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中止犯における中止行為についての一考察(三・完)

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中止犯における中止行為についての一考察(三・完)

著者 王 昭武

雑誌名 同志社法學

巻 61

号 4

ページ 115‑173

発行年 2009‑09‑30

権利 同志社法學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011844

(2)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一一五同志社法学六一巻四号

中止犯における中止行為についての一考察︵三・完︶

王   昭 武

︵一二六五︶    目 

一 はじめに

二 中止行為の概念

1概念

2中止意思の要件の要否

三 任意性と中止行為の判断の順序

四 中止行為の態様着手中止と実行中止

1概論

2学説

   ︵一︶ 主観説    ︵二︶ 修正的主観説

   ︵三︶ 客観説      ︵以上六〇巻五号︶

   ︵四︶ 折衷説    ︵五︶ 因果関係遮断説    ︵六︶ 実質説    ︵七︶ 既遂危険消滅説

3判例の態度

4検討    ︵一︶ 着手中止と実行中止    ︵二︶ 因果関係遮断説の妥当性︵以上六〇巻六号︶

(3)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一一六同志社法学六一巻四号︵一二六六︶

五 中止行為の程度

1不作為による中止

2作為による中止

   ︵一︶ 中止行為と結果の不発生との間に因果関係 の要否

  ︵二︶真摯性の要否    ︵三︶ 結果が発生した場合の取扱い 六 おわりに      ︵以上本号︶

五 中止行為の程度

  中止行為に関して最も問題となるのが︑中止行為となるためにはどのような行為をすることが必要かである︒前述し

た因果関係遮断説によれば︑結果発生に向けて因果の経過が進行を開始しているかどうかによって︑中止行為は作為に

よる中止および不作為による中止という二つの形態に分けられる︒以下はその二つの形態を分説することにしたい︒

1

不作為による中止   不作為による中止の場合︑理論的に重要な問題は︑既遂結果発生の危険性が存在しない場合に︑さらなる侵害行為に

出ないという不作為だけで中止行為として十分であるのか︑それともさらにほかの要素も考慮する必要があるのか︑で

ある︒  第一に問題となるのは︑まず︑作為態様の中止と同じく︑中止される行為は続行可能なものであり︑すなわち続行の 可能性が必要である︒この続行可能性は︑行為者の主観によってではなく︑客観的に判断すべきである

︒たとえば︑行 1︶

為者は︑拳銃で被害者を殺そうとしたが︑一発目の弾をはずしてしまったが︑たとえプライドが高く一発で被害者をし

(4)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一一七同志社法学六一巻四号 とめるつもりであったとしても︑または︑たとえ行為者が数発の弾丸が装てんされている事実を知らなくても︑二発目が物理的に発射可能である限りは客観的に判断して続行可能性は肯定される︒これに対して︑次のような三つの反対形態が考えられる︒  まず︑手段的行為の続行不可能の場合︑および︑行為計画と行為客体との同一性の齟齬による行為の続行不可能の場合には︑客観的に続行の可能性がないので︑できないのでやめたにすぎないから︑不作為による中止が認められない︒  具体的に︑の場合は手段の挫折の場合ともいわれるが

︑たとえば︑一発目の発射のあと二発目が銃の故障で発射で 2︶

きなくなった場合は︑客観的にもはや続行可能性がないので不作為では中止とならないのはもとより︑むしろ端的に障

害未遂であるいうべきであろう︒の場合には︑たとえば︑①一発外した際に振り向いた被害者が人違いであることに

気づいていたために︑可能な二発目の発射をやめたような場合︑②競争会社のある機密資料を盗もうと金庫を破った産

業スパイが︑それがすでに自社に周知の情報であったので盗むのをやめた場合などが考えられる︒この場合には︑﹁現

実の行為客体に対する行為を行わなかったとしても︑行為続行可能性が存在しないが故に︑﹃止メタ﹄とは言えない

﹂ ︒ 3︶

つまり︑これらの場合︑任意性を否定するのではなく︑そもそも中止行為の前提としての危険が存在しないと解すべき

である

4︶

  ただ︑期待はずれ︑すなわち行為計画と行為客体の価値との齟齬による行為の続行不可能の場合は︑その判断が微

妙である︒行為者が︑行為客体の価値に強く拘束され︑それ以外のものについては目的外にあり︑または︑行為計画と

現実の客体価値に著しい齟齬があるならば︑前記の場合と同様に取り扱ってよい︒しかし︑行為計画と現実の客体価

値に齟齬があるが︑客観的にみて依然として犯行を続行することが不可能ではない場合︑たとえば︑強盗犯人が︑被害

︵一二六七︶

(5)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一一八同志社法学六一巻四号

者を金持ちであると思って襲ったところ︑一〇万円しか持っていなかったのでそれをとらなかった︑または︑五〇〇万

円の宝石を盗もうと思って金庫を開けたら五〇万円の宝石しか入っていなかったので盗むのをやめたという場合は中止

行為の問題か︑任意性の問題かの限界事例である︒その場合には︑任意性の問題として︑任意性がなく中止未遂になら

ないと処理したほうが適切であると思う

︑いかに期待はずれでがっかりしたのでやめたとしても︒このような場合に︑ 5︶

一〇万円の現金でも奪取しようと思えば奪取できたのに︑または︑五〇万円の宝石でも盗もうと思えば盗めたのに︑自

己の意思でやめているのであるから中止犯を認める余地はありうると思われるからである︒

  第二は︑考慮すべき継続可能な侵害行為の範囲︑すなわち続行の継続性の問題である︒すなわち︑中止される行為は

﹁さらなる侵害行為によって結果を発生させることが可能であるとしても︑それは無制限に拡張されえな﹂く

︑すでに 6︶

行われた実行行為の部分と︑時間的・空間的・構成要件的︑さらに行為態様的継続性を持つものでなければならない︒

たとえば︑家宅に侵入してタンスに手を掛けた後︑翌日を期し自発的に中止した場合︑すなわち︑客観的に継続可能な

実行を相当程度延期する場合には︑中止行為を認め得る

︒中止未遂になるためには︑犯意を終局的に放棄するまでは必 7

要ではなく︑現在の犯行についての犯意︑および現在行われている実行行為をやめるだけで足りるからである︒それに

対して︑たとえば︑拳銃の唯一の弾をはずしたあと二発目の弾を家まで取りに帰り︑翌日もう一度被害者に向けて発射

することが可能であり︑またそのつもりであったため︑気が変わってやめたという場合は︑不作為の中止とはいえない

8︶

その場合には︑客観的にみて︑犯行当時には︑犯行が失敗に終わり︑その実行を継続することが可能ではないからであ

る︒  第三に問題となるのは︑中止故意である︒これについて︑﹁中止故意がない場合︑即ち︑客観的には不作為態様で十

分であったとしても︑行為者の主観において物理的危険が発生していた場合︑例えば︑拳銃の一発目が客観的には外れ ︵一二六八︶

(6)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一一九同志社法学六一巻四号 被害者が驚いて倒れたところ︑弾が命中して重傷を負い倒れたものと思い込んだ行為者が︑予定されていた可能な二発目の発射をやめたような場合に︑中止未遂の成立を認める﹂べきではないという見解

