憲法異議の客観的機能について
著者
武市 周作
著者別名
Takechi Shusaku
雑誌名
東洋法学
巻
56
号
3
ページ
57-84
発行年
2013-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00004100/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止目次 はじめに 一 憲法異議手続の現状 二 憲法異議の二重機能 ( 1)憲法異議の主観的機能 ( 2)憲法異議の客観的機能 ( 3)憲法異議の受理手続 ( 4)小括 三 憲法異議の客観的機能の根拠 ( 1)憲法裁判所の地位 ( 2)基本法及び連邦憲法裁判所法上の根拠 ( 3)基本権の客観的内容と憲法異議の客観的機能の関係 四 主観的機能と客観的機能の相互関係 ( 1)判例 《 論 説 》
憲法異議の客観的機能について
武
市
周
作
( 2)学説の反応 おわりに はじめに 連邦憲法裁判所は早くから、基本権について、主観的権利としての性格に加えて、客観的な内容を有することを 認 ( 1) め 、通説も基本的にはこれを支持してきた。この基本権の客観的な内容それ自体は、ヴァイマル期以降の制度的 保 障 あ る い は 制 度 (体) 保 障 に も 通 じ て お ( 2) り 、 連 邦 憲 法 裁 判 所 に よ っ て 新 た に 発 見 さ れ た と い う よ り も、 む し ろ 再 確 認 さ れ た と い う 方 が 相 応 し ( 3) い 。 い ず れ に し て も、 リ ュ ー ト 判 決 (あ る い は、 そ の 前 年 の 夫 婦 合 算 決 定) 以 ( 4) 降 、 基 本 権の客観的内容は時代が下るにつれて豊富になっていく。照射効、第三者効力、給付・配分請求権、保護義務、手 続保障などに及び、連邦憲法裁判所の重要判例でそれらが展開されてきた。 こ の よ う な 基 本 権 の 内 容 が、 同 様 に「主 観 的」 「客 観 的」 の 二 重 機 能 が 指 摘 さ れ る 憲 法 異 議 の 機 能 と ど の よ う に 関わるか。これまで筆者は、基本権の客観的内容、保護義務・保護請求権論について検討してきたこともあって、 これが本稿のきっかけである。 憲 法 異 議 の 機 能 に 関 し て は ド イ ツ に お い て 議 論 が 尽 き な ( 5) い 。 連 邦 憲 法 裁 判 所 が 有 す る そ れ 以 外 の 権 限 に つ い て は、客観的憲法の保障を目的とすることは明白であ ( 6) る 。連邦憲法裁判所の地位から考えても、このような憲法保障 機能がその本質であることは当然である。これに対して、憲法異議はその適法性の要件として自己の「基本権」侵 害が求められおり、これが他の手続と異なる重要な特徴である。規定上は主観的権利保護を唯一の目的とするよう にもみえるが、連邦憲法裁判所は早い段階で憲法異議の客観的機能を認め、議論を誘う判決を下してきた。
憲法異議の機能論 ( 7) は 、法社会学的あるいは政治学的アプローチが必要となった ( 8) り 、立法者・専門裁判所と憲法裁 判権との関係を視野に入れたいわゆる機能法的アプローチ全体にまで議論が及んだりす る ( 9) 。本稿ではそこまで議論 を広げることはせず、基本権の客観的内容を念頭に置きながら、憲法異議の客観的機能に関する議論を整理してい くこととする。 本稿は、川又伸彦「判決に対する憲法異議の機 ( 10) 能 」と重なるところが多い。そこではドイツの判例の動向や学説 の反応にとどまらず、日本の学説による憲法異議に対する評価も整理されている。本稿ではそのようなスマートな 整理・考察はできないが、基本権の客観的内容との関連性をきっかけとしているこ ( 11) と 、客観的機能に関する判例に ついても少しだけ踏み込んで述べ、また川又論文では触れられていない判例やそれ以降の判例の動向にも一応言及 したことについて先に触れておく。 一 憲法異議手続の状況 憲法異議手続が一九五一年に連邦憲法裁判所法によって導入されて以来、連邦憲法裁判所に係属した事件のうち 同手続が占める割合は高い水準を保ってきた。伸び率は一九六九年に基本法上の根拠を得た前後を問わず年々増加 し て お り、 今 後 も こ の 状 況 は 変 わ る こ と が な い で あ ろ う。 連 邦 憲 法 裁 判 所 の 統 計 に よ れ ば、 一 九 五 一 年 か ら 二 〇 一 一 年 末 ま で の 間、 連 邦 憲 法 裁 判 所 に 係 属 し た 総 事 件 数 一 九 万 五 〇 一 八 件 の う ち、 憲 法 異 議 手 続 は 実 に 一八万八一八七件に上り全体の九六・五%を占めている。しかし成功率は低く、二〇一一年末までに四四〇一件で 憲 法 異 議 全 体 の 二・ 四 % に と ど ま る。 シ ュ テ ル ン は、 こ の よ う な 低 い 成 功 率 に も か か わ ら ず、 「憲 法 異 議 が 憲 法 裁 判所の管轄権の全体システムの中でも特別な意義を与えられる」ことを認めてい ( 12) る 。なお、従前「抽象的審査制」
の 典 型 と し て 挙 げ ら れ る こ と が 多 か っ た 抽 象 的 規 範 統 制 手 続 ( abstrakte Normenkontrolle ) は、 二 〇 一 一 年 末 ま で で 一 七 二 件 で 全 体 の わ ず か 〇・ 一 % に 満 た な い。 他 方 で、 具 体 的 規 範 統 制 手 続 ( konkrete Normenkontrolle ) は、 三五一一件で全体の一・九%であ ( 13) る 。 もちろん、係属件数だけから、連邦憲法裁判所が有する権限の機能を導くことはできないが、従来わが国でドイ ツの憲法裁判の象徴的な存在として紹介されてきた抽象的・具体的規範統制手続の件数に比べ、憲法異議が突出し ていることはその本質を考えるにあたっても見落としてはならない。憲法異議が、連邦憲法裁判所の過重負担の原 因であることは指摘され、この負担を少しでも解消すべく様々な手立てが講じられてきた。その最たるものが憲法 異議受理手続であり、さらにアメリカのサーシオレイライの導入に関する検討もなされ ( 14) た 。後述するように、受理 手続は、憲法異議の機能論と関連する。 二 憲法異議の二重機能 ( 1 )憲法異議の主観的機能 先にみたように、基本法九四条一項四a号と連邦憲法裁判所法九〇条の規定は、憲法異議を申し立てるにあたっ て自らの基本権侵害を要件としており、その限りで、憲法異議の第一次的な機能は、個人の主観的権利の保護にあ るとされ ( 15) る 。憲法異議は、実体的基本権を実現するための手続的な要石であ ( 16) り 、専門裁判所や憲法裁判所による他 の手続においても基本権保護という結果はもたらされうるが、憲法異議もその役割は果たしてきた。ただし、裁判 による個人の権利保護に着目し、通常裁判所における手続と比較して憲法異議には独自性が認められ、そこから国 家による国民の「特別な権利救済」ともいわれ ( 17) る 。
なお、これとの関連で、憲法異議手続は一九条四項で求められる出訴の途には含まれていないことには注意が必 要 で あ る。 ま た、 基 本 法 九 三 条 一 項 四 a 号 に い う「公 権 力」 に は ― 基 本 法 一 九 条 四 項 と は 異 な り ― 立 法 権・ 執 行 権・司法権も含まれており、憲法異議は基本法一九条四項による権利保護という枠を超えたものといえ ( 18) る 。このこ とは、基本法九四条二項二文および連邦憲法裁判所法九〇条二項で求められる憲法異議の補充性にも現れてい ( 19) る 。 ( 2 )憲法異議の客観的機能 憲法異議には、このような主観的機能に加えて、憲法の客観的保障機能があるとされる。まずは連邦憲法裁判所 がこの二重機能を認めたリーディングケースを示してお ( 20) く 。 連 邦 憲 法 裁 判 所 は、 戦 禍 通 則 法 ( AKG ) の 補 償 請 求 に 関 す る 規 定 が 改 正 さ れ た こ と に 伴 っ て 新 た に 生 じ る 訴 訟 の 費 用 負 担 が 申 立 人 の 基 本 権 侵 害 (申 立 て に お い て、 平 等 権 を 規 定 す る 基 本 法 三 条、 公 用 収 用 の 補 償 に 関 す る 裁 判 保 障 に 関 す る 一 四 条 三 項 四 文、 基 本 法 一 四 条 三 項 と 結 び つ い た 一 九 条 四 項 侵 害 が 主 張 さ れ た) と、 損 害 賠 償 請 求 の 裁 判 保 障 に 関 する基本法三四条四文違反が問題となった事例において、憲法異議の二重機能について述べた。少し長くなるが、 頻繁に参照される事例でもないので、該当部分を訳出することとす ( 21) る 。 裁判費用という付随的な決定に異議申立人の利益が限定される場合に、判決に対する憲法異議のために権利保 護 の 必 要 性 が 認 め ら れ る か ど う か の 問 題 に 対 す る 答 え は、 事 案 に 応 じ て、 「憲 法 異 議 手 続 の 特 別 な 性 質 と こ の 法 的救済の一般的目的から導かれなければならない。 」 「憲 法 異 議 は、 二 重 の 機 能 を 有 す る。 憲 法 異 議 は、 第 一 に は、 国 民 に 対 し て、 基 本 権 お よ び 基 本 権 類 似 の 権 利
