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機関の権利と機関訴訟(一)

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(1)

一二七機関の権利と機関訴訟(一)(都法五十五-一)

機関の権利と機関訴訟(一)

ドイツにおける機関訴訟論の現状

門   脇   雄   貴

はじめに

第一章  地方公共団体組織訴訟 第二章  機関の権利   第一節  問題状況―公益と固有の利益   第二節  客観化志向   第三節  脱利益志向(一)(途中まで本号・以下次号)

  第四節  脱利益志向(二)

  第五節  利益志向 第三章  自己訴訟

おわりに

(2)

一二八

は じ め に

筆者は以前、「機関訴訟論再構築のための覚書」と題して、国家法人説と機関人格との関係について検討をおこ

なったことがある )

。そこでは、国家法人説の採用が直ちに機関訴訟を否定することにはならないことを示し、機関

が国家の内部においてもいわゆる相対的人格を有するというドイツの学説を紹介した。しかし、そう考えた場合で

あっても、いかなる場合に機関が権利を有することになるのかという問題はなお積み残されていた。本稿は、その

問題意識を前提に、現在のドイツにおける機関訴訟論の現状を明らかにすることを目的としている。

日本で典型的な機関訴訟として考えられる「国又は公共団体の機関相互間における権限の存否又はその行使に関

する紛争についての訴訟」(行政事件訴訟法六条)は、ドイツにおいて大きく二つの概念のもとで議論されている。

一つは機関訴訟(Organstreitigkeit))であり、もう一つは自己訴訟(Insichprozeß)である。もっとも、第三章で

触れるように、この二つの概念の相互関係は必ずしもはっきりしない。しかし、ここでは差し当たり両者が相互に

排他的な概念であると仮定し、第一章において前者の機関訴訟の多くの部分を占める地方公共団体組織訴訟に触れ、

第二章ではその地方公共団体組織訴訟を主として念頭において論じられている、機関の権利に関する学説を分析す

る。最後に第三章では、先ほど挙げた後者の類型、すなわち自己訴訟について検討することとしたい )

(3)

一二九機関の権利と機関訴訟(一)(都法五十五-一)

第一章   地方公共団体組織訴訟

一  ドイツにおいて機関訴訟とは、例えば「一つの公法上の法人の機関間または機関内部における、機関ないし機 関部分としての当事者に認められている権限についての、行政法を基準として決定されるべき紛争 )

」などと定義さ

れる。このような機関訴訟としては、例えば大学内部における機関訴訟 )

やラジオ局内部における機関訴訟 )

もあるが、

実際の判例の大部分を占め、また、学説上も主として論じられてきたのは、いわゆる地方公共団体組織訴訟(Kom-

munalverfassungsstreit)である )

。そこで、本稿でもこれを中心にドイツの機関訴訟論の現状を検討することとし、

本章および次章において特段の説明なく「機関訴訟」と言う場合には、この地方公共団体組織訴訟を指すものとす

る。地方公共団体組織訴訟は、一般に「機関の機能遂行(Funktionsablauf)の適法性について、ある地方領域団体の 機関間または機関内部における、裁判上の対立」などと定義される )

。この定義からも分かるように、この地方公共

団体組織訴訟はさらに、相互に独立した機関同士で争われる機関間訴訟(Interorganstreit)と、合議体とその構成 員との間でまたは合議体の構成員同士で争われる機関内訴訟(Intraorganstreit)とに分類することができる )

。ただし、

このような区分は説明の便宜に資するにすぎず、必ずしも解釈論上の帰結をもたらすものではない。また、二〇世

紀の後半において機関訴訟に関する法理を形成してきた判例の大部分は、各地方公共団体の住民代表機関(以下

「地方議会」という )

)の内部における機関内機関訴訟であった )((

二  地方議会における実際の機関訴訟では、議員(場合によっては委員としての議員)や会派の権利が問題となり、

(4)

一三〇 例えば、本会議における出席権(Rechtzuteilnehmen )((

)、審理への参加権 )((

、表決権ないし票決権(Abstimmungsrecht

/Stimmrecht )((

)、発言権(Rederecht )((

)、提案権(Antragsrecht )((

)、質問権(Anfragerecht )((

)、文書閲覧請求権(Akteneinsi-

chtrecht )((

)、議題上程権 )((

、適法な招集を求める権利(Ladungsrecht )((

)、会派の結成権 )((

のように、市町村法(Gemeindeord-

nung)等に基づく権限あるいは同法に根拠を有する議会規則(Geschäftsordnung)に基づく権限が権利とされるこ

とがある一方、直接にはそのような権限規定がない場合にも機関の権利が認められる場合がある。例えば、本会議

場に掲げられた十字架の撤去を求める議員の請求権 )((

、議決の前提となる情報を求める議員の請求権 )((

、本会議の公開

を求める議員の請求権 )((

、審議の際に議長が喫煙禁止を命ずることを求める請求権などである )((

。このような権利は、

判例においては一般に、構成員権(Mitgliedschaftsrecht)ないしは協働権(Mitwirkungsrecht )((

)などと呼ばれる )((

。し

かし、このような構成員権なる権利がいかにして根拠づけられるのか、という点になると、判例がその点を等閑視

したままであることはすでに早い時期に指摘されていた )((

。次章で見る学説の試みは、このように判例上はあっさり

と認められてきた機関の権利を、理論上どのようにして根拠づけることが可能なのかという点に向けられたもので

あったということができる。

とはいえ、学説の分析に移る前に、そもそもどうして機関に権利が認められなくてはならないのか、換言すれば、

機関訴訟において、訴訟法上、機関の権利がどのような解釈論上の必要性から議論されるのかという点を確認して

おく必要がある。

三  ドイツの行政裁判所法(Verwaltungsgerichtsordnung)には機関訴訟について定めた明文の規定はない。これに ついては、立法的整備を望む声もあるが )((

