「青 森 挽 歌 」
における場のダイクシスプ ロ ロ ー グ
ダイクシスは直示体系ないし直示と訳される概念であり'言語的
文脈だけでは意味が定まらず'その語が指し示す具体的な場面や物
そのものが直に示されることで意味がさだまるような言語・場面の
媒介的性質を持つ語菜をさす。その代表的な枠組みは'「人称」・「時
間」・「場所」・「文脈」である。他に社会的ダイクシスとして敬
語などを考えることもあるが'文学テクス‑の分析に応用する場合
にはtはぽこの四つの枠組みで足‑よう.その概念は例えば次のよ
うに説明されている。
「わたし」や「いま」や「ここ」のように、その語の意味が'
発話の場面において'話し手を中心とした時間的・空間的な座標
軸上で決定されるようなことばの特性をダイクシス(deixis)と
いう。したがってダイクシスは'基本的に「話し手が中心である」(egocentric)という性質をもっている。ダイクシスということ
ばは'ギリシア語の「指し示す」という意味を持った語に由来す
る。T)
本質的にダイクシスとは、言語が発話の文脈(coコteXtOf
uttera⊃ce)'あるいは発話事象(speecheくe⊃一)の素性を記号 松本
化または、文法化する方法とかかわるものである。し
発話の解釈が、発話の文脈の分析に依存するという方
わるものである。(2)
語用論で言うダイクシス概念においては'もっぱら現
問題となるわけであるが'フィクショナルな文学テクス
は'むしろダイクシスによって'仮想現実としての場面'
時間構造が形づくられることになる。そうして、文学テ
みにおいてダイクシスを焦点化することによって'語‑
形成される'語りの構造が意識化されることになる。文
の読みにおいて'前提的に読者間に共有されなければな
この語りの構造であるから、読みにおけるダイクシス分
重要なものと認められよう。
ここでは'宮津賢治の詩、「青森挽歌」の場のダイクシス
その分析を通じて、「青森挽歌」の語りの構造を、語り
れる世界の空間的構成という側面から検討するとともに
クシスという概念の有効性を確かめたい。
「青森挽歌」における語り手
まず'確認しておかなかればならないのは'「青森挽
手をどのように考えるべきかという前提である。
詩のテクストにおける語り手は'詩人その人と考えられるのが通
常であり、そういう意味では「青森挽歌」の語‑手は基本的には宮
津賢治その人と見られることになろう。しかし、賢治の詩作品は'
もともと賢治自身'「心象スケッチ」という独特な位置付けをして
いるものであ‑'賢治の文学の本質にもかかわって'簡単には位置
付けられないのである。詳しい議論は別の機会に譲るとして、(3)
賢治の詩の語‑手は、一般の詩に比べて'仮構された性格が強‑、
しかも'一つの詩の内部において'様々な変容を見せる。こうした
語りの構造の複雑さが'賢治の詩をダイクシスの観点から分析しよ
うとする1つの契機でもあり'また'意義ともなるわけである.
ここでは'「青森挽歌」の語‑手は、妹とし子を失った賢治自身
として一応扱うが'それは生身の賢治自身というよ‑は'そのよう
な境遇へ精神的状況に仮構された賢治その人であるtとして'一応
の距離を保っておきたい。
「青森挽歌」のダイクシス
少々長‑はなるが'「青森挽歌」の全体を掲げ'ダイクシス分析
の対象となる部分に傍線を引いて示してお‑0
傍線は、場所'時'人称のダイクシスに限定し'分析は場のダイ
クシスに限定して行うこととする。場のダイクシスについては傍線'
時のダイクシスについては二重傍線'人称のダイクシスについては
波線で示す。 1 青森挽歌
5 こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる(乾いたでんしんばしらの列が
せはし‑遣ってゐるらしいれいらうきしやは銀河系の玲脱レンズ
巨きな水素の‑んごのなかをかけてゐる)
りんごのなかをはしつてゐる
けれどもここはいったいどこ ばの停車場だ
枕木を焼いてこさえた柵が立ち
(八月のよるのしづまの
支手のあるいちれつの柱は
なつかしい陰影だけでできてゐるつ黄色なラムプがふたつ点き
せいたか‑あほじろい駅長の
真鉄棒も見えなければ
じっは駅長のかげもないのだ(その大学の昆虫学の助手は アガアゼル
寒天凝腸)
こんな事室いっぱいの液体のなかでチ油のない赤髪をもぢやもぢやして
かばんにもたれて睡つてゐる)わた
く し
の汽車は北へ走ってゐるはづなのにここではみなみへかけてゐる
焼杭の柵はあちこち倒れ
はるかに黄いろの地平線
25
30
をりそれはビーアの澱をよどませあやしい割引の陽炎と
