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作者と権威 「再現前的公共圏」の復権とユンガー『鋼鉄の嵐のなかで』

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1.はじめに─1920年代における「再現前的公共圏」の復権  ユルゲン・ハーバーマスは『公共圏の構造転換』(1962)において,自由で主体的な 議論を可能にする「市民的公共圏(bürgerliche Öffentlichkeit)」がどのようにして成立 し衰退したのかを描いた。一度は衰退したかにみえたこの概念のなかに現代的なポテン シャルを見出した1990年新版の序文では,その叙述が,近代的な「市民的公共圏」と, 前近代的な「再現前的公共圏(repräsentative Öffentlichkeit)」の対比にあったことが指 摘されている。1)  ハーバーマスの定義する「再現前的公共圏」とは,封建社会において王や領主によっ て執り行われた式典や祝祭,そして彼らによって体現された作法のことを指す。この社 会では,王や領主の振る舞いがすべて「公」となる。近代社会において市民が自由に参 与できる民主的な空間としての「市民的公共圏」とは異なり,「再現前的公共圏」は, 封建社会において民衆への「威光」を具現するものであり,この「公共圏」を支えるも のこそまさに権威0 0なのである。2)  ところで,「再現前的公共圏」を前近代的産物として片づけることは,『公共圏の構造 転換』におけるこの概念形成の背景を考慮するなら,早急な判断に思われる。というの もハーバーマス自身がこの概念定義の叙述にあたって,ヴァイマル共和国において「再 現前(Repräsentation)」3)の政治を復権させようとした公法学者カール・シュミットの著 作に依拠しているからである。4)シュミットは「再現前」概念を,「不可視の存在を,公

1) Vgl. Jürgen Habermas: Strukturwandel der Öffentlichkeit. Untersuchungen zu einer Kategorie der bürgerlichen Gesellschaft. Mit einem Vorwort zur Neuauflage. Frankfurt. a. M. (Suhrkamp) 1990, S. 17. 2) Vgl. ebd., S. 58-67. 3) Repräsentationの訳語は,この概念をシュミットの政治思想の根源として評価した和仁陽 の見解に依拠して,「再現前」を選択した。和仁によれば,この概念に「代表」という訳語があ てられるなら,近代議会制の意味が前面化されることになる。だがシュミットが念頭に置くの は,上からの権威によって支えられたカトリック教会の秩序を古典的モデルとする政治形態で ある。それゆえ,「特殊初期近代的概念」の意味を伝える訳語が選択されるべきである。和仁陽: 教会・公法学・国家―初期カール・シュミットの公法学(東京大学出版会)1990, 171頁以下 を参照。 4) Vgl. Habermas, a. a. O., S. 61-63. ハーバーマスがシュミットの「再現前」概念の受容を通

じて「再 現 前 的 公 共 圏」 の 概 念 を 構 築したことについては,Vgl. Hartmuth Becker: Die

作者と権威

─「再現前的公共圏」の復権とユンガー『鋼鉄の嵐のなかで』

稲  葉  瑛  志

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にいる存在によって可視化し,現前化すること」5)と定義した。シュミットの理解によ れば,近代国家の統治様式には,民主主義的統治のほかに,「不可視の存在」を体現す る者による統治がある。その古典的モデルはフランスの王政にあり,それは「カトリッ ク教会の世俗版」でもある。それゆえ法学者和仁陽の言葉を借りるなら,「再現前の原 理に貫かれ,〈上からの権威〉に支えられたカトリック教会は,キリストの代理人たる 教皇に権能を集中した,文字通りのヒエラルヒーをなす厳格な決断主義的秩序である」。6)  シュミットによって理論化された「再現前」の政治思想を,この概念がうちだされた 政治的・社会的文脈に差し戻して検討すると,この思想が当時の公共圏において影響力 をもっていたことがわかる。ハーバーマスは『公共圏の構造転換』において20世紀を 叙述する際,「カール・シュミットがヴァイマル共和制において同様の事態を観察して いた」とことわりを入れながら,議会が「審議機構から示威機構へと変化した」ことを 指摘している。7)つまり彼は,「市民的公共圏」を建前とする議会制民主主義がいわば「再 封建化」されつつある時代の空気をここで指摘しているのである。8)さらにP・トラヴ ニーによると,権威主義的性格をもつこの概念は,とりわけヴァイマル期のナショナリ ストたちの政治的思考に対して強い求心力をもっていたという。なぜなら,彼らは,ヴェ ルサイユ条約によって主権を剝奪されるような国家の危機に してもなお,議会の議論 にあけくれて決断をくだせないヴァイマル共和国の政党政治に対して不満を抱き,強力 な指導者によって統治される権威主義的国家を要求していたからである。9)したがって, 前近代的な「再現前的公共圏」は,ヴァイマル共和国において,権威をめぐる問題とし てかたちを変えながら,ふたたび亡霊のように呼び起こされたのである。  このように「再封建化」されつつある公共圏の時代状況のもとで,エルンスト・ユン ガーの戦争文学『鋼鉄の嵐のなかで(In Stahlgewittern)』は執筆され,稿を重ねて出版 された。10)そして彼自身,こうした社会の声に敏感に反応し,前線の実情とその意味を 語ることのできる作者として自己様式化しようとしていたことが,1924年の第3稿で

Parlamentarismuskritik bei Carl Schmitt und Jürgen Habermas. Berlin (Duncker & Humblot) 1994, S. 139-142.

5) Carl Schmitt: Verfassungslehre. 10. Aufl. Berlin (Duncker & Humblot) 2010, S. 209.

6) 和仁,前掲書,182頁。

7) Vgl. Habermas, a. a. O., S. 305. 8) Vgl. ebd., S. 291f.

9) Vgl. Peter Trawny: Die Autorität des Zeugen. Ernst Jüngers politisches Werk. Berlin (Matthes & Seitz) 2009, S. 100-109.