、すでに簡単に見たように、現在の判例は現行法の解釈を通じて、一定の

場合には適法に機関訴訟を提起する余地を認めている。

(5)

一三一機関の権利と機関訴訟(一)(都法五十五-一) その前提となるのは、まず行政裁判所法四〇条である。同条は「公法上の争訟(öffentlich-rechtlichenStreiti- gekeiten)」について行政訴訟の提起を認めている。この「争訟」概念自体に権利が含意されていると解する立場か

らすると )((

、行政訴訟の提起のためには機関の権利が認められうることが前提になるとも考えられる。しかし、少な

くとも同条における「争訟」概念においては、権利までは要求されていないと解する立場のほうが有力である。そ

の理由としては、ひとつには同条が単に「争訟」とのみ規定しているだけで、権利について触れていない点が挙げ

られ )((

、もうひとつには、権利侵害の主張が要求されていない官庁からの規範統制訴訟(四七条)も四〇条に言う

「争訟」に含まれると解される点 )((

が挙げられている )((

。したがって、機関訴訟であっても四〇条の要件を満たすこと

については今日では争いがない )((

四  それを前提に、機関訴訟において、訴訟法上機関の権利が問題とされる場面は二つある。一つは当事者または 参加人となるための関係人能力(Beteiligungsfähigkeit)の問題であり )((

、もう一つは原告適格の場面である。後者は、

訴訟類型とも関わる(後述五)。簡単にではあるが順に確認しておく。

まず、関係人能力については、行政裁判所法は六一条一~三号において、当事者または参加人となりうる者とし

て、自然人及び法人(一号)、権利が帰属しうる限りでの団体(二号)、州法が定める場合に限り官庁(三号)の三

者を挙げている。機関訴訟において原告となる機関は、一見すると三号に基づいて当事者能力を認められることと

なりそうであるが、必ずしもすべての州においてその根拠となる州法の規定が存在しているわけではない )((

。また、

三号が「官庁」に当事者能力を与えうるとしている趣旨は、本来行政主体が有する権限を対外的に行使するのが行

政庁であることによるものなので、そこに言う「官庁」とは行政行為をおこなう行政庁を指すから例えば地方議会

議員は含まれないという難点があるため、三号を根拠とすることはできず )((

、一号と二号のいずれを援用すべきかが

(6)

一三二

問題となる。

ここでは、機関の権限が個人の権利とは異なることを強調して、独任制機関であっても一号による )((

ことはできず )((

また、合議制機関であっても直接には一号はもちろん二号によることもできないとする立場もある )((

。しかし、機関

の権利侵害がありうるならば、合議制機関には二号を適用するか )((

、あるいは少なくとも準用ないしは類推適用し )((

独任制機関には二号を準用ないしは類推適用することで当事者能力を承認するのが学説の多数である )((

。このような

多数説からすれば、機関に権利が認められなければ、そもそも二号に基づく当事者能力が認められないことになる

ため、機関訴訟の適法要件として機関の権利が必要になる )((

五  機関訴訟における権利の問題は、他方で、原告適格(Klagebefugnis)として権利侵害(のおそれ)を主張する

必要があるかどうか、という形でも訴訟法上問題になる。そしてこの論点は、行政裁判所法に定める訴訟類型のう

ちのいずれとして機関訴訟を提起するかにも関わっている。

すなわち、原告適格を定める行政裁判所法四二条二項は、直接には取消訴訟および義務付け訴訟に関する規定で

あるから、もし機関訴訟が取消訴訟または義務付け訴訟として提起されるのであれば、権利侵害を主張することが

訴訟要件とされる。しかし、機関訴訟に関しては、四二条に定める取消訴訟および義務付け訴訟が不適法であるこ

とについてはおおむね一致が見られる )((

。その理由としては、機関訴訟において問題となる行為は、当該行為をおこ

なった機関(例えば地方議会)とその名宛人となっている機関(例えば地方議会議員)との間に上下関係がないこ

)((

、あるいは当該行為に外部効果がないため )((

同条に言う行政行為に当たらないことが挙げられる )((

そのため、行政裁判所法制定後の比較的早い時期においては、ドイツ北部の州の上級行政裁判所において、機関

訴訟を同法に明文の規定のない特殊訴訟という訴訟類型(Klageartsuigeneris)として捉える判例が見られた )((

。と

(7)

一三三機関の権利と機関訴訟(一)(都法五十五-一) いうのも、たしかに行政裁判所法は取消訴訟および義務付け訴訟のほかに確認の訴え(Feststellungsklage)を定め

