陶芸における緋色の研究
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(2) 目 次 はじめに. 第一章. 「緋色」について 1.緋色の魅力 2.主要窯場でいう緋色. .H.一一一一一. Q. .一一一一一一一一一3. 一一一一一一一一3. (2)備前焼. 一一一一一一一一4. (3)越前焼. 一一一一一一一一. T. (4)ヲ『}2皮焼. i一一一一一一一一. U. (5)常滑焼. 一一一一一一一6. (】)素地土との関係. (2)焼成条件との関係. 焼成実験のための穴窯築窯. 一一一一一一一一. V. 一一一一一一一一. V. .一一”一r. W. (6)ロストルについて (7)窯の幅、高さ、奥行き. P2 一一一一一一一 P2 一一一一一一 P2 一一一一一…一 P4 一一一一一一一 P5 ”一”“一一一 P5 ”一一H一一一r P6 P7 P7. (8)壁厚. 一一・一“. (9)捨て問. 一一一一一一一一. P8. (10)煙突の長さと太さ. 一一一一一一一一. P9. (11)窯内部の設計. 一”一一一一一.. (12)穴窯設計図. 一一一一一一一一一一. 1.穴窯の設計 (1)構造 (2)基礎. (3)平面の基本形 (4)縦断面の形 (5>横断面の形. 第三雪. 一一一一一一一一2. (1》信楽焼. 3.緋色の要因. 第二章. P. 一一..一.一一一一. 焼成実験. 一一一一一一一一一一. 一一一一一一一一一一. 一一一一一一一一一一. 秩f““L18. Q3 Q3 一一一一一一 Q3 Q7 Q4 一一一一一一一 Q5 一一…一一一. 1.実験条件. 一一一一一一一. (1)粘土. (2》焼成方法. (3)焼成時間と温度. (4)作品の形状及び設置場所. Q0 Q1. 一一一一一…一一. 一一一一一一一一一.
(3) 2.第一回焼成実験 (1)日時 (2)実験条件. ③焼成の実際 (4)結果及び考察. 3.第二回焼成実験 (1)H時 (2)実験条件 (3)焼成の実際 (4)結果及び考察. 4.第三回焼成実験 (1)日時 (2)実験条件 (3)焼成の実際 (4)結果及び考察. Q6 Q6 一一一一一一 Q6 R0 一一一一一一一一一一. 一一一一一一一一. 一一一一一一一一. 一一一一一一一. 一一一一一一一一. 一一一一一一一一一. 一一一一一一一一. “一一h一一一一一. 一一一一一一一. R1. S0 S0 S0 S2 S4 S 9t. 一一一一一m一一一一. 一一一一一一一 一一・一一一一 一一一L. D一一. 一一一一一一一一. S9 S9 T0 T3. 第四章 まとめ. 一…一一一一一. T9. おわりに. 一一一一一一一. V0. 資料A−1第一回穴山焼成実験:温度分布表. 資料A−2第二回穴窯焼成実験温度分布表 資料A−3第三回穴窯焼成実験温度分布表 資料B−1第一回穴窯焼成実験作品 資料B−2第二四穴窯焼成実験作品 資料B−3第三回穴窯焼成実験作品 資料C−1穴窯築窯の実際 資料C−2穴窯築窯の実際 資料C−3穴窯築窯の実際.
(4) はじめに ふとしたことから信楽や志野などの古い陶磁器に触れ、’その言いしれぬ魅力. にとりつかれて以来、面白い焼き物はないか探すようになった。しかし、その ように興味を持ち自分の目で焼き物を探し始めると、なかなかこれだといえる 作品に巡り会うことができない。信楽などの駅前には大きな陶芸店が店を連ね ているが、大半の店は狸の置物や植木鉢等がその位置を独占しているこの頃で ある。そのような作品の洪水の中から、本物の味わいのある美しい焼き物を見 つけることはなかなか難しいことである。 日本の焼き物には古い歴史があり、六犀潟をはじめとして各地に多くの焼き 物の産地がある。特に六古事は五世紀半ば頃に,朝鮮半島からわが国に須恵器 の窯焼きの技術が伝わり各地で発達したものであり、それらの陶磁器の魅力は 現代においてますます日本人の心を捉えてはなさないものがある。そこには、 一方に柿右衛門のような装飾性の高い磁器もあるが、ま.た一方では農民の生活 必需品として始まった焼きしめの陶器もあり、その力強さやイ宅びた件まいは大 きな魅力である。. なかでも、六古型の一つである信楽焼は、古くから生活の器を半農半角の農 民がつくり穴窯で焼き締めていた。自然の乾いた土がそのまま焼け固まったよ うな肌にうっすらと緋色が映えたもの、特に古信楽の壷や瓶などについた鮮や かな緋色はすばらしく、独特の風格を醸し出している。古信楽の種類としては 瓶、壷、すり鉢、などが主たるものであり、瓶は、広口で、野縁が折り返しに なっているのが特徴である。作品のなかで最も多く、かつ鑑賞的にも興味深い ものは、壷の類である。特に大壷と、「興る」と呼ばれる中型の壷が多いが、 やはりまず目に浮かぶのはあの緋色の美しい、ざんぐり1)とした肌の大壷で ある。大壷は、種壷に使用されたと考えられるが、茶壷としての使用も多かっ たと思われる。粗い肌は葉茶の保存に最適で、室町時代の日記や記録にも茶壷 としての信楽の名がしばしばみられる。また潤る」の壷は、その形が人の踵つ た姿ににているので後世茶人が名付けたものであるが、その姿形からイ宅びた味 わいを好まれて茶席の花入れにも多く使われている。 このような焼き締め陶器の魅力は、器が炎に鍛えられた変化のある肌にあり、 美しく焼き上がりすぎる現代の電気窯やガス窯にはできない窯変の美である。. それは、炎の中で鍛え完成する焼き物の最も大切な要素で、その中で出現する 緋色の美しさと力強さが、人を魅了するのである。 それでは何故、このようなあざやかな緋色が原初的な穴窯で弼誠できたのか。 ここでは、この魅力ある緋色を自分なりに探求し、科学的に考察して、自分自 身のイメージする緋色が出せるかどうかを実証しようとするものである。. 1.
(5) 第一章. 「緋色」について. 1.緋色の魅力 焼き物の魅力は、…言でいえば焼成にある。古くからいわれるように、一・ 焼き、二・土、三・細工、と言われるゆえんである。たとえば、粘土で成形を し、乾燥させ、窯につめ、何昼夜も焼成をし、そして、焼き上げられた作事に は、予想もしなかったような窯変がおこっていることがしばしばある。心を込 めて作った作品を窯のなかに入れて、火に託して作品を仕上げること、そこに は人問の考えも及ばない、火の力が働き、焼き物は生まれ変わる。その魅力が 焼きの魅力であり、大切さである。人間の能力を超えた力で作品が生まれ変わ ることが重要なのである。緋色の魅力とは、そんな焼き物の無作為の表現であ り、最も不思議な表現の一つである。 緋色は焼成が最も困難であり、表現の多様性がある。志野焼の淡いピンク、. 備前焼焼の鮮やかな緋色、丹波焼や越前焼のねっとりとした紅色等、緋色の魅 力は尽きることがない。なかでも信楽焼の緋色には、色々な表現があり赤信楽、 黒信楽などと呼ばれている物はその代表的な表現である。そのような色は、電 気窯やガス窯では決して表現できない色なのである。それは、窯の中の高温の 火、薪の炎との攻めぎあいの記録である。そこには、炎のあとが実感できるよ うな、焼き物の表面だけにでた窯変、淡いピンク、鮮やかな紅色、緋色、様々 な変化、炎の色がある。つまり、なかなか意識的に出すことのできない窯変な のである。. その中で、信楽の焼き物は日本の焼き物の原点であるといっても過雷ではな い。なぜなら、緋色、こげ、灰かぶりの景色は美しい着物のようであり、室町 の茶の湯では、珠光の頃から俺びた趣向を好む数奇者の問で、備前や信楽を茶 道具として取り上げられていた。そうしたところを紹鴎が、彼の好みとして茶 の湯に用いたのかもしれない。紹鴎は、信楽の農器具、主として桶を茶道具に 取り立てたことがはじめのようであるが、以後、信楽焼は、利休や小堀遠州、 宗旦へと引き継がれていくことになる。. 村田珠光が信楽や備前焼の面面の使い方を示してから、その後歴代の茶人は 自己の考えを取り入れて、各々その使用方法を悟った。「禅鳳能謳音曲雑談聞 書」2)という本は、金春禅鳳が永正13年に語った談話を山田藤右衛門3)が聞 き書きしたもので、 「与四郎くる、数奇によそへて能く物語候、結構見事申さば、是までにも申 され候、金の風炉、かんす、水差し、水こぼしにてあるべく候へども、しみは せまじく候。伊勢物、ひせんものなりとも、面白く巧み候はば、まさり候べく 候。」. と書かれている。つまり、信楽や備前の陶器は、使い方の工夫次第で、当時 一流の茶器に優るとも劣る物ではないと言っている。 2.
