引用と語法に関する覚書
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(2) 66. あろう。ここでの奥津の興味は、英語における直接話法と間接話法に相当するような対立関係を 日本語にも見いだし、両者の関係を生成変形文法の立場から記述することにある。具体的には、. 直接引用文から間接引用文への変換を間接化と呼び、間接化転形と総称する七つの転形ルールを 設定した上で、ルール間の適刷11頁位に言及したものである。. ここで注意しておきたいのは、三上にしろ奥津にしろ、「引用」と「話法」という術語がほぼ同 義に用いられていることである。三上(1953)では、「他人のせりふの引用には、せりふそのま・. をそっくり引用する直接引用の直接話法と、それを引用の場面に合うように改める間接話法とが ある」(p.330)と述べているし、奥津も同様の見方をしていたようである!■。両者の研究は、「話. 法」研究の出発点として様々な間魎提起を含み、研究史的にも価値が高いが、「引用」とは何かと. いう最も本質的な問魎には残念ながら触れられずに終わっている。. 次に、1980年代に入って目につくようになる引用関係の論考も、始めのうちは「話法」に関す るものが中心である。代表的なものとしては遠藤裕子(1982)・鎌田修(1983・1988)等がある。. これらの特徴は、直接話法・間接話法の間にいくつかの中間レベルを設定し、話法そのものを段 階的・連続的に見ようとする点にある。特に明言されてはいないが、先に挙げた三上の折衷的な とらえ方が底流にあるようにも思われる。. そして、「引用」の問題が本格的に論じられるようになるのは、1980年代も後半になってからで. ある。まず第一に挙げなければならないのは、80年代前半から精力的に引用研究を進めている、. 藤田保幸氏の一連の研究である。藤田は、日本語の引用表現を文法論の間題として、意味一統語 的に考究することを目指し、それまでの、どちらかというと表現論・文体論的なレベルに位置づ けられる、話法中心の引用研究とは一線を画す立場に立つ。まず藤田(1986・1987・1991・1994・.. 1996a・1997等)において、日常的・常識的な「引用」概念との差異を検証した上で、引用表現の. 本質を記号論的に解明しながら、文法論の対象となる「引用」を厳密に位置づけていく。その中 で、文中引用句「〜と」と述語(述部)との相関構造を持つ典型的な引用構文を二つのタイプに 分け、「〜と」の統語的位置づけと述語動詞の性質をもとに、それぞれの内部構造を詳細に記述す る。その]方で、藤田(1985・1995等)においては、それまで「話法(広義)「3. 」として一括され. てきた変容一非変容の現象にも取り組み、文法論で扱うべき規則的現象としての「話法(狭義)ほ」. と、語用論的にしか説明できない「話法を超えるもの」に峻別した上で、「話法(狭義)」におけ. る直接・間接の対立をムードとの関わりで論じている。前者「引用のシンタクス」と後者「話法 (狭義)」の二領域は、藤田(1998)の中で「シンタグマテイクなコトバの関係性の問題(タテの 引用論)」と「パラデイグマテイクな対立の問題(ヨコの引用論)」とに位置づけられ、藤田の、. 文法論としての引用研究の根幹を成している。これらの論考を体系的にまとめ直した大著が藤田 (2000cジ. 1=である。. また、藤田とは異なった視点で引用の問題を探求したのは砂川有里子である。まず砂川(1987).
