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佛教大學研究紀要 72号(19880314) 001竹下喜久男「紀州田辺領における芸能興行について」

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Academic year: 2021

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紀 州 田 辺 領 に お け る 芸 能 興 行 に つ い て -・ 、 竹 .下 喜 久 男 は じ め に 近 世 和 歌 山 城 下 と そ の 周 辺 に お け る 芸 能 の 展 開 を 明 ら か に す る に 際 し て 、 も っ と も 基 本 的 な 作 業 が 土 田 衛 早 西 岡 直   樹 両 氏 に よ り す す め ら れ 、 近 年 発 表 さ れ た 。 両 氏 の 作 業 は 元 禄 期 を 中 心 と し 、 藩 主 周 辺 の 公 私 に 渉 る 記 録 か ら 芸 能 に 関 す る 事 項 を 抽 出 、 整 理 し 、 元 禄 期 の 城 下 と そ の 周 辺 の 状 況 を ム 覧 可 能 に し た だ げ で な く 、 今 後 紀 州 に お け る 芸 能 史 研 究 を 時 間 的 、 地 域 的 に 調 査 、 研 究 を 広 げ る こ と を 促 す 点 で 貴 重 で あ る 。 両 氏 が 史 料 と し て 用 い ら れ た 紀 州 藩 家 老 三 浦 家 文 書 の う ち 、 石 橋 生 庵 の 記 す 三 浦 家 家 譜 ﹃ 家 乗 ﹄ も 影 印 公 刊 さ れ 、 ま さ に 紀 州 の 芸 能 史 研 究 が そ の 緒 に つ い た 感 が あ る 。 、 紀 州 田 辺 領 に 関 す る 史 料 と し て ﹃ 万 代 記 ﹄ 、 ﹃ 田 辺 町 大 帳 ﹄ が 現 存 し て い る こ と は 夙 に 知 ら れ て い る 。 い う ま で も な く ﹃ 万 代 記 ﹄ ( 文 明 三 年 ∼ 天 保 十 年 ) は 田 辺 組 大 庄 屋 田 所 氏 が 大 庄 屋 の 職 務 に 関 わ る 記 録 を 留 め た も の 、 ﹃ 田 辺 町 大 帳 ﹄ ( 天 正 十 三 年 ∼ 慶 応 二 年 ) は 町 会 所 の 記 録 で あ る 。 右 の 二 つ の 膨 大 な 記 録 の 中 に は 、 田 辺 町 在 の 人 々 が 日 常 的 に 紀 州 田 辺 領 に お け る 芸 能 興 行 に つ い て 尋

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佛 教 大 學 研 究 紀 要 通 卷 七 二 號 二 関 わ っ た と 考 え ら れ る 芸 能 に 関 す る 史 料 を 多 く 含 ん で い る 。 そ こ に は 社 寺 の 祭 礼 、 開 帳 に 際 し て 興 行 さ れ る も の よ り も 、 む し ろ 町 方 の 景 況 振 興 、 社 寺 の 修 復 費 助 成 と い う 人 々 の 日 常 生 活 に 切 実 に 関 わ る 要 素 を 濃 く 含 ん だ 興 行 が 多 い こ と に 気 が 付 く 。 小 稿 で は ﹃ 万 代 記 ﹄ 、 ﹃ 田 辺 町 大 帳 ﹄ を 用 い て 、 主 と し て 近 世 後 期 の 田 辺 町 在 に お け る 芸 能 興 行 が 、 ① 田 辺 領 の 総 産 土 神 と し て の 新 熊 野 権 現 社 の 維 持 、 修 復 、 ② 経 済 的 に 零 細 な 不 安 定 層 を 多 く 抱 え る 紺 屋 町 、 江 川 浦 の 景 況 振 興 、 ③ 檀 家 の 経 済 力 に 多 く 依 存 で き な い 寺 院 の 修 復 助 成 、 以 上 の 三 点 に 如 何 に 関 わ っ て い た か に つ い て 考 察 し た い 。 少 な く と も 近 世 の 地 方 都 市 に お け る 芸 能 興 行 が 娯 楽 を 提 供 す る と い う 点 か ら だ け で な く 、 そ の 地 域 の 経 済 的 特 質 と   深 い 関 わ り を も っ て 企 て ら れ て い る こ と を 、 紀 州 田 辺 の 町 在 に お い て 検 証 し よ う と す る も の で あ る 。 享 保 期 の 田 辺 領 浅 野 長 晟 が 安 芸 に 移 封 さ れ た 後 、 徳 川 家 康 の 第 十 子 頼 宣 が 駿 遠 の 地 か ら 紀 伊 一 国 と 伊 勢 松 坂 を 合 せ 五 五 万 五 千 石 の 地 に 封 じ ら れ た の は 元 和 五 年 ( 一 六 一 九 ) で あ っ た 。 そ の 際 遠 州 掛 川 に あ っ た 安 藤 帯 刀 直 次 は 紀 伊 牟 婁 郡 田 辺 に 移 さ れ 、 三 万 三 千 八 百 石 を 領 し 、 遠 州 浜 松 の 水 野 出 雲 守 重 央 は 紀 伊 新 宮 三 万 五 千 石 の 地 に 移 さ れ た 。 安 藤 、 水 野 両 氏 は 若 年 頼 宣 の 御 付 家 老 と し て 配 さ れ 、 代 々 和 歌 山 に 居 住 し た 。 田 辺 に は 安 藤 直 次 の 一 族 安 藤 小 兵 衛 直 隆 が 城 代 家 老 と し て 領 内 を 預 か っ た 。 田 辺 領 は 大 庄 屋 組 一 〇 組 に 分 ち 、 田 辺 組 は 田 辺 城 下 周 辺 の 村 々 か ら な り 、 田 所 氏 が 田 辺 組 の 大 庄 屋 と 田 辺 町 ・ 江 川 の 大 年 寄 を 兼 ね て い た 。

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田 辺 城 下 町 ・ 江 川 略 図 享 保12年8月 以 降 の 作 成 と考 え られ て いる 絵 図 を参 考 に した0 与 力屋 敷 には 屋 敷毎 に人 名 が み る が省 略 した。 麋1蓴ミ田 澪!駆9綿 太漣Q掴}气避1囲無頃99y丿 ー1 1

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佛 教 大 學 研 究 紀 要 通 卷 七 二 號 四 天 保 八 年 ( 一 八 三 七 ) 仁 井 田 好 古 が 編 ん だ ﹃ 紀 伊 続 風 土 記 ﹄ に お い て 、 田 辺 周 辺 の 地 形 の 特 色 を ﹁ 此 荘 の 海 崖 皆 沙 土 に し て 、 其 地 平 坦 な り 、 皆 古 の 海 中 或 は 遠 干 潟 の 地 な り 、 中 に 就 き て 、 湊 村 城 下 の 地 ば 皆 古 の 海 中 に て 、 大 抵 今 の 秋 津 荘 、 万 呂 荘 と 接 す る 地 、 古 秋 津 川 の 海 口 に て 、 浪 打 際 の 地 な る へ し ﹂ と 述 べ て い る が 、 近 世 を 通 じ て 、 し ば し ば こ の 地 を 襲 っ た 洪 水 と 地 震 に よ る 津 波 の 被 害 は 、 こ の 地 形 と 無 関 係 で は な い で あ ろ う 。 延 宝 三 、 四 年 ( 一 六 七 五 、 七 六 ) の 飢 饉 と 疫 病 、 宝 永 四 年 ( 一 七 〇 七 ) 十 月 の 大 地 震 と 続 く 津 波 は 田 辺 町 ・ 江 川 に ゆ 潰 滅 的 打 撃 を 与 え そ の 被 害 は 前 代 未 聞 と さ れ た 。 こ の 期 の 町 の 復 興 に 際 し て 周 辺 農 村 か ら の 小 前 層 の 入 り 込 み が 大 量 に あ り 、 彼 ら が や が て 経 済 的 に 不 安 定 で 流 動 的 な 日 用 、 仲 仕 層 と し て 町 方 の 住 民 と な っ た で あ ろ う と 考 え ら れ る 。 享 保 八 ∼ 十 二 年 ( 一 七 二 一二 ∼ 二 七 ) に か け ﹁ 近 年 世 上 就 困 窮 、 町 表 商 売 無 数 、 職 人 共 細 工 等 無 之 様 二 相 聞 へ 候 、 其 上 八   木 下 直 二 在 之 ﹂ と さ れ た 不 況 は 、 零 細 な 商 工 業 者 の 生 活 を お び や か し た 。 享 保 十 四 年 を 遠 く 下 る こ と の な い 記 録 と さ れ て い る ﹃ 享 保 十 年 田 辺 諸 事 控 ﹄ 中 の ﹁ 町 ・ 江 川 諸 職 人 諸 商 売 ﹂ ( 表 1 ) で は 一 見 し て 漁 師 、 日 用 、 仲 仕 が 全 体 の 五 〇 % を 占 め 、 他 所 奉 公 人 、 他 所 稼 を 合 せ れ ば 六 〇 % は 流 動 性 の 高 い 社 会 層 で あ る こ と が わ か る 。 享 保 十 七 年 の 飢 饉 は 事 態 を 一 層 深 刻 化 す る こ と に な っ た 。 享 保 十 七 年 八 月 十 二 日 米 相 場 新 米 銀 八 五 匁 で あ っ た の が 、 五 日 後 の 十 七 日 に は 二 五 〇 匁 と 三 倍 に 急 騰 す る 異 常 な 動 き が み ら れ た 。 こ れ は 上 筋 の 商 人 が 十 二 日 当 地 に 入 り 込 み 、 手 当 り 次 第 米 を 買 請 け た こ と に よ る と さ れ た 。 一 時 的 に せ よ こ の 急 騰 は 町 人 を 不 安 に 陥 れ 、 町 大 年 寄 ら は 町 ・ 江 川 五 五 三 人 、 一 日 一 人 二 合 五 勺 、 一 一 二 日 分 と し て 、 米 三 〇 石 の 飢 扶 持 の 手 当 を し て い る 。 こ の 種 の 手 当 は な さ れ た が 、 享 保 十 七 年 八 月 か ら 一 年 間 に 、 町 ・ 江 川 で 疱 瘡 、 痢 疾 、 食 傷 、 熱 病 に よ る 死 者 は 二 一 二 人 に 及 び 、 田 辺 領 全 体 で は ﹁ 食 物 悪 敷 病 死 致 候 ﹂ 者 二 、 八 六 四 人 、 ﹁ 弱 人 二 而 御 座 候 へ

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紀 州 田 辺 領 に お け る 芸 能 興 行 に つ い て 五 表1享 保末期町 ・江川諸職人諸商売

 ゑ ロゑ       あ                 エ                   れ                   な    

仲 諸 古 質 小 魚 漕 請 麹 温 繚 紺 匣 鍛 大 船 籠 傘 桶 畳 塗 砥 石 左 綿 小 仕 屋 大 旅 旅 医 漁 他 他 仲 借 江 川 片 町 紺 屋 町 袋 町 南 新 町 北 新 町 下 長 町 上 長 町 . 本 町 12 3 8.12610 1522 21 541 Z42 1 2 1 7・ 1 》1 1 3 1 11 3 1 6 4 5 3 32 56 3 4 17 2 i 3 1 1'1 5 19 2 3 3 1 14 2 1 2 1 7 4 1 2 2 25 2 2 1 .5 11 1 22 262 11 1 2 2 6 4 29 39 8 3 4 3 1 5 2 9 3 2 1 1 2 3 13 2 1 1 1 2 1 12 1321 30 12 1 22 5 4 1 13 42 1 9 35 30 4 4 5 19 227 13 1a 12 10 計 5 4 38 10 8 38 14 2 11 2 3 20 9 7 33 1 1 1 7 3(i) 12 3 1 6 16 2 2 2 2 19 6 13 30t2) 227③ 51(4) 37 153 232 備 考 本 表 は 「享 保十 年 田辺 諸 事 控 」(『くち くま の』54号1983.2)に よ り作成 した 。 註(1)1名 は 町不 明(2)内15人 地 廻 り、15人 銚 子 行(3)内84人 地 廻 り、143人 関 凍 ・上 州 ・熊 野 行(4)そ の 他 地廻 り奉 公 入40人(男 女共)