ているが(四三条)、これらの判例においては、行政主体内部の法関係は確認の対象となるべき法関係に当たらな

いとされたために )((

確認の訴えも不適法とされる一方 )((

、同法四〇条一項からすれば何らかの形での訴えが認められな

くてはならないとされた結果、法定外特殊訴訟としての位置づけを与えられたものである )((

。しかし、学説は、行政

裁判所法の訴訟類型の定めが必ずしも限定列挙ではないことを認めるとしても

(((

(、特殊訴訟という訴訟類型に対して

は批判的か少なくとも消極的であり )((

むしろ行政裁判所法に定められている訴訟類型を用いることを好み )((

、また、特

殊訴訟説をとっていた裁判所自身がその後判例変更をしたことにより )((

、今ではこのような特殊訴訟という訴訟類型

は想定されていない。むしろ今日において、機関訴訟の形態として通常挙げられるのは、同法四三条二項で想定さ

れている給付の訴え(一般的給付訴訟 )((

)と四三条一項が定める、補充性を前提とした )((

確認の訴え )((

である )((

。論者によ

っては、さらに加えて、裁判所による係争行為の破棄(Kassation)ないし廃棄(Aufhebung)を求める形成の訴え

Gestaltungsklage)を認める見解もあ )((

)((

。たしかに、形成の訴えについては法律に明文の規定がある場合にのみ許

容されるという考え方もあるが )((

、係争行為が行政行為ではないにしても何らかの拘束力を有する場合には )((

、判決に

よりそれを破棄ないし廃棄することで原告たる機関が救済を得る途が開かれていなくてはならないと主張されてい

)((

以上のように、機関訴訟については少なくとも取消訴訟および義務付け訴訟は想定されていない。そして、権利

侵害の主張を訴訟要件として定める行政裁判所法四二条二項の規定は取消訴訟および義務付け訴訟にのみ関わる規

定であり、四三条二項が予定する訴え(給付の訴えおよび確認の訴え)には直接の適用がないから、機関訴訟の提

起については原告適格は必要ないようにも見える。しかし、およそ原告適格を問題としない民衆訴訟(Popu-

(8)

一三四 larklage)は、たとえ機関訴訟の場面であっても認められないとされており )((

、明文規定はなくても、機関訴訟につ

いても同法四二条二項の類推適用により権利侵害を主張することが訴訟要件と解されている )((

。そして、連邦行政裁

判所も、一般的給付訴訟であれ )((

確認の訴えであれ )((

、民衆訴訟を避けるため四二条二項が類推適用されるという立場

をとっている )((

。このような考え方からすれば、機関訴訟の提起においては原告適格が訴訟要件となり、権利侵害を

主張する必要がある。したがって、当然、その前提となる機関の権利が認められなくてはならない。

以上のように、訴訟法上は、機関訴訟においても訴訟当事者となるための関係人能力および原告適格が必要とさ

れるため、機関の権利として先に見たような構成員権ないしは協働権が求められることになっているのである。

第二章   機関の権利

第一節  問題状況―公益と固有の利益 一  前章で見たように、機関訴訟の提起のためには、機関が権利を有することが認められなくてはならない。しか

し、そもそも機関が権利を有することはないとし機関訴訟を端的に認めない見解もかつては存在していた。すなわ

ち、機関は人格や権利能力をもたないことから )((

、実体法的には権利を有さず、訴訟法的には当事者能力をもたない

とする見解である )((

。しかし今日では、いわゆる相対的人格ないしは部分的権利能力の考え方が広く採用されており )((

機関の人格をそもそも否定するような見解をとる論者はいない )((

また、機関訴訟を認めるためには、その前提として、機関間すなわち行政主体の内部において法の適用が認めら

(9)

一三五機関の権利と機関訴訟(一)(都法五十五-一) れなくてはならない。この点、一九世紀にあっては、例えばイェリネックに代表されるような不浸透性理論が唱えられ、人格の内部に法は及ばないとする考え方がとられていたとされる )((

。このような考え方は、すでにヴァイマー

ル期においてトーマが機関の人格を認めた時点で放棄されていたとも考えられるが )((

、この点を法関係(Rechtsver-

hältniss)の概念を用いて一層明確に確認したのはルップである )((

。すなわちルップによれば、国家のような法主体

ですらその法主体性は相対的なものであることを前提に )((

、他方で機関は少なくとも義務の担い手になる限りで法主

体であって )((

、したがって内部法であってもは国家と機関との間で法関係が成立するとする )((

。しかし、ルップは、こ

こで機関が義務の担い手になることは認めるものの、法人に対してであれ他の機関に対してであれ、機関が権利主

体になることは認めない )((

。ただ、その根拠は必ずしもはっきりせず、「全体有機体がその機能を特定の機関に対し

て分業的に配分したからといって、機関固有の権利の発生の根拠をどこに見出すことができようか」と述べるのみ

である )((

。地方公共団体組織訴訟ではないが、州の検事総長(Generalstaatsanwalt)が財務大臣を訴えた事件の評釈 においても )((

、ルップは、検事総長が固有の人格的な法主体(eigenpersönlichesRechtssubjekt)としてではなく、国

家機関としてその機能を行使するだけであって、検事総長の固有の権利の侵害といったものは考えられない、とす

るにとどまる )((

二  では、機関に権利を認めることの困難はどこに見出されるのであろうか )((

。機関に権利を認めない理由として容

易に思いつくのは、機関の利益の問題である。すなわち、古典的な権利の定式によれば、ある者に権利が認められ

るためには、その者の個人的利益(Individualinteresse)の保護のために定められた法規が根拠とされなければなら

ない )((

。このように、権利の前提として個人的利益を必要とする見解を、以下便宜上「利益説」と呼ぶ。この利益説

を前提にした場合、個人的利益に比肩するような固有の利益が機関には認められないのではないか、という疑問が

(10)

