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七 本 思 墨 身 徴 宗 明 亜 民 異 宗 悌 吾 日 容 面 妙 ひ 組 延 笑 数 る 細 衆 ・ の 敬 子 組 蓮 山 倖 の 御 の : 的 い 亜 の 宗 現 の ご 上 頭 へ 師 ま 入 自 j生 世 の 宗 教 象 進 三 人 を l 山 然 ; 命 界 回 数 へ に む 階 の 言 慕 に を : : の へ ぎ 化 の 調 べ 傭 見 : ひ:懐 j ;深:め i 道すき法 1~て!ふ
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史観
吉 三 間 石 三 幅 竹 矢 中 方 矢 近 丸 撞 高 口 回 恵 国 義山
題
藤 恵 野 錬 哲 屋 敷 谷 智 多 快 山 一 木 津 井 緑 宮 夢 木 滞 回 碧 忍 − i t − −z
遜 ・ i z − − 三 孝 z i − − − 一 一 一 口 聴 ・ : ・ : ・ ・ 一 重 明 l ・ t ・ − 実 源 i t − − − 四 一 一 海 − i ・ e ・ − 望 秀 ・ i t − − 回 世 間 山 − t i − − Z ロ 歩 ・ : ・ ・ : ・ 喜 一 達i
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− − 五 回 線 ・ i t − − 素 質 − t i − − 天 建i
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− − 穴 一 洞 t i − − − 盃ロ 天 理 を 訪 れ て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 矢 野 錬 明 z i − − − 歪 ロ 鮮 支 族 行 の 記 − − − − − − − − − − − − − − − − ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 方 哲 源 ・ i z − − 苫 口 近 究 十 首 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : : : : ・ : ; : : ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : ・ ・ ・ 黒 崎 奥 志 雄 it − − 克 巳 涙 の 光 ・ ・ ・ ・ ・ : : : : ー ュ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : : ・ : : : : : i : 2 : ・ ・ ・ − − − a ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : : : : : : = 吉 田 孝 秀 ・ i t − −
8
ロ 除 夜 の 鐘 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : : : : = : : : : ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : : : : z・ ・ ・ ・ : : : 矢 野 鎌 明 : ・ ・ : : 八 一 品 目 戚 謝 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : : : : : : : : : : : ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : ・ ・ ・ ・ ・ : ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : : : : ・ 繭 士 泰 量 : ・ : : ・ 金 口 短 歌 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : J i : : ; : : : : : : : : : ・ : 1 : i i i : i 石 井 線 線 ・ i t − − 会 ロ ア ニ ス シ ア ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : : : : : 2 歩 牛 生 it − − 金 口 弱 き も の の 嘆 き ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : : : : i ; iji : ; : ; 黒 崎 輿 志 雄 ・ i t − − 八 九 ロ 天 上 さ 下 界 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : : ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ − t ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 橋 爪 要 − t i − − 九 一 一 口 或 る 男 ご 信 仰 の 巡 査 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 木 村 錬 戒 i i t h − − 一 口 悌 様 ご 道 す が ら ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : : t t ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 田 代 静 山 z i − − − 宅 口 編 輯 後 記 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : : : : : : : : : ・ : ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : : : : : : : : i i i i i i : : ; i i i i i i 吉 一 口 同 窓 曾 曾 報 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ : : : : t z : : : i : ii : : 一 口 一 痕務部報 j i − − : : j i − − : : : j i − −. . . . . . . . .
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・ ・ ・ ・ ・ ・ : : : : ・ : : ii : iii : : : : iiiijijiE 一 運動部報. . . . . . . . .
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思
想
善
導
思想善導さは一体ぜういふこさでせう。 新来の西洋的の共産主義ごか、ポ Y ジ旦ピキーさいった過激思想が一克になって.共産黛事件のや うな己阻まはしいこ之が起ったので、そこで左傾思想を防止するさか、思想善導ごかい l ふこごが起 って来たのr
z
想ふ D 思想善導には何か警察擢ごか、警察力ごかいふものが加はってゐるやうに想ふが如何です。 きうだ共産黛事件の勃費が動機で思想善導ごいふこさがいひ出されたから、思想善導ご警察カタ﹄ 何か直接関係がめるやうにも見ゆるが、 一体思想を取締るに警察力を以てするさいふこさは元よ り徹底せ泊こさで、それは唯一時の方便なり、過程なりにすぎなν
r
らう o 矢張思想は思想を以 て善導するより外に道はないでせう。 然らば時代思想を善導するに如何なる思想を以てすべきや。 時代思想を善導するには、ざうしても一歩時代より高き地歩を占むる高次的思想を以てすべきに三 想 ふ 。 A それはどういふ思想です? B それこそ吾日蓮聖人の濁創法華経本門﹁我質成悌﹂の稗鋒の久遠質成を設ける下の文底の秘奥本 魔法門に之か?さ想ふ口 A その本質法門ごはざうレふのです c B 一言にして、先天本有に、宇宙、閥際、岡家、世曾、個人の一切が、絶野人格、寄量文成の無始 本 一 悌 ご い ふ 絶 封 無 限 曾 の 育 み 、 大 慈 賂 を 受 け て 本 来 救 は れ て を る ﹁ 時 一 一 我 ︵ 柑 川 町 ︶ 及 衆 併 ︵ 鳩 蜘 ︶ 供 一 出 一 一 軍 粧 品 山 \ ︵ 肘 明 一 蹴 一 岬 ︶ ﹂ の 白 血 買 に 礎 足 す る こ ご が そ の 致 の 出 接 貼 で 、 そ れ か ら 以 后 の 悶 果 は こ の 本備に劃する戚激の浅深のみ。之を本質呆上の悶果即も従果向因の義ごする o か
1
る本質門の庭 の戚激にして初めて信仰の最高償値を許し得る o か1
る本質門の園に吹ける四恩の花にして、初 めて報恩道の道徳の最高債値を許し得る口 無始本悌先天本有の無限の大悲ご救梼に目さめての戚激報思の前には、普通の相劃的なる信仰論 道徳論は、大海の前の百川のみ。げに本管内の信仰道徳は百川を朝宗せしめてなは除りめる大海 の如き絶劃の一道であらねばなら泊。 A きすれば時代思想善導には、偏に日蓮昌人の本費門の信仰道徳に限るごいふのですネ o 然らばその 修 行 法 如 何 。 B 日蓮聖人の行法は信を措いて外にはない D 信即行で、本畳の自費、法悦、戚激ぞれが信であムリ、 叉行でめる o 然して之を正しく口業に顧す、それが本悌所輿の本法題目を不惜身命に唱ふるこご で あ る c A 一体題目ごは何です? B それは先天本有に、宇宙、国際、岡家、枇曾、例人を救携すぺ︿巳むに己まれ十ごする無始本悌 の願行の結品であって、本悌の大智恵光明ご本備の大慈悲雨露の二つに壷きてをる口然して之を 唱ふる所に本有の救梼の自覚ご共に、絶大の戚激の涙が金涌し来るであらう。 ﹁稗働時の悶行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す、我等此五字を受持すれば自然に彼の悶果 の功徳を譲輿へ給ふ﹂ ﹁本費の家には成悌の語なし﹂ ﹁日蓮等の類南無妙法蓮華経ご唱ふる者は奥如来共宿の者也﹂ か
l
る絶大の戚激の涙の註る所に左傾思想何の顔せめりや、共産主義何の偉力かめる、ポ U F ジ エ ピ キ1
果して何ぞや。 思想善導の日本刻下枇曾の全面に叫ばる3
時、五日人はその最高の救済手唯五日家のユチレニズムの生粋本魔法門にありの警鐘を乱打するに鴎跨せぬ。然り何の鴎踏する所がめらうぞ。 A ゃ、あ L リがたう、御かげで異の意味の思想善導が飲み込めたゃうです。 B 法悦戚激の表現にて幕。
日
蓮
聖
人
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見
、
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3
悌
教
史
観
恵 官 向翠
、
田
開目秒、本管秒、撰時齢、報恩紗等を中心ごし・有ゆる組書に顕れたる所を綜合して聖人の傭数史 観を考察するに、聖人の頭仁はにしかに傍系働数史さ正系悌敦史ごいふ二つの史観が存したこさを肯 き得る。傍系偽致史ごは非法華経中心の働数史で、今日行はれつl
める三園偽数費途史が方にそれだ.
