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教育的文化活動に関する歴史的考察 : 口演童話を中心として

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Academic year: 2021

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(1)教育的文化活動に関する歴史的考察. 論 文. 教育的文化活動に関する歴史的考察. ―口演童話を中心として―. 横浜国立大学大学院教育学研究科 博士課程前期言語文化系教育専攻. 島 田 剛 志 1 本論の目的. して現代的な性格をそなえ始めた」時期に至る途上に. 口 演 童 話とは、明 治 半 ばより発 展、普及した 物 語. あった。制度的には「通俗教育観念の体制化」された. の語り聞かせの呼称である。巖谷小 波による明治29. (4) 時代にあたる。 講話會に社会教育的側面があるとすれ. 年(1896)の実践、あるいは岸邊福雄による明治30 年. ば、同時代の「通俗敎育」の影響を考えることが有効. (1897)頃の実践に端を発し、主にこの二者と、久留島武. と思われる。. 彦の3 名の貢献によって大正期にかけて発展をみた。内. 以上前提より、本稿は次の手順で論を展開する。まず、. 山憲尚は、口演童話の発達を論じるにあたって、状況に. 大塚講話會の活動実態を、特にどのような目的で活動. (1). 合わせて時代を5 期に分けた。 「お伽話時代 (誕生期)」. を展開したかに重点をおきながら明らかにしていく。こ. (明治30 ~大正8 年) 「 、開花期(童話時代前期) ( 」大正. れを踏まえて「通俗敎育」との関連について指摘し、講. 9 ~昭和5 年) 「 、爛熟期(童話時代後期) ( 」昭和6 ~11. 話會の「社会教育活動」団体としての性格について考察. 年) 「 、戦時期(統制時代) ( 」昭和12 ~20 年) 「 、変動期(テ. をしていく。すなわち本稿の目的は、東京高等師範學校. レビ出現後) ( 」昭和20 年~)の5 期である。. 大塚講話會の実態と目的、背景の検討を通して、講話會. 本稿で扱う東京高等師範學校(以下、東高師)大塚講. の社会教育的側面について考察を進めることにある。. 話會が活動を展開したのは大正4 年(1915)以降であり、 この区分でいうところの「お伽話時代」の終盤から「開. 2 大塚講話會の活動. 花期」の頃に当たる。大正の中頃の「開花期」には各地に. 大塚講話會は大きな特徴の一つとして、盛んに校外. 口演童話の研究、実践団体が数多く成立したが、その中. (5) しかし、 での実践を行っていたことが知られている。. で大塚講話會は「口演童話研究及び実践の草分け的団. その盛んであったという校外実践の客観的事実は、講. (2). 体」と位置づけられている。 また一方で、有働玲子は、大. 話會発行の著作中等で部分的に示されるのみであり、. 塚講話會の設立趣旨を論拠としながら「単に学生のおこ. 先行諸研究によってでは明確にされてきていない。最. なうクラブ活動という枠を超えた社会教育活動へと転化. も整理されたものには大塚講話會『桐の花 創立七十五. (3). する徴候を示している」と論じている。 この論に従えば、. 周年記念号』 (1989/10)に掲載されている資料が挙げ. 大塚講話會には、口演童話発展初期の「草分け的団体」. られるが、これは活動の及んだ地域の広さを示すには. としての価値だけでなく、 「 社会教育活動」の団体として. 有用であるものの、内容や頻度を示すには十分でない。. の価値が存在している可能性があることになる。. 従って稿者はまず、校外実践の実態を明らかにするため. しかし、有働を含む諸先行研究によってでは、大塚. (6) (7) に、当時の活動が記述された史料『校友會誌』 、『敎育』 、. 講話會の社会教育的側面は未だ明らかにされていない。. (8) 『桐の花』 をもとに実践を整理した。. これは、直接的史料の散逸によって活動実態の把握が. 本資料により、講話會の校外実践の頻度を確認する. 困難であることが一因になっていると考えられる。活動. ことができる。さらに、学校の休みを有効に利用して. の頻度や内容と、その目的や意図を明らかにして後、講. いること、大規模な聴衆があったこと、初年度は寺の子. 話會の「社会教育活動」としての性格を考察することが. ども会での実施が中心だったこと、次年度以降、対象・. できるだろう。. 会場共に小学校が多いこと等、多くを読み取ることがで. 講話會創設頃の社会教育思想は、明治中期以降の生. きる。これら読み取られる事実の総合が、盛んだったと. 成期から、大正デモクラシー、つまり「はじめて全体と. される講話會の活動の裏付けとなる。. 58.