一三六 生ずるのである )((

もっとも、仮に機関には固有の利益がないので機関の権利は認められないとする場合であっても、そこで言う固

有の利益に関わる論点は二つある。すなわち、第一に、機関の権利の根拠として挙げられる利益が公益であること

から、それが機関に固有の利益とはいえないとする立場がありうる。この場合、これは機関の権利の問題にとどま

らず、国家が公益を根拠として権利を有するか、という問題にまで一般化されうる。他方で、仮に公益を根拠とし

て国家の権利を基礎付けることができたとしても、第二の問題として、機関の権利の根拠として挙げられる利益が

国家の利益と同一であるからそれは機関固有の利益とはいえない、とする立場がありうる )((

三  まず前者の問題から検討する。一般にはもっぱら私人が国家に対して有する権利のみを公権として理解してき

た古典的な考え方に対し、例えばバウアーは、とりわけ法関係の概念を梃子に私人と国家との関係を対等で相互的

な権利義務関係として捉えることで )((

国家の権利を認めようとする )((

。その結果、保護規範説が想定する利益概念が個

人的利益に限定されている点を批判し、一般利益もまた権利の根拠となると述べる )((

これに対して、国家の権利を認めることに消極的な論者は、むしろ逆に私人と国家との差異を強調することにな

)((

。例えば一方で、古くはオットー・マイヤーが国家の権利を否定しているが、彼によれば、権利とはある者がそ

れまで持っていなかった新たなもの(etwasNeues)が、その範囲を限定して与えられているもの(etwasBegrenz- tes)であるところ、通常「国家の権利」と称されているものは、臣民の服従を要求する「源権利(Urrecht)」の一 環にすぎないものなので新たなものとはいえず、また、それは国家の実力の充溢(Machtfülle)であるから無制約 のものであって、限定されたものともいえないという )((

。マイヤーにおいては、このように権利と公権力との差異が

強調される結果、公権力を国家の権利と理解することが拒否される。また、同じく国家の権利を否定する立場であ

(11)

一三七機関の権利と機関訴訟(一)(都法五十五-一) っても、シュミット-アスマンは、国家と私人とを対等な法関係として捉えるバウアーの見解を批判し、さらに、

本来的に自由を前提とする個人が有する権利と国家が有する権限とを峻別すべき旨を説く )((

。ここでも、マイヤーと

は方向が異なるものの、国家の権限と私人の権利との差異が強調されている点では類似の構造が見てとれる。そも

そもベッケンフェルデが指摘するように、権利の概念自体が私法を起源とするものであり、組織の権限を把握する

のに適した概念ではないのである )((

もっとも、マイヤーの見解は今日では支持されておらず )((

、また、シュミット-アスマンの批判も主として、バウ

アーが行政法関係を対等な法関係としている点に向けられており、先に指摘したような公益と権利との関係を直接

に問題とするものではない。実際、シュミット-アスマンが指摘する、自由な私人と一定の拘束のもとにある国家

との性質の違いは承認した上で、なお法関係のもとで国家の権利を認めるヘンケのような見解もあることからすれ

)((

、国家と私人との関係が民事的な法関係と同じように対等なものとはいえないとしても、そのことによって国家

の権利が否定されることにはならないと思われる。

四  むしろ、国家の権利を認めることに対する批判の実質的な根拠として主張されているのは、国家の権限を権利 とすることによって公益に沿わない恣意的な権限行使を容認することになるのではないかという危惧である )((

。しか

し、私権の場合であればともかく、国家の権限行使については今日では法による拘束が認められており、それを権

利と理解したからといって、恣意的な権限行使が許されるわけではない )((

。また、そもそも私権ですら恣意的な行使

が当然に許されるわけではなく )((

、自由に行使できることが権利の必然的要素とは言えない )(((

そして、ロートが指摘するように )(((

、行政私法の領域での国家の権利の成立が疑われていないことからしても、お

よそ公益を根拠をとした権利が成立し得ないとは言えないであろう )(((

。さらに言えば、本稿が検討している機関の権

(12)

一三八

利との関係では、そもそも機関の権利を否定するための立論として、それが公益を根拠としているという主張を持

ち出す論者はほとんどいない )(((

。例えば、クレプスが、機関の有する利益は「古典的公権の個人的利益という意味で

の利益ではない」と述べる点は、一見すると、公益が機関の権利の根拠とはならないという主張をしているかのよ

うにも見えるが、実際には、「機能適合的に機能が遂行されることに対して全体組織が有する利益」に仕えること

が機関の役割であるという点が重視されており、争点とされているのは、むしろ機関の利益と国家の利益との一体

性であることが分かる )(((

。また時代を遡れば、機関の権利を否定する古典的論者であるイェリネックも )(((

、他方で国家

の権利は認めているのである )(((

。したがって、機関訴訟における機関の権利を否定する上でより重要なのは、機関が

公益を担っていることではなく、機関が国家に仕える存在であることから、国家の利益と区別された機関固有の利

益を想定することができないという点であろう )(((

。例えば、もっとも権威あるヴォルフ=バッホフの教科書において

は、利益説がとられた上で )(((

、一定の場合には機関訴訟が認められるとしても )(((

、機関には固有の利益がないからそこ

にあるのは真の意味での権利ではなく )(((

、権利もどき(quasi-eigeneBerechtigung/Quasirechte)にすぎないとされてい るのはこの一例である )(((

こうして機関の権利をめぐる争点は、国家の利益と区別された機関固有の利益を観念できるかのか、という点に

収斂する。以上のように定式化された争点を前提に、以下では、機関訴訟における機関の権利を学説がどのように

構成しようとしてきたのかを検討する。

(13)