正系悌敦史ごは法華経中心の偽数史で、この中じも正ご問ごが立つ。問ごは光宅、嘉群、慈恩.一行 聖 徳 太 子 ︵ 同 腕 v h 依︶慈費、智証、安然、悪心、檀那その他各宗高借の扱へる法華経観の歴史がそれr 0
.
正ごはその純粋に約して秤骨、天台、侍致、日還の究第なる三園四師の法華僑燈史がその一、更に一 部唯遮の迩化天台侍致の法華観より、 一部唯本本化日蓮の法華経観の如何に法華の中心生命に飛躍せ 5 るかを一不す方面の超歴史的なる本偽秤曾、本化上行、日還の次第に立つ法華侍燈史がそのこだ。普通 前者を吾組外相承の次第、后者を内相承の次第、前者を歴史的、后者を超歴史的ご見てをる o 前者の6
外相承を更に敷術すれば、印度に於て龍樹、天親、支那に於て法華侍諜の羅什三識を加ふべきが如し 以上の如き傍系偽散史吉正系偽致史の二つの史観が頭に存して、是に於て本門立脚の法華経親、本化 濁特の題目宗の宣揚さ共に、封悌敬語宗の横縦の批剣 Z して頴れし、それが日蓮宗串ごいふものであ る。殆ざ吾組ぜ同時代の悌致問学者なる凝然の如きは静的なる純偽数史家なるに封して、五口事人はさす がに本門立脚の信に立つ白熱の法華経行者なるだけ仁、その史観に於て嘗然傍系ご正系ご二つの史観 め h し事を珠想せやじは聖人の劃諸宗抗剣の数義は解粋し難いのである o 傍系偽致史さ正系悌数史の差異は、法華経に劃して相封慣値の見解に立っか、絶品剖偵値の見解に立 っかに依て別れる。従て傍系悌散史ごは一般の三岡偶数後遺史の謂ひ、E
系偽教史さは三闘の法華侍. ,
燈史の謂ひである o 中に於ても聞の侍燈史は法華に封し相封債値の見解に立つから、掘して傍系悌数.
史に属し、今は法華に脅し絶野積値の見解に立つ三国仁於ける正の法華侍燈史を意味する o 玉大部中 心の姐書会第に二つの史観の材料はたしかにある、然し前者の存在は后者の縛めの存在のみ。事人の 史観の中心は后者に存する。然らば聞を去れる異の正系悌散史観何ぞや 3 それは偽滅后の随分を以て 大悲経、善見倖等の指示に基き正像末の三時に別ち、又大集経の指示に依り右の三時を更に五ケの五 百歳に別も、法華経薬王品の后五百歳康宣流布の文を有意義ならしむる見方の悌数史観でめる c 既 に いへる如く正系偽数史観ごは法華経に封し絶封債値を認むる見方でめる o 然して法華経の内容は前権后賞、問権額賞、開悲願本がその内容である。ごいふこ三は法華一部の中、部一門は昔法相封、本門は 法本相封でめって、法華一部は要するに昔泣本三重の次第を明にするものである o 経典の成立研究に波頭する史的研究の立場から、天台の五時判を兎や角レふこごが今の流行のやう である。然るに法華以外の諸経さ法華経ごの必然的関係を明にし、前樺后賞、問権頴賞、閲遮.臨本ご いふこさが三世諸備説法の通規なりさして、法華経を一一明諸経ご関係 e つけて所有経典の最後的結論の 位地仁置くぺ︿開展された、ゐの五時入数剣の有ゆる数剣中の最優の数剣どあり、従て后世偽敬史上 に輿へたる影響も叉最第一なるに於て、天台の眼識の非凡に劃して驚歎すべきは自他の共許する所で あ る c 史的研究の立場の外に数躍的或は理想的研究の立場を強想し来る時、天台の見方は依然ごして 一方の樫戚でめらねばならぬ口吾聖人の正系悌致史観は天台ご全然立場を同うして泣本の匝別を究査 せる点じ於て、天台より百尺竿頭に一歩を進めしものに c 在世の偶数は要するに昔泣本の関係に過ぎない c 蓋し華厳、阿合、方等、般若の諸経は、小乗若︿ は権大乗であって、機根未熟の矯めに且く潟貫施擢せしに過ぎ晶、巳に四球三敬を聞出して彼等を誘 披閲導して今正に法華の異質を開示すべき時至
h
、前の錦貫施権を牧めて問権額賢し水ゆる、ぞれが賢 相論、悌性論を開示せる法華経控門の所説である o 故に謹門は方に昔迩相勤さいふぺきに。更に本門 は傭陀の本地を説き、今番の稗迦は勿論、有ゆる悌々例へは禰陀、薬師、大目、大仰等、要するに毒8
.
.
量本悌の本に劃すれば霊法のみさ喝破したむ即も本門の開悲願本は方に控本相針ごいふべきr D
か や うに見て来るさ、在世の偽敬一代五十年の所説、要するに昔迩本三重の次第のみ。然してこの三重の 次第それが法事泣本二大数義の骨旨を錯す c 然り而して減后三時の悌数史、亦買に昔逃本三重の次第 に す ぎ mHJ ﹂見る、それが吾華人の正系傭散史観ごいふものr
。 悌数さは大集経に依るに、第一の五百歳を解脱堅固︵時︶の時、第二の五百歳を蹄定堅固.
の時ごして、共に昔の小乗権大乗流布の時吉見るのである。印度に於ては小乗二十部の分裂、乃至ムハ 蓋し正法 百年の馬鳴、七百年の龍樹、九百年の世親無著の時代より那欄陀殺事の時代が正しくそれにつ次に像 法悌数ごは第三の五百歳を多聞堅固の時ごし、支那に入て六朝時の惇誇悌敬より、光宅等を中心させ る両三北七の諸仮を経て、その中心を陳陪二朝の天台大師ざするのである。法華経悲門に立つ一一部唯泣.
の法華観を迩ご名づける。日疋れ恋の教義ごして滅后に頴れし第一次である。支那の偽敬史は要するに 天台中心の悌数経典侍諜若くは悌数々剣の歴史に外ならぬ。支那の偽数史から天台大師を取りきる事 は、日本の悌致史から叡山悌数を取り除いたやうなものだ。天台大師中心の羅什、玄枇粋であり、賢首、 嘉群、慈思、三三臓、達磨、善導、道宣等であらねばならぬ。更に同じく像法にして、第四の五百蔵 を多港塔寺堅固の時ごする。その中心を平安朝境頭の侍敬大師ごなす。侍致の悌敬を以て園、密、躍、 戒の四宗相惇ごいふが、密蹄の二は后の附曾多きにをり、その重要著書から見て、その要部をば圏、戒の二ざすべきである口国ごは天台さ同じく主さして一部唯涯の法撃の謂ひ、戒ごは天台の周定園慧 を弘めしに封し・法華の中心数義に蛇網艇の十重禁戒を加味せる正依法華傍依党網の国頓戒に外なら ぬ口か︿天台以上に園戒を接揮せしも、その数理は依然ごして迩を出でぬ。然してその日蓮華人出現 以前日本的数史上中心の位地にめるこごは、支那悌数史上の天台の位地に麗らぬ。聖徳太子が日本偽 数の母にるはいふまでもないが、侍数の法華中心に立つは一冗より太子さ共鳴する所なるべく、その大 きさに於て、太子以后の第一人なるべ︿、奈良の六宗も、弘法の異言も要するにその前編さ后殿じす ぎなレ。叡山偽敬から畳、証、然、恵、檀二流を出し、良忍、窓・品を出し、法然、柴西、道一充、親一時 日連を出せるに見る、日本悌散の搭箪それが叡缶でなくて何であらう。その源頭に立つが買に侍教に ぞの偉大以て諒すべきではないか D 究に末法悌数ごは第五の五百議を以て闘諦堅回、白法隠波の時三する末世の悌致をいふ。蓋し大集 経の意は、小乗、権大乗の隠設営執附言せしのみ。法華経薬王品には后五百歳康宣流布ごめる c 是れ正 しく五日日蓮華人の流布すべき一部唯本の法華経題目宗の流布に就て偽陀の換言せしもの、諌焼八幡紗 の日は束より出て西を照す、日本の働法の月氏へかへるべき瑞相ごいひ、取要紗の一天四海皆蹄妙法 ごいふ、方に此謂のみ。天台の后五百歳速約妙道ごいひ、剤渓の末法の初め冥利無きに非令子﹂いひ、侍 数の末法甚六近さにあり等は、停敷のは本化を預言せしご見るぺ︿、天台剤mmは共に法華経流布を通
10 漫に腸べてをるのであるから、自ら中に本化の塾教を合むわけでめる o 吾日蓮華人が末法に入て一百 七十二年にして出世せられし使命は、述門に立脚する天台侍数に依て最高の数理たるを証せられし法 華観より進一歩、本門悌陀論を高くか
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げてこの本悌じ遁仰の有ゆる悌々を統一 i せしめたる本偽稗偉 を かl
げて、これに絶封帰命をさl
げる信心の究覧に依て、自己完成を期すこご即も観成を帰来せし われ め得る理想を題目五字じ打こめしが本門の題目、絶封の本備に浸頭するニさに依て、やがて我が本悌 体内に揖取せられて自我完成にまで進み/\て、その絶頂を極めし時、本悌及本備縁起の本曾がその ま l 自我及自我開展の本曾ごなるべく・その理想の表現、それが十界大長茶羅なる本門の本曾なるこ−
さを説きしが、事一念三千槻信即観の義でめる o 是が即も天台侍数の悲の数義に抱到して、五日華人のを.