を防御することを認め、通常の一般的な訴訟よりも厳格な要件の下でのみ、市民に認められた特別の権利救済で ある。連邦憲法裁判所は、当初からこの要件を限定的に解釈してきた。これは憲法異議手続が、他のほとんどの 手続にはみられないように、濫用や逸脱の危険にさらされているからである。連邦憲法裁判所は、数多くの判決 において、特に『憲法異議の補充性の原則』を強調し発展させてきた。これによれば、憲法異議は基本権侵害を 防ぐために必要なものでなければならず、基本権侵害の除去や同等の現実的な結果が連邦憲法裁判所によること なく得られる場合には妥当しないことになる。これについて法的安定性に基づいて、確定的な裁判所の判決は例 外的にしか疑問視されないと考えることは重要であるが、憲法異議の機能の可能性もまた考慮されなければなら ない。 」 「憲 法 異 議 は 市 民 の 個 人 と し て の 基 本 権 保 護 に 尽 き る わ け で は な い。 『あ ら 探 し 的 な 破 毀 効 果 ( kasuistischen Kassationseffekt ) 』に加えて、いわゆる『一般的な教育効果 ( generellen Edukationseffekt ) 』をも有する ( Zweigert, JZ 1952, S.321 ) 。 更 に、 客 観 的 な 憲 法 を 維 持 し、 そ の 解 釈 と 発 展 に 資 す る と い う 機 能 を 持 つ。 こ の こ と は、 連 邦 憲法裁判所法三一条一項、同条二項二文、九〇条二項二文、九三a条四項、九五条三項に現れている。その限り で、憲法異議は同時に客観的憲法の特殊な法的手段であるとされるのである。 」…… 民 事 訴 訟 法 や 行 政 裁 判 所 法、 財 政 裁 判 所 法 な ど の 規 律 と 比 較 し て も、 「費 用 の 決 定 変 更 に 関 す る 利 益 が あ る か らといって、少なくとも原則的には、紛争の中心の本案審査のために権利保護の必要性が基礎づけられるわけで はない。訴訟の流れの中で、当事者の利益が、本案処理の結果として費用の点に限定される場合、通常、簡素な 手続によって費用についてだけ適切な裁量の下で決定される。……」
このように本件では、憲法異議の二重機能を認め、第一には基本権保護のための特別の権利救済手段であるが、 それに加えてさらに、客観的な憲法秩序を守り、その解釈と継続形成に資するという機能を有するとした。このよ うな言い回しは、リュート判決以降、連邦憲法裁判所が基本権の客観的内容についての言及と構造上は類似する。 その上で、連邦憲法裁判所は、本件において「継続している費用負担は、異議申立人個人の法的利益ではなく、単 に財産領域に関わるものにすぎず、この領域への考えうる介入は特に強度のものではない」として主観的な基本権 侵害は認めなかっ ( 22) た 。そして、 客観的機能に基づいてもこの規定および連邦通常裁判所による適用の合憲性は問題 とならないと結論付けた。 他方で BVerfGE 45, 63 においては、憲法異議に関する機能について、この BVerfGE 33, 247 を引用した上で、次 のように述べ、客観的機能の限界を指摘し ( 23) た 。 「し か し、 憲 法 異 議 の 二 重 の 権 利 保 護 機 能 は、 絶 対 的 な も の と い う わ け で は な い。 侵 害 さ れ た と さ れ る 客 観 的 な憲法規範と同時に―九三条一項四a号に沿って引用すると―主観的権利を保障している場合にのみ、憲法異議 は認められる。主観的な憲法上の権利が侵害されているという非難が、すべての憲法異議の要件である。客観的 な憲法の誤った適用だけを非難する憲法異議は、―他のすべての許容性要件とは関係なく―このような権利から も許容されることはない。基本法は、民衆訴訟を用意していないのである。 」 こ の 判 決 自 体 は、 基 本 法 一 四 条 三 項 に お け る 補 償 規 定 に 関 す る 重 要 な 決 定 を 下 し た 砂 利 採 取 事 件 ( BVerfGE 58, 300 ) に 繋 が る 事 件 で あ ( 24) る 。 本 判 決 で は、 二 重 機 能 を 認 め つ つ も、 憲 法 異 議 の 客 観 的 機 能 が 際 限 な く 広 が る こ と を
認めるわけではないことを示し ( 25) た 。 そ の 他 に も、 BVerfGE 51, 130 に お い て、 連 邦 憲 法 裁 判 所 は、 憲 法 異 議 の 補 充 性 に つ い て 厳 格 に 解 釈 す る に あ たって、憲法異議の濫用が「憲法異議の客観的な機能を正しくすることや、異議申立人全体の利益のうち基本的な 憲法上の意義を有し解決の必要な法的問題を適切な時期に決定すること」を妨げるとして批判してい ( 26) る 。 ( 3 )憲法異議の受理手続 さて、連邦憲法裁判所判決で認められてきた憲法異議の客観的機能は、その後の連邦憲法裁判所を取り巻く環境 に伴う法改正によってさらにその意味を持つようになってくる。それが憲法異議の受理手続であ ( 27) る 。現行の受理制 度 は、 基 本 法 九 三 a 条 に お い て 定 め ら れ て お り、 憲 法 異 議 は 裁 判 の た め に 受 理 を 要 す る が、 そ の 第 二 項 で、 「a 憲 法 異 議 に 基 本 的 な 憲 法 上 の 意 義 が あ る」 場 合、 「b 第 九 〇 条 一 項 に 列 挙 さ れ て い る 権 利 を 実 現 す る た め に 望 ま しい場合」には受理しなければならず、また、b第二文で「裁判を拒絶することにより異議申立人に特に重大な不 利益が発生する場合も」受理することができる ( kann ) としている。 受理手続は、先にみた憲法異議の「洪水」に対処するために導入され、その後繰り返し改正されてきた。導入の 背景には、連邦憲法裁判所の過剰負担を軽減することの必要性があるが、それも単に各裁判官の負担を軽減すると いうにとどまらず、より重大で本質的な問題へ集中して取り組むための制度と捉えられてもいるのである。係属件 数をみる限り、有効に機能したかは疑わしいところもあるが、いずれにしても受理手続の導入は、 制度的に 0 0 0 0 客観的 機能が強調されるきっかけとなったことは間違いな ( 28) い 。九三a条二項の受理要件をみても、b第二文は異議申立人 の不利益が基準となっており主観的な要件であるが、aおよびb第一文は明らかに客観的な機能を示している。こ
れによって主観的機能が排除されるわけではないが、大きく後退する可能性が生じ ( 29) る 。実際、受理手続導入後の改 正の経過をみる限りでは、客観的機能へ重点がシフトしてい ( 30) る 。本案判決を受けるためには、主観的な権利保護と い う 要 件 で は 足 り ず、 客 観 法 的 な 要 件 が 求 め ら れ (端 的 に は 連 邦 憲 法 裁 判 所 法 九 〇 条 の「一 般 的 な 意 義」 と い う メ ル ク マ ー ル が 客 観 的 性 質 を 表 し て い る) 、 こ こ か ら 主 観 的 機 能 は 手 続 法 上 の 再 構 成 を 受 け、 憲 法 異 議 は よ り 客 観 的 機 能 に 接近する。さらに部会決定でも受理手続が認められるようになるなど、その役割は増し、それに伴って客観的機能 がますます強調されるようになる。他方で、受理手続は、もはや権利保護の実現に対する単なる外からの限界付け ではなく、憲法異議手続の内在的要素あるいは構成上の要素であるとも指摘され ( 31) る 。 ( 4 )小括 以 上 を 踏 ま え る と、 憲 法 異 議 の 客 観 的 機 能 は、 「連 邦 憲 法 裁 判 所 に 提 示 さ れ た 本 案 の 中 に 存 在 す る、 基 本 権 に 関 す る 問 題 と は 異 な る 基 本 的 な 憲 法 問 題 を 扱 う 権 限 や、 連 邦 憲 法 裁 判 所 の 処 理 容 量 ( Kapazität ) を 守 る た め に 提 起 さ れる異議申立てから一般的とはいえない内容を取り除く権限を連邦憲法裁判所に与え ( 32) る 」ことにな ( 33) る 。また別の指 摘 で は、 客 観 的 機 能 の 核 心 は、 「個 人 の ― 将 来 的 に 可 能 性 の あ る も の で あ る と し て ― 基 本 権 侵 害 と は 独 立 し た 客 観 的 な 憲 法 の 維 持 と 発 展」 で あ り、 「単 に、 憲 法 上 の 問 題 を 抽 象 的 に 解 明 し、 そ れ に 伴 っ て 法 秩 序 か ら 憲 法 違 反 の 要 素を除去すること、すなわち憲法自体を侵害から保護するというコントロールを憲法異議の客観的機能という概念 によって示しているに過ぎない」とされ ( 34) る 。 また、先に挙げた判決でみたように、連邦憲法裁判所は―ツヴァイゲルトの論文を引用して―「一般的な教育効 果 ( Effekt ) 」 に つ い て も 言 及 し、 憲 法 異 議 が、 立 法 者 や 行 政・ 裁 判 所 に よ る 基 本 権 に 対 す る 責 任 と 尊 重 に つ い て
