経濟地理學の科學的基礎付への試圖一四六
経濟地理學の科學的基礎付への試圖
ー 川 西 正 鑑 著 ﹃ 縄 濟 地 理 學 原 理 ﹄ 及 び 黒 正 巖 著
﹃日本経濟地理學﹄を讃みて
高橋 K良
一︑緒
瞥口
︒︒翼塁暴留摩鷺守鼻には今日尚ほ七+有籐の猫立國の記載があるが︑併し事實上その凡てが猫立性を有す
る課ではない︒欧州大職後の世界の政治的實在は國民的國家ではなく︑幾つかの國民的國家の合成せる﹃経濟
群﹄である︒その各群は︑各々大なる金融資本國家によつて支配せられ︑その中には若干の小國家叉は植民地
を包含して居る︒朝近︑経濟界に於いて企業がコンツエルン化せられて偉大なる競孚力・猫占力を獲揮しつ︑
あると同一の傾向が諸國家の闇に見出される様になり︑今日の世界の政治的實在は﹃輕濟群﹄であつて法律上
各箇猫立の國家ではない︒此の傾向は︑帝國主義の不可避的結果の一である︒此の﹃経濟群﹄は︑各々経濟的自
立を目的とするが故に︑(A)凡ての不可訣なる原料の充分なる供給ー石油・鐵・石炭・銅︒ゴム・小萎・綿
等︑(B)その生産物のための販費市場並びにその資本輸猷をなし得る未開護地方︑(C)從つて叉それらの原料
及び製品の運輸に必須なる交通路を︑直接間接に自己管理の下に置く事を目指して居る︒而して︑國際問題の
本質が強く帝國主義に依存する關係上︑國際的諸問題の多くは必然的に経濟地理的問題とならざるを得ない︒
それ故に︑吾々は現代の経濟肚會の本質の理解を必要とすると共に︑叉その事から離れて此の肚會に於ける経
濟現象の地理的分布歌懸をも研究するの必要に迫られて居る︒斯襟にして︑近代人は︑最も鋭敏なる關心をば
経濟地理學的研究の中に見出さざるを得ない様な時代に生活しつ﹂あるのである︒然程左様に重要なる意義を
有する﹃経濟地理學﹄の研究も今尚ほ極めて幼稚なる域を脱せす︑未だに斯學の研究封象・方法及び課題を明
確ならしめて居ない様な一般的情勢にあるのは遺憾なことであるが︑最近に至つては斯學をば科學的に基礎付
けんとする試圖が内外に擾頭しつ曳ある︒
我國に於いても最近経濟地理學界は幾多の牧穫を齎らしたが︑その中今年に入つてから出版せられた左の二
書に就いて︑私はその讃後感を述べようと思ふ︒
川西正鑑著﹃経濟地理學原理﹂(昭和六年H月︑丁酉出版祉獲行︑六六四頁︑定債四圓五+鍵)
黒正嚴著﹃日本経濟地理學﹂第一分冊(昭和六年三月︑岩波書店登行︑一五一頁︑定債一圓)
経濟地理學の科學的基礎付への試固一四七
︑
脛濟地理學の科學的基礎付への試圖︼四八
=︑経濟地理學の歴史的生成の概観
此の二つの著作を讃んで著しく感する事は︑科學としての経濟地理學の基礎付への努力が大いになされて居
ることである︒此の學的基礎付の問題を正しく理解し正當なる批判をなさんがためには︑吾々は豫め経濟地理
學の歴史的生成の姿を概観的に描き出して置くの必要を感する︒(主として︑団・冒︒三︒70暑巳昌σq・自2邑σq§・凶昌窪
≦固請︒誇欝﹂q8びq話℃三①に擦る︒)
﹃輕濟地理學﹄ヨ.叶︒,︒訂翻σq8σQ.是ゴ⁝︒なる命名は一八八〇年代に始まるが︑古代から経濟地理學的論述を有して
居る︒
古代の地理學は諺.辺︒︻.︼・︒︒(い︒︒轟ーω鵠螢O)以來ギリシヤに育れたが︑物語的な地誌的記述が多かつた︒人文
地理學は此の地誌的地理學(oぎ邑︒σq互から畿達し︑物産地理學も亦その一部として論述せられて居た︒物産
の地理的分布に就いての設明は既にギリシヤ︑ローマ時代の地理書に散見する所であるが︑九世紀十世紀頃の
アラピヤ人(<豪・甘・屋§留き号)は一暦精密に物産の地理的分布や貿易路の問題を取扱つた︒
申世に入つてからは︑十字軍による交通の振大及び十五世紀に於ける海上の諸獲見等によつて東西の往來が
頻繁となつて來たにも拘らす︑7貯8団︒δの﹁東方見聞記﹂の外には注目すべき地理的文獣なく︑十九世紀に
至るまで地理學は特筆すべき獲蓮を見なかつた︒
O
然るに≧・鑓民2︿自国舞σ︒5蝕(H刈αOI同◎◎いN)及びo・二男葺臼(ぐ遷‑目辞ゆ)出つるに及んで人文地理學は飛躍的畿展を見たが︑尚ほ彼等にあつては自然が凡てを意味し自然は汎ゆる入事現象の原因であるとなし︑人聞と自
然との闇の交互作用を認識する所まで至つて居なかつた︒蓋し︑當時は自然科學的思考が優位を占め︑自然地
理學のみならす人文地理學及び地誌ピ彗α︒貯§曾をも支配して居たのであるから︑それも無理からぬことであ
ると言はなければならないゆ
一方︑フムボルト及びリツターの思想を巧みに撮取すると共に︑他方當時の自然地理學の泰斗たる宰層象コ帥目伽
く8密︒ζぎ雪に刺戟せられて︑人文地理學をして科學的猫立性を把握せしめたものは国..窪轟巳因器巴(図︒︒︒︒轟1