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佛 教 大 學 硫 究 紀 要 通 卷 七 二 號 六 共 食 物 悪 、 病 死 致 候 者 共 ニ ハ 無 之 、 食 傷 、 熱 病 、 疱 瘡 、 霍 乱 、 痢 疾 、 瘧 、 疝 気 、 黄 疸 二 而 相 果 申 候 L 者 一 、 五 八 六 人 ゆ を 数 え て い る 。 後 者 に は わ ざ わ ざ 但 し 書 き を し て い る が 、 大 部 分 は 食 物 の 欠 乏 に ょ る 栄 養 状 態 の 極 度 の 悪 化 が 原 因 と み ら れ 、 結 局 大 部 分 が 飢 餓 に よ る 病 死 と い え る 。 田 辺 領 の 全 人 口 の 一 〇 % 強 が 一 年 間 に 餓 死 あ る い は 病 死 し た こ と に な る 。 ti こ の よ う な と き 、 領 主 側 は 領 内 の 景 況 浮 揚 の 方 策 を 広 く 領 民 に 問 う て い る 。 一 、 近 年 町 在 之 内 二 も 別 而 痛 候 所 も 有 之 趣 二 候 、 就 夫 、 其 所 之 潤 二 も 可 成 儀 杯 有 之 、 願 申 出 候 ハ ・ 、 其 品 可 相 達 候 、 且 亦 由 緒 な と 有 之 候 百 姓 町 人 之 内 、 当 時 逮 困 窮 罷 在 候 族 、 勝 手 之 為 二 も 可 成 儀 杯 存 附 、 是 亦 相 願 度 存 罷 在 候 者 ハ 、 無 遠 慮 可 申 出 候 、 其 訳 等 吟 味 之 上 被 仰 付 二 而 可 有 之 候 、 此 旨 可 被 申 聞 候 一 、 御 城 下 町 人 共 之 儀 、 近 年 音 曲 遊 山 等 を も 致 遠 慮 候 趣 二 相 聞 候 、 猥 成 儀 ハ 有 之 間 敷 事 二 候 へ と も 、 遊 山 音 曲 等 其 外 前 ≧ 御 国 二 て 致 来 候 程 之 儀 ハ 遠 慮 二 及 間 敷 事 二 候 条 、 此 段 も 町 方 へ 可 被 申 聞 候 所 の 潤 い と な る 策 、 個 々 の 生 業 に 勝 手 よ き 法 、 さ ら に 願 う と こ ろ あ れ ば 申 し 出 、 十 分 吟 味 の 上 差 図 を 与 え る こ と 、 ま た 旧 来 許 さ れ て い た 興 行 に つ い て は 遠 慮 に 及 ば な い と し た 。 特 に 第 二 の 条 に つ い て 、 芸 能 興 行 が 町 民 を 活 気 つ け 、 景 況 浮 揚 に 資 す る と こ ろ が あ る と す る 領 主 側 の 理 解 が 、 こ の よ う な 文 言 と し て 表 現 さ れ た も の で あ ろ う 。 享 保 末 年 の 町 在 の 危 機 的 状 況 が 、 新 熊 野 権 現 あ る い は 江 川 浦 に 限 ら れ て い た そ れ ま で の 興 行 を 、 よ り 広 い 町 在 の 要 求 に 応 え て 認 め て い く と い う 、 大 き な 政 策 転 換 の 要 因 と な っ た と い え よ う 。

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新 熊 野 権 現 芝 居 領 主 側 の 示 し た 方 向 に 沿 っ て 、 一 早 く 企 て ら れ た の は 、 享 保 十 八 年 ( 一 七 三 三 ) 十 二 月 願 出 た 操 芝 居 で あ っ た 。 こ の 芝 居 は 新 熊 野 権 現 社 大 破 修 復 の 助 成 を す る た め に 、 町 ・ 江 川 の 氏 子 ら が 企 て た も の で あ る 。 新 熊 野 権 現 ( 鶏 合 権 現 、 闘 鶏 神 社 ) は 熊 野 別 当 湛 快 が 平 安 末 期 熊 野 三 所 権 現 を こ の 地 に 勧 請 し た と の 伝 え を 有 し 、 爾 来 こ の 地 方 の 総 産 土 神 と し て 信 仰 を 集 め て い た 。 和 歌 山 藩 主 頼 宣 が 瀬 戸 桔 梗 平 の 別 邸 に 来 遊 し た 際 、 し ぼ し ば 新 熊 野 権 現 に 参 詣 し 、 寛 文 九 、 十 年 ( 一 六 六 九 、 七 〇 ) の 両 度 の 参 詣 に 際 し て は 、 社 頭 で 演 じ ら れ た 歌 舞 伎 や 能 を 楽 し ん み で い 歇 。 田 辺 領 主 も 祭 礼 に は 御 供 料 を 寄 進 し 、 参 詣 す る こ と も あ っ た 。 近 世 に お い て 新 熊 野 権 現 本 社 の 修 復 は 原 則 と し て 田 辺 領 主 、 末 社 、 摂 社 、 鳥 居 、 玉 籬 、 水 溜 、 御 供 所 、 神 楽 所 等 は   マ こ 一 町 中 と し て 修 復 し 、 舞 台 の 材 木 は 領 主 が 寄 進 し 、 町 中 の 普 請 と し 、 ﹁ 太 騒 之 節 者 、 願 候 而 勧 化 ﹂ す る こ と が 許 さ れ て の い 惣 。 領 主 と 町 中 と の 分 担 が い つ ご ろ か ら な さ れ た か 明 ら か で は な い が 、 元 和 六 年 ( 一 六 二 〇 ) ﹁ 本 宮 上 葺 、 同 橋 従 殿 様 御 再 営 ﹂ 、 万 治 元 年 ( 一 六 五 八 ) ﹁ 権 現 若 殿 氏 子 建 立 ﹂ な ど の 記 録 が み ら れ 、 近 世 初 頭 に は 明 確 に 分 担 さ れ て い た こ と が 知 れ る 。 権 現 町 役 は 町 ・ 江 川 に そ れ ぞ れ 割 付 さ れ る が 、 そ の 割 付 の 割 合 に つ い て 、 七 、 三 あ る い は 三 ツ 割 を め ぐ っ て 、 し ば し ば 紛 議 を 起 し て い る 。 町 役 に よ る 新 熊 野 権 現 社 の 維 持 、 修 復 の 負 担 は 、 既 述 し た 田 辺 と そ の 周 辺 の 経 済 的 状 況 か ら し て 容 易 で は な か っ た と 考 え ら れ る 。 町 役 の 負 担 分 を 直 接 町 々 に 割 付 す る こ と な く 、 調 達 す る 方 法 と し て 考 え ら れ る も の は 、 奉 加 、 富 突 、 も し く は 芝 居 紀 州 田 辺 領 に お け る 芸 能 興 行 に つ い て 七

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佛 教 大 學 研 究 紀 要 通 卷 七 二 號 、 八 興 行 に よ る 収 益 を 充 る か の い ず れ か で あ る 。 ゆ f 次 に 示 す 史 料 は 貞 享 三 年 ( 一 六 八 六 ) 二 月 田 辺 組 大 庄 屋 と 田 辺 町 大 年 寄 ら 四 人 が 町 奉 行 に 提 出 し た 願 書 で あ る 。 一 、 御 当 地 近 辺 二 而 蓬 莢 薬 師 堂 大 破 、 天 神 之 拝 殿 、 愛 宕 之 鳥 居 、 若 宮 之 鳥 居 、 瑞 籬 御 霊 之 社 内 、 右 之 宮 社 破 損 仕 候 二 付 ヤ 繕 之 儀 只 今 捨 置 候 而 ハ 、 弥 及 大 破 申 儀 御 座 候 故 、 町 中 ・ 江 川 奉 願 候 ハ 、 芝 居 も の 雇 、 其 利 銀 二 而 破 損 繕 仕 度 奉 存 候 、 且 又 新 熊 野 社 之 儀 者 、 御 当 地 民 神 之 儀 二 御 座 候 ヘ ハ 、 以 奉 加 如 何 様 二 も 破 損 繕 仕 義 御 座 候 町 周 辺 の 田 辺 組 内 村 々 の 社 寺 修 復 費 と し て 芝 居 興 行 の 利 銀 を 充 て 、 新 熊 野 権 現 に つ い て は 、 町 役 で は な く 、 奉 加 に よ り 修 復 し た い と す る も の で あ っ た 。 こ の 願 書 は 認 め ら れ 、 同 年 七 月 三 日 か ら 八 月 四 日 ま で 、 大 坂 操 芝 居 の 太 夫 竹 本 蔑 太 夫 、 伊 織 三 左 衛 門 ら が 新 熊 野 権 現 一 ・ノ 鳥 居 北 の 畠 で 興 行 し て い る 。 竹 本 義 太 夫 が 貞 享 元 年 大 坂 道 頓 堀 で 大 い に 評 判 を 得 た 折 で も あ ゲ ・ こ の 田 辺 興 行 も 人 気 を 得 た も の と 考 え ら れ 恥 。 こ の 芝 居 の 利 銀 は 次 の よ う に 配 分 さ れ て い る 。 蓬 莢 山 薬 師 堂 造 作 入 用 銀 全 額 、 西 ノ 谷 村 天 神 社 拝 殿 の 造 作 入 用 銀 四 八 〇 目 の 内 三 σ O 目 に 充 て 、 残 り 一 八 〇 目 は 本 町 、 上 長 町 、、 下 長 町 、 北 新 町 の 奉 加 銀 に よ る 。 愛 宕 鳥 居 に も 利 銀 を 充 て 、 愛 宕 寺 内 造 作 入 用 銀 八 〇 〇 目 の 内 四 〇 〇 目 は 利 銀 、 残 レ 四 〇 〇 目 は 勧 化 銀 が 充 て ら れ た 。 さ ら に 権 現 瑞 籬 の 繕 入 用 、 同 御 供 所 造 作 入 用 四 〇 一 目 五 分 は 氏 子 中 の 奉 加 ゆ に よ っ た 。 右 の 配 分 に よ れ ば 、 芝 居 利 銀 は 少 な く と も 銀 七 〇 〇 目 以 上 あ っ た こ と に な る 。 奉 加 は 神 社 と 氏 子 の 関 係 に お い て 、 本 来 も っ と も 自 然 な 綣 持 、 修 復 資 金 獲 得 の 方 法 で は あ る が 、 負 担 す る 氏 子 の 立 場 か ら す れ ば 、 近 世 を 通 じ て み ら れ る 、 熊 野 三 山 を は じ め と す る 諸 国 有 力 社 寺 の 勧 化 と い う 、 半 ば 強 制 的 寄 付 行 為 が 頻 繁 に 行 な わ れ て い る と き 、 し ば し ば 奉 加 を 求 め る こ と は 困 難 で あ り 、 そ れ に 代 る も の と し て 、 右 の よ う な 芝 居 興 行 の 利 銀 に 期 待 す る こ と に な る 。 殊 に 先 述 し た 享 保 末 年 の 町 方 困 窮 の 時 期 に 、 町 負 担 の 新 熊 野 権 現 内 諸 社 の 修 復 費 用 を 、 芝 居 興 行 利 銀 に 求 め る の は 自 ー

