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岸辺福雄の思想と実践―遊戯を基盤とした教育―

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(1)2009年度学位論文. 岸辺福雄の思想と実践 一遊戯を基盤とした教育一. 兵庫教育大学大学院 学校教育研究科. 学校教育専攻 教育コミュニケ』ションコース. M08014G澤田 真弓.

(2) 目 次. 序章 研究の目的と方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 1. 註・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 5. 第1章 教育方法としての遊戯・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 6 第1節 学校教育における遊びの捉え・・・・・・・・・・・・・・… 6 第2節 学校体育としての遊戯・・・・・・・・・・・・・・・・・… 9. 註・・・・・・・… H・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 13. 第2章 初等教育における岸辺福雄の遊戯・・・・・・・・・・・・・・… 14 第1節 豊岡尋常高等小学校・兵庫県師範学校附属小学校 における遊戯指導・・・・・・・・・・・・・・… ..、..14. a)小学校における遊戯の位置・・… 一・・・・・・・・・… 15 b)遊戯の教育的価値・・・・・・・・・・・・・・… ’’’・・’18. c)遊戯選択の基準・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 21 d)学校教材としての遊戯・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 22. 第2節 遊戯的教授法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 40 a)算術科…. ’’’.’’’’’’’’’’’.’’’’’’’..41. b)国語科(話方と読方の部)・・・・・・・・・・・・・・・・・… 39 c)国語科(習字の部)一・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 43 d)修身科・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 43. 第3節 修身と遊戯・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 46. 註・’・・・・… 。・.・・H・・・・・・・・・・・・・・・… 56. 第3章 幼児教育における岸辺福雄の遊戯・・・・・・・・・・・・・・… 58. 第1節幼児教育への転向・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 58 第2節 教育としての口演童話・・・・・・・… 一・・・・・・… 62 a)談話の技術・・…. ’’’・・・・・・・・・・・・・・… 62.

(3) b)談話における楽しさと教育的効果・・・・・・・・・・・・… 63. C)童話選択の基準・…. ●. ・. ・. ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ …. d)童話の教育的価値…. ■. ・. ・. ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ …. ●. ・. 第3節 桃太郎主義の特徴… 註・・・・・・・・・・・…. ●. ●. ●. ・. ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ …. ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ …. 66. 70. 73. 79. 終章 遊戯の教育的意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 81. 引用・参考文献』覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 87.

(4) 序章 研究の目的と方法. 研究の目的 元来、教育は「知」の発達にのみ目を向けた教育を施すことにその目的を持つの ではなく、教育することの根底を為す「関心・意欲・態度」の育成にも目を向ける 必要がある。言い換えると、全人格的な発展を保障するところに本来の教育の目的 がある。ところが明治期以降の教育の有り様を見てみると、明治初期は産業育成政 策のもと、教育の有り様も知育を重視した展開をしていると言っても過言ではない。. このような日本の教育の方向性はどこを起点にしたのであろうか。この点を近代日. 本の黎明期といえる1872年(明治5年)に公布された「学制」の序文「被御出割 にみることが出来る。すなわち「而て其身を憎め智を開き才褻を長ずるは學にあら ざれば能ばず是れ學校の段あるゆえん」ユ)とあるように知識開発によって身を修め. ることの必要性を説き、学校の設立意義はまさにその知識開発にあると明言したの である。この「被仰出書」が各地方にあてて出されたことにより、明治期の学校教 育は知育重視の方向に傾斜するのである.. しかし、明治中期になると知育を重視した教育の形態に付随して、道徳1生の育成. にも目が向けられるようになる。1879年(明治12年)の「教学大旨」発布に続き 白滝・日露戦争を経て徳性酒養を重視した公民化教育が台頭する、.知識教育重視の. 傾向を脱して道徳性の溜養を視野に入れた教育へ方向転換が図られたのである。子 どもの道徳性の溜養を重視する教育の在り方は実践の場で様々に模索された。また、 それと並行する形で授業の改善への提言が盛んに行われるようになった。それが、 明治末期から大正期にかけて起こった所謂、大正新教育運動である。. 新教育運動は19世紀から20世紀初頭に先進諸国で生起した教育改革の思想と実 践であり、それまでの知識注入型の教育を反省する立場に立ち、子どもを中心に据 えた学びの方法を様々な形で実践するものであった。日本においても、明治末期か ら大正期にかけて新教育の影響を受けた教育思想が展開されそれに基づく実践が行 われた。新教育思想は「児童中心主義」といわれるように子どもの主体性を重視し た学びの姿を追究する点に共通点が見られるものの、教育者それそれによって主張 や方法論は異なり一様を呈するものではない。 教育方法改善の動きが盛んになるにつれて、それまでの知識注入型の教育に「遊 一1一.

(5) 戯」の概念を持ち込み、楽しさを加味した教育実践を通して全人格的発達を為そう とした教育展開が起きてきた。この時期、遊戯的学びの手法を取り入れた樋口勘次 郎、東基吉、和日ヨ実、岸辺福雄らの遊戯的教授への取り組みは、閉塞感を持って授. 業に臨んでいた幼児・児童に楽しく学ぶことの意味を教えようとした。この意義が 新教育運動の一つの柱になり得るといえる。. また、現在の日本の教育を見ると、ゆとり教育の必要性が声高に叫ばれ体験学習 が重視された一時期を経て、近年は子どもの学力保障が問題とされている。しかし その方法論には明確な指針がなく、詰め込み教育に対しては根強い批判を残しつつ も注入型の教授方法に揺り戻しっっあるとはいえないだろうか。このような現在、. 明治、大正期の教育界にあって遊びを中心とした教育の改善を試みた彼らの足跡を 追うことは今日の教育方法の見直しにつながると考える。. 大正新教育期にあって、遊戯的学びの手法を取り入れた代表的人物の」人が岸辺 福雄(旧姓佐藤、1873∼1958)である。岸辺は明治初期から中期にかけて体育の一 貫として扱われていた遊戯に着目し、遊戯が身体の強健を目的とするだけでなく、 子どもの人格形成にも大きく寄与するものであることを主張した仁.彼は初等教育に おける遊戯指導を通して道徳一性の酒養に遊戯が有効であることを確信し、やがて座 学中心であった算術・国語・修身等の遊戯的教授法を考案する、.岸辺の教育理念は. 常に子どもが楽しく学ぶことを重視し、さらに子どもが活動や授業に参加する中で 身をもって学ぶ、体験を通しての学びを重要視するものであった。また、注入一型で. はない教育を実践するにあたって教師は常に子どもと近しい存在にあるべきと主張 し、教師と子どもの間に対話のある授業を行っていたことも注目に値する。明治期 の日本にあってこのような授業スタイルは、当時の教師達に」石を投じるものであ ったろう。. また、口演童話家として活躍した岸辺の後期の活動をみると、彼が修身科の遊戯 的指導において用いた手法の数々が活かされている。岸辺にとっての童話口演は教 育活動の一環であり、彼が生涯を通じて重視した道徳性の酒養を効果的に行う教授 行為の一つであったといえる。. このように岸辺は、その生涯において初等教育・幼児教育・女子教育・芸術教育・. 口演童話と実践の場を広げてゆくが、常に現場の教師としての立場から教育を見つ め、自身が述べるように「理論を理想とした実際家」という立場を貫いた。こめよ 一2一.

(6) うな岸辺の立場から見えた教育の姿と彼が求めたより良い教育の在り方は、現在の 私達にも多くの示唆を与えてくれる。. 岸辺に関する先行研究の代表的なものを挙げると、田中貴子は「幼児期における <お話>に関する研究一岸辺福雄の幼稚園実践一」の一 ?ナ東洋幼稚園の組み分けを. 考察し、保育における「お話」には子どもの心を育てる願いが込められていたのだ と結論している。是澤優子は、「子どもに語る〈お話>の方法論に関する研究一岸辺. 福雄の口演理論一」において岸辺の口演童話理論を考察し、身振りに代表される非 言語技術の重要性の認識に至っている。また、丸山千里の「岸辺福雄論一岸辺福雄 の幼児教育観を中心に一」では、岸辺の教育は「子どもが好きだ」というところか ら出発しており、彼の教育活動は童心主義の実践の場である。岸辺は生涯を通じて の幼児教育家であったと述べている。先行研究の中で唯一岸辺の遊戯指導に触れた. 川島虎雄の「明治時代の体操・遊戯について(その4)一佐藤福雄の遊戯観につい て一」という論文は900字に満たないものであるが、その中で、岸辺は遊戯によっ て子どもの品性を高め、心身共に健全なる国民を育成することに専心したと述べて いる。岸辺に関する先行研究は口演童話活動や幼稚園実践に焦点を当てたものが多 く、初期の遊戯研究との関連は十分に考察されたとは言い難い。本稿においては、 「遊戯」をキーワードとした岸辺の生涯に亘る活動を整理考察し、彼に」貢する教. 育理念及び方法を明らかにすることを目的とする。その上で、岸辺が目指した教育 の在り方が今後の教育に与える示唆を導き出したい。. 毎究の方法 本研究では岸辺福雄の著書である『孝子貞婦伝』『実験新遊戯』『遊戯的教授準』 『遊戯の実際』『第二実験新遊戯』『おイ加噺仕方の理論と実際』『岸辺幅望名話集』、. 雑誌に掲載された岸辺の論稿を資料として、彼の教育理念と方法を抽出し考察の対 象とする。考察の手順は次のとおりである。. まず、第1章では学校教育の中で「遊び」をどのように捉える事が出来るのかを 概観した上で、明治10年代から20年代の学校教育の有り様を確認し、本稿の時代 背景を明らかにする。. 次いで第2章では、岸辺に関する先行研究で対象とされていなかった遊戯指導の 内容を明らかにし、遊戯指導における岸辺の特徴を抽出する、.また、遊戯的教授法 一3一.