もあるが︑その結論には賛同すべ 9

きであるものの︑中止行為の概念のところで論じたように︑中止行為の段階では︑中止の故意など行為者の主観を考慮

する意義はさほどないばかりか︑かえって理論的混乱を招致しかねないから︑その主観面は任意性の有無の段階で判断

すればよいと思う︒

2

作為による中止   作為による中止の場合には︑その問題は︑①中止行為と結果不発生との間に因果関係が必要か︑②中止行為として真

摯性が必要か︑③行為者が積極的な中止行為を行ったにもかかわらず不幸にして結果が発生してしまった場合をいかに

取り扱うべきか︑という三つの点に集中する︒

︵一︶中止行為と結果の不発生との間に因果関係の要否

  不作為による中止と異なり︑作為による中止の場合には︑行為者の作為による中止行為があり︑実際にも結果は不発

生に終わったけれども︑その中止行為と結果不発生との間に因果関係がなかった場合にも中止犯が認められるかが問題

となる︒すなわち︑ここでの問題は︑中止犯の成立要件として︑中止行為と任意性に加えて︑中止行為と既遂結果不発

生との間に因果関係が存在することが必要か否かにあり︑それは中止犯の成否をめぐる最も争われている問題の一つで

もあると言われている

10

  この問題は︑具体的に︑次の二つの類型が生ずる︒第一類型は︑行為者の中止行為とは別の事情︑とくに第三者の結

︵一二六九︶

(7)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一二〇同志社法学六一巻四号

果防止行為によって既遂結果が発生しなかった場合である︒たとえば︑XがAを殺そうとしてピストルで射ちAを負傷

させたが︑Xは思い直して傷の手当をしたけれども出血が止まらなかったところ︑たまたま通りかかった医師Bが持っ

ていた止血薬で治療したため出血がとまり死亡するにいたらなかったような場合︑あるいは︑放火犯人Yが翻意してバ

ケツの水をかけて消火の努力をしている最中︑たまたま通りかかった第三者Cのバケツの水によって消火したような場

合である︵医師BがXに呼ばれて治療にあたったとき︑あるいは︑CがYに頼まれて消火にあたったときは︑Xまたは

Yの中止行為と既遂結果との間に因果関係があることになる︒この場合は後述する真摯性の要否の問題である

11

︶ ︒   第二類型は︑行為がはじめから結果発生の可能性がなかった場合である︒たとえば︑窃盗犯人が金庫をこじあける途

中で気が変わって任意に中止したが︑そもそも金庫の中が空であった場合︑あるいは︑XがAを殺そうとして毒を飲ま

せたが思い直して病院に運んだところ︑毒はもともと致死量に達していなかったので助かったような場合である︒

  問題の焦点は︑中止行為と既遂結果不発生との間に因果関係が存在することは中止未遂の成立要件であるかどうかに

ある︒中止行為と既遂結果不発生との間の因果関係が中止未遂の成立要件であるとすれば︑前記第一類型と第二類型に

おいては︑中止行為と結果不発生との間に因果関係がないから中止犯は認められなくなる︒しかし︑とくに第二類型の

場合に︑同じく途中で後悔して被害者を病院に運んだため助かった事案であるが︑はじめから致死量に達していない毒

を盛っていた場合に︑中止犯の成立を否定するのは︑はじめから致死量の毒を盛っていた場合に中止犯成立の可能性が

あるのに比べて︑明らかに不均衡が生じる︒そのため︑中止行為と既遂結果不発生との間の因果関係の要否が盛んに議

論されているのである︒ ︵一二七〇︶

(8)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一二一同志社法学六一巻四号

  判例の態度   第二類型の事案についての判例は見当たらなかったが︑第一類型の事案について︑判例は︑麻縄についた火をもみ消

そうとしたが︑なかなかうまくいかず︑やってきた第三者の行為によってやっと消火した場合には︑中止犯では﹁犯人

自ラ犯罪ノ完成ヲ現実ニ妨害シタル事実ノ存スルコトヲ必要トスヘク原判示ノ如ク被告人自ラ点火シタル麻縄ノ揉消ヲ

試ミタルモ消火ノ効ナク被告人以外ノ者ニ於テ犯罪ノ完成ヲ現実ニ妨害シタル場合ニ在リテハ﹂中止犯となし得ないと

判示した︵大判昭和四年九月一七日刑集八巻四四六頁︶︒すなわち︑実行行為者自身の中止行為﹁に因り﹂結果発生を

阻止したことが必要であるということである︒したがって︑犯人が真剣な努力を傾けても阻止し得ず︑専ら他人の行為

によって結果を阻止し得た場合︵第一類型︶とか︑最初から結果の不発生が明確な場合︵第二類型︶には︑中止行為と

結果不発生との間に因果関係を認め得ないので中止犯となり得ないということになる

12

  改正刑法草案二四条二項   この点について︑改正刑法草案二四条二項は︑﹁行為者が結果の発生を防止するに足りる努力をしたときは︑結果の

発生しなかったことが他の事情による場合であっても︑前項︹中止犯について刑の必要的減軽・免除を認める規定︺と

同じである﹂︵︹ ︺は筆者︶と規定し︑立法によってこの問題の解決をはかる︒この規定によれば︑現行法のもとで︑

前記の第一類型︑第二類型のように︑行為者の結果発生阻止行為と結果不発生との間に︑因果関係があることを必要と

するかどうかの議論について︑真摯な結果発生阻止行為が認められれば︑その行為と結果不発生との間に因果関係がな

くても︑中止未遂と同様に取り扱うと一般に理解されている

︒ただ︑﹁これは︑第三者の助力を得たようなときでも中 13

止犯となりうるという意味では正当であるが︑中止行為と危険消滅の間の因果関係すら要らないことを意味しうるかぎ

︵一二七一︶

(9)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一二二同志社法学六一巻四号

りで問題がある﹂と批判する見解も見られる

14

  ただ︑同項の説明書は︑その理由を責任減少によって説明している︒すなわち︑﹁いわゆる実行未遂の場合における

中止犯に対して刑の減免を認める趣旨は︑結果を防止するために積極的な努力をすることによって行為者の責任が減軽

されるという点にあるのであって︑自発的に犯罪意思を放棄した行為者が結果の発生を防止するために真剣に努力をし

