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中止犯における中止行為についての一考察(二)

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中止犯における中止行為についての一考察(二)

著者 王 昭武

雑誌名 同志社法學

巻 60

号 6

ページ 269‑304

発行年 2009‑01‑31

権利 同志社法學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011539

(2)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二六九同志社法学 六〇巻六号

中止犯における中止行為についての一考察(二)

王   昭 武

  (二七〇五)

         

 

 1

 

     2

 

 1

 

 2

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   (

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(3)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二七〇同志社法学 六〇巻六号

  (二七〇六)

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 1

 

 2

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(四) 折衷説

  折衷説は総合説ともいわれているが、行為は主観と客観をもつ統一体であるから、﹁実行行為の終了の有無も、行為 の客観的形態とともに行為者の主観面も併せて考慮しなければなら﹂ず

の観たし判批を説客え、説観主の来従うでらる時為行止中。あ主でのもたれさ張、かので断するは偏頗あるという認識 ず一かれ、いのそだ方了けで実行行為の終を判 1)

(4)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二七一同志社法学 六〇巻六号 主観・客観の両側面を総合して判断しなければならないという点では一致するが、折衷説の内部にはまだニュアンスの違う見解が展開されている。そのうち、代表的なのは福田博士、平野博士の見解である。

ア  福田説   福田博士は、﹁実行行為が終了したかどうかは、中止行為の態様を具体的に決定するにあたって、重要な意味をもつもの

行ら造をもつものであるか、体その終了の時期も、実構全、﹁のあるという認識から実﹂行行為は、主観=客観で 2

行為の主観・客観の両側面を総合的に考慮して、判断すべきものである﹂とする折衷説を主張する。具体的問題の解決にあたって、行為者が人を殺す意思で発射した場合には、﹁第一発目が被害者に命中したばあいは、積極的に結果を防

止する行為のない限り、中止犯とは認められないが、第一発目が命中しなかったばあい、第二発目の発射が客観的に可能であり、しかも、行為者が主観的にこれを認識していたにもかかわらず、第二発目を発射しなかったばあいには、中

止犯と認めてよかろう

、教石教授、佐久間授﹂らに支持されて立授る解とする。この見は教、大塚博士、堀内い 3)

4)

イ  平野説   実行行為は主観・客観の総合であるとする見地から実行行為の終了時期の問題として取り扱っている福田説と異なり、平野教授は、着手未遂と実行未遂の区別という観点からではなく、﹁中止行為といえるか否か﹂という観点からアプロ

ーチしている。平野説は、客観説を基本的に妥当としつつ、行為者の主観(実行後の状況についての認識、実行前の行為者の意図)をも考慮して、いつ﹁犯罪を中止した﹂といえるかを判断するものである。

  ①具体的には、平野教授は客観説に立ちつつ、﹁客観説といっても、純粋に外部的事実によってだけではなくその当

  (二七〇七)

(5)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二七二同志社法学 六〇巻六号

時の客観的事情と行為者の主観とを総合して客観的に判断しなければならない

い連おに例事の銃発たし述前、てしと﹂ 5

て、︹A︺①の一発で殺そうと思って発射したが命中しなかった場合には、﹁客観的に、一個の構成要件該当行為の一部として、二発目の発射が可能であるばあいに、これを認識しつつなお発射しないのは、その構成要件該当の結果を不作

為で防止したことになる﹂として中止未遂の成立の余地を認め、さらに、二発で殺そうと思って発射し、一発目が命中した前出︹B︺②の場合には、﹁すでに行為者の行為をまたなくとも、因果関係の進行だけで結果発生の可能な状態が

生じており、それを認識しておれば、自ら因果関係を遮断しなければ止めたことにならない﹂として、中止未遂を肯定するためには結果防止の行為を行うことが必要であるとされる

6

  この平野説には以下の特色が見られる。第一は、中止行為が不作為で足りるか、作為を必要とするかという中止行為の態様の問題を、着手未遂と実行未遂の区別(実行行為の終了時期の確定)から概念的に解決しきれるとすることに疑

問を示し、結果発生を防止するためには、いつ、どのような態様の中止行為が必要かという実質的な観点から問題を取り上げていることにある。言い換えれば、この説の根底には、実行行為終了の時期が着手未遂と実行未遂を分かつメル

クマールとしてあまりにも概念的に論じられたきらいがあり、ドイツと違い日本国のように両者を同一の規定で包括的に規定している刑法のもとでは両者の区別は重要でなく、要は中止行為といえるか否かの観点から検討すれば足りる

7

いう従来の学説に対する批判が内在している

8)

  第二は、この平野説は、実行後の状況とそれについての行為者の認識、実行前の行為者の意図を考慮に入れているが、

行為者の主観を考慮する場合に、中止行為の時点における行為者の認識を問題としている点にある。具体的には、一発目の弾丸が外れた場合、二発目を射つことが可能であることを認識しながら、それを思いとどまったときは、不作為に

よって結果の発生を防止したことになり中止犯が認められるのに対して、弾丸が命中し結果発生の危険性が生じたとき

  (二七〇八)

(6)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二七三同志社法学 六〇巻六号 は、積極的に結果防止の行為をしなければならない。以上の場合には、行為者のあらかじめの意図が何発発射するつもりであったかは無関係である。しかし、弾丸が命中したことを行為者が認識しなかったときは実行前の行為者の意図如

何により結果が変わる。すなわち、﹁最初から一発で殺すつもりであったときは、二発目を発射しないだけでは中止犯にならないが、二発で殺そうというつもりであったときは、二発目を射たないだけで中止犯となるが、この限りでは主

観説に立つことになる

﹂。 9)

ウ  斎藤説(拡張的総合説)

  上記のような折衷説(福田説、平野説)と異なり、斎藤信治教授は、従来の主観説、折衷説、とくに客観説は中止行

為を狭く解しすぎているきらいがあり、客観説・主観説は不公平をうむ難点もあると批判したうえ、中止行為を適当に広く解すれば中止奨励を強めるプラスのほか、犯人の改善や社会復帰にも多少有利というメリットもあるとの認識か

ら、﹁a.その実行着手の機会に既遂を目指してなお攻撃できると(正しく、あるいは誤ってでも)認識しつつ、攻撃を控えれば、﹃中止した﹄といって良いのが原則であり、ただ、b.そのように作為形態での実行を止めても、既に結