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  然 の 成 り 行 き と い え よ う 。 享 保 十 九 年 一 月 、 四 人 の 町 大 年 寄 が 連 名 で 、 町 奉 行 所 に 左 の 口 上 願 を 提 出 し て い る 。 一 、 此 度 権 現 其 外 宮 数 為 修 復 、 操 芝 居 晴 天 三 十 目 、 春 夏 之 内 興 行 仕 度 段 奉 願 候 処 、 願 之 通 被 為 仰 付 被 下 難 有 奉 存 候 、 人 力 当 三 月 中 興 行 可 仕 奉 存 候 、 然 共 若 見 物 口 無 数 御 座 候 ハ ・ 、 先 十 五 日 仕 、 残 リ 十 五 日 ハ 追 而 興 行 仕 候 様 二 奉 願 候 已 上 春 夏 の う ち 晴 天 三 〇 日 を 予 定 し て い る が 、 観 客 が 期 待 し た 程 に な い 場 合 に は 、 一 五 日 で 切 り 上 げ 、 残 り 一 五 日 分 は 改 め て 興 行 を 企 て る と し 、 不 入 り に よ る 欠 損 を 回 避 し よ う と す る か に み え る が 、 実 際 に は 一 五 日 間 興 行 の 予 定 が 当 初 か ら 組 ま れ て い る 。 上 長 町 新 八 、 本 町 兵 右 衛 門 ら 世 話 人 が 大 坂 に 行 き 、 雇 入 れ た 操 芝 居 は 、 太 夫 豊 竹 森 太 夫 、 ワ キ 竹 本 百 合 太 夫 、 ワ キ 竹 本 丹 太 夫 、 ワ キ 竹 本 浦 太 夫 、 お 山 人 形 藤 井 小 四 郎 、 ヤ ツ シ 吉 田 浅 右 衛 門 、 敵 役 山 本 ゆ 善 六 、 座 本 山 本 彦 五 郎 ら の 一 座 で あ っ た 。 こ の 興 行 に は 、 家 老 、 目 付 、 奉 行 、 町 奉 行 、 徒 士 目 付 の 役 棧 敷 が 設 け ら れ v 他 に 五 匁 、 四 匁 五 分 、 三 匁 、 二 匁 五 分 の 棧 敷 席 が 東 西 に 設 け ら れ て い た 。 木 戸 銭 は 五 二 文 、 芝 居 札 二 、 八 八 〇 枚 ま ロ ノ は 田 辺 領 大 庄 屋 組 一 〇 組 を 通 じ て 村 々 に 割 り 当 て ら れ た ° 11 1月 二 目 に 始 ま り 、 三 月 二 十 三 日 に は 五 日 の 加 日 願 が 認 め ら れ 、 一匹 月 四 日 晴 天 二 〇 日 の 操 芝 居 は 終 っ た 。 三 二 日 間 の う ち 興 行 で き た の は 二 〇 日 で 、 雨 天 等 に ょ り 一 二 日 も 休 演 し た こ と に な り 、 一 五 日 間 の 旅 宿 入 用 銀 二 貫 四 五 〇 目 の 約 定 か ら 推 測 す れ ば 、 芝 居 札 が す べ て 捌 け た と し て も 、 三 二 日 間 の 旅 宿 入 用 が よ う や く 捻 出 で き た 程 度 の 採 算 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 翌 年 閏 三 月 、 前 年 の 残 り 一 〇 日 に 新 た に 一 〇 日 を 加 え た 二 〇 日 を 、 秋 か 来 春 に 興 行 し た い と 願 い 出 、 さ ら に 前 年 の 操 芝 居 が 十 分 な 評 判 を 得 る ま で に い た ら な か っ た た め か 、 ﹁ 操 人 形 芝 居 二 而 ハ 買 人 も 無 御 座 候 付 、 操 万 歳 ﹂ に 変 え た い と し 、 許 さ れ た 。 此 度 の 興 行 に つ い て は 表 ∬ に 示 す よ う に 、 多 く の 観 客 を 寄 せ 、 可 成 り の 収 益 を 得 た こ と が 推 測 で き る 。 紀 州 田 辺 領 に お け る 芸 能 興 行 に つ い て 九

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表H興 行 と 売 上 札 数 No. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 興 行 期 間 元 文1・3・9∼4・20 寛 保3・3・3∼3・7 延 享4・2・15∼2・23 寛 延1・8・18∼8・30 安 永6・2・18∼3・9 安 永9・3・23∼4・18 安 永9・8・1∼8・18 安 永9・8・20∼8・28 天 明1・2・6∼3・5 天 明1・3・11∼4・24 天 明1・10・16∼11・3 天 明2・6・9∼7・6 天 明2・7・23∼8・27 寛 政1・8・5∼8・11 寛 政1・9・10∼10・4 寛 政9・5・28∼6・8 寛 政9・9・19∼10・19 寛 政10・2・11∼3・20 C10.3・213・26 寛 政10・8・22∼9・19 寛 政12・4・24∼5・22 享 和1・2・27∼3・14 文 化3・9・28∼10・5 文 イヒ9・3・6∼3・17 文 イヒ9・7・7∼8・16 文 化10・11・11∼ 閏11・16 文 イヒ11・9・1∼10・16 文 政4・9・11∼10・13 文 政6・4・16∼5・15

劉 餬1駐[謝

懲L隔

2b 5 5 10 14 30 6 13 23 15 14 ? 7 20 7 27 23 5 19 30 15 6 9 25 25 30 20 操万歳 操芝居 〔芝 居〕 〔芝 居〕 操芝居 地事軽 業芝居 地事軽 業芝居 地事軽 業芝居 操芝居 地事軽 業芝居 地事軽 業芝居 地事 軽 業 芝居 地事軽 業芝居 相撲芝居 地事軽 業芝居 相撲芝居 地事軽 業芝居 地事軽 業 芝居 地事軽 業 芝居 地事軽 業 芝居 操 芝居 糸か ら く り芝居 地事軽 業 芝居 相撲芝居 〔芝 居〕 地事軽 業 芝居 地事軽 業 芝居 地事軽 業 芝居 操芝居 翻 野 ・..・ 不 詳2,692 新 熊 野1 ,914 権 現 新 熊 野2 ,249 権 現 勝 徳 寺 、5,720 讐 躰5,495 熊 野 本5 ,462 宮 本 正 寺2,500 勝 徳 寺3,745 本 正 寺6,763 熊 野 本2 ,280 宮 熊 野 本1 ,686 宮 庚 申堂3,849 紺 屋 田丁1,600 紺 屋 田丁4,633 本 正 寺1,460 願 成 寺3,875 能 満 寺4,368 願 成 寺775 願 成 寺1,808 法 輪 寺3,597 不 詳2,603 願 成 寺400 片 町2,500 願 成 寺3,130 地 蔵 寺3,490 紺 屋 町3,885 教 学 院4,950 本 正 寺2,935 1,667 4,980 3,531 2,762 910 2,590 6,133 1,311 1,628 1,518 750 1,970 475 4,845 950 2,656 1,738 2,442 475 775 2,620 2,435 1,730 1,650 1,320 考

麟1驟

木戸 札1枚30文 木戸 札1枚32文 本札1枚76文 半札1枚38文 虫損 部分は除 く 内6日 は願主 新熊 野権現 備 考No.1∼4は 「芝居 勘 定 帳 」(田 所 家 文 書 プ に よる。 No.11,25は 「万 代 記 」他 は 「田辺 町 大 帳 」 よ り集 計 した 。 No.1∼4の 「売上 札 数 亅欄 の 左 は 木戸 札,右 は棧 敷 札 を 示 す 。 佛歡 大 學研 究 紀要 通卷 七 〇 0

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興 行 が こ の よ う に 常 に 当 る と は 考 え ら れ ず 、 む し ろ 欠 損 の 危 険 性 を 常 に 孕 ん で い る 。 比 較 的 そ の 危 険 性 め 低 い も の と し て 富 突 が 考 え ら れ た の は 当 然 で あ っ た 。 富 突 に つ い て は 、 射 倖 心 を 煽 り 、 良 俗 を 害 す る も め と し て 、 幕 法 で 原 則 と し て 禁 止 し て い る 。 権 現 富 突 の 願 が 出 さ れ た の を う け て 、 享 保 二 十 年 一 月 十 六 日 ﹁ 被 仰 聞 候 ハ 、 権 現 富 突 願 之 儀 異 様 二 相 聞 候 故 、 和 歌 山 へ 不 被 仰 遣 候 而 ハ 御 赦 免 難 成 ﹂ と 本 藩 に 伺 出 な け れ ば 田 辺 領 と し て 正 式 に 富 突 を 許 可 で き な い と し 、 従 っ て 今 回 の 富 突 の 願 出 は 、 社 寺 が 内 々 に 催 し 、 ﹁ 役 人 衆 御 存 知 無 之 分 二 致 候 様 ﹂ と 領 主 側 と 関 わ り の な い も の と し て い る 。 し か   し 町 奉 行 が こ の 富 突 の 呼 称 に つ い て 、 権 現 富 突 で は な く 、 、 ﹁ 権 現 御 鬮 ﹂ と す る よ う 特 に 指 示 し て い る 鳥 か ら も 、 領 主 側 公 認 の 富 突 で あ っ た こ と は 明 ら か で あ る 。 元 文 元 年 ( 一 七 三 六 ) 一 月 第 一 回 御 鬮 は 札 高 八 、 二 九 〇 枚 、 一 枚 銭 一 二 文 で 、 売 上 げ 高 銭 九 九 貫 四 八 〇 文 、 当 り 札 及 び 雑 用 高 銭 宏 二 貫 六 五 文 、 差 引 利 銀 六 〇 七 匁 八 分 八 厘 で あ っ た 。 先 に み た 芝 居 よ り 確 実 に 利 を 得 た よ う に 思 わ れ る 。 し か し 第 二 回 、 第 三 回 が 同 年 六 月 、 九 月 と 催 さ れ た が 、 利 銀 は 銀 七 三 匁 六 分 三 厘 、 1 九 11 1匁 一 分 七 厘 、 あ る い は 寛 保 元 年 ( 一 七 四 一 ) 一 月 に は 銭 一 〇 貫 六 三 一 文 と い ず れ も 第 一 回 ほ ど に は 利 銀 を 得 る に 到 っ て い な い 。 こ れ は 御 鬮 が 余 り に 頻 繁 で あ っ た こ と 、 さ ら に 褒 美 銀 一 番 が 銀 一 〇 〇 匁 と い う 比 較 的 低 額 に 抑 え ら れ て 、 庶 民 の 射 倖 心 を 十 分 煽 る ま で に 到 ら な か っ た こ と に ょ る も の で あ り 、 そ れ は 又 、 ﹁ 御 鬮 ﹂ が 内 々 に 催 さ れ て い る こ と の 限 界 と も い え よ う 。 後 述 す る よ う に 、 江 川 浦 、 紺 屋 町 の 芝 居 興 行 が 認 め ら れ る と 、 新 熊 野 権 現 社 修 復 助 成 の た め の 興 行 と 競 合 す る こ と に な り 、 そ の た め 予 め 年 々 の 興 行 日 数 を 長 期 に 渉 っ て 確 保 し 、 興 行 の 定 期 化 を 求 め よ う と す る 動 き が み え る 。 奉 願 口 上 紀 州 田 辺 領 に お け る 芸 能 興 行 に つ い て 一 斟

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佛 歡 大 學 研 究 紀 要 通 卷 七 二 號 一 二 新 熊 野 鶏 合 権 現 之 儀 、 本 社 、 若 殿 、 西 御 前 之 外 ハ 皆 く 仮 殿 二 御 座 候 故 、 元 来 麁 相 二 仕 立 申 付 、 雨 漏 逮 大 破 候 故 、   マ マ   最 早 修 覆 懸 リ 不 申 候 、 町 ・ 江 川 と も 少 く 宛 毎 月 掛 銭 二 仕 集 候 へ と も 、 其 分 二 て ハ 急 二 建 立 難 仕 御 座 候 、 右 申 上 候 通 、 大 破 之 宮 数 二 御 座 候 得 ハ 、 氏 子 共 建 立 可 仕 方 便 無 御 座 迷 惑 仕 候 、 然 共 延 く 二 も 難 成 御 座 候 、 就 夫 、 御 当 地 在 辺 へ 罷 越 、 毎 度 地 祭 等 仕 候 辻 打 操 芝 居 、 晴 天 十 日 宛 五 ケ 年 之 間 御 赦 免 被 成 下 候 ハ ・ 、 夏 秋 之 内 時 節 ヲ 見 合 、 本 町   会 所 跡 二 て 興 行 仕 、 其 余 力 旁 二 而 近 年 之 内 、 中 四 所 、 下 四 所 建 立 仕 度 奉 願 候 寛 保 三 年 十 月 大 年 寄 四 人 が 町 奉 行 宛 に 願 出 た も の で あ る 。 わ ざ わ ざ 大 坂 か ら 一 座 を 呼 び 下 す の で な く 、 周 辺 の 村 々 の 地 祭 で 興 行 し て い る 辻 打 操 芝 居 を 、 毎 年 晴 天 十 日 、 五 ケ 年 に 渉 り 興 行 し 、 年 々 利 銀 を 得 、 そ れ に よ り 計 画 的 に 再 建 、 修 復 を す す め た い と い う の で あ る 。 町 奉 行 は 翌 月 、 毎 年 五 日 、 五 か 年 間 何 時 に て も 勝 手 次 第 と し て 認 め た 。 具 体 的 に こ の 試 み が 如 何 ほ ど の 収 益 を 上 げ た か 明 ら か で は な い が 、 延 べ 二 五 日 で は 多 く を 期 待 す る こ と は で き な か っ た で あ ろ う 。 町 ・ 江 川 と し て は 新 熊 野 権 現 芝 居 の 欠 損 は 自 ら に 降 り 懸 る 問 題 で あ る だ け に 、 種 々 の 安 全 、 確 実 な 興 行 方 法 を 試 み ざ る を え な い 。 評 判 を 呼 ん で い る よ う に み え る 当 地 の 興 行 の 期 限 が 切 れ た 時 点 で 、 改 め て そ の ま ま 継 続 し 、 継 続 分 を 新 熊 野 権 現 の 収 益 分 と し よ う と す る 試 み が そ の 一 つ で あ る 。 願 書 此 度 地 蔵 寺 ♂ 御 願 申 上 、 御 聞 済 興 行 仕 候 芝 居 之 儀 、 最 早 一 日 二 而 終 申 候 、 然 処 、 闘 鶏 宮 毎 く 修 復 二 付 、 物 入 等 多 く 御 座 候 ヘ ハ 、 右 芝 居 晴 天 六 日 御 赦 免 被 成 下 候 ハ ・ 、 少 く 之 助 力 二 も 相 成 可 申 と 奉 存 候 故 、 内 く 芝 居 世 話 人 共 掛 合 、 楽 屋 ハ 其 儘 寄 進 二 為 致 、 役 者 共 之 給 金 等 も 安 く 為 仕 掛 合 申 度 奉 存 候 ヘ ハ 、 何 卒 日 数 晴 天 六 日 之 間 、 右 之 場 所