(6) また、豊臣秀吉は、茶の湯を信長と同様に政策的なものとして使ったが、京 都北野の森で催した大茶会には、秀吉の席に備前の筒花入れ、滋賀の葉茶壷、 井戸茶碗などを飾っている。このように桃山時代に信楽や備前焼きの価値は、 今日ではとうてい想像できないほど高く評価されていたことが分かる。その魅 力の第…に、時代にあった剛胆な姿とやはり焼き締めによる窯変、もっと言え ば緋色と自然粕のかかった気色にあったと考えられるのである。 その緋色が生まれる原因については、一般に、素地土内の鉄分が大きく影響 し、原則として穴窯の酸化焼成によるものであり、煙だしに近く火前よりいく らか温度の低い場所で焼かれたものと言われる。また一方では、素地の表面に 硝子質のものが薄く生じた場合に、特に火前の還元焼成の強い自然紬がかかる 所で表出するものとも言われ、このことはいまだ科学的に充分解明されてはい ない。 また、この「ひいろ」の色についての明確な定義はないが、一般に作 品の肌にでる赤色には、「火色」と「緋色」この二文字が使われている。大西 政太郎氏4)は大きな意味で赤みを帯びた焼き物の肌の色を「火色」として使い、 そのなかので特に赤味を帯びた色のことを「緋色」として使っている。一般に は意図せずに作品についたうっすらと赤く発色した窯変が「ひいろ」と言われ、. 信楽の緋色、志野の紅色、備前の火脚等は、窯の中で作品が炎に鍛えられ窯変 した結果である。従って、その表現には様々な要素や特徴があり、それぞれの 窯元にそれぞれの緋色があるといっても過言ではない。. 2.主要窯場でいう緋色 前述したとおり緋色の魅力は、古くから日本人の心を捉え各地の窯場ではこの. 緋色の表出に腐心したことであろう。ここでは、六古窯と呼ばれる主要窯場で 言う緋色の解釈をはじめ、その特徴について比較検討することとする。. 口)信楽焼 信楽の特色は、 「緋色」、 「こげ!5). 、そして、「灰かぶり」6)であると言. われる。なかでも信楽焼というと、まず 目に浮かぶのは、右の図のように緋色の 美しい、ざんぐりとした肌の大壷である。. 中世のいわゆる六古窯の大壷は、現代人 の郷愁感をそそり近年とみに人気を高め ているなかで、ことに信楽の大壷は日本 入好みの爽やかな造形美に富んでいる。. 信楽焼の歴史は、この大壷から始まると 図一1信楽緋色大壷 言っても良い。 (図1) ここにみられる、緋色の景色は作品全体の造形性を一段と引き締め、緋色自 体の中にもまた変化のある色彩を表出している。これは、人の作為的なものを 3.
(7) 感じないばかりかそれをはるかにこえた、無作為の美である。このような作贔 を生みだしたのは、近江の古代窯業として栄えた、「日本書紀」垂面面にもみ えている「鏡谷」である。すなはち現在の滋賀県蒲生郡竜王町の鏡山の渓谷地 帯における須恵器の生産が有名であり窯跡もかなり残っており信楽焼の源流と いえる。. 信楽もおそらく他の六三窯と同様、平安末期から鎌倉時代にかけて、三三の 焼成法の改良によって、酸化焼成された赤褐色の陶器つまり緋色のの出現をみ たのであろう。緋色は、古くから「あけ」と呼ばれる色に最も近い。つまり明 け方の色、夕口の色、そして、窯のなかの炎の色と言うことができる。 信楽水簸粘土は、1.300度内外で焼成した場合、よく焼き締まり硬い感じを 与えるが、肌がざらつき吸水性も多分に残っていて比較的もろい。鉱物組成η は次のごとくである。 SiO2. (珪酸). TiO,. (酸化チタン). 0.41パー・セント. AI,P,. (酸化アルミ). 23.86パ・一一一一■セント. Fe2Q3. (酸化鉄). 61.93パーセント. 1.21パ・一セント. 一般に、このような素地土に少量の鉄分(L5パーセント程度)が含まれている ことが緋色のでる条件8)になるといわれている。. (2)備前焼 備前焼が、古い伝統を今に受け継いで、今日まで生き続けているのはなぜか。. 備前焼きの焼成は、やはり松の薪による加熱で色々な変化のある肌合いが魅力 的であり、また、素地土の焼き締まりの良さ、耐火度のある土の個性によるも のが現代の感覚にマッチするからであろう。つまり、一言でいうと緋色も含め た様々な窯変が表現しやすい焼き物だからである。 安土桃山時代に備前では、作りかたを豪壮に、丈夫に、焼き方も窯を急勾配 にする事によって、燃焼効率を上げ、強く焼き締めるようになった。それ以来、 備前焼は厚くて重い丈夫な、赤褐色をした焼き物に生まれ変わったのである。 しかも日本的な焼き物として、古来茶人や大衆に愛されてきたのは、土そのま まの無血の焼き締めの魅力であり、自然窯変の不思議さがあるからであろう。 その表現には、さんぎり9)、ごまtO)、榎肌111、なまこ12)、緋だすぎ3)、緋など. いろいろな景色として表現されるものである。一言でいえば、備前焼は自然素 朴な焼き物であり、儒び寂びというような味わいが日本人の心にぴったりする のではないだろうか。. 備前焼きに見る緋色は、作品の一一部に赤色の現れているものであり「緋」 として珍重されている。その緋には、:二通りのものがあり、一一一一つは、炎が強く. あたったためにできた緋であり、もうひとつは、他の焼き物が覆っていたり空 気の流れがとどまったところにできた緋がある。なかでも珍重されるのは、火. 4.
(8) が通っていると言って表面より裏面に赤色が抜けているものでこれを最高のも のと備前では言っているようである。緋は、火力が強すぎても弱すぎても失敗 すると言われ窯変のなかでは技術的に一番難しいと言われている。. 「牡丹餅」と言われる緋色は、緋が作品に円形に表出したもので、これは器 物が覆ってできたもので炎が直に当たらない処に緋が生ずる。現在では人工的 に、皿などにまるい粘土を置いて焼くことで表現できるものでもある。. また、「緋裡」といわれる緋色は、作品の地肌 の色が白地に焼けており、それに赤いろの線が縦 横に交錯して、しかも作品に裡を掛けたように現 れているものをいう。これは鉄分の多い素地土の 作品に藁をかけ、大きな作品と重ねて焼いた場合 に現れる。素地土は白色になり、藁のかかった部 分は藁のアルカリと原土に含まれている鉄分が化 合してガス帯をを発生させることにより器物を赤 色に変色させると言われているが、その発祥は大 冬期より作品と作品とのくっつきを防ぐために藁 を挟んで焼いたのが始まりと考えられる。(図2). 図一2 備前火裡 (3)越前焼 越前焼きの特色は、素朴で力強い実質的な用の美を特徴とするが、緋色につ いては一般にに言及していない。それは、素地土の性質によるもので、鉄分が 多く高温で焼成されると緋色よりも茶色から黒っぽいこげ茶、あるいは茶褐色 になる。16世紀の双耳壷などは、かなり備前焼の景色に近いものがあるが、 それでも素地土の影響でかなり肌は茶色がかかっている。 福井県陶芸館の「越前三筋壷iなどは、. 比較的赤みを帯びた茶色の緋色が出てい る壷であるが、須恵器のような面影も残 しており素地土自体の色調である可能性 が強い。つまり、鉄分の多い素地土を焼. 成温度1200度以下でしか焼くことがで きなかった結果であろう。このことは、 壷の口部分にのこる溶けかかった灰によっ. て推定することができる。松灰がかかり. 自然粕として溶ける温度は1100度前後 からである。このように、越前ではこの 色について緋色という表現はしていな いようである。 画一3 双白粉 しかし、時代が新しくなり16世紀頃になると、水野古陶磁館に所蔵されてい. 5.