本の数義ごする所以である o 事費吾聖人の法華本門立脚題目宗の信即観の数義に於て法然、親鷺、柴 西、道元等の着服せし端的の数旨、絶劃信心の数義が壷︿網羅されるのでめる o.
.
.
是の如︿三闘の悌数稜蓮史に於て、E
法の中心を昔像法の中心を透、末法の中心を本ごなす・昔悲 本三重次第の悌数史こそ、買に三岡偽致史の根幹をなす正系悌敬史ご見る o それが吾事人の偽散史観 の中心である o その他の鑓遷史は要するにこの正系史の外延をなす傍系史にすぎない。かやうに吾事 人の悌敬史観にはたしかじ傍系史ご正系史の二つの史観の保存するこまは叉疑ない 1 0 見来れば日蓮宗 率の底議の博きは悌数各宗第一に位する。何ごなれば昔泣本の三重次第に於て、五口墓人は三園悌致史上最后的結論を奥ふべき大自信を以て臨まれにからでめる口従て昔越本三重の次第を三闘の偽敬史上に 宣明するは勿論、ぞの外延の悌敢史ごしての傍系偽敢史にも審かなら
5
れば、蓋し中心偽数ごしての 正系を知るに由ない。叉三重の次第は縦の問題のみでなく、横にも三重批剣で進まねばならぬ。さい l ふこごは控本相調に於て台営の匹別を、特に迩化ご本化の使命を明にせなければならぬ。叉内容的に は彼の観心宗に劃して、我の以信代慧宗、信即観宗たるこごを明にすぺきだ。更に昔泣相劃、昔法本 相劃に於て、完全仁縦横に諸宗を批剣すぺきでめる。四ケ格言の絶封折伏主義もこの義迭に属する。 要するに縦に約しても、横に約しても三重の次第でゆく、それが法華経そのものr
、か︿て日蓮宗皐 の劃象は封他的仁は悌数諸家事ごいふこごになる o 以て底遁の如何に最虞なるかを了すべきでめる o 以上日蓮華人の三岡悌数史に劃する二つの史観の概説を試みた次第である o 維時昭和三年九月二日、組山にて、法のみ庭に漂ふ木犀の 香をかぎつl
稿 了 。田
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乞
一
一
一
階
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法
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義
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三階働法ごは三階数叉は三階法ごもいひ、陪の天台智曲、︵ k p H ︶ w ω ω∞
18
叶︶ご、同時代に出でた信行 蹄師︵ k p口 、
。 ち
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吋︶に依て、唱へられた所謂末法偽教の先駆である。三階備法に就ては、先年事界 を驚歎せしめた、矢吹博士の﹁三階敬之研究﹂に僚組なく遮ぺられて居るから、此には唯今の﹁五口組 ご三階悌法﹂を述ぷるに嘗って、必要なる三階殺の概念を越ぺて、進んで五口組さの関係に及びたい。 信行の侍は惰の費長房︵0
3
︶の﹁歴代三賀記﹂十一一、並に唐の道官宮古︶の﹁穂高借傍﹂十六等に牧 められ、近︿は﹁三階敬之研究﹂の最初に、﹁教組信行暢師侍﹂並に﹁信行碑考﹂に詳である υ 信行は 貌州衛闘の人で、梁の大同六年︵定。︶を以て生れ、惰の開皇十四年︵包♂正月四日五十五歳にして寂し た G 末法偽致の先駆者であった。天台の智拐、荷停影の慧遠、三論の嘉群を始め、議中巌の社順、浮土の道結、蹄の慧可等執れも同時代で、時恰も支那悌数の高潮時代に属しに。且つ我園偽数傍来の欽明帝 十 三 年 ︵
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︶は、信行十三歳の時でめった。 信行の誕生は、その母久しく子なき故に、之を悌に祈誓し、その結果信行を得たど侍へる。﹁績高借 侍﹂にはその幼時を述ぺて 性 殊 ニ 恒 雅 一 至 一 両 日 歳 − 、 因 悲 泣 不 ν止 要 二 時 乃 離 一 : ・ : : ・ 路見一一牛車波 ν泥 牽 引 、 生知一卒分一不 ν蒜ニ愛情\ 標 接 清 敏 慌 慧 奇 抜 ︵ 正 競g
1
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入 歳 既 臨 、 ごいへば、其の非凡なるを知るぺく、長十るに及んで、自ら具足戒を棄拾し、体験を重んじ親し︿努 役を執り・大惜の下沙捕の上に居して、常に頭陀乞食し、日に止に一食を執り、且つ法華の常不軽菩 薩に法り、その路を行︿に男女を問はや、老若貴賎を隔て令、穂拝讃歎したのであった。にめに時人 その徳を慕ひ、蹄依追随するもの甚に多かった。これ建に道宣が﹁高借侍﹂に 及 ニ 履 ν 道 弘 護 − 識 悟 倫 遇 、 博渉二経論一情理退皐。 以 ν時 勘 ν 致 、 以 ν 病 験 ν 人 。 謹ニ濁見之明−、 額 話 路 之 跡 一 、 先 奮 一 義 解 翻 野 不 ν同 。 ︵ 全 上 ︶ ご記せる如く、彼は官時の悌教の常習を超越して、濁自の見地− L 立 ち て 、 A 1 や末法漉季の時さなして 民 族 的 悌 致 在 家 偽 数 少 ﹄ 鼓 吹 し た 。偽滅千年後の信行をして、斯くあらしめたのは、買に彼が末法思想の確信に外ならなかった。斯︿ て彼は遂に一切経中に於て、時機相臆の悌教を主張し、﹁野根起行之法﹂三十余容﹁三階働法﹂四容等 を 出 し て 、 一種の致外別停ご稿すべき、普法を唱へ、普異の路を啓き、生宮の眼目を開き、五十五歳 仁して異寂寺仁於て入寂した。﹁績借侍﹂五十四歳仁作るも、碑文等に依て五十五ご改むべきである。 彼に従へば摩耶経大集経等に依て、文嘗義嘗の刊を以て、悌滅一千年以後を以て末法法滅ごし、嘗 時は一切の聖人、利根異善正見の凡夫なく、唯破戒利根室有見の衆生のみなれば、悌殺に於て三階の 別を立て、就中第一第二階の一乗一一一乗の機でな︿、嘗今末世の衆生は唯第三階の普法に依てのみ、解 肢を符べしご主張した。 斯の如く一一一階悌法ごは、第一階を一乗敬、第二階をコ一乗致、第三階を普法又は普数ごいって、是を 数と時ご蕗ご人即ち機ごに配して、第三階の普法を以て末法偽敬ごしにのである。若し時に就て見れば 悌後最初の五百年は一一明大純の衆生、第二の五百年は一切坐暗の衆生、即ち悌後千年間は一一切利根異 善正見成就の聖人の、悌数修行時代でめる o 然るに千年以後は末法五濁で、塞人なく、 一切接見有見 破戒の衆生のみなる故に、第三階の普法に依らねば解脱はないのでめる o 若し庭に就ても同様で、諸備の揮土には第一階の一乗を説くぺきも、積土に於ては一乗に於て、一一一
乗ご分別して設かねばならぬし、更仁戒見まで破する械土に於ては.第三階の普法に依らねばならぬ c 又人即も機に就ては、最上利根の人仁は、華厳法華等の一乗敢を設くべきも、若し利根正見の三乗の 人には、第二階の三乗数を設き、正見戒見倶に破する、顛倒の衆生を第三階普法の機ごするのでめる 四 斯の如く時ご蕗ご人さの上から見て、偽後千歳後の裟婆世界は、時は末法に属し、蕗は職土
r