(3) 引用と話法に関する覚書. 67. で引用文の三類型を提示し、「場の二重性」という語用論的概念でそれらの差異を記述して見せた。. 砂川(1988a・1988b)では「場の二重性」を用いて引用句「〜と」と名詞句トこと」の性質の 違いを分析し、さらに、「〜と」トこと」との共起の有無をもとに、それらと相互規定的関係に ある述語動詞についても詳細な検討を加えている。また、「引用」と「話法」の位置づけを明らか にしたのは、砂川(1989)である。ここでは、「引用」を「〜と」引用句を受ける形式のみに隈定. する一方で、「話法」をかなり広い領域にかかわる問魎ととらえ、引用句はもちろんのこと、名詞 句や副詞的修飾語をも言舌法の中で扱うことを提案している。. 1990年代に入ると、引用関係の論考が数多く発表されるようになる。すべてを挙げる余裕はな いが、引用構文のタイプ分けに関する考察として王笑峰(1990)・阿部忍(1999)等、引用の助詞 「と」の用法の広がりを記述した山崎誠(ユ993)等、発話行為論の立場から話法のダイクシス調整 について分析した中圃篤典(1994)、話法の分類において音声的要素を重視し視点階層性に基づく. 分析を試みた渡辺仲治(1997)など、様々な立場・角度から研究が行われており、引用論の奥行 きが増している■ヨ。また、先に注(3)で触れた藤田(1995)の「話し手投写」の概念とも関連. するが、話し手(伝達者・引用者)の生成・創造の所産として引用表現・話法をとらえ直そうと する試みが、坂丼厚子(1993)・鎌田修(1994)に見られる。特に、鎌田の「引用句創造説」を含 むこれまでの研究は、鎌田(2000)にまとめられており、藤田(2000c)とともに、今後の引用研 究の方向づけに多大な影響を与えていくと思われる。. 3. 日本語の「引爪1」・「話法」をとらえるための観点. 前節のように研究史の流れを跡づけたうえで、「引用」・「語法」をとらえるために筆者が重要と. 考える観点は、以下の5点にまとめられる。. (i). 日本語学の立場では、何を「引用」ととらえるべきか。. (ii). 「引用」と「話法」はどのように位置づけられるか。. (iii). (iV). (V). 「話法」の表現に段階性を認めることができるか。. 「〜と」引用句を含む引用構文の構造はどのようなものか。. 「㌔と」引用句以外の引用・話法表現にはどのような広がりがあるか。. 以下、観点ごとに説明を加えておきたい。. (i)は最も本質的な問いかけであり、日本語学の立場で引用研究を行うにあたってまず踏まえ. ておかねばならない問題と言える。一般常識的な「引用」や文学で言う「引用」との違い、日本 語学という言語学の一領域において「引用」を取り上げる意義等が問われなければならない。(ii). の「引用」と「話法」の位置づけについては、研究史で眺めたとおり、研究者によって見方がま. ちまちである。これらを整理した上で、両者のより明確な位置づけを探ることが、今後研究を展 開させる上でも重要となろう。(iii)は、(ii)の位置づけを前提として考えなければならない。.
(4) 68. 話法に段階性を認める見解は以前から見られるが、最近また発話行為論などとの関わりからも提 唱されている。段階性を認めるとすれば、それにどのような有効性があるのか、明確にしておく 必要があろう。(ii)(iii)の観点は、(i)の観点とも関係が深いため、(i)〜(iii)を総合的に. 考察することで、引用と話法の大枠が明らかになると思われる。. これらに対し、(iV)の観点は引用構文の細部を問題としている。典型的な引用構文であるト と」引用句を受ける形式について、「〜と」の統語的位置づけと述語動詞の性質をもとに、引用句. と述部との意味一統語的な関係を詳細に分析する。また、形式上は「〜と」引用句をとる引用構. 文に見えても、実際は引用機能を既に喪失し、複合辞的な表現形式に変化してしまっているもの もここで扱うことになる。例えば、接続助詞的な「〜といえば」「〜といっても」トと見えて」 等、助動詞的な「〜という」「〜と見える」「〜と聞く」等、連体修飾のつなぎの役割をする「〜 という〜」などが含まれる。また(V)は、「〜と」引用句を持たないが引用・語法表現と認める. ことができそうな表現群を想定している。どこまでを引用表現と認めるかは先の(i)〜(iii)に よるが、引用表現かそうでないかの境界領域に属する「〜ように」「〜ことを」「〜かどうか」等. の表現や、形容詞・形容動詞の連用形、文末の伝聞表現などを対象とし、引用・話法にかかわる 問題を広く考察しようとする観点である。. 本稿では、これら5点すべてを取り上げることはできないので、引用と話法についての根本的 な見方を問う(i)〜(iii)に焦点を絞り、次節以下で考察を深めていきたいと思う。. 4. 日本語学の立場で何をr引用」ととらえるべきか. 「引用」は、「他人の文章・言葉を引く」という意味で日常的・常識的な語でもある。また・文. 学研究の立場でも「引用」は重要なテーマである。例えば、作者が登場人物や語り手の声を借り. て読者に言葉を伝えようとする文学作品の構造白体の問題、史実が語り手によって語り直されて 成立する歴史物語の問題、古典の引用や「本歌取り」「替え歌」等と「模倣」「パロデイ」の問題. など、様々な方面から引用の研究が進められていると聞く。これら日常的・常識的な「引用」や 文学研究における「引用」と日本語学で取り上げるべき「引用」は果たして同じであろうか。 この間題については、藤田(2000c)で文法論として意味一統語的に「引用」を扱う立場から詳. 細な考察が行われているが、その概要を松木(2002)でも紹介しておいた。それに基づいて本節 にかかわる要点をまとめると、次のようになる。. (ア)文法論で引用を扱う場合、引用行為に先立つ事実の有無は問わない。事実はどうあれ、所 与のものと見なしそれを再現したように表現していれば「引用」と考える。 (イ)通常の言語記号は、表現対象を抽象化・一般化して示す「シンボル(象徴)記号」だが、. 引用は「再現」であるため実物表示の一種となり、記号論的には「イコン(類似・類像)記 号」である。イコン記号であることにより、引用表現は統語的にシンボル記号とは異なった.