た以上︑たまたま本人の防止行為とは関係のない事情によって結果が発生しなかった場合であっても︑行為者の努力を

責任減軽の要素とみてよいことに変わりはないので︑中止犯の場合に準じて刑の減免を認めることとした﹂と述べる︒

草案説明書が︑この規定の趣旨として︑真摯な努力による﹁責任﹂の減軽をあげていることに注目しなければならない︒

これについて︑中山博士は︑﹁このような方向への中止犯規定の適用の拡大は︑責任減少説からはスムーズに説明しう

るところであるが︑違法減少説からはどのように根拠づけられるのであろうか︒それは︑むしろ︑行為無価値論に傾斜

するおそれがあるように思われる﹂と批判している

15

  学説上の争い   学説においては︑中止犯の法的性格についての見解の対立の影響を受け︑中止行為と結果不発生との間に因果関係が

必要かについては現在に至ってもなお争いがある︒中止行為と結果不発生との間に因果関係がない場合について中止犯

の成立を否定する消極説は︑かつて有力であった︒この消極説によれば︑﹁中止行為がありかつ結果が不発生に終わっ

たときでも︑その中止行為により結果の発生が阻止されたのではなく︑他の事情で︑中止行為とかかわりなく結果が発

生しなかったにすぎぬ場合も中止未遂とはいえず︑単なる障害未遂にすぎない

﹂のである︒すなわち︑中止犯は自己の 16

意思により犯罪を中止したことを要するから︑結果不発生が自己の中止行為を原因とするものでないときは障害未遂で ︵一二七二︶

(10)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一二三同志社法学六一巻四号 ある︒しかし︑前記の第二類型の場合に不均衡が生じかねないから︑むしろ現在では︑中止行為と結果不発生との間に因果関係が成立要件ではなく︑前記第一類型および第二類型のような場合は中止犯が成立しうるとする積極説が多数説である︒ほかに︑前記の第一類型と第二類型について異なる取扱いを採る二分説も見られる︒   消極説   現行法四三条但書は︑﹁自己の意思により犯罪を中止した﹂ことを中止未遂の成立要件としているが︑これについて︑

消極説の多くは︑その文言からは︑任意の行為によって結果の発生を防止したこと︑すなわち既遂結果は中止者の行為

により現実に防止されなければならないと理解することによって︑中止行為と結果の不発生との間に因果関係が必要で

あると主張する

︒この四三条但書の条文を理由とするものと違って︑近時︑山口教授等は︑中止未遂の法的性格につい 17

ての新しい政策説︵既遂危険消滅説︶から消極説を唱えている︒

  山口教授は︑既遂の危険消滅を中止要件としている以上は︑前記第一類型と第二類型のように︑行為者の行為と危険 消滅との間に因果関係がなければ︑中止未遂の特典を与える必要がないと主張する

︒具体的には︑第一に︑構成要件的 18

結果を惹起することが具体的に不可能である前記の第二類型の場合には︑放置しておいても既遂に至ることはありえな

いから︑中止犯を認める前提に欠け︑その成立を肯定することはできず︑刑の減免という特典を与える必要はない︒し

かも︑この場合には︑﹁放置しても結果発生はありえない以上︑中止行為として積極的な作為による危険消滅・結果回

避を認めることは意味がない︒また︑さらに結果を惹起しうるさらなる手段がなければ︵これがあれば︑その不作為と

危険消滅との間に因果関係を肯定することができる︶不作為による中止も想定することができないから﹂︑﹁中止犯の成

立を肯定しようとしても︑要求すべき中止行為の内容の理解に困難が生じることになる﹂︒要するに︑﹁危険消滅の単な

る努力ではなく︑現実の危険消滅を中止要件とする以上﹂︑中止の客観的要件としての危険消滅を肯定しうるためには︑

︵一二七三︶

(11)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一二四同志社法学六一巻四号

行為者による中止行為︵作為・不作為︶と危険消滅︵による結果不発生︶との間に因果関係が必要であるのは論理必然

の帰結なのである︒第二に︑前記の第二類型の場合は中止未遂が認められなければ︑結果惹起が具体的に可能な場合に

は中止が可能であることと比べて均衡を失するという批判に対して︑教授は︑﹁そもそも︑中止犯の成否において取扱

いの均衡は決め手にはなりえず︑具体的被害法益救助の見地から中止犯の特典を与えることが必要かだけが問題となる

のである﹂と反論している︒第三に︑積極説は︑﹁中止犯における刑の減免の根拠をもっぱら責任減少に求めることに

よって初めて可能となるのである﹂︒

  ただ︑注意すべきなのは︑中止未遂の法的性格について新しい政策説を採るから︑必ずしも消極説に至るわけではな い︒たとえば︑佐伯教授︑大塚裕史教授は後述する二分説を採っている

19

   積極説   消極説によれば︑とくに前記の第二類型の場合には均衡を失すること︑﹁﹃犯罪を中止した﹄という条文が︑中止行為 がなければ必ず結果が発生したことまで要求している︑と解することには疑問がある

﹂すなわち﹁犯罪を中止した﹂と 20

いう条文からは中止行為と既遂結果不発生との間に因果関係が不可欠であることは必ずしも導かれないこと︑﹁極めて

真剣な努力を傾けた時に︑因果関係を強調して中止犯の恩典を排除することには問題が﹂あること

︑などの理由から︑ 21

中止未遂の法的性格についての責任減少説のみではなく︑違法性減少説など諸説からも積極説が唱えられており︑積極

説はむしろ多数説になっている

︒ただ︑その出発点すなわち中止未遂の法的性格についての理解が異なるために︑積極 22

説においてもニュアンスの違いが見られる︒

  塩谷教授は刑事政策説︵奨励説︶の立場

から︑﹁法は︑一般的に効率的な法益保護をはかるため︑実行に着手した者 23

に対し︑結果が発生する前に改心して結果発生阻止にふさわしい行為を行うことを奨励しており︑この場合でもそのよ ︵一二七四︶

(12)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一二五同志社法学六一巻四号 うな法政策には合致したといえ﹂るし︑しかも︑﹁中止行為は過去の実行行為に対する﹃埋め合わせ﹄であり︑﹃裏返し