から 断じて第一第二階の人なく、戒見倶破の悪業の衆生のみだから、第三階の普法なら.ぎるべからやごい ふゆが、三階偽法の根本主張である。 然らぱ第三階の普法ごは何ぞごい u ふに、普法さは普異普正の働法の意で、末法第三階の機は利根な るも戒見倶破の人であるから、 一一燕及び三乗の敢に劃して、高下浅深是非を論やや,、普偏一安官即も普 異普正の見をなすばかりでなく、諸の賢豊中並に一切の凡夫に費して、勝劣優劣の見をなさ泊をいふの でめる。即ち法華、華巌、担挺等の諸経は、第一第二階の正見具足の人に劃すれば、別異別正の数法 で、正見具足の時蕗の人には、之を修行する二三に依て解脱を得るが、若し第三階邪見の人に於ては 三乗一乗の偏執を生じ、愛情の念を起して、三賓を投損し、詩法の重罪を犯し、永︿生死に沈倫する 故に、我等末法械土邪悪の人は、第三階の普法を以てのみ得股すご設くのである。 顧ふに信行は所謂第三階の普法を唱へて、法華常不軽の轍を踏み一切の有情を鵡奔し、自ら慣行を捨て、非併非抄掬非俗吾組の所謂﹁禿居士﹂︵忠持経事ト匹︶ざなって、第三階の悌法を唱導したのでめ った。故に嘗時その曾下に集るもの三百余人、河東の斐玄語、化度寺の借色、北明寺の慧了、慈門寺 の本梼、孝慈、慈悲寺の紳肪等はその上首であった。 五 都って嘗時の敬界は、恰も南三北七等の諸家、各々その数剣をか e さして、蘭菊その美を競ひ、他義 を庇し自流を褒め、徒らに形式に走、り、彼此の是非を詩論するのみで、宗致的質践の見る J べ き も の は 無かった。此に於てか信行は、悌散の根本精神に立も、時弊を救はんがために、普異普正の普法を以 て立ったのであった。新の如︵信行の主張は、時弊を救梼する所以の、異心に外ならなかったが、一ニ 階数の興隆は、嘗時の三論、天台、華巌等の殺事さ相容れ守、ために政府並に一部の悌致徒より、屡 々迫害を蒙り、信行寂後七年即も閲皇二十年︵
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︶陪の文帝の禁断を初めごして、武周の則天武后の 爾 度 ︵S
F
S
@ ︶ の 績 片 、 並 に 玄 宗 の 禁 断 ︵ 4 M O ︶に過ったが、執れの宗教も有する如︿、迫害に依て愈 々数光を接揮し、民族的宗教ごして諸宗の聞に、陰然たる勢力をなすに至ったのでゐる G 且っその末 流は速く唐末宋初に及び、その史料に乏しいが、三百年乃至四百年の歴史を有するのであるロ 斯︿て支那傭数史上、正し︿三階敢に劉抗したものは、奇艇にも華巌天台等の如き一乗宗ではな︿ て、その数義に於て、鰐叉内容形式に於て最も類似した、滞土系統にありしこごは、珍ごするに慣する の で め る D 即ち慈恩の﹁西方要決﹂、懐戚の﹁樗土群疑論、道鏡の﹁念悌観﹂等これでめる。就中 懐戚の﹁群疑論﹂は、逆誘取捨、三味成不、普別正否、経道滅輩、念偽救不等の数十項に捗り、その 攻撃微に入り細を穿てるも古いふべきでめる。
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信行は一乗隆盛の時に嘗って、漏り諸経無盆を主張せし故であらうか、嘗時の高待中に於て、その 段春の懸隔信行の如きは未だ見ぬのである o 即 も 碑 文 に は そ の 徳 を 讃 し て 、 ﹁ 慈 悲 勝 二 於 稗 迎 − 、 智 慧 過 ニ 無量寄L
ごレひ、叉その敬法を歎じては﹁優曇可 ν逢斯賓観 ν泡﹂吉、常信斯の如きあるかまいへば、 堕獄蛇身を以τ
誹議し・庇尽したのであった。懐信の﹁自鏡録﹂上に 紳都幅先寺借某乙、於二時中−忽然命格。途於二業道中司見下信行鵡鯖作ニ大蛇身−、遁身総是ロヘ叉 事 一 一 三 階 人 − 死 者 、 入 ニ 此 蛇 身 口 中 − 莫 ν知
=
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g
︶ さ は そ れ で め る む 然れざもその遺敢に就ては、唐の徳宗貞元十一年︵ 4 C O ︶に、西明寺の国照は奏して﹁碑表集﹂五港 を入臓し、尋で十六年には遂に栽して、﹁三階集録﹂三十九部四十四容を、大藤中に編入した c こ れ 蓋 し三階数の勢力、那遁にあるや釦るべきである。斯くて此等の中現存せるは、﹁三階備法﹂問答。﹁明大 乗 無 蓋 法 臓 ﹂ 一容の外、大英博物館に於けるスタイシ蒐集の十四断片。巴里闘民博物館所臓のペリオ蒐集の五断片、此外京都の富岡家臓の一断片等である。而して此等は全部、矢吹博士の﹁三階敬之研 究﹂の怒末じ.﹁脳健出土=一階数残容﹂ごして載せられて居る 3
七
上越の如く三階数は、早︿陪時代じ於て、末法悌数在家悌敢を主張したもので、その思想内容並に 形式の上に於て、勿論純雑危細の別はあれ、我鎌倉期に於ける末法悌数たる、津土数並に五口組の教義 に封し、その類似点は蓋L
一 一 一 一 一 に は 止 ら ぬ の で あ る 。 就 中 ぞ の 根 本 思 想 は 、 正 像 末 三 時 の 廃 立 で め る 。 その他人即も機の剣めるも、斯の如き約時約人を内容さする・第一第二階を正像の別法ごし、第三階 の末法は普法普散の偽数ざするのである o 普別二法の思想に就ては、曾て道忠が﹁詳疑論採要記﹂ムハに 三階集録の蕗々に普別二法を明すさ雄も、文義幽隠にして是非地無︿、唯須︿普別の文を編綜して 後昆に備ふぺし。愚推の及ぶ所少々料簡を加へ、遣を曾すま雌も、量ごなすに足ら守口 ︵ 揮 土 宗 全 書 六 、 二 九 七 ︶ J﹂いへる如︿、全くコ一階偽法濁特の用語でゐって、その概念−容易に把持し難きものがある G 之に就て は﹁針根起行法﹂の断片仁、 一切法壷を明す下、普想大乗法を設レて 莫 ν間 三 外 経 内 経 由 、 不 ν作 コ 高 下 心 − 、 持 レ 除 二 分 別 病 ︸ 故 、 普 作 − 一 大 乗 解 一 ︵ コ J 階敬之研究、別録一二一︶ざいふに見れば、且ら︿大乗の敢に就ても、内外の分別も無用であれば、勝劣浅深の分別も不可であ る
。
叉その弐下に鶴一一切法識を明すに、内経に就て一に経容法、二に極重悪法、コ一に世間之法、同に邪 善働法、五に十二楠邪見成就衆生所締法、六に十二穂正見成就衆生所師法、七に一切諸悌菩薩膳設定 見有見法、入に普想大乗法の入棺を翠げて居る o 是等の入縄説れに就ても、高下勝劣の分別をなきば こ れE
像の別法であり、末法に普法に費して説法を成やるのである o 八 今夏に準えで一乗三乗の働法の一上仁於て普別二法を解せば、 一乗の思想は普法に官り、一二乗の思想 は別法に営るのである o 即も普法ごは一一束にまれ、三乗にまれ、各法営分に於て絶艶債値を認め、他 ご相劃して何等浅深高下を判祢﹂ぬのである。之に劃して別法ごは、三乗嘗分にが、ても、各々の別異勝 劣を立て、叉他の一一燕に封しでも一一二の高下を剣やるの謂でめる。故に普法さは回融相輔の立であり 別法三は隔歴不融の意である o 即も普法ごは一切の致法に劃して、高下優劣を超越した、法事所謂開 曾思想に立もての、諸法の絶封的債値批剣をいひ。別法さは之に費して、相野的慣値批剣の謂である 随って常時南三北七等の偽数数剣は、説れも相野的債値批剣の教剣で、普別二法を以て諸法を剣やる 二階敬三相容れ5
