3 分類 され ているに留 まっている。鬼遊,徒競走,バ スケ ッ トボー ル, フッ トボールなどの 「 競争を主 とす る遊戯」 と桃太 郎,渦巻,池の鯉 などの 「 発表的動 作 を主 とす る遊戯」
そ して十字行進,荘祉行進 , 「スケ‑チ ング」 歩 法 な ど の 「 行進 を主 とす る遊戯」であ り,主な遊戯を示 したに す ぎず指導 に当たって , 「 適宜増減」 を加 え , 「 手旗信号 法」 も遊戯で取 り扱 うことを留意 している。
これ らの教材群 は,学年別 の配当表 に示 されたが,各 学期,各週,毎時の授業をどう具体的に進 めてい くのか は要 目には明記 されず,要 目作成の責任者の永井道明が 各地の講習会や書籍で具体例を精力的に示 してい くこと になる。その一例が, 毎 時 の教授案 を , 「始 めの段 階」
「中の段階 」 「 柊 の段階」 あるいは準備運動,主運動,整 理運動 と 3 区分 し運動 の順序,姿勢,種 目,号令,要領 などを内容 とした ものであ り, この形式 に沿 ってスエー デ ン式体操を主教材 とす る体操が全 国 に普及 して い く。
しか し体操の奨励 には器械の購入,運動場 の整備拡張 さ らにはす ぐれた指導者が必要であ り,各地方での定着情 況 にはかな り差が生 じることになる。 しか し第一次世界 大戦 の勃発が,富強主義を背景 に 「 和製スエーデ ン体操」
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集の普及を促進 させ ることになる。
3. 学校体操教授要 目への秋田県での対応
大正 2 年 1 月に文部省が , 「 学校体操教授要 目」 を公 布 したことを うけ,秋田県では 2 月 2 5 日,小学校,中学 校,高等女学校,師範学校,郡役所あてに知事名の秋田 県訓令が通達 された。文部省の訓令 とほぼ同 じ内容であ るが,その目的を 「 今般文部省令第 1 号 を以て小学校, 高等女学校,中学校,師範学校体操教授要 目発布せ られ たるは,従来各学校 に於 ける体操科教授 の実況 に鑑 み 一層之が改善 を図 り生徒体育 の発達上進て期せんか為 め」であるとし,そ して 「 右要 目に準拠 し土地の情況男 女の区別学年の高下児童生徒の発育の情況等 に照 らし周 密政究の上最適なる教程を作 り尚実際の教授上には十分 の工夫を凝 ら」 してその目的の達成をすべきとなってい る。1 4 )
秋田県教育会 は,機関誌 に永井道明の 「 学校体操 に就 きて」 と題す る鳥取市での講演の要旨をまとめた文章を 掲載す る。永井 は , 「 1 .我が体育 は世界の如何 な る地位 にあるか 2 . 学校体育 は如何なる状態 にあ るか 3. 将 来学校体育 は如何にすべきか」をテーマにしている。現 在の日本人の身体 は 「 5 ,6 0 年前諸外国 の国民 の身体 が 薄弱であった如 く,我が国民の身体 はまことに弱い」状 況 にあるにもかかわ らず 「 積極的の体育手段 といふ もの は,殆 ど顧慮せ られて居ない」ばか りか 「身体 の大切」
への無知や 「 身体への自覚」への無頓着 さえめず らしく ない。学校での体育でさえ教師の自覚 のなさや無理解で まった く 「 児童のための体操」 になっていない。そこで 体操科の改善点 として,1 )他種類の材料 中 よ り, 児童 のために最 も有効な ものを選択する 2)教 師 自身 の力 量に鑑み,着実な選択法をとる 3)学校体操 は教育的 の体操でなければな らない, ことを強調す る。 そ して
「自己を修養せん とし身体を鍛錬せん とす る」 主観的運 動である体操の目的は,外形上では胸郭を正 しくす るこ とであり,生理学上 は呼吸を完全にす ることであり,精 神上では意志の鍛錬である。 まさに 「 学校体操教授要目」
にそったスエーデ ン体操の理解 と正確な実施 こそが これ か らの学校体育 となることを力説 している
。15)( 1 ) 由利艮蔵の学校体操論
教授要 目に対す る秋田県での対応や取 り組みに関 して, 明徳小学校,由利良蔵の 「 体操教授雑感」が 3 年 1 月か
ら 「 秋田県教育雑誌」に掲載 されてい く。以下,由利の 論を概観 しなが ら秋田県での教授要 目の受 け止め方,実 施情況を明 らかに してい く。
教授要 目の公布 された反響 は秋田で も大 きく , 「 近時,
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社会の上下等 しく国民の体力,体育問題等 に着 目 して, あれ腹式呼吸である,静座法である,或 は冷水浴冷水摩 擦,或 は家庭体操日 く国民的運動 は斯 う」 と議論が盛ん に行われるようになったことは 「 体操界 に意を用ふる者 にとっては快心 に堪 えない」 事柄 として受 け止 めて い る。 1 7 ) 秋田県では,武田知事,森知事 のよ うに体育奨励 に熱心であったこともあり,井口あ くりの出身地 という こともあり明治 4 3 年 1 2 月に永井道明を体操講師に招いて の講習会の実施など,教授要 目を受 け入れ実施 しうる素 地 は整 っていたと考え られる。そこで由利 は教授要 目の 正 しい理解 と確かな実施のために,1.教 師の 自覚 と信 念 ,2 . 体操科教師の修養 ,3 . 運動教授 の方法 ,4. 教 練 に関 して提案を しつつその体操論を展開 してい く。