果発生の危険を生じているのを認識しており、放置または御座なりの態度が(不真正)不作為形態での実行継続と認め

られるときは、無論全体として﹃中止した﹄ことにならない、とするのが、妥当であろう﹂という拡張的総合説を主張する

10

エ  批判   折衷説は従来の主観説、客観説の問題点を克服するために主張されたものであり、客観説によりながら主観面も強調

  (二七〇九)

(7)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二七四同志社法学 六〇巻六号

するこの折衷説の立場は一時通説的な地位にあった。しかし、依然として、以下のような批判を受けている。

  第一に、折衷説によると、前述した連発銃の事例において、弾丸が命中したことを行為者が認識しなかった場合には、瀕死の重傷を負った被害者がたまたま通りかかった医師に助けられたときでも、行為者が最初から二発射つつもりであ

り、また自分の射った一発目の弾丸が命中したことを知らなかっただけで、ただちに中止犯になるという結論は不当であろう。さらに、折衷説は主に、中止犯の法的性格について違法性減少説をとる論者より主張されているものであるか

ら、﹁これは、中止犯を違法減少と理解する論者の基本的立場と矛盾しないかも疑問である﹂といわれている

11

  第二に、折衷説によれば、はじめから二発で人を殺す意思であった場合には、第一発目が被害者に命中したばあいは、

積極的に結果を防止する行為のないかぎり中止犯はみとめられないとしているから、この場合には実行行為の終了を認められるが、第一発目が命中しなかったばあい、第二発目の発射が客観的に可能であり、しかも、行為者が主観的にこ

れを認識していたにもかかわらず、第二発目を発射しなかったばあいには、中止犯を認めることになる。しかし、そうすると、実行行為が終了したかどうかは結果の発生如何によって左右されることになり、それは妥当でないと批判され

12

  第三に、たとえば射殺の意思で一弾を発射したが命中せず、二発目の発射が可能である場合について、平野説は、二

発目の発射行為も前の行為と包括して構成要件の一部の行為とし、二発目の発射が可能であるときには最初の行為は、構成要件の一部を充足するにすぎないとする。しかし、この考えは果して妥当かと疑問視されている。なぜならば、﹁現

実に二発連射された場合は包括して構成要件の評価上一個の行為とされるのは無論であるが、かりに一発目が命中して結果が発生した以上、この立場でも実行行為は終了したことになるのであるから、行為の面から見ると﹃一発目﹄であ

るか﹃二発目﹄であるかということは、副次的な事柄といわざるをえない﹂

からである。 13

  (二七一〇)

(8)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二七五同志社法学 六〇巻六号   上記の批判から、折衷説の理論的問題は主観面を導入した点にあることがわかる。

  まず、たとえば、殺人の場合には、行為者の目的は被害者を殺すことにあり、その目的を達成するために、はじめか ら何発で殺すと考えてから実行に移すことは実際上はあまりないであろう。とくに、一発しか発射しないという事例を想像すること自体はそもそも不自然である

14

  さらに、中止行為の概念のところで検討したように、﹁たしかに中止犯の成立にとって、主観面を無視することはできないが、しかしこれは中止行為の問題ではないが、もっぱら中止未遂における﹃任意性﹄に関する要素であり、たと

えば自己の行為の結果に対する認識の有無が中止行為の標準となるといわれるが、たとえば一発目の弾丸が脚に命中し、軽傷を負わせたにすぎないことを認識し、第二弾を発射できるがこれを止めた場合、その主観面は、まさに自己の

意思によって止めたかどうかの認定にかかわる事柄である

﹂。 15

(五) 因果関係遮断説

ア  所説   因果関係遮断説は、西原教授により首唱されたものであり、現在に至っても広く支持されている。本説はもともと、

実行中止か着手中止かを、﹁因果関係を遮断しなければ結果が発生してしまう状態が惹起されたか否かによって﹂、区別する見解であったが、今日では、この基準は、必要とされる中止行為の態様の決定基準であって、実行行為の終了時期

の決定基準ではなくなっているといわれている

。わされる別けである た区らか説観客、説衷折し点述たがって、このに。おいて、本説は上し 16

  具体的には、まず、折衷説と同様に、因果関係遮断説も主観説・客観説の不都合を解消するために主張されたもので

  (二七一一)

(9)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二七六同志社法学 六〇巻六号

あるが、客観説によりながら主観面をも考慮する折衷説とは以下の点で異なっている。第一に、因果関係遮断説は、中

止行為が主観・客観の総合体であると認めながら、主観は中止行為の段階では考慮すべきではなく任意性の段階で考えるべきであるとして、しかるべき中止行為の判断は、行為者の認識、意思、計画とはかかわりなく、純客観的に判断で

きるとして、むしろ客観説を貫こうとしている(ただ、少数ながら、行為者の主観を考慮しながら因果関係遮断説を主張する見解も見られる)。すなわち、本説は、﹁実行行為の終了時期﹂の問題から切り離して、結果の発生を防止するた

めの中止行為に作為が必要か不作為で足りるかを区別する客観的な実質的基準を見いだそうとする。第二に、具体的問題の解決にあたって、前述した連発銃の事例において、一発目が命中しなかった(あるいは命中して軽傷を負わせたに

とどまった)場合には、行為者が二発目の発射が可能であることを認識しているかどうかによって着手未遂か実行未遂かを決める折衷説と違い、本説によれば、この場合には、客観的に、因果関係を遮断せずそのまま放置しても結果発生

に至る可能性がないから、行為者がそれを認識しているかどうかと関係なく、単なる不作為で中止未遂になる。

  次に、この説は第二の客観説ともいわれているが

果注結しいな形外の為行、てし目に形外、式形の為行、は説観客、 17

発生の可能性を基準にして実行行為の終了時点を定めようとするのに対して、同説は因果関係を基準として判断するという特色がある。第一に、客観的に着手未遂か実行未遂かを区別しようとする客観説と異なり、この見解は、もともと、

﹁実行行為の終了時期﹂を確定して、作為を要する実行中止か、不作為で足りる着手中止かを区別するために主張されたものであるが、しかし、現在に至って、むしろ﹁実行行為の終了時期﹂の問題に直結させずに、因果関係の視点から

問題の解決を図っている。すなわち、因果関係遮断説は、因果関係を遮断しなければ結果が発生してしまう状態が惹起された場合には作為による中止行為が必要であり、そうでない場合には不作為で足りるとするものである。第二に、本