10) Ernst Jünger: In Stahlgewittern. Historisch-kritische Ausgabe in 2 Bänden. Hg. v. Helmuth Kiesel. Stuttgart (Klett) 2013. 第1巻がテクスト,第2巻が注釈と資料となっているため,引用は

第1巻からおこない,本文中の括弧内に頁数を表記する。テクストには,初稿から第7稿まで

に加筆修正された箇所がまとめられている。もとの戦争ノートから『鋼鉄の嵐のなかで』の間 には,省略された箇所のみならず,付け加えられた出来事も数多く存在する。このノートは,長

らく出版されず,文献学的研究の弊害となっていたが,現在では,Ernst Jünger: Kriegstagebuch

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突如付け加えられた序文の言葉から察知できる。「この本には予期しなかったかなり多 くの意義が認められ,そのことが,私のなかにある歴史的な責任0 0 0 0 0 0 0 0 という感情を呼び起こ したのです」。[強調は引用者](23)そして,この作品のもとになった従軍日記から, 「手榴弾。前方へ! 一人,擦過弾。水,チョコレート。先へ。一人死亡」などの「実 際の文体」を読者に披露し,(23)自身が,社会にはまだ知れ渡っていなかった前線の 実情を知る証言者であることを読者の脳裏に刻みつけようとこころみたのである。  本稿は,以上のような「再現前的公共圏」の復権というヴァイマル期に特殊な現象を 念頭に置きながら,無名の作家であったユンガーが,作者としての権威をいかにして獲 得したのかを『鋼鉄の嵐のなかで』において発見するこころみである。11)その論述にあ たって,テクストを出版時の政治的・社会的文脈に置き直し,作品の受容と照合するこ とも視野に入れながら,作中で語られる前線の経験が,特権的な証言として読者に信用 されてゆく過程を例証する。この作業を通して,作品の背後に「威光」をもつ権威的な 作者像がどのようにして構築されたのかを明らかにすることを目的とする。そして,マ ス・メディアが台頭する20世紀の公共圏の「再封建化」を診断したハーバーマスとは 異なる角度からこの時代の公共圏の一側面を描き出すこと─これが本稿の課題である。 2.敗戦国ドイツにおける歴史叙述の不在と「前線の秘密」の言説  『鋼鉄の嵐のなかで』は,作者ユンガーが第一次世界大戦の戦場で書き溜めた14冊の ノートをもとに,4年間にわたる従軍体験を一人称の語りで描いた日記風の作品である。 初稿(1920)から第7稿(1978)まで,稿を重ねるごとにテクストの文体が洗練され, また,作者の政治的態度を反映した大幅な加筆修正も確認できる。12)本稿ではヴァイマ ル期の初稿(1920),第2稿(1922)も視野に入れつつ,主に第3稿(1924)を扱い, 作品と戦後精神との特殊な関係を,歴史叙述の不在と「前線の秘密」という観点から理 解してみよう。

 自費出版された初稿と伝統的な軍事出版社Mittler & Sohnから出版された第2稿に は,愛国主義や民族中心主義にもとづく戦争体験の政治的意味づけはなく,無名兵士か 11) 権威の語源はラテン語のauctoritasにあり,その語がauctorに由来するように,古くか ら,作者と権威は密接な関係として意識されてきた。寺島俊穂「権威」,古賀敬太編:政治概念 の歴史的展開,第3巻(晃洋書房)2011, 96頁を参照。また,権威と権力の違いについては,ハ ンナ・アーレントの見解を参照されたい。彼女によれば,権力も権威も服従を要求するが,権 威は「外的な強制手段の使用をあらかじめ排除する」。権威は,それに従うように求められた者 が疑問をさしはさむことなく,その声を承認することを意味する。そのため,権威を承認する 過程では,平等主義を前提とする説得も力による強制も必要ではない。ハンナ・アーレント(引 田隆也・齋藤純一訳)『過去と未来の間―政治思想への8試論』(みすず書房)1994, 123-192 頁を参照。

12) 各 稿 の 比 較 研 究 は,Hermann Knebel: „Fassungen“. Zu Überlieferungsgeschichte und Werkgenese von Ernst Jüngers In Stahlgewittern. In: Harro Segeberg (Hg.): Vom Wert der Arbeit. Zur literarischen Konstitution des Wertkomplexes „Arbeit“ in der deutschen Literatur (1770-1930). Tübingen (Niemeyer) 1991, S. 379-408に詳しい。

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ら将校になるまでの戦闘を英雄的に描いた冒険小説的・教養小説的傾向が強い。それに 対して第3稿では,ナショナリズムにもとづく戦争体験の政治的意味づけが多数確認で きる。そのことはたとえば,「われわれは将来のために向こう見ずな鋼鉄の人種を必要 とする」(24)という発言や,「[…]あらゆる犠牲が,祖国の理念をますます光り輝か せていた」(642)という発言にみてとれる。こうした意味づけは,この時期から始まる 作者のナショナリズムへの傾倒が関係している。13)テクストの文体に着目した場合,た しかに,「読者に対して即物的に描く」(20)ことが心がけられているが,14)語り手の政 治的主張はこのように,戦後社会に対する作者の政治的態度を反映しているのである。  歴史学者M・エクスタインズが指摘するように,本書のみならず1920年代の戦争文 学は戦後精神を反映したものであった。そのため,これらの内容の真偽を問うことは簡 単ではない。15)しかし当時の読者は,戦争描写の真偽の判断とは異なる位相で,つまり 前線兵士の視点から語られた戦争文学に戦争の本当の意義を見出そうとしたのであっ た。16)その重要な背景として,まず,敗戦国ドイツでは,大戦の歴史叙述が十分におこ なわれなかったという特殊な事情がある。17)当時のドイツの歴史家たちは戦後しばらく, 前線兵士の体験を叙述することができず,前線の情報や描写は文学作品に委ねざるをえ なかったのである。18) 13) ユンガーが「新しいナショナリズム」論を本格的に展開するのは1925年以降であり,彼

は33年までに140本を超える政治文書を発表している。Vgl. Ernst Jünger: Politische Publizistik

1919-1933. Hg. v. Sven Olaf Berggötz. Stuttgart (Klett) 2001.

