卒業論文 2000 年度(平成 12 年度)
オリンピック広域開催
―オリンピックと開催都市の
よりよい関係を考える―
一橋大学 社会学部
学籍番号 77105
小泉 理恵
目 次
はじめに………4
第1章 オリンピックの現状と課題………7
第1節 肥大化………7
第2節 環境問題………12
第1項 環境問題認識の遅れ………12
第2項 環境破壊の実情………13
第3項 リレハンメル冬季オリンピック大会の
「グリーン化計画」……15
第 4 項 長野冬季オリンピック大会………16
第3節 開催都市の負担………18
第1項 オリンピックの転機:
第 23 回ロサンゼルスオリンピック大会……18
第2項 インフラ整備の負担………20
第3項 経済的負担………24
第 4 項 オリンピックは
経済効果をもたらすか………28
第2章 オリンピック広域開催とは………30
第 1 節 オリンピック広域開催の定義……30
第 2 節 オリンピック憲章と開催都市……32
第 1 項 オリンピック憲章………32
第 2 項 1都市開催の原則………34
第 3 節 横浜市の 2008 年
オリンピック大会立候補案………37
第 1 項 イエーテボリと
アルベールビルの例………37
第 2 項 横浜市の掲げた理念と計画の特色……38
第 3 項 2008 年 横浜オリンピック大会概要…43
第 3 章 オリンピック広域開催のメリット…49
第 1 節 環境負荷の軽減………49
第 1 項 新規施設建設の抑制………49
第 2 項 エネルギー需要の集中を回避する……50
第 2 節 交通の一極集中の回避………51
第 1 項 交通の過密による混乱を避ける………51
第 2 項 排気ガスの抑制………52
第 3 節 支出の削減………53
第 1 項 大会全体のコスト削減………53
第 2 項 都市の負担軽減………54
第 4 節 広域的連携の充実と継承…………55
第 5 節 市民ボランティアの参加…………56
第 4 章 オリンピック広域開催の
問題点とその解決策…………58
第 1 節 選手への負担………58
第 2 節 交通網の整備………61
第 3 節 一体感の欠如………64
第 5 章 結論………70
終わりに………73
主要参考文献………75
付属資料Ⅰ
付属資料Ⅱ
付属資料Ⅲ
はじめに
1998 年 2 月、大学 1 年生だった私は友人と夜行列車に乗り、長野冬季オリ ンピックを観に行った。初めてノルディックスキーのジャンプを目の前でみ たときの感動は忘れられない。90 メートルもの高さのジャンプ台から人間が 降りてくる様は、まさに鳥のようであった。寒さを忘れて競技に見入った。 しかし、ジャンプ会場のある白馬村の様子は少し奇妙だった。バスを降り てから会場まで続く道の両脇には土産物店などが並ぶが、目立つのはオリン ピック・スポンサーの仮設ブースや出場選手の所属企業のブースである。ま た、応援用の旗やプログラムなど、いたるところで目に付くのはスポンサー 企業のロゴマークである。極めつけは会場内の売店である。万単位の観客が いるにもかかわらず、10 台のレジがあるかないかのコカ・コーラの売店しか ない。その他に飲食物を売っているところはないのである。商業主義のあま りの浸透に驚くと同時に、駅を降りてからずっと感じていた地元の盛り上が りの低さが納得できた。厳しい寒さのなか多くのボランティアが駐車場の管 理や観客の誘導にあたる一方で、おいしいところだけをもっていく人々がい ると感じた。 長野の人々はオリンピックがきて良かったと感じているのだろうか?オリ ンピックは一体長野に何をもたらしたのだろうか?このような疑問をもとに、 昨年長野オリンピック招致の背景とオリンピックの遺産について調査し、 「オリンピックと町おこし―長野冬季オリンピックから考える―」というレ ポートを作成した。ここでは、大規模な競技施設の建設と後利用が県や市の 財政を圧迫し、高速交通網の開通が県内の消費者を首都圏へ流出させ、また オリンピック後の長野が「五輪不況」ともいえる状態にある、という驚くべ き事実が分かった。オリンピックは長野の町おこしには大きすぎたのだと思 い、今後ますますオリンピックが大規模化すれば、開催都市が支えきれなく なってしまうのではないかと感じた。 