るものである。2
0
きれば信行に随へば、営時は末法普法の時なる故に、法華華厳等の一乗数乃至浄土の念悌等は、説 れも相封殺到に依る別法なる故に無盆である o 一法に執性ぎる針根起行即ち時機相臆の普法のみ盆め りて、除は総て相針的別法なる故に、無盆否諒法なりさいふのである o 九 斯の如︿普法に立もて、別法を庇するこさは、他の末法悌数中浄土教に於て、法然が念悌一行を取 って、他を捨閉欄拘Z剣ι
、五口組が法華経以外の信仰を指して、誘法ごなすご頗る似たるものがめる。 然るに普法はこれ等三大にその趣を具にし、﹁教捕々費なれば位捕下り﹂ごいひ、﹁高山の水は幽谷を穿 も、最高の数は下機を救一ふ﹂ごは、普法以外の末法悌殺の通格である o 然り三階悌法は之に反し・ 上好悌法︵一乗等︶不 ν生ニ於道−、下惑働法︵普法︶乃有−道生一︵針根起行法、別録一五一︶ ざいへり c 即も末法は生首衆生の下機なる故に、至極の致法を用ゆぺきに、上好備法の一乗等を以て 無盆ごいふは、末法は第三階の生白衆生の故である o 信行は之を説明するに、好菜ご肥料さの警を以でした。即も好菜を取らんさして、金銀七賓の糞を 以て肥料三しでも好菜は得られぬ。矢張尿糞の肥料にして、よく好菜を得ご一般であるま、巧みなる 説明を試みて居る。即も末法生官の衆生には、 一一束三棄の別法は無用である。唯時機相臆の普法のみ を用ゆべしさいふのである。吾人は此に於て、五口組の﹁四信五品紗 L 仁於ける、唱題の利益の問答を想ひ出さやには居られぬ。
問
不 ν 知 − 一 其 義 一 人 、 喰 唱 一 一 南 無 妙 法 蓮 華 経 − 具 ニ 解 義 功 徳 云 円 。 答 小見合 L乳不 ν知 ニ 其 味 − 自 然 盆 ν身、者裟妙襲誰弊服 ν 之 ︵ ト 1 ︶ さ レ へ る は 、 五 口 組 数 剣 に 於t
は法華濁一成悌を主張し、除他の諸経を以て悉く誘法ご剣十るも、末法 一同の行法たる受持一行に至つては、乳の警守以てせるは、殺到の意に矛盾するを畳・ねるのでめる。 吾人は今の筑喰ご肥料鴨さを比して、普法ご題目ごの聞に、何等か超数剣の宗致的意味の、共通点の あ る 、 ﹂ さ を 見 出 す も の で あ る c。
矢吹博士は﹁三階敬之研究﹂に於て、三階数ご吾宗ごを比較して 唯三階数は未r
、天ムロ華巌の数理を知らす、密教の事相を知ら5h
しかば、車に経文の羅列に移り しも、若し三階数にして、天台の十界互具、書量本働、性具性悪の諸説を知らしめ、般に密教蔓茶 羅の思想を加味して、試に普偽昼茶羅を描かしめんか、界寸界勧誘の受茶羅に、島万髭たるものたり しは、蓋し想像に難から十 c ︵ 五 入 七 ︶ Z の記事を見やさも、五日が宗徒ごして誰がその形式上に於ける共通点のみなら歩、不軽繕昭の事賞に 於て、諸宗迫害の歴史に於て、相類似せるに驚かやに居られよう c 併し六高九千三百入十四字よりな2
2
る、法事の一部入港は五宇七字の一題目に結蹄するまでには、二千数百年の思想史の内容がめる c 此の 内容たる思想史の研究が、五口組数皐の杢背設でゐる o きれば宗皐の完全な結論は、その内容を明瞭に するに非ら、ざれば恐らく不可能である o 斯る見地に立った時、五日人は望洋の戚に打たるーが、何ごい v つでも宗皐の根本思想は、法華経に披 つ七天台思想でめり、五綱数列はその思想的師を三階敢に認め、この内面的費蓬ご、題目の行相ごは 之を浮土敢に見、若し行門たる三秘の展開に至つては、真言密教の三密を離れては、その行相は勘 b られ向。即も三和展開に封して、興一一一ロ密致の洗搬を認めし以上、吾人は慈弦智読安然等の、所謂獅子 身中の虫も亦、宗皐展開への思想史から見れば、善知識ごいはねばならぬ。併し乍ら斯く大成された 吾姐の力は、買に内相承の備智でなくてなんであらう o 更に進んで吾組の観た三階数は果して如何ごいふに、信行が普法以外の働法を以て、悉く別法ごし 誘法ざしたのさ逆の筆法を以て、法華に劃して三階描師を以て、諒法の徒ごしたごは、五口組の三階悌 法 観 で あ る 。 吾組の遺文中三階敢に閲する記事は、概ね左の諸妙である o ︿ 一 ︶ ﹁ 聖 愚 問 答 紗 ﹂ 正 式 文永二年合 乙 ﹁ 撰 時 紗 ﹂ 一 一 一 じ 建治元年 ︵ 三 ︶ ﹁ 下 山 御 消 息 ﹂ む 建治三年 ︵ 四 ︶ ﹁ 曾 谷 二 郎 入 道 殿 御 報 ﹂ お 弘安四年 此等中︵一︶以外は説れも佐後の御書である。︵一︶も文永二年ざするは、﹁日明目録﹂の説で、﹁境妙 庵目録﹂は弘安四年ごするし、且つ本秒は日持聖人の筆に成ったものごいへば、矢張佐後ご見てよか ら う o さうすれば五口組の三階散の破折は大体佐後ごいはねばならぬ。 今右四秒に就て見るに、共通の批判は誘法の一句に壷きるが、就中︵一︶︵二︶︵三︶の三卸は共に ﹁ 大 蛇 ざ な り ﹂ さ 述 べ て 居 る 。 由 来 吾 組 は ﹁ 下 山 妙 ﹂ 仁 ﹁ 蹄 宗 の 三 階 信 行 輝 師 : ・ ・ ・ : ・ ﹂ ご い へ る 如 く 、 三 階働法を以て蹄宗の一一蹴ご見られ七様である o こ れ 三 階 が 普 法 を 立 て た か ら で あ る が 、 普 法 ・ こ は 一 一 束 ニ 乗 仁 非 ら
5
る、普異普正の悌法ごいふ故に、 一定の経典は認めぬから、此点から見れば勿論時宗で はないが、轄の数外別侍さ傍備にる散でめる。此点を以て吾組は鵡宗に接したのでゐらうが、ニれは 三階の数書は幾多の迫害に依て、数法ご共仁煙滅したこごに起因するのである。潟に﹁朝紗﹂一畑一﹁健 紗﹂六︵詰︶の如きは、信行寂後五十八年に寂した、躍の第六組通信雄師ご競るじ至つにのでめる。 此外︵二︶︵三︶は普別の二法に就て誘法ご述べ、︵三︶︵四︶は浄土教の道締善導法然ご共に、入阿 鼻獄の人ご判じて居るが、此点から見れば鵡宗に接しつ3
も、向ほ浮土数ご同じく、末法悌数ごして取 扱 は れ に ・ ﹄ 三 が 明 白 で あ る 。 今︵二︶︵三︶に就て吾組の三階悌敷観を見るに、︵三︶の﹁下山鉢﹂には 蹄宗の三階信行蹄師は、法華等の一代塾教をば別数ご下七十 c 我が作れる経をば普経ご山 m m 重せし故 に四依の大士の如くなりしか
f