(2) しかし、講話會の活動が定期的、かつ長期的に行わ. この趣旨は、創立後 25 年に執筆された資料においても. れていた事実は、それら活動がどのようにして継続維持. (13) 近い内容が明記されていることから、 大塚講話會の創. されたかという問題に直結する。会の財源や支援者と. 立以降継続して保たれていた理念だったと判断できるも. いった実際的側面については、大塚講話會編著の著作. のである。. (9). 物の原稿料や印税が効果的に機能していたこと、 OB に よる支援が積極的に行われていたこと(10)によって説明. 私共将来の仕事は申すまでもなく子供相手のもの. ができる。明らかでないのは、実施者たちのどのような. でありますが、この子供相手の仕事に最も大切な. 価値認識に支えられて活動が維持されたかという問題. ことは、子供に對する話し方の研究であらうと思ひ. である。つまり、実施者がどのような目的をもって活動. ます。何故ならば、子供に話すには大人に話すの. したかを明らかにする必要がある。. とちがった特別な話方の工夫が必要だからでありま. 大塚講話會が、単純に口演童話を実施することのみ. す。たとへ同じいことを話すにしましても、工夫さ. を企図した団体でなかったことは、次に示す実践報告. へすれば其の話は平易明快で、子供に與へる印象. (11). (「大會次第」)によっても明らかである。. も深ければ感動も亦強いのであります。之に反して、 この工夫が缺けてゐますと、其の話は不明瞭不徹. ○大會次第. 底で、聞いてゐる子供には不快の念を起させ、又. 一時開會. 話す人の方では考へて居ることの半分すらも傳へ得. 太郎と鸚鵡 會員 榊英二. ないことになるのであります。. 電車、黑い鳥(唱歌) 大塚音樂會員有志. それですから私共は話し方の工夫の第一歩として難. 運の玉 會員 下位春吉. 語や卑語を避け、方言や訛語を除かなければなら. 休憩. ないのは勿論、身振りだの抑揚だのにも注意を拂. 働き男(唱歌) 大塚音樂會員有志. はねばなりません。其の外にも話し方の工夫として. 鼓の腹狸 會員 葛原𦱳. は、さまざまの方面があるだらうと思ひますが、而. ウオタロー(ピアノ) . もそれ等の工夫は実際壇上に立って経験を重ねて. 大塚音樂會員. 露國少年及日本少年談 久留島武彦. 後、はじめて體得することが出来るのであります。. 四時三十分閉會. で、此の修養をする為、本校生徒の間に大塚講話 會を起した譯であります。だからもともと設立の主. ここに示されるように、大會では口演に限らず、唱歌. 目的は會員各自の修養をはかるにあるのですがそ. やピアノが取り入れられている。この事例によってのみで. れと同時に子供の知識修得情操涵養の上にも裨益. は、唱歌やピアノは、あくまで口演の副たるものとして. する所あらんことを合せて望んでゐるのであります。. 扱われていたという推察を逃れないが、大正 9 年 (1920). 以上簡略に本會設立の趣旨を述べまして、以て同. 6 月以降には「活動寫眞」の会、大正 10 年(1921)6. 志の御賛同を請ひ、さゝやかな芽生の健全な發育. 月以降には 「音楽会」も行っていたことが実践整理によっ. を期する所以であります。. て確認された。これは、講話會が、口演を行うことを. (下線は引用者による). 直接の目的としていたわけではないことを示唆している。 すなわち、口演ではなく、 「活動寫眞」や「音楽会」によっ. この「大塚講話會設立趣旨」では、将来教師として. ても達成される目的があった可能性がある。. 仕事をする上で「最も大切なこと」が「子供に對する話 し方の研究」であり、適切な話し方は「実際壇上に立っ. 3 大塚講話會の目的. て経験を重ねて後、はじめて體得することが出来る」と. 1) 「大塚講話會設立趣旨」. している。講話會の主目的は、壇上に立って工夫をもっ. では、大塚講話會はどのような目的のもとに活動を. て話す経験を積むことで「會員各自の修養をはかる」こ. 行ったか。これを確認するには、会設立時に起草され. とにあった。つまり講話會は、当時の東高師学生が自. (12) をみる必要がある。なお、 た「大塚講話會設立趣旨」. らの教師としての力量を形成するために活動を展開した. 教育デザイン研究 第3号 59.