《教育する》ことを認めているが、これもまた客観的能の表れである。 さらに、個人の政治参加効果についても指摘されることがある。憲法異議が、個人の主観的権利の保護にとどま らず、憲法秩序の維持や解釈といった客観的機能を持つことをもって、憲法異議を通じての国民による憲法解釈へ の関わりを認める立場である。これによる「憲法の実現のために市民が総動員されること」に繋がるなどともいわ れ ( 35) る 。このような機能については批判的な見解も少なくないが、憲法異議の一つの機能として重点を置くべきであ るとする指摘もあ ( 36) る 。民主制が憲法上の根本価値として把握されている限りで、ドイツ基本法の統治機構の一部た る憲法裁判所制度とそれに関わる手続もまた広くいえば民主的機能を有することは否定できない。なかでも憲法異 議 手 続 は、 他 の 諸 手 続 と は 異 な り、 国 民 の 積 極 的 な 申 し 立 て に よ っ て 開 始 さ れ る た め、 「国 民 の 参 加」 と い う 性 格 が 強 調 さ れ、 「手 続 法 上 の 憲 法 生 活 へ の 国 民 の 参 加 に 対 し て、 民 主 的 手 続 を 開 く と い う 重 要 な 役 割 を 負 っ て い ( 37) る 」 とされる。憲法異議においては、上でみた客観的機能の観点から、基本権介入に関する憲法適合性審査の際に、基 本権だけでなく、権限規律や手続規律などのような客観法的な憲法規範が審査基準として援用され、主観的機能を 大きく上回る場面が少なくない。このような機能を視野に入れることは、民主制における多数決と司法における少 数者保護という伝統的な対立の緩和にも有益であるとすることもできる。 三 憲法異議の客観的機能の根拠 ( 1 )憲法裁判所の地位 憲法異議が、主観的機能に加えて客観的機能を有することを認める根拠は何か。広くいえば、憲法裁判所の地位 そのものからもその根拠は導きうる。これによれば憲法裁判所自体が基本権規定と憲法の保護を目的としているこ
と を 指 摘 し た り、 「客 観 的 な 法 秩 序 の 保 障 の た め の 制 度 が、 間 接 的 に 主 観 的 な 権 利 の 保 障 に 有 意 義 で あ る こ と、 逆 に、主観的な権利の保障が、結果として、客観的な法秩序の保障に役立 ( 38) つ 」ことを根拠としたりする。憲法裁判所 は、その他の裁判所の付随的・補充的な役割を負っているのではなく、―組織的・人的に ( 39) も ―独立して独自の役割 を果たすことが求められている。それはまさに「憲法」裁判所であり、新たな憲法解釈の方法を提起し、その憲法 解釈が、その他の裁判所も含めたすべての国家権力を拘束し、さらには指針的な役割を果た ( 40) す 。 ( 2 )基本法及び連邦憲法裁判所法上の根拠 基本法や連邦憲法裁判所法の規定からも客観的機能を裏付けることができる。 まず、そもそも基本法九三条一項四a号も連邦憲法裁判所法九〇条も、客観的機能を排除する規定にはなってい な ( 41) い 。あくまでも憲法異議の出発点として基本権侵害の主張を求めているのであって、審査の過程で主観的権利保 護を超えた客観的機能を帯びることは十分に考えられる。次に、基本法九四条二 ( 42) 項 において、出訴の方法を尽くし ていることを求めていること、また、―すでにみたように―受理手続を認めていることが客観的機能に繋がると考 えられ ( 43) る 。第三に、連邦憲法裁判所法九三a条二項aにおいて、―一方で、異議申立人に特に重大な不利益が発生 する場合として主観的機能に適った受理手続を認めつつも―基本的な憲法上の意義という受理要件を認めているこ とも、先にみた同法九〇条の「一般的な意義」と同様の根拠と考えられ ( 44) る 。 さらに、判決の言い渡しに関する規定も客観的機能を根拠づけるとされ ( 45) る 。連邦憲法裁判所法九五条一項は「憲 法異議が認められた場合、基本法のいかなる規定が侵害されたか、及びいかなる作為または不作為によって当該規 定が侵害されたかを」確認することを求め、同項二文が「異議を申立てられた措置の反復がいずれも基本法に違反
する旨を言い渡すことができる」と規定していることは、客観的な憲法の意味を明らかにすることを連邦憲法裁判 所 に 対 し て 求 め て お り、 そ の 点 で 客 観 的 機 能 を 考 慮 に 入 れ て い る と 考 え ら れ る。 さ ら に、 同 条 二 項 が「 〔裁 判 所 及 び行政庁の〕決定に対する憲法異議が認められた場合、連邦憲法裁判所は、当該決定を廃棄」するとし、さらに三 項で「法律に対する憲法異議が認められた場合、当該法律を無効と宣言しなければならない。前項の憲法異議が認 められた理由が、廃棄された決定が違憲の法律に基づくことにある場合も同様である。……」と規定していること も挙げられる。 その他にも、連邦憲法裁判所法三一条において、憲法異議も含めて、連邦憲法裁判所の裁判がすべての国家機関 を拘束することも、個別具体的な紛争を終わらせるに止まらず、将来的な更なる紛争を避けるという客観的機能を 持つことにつながると指摘するものもあ ( 46) る 。 また、 同様に、 同項における 「違憲確認宣言 ( Unvereinbarerklärung ) 」 も、個人の権利保護という機能からは離れた一般的拘束力を伴った宣言であることも客観的機能を強化するとされ ( 47) る 。 ( 3 )基本権の客観的内容と憲法異議の客観的機能の関係 さらに、このような客観的機能が、基本権の客観的内容・客観的機能とリンクするという議論がある。グズィは 次 の よ う に 述 べ る。 す な わ ち、 基 本 権 の 客 観 法 的 内 容 に 基 づ く と、 「基 本 権 保 護 は 同 時 に 単 な る 個 人 の 権 利 保 護 を 超 え、 あ る い は そ れ と は 異 な る も の と な る。 そ れ に 対 応 し て 0 0 0 0 0 0 0 ( dementsprechend ) 、 連 邦 憲 法 裁 判 所 は、 『客 観 的 憲 法 を 維 持 し、 同 時 に そ の 解 釈 と 発 展 に 資 す る』 と い う 機 能 を 強 調 す ( 48) る 」。 ま た、 ク ラ イ ン も、 客 観 的 機 能 に 対 し て 消極的な立場を示す中で、基本権の機能志向的理解が憲法異議の客観的機能と関連することは「明白である」とし
てい ( 49) る 。 先にみたとおり、基本権の客観的内容は、連邦憲法裁判所初期の判例において認められてき ( 50) た 。この基本権の客 観法的内容は、初期においては、裁判所などの法適用機関への照射効を中心に展開し、その後、定数制判決や第一 次堕胎判決において、立法者による保護義務へと展開し、連邦憲法裁判所の基本権判決は―少なからぬ学説から批 判されるところであるが―内容豊富になってきた。確かに、基本権においても個人の主観的権利・利益の保障を超 えた機能を客観的内容としており、その点で、憲法異議の客観的機能と議論の構図としては重なるところである。 しかし、両者の理論的な繋がりはそれほど明白ではないように思われる。基本権の客観的内容を前提にして考え てみた場合、憲法異議が「基本権」侵害を要件としている限りで、憲法異議にも基本権の客観的内容が影響すると 考えることもできなくはない。しかし、少なくとも連邦憲法裁判所が憲法異議の客観的機能について中心的に言及 した例において、基本権の客観的内容との関連性はみられない。あくまで手続上、基本権保障を超えた機能を認め ているにすぎないのであって、実体的な基本権の客観的内容をリンクさせる必要性はないように思われる。 また、審査基準の問題として、憲法異議が有する主観的権利の保障の側面を強調すれば、連邦憲法裁判所は個人 の権利保護に関わる範囲で審査をすることになるが、反対に客観的機能に重点を置けば、個人の主観的権利の侵害 があるかどうかの審査に限定されることはなくなるということが指摘される。しかし、連邦憲法裁判所は憲法異議 に お い て、 基 本 権 規 定 も そ の 他 の (客 観 的 な) 基 本 法 規 定 も 区 別 せ ず 審 査 基 準 と し て 用 い て お り、 こ の こ と は と り わけ基本権の客観的内容から導かれるものでもな ( 51) い 。ツックもこれについては憲法異議の客観的機能がもたらすこ とは指摘するが、それ以上のことは述べない。現実の連邦憲法裁判所判例をみても、異議申立人の基本権侵害の主 張について、単に個人の利益に着目して審査するだけでなく、基本法の客観的内容に関わる限りでの判断を下すこ