(5) 引用と話法に関する覚書. 69. ふるまいを見せるが、それを観察するのが文法論的引用研究である。. (ウ)引用符の本質的機能は引用された言葉をイコン記号として提示することだが、引用符が用 いられていても、その部分が必ずしも統語的引用であるとは眼らない。例えば、仮にその引 用符をはずしても統語的に変化が生じない場合は、事実レベルで引用であっても統語的引用 とは見なせないからである。. 日常的・常識的に我々が「引用」と見なす表現は、形式的には引用符が付され、内容的には事 実を再現したものであろう。その意味で(ア)(ウ)は、文法論的引用研究と日常的・常識的な引. 用認識との違いを大きく感じさせるものである。一方(イ)は、文学論的引用研究にとって重要 と思われる「パロディ」「もじり」等が文法論的引用研究の対象とはならないことを示唆している。. これらの表現技法は、同等ではなくあえて少しずらしたものを示すことで、その差異から生じる. 効果を期待する表現であるのに対し、文法論的引用研究で対象とするのは、同一性に基づいて再 現されたイコン記号だからである。. ただ、この(ア)〜(ウ)は藤田(2000c)による、文法論として引用を扱う場合の一つの見方に. 過ぎず、これをそのまま日本語学における引用研究全般にまで広げて適用することが妥当かどう. かについては検討を要する。実際、鎌田(2000)の「引用句創造説」の見方は(イ)とは相容れ ない立場である。藤田が引用行為を「再現」ととらえるのに対し、鎌田は「再現」ではなく「創 造」ととらえるからである。鎌田(2000)は、. 直接引用といえども、元の発話・思考とは何らかの関係を保ちつつも、「再現」という域を越. えた新たな場における新たな発話・思考を「表現」していると考えなければ説明のつかない 言語事実がある(p.18). と指摘し、元々発話されたとは思えないような形が引用句に現れるという事実を観察した上で、. 元の発話者の「模倣・演技」を全く目的としていない直接引用というものがここでなされて いるのである。このことは、直接話法というものが、「直接話法スタイル」とでもいうべきレ トリカルな要素を含む、新たに「創造」される表現であることをはっきりと示す。(p.57). と述べ、次のような「仮説:引用句創造説」を提出している。. 日本語の引用表現は、元々のメッセージを新たな伝達の場においてどのように表現したい かという伝達者の表現意図に応じて決まる。(pp.60〜61). このような見方に対し、藤田(2000a)は病烈に批判して次のように述べるb「。 「引用」は「再現」ではなくて「倉■」造」だと二者択一的に考えることは、本質的に誤りである。. (中略)「再現とみなされる形をとった表現」(鎌田の言い方を借りれば、「再現とみなされる. 形をとった創造」といってよい)と考えている。そして、「引用」を「再現」でないとしてし. まうことで、引用表現の本質的なものを大きく見失ってしまうことになろうし、また、「引. 用」をただ「創造」だと言ったところで、つきつめれば、それは、実は極めてあたりまえの.