(3) 教育的文化活動に関する歴史的考察. 団体だったということになる。しかしまた同時に、 「子供. 『辯論部』などといかめしい名がつけてあるのに、. の知識修得情操涵養の上にも裨益する所あらんことを. 我が校ばかりは嬉しくも極めて通俗的な、敎育者ら. 合せて望んでゐる」と、子どもたちへの教育的効果も会. しい『談話部』といふ名がつけてある。今の實はこ. の目的に挙げている。以上の記述より、東高師学生の. の名に對しても恥しいではないか。出でて中等初等. 修養と聴衆への教育の二点が講話會の目的だったと判. の學校で、生徒の前に立つ人には、も少し通俗な. 断できるだろう。. 講話の方法・理論の研究がより必要ではあるまいか。 『茗渓會は活きた社會的の事業を興さうと大いに活. 2)下位、葛原の問題意識. 動を初めた。しかも敎育者として最もふさはしい、. この設立趣旨は、下位春吉、葛原𦱳を中心とする最. 有力な、有益な、而して最も必要にして容易なる通. 初期の會員によって設定されたものだが、そもそもどの. 俗講話といふ事業は興さなかつた。殘念ではない. ような意図をもって設定されたものだったのだろうか。. か。やらう。大いにやらう。』. 設立趣旨の文章は平易かつ明瞭ではあるものの、この. と、東京高等師範出身の在京者の誰れ彼れと談. 文によってのみでは、創設者下位、葛原の両名がなぜこ. じ、學校の諸先生と諮り、在校生を説いて、こゝに. のような考えをもち、講話會を構想するに至ったかは不. 蹶起したのが東京高等師範學校大塚講話會であり. 明である。設立趣旨の前提にあるであろう創設者の問. ます。. 題意識を明らかにすることで、講話會の活動目的はより (16) より一部抜粋 ②下位春吉「あの頃」. 明確に理解されるだろう。 創設の時期の問題意識を、下位による次の二つの記. (下線は引用者による). 事にみることができた。なお、特に前者については葛原. その頃(明治 40 年以降、お伽倶楽部に在籍し. も「この會の理想の本質」として別紙上で引用して同意. ていた頃=引用者注)私がしみじみと感じたことは. (14). しているものであり、 両者が同様の考えを持っていた. 兒童に對する話は教育家が第一線に立つて指導す. ことが伺える。. べきものであり、特に地方人のみを集めてゐる高等 師範の學生が教壇に立つ最初の準備として、各自. ①下位春吉「我が母校東京高等師範學校の大塚講話會 (15). に謹んでこの書を呈するに臨みて」 より一部抜粋 (下線は引用者による). の方言を匡正して日本語を修得する為にも必須の 修得であるといふことであつた。 當時の兒童に對する話の會合は敎育家が敎室以. 『通俗講話も一の大きな敎育である。然り敎育で. 外の話の會に出ることはむしろ軽侮の眼を以てみら. ある。敎育であるのに敎育者は案外それに冷淡で. れてゐた嫌がある、又高師では全部入學から卒業. ある。も少し熱心になつて貰ひたいものだ。. まで寄宿に収容してさながら地方方言の陳列所の. 『わが東京高等師範學校は敎育者を養成する處. 如き觀があつた。 (中略=引用者). である。ところが地方から出て來て、地方の者ばか. かういふやうな世間の、新らしい動きと、高師の. りが一緒に寄宿舎に詰め込まれて、方言も直らず、. 狭い詰込主義に不満を感じてゐた私は、社会教育. めいめいの方言を持つて地方に赴任する。折角東. の敎育家の負担すべき事業であり、高師は単なる. 京といふ大舞臺に出て來てゐる間に、も少し東京. 大學模倣の學問學識詰込所たるに止まらず社會大. に接觸してはどうだ。言語の練習及び矯正、通俗. 衆に直接ぶつかることの稽古、換言すれば通俗講. 講話の方法や理論を研究したらいゝではないか。. 話の技術は、必須不可缼の素養であることを確信. 『校友會』に『談話部』がある。しかしそのやる. してゐた。. 事を見ると、全世界を詰襟の學生が片手に握つて ゐるやうに高遠雄大な大議論を新聞や雑誌から切. この二つの文からは、大別して以下の三点の問題意識. り集めて來て、その内容と演題の大袈裟ならむこと. を読み取ることができる。. にのみ維れ腐心してゐる。話し方の練習といふ事は. ・東高師の学生が教壇に立つ準備として「言語の練習及. 度外視してゐるやうだ、よその學校では『雄辯部』. 60. び(方言の)矯正、通俗講話の方法や理論を研究」.