お︒とである︒彼は人間は自然の影響を受けつ製然かも叉自然に働きかけるといふ所謂﹃地人相關論﹂の研究
を以つて人文地理學の任務となし︑地理學上特筆すべき貢獄をなした︒彼以後の人丈地理學者にしてラツツエ
ルの影響をうけない者は殆んど無い様な歌態にある︒
斯くの如く地理學者がその人文地理學的研究の中に於いて経濟地理學的思索をなしつ曳あつた當時︑経濟學
者の側に於いても経濟の地理的基礎を問題として居た︒﹀α聾︒︒旦島(ミNいー図む︒)は土地をば財貨生産の基礎と
観たが︑併し國富は勢働によつて生するものであると読く︒彼の名著毫︒巴9︒噛屠巴︒塁の各章は實に豊富なる
地理的事實の観察を以つて充されて居るが︑それは普遍妥當的な経濟原則の読明のために用ひられ︑地理的に
分布せられた諸々の経濟現象を地理學的に系統的に取扱つたものではなかつた︒
縄濟地理學の科學的基礎付への試圖一四九
縄濟地理學の科學的基礎付への試圖一五〇
猫逸の・ーマン派経濟學者﹀自警団①団巳畠寓建臼(印謡oと︒︒悼o)は︑地理的位置・地表の廣さ・及び地表上の天
恵物を︑その内部的關係に於いて︑又その現在及び將來に封する意義に於いて︑把握し︑以つてこれを経濟生
活の原則に關聯せしめんとした最初の経濟學者であると謂はれて居る︒自然は静止せるものではなく可攣的激
ものであるとの彼の考へは︑百年後の今日の経濟地理學的考察の中心をなして居るものである︒
演繹法を用ひた古典學派を攻撃して︑節納法を用ふ可き事を主張し︑多くの資料を蒐集して細密に事實を研
究した所の歴史學派の諸學者は皆経濟の自然的基礎を論じ︑且つ自然の影響を重覗した︒彼等の著作は極めて
多くの地理的読明によつて充満せられて居るのを見るが︑歴史的比較研究方法を補ふに系統ある地理鼠的研究
方法を以つてせす︑徒らに廣汎なる資料蒐集のみに專心し︑從つて理論経濟學の方面に於いても経濟地理學の
分野に於いても︑芳しき實を結ぶところがなかつたのである︒
斯くの如く︑地理學者も経濟學者も断片的に経濟地理學的問題を論じて來たが︑それに封して系統的考察を
下した人は殆んどなかつた︒ハンザ同盟の諸都市やフランクフルト・アム・マインに内碧雪彗蕊鴇ぎ庁(商人
學校)が出來︑そこで實用的な學科の一として囚舞穿碧・超8σq冨℃三・(商人地理)なる名稻の下に商品の需給や
交通路などを教えて居たが︑やがて之をドイツでは国碧ユ︒一・σq8爬・︒喜δ(商業地理)と改稻し︑それが十八世
紀末に英國に傳はつて猫特の獲達をなし︑後には商業σみならす農業・水産業及び工業をも取扱ひ︑その名は
6︒ヨ暮邑巴08σq壼℃ξ(商業地理)でもその實艦は崔曾切且巴08㈹.唱ξ(産業地理)叉は国︒8︒巨︒O︒︒鵬.暫℃ξ(経
濟地理)に攣形して居るものが多い︒
扱て︑﹃経濟地理學﹄なる名構を初めて用ひたのはドイツの≦まg日O窪︑(同︒︒#iぢ旦であつて︑彼は一八
二二年伯林地理學協會雑誌に﹃経濟的地理學の課題﹂U一︒珍侭昌窪9.琶・§ぽ節窪号80・︒讐℃三︒なる論文を獲
表し︑地産及び商品の流動に直接の影響を及ぼすものとしての地表︑並びに地産・商品の流動が地表に及ぼす
作用を論究するを以つて経濟地理學の課題なりとなした︒後︑国・§臼が≦誹︒冨翻σq8唱唱げδ(経濟地理學)の
方がより適切であると稽えてから︑一般に此の命名が用ひられて居る︒その後︑斯學は人文地埋學の獲達に刺
戟せられて成長して來たが︑世界大職前まではその内容も充實せす︑その科學的基礎付も獲展しなかつた︒
職時及び職後︑各國の経濟闘孚が激烈となるに件れて︑實際的必要は維濟地理學の獲達を著しく促進せし
めた︒英にはo・9諄︒ぎ・P乏・ピ旨︒・米には晒戸︒Q巨貸頃国毎晋σq§・即出・謹罫冨興等の學者が居るが︑何
れも皆理論よりも實用に重きを置いて居る︒今日︑経濟地理學研究の中心はドイツに在る︒其庭でも職前には
客﹀昌..ρ寓・国︒ぎ.﹂目団・一︒山・団筈等の代表的學者は何れも物産地理・産業地理・叉は各地の経濟事情誌の集録程
度のものを取扱つて居たに過ぎなかつたが︑戦後には内・ω唱℃︒ぴ9霊湊碧αqρ戸図・一口冨﹁鼻戸寡茜︒霧"φb§噌け犀
等が輩出して斯學の内容を改善し︑地球室聞と経濟人との間の交互作用を問題とするに至つた︒
デイトリツヒは述べて曰く︑﹃経濟地理學とは地球塞間と経濟人との間の交互作用の理論であり︑從つて叉此
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の交互作用の結果として生する所の地球の経濟的室間の構成をばその複合・成立及び配置に於いて論究する學翻濟地理學の科學的基礎付への試圖}五一