(9) る「片口双耳壷」のように丹波焼きの赤土部を思わせるようなねっとりとした 赤色が表出しているものがある。これはおそらく、水漏れを防ぐために細かな 土を水簸4)し漏れ止めの上薬として使用した結果であると考えられる。このよ うに越前の古陶器は水漏れを嫌って上薬をかけている場合がしばしばみられる。 (図3). (4)丹波焼. 丹波立急焼は、現在も立食の地方で焼かれ ているが、土の種類は備前に最も近いと考え られる。地理的にも備前と近い距離にあり、. 粘土が堆積する段階でかなり成分上同質のも のがあったと思う。しかし、緋色のについて は赤土部と言う特有な緋色がある。この赤土 部は古丹波が焼かれていた頃、水漏れを防ぐ ために肌理の細かな赤土を表面にかけ化粧土 として使用していたものが、赤く発色したも のである。その色は独特のねっとりとした赤 色を呈しており、信楽焼のような緋色とはか なり違うものである。(図4)図一4赤土部粘徳利. また、地元で聞くとやはり緋色という言葉は使わず、赤土部という言葉でそ の赤色を表現する。鎌倉・室町時代の古丹波は、小石混じりの山土の粘土を使 い、原始的な穴窯焼成では焼成温度も思うように上がらなかったため赤土を紬 薬のように使用したと考えられる。この赤土部を再現しようとしている作家が いるが古丹波の赤土部の再現はかなり難しいようである。. ちなみに丹波指事粘土の土成分は下記のようであり、鉄分がかなり多いこと が分かる。. SiO2. (珪酸). TiO2. (酸化チタン). ほとんどなし. Al,O,. (酸化アルミ》. 24.74パーセント. Fe203. (酸化鉄). 52.79パーセント. 2.37パーセント. (5)常滑焼 常滑焼きの特徴は、なんといっても瓶や大壷に代表される生活の必要から作 られた、大ぶりで力強い器である。またこの剛胆さは、激動した時代を映しそ の流れを繁栄しているようにも感じられる。. また、古常滑大瓶のような焼き締めの男性的な美を持っているものは、なか なかそのわびた美しさに気づくことが難しい。しかしこのことは、戦国時代の 為政者や、利休のような茶人によって発見された美でもある。この、古常滑大 瓶は平安末期から興り、鎌倉時代まで盛大をきわめたものであるが、現在、常. 6.
(10) 滑陶芸資料館に陳列されている「灰墨大瓶」はその美しさを今もあますところ なくしめしている。ざんぐりとした土味に、グリ・一一一一ンの灰紬の流れがいかにも. 印象的で、圧倒的な強さを見せている。 緋色については、江戸時代=二代目伊奈 長三15}が考え出した、「緋色焼」があり. 注目すべき点がある。二代目伊奈長三は 海藻を被せて焼く緋色焼きを創作して有 名になり、多くの名工が訪れているほど である。この緋色は備前焼の緋裡の技法 に似ておりおそらく長三が備前焼をまね て編み出したものであろう。原理からし ても備前の藁のアルカリ分が望事を生む ように、海藻のアルカリ分が緋色を生む ものと考えられる。図5の水差しの海藻 が巻かれていた部分には、かなり鮮やか に緋色がでている。. 図一5 常滑緋色焼千条文水差し. 3.緋色の要因 六古窯を中心に窯場ごとの緋色の特色及び解釈について述べたが、特に、古 信楽の焼き物にはその肌の美しさにおいて特筆すべきものがあり、筆者として 強く魅了される。. 古信楽は、古備前や、古丹波同様、無紬の焼き締めであるが、特色とされる 小石混じりの山土の素地は、穴窯の不完全な火のまわりで赤く焼けたところも あれば、白く残ったところもあり、あるいは黒く焦げたところもあり、ビード ロ紬のかかったものもある。その巧まぬ自然の変化は自在であり、全体に鮮や かな緋色のなかに絶妙な景色を奏でているようである。また、ざんぐりした小 石混じりの肌の感触は信楽特有のものであり、これがまたその魅力を増してい る。. それでは、その緋色とはどのような要因によって表出されるのであろうか。. 本研究は、緋色の表出の要因について実証し化学的に解明しようとするもので あるが、研究をすすめるにあたり信楽焼を参考にし緋色の要因といわれる条件 等について仮説をたて、その留意点をまとめておくこととする。. (1》素地土との関係 素地土圧の鉄分は、素地の焼き色を決定する重要な要素であるといわれ、信 7.
(11) 楽土などはその組成上花醐岩の風化粘土であり含有鉄分は少くなく、また逆に 備前土などは、比較的鉄分の多い粘土である。 その信楽の土には、概していわゆる木節土が多いが、木節とは粘土層のなか に、腐り炭化した木片が混ざっているのでいわれた名称である。木節のことを 信楽や伊賀では「うに」という。芭蕉の句にも、 「香ににほう うに掘る岡の 梅の花」このように歌われている。この炭化 した木片は、有機物なので焼成すると燃えてしまう。それで山土をそのまま使っ た古信楽では、この木片が燃えてとれた痕が転々と残っている。古信楽の最大. の魅力は、その肌の美しさである。古信楽も、古備前や、古丹波同様、無紬の 焼き締めであるが、特色とされる小石混じりの山羊の素地は、穴窯の不完全な 火のまわりで赤く焼けたところもあれば、白く残ったところもあり、あるいは 黒く焦げたところもあり、ビードロ*ts 1 6)のかかったものもある。その巧まぬ自. 然の変化は自在であり、全体に鮮やかな緋色のなかに絶妙な景色を奏でている ようである。また、ざんぐりした小石混じりの肌の感触は信楽特有のものであ り、これがまたその魅力を増している。 信楽土の特徴である緋色には、緋色系のものと黒ずんだ緋色系の二手がある。 緋色系のものを、地元では赤信楽といい、黒ずんだものを黒信楽と呼んでいる。 このようなものが生まれたのは、室町期の擦筆時代の頃からで、今日でもその 緋色を再現するために当時の穴窯を復元して焼いている陶工がいる。緋色が生 まれる原因については、科学的に究明されていないが、緋色系のものは原則と して酸化焼成によるもので、黒ずんだ緋色は、還元焼成によるものと言われて いる。つまり、穴窯において焚きロに近い、火前の温度の高い、また還元焼成 になる場所では黒信楽になり、反対の奥の煙だしに近い、炎の伸び切った、火 前より温度の低い、酸化焼成の雰囲気になるところでは、赤信楽になるといわ れている。古信楽の特徴は、石はぜ7》の土筆に映える、火色とビードロ紬にあ るといえるが、緋色系のものに、冴えた緑のビードロのかかったものが少なく ないというのは、冴えたビードロは強還元によって生まれるからであろう。ま た、緋色は一一L一番・よく焼けたところと焼けないところとの境に出るものであると. いわれるが、いずれにしても焼けすぎると緋色にならず、茶褐色になり、逆に 焼きが不十分半あるとドロンとした色になるといわれる。また、弱い還元焼成 で焼成すると御本手と呼ばれる斑点模様が出ることがあるが、御本手の紅斑点 も緋色と関連するものであろうか。. (2)焼成方法との関係 緋色の要因としては素地土との関係と同様に重要な条件となるのは、穴窯で の焼成である。穴窯というのは、山の斜面を利用してトンネルのように文字ど おり穴を掘り抜いた物であるが、床になるところの形は、’下の端と上の端で小 さくして中央が一一一・ a}広く、ちょうど船形のような形になっている。長さはだい. たい5∼7メートル、胴幅の一一番広いところで2メートルほど、高さは大人が中. 8.