(4) する必要性を感じていた. 三通俗敎育と云ふ三つの三大敎育になるのである。. ・ 「通俗講話」の社会教育上の必要性を感じていた. (下線は引用者による). ・東高師の所与の課程が「詰込主義」だと不満を感じ ていた(17). 「學校以外に於ける敎育の總べてを包含」する「通俗敎. ここには設立趣旨に示された二つの目的につながる意. 育」の社会的必要性の高まりが、明治から大正にかけて. 識が既に表れている。さらに、設立趣旨の内容と比較す. 童話の教育的価値を巡る論考と研究を進展させたことは. ると、明らかな特徴がみられる。それは「通俗講話」と. (19) 既に指摘されてきている。 これを鑑みれば、 「通俗敎育」. いう語を繰り返し用いていることである。例えば、東高師. の考え方が口演童話という分野にも大きな影響を与えた可. の学生が話し方を練習する機会をもつという点では同じだ. 能性は十分にあるといえる。当時の「通俗敎育」という制. が、これを「通俗講話」という語をもって論じている。ま. 度の中で、口演童話はどのように位置づけられていたか。. た、設立趣旨においては二次的な目的かのように示されて. (20) 『通俗敎育講演要領及資料』 は「通俗敎育の講演を. いた児童への教育効果が、これも「通俗講話」 、 「社会教育」. 為す人々の參考書」として編纂されたものである。本書. の必要性という形でかなり強調して書かれている。創設者. は、 「総論」 「皇室」 「國家」 「社會」 「家庭」の各編総. が「通俗講話」という形で社会教育への視座をはっきりと. 計 106 章に渡って構成され、さらに各章において細かく. もっていたことは注目に値するだろう。 「通俗講話」の必要. 同時代の事項を分類して論じている。本書中の分類項. 性という問題意識を前提にもちながら、大塚講話會は口. 目においては口演童話、あるいは口演童話に類する語. 演童話の実践団体として成立するのである。. は見受けられない。しかし、下位が指す所の「通俗講話」 が、公共の場で多数の聴衆に語りかける場をもつことに. 4 口演童話と「通俗敎育」. よって子どもを中心とした聴衆に教育的効果をもたらす、. 下位がいかなる含意をもって「通俗講話」という語を. というものだったと仮定すると、 「興行物」の章に着目. 用いたか。大塚講話會が創設時より口演童話の実践団. できる記述がみられる。. 体として成立したことを考えれば、下位の指す「通俗講 話」と口演童話には強い親和性を認められるだろうが、. 一、種類 茲に所謂興行物とは、活動寫眞、寄席、. 同時代における口演童話と「通俗講話」の関係はなお明. 演藝、演劇、俄、相模等を總稱したのである。土. 確ではない。これを検討するために、まず明治期から大. 地の事情に依りて、此外猶ほ種々なる興行が行は. 正期にかけての「通俗敎育」 について確認する必要がある。. れるのであるが、本章に云ふ處は夫等を總稱する. 明治 44 年(1911)5 月、文部省により通俗教育調査. のであつて、必ずしも右に列擧したゞけに限つたわ. 委員会が設置され、 「通俗敎育」が奨励された。当時の 「通. けではないのである。. (18). 俗敎育」の定義は以下に明瞭だろう。. 二、目的 各種の興行物の目的とする處は、之に 依りて社會一般の人々に對して娯楽慰安を與ふる. 本書に於て述ぶる所の通俗敎育といふ言葉の意味. ということにあるのである。只それ公衆の娯楽と云. は(中略=引用者)學校以外に於ける敎育の總べ. ふことを主眼とするものであるから、一に顧客の意. てを包含したるものを指すのである。即ち學校と云. を迎へ、其の趣味に適應して、人氣を博し利益を. ふ特別の場所に於て特別の生徒に對して特別の日. 獲得しやうと云ふことに腐心するのみであつて、其. 時に、一定の敎育を施す所の所謂學校敎育に相對. に依りて社會公衆の精神上道徳上に如何なる影響. して、學校以外に於ける一切の敎育を包含して以. を與ふるか否かと云ふことに關しては毫も頓着する. て、適當に人々を敎育して行くと云ふ様な側であつ. 處が無のである。是れ實に吾人が此等興行物の上. て、其の範圍は極めて廣く、從つて僅かに日用上の. に深き注意を拂はねばならぬ所以であるのである。. 卑近の事柄に限らず、廣く國民として社會の一員と. 勿論興行物が社會公衆に娯楽慰安を與へることを. して、又家族の一員として必要なる修養の一切を網. 主眼の目的とすることは決して改むる必要はない、. 羅する意味であるのである。 (中略=引用者)教育. 飽くまでも其の目的を完全に達することに對して毫. 事業を分類すれば、第一自育、第二學校敎育、第. も遣算なきことを期しなければならぬのである。併. 教育デザイン研究 第3号 61.

