『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ はじめに 本論文は 、『 次第禅門 』 巻第一之下の 「 禅波羅蜜の詮次 を弁ずる第四 」 の原典解明を意図して研究したものであ る。 本研究は、平成二十一年度︵四月∼一月︶の大学院文学 研究科修士課程および博士課程の 「 講義 」 の授業の研究成 果である。授業の受講者は、仏教学仏教史学専修の私の ゼミ生のつぎの諸氏である。 ダオ トリン チン ニャン ・トラン アン コア ・トラ ン ク ォ ッ ク フ ォ ン ︵ ベ ト ナ ム ︶︹ 修 士 一 年 ︺、 川 瀬 隆 ︹修士二年︺加藤高敏 ︹博士一年︺ 、加藤正賢 ︹博士三年︺ 、伊藤光壽 ・天野弘堂 ︹研究生︺ 、武藤明 範 ・水野荘平 ・トラン トウイ カン ︵ベトナム︶ ・猿 渡あゆみ・久田静隆・森 琢朗︹研究員︺ 、當間日澄・ 今井勝子︹聴講生︺ 授業は、輪読形式で行ない、右記の大学院生諸氏が下調 べをして発表してもらい、それを武藤明範氏が毎時間 「 書 き下し文 」 、詳細で膨大な 「 注 」 、的確な 「 現代語訳 」 を作
『
次第禅門
』
の研究
︵十一︶
大
野
榮
人
武
藤
明
範
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ 成して頂き、それに私が加筆し、それを訂正して頂いて、 授業で読み合わせをして、完全な原稿を作成したものであ る。 武藤明範氏のお力により、このような研究成果を世に送 り出すことができることに心より感謝を申し上げる次第で ある。 武藤明範・伊藤光壽氏をはじめ、大学院受講生全員の智 慧を結集してできあがった研究成果であるが、恐らく多く の誤記・誤訳などがあることと思われる。その責任の全て は、私にあることをお断りしておきたい。 本論文の構成は、最初に 「 原文 」 と 「 書き下し文 」 を、 つぎに 「 注 」 を、最後に 「 現代語訳 」 を付していくことに したい。 〔原 文〕 次明八勝處 。 為於諸禅定観縁中得自在故 。 次明十一切処 。 為欲広禅定中色心令普遍故 。 乃至修六神通 。 由是観禅攝 。 次明錬禅者 。 即九次第定 。 為総前定観二種禅令心調柔 。 入 諸禅時 。 心心次第無 間 故 。 及有覚有観等三三昧皆是錬禅 攝 。 次明熏禅 。 熏禅者即是師子奮迅三昧 。 順逆次第入出熏 諸禅 。 令定観分明純熟増益功徳故 。 次明修禅 。 修禅者 。 即 是超越三昧 。 於諸禅中超越入出 。 為得無碍自在解脱故 。 是 以大品経云 。 菩薩摩訶薩 。 住般若波羅蜜 。 取禅波羅蜜 。 除 諸仏三昧 。 入余一切三昧 ┐四八〇 C 。 若声聞三昧 。 若辟支仏三昧 。 若 菩薩三昧 。 皆行皆入 。 〔書き下し文〕 次に 、八勝処を明かす 。諸の禅定の観縁のなかにおい て、自在を得んがためのゆえな ︶19 ︵ り。 次に、十一切処を明かす。禅定のなかの色心を広く普遍 せしめんと欲するがためのゆえな ︶20 ︵ り。 ないし、六神通を修するも、これ観禅の 摂 しょう によ ︶21 ︵ る。 次に、練禅を明かさば、すなわちこれ九次第定な ︶22 ︵ り。 総じて、前 さき の定・観の二種の禅は、心 しん を 調 じょう 柔 にゅう ならしめ んがためな ︶23 ︵ り。 諸禅に入るとき、心心は次第し、無間なるがゆえな ︶24 ︵ り。
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ および有覚有観等の三三昧も、みなこれ練禅の摂な ︶25 ︵ り。 次に、薫禅を明かす。薫禅は、すなわちこれ師子奮迅三 昧な ︶26 ︵ り。 順・逆の次第に入・出し、諸禅を薫じて、定と観とを分 明に純熟し、功徳を増 ぞう 益 やく せしむるがゆえな ︶27 ︵ り。 次に、 修 じゅう 禅 ぜん を明かさば、修禅はすなわちこれ 超 ちょうおつ 越 三 昧 なり。 諸禅のなかにおいて、超越して入・出し、無礙自在に解 脱を得んがためのゆえ な ︶28 ︵ り 。これをもって 、『 大品経 』 に いわ ︶29 ︵ く。 菩薩摩訶薩は 、般若波羅蜜に住して 、 禅波羅蜜を取 る。諸仏の三昧を除く。余の一切の三昧に入り、もし は声聞の三昧、もしは辟支仏の三昧、もしは菩薩の三 昧、みな行じ、みな入 ︶30 ︵ る。 と。 〔注〕 ︵ 19︶ 次に、八勝処を明かす。諸の禅定の観縁のなかにおい て、自在を得んがためのゆえなり= 「 八勝処 」 は、八除入 とも、八除処ともいう。眼・耳・鼻・舌・身の五官の欲が 存在する世界である 「 欲界 」 の眼の対象である色と形を意 味する色処を観察し、五官の欲を克服して、貪りの心を除 く八段階の修行法をいう。 智顗の 『 法界次第初門 』 巻中之上 ︵『 大正蔵 』 四六 ・六 七七b︱ c ︶は、八勝処を次のように解釈している。 ⑴ 「 内 有 色 相 外 観 色 少 、 若 にゃくこうにゃくはく 好 若 醜 、 是 ぜ 名 みょうしょう 勝 知 ち 勝 しょうけん 見 」 は 、 自我心の中の色に対する執著である内心の色 相の貪著を除くために、執著の対象となる好きな色や醜い 色を少しずつ観察する。これによって、色に対する執著心 を断じるように努め、自在を得ることをいう。 ⑵ 「 内有色相外観色外、若好若醜、是名勝知勝見 」 は、 自我心の中の色に対する執著である内心の色相の貪著を除 くために、執著の対象となる好きな色や醜い色の量を増や して観察することをいう。これによって、色に対する執著 心が働かないように努め、自在を得ることをいう。 ⑶ 「 内無色相外観色少、若好若醜、是名勝知勝見 」 は、 自我心の中の色に対する執著である内心に色相はなく、貪 著することもないが、さらにこれを確実にするために、執
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ 著の対象となる、好きな色や醜い色を少しずつ観察するこ とをいう。これによって、色に対する執著心が働かないよ うに努め、自在を得ることをいう。 ⑷ 「 内無色相外観色多、若好若醜、是名勝知勝見 」 は、 自我心の中の色に対する執著である内心に色相はなく、貪 著することもないが、さらにこれを確実にするために、執 著の対象となる好きな色や醜い色の量を増やして観察する ことをいう。これによって、色に対する執著心を断じて、 完全に働かないように努め、自在を得ることをいう。 ⑸ 「 青 しょう 勝処 」 は 、執著の対象の一つである青色を観察 して、一切の事象に執著する心を生じないように努め、自 在を得ることをいう。 ⑹ 「 黄 おう 勝処 」 は、執著の対象の一つである黄色を観察し て、一切の事象に執著する心を生じないように努め、自在 を得ることをいう。 ⑺ 「 赤 しゃく 勝処 」 は 、執著の対象の一つである赤色を観察 して、一切の事象に執著する心を生じないように努め、自 在を得ることをいう。 ⑻ 「 白 びゃく 勝処 」 は 、執著の対象の一つである白色を観察 して、一切の事象に執著する心を生じないように努め、自 在を得ることをいう。 このうち⑴∼⑷は全て、色界四禅のうちの初禅と第二禅 にあたり、⑸∼⑻は色界四禅のうちの第四禅にあたる。 また⑴と⑵は、先の 「 八背捨 」 の第一にあたり、⑶と⑷ は八背捨の第二にあたり 、⑸∼⑻は八背捨の第三にあた る。因みに、先の八背捨は、貪りの心を捨てるだけで、ま だ自在を得ていないのに対して、この八勝処は、一切の事 象に執著する心をコントロールして、自在を得ているとい う相違がある。 「 観縁 」 の 「 観 」 は 、 真実 、つまり現象界で知覚された すがたをそのまま観察することをいう 。「 縁 」 は 、認識の 対象をいう 。従って 、「 観縁 」 は 、 現象界の対象をありの ままに観ることをいう。具体的には、八勝処の個々の禅定 の中で、好きな色や嫌いな色や青赤黄白をありのままに観 ることをいう。 「 自在 」 は 、一般的には 、一切の束縛から離れたとらわ れのない身心のはたらきをいう。ここでは、色や形を執著 の対象としてものを観るのではなく、あるがままに存在し 現象する事象を観ることをいう。 なお 、「 次に 、八勝処を明かす 。諸の禅定の観縁のなか において 、自在を得んがためのゆえなり 」 と同様の主旨 を、 『 法界次第初門 』 巻中之上の八勝処初門第二十五の項 の冒頭部分に確認できる。すなわち 「 八背捨に次いで、八 勝処を弁ずるは、背捨はよく浄潔五欲の用 ゆう に背捨すること ありといえども、すでにこれ初観にして、縁のなかにおい て、転変していまだ自在に心に随うを得ず。もしは観 かん 心 じん が