(12) 腰で入れる程度である。勾配は、山の斜面に沿ってできているがだいたい20度 前後であったと考えられる。もちろん下の穴一が焚ロとなり上の口が煙り出し のロとなり、いってみれば、窯の胴そのものが煙突となっているような構造で ある。いわゆる登り窯の最も原始的なものである。作品は床に直接並べて詰め ていたようであるが,勾配があるので安定しない。そこで低い方へ、小石や特 別の土をこねて支えにした物、一般に馬のつめと言われている土の団子を差し 込んで安定させていた。あとは瓦窯や炭窯のように下のロで薪を燃やす。この 方法が須恵器以来全国どこの窯でもやっていた形式である。瀬戸、常滑、信楽、 越前、丹波の五大古津は、平安時代はもとより室町時代までこの形式の型置で 焼いていた。室町時代以降、この窯は半地上式のものに発達していくことにな る。これは、山の斜面に掘割のように溝を掘って、その左右両脇の地上から天 井を盛り上げた、内部に支柱を使わない鉄砲窯と呼ばれるものであり、全地下 式の穴窯に比べて湿度が少なく燃料の節約にもなり、火度も高く上げることが できるようになった。. 「信楽の緋色の作品は、そのような酸化焼成が容易である陶窯から生まれる 可能性が大である。」といわれる。緋色の作品を目指して窯を炊くときには、. 灰かぶりの作品を同時に得ようとしてもあまりよい結果は得られない。なぜか というと、緋色を主体として焼いている窯は、灰をたてるとどうしても緋色の ついた作品に灰がかぶり悪い影響を与える。窯変や自然ゆうなど灰かぶりの作 品を目指す窯とは違って、灰をたてないように焼かなければならない。つまり、 灰かぶりの作品を主体とした焼き方をすると、緋色は駄目になってしまうと考 えられるからである。. …方、焼成の条件のなかで、窯の中の雰囲気が酸化か還元気味かということ は、緋色の発色に大変強く影響すると考えられる。。明るい緋色の作品を目指 して焼くときは、窯の中は酸化の状態かあるいは、酸化に近い雰囲気が良い。 これにたいして、還元気味で温度が上がって行くと緋色が暗くなり、チョコレー ト色に近いくすんだ色になることがある。そのうえ、微量の酸化鉄などが含ま れていたりすると、其の金属類の働きで、還元炎で焼いた以上にチョコレート 色が濃くなり、古信楽でいう渋紙手と呼ばれる茶色っぽい色になるといわれる。 酸化状態の焼成時には、おきは温度が上がる程度の量にとどめ、あまりため すぎないようにする。少なめの薪をよく燃え切らせ、灰をたてないように焚く。 おきを棒などでかきまわすようなことをせず静かに焚くことが大切である。ま た、焚く時間も必要以上に長くせず、薪も少なめに、手早く焼上げることが、 明るい緋色を焼くための条件である。したがって季節的には冬の季節が最も良 いといえる。焚き上げは、最後にくべた薪がほとんど燃え切ってから焚きロを 密閉する。窯のなかに炎がまだのこっている状態では、くすんだ緋色になりや すい。冷却は必ずゆっくりと冷やすことが重要である。徐冷の温度は、900度 から300度位の範囲であろうと考えられる。この理由は、素焼きをした場合素 地の色は赤みを帯びているが、その温度はちょうど800度前後の温度であるか. 9.
(13) らである。その範囲を急冷させてしまうと、緋色は全部飛んでしまい白ぼくなっ. てしまう可能性が高い。従って、冷却は特に慎重に行う必要があると考えられ る。. また、還元の焼成は一言で言うと、燃焼中酸素の量が薪燃料よりも多くなる 焼成方法である。つまり、酸化焼成の時よりも焚きロを小さくし酸素の量より も燃料を多めに入れ焼成させることである。したがって、作品は燃焼中に酸素 を奪われることになり発色等に大きく影響する。例えば、磁器の焼成で青磁な どの場合は還元焼成でないとあの澄んだ青磁の青色は発色しない。最近の磁器. の焼成には還元のできる電気窯が用いられるが、その方法は、800度…900度 ぐらいに窯の温度が上がったときにガスバーナーでプuパンガスを三内に送り 込むことによって還元状態をつくる。従って、窯のなかで還元状態になるのは、. 800度前後の温度になり燃料が酸素不足で燃焼するときであると言える。薪窯 でいうと、あぶりから攻め焚きに移る頃黒い煙が煙突から黙々とでている状態、 温度上昇とともに火柱が1メートルほどあがる状態が還元の状態であるといえ る。この還元状態で焼き締めの作品を焼いたときに、一方であざやかなビード ロ紬がかかる場合があるが、その気色のすぐ隣や境目にあざやかな緋色がえら れる場合がある。この緋色はいったい何なのか。酸化焼成の時の緋色とはどう 違うのか検討しなければならないことである。 信楽では緋色の作品を焼く場合には、窯の湿気が大きく影響し、初窯の場合 には非常に美しい緋色が期待できるといわれる。逆に、すでに何度も焼いて窯 自体が焼きもののようになってしまった窯には発色のよい緋色は期待できない とも言われる。また、古くから信楽ではカラッと乾いた気候のころに焼いた窯 に、よく緋色が出るといわれる。信楽は盆地で空気が乾燥しているので、自然 の風土が緋色をうみだすものだともいえる。また、まったく反対に、緋色がよ く出るのは四季のうち春先のかまで、春先は湿度が多いため窯の温度が上がり にくく、窯の中に炎が乱れ舞うような、風通しの悪い場所のほうがよいともい われる。これは、おそらく先に述べたカラッとした通風のよい場所や、炎の延 び切った酸化焼成の場所がよいという説と正反対の条件であり、相反するが、. …方は赤泊の赤信楽と、他方は黒系の黒信楽の条件かと考えられる。緋色を窯 変というのはこのように、一つの条件だけでは説明でぎない複雑な要因がある からであろう。. 10.
(14) 注記 1). 2}. か 焼き締まった焼き物の肌で小石などが混ざり力強いざつくりとした感じ 「ぜんぽうのううたいおんぎょくぞうだんききがき」二名「ぜんぼうさる. がくだんぎ」と呼ばれる金春禅鳳が永世13年当時芸術について語ったもの 3). 4). 「ぜんぼうさるがくだんぎ」の編者 天文22年5月没 (おおにし・まさたろう)陶磁器製造技術の研究、指導に従事・京都市工 業試験場工芸部長歴任、奈良教育大学、京都精華大学講師、 著書「日本人の技術」「陶芸の紬薬」 「陶:J二の技術」「陶芸の土と窯焼き」. f’). 作品に、焼成時の燃え残ったカーボンが黒く焼き付いた景色をいう. e)). 薪の燃えた灰が大量についてできたざらざらした肌合いをいう. 7). 「陶芸のための科学」 素木 洋一著 建設総合資料社 1980. 8). 「穴窯」. 9}. 赤黒い肌に灰色の発色やこげのできたもの. 古谷 道生著. 理光学. 1994. 松の灰が付着し更に高熱のためそれが溶け硝子状のはんてんの様に温温化 し、ゴマを振りかけたように焼き上がったもの 川恢かぶりで作品に灰がかかって溶けきらず、しかも榎の肌のように黒や ネズミ色のブッブッに焼き上がったもの. 1 O). ]2). 全体が濃い青空色で、ナマコ肌の様に肌が滑らかに焼き上がったもの. 13}. 素地は白色その上に、赤色の線が縦横に交叉して、あたかも作品に裡を かけたように現れているもの (すいひ)原土から砂や小さな小石を取り除くために、原土を水に溶かし 粘土分だけを抽出する方法 初代長三は、文化・文政年間に、尾張の裏千家玄々斉の友である清州和 尚に指導を受け名工と呼ばれた。二代目はその長男で、緋色焼きの先駆者. 14). 1f’}. 16). 赤松の灰が被り、その灰が溶けて青緑色にかかったもの. 17}. 粘土の中の長石などの小石が焼成する事で表面に浮かび出たもの. 11.