の犯罪論または逆の方向に向った構成要件﹄といえるが︑その効果が必要的減免にとどまることを考えれば︑﹃完全な

埋め合わせ﹄までは要求されていないのである﹂から︑結果不発生との間の因果関係は不要であり︑前記の第一類型お

よび第二類型の場合には︑中止犯は成立しうるとする

24

  野村教授は独自の違法性減少説

から︑本来的結果の発生が不可能であるのに行為者はこれを知らず結果発生防止義務 25

を尽くした場合︵前記の第二類型の場合︶︑たとえば︑殺人の目的をもって本来致死量にたりない毒薬を服用させたのち︑

解毒するにたりる解毒剤を服用させたという場合には︑﹁毒薬を服用させた時点における一般人の判断による限り︑結

果発生の可能性があると判断されるので︑刑法規範は結果発生防止義務を行為者に課するのである︒したがって︑この

一般人から見た危険を自己の意思によって遮断した以上︑中止犯を肯定できる﹂とする︒さらに︑行為者が中止行為を

行ったにもかかわらず︑これと独立した第三者の行為によって結果に発生が防止された場合︵前記の第一類型の場合︶

には︑﹁刑法規範の法益保護の動的機能の観点よりすれば︑行為者が十分な結果発生防止義務を履行したときには︑結

果発生の防止が通常期待できるのであり︑もはやその場合には一般人は︑換言すれば︑刑法規範は危険を感じなくなる

のである﹂から︑﹁行為者が結果防止のために十分な中止行為を行った以上︑それと無関係に第三者の行為によって結

果が防止された場合でも︑中止未遂が肯定できる﹂とする

26

  内藤謙教授は責任減少説の立場

から︑﹁中止行為と結果不発生との間に因果関係がない場合にも︑行為者が自己の意 27

思により︑自己の行為が結果防止のための中止行為であると認識して結果防止に足りる努力をしていれば︑故意︵法益

侵害意思︶の自発的な放棄が中止行為に表現されているから︑法的非難可能性が減少する﹂と認められるとして︑前記

の第一類型および第二類型について中止犯の成立を肯定する

28

︵一二七五︶

(13)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一二六同志社法学六一巻四号

  違法性・責任減少説をとる井田教授

は違法二元論の立場から︑﹁結果不法が実現しなかったことを違法性を減少させ 29

る方向で考慮するとき︑結果不法の不発生が行為の時点において予見可能である必要性はない﹂として︑﹁このような

意味において︑通常の犯罪の成立の場面においてすでに︑結果不法の不発生の行為への帰属は無条件で行われる︒それ

だからこそ︑結果不発生を中止犯の必須の要件としながら︑中止行為と結果不発生の間の因果関係は中止犯の要件とは

ならないと考えることが可能なのである﹂とする

30

  総合説を採る板倉博士

は︑﹁中止行為と結果不発生との間の因果関係が必要であるとすると︑毒薬を飲ませたのち︑ 31

十分な解毒剤を与え治療した場合︑毒薬が致死量に達していなければ中止犯は認められず︑致死量の毒薬を飲ませた場

中止犯は認められる

と不均衡を生ずる﹂と指摘し︑﹁このような真剣な中止行為をすれば︑行為の違法性や︑

行為者に対する非難可能性は減少するといえるし︑また︑犯罪の完成をなるべく未然に防止するという刑事政策的効果

をあげるという見地からも︑このような場合にも中止犯を認めるべきである﹂とする

32

  新しい政策説を採る松宮教授

は︑﹁中止未遂はあくまで未遂の可罰性を埋め合わせる︑未遂内部での制度なのだとい 33

うのが前提で﹂あるとして︑﹁ドイツでならともかく︑わが国では効果が刑の減免ですから︑必ずしも﹃完全な埋め合

わせ﹄は要求されていないと解するべきで︑その意味では未遂にさえとどまれば中止犯適用の余地はあると考えたほう

が合理的だ

﹂と主張する︒ 34

  上記のような中止犯の法的性格から根拠づけをしようとする見解と違って︑中止行為と結果不発生との間の因果関係

より︑むしろ行為者の真摯な努力を強調すべきであり︑それにより中止未遂の成立を容易に認め得るとする見解も少な

くない︒たとえば︑福田博士は︑﹁実行未遂における中止行為は︑因果関係の遮断ではなく︑結果防止のための真剣な

努力に意味があるのであるから﹂︑防止のための真摯な努力を示す行為がなされ︑しかも犯罪が未遂に終ったならば︑ ︵一二七六︶

(14)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一二七同志社法学六一巻四号 このばあいには︑中止犯を認めるべきであるとする