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二 而 其 儘 芝 居 興 行 御 赦 免 被 成 下 候 ハ ・ 、 闘 鶏 宮 之 諸 事 入 用 助 勢 二 も 相 成 可 申 と 難 有 奉 存 候 、 何 卒 願 之 通 被 仰 付 被   下 候 様 奉 願 上 候 已 上 文 化 十 年 ( 一 八 コ ニ ) 閏 十 一 月 二 日 、 町 大 年 寄 四 人 が 町 奉 行 に 提 出 し た 願 書 で あ る 。 地 蔵 寺 修 復 助 成 の 地 事 軽 業 芝 居 は 延 長 五 日 分 を 新 熊 野 権 現 芝 居 と し て 興 行 す る こ と が 認 め ら れ た 。 小 屋 掛 の 部 分 は そ の ま ま で 、 そ の 上 役 者 の 給 金 も 安 く さ せ よ う と い う 虫 の よ さ で 、 如 何 に し て も 相 応 の 利 銀 を 確 保 し た い と す る 町 大 年 寄 ら の 意 欲 、 あ る い は 強 か さ を 思 わ ず に は お れ な い 。 新 熊 野 権 現 社 の 維 持 、 修 復 助 成 に 関 わ る 芝 居 興 行 は 、 表 皿 に 示 し た よ う に 他 に も み ら れ る が 、 興 行 回 数 の 点 か ら も 、 し だ い に 町 ・ 寺 院 を 願 主 と す る 興 行 に 圧 倒 さ れ て い く こ と に な る 。 表 皿 町 ・ 江 川 と そ の 周 辺 の 主 な 芸 能 興 行 種 別 (座 本 ) 願 主 世 話 元 説 教 操 操 芝 居 ︹ 芝 居 ︺ 浄 瑠 璃 芝 居 操 芝 居 操 万 歳 浄 瑠 璃 芝 居 ︹芝 居 ︺ ︹芝 居 ︺ ( 大 坂 勘 右 衛 門 ) (竹 本 茂 太 夫 ) (大 坂 松 本 次 太 夫 ) (藤 井 小 三 郎 ) ( 陸 奥 茂 太 夫 ) ( 吉 川 重 太 夫 ) 江 川 浦 不 詳 松 雲 院 松 雲 院 新 熊 野 権 現 新 熊 野 権 現 大 福 院 紺 屋 町 紺 屋 町 和 歌 山 田 中 町 茂 平 上 長 町 弥 十 郎 ら 和 歌 山 金 屋 町 平 兵 衛 ら 興 行 期 間 ( 日 数 ) 紀 州 田 辺 領 に お け る 芸 能 興 行 に つ い て 延 宝 5 ・ 6 ・ 13 ∼ 7 ・ 2 貞 享 3 ・ 7 ・ 3 ∼ 8 ・ 4 元 禄 1 ・ 6 ・ 9 ∼ 7 ・ 7 正 徳 3 ・ 7 ・ 16 ∼ 8 ・ 3 享 保 19 ・ 3 ・ 2 ∼ 4 ・ 4 元 文 1 ・ 3 ・ 9 ∼ 4 ・ 20 元 文 2 ・ 3 ・ 16 ∼ 元 文 2 ・ 9 ・ ∼ 10 ・ 24 元 文 3 ・ 1 ・ ∼ 2 ・ 一 三 ⑳ ⑳ ⑬ ⑮ ⑳ ⑳

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佛 激 大 學 研 究 紀 要 通 卷 七 二 號 , . . 一 四 相 撲 芝 居 し 松 雲 院 元 文 3 、 7 、 ∼ , ⑩ 操 匚 万 歳 新 熊 野 権 現 元 文 5 、 操 r . 芝 、 居 ( 大 和 屋 甚 太 夫 ) 新 熊 野 権 現 延 享 1 ・ 2 . 1 ∼ 2 . 14 相 撲 ・芝 居 松 雲 、 院 袋 町 伝 六 延 享 1 . 3 も 13 ∼ 、 ⑳ ︹ 芝 . 居 ︺ 不 詳 延 享 2 、 4 、 10 ∼ 5 、 7 ⑩ ︹ 芝 居 ︺ ・ 新 熊 野 権 現 , 延 享 4 、 2 、 15 ∼ 2 、 23 ⑤ ︹ 芝 居 ︺ 、 、 , 新 熊 野 権 現 ﹂ 延 享 5 ・ ︹芝 居 ︺ ( 吉 田 平 + 思 新 熊 野 権 現 寛 延 ・ ・ 8 ・ 娼 ∼ 8 ・ 3。 ⑩ ︹芝 居 ︺ ` . 新 熊 野 権 現 寛 延 2 . 3 、 13 ∼ ︹ 芝 居 ︺ 勝 徳 寺 寛 延 3 . 2 . 15 ∼ 3 . 6 ︹芝 居 ︺ . 江 川 浦 宝 暦 6 . 3 . 晦 ∼ 辻 打 操 芝 居 ・ 一 根 本 寺 宝 暦 8 . ︹芝 居 ︺ 江 川 浦 宝 暦 9 . 2 . ∼ み 芝 居 ︺ " 江 川 浦 安 永 3 . 11 . ∼ ︹芝 居 ︺ 江 川 浦 安 永 4 . 4 . ∼ ︹芝 居 ︺ 江 川 浦 安 永 5 。 3 . ∼ , 、 ︹芝 居 ︺ 江 川 浦 安 永 8 . 5 . ∼ 操 芝 居 ( 上 村 源 之 丞 ) 勝 徳 寺 孫 九 郎 丁 打 屋 吉 兵 衛 ら 安 永 9 . 2 . 18 ∼ 3 . 9 ⑭ 地 事 軽 業 芝 居 ( 中 村 春 蔵 ) 熊 野 本 宮 北 新 町 万 屋 武 八 安 永 9 . 3 . 23 ∼ 4 . 18 ⑮ 地 事 軽 業 芝 居 熊 野 本 宮 秋 津 口 武 八 安 永 9 . 8 . 1 ∼ 8 . 18 ⑮ 地 事 軽 業 芝 居 本 正 寺 油 屋 義 助 . 湊 屋 彦 七 安 永 9 . 8 . 20 ∼ 8 . 28 ⑥ ・ 操 芝 居 ( 上 村 源 之 丞 ) 勝 徳 寺 南 新 町 五 兵 衛 天 明 1 . 2 . 6 ∼ 3 . 5 ⑬ 地 事 軽 業 芝 居 ( 尾 上 弁 之 助 ) 本 正 寺 天 明 1 . 3 . 11 ∼ 4 . 24 ㈲

魎轢

万霙

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地 事 軽 業 芝 居 ( 浅 尾 三 之 助 ) 庚 一 ' 申 堂 湊 村 湊 屋 米 蔵 ら 天 明 2 ・ 7 ・ 23 ∼ 8 ・ 27 操 芝 居 ( 市 村 六 之 丞 ) 大 福 院 北 新 町 、 権 吉 ・ 弥 助 ら 天 明 5 ・ 10 ・ 5 ∼ 地 事 軽 業 芝 居 庚 申 堂 天 明 5 ・ 相 撲 紺 屋 町 ー m ・ 寛 政 1 ・ 8 ・ 5 ∼ 8 ・ 11 ・ ⑦ 地 事 軽 業 芝 居 紺 屋 町 ・ 国 平 寛 政 1 ・ 9 ・ 10 ∼ 10 ・ 4 ⑳ 相 撲 観 行 院 寛 政 2 ・ 6 ・ 9 ∼ 6 ・ 16 浄 瑠 璃 ( 竹 本 喜 三 太 夫 ) 袋 町 寛 政 3 ・ 4 ・ 22 ∼ 5 ・ 2 こ ま 廻 し 大 福 院 寛 政 3 ・ 6 ・ 23 ∼ ・ 地 事 軽 業 芝 居 ( 浅 尾 勇 次 郎 ) 大 福 院 湊 村 利 助 ・ 五 兵 衛 寛 政 3 ・ 8 ・ 7 ∼ 9 ・ 14 ︹芝 居 ︺ 超 願 寺 利 助 ・ 五 兵 衛 寛 政 3 ・ 9 ・ 16 ∼ ・ 浄 瑠 璃 教 学 院 臨 ∼ 寛 政 6 ・ 相 撲 大 福 院 : 寛 政 6 ・ 7 ・ 21 ∼ 曲 馬 本 : 正 寺 湊 屋 彦 七 、 本 町 幸 次 郎 寛 政 6 ・ 9 ・ 14 ∼ 相 撲 大 福 院 寛 政 6 ・ 12 ・ 17 ∼ 浄 瑠 璃 祥 . 福 院 ` 寛 政 7 ・ -・ 18 ∼ -・ 27 操 芝 居 ( 上 村 源 之 丞 ) 新 熊 野 権 現 ' 鍛 冶 屋 忠 七 ら 寛 政 7 ・ 2 ・ 28 ∼ 4 ・ 26 ︹芝 居 ︺ 江 川 浦 、 ' 寛 政 7 ・ 7 ・ 6 ∼ 相 撲 芝 居 本 正 寺 紺 屋 町 源 蔵 、 本 町 幸 次 郎 寛 政 9 ・ 5 ・ 28 ∼ 6 ・ 8 ⑦ 操 芝 居 ( 小 林 六 太 夫 ) 観 行 院 紺 屋 町 源 蔵 、 本 町 幸 次 郎 寛 政 9 ・ 6 ・ 18 ∼ 7 ・ 4 ⑫ 地 事 軽 業 芝 居 願 成 寺 紺 屋 町 源 蔵 ら 寛 政 9 ・ 9 ・ 19 ∼ 10 ・ 19 鋤 地 事 軽 業 芝 居 能 満 : 寺 安 宅 屋 弥 七 ・ 富 田 屋 幸 助 寛 政 10 ・ 2 ・ 11 ∼ 3 ・ 20 鱒 地 事 軽 業 芝 居 願 成 寺 ' ∼ 乢 寛 政 10 ・ 3 ・ 21 ∼ 3 ・ 26 ⑤ 地 事 軽 業 芝 居 ( 谷 村 菊 之 助 ﹀ 願 成 寺 : 、 寛 政 10 ・ 8 ・ 22 ∼ 9 ・ 19 鱒 地 事 軽 業 芝 居 ( 藤 川 猪 之 助 ) 大 福 院 北 新 町 -岩 内 屋 源 吉 ら 寛 政 11 ・ 4 ・ 2 ∼ 5 ・ 14 相 " 撲 伊 作 田 村 庄 屋 本 町 幸 次 郎 'r 寛 政 11 ・ ・ ③ 紀 州 田 辺 領 に お け る 芸 能 興 行 に つ い て 一 五