第 1 に 「 教師の自覚 と信念」の重要性 であ る。 日清, 日露の大戦後に世界の列強 と肩を並べつつ激 しい 「 生存 競争」がはじまり,経済,科学,軍事面で優位 に立った めの根本 に 「 強健なる体躯,剛毅不操の能力」を求めた。
「 強健なる身体,機敏快活なる動作者,如何 な る困苦欠 乏 に当たって も屈 しないような,剛毅 なる肉体」を得 る のが体育であり, とりわけ学校体育,すなわち体操科で ある。 さらに体操 は 「 集団のなかでの各自の本務の遂行」
など訓練の手段 として して他の教科 に頬を見ないことを 指摘 し , 「 国民の将来,児童の行来を望 み」 自覚 と確固 たる信念を もって体操科の指導 に当たることが必要 とな る
。18)第 2 に 「 体操教師の修養」である。 「体操 は身体 の各 部を均斉 に発育せ しめ,四肢の動作を機敏にな らしめ以 て前進の健康を保護増進 し,精神を快活 にして剛毅な ら
しめ,兼て規則を守 り協同の習慣を養うを以て要旨とす」
という小学校令施行規則第 1 0 条の体操の目標を達成す る ための教師の修養 として, まず 「 教師自身が均斉なる発 育を遂 げ,姿勢が端正で」なければな らない。動作の機 敬,健康体の保持,筋肉の修練などは普段 の 「心掛 け」
が最 も重要で , 「 常 に快活なる,生々 した身体」 を保持 す るためには,永井式家庭体操,冷水浴 も良いが最 も効 果があるのが 「 冷水摩擦」である。精神的な修養 として は , 「 壮烈 なる意気 」 「 快活なる心情 」 「厳然 と して犯す べか らざる間に,熱々春光如 き温和の情」そ して 「 余裕 を持つ心」をそなえることが求め られ る。 ただ厳格 で, さび しい体育教師であるのではな く 「 温容海の如 く」恩 威兼ね備えた教師であ って こそ , 「心 か ら教師を等 ひ, 悦んで命令に服従 し,勇んで課業 に励むに到 らしめ」 る
のであり,直接体 と体が触れ合 う機会の多い体操では肝 要 となる。
「 体操 は技能その ものに多 くの価値 を有す るもので は ない」 とはいえ,各部位の運動,平均運動か ら教練 まで
「 児童に学ば しめる範囲に於 ける各種運動 は, 要領 にか
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なった,練習 目的に合す るように体得 した」正 しい示範 が最低限必要 となる。 そのためには職員内での体操会開 催の研修が効果的であろ う。 そ して正 しい 「 号令」の修 養 により,明快清澄,透徹で腹号令 に心掛 け 「 児童の心 理 に適合 し,運動 の性質,緩急,個律 に」伴 って予令 と 動令の 「 間隔時程, 延 音緩急, 音調 の高低」 を配慮 し
「 堅確 の決意,厳粛の態度,明快 の音調 を以 て」 発 せ ら れることになる。 さらに体操教師は, 関連 す る解剖学, 生理学,衛生学,心理学 などの修養が求め られ る。 1 9 )
第 3 に 「 運動教授 の方法」である。すなわち各個別 の 運動 に関わ る ( 1 ) 示範 ( 2) 説明 ( 3) 模倣 ( 4) 練 習 ( 5) 矯正 で ある。示範では 「 教師が体得 し得た完美せ る技術を以て し,児童 を してその運動の主眼点を明確 に観取」 させ る ために,見せ る方向,角度 さらに児童 の配列 を考慮 し, で きる限 り運動 の完結 した ものを示 していかなければな
らない。体操科 の説明 は,運動 の順序, 方法 で はな く, 示範で示 された運動 の目的を明確 にす ることにある。従 来の普通体操のように 「 形体 のみを真似ている,無 目的 な,反射的な運動」の実施 にな らないよ うに, スエーデ ン体操の大 きな特色である合理的 目的の重要性 を強調 し ている。 2 0 ) 模倣 とは , 「 眼 によって得 た る感覚 によ って, 児童が各 自己が運動を規制す ること」であ り,示範,読 明の後 に直ちに号令 によって運動 を行わせ るのではな く
「 教師が模範姿勢 を取 り児童 に示 しつつ真似 させ る」 こ とにより正 しい運動 と矯正が可能 とな る 。 2 1 )模倣矯正 に よって正 しい姿勢,運動を理解 した ら 「 心を凝めて運動 す る所」 に練習の目的が達せ られ る。由利 はベル グソン を引用 し運動感覚 と運動の習得を説明 しなが ら,矯正 に よって常 に正 しい運動 の繰 り返 しによってのみ体操の目 的が達成 され, これ こそが運動教授 の方法 となることを 指摘す る