(15) 第二章 焼成実験のための穴窯築窯 本研究では、緋色の現出されやすいとされている穴窯の設計を進め、実際に 築窯をすることとした。. 大昔私たちの祖先が、焼き物をつくり始めた頃には、まだ窯というものはな かった。平らな地面を掘り下げてそこによく乾いた土器を並べ、その上を草や 木で覆い、これを燃やして焼いていただろうと考えられる。現在でもニューギ ニアやアフリカではこの方法で土器を焼いている。しかし、この方法は、熱効 率が非常に悪く、高温を得ることができないばかりでなく、器物全体をむらな く加熱することが難しいため、焼成中に破損することが少なくない。 その後、燃焼中に熱が外に逃げるのを防いだり、風などの影響を少なくする ために、土器の周囲を粘土や石で囲う工:夫をするようになる。これがやがて、 底から火を燃やして、上に並べた土器を焼く垂直炎の窯と、焚きロで燃やした 炎が煙道まで横または斜めに進んで窯のなかに並べた土器を焼く胃炎の窯へと 発展していくことになる。前者は、主に西アジアからヨーロッパで発展し、つ いには昇炎式の徳利窯となり、後者は、中国を申心に東洋で発展し、穴窯、鉄 砲町、登り窯へと発展した。 更に近年になって、熱源にガス、油、電気などが使用されるようになり窯は 飛躍的に発展した。窯は、この様に焼き物の発生時から今日までの非常に長い 間多くの入たちによって工夫改良が重ねられ、その種類はきわめて多く、色々 な目的や条件によってそれぞれうまく使い分けが成されるようになった。 窯は使用臼的、焼成方法、熱源、あるいは構造などによって色々に分類する ことができる。使用目的によって分類してみると、素焼き窯、本焼き窯、紬薬 窯、楽焼き窯、上絵付け窯などに分けられる。 焼成作業の方法によって分けてみると、不連続窯というのは、単独窯のこと で、角窯、円窯、箱窯、又は桶型の電気窯がこれに相当する。半連続窯は、登 り窯や鉄砲町がこれに相当する。連続窯は、絶え間なく焼成作業が行われるト ンネル窯がこれである。また、熱源によって区別すると、薪窯、石炭窯、重油 窯、ガス窯、電気窯に分かれる6このようにみてくると、現代の窯は熱効率も よく、高温焼成が簡単にできるようになったが、前章のような窯変の緋色は、 電気窯やガス窯では決して焼くことのがきない。穴窯の効率の悪い焼成の欠点 が、逆に緋色を焼くためにはなくてはならないものなのである。この点を留意 して、より原点に近い原初的な穴窯の築窯を心掛けた。. 1.二野の設計 (1)構造 縄文土器や弥生土器が、野焼きという原始的な方法で焼かれていたが、もう 少しすると、地面に浅い穴を掘り燃料をおき、その上にで焼くようになった。 12.
(16) しかし、この様にしてもやはり、熱効率が悪いので、さらに山腹の傾斜面にい も穴のような長方形の穴を掘り、蓋をして焼成時の熱が逃げないように囲って しまうことが考えられ、これが穴窯の始まりだと考えられる。 まず、穴を掘り、それに蓋をする事を考えついた次には、トンネルすなわち 蓋の付いた穴を掘ることになる。風通しの良い傾斜地に沿ってトンネルを掘り 炎を上の方に向かって流し、焼成する事になる。穴窯は、この様に野焼きの熱 効率の悪さを工夫・改善して、考え出されたものであろう。. また、この穴窯はわが国独自の発展からきたものではなく、百済から伝来し たものといわれており、全地下式と半地下式との二つに大別される。 全地下式は、傾斜面の下に穴を掘り抜くが、現在発見されている古い窯の窯 跡の勾配は、三寸五分(22度)から二寸五分(16度)勾配が多く、その奥に煙突 に相当するものを造っている。このようにトンネルを斜めに傾斜させたような 状態の窯が本来の全地下式の穴窯である。その後、全地下式の窯が、半地下式 になるのは、全地下式の窯に土中の湿気の問題があり、また修理も不可能に近 いことから試行錯誤の上、半地下式の窯へ移行していったと考えられる。この 窯は、簡単にいうと傾斜のある地面に溝を掘りその上に粘土質の土で天井を造っ たようなものである。現在でも多治見の志野焼の作家は、この形式の窯で志野 を焼いている。. さて、穴窯に次いで出現するのは割竹式と呼ばれる窯である。これは半地上 式の穴窯の房を連続させた形式の窯であり、数メートルごとに仕切の区画壁が あり、その区画壁のしたにはさま穴がある。それぞれの房で、いったん炎を留 めながら、さま穴からつぎの房へ炎を流すという方式の窯である。これは、形 式から考えて登り窯の前進であろう。これに似た、形式の窯で、蛇窯と呼ばれ る窯がある。これは、六古窯のひとつで丹波の立杭に現在でもみられるもので ある。山腹に蛇のように長く築かれた大変特徴のある窯である。 丹波の蛇窯は、やはり朝鮮にみられる蛇窯とよくにており古く朝鮮から伝播 したものであろう。この特徴は、長い窯で30メートル以上のものもあり、胴 には、八目鰻のような模様の焚きロが設けられている。その焚きロの処に窯詰 めの際一定の幅の火道を設ける。すなはち、一一つの焚きロとその次の焚き口と. の問に、区画壁のようにきっちりと壷や瓶を積み作品そのものに区画壁の役目 をさせていた。従って、焼き物は火の当たる場所と当たちない場所との違いが 気色となってはっきりと現れる。丹波の自然紬の景色はこのようにして生まれ たものである。. また、もう一つの特徴としてこの窯には煙突がない。煙は、蜂の巣と呼ばれ る煙出しの穴を通して排出される。窯元の故老に聞くと窯の勾配が強く、火の 引きがよいため煙突は必要がなく、古くからこの蜂の巣と呼ばれる十数個の穴 だけでその要をはたしているという。そして、焼成方法は窯の条件に合わせて、 それぞれの区画を連続して温度を上げていくため、焼成の時間は驚くほど短い。. 30メートルほどの大きな窯でも三日間を要することはないという効率の良い. 13.
(17) 窯である。. 穴窯と、登り窯の違いは色々あるが、構造的な面から簡単にいえば、穴窯は 薪を燃やす燃焼室と作品を入れる焼成室とが同じであるが、登り窯は一番最初 の部屋すなはち胴木の間が燃焼室であり、焼成室は胴木の問の次の一一の間、二. の間一であって、焼成室と燃焼室がはっきりと分かれている。この点が登り 窯と穴窯の大きな相違点であり、これが両者の焼成に色々なちがいをもたらす。. たとえば、登り窯は若鮎に時間がかかるが冷める速度が遅く、穴窯は、条件が 整えば昇温は簡単であるが、冷める速度は速くなる。登り窯は焼成中に焚き口 を開いても、燃焼室の温度が急に下がることはないが、穴窯は、焚きロを開く とすぐに焼成温度にむらができる。このように、登り窯と穴窯には構造による 色々な特徴がある。. このように穴窯は、歴史的にも最も古くまた原理的にも一番原初的な窯であ り、現在の色々な窯のルーツである。火と土の戦いによって生まれる、力強く 素朴な、神秘的にまで美しい作品を古代から時代を超えてつくりつづけている。. 穴窯は、ある意味では合理性に欠け経済性を無視する窯のようにみえるが、逆 に言うとそこに窯の存在価値があり緋色を焼くためには最適の窯であると考え られる◎. さて、それでは穴窯の性質・性能は具体的にどのようなものか、具体的な設 計を考えてみることにしたが、設計の基本的な考え方は、古谷道生氏の著書 「穴窯」1》を参考文献とした。. (2)基礎 古くは上り窯や穴窯を造る場合、基礎の下には熱の届かないくらいの深さに 松の杭を打ち込んで基礎を固めたといわれる。 生の松重は湿気のある土に埋まる と大変な強度を発揮するといわれ、 昔は現代のパイル代わりによく使わ れた。童心の基礎も住宅などと同様 にしっかり固めることが大切である。. 基礎が不安定でそれがゆるむような ことがあれば窯の中は非常に高温に なり危険で事故の原因にもなりかね. 継. ない。このことを念頭に入れて実験 に使用する窯は盛り土をしながられ んがを積み、その下には、ぐり石や 耐火煉瓦の割れたものなどを埋め土 をついて固めた。またそのうえにバ ラス、砂をおいた。(図6) 図一6 穴窯の基礎. 14.