14) また,初稿序文の別の箇所ではこのようにも宣言されている。「私は従軍記者でもなけれ

ば,英雄コレクションを呈示するのでもない。私が描こうとするのは,どのようにあり得たかで はなく(wie es hätte sein können),むしろどうあったかである(sondern wie es war)」。(20)

15) 戦後社会において戦争体験の現実は,戦争体験の神話へと変容した。戦勝国とは異なり, 敗戦国ドイツでは,社会の言論空間において,戦争文学を通じてその意義を問うには,エーリッ ヒ・マリア・レマルクの反戦文学『西部戦線異状なし』(1929)の出版を待たねばならなかった。 言論空間では第一次世界大戦からおよそ10年の歳月を経て,好戦主義文学と反戦主義文学の内 容を通じて,戦争の真実をめぐる議論が開始された。モードリス・エクスタインズ(金利光訳): 春の祭典―第一次世界大戦とモダン・エイジの誕生(TBSブリタニカ)1991, 377-386頁を参 照。 16) 同上,387-401頁を参照。

17) Vgl. Ernst Schulin: Weltkriegserfahrung und Historikerreaktion. In: Wolfgang Küttler/Jörn Rüsen/Erst Schulin (Hg.): Geschichtsdiskurs, Bd. 4: Krisenbewußtsein, Katastrophenerfahrungen und Innovationen 1880-1945. Frankfurt a. M. (Fischer) 1997, S. 165-188.

18) エクスタインズ,前掲書,393-396頁を参照。村上宏昭は,伝統的な歴史の語りへの挑 戦という観点から,帰還兵の沈黙を,ホロコーストをパラダイムとする「表象の限界」を先取 りする議論に位置づける。村上宏昭:世代の歴史社会学―近代ドイツの教養・福祉・戦争(昭 和堂)2012,246頁を参照。また,帰還兵が文学を媒体として伝えようとした内容は,終戦直後 に出版されたパウル・フォン・ヒンデンブルクやエーリッヒ・ルーデンドルフなどの軍司令部の 高官の回想録にみられた「軍事的・政治的正当化」とは異なっていた。Vgl. Ulrich Baron/Hans

Harald-Müller: Weltkriege und Weltkriegsromane. Die literarische Bewältigung des Krieges nach 1918 und 1945. Eine Skizze. In: Zeitschrift für Literaturwissenschaft und Linguistik 75 (1990), S. 14-38, hier S.16.

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 次に,敗戦後すぐの社会において前線体験が語られることがなかったために,─た とえば民衆教育家ヴェルナー・ピヒトが以下のように捉えたように─それがひとつの 「秘密」としてみなされていた事態も,前線兵士の語りに特権性を与えた主な原因のひ とつとして挙げられる。   しかしこの秘密─前線の秘密0 0 0 0 0─はもはや伝達不可能である。それについてどん な言葉も存在しないのである。帰休兵は,家に帰り物語ったといわれている。彼は 陰鬱な重荷をおろし,それを打ち明けて心を軽くし,そして愛する者と故郷でその 重荷を分かち合いたいと願い,孤独のうちから帰ってきたのであったが,すぐに絶 望しなければならなかった。そして沈黙したのである。帰休兵のこの体験は,未来 の生全体を基礎づける経験になるだろう。[強調は引用者]19) ピヒトの伝える帰休兵の「前線の秘密」は,政治的な力点が異なるが,ヴァルター・ベ ンヤミンが『経験と貧困』(1933)のなかで指摘した「帰還兵の沈黙」の現象と,問題 意識を共有している。20)機械による大量殺戮の光景を言語化または物語化することは, 敗戦国ドイツでは喫緊の課題として捉えられていた。21)その過剰な期待も相まって,前 線体験は帰還兵だけが知る「秘密」として考えられていた。したがって帰還兵が文学と いう形式を借りてそのことを語るなら,作者には,体験した者にのみ許される特権性が 付与されることになったのである。  「前線の秘密」に関連して,戦争文学に特権が付与されたもうひとつの理由は,『鋼鉄 の嵐のなかで』の受容の仕方にある。ヴァイマル期のユンガー作品は,国防軍,保守革 命の思想家たち,保守的な市民層,共和国を支持する知識人などの幅広い層から受容さ れていた。22)ここで注目すべきは,G・リープヒェンが明らかにしたように,1929年の 戦争文学ブームが到来するまで,彼の作品の受容は,文学の読者ではなく,軍事関係と ナショナリストの読者に限定されていたことである。23)一例を示すと,1922年,フリー

ドリヒ・イマヌエル大佐は『ドイツ文芸中央雑誌(Literarisches Centralblatt für Deutschland)』 のなかで,一般市民の読者に向けて本書を次のように紹介している。「プール・ル・メ 19) Werner Picht: Der Frontsoldat. Berlin (Herbig) 1937, S. 20.

20) Vgl. Walter Benjamin: Erfahrung und Armut: In: Ders.: Gesammelte Schriften in 7 Bänden. Bd. 2.1: Aufsätze, Essays, Vorträge. Hg. v. Rolf Tiedemann/Hermann Schweppenhäuser. 6. Aufl. Frankfurt a. M. (Suhrkamp) 2015, S. 213-219. 同様の見解は, Theodor W. Adorno: Minima Moralia. Reflexionen aus dem beschädigten Leben. In: Ders.: Gesammelte Schriften in 20 Bänden. Bd. 4: Minima Moralia. Frankfurt. a. M. (Suhrkamp) 1980, S. 60にも確認できる。

21) 村上,前掲書,245頁以下を参照。

22) Vgl. Liane Dornheim: Vergleichende Rezeptionsgeschichte. Das literarische Frühwerk Ernst Jüngers in Deutschland, England und Frankreich. Frankfurt. a. M. (Lang) 1987, S. 64.

23) Vgl. Gerda Liebchen: Ernst Jünger. Seine literarischen Arbeiten in den zwanziger Jahren. Eine Untersuchung zur gesellschaftlichen Funktion von Literatur. Bonn (Bouvier) 1977, S. 148-156.