(5) 教育的文化活動に関する歴史的考察. し乍ら茲に吾々の特に注意しなければならぬこと. 通俗教育調査委員会官制が定められたのは明治 44. は、左の諸點にあるのである。. 年(1911)5 月のことである。そして、同年 8 月、東京. 第一、各種興行物の趣旨をして敎育上の要求と一. (21) 広島両高等師範學校に発された通牒が下記である。. 致せしめ、學校敎育の方針と協同合一せしむること。 第二、興行物に依りて國民の趣味を高尚にし、. 通俗敎育ノ施設方法等ニ關シテハ過般來本省通. 高雅にして品位ある娯楽を享けむとする風を成すに. 俗敎育調査委員會ニ於テ調査中ニ有之候得共大體. 至らしむること。. ハ國民道徳ヲ涵養シ健全ナル思想常識ヲ養成スル. 第三、興行物は多人數集合する處なるを以て、此處. ニ在リ而シテ其ノ普及ニ就キテハ道府縣ニ於テハ. に於て公徳心を涵養し、之を実踐する風を成さしめ、. 地方ノ敎育會ヲ活動セシムルハ勿論各學校ニ於テ. 以て善良なる風俗習慣を形成する樣に至らしむること。. モ夫々適當ノ施設ヲナシ且教員ハ講師トシテ務メテ. 斯くの如くにして之を要するに、學校が學生の敎. 講演會等ニ出席盡力可致儀ト存候處貴校ハ師範敎. 育場である如く、各種の興行場は實に社會公衆の. 育ノ中心トシテ地方ノ師範學校中學校等ニ對シ自. 善良なる敎化場である樣にあらしめねばならぬので. 然指導ノ位地ニ被立候儀ニ付學校敎育ノ餘暇ヲ以. ある。斯樣な趣旨目的を以て興行物を實施するこ. テ通俗敎育上適當ノ事業御施設相成斯種敎育ニ付. とになれば、之は實に社會上に於て極めて重要に. テモ之カ中心トナリ御盡力相成候様致度猶本件ニ. して一日も缼くべからざるものとなるのであるから、. 關シテハ豫テ御研究ニ相成居候コトト存候間地方. 特別の注意を要する次第である。. ノ情況ニ應シ御意見有之候ハハ時々申越相成之カ. (下線は引用者による). 施設上十分ノ効果相擧候様一層御盡瘁相成度依命 此段及通牒候也. 当時、口演童話が真に「興行物」に該当したかについて. (下線は引用者による). はなお検討の余地があるものの、この記述は示唆に富んだ ものといえる。 「通俗敎育」により学校外での教育が広く価. 東京広島両高等師範學校に対して「學校敎育の餘暇を. 値を認められた中で、 「興行物」についても三点の条件が満. 以て通俗敎育の為に適當の事業を施設し、又常に其中心. たされれば「社會上に於て極めて重要にして一日も缼くべか. となつて盡力すべき旨を示した」通牒である。しかし、学. らざるものとなる」としている。すなわち、口演童話は「通. 校の法規や内規等各種規定、授業予定等が記された『東. 俗敎育」と成りうる要素を包含していたことになる。. 京高等師範學校一覧』を確認したところ、該当するような. このような口演童話の中で、特に大塚講話會についてい. 事業、活動が行われていた様子は確認できなかった(22)。. えば、実施者が高等師範の学生であったということに加え、. この東高師の状況に合わせて浮かび上がるのが、下. 動機と目的に聴衆である子どもや父兄への教育を掲げて. 位春吉の問題意識の一つに東高師に対する不満があっ. いる。大塚講話會口演童話は、この聴衆への教育という. たことである。下位は、所与の課程が「詰込主義」で. 意図によって三点の 「注意」 を満たしたことにより、 活動を 「通. あったこと、東高師に通俗的な教育事業のないことに. 俗敎育」として意義あるものに位置せしめたのではないか。. 不満を感じていた。下位による東高師のあり方への言及. そして、ここで改めて確認したいのが、下位、葛原の. は、自身のもっていた問題意識だけでなく、同時に、 「通. もっていた問題意識である。大塚講話會の創設動機に. 俗敎育」の社会的潮流、その流れを受けてなお十分な. は「通俗講話」が強調されていた。下位は「通俗講話」. 変化のない出身校の現状を踏まえた上でなされたので. を東高師学生の修養上必要とするのみならず、社会教. はないか。下位が専攻科に呼び戻されたのは明治 45 年. 育上必要なものと位置づけていた。 「通俗敎育」を巡る. (1912)のことであり、既に下位が「通俗敎育」に接し、. 制度の整備と、口演童話がもつ「通俗敎育」としての特. それを意識して「通俗講話」を東高師学生が行うべきと. 性、さらには大塚講話會が社会教育を前提にもちなが. 考えた可能性は大いにある。. ら成立した事実には関連があるのではないか。. ここに大塚講話會口演童話の同時代的価値をみるこ とができる。大塚講話會は、東高師学生の修養を志向. 5 「通俗敎育」としての大塚講話會. 62. しながら、偶発的でなく、明確な志向性をもって「通俗.

