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駒澤大學佛教學部研究紀要 77 002角田, 泰隆 「『正法眼蔵』「仏性」巻訳註 (4) 」

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Academic year: 2021

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全文

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一 駒澤大學佛敎學部硏究紀第七十七號   成三十一年三月   凡例 一 、 本 稿 は 、 二 〇 一 八 年 に お け る 、 駒 澤 大 学 大 学 院 の 角 田 ゼ ミ ︵ 宗 学 特 講 Ⅱ ︻ 演 習 ︼︶ で 作 成 し た 資 料 を 基 に 作 成 し た も のである 。 二 、︻ 本文 ︼ は 、 本山版 ﹃ 正法眼蔵 ﹄︵ 寛政十一年 ︿ 一七九九 ﹀ 刊 ︶ を底本とし 、 左記の ﹃ 正法眼蔵 ﹄ 諸本と校異して作 成 し た 。﹁ 校 異 ﹂ は 本 文 下 段 に 示 し た が 、 字 体 の 違 い ︵ 新 字 ・ 旧 字 ・ 異 体 字 等 ︶ の 校 異 は 略 し た 。 諸 写 本 に よ っ て 底 本 の本文を改めた部分もあるが 、 その場合は校異に示した 。 校異した諸本の略号は次の通りである 。 なお 、 これらの写 本は全て ﹃ 蒐書大成 ﹄ に収録されている 。 懐奘書写本 ⋮ 懐   正法眼蔵抄 ⋮ 抄    乾坤院所蔵本 ⋮ 乾  正法寺所蔵本 ⋮ 正  龍門寺所蔵本 ⋮ 龍 洞雲寺所蔵本 ⋮ 洞  瑠璃光寺所蔵本 ⋮ 瑠  長円寺所蔵本 ⋮ 長  玉雲寺所蔵本 ⋮ 玉  徳雲寺所蔵本 ⋮ 徳 永平寺所蔵嘉元二年 ︵ 一三 〇 四 ︶ 書写本 ⋮ 嘉 三 、︻ 本 文 ︼ は 便 宜 的 に 適 宜 分 割 し 、 最 初 に 段 落 分 け を 示 す た め ︻ 本 文 ︼ の み を ま と め て 掲 げ 、 番 号 を 付 し た 。 底 本 の 片 仮名は平仮名に改め ︵ 子 ↓ ね 、 ヰ ↓ ゐ 、 ヱ ↓ ゑ ︶、 内容解釈に基づいて独自の句読点とルビを付した 。︻ 本文 ︼・ ︻ 懐奘 書写本 ︼ の漢字は原典の字体をそのまま用いたが 、︻ 本文 ︼ 以外は 、︻ 本文 ︼ からの引用も含めて 、 原則として新字体 に改めた 。 四 、︻ 語註 ︼ は既刊の辞典等を参照して新たに作成したが 、 辞典等をそのまま引用したものについては典拠を明記した 。 ︻ 語 註 ︼・ ︻ 解 説 ︼ で ﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄ を 引 用 す る 場 合 は 、 大 久 保 道 舟 編 ﹃ 古本 校訂 正 法 眼 蔵 全 ﹄︵ 筑 摩 書 房 、 一 九 七 一 年 四 月 ︶ よ り 引 用 し 、 頁 数 の み 記 し た 。 但 し 、 既 刊 の ﹁﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄﹁ 仏 性 ﹂ 巻 訳 註 ﹂ 収 録 箇 所 は 、 当 該 号 の 略 号 と 頁 数 で 示 し た 。

正法眼蔵

﹄﹁

仏性

巻訳註

角 

田 

泰 

T001-032_01角田_san2.indd 一 2019/03/11 10:57

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﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ 二 引用文中の傍点 ・ 傍線は 、 全て筆者が付したものである 。 参照文献 ・ 辞典の略号は次の通りである 。 ﹃ 大正新脩大蔵経 ﹄⋮﹃ 大正蔵 ﹄    大日本続蔵経 ⋮﹃ 卍続蔵 ﹄ ﹃ 景徳伝燈録 ﹄︵ 禅文化研究所 、 一九九 〇 年五月 ︶⋮﹃ 禅文化本 ﹄ 中村元編 ﹃ 仏教語大辞典 ﹄︵ 東京書籍 、 一九八一年五月 ︶⋮﹃ 中村仏教 ﹄ ﹃ 新版禅学大辞典 ﹄︵ 大修館書店 、 一九八五年十一月 ︶⋮﹃ 禅学 ﹄ 入矢義高 ・ 古賀英彦編 ﹃ 禅語辞典 ﹄︵ 思文閣出版 、 一九九一年七月 ︶⋮﹃ 禅語 ﹄ ﹃ 大漢和辞典 ﹄⋮﹃ 大漢和 ﹄      ﹃ 漢辞海 ﹄ 第三版 ︵ 三省堂 、 二 〇 一一年二月 ︶⋮﹃ 漢辞海 ﹄ 大久保道舟編 ﹃ 道元禅師全集 ﹄ 下巻 ︵ 筑摩書房 、 一九七 〇 年五月 ︶⋮﹃ 大久保本 ﹄ 水野弥穂子校註   岩波文庫本 ﹃ 正法眼蔵 ﹄︵ 一九九 〇∼ 一九九三年 ︶⋮﹃ 岩波文庫本 ﹄ ﹃ 道元禅師全集 ﹄︵ 春秋社 ︿ 原典版 ﹀、 一九八八 ∼ 一九九一年 ︶⋮﹃ 春秋社本 ﹄ ﹃ 道元禅師全集 ﹄︵ 春秋社 ︿ 原文対照現代語訳版 ﹀、 一九九九 ∼ 二 〇〇 三年 ︶⋮﹃ 春秋社本 ︿ 現代語訳版 ﹀﹄ ﹃ 永平正法眼蔵蒐書大成 ﹄︵ 大修館書店 、 一九七四 ∼ 一九八二年 、 続輯一九八九 ∼ 二 〇〇〇 年 ︶⋮﹃ 蒐書大成 ﹄ 角 田 泰 隆 ﹁﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄﹁ 仏 性 ﹂ 巻 訳 註 ︵ 一 ︶﹂ ︵﹃ 駒 澤 大 学 仏 教 学 部 研 究 紀 要 ﹄ 七 十 四 号 、 二 〇 一 六 年 三 月 ⋮﹁ 仏 性 訳 註 ︵ 一 ︶﹂ 角 田 泰 隆 ﹁﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄﹁ 仏 性 ﹂ 巻 訳 註 ︵ 二 ︶﹂ ︵﹃ 駒 澤 大 学 仏 教 学 部 研 究 紀 要 ﹄ 七 十 五 号 、 二 〇 一 七 年 三 月 ⋮﹁ 仏 性 訳 註 ︵ 二 ︶﹂ 角 田 泰 隆 ﹁﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄﹁ 仏 性 ﹂ 巻 訳 註 ︵ 三 ︶﹂ ︵﹃ 駒 澤 大 学 仏 教 学 部 研 究 紀 要 ﹄ 七 十 六 号 、 二 〇 一 八 年 三 月 ⋮﹁ 仏 性 訳 註 ︵ 三 ︶﹂ 五 、︻ 直 訳 ︼ は 、 で き る 限 り 本 文 に 忠 実 に 訳 し 、 基 本 的 に 古 文 を 現 代 語 に 訳 す に と ど め 、 一 部 便 宜 的 に 漢 字 用 語 の 現 代 語 訳も行った 。 六 、︻ 現代語訳 ︼ は 、︻ 直訳 ︼ に基づいて漢字用語の解説を加え 、 理解しやすくするために ︿  ﹀ 内に本文にない言葉を 補い 、 必要に応じて ︵  ︶ 内に直前の語の解釈を付した 。 七 、︻ 懐 奘 書 写 本 に 見 ら れ る 書 き 改 め に つ い て ︼ は 、 懐 奘 書 写 本 の 書 き 改 め の 前 後 で ど の よ う に 内 容 が 変 化 し た か に つ い T001-032_01角田_san2.indd 二 2019/03/11 10:57

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三 ﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ て 特 に 解 説 し た 。 書 き 改 め が 少 な い 場 合 は 、︻ 語 註 ︼ あ る い は ︻ 解 説 ︼ の 中 で 簡 単 に 言 及 す る 形 と し 、 一 切 無 い 場 合 は 略した 。︻ 懐奘書写本 ︼ 掲載の理由については 、﹁ 仏性訳註 ︵ 一 ︶﹂ 七七頁を参照されたい 。 ︻本文︼ ①  震 しん 旦 たん 第 だい 六 ろく 祖 そ 曹 そう 谿 けい 山 ざん 大 だい 鑑 かん 禪 ぜん 師 じ 、 そ の か み 黄 おう 梅 ばい 山 さん に 參 さん ぜ し は じ め 、 五 ご 祖 そ と ふ 、 な ん ぢ い づ れ の と こ ろ よ り か き た れ る 。 六 ろく 祖 そ い は く 、 嶺 れい 南 なん 人 にん な り 。 五 ご 祖 そ い は く 、 き た り て な に ご と を か も と む る 。 六 ろく 祖 そ い は く 、 作 さ 佛 ぶつ を も と む 。 五 ご 祖 そ い は く 、 嶺 れい 南 なん 人 にん 無 む 佛 ぶっ 性 しょう 、 いかにしてか作 さ 佛 ぶつ せん 。   こ の 嶺 れい 南 なん 人 にん 無 む 佛 ぶっ 性 しょう と い ふ 、 嶺 れい 南 なん 人 にん は 佛 ぶっ 性 しょう な し と い ふ に あ ら ず 、 嶺 れい 南 なん 人 にん は 佛 ぶっ 性 しょう あ り と い ふ に あ ら ず 、 嶺 れい 南 なん 人 にん 無 む 佛 ぶっ 性 しょう となり 。 いかにしてか作 さ 佛 ぶつ せんといふは 、 いかなる作 さ 佛 ぶつ をか期 ご するといふなり 。   お ほ よ そ 佛 ぶっ 性 しょう の 道 どう 理 り 、 あ き ら む る 先 せん 達 だつ す く な し 。 諸 しょ 阿 あ 笈 ぎゅう 摩 ま 敎 きょう お よ び 經 きょう 論 ろん 師 じ の し る べ き に あ ら ず 。 佛 ぶっ 祖 そ の 兒 じ 孫 そん の み 單 たん 傳 でん す る な り 。 佛 ぶっ 性 しょう の 道 どう 理 り は 、 佛 ぶっ 性 しょう は 成 じょう 佛 ぶつ よ り さ き に 具 ぐ 足 そく せ る に あ ら ず 、 成 じょう 佛 ぶつ よ り の ち に 具 ぐ 足 そく す る な り 。 佛 ぶっ 性 しょう か な らず 成 じょう 佛 ぶつ と同 どう 參 さん するなり 。 この道 どう 理 り よくよく參 さん 究 きゅう 功 く 夫 ふう すべし 、 三 さん 二 に 十 じゅう 年 ねん も功 く 夫 ふう 參 さん 學 がく すべし 。 ②  十 じつ 聖 しよう 三 さん 賢 けん の あ き ら む る と こ ろ に あ ら ず 。 衆 しゆ 生 じよう 有 う 佛 ぶつ 性 しよう 、 衆 しゆ 生 じよう 無 む 佛 ぶつ 性 しよう と 道 どう 取 しゆ す る 、 こ の 道 どう 理 り な り 。 成 じよう 佛 ぶつ 已 い 來 らい に 具 ぐ 足 そく す る 法 ほう な り と 參 さん 學 がく す る 、 正 しょう 的 てき な り 。 か く の ご と く 學 がく せ ざ る は 、 佛 ぶつ 法 ぽう に あ ら ざ る べ し 。 か く の ご と く 學 がく せ ず ば 、 佛 ぶつ 法 ぽう あ へ て 今 こん 日 にち に い た る べ か ら ず 。 も し こ の 道 どう 理 り あ き ら め ざ る に は 、 成 じよう 佛 ぶつ を あ き ら め ず 、 見 けん 聞 もん せ ざ る な り 。 こ の ゆ ゑ に 、 五 ご 祖 そ は 向 こう 佗 た 道 どう す る に 、 嶺 れい 南 なん 人 にん 無 む 佛 ぶつ 性 しよう と 爲 い 道 どう す る な り 。 見 けん 佛 ぶつ 聞 もん 法 ぽう の 最 さい 初 しよ に 、 難 なん 得 とく 難 なん 聞 もん な る は 、 衆 しゆ 生 じよう 無 む 佛 ぶつ 性 しよう な り 。 或 わく 從 じゆう 知 ち 識 しき 、 或 わく 從 じゆう 經 きよう 巻 かん す る に 、 き く こ と の よ ろ こ ぶ べ き は 衆 しゆ 生 じよう 無 む 佛 ぶつ 性 しよう な り 。 一 いつ 切 さい 衆 しゆ 生 じよう 無 む 佛 ぶつ 性 しよう を 見 けん 聞 もん 覺 かく 知 ち に 參 さん 飽 ぽう せ ざ る も の は 、 佛 ぶつ 性 しょう い ま だ 見 けん 聞 もん 覺 かく 知 ち せ ざ る な り 。 六 ろく 祖 そ 、 も は ら 作 さ 佛 ぶつ を も と む る に 、 五 ご 祖 そ 、 よ く 六 ろく 祖 そ を 作 さ 佛 ぶつ せ し む る に 、 佗 た の 道 どう 取 しゆ なし 、 善 ぜん 巧 ぎょう なし 、 ただ嶺 れい 南 なん 人 にん 無 む 佛 ぶつ 性 しよう といふ 。   し る べ し 、 無 む 佛 ぶつ 性 しよう の 道 どう 取 しゆ ・ 聞 もん 取 しゆ 、 こ れ 作 さ 佛 ぶつ の 直 じき 道 どう な り と い ふ こ と を 。 し か あ れ ば 、 無 む 佛 ぶつ 性 しょう の 正 しよう 當 とう 恁 いん 麼 も 時 じ 、 す な は ち作 さ 佛 ぶつ なり 。 無 む 佛 ぶつ 性 しよう いまだ見 けん 聞 もん せず 、 道 どう 取 しゆ せざるは 、 いまだ作 さ 佛 ぶつ せざるなり 。 ③  六 ろく 祖 そ い は く 、 人 にん 有 う 南 なん 北 ぼく な り と も 、 佛 ぶつ 性 しよう 無 む 南 なん 北 ぼく な り 。 こ の 道 どう 取 しゆ を 擧 こ し て 、 句 く 裏 り を 功 く 夫 ふう す べ し 。 南 なん 北 ぼく の 言 ごん 、 ま さ に 赤 せき 心 しん T001-032_01角田_san2.indd 三 2019/03/11 10:57