(7) の実践を検討し、教科教育において遊戯的要素がいかに機能したのかを考察する。. さらに岸辺の遊戯指導と修身の関係に着目し、育成しようとした入間像を明らかに することで岸辺の教育理念を抽出する。. 第3章では岸辺の幼児教育活動に焦点を当て、まず、岸辺が初等教育から幼児教 育に転向した理由を考察するとともに当時の幼稚園教育の動向を概観する。その上 で岸辺の口演童話活動を取り上げ、初等教育において実践した遊戯的教授法が口演 童話にも受け継がれていたことを確認し、岸辺における口演童話の教育的意味を明 らかにする。また、岸辺の幼稚園実践を検討し、彼が幼稚園教育の中で目指した理 念を明らかにする。. 最後に終章では、第1章から第3章までの各章で行った考察の結果をもとに、「遊 戯」が持つ教育的意味に言及し、現在の教育に対する提言を導き出すことを目的と する。. 一4一.

(8) 註. 1)文部省編『学制百年史(資料編)』、ぎょうせい、1972年、p.11. 一5・.

(9) 第1章 教育方法としての遊戯. 人間の「遊び」という行為は、多くの研究者に取り上げられ、様々に研究されて きた。子どもの遊びだけにとどまらず、大人の遊びに言及したものや、文化、社会 の枠組みの中で遊びを論じたものまで多様であるが、本稿では、遊びを学校教育の 中に限定して論じる。. 第1章では、学校教育の中で遊びをどのように捉えることができるのかを提示し た上で、本稿が立脚する遊びの捉えを明確にする。さらに、体育科の教科内容とし て遊戯が取り入れられた明治期の学校教育の有り様を確認し、本稿で主題とする岸 辺福雄が遊戯指導を行った時期の時代背景を明らかにしたい。. 第1節 学校教育における遊びの捉え. 人問は「遊ぶ動物である」と定義されるように、遊びという行為そのものを研究 対象として多くの研究者達が様々な論を展開してきた。代表的な説として、「過剰エ ネルギー説」「生活準備説」「反復発生説」ユ〕等を挙げることができる。これらは遊. びの持っ性質を研究対象とし、遊びという行為はなぜ生起するのかに言及したもの である亡.ホイジシガー、カイヨワは文化と遊びの関係に着目し、遊びの持っ意味や 社会的役割についての言及を行っている。彼らの論では、遊びは自由な行.為であり、. なおかつ遊びという行為そのものに目的を持つものだとされている。しかし、彼ら の主張は文化としての遊びの捉えに立脚したものであり、学校教育の枠組みにおけ る遊び論とは立脚点が異なってい一る。教育の上で語られる遊び論すなわち遊戯論は. 遊びの性質そのものを語ることが本筋ではなく、あくまでも授業における学びの方 法諭として語られるものである。樋口、東、和日日、岸辺らは学びを主体的に行わせ. る手法としての「遊戯」こそが授業の引き立て役であるとし、実践に対応する方法 論として有効だというのである。. では、遊びを基盤においた教育の詳細をみる前に、本稿では学校教育における遊 びをどのように捉えるのか確認しておきたい。 ・6一.

(10) かつて、家庭や労働の場が教育を担っていた時代には、学習する内容は直接学習 者の生活に結びつくものであり、生きてゆくための必要事項として教育が存在した。. しかし、社会の近代化とともに学ぶべき内容は莫大になり、限られた期間内に学習 内容を網羅するためには効率的な学習が必要となった。教育者が教育内容を体系化 し、学年や学期に配分して教える近代学校教育制度はこのような効率的学習の担い 手として成立したといえる。このような近代学校教育においては学びの内容が子ど もの生活に直接関係しない事柄をも含むようになり、学習者としての子どもは学び の必要性を感じることが難しくなってきた。このような教育制度のもとでは、とも すれば教育内容を消化することが先行し、知識注入型の教育に陥りやすい。学習の 目的が見えにくく、子どもは受け身になり、積極的な学びが期待しにくいことも事 実である。このような知識注入型教育の反省から着目されたのが、子どもが興味を 持って主体的に学ぶための要素としての「楽しさ」である。. とりわけ新教育運動が盛んになり、子ども主体の教育の在り方が研究されるよう になると、子どもが興味を持って活動に参加し、積極的に学ぶ姿勢をいかに育てる かといった研究が行われるようになる。すなわち、子どもが主体的に学ぶための手 法として「.楽しさ」の要素が注目されるようになるのである。学習者の年齢が低け れば低いほど主体一性を引き出すための「楽しさ」は重要な要素となる。楽しいから. 取り組む、楽しいから熱中する、楽しいから続けるといったことは誰にも共通する 自然な感情であり、活動に参加するための大きな誘因になることは明らかだろう。. そして、楽しさを具現化するものとして「遊び」は教育の中で重要な意味を持つの である。. 学校教育における遊びを考えるとき、そこには二つの立場が考えられる。ひとつ は学習者が「遊びとしての遊び」を行う場合であり、遊ぶ行為が結果的に学習につ ながる場合である。たとえば、子どもがパズルを組み立てるとしよう。子どもは学 習するという意図は持たず、ただ面白さゆえに一生懸命パズルを組み立てる。その 結果として形の認識やその組み合わせを学習するのである。また、幼児が複数で、. ごっこ遊びをする場面でも、彼らは友達とのかかわりの中でルールを作り役割を演 じる日その結果として社会生活を学ぶのである。これらの場合には子どもは学びの 意図を持たないことと共に、遊びの中に親、教師などの意図は直接的には反映され ない。子どもは自らの興味や関心に従って自然発生的に遊ぶのである。遊びの結果 一7一.

(11) に付随する学びは偶発的であり、保障されるものではない。. ふたつは「教育の方法としての遊び」であり、明らかな教育目的を達成するため の方法として用いられる遊びである。学びの中に意図的に遊びの要素を取り入れ、. 子どもの主体性を引き出す手法として用いるものである。この場合、学習者が取り 組む活動には教育を与える者の意図が反映され明確な教育目標が存する。学習者は 意識して遊ぶわけではないが、教育者の意図により学びの中で「遊び」を経験する のである。. このように二方向から教育の中の遊びをみると、教師の立場では、」方の遊びは 非窓意的であり、もう」方は窓意的であるが、子どもの立場に立つと、どちらの場 合も楽しいから、面白いから遊ぶのだといえる。 以上のことを踏まえて、本稿では学校教育の中にある「教育の方法としての遊び」 を取り上げる。. また、2章以降の考察において、学校体育の教科内容、あるいは幼稚園の保育内 奏としての遊戯と、上で述べた教育の方法としての「遊戯」を扱うことになる。そ こで、これらふたっの混同を避けるため、教育方法を指す場合にはカッコを付して r遊戯」と表記することにする、.. 一8一.