(6) 敎育」として機能していた団体であると位置づけられる。. では講話會に対する社会的認識、端的にいえば聴衆が. 既に触れたように、大塚講話會では大正 9 年(1920). 講話會を社会教育的な団体として受け入れていたか、と. 6 月以降、口演に限らず、 「活動寫眞」の会も繰り返し. いう点への考察が不足している。また、口演童話は、教育、. 行われている。 「活動寫眞」は、通俗教育調査委員会. 経済、宗教等種々の同時代的条件の上に成立していたと. においても認定規程が設けられるなど、 「通俗敎育」に. 考えられ、講話會についてはなお検討すべき要素が多い。. おける代表的な事項のひとつである。口演に限らず活動. 今後の課題とする。. の幅をもっていたことは、 「大塚講話會設立趣旨」に示 された二つの目的のうち「話し方」ではない方、すなわち、 「子供の知識修得情操涵養の上にも裨益する所あらん」 という目的を実践レベルで意識していたことを示してお り、ここにも「通俗敎育」への明確な志向性をみること ができる。委員会自体は時を待たず廃止されたが、大 塚講話會は社会教育的志向を継続、維持して活動を続 けたといえる。そして、盛んな活動を続けることが出来 たという事実は、小学校等で積極的に受け入れられたこ と、すなわち、活動が敎育上裨益する所のあるものとし て認識されていた可能性を示唆している。つまり、講話 會の社会教育的側面が、実践者側だけでなく、社会的 にも認められていた可能性が考えられるのである。 6 総論 本論ではまず、大塚講話會の実践を整理することで、 講話會にあったとされる多数の活動を実証的に示すと同時 に、講話會の活動を成立せしめた背景に、 「會員各自の修 養」以外の教育的目的があった可能性を示した。次に、 「大 塚講話會設立趣旨」に「子供の知識修得情操涵養」とい う目的があったことを示し、その前提となる創設者の問題 意識には「通俗講話」の必要性が含まれていたことを明ら かにした。さらに、 同時代における「通俗講話」 「通俗敎育」 の検討を行うことにより、東高師学生による口演童話に社 会教育的側面が認められること、そして、下位がこの口演 童話の社会教育的側面と東高師への必要性を自覚した上 で大塚講話會を立ち上げた可能性を示した。 以上の論に立つことによって、大塚講話會が「単に学 生のおこなうクラブ活動という枠を超えた社会教育活 動」であったと位置づけることが出来る。下位を始めと する学生の問題意識と実践の積み重ねが、同活動をし て「クラブ活動という枠を超えた社会教育活動」と成ら しめた。そして、東高師学生の修養と「通俗敎育」とい う形での社会教育活動性が結節して成立していた点にこ そ、大塚講話会の意義が認められるのである。. 注 (1)内山憲尚「口演童話」 (滑川道夫、菅忠道編『近代日本の児 童文化』(1972/4 新評論 ) 所収) (2)倉澤栄吉「大塚講話会の活動と児童文化」 (滑川道夫編『近 代児童文学研究のあけぼの』 (1989/10 久山社)所収) (3) 「大正期の口演童話―下位春吉・永田光を中心にして―」 (聖 徳大学 『研究紀要 第二分冊 短期大学部 (Ⅰ) 』 第 25 巻 (1992)) (4)小川利夫『社会教育の歴史と思想 小川利夫社会教育論集第 二巻』(1998/1 亜紀書房 ) 参照 (5)例えば日本児童文学学会編『児童文学事典』 (1988/4 東京 書籍) 「大塚講話会」の項(執筆:倉沢栄吉)に「大正年 代から昭和戦前期にかけ、数百回の巡回口演を行っている」 とある。 (6) 東 京 高 等 師 範 學 校 校 友 會『 校 友 會 誌 』18 ~ 92 号 (1909(M42) ~ 1930(S5 最終号 ))まで調査。 (7)茗渓会『敎育』311 ~ 606 号(1909(M42) ~ 1933(S8))ま で調査。 (8)大塚講話會『桐の花 創立二十五周年記念特輯號』 (1940/5) (9) 「 『実演お話集』の印税がすべての会の運営をまかなってくれ たのです」 (小菅茂生「会のあゆみ」 (大塚講話會『桐の花 創立七十五周年記念号』 (1989/10)所収)という回想や、 石井庄司 「 『実演お話集』の刊行に至るまで」 (大塚講話會 『実 演お話集』第9巻 (1989/10 大空社 ) 所収)における著作の 原稿料と印税についての記述が参考になる。 (10)大塚講話会『桐の花 創立七十五周年記念号』(1989/10) (11)東京高等師範學校校友會『校友會誌』48 号(発行年月不明、 1918/7 頃のものと推測される) (12)大塚講話會 『実演お話集』第9巻 (1989/10 大空社)所収 「史 料」より (13)例えば「特に國語敎育において、現在活潑な動きをみせんと しつゝある「話し方・聽方」研究の指標として、重大な役割を 擔はんとしてゐます。獨り國語敎育の上のみならず、私共は 常に敎育者であるといふ立場を離れないでこの問題を研究し 子供のため、 「お話」のために盡したいと些か努力してゐる 次第であります。 」といった記述がみられる。( 大塚講話會 『桐 の花創立二十五周年記念特輯號』 (1940/5)) (14)葛原𦱳「大塚講話會」 (茗渓会『敎育』412 号 (1917/7) 所収) (15) 下位春吉『お噺の仕方』 (1917/2 同文館)所収 (16)大塚講話會『桐の花 創立二十五周年記念特輯號』 (1940/5) 所収 (17)この点については既に有働玲子が「大正期の口演童話―下位 春吉・水田光を中心にして―」 ( 『研究紀要・第二分冊 短期大 学部(1) 』25(1992 聖徳大学 ) 所収)において指摘している。 (18)山松鶴吉『通俗敎育講演要領及資料』 (1912/2 實文館) (19)ここでは向川幹雄「蘆谷重常著『教育的応用を主としたる童 話の研究』解説」 (上笙一郎、冨田博之編『復刻叢書日本の 児童文学理論別冊 児童文学研究の軌跡』 (1988/3 久山社) 所収)を参照した。 (20)山松鶴吉『通俗敎育講演要領及資料』 (1912/2 實文館) (21)文部省『明治以降教育制度発達史』第 6 巻(1938/5 発行 1997/2 再刊 龍吟社) (22)明治 44 年より大正 4 年までを対象に確認した。. なお、前項末で可能性として示したが、本稿によって. 教育デザイン研究 第3号 63.

(7) 教育的文化活動に関する歴史的考察. 資料:大塚講話會の大正 4 ~ 10 年 (1915 ~ 1921)活動状況(雑誌『敎育』 、 『校友會誌』 、 『桐の花』より作成) 年. T4. T5. T6. T7. 64. 活 動 ※創立許可 四谷西念寺こども會 お伽學校主宰こども會 本郷中央會堂 第一回お話大會 四谷西念寺こども會 第二回お話大會 本會小會 深川不動寺こども會 攻玉舎中學校主宰少年講話會 千葉縣下講話旅行(7 校) 御殿町小學校 豐島師範學校附屬小學校 千葉縣葛飾小學校 千葉女子師範附屬小學校 お話大會 牛込藥王寺町長嚴寺少年會 南葛飾郡松江小學校講話會 麻布笄町小學校お伽會 第三回お話大會 牛込長嚴寺少女會 本鄕の凌雲寺子供會 山形縣下小學校 兵庫、姫路お話旅行(約 10 校) 本鄕靈雲寺 林町小學校 府下松江小學校 牛込長巖寺 下谷大正小學校 第四回お話大會 本鄕靈雲寺 赤坂氷川圖書館講話會 本鄕靈雲寺 群馬地方お伽旅行(5 校) 茨城地方お伽旅行(8 校) 第五回お話大會 御殿町小學校お話會 校外お話大會(4 ヶ所) 第六回お話大會 明治子供會 學藝會父兄會 林町小學校子供會 茨城縣下(古江結城下地方)お伽旅行(5 校) 本會主催の小會 關山氏主催の子供會 お話の會 南葛飾郡の鹿木小學校 岸邊氏の少年動物愛護會 四谷區第三小學校 第七回お話大會 大阪、岡山地方お話旅行(約 20 校) 尋三迄の子供の會 尋四以上の子供の會 お話大會 市内小學校等 校外お話會(11 ヶ所) お話大會 秋期大會. 