。22)最後 に由利 は,教練 については,従来 の兵式体操 の教 練 と普通体操での教練 の不統一 をあげなが ら歩兵操典 に 準拠 した教授要 目を 「 至当の事」 と受 け止 める。体操 は 個人個人 に適応 して行われるのに対 し,教練 は協同の精 神 により団体を基本 とし厳正 な規律,整正確実な動作が 求 め られ る。 さ らに従来 の運動準備 という捉え方ではな く,体操,遊戯 に対 して も独立 し, 自身 に存在 の価値 の あるもの との位置づけはその性格 をきわめて明確 に して いる。歩兵操典 に準 じる教練が実生活 にな じまないのは 当然であるが , 「 一号令 に対 して境遇 に適応 した ものを 二様三様 も授 ける」 ことは,児童の適応方法を良好 な ら しめ非礼 に失 しないことに結 びついてい く。女子の教練 には, まだ検討 の余地が多 くあるが, 由利 自身 は,尋常 3 ,4年生頃まで は男女差を考えず 5 ,6年生 か ら女子 に ふ さわ しい方法を指導 してい くことを提案 している。 2 3 )
この由利の論説 は,小学校での教授要 目のより正 しい
受 け止 め方 と要 目に沿 った指導の観点を同 じ教育者の立 場か ら実践 に即 して述べた もので, きわめて模範的で示 唆的である。ただ し随所 に現実 の学校体操 の不十分 な実 状 も浮 き彫 りにされ, この要 目の制定 によって大幅な改 善を図 っていきたいとす る,個人 の考えを越 えた期待 も 伺える。 スエーデ ン体操 とい う用語 は使われていないが, 具体的に取 り上 げ られ る運動 の説明は,解剖,生理学 に 沿 った ものであ り永井 の意向を十分 に把握 した もので, 県内の学校体操 の普及発展を課題 とす る県および県教育 会の施策を具現化 した もの といってよい。
( 2 ) 永井道明の 「 体操講習所感」
県教育会 は,学校体操教授要 目の公布前後 に開催 され た体操講習会の講師であ った永井道明の 「 体操講習所感」
を機関誌 に掲載 してさ らに要 目の普及を確かな ものとし てい く。永井 はその所感の中で,文部省が主催 し,主 に 各府県中等体育教員約 3 0 0 名が参加 した 4 回の講習会 はこ れまでにないことで,その内容をさ らに多 くの教育者 に 知 って もらうことが有用であるとしている。
永井が各講習会 の参加者か ら受 けた印象 は次のようで あった。
第 1 回講習会 ( 明治45 年 5 月,主 に師範学校教員) 体操遊戯取詞委員会報告 ( 明治3 8 年)に思いをはせたり,
もっぱ ら枝葉 の批評的態度をあ らわす者 もあ った。
第 2 回講習会 (明治45 年 11月, 主 に女子 師範学校教 負)
「 教授要 目の精神 に近 く実行 し来れ る」者が多 くたいへ ん研究熱心であった。
第 3回講習会 ( 大正 2年 4月,主 に中等学校教員) 教授要 目制定後初の講習会で, これまでにない成果があ
り, とりわけ軍隊出身者 の陸軍戸山学校 の改革をまのあ た りに し 「喫驚 し其 の後 は翻然 として鋭意研究に勉むる」
者 もいた。
第 4会講習会 ( 大正 3年 2月,主 に高等女学校教員) 教授要 目制定後1 年 がす ぎ, 講 習生 は熱心 に研究 し, 要 目の真髄,実際の会得 に鋭意奮勉 している態度が見 ら れた。
永井 は講習参加への各府県当局および学校長 の熱心 な取 り計 らいを感謝 しなが らも,一部 の不適切 な処置に遺憾 の意 をあ らわ している。 それ は永井 自身が男女高等師範 の授業を持 ちなが ら講 習会 で毎週 2 0 時間前後 を担 当 し
「 寧 ろ本省の旨趣以上 に も憤起 し,此 の機会 を利用 して 斯道 の発展 に猛進せん とす る熱烈 なる覚悟」で望んでい
ることのあ らわれである。
さ らに各講習会参加者 の俸給 を調査 し,全国の中等学 校体操教員の待遇 の低 さを 「同情 と憤慨」を もって次 の
ように分析 している.2 4 )
‑ 55‑
秋田大学教育文化学部研究紀要 教育科学部門 第
54集1 ) 体操教員 自身の奮起足 らざ りしこと
体操教員を普通教員 と同等かそれ以上 と問われれば,
「 修業 に於 いて苦心 と歳月 とを費や した るか」 を考 え る と否定せざるをえず , 「 徒 らに技術 の末 に拘泥 して蓄音 機的形式教授 を演 じ,或 は空 しく口先の体育を弄 して其 の実行全 く無精神 に終わ る」者 さえ見 られ る。 「神聖 な る教育家」 と しての待遇 を得 るため に発憤 が必要 で あ る。
2 ) 我が国民が体育の必要 を自覚せぎりしこと 明治維新以後,我が国では体育 は殆 ど放棄 された。在 来の武術 さえ省み られず,欧米 の文明で も体育だけはほ とん ど 「 感化」 されなか った。儒教風の影響 もあり学者, 書生 はほとん ど身体 の摂養 に無頓着で , 「国民体格 の衰 退を嘆ず るものあるにいた りたるも尚其 の自覚 は甚だ し
く幼稚 に して一般国民 に徹底せず,其 の実行的施設 の如 きも未だ積極的体格養成 の計画を見 るに至 らず」, 学校 の体育 も,従 って体操教員 も重ん じられていない。
3) 当局者 の体操科 を重んせぎ りしこと
これまでの大臣で 「 体操科 に対 し真面 目なる力を注が れ し者 は前後唯独 り故森文部大臣あ りしのみ」 と言 い切 り,必要性 を説 く者 はあ って も奨励す る大臣はな く,宿 県 の当局者 も一部例外を除いて同様である。各学校長 の 多 くが体育を教育 の基礎 と述べ , 「訓育上体操科 の重要 性」を論 じるが 「 其の実際該当科教員を採用す るに当た りては,或 は最下級 の俸給を以て之 を迎 え,此 の重要な る事業を負 は しむ るに軽小劣弱 なる人物を以てせんとす」
