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表2−9 <表2−8の男女別分類〉
競走遊戯 行進遊戯 唱歌遊戯 その他 合計
男生のみ 10 0 O 1 11
女生のみ ユ 11 o 2 14
男女共用 29 3 9 3 44
合計 40 14 9 6 69
本書においても競走遊戯の内容は戦争や軍隊に関するものが多いのが特徴的で ある。また、女子に配当された競走遊戯の数が増え、女子においても競走・行進・
唱歌遊戯の中では競走遊戯の数が最も多くなっている。岸辺が主張し続けながらも 具体化しなかった女子への競走遊戯の奨励が、本書においては配当数の増加という 形で明確に読み取ることができる。岸辺の最も古い著書の出版から本書が出版され るまでに6年が経過している。この間に女子に適する競走遊戯の研究を続け、精選 されたものが本書の配当表に掲載されるに至ったとみることも可能であろう。
また、本書の遊戯配当には初めて遊戯を導入する時期とそれを後年復演する時期 が掲載されており、この二つの時期を比較すると導入と復演の学期が統」されてい ることに気づく。つまり、1学期に導入した遊戯の多くは翌年の1学期に復演され ているのである。これを以下の表に明らかにする。
表2−10 <遊戯教授細目表> 一競走遊戯一
導入・復演ともに1学期 源平旗 達落し 軍艦遊 斥候兵 手拭ぬき 力くらべ 片足戦争 フートボール 猿遊 導入・復演ともに2学期 綾の輪競走 軽重兵 列車競走 鷹狩 糸切り
縄飛び 千鳥競走 鎖鬼
導入・復演ともに3学期 中隊行軍(場所収鬼)環遊 三宝渡し 猫遊 砲台攻撃 第二軍艦 二分間攻撃 水車 決死隊 戦争将基遊 導入・復演に統一なし 四色旗 狼遊 布袋 三色鬼
復演しないもの 渦巻駆足 手繋鬼 足切り 逆車 ▲騎兵戦争
▲…導入が高学年のため ▲第二千鳥競争 ▲打毬 ▲三国戦争 復演できないもの
▲べ一スボール
表2−11 <遊戯教授細目表> 一行進遊戯一
復演するもの 汽車遊(導入・復演ともに二学期)
梅の花 第一蝶々 連鎖 第二蝶々と円形十字友千鳥 菊 復演しないもの 第」第二蝶々と連鎖 飛鳥川 現行進 六つの花 二の環 クワドリール プロポーズと斜行進
表2−12 <遊戯教授細目表〉 一唱歌遊戯一 復演するもの 該当なし
復演しないもの からすはかあかあ すジめすゾめ 金太郎 赤筋しやぼん こよこよ幼き子供 朝日に匂ふ 赤穂義士 一二三遊
表2−10のように、競走遊戯ではほとんどの遊戯の導入・復演の学期が統一され てい一る。遊戯のもつ性質と学級の状態を鑑みての配当か(1学期はアイスブレーキ ング、3学期は一致団結が必要など)季飾性を考慮しての配当かという仮説も成り 立つが、遊戯の内容を検討しても特徴的な事項は抽出できなかった。なぜ導入と復 演の学期に統一が見られるのかは、引き続き今後の検討課題としたい。
競走遊戯の多くが復演される」方、行進・唱歌遊戯に目を向けると、表2−11お よび表2−12に明らかなように復演されることがほとんどない。
行進・唱歌遊戯は演じる際の動作があらかじめ決まったものが多く、繰り返して 取り組むと子どもが飽きてしまうと考えられる。変化や演者が工夫する部分は少な
く、教師の指導に従って演技する性格が強い単調な遊戯である。それゆえに低学年 への配当が多くなっていうとも考えられるだろう。
つまり、岸辺が行進・唱歌遊戯をrお茶漬け」と称した理由は、遊戯を演じる際 の単調さ、言い換えれば子どもが自分で思考し工夫する余地の少なさであるといえ
る。
一方、岸辺が競走遊戯を「滋養に富んだ食物」と称して奨励したのは、繰り返し 取り組むたびに変化があり、子どもは自分で或いは友達と協力して試行錯誤し、そ
こがら様々な学びを得ることが可能であることを示唆しているのである。
ここにも岸辺が遊戯の目的を身体の強健だけにおかず、子ども自身が思考するこ とや遊戯を演じる中で生じる密接な人間関係からの学びを重視したことが明らかで
ある。
ここで本節を括るにあたり、岸辺が学校教材として用いた遊戯の考察結果をまと め、岸辺の遊戯指導における特徴を整理しておきたい。