一三九機関の権利と機関訴訟(一)(都法五十五-一) 第二節  客観化志向

まずそもそも、およそ機関の権利の有無を問わず、広く機関訴訟を認めるヘンリクスの見解があった。彼は、行

政裁判所法が制定されていない一九五九年の段階で次のような説を唱えている。すなわち、機関訴訟において争わ

れる地方議会の行為は組織行為(Organisationsakt)であって )(((

、行政行為ではないから )(((

、提起できるのは取消訴訟で

はなく、軍令(MRVO)一六五号二二条一項に言う「その他の公法上の訴え」だと解すべきである )(((

。そして、取消

訴訟であれば権利侵害の主張が訴訟要件となるが、「その他の公法上の訴え」についてまで権利侵害の主張を要求

すべきではないとする )(((

。その結果、地方議会の行為に関しては、議員は権利侵害を主張することを要せず、単に当

該行為が法に違反していることのみを主張すれば訴えは適法とされることになる )(((

。このような解釈は、一見すると

機関訴訟を民衆訴訟と理解することになるかのように見えるが、機関訴訟の提起の際にたとえ権利侵害の主張は不

要だとしても、訴訟当事者間の法関係または(確認の訴えであれば)確認の利益が必要とされる上に )(((

、訴訟を提起

できるのは議員(議員からなる会派等も含む)だけであるから、濫訴の弊を危惧する必要はなく、民衆訴訟とは言

えないという )(((

以上のようなヘンリクスの主張の背景として二つの点を指摘できる。一つは、彼が地方議会における多数派の判

断に強い不信感をもっている点である。すなわち、議会が多数決で決定したことが違法である場合に少数派議員が

それを争えないとすると、法治国原理が潜脱されることになり、しかもその決定が授益的なものであるために具体

的な不利益を被る私人がいない場合には当該決定を裁判所が是正する機会が与えられないことになる )(((

。しかも当該

(14)

一四〇 決定がその地方公共団体の財産を減少させるものである場合には一層問題が大きい )(((

。もちろん、このような状況に

対処するため、法は州による監督を予定しているが、監督庁の介入は便宜主義であるから、迅速におこなわれると

は限らない上に )(((

、監督庁の政治的立場が地方公共団体の議会の多数派と一致する場合には、実際に監督的介入がな

される可能性は極めて乏しいことが指摘される )(((

。他方、彼の主張をなすもう一つの背景は、戦前の列記主義からの

転換である。ヘンリクスによれば、列記主義が克服されて概括主義が採用されたことにより、裁判所は行政機関に

対して漏れのないコントロールを及ぼすことが可能になったという )(((

。したがって、前述のような法治国原理が遵守

されない場合に裁判所による介入が認められるのは、ヘンリクスにおいてはむしろ当然であるとさえいえる。

さらに、一九六〇年に行政裁判所法が制定された後にも同様の見解をとる論者がいる。例えば、ナウマンは、行

政裁判所法制定前の論文において、機関間には法関係を認めることはできず、また、機関の権利も承認できないと

いう理由で、解釈論として機関訴訟を認めることには消極的であり、ただし、機関訴訟の実際上の必要性から実定

法による機関訴訟の法定を求めていた )(((

。しかし、行政裁判所法が制定されると、たしかに取消訴訟については同法

四二条二項により権利侵害の主張が要求されているものの )(((

、それ以外の訴訟類型については権利侵害を主張するこ

とは必要とされていないことを重視し、取消訴訟以外の訴訟類型が主として用いられる機関訴訟を広く認めるかの

ような口吻を示している )(((

しかしながら、民衆訴訟につながりかねないこのような見解は )(((

、ほとんど支持されていない )(((

。第一章ですでに見

たように、各州の上級行政裁判所の判例は、地方公共団体組織訴訟について一貫して機関の権利侵害を要求し、学

説もおおむねこれを支持しており )(((

、ヘンリクスの言うような一般的に適法な行為を求める請求権は存在しないとさ

れている )(((

(15)

一四一機関の権利と機関訴訟(一)(都法五十五-一) 第三節  脱利益志向(一)

次に、前節で見た論者のように機関訴訟を機関の権利から切断して客観化させるのではなく、なお何らかの主観

化を要求しつつ、それを利益から切り離して構成しようとする立場がある。さらに、これは、一般的に権利を脱利

益化させることで機関の権限を権利と同じように扱おうとする立場と、権利一般についてはなお利益説の立場をと

りつつ、機関についてはそれとは異なった形での主観化を試みる立場とに分けられる。以下では、前者を本節で扱

い、後者を次節で扱うこととする。

一  権利一般の脱利益化を試みる論者として、まずケルゼンの学説を、時代を追って検討する。日本においてケル

ゼンの学説が扱われる場合、機関の権利に関する彼の見解をその主たる対象としているものは見当たらず、機関論

そのものですら対象になることは稀である )(((

。しかし、一九一一年に上梓されたケルゼンのハビリタツィヨン『国法

学の主要問題 )(((

』においては、四〇頁以上にわたる三つの章に跨って「国家機関の権利と機関の地位を求める権利」

が論じられており、一九世紀以降の国法学界における機関人格論に関する対立を背景に )(((

、この問題がケルゼンにと

って文字通り国法学の主要問題であったことは疑いない。ケルゼンは直接に機関訴訟を論じているわけではないが、

以上のことからすれば、その前提となりうる機関の権利に関する彼の学説を検討することには意義があろう。

『国法学の主要問題』においてケルゼンは、まず機関人格の有無を検討するに当たり、人格たりうるには権利主 体である以前に義務主体(Pflichtsubjekt)である必要があることから、機関に義務が課されうるかどうかを論じる のであるが )(((