というのが実情である。
4 ) 当局者が体操科教員 の養成を忽 に した りしこと 体操教員の不足 した情況 は養成 を怠 って きた事 につ きる。教員養成 には,通常 の養成 のほか講習会での養成 もあるが,体操教員 については共 にゆるがせにされて き たといえ る。文部省が体操教員養成 を放棄 した と しか い えない情況で,中等学校を中心 に軍隊出身者が多数 を占 めざるを得 ないことになる。体操科 の改善の根本 はこの 教員養成 にあ り,資格のない者 に実質的な資格を課すか, 新 しい有資格者を配 してい くことであるが,現状では共
に困難 な ことである。
永井 は, この所感で,体操教員 に対す る文部省を始 め とす る当局 の無関心 さと冷遇 されている職場での情況を 一身で受 け止 め,せめて もの改善策 として 「 心 と体 と声 と残 に使 ひ尽 くして殆 ど人力の耐へ得 る所」 にないよう にな りなが らも講習会を担当 し,体操教員 自身の奮起 を 期待 している。
4.第 1 次世界大戦 に伴 う体育促進 と体操科改善の施策
大正 3 年 に第 1 次世界大戦が勃発 し, 日本の参戦 に伴
い戦時体制が強化 され るなか,秋 田県では坂本知事が郡 市長会議 で,国民道徳 の滴養,実学を奨励 して殖産興業 につなが る教育の充実 そ して家庭教育 による児童 の精神 の醇化 を内容 とす る 「 教育 に関す る訓示」をそ して翌 4 年 6 月に も 「 教育の方針 に就て」をあ らわす。
そ して大正 5年 6月2 6 ,2 7日の県立中等学校長会議 で 小島知事 は時局 と教育 についてふれ,聖 旨を奉休 し,国 民道徳 の振興 と立憲思想の養成を訓示 しなが ら,徴兵検 査の成績 によれば中等学校卒業生 より高等小学校卒業生 以下 の方 が成績が良好であ り,学力の程度 に反比例す る とい う結果が しめされ , 「国家 の為 め憂慮 に堪 へ ざ るな り各学校 に於 いては正課 として体操を確実 に課す るは勿 請,其他適切有効 の施設をな して生徒体力の増進 に努 め るべ し」 と体育の問題 が取 り上 げ られた。 2 5 )さ らに翌 6 年 7 月 2 日の同会議で も川 口知事 は 「 身体を鍛錬 し国民
の元気を旺盛 に し以て其 の活力の増進を図 るは教育上一 日も忽 にすべか らず 」 「 時勢 の進運 は国民生活 の状態 に 変化を及 ぼ し体育及学校衛生上 にも慎重 なる注意を要す るもの多 きを加ふ るに至れ り」 2 6 )と毎年 の知事 の訓示 に もかかわ らず実質的な成果があが っていない結果 とな っ ている。
( 1 ) 南秋田郡の体操比較考査
川 口知事 の訓示 を うけ,現場での体操科教授 の改善を 目的に体操比較考査が実施 される。南秋 田郡内小学校 5 6 校 の尋常第 6 学年 1 学級を対象 に 8 日間 8 ヶ所 の会場 に 分かれ,各体操 の体操科担当教師が児童を引率の上,逮 次定め られた順次 に従 って ,3 0 分間の体操科 の実地授業 を行 い児童 の成績等を考査す るとい うものである。考査 委員長 には郡視学官,委員 として師範学校訓導があたっ ている。 しか しその主 旨は,比較考査 よりも 「 広 く他校 の実地授業を参観せ しめて,彼此比較対照 し,採長補短 の資た らしめ以て体操科の成績を向上せ しめん と」の企 画である。 そのために成績 に対す る講評 の配布 に留 ま ら ず,考査委員講評のはか,法令上,学理上 より 「 詳細 に 批判説述 し尚質問応答を も行 はしめ,又担任以外 の教師 も可成参観聴講せ しむ る」 と ころまで実施 す る 。 2 7 )南秋 田郡役所調査の成績講評では ,4,5 の学校 の教授者 が 教授要 目の公布 を今だに知 らないと思われ る点が指摘 さ れている。 さらに体操教授では,各運動 の目的を達す る ために児童 自身が練習を自覚 し意志を持 って有意的にお こな う事 が最 も重要であるが, その点 に関す る教授者 の 配慮が欠 けているのと教師の運動要領 が正確 で はな い。
教練で は,規律 の厳格 さにやや欠 け姿勢,体勢が定 ま ら ない所があるが児童 の場合 には,厳格す ぎて姿勢の端正
と運動 の敏活を欠 く事 はそれ以上 に注意 が必要 で あ る
。女子の行進 は 「 専 ら善美端麗なる姿勢を もって善 く体を
‑5 6‑
森田 .秋田県における学校体操教授要 目への対応 と体操科の改善 について
支持 しつつ」練習をす ることが求め られているが, ほと んどの学校が男女同 じように 「勇往遭進的」な行進 にな り問題を残 している。 さらに女子の姿勢の悪 さが目立ち
「 矯正筋骨の発育をはか り不断の注意 と努力で」 矯正す る必要がある。全体 として 「 普 く真面 目なる努力を認む べ きもの」あるが 「 郡全体の体操科の成績上 より之を観 れば猶前途遼遠の感」ありと結 んで いる。 % )この ことか らも大正 6 年 8 月の時点でも小学校では,教授要目にそっ た体操科 の授業が十分 に普及 しているというわけではな か っ