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ 純熟して、転変自在なるを得んと欲せば、必ずすべからく 進んで 、︵ 八︶勝処の観を修すべし 。故に次いでこれを明 かす 。故に 『 大智度論 』 に譬えをなしていう 。「 もし人 、 馬に乗りてよく前陣を破せんには、またよく自らその馬を 制す 。」 と 。故に ︵八︶勝処と名づくるなり 。または八除 入と名づく。 」 ︵『 大正蔵 』 四六・六七七b︶とある。 ︵ 20︶ 次に、十一切処を明かす。禅定のなかの色心を広く普 遍せしめんと欲するがためのゆえなり= 「 十一切処 」 は、 一切処とも、十遍処とも、十禅支とも、十一切入とも、十 遍入とも、十遍処定ともいう。十一切処は、三界の煩悩を 厭い嫌って断じ滅する十種の観 かんぼう 法をいう 。すなわち 、「 ⑴ 地大 ・⑵水大 ・⑶火大 ・⑷風大 」 という四元素と 、「 ⑸ 青 ・⑹黄 ・⑺赤 ・⑻白 」 という四色素と 、「 ⑼空 」 という 空間と 、「 ⑽識 」 という心のはたらきとからなる十のそれ ぞれが 、あらゆる場所に広く行き渡って間 かんげき 隙がなく 、欲 界・色界・無色界の三界には、これらの一つ一つが遍満し ていると観じる十種の観 かんぼう 法をいう。 智顗は、 『 法界次第初門 』 巻中之上︵ 『 大正蔵 』 四六・六 七七 c ︱六七八 a ︶ で 、『 大智度論 』 巻第二十一 ・釈初品 中八背捨義第三十四が 「 背捨はこれ 初 しょぎょう 行 のもの 、勝処は 中 ちゅうぎょう 行 、一切処はこれ久 く 行 ぎょう なり 」 ︵『 大正蔵 』 二五 ・二一 五b︶と説く文をもとにして 、「 八背捨を初行 、八勝処を 中行、十一切処を久行 」 として、八背捨を仏道修行の初心 者が実践し、八勝処を仏道修行に慣れてきた中間者が実践 し、十一切処を仏道修行に熟達した人が実践するとしてい る。 智顗は、一般的な経論で説く十一切処の順序を改変し、 『 法界次第初門 』 では次のように説く。 ⑴ 「 青一切処 」 は、前 さき の八背捨・八勝処に還りて、なか の少なる青の色をとり、遍ねく一切処をみな青ならしめる なり。 ⑵ 「 黄一切処 」 は、前の八背捨・八勝処に還りて、なか の少なる黄の色をとり、遍ねく一切処をみな黄ならしめる なり。 ⑶ 「 赤一切処 」 は、前の八背捨・八勝処に還りて、なか の少なる赤の色をとり、遍ねく一切処をみな赤ならしめる なり。 ⑷ 「 白一切処 」 は、前の八背捨・八勝処に還りて、なか の少なる白の色をとり 、︵遍ねく︶一切処をみな白ならし めるなり。 ⑸ 「 地一切処 」 は、前の八背捨・八勝処に還りて、なか の少なる地の色をとり 、︵遍ねく︶一切処をみな地ならし めるなり。 ⑹ 「 水一切処 」 は、前の八背捨・八勝処に還りて、なか の少なる水の色をとり 、︵遍ねく︶一切処をみな水ならし めるなり。
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ ⑺ 「 火一切処 」 は、前の八背捨・八勝処に還りて、なか の少なる火の色をとり 、︵遍ねく︶一切処をみな火の色な らしめるなり。 ⑻ 「 風一切処 」 は、前の八背捨・八勝処に還りて、なか の少なる風の色をとり 、︵遍ねく︶一切処をみな風の色な らしめるなり。 ⑼ 「 空一切処 」 は、前の︵無色界で実践される四無色定 のうち、最下位の空無辺処定にあたる︶虚空背捨の定に還 りて、なかに入り︵遍ねく︶一切処をみな空ならしめるな り。 ⑽ 「 識一切処 」 は、前の︵無色界の四無色定のうち、下 位から二番目の識無辺処定にあたる︶識処背捨に還りて、 なかに入り︵遍ねく︶一切処をみな識を有 あ らしめるなり。 第一の 「 青一切処 」 は、 「 前の八背捨 ・八勝処に還り て、なかの少なる青の色をとり、遍ねく一切処をみな青な らしめるなり。 」 とある。 「 還りて 」 は 、十一切処の修行法に先立つ 、八背捨と八 勝処の修行法に立ち戻って、修行実践することをいう。 「 少なる青の色 」 は 、先の八背捨や八勝処の修行実践の 中で、対象の一つ一つに対する執著心を断ったが、その中 で未だ残る少分の青の色に対する執著心をいう。 「 とる 」 は、観禅の対象とすることをいう。 「 一切処 」 は、観想する宇宙世界の全部をいう。 「 遍ねく 」 は、遍満と同義で、 「 遍満 」 は、あまねく行き 渡ることをいう。 「 青ならしめる 」 は 、宇宙世界が全て青の色一色に覆わ れることをいう。 従って、⑴ 「 青一切処 」 は、八背捨の修行法に戻り、続 いて八勝処の修行法に立ち戻り、対治すべき対象の中に個 別に僅かに残る青の色を観察し、その青の色が宇宙世界に くまなく行き渡っていると観察し切って、主観が入り込ま ない境地を成就する 。この境地は 、宇宙世界を青一色に 観 み 、対象の一々について個別に青の色を観ていない。こう して青の色には固定的不変的な独自の実体がないと、青の 色に対する執著の心を断っていく。 同様に、⑵ 「 黄一切処 」 は、八背捨の修行法に戻り、続 いて八勝処の修行法に立ち戻り、対治すべき対象の中に個 別に僅かに残る黄の色を観察し、その黄の色が宇宙世界に くまなく行き渡っていると観察し切って、主観が入り込ま ない境地を成就する 。この境地は 、宇宙世界を黄一色に 観、対象の一々について個別に黄の色を観ていない。こう して黄の色には固定的不変的な独自の実体がないと、黄の 色に対する執著の心を断っていく。 ⑶ 「 赤一切処 」 は、八背捨の修行法に戻り、続いて八勝 処の修行法に立ち戻り、対治すべき対象の中に個別に僅か に残る赤の色を観察し、その赤の色が宇宙世界にくまなく
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ 行き渡っていると観察し切って、主観が入り込まない境地 を成就する。この境地は、宇宙世界を赤一色に観、対象の 一々について個別に赤の色を観ていない。こうして赤の色 には固定的不変的な独自の実体がないと、赤の色に対する 執著の心を断っていく。 ⑷ 「 白一切処 」 は、八背捨の修行法に戻り、続いて八勝 処の修行法に立ち戻り、対治すべき対象の中に個別に僅か に残る白の色を観察し、その白の色が宇宙世界にくまなく 行き渡っていると観察し切って、主観が入り込まない境地 を成就する。この境地は、宇宙世界を白一色に観、対象の 一々について個別に白の色を観ていない。こうして白の色 には固定的不変的な独自の実体がないと、白の色に対する 執著の心を断っていく。 宇宙世界全体を青・黄・赤・白と抽象的に観て、一切の 執著を超えていくのが、青一切処・黄一切処・赤一切処・ 白一切処の修行法であるが、五番目以後の一切処では、現 象世界に現象する大地・水・火・風を眼前に据えて、固定 的不変的な独自の実体がないと観察し、その執著心を超え ていく。 つまり、⑸ 「 地一切処 」 は、八背捨の修行法に戻り、続 いて八勝処の修行法に立ち戻り、対治すべき対象の中に個 別に僅かに残る大地の色を観察し、その大地の色が宇宙世 界にくまなく行き渡っていると観察し切って、主観が入り 込まない境地を成就する。この境地は、宇宙世界を大地一 色に観 、対象の一々について個別に大地の色を観ていな い。こうして大地の色には固定的不変的な独自の実体がな いと、大地の色に対する執著の心を断っていく。 ⑹ 「 水一切処 」 は、八背捨の修行法に戻り、続いて八勝 処の修行法に立ち戻り、対治すべき対象の中に個別に僅か に残る水の色を観察し、その水の色が宇宙世界にくまなく 行き渡っていると観察し切って、主観が入り込まない境地 を成就する。この境地は、宇宙世界を水一色に観、対象の 一々について個別に水の色を観ていない。こうして水の色 には固定的不変的な独自の実体がないと、水の色に対する 執著の心を断っていく。 ⑺ 「 火一切処 」 は、八背捨の修行法に戻り、続いて八勝 処の修行法に立ち戻り、対治すべき対象の中に個別に僅か に残る火の色を観察し、その火の色が宇宙世界にくまなく 行き渡っていると観察し切って、主観が入り込まない境地 を成就する。この境地は、宇宙世界を火一色に観、対象の 一々について個別に火の色を観ていない。こうして火の色 には固定的不変的な独自の実体がないと、火の色に対する 執著の心を断っていく。 ⑻ 「 風一切処 」 は、八背捨の修行法に戻り、続いて八勝 処の修行法に立ち戻り、対治すべき対象の中に個別に僅か に残る風の色を観察し、その風の色が宇宙世界にくまなく