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﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ 四 に 照 しよう 顧 こ す べ し 。 六 ろく 祖 そ 道 どう 得 とく の 句 く に 宗 しゆう 旨 し あ り 。 い は ゆ る 、 人 ひと は 作 さ 佛 ぶつ す と も 佛 ぶつ 性 しよう は 作 さ 佛 ぶつ す べ か ら ず と い ふ 一 いち 隅 ぐう の 搆 こう 得 とく あ り 。 六 ろく 祖 そ これをしるやいなや 。   四 し 祖 そ 五 ご 祖 そ の道 どう 取 しゆ する無 む 佛 ぶつ 性 しよう の道 どう 得 とく 、 はるかに 䟓 けい 礙 げ の力 りき 量 りよう ある一 いち 隅 ぐう をうけて 、 迦 か 葉 しよう 佛 ぶつ および釋 しや 迦 か 牟 む 尼 に 佛 ぶつ 等 とう の諸 しよ 佛 ぶつ は 作 さ 佛 ぶつ し 轉 てん 法 ぼう す る に 、 悉 しつ 有 う 佛 ぶつ 性 しよう と 道 どう 取 しゆ す る 力 りき 量 りよう あ る な り 。 悉 しつ 有 う の 有 う 、 な ん ぞ 無 む 無 む の 無 む に 嗣 し 法 ほう せ ざ ら ん 。 し か あ れ ば 、 無 む 佛 ぶつ 性 しよう の 語 ご 、 は る か に 四 し 祖 そ 五 ご 祖 そ の 室 しつ よ り き こ ゆ る な り 。 こ の と き 、 六 ろく 祖 そ そ の 人 ひと な ら ば 、 こ の 無 む 佛 ぶつ 性 しよう の 語 ご を 功 く 夫 ふう す べ き な り 。   有 う 無 む の無 む はしばらくおく 、 いかならんかこれ佛 ぶつ 性 しよう と問 もん 取 しゆ すべし 、 なにものかこれ佛 ぶつ 性 しよう とたづぬべし 。 いまの人 ひと も 、 佛 ぶつ 性 しよう とききぬれば 、 さらにいかなるかこれ佛 ぶつ 性 しよう と問 もん 取 しゆ せず 、 佛 ぶつ 性 しょう の有 う 無 む 等 とう の義 ぎ をいふがごとし 。 これ倉 そう 卒 そつ なり 。   し か あ れ ば 、 諸 しよ 無 む の 無 む は 、 無 む 佛 ぶつ 性 しよう の 無 む に 學 がく す べ し 。 六 ろく 祖 そ の 道 どう 取 しゆ す る 人 にん 有 う 南 なん 北 ぼく 、 佛 ぶつ 性 しよう 無 む 南 なん 北 ぼく の 道 どう 、 ひ さ し く 再 さい 三 さん 撈 ろう 䔤 ろく す べ し 。 ま さ に 撈 ろう 波 ぼ 子 す に 力 りき 量 りよう あ る べ き な り 。 六 ろく 祖 そ の 道 どう 取 しゆ す る 人 にん 有 う 南 なん 北 ぼく 、 佛 ぶつ 性 しよう 無 む 南 なん 北 ぼく の 道 どう 、 し づ か に 拈 ねん 放 ほう す べ し 。 お ろ か な る や か ら お も は く は 、 人 にん 間 げん に は 質 ぜち 礙 げ す れ ば 南 なん 北 ぼく あ れ ど も 、 佛 ぶつ 性 しよう は 虚 こ 融 ゆう に し て 南 なん 北 ぼく の 論 ろん に お よ ば ず 、 と 六 ろく 祖 そ は 道 どう 取 しゆ せりけるか 、 と推 すい 度 たく するは 、 無 む 分 ぶん の愚 ぐ 蒙 もう なるべし 。 この邪 じや 解 げ を抛 ほう 却 きやく して 、 直 じき 須 しゆ 勤 ごん 學 がく すべし 。 ④  六 ろく 祖 そ 示 しめ 二 シテ 門 もん 人 じん 行 ぎょう 昌 しょう ニ 一 云 いわ ク 、 無 む 常 じょう 者 は 卽 すなわち 佛 ぶつ 性 しょう 也 なり 、 有 う 常 じょう 者 は 卽 すなわち 善 ぜん 惡 あく 一 いつ 切 さい 諸 しょ 法 ほう 分 ふん 別 べつ 心 しん 也 なり 。   い は ゆ る 六 ろく 祖 そ 道 どう の 無 む 常 じょう は 、 外 げ 道 どう ・ 二 に 乘 じょう 等 とう の 測 しき 度 たく に あ ら ず 。 二 に 乘 じょう ・ 外 げ 道 どう の 鼻 び 祖 そ 鼻 び 末 まつ 、 そ れ 無 む 常 じょう な り と い ふ と も 、 か れ ら 窮 ぐう 盡 じん す べ か ら ざ る な り 。 し か あ れ ば 、 無 む 常 じょう の み づ か ら 無 む 常 じょう を 説 せつ 著 じゃく ・ 行 ぎょう 著 じゃく ・ 證 しょう 著 じゃく せ ん は 、 み な 無 む 常 じょう な る べ し 。 今 こん 以 い 現 げん 自 じ 身 しん 得 とく 度 ど 者 しゃ 、 卽 そく 現 げん 自 じ 身 しん 而 に 爲 い 説 せつ 法 ぽう な り 、 こ れ 佛 ぶつ 性 しょう な り 。 さ ら に 或 わく 現 げん 長 ちょう 法 ほつ 身 しん 、 或 わく 現 げん 短 たん 法 ほつ 身 しん な る べ し 。 常 じょう 聖 しょう こ れ 無 む 常 じょう な り 、 常 じょう 凡 ぼん こ れ 無 む 常 じょう な り 。 常 じょう 凡 ぼん 聖 しょう な ら ん は 、 佛 ぶつ 性 しょう な る べ か ら ず 。 小 しょう 量 りょう の 愚 ぐ 見 けん な る べ し 、 測 しき 度 たく の 管 かん 見 けん な る べ し 。 佛 ぶつ 者 しゃ 小 しょう 量 りょう 身 しん 也 や 、 性 しょう 者 しゃ 小 しょう 量 りょう 作 さ 也 や 。 このゆゑに六 ろく 祖 そ 道 どう 取 しゅ す 、 無 む 常 じょう 者 は 佛 ぶつ 性 しょう 也 なり 。 常 じょう 者 は 未 み 轉 てん な り 。 未 み 轉 てん と い ふ は 、 た と ひ 能 のう 斷 だん と 變 へん ず と も 、 た と ひ 所 しょ 斷 だん と 化 け す れ ど も 、 か な ら ず し も 去 きょ 來 らい の 蹤 しょう 跡 せき に か か はれず 。 ゆゑに常 じょう なり 。 しかあれば 、 艸 そう 木 もく 叢 そう 林 りん の無 む 常 じょう なる 、 すなはち佛 ぶつ 性 しょう なり 。 人 にん 物 もつ 身 しん 心 じん の無 む 常 じょう なる 、 これ佛 ぶつ 性 しょう な り 。 國 こく 土 ど 山 せん 河 が の 無 む 常 じょう な る 、 こ れ 佛 ぶつ 性 しょう な る に よ り て な り 。 阿 あ 耨 のく 多 た 羅 ら 三 さん 藐 みゃく 三 さん 菩 ぼ 提 だい 、 こ れ 佛 ぶつ 性 しょう な る が ゆ ゑ に 無 む 常 じょう な り 。 大 だい 般 はつ 涅 ね 槃 はん 、 こ れ 無 む 常 じょう な る が ゆ ゑ に 佛 ぶつ 性 しょう な り 。 も ろ も ろ の 二 に 乘 じょう の 小 しょう 見 けん 、 お よ び 經 きょう 論 ろん 師 じ の 三 さん 藏 ぞう 等 とう は 、 こ の 六 ろく 祖 そ の 道 どう を 驚 きょう 疑 ぎ 怖 ふ 畏 い すべし 。 もし 驚 きょう 疑 ぎ せんことは 、 魔 ま 外 げ の類 たぐい なり 。 T001-032_01角田_san2.indd 四 2019/03/11 10:57

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五 ﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ ※ 各段の資料作成担当者は左記の通りである ︵ 所属 ・ 課程年次は本稿提出当時のもの ︶。   ①中野智教 ︵ 修士課程二年 ︶  ②坪井智聡 ︵ 同前 ︶  ③菅野優子 ︵ 同前 ︶  ④藤川直子 ︵ 博士後期課程二年 ︶   なお本稿は 、 右記の資料作成者に加えて 、 以下のゼミの参加者を加えて検討した共同研究である 。   秋 津 秀 彰 ︵ 曹 洞 宗 総 合 研 究 セ ン タ ー 研 究 員 ︶、 横 山 龍 顯 ︵ 大 学 院 研 究 生 ︶、 水 田 泰 成 ・ 本 山 水 悠 ︵ 修 士 課 程 一 年 ︶、 阿 部 伸二 ・ 玉井宏道 ・ 吉田裕 ︵ 聴講生 ︶ ※ 資料作成に当たっては 、 左記の諸氏が過去において同ゼミで作成した資料を参考にした 。 記して謝意を表する 。   植草佳奈子 、 高崎秀一 ︵ 敬称略 ︶ T001-032_01角田_san2.indd 五 2019/03/11 10:57