︒そのうち︑とくに注目すべきなのは香川博士の見解である︒博士 35

は中止行為の真摯性を因果関係の代役と位置づけている︒すなわち︑﹁中止行為に要求される因果関係を具備するもの

ではないが︑遮断のために真摯な努力をしたことが︑遮断しえたばあいと同等に評価しうる︒すなわち︑中止行為に要

求される因果関係には欠けるが︑それがあったばあいと同一に評価する趣旨と解すれば︑そこに真摯性の安住場所を求

めることが可能となってくる

36

﹂ ︒    二分説   これまで二分説はほとんど重視されておらず︑それを積極説または消極説として見られてきた︒二分説は︑平野教授

によって首唱されたものであり︑前記の第一類型と第二類型に異なる取扱いを採ることによって適切な問題解決を図ろ

うとするものである︒

  平野教授は︑行為者が︑本来結果発生が不能であるにもかかわらず︑これを知らずに結果発生防止行為を行った場合

︵前記の第二類型の場合︶には︑例えば︑致死量に足らない毒薬を服用させ︑その後十分な解毒剤を服用させた場合には︑

それが未遂犯として処罰されるのは︑﹁客観説によれば︑一般人から見た場合このような行為にも危険性が認められる

からであ﹂り︑被告人は中止の結果としてその危険性を消滅させた以上︑現行法の解釈論としても中止未遂の成立を肯

定できるとする

︒しかし︑中止の結果として危険性を消滅させることを必要とされることから︑行為者が十分な結果発 37

生防止措置を講じたとしてもそれが結果発生防止に作用する以前に行為者の中止行為と全く無関係に第三者の行為によ

り結果発生が防止されたとき︵前記の第一類型の場合︶には︑教授は判例の態度を支持し︑﹁被告人の行為も実質的に

与って力があった場合であれば︑現行法のもとでも中止犯を認めることができるであろう︒しかし︑そうでないときは︑

改正草案のような規定がなければ︑中止犯を認めることはできない﹂ことになる

38

︵一二七七︶

(15)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一二八同志社法学六一巻四号

  その後︑中博士は︑前記の第二類型の場合には︑本来ならば︑﹁このさいの結果不発生は客観的な障碍によるもので

あり︑本人の回避行為の効果ではありませんから︑厳密にいって中止未遂とは解しえません﹂が︑﹁結果の客観的不能

が一般人にとって予見されない程度のものであるときは︑結果の不発生は︑規範的考察上は本人の真摯な防止努力に帰

せられてすこしもさしつかえなく︑これを中止未遂とすることは妨げな﹂く︑﹁またもし︑結果発生の客観的不能の不

知が︑本人の施こした因果力の一見明白な無効性の主観的不知のためだとしますと︑単純に不能犯とすればよい﹂とす

39

  平野教授の見解と反対に︑木村静子教授は︑前記の第二類型︑すなわち﹁結果の発生が最初から不能である場合は真

摯な努力があっても中止犯は成立しない﹂としながら︑前記の第一類型︑すなわち結果発生が可能である場合には︑﹁結

果不発生の原因が行為者の行為以外にあっても︑それを知らずして結果を防止するためそれに適した行為がなされた場

合は︑中止を認むべきである﹂とする

40

  その後︑新しい政策説を採る

佐伯教授は︑前記の第一類型の場合︑たとえば︑行為者が救急車を呼ぶために電話をか 41

けに行った間に︑第三者が被害者を病院に連れていったような場合には︑そもそも中止行為がないということもできる

から︑中止犯を認めることはできないとする︒しかし︑前記の第二類型の場合には︑﹁中止行為と︵仮定的なものを含

めた︶因果関係があれば︑結果不発生との間に因果関係がなくとも中止犯を認めることができる﹂とす

42

43

  ほかに︑大谷博士は︑﹁現行法は︑﹃自己の意思により犯罪を中止した﹄ことを要件としており︑この文言からは︑任

意の行為によって結果の発生を防止したこと︑すなわち中止行為と結果の不発生との間に因果関係があることを必要と

するものと解するのが妥当である﹂として︑積極説は解釈論を超えた立法論であると批判して︑消極説に立ち︑中止行

為と結果の不発生との間には因果関係が必要であると堅持する︒しかし︑前記の第二類型の場合には︑消極説によれば︑ ︵一二七八︶

(16)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一二九同志社法学六一巻四号 結果発生の可能な場合と比較して不均衡になることは避けられないから︑その不合理を解消するために︑﹁法改正が実

現するまで上の不均衡を是非する次善の策として︑結果発生の不能な場合には中止犯規定︵四三条ただし書︶を準用し

て必要的に刑の減免を認めるべきである﹂とする

44

4

︶検討   上述したように︑中止行為と結果不発生との間に因果関係が不可欠であるかどうかについて︑学説は︑主として中止

犯の法的性格の視点から論じている︒一般的には︑以下のように言われている︒すなわち︑責任減少説は︑行為者が自

己の意思により自己の行為が結果防止のための中止行為であると認識して結果防止に足る努力をしていれば︑中止行為

それ自体の有する責任非難すなわち法的非難可能性の減少を積極的に評価するので︑そのような中止行為がなされれば

足り︑さらに︑刑事政策説は︑政策的にみても︑結果が不発生である以上中止効果を認めてもよいから因果関係を不要

とする結論を認める︒それに対して︑違法性減少説は︑結果の不発生の原因として中止行為を見るので︑﹁中止行為と

結果不発生の間に因果性が欠ける以上︑違法減少説では﹃中止した﹄とは言いにく﹂く

︑因果関係を要求すべきことに 45

なる

︒なお︑新しい政策説︵危険消滅説︶は︑自己の行為により既遂危険を消滅したのでなければ︑中止犯を認める前 46

提に欠け︑刑の減免という特典を与える必要はないから︑当然に中止犯の成立は否定されることになる

47

  確かに︑責任減少説︑刑事政策説からは容易に中止犯の成立を認めうるが︑それに対して︑違法減少説からは認めら

れないことでもない︒前述したところから分かるように︑責任減少説の論者はほとんど積極説に立っているのに対して︑

違法減少説を支持しながら積極説に立つ者も少なくない

︒結果無価値論はともかくとして︑違法二元論からみれば︑中 48

止者の犯罪意思の放棄︑しかもその合規範的意思を中止行為という外界に表動させたことによっては︑責任の減少のみ

︵一二七九︶

(17)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一三〇同志社法学六一巻四号

ならず違法性の減少も認められるし︑さらに︑その積極的な中止行為が行為無価値を減少する行為有価値の行為である

から︑違法減少説からも積極説に立つことが十分可能である︒従って︑責任減少説は積極説︑違法減少説は消極説であ

るという図式は必ずしも的確ではない︒

  それのみならず︑より実質的にみても︑積極説は妥当であると思う︒

  第一に︑現行法は︑﹁自己の意思により犯罪を中止した﹂ことを中止未遂の成立要件としているにすぎず︑この文言

からは︑任意の行為によって結果の発生を防止したこと︑すなわち既遂結果は中止者の行為により現実に防止されなけ

ればならないと理解するのは一般的であるものの︑そのように解さなければならない必然性がなく︑﹁中止行為﹂と﹁犯

罪を中止した﹂ことがあれば足り︑その両者の間に因果関係がなくてもよいと解することは論理的に不可能ではない︒

  第二に︑中止犯の趣旨から見ても︑中止未遂の成否を判断するにあたって︑因果関係の有無にこだわる必要はない︒

未遂犯は既遂の現実的・客観的危険を生じさせたがゆえに処罰されるのであるから︑中止行為はその危険を消滅するも

のでなければならない︒中止行為の時点では︑はじめから結果発生の可能性がないこと︑および︑途中で第三者の行為

が結果の発生を阻止してくれることなどを行為者は通常︑認識できないのであり︑したがって︑事前に結果の防止措置

が必要かどうかは︑行為者の立場からはわからないのであるから︑一般人から見て結果発生の可能性があるならば︑結

果の防止を万全なものとするためには︑とりあえず結果の防止措置を義務づけることが合理的であり︑そのためには︑

行為者が積極的な中止行為を行った以上は︑結果不発生との間の因果関係の有無を問わず︑中止行為に対する褒賞を与

えることが望ましい︒

  第三に︑因果関係がなくても中止未遂が成立しうることを認めるのは︑刑事政策からの要請でもある︒立法者はより

確実で有効的に結果の発生を防止し法益保護をはかるために︑中止犯の規定を置いたわけであるから︑行為者が実行に ︵一二八〇︶

(18)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一三一同志社法学六一巻四号 着手してから結果の発生を確実に阻止される前に︑法は︑行為者に改心して結果発生を阻止する行為に出ることを期待しているはずである︒したがって︑はじめから結果が発生する可能性がないにもかかわらず︑行為者ないし一般人がそれを予見することが不可能である以上︑結果発生の阻止に足る行為を行った行為者を奨励することは︑法政策には合致するものであるというべきである︒  第四に︑未遂犯の処罰根拠は︑犯罪意思の表動としての行為自体の有する﹁構成要件的結果発生の現実的客観的危険性﹂にある