(12) 第2節 学校体育としての遊戯. 1872年(明治5年)に学制が布がれたことを発端として日本の教育は欧米を手 本にした知育重視の教育が展開された。「被仰出書」に而て其身を修め智を開き才 芸を長ずるは学にあらざれば能ばず是れ学校の段あるゆえん」2)と謳われるように. 学校教育は知識教授を中心に行われた。学校教育が知育に偏重したことで農高民の 子ども達にも難しい学問を説く者があるが、ひどい者になると外国語を話してもそ れを和訳することすらできない。実際生活に役立つ能力は育たず、却って学問知識 を振り回し長上を敵わなくなるといった状態さえ生じ始めた.このような当時の現. 状を、1878年(明治11年)天皇が地方行幸の際に視察し、学校教育が民衆の実際 生活から乖離してしまったことを反省した上で、翌1879年(明治12年)に「教学 聖旨」が示される。「教学聖旨」は「教学大旨」と「小学条目二件」からなっており、. 「小学条目二件」の中で上記の天皇行幸の際の視察の様子が述べられている。. 「去秋各県ノ季校ヲ巡覧シ観シク生徒ノ芸業ヲ験スルニ或ハ農商ノ子弟ニシテ 其説ク所多クハ高尚ノ空論ノミ甚キニ至テハ善ク洋語ヲ言ブト離トモ之ヲ邦語二 訳スルコト能ハス此輩他日業卒リ家二帰ルトモ再タビ本業二就キ難ク又高尚ノ空 論ニテハ官卜為ルモ無用ナル可シ加之其博聞二誇リ長上ヲ侮リ縣官ノ妨害トナル モノ少ナカラサルヘシ」3). この」文は高尚な学問については詳しくても、それが実際の生活と結びっかない ことを指摘するのである。そして、この視察の現状をもとに. 「是皆教学ノ其道ヲ得サルノ弊害ナリ碑二農商ニハ農商ノ学科ヲ設ケ高尚二馳 セス実地二基ツキ他日学成ル時ハ其本業二帰リテ益々其業ヲ盛大ニスルノ教則ア ランゴトヲ欲ス」4). と、高尚な知識ばかりではなく農高民には農商に関する学習が必要なのであり、学 習することで将来自分が進む道をより盛大に出来るような実際生活に結びついた実 一9・.

(13) 学の重要性が主張されるのである。 「教学大旨」においては次のように記されている。. 幟近事ラ智識才芸ノミヲ尚トビ文明開化ノ末二馳セ品行ヲ破リ風俗ヲ傷フ者 小ナカラス然ル所以ノ者ハ維新ノ始首トシテ弊習ヲ破リ智識ヲ世界二広ムルノ卓 見ヲ以テ」時西洋ノ所長ヲ取リ日新ノ効ヲ奏スト雄モ其流弊仁義忠孝ヲ後ニシ徒 二洋風是競フニ於テハ将来ノ恐ルル所終二君臣父子ノ大義ヲ知ラサルニ至ランモ 側ル可カラス是我邦教学ノ本意二非サル也」5). 知識を獲得することばかりを目標として品行、風俗を重んじなくなり、広く世界 に知識を求めることで西洋の優れたものを取り入れたとはいえ、仁義忠孝を軽んじ 西洋化することを競うようでは、将来的に君臣、父子として長上を敬うことがなく なるかもしれない。それは、我が国の教育の本意ではないとして道徳観念が希薄に なりつつあった当時の状態を憂い、以後の教育に転換が必要であることを明文化す る、.. そして、続く後半部分では以下のように謳われ。ている、.. 「自今以往祖宗ノ訓典二基ツキ専ラ仁義忠孝ヲ明ラカニシ道徳ノ学ハ孔子ヲ主 トシテ人々誠実品行ヲ尚トビ然ル上各科ノ学ハ英才器二従テ益々畏長シ道徳才芸 本末全備シテ大中至正ノ赦学天下二布満セシメハ我邦独立ノ精神二於テ宇内二恥 ルコト無カル可シ」6j. 今後は仁義忠孝思想を明確に、道徳は孔子の教えを中心として誠実品行を貴び、. その上で各科の学問を探求し道徳才芸を全備して正しい教育を国中に広めれば、我 国独立の精神において世界に恥じることはないと、仁義忠孝思想を中心とした儒教 思想に基づく道徳教育を基盤に据えた上で知識教育を推進することを明言したので ある。こうして日本の教育は大きく舵を切ることになる。. これを受けて1880年(明治13年)には「改正教育令」が発布され、続く1881 年(明治14年)の「小学校教則綱領」で「修身」が小学校教科の筆頭におかれる ようになった。ここに知育重視教育からの離脱という明治期学校教育の大きな転換 一10一.

(14) をみるのである。. また、遊戯が小学校低学年の体育科の教科内容として規定されたのも同じ1881 年(明治14年)発布の「小学校教具1」綱領」である。それまでの知識注入型教育が 主流であった時期には、体育の教科内容も体操が中心で、専ら教師の号令のもと規 律運動が行われるのが常であった。そこに遊戯が教材として持ち込まれたことには どのような意味があると考えられるだろうか。 それは、身体の健康や発達を促し、規律訓練の個一」面を持つ体育科にあっても教師. 主導の注入型に偏重するのではなく、いかに子どもが教授内容を身にっけてゆくか といった方法論に胃が向けられ始めたことの表れだといえる。すなわち、形式重視 の規律訓練に終始するのではなく、楽しさを伴う遊戯とい一う従来にない方法を持ち. 込み、子どもの実態に即した新しい教育方法が現場で試行され始めだといえるだろ う。. 知育重視から徳育尊重へという教育内容の転換とともに教育方法についても新た な模索がなされ始めたことは、近代学校草創期の教育方法が新しい時代の教育へと 転換を図る胎動の時期と考えてよい。. 上でも述べたように、遊戯が体育科の教科内容として文部省文献に登場するのは 188ユ年(明治14年)発布の「小学校教員1」綱領」が最初である。その中で「体操、 初等科ノ初メハ適宜遊戯ヲ以テ之二充テ漸次徒手運動二及ブベシ」7)と述べられて. いる。小学校低学年には遊戯を体操の代わりに課し、次いで徒手運動へと移行する ことを謳うものである口. 遊戯に対する呼称は「運動遊戯」「戸外遊戯」が用いられ、初期の遊戯解説書とし. ては、『Out−Doorga皿es』(f.w.ストレンジ著 明治16年)を翻訳した『西洋 戸外遊戯法』(下村泰大編 明治18年)や『戸外遊戯法』(坪井玄道 明治18年) などが出版されている。これらの遊戯解説書の内容は「べ一スボール」「フートボー. ル」など現代でいうところのスポーツを含んでおり、西洋から輸入された種目が翻. 訳され、紹介されていることがわかる。また、1887年(明治20年)には『音楽之 枝折』(大村芳樹著)が出版されており、唱歌に合わせて振付を演じるものや、「対 舞(コントラダンス)」など現在のフォークダンスに類する演目も紹介される亡.さら. に、1894年(明治27年)刊行の『遊戯之枝折』(大村芳樹著)では、「鎮行進」や 一11・.

(15) 「十字行進」など行進を中心とするマスゲーム的な遊戯の掲載がみられる。その他、. 鬼ごっこの変形である「盲鬼」「手繋鬼」なども紹介されており、日常の遊びの中で 子どもたちが楽しんでいたものにヒントを得た演目もみられる。. このように明治20年代の遊戯解説書をみると、競争、スポーツ、ダンス、路地 裏での遊びにヒントを得たものなど様々なタイプの演目が遊戯という枠組みで紹介 されていることがわかる。しかし、紹介された遊戯は、どの解説書をみても演技の 仕方の解説が羅列されているだけである。学校体育という教育的意図のもとに用い られた遊戯であるが、そこには教材としての選択や配列の基準はみられず、様々な 種目が混在しているといってよい。実践の場では、各教師がこれらの解説書を頼り に遊戯指導を行っていたものと思われる。遊戯がまだ新しい概念であった当時にお いては、遊戯が子どもの実態に合った教材として十分に機能していたとはいえない。. 本稿で研究の対象とする岸辺福雄は、1895年(明治28年)から小学校での遊戯 指導に取り組んでいる。彼はまさしく、上記のような混沌とした学校体育の中で遊 戯の指導に当たったのである。岸辺の実践を通して、「遊戯」を基盤に据えた教育の. 有り様を第2章で考察することとする。. ・12一.

(16) 註. 1)「過剰エネルギー説」は、行動の過剰なエネルギーが遊びを引き出すという説 で、シラーやスペンサ」が唱えたものである。「生活準備説」は、遊びは将来の. 生活に向けた準備をするために、生まれつき不完全な本能を練り上げる活動で あるとするグロースの説である。「反復発生説」は、遊びは昔の時代の種族の精. 神的、身体的行為を繰り返すことであるとするキュ」リックやホールが提唱し た説である。. 2)文部省編『学制百年史(資料編)』、ぎょうせし\昭和47年、p11 3)同上書、P7 4)同上 5)同上 6)同上. 7同上書、P.81. 一13一.