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﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ 六   震 しん 旦 たん 第 だい 六 ろく 祖 そ 曹 そう 谿 けい 山 ざん 大 だい 鑑 かん 禪 ぜん 師 じ 、 そ の か み 黄 * おう 梅 ばい 山 さん に 參 さん ぜ し は じ め 、 五 ご 祖 そ と ふ * 、 なん * ぢい * づれのところよりかき * たれる 。 六 ろく 祖 * そ い * はく 、 嶺 れい 南 なん 人 にん な * り 。 五 ご 祖 そ いは く 、 きたりてな * にごとをかもとむる 。 六 ろく 祖 そ いはく 、 作 さ 佛 ぶつ をもとむ 。 五 ご 祖 そ いは く 、 嶺 れい 南 なん 人 * にん 無 * む 佛 ぶっ 性 * しょう 、 いかにしてか作 さ 佛 ぶつ せん * 。   こ * の 嶺 れい 南 なん 人 にん 無 む 佛 ぶっ 性 しょう と い ふ 、 嶺 * れい 南 なん 人 にん は 佛 ぶっ 性 しょう な * し と い ふ に あ ら ず 、 嶺 れい 南 なん 人 にん は 佛 ぶっ 性 しょう あ り と い ふ に あ ら ず 、 嶺 れい 南 なん 人 にん 無 む 佛 ぶっ 性 しょう と な り 。 い か に し て か 作 さ 佛 ぶつ せ ん と い ふ は 、 いかなる作 さ 佛 ぶつ をか期 ご するといふなり 。   お ほ * よ そ 佛 ぶっ 性 しょう の 道 どう 理 り 、 あ き ら む る 先 せん 達 だつ す く な し 。 諸 * しょ 阿 あ 笈 * ぎゅう 摩 ま 敎 きょう お * よ び 經 きょう 論 ろん 師 じ の し る べ き に あ ら ず 。 佛 ぶっ 祖 そ の 兒 じ 孫 そん の み 單 たん 傳 でん す る な り 。 佛 ぶっ 性 しょう の 道 どう 理 り は 、 佛 ぶっ 性 しょう は 成 じょう 佛 ぶつ よりさきに具 ぐ 足 そく せるにあらず 、 成 じょう 佛 ぶつ よりのちに具 ぐ 足 そく するなり 。 佛 ぶっ 性 しょう か な ら ず 成 じょう 佛 ぶつ と 同 どう 參 さん す る な り 。 こ の 道 どう 理 り よ く よ * く 參 さん 究 きゅう 功 * く 夫 ふう す べ し 、 三 * さん 二 に 十 じゅう 年 ねん も功 く 夫 ふう 參 さん 學 がく すべし 。 黄│右 ﹁ ワウ ﹂ アリ ︵ 抄 ︶ ふ│う ︵ 乾 ︶   ん│む ︵ 抄 ︶ いづれのところ│何處 ︵ 瑠 ︶ きた│来 ︵ 瑠 ︶、 以下略 祖│右下 ﹁ ノ ﹂ アリ ︵ 龍 ︶、 以下略 いはく│曰 ︵ 抄 ︶︵ 瑠 ︶、 いわく ︵ 乾 ︶、 以下略 なり│也 ︵ 瑠 ︶ なにごと│何事 ︵ 抄 ︶、 何ごと ︵ 洞 ︶、 何 䎽 ︵ 瑠 ︶ 人│右下 ﹁ ニ ﹂ アリ ︵ 龍 ︶ 無│左下 ﹁ シ ﹂ アリ ︵ 龍 ︶ 性│左下 ﹁ 一 ﹂ アリ ︵ 龍 ︶ ん│む ︵ 抄 ︶ この│此 ︵ 瑠 ︶、 以下略 嶺南人 ∼ あらず ︵ 三十文字 ︶ │ナシ ︵ 乾 ︶ なし│無 ︵ 瑠 ︶、 なひ ︵ 正 ︶ ほ│ナシ ︵ 瑠 ︶ 諸 │ 右 下 ﹁ ノ ﹂ ア リ ︵ 正 ︶︵ 龍 ︶、 右 ﹁ シ ョ ﹂ ア リ ︵ 瑠 ︶ 笈│右 ﹁ キウ ﹂ アリ ︵ 瑠 ︶ お│を ︵ 洞 ︶︵ 瑠 ︶ よ く │ ナ シ ︵ 乾 ︶、 〳〵 ︵ 懐 ︶︵ 洞 ︶︵ 瑠 ︶︵ 長 ︶︵ 徳 ︶、 ︵ 龍 ︶ 功夫 ⋮ │ ︵ 嘉 ︶ ノ本文ココヨリ始マル 三二十年│三拾年二十年 ︵ 正 ︶ T001-032_01角田_san2.indd 六 2019/03/11 10:57

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七 ﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ ︻ 懐奘書写本 ︼   震旦第六祖曹谿山大鑒禪師 、 そのかみ黄梅山に参ぜしはじめ 、 五祖とふ 、 なんぢいづれのところよりかきたれる 。 六 祖いはく 、 嶺南人なり 。 五祖いはく 、 きたりてなにごとをかもとむる 。 六祖いはく 、 作佛をもとむ 。 五祖いはく 、 嶺南 人無佛性 。 いかにしてか作佛せん 。   この嶺南人無佛性といふ 、 嶺南人は佛性なしといふにあらず 、 嶺南人は佛性ありといふにあらず 、 嶺南人無佛性とし めすなり 。 いかにしてか作佛せんといふは 、 いかなる作佛をか期するといふなり 。   おほよそ佛性の道理 、 あきらむる先達すくなし 。 諸阿笈摩教および經論師のしるべきにあらず 。 佛祖の兒孫のみ単傳 するなり 。 佛性の道理は 、 佛性成佛よりさきに具足せるにあらず 。 成佛よりのちに具足するなり 。 この道理よく〳〵參 究功夫すべし 。 三二十年も功夫參學すべきなり 。 ︻ 語註 ︼ ⋮ こ の 話 の 出 典 に つ い て ﹃ 道 元 引 用 語 録 の 研 究 ﹄︵ 春 秋 社 、 一 九 九 五 年 三 月 ︶ で は 五 つ の 二 次 出 典 を 挙 げ ︵ 二 五 〇 ∼ 二 五 一 頁 ︶、 各 々 さ ほ ど 相 違 は な い が 、 本 文 の ﹁ 震 旦 第 六 祖 曹 谿 山 大 鑑 禅 師 、 そ の か み 黄 梅 山 に 参 ぜ し は じ め ﹂ の部分は ﹃ 建中靖国続燈録 ﹄ 巻一 、 大鑑慧能章の ﹁ 居黄梅山 。 大振玄風 。 有盧居士遠来 ﹂ が最も近いと思われる 。 ちな み に ﹃ 建 中 靖 国 続 燈 録 ﹄ 巻 一 、 大 満 弘 忍 章 に は 、﹁ 五 祖 弘 忍 大 満 禅 師 、 童 児 得 道 、 乃 栽 松 道 者 後 身 。 居 黄 梅 東 山 、 大 振 玄 風 。 有盧居士遠来 。 師曰 、 汝什麼処来 。 答曰 、 嶺南来 。 師曰 、 来作什麼 。 答曰 、 来求作仏 。 師曰 、 汝嶺南人無仏性 ︵ 五 祖弘忍大満禅師 、 童児にして道を得 。 乃ち栽松道者の後身なり 。 黄梅東山に居して 、 大いに玄風を振う 。 盧居士有りて 遠きより来る 。 師曰く 、 汝什麼処よりか来る 。 答えて曰く 、 嶺南より来る 。 師曰く 、 来りて什麼をか作さん 。 答えて曰 く 、 来りて作仏を求む 。 師曰く 、 汝嶺南人無仏性なり ︶﹂ ︵﹃ 卍続蔵経 ﹄ 一三六 ・ 二三頁 ︶ とある 。 またこの話は 、﹃ 永平 広 録 ﹄ 六 ・ 四 三 一 上 堂 に も 取 り 上 げ ら れ て い る ほ か 、 六 祖 の 伝 記 を 和 文 で 記 し た ﹁ 堆 米 事 ﹂︵ ﹃ 正 法 眼 蔵 聞 書 抄 ﹄ 三 十 一 ︶ にも見られる 。﹁ 堆米事 ﹂ では 、﹁ ハじめて大満にめへたてまつるにとひたまふ 。 你ハいづくの人ぞ 。 云く 、 嶺南の人な り 。 大満の云ク 、 何事を求てかここに来れる 。 云ク 、 仏にならむことを求ム 。 大満の云く 、 嶺南ノ人ニハ仏性なし 。 何 T001-032_01角田_san2.indd 七 2019/03/11 10:57