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ 行き渡っていると観察し切って、主観が入り込まない境地 を成就する。この境地は、宇宙世界を風一色に観、対象の 一々について個別に風の色を観ていない。こうして風の色 には固定的不変的な独自の実体がないと、風の色に対する 執著の心を断っていく。 第九以降の段階は、次のようになる。 ⑼ 「 空一切処 」 は、八背捨の第四の虚空背捨の禅定に入 り、その禅定の中で虚空を観察し、無色界の第一の物質的 な相の束縛を全て滅し、形あるものから精神のみの世界に 至る 「 空無辺処定 」 に入り 、虚空には 遮 さえぎ るものは何もな いと観想し、虚空には固定的不変的な独自の実体がないと 明らかに観想し、虚空に対する執著の心を断っていく。 最後に⑽ 「 識一切処 」 は、八背捨の第五の識処背捨の禅 定に入り、その禅定の中で、無色界の第二の心の作用であ る 「 識 」 が、対象に個別に色をつける分別心を絶し、識が 宇宙世界全てに行き渡って無限であると認識する 「 識無辺 処定 」 に入り、識には遮るものは何もないと観想し、識に は固定的不変的な独自の実体がないと明らかに観想し、全 ての事象に対する執著の心を断っていく。 このように一切処のそれぞれの段階で、必要に応じて八 背捨に戻り、八勝処に立ち戻り、その段階の悟りの境地を 足場にして、青一切処から風一切処まで色を観察し、宇宙 世界は青一色 、黄一色 、赤一色 、白一色 、地一色 、水一 色、火一色、風一色であると観察し、観察した対象は実体 がないと観察し切って、一切処は空であり、識であり、執 著すべきものはないという境地に至る。 「 禅定のなかの色心を広く 、普遍せしめんと欲する 」 の 「 禅定のなか 」 は 、青一切処 ・黄一切処に始まり識一切処 に至る 、 十一切処の個々の禅定をいい 、「 色心 」 は、 物 質 と精神をいい 、「 普遍 」 は 、 広くゆきわたること 、全体に 通じることをいう。従って、青一切処・黄一切処に始まり 識一切処に至る、十一切処の個々の禅定の中で、執著の心 を断った物質と精神とが、遍く宇宙世界に行き渡ることを いう。 参考││ 「 仏旗 」 について 「 仏 ぶ っ き 旗 」 は、 「 仏教旗 」 ともいい 、後述するように 「 六 ろっ 金 こ ん じ き き 色旗 」 とも 、「 六色仏旗 」 ともいう 。仏旗は 、仏教徒が 釈尊の教えを守り、仏の道を歩んで行く時の 「 大いなる旗 印 」 となるものである。 セイロン︵スリランカ︶のコロンボで開催された第一回 世界仏教徒会議において 、「 国際仏教旗 」 として採択され た 「 仏旗の色 」 は、旗の左側から青・黄・赤・白・橙 とう ︵ダ イダイ︶の色を横に並べ 、六列目には 、先の五色を上か ら下へ順に配置した縞 しま 模様の六色からなる 。このことか ら、 仏旗は 「 六金色旗 」 とも、 「 六色仏旗 」 ともいわれる。 仏旗の説明や由来について 、『 望月佛教大辞典 』 や 『 佛
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ 教大辞彙 い 』 などの仏教辞典には記述はない。いまは、仏旗 発祥の地となったスリランカ仏教の歴史について論究し た、前田惠學氏や佐藤哲朗氏らの著書の中で言及する内容 をもとに記す。 ⑴ 仏旗の歴史 仏旗の元となる 「 旗 」 は、かねてより、日本を始め多く の仏教国で独自に掲げられてきたが、仏旗が正式に制定さ れたのは、二千五百年以上ある仏教の歴史からみれば、ま だ日は浅い。 一七九六年から一九四八年の長期にわたってイギリスの 植民地支配下にあったセイロン︵スリランカ︶の人々の生 活は、非常に逼 ひっそく 塞していた。このような状況の中で、アメ リカの退役軍人のヘンリー・スティール・オルコット大佐 ︵一八三二︱一九〇七︶は 、 仏教徒の団結と社会的地位向 上のためには、キリスト教の 「 十字架 」 に相当する 「 仏教 徒共通のシンボル 」 が必要だと考えた。 そこでコロンボの仏教徒達は、委員会を組織して仏教徒 共通のシンボルのデザイン作りに取り組み、一八八五年四 月十七日には、シンハラ語週刊新聞 『 サンダレーサ 』 紙上 にて、 「 新しい仏旗 」 が発表された。 翌月には、植民地体制下で初の公式行事として実施され た釈尊の降 ごうたん 誕・ 成 じょうどう 道 ・ 般 はつ 涅 ね は ん 槃の三つの慶事を一度に祝う 日の 「 ウェサック 」 において、新しい仏旗が掲揚された。 しかし 、この時の仏旗は 、まだ長い 幟 のぼり の形であったが 、 オルコットの助言によって国旗の形式に整えられ、一八八 六年からは、現在のような形の仏旗に確定するに至った。 一九四八年二月にイギリスの支配から独立したセイロン は、一九五〇年一月六日にセイロン︵スリランカ︶共和国 を発足させた。 本旗は、一九五〇年五月にコロンボで開催された世界仏 教徒連盟︵WFB︶の第一回世界仏教徒会議において、正 式に 「 国際仏教旗 」 として採択された。後述するように国 際仏教旗として採択された 「 旗の色 」 は 、 旗の左側から 「 青・黄・赤・白・橙 とう 」 の色を横に並べ 、六列目には、先 の五色を縦に上から下へ順に並べたものであった。 しかし 、昔から日本では 、「 空・ 風・ 火・ 水・ 地 」 を表 わす 「 青 ︵ 緑︶ ・黄 ・赤 ・白 ・黒 ︵紫︶ 」 の五色からなる 「 仏旗 」 を用いていたが 、一九五四年十月に福井県永平寺 で開催された第二回全日本仏教徒会議において、先にコロ ンボで採用された 「 国際仏教旗 」 が、正式な仏旗であると 決定した。日本では常に、仏旗を掲揚している寺院は少な いが、釈尊の誕生を祝う 「 降誕会 」 や、新しい住職が初め てその寺に入寺する 「 晋山式 」 などの行事に掲げる場合が 多い。 ⑵ 仏旗の内容 国際仏教旗として採択された 「 仏旗 」 のデザインは、縦