、ここで注意すべきは、ケルゼンの機関概念である。ケルゼンは、国家の機能や目的を果たすものを機

(16)

一四二 関と定義する立場は機関概念を無制限に拡大するおそれがあるとして批判し )(((

、「その行為(Handlung)が国家の行 為として妥当しなくてはならない人格ないしは人格の集合が国家機関である」とする )(((

。そして、ある人格の行為が

国家の行為とされることを国家への帰属(Zurechnung)と呼び )(((

、国家に帰属されるかどうかは法命題(Rechtssatz)

に基づいて決せられるが )(((

、行為する(handeln)のは制度としての機関ではなく、機関担当者だけであるから、以

上の機関の定義からすると、「機関に人格があるのか」という問いにおける「機関」とは機関担当者のことを指す

ことになるという )(((

このようにケルゼンは、機関を機関担当者として理解する。しかし、機関概念をもっぱら機関担当者として用い

ることは、もちろん必然ではない。たしかに、上記のような「行為の帰属」を中核とした機関概念を前提にした場

合、機関になりうるのは行為できるもののみである。しかし、機関担当者の行為を制度としての機関に帰属させ、

その限りで制度としての機関の行為を観念することも不可能ではない。ただ、ケルゼンによれば、法命題による義

務付けは、すぐ後に述べるように、刑罰なり強制執行なりをおこなう国家の義務の反面として生じるものであるか

)(((

、制度としての機関のように刑罰なり強制執行の対象者となりえないものは、いずれにしてもケルゼンの体系の

中では義務の主体とすることはできないこととなろう。その意味で、本稿が前提としている(制度としての)機関

は、ケルゼンにおいて法主体とはなりえないと解される。しかし、他方で、ケルゼンが論じる機関の権利の少なく

とも一部は、本稿の想定する機関の権利と内容上重複するものであり、かつ、後に見るように『一般国家学』にお

いてはまさにそのような内容の機関の権利が認められていることからすれば、ケルゼンが機関を機関担当者と理解

していることによって本稿におけるケルゼン学説の検討の意義が失われるわけではない。

二  では、その機関としての機関担当者は義務主体になるのか。義務を課すことができるのは法命題だけであるか

(17)

一四三機関の権利と機関訴訟(一)(都法五十五-一) ら、機関担当者が義務主体たりうるためには、機関担当者の義務を定めた規範(Norm)が法命題であることが必 要となる )(((

。それも、国家の義務のみを定める広義の法命題では足りず、臣民の義務をも定めた狭義の法命題でなく

てはならない )(((

。この狭義の法命題とは、義務主体の義務違反に対する不法効果(Unrechtfolge)、例えば刑罰や強制

執行を国家の義務として定める反面、間接的にではあるが同時に臣民の義務も定めるものである。そして、機関担

当者の義務については、懲戒規定がこの意味での狭義の法命題であるという )(((

。こうして、機関(担当者)は狭義の

法命題たる懲戒規範に基づいて義務を課される限りで義務主体となり、人格を有すると説明されるのである。

次いで、少なくとも義務主体であるとされたその人格に、今度は権利が認められるのかが問題になる )(((

。結論とし

てケルゼンは、次のような説明により、原則として機関に権利は認められないという。すなわち、機関の権利とは

「機関たる地位を求める権利(RechteaufOrganstellung)」であり、それは「機関作用を果たす権利」であるが )(((

、権

利たる法命題は常に同時に国家の義務を定めるものであるから、このような機関の権利が認められるとすれば、そ

れは国家の義務に対応していなくてはならず、それは機関の活動を受忍するという国家の義務ないしは機関の活動

に対する妨害的な侵害をおこなわないという国家の義務である )(((

。しかるにケルゼンにおいては、不作為を内容とす

る義務はおよそ成立しないとされているため )(((

、このような国家の義務は成立する余地がなく、結果としてそれに対

応する機関の権利も認められないこととなる )(((

三  以上のように、ケルゼンは比較的あっさりと機関の権利を否定するが、これに対しては次のような疑問が生ず

る。すなわち、ケルゼンは機関の権利に対応しうる国家の義務を不作為義務としてのみ想定しているが、それは必

ずしも正しくないのではないか。たしかに「行政機関Xからの申出があった場合にのみ行政機関YはPをすること

ができる」という規定があると仮定すれば、それはすなわち「行政機関Xからの申出がなければ、行政機関YはP

(18)