から︑中止未遂になるためには︑未遂犯の処罰根拠としての﹁故意︵犯罪意思︶﹂︑﹁実行行為﹂︑﹁危険性︵既 49

遂結果発生の現実的客観的危険性︶﹂に相対する任意性︵﹁自己の意思による﹂︶︑中止行為︑危険の消滅︵結果の未発生︶

という三つの要件を満足しなければならず︑しかもそれで足りると思う︒その三つの要件以外に︑さらに中止行為と危

険の消滅との間に因果関係を要求することによって︑中止未遂の成立範囲を制限することは必要でないばかりか︑中止

者にも不利益な解釈であるから︑中止未遂の立法趣旨を実現することにプラスになるものは何一つもないといわなけれ

ばならない︒

  したがって︑中止行為と結果不発生との因果関係は中止未遂の成立要件ではなく︑前記の第一類型および第二類型の

場合には︑中止未遂を認めうると思う︒それで︑中止行為と結果不発生との間に因果関係がなくても︑中止行為と結果

不発生に加えて任意性の要件が満足すれば︑中止未遂の規定を準用する

ことではなく適用すべきである︒ 50

︵二︶真摯性の要否

  作為による中止の場合に︑次に問題となるのは︑多くの判例︵たとえば︑大阪高判昭和四四年一〇月一七日判タ二四

四号二九〇頁︶が要求している﹁真摯な努力﹂︵結果防止行為の真摯性︶が必要かどうかである︒

︵一二八一︶

(19)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一三二同志社法学六一巻四号

  この問題と関連して︑①結果発生の防止は行為者が単独でしなければならないのか︑および︑②行為者の犯意が終局

的に放棄されなければならないのかの問題もある︒真摯性の要否の問題に入る前に︑まずこの二つの問題を検討するこ

とにしたい︒

  まず︑結果防止行為が行為者のみによって行われる必要がないことについては広範な一致が見られる

︒たとえば︑刑 51

事政策説の立場から︑中野教授は︑﹁防止行為は必ずしも自らの手でしなければならないものではなく︑事情によって

他人︵医師・消防官等︶の助けを借りてもよいであろう﹂とし

︑萩原教授は︑﹁結果の防止は必ずしも単独で行われな 52

ければならないわけではなく︑第三者が介入しても行為者としてできる限りのことをしたのであれば︑真摯な努力を認

め得る﹂とする

︒新しい政策説をとる 53

山口教授は︑﹁生命の危険を生じさせた場合︑行為者が外科医でなければ︑自ら 54

救命できず中止犯にならないとするのは不当である﹂から︑そこまでのことを要求する理由はなく︑﹁他人を介してで

あれ︑危険消滅を達成することで足りる

﹂とする︒ 55

  また︑違法減少説の立場から︑平野教授は︑﹁結果の防止は︑独力ですべてをやる必要はな﹂く︑﹁行為者が被害者を 医者のところに運んだため助かったときは︑中止行為があったといえる﹂とし

︑野村教授は︑中止行為といえるために 56

は﹁客観的に結果の発生を防止するに足る行為を行わなければならないが︑これを行為者が単独で行える状況にあれば

もちろん行為者自身行なわなければならないが︑医師の治療行為などが必要な場合においては︑当該具体的な状況にお

いて行為者としてなし得る行為をすれば足り︑他人の助力を得て結果の発生を防止した場合でももとより妨げない﹂と

する

57

  前田教授は責任減少説の立場

から︑﹁自ら独力で結果を防止した場合のみに限定する必要はないが︑結果防止に対す 58

る真摯な努力がみられない場合には中止犯を認めるべきではない

﹂とする︒ 59 ︵一二八二︶

(20)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一三三同志社法学六一巻四号   違法性・責任減少説の立場からは︑井田教授は︑﹁救急車を呼ぶために電話しただけとか︑他人に救助を依頼して逃