も、法華経の持者の優婆夷にせめられてこゑを失ひ、現身に大蛇ご なり、数十人の弟子を呑み食ふ D i t − − − 無 間 地 獄 は ま ぬ が れ が た し む ︵ 包 ︶ ご 述 べ c ﹁ 撰 時 紗 ﹂ に は 漢土の三階樟師の云︿、数主稗曾の法華経は、第一第二階の正像の法門なり o 末代のためには我が つくれる普.経なり、法華経を今の世に行壱ん者は、十方の大阿鼻獄に堕つべし。末代の根機にめら ぎるゆへなりご申して、六時の踏讃、四時の坐騨.生身備のごご︿なりしかば、人多く曾みて弟子 高傍人ありしかピも、わづかの少女の法華経をよみしにせめられて、官座には一昔を失ひ後には大蛇 ざなりて、そこばくの檀那弟子並に少女魔女等をのみ食ひしなり。 A 1 の 益 口 道 寸 法 然 等 の 千 中 無 一 の 悪 義も e ﹄ れ に て 候 な り 。 ︵ ン じ ︶ さ述べて居るが、以上雨鉢の意に依るに信行は、法華等の一乗散を以て第一第二階の別法、正像の法 門を庇し、且つ末法は普法の時なれば、末法の法華経の行者は無間地獄ご、逆の法門を述べた故に、却て法華経の行者の少女に責められて、嘗座に一背を失ひ、現身に大蛇ごなり、弟子檀那を食ひ遂に無 問地獄に落もたさいふのである。 吾組の法華一部末法潟正の設ご.今の信行の説ごは正反射到でゐる。 此の記事は正し︿、唐の懐信の﹁稗門白鏡録﹂上の、﹁唐裏州紳足寺慧眺諒一一三論一抜舌三尺事﹂の下 じ附せる、孝慈、紳防、信行の三階諸蹄師の傍中、孝慈、信行、師資の侍意を取って述べられたもの でめる。即ち孝務停に 一 時 在 二 岐 州 − 説 一 一 三 階 備 法 − 、 子 ν 時 有 ニ 優 婆 夷 − 持 ニ 法 華 経 \ 叉 勘 ニ 有 縁 − 、 其 締 師 言 、 設 持 一 一 法 華 経 由 、 不 ν営 τ根 機 一 合 入 ニ 地 獄 − 、 優 婆 実 情 中 不 ν忍 、 接 願 之 時 其 蹄 師 被 ニ 紳 打 − 、 失 昔 不 語 云 々 ︵ 正 競 日 ! ∞ 。 。 客 引 、 法 華 侍 記 九 引 ご 同 文 − 2 1 C M ︶ の文ご、前引信行大蛇さなるさの意を以て記されたものでめる。 更に誘法蛇身ごなるこさは害時刷品の備に十四誘訟を設レて、﹁若人不 ν 信 、 段 ニ 誘 此 経 − t i − − − 其 人 命 終 入ニ阿鼻獄−﹂ご述ぺ。更に重詩法に就て﹁夏受=麟身−、業形長大、五百由句、 i t− − − 諒 一 斯 経 − 故 、 獲 ν
罪
如 ν 是 ﹂ Z 設げる文意に依て述べられにこごは明かである o 且つ吾組の信行大蛇の記述も三鉢皆少異が ある。即も﹁下山紗﹂は﹁こゑを失ひ現身に大蛇ごなり﹂さいひ、﹁撰時紗﹂は﹁嘗座じは一昔を夫、後には大蛇ごなり﹂ Z いひ、﹁聖愚問答紗﹂は﹁大慢は生れなから無聞に入り J 二階は死して大蛇ごなる﹂ さい噌ふが、これは同一事費を通ぶるに嘗って.他の誘法諸宗の組合せから来た様であるコ得も﹁下山 紗﹄は異言騨念備の三宗じ附し、﹃撰時鉢﹂は善準法然の念備に附し、﹃聖愚問答紗﹂は月氏の大慢婆 羅門に附した故である。 下 山 鉢 現身大蛇||異言蹄念悌の三宗︺ 後に大蛇ーーー善導法然の念悌 V 無 関 慢 婆 羅 門 、 撰 時 紗 問 答 診 死後大蛇||大 右に見て明なる如く、信行の諒法に就て現未の二時に於ける時間的の相違は、自ら誘法の浅深を現す もので、吾組の誘法観は異言最も深く、念偽之に次ぎ、外道又之に次ぐ故である o 而して若し破折じ 於ては、浅より深きに及び、佐前未破商家具言ごいふ如く、佐前念悌佐後異言の次第めるに見て、い よ/\明かである D 四 上越の意を最も明かにするものは、信行に就て最後仁述べた﹁曾谷二郎入選殿御報﹂の記事である 即ち右に依れば、響喰品の﹁其人命絡、入ニ阿鼻獄−﹂の文を出して、経文に所前﹁其人ごは何等の人 を指すや﹂の関に劃して
実 入 者 指 − 品 等 人 人 一 也 。 彼震且岡天台大師者指ニ南北十師等一也。 此 日 本 悶 侍 致 大 師 者 定 一 一 六 宗 ︵ 商 都 ︶ 人 人 − 也 c 今 日 蓮 指 ニ 弘 法 慈 費 智 諮 問 等 = 一 大 師 。 並 三 階 道 料 善 導 等 二 去 一 一 其 人 − 也 口 ︵ お ︶ さ述べられたのに見るに、天台傍数日還さ正し︿、法華外相承の師の上に就て之を剣じ o 天台に封し ては南三北七、侍敢に罰しては南都六宗が誘法堕獄の人である o 而して五口組に聾しては、先づ誘法の 深きより崩事くれば、東密の弘法.台密の慈畳智鐙の所謂商家異言の三大師。之に弐くが支那に於ける 三階道料善導の三師である。且く三階を蹄 J ﹂見れば、先づ異言之に次ぐか蹄念悌三せられたのでめる 而して後の三師は佐前劃岐に嘗り、先の三大師は佐後の封破に嘗るのである。 今の﹁曾谷紗﹄の意を以て、先の三鉢を見れば信行大蛇の記述に、浅深奥奪のめる所以自ら了すぺ きであらう口若し三階働法を評せし、五口組の記事が説れも佐後にあるこごは、勿論三階働法を鵡の一 仮吉見た、陸門の内容より考へ得るも、鵡宗般は佐前の遁格なれば、五口組は且らく三階を暗に接した が、その法義の内容に於て蹄滞土に勝れる、 一種の末法偽敬子﹄解せられたからであらう口
一 五
若し右の破折の次第に就てはヰ撰時鉢﹂ 一紗に就て見るに最も明了であウて、彼秒上容に於て三園 悌数の展開を述べ終って 先づ三つの大事めh
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− − 此 の 三 つ の わF
はひざは、所謂念悌宗ご鵡ぜ﹂異言宗さなり、 一仁は念悌宗は日本闘に充満して四衆の口遊ごす。二に柿宗は三衣一鉢の大慢の比丘四海に充満して、 一 天 の 明 導ごをもへり。一一一仁真言宗は又彼等の二宗にはにるべきもなし o ︵ 一 じ ︶ さ述べ、下容に三宗を破折
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、最初に念悌を破し、その最後に於て三階悌法乞破し、 此等の三つの大事はすでに久︿なb
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−−これより百千高億倍信じがにき、最大の悪事はんぺりっと さて台密の慈魔等に及び、 日蓮は駒山言鵡宗部土等の元組を三虫ごなづく、叉天台宗の慈費支然慧心等は、法華経侍致大師の獅 子の身の中の三虫なり︵住︶ ぜ ﹂ 利 一 じ 、 所 謂 三 度 の 高 名 を 述 べ て 。 此の三つの大事は日蓮が申しにるにはあらや、只偏に稗迦如来の御神、我身にのりかわせ給ひける にや、我身ながらも悦び身にめまる o 法 華 艇 の 一 念 三 千 さ 申 す 、 大 事 の 法 門 は こ れ な り 口 ︵ ト 一 一 ︶ さ結ばれたのに見て、五日組一代の破折の次第は朗了である o 上来吾組の三階悌法観に就て述ぺたが、最後三階偽法ご吾宗さの関係に就ては、宗数的立場から、帰 叉偽散史上から、更に幾多の内容的研究を要するご信令るものである。 困に御遺文末註中三階働法に闘せし筒所は左の如し。 一、撰時紗朝紗 一 一 ︵ 1 1 M ︶一 、 健 紗 一 、 啓 蒙 一 、 国 詰 一 、 拾 遺 一 、 考 文 ム ハ 五 五 ︵ 月 J 一 一 一 一 六 ︵ ト 加 ︶ 七 一 三 ︵ 上 位 。 ︶ 一 一 − 五 ︵ 六 一 一 一 ︶ 一、充給関全集 一 二 五 ︵ 四 二 ︶ 一 、 本 化 聖 典 大 酔 林 二回一七 一 一 ↑ 旭 川 二
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三 一 一 回 二 ︵ 三 、 九 、 一 一 稿 ︶.