一四四

をしてはならない」という法命題pであり、その内容とされているのは不作為義務である。しかし、「行政機関X

から申出があった場合には行政機関YはQをしなくてはならない」という法命題qを想定すれば、それは「Qをし

なくてはならない」という作為義務が定められているとも解されよう。作為義務を内容とするこのような法命題q

については、上記のケルゼンの説明は当てはまらず、行政機関Xに権利が認められる余地があるのではないか。実

際、すぐ後に見るように、ケルゼン自身、君主の権利に対応する国家の作為義務があることを認めているのである。

もっともケルゼンはこのような場面についての直接の説明をしていない。しかし、『国法学の主要問題』で示さ

れているケルゼンの体系からすると、以下のように考えることで、このような法命題qについても機関の権利は認

められないという結論が導かれると推測される。

すでに言及したように、ケルゼンのいう法命題とは国家の義務となるものであるが、それはさらに、不法効果を

定めることによって同時に臣民の義務となる狭義の法命題と、不法効果を定めず、もっぱら国家の義務としてのみ

把握される広義の法命題とがある。そして、いずれの法命題についてもそれが(国家を除く)ある人格の権利とさ

れるためには、当該法命題に示された国家意思の実現が、当該人格の請求(Anspruch)にかからしめられている

abhängig)ことが必要である )(((

。ここでいう「請求」とは、国家意思の実現そのものではなく、国家意思実現のた

めの前提(Voraussetzung)ないしは条件(Bedingung)を指し )(((

、具体的には、狭義の法命題に関しては訴え(Klage)

が請求に当たり )(((

、広義の法命題については申請が請求の例とされている )(((

。つまり、訴えや申請が法命題において認

められている場合に、当該法命題は権利となるのである。

これを先の設例における行政機関XおよびYに当てはめるとどうなるか。まず、狭義の法命題に関しては次のよ

うになる。すでに見たように、国家および行政機関Yの義務とされるのは、法命題qではなく、懲戒法命題である。

(19)

一四五機関の権利と機関訴訟(一)(都法五十五-一) したがって、この法命題が行政機関Xの権利とされるためには、Xの請求に基づいてYに対する懲戒がおこなわれることとされていなくてはならない。しかし、実際にはそのようなことは認められていないであろうから、狭義の法命題についてこれをXの権利と考えることはできない )(((

では、広義の法命題であればどうなるのか。先の設例における広義の法命題とは、法命題qのことであり、それ

は、一定の要件のもとで「Qをする」という国家の義務(意思)を定めた法命題として理解される。そうだとすれ

ば、例えば「臣民からの申請に基づいて社会福祉手当を支給する」という法命題における申請が、社会福祉手当の

支給という国家意思の実現の前提ないし条件たる請求に当たり、その限りで当該法命題は申請者の権利と理解され

るのと同様に )(((

、法命題qにおける行政機関Xの申出も、Qという行為の前提ないし条件であって、その限りで法命

題qもXの権利として理解できるのではないか。

四  しかし、ケルゼンの体系からすると、おそらくそうはならない。すなわちケルゼンは、機関を人格としうる懲 戒法命題以外の法命題 )(((

、すなわち機関との関係における広義の法命題についての文脈において、機関に関して次の

ように述べる。

「国家機関が実現しなくてはならない法命題に対しては、…国家機関を人格…として考慮することはできない。この

ような法命題との関係では、機関と国家との間にはおよそいかなる関係(Relation)もなく、同一性(Identität)が認め

られなくてはならない。なぜなら、国家意思を実現する機関においては国家自身が行為するからである。そのように性

格づけられた機関の行為は国家の行為である。…

国家機関が実現すべき法命題と国家機関との間には、そのような〔=懲戒法命題の場合のような〕主体関係は存在し

ない。そのような法命題に対して国家機関を人格としてすなわち帰属の終局点(Endpunkt)として考慮することはでき

(20)

一四六

ない。なぜなら、まさにこの法命題は、国家意思を実現する行為が、物理的な行為者自身ではなく、国家人格に帰属さ

れなくてはならないということの根拠となる準則(Regel)を含んでいるからである。機関行為のこのような帰属は、

いわば、物理的な行為者とその心理的な意思とを通過して、その背後に想定される点(Punkt)へと進む。そしてすべ

ての機関行為の、この共通の帰属点が国家の意思であり国家の人格なのである。…機関はこのよう関係においては法的

帰属の終局的としてではなく、通過点(Durchgangspunkt)としてあらわれるから、法的にはいかなる意思も有しない )(((

。」

ここでケルゼンの言う「帰属」とは、法規範において要件(Tatbestand)と主体(Subjekt)が結合されているこ とを意味し )(((

、それはさらに、要件としてのある行為または不作為を当該行為者に結合する内的帰属 )(((

innereZurech- nung)と、要件としてのある行為または不作為を行為者以外の人格へと結合する外的帰属 )(((

äußereZurechnung)と

に分けられる。内的帰属の場合の行為者は帰属の終局点となるが、外的帰属の場合の終局点は行為者以外の者であ

)(((

、帰属の終局点であることがすなわち人格(Person)を意味する )(((

。以上を前提とすれば、機関としての機関担当

者の行為は機関担当者自身にではなく国家へと帰属することになるので、この場合の帰属とは外的帰属であり、機

関(担当者)は帰属の通過点にすぎないこととなるため )(((

、人格たりえない。

以上のように、広義の法命題において言及される機関は、法主体・人格としてではなく、まさに機関として言及

されているのであり、そこでは機関の行為は機関自身ではなく終局点としての国家に帰属する。つまり、この場合

の機関は国家への帰属の通過点にすぎず、権利主体にはなりえないから、当然権利も認められない、とするのがケ

ルゼンの見解である )(((

。したがって、先に例として挙げた法命題qにおけるXの申出という行為は国家に帰属する行

為であり、この法命題qとの関係ではXは権利主体とはならないと解される。

以上の説明は、君主の権利に関するケルゼンの叙述からも裏付けられる。ケルゼンは、君主だけは他の機関とは

(21)