・岸辺は、遊戯を競走遊戯・行進遊戯・唱歌遊戯の3種に分類し、中でも競走遊 威を奨励した。
・行進遊戯は隊列を組み、全員が息を合わせて演技するものが多く、男子よりも 女子に適した遊戯だとの認識を持っていた。
・唱歌遊戯は唱歌に合わせた振りが決まったものが多く、子ども自身が主体的に 工夫するというより、教師の指導に従いづつ楽しむ性格のものである。岸辺は このような唱歌遊戯を低学年に適した遊戯だとの認識を持っていた。
・尋常1・2年生には、男女とも同じ遊戯を課すことが多いが、尋常3年生以上 になると男女それぞれ異なった遊戯が課されている。男女の体力差・性差を考 慮した配当と思われ、子どもの発達に即した遊戯を教材として用いていたこと が明らかである。
・男子に課した競走遊戯には軍事に関係した題材が多くみられ、遊戯をもって軍 人としての心構えや行動を学ばせることが意図されていた。
・競走遊戯の配当を学年別にみると、学年が上がるにつれて子どもが自分で考え て作戦を立てたり、友達と協力して工夫する段階が用意されている。岸辺は、
子どもが主体的に活動に参加する中で思考させることをも実践的に行っていた。
・遊戯を導入する学期と復演する学期に統一がみられる。復演されるのは競走遊 戯が主で、行進・唱歌遊戯はほとんど復演されることがない。行進・唱歌遊戯 はあらかじめ動作が決まったものが多く、度々繰り返すと子どもが飽きると考 えられ、復演しないと思われる。」方、競走遊戯は繰り返し取り組むたびに変 化があり、子どもが試行錯誤することが可能である。岸辺が競走遊戯を奨励し た大きな理由は、子どもが試行錯誤しながら自ら思考し、工夫する中で得られ る様々な学びを重視したからである。また、工夫の際には友達との協力が不可
欠であり、遊戯を演じる中で生じる密接な人間関係からの学びを重視していた ことも挙げられる。すなわち、岸辺は遊戯の目的を身体の強健だけにおかず、
自ら困難を切り抜ける判断力や勇敢さ、克己心や共同心など、子どもの精神性 の修養にも遊戯が寄与することを見出していたのである。
第2節 遊戯的教授法
1895年(明治28年)から小学校において遊戯指導を熱心に行った岸辺は、その 成果を4冊の著書と一巻の附録にまとめて次々に出版している。本節で扱う『遊戯 的教授法』は明治35年に出版されたものであるが、岸辺はこの1902年(明治35 年)の一年間に『遊戯的教授法』『遊戯の実際』『第二実験新遊戯』の3冊を出版し
ている。
1902年(明治35年)は岸辺が上京し、東京府師範学校に勤務した年にあたる。
翌年の1903年(明治36年)には東洋幼稚園を開園しており、1902年(明治35 年)が岸辺にとって大きな転換の一年であったことがうかがえる。一年のみの師範 学校勤務に加え3冊の本を出版したこの年は、それまで8年間の遊戯指導を集大成 し、次に取り組む幼児教育という新しい教育実践に備える貴重な」年であったに違
いない。
本節では、岸辺が考案し実践した遊戯的教授について、その実際と教育的意味に ついて考察する。
遊戯の研究を重ねた岸辺は、やがて算術科、国語科(話方と読み方・習字)、修身 科の教授に遊戯の手法を用いることを考案し『遊戯的教授法』を出版する。
岸辺が座学中心であった教科の教授に遊戯的方法を用いようと考案したきっかけ は子どものつぶやきであった。始業の合図を聞いた尋常」年生が運動場からの帰り
「教場に入るのはいやだね。面白くな い。」「ああ、僕も嫌だ。教場はちっとも面白 くないから。」「教場でも遊戯ができるといいのにね。あんなにきちんと座ってばか りいるのは嫌だよ。」と話すのを聞いて「無量の感に換1たれて漸汗背に流れた」「六 歳の・子供の談話は、百雷が一時に落ちか㌧ツて、身を八つ裂きにするが如き激烈な 感を起こした」15〕と振り返る。
「活発は児童の本性」だと考え、子どもが楽しんで活動することを本分としていた 岸辺はこれら子どもの言葉を聞き、自身が研究し実践してきた遊戯を各科ヒ応用す れば「快活勇適なる児童の心身を、毫も束縛することなく、思うがま㌧に活動せし
め、又快の裡にしかも充分なる目的を達することと悟った」16)のである。