月 日 詳 細 2 月 13 日 3 月 14 日 3 月 21 日 3 月 29 日 6 月 6 日 講堂 6 月 13 日 9 月 25 日 10 月 2 日 10 月 24 日 12 月 22 日 1月2~7日(うち 5 校で約 4600 人参加) 1 月 15 日 1 月 22 日 1 月 23 日 1 月 30 日(約 400 人参加) 2 月 12 日 5 月 20 日 5 月 21 日(約 480 人参加) 5 月 26 日 5 月 27 日 大講堂(約 1000 人参加) 6月3日 6月4日 夏期 3週間程度のうちで約 60 回実施 7 月 11 ~ 20 日 9 月 17 日 10 月 7 日(約 600 人参加) 10 月 17 日(約 900 人参加) 10 月 21 日 10 月 26 日(約 1300 人参加) 10 月 31 日 敎育家及び父兄対象(約 1000 人参加) 11 月 5 日 11 月 19 日 ( 約 1000 人参加) 11 月 26 日 12 月 24 ~ 26 日(総計約 4700 人参加) 1 月 3 ~ 7 日(うち 6 校で約 4000 人参加) 2 月 3 日 附屬小學校講堂(約 1500 人参加) 2 月 10 日(約 500 人参加) 2 月 11 日 2 月 24 日 講堂(約 2000 人参加) 2 月 25 日 深川小學校 3 月 17 日 橫濱小學校(約 1200 人参加) 3 月 29 日 4 月 5 ~ 7 日(うち 2 校で約 2600 人参加) 4 月 14 日 青柳小學校 4 月 22 日 礫川小學校 5 月 6 日 黑田小學校(約 400 人参加) 5 月 13 日(約 350 人参加) 5 月 27 日 東洋家政女學校(約 400 人参加) 6 月 9 日(約 600 人参加) 6 月 10 日 大會堂(約 300 人参加) 7月 11 月 18 日 講堂 11 月 23 日 大講堂 2 月 23 日 講堂 3 月末まで 十数回実施 4 月以降 5 月 19 日 講堂 10 月 20 日 講堂.

(8) T8. お話大會 お話會 静岡、京都、長野等お話旅行 お話會 校外お話會(4 校) 秋期大會 小石川明化小學校 本郷眞砂小學校 大會(午前、午後二回) 麹町區小學校 豐島師範附屬校 荏原郡入新井小學校 第二十三回お話大會 第一回活動寫眞會 北陸地方お話旅行. 4 月 26 日 6月8日 夏期 9 月 27 日 秋期 11 月 9 日 2月1日 2月8日 2月9日 2 月 11 日 2 月 15 日 2 月 22 日 5 月 16 日 6 月 12 日. 7 月 4 ~ 15 日. T9. 廣島地方お話旅行 近畿地方お話旅行. 7 月 9 ~ 12 日 7 月 15 ~ 27 日. 九州地方お話旅行 8/31-9/11. 大宮と浦和の女師 校外大會 第二回活動寫眞大會 前田捨松氏主催大會 渡邊年氏主催 市内各小學校、双葉會、山梨師範等 千葉地方お話旅行 茨城地方お話旅行 第三回活動寫眞大會 第一回子供のための音楽会 北海道方面お話旅行. 關西地方お話旅行 T10. 大阪市小學校聯合山林學舎講師として お話大會 お話會 深川等市内各地 東京兒童保護協會 秋季大會. 9 月 22 日 10 月 9 日 10 月 30 日 不明 不明 不明 12 月 19 ~ 25 日 1月4~6日 5 月 21 日 6 月 11 日. 講堂 附小 附小. 大講堂. 講堂 講堂 高田市(高田日報主催) 新潟市 富山市 高岡市 金澤市 福井市 敦賀町其他 廣島市敎育會及中國新聞主催 伏見 大阪 福岡市 長崎市 小倉市 久留米市 ( 今期お話旅行合計講演回数 113 回) 礫川小學校 講堂 日本區常磐小學 南多摩郡日野町 二学期合計 25 回. 葛原𦱳作品発表会、本校講堂 青森市 室蘭區 札幌區 7 月 10 ~ 28 日 小樽區 函館區 其他 奈良市 和歌山市 7 月 13 ~ 28 日 和歌山縣海草郡各地 大阪市 其他 8/3 より約 10 日 同學舎所在地の和歌山縣高野山 (今期お話旅行合計講演回数 190 回) 9 月 25 日 マラソンの日 大宮小學校、埼玉縣幸手町のフタバ會 不明 毎日曜日 10 月 17 日 本校講堂. ※本資料は以下昭和 14 年度まで調査したものの一部である。なお、資料作成に際して、記述が不明瞭なものは省略した。そういっ た表中に示していないものや、通例化して活動記録として残されていないものがあった可能性を含めると、実際の講演回数はさ らに多いものと考えられる。. 教育デザイン研究 第3号 65.

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参照

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