一四七機関の権利と機関訴訟(一)(都法五十五-一) 異なる特別の機関として )(((

、結論的には、国家の積極的行態(positivesVerhalten)すなわち作為を内容とする国家の 義務に対応した権利を君主に承認する )(((

。例えば君主が大臣と協働して一定の行為をすることが予定されている場合 )(((

君主の作用(Funktion)は、たしかに一方では君主の行為が大臣の行為と結びついて国家意思を実現するという意

味において機関の行為であるが、しかし他方で、君主が機関とされるためには君主に対する義務付けがなされなけ

ればならないところ、憲法上君主は無答責とされているため、義務を負わないものと解さざるを得ないから )(((

、君主

の行為は機関の行為ではない )(((

。このような意味において、君主の位置づけは二面的であり、このうち後者の点―君

主の行為は機関の行為ではないという点―に着目すれば、君主の行為はむしろ大臣が国家意思を実現するための前

提ないしは条件であるということになる )(((

。これは、先にみたような意味での請求(Anspruch)に当たり、ここから、

機関の中でも君主に限っては権利が認められることとされるのである )(((

。以上のような君主の権利に関する説明を、

その他の機関に反転させれば、君主以外の機関はもっぱら機関としての性格しか有しないため、機関の行為は適法

な限りにおいてそれ自体が国家意思を実現するものとして国家に帰属する行為であって、機関自身は帰属の通過点

にすぎないことから、およそ機関の権利が成立する余地はないということになる。

機関の権利に関する以上の分析はケルゼンが直接に述べているわけではなく、ケルゼンの体系からの演繹にすぎ

ないが、このような検討からすると、『国法学の主要問題』においては、機関は、不作為を求める権利はもちろん、

作為に求める権利についても、それが狭義・広義いずれの法命題であるかを問わず、権利が認められることはない

ことになる。

以上のように、『国法学の主要問題』においては、何よりも帰属の概念が、機関の権利を否定する上での中核と

位置付けられていることに分かる。もっとも、このような考え方自体は目新しいものではない。すなわちそれは、

(22)

一四八 例えばイェリネックにおいて「国家と機関とは一体(Einheit)である )(((

」とされていた点を、帰属の概念を用いてよ

り法学的に構成し直したものということができよう。

(1) 門脇雄貴「国家法人と機関人格(一)~(三・完)」首都大学東京法学会雑誌四八巻二号(二〇〇八)二六九頁以下、四九巻一号(二〇〇九)二三三頁以下、五〇巻一号(二〇一〇)一四一頁以下。(2) 連載をなす本稿は、科学研究費補助金研究課題(平成二二~二五年度若手研究(B))「機関訴訟の可否を基礎付ける権利論についての理論的研究」の研究成果である。

    なお、本稿執筆時において、西上治氏(東京大学助教)が東京大学大学院法学政治学研究科に提出した助教論文「機関訴訟の「法律上の争訟」性」を拝読した。同論文は本稿とほぼ同様の問題関心のもとに、しかし、本稿よりも広い範囲にわたってより深く分析をおこなったものであり、公表の待たれる力作である。未公表論文という性質上、本稿では同論文を逐一引用することはしていないが、同論文から多くの点で示唆を受けていることは言うまでもない。公表前の論文原稿に触れる機会を与えていただいた西上氏には厚く御礼申し上げる。(3) Roth, Wolfgang: Verwaltungsrechtliche Organstreitigkeiten, 2001, S. 9.(4) 例えば参照、Ewald, Klaus: Die prozessuale Behandlung des inneruniversitäten Verfassungsstreits, WissR 1970, S. 35-49; Fuß, Ernst-Werner: Verwaltungsrechtliche Streitigkeiten im Universitäts-Innenbereich, WissR 1972, S. 97-124; Heinrich, Manfred: Verwal-tungsgerichtliche Streitigkeiten im Hochschulinnenbereich, 1975.(5) 例えば参照、Stern, Klaus/Bethge, Herbert: Die Rechtsstellung des Intendanten der öffentlich-rechtlichen Rundfunkanstalten, 1972, S. 105-121; Puttfarcken, Carsten: Prozessrechtliche Fragen bei Streitigkeiten zwischen Organen öffentlich-rechtlicher Rundfunkanstalt-en, in: Becker, Jürgen (Hrsg.): Beiträge zum Medienprozeßrecht (Festgaber Carl Hermann Ule zum 80. Geburtstag), 1988, S. 63-70.(6) Kommunalverfassungsstreitにおける„verfassung“という表現は、とりわけドイツ行政裁判所法四〇条一項に言う「憲法上の争訟(Streitigkeiten (nicht) verfassungsrechtlicher Art)」という概念との関係で誤解を招くものであることがかつてより指摘されていたところであり(例えば、Krebs, Walter: Rechtsprobleme des Kommunalverfassungsstreits, VerwArch 68 (1977), S. 189; Bethge, Herbert: Der Kommunalverfassungsstreit, in:Mann, Thomas/Püttner, Günter (Hrsg.): Handbuch der Kommunalen Wis-

参照

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