説は、客観説よりも実行行為の終了時期を遅い時点で認めるといってよい。すなわち、一撃目であれ、二撃目であれ、

  (二七一二)

(10)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二七七同志社法学 六〇巻六号 放置すれば死亡という結果に至る具体的な危険(例えば、瀕死の重傷)が生じた時点ではじめて、実行未遂が認められる

18

  西原博士は、自説を﹁これは、ある意味での客観説といえよう﹂と位置づけて、次のように述べる。まず、着手中止の場合、実行行為が終了していなければそれをとりやめるだけでよいが、終了しておれば結果防止のための真摯な努力

が必要になる。そこで、実行行為がいつ終了したかが重大な問題となる。しかし、この点に関しては、従来、主観説と客観説とが対立してきたが、﹁それぞれの標準が必ずしも統一的でなく、実際の事案の解決にとって必ずしも有用でな

かったから、要は、因果関係が遮断しなければ結果が発生してしまう状態が惹起されたか否かによって区別するのが適当である﹂と主張する

19

  大谷教授は、﹁実行未遂および着手未遂の概念は、未遂の態様の問題であって、必ずしも中止未遂の成否を決するための道具概念ではない

は為の問題は、実行行がる終了したか否かでかす作要、﹁中止行為が不為﹂で足りるか作為をが 20

なく、結果発生に向けて因果の経過が進行を開始したかどうか、換言すると既遂の結果を惹起する状態に達したかどうかに関係するものである﹂から、着手中止と実行中止を区別することは余り重要でないと指摘したうえ、結果の発生に

向けて因果の経過がいまだ進行していない場合(着手未遂)には、実行行為を中止すれば中止行為になるのに対し、既

に進行を開始している時(実行未遂)は、作為によって結果を防止しなければ中止行為とはならない﹂と、因果関係遮断説を支持する

21

  斉藤豊治教授は、離隔犯、真正不作為犯、共犯の場合には、﹁着手中止では不作為で足りるが、実行中止では作為が必要である﹂という定式は妥当しないと批判したうえ、従来の判例の判断の仕方と異なり、﹁着手未遂か実行未遂かを

強いて論じることなく、死亡させる可能性があったり、放置すれば死亡させる危険性が大きかった場合に、結果発生を

  (二七一三)

(11)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二七八同志社法学 六〇巻六号

防止するに足りる積極的な行為があったとして、中止未遂を認めて﹂いると判断する一部の判例(例えば、東京地判昭

和四〇年四月二八日下刑集七巻四号七六六頁︹いわゆる丹沢山中殺人未遂事件︺、宮崎地都城支判昭和五九年一月二五日判タ五二五号三〇二頁)は、﹁妥当なアプローチである﹂と評価して、因果関係遮断説に好意的である

22

  ほかに、一般的に行為者の主観を実行行為の段階で考慮せずそれを任意性の有無として考慮する上記の因果関係遮断説と違って、中止犯の法的性格について責任減少説をとる西田教授は、中止行為といえるかの判断には、行為者の主観

も影響を与えるとする。具体的には、教授は、着手未遂では単なる不作為で足りるが、実行未遂では、結果防止行為が必要であるという従来の基準は不正確であると批判したうえ、﹁要は、事態を放置すれば、結果の発生する危険性が発

生した場合には結果発生を防止するための積極的な中止行為が必要となるのである﹂として因果関係遮断説を支持する。ただ、教授は、﹁中止行為は行為者の自発的な結果防止行為であることを要するから、中止行為といえるかの判断

には、行為者の主観も影響を与える﹂と主張して、行為者の主観(認識)を重視する

23

イ  批判   因果関係遮断説に対して、内藤博士は以下のように批判している。すなわち、一発目が命中しなかった(あるいは命

中して軽傷を負わせたにとどまった)のに、命中して致命傷を与えたと思って二発目を発射しなかった場合には、同説によれば、客観的に﹁因果関係を遮断しなければ結果が発生してしまう状態﹂が惹起されていないから、着手中止とし

て中止行為は不作為で足りるから、二発目の発射をやめるだけで中止犯が成立するはずである。しかし、その場合には、﹁故意(法益侵害意思)の自発的な放棄が中止行為に表現されているとはいえないので責任減少を認めることはできな

い﹂し、また、その認識がない者に対しては﹁政策的に中止行為を奨励しても効果がない﹂から、命中して致命傷を与

  (二七一四)

(12)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二七九同志社法学 六〇巻六号 えたと思って二発目を発射しなかった場合、すなわち、結果の発生を防止するためにそれ以後の行為をしないことの認識がない場合にまで中止行為を認めることは妥当でなく、﹁第二の客観説それ自体には疑問が残されている

﹂。 24

  しかし、前述したように、本説は実行行為の段階で行為者の主観を考慮に入れず、それを任意性の有無の判断に譲っているから、別に任意性のない行為にまで中止犯の成立を認めているではなく、単に中止犯が成立するための客観的要

件を満足していると主張しているにすぎない。したがって、この批判は本説に当てはまらないと思う。

  ただ、本説にいう﹁因果関係を遮断しなければ結果が発生してしまう状態﹂をどう判断するのかをもっと明確にする

必要がある。これについては、後で論ずることにしたい。

(六) 実質説

  着手未遂と実行未遂の区別に関する上記の諸説と異なり、もともと現行法は、﹁犯罪を中止した﹂ことを要求してい

るだけであるから、着手中止と実行中止とを区別する理由はないばかりか、﹁﹃着手未遂﹄か﹃実行未遂﹄かという相違に基づき、中止行為の内実についてモデル論的に区別して論じる見解が長らく一般的であったが、却って混乱を招くだ

けである

たと、中止未遂の成立要件しとての中止行為といえるりをそ度いう認識に基づき、の﹂区別自体に否定的態と 25

めに、果たしてどの程度の行為がなされることが必要かという観点からより実質的な基準を見いだそうとする見解(実質説)がみられる

。よるあが解見なうの下以、ばえとた。 26

  板倉博士は、この問題は、﹁結果の発生を防止する作為が必要な場合かどうかという見地から解決しなければならない﹂という観点から、﹁実行行為により実害が発生しており、それをそのまま放置すれば、結果が発生するような場合は、

結果の発生を防止するために真剣な努力(作為)をしなければならないわけで、たとえ、自然のなりゆきで、結果が発

  (二七一五)