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ に六本同じ幅で、旗の左側から 「 青・黄・赤・白・橙 とう 」 と 並べ、右側の列は上から、青・黄・赤・白・橙である。但 し、五列目の橙色と六列目の下端の橙色との間には区切り がなく、英語のL字型で表示される。 佐藤哲朗氏によれば 、旗の色の典拠は 、『 南伝大蔵経 』 第四十巻ないし第四十一巻に所収する 『 小部経典 』 の 「 無 礙解道 」 にある、ブッダガヤの菩提樹下で悟りを開いた釈 尊は、自らの身体から、青・黄・赤・白・橙 とう の光を放った という記述があるという。しかし 「 同経 」 を見ても、佐藤 氏が主張する内容を確認できない。 「 同経 」 の大品 ・第一智論 ︵『 南伝大蔵経 』 二四 ・二〇 九︶には、釈尊が 「 対 つ い ぐ じ 偶示導 どう 智 ち 」 という、釈尊の智慧の働 きによって、釈尊の身体の一部である上身や前身、あるい は右肩や右手などからも、猛火の集まりである火 か じ ゅ 聚を出せ ば、逆の下身や後身、あるいは左肩や左手からは水が流れ たとあり 、この時の釈尊の身体は 、 青 ・ 黄 ・ 赤 ・ 白 ・ 緋 ひ ︵深紅色︶ ・ 浄 じょう ︵清らかな色︶の六色であったとある 。 従って、仏旗の色の典拠は、この記述に基づいたものであ ると推測する。 但し、現行の 「 仏旗 」 が、青・黄・赤・白・橙の五色で あるのに対して 、「 無礙解道 」 に 説 く 青・ 黄・ 赤・ 白・ 緋・浄が六色であるという、色の齟齬について、日本の仏 教研究者は誰も述べておらず、その経緯は不明である。 また今日の日本仏教では、一部の僧侶が法話の際に、仏 旗の典拠は 、『 南本涅槃経 』 巻第一 ・序品第一 、及び 『 北 本涅槃経 』 巻第一・寿命品第一に、二月十五日に入滅する 釈尊が 、 その日の朝 、眉間にある 白 びゃくごう 毫 か ら 、 青 色 や 黄 色 などの光を放って、三千大千世界や十方を照らしたとある 記述が、根拠であると説明することがある。 その時に世尊 、 晨 しん 朝 ちょう の時において 、面門より種種の 光を放つ 。その 明 みょうざっしき 雑 色 たる青 ・黄 ・赤 ・白 ・頗 は 梨 り ・ 馬 め の う 碯の光 、あまねくこの三千大千の仏の世界を照ら す 。 ないし十方もまたまたかくのごとし 。 ︵『 大正 蔵 』 一二・六〇五 a ・ 三六五 c ︶ しかし、これは大乗経典の 『 大般涅槃経 』 に基づいた説 明であり、本旗を発案したオルコットが上座仏教圏のスリ ランカに滞在したことや、本旗の採用が同国を開催地とし た第一回世界仏教徒会議で決議されたことを考慮すると、 後代になって主張されたものと考えられる。 また 「 財団法人全日本仏教会 」 によれば、仏旗のそれぞ れの色について、一般的に次のように解釈されることがあ るという。 「 青 」 は 、釈尊の髪の毛の色で 、 心乱さず力強く生き抜 く力の 「 定 じょうこん 根 」 を表わす。 「 黄 」 は、 燦 さんぜん 然と輝く釈尊の身体で 、豊かな確固とした 揺るぎない性質である 「 金剛 」 を表わす。
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ 「 赤 」 は 、釈尊の情熱がほとばしる血液の色で 、大いな る慈悲の心で人々を救済することが、止まることのない働 きである 「 精進 」 を表わす。 「 白 」 は 、釈尊が説法する歯の色を表わし 、清純な心で 諸々の悪業や、煩悩の苦しみを清める 「 清浄 」 を表わす。 「 橙 とう 」 は 、釈尊の聖なる身体を包む袈裟の色で 、あらゆ る侮辱や迫害、誘惑などによく耐えて怒らぬ 「 忍辱 」 を表 わす。 ︹鈴木正 まさたか 崇 『 スリランカの宗教と社会 』 ︵六二一頁 、春秋 社 、一九九六年二月︶ 。 リチャード ・F ・ゴンブリッチ 著 ・森祖道他訳 『 インド ・スリランカ上座仏教史 』 ︵三一 〇頁 、春秋社 、二〇〇五年三月︶ 。前田惠學 『 現代スリラ ンカの上座仏教 』 ︵四八〇頁 、山喜房佛書林 、二〇〇六年 五月︶ 。佐藤哲朗 『 大アジア思想活劇 』 ︵一〇九頁 、サン ガ 、二〇〇八年九月︶ 。財団創立五十周年記念実行委員会 記念誌編纂部会 『 財団創立五十周年記念 』 ︵一三一頁 、財 団法人全日本仏教会、二〇〇九年一〇月︶ 。︺ ︵ 21︶ ないし 、六神通を修するも 、これ観禅の摂による= 「 ないし 」 は 、 AからZに至るまで 、AとZとの中間であ るBからYを略していることをいう 。『 次第禅門 』 の入門 書として、智顗の前期時代︵五三八︱五八四︶後半に成立 した 『 法界次第初門 』 巻中之上 ︵『 大正蔵 』 四六 ・六七五 b︱六七九 a ︶では 、九想 ・八念 ・十想 ・八背捨 ・八勝 処・十一切処・十四変化・六神通の順に、それぞれの意味 内容を説いている。従って、ここの 「 ないし 」 は、十四変 化が省略されているものと考える。 「 十四変化 」 は 、 十四変化心とも 、十四化心ともいう 。 食欲や婬欲や睡眠欲を断じて、全て清浄な物質的な世界で ある 「 色界 」 の第四禅天の境地にある人が、他の境地に変 化する十四種の類型をいう。具体的には、後出の参考の項 を参照されたい。 「 六神通 」 は 、六通ともいう 。人間が本来具えている無 礙自在で不可思議な力であるが、修禅することによって開 発される仏と菩薩の六種類のはたらきをいう。六種の不可 思議なはたらきは、神足通・天眼通・天耳通・他心通・宿 命通・漏尽通をいう。 ⑴神足通は、神境智証通・神境通・身如意通・如意通・ 身通ともいう。あらゆる場所に自在に往来することができ る通力をいう。 ⑵天眼通は、天眼智証通・天眼智通ともいう。世間の全 ての遠近、苦楽、粗細などを見通すこと、肉眼では見えな いものを観る通力をいう。 ⑶天耳通は、天耳智証通・天耳智通ともいう。世間の全 ての言語や音声を自在に聞くことができる通力をいう。 ⑷他心通は、他心智証通・知他心通ともいう。他人が心 中に思う善悪を、ことごとく知る通力である他心徹 てっかん 鑒力を
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ いう。 ⑸宿命通は、宿住随念智証通・宿住智通・識宿命通とも いう。自分はもちろん他人の過去世の生存の状態をことご とく知る通力をいう。 ⑹漏尽通は、漏尽智証通ともいう。煩悩を全て断って、 二度と迷界に生まれないことを悟る通力をいう。 なお、仏と阿羅漢が具える神足通・天眼通・漏尽通の三 通は、特に勝れたはたらきをするから、六神通の中から三 つを別出して、それぞれを神足明・天眼明・漏尽明とし、 これを 「 三明 」 という。 「 修する 」 は 、一般的には 、学ぶこと 、習うことをい う 。ここでは 、自然に開発されて 、身に具えることをい う。 「 観禅 」 は 、 対象を智慧をもってゆっくりと己の心を観 察し、対象となるものの本質を知り、それに執著する心を 対治することをいう 。具体的には 、不浄観の一種である 「 九想観 」 を実践して 、不浄観の対象となる死体を観察し て、肉体への執著や、美なる対象に対する貪りの念や、婬 欲を対治するために実践する修行法をいう。 「 摂 」 は、 「 しょう 」 と訓む 。一般的には 、手に持つこ と、引き寄せること、兼ねることをいう。ここでは、総括 し網羅し内包することをいう。 参考││ 「 十四変化 」 について 「 十四変化 」 は、十四変化心とも、十四化心ともいう。 十四変化は、食欲や婬欲や睡眠欲を断じて、全て清浄な 物質的な世界である 「 色界 」 の第四禅天の境地にある人 が 、 他 の 境 地 に 変 化 す る 十 四 種 の 類 型 を い う 。 な お 「 変 へ ん げ 化 」 とは 、神通力によって 、忽然と姿や形を表わし 、 忽然と姿や形を滅することをいう。 凡夫または聖者が、色界四禅の初禅から第四禅までの根 本定を修めて、 「 六神通 」 のなかの 「 神足通︵神境通︶ 」 を 得て、これを所依として、欲界と色界の種々の事象を変化 する場合、その心︵能変化心︶は、自地と下地とに対して のみ働きがあるから、合わせて十四心があり、これを十四 変化とも、十四変化心とも、十四化心ともいう。 十四変化は、初禅の二変化、第二禅の三変化、第三禅の 四変化、第四禅の五変化からなる。 ⑴初禅には 、初禅天の事象を変化する心の 「 初禅化 」 と 、欲界の事象を変化する心の 「 欲界化 」 との二つがあ る。 ⑵第二禅には、二禅天の事象を変化する心の 「 二禅化 」 と、初禅天の事象を変化する心の 「 初禅化 」 と、欲界の事 象を変化する心の 「 欲界化 」 との三つがある。 ⑶第三禅には、三禅天の事象を変化する心の 「 三禅化 」 と、二禅天の事象を変化する心の 「 二禅化 」 と、初禅天の 事象を変化する心の 「 初禅化 」 と、欲界の事象を変化する