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悌
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進
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大
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丸
額
孝
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世人多︿は勿々ごして衆務を替み、年命の日夜に去るこさをも提b
今、煩悩の波高︿して静まるこ さなし、生死の海深︿して底を知ら令、唯徒じ五欲本能の織戒を食りて、生死の苦海を押渡り、浬擦の 岸に至るぺき舶を需めんさする様もなし。 吾等如何なる宿縁の報めりてか働弟子ごなり、三界無安の火宅を逃れ、常鶏我樋げの備道に辿り入り 向、きれば我身悌になるのみなら4
1
父母を救ひ、班先を助︿るの功徳めり、誠に世にも曾︿亦恵ま れt
h
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一 再 ふ べ き な り 。 偽大集経に設き給は︿、頭を剃り袈裟を着陥れば持戒及段戒ごもに天人之を供養すぺし、是却も偽 を供養するものなり。さ吾ご我弟子賞讃の鮮も懇なり、賞に我等末輩は身に一つの戒徳もな︿、心に = 一 毒 を 離 れF
れざも、無事破戒をそのまl
に、備の瑞喜身に依り、世の曾信は分に過ぎたる極みなふリ宗 組 大 士 が 、 一 冗 よ
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皐問し候事は、偽数をきわめて悌になり、恩ある人をも援けんご忠ふ、悌にな , J る道は身命を拾っる程のこどありてニそ備にはなり候らめざ推し量るむご仰せ給へるは買に吾組が敢 然ごして胸中の決意を述べたまへる出家門出の宣言なり o 時は移り世も亦競りて、末の代さなれば我人共に漸く恩に狂れ、勇猛にして精進し、心を撮して常 に勤むる心失せ、我慢に著し、師をレやしみ、檀那にへつらう ζ ご日に繁し。 惇教大師は此のこさを慨きて頴戒論に詑王の物語 h e T 引きて吾等を戒め置き給ひぬ、抑詑王の物語 りごは、往昔披羅那城に大王住みれ刷、此王或夜夢みらく九頭の大なる欄推めりて、盛に城中を騒乱せ ・り、然るに他の一匹は知足の念を懐きて少しも騒ヤ様もなし口夢醒め終って大王依りの不思議さに占 者を召して之に問へば、彼恐る/\答ふる様、こは恐るぺし王位纂奪の凶夢なれば、大王心して然る べしごぞ答へけり。王之を聞きし後は暫くも安やるこさなく、急ぎ迦葉備の御下に詣で、委細を告げ て数へを乞ひぬ。悌王に告げて宜ぺ給ふょう、これ波一人の難にはあら令、末法濁惑の未来に於ける す が た 悌法陰授の相なれば、王心に正法を信じ護惜建立の誠を致さば、園土永へに安穏ならんごぞ識しけり J こ云ふ。この一猿九殺さは末代じ出家入選する者の動機を数へ給へるなり o 九殺ごは、 一は貧人ごて 衣食に乏しきため、二は奴鱒ざて身分の賎しきを逃れんため、三は債負ごて財政破産し終れるため. 四は勝地ごて勝景静墳を願ふため、五は名構ごて世間に頁名を欲するため、六は生天さて謀れる果報を需めんため、七は利養ごて己が懐を肥きんため、入は求王さて貴き位を得んがため、九は遮過ごて悌 数の敏貼を捜さんための出家なり o 亦一猿ごは少欲知足にして異質に費心して道の縛めに出家せるも げ のを皐げにるなり、賞に今の世は九礁に類するものは多く、 一猿に嘗るものは瓜上の土よりも少︿、 市中に虎を需めんよりも向稀なる・﹄三大師の御言の如くなり。 吾組は破悌破法の吾等を教へて宣ふょう、大族王の五天の堂舎を焼き梯ひ、十六大国の併尼を殺せ し漢土の武宗皇帝の九園の塔寺四千六百険所を消滅せしめ、借尼甘六高五百人を還俗せし等の如くな る悪人等は働法をば失ふべから十 o ︵撰時抄︶我法は悪人外道天廃波旬等には破られ争、悌の六通の羅 漢の如く、一ニ衣を袈裟の如く身に府ひ、 一鉢を爾眼にあてたらん持戒の借等之、大風の草木を燥すが 如くなる高信等吾正法を失ふべし。︵紳闘王書︶人久しま云へざも百年には過ぎや、其聞のこごは唯一 睦の夢ぞかし、受け難き人身を得て遁出家せる者も働法を串し誘法の者を責めすして、徒に遊戯雑談 にのみ明し暮さんは法師の皮を着七る畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養ふご雄も、法師三 なる義は一分もなし、法師ご云ふ名字を盗める盗人なり、恥令べし恐るぺし、ごこれ我等の身にごり て金科玉僚に非守して何ごやせん。 か ぎ り 恒に蒼海の窮りなきを観るものは、その大いなるこさを知ら中、常に畦なき原野に居るものは某底 きこさを知ら令、是久し︿して狙るればなり、登た
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海洋ご原野ごのみならんや。吾等常に諸悪莫作、衆善奉行ご唱ふれざも、偶来し方の跡を願、進まんさする遣を仰けば轄々儲悔 歎息の自ら禁じ難きを管ゆるな
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蓋し我等の行令る悌殺は自行ご化他さの二柱めb
て世に住す、智慧を研き、精を鍛へるを定善ご云 ふ、これ即も自行なり。他人を数へ堂塔を建つるを散善ご云ふ、これ即も化他ご云ふなり。此の中散 善は近くして行じ易げれぎも、定善は遁に修し難し。定善を更に升ちて行事の二ごす。五口組の行事の 二道を踊み候ぺし行皐絶へなば偽法はあるべから今。︵賞相抄︶さの給ふのはこれなり、此の二道は烏 の隻翼、車の爾輸なれば元よb
、傍正主伴は排じ難きも、次下に行事の二道は信心より起るべ︿候ご めるを拝すれば正しく行の家の皐なるこさは明なb
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散善さは叉自ら著遇、説法ご堂塔建立等の一一ご なるぺし、此の中堂塔建立は俗人の所行なり、説法開導は沙門の勤めなb
、古よりそのためし殊に多 し、奈良の東大寺は墓武天皇の御建立、京の舟三間堂は白川法王の御建立なり、嘗家の大伽藍叉多︿ は在家特志の建立に依るもの多きを見ても知るべきなり o 堂塔の建立せらるl
所以を考ふれば、嘗時の貴借高借何れも、激化救糖の徹底して親切篤賓なりし が震なりき。是等名借智識の深建微妙なる説法敷化の源泉は一に皐問修徳一の功仁非ら e されば到底望み 難きこさがらなり o 然るに皐聞の功をも積ま令して他方に弘通せんごするもこれ如何程の功がめらん 亦不串にして堂塔の建立を替むさも誰か後代まで之を崇むべき。蓋し定散二善の内、定善の人目仁顕は る
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こごは誠に容易ならぎれ d y ﹂も、之に反して説法堂塔建立の散善は忽も衆目を吸引す、これ人情 の常ごして主たる白行を忽にして、従たる化他に念ならんごする所以なり、吾等は名聞材利の縛めに 偽造に入りしには非らF