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佛 教 大 學 研 究 紀 要 通 卷 七 二 號 一 六 地 事 軽 業 芝 居 (藤 川 伊 勢 松 ) 南 部 新 福 寺 湊 村 嘉 七 ・ 銀 兵 衛 寛 政 11 ・ 7 ・ 30 ∼ 相 撲 本 正 寺 湊 村 六 太 夫 寛 政 11 ・ 11 ・ ∼ 11 ・ 23 操 芝 居 ( 小 林 六 太 夫 ) 法 輪 寺 袋 町 佐 吉 ・ 嘉 七 寛 政 12 ・ 4 ・ 24 ∼ 5 ・ 22 ㈹ 相 撲 教 学 院 紺 屋 町 源 蔵 ・ 本 町 幸 次 郎 寛 政 12 ・ 6 ・ 7 ∼ 6 ・ 11 ㈲ 相 撲 神 子 浜 村 梵 天 宮 神 子 浜 村 吉 蔵 ・ 長 兵 衛 寛 政 12 ・ 8 ・ 1 ∼ 8 ・ 5 ⑤ 糸 か ら く り 芝 居 不 詳 紺 屋 町 源 蔵 享 和 1 ・ 2 ・ 27 ∼ 3 ・ 14 ⑮ 相 撲 高 山 寺 紺 屋 町 源 蔵 ら 享 和 1 ・ 9 ・ 3 ∼ 浄 瑠 璃 大 福 院 享 和 3 ・ 閏 1 ・ 1 ∼ 糸 か ら く り 人 形 遣 大 福 院 紺 屋 町 源 蔵 文 化 1 ・ 地 取 銭 相 撲 観 行 院 紺 屋 町 指 物 屋 源 蔵 文 化 1 ・ 10 ・ 11 ∼ 操 芝 居 (小 林 六 太 夫 ) 宝 乗 院 庚 申 堂 指 物 屋 源 蔵 文 化 1 ・ 11 ・ 4 ∼ ⑦ 辻 打 芝 居 叶 院 文 化 2 ・ 2 ・ ∼ ⑩ 地 取 銭 相 撲 宝 乗 院 庚 申 堂 文 化 2 ・ 7 ・ ∼ 子 供 狂 言 辻 打 芝 居 叶 院 指 物 屋 源 蔵 文 化 2 ・ 7 ・ 27 ∼ 8 ・ 11 ⑫ 地 取 銭 相 撲 宝 乗 院 南 新 町 生 馬 屋 専 蔵 ら 文 化 2 ・ 8 ・ 11 ∼ 地 事 軽 業 芝 居 願 成 寺 文 化 3 ・ 9 ・ 28 ∼ 10 ・ 5 ⑥ 相 撲 片 町 袋 町 吉 兵 衛 文 化 9 ・ 3 ・ 6 ∼ 3 ・ 17 ⑲ 芝 居 願 成 寺 文 化 9 ・ 7 ・ 7 ∼ 8 ・ 16 ⑳ 曲 弾 物 真 似 湊 村 文 化 10 ・ 3 ・ 12 ∼ ⑩ 浄 瑠 璃 物 真 似 湊 村 文 化 10 ・ 地 事 軽 業 芝 居 地 蔵 寺 紺 屋 町 瀧 蔵 ・ 源 蔵 文 化 10 ・ 11 ・ 11 ∼ 閏 11 . 4 ⑲ 地 事 軽 業 芝 居 新 熊 野 権 現 紺 屋 町 瀧 蔵 ・ 源 蔵 文 化 10 ・ 閏 11 ・ 5 ∼ 閏 11 . 16 ⑥ 操 芝 居 (上 村 菊 太 夫 ) 江 川 浦 文 化 11 ・ 3 . 15 ∼ 浄 瑠 璃 不 詳 孫 九 郎 丁 松 屋 和 七 文 化 11 ・ 4 ・ ∼ ㈲ 操 芝 居 ( 吉 川 安 五 郎 ) 宝 乗 院 庚 申 堂 紺 屋 町 源 蔵 ・ 瀧 蔵 文 化 11 ・ 5 ・ 11 ∼ ⑮

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地 事 軽 業 芝 居 ( 嵐 熊 十 郎 ) 紺 屋 町 ・ 文 化 11 ・ 9 ・ 1 ∼ 10 ・ 16 鰺 地 取 銭 相 撲 不 詳 湊 村 幸 吉 文 化 12 ・ 4 ・ 9 ∼ 4 ・ 15 ⑦ 浄 瑠 鵯 慈 幸 院 古 町 林 蔵 文 化 12 ・ 4 ・ 29 ∼ 操 芝 居 本 正 寺 文 化 12 ・ 5 ・ 27 ∼ 6 ・ 11 稽 古 浄 瑠 璃 本 光 寺 文 化 13 ・ 3 ・ 28 ∼ 4 ・ 7 浄 瑠 璃 物 真 似 ( 大 坂 天 満 時 太 夫 ) 大 福 院 文 化 13 ・ 4 ・ ∼ 辻 打 軽 業 子 供 狂 言 叶 院 孫 九 郎 丁 松 屋 和 七 文 化 14 ・ 3 ・ 30 ∼ 4 ・ 13 地 取 銭 相 撲 不 詳 文 化 14 ・ 8 ・ 15 ∼ 浄 瑠 璃 ( 大 坂 出 雲 太 夫 ) 智 積 院 松 屋 和 七 文 化 14 ・ 11 ・ 5 ∼ 地 取 銭 相 撲 高 山 寺 孫 九 郎 丁 松 屋 和 七 文 政 1 ・ 2 ・ 20 ∼ 2 ・ 22 大 坂 巴 女 刀 業 不 詳 文 政 2 ・ 軍 書 講 釈 不 詳 文 政 2 ・ 10 ・ 18 ∼ 11 ・ 2 地 取 銭 相 撲 観 行 院 孫 九 郎 丁 松 屋 和 七 文 政 3 ・ 8 ・ 15 ∼ ⑤ 地 取 銭 相 撲 不 詳 南 部 吉 田 一 学 文 政 4 ・ 7 ・ 16 ∼ 軍 書 講 釈 ( 若 山 小 新 町 柴 崎 林 蔵 ) 不 詳 孫 九 郎 丁 松 屋 和 七 文 政 4 ・ 8 ・ ∼ ⑩ 地 事 軽 業 芝 居 教 学 院 文 政 4 ・ 9 ・ 11 ∼ 10 ・ 13 G◎ 操 芝 居 本 正 寺 本 町 源 蔵 文 政 6 ・ 4 ・ 16 ∼ 5 ・ 15 ⑳ 噺 物 真 似 (大 坂 桂 文 理 ) 不 詳 孫 九 郎 丁 松 屋 和 七 文 政 7 ・ 5 ・ ∼ ⑩ 地 事 軽 業 芝 居 宝 乗 院 庚 申 堂 孫 九 郎 丁 松 屋 和 七 文 政 7 ・ 10 ・ 18 ∼ 11 ・ 16 操 芝 居 (小 林 六 太 夫 ) 観 行 堂 八 幡 宮 湊 村 勘 吉 文 政 8 ・ 5 ・ ∼ ⑯ 稽 古 浄 瑠 璃 (京 都 植 木 屋 久 米 蔵 ) 智 積 院 文 政 10 ・ 9 ・ 5 ∼ ⑤ 地 事 軽 業 芝 居 宝 乗 院 庚 申 堂 文 政 12 ・ 操 芝 居 (小 林 六 太 夫 ) 江 川 浦 (祭 ) 江 川 浦 庄 屋 天 保 1 ・ 11 ・ 操 芝 居 ( 中 村 金 太 夫 ) 伊 作 田 村 他 (祭 ) 天 保 3 ・ 閏 11 ・ 15 操 芝 居 ( 小 林 六 太 夫 ) 江 川 浦 ( 祭 ) 天 保 3 ・ 閏 11 ・ 15 紀 州 田 辺 領 に お け る 芸 能 興 行 に つ い て 一 七

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佛 敏 大 學 研 究 紀 要 通 卷 七 二 號 . ' 一 八 操 芝 居 (小 林 六 太 失 ) 湊 村 他 ( 祭 ) 天 保 3 ・ 閏 11 ・ 羽 操 芝 居 (小 林 六 太 夫 ) 敷 、 村 天 保 3 . 閏 11 ・ 23 操 芝 居 ( 小 林 六 太 失 ) 西 谷 村 天 保 7 ・ 11 ・ 14 操 芝 居 (小 林 六 太 夫 ) 湊 村 天 保 9 ・ 11 ・ 27 操 芝 居 ( 小 林 六 太 夫 ) 湊 村 ( 祭 ) 天 保 10 ・ '、 操 芝 居 ( 小 林 六 太 夫 ) 伊 作 田 村 他 (祭 ) 天 保 10 . 12 . 3 操 芝 居 (小 林 六 太 夫 ) 不 詳 (祭 ) 弘 化 2 ・ 11 ・ 12 操 芝 居 (小 林 六 太 夫 ) 新 庄 村 r , 弘 化 2 ・ 11 ・ 14 ∼ 15 操 芝 居 ( 小 林 六 太 夫 ) 湊 村 弘 化 2 ・ 11 . 16 操 芝 居 (小 林 六 太 夫 ) 神 子 浜 村 弘 化 2 ・ 11 ・ 19 -操 芝 居 (小 林 六 太 夫 ) 敷 村 ( 浦 直 し ) 弘 化 2 . 11 . 22 操 芝 居 ( 中 村 金 太 夫 ) 江 川 浦 ( 祭 ) 弘 化 3 ・ 11 . 23 操 芝 居 ( 小 林 六 太 失 ) 新 庄 村 ( 祭 ) ﹂ 弘 化 3 ・ 11 ・ 27 備 考 ﹃ 万 代 記 ﹄ ﹃ 田 辺 町 大 帳 ﹄ ﹃ 御 用 留 ﹄ ﹃ 芝 居 勘 定 帳 ﹄ よ り 作 成 し た 。 芝 居 と の み 記 し た も の 臓 種 別 欄 に ︹ 芝 居 ︺ と し た 。 紺 屋 町 、 江 川 浦 芝 居 紺 屋 町 は 会 津 川 東 岸 に 接 し た 町 で 、 承 応 元 年 ( 一 六 五 二 ) 網 屋 町 が 検 地 竿 入 さ れ た の に り 卦 で 翌 年 ﹁紺 屋 町 御 検 の 地 ん ﹂ と の 記 録 も あ り 、 こ の 時 期 に 田 辺 城 下 の 北 西 の 町 と し て 整 え ら れ た よ う で は あ る が 、 町 場 と し て 十 分 発 展 し た と は い え な か っ た 。 江 川 浦 は 会 津 川 を 隔 て た 西 岸 の 浦 で 、 近 世 中 期 に は 本 町 、 中 町 、 塀 之 町 、 川 端 町 な ど の 町 が あ る が 、 多 く の 場 合 江