(6) 70. ことを言っているに過ぎないことになってしまうだろうと思う。(p,121上段). つまり、引用表現は前掲(イ)のようにイコン記号と考えることによってこそ、その本質が見え てくるのであり、その点をはずしてしまっては一般の言語表現との違いが明らかにできず、また、言. 語表現は常に表現を生み出す話し手の創造行為であるから、「引用」が「創造」であると言っても 引用表現の本質を述べたことにはならない、と藤田は言いたいのだろう。藤田の言う「再現」は、前. 掲(ア)のように、それに先立つ事突の有無を問魎としない極めて文法的な立場で用いられてお り、その意味するところは、「所与のコトバを相同性(同一性)に基いて再構成して差し出してい. るとみなされるコトバの使い方(p.121下段)」なのである。一方鎌田は、事実としての表現がど. のように変えられて伝達されたかに着日しており、事実をそのまま引き写した表現を「再現」、事. 実が伝達者の表現意図に応じて変容したものを「創造」ととらえ、直接引用であっても現実には 後者が多いことから、伝達者の役割を重視した「引用句創造説」を打ち出したのである。. 両者の立場は大きく異なるが、それぞれの主張には引用とは何かを考えさせる重要なポイント があると思われる。引用とは、所与と見なされる言葉の再現であり、そのため、引用された言葉 は一般のシンボル記号とは異なるイコン記号として、独自の文法的機能を担い得るものである。 一方で引用は、所与と見なされる言葉を再現する伝達者(藤田では「話し手投写」の「話し手」). を介した表現であり、そのため、表現意図によっては元の言葉が大きく変容させられ、伝達者の 創造的表現と見なされる場合もあり得る。つまり引用には、事実の有無にかかわらず引用された. と見なされる表現のみで自律的に扱える側面と、事実との対応関係抜きには分析できない側面と があるのである。. 問題は、日本語学の立場で何を「引用」ととらえるべきかだが、筆者は、通常の言語記号とは 異なる質を有していることをまず条件としたい。つまり、表現対象を抽象化・一般化して示すシ ンボル記号ではなく、実物表示の一種と言えるイコン記号でなければならないという意味である。 この場合、事実レベルでは、たとえ伝達者によって元の言葉が大きく変容させられていようと、 結果としてイコン記号と見なされる表現であれば構わない。例えば、. ①社長「ひとえに私共の責任でございますので、それなりの補償をさせていただきます。」. 一被害者A「社長は『ひとえに私共の責任でございますので、それなりの補償をさせてい ただきます。』ってさ。」. 一被害者B「社長は『俺たちが悪かったんだから、金をやる。』ってさ。」. の場合、下線部は、事実の再現(A)でも、意図的に改変した形(B)でもイコン記号に変わりは ないと考える。これは、前掲の藤田(2000a)で引用を「再現とみなされる形をとった創造」と言. い換えたものを多少拡大解釈した見方である。イコン記号は. 類似・類像. Iであるから、意図的. に改変した形までイコン記号と扱う立場には異論もあろうが、元来、思考動詞や未実現・推測の. 助動詞等を用いて引用を表す場合には、事実の裏付けがない、想像に基づく. 引用句の創造. に.
(7) 引用と話法に関する覚書. 71. 過ぎなかったわけであるから、実際には事実と異なっている場合でも、事実を装って再現したよ うにさえ見えれば、同様に、日本語学的には引用ととらえられるのである。これは前述の、「事実. の有無にかかわらず引用されたと見なされる表現のみで自律的に扱える側面」に立脚したもので ある。では、「事実との対応関係抜きには分析できない側面」はどう扱えばいいのだろうか。筆者 は、引用研究においては、両方の側面を射程に置かなければならないと考えるが■丁■、現在のとこ. ろ、後者の側面については「謡法」の問魎として位置づけたい。. 5. 「引用」と「語法」はどのように位置づけられるか. 「話法」は、「人(話し手自身をも含めて)の言葉や思考や惰意の内容といったものを伝達する. 際の述べ方」H■を言うが、「引用」とどう違うのか、どのような関係にあるのか、その位置づけに ついての見方は研究者によってまちまちである。松木(2002)では、藤田(2000c)砂川(1989). 鎌田(2000)を紹介し、それぞれがどのような立場に立つかを具体例で示したが、ここでその概 略をまとめると以下のようになる。. 藤田(200㏄)\ニニ」. ㍗㌶㌫㌫㌫Lぷ㍗よによ. り、文法的カテゴリーとして直接・間接の対立をとらえる。. 砂川(1989)\ニニl1鴛鴛二㌫よ㌫二簑㍍じ㍗㌃」 形式はもちろん、「〜こと」「〜かどうか」形式等の名詞句、「〜よ. うに」「ありがたく感じた」等の副詞的修飾語までを含める。. 細㎜∵ll1篶1;篶111烹1111∵ 対格補語として取り込まれた感情名詞(「感謝を感じた」等)、伝聞 表現(「〜そうだ」等)、さらには前掲例①Bのような事実を改変し. た表現をも含める。. 藤田は引用に比べて話法をかなり狭く眼定したものととらえるのに対し、逆に砂川は引用を一形 式に隈定し、そのかわり話法を広い領域にかかわる間題と見なす。鎌田は、引用と話法を「取り 込む行為」とその「言語的方法」と規定することから、双方の領域はほぽ重なると思われるが、 もともとの射程範囲がかなり広い点が特徴である。. これらの先行研究を参考にしながら筆者の考え方を述べるとすれば、引用のとらえ方は藤田に 倣うが、話法ととらえる範囲は鎌田のものに近い。筆者の考える話法においては伝達者の表現意 図を重視する見方をとるが、それは鎌田の主張を踏まえたものでもある。従って、引用と話法の.