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ 心の 「 欲界化 」 との四つがある。 ⑷第四禅には、四禅天の事象を変化する心の 「 四禅化 」 と、三禅天の事象を変化する心の 「 三禅化 」 と、二禅天の 事象を変化する心の 「 二禅化 」 と、初禅天の事象を変化す る心の 「 初禅化 」 と 、欲界の事象を変化する心の 「 欲界 化 」 との五つがあり、以上を合算すると、十四変化︵十四 変化心・十四化心︶となる。 ︵ 22︶ 次に、練禅を明かさば、すなわちこれ九次第定なり= 「 練禅 」 は 、錬禅とも書く 。智顗が 『 大智度論 』 を基にし て創設した禅をいう。具体的には、後出の参考の項を参照 されたい。 なお 、「 練禅 」 の 「 練 」 は、 生 き い と 糸や布を灰 あ く 汁で煮て白く 柔らかくすること、習熟させることをいう。また 「 錬禅 」 の 「 錬 」 は、鍛えて質をよくすること、練って精巧なもの にすること、金属を溶かして練り鍛えること、金属に焼き を入れることをいう 。従って 、「 練禅 」 は 、よく鍛えて 練って精巧なものにする禅をいう。 「 九次第定 」 は 、 四禅 ・四空処定 ・滅受想定の九種類の 禅定が、智慧が深まることによって、間 かんだん 断なく相続して、 浅いものから深いものへと次第に、一定から一定へと進み 入ることをいう。具体的には、⑴初禅次第定、⑵二禅次第 定、⑶三禅次第定、⑷四禅次第定、⑸虚空定次第定、⑹識 処定次第定、⑺無処有処定次第定、⑻非有想非無想定次第 定、⑼滅受想定次第定の九種類をいう。 参考││ 「 練︵錬︶禅 」 について 望月信 しん 亨 こう 氏の 『 望月佛教大辞典 』 第一巻︵八三〇頁、世 界聖典刊行協会 、一九六五年一〇月︶には 、「 観練熏修 」 の説明と関連して 「 錬禅 」 について、次のようにある。 練禅とは、無漏禅をもって諸の有漏味禅を練し、その 滓 し え 穢を除きて、みな清浄ならしむること、なお錬金術 の法のごとくなるをいう 。九次第定のごときこれな り。ただし阿毘曇熏 くん 禅 ぜん の法も、また無漏をもって有漏 を練すといえども、かれはただ四禅を練するのみにし て、無色界に及ばず。いまは初禅よりないし非想︵非 非想処定︶ことごとくみなこれを練し、一切諸禅をし て 清 しょうじょうじょう 浄 調 柔 にゅう にして功徳を増益せしむるを果とな す。 とある。また、中村元氏の 『 広説仏教語辞典 』 下巻︵一七 五五頁 、東京書籍 、二〇〇一年六月︶には 、「 錬禅 」 の説 明を次のように記す。 錬禅は練禅とも書く 。 観 ・ 練 ・ 熏 ・ 修 じゅう の四種禅の第 二。四禅・四無色定・滅尽定の九次第定をいう。 とある。このように両辞書ともに、練禅は観・練・熏・修 の四種禅のうち第二禅の練禅であり、具体的には、九次第 定が練禅であると記している。 本項では、練禅の意味内容を検討するにあたって、智顗
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ の前期時代︵五三八︱五八四・一︱四七歳︶における教学 の基になった 『 大智度論 』 では、練禅をどのように説いて いるかと 、『 同書 』 の文を受けて智顗は 、自らの著述で練 禅をどのように定義しているか、の二面から考察する。 ㈠ 『 大智度論 』 を中心に 鳩摩羅什︵三四四︱四一三・三五〇︱四〇九︶訳の 『 大 智度論 』 には 、「 練禅 」 という言葉は一箇所に説くのみで ある。 『 同書 』 巻第十七・釈初品中禅波羅蜜第二十八︵ 『 大 正蔵 』 二五・一八七b︶には、次のようにある。 四禅の中に練法あり 。無漏をもって有漏を練 ね るが故 に。四禅に心、自在なることを得。よく無漏の第四禅 を も っ て 、 有 漏 の 第 四 禅 を 練 り 、 し か る 後 に 第 三 ︵禅︶ ・第二 ︵禅︶ ・第一禅はみな自地の無漏をもっ て、自地の有漏を練る。問うていわく、何をもって練 禅と名づくるや 。答えていわく 、諸の 聖 しょうにん 人 は 、 無 漏 定を楽しみ、有漏︵定︶を楽しまず。欲を離れる時、 浄有漏を楽しまずして自得し、今はその滓 し え 穢を除かん と欲するが故に、無漏をもってこれを練る。喩えば、 金を練ってその穢を去るがごとし。無漏もて有漏を練 るもまたまたかくのごとし。無漏禅より起こりて、浄 禅に入り、かくのごとくしばしばす。これを名づけて 練るとなす。 とある。いまは、右の引用文の大意を記せば、次の通りで ある。 欲界の迷いを超えて、色界に生じる四段階の禅定である 四禅のうち、第四禅・第三禅・第二禅・初禅︵第一禅︶か らなるそれぞれの無漏の禅を用いて、それぞれの有漏の禅 に残る滓穢を除去して練り上げていく 「 練法 」 と名づける 修行実践法がある。練法を実践する目的は、四禅に自由を 得るためである。練法の具体的な方法については、色界の 四禅のうち、無漏の第四禅を用いて有漏の第四禅を練り、 第三禅のうち 、無漏の第三禅を用いて有漏の第三禅を練 り、第二禅のうち、無漏の第二禅を用いて有漏の第二禅を 練り、初禅のうち、無漏の初禅を用いて有漏の初禅を練る という 。このような禅定を 「 練禅 」 という 。多くの聖者 は、無漏定のみを好んで実践して、有漏定を好んで実践す ることはない。菩薩を目指す修行者は、欲を離れる時、浄 有漏を楽しまずして自得し、今その滓穢を除こうとして、 無漏でこれを練る。喩えば、金物職人が、金属を精製する ときに金属を打ち鍛え練りあげて、不純物である汚れを取 り除くようなものである。無漏禅を用いて、有漏禅を練る のも同じことである。従って、菩薩を目指す修行者は、第 四禅から初禅の間で 、無漏禅を用いて有漏禅を鍛え直し て、汚れのない、浄禅に入るようにする。これが練法ない し練禅の 「 練る 」 という意味である。 このように 『 大智度論 』 では、四禅の第四禅から始まり
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ 初禅に至るまでのそれぞれの無漏の禅を用いて、有漏の禅 を練り上げていく修行実践法を 、「 練禅 」 ないし 「 練法 」 であると規定している。 また次項で考察するが 、智顗は自らの著述において 、 「 練禅 」 と 「 九次第定 」 という 、そもそも別の概念であっ た両者を結びつけて 、「 練禅はすなわち九次第定である 」 という説を展開する 。しかし 、『 大智度論 』 で 「 九次第 定 」 を述べている部分 ︹例えば 、『 同書 』 巻第二十一 、及 び巻第八十八 ︵『 大正蔵 』 二五 ・二一六 c ・及び六八二 c ︶など︺を検討すれば、 『 大智度論 』 巻第二十一に、 九次第定とは初禅の心より起こって、次第に第二禅に 入り 、余心をして入ることを得せしめず 。もしくは 善、もしくは垢なり。かくのごとくしてすなわち滅受 想定に至る。 とあるように 、『 大智度論 』 では 、九次第定を通仏教的な 解釈である四禅・四空処定・滅受想定からなる九種類の禅 定として捉えており、練禅とは結びつけていない。 ㈡ 智顗の著述を中心に 智顗の著述には 、「 練禅 」 ないし 「 九次第定 」 は枚挙に 遑がない。ここでは、練禅と九次第定とが、同じ文章中な いし文脈に登場する五つの事例に注目して、智顗は、練禅 ないし九次第定をどのように説いているかを考察する。 ⑴ 『 次第禅門 』 巻第一下 ︵『 大正蔵 』 四六 ・四八〇b︶ には、 次に、練禅を明かさば、すなわちこれ九次第定なり。 とあって、練禅を具体的に述べれば、九次第定と同じ概念 であると説いている。 ⑵ 『 次第禅門 』 巻第十 ︵『 大正蔵 』 四六 ・五四六b︱ c ︶では、九次第定を説明する際に、釈名と次位と修証の 三種類から述べるが、このうち釈名の項で、九次第定と練 禅との関係を次のように説く。 九次第定を釈するに、すなわち三意となす。一には名 を釈す。二には次位を釈す。三には修証を明かす。第 一に名を明かす。いまはこの九法は、みな転じて次第 定と名づくるは、上来の諸の法門は、すでに観行はい まだ熟さざれば、禅に入るときに心に間あり。ゆえに 次第定と名づくるなり。行者は、定観の法は、先にす でに成就すれば、いまこのなかに修練し、すでに熟し てよく一禅心を起こし 、次に一禅に入って心は間な く、異念をして入ることを得せしめず。もしは善、も しは垢、かくのごとくないし滅受想定に入る。これを 九次第定と名づく。または練禅と名づく。所以はいか ん。諸の仏弟子は、心に無漏を楽 この みて、先に諸の味禅 を得。今はその滓 し え 穢を除かんと欲して、無漏禅をもっ てこれを練り、みな清浄ならしむるは、錬金の法のご とし 。問うていわく 、「 九次第定を説くなかの練法