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リット勲章の騎士の描写は美化も自惚れもなく,簡潔で事実通りであるがゆえに心を打 つ,並外れて素晴らしいものである」。24)このように,彼らはテクストをフィクションと してではなく,そのなかに前線の技術戦についての情報や,前線の悲惨さを内面的に克 服する方法や,前線では敗北しないドイツ軍の英雄的なすがたを発見しようとこころみ たのである。25)  『鋼鉄の嵐のなかで─ある突撃隊隊長の日記から』の「私」は,V・メルゲンター ラーの分析によると「日記の私(Tagebuch-Ich)」「編集された日記の私(redigiertes Tagebuch-Ich)」「編集する私(redigierendes Ich)」に分類される。26)この重層性を踏ま えれば,日記風に書かれているとはいえ,当時の読者のようにこの物語を告白として読 む仕方はナイーヴであろう。27)それでも0 0 0 0 ,当時の読者は,これから例証するように,「前 線の秘密」を知る作者の作品のなかに,─それが作品として再構成されたものである という事実を強く意識することなく─真実なるもの0 0 0 0 0 0 をみてしまったのである。このよ うなナイーヴな読者は,「戦争体験を文学化し,それを作者個人の伝記に統合し,その 体験の一般的な意義を求めた」28)ユンガーにとって,作者に従順0 0 という意味において理 想的な読者であった。 3.「鋼鉄の嵐」の生存者と証言の力  『鋼鉄の嵐のなかで』において「私」は,ランゲマルクやソンムなどの有名な戦場で 生き残り,歩兵から連隊長に昇格する。そして「私」が最高勲章プール・ル・メリット 授与の電報を受け取った時点で,物語は終戦前に幕を閉じる。   1918年9月22日,私は電報を受け取った。   「皇帝陛下は貴官に〈プール・ル・メリット〉勲章を授けられる。師団全体の名に おいて祝詞を述べる。ブッセ将軍」(646) 歴史的事実として,1914年から1918年までの大戦は,ドイツ帝国の敗戦で終わりをむ かえる。しかし,戦争動員に始まるテクストの歴史的経過は,ドイツ軍敗北の事実が読 者に知らされることなく,語り手によって強制的に中断されている。第3稿では,公的

24) Zit. nach Liebchen, a. a. O., S. 160f. 25) Vgl. ebd., S. 156ff.

26) Vgl. Volker Mergenthaler: „Versuch, ein Dekameron des Unterstandes zu schreiben“. Zum Problem narrativer Kriegsbegegnung in den frühen Prosatexten Ernst Jüngers. Heidelberg (C. Winter) 2001, S. 39.

27) Vgl. ebd., S. 37ff.

28) Hans-Harald Müller: Bewältigungsdiskurse. Kulturelle Determinanten der literarischen Verarbeitung des Kriegserlebnisses in der Weimarer Republik. In: Bruno Thoß/Hans-Erich Volkmann (Hg.): Erster Weltkrieg-Zweiter Weltkrieg. Ein Vergleich. Krieg, Kriegserlebnis, Kriegserfahrung in Deutschland. Paderborn (Schöningh) 2002, S. 773-781, hier S. 777.

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な文書と同じく高い社会信頼性の備わったこの電報を読者に提示した後,「ドイツは現0 0 0 0 0 存する0 0 0 。ドイツは没落しない0 0 0 0 0 0 0 0 0 」[強調は原文](646)という読者のナショナリズムを る文言が追加されている。英雄的なフィナーレとドイツの不滅についてのこの発言が, 戦後社会における特定の読者に対する訴えかけであることは,これらを当時の公共圏の 政治的文脈に照らすとき理解できるだろう。戦後社会の公共圏における主題はヴェルサ イユ条約による賠償金の支払いや戦争責任の問題であった。これらに不満を抱くナショ ナリストは,敗戦が,革命を主導した左翼やユダヤ人の裏切りによるものであり,軍事 的失敗によるものではないという「 首伝説(Dolchstoßlegende)」を主張していた。こ うした政治的背景をもつ読者は,本書を英雄的な記録として受容し,前線では0 0 0 0 負けるこ とのないドイツ軍のすがたを見出そうとした。そしてユンガーが意図的に物語の歴史的 経過を中断させたことで,ドイツ軍の敗北という歴史的事実は,電報の文体の効果も相 まって,読者の意識から消し去られるのである。  次に,弟フリードリッヒ・ゲオルクを救出する場面に目を向けると,テクストに他の 日記を組み込むことによって,生々しい体験として読者に伝えようとする工夫が凝らさ れていることに気づく。その場面で「私」は,重症を負った弟が近くにいることを仲間 から知らされ,戦火を顧みず勇敢に「弟」を救出したと記されている。(372ff.)しかも その舞台が,戦後社会において,勇敢な若きドイツ兵の英雄的戦闘という戦争神話とし て語り継がれたあのランゲマルクであることから,その記述は読者の愛国心に訴えかけ るものがあったに違いない。29)語り手はその後,「私の報告を補足するため」とことわり を入れて,「弟の日記」を取り出し,その記述を長々と引用する。(394-404)「日記」の 引用の最後には,「下ではもう前日に死んだと言われていた私の兄」が救出のために奇 跡的に現れたことが記されている。(404)その際,兄は「一級鉤十字章(E.K.1)を胸 につけた若い将校」として描かれている。(404)このように語り手はランゲマルクとい う愛国主義のトポスに依拠しながら,戦争神話の舞台で勲章をつけた「兄」が奇跡的に 「弟」を救出する場面を「弟」の証言から引用することで,ナイーヴな読者に英雄的な 物語を臨場感をもって追体験させるのである。  最後に,登場人物にも目を向けてみよう。作中では,実在した多くの戦没者の名前が 階級・役職とともにあらわれ,その数は全集版では51人にものぼる。将校の「私」が 隊長として服していた中隊については,「1918年3月17日,大会戦前の第7中隊の将 校と伍長」という一文が写真に添えられ,物語に登場する各人の名前と階級・役職がて いねいに記載されている。(500)これも作品と実際の体験の一致を強く印象づける演出 のひとつである。このように,戦没者の記録としても解釈しうる『鋼鉄の嵐のなかで』 29) 「ランゲマルク神話」は教養市民層の価値観を反映したものであり,それが戦後社会に愛

国的な規範として利用された過程については,Vgl. Uwe-K. Ketelsen: Die Jugend von Langemarck.