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﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ 八 としてか仏にならむ 。 祖ノ云ク 、 人ニハ南北ありとも仏性にハ南北あらじ ﹂︵ ﹃ 蒐書大成 ﹄ 十四 ・ 六三三 ∼ 六三四頁 ︶ と あ る 。 こ れ ら は 、︻ 語 註 ︼ 末 に 対 照 表 と し て 示 し た 。 ⋮ 古 代 イ ン ド 人 が 中 国 を 呼 ん だ チ ー ナ ス タ ー ナ ︵ 秦 土 の 意 ︶ の 音訳 。 漢土 ・ 唐土と同じく中国をさす ︵﹃ 禅学 ﹄ 六一九頁 ︶。 第六祖曹谿山大鑑禅師 ⋮ 中国禅宗六祖大鑑慧能 ︵ 六三八 ∼ 七 一 三 ︶。 ﹁ 六 祖 大 師 ﹂﹁ 曹 渓 大 師 ﹂ な ど と も 呼 ば れ る 。 俗 姓 は 盧 氏 、 嶺 南 の 新 州 ︵ 広 東 省 ︶ の 人 。 若 く し て 䋌 州 ︵ 湖 北 省 ︶ の黄梅山の五祖弘忍に参じ 、 印可を得た後 、 嶺南に帰って韶州 ︵ 広東省 ︶ の曹渓山宝林寺や大梵寺を中心に布教を 行い 、 新州の国恩寺で没した ︵﹃ 岩波仏教辞典 ﹄ 第二版 、 岩波書店 、 二 〇〇 二年十月 、 九一頁 ︶。 法嗣に荷沢神会 ︵ 六七 〇 ∼ 七 六 二 ︶、 青 原 行 思 ︵ 六 七 三 ∼ 七 四 一 ︶、 南 嶽 懐 譲 ︵ 六 七 七 ∼ 七 四 四 ︶ 等 が い る 。 慧 能 の 書 と し て 代 表 的 な も の に ﹃ 六 祖 壇 経 ﹄ が あ る が 、 道 元 禅 師 は ﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄﹁ 四 禅 比 丘 ﹂ 巻 で ﹁ 六 祖 壇 経 に 見 性 の 言 あ り 、 か の 書 こ れ 偽 書 な り 。 附 法 蔵 の書にあらず 、 曹渓の言句にあらず 。 仏祖の児孫 、 またく依用せざる書なり ﹂︵ 七 〇 八頁 ︶ と述べており 、﹁ 見性 ﹂ の語 を使う ﹃ 六祖壇経 ﹄ を ﹁ 偽書 ﹂ であるとして痛烈に批判している 。 黄梅山 ⋮ 䋌 州 ︵ 湖北省 ︶ 黄梅県西四 〇 里にあり 、 一 名漏頭山と称す 。 山中に梅が多いのでこの名がある ︵﹃ 禅学 ﹄ 一二二頁 ︶。 ここでは五祖弘忍のこと 。 五祖 ⋮ 中国禅宗五 祖 大 満 弘 忍 ︵ 六 〇 一 ∼ 六 七 四 ︶。 ﹁ 仏 性 訳 註 ︵ 三 ︶﹂ 一 六 ∼ 一 七 頁 参 照 。 ⋮﹁ 嶺 南 人 ﹂ は 、 嶺 南 地 方 出 身 の 人 物を指す 。 中国の中部と南部の境界をなす山脈を南嶺 、 その南を嶺南といい 、 この地方の人々は無知蒙昧で 、 仏たり得 ないとされた 。 慧能は広東の東南 、 新州の出身 ︵﹃ 禅学 ﹄ 一三 〇 六頁 ︶。 ﹃ 岩波文庫本 ﹄︵ 一 ・ 八七頁 ︶ 等では ﹁ れいなん じん ﹂ と読んでいるが 、 本稿では ﹃ 禅学 ﹄ にならい ﹁ れいなんにん ﹂ とした 。﹃ 正法眼蔵聞解 ﹄ には 、﹁ 嶺南人無仏性ト ハ 、 有 リ 無 シ ト 云 ニ ハ 非 ズ 。 仏 性 本 ヨ リ 不 レ 有 不 レ 無 モ ノ 、 只 無 仏 性 也 ト 。 般 若 ノ 大 空 ヲ ヲ ︵ママ ︶ 明 ス 空 裏 一 片 石 ノ 意 ヲ 見 ル ベ シ ﹂︵ ﹃ 蒐 書 大 成 ﹄ 十 七 ・ 一 四 ∼ 一 五 頁 、 句 読 点 ・ 濁 点 筆 者 ︶ と あ り 、﹁ 嶺 南 人 無 仏 性 ﹂ と い う 表 現 に お け る ﹁ 仏 性 ﹂ の 語 は 、 仏 性 そ れ 自 体 の 性 質 に つ い て 言 及 し て い る の で は な く 、﹁ た だ 無 仏 性 で あ る ﹂ と し て い る 。 前 段 に ﹁ 無 仏 性 の 道 、 か な ら ず 精 進 す べ し 、 䵿 趄 す る こ と な か れ ﹂︵ ﹁ 仏 性 訳 註 ︵ 三 ︶﹂ 二 九 頁 ︶ と あ る こ と か ら も 、 道 元 禅 師 が ﹁ 無 仏 性 ﹂ の 語 そ のものを重要視していることが窺える 。 詳細は ︻ 解説 ︼ 参照 。 作仏 ⋮ 仏となること 。 成仏すること 。 作はなる ︵﹃ 禅学 ﹄ 三八六頁 ︶。 期する ⋮ 期待する 。 求める 。 おほよそ ⋮﹁ おほ ﹂ は大 、 物事を大きく 、 概括していうときに用いる 。﹁ およ そ ﹂ とも 。 大概 。 一般 。 そもそも ︵﹃ 角川古語大辞典 ﹄ 第一巻 、 角川書店 、 一九八二年六月 、 六一五頁 ︶。 阿笈摩教 ⋮ 前 段 の 用 例 ︵﹁ 仏 性 訳 註 ︵ 二 ︶﹂ 一 五 二 頁 ︶ と は 異 な り 、 こ こ で は い わ ゆ る 小 乗 教 ︵ 上 座 部 仏 教 ︶ の こ と 。﹃ 景 徳 伝 燈 録 ﹄ 巻 T001-032_01角田_san2.indd 八 2019/03/11 10:57

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九 ﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ 六 ﹁ 禅 門 規 式 ﹂ に は 、﹁ 豈 当 与 諸 部 阿 笈 摩 教 為 随 行 耶 旧梵語阿含 。 新云阿 笈 摩 。 即 小 乗 教 也 ︵ 豈 に 当 に 諸 部 の 阿 笈 摩 教 と 随 い 行 う を 為 す べ け ん や 。 旧 梵 語 は 阿 含 、 新 に 云 く 阿 笈 摩 と 。 即 ち 小 乗 教 な り ︶﹂ ︵﹃ 禅 文 化 本 ﹄ 一 〇 一 頁 ︶ と あ る 。 ⋮ 経 師 ・ 論 師 の こ と 。 経 文 を 講 義 し た り 、 読 誦 す る 僧 。 文 字 に 書 か れ た 経 に よ っ て の み 仏 法 の 意 義 を 解 し 、 実 践 を 欠 く も の の 意 味 に 用 い る ︵﹃ 禅 学 ﹄ 二 三 一 頁 ︶。 ⋮ 仏 法 の 上 で 仏 祖 の 法 を つ ぐ 者 ︵﹃ 禅 学 ﹄ 四 四 三 頁 ︶。 ⋮ 仏 法 が 釈 尊 か ら 真 っ 直 ぐ 伝 わ っ て き た こと 。﹁ 仏性訳註 ︵ 一 ︶﹂ 八一頁参照 。 同参 ⋮ 同時に備わること 。﹁ 仏性 ﹂ 巻の後段に ﹁ 説著あらば聞著と同参なるべし ﹂ ︵ 二 八 頁 ︶ と い う 用 例 が あ る が 、 懐 奘 書 写 本 に よ れ ば 、 本 段 に お い て は 書 き 改 め 後 に 追 加 さ れ た も の で あ る の に 対 し 、 後 段 の 用 例 は 書 き 改 め 以 前 よ り あ っ た も の で あ る 。 ⋮﹁ 参 究 ﹂・ ﹁ 功 夫 ﹂ は 共 に 弁 道 修 行 す る 意 ︵﹃ 禅 学 ﹄ 三 九 〇 頁 ︶。 ⋮ 三 十 年 も 二 十 年 も 。﹃ 景 徳 伝 燈 録 ﹄ 巻 二 十 八 、﹁ 諸 方 広 語 ﹂ の ﹁ 州 従 䣺 和 尚 語 ﹂ に は ﹁ 且 実 際 理 什 麼 処 著得 。 一心不生万法無咎 。 汝但究理坐看三二十年 ︵ 且らく実際の理は什麼の処にか著得せん 。 一心は生ぜず万法は咎無 し 。 汝但だ理を究め坐して看ること三二十年せよ ︶﹂ ︵﹃ 禅文化本 ﹄ 五九二頁 ︶ とあり 、﹁ 三十年でも二十年でも坐してみ よ ﹂ と 説 示 し て い る 。 こ の 語 は 禅 の 語 録 に よ く 見 ら れ る 常 套 語 で あ る が 、 こ の 年 限 は 仏 祖 相 伝 の 一 代 の 年 限 で も あ り 、 〝一生涯〟と解釈してもよいであろう 。 功夫参学 ⋮ 純一に修行に精進すること ︵﹃ 禅学 ﹄ 二五二頁 ︶。 ﹁ 参学 ﹂ は 、 参禅学 道の略 ︵﹃ 禅語 ﹄ 一六五頁 ︶。 ﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻 ﹃ 永 平 広 録 ﹄ 六 ・ 四 三 一 上 堂 ﹃ 建中靖国続燈録 ﹄ 一 ﹁ 堆米事 ﹂ 震 旦 第 六 祖 曹 渓 山 大 鑑 禅 師 、 そ の か み 黄 梅 山 に 参 ぜ し は じ め 、 五 祖 と ふ 、 な ん ぢ い づ れ の と こ ろ よ り か き た れ る 。 六 祖 い は く 、 嶺 南 人 な り 。 五 祖 い は く 、 き た り て な に ご と を か も と む る 。 六 上 堂 。 記 得 。 盧 行 者 詣 五 祖 。 祖 問 、 汝 是 甚 処 人 。 盧 云 、 嶺 南 人 。 祖 云 、 欲 求 何 事 。 盧 云 、 求 作 仏 。 祖 云 、 嶺 南 人 無 仏 性 。 盧 云 、 人 有 南 北 、 仏 性 豈 有 南 北 耶 。 祖 、 知 是 器 、 遂 入 行 堂 。 五 五 祖 弘 忍 大 満 禅 師 、 童 児 得 道 、 乃 栽 松 道 者 後 身 。 居 黄 梅 東 山 、 大 振 玄 風 。 有 盧 居 士 遠 来 。 師 曰 、 汝 什 麼 処 来 。 答 曰 、 嶺 南 来 。 師 曰 、 来 作 什 麼 。 答 曰 、 来 求 作 仏 。 師 曰 、 汝 嶺 南 人 無 仏 ハ じ め て 大 満 に み へ た て ま つ る に 、 と ひ た ま ふ 。 汝 は い づ く の 人 ぞ 。 云 く 、 嶺 南 の 人 な り 。 大 満 の 云 く 、 何 事 を 求 て か こ こ に 来 れ る 。 云 く 、 仏 に な ら む 事 を 求 む 。 大 満 の 云 く 、 嶺 南 の 人 に ハ T001-032_01角田_san2.indd 九 2019/03/11 10:57

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﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ 一 〇 ︻ 直訳 ︼   震旦国の第六祖曹谿山大鑑禅師が 、 その昔黄梅山に参じた初めに 、 五祖が問うた 、﹁ お前はどこから来たのか ﹂。 六祖 は 言 っ た 、﹁ 嶺 南 人 で す ﹂。 五 祖 は 言 っ た 、﹁ 来 て 何 事 を 求 め る の か ﹂。 六 祖 は 言 っ た 、﹁ 作 仏 を 求 め る の で す ﹂。 五 祖 は 言 っ た 、﹁ 嶺南人無仏性 、 どのような作仏を期待するのか ︵ いかにしてか作仏せん ︶﹂ 。   この ﹁ 嶺南人無仏性 ﹂ というのは 、﹁ 嶺南人は仏性がない ﹂ と言っているのではなく 、﹁ 嶺南人は仏性がある ﹂ と言っ て い る の で も な く 、﹁ 嶺 南 人 無 仏 性 ﹂ と ︿ 言 っ て い る ﹀ の で あ る 。﹁ い か に し て か 作 仏 せ ん ﹂ と 言 う の は 、﹁ ど の よ う な 作 仏を期待するのか ﹂ と言うのである 。   およそ仏性の道理を 、 明らかにしている先達は少ない 。 諸の阿笈摩教や経論師が知る筈がない 。 仏祖の児孫だけが単 伝するのである 。 仏性の道理は 、 仏性は成仏より先に具足しているのではなく 、 成仏より後に具足するのである 。 仏性 は必ず成仏と同参するのである 。 この道理をよくよく参究功夫しなさい 、 三十年も二十年も功夫参学しなさい 。 ︻ 現代語訳 ︼   中 国 の 禅 宗 第 六 祖 の 曹 谿 山 大 鑑 慧 能 禅 師 が 、 そ の 昔 、 黄 梅 山 ︿ の 五 祖 弘 忍 ﹀ に 参 じ た 最 初 に 、 五 祖 が 、﹁ お 前 は ど こ か ら 来 た の か ﹂ と 尋 ね た 。 六 祖 は 言 っ た 、﹁ 嶺 南 人 ︵ 嶺 南 出 身 の 者 ︶ で す ﹂。 五 祖 は 言 っ た 、﹁ 嶺 南 か ら や っ て 来 て 何 を 求 め るのか ﹂。 六祖は言った 、﹁ 仏となることを求めるのです ﹂。 五祖は言った 、﹁ 嶺南人無仏性 、 いかにしてか作仏せん ︵ 嶺 祖 い は く 、 作 仏 を も と む 。 五 祖 い は く 、 嶺 南 人 無 仏 性 、 い か に し て か 作 仏 せ ん 。︵ 中 略 ︶ 六 祖 い は く 、 人 有 南 北 な り と も 、 仏 性 無 南 北 な り 。 祖 ・ 六 祖 雖 恁 麼 道 、 永 平 児 孫 聊 有 道 処 。 大 衆 還 要 委 悉 麼 。 雖 拈 一 茎 草 、 未 供 五 茎 華 ︵﹃ 大 久 保 本 ﹄ 一 〇 九 頁 ︶。 性 。 答 曰 、 人 有 南 北 、 仏 性 豈 有 南 北 。 師 叱 曰 、 着 槽 廠 去 ︵﹃ 卍 続 蔵 経 ﹄ 一 三 六 ・ 二三頁 ︶。 仏 性 な し 、 何 と し て か 仏 に な ら む 。 祖 の 云 ク 、 人 ニ ハ 南 北 あ り と も 、 仏 性 に は 南 北 あ ら じ ︵﹃ 正 法 眼 蔵 聞 書 抄 ﹄ 三 十 一 所 収 、﹃ 蒐 書 大 成 ﹄ 十 四 ・ 六 三 三 ∼ 六 三 四  頁 ︶。 T001-032_01角田_san2.indd 一〇 2019/03/11 10:57