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川 と し て 一 括 し た 呼 称 で 把 え ら れ て い る 。 紺 屋 町 が 紺 屋 、 指 物 、 鍛 冶 な ど の 職 人 と 日 用 、 仲 仕 な ど の 生 活 基 盤 の 不 安 定 な 層 を 多 く 抱 え 、 し か も 町 場 と し て 十 分 な 展 開 を 示 し て い な い 点 を 近 世 末 期 ま で 残 し て い た こ と は 、 芝 居 興 行 と の 関 わ り を 考 え る 上 で 、 注 意 し な け れ ば な ら な い 。 零 細 な 経 済 基 盤 を も つ 町 で あ る こ と を 示 す 例 を い く つ か あ げ よ う 。 天 保 五 年 ( 一 八 三 四 ) 秤 改 め が 実 施 さ れ た 際 、 紺 屋 町 で は 小 量 ま で 計 量 可 能 な れ い て ん ぐ 三 丁 、 重 量 物 を 計 量 す る 千 木 ( 杠 秤 ) 取 合 二 丁 、 計 五 丁 で 、 町 . 江 川 の 総 秤 数 二 九 三 丁 の 一 ・ 七 % を 占 め る に 止 ま り 、 上 長 町 の 六 五 丁 、 北 新 町 の 九 四 丁 に 比 し て 、 如 何 に も 零 細 な 商 い を 窺 わ せ る 。 ま た 化 政 期 、 町 ・ 江 川 の 竈 数 、 人 口 に お け る 紺 屋 町 が 占 め る 割 合 は 、 約 八 ∼ 九 % で あ る が 、 御 用 銀 を は じ め 種 々 の 課 役 は ○ ・ 二 ? ○ ・ 六 % に 止 ま り 、 文 政 八 年 ( 一 八 二 五 ) 十 一 月 領 主 側 が 国 産 方 出 入 の 大 坂 商 人 二 人 に 対 し 、 大 坂 表 へ 領 内 産 物 の 積 登 し を 引 請 さ せ る に 当 り 、 そ の 趣 意 を 説 明 す る た め 、 有 力 町 人 一 九 名 を 町 会 所 に 集 め て い   る が 、 紺 屋 町 の 町 人 は そ の 中 に 含 ま れ て い な い 。 さ ら に 天 保 二 年 四 月 城 普 請 に 際 し て 、 町 ・ 江 川 に 献 上 銀 、 人 夫 の 差 出 し が 命 じ ら れ て い る 。 献 上 銀 五 五 貫 五 六 二 匁 の 内 紺 屋 町 は 銀 一 貫 一 四 九 匁 を 負 担 し て い る が 、 人 夫 に つ い て は 、 二 九 九 工 の 内 五 〇 % に 相 当 す る 一 五 〇 工 を 負 担 し て い る 。 町 場 と し て の 展 開 の 不 十 分 で あ る と す る 点 に つ い て は 次 の 例 を あ げ よ う 。 文 化 八 年 ( 一 八 一 一 ) 四 月 雨 天 続 き の た め 麦 の 収 穫 に 際 し て 、 麦 こ な し の 作 業 を 家 の 表 で 行 な り て い る こ と に つ い て 、 町 奉 行 所 か ら こ の 種 の 作 業 は 町 内 に 適 わ し く な い と し て 、. 麦 こ な 七 を し て い る 者 の 名 前 を 書 き 上 げ さ   せ た 。 袋 町 、 片 町 、 紺 屋 町 、 北 新 町 、 南 新 町 か ら 計 七 八 名 が 書 き 上 げ ら れ た が 、 そ の 内 五 一 名 は 紺 屋 町 で ﹁ 家 之 裏 二 て 麦 す ご き 、 莚 干 仕 候 者 ﹂ で あ っ た 。 文 化 三 年 の 紺 屋 町 の 軒 数 が 七 九 軒 で あ る か ら 、 六 五 % 以 上 の 家 が 多 少 と も 麦 作 に 関 わ っ て い た こ と を 窺 わ せ る 。 さ ら に 天 保 九 年 八 月 ﹁ 町 江 川 家 数 人 数 牛 馬 共 書 上 ﹂ に よ れ ば 、 牛 二 六 疋 中 一 五 疋 が 紀 州 田 辺 領 に お け る 芸 能 興 行 に つ い て 一 九

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佛 歡 大 學 研 究 紀 要 通 卷 七 二 號 二 〇 紺 屋 町 で 飼 育 さ れ て お り 、 南 新 町 八 疋 の 二 倍 あ り 、 い ず れ も 農 耕 用 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 右 に あ げ た 実 状 は 、 紺 屋 町 年 寄 が 町 大 年 寄 に 差 出 す 願 書 に ﹁ 紺 屋 町 之 義 ハ 職 人 、 日 用 稼 之 者 、 又 は 又 く 之 田 畑 預 り 作 等 仕 、 難 渋 之 者 共 斗 ﹂ と 常 用 さ れ る 文 言 に 端 的 に 表 現 さ れ て い る 。 江 川 浦 は 享 保 末 年 に は 八 端 帆 か ら 三 端 帆 の 廻 船 一 一 艘 、 漁 船 、 網 取 船 一 六 艘 、 天 保 九 年 に は 漁 船 七 八 艘 を も つ 浦 で ㈱ あ っ た 。 表 1 に 示 し た よ う に 漁 師 二 二 七 人 の う ち 六 三 % に 相 当 す る 一 四 三 人 が 関 東 、 四 国 の 各 地 に 出 漁 し 、 出 稼 ぎ を し て い る 。 江 川 浦 の 生 活 の 実 態 が ど の よ う な も の で あ っ た か は 具 体 的 に 明 ら か で な い が 、 紺 屋 町 以 上 に 経 済 的 基 盤 が 脆 弱 な も の で あ っ た こ と が 推 測 で き る 。 紺 屋 町 、 江 川 浦 に お い て は 芝 居 興 行 が ど の よ う な 方 法 で す す め ら れ た で あ ろ う か 。 芝 居 興 行 の 早 い 例 は 江 川 浦 に お け る 延 宝 五 年 ( 一 六 七 七 ) 六 月 に み え る 。 己 ノ ニ 月 江 川 浦 汐 芝 居 御 訴 訟 申 上 、 相 叶 候 而 、 同 六 月 二 江 川 浜 ゑ ひ す の 前 二 而 、 十 三 日 ♂ 七 月 二 日 迄 廿 日 之 間 仕 候 、 太 夫 本 大 坂 勘 右 衛 門 、 説 経 操 、 但 太 夫 長 嶋 重 太 夫 、 ワ キ 太 夫 出 来 嶋 一 学 、 右 ハ 江 川 浦 及 困 窮 候 二 付   被 為 仰 付 江 川 浦 の 困 窮 を 理 由 に 、 景 況 の 回 復 を は か る べ く 願 出 た も の で あ っ た 。 江 川 浦 困 窮 の 直 接 の 原 因 は 何 か 。 ﹁ 田 辺 諸 事 控 ﹂ に は ﹁ 延 宝 三 乙 夘 、 同 四 丙 辰 両 年 飢 饉 、 疫 病 、 人 民 多 死 ス 、 此 年 旦 那 様 ヨ リ 銀 三 十 枚 町 中 へ 被 下 、 同 七 月 十 三 日 ヨ リ 十 五 日 マ テ 飢 人 粥 被 仰 付 ﹂ と あ り 、 熊 野 の 年 代 記 で あ る ﹃ 歳 代 記 ﹄ に も ﹁ 延 宝 二 年 六 月 十 一 日 大 雪 、 熊 野 大 飢 ㈲ 饉 、 都 而 紀 ノ 国 五 畿 内 大 洪 水 、 人 馬 多 流 死 ﹂ と あ る 。 延 宝 二 ∼ 四 年 の 飢 饉 、 そ れ に よ る 米 価 の 高 騰 が 江 川 浦 の 住 民 の 生 活 を 大 き く 揺 る が せ た と 考 え ら れ る 。 こ こ に お い て 、 景 況 浮 揚 の 一 策 と し て 芝 居 興 行 が 企 て ら れ た 。 興 行 に よ る 直

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接 的 収 益 だ け で な く 、 零 細 な が ら も 小 間 物 商 い 、 雇 傭 を 生 み 出 す な ど の 経 済 的 波 及 効 果 に 期 待 す る と こ ろ が あ っ た 。 し か も 江 川 浦 が 城 下 並 み で は あ っ て も 、 川 を 隔 て た 浦 で あ っ た こ と 、 換 言 す れ ば 芝 居 興 行 を 領 主 側 が 認 め 易 い 地 理 的 条 件 に あ っ た こ と が 指 摘 で き よ う 。 紺 屋 町 も 厳 し い 経 済 状 況 に あ っ た と 考 え ら れ る が 、 江 川 浦 の 興 行 が 許 さ れ た 翌 年 の 延 宝 六 年 一 月 ﹁ 紺 屋 町 近 年 身 躰 成 不 申 候 故 、 芝 居 訴 訟 申 上 候 得 共 、 終 二 不 被 為 仰 付 候 ﹂ と 、 理 由 は 付 し て い な い が 興 行 が 許 さ れ て い な い 。 同 様 の 願 出 は 享 保 十 六 年 ( 一 七 三 一 ) 二 月 、 同 年 九 月 に も あ る が 、 い ず れ も ﹁ 不 相 叶 候 ﹂ と あ る 。 和 歌 山 藩 で は 元 禄 五 年 ( 一 六 九 二 ) 一 月 、 湊 町 ﹁ 御 救 ﹂ の た め 、 同 月 中 旬 か ら 新 堀 で 操 芝 居 の 興 行 を 認 め 、 一 月 二 十 八 日 操 芝 居 の 一 座 を 西 ノ 丸 に 招 き 、 藩 主 の 子 供 た ち が 操 芝 居 を 見 物 し て い る 。 元 禄 年 中 に は 操 芝 居 だ け で な く 浄 瑠 璃 、 狂 言 尽 が 新 堀 な ど で 興 行 さ れ て い る 。 田 辺 領 に お い て も 当 然 城 下 に お け る 興 行 は 憚 る と こ ろ が あ っ た の で あ ろ う 。 江 川 浦 の 願 も 無 条 件 で 認 め ら れ て い た わ け で は な い 。 享 保 十 二 年 三 月 、 鯨 船 の 浦 直 し と 、 さ ら に 江 川 商 人 問 屋 船 頭 と 袋 町 商 人 連 名 で 鯨 納 屋 御 祝 義 直 し の た め 粉 川 七 之 丞 の 操 芝 居 興 行 を 願 出 、 大 庄 屋 、 大 年 寄 ら は 内 諾 を 与 え て い る が 、   町 奉 行 が ﹁ 此 度 ハ 無 用 ﹂ と し て 認 め な か っ た 。 不 許 可 の 理 由 と し て 考 え ら れ る こ と は 、 鯨 納 屋 の 竣 工 祝 い 、 さ ら に 袋 町 の 魚 商 い の 町 人 が 加 わ っ て い る こ と に 難 色 を 示 し た の で は な い か と い う 点 で あ る 。 こ の 時 期 に あ っ て は 、 浦 直 し と い う ﹁ 御 救 ﹂ と 城 下 を 外 れ て い る と い う 二 つ の 条 件 が 合 致 し て 、 は じ め て 興 行 が 認 め ら れ る も の で あ っ た と い え よ う 。 享 保 末 年 の 深 刻 な 事 態 に 直 面 し て 、 享 保 十 八 年 七 月 領 主 側 は 先 述 し た よ う に 、 景 況 振 興 に つ い て 広 く 町 在 か ら の 建 策 を 求 め 、 同 時 に 城 下 の 町 人 に 対 し て 、 遊 山 音 曲 な ど 従 来 領 内 に 認 め ら れ て い た い わ ぽ 芸 能 に つ い て は 、 城 下 町 の 内 外 を 問 わ ず 認 め る と い う 、 領 主 側 の 柔 軟 な 方 向 が 示 さ れ た 。 紀 州 田 辺 領 に お け る 芸 能 興 行 に つ い て 一 =

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佛 教 大 學 研 究 紀 要 通 卷 七 二 號 二 二 享 保 十 七 、 十 八 両 年 の 飢 饉 、 同 十 九 年 の 大 洪 水 に よ り ﹁ 内 外 損 亡 夥 敷 、 内 証 衰 微 仕 ﹂ る 状 態 と な り 、 決 壊 し た 小 泉   土 手 の 普 請 に つ い て 町 役 負 担 の 用 捨 が 町 方 か ら 願 出 さ れ る 事 態 と な っ て い る 。 和 歌 山 藩 で は こ の 様 な 事 態 に 対 応 す る か の よ う に 、 享 保 十 九 年 春 、 寺 社 の 開 帳 を 許 し 、 町 在 の 、 ﹁ 御 救 ﹂ と し て 、 、 歌 舞 伎 、 操 芝 居 の 興 行 を 認 め 、 四 〇 年 来 の 歌 舞 伎 興 行 の 解 禁 で 大 い に 賑 わ っ た 。 殊 に 欠 作 、 中 ノ 島 、 日 前 宮 、 栗 林 、 愛 宕 で は 大 芝 居 が 興 行 さ れ 、 享 保 二 十 年 に は 町 会 所 の 闕 所 銀 で 新 雑 賀 町 船 場 に 常 設 芝 居 小 屋 を 建 て 、 町 在 困 窮 者 の た め   の 芝 居 興 行 を し て い る 。 二 田 辺 領 に お い て は 従 来 新 熊 野 権 現 の 助 成 と 江 川 浦 の 浦 直 し に 限 定 さ れ て い た 芝 居 興 行 を 広 く 認 め よ う と す る 方 向 は 、 享 保 十 九 年 の 大 洪 水 と 和 歌 山 藩 の 積 極 的 な 興 行 容 認 政 策 に よ っ て 一 段 と 促 さ れ る こ と に な る 。 享 保 十 八 年 十 二 月 新 熊 野 権 現 社 修 復 の た め 操 芝 居 が 願 出 さ れ 、 久 し く 絶 え て い た 興 行 が 再 開 さ れ た こ と は 先 述 し た が 、 こ の 興 行 に 続 い て 紺 屋 町 か ら 興 行 を 願 い 出 た 。 当 時 の 紺 屋 町 の 状 況 は 、 嘗 て 延 宝 期 領 主 側 か ら 興 行 願 を 拒 否 さ れ た と き と は .一 段 と 深 刻 の 度 を 深 め 、 ﹁ 町 並 之 諸 御 用 等 難 相 務 、 迷 惑 至 極 仕 候 ﹂ 、 状 態 で あ り 、 ﹁ 町 並 之 諸 御 用 等 相 務 (   町 内 之 者 共 立 行 可 申 ﹂ た め に も 、 操 万 歳 を 晴 天 三 十 日 、 来 年 春 、 夏 の 内 に 興 行 し た い と 願 出 た 。 し か し 翌 年 春 に は 後 述 す る 大 福 院 芝 居 が 興 行 さ れ た た め か 、 同 年 七 月 に 三 〇 日 の 内 二 〇 旧 の 興 行 を 新 熊 野 権 現 社 前 の 大 福 院 で 催 す こ と を 改 め て 願 出 た 。 座 本 吉 川 重 太 夫 と 記 す だ け で 興 行 の 内 容 は 知 れ な い が 、 当 初 予 定 の 二 〇 日 は 三 〇 日 と さ れ 、 さ ら に 翌 元 文 三 年 ( 一 七 三 八 ) 春 、 晴 天 二 〇 日 に 五 日 追 願 し て 二 五 日 、 総 計 五 五 日 間 の 興 行 を 終 え た 。 興 行 日 数 の 延 長 に つ い て も 可 成 り 寛 容 で あ っ た こ と を 窺 わ せ ゐ 長 期 興 行 で あ っ た 。 紺 屋 町 芝 居 は 以 後 寛 政 元 年 ( 一 七 八 九 ) 八 月 、 前 半 七 日 相 撲 、 後 半 二 〇 日 地 事 軽 業 芝 居 、 計 二 七 日 の 興 行 、 文 化 三 年 ( 一 八 〇 六 ) 二 月 、 祭 礼 の 笠 鉾 修 理 の 費 用 を 町 民 負 担 に