Ein poetisch-politisches Motiv der Zwischenkriegszeit. In: Thomas Koebner/Rolf-Peter Janz/Frank Trommler (Hg.): „Mit uns zieht die neue Zeit“. Der Mythos Jugend. Frankfurt a. M. (Suhrkamp) 1985, S. 68-96.

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は,1920年代の他の戦争文学にはみられない「追悼文」として解釈しうる余地をたし かに残している。30)しかし,テクストにおける兵士たちは,名前と階級・役職以外の情 報はほぼ与えられず,集合的に「部下たち(Leute)」とそっけなく言及される。つまり 彼らは戦友であったとしても,印象的な性格もなければ,特筆すべき個性もないように 描かれている。このことに着目すると,本作品は,同じ戦争文学であっても,登場人物 に心理と個性が与えられているレマルクの『西部戦線異状なし』とはかなり異なること がわかる。それゆえテクストは,戦友の死を悲しみ,彼らを偲ぶという「追悼文」の本 質を欠いているといわざるをえない。31)作者ユンガーの関心はむしろ,出来事を記録と して即物的に伝えるだけでなく,それ以上に,読者に「私」が関与した英雄的な出来事 の事実性を強く印象づけるために細心の注意を払って前線の出来事を報告することに向 けられているのである。  こうした作者の意図には,将校という語り手の特殊な階級も関係している。作中の 「私」は物語が進むにつれて将校に昇格し,前線では小隊と中隊の運命を握る存在にな る。将校という軍事階級が前線の語り手として適しているのは,それが,司令部からの 命令に模範的に服従する存在でありながらも,前線で部下を指揮する存在でもあるこ と,つまり被指導者かつ指導者という両極の立場にいることができるからである。32) B・ ヒュッパウフが的確に表現したように,物語は「半分高みで」33)語られている。それゆ え語り手は,司令部には知りえない前線の危険の目撃者という位置を占めながらも,危 険な最前線で真っ先に命を落とす部下と同じ位置からではなく,比較的安全な位置から 状況を伝えている。このようにして語り手は,部下の死に対しても一定の距離を保ちな がら,死を数値化して語ることさえできるのである。(426)また,将校の立場が特殊で あることは,「私」の言葉を通じて,その特権性を意識しながら次のように語られてい る。   私がいつも聞かされていた0 0 0 0 0 0 0 0 0 0のは,普通の男がこうした瞬間に立ち会うと,目の前の 危険にかかりっきりになるが,隊長は,神経を消耗させる数えきれないほどの戦闘 の光景のさなかでも任務が遂行されなければならないことをはっきりと認識する。 そして普通の男は,隊長の動じぬ即物的な態度に感嘆の声をもらすということだ。 [強調は引用者](338)

30) Vgl. Jörg Schnatz: „Söhne von Kriegen und Bürgerkriegen“. Generationalität und Kollektivgedächtnis im Werk Ernst Jüngers 1920-1965. Würzburg (Ergon) 2013, S. 42f.

31) Vgl. Schnatz, a. a. O., S. 71.

32) Vgl. Annette Rink: Plutarch des Naturreichs. Ernst Jünger und die Antike. Würzburg (Königshausen & Neumann) 2001, S. 63-80.

33) Bernd Hüppauf: „Der Tod ist verschlungen in den Sieg“. Todesbilder aus dem Ersten Weltkrieg und der Nachkriegszeit. In: Ders. (Hg.): Ansichten vom Krieg. Vergleichende Studien zum Ersten Weltkrieg in Literatur und Gesellschaft. Königstein/Ts. (Forum Academicum) 1984, S. 55-91, hier S. 77.

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危険に一切動じない将校の男らしさは,「普通の男」と対照されることで,いっそう際 立たせられる。ただし,これは作者の意見としてではなく,「いつも聞かされていた」と いう言葉から判断できるように,既知の事柄として伝えられている。もちろん作中の 「私」こそが理想的な将校であるとは明言されない。しかしナイーヴな読者が,作者の 戦略通り,将校の英雄的な物語と作者の体験を同一視していたことは以下の証言からみ てとれるだろう。  1926年,後にナチス・ドイツの宣伝相となるヨーゼフ・ゲッべルスは,本書第3稿 を「戦争の福音」として評価し,読後の感想を次のように語った。「偉大で素晴らしい 本だ。この本のリアリスティックな凄さにぞっとする。高揚,国民の情熱,感激,ドイ ツの戦争文学」。34)そして3年後の1929年,彼はふたたび本書を開き,その素晴らしさ を次の点に求めた。「実に偉大で英雄的な本だ。なぜなら,この本の背後には0 0 0 0 0 0 0 0,活き活0 0 0 きとした体験がある0 0 0 0 0 0 0 0 0 からだ」。[強調は引用者]35)  さらに興味深いことに,ゲッベルスと正反対の政治的立場にいた反戦主義文学者レマ ルクもまた,作者の記録という観点から本書に高い評価を与えたひとりであった。「[…] 本書は,いかなるパトスもなしに,兵士の頑強な英雄精神を再現している。それは地震 計のように戦場の揺れを捉えたひとりの人間によって記録されている」。36)この発言と同 年の1928-29年,ドイツ共産党党員で詩人のヨハネス・R・ベッヒャーは,この書で表 明されているナショナリズムを「貼り付けられた」ものにすぎないと指摘し,本書にお ける「現実と信条の闘いは現実が勝利を収めている」と述べ,テクストに描かれた現実 性を評価した。37)  このように本書の記述に真実らしいものを読み取ったのは,軍事関係者やナショナリ ストだけではなかった。戦争文学ブーム以降,反戦主義者や急進左派も政治的立場の違 いを超えて,本書の記述に前線の真実をみていたのである。 4.政治文化の動員と名誉の獲得  作者としての権威の確立は,前線体験の証言からだけでなく,作中の「私」を,名誉 34) Joseph Goebbels: Tagebücher. 1924-1929. In: Ders.: Tagebücher. 1924-1945 in 5 Bänden. Hg. v. Ralf Georg Reuth. Bd. 1. München/Zürich (Piper) 1992, S. 222.