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一一 ﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ 南人は無仏性である 、 どのような作仏を期待するのか ︶﹂ 。   この ﹁ 嶺南人無仏性 ﹂ というのは 、﹁ 嶺南人は仏性がない ﹂ と言っているのではなく 、﹁ 嶺南人は仏性がある ﹂ と言っ て い る の で も な く 、﹁ 嶺 南 人 無 仏 性 ︵ 嶺 南 人 も す で に 仏 で あ る の だ か ら 、 さ ら に 仏 に な る 必 要 は な い ︶﹂ ︿ と 言 っ て い る の ﹀ で あ る 。﹁ い か に し て か 作 仏 せ ん ﹂ と 言 っ て い る の は 、﹁ ︿ す で に 仏 で あ る の に 、 さ ら に ﹀ ど の よ う な 作 仏 を 期 待 す る のか ﹂ と言っているのである 。   そもそも仏性の道理を 、 明らかにしている先人達は少ない 。 諸々の阿笈摩教や経師 ・ 論師が知るはずがない 。 仏祖の 法を嗣いだ児孫だけが伝えているのである 。 仏性の道理は 、 仏性は成仏するより先に具 そな わっているのではなく 、 成仏よ り後に具わるのである 。 仏性は必ず成仏と同時に具わるのである 。 この道理をよくよく参究功夫すべきである 、 三十年 も二十年も功夫参学すべきである 。 ︻ 懐奘書写本に見られる書き改めについて ︼   本段における書き改めであるが 、﹁ 嶺南人無仏性としめすなり ﹂ の ﹁ しめす ﹂ が削除されている 。 また 、﹁ 成仏よりの ち に 具 足 す る な り ﹂ の 後 に ﹁ 仏 性 か な ら ず 成 仏 と 同 参 す る な り ﹂ と 加 え ら れ て い る 。 ま た 、﹁ 三 二 十 年 も 功 夫 参 学 す べ き なり ﹂ の ﹁ すべきなり ﹂ を ﹁ すべし ﹂ と改めている 。 T001-032_01角田_san2.indd 一一 2019/03/11 10:57

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﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ 一二   十 じつ 聖 しよう 三 さん 賢 けん のあきらむると * ころにあらず 。 衆 しゆ 生 じよう 有 う 佛 ぶつ 性 しよう 、 衆 しゆ 生 じよう 無 む 佛 ぶつ 性 しよう と 道 どう 取 しゆ す る 、 こ * の 道 どう 理 り な * り 。 成 じよう 佛 ぶつ 已 * い 來 らい に 具 ぐ 足 そく す る 法 ほう な り と 參 さん 學 がく す る 、 正 しょう 的 てき な * り 。 か * くのごとく學 がく せざ * るは 、 佛 ぶつ 法 ほう にあらざるべし 。 かくのごとく學 がく せず * ば 、 佛 ぶつ 法 ほう あ へ * て 今 こん 日 にち に い た る べ か ら ず 。 も * し こ の 道 どう 理 り あ き ら め ざ る に は 、 成 じよう 佛 ぶつ をあきらめず 、 見 けん 聞 もん せざるなり 。 このゆ * ゑに 、 五 ご 祖 そ は向 * こう 佗 * た 道 どう するに 、 嶺 * れい 南 なん 人 にん 無 む 佛 ぶつ 性 しよう と 爲 い 道 どう す る な り 。 見 けん 佛 ぶつ 聞 もん 法 ぽう の 最 さい 初 しよ に 、 難 なん 得 とく 難 なん 聞 もん な る * は 、 衆 しゆ 生 じよう 無 む 佛 ぶつ 性 しよう な り 。 或 * わく 從 * じゆう 知 ち 識 しき 、 或 わく 從 じゆう 經 きよう 巻 かん す る に 、 き * く こ と の よ ろ こ ぶ べ き は 衆 しゆ 生 じよう 無 む 佛 ぶつ 性 しよう な り 。 一 いつ 切 さい 衆 しゆ 生 じよう 無 む 佛 ぶつ 性 しよう を 見 けん 聞 覺 かく 知 ち に 參 さん 飽 ぽう せ ざ る も の は 、 佛 ぶつ 性 しよう い ま だ 見 けん 聞 もん 覺 * かく 知 ち せ ざ る な り 。 六 ろく 祖 そ 、 も は ら 作 さ 佛 ぶつ を も と む る に 、 五 ご 祖 そ 、 よ く 六 ろく 祖 そ を 作 さ 佛 ぶつ せ し む る に 、 佗 た の 道 どう 取 しゆ な し 、 善 * ぜん 巧 ぎょう な し 、 た だ 嶺 れい 南 なん 人 にん 無 む 佛 ぶつ 性 しよう と い ふ 。 し る べ し 、 無 む 佛 ぶつ 性 しよう の 道 どう 取 しゆ ・ 聞 * もん 取 しゆ 、 こ * れ 作 さ 佛 ぶつ の 直 じき 道 どう な り と い ふ こ と を 。 し か あ * れ ば 、 無 む 佛 * ぶつ 性 しょう の 正 しよう 當 とう 恁 いん 麼 * も 時 じ 、 す な は ち 作 さ 佛 ぶつ な り 。 無 む 佛 ぶつ 性 しよう い ま だ見 けん 聞 もん せず 、 道 どう 取 しゆ せざるは 、 い * まだ作 さ 佛 ぶつ せざるなり 。 ところ│處 ︵ 瑠 ︶ この│此 ︵ 抄 ︶︵ 瑠 ︶ なり│也 ︵ 正 ︶、 以下略 已│以 ︵ 懐 ︶︵ 抄 ︶︵ 洞 ︶︵ 瑠 ︶︵ 嘉 ︶ なり│也 ︵ 瑠 ︶、 以下略 かくのごとく│如 レ 是 ︵ 瑠 ︶、 以下略 ざるは│ざれば ︵ 洞 ︶ ずば│ずんば ︵ 瑠 ︶ へ│ゑ ︵ 正 ︶︵ 瑠 ︶ もしこの│若此 ︵ 瑠 ︶ ゆ ゑ │ ゆ へ ︵ 懐 ︶︵ 乾 ︶︵ 龍 ︶︵ 洞 ︶︵ 長 ︶︵ 玉 ︶、 故 ︵ 瑠 ︶ 向佗道│右 、 カウタタウ ︵ 瑠 ︶、 向 レ 他道 ︵ 龍 ︶ 佗 │ 他 ︵ 懐 ︶︵ 正 ︶︵ 龍 ︶︵ 瑠 ︶︵ 長 ︶︵ 玉 ︶︵ 徳 ︶︵ 嘉 ︶、 以下略 嶺南人無佛性│嶺南人 ニ 無 レ 佛性 ︵ 龍 ︶ る│れ ︵ 乾 ︶ 或 從 知 識 或 從 經 巻 │ 或 ハ 從 イ 二 知 識 ニ 一 或 ハ 從 イ 二 經 巻 一 ︵ 龍 ︶、 或 從 レ 知識或從經巻 ︵ 玉 ︶ 或│惑 、 右 ﹁ アルイハ ﹂ アリ ︵ 正 ︶ 從│ナシ ︵ 乾 ︶ きくこと│聞事 ︵ 抄 ︶ 覺│ナシ ︵ 乾 ︶ 善巧│左 ﹁ ヨクタクミ ﹂ アリ ︵ 瑠 ︶ 聞│問 ︵ 正 ︶︵ 龍 ︶︵ 瑠 ︶ これ│是 ︵ 瑠 ︶ あ│ナシ ︵ 乾 ︶︵ 正 ︶︵ 龍 ︶︵ 瑠 ︶ 佛│ナシ ︵ 乾 ︶ 麼│右下 ﹁ ノ ﹂ アリ ︵ 龍 ︶ いまだ│未 ︵ 瑠 ︶ T001-032_01角田_san2.indd 一二 2019/03/11 10:57

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一三 ﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ ︻ 懐奘書写本 ︼   十聖三賢のあきらむるところにあらず 。 衆生有佛性 、 衆生無佛性と道取するところにこの道理なり 。 成佛以来に具足 する法なりと参学するを正的として学すべきなり 。 かくのごとく学せざるは佛法にあらざるべし 。 もしこの道理あきら め ざ る に は 、 成 佛 を あ き ら め ず 、 見 聞 せ ざ る な り 。 こ の ゆ へ に 、 五 祖 は 向 他 道 す る に 、 嶺 南 人 無 佛 性 と 為 道 す る な り 。 見佛聞法の最初に 、 難得難聞なるは 、 衆生無佛性なり 。 或従知識 、 或従経巻するに 、 きくことのよろこぶべきは衆生無 佛性なり 。 一切衆生無佛性を見聞覚知に参飽せざるものは 、 佛性いまだ見聞覚知せざるなり 。 六祖 、 もはら作佛をもと むるに 、 五祖 、 よく六祖を作佛せしむるに 、 他の道取なし 、 善巧なし 。 たヽ嶺南人無佛性といふ 。   しるべし 、 無佛性の道取 ・ 聞取 、 これ作佛の直道なりといふことを 。 しかあれば 、 無佛性の正当恁麼時 、 すなはち作 佛なり 。 無佛性いまだ見聞せず 、 道取せざるは 、 いまだ作佛せざるなり 。 ︻ 語註 ︼ ⋮ さ と り の 段 階 に よ る 賢 聖 の 区 別 。﹁ 十 聖 ﹂ は 、 十 地 の 聖 者 を い う 。 地 前 ︵ 十 地 よ り 前 ︶ の 三 十 位 を 三 賢 と い う の に 対 し 、 十 地 と い う 十 の 位 を 指 す ︵﹃ 中 村 仏 教 ﹄ 五 九 三 頁 ︶。 ﹁ 三 賢 ﹂ は 、 天 台 ・ 華 厳 の 教 学 で は 、 菩 薩 の 階 位 の う ち の 十住 、 十行 、 十回向をいう ︵﹃ 中村仏教 ﹄ 四六一頁 ︶。 衆生有仏性 衆生無仏性 ⋮﹁ 仏性 ﹂ 巻後半で示される ﹁ 大 䈱 衆生 無仏性 ﹂ 話 ︵ 二七頁 ︶ の語 。﹁ 仏性訳註 ︵ 三 ︶﹂ 三二頁参照 。 正的 ⋮ 間違いのないこと 。 ぴったり当っていること 。 正当 的確 ︵﹃ 禅学 ﹄ 五七 〇 頁 ︶。 見仏聞法 ⋮ 正師について正法を聞くこと ︵﹃ 中村仏教 ﹄ 三二三頁 ︶。 或従知識 或従経巻 ︵ 或 いは知識に従い 、 或いは経巻に従う ︶⋮﹃ 摩訶止観 ﹄ 巻一大意章五略段発大心の六即義名字即で説かれる成句 。 善知識 に 親 近 し て 教 え を 聞 き ︵ 従 知 識 ︶、 経 典 を 学 ぶ ︵ 従 経 巻 ︶ こ と で 、 一 切 の 文 言 や 事 象 は 仏 法 そ の も の で あ る こ と が さ と れ るという意味 。 経文に即してさとりが現れ 、 真に信じられる仏法を観ることができると説く 。 道元はこの文句をしきり に 引 用 し て 、 教 外 別 伝 、 不 立 文 字 を 喧 伝 す る 従 来 の 禅 者 た ち の 学 び 方 の 未 熟 さ を 指 摘 す る ︵﹃ 禅 の 思 想 辞 典 ﹄、 東 京 書 籍 、 二 〇 〇 八 年 六 月 、 五 〇 八 頁 ︶。 ⋮ 見 た り 、 聞 い た り 、 考 え た り 、 知 っ た り す る こ と 、 人 間 の 感 覚 ・ 知 覚 作 用 。 ま た 、 眼 識 が 見 、 耳 識 が 聞 、 鼻 ・ 舌 ・ 身 の 三 識 が 覚 、 意 識 が 知 と 、 六 識 の そ れ ぞ れ の は た ら き に 対 応 す る ︵﹃ 禅 の 思 想 辞 T001-032_01角田_san2.indd 一三 2019/03/11 10:57