た 。県教育会の研究部会 は , 11 月に 「 我国女子の身体を一 層強壮 な らしむ る方法如何」 の調査報告 をあ らわ し,
「 現今女子 の身体 は固来 よりの習慣 と現時文弱の弊 とを 受 けてますます薄弱に流れる」傾向にあ り , 「所清水か らも身体を練 る決心な く徒 らに虚栄 に走 り易い」のと境 遇が原因であるとして改善案を提案 している。 2 9 )
( 2 ) 体力気力の増進方法
大正 6 年 1 0 月 1 2 日の全県小学校長会 で諮問を受 けて, 県教育会 の研究調査部が,大正 7 年 4 月に 「 児童及青年 の体力気力を増進すべ き方法如何」 という研究結果を答 申 している。 3 ' )その緒言 で, 明治維新以来 の知育偏重, 体育軽視 による体力気力の減退をは じめ過労激動 による 疲燈,分業 による部分的な身体の使用,機械化 による運 動不足など体力,気力,健康を阻害 している。そこで身 体 と精神の相互の充実をはかるために体力 と気力の増進 を積極的に進める提案をす る。 とりわけ,体操の実効を はかることを第一 にあげている。
1 ) 体操尊重の風を助成 し教師の自覚を促す こと 小学校の教職員 は校長以下男女を問はず体操教授にあ たるべ きで,まず教師が猛省 し体操科の重要性を理解 し,
「自ら先ず体力気力の優越者た り,以 て熱誠児童 を率 い る」べ きである。
2 ) 体操科巡廻教師を設置す ること
小学校 の体操教授の改善をはかるために,県に 1 名 の 専務体操教師をおき,各地を巡廻 しなが ら実地教授の批 判指導,体育講習会の開催に当たる。
3) 体操科の設備を完成す ること
熱心 に体操科 に取 り組む教師には,設備の整備充実は, きわめて重要であ り,あわせて屋内体操場 の拡張改善, 運動場の拡張にも配慮が必要 となる
。31)4 ) 課外の運動遊戯を奨励す ること
秋田ではほぼ半年の降雪期間を,積極的に征服利用す る事を考慮 し, スキー, スケー ト,雪中運動を奨励 し夏 期での水泳,網曳,登山さらに角力,徒歩競争などを促 進 させ る。
5) 鍛錬的な らしむること
‑5 7
「 秋田県人の通弊 として堅忍持久の精神 に乏 しく著 し く物事 に飽 き易 く根気足 らざる風」あ り耐寒の良習を養 うように体操で も疲労困苦 に堪え最後 まで最善 を尽 くす 努力をす る気概を養 ってい くこと
。6 ) 武道を奨励すること
剣道,柔道など武道 は気力を養 うに効果あ り,機敏性 等の体力を高めるのに適 しているので,適切な留注意の
もとで小学生か ら行わせるのがよい。
この他 に,一層学校衛生 に意を用ふべ きこと (1. 学 校医の設置を促 し身体検査 の結果 を利用すべ き事 2.
児童の トラホーム其他伝染病の撲滅 に一層の力を尽 くし 不良若 しくは奇形なる発育をなせ るものに対 しては適当 なる配慮をなす こと) と体力気力増進の声を して社会的 風潮た らしむべ きこと ( 1 .補修学校及青年団 に も体操 を課すること 2 . 社会的の風潮を作 るに努 る こと) が 提案 されている。
この提案をうけて各学校をは じめ地域社会で,運動会, 青年団体育大会,青年団体操研究,軍隊見学などが行わ れ体操の奨励 とともに体育,運動の普及が広範囲に及ん でいった。
( 3) 体操科指導計画
大正 8 年度か ら体操科指導教師が設置され,学校体操 の普及徹底をはかるために 「 体操科指導計画」が作成 さ れ,同年 6 月か ら翌 9 年 5 月 までを第 1 期 と した。 3 2 )計 画内容の主なものは,講習会開催 と各学事区巡回指導で 講習会 は県師範学校で 1 0 日間行 い受講生 は各学事区等で 講習伝達を行 う。巡回指導 は師範学校長が順序を決定 し 児童演習,批評会,教員実地練習,講義 など 3 日間づっ 行 ってい く。そ して体操指導教師は,巡回指導状況を その都度師範学校長 に報告 し,毎月一度県知事 に復命す ることになっている。
体操科指導教師, 原清吉 の大正 1 0 年 1 1 月 1 8 日付 けの
「 南秋田郡小学校体操科成績考査状況復命書」 で は ,1 0 月 2 8 日か ら11 月 5 日までの 7 地区 55 校 の考査状況が報告 されている。尋常科5 年生の担任が 2 0 分間 の体操科授業 を行 ったのを考査 した内容 は以下のようである。 3 3 )
1 .教授者 は概ね動作敏捷で,運動 に理解 が あるよ う に見えたが,態度が厳格す ぎた り,逆 に放任的であった りして検討の余地がある。
2 . 参加児童 については, イ)児童 の姿勢 ロ) 児童
の体格 ‑)児童の態度の視点か ら報告 しているが,女
生徒の姿勢の悪 さと,凹背,凸背,右側轡が 目についた
が,動作が機敏で真面 目に自発的な態度 は好印象を持 っ
たが,理解的に運動実施す るものが少な く,教師の号令
に合わせて反射的に運動 しているのは改善すべ き点 とし
て残 る。
秋 田大学教育文化学部研究紀要 教育科学部門 第
54集3.今回提 出された教案 は,形式 的で充分 な考慮研究 の末 に立案 された もの とは思えず非常 に残念な結果であ る。合理的体操科教案 は, 目的を考慮 し,児童 の発育発 達並 びにその実施時の児童 の心身の状況 に適す る教材を 選択 し生理的心理的原則 によって配列実施すべ きもので ある。