(17) 第2章 初等教育における岸辺福雄の遊戯. 本章では岸辺の小学校教育実践に焦点を当て、体育科の遊戯指導、教科指導にお ける遊戯的教授の実際を明らかにする。岸辺の小学校における実践については、こ れまで先行研究でも詳細には触れられていない。岸辺の最も初期の教育実践である 小学校教育の実際を明らかにすることは、岸辺研究において大変重要な意味を持つ ものと考える。. 第1節では、岸辺の遊戯観の特徴を抽出するとともに、彼が教材として学校教育 に持ち込んだ遊戯種目の考察を行う。第2節では、教科の遊戯的教授の実例を検討 し、教科教育において遊戯的要素がいかに機能したのかを考察する.第3節では、 岸辺の教育観をみる上で重要な位置を占める修身と遊戯の関係に着目し、彼の教育 理念の抽出を試みる、.. 第ユ節 豊岡尋常高等小学校・兵庫県師範学校附属小学校における遊戯指導. 豊岡小学校日誌によると、岸辺福雄(1日娃佐藤、1873∼1958・明治6年∼昭和33. 年)は1895年(明治28年)に兵庫県尋常師範学校を卒業し、同年3月31日付で 兵庫県豊岡尋常高等小学校(以後、豊岡小学校という)に正教員としての職を得て いる、.豊岡小学校では尋常1年男生を受け持ち、教育実践家としてのスタートを切. ったのである、.在職中の1896年(明治29年)3月には岸辺初の 著書として修身科の副読本的一性格を持っ『孝子貞婦伝』を発行し、. 同じく1896年(明治29年)9月には豊岡小学校児童の為の帽章 (図2−1)を考案し採用されている、.この帽章は、制定から. 図2−1. 110年以上経った現在も豊岡市立豊岡小学校の校章として使用され続けている、.. 就労後わずか1年余りの期問にも関わらず、岸辺は様々な活動に積極的に取り組 んでおり、彼が教育実践の初期から大変精力的な姿勢を持って教育に臨んでいたこ とがうかがえる、.. 岸辺は豊岡小学校で遊戯の指導を始め、]898年(明治31年)6月に兵庫県師範 学校附属小学校(以後、附属小学校という)に転属になった後、1902年(明治35 一1ぺ.

(18) 年)に上京するまでの間、更なる実践と研究を積むことになる。この附属小学校で の実践を1899年(明治32年)『実験新遊戯』、1902年(明治35年)『遊戯の実際』 『遊戯的教授法』『第二実験新遊戯』、1903年(明治36年)『実験日本新遊戯』に まとめて出版している。. 岸辺は著書を執筆するにあたり、子どもが友達や先生と愉快に遊ぶ様子を「具体 的に」「有様が見えるように」記述することを明言している。それぞれの遊戯の仕方 を子どもと教師の会話を交えて速記録のように記述した後に「訓話」の項を設け、. 教師がそれぞれの遊戯において子どもに何を指導しどのような言葉かけを行えばよ いのかまで具体的に記している。例えば「転んでも泣かずに走ったのは偉かった。」 「敵を前にしてひるまず攻め続けたのは剛毅だった。」といったように子どもの積極. 性や努力を具体的に評価する内容が多い。これは、岸辺の著書が学校教師に向けて 書かれた指導の手引き書としての性格を有することを意味している。遊戯の仕方だ けにとどまらず、教師が与えるべき訓話、各遊戯に必要な道具類から適切な服装、. その道具類や衣服の作り方まで丁寧に指導した著作は他に見当たらない。その有り 様は現代の記録ビデオのようでもある。すなわち、現場の教師が手にしてすぐ実践 に役立つように構成し、遊戯を広く普及させ、誰でもが簡単に教育の現場に取り入 れられるような工夫がなされているといえる。また、実際の指導現場で教師が感覚 的に得ているもの、あるいは指導の場に散在している事柄を整理し、順序・系統立 てて伝えようとしているともいえるだろう。ここに岸辺の著作の特徴と意義がある といえる。. a)小学校における遊戯の位置 明治20年代、遊戯は体育の一環として扱われ、体操と並んで身体の強健を目的 とするものであった。1881年(明治14年)のr小学校教則綱領」においてr体操、 初等科ノ初メハ適宜遊戯ヲ皿テ之二充テ漸次徒手運動二及ブベシ」1〕と明文化され、. 遊戯が低学年体育の教授内容として認められたものの明確な指導方法もなく、既存 の遊戯解説書を頼りに各々の教師が試行錯誤するのが現状であった。. このような申、岸辺は1896年(明治29年)に『孝子貞婦伝』を出版し、その巻 末附録として「小学校生徒遊戯法」を掲載している。「小学校生徒遊戯法」は岸辺が. 小学校で教授するにさわしいと考えた遊戯種目を既刊の遊戯指導書から選出し、学 一15・.

(19) 年・男女別に配当した遊戯種目の一覧表である。「小学校生徒遊戯法」では遊戯名と. 出典、演じ方の解説があるだけで、岸辺の遊戯に関する思想はまだ見ることはない が、それまでの遊戯書に羅列されていた遊戯種目を学校教育の中で扱うことを目的 とし、編纂し直したことには大きな意味があるといってよいだろう。. 本編である『孝子貞婦伝』は親孝行や家族に尽くしたことで褒章を受けた人々の 逸話を全国から集めて掲載したものである。巻頭に教育勅語の全文を配し、緒言の 中で「教訓上の便益を計り主として最近のもの㌧みを掲げたり故に教科書申の旧事 実と比較して訓戒せは大に得るところあるべし」2)と述べる。文中の「教科書」と. は修身科の教科書を指し、この『孝子貞婦伝』は修身科の副読本を意図して編纂さ れたことが明らかであり、遊戯は本文と全く関係がない。しかし、その巻末に遊戯 の配当表を附録として添付したのはなぜだろうか。. 岸辺が小学校教師となったのは1895年(明治28年)4月であり、『孝子貞婦伝』. は、わずかユ年後の1896年(明治29年)3月に出版されている。この問に小学校 で遊戯指導に当たった岸辺は学校教育の中で取り組む遊戯を精選する必要を感じ、. 既刊の遊戯指導書を研究したものと思われる口また、岸辺の母校である兵庫県師範. 学校には、1895年(明治28年)から遊戯研究会がおかれ、附属小学校の教師たち が遊戯研究に励んでいた。このような岸辺を取り巻く環境も彼が教育実践のごく初 期から遊戯に着目し、積極的な研究を行う一要因であったとみることもできるだろ. う。そして、1896年(明治29年)、岸辺は既刊の遊戯解説書6冊をもとに小学校 体育で取り組むべき遊戯を選定し「小学校生徒遊戯法」として編集したのである。. 本編である『孝子貞婦伝』が修身科の副読本を意図していたということは、この書 物が小学校教師に読まれる目的を持っていたことを意味する。すなわち、「小学校生. 徒遊戯法」も教師の目に触れることを企図して巻末附録としたのである。岸辺は遊 戯を広く普及させたいという熱意を持っていたと同時に、学校教育の中で明確な指 針がないまま指導されていた遊戯を整理し、読者となる小学校教師達に提示しよう としたのである。. 岸辺が「小学校生徒遊戯法」編集の際、底本としたのは以下の遊戯解説書3〕であ る。. 1.戸外遊戯法(坪井玄道編 明治18年) 2.音楽之枝折(大村芳樹著 明治20年) 一16一.

(20) 3.遊戯全書<西洋遊戯全書>(ワグネル著 仙郷学人等訳 明治22年). 4.男女遊戯法(吉田牧吉編 明治26年) 5.遊戯之枝折(大村芳樹著 明治27年) 6,新撰遊戯全書(前野関一郎編 明治28年). 岸辺が編集の底本としたこれらの遊戯解説書は当時すでに普及をみていたものと 思われるが、底本に掲載されている遊戯種目の配列には何の基準もなく単に仕方の 解説が羅列されているだけである。「小学校生徒遊戯法」では、各解説書の中で散在. していた遊戯種目を子どもの発達段階に沿った教育的意図のもとに整理・再編集し ており、遊戯の配当に明確な教育的意図が持ち込まれたことには大きな意味が存す るといってよいだろう。選択基準のないまま学校体育に取り入れられ、体操に比べ て軽視されていた遊戯を、子どもの発達を鑑みた重要教材として認識したところに 岸辺の遊戯観の特質をみることができる。. 当時の学校教育のあり万全体に目を向けてみると、教育の有り様が教室における 座学を中心としたいわゆる知識注入型であったことは周知である。教師自身が学校 教育の目的は矢口識の教授であると信じ、」般の保護者らからも体操や遊戯指導を行 う意味を理解されない様子は、岸辺の以下の文章からも明らかである。. 「学校わ只読み書き算術を教ゆる所、言い換えれば、学校わ単に智識、技能、. を授ける所で、小学校わ決して児童体力の増進発達などにわ、一向責任ないも の、様に、教師も父見も、上下おしなべて、そ一信じて、それで澄まし込んで おるものわ、よもやこの文明の世に、しかも教育学術の非常に進んだ今時に、. ある一とわ夢にも思われないが、しかし実際それが現在至る所に有るのだから 仕方がない。やれあの学校わ体育をさせるから、やらないの、遊戯などをさせ て、遊ばして計りしておるから、退学させるなど、とねだりこむ父兄がある。. 又この父兄の小言に直ぐさま甲をぬいで、学校の体操遊戯を全く時間割から省 き去ツて、丸で愛らしき児童を、乾干しにして何とも思わない小学校教師もあ るというに至ツてわ、実に言語道断、滑稽とも、矛盾とも、何ともかとも言い .方のない沙汰である。」4〕. 一17・.