げ去ったとかいうだけでは被害者が救助される確実性が低く︑中止行為として十分でないが︑これに対し︑被害者を病

院に運び込み︑傷害に至った経過を医師に説明した上で治療させたというのであれば︑中止行為の要件をみたす﹂こと

になるべきであるから︑中止者が﹁つねに独力で行わなければならないというものではなく︑他人の手を借りることも

可能である﹂とし

︑内田博士は﹁行為者が︑単独で︑すべての結果回避措置を講じなければならないわけでないことは︑ 60

敢えて多言を要しない︒他人の援助を求めてもよいし︑偶然が味方してくれたという幸運に恵まれてもかまわないであ

ろう

﹂とする︒ 61

  総合説をとる板倉博士

は︑﹁しかし︑医療のように専門家の力を仰がなければならない場合は︑被害者をすみやかに 62

医療施設に送り︑治療を受けさせるように努力すれば︑真剣な中止行為と認めることができよう

﹂とする︒ 63

  このようにして︑中止行為は犯人みずからが単独で行う必要はないことがわかるが︑他の者の助力を得た場合に︑行

為者自身がどの程度の中止行為を行わなければならないのかは︑後述する真摯性の問題である︒

  次に︑中止行為といい得るためには︑行為者はその犯意を終局的に放棄しなければならないものではないことも︑一

般的に認められている︒すなわち︑他日における実行を留保しつつ︑その場を立ち去るときにも︑または︑機会を改め

て殺そうと思って中止したという場合には︑反復の意図を確認し得たとしても︑現在実行中の当該犯行についての犯意

を放棄したことが認められれば︑中止行為と認めうる

64

  ただ︑注意すべきなのは︑本来ならば︑犯意の放棄は任意性に関するものであり︑任意性のところで検討すべきであ

るが︑これは中止行為の程度および前述した続行可能性と緊密に関わるものであり︑しかも通常は中止行為の問題とし

て論じられていることから︑本稿はあえてここでこの問題を取り上げたわけである︒

︵一二八三︶

(21)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一三四同志社法学六一巻四号

  以上の検討から分かるように︑どのような手段であれ︑行為者の中止行為が単独で中止結果をもたらしたのであれば︑

それで十分である︒争いはまさに︑行為者の中止行為が単独では中止結果をもたらさず︑他の者の助力を得た場合に︑

その中止行為が﹁真摯な努力﹂でなければならないかにある︒

  判例の態度   中止犯に関する判例はほとんど︑放火罪と殺人罪についてのものである︒そこで︑中止行為の真摯性を厳しく要求し︑

犯人自ら結果の発生防止にあたらず︑他人に依頼する場合には︑少なくとも自らが防止に当たったのと同視するに足る

べき程度の努力が必要であるとするのは大審院以来の判例の態度であったが︑近年になって﹁真摯性﹂を緩和しつつあ

るようにも見える︒

  ①大判大正一五年一二月一四日新聞二六六一号一五頁は︑放火犯が火を放った後︑バケツに水を汲んで消そうとした

が︑病中であったため︑一人では消火できなかったので︑大声で隣人を呼び︑その助けで消火した場合について︑中止

犯を認めた︒

  ②大判昭和一二年六月二五日刑集一六巻九九八頁は︑自宅に放火した被告人が︑思い直して︑近所の人に﹁放火シタ

ルニ依リ宜敷頼ム﹂と叫びながら走り去ったという事案につき︑﹁結果発生ニ付テノ防止ハ必スシモ犯人単独ニテ之ニ

当ルノ要ナキコト勿論ナリト雖其ノ自ラ之ニ当ラサル場合ハ少クトモ犯人自身之カ防止ニ当リタルト同視スルニ足ルヘ

キ程度ノ努力ヲ払フノ要アルモノトス﹂とし︑被告人の行為は中止行為に当たらないと判示している︒

  本件の場合︑中止行為を認めるためには真摯性の有無と関わらずに︑少なくとも︑放火の現場に引き返してAらとと もに自ら消火作業に当たることが必要であろう

︒その判断の前提となる一般論として︑結果発生防止につき他人の助力 65 ︵一二八四︶

(22)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一三五同志社法学六一巻四号 を得たときも︑行為者自身が結果発生防止に当たったと同視するに足る努力を払ったならば中止行為を認めるという考え方は︑判例として初めて明らかにされ︑しかも︑それ以後の判例に踏襲されたが︑その意味において︑本件はとても重要な意義を有する判例であるといえる︒  ③大判昭和一三年四月一九日刑集一七巻三三六頁は︑殺害目的で青酸カリを胃腸薬と詐って交付した後︑良心の苛呵に堪えず取り戻しに行ったが︑相手方が詐って既に服用したといったのでひきあげたところ︑数日後に服用して死亡したという事案で︑﹁被告人ニシテ真ニ結果ノ発生ヲ防止セントセハ宜シク其ノ曩ニ交付シタル薬品カ毒物ナリシコトヲ

告白スルノ真摯ナル態度ニ出テサルヘカラサルヲ以テ被告人カ単ニSノ言ニ依リテ其ノ儘放任シ置キタルハ未タ結果ノ

発生ヲ防止スル行為ヲ為シタリト云フヲ得サレハナリ﹂として︑中止犯を否定した︒

  しかし︑この判例の場合は︑毒物であることを告白しなかったのであるから︑そもそも結果発生防止のための積極的 行為としての中止行為それ自体が存在したとはいえず︑とくに﹁真摯﹂性までを問題とする必要はなかったといえよう

66

  ④東京高判昭和二五年一一月九日高刑判特一五号二三頁は︑自殺幇助の目的で被害者に青酸カリを投与した後︑被害

者がこれを服用︑苦悶しはじめたのを見て︑旅館の人に知らせ︑医師を呼び迎えるように依頼しただけで︑あとは第三

者によって手当がなされた事案について︑中止未遂が成立しないと判断した︒

  本件においては︑中止者は一定の中止行為を行ったにもかかわらず︑中止者は自ら医療行為ができないけれども︑結

果発生を防止するための適切な行為として︑少なくとも医師の到着を確認し︑投薬の事情を説明するまでは必要であろ

う︒  ⑤東京地判昭和三七年三月一七日下刑集四巻三=四号二二四頁は︑住み込み女中をしていた被告人が︑その家の二歳

の子供Aを殺意害するつもりで睡眠薬一〇錠を飲ませたが︑そのうち子供の脈が速くなり口から泡を吹き始めたので

︵一二八五︶

(23)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一三六同志社法学六一巻四号

﹁大変なことをしたと悟り﹂︑自宅に戻って警察に一一〇番通報し︑その手により被害者は病院に収容され一命を取りと

めた事案について︑﹁駆けつけた警察官に対しても︑被告人は率直に自己の犯行を告げ﹂るなど﹁救護措置が講ぜられ

るよう必死になって協力し﹂︑その前後の﹁被告人の態度もまた極めて真摯であった﹂として中止犯の成立を肯定した︒

  確かに判示されたように︑本件においては︑被告人の処置は︑当時差し迫った状況下において︑医療知識のない被告

人としては採り得べき最も適切な善後処置であったというべきである︒

  ⑥東京地判昭和四〇年四月二八日判時四一〇号一六頁はいわゆる﹁丹沢山中殺人未遂事件﹂であり︑被告人は綿密な

計画を立てたうえ︑執拗に殺害行為を行ったあと︑殺意を翻してまことに誠実で真剣な中止行為を行ったことについて︑

東京地裁は︑被告人が石をもって被害者の頭部に加えた傷害は被害者を死に致す可能性ある危険な行為であったと認定

し︑結局︑本件において被害者が死の結果を免れえたのは︑被告人が﹁憐憫を覚えて翻意し︑反省悔悟して爾後の実行々

為を任意に中止したこと﹂︑および︑被害者の﹁死の結果発生の危険を防止するため﹂応急手当を行い︑医師の治療を

受けるために努力し︑その行為が︑﹁被告人自身その防止に当ったとするに足るべき程度の真摯な努力を払ったもの﹂

であって中止未遂となるとした︒

  ⑦大阪高判昭和四四年一〇月一七日判タ二四四号二九〇頁はよく取り上げられる判例であり︑未必の殺意をもって︑

刺身包丁で被害者の左腹部を一回突き刺して刺創を負わせたところ︑被害者が腹部の激痛に耐えかね︑﹁痛い︑痛い﹂

と言って泣きながら﹁病院へ連れて行ってくれ﹂と哀願したので︑被告人は被害者を自己運転の自動車に抱き入れて︑

近くの病院に連れて行き︑医師の手に引き渡した結果一命を取り止めるに至ったという事案に関し︑任意性を認めなが

ら︑﹁被告人が被害者を病院へ担ぎ込み︑医師の手術施行中病院に居た間に被告人︑被害者の共通の友人数名や被害者

の母等に犯人は自分ではなく︑被害者が誰か判らないが他の者に刺されていたと嘘言を弄していたこと及び病院に到着 ︵一二八六︶

(24)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一三七同志社法学六一巻四号 する直前に兇器を川に投げ捨てて犯跡を隠蔽しようとしたことは動かし得ない事実であって︑被告人が被害者を病院へ運び入れた際︑その病院の医師に対し︑犯人が自分であることを打明けいつどこでどのような兇器でどのように刺突したとか及び医師の手術︑治療等に対し自己が経済的負担を約するとかの救助のための万全の行動をとったものとはいいがたく︑単に被害者を病院へ運ぶという一応の努力をしたに過ぎないものであって︑この程度の行動では︑未だ以て結果発生の防止のため被告人が真摯な努力をしたものと認めるに足りないものといわなければならない﹂として中止犯の適用を否定した︒  本件では︑行為者に救助のための﹁万全の行動﹂をとることが要求されており︑きわめて厳格な立場をとっていることが分かる︒さらに︑本判決が﹁真摯な努力﹂の内容として要求する諸事情は︑結果防止行為とは直接関係のない犯行の自白や犯跡隠蔽行為のないことなどの事後的な態度までもが対象となっており