(13)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二八〇同志社法学 六〇巻六号

生せず、犯罪が完成しなかったとしても、﹃中止した﹄というには値せず、中止犯が認められない﹂と主張する

27

  前田教授は、中止行為に当たるかどうかは﹁実質的には、実行行為により、結果発生の危険性を生ぜしめている以上、そのまま放置しただけでは、刑の減免という政策的措置を与えるべきでない﹂という考慮に基づき、かつ、﹁刑の減免 を認めるか否かは、﹃着手未遂か実行未遂か﹄、﹃実行行為が終了したか否か﹄という形で形式的に区別することが困難な場合がある

ががらないだけの危険性発ば生しているか否か﹂なれはけら、﹁より実質的に、﹂結果防止努力をしなか 28

問題となり

主か点観的質実ういとか否きらべるめ認を果効止中てか﹂価かとるあできべるず論を否犯かるえいとため止を行し評に 立を﹄か否かたし了終が為行行実﹃、﹁はに合場の独に、く的合総を情事為行、な形はでのるす討検に的式そ 29

張する。具体的に、実行未遂と着手未遂の区別にあたっては、﹁行為を継続する客観的必要性と継続する可能性の程度と行為者のその点に関する認識を総合して判断する必要がある﹂とする

30

  さらに、木村静子教授は、折衷説に一定の理解を示しながら(そのため、教授の見解が折衷説と位置づけられているものはある

、でることはあまり重要は別ないという認識によりす区いを手未遂と実行未遂とう)、二つの中止犯の形態着 31

中止行為は犯罪の完成、結果の発生を防止するものであるから、それは﹁実行行為の発展段階に応じた適切な阻止行為﹂であるべきだと主張する

32

  香川博士も折衷説を支持しているといわれているが、博士は、問題は、中止行為といいうるか否かの点から検討すれば足り、着手未遂と実行未遂の区別自体は必ずしも重要ではなく、﹁中止行為に必要なのは、因果関係の現実的な遮断 ではなく、遮断のための真摯な努力それ自体に意味があると解すれば、両者の区別をことさら論ずる実益もない

実はてっ採を説質と、実る、らかるいていえるい とし﹂ 33

34

  (二七一六)

(14)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二八一同志社法学 六〇巻六号 (七) 既遂危険消滅説   既遂危険消滅説は、そもそも、現行法上、未遂犯の中に着手未遂と実行未遂の区別があり、これに対応して中止犯の 要件が区別されて規定されている訳ではないから、実行行為の終了時期の問題とは切り離し、あくまでも刑の必要的減免という効果を認めるに値するか否かという実質的観点から検討されなければならない

という認識に基づき、未遂犯の 35

処罰根拠論から中止行為の実質的意義を引き出そうとするものである。すなわち、本説は、未遂犯の処罰根拠は既遂結果発生の具体的危険を惹起させたことにあるから、中止未遂になるための中止行為はその危険を消滅するものであれば

よいとする。

  本説が、着手未遂と実行未遂との区別を重視せず、中止行為といえるためにはいかなる行為が必要であるかを基準と

しているところは、上述した実質説とは変わりがない。ただ、本説は未遂犯の処罰根拠、中止未遂の法的性格の観点から問題解決をはかっていることから、本稿は、あえて両者を区別したわけである。さらに、折衷説は行為者の行為時の

認識、すなわち行為者が主観的に続行可能性を認識しているかどうかを考慮するのに対して、既遂危険消滅説は、着手中止と実行中止の概念を明確に否定し、端的に既遂危険を消滅するためにいかなる中止行為が必要かという観点から論

じている。

  林教授は、中止行為となるためには、﹁要求される行為が作為か不作為かは重要ではな﹂く

着、﹁ある﹂、と主張する。具体的に着、手未遂と実行未遂とを区別し、でかさをの発生るた危険せ消させたといいう滅 観は、客己的に、自、﹁要 36

手未遂の場合には、不作為で足りるが、実行未遂の場合には、すでに発生している危険を消滅させるための積極的な作為を要するとされることが多い﹂が、﹁しかし、理論的にはどちらも、自己の発生させた危険を消滅させることを要し、

かつ、それをもって足りる﹂。なぜならば、﹁実際上も、一発撃てばすでに実行未遂であるが、当たらなかった(あるい

  (二七一七)

(15)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二八二同志社法学 六〇巻六号

はかすり傷を負わせたにとどまった)ためにもう一発撃とうとしたが止めた場合も、積極的な作為をしているわけでは

ないが、中止犯としてよい﹂からである

37

  上述した林教授等の見解と若干違って、中止犯の法的性格について新しい政策説(危険消滅説)をとる山口教授等

は、 38

中止行為は既遂危険消滅行為でなければならないことを徹底しているばかりでなく、中止行為の主観的要件として中止故意が必要であるとする。

  たとえば、山口教授は、﹁現行法上、未遂犯に着手未遂と実行未遂の区別はなく、中止犯の中止の要件もそれに対応して異なっているのではないから、﹃実行行為の終了時期﹄を問題として中止要件をそれに応じて異なって解する法文

上の必要性がなく、またそのような見解は実質的にみて妥当でもない﹂という認識から、﹁中止といえるためには、既遂の具体的危険を消滅させたかが必要であり、いかなる行為がそのために具体的に必要となるかは存在する危険のあり

方により決まることにな﹂り

険念以外の他の概要危素はすべて不要るのあ解、﹁この問題の決生のために結果発で 39

けに、中止意思(中止故意)よ典り危険を消滅させた者にだは特授の主張する。さらに、教は、危険消滅の奨励のため ﹂と 40

与えることが正当化されるのであるから、﹁こうした中止の客観的要件に対応した認識(危険消滅の認識)を行為者が有している場合にのみ、中止の要件の充足を認めることができる

いたと為行滅消険危はにめるなに為行止中、てしと﹂ 41

う客観面だけでは足りず、その危険消滅行為を認識しながらそれを行なう主観面も不可欠である、と主張する。

 

3

判例の態度   上述したように、学説において、中止行為、すなわち﹁止めた﹂の意義は、﹁止めた﹂といいうるために、単にそれ

以上の行為を不作為するだけでよいのか(着手中止)、それとも、何らかの積極的な結果回避行為をする必要があるの

  (二七一八)