(18) また、煉瓦は中古煉瓦を使用したが、それらは大小があり高さの調節にも都 合が良いものであった。まず、大型煉瓦は窯の内径にあわせ全体に借り並べを. して固定をし、煉瓦相互の問隔を1センチ程度あけ余裕を持たせた。次に1セ ンチほどの隙間のある煉瓦の間に目地を入れたが、この目地は粘土ではなく煉 瓦の下に引いた砂を上から基礎全体に振りかけるようにして隙問なく入れた。 その後煉瓦を足で軽く踏みつけながら揺すり煉瓦がぐらっかないようになるま で落ちつかせた。基礎は、煉瓦を一通り並べ終わった時点で、必ず少し離れ左 右のバランスや窯の形の確認をするように心掛け、また、加重の一番かかる焚 きロの基礎は強度を得るためと、ゆるみのでないようにコンフリー1・で強化し た。このような作業は一一i見無駄のような気がするが、実は、窯の重さを支えな. ければならない土台作りには非常に大切なことである。. 次に基礎の一部である内側の焼成室地盤を耐火煉瓦の大きめのものを土止め として使い、階段状に固めた。それは第一に勾配(目標勾配16度)をきちんとと ること。第二に天井を組んでしまうと地盤の作業が非常にやりにくいこと等が あげられる。. {3)平面の基本の形 設計した穴窯の平面図は図一12のとおりであり、穴窯の平面の形は、ろうそ くの炎の様な形とした。古い窯がすべてがそのような形であったわけではなく、. 瀬戸や信楽の古い窯を見ても、胴の部分だけがふくらんだ形や、焚きロが輪の 頭のように大きくて、奥へいくほど細くなっている形もあり、瓶ばかりを焼い ていたような窯は、逆に奥のほうが大きくなっている窯もある。しかし、基本 的には、ちょうど杓子を逆にしたような形が、焼成時に温度が上がりやすく、 温度管理が用意で島陰をじっくり焼くことができるむらの少ない窯である。こ れらのことは、ちょうどロウソクが燃えるときに美しい紡錘形に近い形になる ことから火のながれを考えに入れた形態である。 この形を決めるには、土台の地山に砂を全体に敷き大型の煉瓦を細かく揺り 動かして密着させた。そのとき注意しなければならないのは、設計図の内径の 寸法に正確に合わせ煉瓦を並べ固定することであった。また、煉瓦と煉瓦との 問は目地砂を埋めるため、指一本程度が入るよう余裕を持たせた。次に、煉瓦 の隙間に、砂を基礎全体に振りかけるようにまき、目地にこみ煉瓦の安定を図 るようにした。. また、煉瓦の安定を図るため、足で踏んだり、たこ2)や槌で軽く煉瓦を打ち 動かないように落ちつかせることも大切である。基礎になる部分の煉瓦を一一通. り並べ終わった時点で、少し離れて基礎全体のバランスを何度も確認するよう にしなければならなかった。. (4)縦断面の形 穴窯(図12)の縦断面は、全体が弓のような流線型でこれはどの窯にも共通す. 15.
(19) る形である。設計図は、平均的な天井の縦断面を示したものであるが、天井の カーブが終わる点は、穴窯の奥行きの、焚き口から4分の3程度のところであり、 この点のあたりから奥の天井は床とほぼ平行になる。この形も、基本的には炎 の形をベースにしており火のぬけが無理なく行われるように配慮したものであ る。その考えに従って、アーチの柱、掻くみを行ったが、基本的には竹により 内枠を作りアーチを組む方法をとった。竹を使用する理由は、孟宗竹の強い弾 力を利用し煉瓦の重量に十分耐えることができることと、比較的自由に曲線を 作ることができると考えたからである。竹による内枠作りは、あばらになる竹 を胴体に巻いた竹と煉瓦の問に挟むが、長すぎると下の地面につかえてしまい 非常に組みにくいものとなる。逆に短すぎると挟まれる部分が少なくなり安定 の悪いものとなる。また、割竹の幅によって弾力が強すぎたり弱すぎたりする ことがあるが、適材適所に使うことによって欠点を長所として扱うよう心掛け ることとした。 窯の高さを3尺数寸(90cm)と設計したがこれは、比較的腰高 の窯は灰が高く飛び緋色が出やすくなると言う仮定の下に設計したものである。. この効用については、実験結果を待つことにする。. (5)横断面の形 天井の高さが同じでアーチの付け根になるところの間隔が広がれば広がるほ ど、アーチのカーブがゆるくなって平天井に近くなり、天井が弱くなってきて、. 窯がつぶれやすくなる。いちばん丈夫なアーチは、トンネルと同じく横断面が 半円で、窯の天井が半球に近い形となるアーチである。条件としては、この形 が一番良いがあまり極端に半円形にすると、窯詰めが非常にやりにくくなる。. したがってアーチを半円より少し平たい形にすることが大切である。窯の故障 のうち、一番多いのはアーチの故障であり、アーチの形は慎重に決めなければ ならない。. またアーチを作る場合に、. 焼きたい作品によって、地面 から直接アーチを作る方法と、. まず側壁の煉瓦を積んで立ち. 上がりを作り、それにアーチ をつける場合とがある。側壁 の有無によってずいぶん天井 の高さや窯の大きさが変わっ. てくる。側壁を積んでアーチ をつけた場合天井が高くなり、. 炎は天井が高くなるほど柔ら かくなり、このような天井の 高い穴窯は、緋色の作品を焼 図一7 アーチの骨組み. くのに都合の良い窯になる。(図7). 16.
(20) これにたいして、窯変や自然ゆうのかかる作品が得られるような窯は、側壁 のない地面から直:接アーチを組むような窯である。. 窯は傾斜面に築くので天井その他の荷重が窯の奥から焚き口にかかってくる。 このことから出入りロの部分はこの荷重に耐える構造が必要である。つまり、. 力学的に窯の奥のほうに向かって押ぎみの状態に勾配を付けて出入り口を作り それにあわせてアーチを作る。側壁の立ち上がりをあまり高くしすぎると、窯 の強度にも関わるので、側壁はあまり煉瓦を高く積まず、低い位置からアーチ を組み始めるほうがよいと考え設計をすすめた。しかし、実際の施工では、側. 壁を5段積んだことから設計よりも15センチほど窯の天井が高くなった。原因 は、内側の心棒を組む段階で、梁や竹の厚みを正確に考慮に入れてなかったた めである。このことが焼成の時にどのように影響するかという課題が残った。 (6) ロストルについて. ロストルとは、本来焚きロの真下の地面を. 50センチから60センチ掘り下げて、窯の床 と同じ面に、対象煉瓦を間隔を開けて並べ、. そのすき間から2次空気を窯のなかへ取り入 れるようにした設備である。ロストルをつけ ると、焚き口で燃える薪は、ロストルから吹 き込んでくる2次空気を受けて非常によく燃 え、窯の温度は上がりやすい。しかし、本研 究で実験する窯では基本的に最も原初的な窯 を作ることが基本理念であり、このロストル については改めて設置せず、あぶり焚きの時 に用いる下の焚きロで、空気穴をとるよう設 計した。(図8). 図一8 ロストル. (7)窯の幅、高さ、奥行き 窯の幅、高さ、奥行きの寸法は全体のバランスが一番大切である。つまり天 井の高さは、焼成する作品の種類ときわめて深い関係を持っており、幅と奥行 きは、相互に関連しつつ昇温に関係が大きい。例えば、幅が一間(2メートル)の 窯であれば、奥行きは一間半く3メートル)から二間の間まで(5メートル)、高さは. 三尺(90センチメートル)から四尺(120センチメートル)前後が適当であるとされ. ている。また、一一番温度が上がりやすい窯の大きさは、奥行きが一問半(3メー トル)から二間半(5メートル)での窯であり、これ以上長くなると焼成がかなり困. 難になると考えられている。つまり、焚き口で燃焼した薪の炎がそれ以上延び ていかない。従って、奥の温度を上昇させることは困難となるからである。こ れらのことを考慮して施工の実際は訪日12のとおり、奥行き3.3メートル、高さ 1.2メートル、幅1.2メートルとなった。施工上の苦労は、すて問の寸法にもう. 17.