とは―この事態の評価はとりあえずここでは措くとしても―それほど珍しいことではな ( 52) い 。これはエルフェス事件 に お い て、 連 邦 憲 法 裁 判 所 が、 「憲 法 二 条 一 項 を 通 じ て 客 観 的 憲 法 を 異 議 提 起 可 能 な 基 本 権 侵 害 の 範 囲 の 中 に 含 め ( 53) る 」 判 断 を 下 し た こ と に も 関 連 す ( 54) る 。 こ れ に よ っ て、 「異 議 を 申 立 て ら れ た 公 権 力 の 行 為 が、 … そ れ 自 体 は 個 人 的 内容を持たない客観的憲法原理に違反している場合にも、基本法二条一項の基本権が侵害される」ことが認められ ることとな ( 55) る 。 さ ら に 基 本 権 の 照 射 効 は、 通 常 裁 判 所 に 対 す る 連 邦 憲 法 裁 判 所 の 審 査 ( Nachprüfung ) 権 限 を 拡 張 さ せ る 一 因 に な っ て お り、 連 邦 憲 法 裁 判 所 の 権 限 の 限 界 づ け に 関 わ る 議 論 を 生 じ さ せ る き っ か け に な っ て い る こ と は 間 違 い な い。 し か し、 「客 観 的 機 能」 を 導 く 意 図 が「主 観 的 機 能 で な い も の」 を 認 め る こ と に あ る の で あ れ ば、 結 果 的 に 類 似 の 効 果 を も た ら す の は 当 然 で、 理 論 的 に は 両 者 が 繋 が っ て い な い と い う こ と を と り あ え ず の 結 論 と し て お き た い。 四 主観的機能と客観的機能の相互関係 ( 1 )判例 憲 法 異 議 の 両 機 能 は ど の よ う な 関 係 に あ る ( 56) か 。 基 本 権 保 障 が 客 観 的 法 秩 序 の 維 持 に 資 す る こ と は い う ま で も な く、一般的なケースでは客観的な法秩序の保障が主観的権利の保障に有意義であると考えられ ( 57) る 。しかし、両者の バランスが崩れ、客観的機能を強調しすぎることで、異議申立人の主観的権利・利益が制限されるような場面も考 えられる。主観的にも客観的にも重要な事例では基本権の実現が制限され、反対に主観的または客観的のどちらか が重要であるケースでは基本権保障は全うされるという事態にもなりかねな ( 58) い 。これはとりわけ異議申立人の個人
の主観的利益と公共の利益が衝突するケースにおいて先鋭化す ( 59) る 。このような場面こそ、憲法異議に客観的機能を 認めることの実践的な意味であると捉えることもできる ( 60) が 、そうであるからこそ批判されるところでもある。以下 でみるように、客観的機能は連邦憲法裁判所の憲法裁判権の限界づけというよりも、その判断余地を広げうること を指摘しておかなければならない。 ま ず、 客 観 的 機 能 を 強 調 す る こ と で、 個 人 の 権 利 侵 害 が あ っ た と し て も、 憲 法 異 議 が 不 適 法 (ま た は 不 受 理) と されることが考えられる。とりわけ現行の受理手続の要件は、異議申立人の利益を措いて規定されており、異議申 立 人 が 不 受 理 と さ れ る こ と で 特 に 重 大 な 不 利 益 が あ る 場 合 で も、 「受 理 す る こ と が で き る」 と す る に と ど ま っ て い る。主観的機能を除去しないまでも、大幅に減退させる可能性があるほどまでに客観的機能が前面に押し出されて いる。また不適法とする際にも、憲法秩序の維持を強調すれば、個人の利益に対する制約が認められるような場面 も想定しうる。 また、事件が客観的な意義を有する場合、個人の利益保護とは関係なく、憲法裁判所は当該憲法問題を解明する こ と が で き る と さ れ た 事 例 が い く つ か み ら れ る。 典 型 的 な か た ち で あ ら わ れ た の が、 正 書 法 改 革 判 決 ( BVerfGE 98, 218 ) で あ ( 61) る 。 こ の 事 件 で は、 異 議 申 立 人 が 申 立 て を 取 下 げ た に も 関 わ ら ず、 連 邦 憲 法 裁 判 所 は こ の 取 下 げ を 無 効 と し て、 判 決 を 下 し た (憲 法 異 議 に 理 由 は な い と 判 断 し た) 。 本 来 異 議 申 立 人 は 根 拠 を 挙 げ る こ と も な く 申 立 て を 取り下げることができ、裁判所はそれに拘束されるが、例外がないわけではないとした。連邦憲法裁判所は、連邦 憲法裁判所法九〇条二項二文に基づき、一般的意義のゆえに憲法異議が認められており、口頭審理が行われている よ う な 場 面 で は、 取 下 げ は 申 立 人 の 自 由 に は な ら ず、 「客 観 的 憲 法 を 維 持 し、 そ の 解 釈 と 発 展 に 資 す る 憲 法 異 議 の 機能が、異議申立人の利益に反してでも前面に出る」ことにな ( 62) る 。
さ ら に、 個 人 の 利 益 保 護 に 直 接 関 係 な く 判 断 を 下 し た 事 例 と し て、 ヴ ン ジ ー デ ル 決 定 ( BVerfGE 120, 300 ) に も 言及しておく。この事件で連邦憲法裁判所は、異議申立人が手続の途中で死亡したにもかかわらず、正書法改革判 決によりながら、憲法異議手続を果たし申立てを棄却した。異議申立人が集会の主導者であり、他の多くの者の利 益に関わっている点や、部によってすでに審議され、決定にまで煮詰まっていたという事情もあり、本件での法的 問 題 が 将 来 の 多 く の 集 会 に と っ て 重 要 で あ る こ と か ら 憲 法 上 の 一 般 的 意 義 が 認 め ら れ、 「客 観 的 機 能 が、 異 議 申 立 人の死亡にもかかわらず手続を継続することを正当化する」とされたのであ ( 63) る 。 時の経過や事情の変更によって異議申立人の利益は認められないものの、客観的な意義が残されている場面では 同じように考えうるが、連邦憲法裁判所は、事件に応じて異議申立人の保護の必要性を判断し、憲法異議の主観的 機能を基本とした判断をしていると評価するものものあ ( 64) る 。 ( 2 )学説の反応 マ ー シ ュ は、 両 機 能 の 関 係 に つ い て、 学 説 の 反 応 を「連 邦 憲 法 裁 判 所 を 支 持 す る 見 解 は、 両 機 能 が 実 務 に お い て、具体的な事例において客観的機能の重量オーバーに行き着くまでのできる限りの発展を望むのに対して、批判 的な見解は、原則として主観的な機能が客観的機能に対して優位することを出発点として、客観的機能を補完的な ものとしてみる」とまとめてい ( 65) る 。確かに個人の権利保障機能が喪失するまでに客観的機能が強調されることは論 争を引き起こす。一般的にいえば、客観的機能が主観的機能を排除するものではないし、むしろ基本権の強化に資 す る べ き で あ る と い え ( 66) る 。 場 合 に よ っ て は、 「公 共 の 利 益 と 異 議 申 立 人 の 利 益 の 衡 量」 が 求 め ら れ る こ と も 考 え ら れ ( 67) る が、その利益衡量は一般的・抽象的に議論することはできず、事例に応じた個別の判断が求められる。連邦憲