(21) 岸辺はこのように学校教育の現状を嘆きつつも、体育における体操はある一定の 位置を確立しているとの認識を持っていた。遊戯に関してはほとんどその意味を認 められず教育における位置づけは曖昧なものであるが、体操に関して一定の意味づ けがされていたのは、体操が「兵役の準備演習」という性格を有していたからであ る。. 1885年(明治18年)文部省から「兵式体操及ビ体操教員養成要項ヲ体操伝習所 二達ス。」という伝達がなされ、その中に「是兵式体操へ宙二体カラ発達スルノミ ナラズ又能ク秩序ヲ守リ沈毅事二耐ブルノ習慣ヲ養フ等体育中最モ必要ナル」5)と. あるように、兵式体操をもって体力の増進のみでなく、規律に従う精神習慣を養成 しようと企図されたのである。. この政府の方針を受けて1888年(明治21年)には『小学兵式体操書』(松岡彪 編纂)が刊行され、小学校体育においても兵式体操が本格的に導入されることとな る。『小学兵式体操書』には「本書編纂ノ目的ハ生徒ノ体カラ強壮ニシ規律二服従ス. ルノ習慣ヲ与へ品位気質ヲ高尚ナラシムルニ在リ。敬二現今軍隊二用ユル所ノ歩兵 操典二拠ル」6〕とあり、規律正しい隊列運動などの軍隊式訓練が各学校において行 われたのである。. 岸辺はこのように兵式体操が重視された学校体育の現状を「学校教育で、唯一重 要な体育科の本旨が、飛んでもない横道に要用された為に、学校の体育事業の蒙ツ た影響は、決して少なくわあるまい。」7)と批判する。その上で「小学校に課する体 育科にわ、興味を惹起せしむるものであることが必要である。」8)と述べ、子どもが. 興味を持って取り組む授業内容として学校体育における遊戯の必要性を主張するの である。. b)遊戯の教育的価値 上で述べたように、遊戯は体育の]環として学校教育の中にあり、その目的は健 全な身体の育成を図ることであった。岸辺は健全な身体を具体的に「健康・強壮・. 敏捷・美麗」とし、美麗を除く3点が遊戯によって育成されると考えた。遊戯の持 っ運動性が強壮を生み、競争性が敏捷を生むと主張するのである。. また、身体の健康と精神の健康は密接不離であることを指摘し、身体、精神とも に健全な人間の育成にも遊戯は最適であると岸辺は主張する。 ・18一.

(22) 「人は健全なるの外活発有為の資性を要す而して之を養成するに至便なるは遊. 戯に勝るものなし元来遊戯は体育の補助として用ひらるるものなれども快活勇 壮の精神を付与し尚其教授の方法官しきを得ば唯に心身の発達を完全ならしむ るのみならず更に児童品性の陶冶上に莫大の効果を与ふるものなり」9). このように述べる岸辺は、小学校における実際の遊戯指導を通して、遊戯が身心の 健康のみでなく人間形成にも大きく寄与することを見出したのである。. 岸辺の遊戯に対する価値づけの特徴は、まさにこの「人問形成に寄与する」とい う部分にあると考えられる。. また、岸辺は遊戯の特質を「全く自然の動作で、確定した目的のない仕事で、又 初めから終はりまで愉快でなくてはたらぬ」と述べ、遊戯の目的として「身体の強. 健精神の爽快意志の訓練」の三つを挙げている。身体の強健は体育課教授の大 きな教育目的であり、なおかつ岸辺自身が子どもの成長においてまず第一に達成さ れねばならないと考えたものである。一方、精神の爽快、意志の訓練は、遊戯をも って健全な精神の育成が行われると主張する岸辺独自の目的といえる。闊達な精神 性と克己心につながる強固な意志の訓練は、将来軍人としての立身が期待された当 時の時流に合致した教育目的といえるだろう。当時の国力増強の気運の申で兵式体 操に代表されるように軍事色が教育にも持ち込まれ、育成が望まれる子ども像にも 将来軍人として立身するための準備といったものが反映されている。岸辺が育成を 図った子ども像もまさしく国策に削ったものであるが、そこに遊戯という概念や方 法をもちこんだことに岸辺の独自性があると考えられる。. さらに岸辺は女子教育においても運動遊戯を重要視する。当時の日本女性の特質 を「我国の女子は憂欝性に富んで居て、一向に元気がなくて言うこと為すこと如何 にも活気に乏しいが、女子の品位を高めるという説は、近来大いに盛んになツて居 る」ユOjと指摘し、女子の憂麓性を改善するには遊戯に熱中し活気を帯びることが肝. 要であり、その結果「活きたる婦人」が生まれると期待するのである。身体運動を 伴う激しい遊戯は男子生徒に適すると捉えられがちであるが、遊戯の運動量はルー ルや走る距離などの工夫でいかにも増減でき、演じる者の状態に合わせることが可 能である。このことも女子教育に遊戯を取り入れるにあたって有効であり、このよ 一19一.

(23) うな融通性が教育の中では大切であると述べるのである。この岸辺の考え方は、後 の女学校設立の精神にもっながるものである。. また、岸辺は運動場で喜々として遊ぶ子どもの姿を捉え「活発は児童の天性なり」. と述べる。運動場において一人として沈思黙座する者のない子どもたちにとって遊 びは必要不可欠なものであり、自然発生的なものでさえあると考えた。そこで、学 校教育における教材としての遊戯に着目したのである。つまり、岸辺は子どもの姿 をありのままに捉え、その姿を出発点として子ども達にふさわしい教育の在り方を 考えようとしたのである。. また、岸辺は遊戯がその性質上、変化に富み、子どもの興味を捉えるものである ことを重視し、さらに集団で演じることから社会性の獲得にもつながるものとの確 信を得る。. 学校遊戯に必要な要件を喚味の多様なること道徳上の理法を含有すること及び 衆の共に漬と得べきこと準備の簡単なること」としていることからも、岸辺が遊戯 を集団で行う中で子どもが楽しみながら遊戯の目的を達成し、全人的成長を期待し たことがうかがえる。これらの要件を満たす遊戯は多くはないと岸辺は考えたが、. 必要なことは種類の多様さではなく同じ遊戯を繰り返し行うことであった。この考 え方からは、単に遊戯を楽しめばよいのでなく繰り返すことで子どもが遊戯の持つ 教育的意味を自然と身につけることを期待する意図が読み取れる。. また、岸辺は「教師は児童とともに遊戯すべし」と断言し、近しい関係になった 教師には愛すべき存在として尊敬の念を児童が抱くとも述べる。ともに遊戯を行う 中で時には教師が子どもの前で転んだり、鬼ごっこで子どもに捕まえられたりする ことも必要なことだと考えた。このように、ともに遊び触れ合う中で教師と子ども が返しくなり、打ち解けた関係を結ぶことが教育において必要だと考えたのである。. 教師が子どもとともに遊ぶことは、なんら教師の品位を落とすものではないと強く 主張する岸辺は、厳格な上下関係のある教師と子どもではなく、両者が水平関係に 近くなることを望んだのであり、そのような関係が成り立ってはじめて構築出来る 人間対人間としての教師一子ども関係を求めたのである。このような関係は当時の 教育界にとっては斬新なものであったといえるだろう。岸辺は注入型の教育を脱し、. 子どもが主体性を持って自ら考え学ぶ姿勢を育成するためには教師一子ども関係の 変革をも必要と考えたのである。そして、教師と子どもがともに刺激し合えるよう ・20一.