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ と、阿毘曇の人の熏禅を明かす法と何らの異なりかあ るをや 」 と 。答えていわく 、「 同 あ り、 異 あ り。 か れ は無漏をもって有漏を練る。いままた無漏をもって有 漏を練る。ゆえに同あり。かれはすなわちただ四禅を 練り、退転を防がんために純を転じて利となす。現法 楽および五浄居に生ずるを明かすがゆえに、ただ四禅 を練る。無色界はすなわち練法なし。いまは、初禅な いし非想 ︵非非想処定︶ことごとくみなこれを練り て、一切の諸禅をして清浄に調柔して功徳を増益せし むることを明かす。ゆえに異なりとなすなり 」 と。下 の修証を尋ねて、自 おの ずからまさに見るべし。 とあって、先の 『 大智度論 』 の錬金術の例えを引用しなが ら、智顗は新たに九次第定が練禅と同じ概念であると規定 している。 ⑶ 『 六妙法門 』 第一 歴 りゃくべつ 別 対諸禅六妙門 ︵『 大正蔵 』 四 六・五四九 c ︶では、数 しゅ 息 そく ・随息・止・観・還・浄からな る六妙門のそれぞれに、インド伝来の修行法を分類する中 で、四番目の 「 観 」 を説明するところで、九次第定と練禅 について次のように説く。 四に観を妙門となすは、行者、修観によるがゆえに。 すなわちよく九想、八念、十想、八背捨、八勝処、十 一切処、九次第定、獅子奮迅三昧、超越三昧、練禅、 十四変化心、三明・六通および八解脱を出生し、滅受 想を得、すなわち涅槃に入る。観を妙門となすの意こ こにあるなり。 とあって、九次第定と練禅を別個に説いており、両者は同 じ概念ではないとある。 ⑷天台教団の中で辞書的役割を担い 、しかも 『 次第禅 門 』 の入門書として智顗の前期時代後半に成立したと考え られる 『 法界次第初門 』 には 、「 九次第定 」 の項 ︵『 大正 蔵 』 四六・六七八 c ︱六七九 a ︶を設けているが、そこに は 「 練禅 」 の語句はない。また、九次第定と類似した修行 内容である 「 通明禅 」 は、阿羅漢以上の聖者が、四禅と四 無色定と滅尽定からなる修行法を実践するが 、『 法界次第 初門 』 の 「 通明禅 」 の項 ︵『 大正蔵 』 四六 ・六七四 c ︱ 六 七五b︶でも、練禅と通明観との関係は説いていない。 しかし 、『 法界次第初門 』 に唯一 「 練禅 」 の語句を説く のは、 『 同書 』 巻下之上︵ 『 大正蔵 』 四六・六八六 a ︱六八 七 c ︶ の 「 六波羅蜜 」 の項で、禅波羅蜜ないし禅について 世間禅と出世間禅と出世間上上禅の三種に分類して説くと ころである。すなわち、 禅に二種あり。一には世間禅。二には出世間禅なり。 世間禅とは、根本四禅・四無量心・四無色定をいう。 すなわちこれ凡夫の所行の禅なり。出世間禅とは、ま た二種あり。一には出世間禅。二には出世間上上禅な り。出世間禅とは、いわく六妙門・十六特勝・通明・
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ 九想 ・八念 ・十想 ・八背捨 ・八勝処 ・十一切処 ・練 禅・十四変化・願智頂禅・無諍三昧・三三昧・師子奮 迅︵三昧︶ ・ 超 ちょうおつ 越 三昧・ないし三明・六通かくのごと き等の禅は、みなこれ出世間禅なり。または二乗の共 ぐう 禅と名づく。 ︵『 大正蔵 』 四六・六八七 a ︱ b︶ とあって、練禅を出世間禅の一つに分類している。 ⑸ 『 法華玄義 』 巻第四上 ︵『 大正蔵 』 三三 ・七一九b︱ c ︶には、出世間禅を観・練・熏・修の四種禅のうち、第 二禅の熏禅に練禅を当てはめて説く中で、練禅は九次第定 であるとして次のように説く。 二に出世間禅を明かさば 、すなわち四種あり 。観 ・ 練 ・ 熏 ・修をいう 。観禅とは 、九想 ・八背捨 ・八勝 処 ・ 十一切処をいう 。︵ 中略︶練禅とは 、すなわち九 次第定なり。上来、八禅を得るといえども、入るには すなわち有間なり。いまは純熟して初めの浅きより、 極めて後の深きに至らしめんと欲して 、次第して入 り、中間に垢 く 滓 し け ん 間穢 え あることなく、不次第の者をして 次第ならしむ。故に次第と名づく。またこれ無漏もて 有漏を練り、もろもろの間 けんこう 穬 を除くがゆえに、練禅と 名づく 。またこれ均 ひと しく諸禅を調え 、定慧をして斉 せい 平 びょう にして無 む げ ん 間ならしむるなり。 『 阿毘曇 』 に熏・練を 明かすに 、ただ無漏をもって四禅に熏ずるというの み。いまは無漏をもって通じて八地を練る。すなわち これ次第に無間三昧に入るなり。 とあって、⑵の 『 次第禅門 』 と同様に、練禅は九次第定で あると規定している。また 『 阿毘曇 』 でも熏禅と練禅を説 くが 、『 阿毘曇 』 では無漏禅によって四禅を熏じるのみで あるが、天台が目指す練禅は、無漏禅によって八地を練り あげていき、順序次第に無間三昧に入ることを目指すと説 いている。なお、右の 『 法華玄義 』 でいう八禅ないし八地 について、智顗は具体的に記しておらずその意味は不明で ある。しかし、荊渓湛然︵七一一︱七八二︶の 『 法華玄義 釈籤 』 巻第八 ︵『 大正蔵 』 三三 ・八七五 a ︱ b︶によれ ば、八禅ないし八地は、根本味禅・六妙門・十六特勝・通 明禅・九想・八背捨・八勝処・十一切勝の八種であるとい う。 以上、五つの事例を整理すると、①∼④となる。 ① 『 六妙法門 』 では、練禅と九次第定は別の概念として 捉えていた。 ②しかし 、『 次第禅門 』 と 『 法華玄義 』 では 、智顗は 『 大智度論 』 に説く 「 練禅 」 という用語を踏襲した上で 、 練禅は九次第定と同じ概念であると新たに規定していた。 ③ 『 法界次第初門 』 は、練禅は九次第定とは別に、出世 間禅の一つとして説かれていた。 ④従って 、『 六妙法門 』 では 、練禅と九次第定は別の概 念として捉えているが 、『 次第禅門 』 と 『 法華玄義 』 で
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ は、練禅と九次第定は同じ概念として説いている。つまり 智顗は 、『 大智度論 』 の 「 練禅 」 という用語を基にして 、 練禅は九次第定と同じ概念であると創出したと考えること ができる。 しかも智顗の最初期の著述である 『 次第禅門 』 に始ま り、後期時代の代表である 『 法華玄義 』 にも説いているこ とを考え合わせると、大蘇山︵河南省商城県︶の慧 え じ 思︵五 一五︱五七七︶のもとで 『 大品般若経 』 と 『 大智度論 』 の 講説を聴聞し、師と別れた後に、建康︵江蘇省南京︶の瓦 官寺で 『 大智度論 』 と 『 次第禅門 』 を八年間講義した智顗 にとって 、『 大智度論 』 で抽象的に説く 「 練禅 」 を、 い か に中国に伝来した数多の修行法と結びつけて説くかが 、 テーマの一つになっていたことと推測することができる。 なお、智顗の著述に練禅と九次第定を結びつけて説く場 合と、別概念として説く場合の矛盾についてであるが、現 存する智顗の著述の多くは、智顗が親しく筆をとって撰述 したものは極めて少なく、智顗の講説を、法慎︵生没年未 詳︶や灌頂︵五六一︱六三二︶を始めとする門人が、筆録 して編纂したものが大部分であるため、齟齬をきたすのは いたしかたないと考える。 参考││ 「 錬金術 」 について 本項では 、坂 さかいで 出祥 よし 伸 のぶ 氏らの論攷を参照して 、「 錬金術の 意味 」 と、 「 錬金術の東と西 」 と、 「 煉 れん 丹 たん の目的 」 と、 「 外 丹と内丹 」 の四つの面から錬金術を記す。 ㈠ 「 錬金術の意味 」 錬金術とは狭義には、化学的手法を用いて、鉛や銅のよ うな卑金属から金や銀のような貴金属を製造しようとする 試みをいう。広義では、金属に限らず様々な物質や、人間 の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬 成する試みをいう。つまり錬金術とは、黄金を作り出す技 術の追求を中心とし、不老長寿の霊薬の調合と重なり合う 中で、広く物質の化学的変化を対象とするに至った古代か ら中世における一種の自然学をいう。 錬金術は、中国やインドやアラビアやヨーロッパなどの 各地域の宗教や哲学と強く結びついており、それぞれの文 化圏ごとに固有の内容をもつ。中世ヨーロッパでは、アラ ビアで体系化された錬金術が精 せ い ち か 緻化され、錬金術の試行の 過程では、種々の金属の精製や、蒸留や昇華法などの化学 的な知識の蓄積を見出しており、現在使われている硫酸・ 塩酸などの化学薬品の発見があった。 従来、錬金術は、詐術の一種あるいは、せいぜい近代化 学の前史をなす克服されるべき疑似科学と考えられえてき たが、今日では、単なる物質操作や薬物調合の技術にとど まらない、体系的な思想と実践とを具備した独自の世界解 釈の枠組みとする見方が有力である。 ㈡ 「 錬金術の東と西 」
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ 前述のように、錬金術は西洋にも東洋にも存在した。西 洋では、エジプトに早くから金属メッキの技術があり、ま たペルシア地方にもそのような技術があった。それらがギ リシアに伝わると、ギリシアの自然哲学と結びついて錬金 術となった。 ギリシアには、宇宙が地水火風の四元素で構成されてい るという思想があり、アリストテレス︵紀元前三八四︱紀 元前三二二︶の 「 元素変化説 」 が生まれた。ヘレニズム時 代︵紀元前三三四︱紀元前三〇︶末期のエジプトのアレク サンドリアは、錬金術の本場になり、ローマ時代に引き継 がれた。彼らの思想では、卑金属の鉛や銅は、欠点があり 病気をもっているので、それを治すには 「 賢者の石 」 ︵「 哲 学者の石 」 ︶が必要であるとされた 。この 「 賢者の石 」 を 用いれば、卑金属を金などの貴金属に変え、人間を不老長 生にすることができるというのである 。このような思想 は、中世のヨーロッパに引き継がれ、医学とも関連して万 病を癒すものと考えられ、錬金術師達は、賢者の石を探し 求めた。 中世のヨーロッパでは、イスラム帝国の勢力が地中海を 挟んで東西にのび、化学を中心とする物質文明には素晴ら しいものがあった。中でも、イスラム帝国では、ジャビー ル・ブン・ハイヤーン︵七二一頃︱八一五頃︶やイブン・ シーナー︵九八〇︱一〇三七︶を始めとする多くの学者が 現われ、錬金術の実験技術も進歩した。イスラム帝国に比 べると 、 中世のヨーロッパでは 、 呪術的傾向が強かった が、神秘的な思想は、実験的精神と抵触することはなかっ た。かえって神秘的であるがゆえに未知なるものに邁進す る傾向があった。十四世紀から十六世紀にかけてのルネサ ンスを経て、十八世紀から十九世紀に移るころは、近代化 学の揺籃期で、化学は医学と結びついていたが、錬金術は この医療化学 ︵ Latrochemistry ︶ の中に吸収されていった。 一方、インドや中国などの東洋でも錬金術は行なわれて いた。特に中国では、西洋以上に錬金術が栄えていた。西 洋の錬金術と中国の錬金術とは、目的が違っていた。西洋 は、黄金そのものを求めようとしたが、中国の錬金術は、 身心を練り不 ふ ろ う 老 長 ちょうせい 生 を求めるのが目的で 、そのため 「 還 かん 丹 たん 」 という不滅の薬を作り、さらにこの丹を化学変化させ て黄金となし、これを液化させて飲めば、金のように恒久 不変の生命が得られると信じられていた。従って、中国の 錬金術は 、「 煉 れん 丹 たんじゅつ 術 ︵練丹術︶ 」 ともいわれ 、宗教的な情 熱が込められていた。 ㈢ 「 煉丹の目的 」 煉丹とは、道教で丹薬を煉 れん 成 せい すること、およびその方法 をいう。煉丹は、不老長生の達成を目指す 「 神仙 」 になる ことを目的とするために、鉛や水銀などを用いて 「 丹 」 を 作る 「 外丹 」 や、体内に精気などを循環させて体内に丹を
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ 作る 「 内丹 」 の双方に関わる。また煉丹の狭義として、硫 黄と水銀の化合した朱色の鉱物である 「 丹 たん 砂 さ 」 を主要な材 料として、金丹を作ることから、外丹を指して、特に煉丹 と呼ぶことがある。 中国では、黄金を服用すれば不老長生できるとする考え は 、戦国時代 ︵紀元前四〇三︱紀元前二二一︶末期には あったらしい 。『 塩鉄論 』 巻第六では 、仙人は金を食ら い、珠 たま を飲んで、天地と同じ寿命を保つようになったとさ れる、という記述がある。また前漢の武帝︵紀元前一四一 ︱紀元前八七在位︶の時、方士李少君︵生没年未詳︶は、 丹砂は変化させると黄金になり 、その黄金で食器を作っ て、それを用いると寿命が益 ま すと、上表している。 このような伝承は、ほとんど具体的な説明を欠いている が 、後漢の魏伯陽 ︵生没年未詳︶の 『 周 しゅうえきさん 易 参 同 どう 契 けい 』 によ ると、金は猛火の中に入れても輝きを奪われることがない とか 、金の性質は 敗 はいきゅう 朽 することがないから 、術士がこれ を服食すると長久の寿命が得られると述べていて、一種の 類感呪術的原理に基づく説明がされている。 ㈣ 「 外丹と内丹 」 天然に産する金そのものは、中国ではほとんど求められ ない。そこで水銀と他の金属とを焼成して合金を作るか、 あるいは微量の金を含有する鉛鉱を高温で溶かし、灰 かいすい 吹法 によって金だけを抽出する。前者は、葛 かっ 洪 こう ︵二八三︱三四 三頃︶の 『 抱朴子 』 内篇黄白篇では 「 黄 こうはく 白術 」 と称されて いる。黄は黄金、白は水銀でこれらの煉成法が説かれてい る。そのうちから黄金を作る場合を、金楼先生が青林子か ら伝授された黄金合成法によって紹介すると左記の通りで ある。 まず錫 すず を鍛えて幅六寸四方 、厚さ一寸二分の板にす る 。赤塩と 灰 かいじゅう 汁 とを和 あ えて泥水にし 、錫の表面に塗 る。その厚さは平均に一分である。赤土の釜の中に重 ねておく。錫十斤に対して、赤塩四斤の割合である。 封をして、縁のところをぴったりと固める。馬糞の火 で温めること三十日。火を引いて蓋を開けると、錫の 中身は全部灰状になっており、その中に豆のようなも のがコロコロと繋がっている。これが黄金である。土 の甕 かめ に入れ 、炭火と 鞴 ふいご で加熱する 。十回鍛煉すると 完成する 。だいたい十斤の錫で黄 、金二十両ができ る。 以上のように、外丹では爐 ろ を築き、鼎か釜のような反応 器の中に、鉛や水銀などの鉱物と塩や灰汁などの中和剤を 加え、高温で加熱し、化学変化を生じさせると合金ができ あがるというのが、基本的な考え方である。 内丹の修煉の起原については、道教の養生法ないし修行 法として古くから行なわれていた様々な体の動きと、深呼 吸によって体内に大気を入れる 「 導引 」 や、摂取した大気