35) Ebd., S. 414. ゲッベルスの評価と関連して,急進右派の英雄崇拝の受容については,R・ シリングの代表的な研究に依拠し,簡潔に言及しておく。英雄崇拝は第一次世界大戦で頂点に

達し,その後1920年中頃から英雄のイメージは,急進右派によって「カリスマ的・戦士的な民

族の英雄」として占有化される。そのころから英雄崇拝は,反ヴァイマルの言説になだれ込み,

ナチズムの思想的土壌を準備していたのである。Vgl. René Schilling: „Kriegshelden“. Deutungsmuster

heroischer Männlichkeit in Deutschland 1813-1945. Paderborn/München/Wien/Zürich (Schöningh) 2002, S. 252ff.

36) Zit. nach Kiesel, a. a. O., S. 208.

37) Zit. nach ebd., S. 210. ただしH・キーゼルによると, ベッヒャーの評価は,本書が戦争の

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を与えられるべき人物へと造形していることからも確認することができよう。名誉は人 間に求められる優れた資質に対する他者からの評価であり,キケロが,「徳にもとづい て同胞から得られる公的な承認」の意味で使用していたように,それは国や社会の利益 に貢献することで得られることから,「公共性と密接に関連している」。38)そして名誉の 内容が特定の行為と無縁ではないため,名誉は時間と空間の制約を受ける。戦後社会の 政治文化では,兵士たちのすがたに,同時代の読者の情念を揺さぶるような行動規範と 美徳をあわせもつ戦士のイメージが重ね合わされている。『鋼鉄の嵐のなかで』では, 突撃隊の兵士のすがたは,同時代の軍事関係者やナショナリストの読者に馴染み深かっ た,ドイツの前近代的戦士「ランツクネヒト(Landsknecht)」として造形されている。   ひどくもじゃもじゃな髪の毛と巻き脚絆を備えた(突撃隊の)若い戦士たちは,ひ とりの兵士がもうひとりを意気地なしと罵ったがために敵前20メートルのところ で激しい取っ組み合いになった。そのとき彼らはランツクネヒトのように悪態をつ き,とても威張っていた。「おい,みんながお前みたいにそれほど怖がってなんか いねえぞ!」とひとりの兵士がついに叫び,まだ50メートルもある塹壕にひとり で側面攻撃を仕掛けたのであった。(592ff.) 「ランツクネヒト」は,15世紀末から200年間活躍したドイツの傭兵のことであり,20 世紀になると,その勇敢で自由奔放な性格が強調され,男らしさの規範になった。「ラ ンツクネヒトブーム」は,大戦前ではヴァンダーフォーゲル,大戦後では義勇軍の言説 で広まり,この像には新たに反文明的・反市民的性格が付与された。39)ユンガーは名誉 に値する兵士を描くとき,同時代のこの「兵士的男性」40)の政治文化のトポスを利用し, 兵士をその規範に倣い造形したのである。  他方で,突撃隊の兵士とは異なり,将校は前近代的な「騎士(Ritter)」として造形さ れている。そのすがたは,休戦中に「私」の部下が「卑怯な射撃によって殺された」こ とを受けて敵陣のイギリスの将校を咎めた後の場面に描かれている。   われわれはその間,スポーツマン的な敬意(sportmännische Achtung)といえる仕 方でさらに多くを話し合い,最後に記念のために持ち物を交換した。    戦争にはつねに理想があった。それは,戦闘のときだけ0 0 0 0 0 0 0(nur im Kampfe),敵を 38) Friedrich Zunkel: Ehre, Reputation. In: Otto Brunner/Werner Conze/Reinhart Koselleck (Hg.): Geschichtliche Grundbegriffe. Historisches Lexikon zur politisch-sozialen Sprache in Deutschland in 8 Bänden. Studienausgabe, Bd. 2. Stuttgart (Klett) 1975, S. 1-63, hier S. 1; 鹿子生浩輝「名誉」,