(24) な関係の構築に遊戯が最適であることを見出したといえよう。. C)遊戯選択の基準 子どもの天性は活発なものであると断言する岸辺は更に進んで子どもの特性を 第一 子供は自由を好む。 第二 子供は活発なるもので。. 第三 子供は変化を望むことの著しい。u) と述べ、学校遊戯に欠かせない要件として 第一 殊更に唱歌を要さゴること。. 第二沢山の児童が一度に出来得ること。 第三 準備が簡単で道具を要せないものである亡.・2) を挙げている。. 学校によっては唱歌のための楽器やそれらに堪能な教師がない場合もあり、準備 に時間や費用を要したのでは広く普及することが難しいことを鑑み、いつでも誰で もすぐに取り掛かれる遊戯が学校教育の中には相応しいと考えた。. また岸辺は当時実際に小学校において取り組まれていた遊戯を以下の三種に分類 している。. ユ.競走遊戯(走ることを基本とするもの). 2.行進遊戯(隊列をなし行進演技をするもの) 3.唱歌遊戯(唱歌に合わせて振付をするもの) これら三種の中で岸辺は、子どもの特性に最も合うものとして競走遊戯を重視し た。走ることは体力の増進をもたらすのみでなく敏捷さを鍛え、集団の中で克己心 や協同心を養うにも好適であると考えたのである。また、行進遊戯や唱歌遊戯は動 きや振りがあらかじめ決まったものであり遊戯の中に大きな変化は望めないが、競 走遊戯においては同じ遊戯を繰り返しても、そのたびごとに何が起きるか予想でき ない。この偶発性が遊戯を変化に富んだものとし、子どもの特性に合致するのみで なく、突発の事項にも対処する半一」断力と果断なる実行力を養うというのである。. 競走遊戯が「滋養に富んだ食物」であるのに対し行進遊戯や唱歌遊戯は「お茶漬 け」であるとして、滋養物の後にはお茶漬けを、つまり、遊戯指導においては競走 遊戯と行進・唱歌遊戯を組み合わせて行うことが有効だと主張する。. 一2]・.

(25) d)学校教材としての遊戯 これまで述べてきたように、岸辺は遊戯の教育的価値を認識し、学校教育の中で 扱う遊戯に明確な選択基準を持っていた。では、実際にはどのような遊戯を用いて 教育を行おうとしていたのだろうか。次に岸辺の著書に挙がる遊戯種目を分析する。. 資料として遊戯種目を著書ごとに学年別、男女別、競走・行進・唱歌遊戯別に分 類し配当した一覧表を用いる。. 表2−1<遊戯配当一覧>『小学校生徒遊戯法孝子貞婦伝巻末附録』 (佐藤成美堂 明治29年) 男生用. 学年. 尋常科一二年男生. 競走遊戯. 行進遊戯. 唱歌遊戯. ●鼠. ●円形行進. ●風車. ●進め㌧. ●汽車. ●蓮華. ●盲鬼. ●蝶. ●家鴨. ●陸軍擬戦. ●環. ●駒. 袋布和尚. ●門. ●蛙. 戴嚢競走. ●車. 旗戻シ. 家鳴行列. その他. 熊打チ. 魯兵行軍. 尋常科三四年男生. 盲者毬拾ヒ. ●陸軍擬戦 佛蘭西鬼. (不明). 旗拾ヒ競走 二人三脚競走. 球換βケ. 擬馬競走 連足競走 変歩競走. 一22・.

(26) 場取リ. 海軍擬戦 新田四郎. 龍虎戯. 高等科男生. 盲人擬馬競走. 横縄跳. 競走. 環列毬. 三人四脚. 連鎖競走 速足競走 擬戦遊戯 旗奪. 措架競走 ポーム. 海軍擬戦 プリブナルスペ 」ス. フートボール 徒歩打毬. 女生用 学年. 尋常科一二年女生. 競走遊戯. 行進遊戯. 唱歌遊戯. その他. ●鼠. ●円形行進. ●風車. ●花売. ●進め㌧. ●言葉なしの. ●蓮華. 投輪(不明). ●駒. 豆嚢拾ヒ(不. ○盲鬼. 挨拶. 亜鈴拾ヒ. ●環. ●兄弟妹. 明). 布袋和尚. ●門. ●民草. 雷. 亜鈴渡シ. ○鎖行進 ●車 ●蝶. 一23一. 輪拾ヒ.

(27) 家鴨行列. 尋常科三四年女生. ●盲鬼. ●環. 羽子つき. 球(旗)戻シ. ●鎖行進. 穆子廻シ. ○ Xフ]ンレー. ●花輪(梅の. 雷. 花). ス. 場取リ. ●大連鎖. 佛蘭西鬼. プロナイズ. 卜名競走 輸拾ヒ. 提灯点火競走. 高等科女生. 毬(旗)戻シ. ●花輪. 羽子つき. 毬渡シ. ●大連鎖. 穆子廻シ. ○ポロナイズ. 豆嚢遊ビ(不. 環大連及鎖. 明). 蓮華ノ結合 ポロナイズ 十字行進. 方形行進 *本書では、遊戯に唱歌を必要とするものを「甲」、必要でないものを「乙」としている。表2− 1では、「甲」に分類されたものに●を付した。. *遊戯の各学年への配当は本書に記載のとおり。競走・行進・唱歌遊戯の分類は遊戯種日の内容 により筆者が行なった。. *丁その他」欄の(不明)は解説がなく、遊戯の内容が不明のため分類不可能なものを示す。 *遊戯種日の内容確認のために筆者が参照した資料は、岸辺が各遊戯の出典として明らかにして いる以下の著書である。. 1.戸外遊戯法(坪井玄道編 明治18年) 2.音楽之枝折(大村芳樹著 明治20年) 3.遊戯全書<西洋遊戯全書>(ワグネル著 仙郷学人等訳 明治22年) 4.男女遊戯法(吉田牧吉編 明治26年) 5.遊戯之枝折(大村芳樹著 明治27年) 6.新撰遊戯全書(前野関一郎編 明治28年). 一24・.

(28) 「小学校生徒遊戯法」に紹介された遊戯を整理してみると以下のようになる。(表 2−1参照). 底本が明記され演じ方が参照できるもの. 51種. 出典不明だが本書に演じ方の解説が併記されたもの. 9種. 演じ方の解説がないもの. 10種 70種. 合計. この結果をみると、読者が演じ方を参照できる遊戯が60種含まれており圧倒的 多数を占める。出典を併記したり解説を載せているのは、読者にとって解説が必要 であることを意味するものである。すなわち、体育科教授において遊戯がまだ新し い概念であった当時、岸辺は様々な種類の遊戯を教育課程に応じて整理・紹介する ことで、その普及と教材化をねらったのであろう。. この時点ではまだ「競走遊戯・行進遊戯・唱歌遊戯」という分類は岸辺自身によ っては為されていないが、表2−1のように後・年岸辺が用いる分類法を試行すると 岸辺が文章化せずとも有していた遊戯に対する捉えの傾向を探ることが可能である。. 次に遊戯を後年の岸辺の分類法に従って4種類に分類する。. 奉2−2 <表2−1の男女別分類〉. その他 競走遊戯. 行進遊戯. 唱歌遊戯. i内容不明を含む). 合計. 男生のみ. 23. 1. 1. 4(内容不明1). 29. 女生のみ. 5. 8. 2. 9(内容不明3). 24. 男女共用. 7. 6. 4. O. 17. 35. 15. 7. 13(内容不明4). 70. 合計. 扱う遊戯の数は競走遊戯が最も多く、全体の50%を占める。上で述べたようにこ の時点で岸辺自身は遊戯を分類してはいないが、遊戯の内容によって岸辺の分類法 を試行すると明らかに競走遊戯に属するものが多く、後年、競走遊戯を理論立てて. 奨励する岸辺の遊戯選択の傾向を遊戯指導の最も初期である1896年(明治29年). 一25・.

(29) の時点に読み取ることができる。. また、行進遊戯に関してみると、男子には尋常1・2年生にしか配当されていな い一方、女子には尋常1年生から高等科に亘るまで配当されている。隊列を組み、 全員が息を合わせて演技する行進遊戯は、男子よりも女子に適した遊戯であると考 えられたのであろう。. 唱歌遊戯をみると、男女とも尋常1・2年生にしか配当されておらず、岸辺がこ れらの遊戯を低学年向けであると考えたことがわかる。唱歌遊戯は唱歌に合わせた 振りが決まったものが多く、変化や工夫には乏しい。子どもが主体的に取り組むこ とよりは、教師の指導に従いづつ楽しむことを重視したものと思われる。 遊戯の配当数を男女別に比較すると、競走遊戯の配当数に大きな違いがみられる。. 男子には30種が配当されている一方、女子に配当されているのは12種である。岸 辺は後年、女子にも競走遊戯を課すことが必要だと述べているが、この時点では女. 子に配当された行進遊戯が14種と競走遊戯よりも多く、女子に競走遊戯を奨励す る傾向はまだみられない。. 尋常1・2年生には男女とも同じ遊戯を課すことが多いが、尋常3・4年生以上に なると男女それぞれ異なった遊戯に取り組んでいる。男女の体力差、性差を鑑みた 配当と思われ、生徒の発達に即した遊戯を教材として用いようとしたことがうかが える、.. 表2−3 <遊戯配当」覧〉『実験新遊戯』(成美堂 明治32年・宝文館 明治34 年)男生用 学年. 尋常科第一二年男生. 競走遊戯. 行進遊戯. 渦巻駈足 布袋. 源平旗 狼遊び 中隊行軍 四色旗. 一26一. 唱歌遊戯. その他.