法裁判所も判決において触れているところであるが、学説はあくまでも憲法異議の出発点となる基本権侵害を第一 次的に捉えること自体は否定しない。その上で、両機能のバランスをどのように図るかが立場の違いに繋がる。ク ラ イ ン も、 憲 法 異 議 の 客 観 的 側 面 は「個 人 の 基 本 権 保 護 に 対 し て 否 定 的 な 効 果 を 持 ち」 、 行 き 過 ぎ た 内 容 の 拡 張 を もたらす客観的機能への誘惑を断ち切り、実質的な憲法の実現という主たる任務を有する憲法訴訟法の中で、憲法 異議も個人の主観的な基本権から離れていくことは許されないとしているが、あくまで憲法異議の客観的機能に対 する総括的な指摘ではなく、客観的機能に基づく拡張傾向に対する警告であることを指摘してい ( 68) る 。 学説においてとりわけ論争的であったのが正書法改革判決である。学説の反応は二分され ( 69) た 。連邦憲法裁判所法 の欠缺は立法者の意図するところで、憲法異議の取下げについて規律されていないがゆえに、欠缺の補充を連邦憲 法裁判所の役割であるとも考えう ( 70) る 。事件の性質によって、個人の利益が後退し、公共性のある問題が中心となっ ているような場合では妥当かもしれないが、この件はあくまでも例外的なもので一般化することは認められないと も指摘され ( 71) る 。やはり客観的機能が主観的機能を損なうようなものでは受け入れられにくいであろう。 また、マーシュは、異議申立人が死亡したにもかかわらず、あるいは憲法異議を取下げたにもかかわらず、連邦 憲法裁判所が継続して判断を下してきた諸判例に対して、権力分立の観点から、憲法裁判所の権限は無制限ではあ り え な い し あ っ て は な ら な い と し て、 あ く ま で 手 続 を 裁 判 と い う 形 式 に し た と い う 重 要 な 制 限 が あ る の で あ る か ら、自ら権限を拡張することを批判す ( 72) る 。連邦憲法裁判所のこのような判断は、個人の権利保護という性格を変性 さ せ る も の で あ る と し て、 憲 法 の 解 釈、 維 持、 発 展 を 唯 一 の 目 的 と し た 手 続 の 継 続 は 原 則 と し て 許 さ れ な い と す る。ただし、マーシュもヴンジーデル決定のように、更なる数多くの当事者が想定される場合には例外が認められ るとし、このような制限は手続の主観的機能から正当化されるとしてい ( 73) る 。
このようにみると、ドイツの学説における憲法異議の機能に対する評価は、結局個別の事例に応じて、両機能の バランスを検討していくしかないという穏当なところに落ち着くことになる。 おわりに そ も そ も 客 観 的 機 能 に 肯 定 的 な 見 解 は、 「そ の 概 念 に 多 種 多 様 な 意 味 内 容 が 与 え ら れ る こ と」 を 可 能 に す る こ と を認めてきた。そうであるならば権利保護機能に対して限界が引かれることは、いわば当然の論理である。これに 対 し て、 「他 方 で 客 観 的 要 素 (と 思 わ れ る も の) が 主 観 的 機 能 を 補 充 し 強 化 す る も の で あ る か ら、 客 観 的 要 素 が 主 観 的機能の一部であ ( 74) る 」などとして憲法異議に客観的機能自体は認めながらも抑制的な立場もみられる。このような 議論の構図は、基本権の客観法的内容に関するそれと類似するが、しかし上で触れたように両者の理論的な関連性 についてはとりあえず消極的に考えられると結論づけた。 憲 法 異 議 の 客 観 的 機 能 を 認 め る ド イ ツ の (今 日 の) 議 論 と は 対 照 的 に ― そ し て ま た わ が 国 に お け る 理 解 の 傾 向 と も対照的 ( 75) に ―、早くから憲法異議の「本質的性格」あるいは「第一次的目的」について、申立人の主観的権利の保 障 に 限 定 さ れ る べ き で あ る こ と を 強 調 す る の が 川 添 利 幸「西 ド イ ツ に お け る 憲 法 訴 願 Verfassungsbeschwerde 制 度の本質」であ ( 76) る 。そこでは、たとえ連邦憲法裁判所が客観的憲法秩序の保障のためにとくに設置された機関であ るからといってただちに憲法異議の性質も客観的機能であるとする「素朴な類型的把握に危険を感じた」と指摘さ れる。その上で、両機能の区別についての「基本的なメルクマールは、自己の権利を侵害されたことが出訴の要件 とされるかどうか」として、主観的機能への限定を根拠づける。この論文が最初に公表された一九六二年以降、憲 法 異 議 は 基 本 法 上 の 制 度 と な り、 憲 法 異 議 手 続 の 継 続 件 数 や 受 理 手 続 の 改 正 な ど 取 り 巻 く 環 境 は 大 き く 変 わ っ た
が、これをもって憲法異議の本質的内容が変容したといえるかどうか。自己の基本権侵害という要件が、基本法上 の制度たる受理手続の導入によって根本的にその意味が変わってしまったとするならば、今日まで「基本的なメル クマール」として捉えうるか。 入 り 口 と し て の 自 己 の 基 本 権 侵 害 と い う 要 件 が 主 観 的 機 能 を 裏 付 け る こ と は 間 違 い な い が、 そ う で あ る か ら と いって常に主観的機能が優先することを基礎づけることはできない。憲法裁判所の地位の理解によっては、主観的 機能が第一次的であると捉えることも見直されることにな ( 77) る 。当然のことではあるが、連邦憲法裁判所が憲法異議 による憲法保障の側面を認めるとしても、常に基本権保障を蔑ろにするわけでも、してきたわけでもない。両機能 が衝突するような事例は、それが例外的であるかは別にしても、常態というわけではない。他方で、そのこと自体 が首尾一貫しておらず、事例に応じた恣意的な判断をしうるという問題は含んでい ( 78) る 。 川又論文が、基本法および連邦憲法裁判所法上の要件による理由づけを超えて、連邦憲法裁判所が個別の司法事 実の認定と評価という事実問題にまで踏み込んで審査する例を分析し、主観的権利保障の機能を重視している点を 指摘するのは重要であ ( 79) る 。そして、―わが国における憲法異議に対する評価が客観的機能重視の傾向にある点を批 判して―憲法異議の客観的機能は「主観訴訟の枠内において果たされうるものである」とする。ここでは判決に対 する憲法異議において積極的に基本権保障機能を果たしてきたか否かを評価する余裕はないが、客観的機能を重視 する見解が、客観的機能を認めた判例やそれを裏付ける制度の指摘に止まっているとしたら不十分であり、憲法異 議の本質に関する理論的な根拠づけを必要とする。これは結局、憲法異議の客観的機能に限定されない憲法裁判権 の限界画定の問題で展開されてきた議論にシフトすることになろう。これに関する学説の整理・検討については本 稿では触れる余裕はな ( 80) い 。
注 ( 1) 基 本 権 の 客 観 法 的 内 容 に つ い て は、 石 川 健 治「 『基 本 的 人 権』 の 主 観 性 と 客 観 性 ― 主 観 法 と 客 観 憲 法 の 間」 『岩 波 講 座 憲 法 2 人 権 論 の 新 展 開』 (岩 波 書 店、 二 〇 〇 七 年) 七 頁 以 下、 井 上 典 之「基 本 権 の 客 観 法 的 内 容 と 主 観 的 権 利 性 ― ド イ ツ 基 本 権 解 釈 学 の 素 描」 覚 道 古 稀『現 代 違 憲 審 査 論』 (法 律 文 化 社、 一 九 九 六 年) 二 六 九 頁 以 下。 ま た、 拙 稿「連 邦 憲 法 裁 判 所 初 期 の 判 例 に お け る 価 値 秩 序 論 に つ い て」 中 央 学 院 大 学 法 学 論 叢 二 三 巻 一 号(二 〇 一 〇 年) 一 六 八 頁、 宍 戸 常 寿『憲 法 裁 判 権 の 動 態』 (弘 文 堂、 二〇〇五年)一九九頁以下、松本和彦「ドイツ基本権論の現状と課題」ジュリスト一二四四号(二〇〇三年)一八八頁以下、ユッ タ・リンバッハ/青柳幸一訳「ドイツ連邦憲法裁判所の五〇年」ジュリスト一二一二号(二〇〇一年)五六頁以下、松原光宏「基 本権の多元的理解をめぐって (一) ~ (三) 」 法学新報一〇三巻六号九五頁・一〇三巻七号七五頁・一〇三巻八号六一頁 (一九九七 年) 、 Robert Alexy, Grundrechte als subjektive Rechte und als objektive Normen, Der Staat, S.49 (ロベルト・アレクシー/小山 以上のように、議論はあれども、憲法異議は一般的に個人の主観的権利・利益保護という性格を超えた機能を有 するものであるとされてきた。従来、―いわゆるアメリカ型と対比して―ドイツにおいては規範統制手続をはじめ とする客観的な憲法秩序の保護が強調されてきたことに対して、憲法異議が主観的権利保護という性格をもつもの として対照的に示されてきたことについて、このような対比的な類型論が持つ意味は大きく減少してい ( 81) る 。 わ が 国 の 最 高 裁 判 所 も、 近 時 の 違 憲 審 査 の 活 性 化 が 指 摘 さ れ る と こ ろ で あ る が、 こ れ ま で の 判 例 の 傾 向 を み て も、少なくとも法令審査においては個人の権利保護を達成させるためというよりも、一般的・抽象的な審査を展開 して結論を下してきたように思われる。わが国における司法審査が付随的審査制度であるとしても、憲法上の権利 保障のみならず、憲法保障機能を認めることは矛盾しな ( 82) い 。わが国の違憲審査との比較も今後の検討課題とする。