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﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ 一四 典 ﹄ 一九 〇 頁 ︶。 参飽 ⋮ 十分に会得すること 。︵ ﹃ 禅学 ﹄ 四 〇 九頁 ︶。 参は仏道の参学 、 飽は飢えを満たす意 。 句意は仏道 の参究を完成すること ︵ 中村宗一 ﹃ 正法眼蔵用語辞典 ﹄、 誠信書房 、 一九七五年二月 、 一四一頁 ︶。 もはら ⋮ 専一に事を なすさま 。 また 、 すべてがそうであるさま 。 ひたすら 。 ひとえに ︵﹃ 角川古語大辞典 ﹄ 五 、 角川書店 、 一九九九年三月 、 六 七 七 頁 ︶。 ⋮ 衆 生 の 機 根 に 応 じ て 巧 み に 手 立 て を め ぐ ら す こ と ︵﹃ 中 村 仏 教 ﹄ 八 四 八 頁 ︶。 ⋮ ま さ に こ の ようなとき 。﹁ 仏性訳註 ︵ 一 ︶﹂ 八一頁参照 。 ︻ 直訳 ︼   十 聖 三 賢 が 明 ら か に で き る と こ ろ で は な い 。﹁ 衆 生 有 仏 性 、 衆 生 無 仏 性 ﹂ と 道 取 す る の は 、 こ の 道 理 で あ る 。 成 仏 已 来 に具足する法であると参学するのは 、 正的である 。 このように学ばないのは 、 仏法ではないのである 。 このように学ば なければ 、 仏法はけっして今日には至らなかったであろう 。 もしこの道理をあきらかにしないのなら 、 成仏をあきらか に せ ず 、 見 聞 し な い の で あ る 。 そ う で あ る か ら 、 五 祖 は 向 他 道 す る の に 、﹁ 嶺 南 人 無 仏 性 ﹂ と 為 道 す る の で あ る 。 見 仏 聞 法 の 最 初 に 、 難 得 難 聞 で あ る の は 、﹁ 衆 生 無 仏 性 ﹂ で あ る 。 或 従 知 識 、 或 従 経 巻 す る の に 聞 く こ と で 喜 ぶ べ き こ と は ﹁ 衆 生 無 仏 性 ﹂ で あ る 。﹁ 一 切 衆 生 無 仏 性 ﹂ を 見 聞 覚 知 に 参 飽 し な い も の は 、 仏 性 を い ま だ 見 聞 覚 知 し な い の で あ る 。 六 祖 が 、 ひたすら作仏をもとめるのに 、 五祖が 、 よく六祖を作仏させるのに 、 他の道取はない 、 善巧はない 、 ただ ﹁ 嶺南人 無仏性 ﹂ という 。   知るべきである 、﹁ 無仏性 ﹂ の道取 ・ 聞取 、 これが作仏の直道であるということを 。 そうであるから 、﹁ 無仏性 ﹂ の正 当恁麼時が 、 そのまま作仏である 。﹁ 無仏性 ﹂ をいまだ見聞せず 、 道取しないのは 、 いまだ作仏していないからである 。 ︻ 現代語訳 ︼   ︿ 仏 性 の 道 理 は ﹀ 十 聖 三 賢 が 明 ら か に で き る と こ ろ で は な い 。︿ 䈱 山 霊 祐 が ﹀﹁ 衆 生 有 仏 性 、 衆 生 無 仏 性 ﹂ と 表 現 し た の は こ の 道 理 で あ る 。︿ 仏 性 は ﹀ 成 仏 し て 以 来 、 具 わ る 法 で あ る と 参 学 す る の が 、 最 も 正 し い の で あ る 。 こ の よ う に 学 ば な いのは 、 仏法ではないのである 。 このように学ばなければ 、 仏法はけっして今日に伝わらなかったはずである 。 もしこ の道理を理解できないのであれば 、 成仏を理解できず 、 見たり聞いたりしないのである 。 そうであるから 、 五祖は六祖 T001-032_01角田_san2.indd 一四 2019/03/11 10:57

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一五 ﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ に 向 か っ て 言 う の に 、﹁ 嶺 南 人 無 仏 性 ﹂ と ︿ 六 祖 の ﹀ た め に 言 っ た の で あ る 。 見 仏 聞 法 の 最 初 に 、 得 が た く 聞 き が た い の は 、﹁ 衆 生 無 仏 性 ﹂ で あ る 。 善 知 識 ︵ 正 師 ︶ に 従 い 、 経 巻 を 学 ぶ こ と に お い て 、 聞 い て 喜 ぶ べ き こ と は 、﹁ 衆 生 無 仏 性 ﹂ で あ る 。﹁ 一 切 衆 生 無 仏 性 ﹂ を 見 聞 覚 知 に よ り 十 分 に 参 究 し な い も の は 、 仏 性 を い ま だ 見 聞 覚 知 し な い の で あ る 。 六 祖 が 、 ひ た す ら 作 仏 を も と め る の に 対 し て 、 五 祖 が 、 よ く 六 祖 を 作 仏 さ せ た ︿ の で あ る が 、 そ こ に お い て ﹀、 他 の 表 現 は な く 、 方便もなく 、 ただ ﹁ 嶺南人無仏性 ﹂ と言うのである 。   ﹁ 無仏性 ﹂ と言うのも聞くのも 、 これが作仏そのものであるということを知るべきである 。 そうであるから ﹁ 無仏性 ﹂ の ま さ に こ の 時 が 、 そ の ま ま 作 仏 で あ る 。﹁ 無 仏 性 ﹂ を い ま だ 見 聞 せ ず 、 言 わ な い の は 、 い ま だ 作 仏 し て い な い か ら で あ る 。 ︻ 懐奘書写本に見られる書き改めについて ︼   ﹁ 衆 生 無 仏 性 と 道 取 す る と こ ろ に こ の 道 理 な り ﹂ が ﹁ 衆 生 無 仏 性 と 道 取 す る 、 こ の 道 理 な り ﹂ と 改 め ら れ て い る 。 こ の ﹁ ところに ﹂ は文意に大きな影響を与えていないので削除されたと考えられる 。 また 、﹁ 具足する法なりと参学するを正 的 と し て 学 す べ き な り ﹂ が ﹁ 具 足 す る 法 な り と 参 学 す る 、 正 的 な り ﹂ と 改 め ら れ て い る 。 接 続 助 詞 ﹁ と し て ﹂ を 消 し 、 ﹁ 学すべきなり ﹂ を助動詞 ﹁ なり ﹂ のみにしたことで簡潔に表したと思われる 。 また 、﹁ かくのごとく学せざるは 、 仏法 にあらざるべし ﹂ の後に ﹁ かくのごとく学せずば 、 仏法あへて今日にいたるべからず ﹂ が加えられている 。 仏性は成仏 以来具わる法であると学んだからこそ 、 現在に至るまで仏法が伝わっていると強調したものと思われる 。 T001-032_01角田_san2.indd 一五 2019/03/11 10:57

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﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ 一六   六 ろく 祖 * そ い * はく 、 人 * にん 有 う 南 なん 北 * ぼく な * りと * も 、 佛 ぶつ 性 * しよう 無 む 南 なん 北 ぼく なり 。 こ * の道 どう 取 しゆ を擧 こ して 、 句 く 裏 り を 功 * く 夫 ふう す べ し 。 南 なん 北 ぼく の 言 * ごん 、 ま さ に 赤 * せき 心 しん に 照 * しよう 顧 * こ す べ し 。 六 ろく 祖 * そ 道 * どう 得 とく の 句 く に 宗 しゆう 旨 し あ り 。 い * は ゆ る 、 人 ひと は 作 さ 佛 ぶつ す * と も 佛 ぶつ 性 しよう は 作 さ 佛 ぶつ す べ か ら ず と い ふ 一 * いち 隅 ぐう の搆 * こう 得 とく あり 。 六 ろく 祖 そ こ * れをしるやいなや 。   四 し 祖 そ 五 ご 祖 そ の 道 どう 取 しゆ す る 無 む 佛 ぶつ 性 しよう の 道 どう 得 とく 、 は る か に 䒀 * ぜち 礙 げ の 力 りき 量 りよう あ る 一 いち 隅 * ぐう を う け て 、 迦 か 葉 しよう 佛 ぶつ お よ び 釋 * しや 迦 か 牟 む 尼 に 佛 ぶつ 等 とう の 諸 しよ 佛 ぶつ は 作 さ 佛 ぶつ し 轉 * てん 法 ぼう す る に 、 悉 しつ 有 う 佛 ぶつ 性 しよう と 道 どう 取 しゆ す る 力 りき 量 りよう あ る な り 。 悉 しつ 有 * う の 有 う 、 な ん ぞ 無 む 無 む の 無 む に 嗣 し 法 ほう せ ざ ら ん 。 し か あ れ ば 、 無 む 佛 ぶつ 性 しよう の 語 ご 、 は る か に 四 し 祖 そ 五 * ご 祖 そ の 室 しつ よ り き こ ゆ る な り 。 こ の と * き 、 六 ろく 祖 そ その人 ひと ならば 、 この無 む 佛 ぶつ 性 しよう の語 ご を功 く 夫 ふう すべき * なり 。   有 う 無 む の 無 む は し ば ら く お く 、 い か な ら ん か こ れ 佛 ぶつ 性 しよう と 問 * もん 取 しゆ す べ し 、 な に も の か こ れ 佛 ぶつ 性 しよう と た づ ぬ べ し 。 い ま の 人 ひと も 、 佛 ぶつ 性 しよう と き き ぬ れ ば 、 さ * ら に い か な る か こ * れ 佛 ぶつ 性 しよう と 問 * もん 取 しゆ せ ず 、 佛 ぶつ 性 しょう の 有 う 無 む 等 とう の 義 * ぎ を い ふ が ご と し 。 こ れ 倉 * そう 卒 そつ なり 。   し か あ れ ば 、 諸 しよ 無 む の 無 む は 、 無 む 佛 ぶつ 性 しよう の 無 む に 學 がく す べ し 。 六 ろく 祖 そ の 道 どう 取 しゆ す る 人 * にん 有 う 祖│右下 ﹁ ノ ﹂ アリ ︵ 龍 ︶   いはく│曰 ︵ 抄 ︶︵ 瑠 ︶ 人 │ 右 下 ﹁ ニ ﹂ ア リ ︵ 龍 ︶   人 有 │ 右 ﹁ ニ ン ウ ﹂ ア リ ︵ 瑠 ︶ 北│右 ﹁ ボク ﹂ アリ ︵ 瑠 ︶   なり│也 ︵ 瑠 ︶、 以下略 とも 、 佛性無南北なり│ナシ ︵ 乾 ︶ 性│右下 ﹁ ニ ﹂ アリ ︵ 龍 ︶   こ│此 ︵ 瑠 ︶、 以下略 功│右 ﹁ ク ﹂ アリ ︵ 龍 ︶   言│右下 ﹁ バ ﹂ アリ ︵ 龍 ︶ 赤心│右 ﹁ セキシン ﹂ アリ ︵ 瑠 ︶ 照│右 ﹁ セウ ﹂、 左 ﹁ アキラム ﹂ アリ ︵ 瑠 ︶ 顧│右 ﹁ コ ﹂ アリ ︵ 龍 ︶︵ 瑠 ︶ 祖│右下 ﹁ ノ ﹂ アリ ︵ 龍 ︶ 道 得 │ 得 ノ 右 下 ﹁ テ ﹂ ア リ ︵ 瑠 ︶、 右 ﹁ ダ ウ テ ﹂ ア リ ︵ 長 ︶︵ 徳 ︶   い│ゐ ︵ 瑠 ︶   す│ナシ ︵ 玉 ︶ 一 隅 │ 一 偶 ︵ 乾 ︶、 ﹁ 一 ﹂ ノ 右 ﹁ チ ﹂ ア リ ︵ 嘉 ︶、 ﹁ 隅 ﹂ ノ 右 ﹁ グ ﹂ ア リ ︵ 抄 ︶︵ 瑠 ︶︵ 嘉 ︶、 左 ﹁ ヒ ト ス ヂ ノ 義也 ﹂ アリ ︵ 瑠 ︶、 ﹁ ヒトツト云義也 ﹂ アリ ︵ 嘉 ︶ 搆 得 │ 搆 ノ 右 ﹁ コ ウ ﹂ ア リ ︵ 抄 ︶︵ 龍 ︶︵ 嘉 ︶、 右 ﹁ コ ウテ ﹂ アリ ︵ 瑠 ︶、 ﹁ コウトク ﹂ アリ ︵ 長 ︶ これ│是 ︵ 瑠 ︶、 以下略 䒀 │ 底 本 ﹁ 䟓 ﹂、 ︵ 懐 ︶︵ 抄 ︶︵ 乾 ︶︵ 正 ︶︵ 龍 ︶︵ 洞 ︶ ︵ 瑠 ︶︵ 長 ︶︵ 徳 ︶ ニヨリ訂 、 右 ﹁ ケゲ ﹂ アリ ︵ 抄 ︶ 隅│偶 ︵ 懐 ︶︵ 乾 ︶   釋│尺 ︵ 抄 ︶   轉│傳 ︵ 抄 ︶ 有│下 ﹁ 佛 ﹂、 左 ﹁〇︵ 見セ消チノ記号 ︶﹂ アリ ︵ 懐 ︶ 五祖│ナシ ︵ 瑠 ︶   とき│時 ︵ 瑠 ︶ き│左 ﹁ シ ﹂ アリ ︵ 乾 ︶   問│聞 ︵ 乾 ︶︵ 玉 ︶ さ ら に │ ナ シ ︵ 洞 ︶︵ 瑠 ︶︵ 嘉 ︶、 左 ﹁ ヒ ヒ ヒ ︵ 見 セ 消 チ ノ  記号 ︶﹂ アリ ︵ 懐 ︶   これ│ナシ ︵ 乾 ︶︵ 正 ︶︵ 龍 ︶ 問│聞 ︵ 乾 ︶   義│儀 ︵ 瑠 ︶ 倉卒│右 ﹁ サウソツ ﹂ アリ ︵ 龍 ︶ 人有南北 、 佛性無南北│人 ニ 有 レ 南北佛性無 レ 南北 ︵ 龍 ︶ T001-032_01角田_san2.indd 一六 2019/03/11 10:57