イ)教材の種類 は, ほとん どが体操であ り遊戯,教 練の実施がみ られず,尋常5 年 には矯正 的教材 によ る鍛 錬が望 まれ るが,跳躍,疾走 と共 に不十分である。
ロ)運動 の強度 も全般的に低 く,上体後屈,上体側 屈,腹側筋練習 に程度 の高す ぎる姿勢があったはか,蘇 習回数 も不足気味である。
‑)教材の配列 は心理的の法則を配慮 して能率の向 上を図 るべ き所であるが,一般的配列 に留 まっている。
4 . 教授法 について。
イ)示範 は良好 にな りつつあるが,全体的,部分的 方法や位置,方向に配慮が足 らず,躯幹や全身的運動の ような児童 にとって理解が困難な運動示範が きわめて少
ない。
ロ)説明 は運動 の要領,注意を実施者が理解す るた めに重要であるが,今回 は時間の制限 もあ り,誤 りやす い部分でさえ説明や注意が欠 けていた。
‑)号令 と運動 の性質をよ く理解 してお こな う者が 少 な く,音調 も運動を快活,愉快 に実施す る工夫 に欠 け ていた。
ニ)矯正 に関 して も,運動 の正否を速 く判別す る能 力に欠 けた者多 く,不十分 なままである。
ホ)教授法全般 には,能率を高める工夫が不十分で 児童が直立姿勢を保 っている時間が長 く活動性 が低 く, 準備的訓練 を省 き段階的教授 を欠 いている。合理的運動 は児童本位であるが,児童 の心身の状況を観取す る能力 に欠 ける
。5 . 各教材演習 について。
イ)教練 は全般 に練習不足で, ただ形式的に実施 さ れていて,厳正確実な動作 による団体行動 は見 られず, 行進 において も歩調の要領が誤解 されている。
ロ)遊戯を今回実施 したのが 7 校 に留 まり,多 くは 放任 して指導を怠 り, もしくは干渉 しす ぎの傾向があ り 児童 にその方法を工夫発見 させ ることに配慮 し, さらに 多 くの実施が求 め られ る。
‑)体操 は確実 に実施 され るようにな ったが,練習 の主点,運動 と全身統一 の関係が不 明瞭 な場合 が多 く, 児童 に真剣 な気分を発拝 させ,興味を起 こさせ ることが す くない。
総評 として昨年 と比べ,児童 の姿勢,態度,動作 は向 上 して喜ぶべ き状況であるが,教案,教授法 には研究 と 改善 の余地が多い。 そのために教員 の実地及 び学理 の講
習を開催す る必要がある。そ して体操場,戸外運動場 の 改善,器械の設備を督励す ることによってさらに実績が 高 まると報告 に代えている
。原清吉の復命書 は,大正 2 年 の教授要 目公布以後,秩 田県での対応の不十分 さを的確 にとらえ,実情 と課題 を 鮮明にさせている。 とりわけ体操用の器械設備 の調達 は 不十分なままで,大正11 年 2 月には県衛生課長,県及 び 郡視学,学校長など 1 4 名か らなる 「 体育施設調査委員会」
が設置 され,新たな基準 が示 され普及,充実を促進 させ た 。1 4 年 3 月には,従来 の体操科指導教師制度を廃止 し て,体育主事を置 き一層 の専門性 を図 ってい く。 そ して 大正1 5 年 5 月27 日の 「 学校体操教授要 目」の全面改正 に あた り,全県小学校長会議で中野知事が,改正教授要 目 に準拠 し極めて厳格 に実施すべ きことを訓示 してい く
。おわ りに
明治11 年体操伝習所の設置 によって,普通体操を中心 教材 とす る学校体育が整備 されていったが,小学校 につ いては法令以上では,12 年 の教育令,1 3 年の改正教育令 さ らに1 9 年 の小学校令,2 3 年の改正小学校令において も, 体操教科 は 「 土地の情況 によって」省 くことがで き,防 意科 目となっている。 しか し 1 4 年 の 「小学校教則綱領」
に示 されてい くように,遊戯,徒手運動,器械運動を教 材 として適宜指導 されていった。明治33 年の小学校令改 正か ら時間配当 と遊戯,普通体操 そ して兵式体操 の教材 化が明記 されてい く。学校 を取 り巻 く環境 は日清, 日露 の狭間で国家主義 による国民道徳 の昂揚 と強兵主義が一 段 と強 まる一方で,近代的な合理主義や研究成果 も普及 し外来 の運動競技や武道 も課外で広 ま りを見 せて い く。
多様なスポーツ種 目や 「スエーデ ン体操」 の紹介 は,学 校体育 に も大 きな影響 を与 え , 「体操遊戯取調委員会」
「 共同調査会」を経なが らも,文部省主導 の見解 を明確 にせざるを得 ない情況 にあ ったといってよい。学校体操 教授要 目は 「 和製合理体操」を主教材 に して学校体育 を 体操科 と位置づ けた。
この準拠すべ き教授要 目に対 して秋 田県 の教育現場 の 受 け止め方 と体育改善をまとめると以下のようになる。
1 . 県訓令での通達や 「 秋 田県教育雑誌」‑の永井道 明の論説を掲載 してい くが,充分 な理解が得 られないば か りか,従来か らの不十分 な実施状況か らの転換 は教師 の体操への関心の低 さか ら具体化 していかない。