(16)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二八三同志社法学 六〇巻六号 か(実行中止)をどのような基準によって確定するのか、という問題をめぐって論じられてきたが、判例もまたこの点を問題とするものであった。判例は、古くから着手未遂の中止犯(着手中止)と実行未遂(終了未遂)の中止犯(実行

中止)とを区別してきたが(たとえば、大判昭和一二年一二月二四日刑集一六巻一七二八頁、大判昭和一三年四月一九日刑集一七巻三三六頁)、それ以後、着手未遂と実行未遂の区別を明示する最高裁判例は見当たらなかった。しかし、

着手未遂と実行未遂との区別を自覚的に展開して、中止行為の態様を判断するというアプローチを採用している下級審判決が少なからず存在する。ここでは、それらの下級審の判例の立場を概観しておきたい。

  おおざっぱに区分けすれば、そのうち、第一に、実行未遂と判断したうえで、積極的に結果発生を阻止する行為が存在したとはいえないとし、中止未遂の成立を否定したものに、①大阪高判昭和四四年一〇月一七日判タ二四四号二九〇

頁、②東京高判昭和四七年三月一三日判タ二七八号三九二頁、③大阪地判昭和五九年六月二一日判タ五三七号二五六頁、④東京地判平成七年一〇月二四日判時一五九六号一二五頁、⑤福岡高判平成一一年九月七日判時一六九一号一五六頁

等、第二に、実行未遂と判断したうえ、結果発生を阻止する作為が認められるとし、中止未遂の成立を肯定したものに⑥福岡高判昭和六一年三月六日高刑集三九巻一号一頁、⑦名古屋高判平成二年七月一七日判タ七三九号二四三頁等、第

三に、着手未遂と判断し、不作為によって中止未遂が成立したものに⑧東京高判昭和五一年七月一四日判時八三四号一

〇六頁、⑨東京高判昭和六二年七月一六日判時一二四七号一四〇頁等、第四に、着手未遂か実行未遂かについて明確な判断を示さないまま、重傷を負わせて﹁死亡させる可能性があった﹂り、放置すれば﹁死亡させる可能性があった﹂り、

放置すれば﹁死亡させる危険性が大きかった﹂事例につき、結果発生を防止するに足りる積極的な行為があったとして、中止未遂を認めた⑩東京地判昭和四〇年四月二八日下判時四一〇号︹いわゆる丹沢山中殺人未遂事件︺、⑪横浜地川崎

支判昭和五二年九月一九日判時八七六号一二八頁、⑫宮崎地都城支判昭和五九年一月二五日判タ五二五号三〇二頁等、

  (二七一九)

(17)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二八四同志社法学 六〇巻六号

さらに、結果発生を防止するに足りる積極的な行為がなかったとして、中止未遂の成立を認めなかった⑬東京地判平成

一四年一月二二日判時一八二一号一五六頁等がある。

  具体的には、中止未遂か実行未遂かについて判例は以下のように判示している。   ①大阪高判昭和四四年一〇月一七日判タ二四四号二九〇頁は、殺人の故意で被害者を一回刺突した後、被害者が腹部の激痛に耐えかね、病院へ連れて行ってほしいと哀願したのに対し、憐憫の情を抱き、自動車で病院に連れて行って医

師の手に引き渡したという事案に対し、実行未遂を認めて、被告人の病院へ運び入れる行為は、いまだ結果発生防止のための真摯な努力をしたものと認められないとして中止未遂を否定した。本判決では、実行未遂とした理由につき、﹁被

告人は、計画的に被害者を殺害しようという意図を抱いていたのではなく、犯行直前突嗟の間に未必の殺意を生じたのであるから、刺身包丁で被害者を何回も突き刺そうなどという予謀はあつたとは到底考えられず、刺突行為は事実上一

回で終了しているのみでなく、その刺突行為たるや、被害者の左腹部をめがけて突刺し、肝臓に達する深さ約一二センチメートルの刺創を負わせたものであつて、右一回の刺突行為それ自体において殺害の結果を発生せしめる可能性を有

するものである。従つてそれだけで被告人の実行行為は終了したものというべく、被告人の本件殺人未遂の所為はいわゆる実行未遂の類型に属するものと解するのが相当である﹂とした。

  本判決では、何回も突刺そうという予謀はなかったので一回で刺突行為は終了していることと、一回の刺突行為それ自体で殺害の結果を発生させる可能性があったことの、行為者の主観および客観的な結果発生可能性の両方を判示して

実行未遂としたことが分かる。

  ②東京高判昭和四七年三月一三日判タ二七八号三九二頁は、恐喝罪が問題となった事案である。そこでは、恐喝の目

的で、脅迫行為を行ったのち、自己の任意の意思によって財物の交付を受けなかったという事案につき、﹁しかし、被

  (二七二〇)

(18)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二八五同志社法学 六〇巻六号 告人において既に金員喝取の目的で脅迫行為に出て他人を畏怖せしめた以上、その中止犯が成立するためには、その者に対して、害悪の告知を取消しその畏怖状態を除去して財物提供の危惧から解放することを要し、単に被告人が自らの

意思によって前述のとおり放置したにすぎないときは、未だ結果の発生を防止するために真剣な努力をしたものとはいえず、その他このような努力をしたことを認めるに足りる証拠の全くない本件においては、中止犯の成立を認めること

はできない﹂と判示している。

  本件では、恐喝罪における実行行為の終了の時期が問題になっている。本判決は、すでに脅迫行為の終了をもって恐

喝行為の終了と見て、それ以降は、その効果を否定するような積極的結果発生防止行為を必要とするものとしている。

  ③大阪地判昭和五九年六月二一日判タ五三七号二五六頁は、被告人A女は、殺意をもって、刃体の長さ約一〇センチ

メートルの果物ナイフで、同棲中の被害者Bの背部を一回突き刺したが、Bから救急車を呼ぶように指示され、また同人が出血しているのをみて大変なことをしたと感じ、一一九番や一一〇番に電話連絡し、救急車でBを病院に運ぶこと

ができたので、加療一九日間の右背部刺創・肺刺創の傷害を負わせたにとどまったという事案について、﹁判示の如き犯行態様、傷害の程度からして、本件は被告人の一回の突刺し行為それ自体で殺害の結果を生じさせるおそれを有して