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一七 ﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ 南 なん 北 ぼく 、 佛 ぶつ 性 しよう 無 * む 南 なん 北 ぼく の道 どう 、 ひ * さしく再 さい 三 さん 撈 * ろう 䔤 ろく すべし 。 まさに撈 * ろう 波 ぼ 子 す に力 りき 量 りよう あ る べ き な り 。 六 ろく 祖 そ の 道 どう 取 しゆ す る 人 にん 有 * う 南 なん 北 ぼく 、 佛 ぶつ 性 しよう 無 む 南 なん 北 ぼく の 道 どう 、 し づ * か に 拈 * ねん 放 ほう す べ し 。 お * ろ か な る や か ら お * も は く は * 、 人 にん 間 げん に は 質 * ぜち 礙 げ す れ ば 南 なん 北 ぼく あ れ ど も 、 佛 ぶつ 性 しよう は 虚 * こ 融 ゆう に し て 南 なん 北 ぼく の 論 ろん に お よ ば ず 、 と 六 ろく 祖 そ は 道 どう 取 しゆ せ り け る か 、 と 推 * すい 度 たく するは * 、 無 む 分 ふん の愚 * ぐ 蒙 もう なるべし 。 この邪 じや 解 げ を抛 * ほう 却 きやく し * て 、 直 * じき 須 しゆ 勤 ごん 學 がく すべし 。 無│右下 ﹁ キ ﹂ アリ ︵ 龍 ︶   ひさし│久 ︵ 瑠 ︶ 撈 䔤 │ 䔤 撈 ︵ 正 ︶、 右 ﹁ ラ ウ ロ ク ﹂、 左 ﹁ 魚 ヲ ス ク ウ 義 也 ﹂ アリ ︵ 嘉 ︶ 撈 波 子 │ 右 ﹁ ラ ウ ボ ス ﹂ ア リ ︵ 瑠 ︶︵ 長 ︶︵ 玉 ︶、 波 子 ノ右 、﹁ ボス ﹂ アリ ︵ 徳 ︶、 上欄に ﹁ 撈波子ハ水器也 タトヘバシタミコス義也 ﹂ アリ ︵ 長 ︶︵ 玉 ︶ 有南北 、 佛性無南北│有 二 南北 一 佛性無 二 南北 一 ︵ 龍 ︶ づ│す ︵ 玉 ︶ 拈 放 │ 右 ﹁ ネ ン ハ ウ ﹂、 左 ﹁ ナ ラ ウ 義 也 ﹂ ア リ ︵ 瑠 ︶、 右 ﹁ ナラウ義也 ﹂ アリ ︵ 長 ︶、 左 ﹁ ナラウ義ナリ ﹂︵ 徳 ︶ お│を ︵ 洞 ︶  お│ヲ ︵ 抄 ︶︵ 乾 ︶  は│ナシ ︵ 乾 ︶ 質 礙 │ 質 ノ 右 ﹁ ゼ チ ﹂ ア リ ︵ 嘉 ︶、 左 ﹁ サ ハ リ ﹂ ア リ ︵ 玉 ︶︵ 徳 ︶ 虚 融 │ 右 ﹁ コ ユ ウ ﹂、 左 ﹁ ト ホ レ ル ﹂ ア リ ︵ 長 ︶︵ 玉 ︶ ︵ 徳 ︶、 ﹁ ウツケタル義也 ﹂ アリ ︵ 嘉 ︶ 推 度 │ 右 ﹁ ス イ タ ク ﹂、 左 ﹁ ハ カ ラ ウ ﹂ ア リ ︵ 瑠 ︶ ︵ 長 ︶︵ 徳 ︶︵ 玉 ︶、 下 ﹁ ス レ バ ﹂ ア リ ︵ 乾 ︶   は │ わ ︵ 長 ︶ 愚蒙│左 ﹁ オロカナルヒト ﹂ アリ ︵ 瑠 ︶、 ﹁ オロカナル 人 ﹂ アリ ︵ 長 ︶︵ 玉 ︶ 抛 却 │ 右 ﹁ ハ ウ キ ヤ ﹂、 左 ﹁ ナ ゲ ス テ テ ﹂ ア リ ︵ 瑠 ︶ ︵ 玉 ︶、 右 ﹁ ハ ウ キ ャ ﹂、 左 ﹁ ナ ゲ ス テ ﹂ ア リ ︵ 長 ︶、 下 ﹁ シ ﹂ アリ ︵ 嘉 ︶   して│ナシ ︵ 瑠 ︶ 直 須 │ 右 ﹁ ヂ キ シ ュ ﹂、 左 ﹁ タ ダ チ ニ ツ ト メ マ ナ ブ ベ シ ﹂ ア リ ︵ 瑠 ︶、 直 ノ 下 ﹁ ニ ﹂、 須 ノ 下 ﹁ ク ﹂ ア リ ︵ 龍 ︶ ︻ 懐奘書写本 ︼   六祖いはく 、 人有南北なりとも 、 佛性無南北なり 。 この道取を擧して 、 句裏を功夫すべし 。 南北の言 、 まさに赤心に 照顧すべし 。 六祖道得の句に宗旨あり 。 いはゆる 、 人は作佛すとも佛性は作佛すべからずといふ一隅の搆得あり 。 六祖 これをしるやいなや 。 T001-032_01角田_san2.indd 一七 2019/03/11 10:57

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﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ 一八   四祖五祖の道取する無佛性の道得 、 はるかに 䒀 礙の力量ある一偶をうけて 、 迦葉佛および釋迦牟尼佛等の諸佛は 、 作 佛し轉法するに 、 悉有佛性と道取する力量あるなり 。 悉有の有 、 なんぞ無無の無に嗣法せざらん 。 しかあれば無佛性の 語 、 はるかに 、 四祖五祖の室よりきこゆるなり 。 このとき 、 六祖その人ならば 、 この無佛性の語を功夫すべきなり 。   有無の無はしばらくおく 、 いかならんかこれ佛性と問取すべし 、 なにものかこれ佛性とたづぬべし 。 いまの人も佛性 ときゝぬれば 、 さらにいかなるかこれ佛性と問取せず 、 佛性の有無等の義をいふがごとし 。 これ倉卒なり 。   しかあれば諸無の無は 、 無佛性の無に學すべし 。 六祖の道取する人有南北 、 佛性無南北の道 、 ひさしく再三撈 䔤 すべ し 。 まさに撈波子に力量あるべきなり 。 六祖の道取する人有南北 、 佛性無南北の道 、 しづかに拈放すべし 。 おろかなる やからおもはくは 、 人間には質礙すれば南北あれども 、 佛性は虚融にして南北の論におよばず 、 と六祖は道取せりける か 、 と推度するは 、 無分の愚蒙なるべし 。 この邪解を抛却して 、 直須勤學すべし 。 ︻ 語註 ︼ ⋮ 六 祖 慧 能 の 出 自 等 は 、 本 稿 八 頁 ︻ 語 註 ︼ を 参 照 さ れ た い 。﹁ 人 有 南 北 なりとも 、 仏性無南北なり ﹂ の句は 、﹃ 景徳伝燈録 ﹄ 巻三 ﹁ 大満弘忍章 ﹂ にみられる ︵ 本稿二四頁の ︻ 解説 ︼ 参照 ︶。 ⋮ 裏 は う ち 、 句 の 内 容 の 意 ︵﹃ 禅 学 ﹄ 二 五 四 頁 ︶。 ⋮ ま ご こ ろ 、 誠 意 、 丹 心 ︵﹃ 大 漢 和 ﹄ 十 ・ 八 一 五 頁 ︶。 こ こ で は 、 あ り の ま ま 、 素 直 に 、 の 意 か 。 ⋮﹁ 一 隅 ﹂ は 、 物 事 の 一 面 ︵﹃ 漢 辞 海 ﹄ 二 頁 ︶。 ﹁ 隅 ﹂ は 、 全 体 の う ち の 一 部 で 部 分 的 な こ と ︵﹃ 漢 辞 海 ﹄ 一 五 一 五 頁 ︶。 ﹁ 搆 得 ﹂ は 、 ず ば り と 見 て 取 る 、 ぴ た り と 到 達 す る ︵﹃ 禅 語 ﹄ 一 三 九 頁 ︶。 ⋮ ﹁ 䒀 ﹂ は 、﹁ 礙 ﹂ に同じで 、 さまたげること ︵﹃ 大漢和 ﹄ 四 ・ 六頁 ︶ であるため 、 底本の ﹁ 䟓 礙 ﹂ と同意 。﹁ 䟓 礙 ﹂ は 、 妨 げ る こ と 。 転 じ て 菩 提 心 を 妨 げ る 煩 悩 や 妄 想 を い う ︵﹃ 禅 学 ﹄ 二 五 八 頁 ︶。 こ こ で は 、 一 体 に な っ て い る こ と を 指 す 。﹁ 仏 性訳註 ︵ 二 ︶﹂ 一五三頁参照 。 無無の無 ⋮ この句の出典は 、﹃ 景徳伝燈録 ﹄ 巻五 ﹁ 匾担暁了章 ﹂ の ﹁ 師 、 得無心之心 、 了 無相之相 。 無相者森羅眩目 、 無心者分別熾然 。 絶一言一響 。 響莫可伝 、 伝之行矣 、 言莫可窮 、 窮之非矣 。 師 、 自得無無 之無 、 不無於無也 。 吾今 、 以有有之有 、 不有於有也 。 不有之有去来非増 。 不無之無涅槃非減 ︵ 師 、 無心の心を得て 、 無 相の相を了ず 。 無相なれば森羅 、 目眩み 、 無心なれば分別熾然たり 。 一言一響を絶す 。 響の伝うべきもの莫く 、 之を伝 えんとすれば行 さ り 、 言の窮むべきもの莫く 、 之を窮めんとすれば非なり 。 師 、 自ら無無の無を得て 、 無に無ならず 。 吾 T001-032_01角田_san2.indd 一八 2019/03/11 10:57