さびしい心意の明滅にまざれ水いろ川の水いろ駅(おそろしいあの水いろの空虚なのだ)きき・(ノ汽車の逆行は希求の同時な相反性こんなにさびしい幻想から けれども尋常一年生だ夜中を過ぎたいまごろに
こんなにばっちり眼をあくのは
ドイツの尋常一年生だ)あ.いつはこんなさびしい停車場を
たったひとりで通っていつたらうか
どこへ行くともわからないその方向を
わた
く
しははやく浮びあがらなければならない35
そこらは青い孔雀のはねでいっぱい
真魚の睡さうな脂肪酸にみち
車重の五つの電燈はいよいよつめたく液化され(考へださなければならないことを どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
たったひと‑でさびし‑あるいて行ったらうか(草や沼やです
一本の木もです)((ギルちやんまつさをになってすわつてゐたよ))((こおんなにして眼は大き‑あいてたけどわたくLはいたみやつかれからほ‑たちのことはまるでみえないやうだったよ
なるべ‑おもひださうとしない)((ナ‑ガラがね眼をぢつとこんなに赤‑して 45 40
50
今日のひるすぎならけほしく光る雲のしたで\′ヽノ.ヽノ.ヽ/まったくおれたちはあの重い赤いポムプを
ばかのやうに引つばつた‑ついた‑した
彊緑はその黄いろな服を着た隊長だ/
だから睡いのはしかたないオ‑、LvLPLノアイリーガーゲゼルレ(おゝおまえせはしいみちづれよアイレ卜.㌣ホニヒトフォンデヤステルレ
どうかここから急いで去らないで‑れ((尋常一年生ドイツの尋常一年生))いきなりそんな悪い叫びを
投げつけるのはいったい巧相だ わだんだん環をちいさ‑したよこんなに))((し環をお切りそら手を出して))
((ギ
ルちゃん青‑てすきとはるやうだったよ))((鳥がねた‑さんたねまきのときのやうに
ばあつと空を通つたの
でもギルちゃんだまってゐたよ))((お日さまあんまり変に飴色だったわねえ))((ギルちゃんちっともは‑たちのことみないん票りほんたうにつらかつた))((さつきおもだかのとこであんまりはしゃいで((どうしてギルちゃんはくたちのことみなかつ
80
忘れたらうかあんなにいっしょにあそんだのに︾
かんがへださなければならないことは
どうしてもかんがへだきなければならない
冒おりは射点扇が死ぬとなづける
そのやりかたを通って行き
それからさきヨへ行ったかわからない
それはおれたちの空間の方向ではかられない
感ぜられない方向を感じやうとするときは
たれだつてみんなぐるぐるする
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((耳ごうどなってさつば‑聞けなぐなったんちやい))
さう廿へるやうに言ってからヽ/\′\ノ蔓たしかにあいつはじぶんのまはりの
眼にははっきりみえてゐる
なつかしいひとたちの声をきかなかつた
にはかに呼吸がとまり脈がうたなくな‑
それからわた‑Lがはしつて行ったとき
あのきれいな眼が
なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた
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それはもうわた
‑
したちの空間を二度と見なかったそれからあとであ.いうはなにを感じたらう
はまだおれたちの世界の幻視をみ
おれたちのせかいの幻聴をきいたらう
わた
く L
がその耳もとで00
遠いところから声をとってきて
そらや愛やりんごや風すべての勢力のたのしい根源
万象同帰のそのいみじい生物の名を ちからいっぱいちからいっぱい叫んだときヽ′ヽ妻あいつは二へんうなづ‑やうに息をした
白い尖ったあごや頬がゆすれて
ちいさいときよくおどけたときにしたやうな
あんな偶然な顔つきにみえた
けれどもたしかにうなづいた
︽へツケル博士!
わたそのありがたい証明の
任にあたつてもよろしうございます))かすゐけいさん
仮睡珪酸の雲のなかから
凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は‑‑(宗谷海峡を越える晩は
わた‑Lは夜どほし甲板に立ち
あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり
からだはけがれたねがひにみたし
そしてわた‑しほほんたうに挑戟Lやう)
たしかにあのときはうなづいたのだ
そしてあんなにつぎのあさまで
胸がほとつてゐたくらゐだから
死んだといって泣いたあと
とし子はまだまだこの世かいのからだを感じ
ねつやいたみをはなれたほのかなねむ‑のなかで
ここでみるやうなゆめをみてゐたかもしれない
そしてわた
く L
はそれらのしづかな夢幻がつぎのせかいへつゞ‑ため
明るいい、旬のするものだったことを