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ を体内に循環させる 「 行 こう 気 き ︵服 ふ っ き 帰︶ 」 や 、 体の一部や体の 内部のそれぞれの部分を司る体内神をはっきりと思い描 き、長く体内にとどめておく 「 存 ぞ ん し 思 」 などに含める説があ る。しかし、内丹の修煉の起原について、定説がないのが 実状である。 一般的に、内丹と外丹とを区別した用法の初出は、南北 朝時代末期の南嶽慧 え じ 思︵五一五︱五七七︶ の 『 南嶽慧思立 誓願文 』 ︵『 大正蔵 』 四六 ・七九一 c ︶ に 、「 外丹の力を籍 りて内丹を修せん 」 とある文であると考えられている。 また隋の開 かい 皇 こう 年間︵五八一︱六〇四︶に、羅浮山の道士 蘇元朗 ︵生没年未詳︶は 、 弟子達に内丹を奨めて 、「 霊 れい 芝 し は八景 ︵身体内に住む八景神︶の中にある 。なんぞ黄 こうぼう 房 ︵黄 こうてい 帝 。 脾臓のあたり︶に向かって 、これを求めざる 」 と 説いており、体内の八景神を存思することを内丹だとして いる。さらに加えて、外丹の最終目的として作られる金丹 に対して、汞 こう =元神=心=龍と、鉛=元精=腎=虎との交 わった結果として、黄帝に金丹大薬が産出されるという比 喩的な説明を行なっている。このような内丹はもはや、そ れ以前の 「 行気 」 や 「 存思 」 とは次元を異にしているとい える。 内丹はその後、唐代の多くの天子が、丹薬を服用して相 継いで中毒死したことによる外丹の行き詰まりの反省を経 て、宋代になると主要な煉丹術として発展し、様々な修煉 法を生み出した 。宋の 張 ちょう 伯 はくたん 端 ︵ 九八四︱一〇八二︶の 『 悟真篇 』 によると 、内丹の要素としては 、「 精 」 「 気 」 「 神 」 があり 、これを三味薬と称し 、また身体の下丹田を 爐 ろ 鼎 てい に送り込んで練り、そこで三味薬が互いに交わり凝固 して、黄帝に大薬金丹を結胎させる、というのが基本的な 考えである。 ︹村上嘉 よし 実 み 稿 「 錬金術 」 ︵山崎宏他監修 『 道教とは何か│道 教第一巻│ 』 二八八頁 、平河出版社 、一九八三年二月︶ 。 坂出祥伸他編集 『 道教事典 』 ︵六一七︱六一八頁 、平河出 版社、一九九四年三月︶ 。荒俣宏稿 「 錬金術 」 ︵下中直人編 集 『 世界大百科事典 』 一九六︱二〇一頁、平凡社、二〇〇 七年九月︶ 。︺ ︵ 23︶ 総じて、前の定・観の二種の禅は、心を調柔ならしめ んがためなり= 「 総じて 」 は、すべて、あわせること、あ つめることをいう。 「 前の定・観の二種の禅 」 のうち、 「 定 」 と 「 観 」 の一般 的な解釈は次のことをいう。すなわち 「 定 」 は、心静かに 瞑想すること、坐禅によって、心のはたらきを臍下三寸の 丹田に集中させて散乱させない禅定をいう 。「 観 」 は、 心 静かな清浄な境地で対象物をありのままに観ること、心静 かに観想することをいう。 しかし、ここでは本文に 「 前の定・観の二種の禅 」 とあ ることから 、既に 『 次第禅門 』 巻第一下 ︵『 大正蔵 』 四
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ 六 ・四八〇 a ︱ b︶で 、「 有漏法 」 として説いた 、四禅 ・ 四無量心・四空処定からなる、十二門禅のことを 「 定 」 と いい 、「 亦有漏亦無漏禅 」 として説いた 、 六妙門 ・十六特 勝 ・四念処 ・通明観の四種類を 「 観 」 というとして捉え る。 「 心 」 は 「 しん 」 と訓む 。人の身心を構成する 「 五 ご う ん 蘊 ︵五陰 おん ︶」 のうち、第二の感受作用の受蘊・第三の表象作用 の想蘊・第四の意志作用の行蘊・第五の認識作用の識蘊の 四蘊からなる、いわゆる心意識をいう。 「 調柔 」 は、 「 じょうにゅう 」 と訓む。適度にほどよく調 和された状態、柔軟で適応能力のあること、あることをな すのに適していること、柔軟性をいう。 ︵ 24︶ 諸禅に入るとき、心心は次第し、無間なるがゆえなり = 「 諸禅に入るとき 」 は、諸々の禅定の状態に入ることを いう。 「 心心は次第し 」 の 「 心心 」 は 、 前出の 「 心 」 と同義で ある。 「 次第 」 は、徐々にをいう。 「 無間 」 は 、間隙がないこと 、分け隔てがないことをい う。 ︵ 25︶ および有覚有観等の三三昧も、みなこれ練禅の摂なり = 「 有覚有観等の三三昧 」 は、有覚有観三昧・無覚有観三 昧・無覚無観三昧からなる三三昧をいう。 「 有覚有観三昧 」 は 、新訳では有尋有伺定とも 、有尋有 伺三摩地ともいう。三三昧の一つ。有覚有観三昧は、粗い 思惟作用の 「 覚 」 と微細な思惟作用の 「 観 」 とがはたらい ている、色界の初禅の境界をいう。つまり、物質的なもの が全て清浄な世界である色界で実践される 「 色界四禅 」 の うち、最下位の 「 初禅 」 にあたるのが、有覚有観三昧であ る。 「 無覚有観三昧 」 は 、新訳では無尋唯伺定とも 、無尋唯 伺三摩地ともいう。三三昧の一つで、色界の中間地の禅定 である中間定をいう。ここには、対象を大まかに追求する 心のはたらきである尋の心所がなく、ただ対象を細かく伺 察する心のはたらきである伺の心所のみがある。 「 無覚無観三昧 」 は 、新訳では無尋無伺定とも 、無尋無 伺三摩地ともいう。色界の二禅以上は、対象を大まかに尋 求する心のはたらきである尋も、対象を細密におしはかる 心のはたらきである伺もないことをいう。 「 練禅の摂なり 」 は 、練禅に総括し網羅し 、 内包するこ とをいう。 ︵ 26︶ 次に、薫禅を明かす。薫禅は、すなわちこれ師子奮迅 三昧なり= 「 薫禅 」 は 、熏禅とも書く 。「 薫禅 」 の 「 薫 」 は 、かおること 、香 こう をたきしたためることをいう 。また 「 熏 」 は 、いぶすこと 、けむることをいう 。従って薫禅 は、蒸してあぶり続ける熏熟のように、諸の禅を精魂を込 めて実践し続け、最終的にはあらゆる物事に精通して、変
『 次第禅門 』 の研究︵十一︶ ︵大野・武藤︶ 幻自在な姿を開顕することができる 。具体的には 、「 師子 奮迅三昧 」 をいう。 「 師子奮迅三昧 」 は 、獅子奮迅三昧とも 、師子奮迅三摩 地ともいう。仏がこの三昧に入ると、大悲の身を奮い、衆 生の素質に応じる威力を現わし、外道や二乗という小獣を 畏伏させる。その様子は、百獣の王である獅子が、勇猛果 敢に突き進むようであるので、このようにいわれる。 具体的には、後出の参考の項に記すように、四禅・四空 処定・滅受想定からなる 「 九次第定 」 を、階段を一段ずつ 登るように、初禅から第二禅へ、第二禅から第三禅へと禅 定のレベルを上げていき、最終的には滅受想定まで実践す る。滅受想定まで進んだら、今度は逆に、階段を一段ずつ 降りるように、滅受想定次第定から非有想非無想定次第定 へ、非有想非無想定次第定から無処有処定次第定へと、一 段階ずつ禅定のレベルを下げていき、最終的には初禅まで 実践する 。牛の革をなめして加工すると 、鞄やベルトや 矢 し ふ く 服などいろいろな物を作ることができるように、修行者 が師子奮迅三昧を実践すると、あらゆる物事に精通して、 変幻自在な姿を開顕することができるという。 参考││ 「 薫禅 」 と 「 師子奮迅三昧 」 の関係について 「 薫禅 」 は、 観・ 練︵ 錬 ︶・ 薫 ︵ 熏 ︶・ 修 の 四 種 禅 の う ち の第三禅である。薫禅ないし熏禅という用語そのものは、 『 大品般若経 』 『 大智度論 』 を始めとする仏教諸経論には見 当たらない。このため薫禅は、智顗が創出した概念である と考えられる。 本項では、智顗の著述にみられる 「 薫禅 」 の意味内容に ついて検討する。 智顗は、以下に記す 『 次第禅門 』 の二つの文章にみられ るように、薫禅は師子奮迅三昧と同じ概念であると説いて いる。 ⑴ 『 次第禅門 』 巻第一下 ︵『 大正蔵 』 四六 ・四八〇b︶ には、 次に、薫禅を明かす。薫禅は、すなわちこれ師子奮迅 三昧なり。 とある。 ⑵ 『 次第禅門 』 巻第十 ︵『 大正蔵 』 四六 ・五四七 c ︱ 五 四八 a ︶では、師子奮迅三昧ないし薫禅は、九次第定を基 本にするという。具体的には、九次第定の最下位の禅定で ある初禅から始まり第二禅へ、第二禅から第三禅へと、階 段を一段ずつ登るように実践し、最上位である滅受想定ま で実践する。続いて、逆に最上位の滅受想定から始まり最 下位の初禅までを、階段を一段ずつ降りるように実践する ことであるという。しかし、九次第定と大きな相違は、師 子奮迅三昧ないし薫禅に通達すると、牛の革をなめして加 工すると、矢 し ふ く 服などいろいろな物を作ることができるよう に、修行者が師子奮迅三昧を実践すると、あらゆる物事に