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す る こ と が 困 難 で あ る と の 理 由 で 、 そ の 費 用 捻 出 の た め 、 晴 天 三 〇 日 を 願 出 て い る が 認 め ら れ ず 、 同 九 年 改 め て 願 出 て い る 。 こ の 際 、 興 行 が 来 春 で あ れ ば 今 年 暮 に 改 め て 願 出 る よ う 、 一 度 差 し 戻 さ れ た 。 し か し 来 春 一 番 は 地 蔵 寺 の 予 定 が あ る と し て そ の 年 も 不 首 尾 に 終 わ り 、 最 初 の 願 出 か ら 八 年 後 の 文 化 十 一 年 九 月 一 日 か ら 二 八 日 間 、 嵐 熊 十 郎 、 藤 川 濡 市 ら 一 行 二 八 人 の 地 事 軽 業 芝 居 が 興 行 さ れ た 。 紺 屋 町 芝 居 は こ の 興 行 を 最 後 と す る が 、 こ の 間 、 延 享 二 年 ( 一 七 四 五 ) 下 長 町 の 浄 瑠 璃 会 、 寛 政 三 年 ( 一 七 九 一 ) 四 月 袋 町 浄 瑠 璃 会 な ゼ 他 町 か ら の 願 出 は み ら れ る が 小 規 模 な も の に 止 ま っ て い る 。 享 保 以 後 江 川 浦 か ら 浦 直 し の た め 興 行 願 が し ぼ し ば 出 さ れ て い る 。 ﹁ 江 川 浦 之 義 、 近 年 不 漁 打 続 申 ス 上 、 当 年 ハ 一   切 漁 事 無 御 座 、 漁 師 共 及 渇 命 申 様 二 相 成 苦 々 敷 奉 存 馬 仍 之 浦 直 ﹂ し の た め 芝 居 興 行 し た い と す る 文 言 が 常 用 さ れ て い る が 、 事 実 漁 事 一 通 レ の 浦 に あ っ て は 、 潮 行 の 如 何 が 漁 に 、 ひ い て は 浦 の 景 況 に 大 き く 影 響 し た 。 し か し 浦 直 し の 興 行 は 延 宝 五 年 ( 一 六 七 七 ) 以 来 宝 暦 六 年 ( 一 七 五 六 ) ま で 認 め ち れ て い な い 。 し か も 宝 暦 期 に は 芝 居 の 入 込 み を 統 制 す る 動 き が い く つ か 窺 え る 。 宝 暦 十 年 在 方 へ 操 芝 居 の 入 込 み を 禁 じ 、 宝 暦 十 一 年 伊 作 田 村 を 三 人 の 傀 儡 師 が 通 り 過 ぎ た こ と に 対 し て 庄 屋 を 糾 明 し 、 興 行 し た こ と は な い と 庄 屋 が 弁 明 し て い る 。 地 祭 に つ い て も 夜 分 は 一 切 認 め ず 、 早 朝   か ら 初 夜 以 前 の 一 目 と し 、 そ の 際 前 日 に 届 出 、 田 辺 組 に つ い て は 役 人 が 地 祭 当 日 村 に 入 込 む と t た 。 江 川 浦 に つ い て も ﹁ 狂 言 躰 之 義 有 之 由 ﹂ と し て 、 早 々 に 差 し 留 め る よ う 町 奉 行 が 指 示 し て い る 。 こ の よ う に 興 行 の 統 制 を は か っ た 理 由 の 一 つ と し て 考 え ら れ る の は 、 ﹁ 費 ケ 間 敷 ﹂ 動 き に 対 す る 抑 制 に あ っ た 。 在 中 地 祭 、 村 二 寄 過 分 花 代 井 雑 用 小 入 用 帳 へ 出 候 所 有 之 候 、 右 ハ 小 組 之 芝 居 二 て ハ 雑 用 無 数 所 、 大 組 之 芝 居 故 二 て 候 間 、 自 今 ハ 大 組 之 芝 居 致 候 ハ ・ 、 二 一ニ ケ 村 、 又 ハ 四 五 ケ 村 組 合 候 て 入 用 減 候 様 、 猶 又 大 前 へ 相 対 出 さ せ 候 紀 州 田 辺 領 に お け る 芸 能 興 行 に つ い て 二 三

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佛 歡 大 學 研 究 紀 要 通 卷 七 二 號 二 四 て 、 至 極 不 足 之 分 小 入 用 割 へ 出 候 様 御 申 通 可 有 之 候 地 祭 に 際 し て は 村 内 の 出 費 を 可 能 な 限 り 節 約 す る た め に 、 数 か 村 連 合 の 興 行 と し 、 そ の 費 用 に つ い て は 、 大 前 す な わ ち 有 力 高 持 百 姓 間 で 負 担 し 、 小 前 百 姓 の 負 担 と な ら ざ る よ う に 、 と い う も の で あ っ た 。 さ ら に こ の ﹁ 費 ケ 間 敷 ﹂ を 抑 制 し よ う と す る 、 い わ ば 倹 約 令 の 背 景 に あ る 町 在 内 部 の 動 き に も 注 意 す る こ と が 必 要 で あ ろ う 。 安 藤 精 一 氏 が 明 ら   か に し た 元 文 期 以 降 の 在 方 商 業 の 発 展 と 、 領 主 的 貨 幣 経 済 の 一 環 た る 町 方 商 業 の 危 機 の 進 行 と に 関 わ る こ と は 否 定 で き な い で あ ろ う 。 新 庄 村 を は じ め と す る 在 方 に お い て 、 山 内 出 荷 物 の 主 要 部 分 を 占 め る 椎 茸 、 茶 、 薪 炭 な ど は 在 方 商 人 に よ り 買 留 め ら れ る だ け で な く 、 味 噌 、 醤 油 に い た る ま で 仕 込 み 、 町 ・ 江 川 で 在 方 が 仕 入 れ る 必 要 が な く な り 、 ﹁ 町 ・ 江 川 次 第 二 s 淋 敷 罷 成 、 商 人 ハ 不 及 申 、 船 持 并 中 持 体 之 者 迄 稼 無 御 座 、 渡 世 難 送 迷 惑 至 極 仕 候 ﹂ 状 態 で あ っ 惣 。 以 後 新 庄 村 の 在 方 商 人 の 仕 出 す 商 品 の 種 目 を め ぐ っ て の 紛 争 、 新 庄 村 だ け で な く 富 田 組 、 朝 来 組 、 芳 養 組 の 一 九 軒 が 町 商 人 か ら ﹁ 在 見 ゆ 世 早 速 引 候 様 ﹂ 願 出 る な ど 、 町 方 商 業 に 対 抗 し う る 力 を 在 方 商 人 が 着 実 に つ け て い た 。 在 方 商 業 が 大 前 、 中 前 の 農 民 の 作 間 稼 と し て 営 ま れ て い る こ と 、 他 方 多 く の 貧 農 層 は 富 農 層 か ら 前 借 り に よ り 商 品 生 産 に 従 事 し て い る こ と 、 こ れ ら の 諸 条 件 の も と で 度 重 な る 凶 作 は 在 方 内 部 の 階 層 分 化 を 一 段 と 促 す も の で あ っ た 。 安 永 六 年 ( 一 七 七 七 ) 八 月 米 払 底 に よ り 小 前 層 が 難 渋 し て い る 原 因 が 入 津 船 に 対 す る 石 銭 銀 に あ る と し て 、 町 ・ 江 川 小 前 一 同 が 石 銭 銀 の 一 〇 か 年 免 除 を 要 求 し た 事 件 は 、 こ の 期 の 領 主 側 、 在 方 商 人 、 小 前 間 の 矛 盾 を 露 呈 し た も の で あ っ た 。 江 川 浦 の 興 行 は 安 永 以 降 子 供 踊 り に 止 ま り 、 一 日 興 行 の も の が 多 く 、 芝 居 興 行 の 主 流 は 寺 院 の 修 復 助 成 を 目 的 と し た も の に 移 っ て い る 。

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寺 院 修 復 助 成 芝 居 田 辺 領 町 在 に お け る 寺 院 の 開 帳 に 際 し て 芝 居 興 行 す る 例 は ほ と ん ど み ら れ ず 、 多 く は 寺 院 の 本 堂 、 諸 堂 、 庫 裡 等 の 修 復 助 成 を 名 目 と し た も の で あ っ た 。 先 述 し た 貞 享 三 年 ( 一 六 八 六 ) 蓬 莢 山 薬 師 堂 等 の 破 損 修 理 の 助 成 を 名 目 と し た 操 芝 居 興 行 は 早 い 例 で あ る が 、 早 い 時 期 の 興 行 は 、 松 雲 院 、 大 福 院 に ほ ぼ 限 定 さ れ て い る こ と が 注 意 さ れ る 。 ヨ 権 現 松 雲 院 の 普 請 借 用 銀 返 済 の た め に 元 禄 元 年 六 月 大 坂 松 本 次 太 夫 ら 操 芝 居 一 座 の 興 行 が 催 さ れ て い 嶺 。 こ の 興 行 は 和 歌 山 田 中 町 茂 平 が 銀 二 貫 目 で 請 負 っ た も の で 、 晴 天 二 三 日 の 興 行 で あ っ た 。 こ の 興 行 の 終 り に 近 い 閏 六 月 二 十 七 日 に 木 戸 札 七 〇 〇 枚 ( 一 枚 米 一 升 ) 、 最 終 日 七 月 七 日 木 戸 札 二 〇 〇 枚 ( 一 枚 三 五 文 ) が 田 辺 組 の 村 々 に 割 当 て ら れ て い る 。 茂 平 が 請 負 銀 と は 別 に 益 銀 の 内 か ら 銀 四 五 八 匁 六 分 七 厘 を 松 雲 院 に 寄 進 し て い る が 、 右 の 木 戸 札 の 割 当 て 分 と 関 連 し た も の で あ ろ う か 。 松 雲 院 の 芝 居 は 正 徳 三 年 ( 一 七 コ ニ ) 七 月 大 坂 か ら 藤 井 小 三 郎 を 座 本 と し 、 陸 奥 茂 太 夫 ら 一 行 二 二 人 の 浄 瑠 璃 芝 居 一 座 を 呼 び 、 晴 天 一 五 日 で 興 行 を 許 さ れ た 。 役 者 ら が 松 雲 院 へ の 寄 進 を 名 目 に 一 日 の 加 日 を 願 い 、 許 さ れ た が 、 雨 天 と 鳴 物 停 止 の 服 忌 が 続 い て 実 現 し な か っ た 。 こ の 興 行 は 総 収 入 銀 一 五 貫 余 、 諸 色 雑 用 賃 銀 一 二 貫 余 を 差 引 い て 三 貫 余 の 利 益 を 得 、 成 功 を 収 め て い る 。 松 雲 院 芝 居 は そ の 後 元 文 三 年 ( 一 七 三 八 ) 七 月 、 延 享 元 年 ( 一 七 四 四 ) 三 月 の 二 回 に 渉 っ て 三 〇 日 間 の 相 撲 芝 居 を 興 行 し て い る 。 大 福 院 芝 居 に つ い て は 、 元 文 二 年 三 月 和 歌 山 金 屋 町 平 兵 衛 、 新 雑 賀 町 利 右 衛 門 が 勧 進 元 と な り 、 陸 奥 茂 太 夫 ら 四 人 紀 州 田 辺 領 に お け る 芸 能 興 行 に つ い て 二 五