いたと認められる上に、被告人は判示の如く憤激のあまり咄嗟に未必的殺意を抱き本件犯行に及んだもので、果物ナイ

フを突き刺した直後ナイフから手を離していることからして被告人があらかじめ被害者を何回も突き刺そうという意図を有していたとは考え難いことをも考慮すれば、本件は一回の突刺し行為だけで被告人の実行行為が終了しており、い

わゆる実行未遂にあたる﹂としたうえで、﹁この程度の被告人の行為をもってしては、未だ被告人自身が防止にあたったと同視すべき程度の努力が払われたものと認めることができず﹂、したがって、﹁中止未遂﹂ではないと判示した。

  本件では、﹁被告人の一回の突刺し行為それ自体で殺害の結果を生じさせるおそれを有していた﹂という客観面、行

  (二七二一)

(19)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二八六同志社法学 六〇巻六号

為者が﹁何回も突き刺そうという意図を有していたとは考え難い﹂という主観面を合わせて考慮して実行中止であると

したものである。

  ④東京地判平成七年一〇月二四日判時一五九六号一二五頁は、一撃のもとに殺害する意図で就寝中の養女の左胸部を

出刃包丁で一回突き刺した後自宅に火をつけたが、養女が﹁お父さん、助けて﹂と言ったことから急にかわいそうになり、煙に巻かれないうちに養女を助け出そうとして玄関から室外に引きずり出し、付近住民方の出入り口の門扉を明け

てその敷地内まで引きずっていったが、意識を失って養女とともにその場に倒れこんでしまったところ、偶然通りかかった通行人がこれを発見して一一〇番通報をしたため養女は病院に収容され緊急手術により一命をとりとめた事案につ

き、﹁前記出刃包丁の形状、突き刺した部位及び刺創の程度等に照らすと、被告人が出刃包丁でB子の左胸部を一回突き刺した時点においてB子には死の結果に至る高度の危険性が生じていたと認められ、被告人が一撃のもとにB子を殺

害しようと意図していたことをも併せ考慮すると、被告人のB子に対する殺人の実行行為はその時点において終了したと言うべきであり、本件はいわゆる実行未遂の事案である﹂としたうえ、﹁養女を室外に引きずり出したのは、養女が﹃お

父さん、助けて﹄と言ったのを聞いて養女のことをかわいそうに思ったことによるものであるから、右行為はいわゆる憐憫の情に基づく任意かつ自発的なものであったと認められる﹂が、被告人は養女を付近住民の敷地内まで運び出して

いるものの、それ以上の行為に及んでいないのであり、当時の時間的、場所的状況に照らすと、被告人の右程度の行為が結果発生を自ら防止したと同視するに足りる場合であるとまでは言い難いとして、中止行為を否定し、中止未遂の成

立を否定した。

  本件は、﹁被告人が出刃包丁でB子の左胸部を一回突き刺した時点においてB子には死の結果に至る高度の危険性が

生じていた﹂こと、﹁被告人が一撃のもとにB子を殺害しようと意図していた﹂ことを考慮して、実行未遂であるとした。

  (二七二二)

(20)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二八七同志社法学 六〇巻六号   ⑤福岡高判平成一一年九月七日判時一六九一号一五六頁は、妻Aの頸部をその意識が薄らぐ程度まで力一杯絞め、一旦逃げ出したAを連れ戻したのち、更に左手で力任せに頸部を絞め、同女がぐったりとなり気を失った後も約三〇秒間

絞め続けたが、その後翻然我に返りそれ以上絞めることをやめAを放置したという事案に関し、客観的にみて、既にAの生命に対する現実的な危険性が生じていたと認められるうえ、﹁被告人においても、このような危険を生じさせた自

己の行為、少なくとも、被害者が気を失ったのちも約三〇秒間その頸部を力任せに絞め続けたことを認識していたものとみ得るから、その時点において、本件の実行行為は終了していたものと解され﹂るとし、救護等結果発生を防止する

ための積極的な行為がなされておらず中止犯の成立は認められないとした。

  本件は、﹁客観的にみて、既にAの生命に対する現実的な危険性が生じていた﹂こと、および行為者が﹁被害者が気

を失ったのちも約三〇秒間その頸部を力任せに絞め続けたことを認識していた﹂ことを考慮して実行中止であると判示していたわけであるから、前記①、③、④の事案と同様に、行為者の主観および客観的な結果発生可能性の両方を判示

して実行未遂としたことが分かる。

  ⑥福岡高判昭和六一年三月六日高刑集三九巻一号一頁は、未必的殺意をもって、ナイフで被害者である女性の頚部を

一回突き刺した被告人が、同女が口から多量の血を吐き出しているのを見て驚愕すると同時に﹁大変なことをした﹂と

思って、直ちにタオルを頚部に当てて止血したうえ消防署に架電して救急車の派遣と警察署への通報を依頼し、救急車の到着をまって消防署員を招き入れ、消防署員とともに同女を担架に乗せて救急車に運び込んだところ、その頃掛け付

けた警察官に現行犯逮捕されたが、被害者は医者の治療を受けた結果死亡するに至らなかった事案につき、﹁本件犯行は、キミ子の頸部にナイフを突きつけて同女を脅していた際、一時的な激情にかられて未必的殺意を生じ、とつさに右

ナイフで同女の頸部を一回突き刺したというものであつて、二度、三度と続けて攻撃を加えることを意図していたもの

  (二七二三)

(21)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二八八同志社法学 六〇巻六号

ではなく、右の一撃によつて同女に失血死、窒息死の危険を生じさせていることに照らすと、本件は実行未遂の事案と

いうべきである﹂としたうえ、﹁被告人が、本件犯行後、キミ子が死に至ることを防止すべく、消防署に架電して救急車の派遣を要請し、キミ子の頸部にタオルを当てて出血を多少でもくい止めようと試みるなどの真摯な努力を払い、こ

れが消防署員や医師らによる早期かつ適切な措置とあいまつてキミ子の死の結果を回避せしめたことは疑いないところであり、したがつて、被告人の犯行後における前記所為は中止未遂にいう中止行為に当たるとみることができる﹂と判

示した。

  前記実行未遂を認めながら中止未遂にあたらないと判示した判例と同様に、本判決も、被告人の主観及び行為の客観 的危険性の双方を考慮に入れている

42

  ⑦名古屋高判平成二年七月一七日判タ七三九号二四三頁は、被告人が被害者の殺害を決意し、手工用切出ナイフ一本

を右手で逆手に持ち、居室内に敷かれた布団の上に仰向けになっていた被害者の右胸部を一回突き刺したが、被害者は加療約一週間を要する右前胸部穿刺傷の傷害を負うに止まった殺人未遂の事案について、﹁被害者がうめき声をあげた