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一九 ﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ れ 今 、 有 有 の 有 を 以 て 有 に 有 な ら ず 。 不 有 の 有 は 去 来 す る も 増 す に 非 ず 。 不 無 の 無 は 涅 槃 す る も 減 ず る に 非 ず ︶﹂ ︵﹃ 禅 文 化本 ﹄ 六九頁 ︶ である 。 暁了 ︵ 生没年不詳 ︶ は 、 唐代の人 。 六祖慧能の弟子で 、 匾担山に住した 。﹃ 正法眼蔵抄 ﹄ には 、 ﹁ 無 ノ 無 ノ 事 、 有 ヲ 無 ト ナ シ 、 無 ヲ 有 ト 云 ハ ム ニ ハ ア ラ ス 。 有 ト 無 ト 、 タ ケ ヲ ヒ ト シ ト 云 ハ ム 為 ニ 、 無 ノ 無 ニ 嗣 法 セ サ ラ ム ヤ ト 云 也 ﹂︵ ﹃ 蒐 書 大 成 ﹄ 十 一 ・ 一 一 七 頁 ︶ と あ り 、﹁ 有 ﹂ と ﹁ 無 ﹂ が 同 一 の も の で あ る と し て い る 。 ⋮ に わ か に 。 深い考えもなく軽率に行動すること ︵﹃ 禅学 ﹄ 七四一頁 ︶。 ⋮﹁ 魚ヲスクウ義也 ﹂︵ 嘉元二年書写本傍注 、﹃ 蒐書 大 成 ﹄ 四 ・ 五 八 三 頁 、 本 段 ︻ 校 異 ︼ 参 照 ︶。 ﹃ 景 徳 伝 燈 録 ﹄ 巻 二 十 八 ﹁ 汾 州 大 達 語 ﹂ に 、﹁ 汝 等 諸 人 、 儻 不 如 是 、 祖 師 来 至 此 土 、 非 常 有 損 有 益 。 有 益 者 百 千 人 中 、 撈 䔤 一 箇 半 箇 堪 爲 法 器 。 有 損 者 如 前 已 明 ︵ 汝 等 諸 人 、 儻 も し 是 の 如 く な ら ざ れ ば 、 祖師来りてこの土に至れるも 、 非常に損有り 、 益有り 。 益有りとは 、 百千人中より一箇半箇の法器と爲すに堪ゆるを撈 䔤 す 。 損 有 り と は 、 前 に 已 に 明 か す が 如 し ︶﹂ ︵﹃ 禅 文 化 本 ﹄ 五 八 八 頁 ︶ と あ る 。 ⋮ 蝦 えび や 蜆 しじみ を 取 る と き に 用 い る 竹 製 の漁具 ︵﹃ 禅語 ﹄ 四九三頁 ︶。 ここでは 、 優れた弟子を探し出せる師匠のこと 。﹃ 正法眼蔵抄 ﹄ には 、﹁ 撈波子トハ 、 只ネ ムゴロニ功労スル体ノ詞也 ﹂︵ ﹃ 蒐書大成 ﹄ 十一 ・ 一一三頁 ︶、 ﹁ 撈波子ハ水器也 。 タトヘバ 、 シ ︵ 湑 み ︶ タミコシ 、 ナムトスル心 地也 ﹂︵ ﹃ 蒐書大成 ﹄ 十一 ・ 一一七頁 ︶ とある 。 拈放 ⋮ 拈は拈得 。 放は放下 ︵﹃ 禅学 ﹄ 一 〇〇 五頁 ︶。 師が弟子を接化する 手 段 で 、 引 っ 掴 ま え た り 、 つ き 放 し た り す る こ と 。 ぜち ⋮ ぜ つ げ 。 色 法 の も つ 性 質 で 、 物 質 と し て 一 定 の 空 間 を 占 め 、 他を障礙すること 。 変礙 ︵﹃ 禅学 ﹄ 六六二頁 ︶。 同一時に同一場所を占めないこと 。 物体が特定の場所を占めて 、 他のも の を 入 れ な い こ と 。 物 質 的 な 障 り の あ る こ と 。 色 ︵ ⓢ rūpa ︶ の 特 質 ︵﹃ 中 村 仏 教 ﹄ 八 三 三 頁 ︶。 ⋮ 虚 空 の よ う で 融 通 自在なこと ︵﹃ 中村仏教 ﹄ 三五一頁 ︶。 形がないので場所をとらずどこまでもすき透っていること 。 仏性の無形相 ・ 無辺 際性をいう ︵﹃ 禅学 ﹄ 三六 〇 頁 ︶。 推度 ⋮ 推量する 。 推し量る 。 想像する ︵﹃ 大漢和 ﹄ 五 ・ 二九七頁 ︶。 無分 ⋮ 能力や資格 がないこと 。 愚蒙 ⋮ 愚痴蒙昧の略 。 愚かにして道理に昧い ︵﹃ 禅学 ﹄ 二五三頁 ︶。 邪解 ⋮ 誤った理解 。 直須勤学 ⋮﹁ 直に 須く勤学すべし ﹂。 あらゆるものを抛って 、 直ちに参究しなければならないこと ︵﹃ 禅学 ﹄ 四二 〇 頁 ︶。 ︻ 直訳 ︼   六祖はいった 、﹁ 人有南北なりとも 、 仏性無南北なり ﹂。 この言葉を取りあげて 、 句意を功夫すべきである 。 南北の語 は 、 まさに赤心に照顧すべきである 。 六祖が道得した句に宗旨がある 。 いわゆる 、 人は作仏するが 、 仏性は作仏するは T001-032_01角田_san2.indd 一九 2019/03/11 10:57

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﹃ 正法眼蔵 ﹄﹁ 仏性 ﹂ 巻訳註 ︵ 四 ︶︵ 角田 ︶ 二 〇 ずがないという一つの捉え方がある 。 六祖はこれを知っていたのであろうか 。   四祖 ・ 五祖の言っている ﹁ 無仏性 ﹂ の言葉は 、 はるかに 䟓 礙の力量がある一つの在り方を承けて 、 迦葉仏および釈迦 牟 尼 仏 等 の 諸 仏 が 作 仏 し 転 法 す る の に 、﹁ 悉 有 仏 性 ﹂ と 言 っ て の け る 力 量 が あ る の で あ る 。﹁ 悉 有 の 有 ﹂ は 、 ど う し て ﹁ 無 無 の 無 ﹂ に 嗣 法 し な い こ と が あ ろ う か 。 そ う で あ る か ら 、﹁ 無 仏 性 ﹂ の 語 は 、 は る か に 四 祖 ・ 五 祖 の 室 内 か ら 聞 こ え て 来 るのである 。 このとき 、 六祖がその人ならば 、 この ﹁ 無仏性 ﹂ の語を功夫しなければならない 。   ﹁ 有 無 の 無 ﹂ は し ば ら く 置 き 、﹁ い か な ら ん か こ れ 仏 性 ﹂ と 問 う べ き で あ る 。﹁ な に も の か こ れ 仏 性 ﹂ と た ず ね る べ き で あ る 。 今 の 人 も 、﹁ 仏 性 ﹂ と 聞 い た な ら ば 、 さ ら に ﹁ い か な る か こ れ 仏 性 ﹂ と 問 わ ず に 、 仏 性 の 有 無 等 の 義 を い う ば か り である 。 これは倉卒である 。   そ う で あ る か ら 諸 無 の 無 は 、﹁ 無 仏 性 ﹂ の 無 に 学 ぶ べ き で あ る 。 六 祖 の 言 っ て い る ﹁ 人 有 南 北 、 仏 性 無 南 北 ﹂ の 言 葉 は 、 久 し く 再 三 撈 䔤 す べ き で あ る 。 ま さ に 撈 波 子 に 力 量 が あ る べ き で あ る 。 六 祖 の 言 っ て い る ﹁ 人 有 南 北 、 仏 性 無 南 北 ﹂ の 言 葉 は 、 し づ か に 拈 放 す べ き で あ る 。 愚 か な 者 た ち が 思 う に は 、﹁ 人 間 は 質 礙 す る か ら 南 北 が あ る が 、 仏 性 は 虚 融 で 南 北の論におよばないと六祖は言ったのか ﹂ と推度するのは 、 無分の愚蒙であるに違いない 。 この邪解を抛却して 、 直須 勤学すべきである 。 ︻ 現代語訳 ︼   六 祖 は 云 っ た 、﹁ 人 有 南 北 な り と も 、 仏 性 無 南 北 な り ︵ 人 に は 形 質 が あ っ て 南 や 北 の 違 い が あ っ て も 、 仏 性 に は 南 や 北 の違いはない ︶﹂ と 。 この説示を取りあげて 、 その言葉の内容をよく考えてみなくてはならない 。﹁ 南北 ﹂ の言葉は 、 そ の ま ま 素 直 に ︵ 偏 見 を 交 え ず に ︶ 省 察 し な け れ ば な ら な い 。 こ の 六 祖 の 言 い 得 た 言 葉 に は 重 要 な 宗 意 が 含 ま れ て い る 。 そ れ は 、﹁ 人 は 仏 に な る こ と は あ っ て も 、 仏 性 は 仏 に な る は ず が な い ﹂ と い う 一 つ の 捉 え 方 が あ る 。 六 祖 は 、 こ の こ と を 知っていたのであろうか 。   四 祖 ・ 五 祖 の 言 っ て い る ﹁ 無 仏 性 ﹂ の 言 葉 は 、 は る か 昔 ︵ 迦 葉 仏 お よ び 釈 迦 牟 尼 仏 の 頃 ︶ に ︿ 仏 性 と 一 体 と な っ て ﹀ 力 を 発 揮 し て い た 一 つ の 在 り 方 を 承 け 伝 え て ︿ 来 た 言 葉 で あ り ﹀、 迦 葉 仏 お よ び 釈 迦 牟 尼 仏 等 の 諸 仏 は 、 仏 と な り 説 法 す る に あ た り 、﹁ 悉 有 仏 性 ﹂︵ 全 て が 仏 性 で あ る ︶ と 言 い 表 す 力 量 が あ っ た の で あ る 。﹁ 悉 有 の 有 ﹂ は ︿ 有 は 、 仏 性 が 有 る と T001-032_01角田_san2.indd 二〇 2019/03/11 10:57

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