︑その点においてすでに﹁中止行為﹂ 67

の要件を逸脱しており︑妥当ではないといわなければならない︒本件については︑﹁法定の減免事由と一般的な量刑事

情とが同一次元で判断されたともいえる状況を呈しているから﹂︑﹁真摯﹂性に過大の要求をしているといえる

68

  ⑧東京高判昭和五一年七月一四日判時八三四号一〇六頁は︑被告人甲は︑自分の服役中に妻と情交関係があったと疑

われるAを殺害しようとして︑乙に刃渡り約五二センチメートルの日本刀をもって来させたところ︑乙も甲の意を察し

てAの右肩を一回切りつけ︑さらに二の太刀をあびせて息の根を止めようとして次の攻撃に移ろうとした折︑甲が﹁も

ういい︑乙いくぞ﹂といい︑次の攻撃を止めさせ乙もこれに応じて次の攻撃を断念し︑その後甲は親友丙等にAを病院

に連れて行くよう指示し︑その結果Aは医師の診断を受けたという事案︵加療約二週間程度の肩部切創︶について︑原

審が本件被害者を放置しておけば出血多量により死に至る危険があると判断して︑本件を実行未遂の事案であるとした

が︑﹁被告人らとしても︑右被告人がAに加えた最初の一撃で同人を殺害できたとは考えず︑さればこそ乙は続けて次

︵一二八七︶

(25)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一三八同志社法学六一巻四号

の攻撃に移ろうとしたものであり︑Aが受けた傷害の程度も右肩部の長さ約二二センチメートルの切創で︑その傷の深

さは骨に達しない程度のものであったのであるから︑被告人らのAに対する殺害の実行行為が原判示乙の加えた一撃を

もって終了したものとはとうてい考えられない﹂と判示し︑﹁着手未遂﹂にあたる事案であるとして︑中止犯の成立を

認めた︒さらに︑本判決は︑一般論として︑﹁中止未遂はもともと犯人の中止行為を内容とするものであるところ︑そ

の中止行為は︑着手未遂の段階においては︑実行行為の終了までに自発的に犯意を放棄してそれ以上の実行を行わない

ことで足りるが︑実行未遂の場合にあっては︑犯人の実行行為は終っているのであるから︑中止行為といいうるために

は任意に結果の発生を妨げることによって︑既遂の状態に至らせないことが必要であり︑そのため結果発生回避のため

の真しな努力が要求される所以である﹂とする︒

  本判決は︑因果関係の進行を遮断しなければ死の結果が発生してしまう状態が惹起されていなかったことに重点をお いて着手未遂の事案であるとし︑中止行為の態様が次の攻撃をしないということで足りると判断したといえる

︒しかし︑ 69

この場合には︑長さ約二二センチメートルの切創を引き起こしたから︑着手未遂であっても︑中止行為といえるために

は︑ほかに何かの救助行為をすべきであり︑﹁﹃着手未遂﹄であれば﹃不作為でよい﹄という論理を安易に掲げるのは︑

妥当でない

﹂といわざるを得ない︒ 70

  ⑨横浜地川崎支判昭和五二年九月一九日刑裁月報九巻九=一〇号七三九頁は︑被害妄想の症状を呈するようになった

被害者︵妻︶を思い余って殺害し自殺しようと決意して︑ウィスキー瓶で妻の前額部を殴打したり︑裁ち鋏で妻の咽喉

部等を十数回突き刺し︑電気コードでその頚部を絞めたが︑同女の出血を見て驚愕するとともに憐憫の情を抱き自ら殺

害行為を中止したため︑同女に対して加療約二週間を要する傷害を負わせたにとどまり︑殺害の目的を遂げなかったと

いう事案につき︑﹁前叙のような傷害︑出血の程度︑被害者が受傷後自ら消毒をしたり電話にでることができた情況等 ︵一二八八︶

(26)

中止未遂の任意性についての一考察︵三・完︶ 一三九同志社法学六一巻四号 に照らすと︑本件は実行行為の終了前にその実行を放棄した着手中止の色彩が強いばかりか︑被告人が自分で治療行為に出なかったとはいえ︑結果の悪化を防止するためにその後直ちに救急車を呼んだことから結果防止に真摯な努力をしなかったとはいえず︑その結果被害者は確実に死を免れたのであって︑その面では実行中止の要素もあ﹂るとして︑中止犯の成立を認めた︒  本件では︑﹁着手中止の色彩﹂がなくても︑直ちに救急車を呼んで治療に与えさせたことは︑医者でない被告人にと

って行われるべき適切な行為であるといえるから︑中止行為であるといえるであろう︒したがって︑とくに﹁結果防止

に真摯な努力をしなかったとはいえない﹂という判断までは行わなくてもよいと思う︒

  ⑩宮崎地都城支判昭和五九年一月二五日判タ五二五号三〇二頁は︑殺意をもって包丁で被害者の頸部を切り裂いた被

告人が︑多量の出血を見て驚き︑被害者を助けなければならないと考えて殺害行為の継続を思い止まり︑直ちに治療措

置を受けさせるべく救急車の出動を求めて一一九番に電話し︑これがつながらなかったため︑一一〇番をもって警察に

救急車の手配を依頼するとともに︑被害者の求めに応じて出血個所の止血のため被害者におしぼりを手渡し︑さらに救

急車で付近の病院に被害者を収容させ︑治療措置を受けさせた事案について︑﹁右措置は︑特に有効な治療措置を加え

る知識︑経験をもたない被告人としては︑できるだけの努力を尽くしたものというべきであり︑また︑結果発生防止の

ため被告人のとり得る最も適切な措置であったということができる︒そうだとすると︑被告人自身が結果発生を防止す

る行為に出たと同視するに足る真摯な努力を払ったものということができ﹂るとして︑中止犯の成立を認めた︒

  本件では︑前記放火罪についての判例︵大判昭和一二年六月二五日刑集一六巻九九八頁︶が要求される﹁其ノ自ラ之

ニ当ラサル場合ハ少クトモ犯人自身之カ防止ニ当リタルト同視スルニ足ルヘキ程度ノ努力ヲ払フノ要アルモノトス﹂と

いう要件を継承していながら︑被告人としてはできるだけの努力を尽したならば﹁真摯な努力﹂を払ったと評価でき︑

︵一二八九︶

参照

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