ので、我に返るとともに可愛そうになり、続けて刺すのを止めることとし、直ちにナイフの柄から手を離して立ち上がった﹂こと、﹁続いて、被告人は、被害者に対して﹃傷口を押さえておけ﹄と言い残して居室外に出て一一九番電話を

した﹂こと、﹁被告人は、救急隊員に対して本件ナイフで被害者を刺したことを説明した﹂ことなど以上の事実関係を考察することによって、本件は実行未遂の事例であるとしたうえ、﹁被告人は、被害者の右胸部を一回突き刺したのち、

自ら実行行為を中止したうえ、被害者の死亡という結果の発生を防止するため積極的で真摯な努力をしたものといわざるを得ないから、本件ナイフの性状と被告人がこれを被害者に突き刺したときの状況に比べて何故傷害の程度が前記の

ごとく軽度であったかは不明であるけれども、この傷害の程度からして、医師の治療が施されれば死亡の結果はまず発

  (二七二四)

(22)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二八九同志社法学 六〇巻六号 生しないと考えられることをも併せて判断すると、被告人の右殺人未遂の所為は刑法四三条但書の﹃自己ノ意思ニ因リ之ヲ止メタルトキ﹄に該当するというべきである﹂と判示した。

  本件は、諸事情を総合的に考慮したうえ、実行中止であると判断したわけであるが、具体的に何を基準にしているかが明らかではない。

  ⑧東京高判昭和五一年七月一四日判時八三四号一〇六頁はよく取り上げられ、爾後のリーディング・ケースとなる判例である。従来の事案は、すべて実行未遂とされ、積極的結果防止行為が必要とされるものであったが、本件は、﹁着 手中止を認めた点で画期的なものである﹂と評価されている

43

  被告人甲は、自分の服役中に妻と情交関係があったと疑われるAを殺害しようとして、乙に刃渡り約五二センチメー

トルの日本刀をもって来させたところ、乙も甲の意を察してAの右肩を一回切りつけ、さらに二の太刀をあびせて息の根を止めようとして次の攻撃に移ろうとした折、甲が﹁もういい、乙いくぞ﹂といい、次の攻撃を止めさせ乙もこれに

応じて次の攻撃を断念し、その後甲は親友丙等にAを病院に連れて行くよう指示し、その結果Aは医師の診断を受けたという事案(加療約二週間程度の肩部切創)について、原審が本件被害者を放置しておけば出血多量により死に至る危

険があると判断して、本件を実行未遂の事案であるとしたが、東京高裁は、﹁被告人らとしても、右被告人がAに加え

た最初の一撃で同人を殺害できたとは考えず、さればこそ乙は続けて次の攻撃に移ろうとしたものであり、Aが受けた傷害の程度も右肩部の長さ約二二センチメートルの切創で、その傷の深さは骨に達しない程度のものであったのである

から、被告人らのAに対する殺害の実行行為が原判示乙の加えた一撃をもって終了したものとはとうてい考えられない﹂として、﹁着手未遂﹂の段階にとどまると認定し、甲・乙の殺人未遂は﹁中止未遂﹂にあたると判断したのである。

  本件は前記⑥の判例と類似して、被告人らは最初の一撃によって殺害できたとは考えていなかったという行為者の主

  (二七二五)

(23)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二九〇同志社法学 六〇巻六号

観、および、いまだ死の危険が生じたものでないという客観面を合わせて考慮したことから着手未遂であると判断した

のである

44

  ⑨東京高判昭和六二年七月一六日判時一二四七号一四〇頁は、飲食店経営者Aから出入りを断られ憤激した被告人

が、右Aを殺害しようとして牛刀で頭部めがけて切りつけたところ、それを左腕で防いだAから助命を哀願されたため、憐憫の情を催して自らも謝罪し病院に運んだ(全治約二週間)という事案について、﹁被告人は、Aを右牛刀でぶった

切り、あるいはめった切りにして殺害する意図を有していたものであって、最初の一撃で殺害の目的が達せられなかった場合には、その目的を完遂するため、更に、二撃、三撃というふうに追撃に及ぶ意図が被告人にあったことが明らか

であるから、原判示のように、被告人が同牛刀でAに一撃を加えたものの、その殺害に奏功しなかったという段階では、いまだ殺人の実行行為は終了しておらず、従って、本件はいわゆる着手未遂に該当する事案であるといわねばならない﹂

と判示した。

  本件では、﹁最初の一撃で殺害の目的が達せられなかった場合には、その目的を完遂するため、さらに追撃に及ぶ意

図が被告人にあったことが明らかである﹂という点を強調しており、主観説に立ったもののようにも見えるが、必ずしも傷害の程度が無視されているとまではいえず(瀕死の重症ならどう判示したかは明らかでない)、前出⑧の判例と矛

盾するものではな

45

46

  ⑩東京地判昭和四〇年四月二八日判時四一〇号一六頁は有名な﹁丹沢山中殺人未遂事件判決﹂である。   事案は、行為者がまず熟睡している被害者に頭ほどの大きさの石を投げ下し、さらに日本手拭を首に巻いて絞め上げたまま引きずって、沢の水の中に顔を押さえ入れたが抵抗され、さらに逃げようとする被害者の顔面を殴打したが、つ

いに対岸に逃げられ、さらに山道に逃げ込んだのを一たん見失ったが、探し出し、殺害の目的を遂げようと庖丁を携え

  (二七二六)

(24)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二九一同志社法学 六〇巻六号 て近寄ったが、可哀想になり、殺害行為を思い止り、その後、介抱を続けて被害者を医師の下に運び、治療を受けさせた結果、傷害を負わせたにとどまったというものである。この事案に対し、東京地裁は、被告人が石をもって被害者の

頭部に加えた傷害は被害者を死に致す可能性ある危険な行為であったと認定し、結局、本件において被害者が死の結果を免れえたのは、被告人が﹁憐憫を覚えて翻意し、反省悔悟して爾後の実行々為を任意に中止したこと﹂、および、被