(21) 少し余裕を持たせたかったことと、煙突の位置が少しずれていたため、煙道を 斜めにしなければならず手間を要した。. (8)壁厚 穴窯の側壁や天井の厚さについては、極端に言うと壁の厚さが厚ければ厚い ほど熱が吸収され窯の温度は上がりにくくなる。このことは、山の斜面を堀抜 いて作られた穴窯をみると、焼成温度が上がらず焼き損じの作品が多いことか らも明らかである。しかし、逆に壁厚が厚いと窯の温度は逃げにくくなり窯は 冷めにくく、徐冷に適する。したがって徐熱、徐冷を必要とする作品を焼く場 合は、壁厚を厚くするほうがよい場合もあり、作品の内容によって壁厚を変え ることが大切である。ちなみに志野などを焼く窯は徐熱、徐冷を必要とするの で窯の壁厚は30センチ位にもなっている。 信楽の窯は、おおむね七寸から八寸(24セ ンチメートル)が適当な壁厚であると考えら. れており、その寸法はちょうど耐火煉瓦の縦 の寸法である。当実験窯においても信楽窯を 参考にして耐火煉瓦を縦に使用するよう設計 した。また、煉瓦の積み方は互いに煉瓦の半 丁ずつをずらしながら積むイギリス積みの工 法を使用した。(図9). 図・9 耐火煉瓦のイギリス積み工法 《9)捨て問 薪の熱量を煙突に直接逃がしてしまわないようにいったん火を遊ばせる部屋 のことを捨て問あるいは、火遊びの問という。古い昔の窯を見ると、この捨て 問を設けている窯はほとんどない。構造的には直接煙突へつながっているが、. この捨て問は煙突の引きとかなり深い関係をもっている。志野を古い窯を復元 して焼いている作家の窯には小さな捨て問があるが、多治見のような古い窯で これを設けているものは少ないようである。. しかし、この捨て問という小さな部屋 があることによって煙が煙突からストレー. トに外部へ逃げず、ワンクッションおい. て煙突にでていくのでいろいろな焚き方 をしてもその影響が極端に出るというこ とはなく、焚き方の操作で決定的に重大 な失敗につながること力沙ないといえる。. 当実験窯でも捨て間を作ることで窯の 火をいったん止め熱効率の良い窯をめざ. 鐙二=謡 r:,st.,L.. した。捨て間と本体のつなぎめには、. 図一10. (図10). 18. 捨て問. ・獄蟹.
(22) 高さ20センチから30センチほどの狭間穴3)を設けた。狭間穴は大きな穴を数 少なく設けるよりも、小さめの穴を数多く設けるほうが炎をきれいに分散させ ることができ、むらの無い焚き方ができ蓄熱の効果もよい。つまり穴隙にしろ 登り窯にしろ、蓄熱によって窯内の温度を上げていく。窯の中を通過していく 炎の熱だけでは、温度は上がらない。通過する炎の熱を止め、有効に熱をストッ クするための部屋が捨て問ということになる。. また、築画した穴窯の煙道は、距離をほとんどとらず、捨て間から30セン チ程度のものとした。実際には耐火煉瓦を両脇に積み棚板でふたをし、その上 をイソライト煉瓦で囲い保温をはかるよう工夫した。煙道を短くしたことは、 炎や煙の引きを強くする効果が現れるものと考えたからである。. (10)煙突の長さと太さ 煙突の長さと太さは、窯の燃焼室の容量によっ. て決定される。当然のことながら燃焼室の容量 が大きければ煙突は太くなり、長く設計される。. 引きを良くするためには煙突を太く長くするの が効果的であるが、大きすぎると煙突の引きす ぎにより、窯の温度の上昇が妨げられる。煙突 と太さ長さは、相対的な関係にあることを考慮 して設計することにした。ちなみに、窯の幅が 2メートル、奥行きが3メートルの窯で煙突の. 直径は30センチ前後、高さは2メートル弱位が 適当であると考えた設計を進めた。また、その 寸法は、耐火煉瓦を長方形に並べた時の寸法. であり、その寸法を生かすよう心掛けた。1図11) 図一11煙突 耐火煉瓦34番4》による煙突組み12段を組むこと。煉瓦積みの問題は、垂直 と水平を正確にとることが非常に難しい。積んでいく段階で目地のモルタルに よって調整するが、ゆがみが生じやすく水準器で計測しながら修正することに 神経を使った。また、モルタルの乾き具合に微妙なものがあり、堅すぎず軟ら かすぎずのモルタルの調整が難かしい。また、上部に積むにしたがって天井と の隙間が小さくなり作業は困難を究めた。. その後、イソライト煉瓦による煙突を12段組み、赤煉瓦による5段積みとし た。このイソライト煉瓦に切り替えた理由は、ひとつは煙突の軽量化にあるが もう一つはイソライト煉瓦の耐火度の実験にある。イソライト煉瓦は、耐火煉 瓦とは違い断熱煉瓦に属し熱の遮断が特徴である。しかしながら、強度的に少々 不安が残りその強度実験もかねることができると考えた。この点については、 焼成実験を行う時の課題でもある。 天井との境目より赤煉瓦に切り替える。これは赤煉瓦に切り替えることによっ. て寸法を小さくし、煙突が屋根の隙間を抜けやすくするためであり、また、煙. 19.
(23) 突上部の寸法が小さくなることによって煙突の引きが良くなると考えられるか らである。また、イソライト煉瓦を重量のある赤煉瓦で押さえることができ、 煉瓦の収まりをよくすることができると考えた。 {1一 1.)窯内部の設計. 窯の勾配調整、床のかさ上げ、耐火度の強化を図るため床に耐火煉瓦を敷き その上に棚板を敷いた。特に耐火度の強化については、新しく盛り土をした窯 なので床が焼成時に下がり陥没する恐れがあり、耐火物を入れ床を強化する必 要があった。今回の窯内部の設計で課題となったのは耐火煉瓦を敷き床を上げ ることを見越して窯内部の高さを決めることであったが、実際の施工では、窯. の天井が前に述べたように15センチほど高めにな妖結果的に天井との高さに 余裕が持て後の作業がスムーズに行うことができた。この余裕がなければ、天 井が相対的に低くなるという問題にあたったと考えられる。. 20.
(24) 温度計. 1. p, 1蝋i一一一L. }. ;. 1. ’. 」. 1. 一. 1 ,. 〆〃. 1. i. l. 闡O. @ @ 」. b. @ 1. 1. 旨. 1. ’. Fi l. t i. レ 捨て間 ζ. ーき口 @ , ;. 1. 仁 1. 怐Q1 .1,... 1. o一煙突 一一々z. 禽 州. ・. i ム. 1. i. P. ’i. 4一一一一斗一. @ 医. さま穴. 温度計 @. P. レ. }口 1’} 1. ト. 因. ト. 一pt.一+一ny−in一一一. @: nL 40 li. 塁 i. t. 8 の e l. T’1,llti一一一一. ;:L!. b−ttwPve”± 、軌瀞ぜ. f. 捨て問. 蔽計’. さま穴・. l奥. i!. 函 ≒ ”. tsuo ,..一;1. 温四. a’t. 手前 一’. ウ款. ホ前打. ふ 1. 図一12. .1. ii・ e. i /i’.. rf. 煙突. 穴窯設計図. 1. 最大幅120 単位(cm). 21. 1. 1. 「. 最大高さ120’. 奥行き330.
(25) 注記 1). 前出. 2}. 土をつき固めるための道具その姿からたこ足とも呼ばれる. 3). 捨て問との境の壁に開けた、炎の通り抜ける穴のこと. 4). 耐火煉瓦34番の番号は耐火度の番号であり、この煉瓦は1400度前後の 温度に耐える. 22.
(26) 第三章 焼成実験 1.実験条件 本研究の目的は、焼き物を穴窯で焼成したときどのような条件で緋色が現出 するかを実証することであり、その要因を探求し、科学的に考察してみること である。そこで二二した穴窯で実際に焼成実験を行うこととしたが、実験に際 し焼成実験の条件設定を緋色の要因に大きく関係すると推測される下記の四つ にしぼり、三回の実験を実施し考察をすすめることとした。 (1)土. 焼き締めの陶器にとって、土ほど大切なものはない。いっさい紬薬をかけず 焼成することで、土の地肌がそのままの味としてでることになるからである。 従って、土の良し悪しが作品の肌の美しさを決定する一一番のポイントとなる。. 陶工たちは、土を探す段階から、実際に掘る場合、乾燥させたあとろくろの上 で使えるようにするまで、全部自分の目でチェックし、自分の手で確かめるほ どである。また、紬薬をかけ焼成する焼き物の粘土は、自然の原:土を水簸1)し、. そして土のなかの鉄分を丹念に抜く。このようにすることで紬薬の色の発色を あざやかにする。それに反して、焼き締めの焼き物は、土を殆ど原土のまま使 用し土味を出すよう工夫することが多い。特に、粘土のなかに含まれる鉄分は 緋色の焼成に重大な要素であると考えられ緋色を出すためには、素地土に少し 鉄分が含まれていることが条件になると思われる。また、その原土の肌合いは 焼成巾に炎が表面にあたる面積を増すことが重要で、小石や砂の混ざった粘土 は緋色を出すには都合の良い土だと考えられ、信楽、備前等焼き締めを主とす る産地で使用している土を中心にして実験することとした。. (2)焼成方法 穴窯での焼成は薪焼成であり、酸化焼成、還元焼成のできる窯で緋色の現出 に大きく関係すると考えられる。. 焼成は、窯詰めと並んで重要な作業である。何日もかかって作った作品の総 仕上げがこの焼成如何で決まるからである。 焚きはじめの頃は、暗い窯のなかで赤黒い煤煙の多い炎がゆらゆらと流れて. いる。これがだんだんと時間がたち、窯の熱がたまってくると、なかは次第に 明るくなり、ついには真っ赤に透き通って見えるようになる。 初めの赤黒い炎は還元煙2}であり、透き通った炎は酸化煙3)である。焼き. 物では、一言でいうと酸化はよく焼くことであり、燃料を充分燃焼させること である。また、還元とは燃料の比率を酸素の量より多くして焚くことである。 穴窯ではこの状態が交互に繰り返されるが、特に酸化焼成は焼き物を単に焼く. 23.