2 . 小学校教師の由利良蔵の体操論で は,教授要 目を 模範的に解釈 し,現場での実施 のためには 「 教師の自覚 と信念」 と 「 教師の修養」をあげ,最大 の問題点を体操 に対す る教師の意欲 と している。
3. 第 1 次大戦を期 に,体操比較考査,体力気力増進
5 8一
森田 秋田県における学校体操教授要 目への対応 と体操科の改善について
法 , さ らに は体 操 科 指 導 計 画 が 展 開 され, 徐 々 に改 善 が み られ るが 屋 内 体 操 場 , 体 操 用 機 器 が不 十 分 の た め実 践 が制 限 され形 式 的 に な って い く。
大 正 期 の秋 田県 で の体 操 科 の 改 善 は多 難 な問 題 点 を か か え, きわ め て緩 や か に しか 展 開 され て い か な か った。
註および引用
1 ) 岸野雄三他 :近代 日本学校体育 史 日本 図書 セ ンター 昭和 5 8 年 37 貢
2) 岸野雄三他 前掲書 69 貢
3) 郡市長会議 に於 ける阪本知事 の訓示 :秋 田県 教育 会雑誌 第 27 5 号 大正 3 年 8 月 2 頁
4 ) 坂本知事 は大正 4 年 には , 「 教育 の方針 に就て」 と して,
「 国憲を重ん じ国法 に遵 ひ」 とい う法律思想の滴義を強調 し, 翌 5 年 には立憲思想 の養成,生徒 の風紀取 り締 ま り, 訓練 養護,学校衛生,学力増進 , 通 俗 教育 の見 直 しを指摘 し,
さらに翌年 以 降 も 「勤 労節 約 の美 風 」 「敏活 忍耐 の習慣」
「 国家的観念 の養成 」 「 憲政 の趣 旨の明確化 」 「自治 の観念 の 養成」 などが教育 の重要問題 とされ, 学 力 問題, 青年 団, 実業補習学校,女子教育 の充実 な どを課 題 と して掲 げて い
く。
5) 今村嘉雄 日本体育史 不味堂 昭和 45 年 462 頁 6) 井 口あ くり他 一体育之理論及実際 明治 39 年 付 録 1‑2
頁 ( 岸野雄三監修 :近代体育文献集成第 5 巻 昭和 57 年)
7 ) 報告書 の調査事項 は次 の 1 9 件で ある。 ( 前掲書 2‑4 頁) 1.体操科の 目的
2. 体操演習の基本的形式 甲 基本的形式
乙 基本的形式 を定 めた る理 由
丙 各基本的形式 の目的 (イ)生理的 目的 (ロ)訓 練的 目的
3. 基本姿勢 4. 体操演習の種類 5. 体操演習要 目の数例
甲 体操 ( 各簡)演習の例 乙 体操 ( 連続 ) 演 習 の 例
6 .体操科 に於 ける一定すへ き必要 ある事項 7. 運動遊戯 に関す る件
8 .各学校体操科 に関す る現行規定 中改正 を要す る事項 9. 普通教室 に於て行ふへ き体操遊戯
1 0. 体操科教授上 の注意
甲 体操教授上 の注意 乙 運動遊戯教授上 の注意 ll.体操科 の設備 に関す る件
甲 体操教室 に関す る件 乙 体操教授用器械等 1 2. 女生徒 の運動服 に関す る件
1 3. 体操 と作法 との調和 に関す る件
1 4. 撃剣,柔道 に関す る件 1 5. 学校運動会 に関す る件
1 6. 火災其 の他変災 の際に於 ける動作練習の件 1 7. 国立体操研究所 に関す る件
1 8. 体操科教員 の待遇 に関す る件 1 9. 体操科視学設置に関す る件
8 ) 共同調査会 の委員 には, 文 部省 か ら視学 官 ・大 島義 惰, 東京高師教授 ・坪井玄道,医学博士 ・三 島通良 そ して陸軍 省か ら歩兵課長 ・林銃十郎大佐,戸山学校 教 官 ・相 良広 一 歩兵大尉, 陸軍士官学校附 ・篠原二等軍 医正 の それ ぞれ三 名であ り, その後委員 の変更が行 われている。
9) 第二次共同調査会 とも呼ばれ る,明治 42 年 1 0 月1 9 日文 相 官邸で再開 された調査会委員 は次 のよ うで あ る。 文 部省 か ら普通学務局 ・長松村茂助,東京高師教授 ・永 井道 明, 文 部省視学官 ・横山栄次, そ して陸軍か らは軍務 局長 ・長 岡 外史,軍医正 ・英健,歩兵大尉 ・相良広一 で あ り, 休会 以 前 の委員 は相良 のみである。
1 0) ただ し尋常小学校 の 1 ,2 年生 は唱歌 と合わせて 4 時間 と な っている。
l l ) 中学校,師範学校 の男子 には , 「 撃剣 ・柔術」 を選択 とし て加えた 4 教材群 の分類 とな っている。
1 2) 体操科体操 の1 1の運動種 目は以下 のよ うである。
第1 .下肢 の運動 1 0 種類 第 6 . 胸 の運動 2 種頬 第 2 . 平均運動 1 0 種類 第 7 . 背 の運動 5 種類 第 3 . 上肢の運動 5 種類 第 8 . 腹 の運動 2 種類 第 4. 頑の運動 4 種類 第 9. 躯幹側方運動 3 種鞍 第 5 . 呼吸運動 7 種類 第 1 0 . 懸垂運動 2 9 種類
第 1 1 .跳躍運動 2 9 種板 1 3) 井上一男 .学校体育制度史 増補版 大修館 昭和 48 年
2 90 頁
1 4) 文部省訓令第 1 号 と して大正 2 年 1 月 28 目付 で文部大 臣 柴 田家門の名で通達 された ものであるが, 文章 をや や補 っ て秋 田県訓令甲第 1 2 号 として,県知事,秦 豊助 の名 で 出 さ れている。 ( 秋 田県教育雑誌 第 2 5 8 号 大 正 2 年 3 月 巻 頭)