害者の﹁死の結果発生の危険を防止するため﹂応急手当を行い、医師の治療を受けさせるために努力し、その行為が、﹁被告人自身その防止に当ったとするに足るべき程度の真摯な努力を払ったもの﹂であって中止未遂となるとした。

  本判決では、行為者の予めの計画についてはいっさい論及されていないから、主観説を採るものではないといえる。本判決で注目すべきは、第一の(傷害)行為は、﹁死に致す可能性ある危険な行為﹂であると認定し、それゆえに、﹁死

の結果の発生を積極的に防止する行為﹂に出ることが必要であると結論づけている点である。すなわち、積極的な結果回避行為が必要かどうかを、結果発生の可能性ある危険な行為が行われたかどうかによるものとした点は、判例として

はじめて、因果関係遮断説ないし実質説に近い考え方を示したところに意義があると思われる。

  ⑪横浜地川崎支判昭和五二年九月一九日判時八七六号一二八頁は、被告人が、被害妄想の症状を呈するようになった

妻を思い余って殺害し自殺しようと決意し、ウイスキー瓶で被害者の左前額部を一回殴打し、さらに、裁ち鋏の刃先の

部分で同女の咽喉部から右頬にかけて十数回突き刺し、電気炊飯器用の電気コードで同女の頚部を絞めつけたが、同女の出血を見て驚愕するとともに、憐憫の情を抱き自ら中止し、結果の悪化を防止するため、その後直ちに救急車を呼ん

だという事案(被害者は、加療約二週間を要する軽い傷害を負ったにとどまった)に対し、任意性を肯定したのち、著手中止か、実行中止かについては次のように述べた。﹁前叙のような傷害、出血の程度、被害者が受傷後自ら消毒をし

たり電話にでることができた状況等に照らすと、本件は実行行為の終了前にその実行を放棄した着手中止の色彩が強

  (二七二七)

(25)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二九二同志社法学 六〇巻六号

い﹂ばかりか、﹁その後直ちに救急車を呼んだことから結果防止に真摯な努力をしなかったとはいえず、その結果被害

者は確実に死を免れたのであって、その面では実行中止の要素もあ﹂ると判示して、中止未遂の成立を肯定した。

  本判決は、被告人は殺害行為を中止したとき、﹁客観的には殺害可能な状態にあった﹂と認定しながら、傷害の程度

も軽微であったから、着手中止の﹁色彩が強い﹂としている。

  ⑫宮崎地都城支判昭和五九年一月二五日判タ五二五号三〇二頁は、被害者を殺害しようとして、同女の首にファスナ

ーを一回巻きつけて絞めつけているうちに、そのファスナーが切れたため、調理場から刃渡り約一二センチメートルの庖丁を持ち出し、これを右手逆手で握って同女の頚部前面を左から右に真横に一回切り裂いたが、多量の出血を見て驚

き、同女に対する殺害行為の継続を思い止り、直ちに同女に対して治療措置を受けさせるべく、救急車の手配をする等、結果発生防止をした事案についてのものである。中止行為の態様の決定基準に関しては、本判決は、﹁被告人が、右の

ように本件殺害行為の継続を思い止まる前に被害者に加えた行為は、病院において治療措置を受けることなくそのまま放置すれば、出血多量により死亡させるに至る危険性が大きかったことが認められる。右のような事実関係のもとにお

いて、被告人に中止未遂の成立が認められるためには、単に殺害行為を中止するのみでは足りず、被告人がすでに加えた前記行為に基づく死の結果の発生を防止するため、積極的な行為に出て現実に結果の発生を防止し得たことが必要で

あると考える﹂とし、結論的には、被告人自身が結果発生を防止する行為に出たと同視するに足りる真摯な努力を払ったものとなしうるとして、中止犯の要件を充たすものと認めた。

  ここでも、判例は、﹁死亡させるに至る危険性﹂が大きい場合には、中止行為として積極的な結果防止行為が行われることを要するとしている。

  ⑬東京地判平成一四年一月二二日判時一八二一号一五六頁は、次のような事案についてのものである。被告人は、椅

  (二七二八)

(26)

中止犯における中止行為についての一考察(二)二九三同志社法学 六〇巻六号 子に座ってパソコン作業中のBに対し、その背後から、千枚通し様の調理器具(﹁たこ焼きピック﹂という)で、いきなり首の後ろ辺りを突き刺し、これによりBは床の上に倒れた後、被告人は、床にうつぶせているBに対し馬乗りにな

った上で、たこ焼きピックで首の後ろ辺りを引き続き四回ほど突き刺した。Bが﹁もうやめてくれ﹂との趣旨の声を上げると、被告人はようやく攻撃をやめた。その後、被告人は、Bを一人残して会社事務所から立ち去った。これについ

て、東京地裁は、﹁本件においては、刺した位置や角度や深さなどの僅かの違いにより、頸髄中の神経の枝や頸動脈が損傷されるには至らなかったが、頸髄が部分的に損傷され、そのために、Bは、ほぼ全身が麻痺状態となり、床に横た

わったまま起き上がれない状況に陥っている。さらには、何回も救急車を呼んでくれるように要求し、被告人が現場を立ち去る際には意識を失っていた。そうすると、この時点における一般人の立場からの判断としては、殺人の既遂に至

る具体的危険が被告人の行為とは独立して生じた場合に当たるというべきである﹂と認定して、﹁﹃犯罪を中止した﹄というためには、生じた危険を積極的行為により消滅させることが必要であるというべきであるが、被告人は危険を消滅

させる行為を何らすることなく、気を失って横たわっているBを放置して現場から立ち去ったというのであるから、本件において中止未遂は成立しない﹂と判示した。

  前記⑫の事案と同様に、本件も、﹁殺人の既遂に至る具体的危険が被告人の行為とは独立して生じた場合に当たる﹂

場合であるとして、積極的結果防止行為を要求されているのに、被告人は単に﹁気を失って横たわっているBを放置して現場から立ち去った﹂から、中止未遂にならないとしたものである。

  以上の判例の概観によって、判例の多くは、着手未遂では﹁犯行放棄﹂、終了未遂では﹁既遂阻止﹂の図式を掲げる傾向にあることがわかる。しかし、﹁着手未遂﹂の段階で中止未遂を認めた事例は、単に﹁犯行放棄﹂にとどまらず、

第一攻撃に出たにとどまり、第二・第三攻撃に出ることなしに、被害者を病院に運ばせたり、治療を受けさせたりした

  (二七二九)

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