剛 訳「主 観 的 権 利 及 び 客 観 規 範 と し て の 基 本 権(一) (二・ 完) 」 名 城 法 学 四 三 巻 四 号(一 九 九 四 年) 一 七 九 頁、 四 四 巻 一 号 (一九九四年)三二一頁) 、青柳幸一「基本権の多次元的機能」 『個人の尊重と人間の尊厳』 (信山社、一九九六年)七六頁以下、戸 波江二「西ドイツにおける基本権解釈の新傾向(一)~(五・完) 」自治研究五四巻七号~一一号(一九七八年)参照。 ( 2) laus Stern, in: Stern/Becker ( Hrsg. ), Grundrechte-Kommentar, Einl.38ff; Stern, Das Staatsrecht der Bundesrepublik Deutschland, III/2, §68. ( 3) Stern ( Fn.2 ) Einl.36. ( 4) リ ュ ー ト 判 決( BVerfGE 7, 198 ) に お い て 連 邦 憲 法 裁 判 所 が、 基 本 権 を 国 家 に 対 す る 市 民 の 防 御 権 で あ る こ と に 加 え て、 「憲 法 上 の 根 本 決 定 と し て あ ら ゆ る 法 秩 序 に 妥 当」 す る 客 観 的 内 容 を 有 し、 「立 法・ 行 政 お よ び 裁 判 が そ こ か ら 方 向 性 と 刺 激 を 受 け る」としたことは周知の通りであるが、その前年の夫婦合算決定において、家族保護に関する基本法六条一項について「価値決定 的な原則規範」であることを認めている。ただ、いずれにしても、リュート判決がドイツの基本権発展にとってターニングポイン ト( Weichenstellung ) で あ る こ と は 間 違 い な い。 こ れ に つ い て は リ ュ ー ト 判 決 に 対 す る 多 様 な 考 察 と し て、 Thomas Henne/ Arne Riedlinger ( Hrsg.
), Das Lüth-Urteil aus
( rechts-) historischer Sicht, 2005 がある。 ( 5) 非常に最近のものとして、 Nikolaus Marsch, Die objektive Funktion der Verfassungsbeschwerde in der Rechtsprechung des Bundesverfassungsgerichts, AöR Bd.137, 2012, S.592 が あ る。 後 に も 見 る よ う に 連 邦 憲 法 裁 判 所 の 判 決 と の 関 係 で 機 能 論 に つ い て 触 れ ら れ る も の は 多 く あ る が、 こ こ で は 包 括 的 な も の と し て、 Christoph Gusy, Die Verfassungsbeschwerde, in: Peter Badura/ Horst Dreier, FS 50 Jahre Bundesverfassungsgericht, Bd.1, S.641; Eckart Klein, Zur objektiven Funktion der Verfassungsbe-schwerde, DÖV 1982, S.797. ( 6) 連邦憲法裁判所の権限については、工藤達朗編『ドイツの憲法裁判』 (中央大学出版部、二〇〇〇年) (なお、同書の改訂版が 本 稿 と 同 時 期 に 公 刊 さ れ る 予 定 で あ る。 )。 連 邦 憲 法 裁 判 所 の 権 限 に は、 「申 立 権 者 の 権 利・ 利 益 や 権 限 と 関 係 な く 法 律 の 憲 法 適 合 性審査が行われる」抽象的規範統制(同書三五三頁〔森保憲〕 )や、 「連邦およびラントの議会立法者の保護と、法的混乱及び法的 不安定性の回避」を目的とする抽象的規範統制のほか(同書三三四頁〔畑尻剛〕 )、連邦機関争訟、連邦国家的争訟、基本権の喪失
手続、政党の違憲確認手続、連邦大統領に対する訴追手続、選挙抗告手続などがある。このうち基本権喪失手続も、いわゆる闘う 民主主義に基づいて、憲法秩序を保護するために基本権の保護を剥奪することを意味する予防的な憲法保障である(同書四二四頁 〔山本悦夫〕 )。また、選挙抗告手続の目的についても、連邦憲法裁判所は、 「主観的権利の保護ではなく、連邦議会の正当な構成を 保障するための客観的な選挙法の保護にある」とされる(同書四四六頁〔山本悦夫〕 )。 ( 7) 憲 法 異 議 の「機 能( Funktion )」 論 に は、 後 に も 触 れ る よ う に 憲 法 異 議 の「効 果( Effekt )」 も 含 ま れ る。 さ ら に こ れ ま で「目 的」や「本質」などとしても論じられてきた。例えば、憲法異議に関する先駆的な研究である川添利幸「西ドイツにおける憲法訴 願 Verfassungsbeschwerde 制度の本質」同『憲法保障の理論』 (尚学社、一九八六)一七七頁(初出、公法研究二四号(一九六二 年)一五〇頁)は、憲法異議の「目的」について考察しているが、本稿の対象と変わらない。 ( 8) 戸松秀典『憲法訴訟〔第二版〕 』(有斐閣、二〇〇八年)は、 「第Ⅳ編 憲法訴訟の機能論」を掲げ、 「通常の法解釈論の作業に とどまらないで、訴訟や裁判が憲法秩序の形成の場面で示す機能について」考察している。ここでの憲法訴訟の機能論は、本稿の 関心に沿ってまとめるならば、さらに次のような考察に区分することができる。すなわち、①「憲法訴訟の性格」論…憲法訴訟を 憲法保障型と私権保障型とに区分し、その「目的」を整理する、②「憲法裁判の効果」論…「裁判所の憲法判断が、憲法訴訟の当 事 者 の み な ら ず、 政 治 過 程 や 社 会 に も た ら す 法 的 お よ び 事 実 上 の 効 果 に 注 目 す る」 、 ③「憲 法 裁 判 の イ ン パ ク ト」 論 …「あ る 憲 法 裁 判 が 政 治 過 程 や 社 会 に 影 響 を 与 え て、 そ れ に 刺 激 さ れ た さ ま ざ ま な 反 応 や 対 応 が 生 ま れ る と こ ろ を と ら え て 分 析 す る」 、 ④「司 法 の 政 策 形 成 機 能」 の 考 察 で あ る。 こ の う ち ド イ ツ に お け る 憲 法 異 議 の 機 能 論 は、 主 に ① ② に つ い て 言 及 す る も の が 多 い が、 「機 能論」を大きな枠組とする戸松教授の区分と同様、その考察対象は相当に広くなっている。 ( 9) 機能法的アプローチについては、とりわけ宍戸(注 1)二三六頁以下、渡辺康行「概観:ドイツ連邦憲法裁判所とドイツの憲 法 政 治」 ド イ ツ 憲 法 判 例 研 究 会 編『ド イ ツ の 憲 法 判 例〔第 二 版〕 』 三 頁。 ま た、 Martin Düwel, Kontrollbefugnis des Bundesver
-fassungsgerichts bei Verfassungsbeschwerden gegen gerichtliche
Entscheidungen, 2004 を参照。 ( 10) 川 又 伸 彦「判 決 に 対 す る 憲 法 異 議 の 機 能」 DAS 研 究 会 編『ド イ ツ 公 法 理 論 の 受 容 と 展 開 ― 山 下 威 士 先 生 還 暦 記 念』 (尚 学 社、 二〇〇四年)五〇八頁以下。
( 11) た だ し 川 又(注 10) の 注 12に お い て、 工 藤(注 6)〔工 藤 達 朗〕 を 引 い て 同 様 の 関 心 が 示 さ れ て い る。 本 稿 の 関 心 の 第 二 の きっかけはここにある。 ( 12) Klaus Stern, Das Staatsrecht der Bundesrepublik Deutschland, Bd.II, IV §44, S.1016 (シ ュ テ ル ン / 赤 坂・ 片 山・ 川 又・ 小 山・高田編訳『ドイツ憲法Ⅰ 総論・統治編』 (信山社、二〇〇九年)五二七頁) 。 ( 13) 以 上 の 統 計 に つ い て は、 連 邦 憲 法 裁 判 所 ウ ェ ブ サ イ ト http://www.bundesverfassungsgericht.de/organisation/gb2011/A-I-1. html (二 〇 一 三 年 一 月 一 〇 日 確 認) と、 Benda/Klein, Verfassungsprozessrecht, 3.Aufl., Anhang II, S.598f を 参 照 し た。 Vgl.