1 5) 永井道明 学校体操 に就 きて 秋 田県教育雑誌 第 258 号 大正 2 年 3 月 2 8‑35 貢
1 6) 佐 々木吉三郎 近年 の体育 問題 前掲誌 第 2 66 号 大正 2 年 1 1 月 30 頁
1 7 ) 由利良蔵 ・体操教授雑感 前掲誌 第 2 68 号 大 正 3 年 1 月 1 3 貢
1 8) 従来 の体操科 の指導 は, 由利 自身 の経験 か らともすれば,
「 体操科教授細 目の朗読教授」 とで もい う形式 にな り 「 研究 も要 らぬ,調査 も要 らぬ,細 E ]も要 らなけれ ば, 教 案 もい らな」 くて もその場 を しのげた。授業時 間 も明 日のを練 り 上 げた り,転用す る事 さえお こなわれ,結 局 「体操 といえ ば甚 だ下等 なるもの,体操の先生 は劣等 な るか の ご と く思
‑ 5 9‑
秋E E I 大学教育文化学部研究紀要 教育科学部門 第 5 4
集われ」 もっぱ ら若 い代用教員,新卒業生 に まかせ っき りと い うのが, ごく一般的な もののよ うであ った。 ( 由利良蔵 : 体操雑感 前掲誌 1 6‑1 7 貞)
1 9 ) 由利良蔵 :体操教師の修養 前掲誌 第 2 6 9 号 大正 3 年 2 月 6‑1 3 貢
2 0) この点 につ いて由利 は,師範学校在学中 に, 体操 遊戯取 調委員会 の報告書 の体操教授段階 の基本 的形 式 を さだ め た る理由を学 び , 「 体操 に もこんな深 い理屈があるのか」 と驚 き 「 何処 を発達せ しめるか, どこに意を注 ぐか とい うこと を明 らかに しておかなければな らない」 し, 練 習 日的 お よ び動 くべ き部分 を明瞭 に指示す ることが必要 で あ る と して いる。
2 1 ) 由利 は矯正 の方法 を以下 の 4 通 りをあげている。
(1)
言語 を以てす るもの :聴覚 に訴 え るもの
( 2 ) 或姿勢 を示 し,模倣矯正せ しもの .視覚 を以 てす る も の
(3)
手を以てす るもの ・直接各児 の節感覚 に正 しい運 動 を 悟 らせ る
(4)
ある種 の運動 を課 して矯正す るもの :矯正 の手 段 と し てたいへん優れている
2 2 ) 由利良蔵 :運動教授 の方法 前掲誌 第 2 7 0 号 大正 3 年 3 月 1 3‑21 頁
2 3 ) 由利良蔵 :教練 について 前掲誌 第 2 71 号 大正 3 年 4 月 6‑ l o員
2 4 ) 永井道 明 :体操講習所感 前掲誌 第 2 7 2 号 大正 3 年 5 月 2‑7 貢
2 5 ) 県立中等学校長会議事項 前掲誌 第 2 9 9 号 大正 5 年 8 月 1 6‑1 7 頁
2 6 ) 知事訓示要領 :前掲誌 第 3 1 0号 大正 6 年 7 月 2 頁 2 7 ) 南秋 田郡 に於 ける体操比較考査 :前掲誌 第 3 11 号 大正
6 年 8 月 4 4‑45 頁
2 8 ) 南秋 田郡比較考査尋常 6 学年体操科成績講評 前掲誌 第
31 3 号 大正 6 年 1 0 月 2 3‑2 6 貢
2 9) 1 .女子 の天職 を完ふす る為 に自己の身体 を強壮 な ら しむ べ Lとの 自覚 を促す こと
2 . 生理衛生 に関す る知識 ( 特 に婦人衛生) を普及す ること 3 . 身体 の抵抗力を強 くす るに必要 なる手段を奨励 し積極的
衛生 に力を用ふ ること 4 . 衣食住の改善 をはか ること 5 . 規律 ある生活 を営 ま しむ ること 6 . 勤労 の習慣 を作 ること
7 . 心身の鍛練 に注意 し常 に爽快 なる気分 を充実せ る元気 を 保 た しむ ること
8 . 婦人美 の標準 の反省 を促す こと 9.体操 を奨励 し遊戯 の改善 をはか ること
( 我国女子 の身体 を一層強壮 な らしむ る方法如何 :前掲誌 第 31 4 号 大正 6 年1 1月 3 8‑3 9 貢)
3 0 ) 全県小学校長会議で は, 理科, 算術 の成績 不 振 の はか, 出席歩合の低下や道徳訓練 の重視が問題 とされ次 の 3 件 の 諮問をお こな った。
1 .戦後 に於 いて教育上特 に施設経営すべ き事項如何 2 . 児童及 び青年 の体力気力を増進すべ き方法 3 . 小学校卒業後 に於 ける女子 の補習教育方法如何 3 1 ) 大正 7 年 1 月 に秋 田県訓令第 2 号 「 小学校 理科 及 び体操
科 の充実 について」 が出され,各学校で の機 械器 具 の調 査 が行 われた結果,体操器械 は皆無 に等 しい状態 で あ る こと が判明 し , 「 小学校体操機械設備標準」 を作成 し郡市町村 に 整備を要請 した。同時 に簡易粗製名 もので代 用 す るため の
「 簡易器械略図」 も添付 された。
32 ) 本県体操科指導計画 :前掲誌 第 3 3 3 号 大正 8 年1 0月 3 6‑3 9 貢
3 3 ) 小学校体操科成績考査状況復命書 :前掲誌 第 3 4 8 号 大 正1 0 年 1 2 月号 31‑3 7 貢
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