(8) 72. 関係は、引用がイコン記号を条件とすることで範囲が眼定されるのに対し、話法はイコン記号も. そうでないもの(シンボル記号)も含めて、伝達者の表現意図を一つの手がかりにしながら、伝 達の際の述べ方を広く記述する概念となり、後者が前者を包摂する関係と見なすことになる。こ. れは、文法論や語用論に隈定されず、広く日本語学において引用と話法をとらえる際の見方とし て一案を示したものである。その有効性等については、以下で具体的に論じていきたい。. 引用とは、所与と見なされる言葉を同一性に基づいて再現することだが、ここで注意しておき たいのは、同一性にも三つのレベルが考えられるという点である。それは、「形の上での同一性」「意. 味の上での同一性」「形・意味両面における同一性」である。具体例で見てみよう。. ②タイヤがキキーツと音を立てて車が急停車した。 ③ポチが「クウーン」と鼻声で鳴いて足元にすり寄ってきた。 ④島の原住民が「パキウリミ」と言ったが、何のことかわからなかった。. ⑤フランス語で「メルシィ、ボクゥ」と言われてうれしかった。 ⑥フランス語で「どうもありがとう」と言われてうれしかった。 ⑦ホチが「もう疲れたから抱っこしてよ」と鼻声で鳴いて足元にすり寄ってきた。. ⑧交通整理の警官が手を横に大きく振って「もっと左に寄れ!」と合図した。 例②③④は現実の音声(形)をそのまま写したもので、「形の上での同一性」にあたる。③④の場 合・「ボチ」「島の原住民」は意味の伝達も意図しているはずだが、それを受け取る側の伝達者の. 方は意味を意識せず、形のみを再現している。それに比べて⑤は、フランス語の音声と意味の両 方を再現しようとしており、「形・意味両面における同一性」を保持している。一方⑥⑦は、現実. の音声は写さずに、それが意味するところのみを日本語で翻訳している。また⑧のような身振り. には元の音声(形)がないため、言語表現化するには意味を写すしかない。この⑥⑦⑧のような. 例は「意味の上での同」性」と考えられる。これらのうち、純粋な意味でのイコン記号は、形を 再現している②一⑤(「形の上での同一性」「形・意味両面における同一性」)だが、事実を装って 言語表現化した⑥〜⑧(「意味の上での同一性」)=,〕もイコン記号の一種ととらえ、日本語学では. 引用と扱うという立場は前述した通りである。. ところが、次のような例はどう考えればよいだろうか。. ⑨フランス語で感謝の言葉を言われてうれしかった。 「感謝の言葉」自体はイコン記号ではない。前掲⑤⑥を抽象化・概念化して表現したシンボル記号 である。しかし、「意味の上での同一性」という点では⑤⑥とほとんど変わりがない。また、. ⑩ビルが瞬く間に崩壊する光景を見て「おそろしい」と感じた。 ⑪ビルが瞬く間に崩壊する光景を見ておそろしく感じた。. ⑫ビルが瞬く間に崩壊する光景を見て恐怖を感じた。 のように・記号的にはイコン記号(⑩)とシンボル記号(⑪⑫)に分けられるが、「意味の上での.