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佛 歡 大 學 研 究 紀 要 通 卷 七 二 號 ・ 二 六 を 中 心 と し た 浄 瑠 璃 芝 居 が み え る 。 松 雲 院 は 慶 安 三 年 ( 一 六 五 〇 ) 万 呂 村 待 賢 寺 が 湊 村 新 熊 野 権 現 社 辺 に 移 り 、 本 山 で あ る 京 都 仁 和 寺 か ら 松 雲 院 号 を 許 さ れ た 真 言 宗 寺 院 で あ り 、 待 賢 寺 は 新 熊 野 権 現 の 社 役 を 務 め る 寺 と さ れ た 。 ま た 大 福 院 は 湊 村 に あ っ て ﹂ 新 熊 野 山 本 願 大 福 院 L を 称 し 、 修 験 家 と し て 京 都 三 宝 院 末 派 と な り 、 大 先 達 紀 州 飯 道 寺 袈 裟 下 と な っ た 。 新 熊 野 権 現 社 一 山 の   修 理 に つ い て は 本 願 職 を も っ て 社 役 を 勤 め て い る と 主 張 し て い 載 。 松 雲 院 、 大 福 院 が い ず れ も 新 熊 野 権 現 の 社 役 を 勤 め る と い う 特 別 の 立 場 を 主 張 し た こ 乏 が 、 新 熊 野 権 現 と 並 ん で 早 い 時 期 に 修 復 助 成 の 芝 居 興 行 を 領 主 側 が 認 め た 背 景 に あ る と 考 え ら れ る 。 松 雲 院 、 大 福 院 以 外 の 寺 院 で 宝 暦 期 ま で に 修 復 助 成 芝 居 を 認 め ら れ た の は 、 寛 延 三 年 ( 一 七 五 〇 ) 西 本 願 寺 末 寺 勝 徳 寺 、 宝 暦 八 年 ( 一 七 五 八 ) 真 言 宗 根 本 寺 薬 師 堂 の 例 に 止 ま る 。 こ の よ う な 状 況 は 既 述 し た 宝 暦 以 来 の 興 行 統 制 に 関 ゆ 連 す る と 思 わ れ る が 、 安 永 三 年 ( 一 七 七 四 ) 次 の よ う な 触 が 出 さ れ て い る 。 一 、 当 時 御 領 分 近 在 二 辻 打 躰 之 義 有 之 、 子 共 芸 と 号 、 か ぶ き 二 似 寄 之 義 致 候 趣 相 聞 候 、 右 躰 之 義 致 問 敷 候 、 堅 指 留 候 当 時 有 之 筋 ハ 勿 論 、 入 込 有 之 役 者 共 有 之 候 ハ ・ 、 早 く 送 リ 出 候 様 可 仕 候 一 、 勢 州 御 領 分 二 て も 本 文 躰 之 義 、 自 今 堅 為 仕 申 問 敷 事 一 、 軽 業 、 相 撲 ハ 不 苦 候 勢 州 の 和 歌 山 藩 領 へ も 徹 底 が は か ら れ て い る 点 か ら 、 当 然 右 の 触 は 本 藩 か ら 出 さ れ た も の で あ る 。 軽 業 、 相 撲 の 興 行 に つ い て は 認 め る こ と を 確 認 し 、 そ れ 以 外 は 一 切 認 め な い と す る も の で あ っ た 。 ま た こ の 直 後 田 辺 領 内 に も 近 年 願

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  出 と 実 際 の 興 行 内 容 が 異 な る こ と が あ る と し て 、 次 の よ う に 触 れ て い 類 。 一 、 寺 社 修 復 又 は 開 帳 之 賑 等 二 見 せ 物 、 軽 業 躰 之 義 為 致 度 段 相 願 候 て 、 芝 居 躰 紛 敷 品 を 致 候 義 、 近 キ 比 ま N 有 之 由 、 右 願 済 之 品 ハ 其 寺 社 願 元 之 者 能 存 罷 在 候 義 、 勿 論 二 候 へ ど も 、 願 二 相 違 致 候 義 ハ 、 厳 重 二 其 願 元 之 者 指 留 可 申 事   マ マ   候 、 自 今 右 躰 興 行 之 節 、 心 得 違 無 之 様 寺 社 一 等 急 度 申 聞 候 様 可 仕 候 、 万 一 心 得 違 背 キ 之 品 於 有 之 ハ 、 急 度 御 咎 被 仰 付 二 て 可 有 之 候 勧 進 元 が 統 制 の 網 の 目 を 潜 り 、 色 々 な 手 段 を 尽 し て 興 行 を 続 け よ う と す る の に 対 し 、 一 層 細 か く 領 主 側 が 統 制 を 加 え て い く 間 に 、 勧 進 元 も し だ い に 興 行 意 欲 を 失 わ ざ る を 得 な く な る 。 安 永 九 年 予 て 願 出 て い た 勝 徳 寺 の 操 芝 居 が 許 さ れ た の を 契 機 に 、 熊 野 本 宮 、 本 正 寺 が 続 い て 興 行 す る こ と が 認 め ら れ 、 久 し ぶ り に 活 況 を み せ た 。 ( 表 H 、 表 皿 ) 勝 徳 寺 芝 居 の 名 目 が 修 復 助 成 で あ っ た か 必 ず し も 明 ら か で は な い が 、 興 行 統 制 下 に あ っ て 勧 化 、 拝 借 米 銀 に ょ る 助   成 策 は あ っ て も 、 本 格 的 興 行 へ の 寺 院 の 期 待 は 根 強 く あ っ た と 考 え ら れ る 。 そ れ ば か り で な く 町 在 の 人 び と の 興 行 に 対 す る 期 待 も 抑 、兄 難 い も の が あ っ た 。 勝 徳 寺 芝 居 が 許 さ れ た こ と は 、 た ち ま ち 町 在 の 評 判 と な っ た よ う で 、 領 主 側 は 興 行 の 前 に 、 従 来 の 町 在 に 対 す る 引 締 め 、 倹 約 令 が 弛 め ち れ た も の で な い こ と を 触 れ ざ る を 得 な か っ た 。 一 、 近 キ 比 御 倹 約 ゆ る 、、、 候 て 、 町 在 共 寺 社 会 式 場 所 二 て 、 辻 げ ん へ い な ど 申 物 も 不 苦 、 町 人 之 寄 座 も 御 免 二 て 、 町 表 御 触 有 之 候 と 、 在 二 て 専 風 説 有 之 由 、 察 る 所 勝 徳 寺 操 芝 居 興 行 二 付 、 御 倹 約 ゆ る み 候 と 下 説 致 と 相 見 へ 、 全 虚 オ 説 二 て 候 間 、 已 前 被 仰 出 候 通 、 心 得 違 無 之 様 、 早 く 夫 く へ 可 被 申 触 候 以 h 淡 路 上 村 源 之 丞 ( 上 村 日 向 掾 ) 座 二 六 人 は 船 で 江 川 に 着 岸 し 、 権 現 松 原 に 小 屋 掛 け し て 二 月 十 八 目 か ら 三 月 九 日 の 紀 州 田 辺 領 に お け る 芸 能 興 行 に つ い て 二 七

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佛 教 大 學 研 究 紀 要 逋 卷 七 二 號 二 八 晴 天 十 四 日 興 行 し た 。 孫 九 郎 丁 吉 兵 衛 が 銀 八 五 三 匁 で 落 札 請 負 っ た こ の 操 芝 居 は 外 題 に 忠 臣 蔵 、 悪 源 太 平 氏 合 戦 、 菅 原 伝 授 手 習 鑑 、 祗 園 祭 礼 信 仰 記 、 国 性 爺 合 戦 、 花 扇 か ん た ん の 枕 入 事 出 語 り な ど 知 ら れ た も の が 並 ん だ こ と も 手 伝 っ て 、 一 枚 銭 七 六 文 の 本 札 五 、 七 二 〇 枚 、 一 枚 三 八 文 の 半 札 四 、 九 八 〇 枚 、 合 計 一 〇 、 七 〇 〇 枚 と い う 記 録 的 な 札 の 売 ぱ れ 行 き で あ っ た 。 一 座 の 楽 屋 に ﹁ 日 本 第 一 諸 芸 衆 能 冠 凶 の 額 を 懸 け て い る 上 村 日 向 掾 の 人 気 に 対 し て 領 主 側 は ﹁ 町 ζ   若 キ 者 芝 居 者 へ 送 り 物 有 之 由 、 急 度 さ し 留 申 二 而 ハ 無 之 、 格 別 花 麗 成 義 、 費 ケ 間 敷 品 無 之 様 二 と 被 仰 聞 ﹂ に 止 ま り 、 観 客 の 熱 気 は 抑 え 難 い も の が あ っ た 。 勝 徳 寺 芝 居 の 熱 気 の 冷 え 切 ら な い 同 年 の 春 と 、 続 い て 夏 の 三 〇 日 間 、 熊 野 本 宮 助 成 の 地 事 軽 業 芝 居 が 社 家 の 願 い に よ り 、 勝 徳 寺 芝 居 跡 地 で 興 行 さ れ た 。 こ の 地 事 軽 業 芝 居 も 勝 徳 寺 芝 居 を さ ら に 五 〇 % も 上 回 る 観 客 を 集 め た 。 熊 野 本 宮 は こ の 際 勧 化 も 行 な っ て お り 、 合 せ て 相 当 な 収 益 を 上 げ た も の と 考 え ら れ る 。 さ ら に 本 宮 芝 居 の 人 出 に 合 せ て 、 新 熊 野 山 大 福 院 が 修 復 助 成 の た め 、 行 基 作 と 伝 え る 不 動 尊 を 三 月 二 十 日 か ら 一 五 日 間 開 帳 し 、 併 せ て 熊 野 三 山 の 懸 物 等 ゆ を 展 示 し た い と 願 出 て い 豼 。 本 宮 芝 居 の 夏 の 興 行 の 後 、 さ ら に 続 い て 安 立 山 本 正 寺 の 芝 居 が 晴 天 六 日 興 行 さ れ て い る 。 こ の よ う に 安 永 九 年 の 春 か ら 夏 に か け て 、 操 、 地 事 軽 業 芝 居 が 五 〇 日 間 も 興 行 さ れ 、 延 べ 三 万 人 を 越 え る 町 在 の 人 々 が 芝 居 に 魅 せ ら れ た 。 弛 め ら れ た か に み え た 倹 約 令 を 再 度 確 認 す る か の よ う に 、 ﹁ 衣 類 等 、 此 間 も 芝 居 見 物 人 之 内 、 心 得 違 之 筋 粗 相 聞 候 、 勿 論 町 表 は 御 倹 約 ゆ る み 候 と 申 由 、 町 ハ 支 配 違 に て 候 ヘ バ 、 如 何 躰 二 も せ よ 、 在 中 ハ 一 向 ゆ る の み 候 義 二 て ハ 無 之 愾 ﹂ と 、 本 正 寺 芝 居 が 終 ろ う と す る と き 、 郡 奉 行 が 敢 え て 触 出 し て い る 。 翌 天 明 元 年 に も 勝 徳 寺 、 熊 野 本 宮 、 本 正 寺 が 前 年 と 大 略 同 じ 計 五 一 日 の 興 行 を 続 け た 。 勝 徳 寺 は 前 年 同 様 上 村 源 之 丞 一 座 、 熊 野 本 宮 は 新 宮 に お け る 興 行 を 予 定 し て い た が 許 さ れ ず 、 前 年 に 続 い て 田 辺 で の 興 行 、 本 正 寺 は 地 事 軽 業 芝

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