(30) 小隊遊び 大名行列 毬転ばし. 尋常科第三四年男生. 二分間攻撃 猿遊び 軽重兵 斥候兵 鷹狩. 軍艦遊び 砲台攻撃(水雷 艇攻撃). 連枝競走 騎兵の戦闘. 高等科男生. 片足衝突 陸艇. 変歩競走 唖船頭. 人馬打毬 土器合戦 関ケ原. 女生用. 尋常科第一二年女生. 競走遊戯. 行進遊戯. 環遊び. 二っの環. 手繋鬼. 唱歌遊戯. その他 落雷. 盲さん. 投げ輪. 尋常科第三四年女生. 草履鬼. 梅の花. 鎖鬼. 汽車遊. 三宝渡し. 一27一.

(31) 高等科女生. 家事遊び. 連鎖. 射撃. 鼓駈. 輪の曲. *遊戯の各学年への配当は本書に記載のとおり。 *競走・行進・唱歌・雑種遊戯の分類は『第二実験新遊戯』に記載されている岸辺の分類に従い、. 記載のないものは遊戯の内容によって筆者が分類した。. 表2−4 <表2−3の男女別分類> 競走遊戯. 行進遊戯. 唱歌遊戯. その他. 合計. 男生のみ. 24. O. O. 0. 24. 女生のみ. 7. 4. O. 5. 16. 男女共用. O. O. O. 0. O. 31. 4. O. 5. 40. 合計. 表2−4に特徴的に見られるのは、男子に向けた行進・唱歌遊戯の配当がないこ とである。競走遊戯の内容も表2−1の「小学校生徒遊戯法」と比較すると軍事に 関係する題材を用いたものが多くなっている。また、「訓話」の申では「今の戦闘は 何れも力戦したから満足である一中略一ながく戦ひましたは立派な働き方であった、 負けたけれども少しも惜しくはない、あれこそ名誉の戦死である」13)r(鬼ごっこで). 人の後はかりに居るものは元気のない男の子だ、いけないいけない、兵隊などはづ んづん敵に向ひ進まなくちゃ、おてがらのできないものだよ」14〕と.軍人としての活. 躍を意識させる内容が目立つ。男子には、遊戯をもって軍人としての心構えや行動 を学ばせようと意図されたのであろう。. 一方、女子に配当された遊戯数は少なく16種にとどまるが、表2−2と比較する と競走遊戯の占める書1」合が大きくなっていることは注目に値する。. また、『実験新遊戯』に配当されている遊戯の内容を検討すると、そのルールや遊. 戯の性質に大きな特徴をみることができる。次に学年ごとに遊戯の性質を詳細に検 討し、配列の特徴を分析する。. 表2−5 〈遊戯配列に見られる特徴>『実験新遊戯』. 一28一.

(32) 男生. 尋常科1.2年. 渦巻駆足 源平旗 中隊行軍. 狼遊び. 布袋 小隊遊び 四色旗. 大名行列 毬転ばし ・チーム対抗を基本とする. ・団体競技でも、各個人の努力がチームの勝利につながるもの ・速さを競うもの. 尋常科3.4年. 二分問攻撃 猿遊び 軽重兵. 斥候兵. 軍艦遊び 砲台攻撃. 連枝競走 鷹狩 騎兵の戦闘 ・チーム対抗を基本とする. ・手をつなぐ、二人三脚、前後につながるなど体をつないでカを合 わせるもの. ・作戦を立てることが必要なもの 思考力を要し、それが勝敗に大 きく影響する. ・リーダーの号令・命令のもとに多人数が動くもの 高等科. 片足衝突 関ヶ原 変歩競走. 哩船頭. 人馬打毬 土器合戦. 陸艇. ・チーム対抗を基本とする ・速さや作戦を必要とするもの. ・速さや作戦に加えて身体的技術を要するもの. 女生. 尋常科1.2年. 環遊び 落雷 二つの環 盲さん 投げ輪 手繋鬼 ・唱歌を用いるものが主流 ・隊形は円形を基本とする. ・勝敗を競うより、皆で楽しむゲーム的要素が強い. 一29・.

(33) 尋常科3.4年. 草履鬼 梅の花 三宝渡し 鎖鬼 汽車遊 ・速さを競うなど運動量が増える ・隊形が複雑になる. ・チーム、もしくは複数人が協力することが必要なもの. 家事遊び 射撃 連鎖 鼓駈 輪の曲. 高等科. ・隊形、演技ともに複雑になる ・身体的技術を要するもの. 表2−5をみると、遊戯配当の基準として子どもの発達段階が考慮されているこ とが分かる。最大の特徴は、男生への配当の特徴に見られるように「個入→団体」、 「単純なルール→作戦→身体的技術」の移行であろう。これは年齢が上がるにつれ. 子どもが自分で考え、または友達と協力して工夫するような段階が用意されている ことを意味している。自ら工夫することで遊戯に変化を与え、面白味を増すことが できるのである。岸辺は遊戯において、このような主体的学びの姿勢・思考する姿 勢を作り出すことをも実践的に行っていたのである。ここにも遊戯を教育に活かす 意味が存している。. 表2−6 <遊戯配当一覧>『遊戯の実際』(明治35年 殿村文盛堂) 男生用 学年. 尋常科第一年男女. 学期. 行進遊戯. 競走遊戯. 一. 唱歌遊戯. その他. 鳥はかあか. 友だちの門. あ. 舌切雀 お月さま 二. 一一. 軒伝い. 風車. 蓮の花. 金太郎. 見渡せば. 電報. ・30・.

(34) 尋常科第二年男生. 一. 朝目に匂ふ. 源平旗 輪卒 フートボール. 二. 猿曳 兎狩り. 二色旗 一」. 円陣源平旗 電信棒. 尋常科第三年男生. 一. 手負帽子取. 赤穂義士. 四色旗 二. 競い龍 中隊衝突. 一」. 尋常科第四年男生. 一. 決死軍. 漣. 騎兵. 第三海戦遊戯 二. 狐狩 第一一谷渡り. 一一. 高等科第一年男生. 第二海戦. 」. 往復汽車. 二. 片足みなごろし. 花と昆虫. 円形交差競走 一一. 高等科第二年男生. フートボール サンダウ. 一. 鉄亜鈴 二. 第一海戦 競馬. 一」. 第二谷渡り. 背飛陣取. 高等科第三年男生. 一. 死とり. 千鳥行進. ・31・.

(35) 二. 工兵隊. 変形伝逓競走 一一. 高等科第四年男生. 一. 競馬. 変形千鳥. 十字軍. ’ 鴻塔@ニス. 二 一一. べ一スボール. 女生用. 学年. 尋常科第一年男女. 学期. 競走遊戯. 行進遊戯. 一. 唱歌遊戯. その他. 鳥はかあか. 友だちの門. あ. 言切雀 お月さま 二. 』1. 尋常科第二年女生. 一. 軒伝い. 風車. 蓮の花. 金太郎. 見渡せば. 電報. 花がた. 二色旗. 猫と鼠 鎖鬼 二. 第一汽車 源平旗 円陣源平旗. 。. 関所抜け. ’. 四色旗. 一一. 尋常科第三年女生. チェン 蝶々. 車輸行進. 二. 十字行進 第二蝶々. 一一. R 尋常科第四年女生. 一. 第二汽車. 現行進. 二. 盲目鬼. 蜘蛛手遊. 一32一.

(36) 一一. 高等科第一年女生. 一. 球投げ競争. 友千鳥. 二. 狐狩. 千鳥行進. 一一. 高等科第二年女生. 赤十字軍. 豆嚢送り. 第]四ツ目. 一. @くずし. 鳥川 ポロナイズ. 二. Zの花 一一. 高等科第三年女生. 」. 手車. 方形行進. 第二四ツ目くず. 藤の花. @し エキセルサ. 二. @イザー カドリール. 一一. 高等科第四年女生. 薙刀体操. 一. カレドニア. 二. @ン 一 禛塔@ニス. 一一. *尋常科第一年のみ男女合同で配当されているのでそのまま記載した。. 表2−7. <表2−6の男女別分類> 競走遊戯. 行進遊戯. 唱歌遊戯. その他. 合計. 男生のみ. 27. 1. 2. 4. 34. 女生のみ. 10. 17. O. 3. 30. 男女共用. 6. 3. 6. 2. 17. 43. 21. 8. 9. 81. 合計. 『実験新遊戯』(表2−3)の出版から3年を経て1902年(明治35年)に発行され 一33一.