(9) 引用と話法に関する覚書. 73. 同一性」が保持され、表現的に具体性から抽象性への連続性を感じさせるものもある。これらイ コン記号ではない⑨⑩⑫を引用と見なすことはできないがH』、かといって、引用と無関係のもの. とも言えないだろう。このようなものを筆者は話法の領域で扱いたいのである。 「意味の上での同一性」のうち、事実を装って言語化したもの(イコン記号の形を付与したもの). はもちろんのこと、シンボル記号化したものまでを話法で取り上げることによって、「事実との対. 応関係抜きには分析できない側面」にも光を当てることになる。つまり、伝達者の解釈・判断・. 評価等によって事実がいかに変容し伝達されるか、そのプロセスを明らかにしながら、様々な関 連表現をそれ相応に位置づけていくことが可能になると思われるからである。. そういった意味で、筆者は、話法を文法論の枠組みの中でのみ取り扱うことには賛成できない。 藤田(2000c)が、話法を文法的なカテゴリーとして、伝達のムードに基づく直接・間接の対立と. とらえ、それを超えた語用論的に処理すべき現象を「話し手投写」という概念を軸に説明し、さ らに引用の周辺に存在する言者形式を「準引用」と位置づけていることは前述の通りである。しか し、語用論的な「話し手投写」の二つの方向である「忠実再現」「意味的変容」H■と文法的な引用. の領域に含まれるものとは次元が異なると言うが、相互の位置づけが明らかにされておらず、ま た、「準引用」と「引用」「話し手投写」の関係も暖昧である。筆者のように、話法を伝達者の表 現意図との関わりから広くとらえておけば、藤田の「準引用」「話し手投写」等もそこに位置づけ. ることが可能となり、イコン記号である白律的な「引用」との違いが一層明確になろう。. 6. おわりに一r語法」の表現に段階性を認められるか. 藤田(2000c)のように語法を文法的なカテゴリーととらえる場合には、その対立関係が問題と. なるため、表現の段階性という見方とは相容れないはずだが、前節で述べたような立場で話法を. 広くとらえるのであれば、当然ながら語法の表現にも段階性が存在することを認めなければなら. ない。それも、よく言われるような「直接話法・中間(折衷)話法・間接話法」といった、直接 話法・閲接話法を両極としてその間に様々な段階を認めるという見方にとどまらず、間接話法■11. の先に、さらに前掲の⑪⑫のようなシンボル記号による表現を配した、大きな表現体系を描いて いく必要がある。その際には、鎌田(2000)で提案されている「視点調整の原理」「発話生成の原 理」(p.174)等も、参考になるだろう。また、話法の問題を、「遂行動詞」「補文標識」「ダイクシ ス」の関わりから分析し、藤田(1999)が「加算的な話法観(p.27)」として批判した中圃(1994). の見方も、直接・間接に眼らない話法の分析を行う上では有効な方法だと思われる。. 本稿では、先行研究を踏まえながら、筆者なりに引用と話法の位置づけを考えてみたが、言及 できなかった問題も多い。最後に挙げた話法表現の段階性についても具体的な分析を行う余裕は なく、また、間接話法のとらえ方、「場の二重性」と「イコン記号」との関係等、引用と話法の位. 置づけを考える上で避けては通れない問題も数多く残されている。いずれ近いうちに機会を改め.