古賀敬太編:政治概念の歴史的展開,第8巻(晃洋書房)2015, 121頁。

39) ラインハルト・バウマン(菊池良生訳):ドイツ傭兵の文化史―中世末期のサブカル

チャー/非国家組織の生態史(新評論)2002, 303頁を参照。

40) クラウス・テーヴェライト(田村和彦訳):男たちの妄想Ⅱ男たちの身体―白色テロル

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憎しみなくあるがままの人間としてみなし,敵をその者の勇気に応じた男として評 価することである。私はまさにこの点において,イギリス将校に多くの似通った気 質があることを知ったのである。[強調は引用者](134) 二人の将校が体現しているのは,兵士が無名化され,男らしさの理想が破壊された近代 物量戦ではにわかには信じがたい,前近代的な騎士道の行動規範と美徳である。この光 景が作者の虚言として批判にさらされないように,「戦闘のときだけ」という限定化作 用のある言葉が挿入されている。そうすることでこの光景は,銃後にいる歴史家には知 りえない前線の事実として伝えられている。つまり作者は,証言者という権威を利用し, 前線の戦闘を生き残った者だけが知る,軍事史には描かれることのないもう一つの現実 があることを,語り手の口から報告させているのである。報告はさらにエスカレートし, 前線には将校による一騎打ちの戦闘形態がまだ存続していることが以下のように伝えら れる。   近代の戦闘にもその偉大な瞬間がある。頻繁に耳にする誤った見解として,歩兵戦 が取るに足らない集団のぶつかり合いの如きもの(Massenschlächterei)に成り下 がったといわれることがある。事実は逆である。今日では実際,個人(der Einzelne) の決定がいっそうものをいう。そのことはこの光景を前線で目にした者であれば誰 もが知っている。険しく決然たる表情をした塹壕の侯爵のことを。彼は無謀で,筋 肉質に鍛えられ,縦横無尽に駆け回り,鋭く血に飢えた目をもつ英雄であり,その すがたはどの報道でも伝えられていない0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0。[…]神経を刺激させるような戦争のど んな瞬間でも,塹壕の狭い泥壁に挟まれた二人の突撃隊隊長の動きほど力強いもの はない。[強調は引用者](484)  ここでもやはり近代戦についての「誤った見解」と「前線の秘密」が対置され,「集 団同士のぶつかり合い」ではなく,「塹壕」での一騎打ちが,前線の隠された戦争形態 として語られている。近代ドイツ社会では他国と比べて長らく「決闘文化」が根づいて いた。決闘は19世紀以降,貴族の特権ではなくなり,自律的な人格や個を崇拝する教 養市民層にとって名誉を獲得しうる手段として存続されてきた。41)作者はこうしたドイ ツにおける政治文化の連続性を利用して,近代的個人を破壊したといわれる物量戦のな かでも,塹壕内での将校同士の一騎打ちにはまだ,卓越した個人を測る指標があること を,「どの報道でも伝えられていない」事実として読者に伝えようとする。42)そこには戦 41) 「決闘文化」の社会学的考察については,ノルベルト・エリアス(青木隆嘉訳):ドイツ 人論―文明化と暴力(法政大学出版会)1996, 51-141頁を参照。 42) アーレントは,ユンガーの戦争文学における名誉の概念のなかに,集団主義ないしは全

体主義に対する個人の抵抗のあらわれがあることを評価する。Vgl. Hannah Arendt: Besuch in

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後社会における大戦の報道のあり方そのものに対するユンガーの社会批判が読み取れ る。  また,前線の真実を伝えようとする作者のこうした戦略が当時の読者に一定の効果を 与えていたことは,1921年の『軍事週報(Militär-Wochenblatt)』の以下の批評に確認 できる。「この本には,現代の戦場の前線で起こった印象深い出来事の生々しい記述が ある。小部隊の指揮官や一騎打ちをする兵士にとって卓越した教えが含まれているの だ」。43)さらに興味深いことに, 1930年,ドイツ共産党元党首でSPD党員のパウル・レ ヴィも,ナショナリストの読者と見間違うような言葉で,作者ユンガーの指導者として の資質を称賛し,そのすがたを今後のドイツ軍再軍備の模範に掲げようとしたことが次 の発言から読み取れる。   突撃隊の小部隊に対して,この指揮官は新たな軍規を見出した。それは訓練ではな く男の完全な個性であり,命令ではなく先陣を切ることである。民主主義の形式は 戦争のなかで戯画化されたが,しかし,われわれには,将来の軍事的・経済的・政 治的規律の要素を含んでいるようにみえるのだ。44)  このように,本書の前線の将校は「危険に接するスポーツの喜びや,戦闘を耐え抜く ための騎士道的な衝動」(322)をもつがゆえに,名誉の獲得に値する美徳を備えた人物 像として伝えられていた。そして読者も疑うことなく,その情報を真実として受け取り, そこに将来の指導者像をみようとしたのある。むろん誰が前線を生き残った将校のなか で一番輝かしい名誉に値する人物として伝えられているかは,物語の終わりに報告され る最高勲章が読者に教えているだろう。 5.おわりに─権威主義的圏域の 出  これまで明らかにしてきたように,『鋼鉄の嵐のなかで』は,大戦を大局的に叙述す る歴史や軍事史の不在状況で執筆された前線の記録であった。作者は,「前線の秘密」 という,生存者だけが知る,戦争文学の語りの特権性を利用して,作中の出来事を事実 性という装いのもとに権威づけようと試みた。ユンガーのこの意図に見え隠れするのは, ─権威が概して,受容者の耳に対する発信者の声の優位性を前提とするように─作 者と読者のヒエラルヒー的関係に彼自身が意識的であったことである。読者は作中の情 報について真偽を問うことなく一方的に耳を傾け,またそれに飽きたらず,前線を生き 抜いた「私」の英雄的なすがたと作者を重ね合わせ,あのゲッベルスのように感嘆の声 43) Zit. nach Liebchen, a. a. O., S. 159. さらに翌年,ドレスデンの雑誌『批評(Revue)』のあ る書評で一般市民も,「豊かな体験」に裏付けられた本書について,同じような印象で以下のよ うに述べていた。「この生まれながらの指導者と仲間は,作者自身がそうであるように,ほぼす

べてにおいて偉大で騎士的で民族的であったし,今なおそうであるのだ」。Zit. nach ebd., S. 175f.

(13)

を漏らすのである。  したがってこのテクストの作者ユンガーは,テクストの生産者という意味における作 者ではない。作者によって演出された信憑性の効果と読者の受容の仕方を相互検証する とみえてくるのは,前線の報告が,証言としての特権を獲得することによって,大戦に 政治的意味を見出そうとする同時代の読者に対して比類なき影響力をもっていたことで ある。そして,作者は物語の語りに事実性を付与することで,第一次世界大戦の実情を めぐる特権的な証言者としての支配的地位を獲得していったのである。つまり『鋼鉄の 嵐のなかで』のユンガーは,作者と作品とを切り離しては考えられないような権威主義 的作者に他ならない。  こうした権威主義的作者と読者の関係は,ヴァイマル期の戦争文学が政治的影響を広 範に及ぼす英雄崇拝の言説の新たな一面をうつしだす。1929年以降に大量に出版され た好戦的な戦争文学は,ヴァイマル共和国の大衆民主主義のなかで失われていた,ドイ ツの男たちの共同体感情つまり階級的相違を克服した水平的な戦友愛を読者公衆の意識 に呼び戻そうと試みた。それに対して本書は,こうした戦友愛に訴えかけた読者の政治 意識の覚醒よりも,むしろ「私」の輝かしい戦績を一般兵から際立たせることによって, その人物と同一視されうる作者に対する称賛を集めようとしたのである。その意味にお いて『鋼鉄の嵐のなかで』は,英雄崇拝の言説のなかで,作者を精神的指導者とするヒ エラルヒー的関係のもとに成り立つ権威主義的圏域の 出が試された作品であったとい えよう。  ただし,20世紀における公共圏の「再封建化」の動きのなかでも,この権威主義的 圏域は,ナチス政権下においてラジオの聴取や街頭行進などを通じて大衆の政治参加の 感覚を生み出したいわゆる「ファシスト的公共圏」45)とは,動員規模や街頭での示威行 動の方法,そして大衆のより積極的な参加という観点から,量的にみても質的にみても やはり性質が異なる。この圏域はむしろ,「ファシスト的公共圏」が成立する以前に存 在した歴史的事象のひとつとして位置付けられるべきものである。したがって,「再現 前公共圏」の復権状況において執筆された作品『鋼鉄の嵐のなかで』における作者と権 威の関係は,民主主義の脆弱なヴァイマル共和国における「市民的公共圏」がなし崩し にされる過程の一断面をうつしだしているのである。 45) 佐藤卓巳『ファシスト的公共性―総力戦体制のメディア学』(岩波書店)2018, 33-65頁を 参照。