るなり、人目世評を本位さして皐閑修行じ日夜精踊するにはめら、ざるイし。 要は唯悌敬を成して、父母、師匠、恩める人に報ひんこそ出家の素願にてめるべきなり、深きは難︿ 浅きは易し、易きを捨て l 難きに就くはま夫の心なりさは宜なるかな。 堂塔高︿援を連ね、経競軒を並よるさも、高徳の人無︿んば誰をか需めて師ごやせん、道を体験す る人な︿んば講経談義の韓も絶へなん。これ所謂伽藍の悌教にして、偽数本来の命臓は既に壊滅して 奈良平安の偽敢にも如かぎるぺし、働法には賢げなる様なれぎも、時に依り、機に従ひ、先後弘通に 依るこさを排へF
れば、身心を苦しめて修行すれざも験なきこさなりさ吾租の誠め給へる如︿、五口等 の修行には自行めり、化他あり、白行の中にも行めb
、事めり、化他に就ても講経めり、建立めりて 取捨宜しきを得て一向にすべから今、廃立取捨は一定なら争、園時自在なりご雌ヘピも s 五 口 等 悌 子 の 進むべき大道は、正しく白行の家の化他なり、徳行の家の血中間なり、講経談義の家の堂塔建立なるべ きなり、吾等今より二陣三陣さ御跡を縫ぎ、惟此白道を遁進して倒れて而して息まんのみ。 ー コ 一 、 九 、 ご − ー宗教現象に劃する一考察
近 聴 藤悪
近世偽闘に於ける駐曾事の創始者たるコムトが、彼の主張せる貫謹哲串の血中設に於いて、﹁人智費蓮 の三階程ざして形而上皐時代に究?に積極時代を認めたる事は周知の事費である﹂蓋し彼の云ふ積極 時代さは科皐高能の時代を指すものにして現代に於ける諸般科事の振興は、絡に近代人より聖なる宗 数的信念の情操を破壊したかの戚がある。凡そ真、善、美、墓等の目的贋値は人格完成上常にその要 請する慮なりo
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雄もかt
る精紳的人格的要求が軽視され無視されんさするは誠に遺憾なり。彼の共 産黛事件は賓にその根本に於いては共産主義的経梼制度の確立の要求であり、叉金融解禁外岡潟替相 場の務調並びに工場赴曾に於け乙努究費立及び協調等の問題も物質生活に関する問題であり、今や時 代の一大風潮は酒々呼々さして純祷的﹁宮﹂の問題に趨き殆ぎ宮古生物的生活さに終始してその底止す3
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る慮を知ら守口正に今日に於ける思想的二大潮械は唯物論さ唯心論さの絶b
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る争闘な L り さ 論 断 せ 古 る可から示、此に於いてか経由情趣勤の水協に日夜その生活を脅威されつl
める現代人に言、りて最高の が h u J 一一さは何ぞやさ問へば、人必やや其の一面に於いて私有財産制度の確立叉は否定に於ν
て魂の3
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安住ド障を求めんごする事や又常然の理論なりごす。 斯くして諸般経械的問題の疾風的戚脱出は、終ひに我等が唯物論上に於ける一備の文化的要求ごしてマ Y クス、エンゲレス等の経隣組織的使更の出現を四十一み、此に枇曾問題の中核をなし叉人口問題並に食糧 問題等、或は婦人問題中最も致命的制度ご云はれる一公娼制度の如、き教 b 来れば、買に複雑極まる枇曾 相の全面や其の解決に於いて至難なりご云は、ざる可からや。 之等純々錯雑紛糾せる世曾現象中仁於いて、特に﹁塞﹂の賞現セ理想ごする宗教の任務が首 i 其の 窮乏に落入り﹁宗致の破産﹂を宜告せられつ3
ゐるは、之又留意せF
る可から、ざる慮なり、過般新聞 プロテスタント 紙の報導に依れば、米本国に於いては新数の∼読むを鵬首じっl
有るものめり、又キリストの墓地エ Y サレムに於ける宗教曾議三百ひ、又は明治神宮外苑青年曾館に於ける紳、悌‘基の宗教曾議に於いて 枇曾事業の新設及び世界平和の賂来にその曾議の陣頭を進めしも、建に本曾議未曾有の混乱に落入り 龍頭蛇尾に絡はりしは、人の好く知る蕗なり。然’りご雄も日本最高新聞紙の枇設に於いて﹁宗教は人口 致 せ 、 ざ る 可 か ら5
る性質のものにして之等宗教固体が其の聖なる事業の一端ごして枇曾的問題の内容 に迄立入b
其れを賓施せんごする事は却って其の宗教に於ける奇現象を呈するものなり﹂ご云ふ論説 を見出したるに於いては、吾人宗数家に劃する一大餓槌なりご言はやヲむばめら子。 此に於いてか吾人は先づ外にその全からん事よりも、内に金からん事を欲す、即ち大谷大串金子教授の阿捕陀及浮土の観念に就ての問題の如き、叉は紳の詮明に於ける濁断哲皐及び夫以後の哲事的論 詮に於けるが如く、其の皐ご宗教の背反、挽言せば知信分裂の問題の如き信仰の破壊之より叉甚しき は有ら。さるの戚めり、曾って中世ブタンジス波の律借ロ
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エ コ ン ︵ 出 、 。m z
国 営 自 ︶ が 法 皇 クν
メンス四世に奉りし著述の中仁﹁諸科事の最高債値はそが紳事に劃する必要傾件ごして存在す可きも のだ﹂さ臼へる法則は今日杢︿破壊されて、諸科凪干の研究的良心に於ハーでは、定に宗教の侍統的致事 は億然ざして破壊さるl
事は勿論なb
さ日はF
る 可 か ら 十 。 然し破壊せらる3
に先立もて新しき組織の建設が無ければならない、即も此に宗根に於ける保守淑 さ進取振の思想的衝突がめり争闘が有b
知信の根本的分裂が存在するのである o 斯る論結に於いて吾 人は先づ其の異理探究の皐徒ごして、外に全からん事よりも内仁会からんごして侍統宗皐のコペ Y ユ ク ムζ ︵ の 品 。 吋 巳 。g
︶的特廻を信じ、ローランの所謂﹁新らしき世界﹂の出現を望み‘戚激なしには讃 み得F
る不滅なる宗皐の一頁が出現せん事を欣求し、以って宗敢ご事ごの異質なる交渉を最後に望ま んさ欲求する衣第で有る ο ー昭和三、六、二二 l員
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野 錬 矢 明 宗教肯定論者は﹁宗教は人ご人以上の者即ち紳ごの塾交なり﹂云ひ、亦﹁宗教は吾々の心霊がそれ 自身の内に見出しねない慮の善美を貫現するために、それ自身以上の費在に向って瑞ぎゆくこごであ る﹂言、或は﹁我等の道徳的義務は脚が輿へ給へる命令にご悟るこご、之れ宗数でめる﹂ご云ひ、叉﹁宗 数ごは客観的賓在に劃する絶封態依の戚情である﹂ご定義してゐる。然るに宗教否定論者ごも云ふべ き唯物論者プオイエ Y バ ヅ ρ は﹁人聞は自己の願望の封象を理想化してをれを自己に封立する費在ご 考へ、之を紳ごして祈願を捧げる、而もかくの如きは畢覚幻想たるに過ぎない﹂Z
云ふに至つては宗 教も一柳も震に無味乾燥のものざなり、随って人間の願望の投影たる紳を信ずるこまは人類の不幸でめ るZ
彼は考へた。 然し何れにしても我々は紳なり悌なりを信令る潟にか︿宗教を定義し、信仰の封象を定義しなけれ ばならぬか、叉定義し得て初めて信仰心が起るのであるか。ごいふに我々はこれ等の定義がなくごも 叉肺の一官在に劃する謹明の努力がなくごも、叉紳を否定する者がめっても、それ以前じ於て既に紳を信じてゐるのである。それが紳を信者ヲるさ云ふやうなはっきりしたものでなくごも、自己の貧弱無能 を深︿凝親すれはする程何ごな︿紳のやうなもの、偉大なるものを信じて槌 h たいやうな気持もにな る o こ