(10) 74. て論じていきたいと、思、っている。. 〈注》. (1). 三上の引川研究についての一考察は、庄帥H2000b)があるぐらいである。. (2). 蜘u(1999〕によれぱ、典1壮は、英語で. 1. }う訴法(=引川句だけでなく伝迷動詞・榊文櫟識の迷択も・条fトに. 入る〕とここでの分析(=引川句「㌔と」内部の転形のみを扱う)における対象範リ同の違いを認識していて、. あえて「沽法」という川訊を避けて「引川」としたのではないかとのことである。 (3〕. ここで㍗う「訴法(広兼)」とは、蜘11以前の連族(1982〕・蜘11(1983・1988〕等で代表される11占法のとら. え方を指す。この立場では、木来の発訊がどのように変谷しながら伝迷されるのかという一11工に苅uし、山按言1旨 法・1岬推洲五を1ll1j佃{とする様々な1川閉段雌を認め、変容の一条f牛を探るために㍍語環境(引川表現とそれを工丁辻り. ・巻くコンテクスト〕の記述・分析を1耶:視する。それに対し「言占法(挟韮〕」は、蜘11の リーとしての「沽法」のことで、「㌔と」引川句1人1部に. kじる1. 1主う、. 文法的なカテゴ. 雌洲五・口11推1:1号法の二対立のみを対象とする。そ. して、文法論的な対立の1閉幽として扱えない諦表刎については、疵汕は、「話法(挟荻)」を肥える諦川論的な 変谷・Jl1変宥の理象と見なし、「訊レア投1り1」と呼ばれる訊し丁・の解秋の1. 1胆として扱う。つま1〕、「洲五(広. 炎〕」のうち「訊法(挟荻)」を除いた棚域については、文法論f灼にはもはや「11舌法」ではないということであ る。. (4〕. 藤m(2000c)の形にまとめるにあたって、1口論. 考の川諮や記述にかなりの修正・迫加が施されているため、. 今後本梢で膝山氏の論・考を引く際には、最新の・考えが反映されている蜘IH2000c)の記述に基づくものとす る。但し、蜘H(1996b)(1999)(2000a)等のように雌山(2000c)に、I脇されていない論文については、も ちろんこの1川〕ではない。 (5〕. そのほか、対照言諮学的芋j工一1㌣で口英・口仏・口西1剖の言舌法を比i車交して論じたものや、連体修飾節との閑係で. 「という」の.1舳1法を■考察したもの、言舌し言葉で多川される「って」に若口し「と」との違いを上ヒ較検証した. ものなど、様々な方血iに発展している。 (6〕. 膿臼](2000a〕で実際に批半11の対象としている論文は鎌山(1999〕であるが、鎌山(2000)はこれまでの鎌. m氏の■考え方の災. (7〕. 人成であ1〕、lli1趣旨の記述も見られるため、引川にあたっては蜘11(2000)から採った。. 雌ulはこの両側iniにu配リをしておリ、1蜘口(2000c)では、「統諦論に狭く眼定されることなく、射程の広. い円1川」の研究を一考える場合は、(1f1略)抑丈との閑係を1川う祝一11工をもつことも大切であろう。統訊論的引. 川研究も、時に統諦論的な次元を超えて諦川論の旧脳などに談論を広げる必1要があるが、そうした際には、こ のような祝、ll工も生かされることになる。(p.18)」と指摘している。これが、「11舌し乎投写」という諦川1論的概念 の設定に平■■iびついているわけである。一方、蜘Hはψら後. 者の似1」面に立脚しており、. I1百∫. 者に1斐」しては、引川構. 文の統詔的分析は行っているが、蜘11の言うイコン記一1j・のような、引川された言葉の独臼性に閑する言及は見 られない。 (8). 一ヒ原他細川本文法三j享典」(イf非1. 雌. 1981)p.117の記述による。. (9)蜘1H2000c)では、②一⑤(「形の上での同一一性」「形・芯昧両面における1司一性」)を「、忠、実桝理」、⑥一 ⑧(「1籔昧の上での同一性」)を「意味的変谷」と呼び(p.158)、言舌し乎(伝達者)の解秋の閑与を意昧する 「訴し乎投コj=」の二つの方向と位概づけている。現実には、これらを両他…としてさまざまな一111閉的な. (混交的. な)f列が■考えられると言う。. (m). 藤川. (2000c)では、「形を変えることになっても、恋昧における同一性がi呆たれれば、」応r引川jしたと. 見なせる(p.161)」と言うが、これは〜j映を装って言語化した①Bや⑭のような表現に言及したもので、⑪の ような「内的修飾」成分が糀成する統語1・斐」係は「準引川」として別の位・雌づけになっている(p.499〕。なお、. ⑨⑫のような名詞句は「準引州」でも取り上げられていない。 (11〕藤1I]は「な昧的変容」と言うが、その対象とするものは、形が変わっても意昧の同一性は保たれているので、 州語があまり適当ではないと、I. 、われる。.