(37) た『遊戯の実際』における岸辺の遊戯配当である。. 尋常1年生については男女同じカリキュラムが課されている。年齢が低いことも あり、大きな男女差がないと判断されたのであろう。. また、尋常1年生には競走遊戯に属する遊戯の配当が極端に少なく、唱歌遊戯の 配当が多いことが日立つ。唱歌遊戯の配当が尋常1年生に集中するのは表2−/の 「小学校生徒遊戯法」から続いてみられる傾向であり、岸辺が唱歌遊戯を低学年に 適した教材との確信をもっていたといえる。. また、男女別に配当をみると男子には競走遊戯の配当数が突出して多い一方、女 子には行進遊戯が多く課されている。女子にも競走遊戯を奨励しつつ、具体的な配 当数として増えない傾向は続いてみられる。. 一34一.

(38) 裏2一さ遊戯配当一覧 『第二実験新遊戯』著書より転載. 「戸1. 種 薙 1i. 傭 寺. 1∫ ; 1. 鞠ア1投 11割. ll、. i.. 11. 1{1 iほ I l□ん. ■. 鼡ネ一1輪. 参噛行蕎 考歌蓬令. 書遊遊・. 1ユ. ≡喜1.1. j剛郎卜. !l’つ. 同句. レの. ■あ. い. 1千i弱. ;1. 1一. 」行1烏. 用圓1. ]. j鳥■鋼鎖. 二に. H劃rの. 1フ. 花岡遊」婁. 1鬼.,レ≡ぴ. 蔚1飛. ;千. 嶋. 蝶. ド」/. 丁丁 一⊥寸. 1淑j特1死1 間切切色一1鼓らね軍. 重1倒. 一. i1峠i隊1車㍗車1りりj鬼ミ狩コ産へ告纏. 」硯. 即鑓1し. 藍色 折 1取 鍍畔j遊旗j. ll. 策す蓮も・. 十. ^ ^. ”. ll. ll. ll. 斤. ○. f. べ じず 第し る 二 圓吉. _鷺 學 躬11. 一年 尋. ll. 常. ザ. 一年. r. T. ヰ. 十十. ・! 、、へ f. f. ポ. 十. 專. 常 ご四. 不. .撃. 一年. リ のべみ. い. デ. △. IF. 一団. 讐 IF. 1二転る. リ 1. “. 付一重.も. 一年. 十. lF. }十. 一す用子. のゆの みるみ.、畠邑 ムー. 1. f. f. △. デ. llH. 上 1一. f. い :! リ. ・35・. ハ. ■. 1. r 一一. ll. ll. u. デ. 一1. ll. チ. 1. ム1. デ. ■デ. f.. ㊥. ∵111. 學. ○ム ll11. デ. き兵の .穣の 「 準形⑤. L 私式ハ 矛を女. の. 學. ll. ■F. 善動く子 な作らの. も. 尋. ll. ⊥. ポ. 年. 11. け一∴、.. li. ll. 戯すべ演. る. 怯. 川1“l1. 蓮、課す復. す. 1. 學. 一る戯の 「 験の附1 」 新を加は. なに リ課. 兎,旗1足. 1川1. 、 實・もを. 作四に リ色課 方旗す.. 繋平1二. ■[ ll. 1i H. ll. 賞蓬競す 行絡走る. 戯1ユカ男. rl 1馨. 〃. 1いi 季. 1川1. ’鰭きに授. 實水彩の 験表源 「 薪.申苧△一 」 遊に旗は. ■■綾1箪工達1婁1オ1中『」l 1狸雫享源’渦5. 1争撃 瞳1毬浄. 1ル花 進j州. i 」... 東にには 京各は薪 賛教最・1= 文科後教. }. llll. ;ll. 「L一 に戯’戯11 ,. 1ワ■. 11・1. !1は. 1に. 1匂. …寺. 1・ j洲手第 一1一に.争…1島i足 1く拭、二. ミ第 ;梅1フ. i l!1!. 1 ミ. 1−1. 1す騎. 1 ’. 1さ1/’の,。ア. ≡戯蓮進行. デ十 一1. 一年. 同 箏 四 學 一年.

(39) 表2−9 <表2−8の男女別分類〉 競走遊戯. 行進遊戯. 唱歌遊戯. 男生のみ. 10. 0. O. 1. 11. 女生のみ. ユ. 11. o. 2. 14. 男女共用. 29. 3. 9. 3. 44. 合計. 40. 14. 9. 6. 69. その他. 合計. 本書においても競走遊戯の内容は戦争や軍隊に関するものが多いのが特徴的で ある。また、女子に配当された競走遊戯の数が増え、女子においても競走・行進・ 唱歌遊戯の中では競走遊戯の数が最も多くなっている。岸辺が主張し続けながらも 具体化しなかった女子への競走遊戯の奨励が、本書においては配当数の増加という 形で明確に読み取ることができる。岸辺の最も古い著書の出版から本書が出版され. るまでに6年が経過している。この間に女子に適する競走遊戯の研究を続け、精選 されたものが本書の配当表に掲載されるに至ったとみることも可能であろう。. また、本書の遊戯配当には初めて遊戯を導入する時期とそれを後年復演する時期 が掲載されており、この二つの時期を比較すると導入と復演の学期が統」されてい. ることに気づく。つまり、1学期に導入した遊戯の多くは翌年の1学期に復演され ているのである。これを以下の表に明らかにする。. 表2−10 <遊戯教授細目表> 一競走遊戯一. 導入・復演ともに1学期. 源平旗. 片足戦争. 力くらべ. 導入・復演ともに2学期. 綾の輪競走 縄飛び. 導入・復演ともに3学期. 軍艦遊. 達落し. 導入・復演に統一なし. 四色旗. 復演しないもの. 渦巻駆足. 布袋. 手繋鬼. 一36一. 糸切り. 鎖鬼. 二分間攻撃 狼遊. 鷹狩. 列車競走. 中隊行軍(場所収鬼)環遊 第二軍艦. 猿遊. フートボール. 軽重兵. 千鳥競走. 手拭ぬき. 斥候兵. 水車. 三宝渡し. 決死隊. 猫遊. 戦争将基遊. 三色鬼 足切り. 逆車. 砲台攻撃. ▲騎兵戦争.

(40) ▲…導入が高学年のため ▲第二千鳥競争 ▲打毬 ▲三国戦争. ▲べ一スボール. 復演できないもの. 表2−11 <遊戯教授細目表> 一行進遊戯一 復演するもの. 汽車遊(導入・復演ともに二学期). 梅の花 第一蝶々 連鎖 第二蝶々と円形十字友千鳥 菊 復演しないもの 第」第二蝶々と連鎖 飛鳥川 現行進 六つの花 二の環 クワドリール プロポーズと斜行進. 表2−12 <遊戯教授細目表〉 一唱歌遊戯一 復演するもの. 該当なし. 復演しないもの からすはかあかあ すジめすゾめ 金太郎 赤筋しやぼん こよこよ幼き子供 朝日に匂ふ 赤穂義士 一二三遊. 表2−10のように、競走遊戯ではほとんどの遊戯の導入・復演の学期が統一され てい一る。遊戯のもつ性質と学級の状態を鑑みての配当か(1学期はアイスブレーキ. ング、3学期は一致団結が必要など)季飾性を考慮しての配当かという仮説も成り 立つが、遊戯の内容を検討しても特徴的な事項は抽出できなかった。なぜ導入と復 演の学期に統一が見られるのかは、引き続き今後の検討課題としたい。. 競走遊戯の多くが復演される」方、行進・唱歌遊戯に目を向けると、表2−11お よび表2−12に明らかなように復演されることがほとんどない。 行進・唱歌遊戯は演じる際の動作があらかじめ決まったものが多く、繰り返して 取り組むと子どもが飽きてしまうと考えられる。変化や演者が工夫する部分は少な く、教師の指導に従って演技する性格が強い単調な遊戯である。それゆえに低学年 への配当が多くなっていうとも考えられるだろう。. つまり、岸辺が行進・唱歌遊戯をrお茶漬け」と称した理由は、遊戯を演じる際 の単調さ、言い換えれば子どもが自分で思考し工夫する余地の少なさであるといえ る。. 一方、岸辺が競走遊戯を「滋養に富んだ食物」と称して奨励したのは、繰り返し 取り組むたびに変化があり、子どもは自分で或いは友達と協力して試行錯誤し、そ 一37一.

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