(27) というだけでなく素地土の安定への反応を行う重要な課程である。. 最初の三日間ぐらいはただ温度を上げていけばよいが、三日目をすぎる頃か ら薪の数も増え窯内の色も、炎が赤色からオレンジ色に変り最後には白熱して くると考えられ、煙突の煙は、白い色の煙から炎に変わり、五日圏窯焚きはピー クをむかえると予想される。窯のなかにある作品が灰をかぶり、炎を受けて肌 がオレンジから白く光だす、この炎の流れが作晶に窯変を起こし緋色を描き出 すとも考えられる。. よって本研究の、第…回目の焼成は還元状態の多い焼成法とし、第:二回目は 酸化状態の多い焼成法というふうに焼成の仕方を変化させ、両者で現出される. だろう緋色を比較検討する。第三回目の焼成は第一、二回の焼成法の結果より 判断し決めることとした。. (3)焼成時間と温度 原始的な穴窯の焼成は、登り窯などと比べると効率が悪く長時間(五日間程 度)の焼成が必要となる。穴隙は最:も原始的な窯で日本では須恵器の時代から この形式の窯で焼き物を焼いていたようであるが、後に朝鮮を経てつたわった 登り窯と比べると非常に熱効率のわるい窯のためである。しかし、この欠点と も言える長時間での焼成が窯の中の作品に色々な影響を与え、緋色を含む様々 な窯変を出現させる大きな原因となると考えられる。特に、粘土が焼結してい くときには、内部に含まれる水の分子、粘土の分子などがゆっくりと反応する ためには長い時間が必要なのである。 信楽の穴窯は、丹波の蛇窯とは逆に窯の保温性を利用して、長時間の焼成を 行い、素地土自体も丹波とは異なっており自然紬の色や作品の焼きしまり方に もかなりの違い見られる。また、登り窯と比較しても、構造的なことから書え ば、穴窯は薪を燃やす燃焼室と、作品を入れる焼成室とが同一である。登り窯 は、一一番最初の部屋つまり胴木の問が燃焼室であり}’次の間が一の間、二の問、. 三の問と言うように焼成室が続き燃焼室と焼成室とがはづきりと別れている。. このことが、登り窯の四温は時間がかかるが冷める速度が遅く、結果的には徐 冷のきく良い窯であり、穴窯は、冷める速度はどうしても速くなる。また、登 り窯は燃焼室の焚き口を開いても、焼成室の温度が急に下がることはないが、 穴窯は焚きロを開くと直ちに焼成温度にむらが生じる。このように、登り窯と 三主とでは、構造上のいろいろな特徴がある。しかし、この熱効率の悪さが作 品に色々な窯変を起こさせる最も大切な要因となる。つまり、温度を上げよう としてもなかなか思うようには昇温しない窯を工夫して長時間焚くことで窯変 のなかでも難しいとされる緋色の効果が得られると考えられる。. よって今回の穴窯での焼成は、ガスバーナーで24時間のあぶり、薪焼成で 100時間前後の焼成を行うこととし、焼成最高温度の目標を火熱で1250度とし た。1100度以降の昇温が非常に難しく熱効率の良い赤松での薪焼成が必要条件 24,.
(28) となるであろう。また、火前と火後ではスムーズな昇温が得られたとしても 100度前後の温度差があると考えられるが、このことは、窯詰めにも影響し、 当然ながら緋色の出かたに大きく関わる条件と考えられる。なお、温度計測は 火前と奥の二点を計測場所とし陶芸用温度計(柳北信陶園)を使用し、一時間ご との温度を記録することとした。. (4)作品の形状及び設置場所 次に緋色の現出に作品の形状が関係するか否かをみる必要がある。ここでは 第一、第二、第三囲の実験ににおいて何れもほぼ同じような形態で実験ができ るように基本僧形を決めておくこととし、球形(壷、花入れ等)、円柱形(花 器、筒花入れ等)、楕円形(徳利、花入れ等)、平面の板(板皿、陶板)を焼成. する事とした。そしてこれらの形を様々な形で重ねたり、接触させたりなど変 化のある設置の仕方を心掛けた。作品の設置は、和i薬を一切使わず絵付けを全 くしない焼き物にとって、作品の上にどのような変化を起こさせるか、作土の 肌にどのような緋色を写し取ることができるか判断するうえで大切な作業であ る。窯詰めの出来不出来が焼きの状態を決定するといっても過言ではないから である。具体的には、火の回り具合、作品と作品との距離、接触具合、大小の 作品の置き方、焚きロとの距離などを考慮して窯詰め作業を行うこととした。 穴窯は、登り窯のように薪の燃焼室4》と作品の焼成室5)が別れていないた め、平均的には、焚きロを2尺(約60センチ)程度あけて、このスペースを燃焼室 とし、それからさらに1尺(約30センチ)ぐらい窯の奥に入ったら棚を組み、作品. をおく。捨て間に近い場所には、作品の大きさに関係なく緋色に類する焼き上 がりを期待する作品をつめた。ただし、緋色は土によっても出方が違い、土の 種類によっては全然出ない場合もあると考えられるので、徐々に馬前のほうに さがって、奥行きの中間ぐらいの範囲から自然紬がよくかかるようにした。つ まり、前列が焦げと灰かぶりの作晶、中間は自然和、それより奥は緋色の作品 だけになるという原則的な推論に従って窯詰めに際し考慮したのである。. 25.
(29) 2.第一回焼成実験 (1)日時. 窯詰めを平成8年2月27日、あぶり焚き2月28臼、薪焼成は2月29日∼3月3日ま で行い、冷却は焼成終了後3日間行った。. (2)実験条件 1.)土. 信楽土 eg 一一回目の焼成実験で使用したhは、信楽、篠原、備前とした。また、信楽. 土においては、通常よく使用される緋色がでやすいとされているものと、鉄分 の多い信楽赤土を使用した。その成分比率は下記のようである。 SiO2. (珪酸). TiO,. (酸化チタン). 0.41パーーセント. Al,O,. (酸化アルミ). 23.86パーセン}・. Fe2Q3. (酸化鉄). 61.93パL・一・一セント. 1.21パーセント. 信楽赤土 SiO2. (珪酸). TiO,. (酸化チタン). 0、41パーセント. AI,O,. (酸化アルミ). 23.86パーセント. Fe203. (酸化鉄). 61.93パーセント. 2。34パーセント. 篠原粘土 古信楽の粘土に最:も近いと考えられる篠原粘土を使用することにした。信楽. の代表的な粘土は、黄の瀬と呼ばれる地域でとれる鉄分の少ない蛙目粘土であ るが、これは現在枯渇した状態にあり以前のような良い粘土が出なくなってお り今は信楽よりもう少し琵琶湖に近い野洲町でとれる篠原土を使用している。. この土は、信楽の黄の瀬と同じ古琵琶湖層にあり、成分的にも殆ど昔の黄の瀬 土に同じであることから、今回はこれを実験土のひとつとし緋色の出方をみる こととした。その土の化学成分分析比率は、次の通りである。 Sio2 (珪酸). Tio,. 61 .92パーセント. (酸化チタン) 0.41パーセント. 26.
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