(11) 75. 引用と話法に関する覚書. (12〕. 箏者は、いわ『)る「閉按話法」もイコン記り1ではなくシンポル記. !}ではないかと考えている。木稿ではその. 、点について述べるだけの紙数が残されていないので、いずれ別稿を州忠するつもりである。. 《参考文献〉 阿. 祁. 忍,u999〕「引川節のタイプ分けにかかわる (rl11乎い一11文論孜」20. 文法理象」. 芋11リ仙・丁■女子負洲大学1111. 文学科). 遠直棊裕子(1982〕「口本語の.;占法」([亨語』11−3). 王. 笑雌(1990〕「引川プロトタイプ1、命をn指して. 1舳妥化に閑する三つのll」1則をllLし・に. 」. (r阪大]本語研究」2) リむ担筍支一口1三(1970)「引川打垂j笠と1閉手妾fヒ1法珊多」. 鎌111. (r. 1. }言丹而斤究』56). 修(1983〕「]本語の1舳妾訴法」(r言語」12−9〕. (1988)「口本語の伝達表理」(r口本語学」7−9〕. (1994)「伝連と創造と模倣一引川におけるソーシャルダイクシスの瑚われ」 (r京郁外1!llL語大学研究論1准」43〕 (1999)「□本諦の引川研究:序論」(r無差」6. 京郁外[1三1言吾大. j. =). (2000)ru木;許の引川」ひつじ=111=1ガ. 川端榊. (1958〕「引川. 上代. 、訂の場合. 」(r刀茱』28). 坂井岬子(1993〕「r生成』という琶1児一1j工からの話法の仰検討の試み」(『f;洲大学教養部紀要」27). 砂川仙11∫(1987)「引川文の椛造と機能 (「文婆言I語研究(. 引川文の3つの類型について. 1主言榊〕」13筑波大学. (1988a〕「引川文の椛造と機能(その2) (r文杢㌫亨語研究(言語矛1高)」14. (1988b〕「引川. 文1芸. 引川句と払.、1l1句をめぐって 筑波大. 」. jξ文芸言諦学系). 文における場の二重性について」(rn木詔学」7−9〕. (1989)「引川と言■青{去」(二1ヒ原i呆雄編丁吉幻イ{口4こ1;吾と□斗(1語孝女十f. 州封篤典(1994)「引111文のダイクシス」(r 縢[l1保中. 」. 1■主枠=芦系). (1985)「r内的引川」における1,■一法の1伝換について. (r諦文」46. 大版大学. 4」閉治. ≡1…=院). 1言語研究」105) 川再法転換のa線. 」. 父1学舳. (1986)「文小弓1η1句『一ト」によるr州U」を叶、セ理する. 引川1論のljl」捉として. 」. (宮地裕編r論災□本語研究(一)瑚代編」閉治二;11=院). (1987〕「引川されたことはと擬声. 擬態。菩と. r引川」の伽1㍗つけのために. 」. (r詞林」2大阪大学古代州吐■文学研究会〕. (1991〕「r引川』の解体. r引川されたコトハ」の表理とr−H刷.司句の炎理、その、呂杣. (r愛知教育大学研究#1呈・;IH人. 」. 文f+学〕」40). (19釧〕「引川されたコトバの記号論的位iitづけと. 文法的性格. (r;1司ヰ乍」16). (1995〕「引川論におけるr話し手投写」の概念」 (r宮地裕・敦子・先生. 占稀記念論災. □本語の研究」I. (1996a〕「文法論の対象としてのr引川」とは何か9. 治苫院). 統.、缶論的引川論のlll」推として. (1996b)「引川論における所1謂r準1舳妾引川句」の解消」(r訂壬文」65). (1996c)「引川研究とrメタ言語」の概念」(川木語学』15−11) (1997)「引川構. 丈と丁格」の論」(r滋賀大同. 文』35). (1999)「r言舌法」のとらえ方に閑する覚讐」(r滋貰大旧文」37). (2000a)「口本訊の引川研究. 余論. 鎌□]修への啓蒙的批1■」. (r滋貫大学教育学部研究紀要(人. 文科学・杜会科学)』49). 」. 」(r詞林」20).
(12) 76. (2000b)「三上車の引川研究について」(『滋灼大[到文」38) {2000c)n王1語引川f推■文の研究」和泉. 1,1=院. 松木正挫(2002〕「何を引川ととら又るか一口木.,吾。. 山崎. の」シ場から. 」(nl1文学研究」136. 誠(1993〕「引川の助詞『と』の川法をW整理する」(n司立旧語研究所柵・讐105. 111手舳1大㍉. 研究搬告災M」〕. 渡辺仰治(1997〕「口本語の引川節について」一舳妾話法、此按言舌法そして視、点一」 (r言詔文1化研究」23大1坂大学言詔文化部〕. 旧文㍉. 会〕.
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