(14)

In seinem Buch Strukturwandel der Öffentlichkeit (1962) beschrieb Jürgen

Habermas die Entfaltung der „repräsentativen Öffentlichkeit“, die an Status

und Attribute der autoritären Person geknüpft ist. Er äußerte die Ansicht,

dass im 20. Jahrhundert die Öffentlichkeit angesichts der Auflösung kritischer

Publizität in manipulative Werbung verwandelt wurde. In anderer Hinsicht

wies Peter Trawny in Die Autorität des Zeugen (2009) darauf hin, dass in den 20er

Jahren die Entziehung der Souveränität wegen des Versailler Vertrags und die

Schwächung der Demokratie für Unruhe im Deutschland sorgten und dass daher

das Verlangen nach politischer Autorität im rechten Diskurs stieg. Besonders

in revolutionären und nationalistischen Gruppen von Männern, deren Ziel der

Untergang der Republik war, wurde der Dichter zur sakralen Figur des Propheten

hochstilisiert. Es wurde also im 20. Jahrhundert die Frage nach der Autorität in

der Öffentlichkeit wieder gestellt.

Vor diesem Hintergrund ist es das Ziel der vorliegenden Arbeit zu untersuchen,

wie Ernst Jünger, ein zunächst unbekannter Schriftsteller, durch seinen

Kriegsroman In Stahlgewittern (erste bis dritte Fassung: 1920-24) die Autorität

des Autors erlangt. Dabei wurde seine Strategie der Erlangung von Autorität

in Hinsicht auf „Selbst-Heroisierung“ im Text und Anerkennung durch die

Lesern analysiert.

Nach dem Ersten Weltkrieg stellten sich einerseits den Historikern, die die

Front nicht miterlebt hatten, die schwierige Frage, wie sie die Ungeheuerlichkeiten

des Weltkriegs erzählen konnten, da dieser in der Wahrnehmung des Erlebenden

eine Katastrophe alles Bisherige übersteigenden Ausmaßes war. Andererseits

verbreitete sich der Diskurs, dass nur die zurückgekehrten Kriegsteilnehmer

das „Geheimnis der Front“ kennen konnten. Den von Kriegsheimkehrern

geschriebenen Werken wurde auf diese Weise in der Nachkriegsgesellschaft

Beglaubigung verliehen.

In diesem politisch-sozialen Kontext entstand In Stahlgewittern als die

retrospektive Bearbeitung der vierzehn vom Autor im Feld geschriebenen

Tagebücher. Der Text ist zwar ein von Jünger literarisiertes Werk, aber

die Ereignisse werden im Text mit verschiedenen rhetorischen Mitteln als

„Wahrheiten“ erzählt und der Autor wird als anerkennenswerter Held stilisiert.

Autor und Autorität

Die Restauration der „repräsentativen Öffentlichkeit“ und Jüngers In Stahlgewittern

(15)

Im betreffenden Diskurs der Nachkriegsgesellschaft versuchte Jünger durch

den im sachlichen Telegrammstil verfassten Ordensbericht, bezeugte Aussagen

seines Bruders und mit der eigenen Unterschrift versehene Fotos das Geschehen

an der Front als Heldisches zu inszenieren. Dadurch glaubt ein naiver Leser

eine Einheit von Text und Leben zu erkennen. Das heißt also, dass sich Jüngers

Text als Versuch sehen lässt, sowohl Fiktion als auch historische Quelle zu sein.

Dazu beansprucht der Autor im Text die Autorität eines herausragenden,

heldischen Offiziers an der Front. Er inszeniert den Ich-Erzähler als ehrenvolle

Person, indem er ihn mit den für nationalistische Leser weit verbreiteten Topoi

der politischen Kultur Deutschlands umgibt (z. B. „Landsknechtsboom“ oder

„Duellkultur“).

Die Rezeptionsgeschichte des Textes zeigt, dass unterschiedliche Leser die

im Text gegebenen Informationen von der Front als Tatsachen hinzunehmen

schienen, den heldisch inszenierten Ich-Erzähler im Offiziersrang mit dem

Autor identifizierten und Lob aussprachen sowie die Autorität des Autors

über die „Wahrheit“ an der Front anerkannten. Von diesem Gesichtspunkt aus

betrachtet war Jünger überzeugt von einer hierarchischen Beziehung zwischen

Autor und Leser.

Daraus ist zu schließen, dass Jünger kein Autor im Sinne eines Produzenten

von Texten, sondern ein autoritärer Autor ist, dessen Berichte über die Front

unbestrittene Zeugenaussagen darstellen sollten und großen Einfluss auf die

Zeitgenossen hatten, die im „Geheimnis der Front“ politische Potenziale zu

finden versuchten.

Die hierarchische Beziehung zwischen Autor und Leser im Text beleuchtet

also eine Seite der Unterbrechung der „bürgerlichen Öffentlichkeit“ in den

1920er Jahren, an deren Stelle die autoritäre Öffentlichkeit auftrat.

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