Benda/ Klein, Verfassunsgprozerecht, 3.Aufl., Rn.439f.
( 14) 受 理 手 続 に つ い て は、 工 藤(注 6) 二 七 二 頁 以 下〔小 野 寺 邦 広〕 が 詳 し い。 ド イ ツ に お け る サ ー シ オ レ イ ラ イ の 導 入 に つ い て、 い わ ゆ る ベ ン ダ 委 員 会 の 報 告 書 を 詳 細 に 分 析 し た 小 野 寺 邦 広「ド イ ツ『連 邦 憲 法 裁 判 所 の 過 重 負 担 解 消 委 員 会』 報 告 書 (一九九八年)について―サーシオレイライの導入の試みとその挫折―」比較法雑誌四三巻三号(二〇〇九年)一九九頁参照。 ( 15) Benda/Klein ( Fn.13 ) Rn.392ff; Lechner/Zuck, Verfassungsprozessrecht, 3.Aufl., §90 Rn.7ff; Maunz/Schmidt-Bleibtreu/Klein/ Bethge, Bundesverfassungsgerichtsgesetz, §90 Rn.8ff; Umbach/Clemens/Dollinger, Bundesverfessungsgerichtsgesetz §90 Rn.13;
Rüdiger Zuck, Das Recht der Verfassungsbeschwerde, 3.Aufl., Rn.8
0ff. 川添(注 7)。 ( 16) Gusy ( Fn.5 ) S.644. ( 17) Gusy ( Fn.5 ) S.645f. ( 18) Stern ( Fn.12 ) § 44, IV, 9 (シュテルン『ドイツ憲法Ⅰ』五二七頁) 。 ( 19) Gusy ( Fn.5 ) S.645f. b ). ( 20) Zuck ( Fn.15 ) Rn.75ff. ( 21) BVerfGE 33, 247 ( 258f. ). ( 22) Zuck ( Fn.15 ) Rn.76. ( 23) Zuck ( Fn.15 ) Rn.77.
( 24) 砂利採取事件については、ドイツ憲法判例研究会編『ドイツの憲法判例〔第二版〕 』(信山社、二〇〇三年)三一三頁以下〔西 埜章〕を参照。 (以下、 『ドイツの憲法判例Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』 〔番号:担当者名〕と標記する。 ) ( 25) Zuck ( Fn.15 ) Rn.78 は さ ら に、 そ の 後 の BVerfGE 51, 130 に お い て、 BVerfGE 33, 247 を 確 立 し た 判 例 と し て 挙 げ た 上 で、 憲 法異議の客観的機能を用いて、仮の権利救済手続における抗告裁判に対する憲法異議を否定した例を掲げて、次のように注を付し て い る。 「そ れ ゆ え 憲 法 異 議 が 実 際 に『付 随 的』 あ る い は 独 自 の 憲 法 上 の 議 論 を 含 ん で い な い か が 問 題 と な る。 異 議 申 立 人 は 最 初 の憲法異議を、事情によっては知らなかったため、その憲法異議の許容性は、申立人に知られない事実によっていることになる。 これは間違いなく憲法異議の『客観的』機能である。この判例において、連邦憲法裁判所は、その他に、憲法異議の補充性の観点 をも援用している。 」さらに、 Zuck ( Fn.15 ) Rn.78, Fn.338 を参照。 ( 26) Vgl. E. Klein ( Fn.5 ) S.799. ( 27) Zuck ( Fn.15 ) Rn.86; Gusy ( Fn.5 ) S.652f. ( 28) Marsch ( Fn.5 ) S.607ff. な お、 受 理 手 続 に つ い て 機 能 論 に 基 づ い て 考 察 す る も の と し て、 Hans F. Zacher, Die Selektion der Verfassungsbeschwerden- Die Siebfunktion der Vorprüfung des Erfordernisses der Reschtsershcöpfung und des Kriteriums der unmittelbaren und gegenwärtigen Betroffenheit des Beschwerdeführers, in: Christian Starck ( Hrsg. ), Bundesverfassungsgericht und Grundgesetz, Bd.1, S.396ff. ( 29) 先にも挙げた工藤(注 6)二七三頁以下〔小野寺〕は、受理手続の沿革について整理する中で、受理手続と憲法異議の機能に ついて言及している。 ( 30) とりわけ現行の受理制度の導入と客観的機能の関係については、工藤(注 6)二七八頁〔小野寺〕 。 ( 31) Gusy ( Fn.5 ) S.652. Vgl. E. Klein ( Fn.5 ) S.801. ( 32) E. Klein ( Fn.5 ) S.952 S.801. ( 33) ここでいう客観的機能は、事案解決のために裁判所が法を解釈する際に(いわば必然的に生じる)客観的役割、すなわち裁判 所が公権力による基本権侵害について審査するにあたって、一般的・抽象的に基本法を解釈し一定の規範を導き出す役割や、その
規 範 が 有 す る(個 人 の 主 観 的 権 利・ 利 益 の 保 護 と は 異 な り、 そ の 限 り で 客 観 的 と も い い う る) 効 力 な ど と は 異 な る。 Marsch ( Fn.5 ) S.615 も参照。 ( 34) Marsch ( Fn.5 ) S.615. ( 35) Gusy ( Fn.5 ) S.654. ( 36) Zweigert, JZ 1952, S.321. 連 邦 憲 法 裁 判 所 も 用 い た 「 教 育 機 能 ( Edukationsfunktion )」 の 他 に 、「 討 議 機 能 ( Diskursfunktion )」 という語も用いられる。 Benda/Klein, Rn.392; Lechner/Zuck, §90 Rn.12a; Zuck ( Fn.15 ) Rn.102. ( 37) Gusy ( Fn.5 ) S.655. ( 38) 川 添(注 7) 一 八 一 頁 参 照。 な お、 Matthias Jestaedt/Oliver Lepsius/Christoph Möllers/Christoph Schönberger/Das ent-grenzte Gericht, 2011. も参照。 ( 39) Gusy ( Fn.5 ) S.651f. ( 40) Lechner/Zuck ( Fn.13 ) § 90 Rn.9ff; Zuck ( Fn.15 ) Rn.84ff. ( 41) Zuck ( Fn.15 ) Rn.85. ( 42) 「連 邦 法 律 は、 連 邦 憲 法 裁 判 所 の 機 構 及 び 手 続 を 規 律 し、 か つ、 そ の 裁 判 が い か な る 場 合 に 法 律 と し て の 効 力 を 有 す る か に つ いて定める。この連邦法律は、憲法異議に際し、前もって〔通常の〕裁判で争う途を残らず尽すことを申立ての前提条件とし、ま た、特別の受理手続を規定することができる。 」 ( 43) Zuck ( Fn.15 ) Rn.86; Gusy ( Fn.5 ) S.652f. ( 44) Zuck ( Fn.15 ) Rn.87. ( 45) Zuck ( Fn.15 ) Rn.89; Lechner/Zuck ( Fn.13 ) § 95 Abs.1, Rn.3. ( 46) Vgl. Marsch ( Fn.5 ) S.614. ( 47) 違憲確認宣言については、 Benda/Klein ( Fn.13 ) Rn.1392ff. ( 48) Gusy ( Fn.5 ) S.650. なお、工藤(注 6)二四二頁の注 22はこの点を指摘する。
( 49) E. Klein ( Fn.5 ) S.804f. ( 50) とりわけ連邦憲法裁判所初期の客観的価値秩序論については、嶋崎健太郎「基本権の価値体系論とその問題点」中央大学大学 院研究年報第一三号Ⅰ― 一(一九八四)二五頁以下、拙稿(注 1)。 ( 51) 確かにエルフェス事件において最初に連邦憲法裁判所は基本法の制限について客観的な憲法秩序全体を基準として審査した。 し か し、 そ こ で も(本 件 で 問 題 と な る 一 般 的 行 為 自 由 の 保 障 の 根 拠 で も あ る) 基 本 法 二 条 一 項 の「憲 法 適 合 的 な 秩 序( verfas -sungsmäßige Ordnung )」 に つ い て 価 値 秩 序 論 に 基 づ い て 論 を 展 開 し た が、 基 本 権 の 客 観 的 内 容 の 根 拠 に は な れ ど も、 憲 法 異 議 の 客観的機能との直接的な論理的関係は見出せないように思われる。これについては、 Herbert Bethge, Die Grenzen grundrecht-li -cher Subjektivierung objektiven Verfassungsrechts ― Zum aktuellen Stellenwert der Elfes-Konstruktion, in: Deppenheuer/ Heintzen/Jestaedt/Axer ( Hrsg.
), Staat im Wort, FS für Josef Isensee, 2007, S.613.
また Marsch ( Fn.5 ) S.616 参照。 ( 52) 憲 法 異 議 に お い て 当 事 者 の 主 張 に よ り 非 難 さ れ て い な い 基 本 権 侵 害 を 審 査 す る こ と が で き る か に つ い て、 Marsch ( Fn.5 ) S.611ff. ( 53) Stern ( Fn.12 ) § 44, Ⅳ 9 η ) S.1022f. (シュテルン(注 12)五三二頁) ( 54) BVerfGE 6, 32 (『憲法判例Ⅰ』 〔四:田口精一〕 。 ( 55) Stern ( Fn.12 ) § 44, Ⅳ 9 η ) S.1022f. (シュテルン(注 12)五三三頁) ; Zuck ( Fn.15 ) Rn.388, 393. ( 56) Zuck ( Fn.15 ) Rn.96ff. ( 57) Benda/Klein ( Fn.15 ) Rn.395; Zuck ( Fn.15 ) Verfassungsbeschwerde, Rn.96ff. ( 58) Zacher ( Fn.28 ) S.415ff. ( 59) Benda/Klein ( Fn.15 ) Rn.398ff. ( 60) Zuck ( Fn.15 ) Rn.99 は、 法 的 問 題 を 統 一 的 に 処 理 す る 機 能 を も っ て 修 正 機 能( Korrekturfunktion ) と し て、 「こ れ に よ っ て 憲 法 異 議 の 主 観 的 機 能 が 制 限 さ れ る」 こ と を 認 め る と し て い る。 ま た、 「憲 法 異 議 手 続 に お け る 権 利 保 護 が 個 人 の 権 利 侵 害 を 超 え て 保障される機能」として補完機能( Komplementärfunktion )とする。
( 61) 本 件 に つ い て は、 『憲 法 判 例 Ⅲ』 〔六: 斎 藤 一 久〕 。 な お、 Marsch ( Fn.5 ) S.597. ま た、 オ ー ス ト リ ア も 含 め た 一 連 の 正 書 法 改 革訴訟については、 『憲法判例Ⅲ』 〔八六:根森健〕が詳しい。 ( 62) Benda/Klein ( Fn.15 ) Rn.409. Vgl. Marsch ( Fn.5 ) S.601ff. ( 63) Marsch ( Fn.5 ) S.605. ( 64) Zuck ( Fn.15 ) Rn.101. ( 65) Marsch ( Fn.5 ) S.604. ( 66) Benda/Klein ( Fn.15 ) Rn.395. ( 67) Gusy ( Fn.5 ) S.653f. c ) は、権利保護の申立ての許容性と受理の判断においては、 「内容と限界の問題」というよりも「解釈・ 衡量の問題」であると指摘する。 ( 68) E. Klein ( Fn.5 ) S.805. Vgl. Marsch ( Fn.5 ) S.623. ( 69) Wolfgang Löwer, Zuständigkeiten und Verfahren des Bundesverfassungsgerichts, in: Josef Isensee/ Paul Kirchhof ( Hrsg. ), HbStR Bd.3, 3.Aufl., S.1285, Rn.171, Fn. 1397. ( 70) Benda/Klein ( Fn.15 ) Rn.503ff; Marsch ( Fn.5 ) S.601. ( 71) Benda/Klein ( Fn.15 ) Rn.409 は、本件の結論は妥当であるが、限られた例外的なものであるとする。 ( 72) Marsch ( Fn.5 ) S.620f. ( 73) Marsch ( Fn.5 ) S.623. ( 74) Marsch ( Fn.5 ) S.615. ( 75) わが国における憲法異議に対する理解を整理するものとして、川又(注 10)五一五頁以下。 ( 76) 川添(注 7)。また、川又(注 10)五一六頁も参照。 ( 77) 学 説 の 反 応 と し て は、 実 質 的 ア プ ロ ー チ で あ れ、 機 能 法 的 ア プ ロ ー チ で あ れ、 憲 法 裁 判 権 に 対 す る 限 界 づ け を Magot
Fröhlinger, Die Erledigungder Verfassungsbeschwerde, 1982, S.20
5 は、両機能を「同等である(
gleichrangig
( 78) Marsch ( Fn.5 ) S.601f. は、正書法改革判決の立場を一貫して受け継いでいない点を指摘する。 ( 79) 川 又(注 10) 五 二 三 頁。 ま た、 同「憲 法 裁 判 に お け る 法 律 審 の 事 実 審 査 ― ド イ ツ 連 邦 憲 法 裁 判 所 の 判 例 を 中 心 に」 法 学 新 報 一 〇 三 巻 二 ・ 三 号 五 四 七 頁、 同「ド イ ツ 連 邦 憲 法 裁 判 所 に よ る 司 法 事 実 審 査 に つ い て ― 最 近 の 判 例 の 動 向 を 中 心 に」 樋 口・ 上 村・ 戸波編『日独憲法学の創造力―栗城壽夫先生古稀記念:下』 (二〇〇三年)二七一頁。 ( 80) 上述したように、機能法的アプローチについては、宍戸(注 1)、渡辺(注 9)、川又(注 10)五一三頁以下。ただし、連邦憲 法裁判所が憲法異議の客観的機能を認めたこと客観法的アプローチがうまく対応関係に立つかは、結局機能法的アプローチという 括り方自体の問題にも繋がるように思われる。 ( 81) ア メ リ カ 型 と ド イ ツ 型 の 対 比 的 な 区 分 に つ い て は、 例 え ば 初 宿 正 典「ド イ ツ の 連 邦 憲 法 裁 判 所」 比 較 憲 法 学 研 究 一 七 号 (二〇〇五年)四一頁参照。 ( 82) 佐々木雅寿『現代における違憲審査権の性格』 (有斐閣、一九九五年)二六六頁参照。 ―たけち しゅうさく・法学部准教授―