そこで、都市の負担を軽減し、近年のオリンピックが抱える問題点を解決 するための一つの手段として、オリンピックの広域開催があるのではないかと思い、これを卒業論文のテーマとした。この論文では、開催都市の人々が オリンピック終了後に「自分たちの街にオリンピックがきて良かった」と思 えるような、オリンピックと開催都市の良好な関係を目指して、都市の側か らオリンピックについて考えていきたい。 まず第 1 章では、現在のオリンピックが抱える問題点のなかから、「肥大化」、 「環境問題」、「開催都市の負担」という特に開催都市と関わりが深いと思わ れる問題について述べる。環境問題については、カナダの環境コンサルタン トであり、早くからスポーツのグリーン化に取り組んできたデイビット・チ ェルナシェンコ氏の主張をもとに、オリンピックが環境に与える影響につい て述べる。開催都市の負担については、1984 年の第 23 回ロサンゼルスオリン ピック大会以後、オリンピックと開催都市の関係がどのように変化し、開催 都市にどのような負担がかかるようになったのかについて述べる。 第 2 章では、オリンピック広域開催の定義付けを行い、オリンピック憲章 の掲げる 1 都市開催の原則との関わりについて述べる。また、具体例として、 2008 年オリンピック大会に立候補していた横浜市の広域開催によるオリンピ ック大会開催計画の理念や概要について述べる。 第 3 章では、横浜市の例をもとに、オリンピック広域開催のメリットを挙 げ、第 1 章で述べるオリンピックの問題をどのように解決することができる のかについて考える。既存施設活用による環境負荷の軽減、エネルギー需要 や交通の一極集中の回避、オリンピック大会運営費の削減や都市の経済的負 担の軽減、さらに広域的連携の継承や市民ボランティアの活用といった幅広 い面でのメリットについて考察する。 第 4 章では、選手への負担が重いことや、交通網の整備、一体感の欠如と いったオリンピック広域開催のデメリットと考えられている点を挙げ、それ らがほんとうに広域開催の問題点なのか、またメリットを上回るほどのもの なのかを検討する。 最後に第 5 章では、第 1 章から第 4 章までの議論をふまえて、結論として オリンピック広域開催は今後のオリンピック大会に必要となってくる考えな のかどうかについて述べる。
オリンピックは近年、招致に関する IOC 委員の汚職や閉鎖性などの IOC 自 身の腐敗、ドーピングの問題とその背景にある商業主義やアマチュアリズム の崩壊など、さまざまな問題が指摘され、批判を受けることも多い。しかし、 私はそれでも、人を感動させ、人々の心を一つにすることができるスポーツ の力を信じたい。私が長野冬季オリンピックで味わった感動を、今後も世界 の多くの人が味わうことができるためには、近代オリンピックの 100 年を振 り返り、改めるべきところは改め、新しい意見を取り入れるべきところは取 り入れ、オリンピックを変革していかなければならないだろう。その変革の 一つとして、私はオリンピックの広域開催を提案する。 社会学部 4 年 小泉 理恵
第1章 オリンピックの現状と課題
近代オリンピックの誕生から 1 世紀が過ぎ、今日オリンピックは様々な問 題を抱えていると言われる。行き過ぎた商業主義の結果、スポンサーがオリ ンピック大会に大きな影響を与え、ドーピングが深刻な問題となっている。 商業主義はまた、多くの種目でプロ選手の参加を認め、オリンピックのアマ チュアリズムは崩壊しつつある。招致活動における IOC(国際オリンピック委 員会)委員の汚職など IOC 自身の腐敗も指摘されている。自然環境への影響 も近年数多く指摘されている。第1章では、このような問題のなかから、特 に本論文のテーマであるオリンピックと開催都市について関係が深いと思わ れる問題について、考察していきたい。第 1 節 肥大化
オリンピックは大会ごとに大きくなっている。2000 年シドニーオリンピッ ク大会の競技数は前回アトランタオリンピック大会の 26 にテコンドーとトラ イアスロンの2つが加わり 28 に、種目数は 29 増えて 300 となった1。1900 年 のパリオリンピック大会の種目数が 60 であるから、100 年間で 5 倍になって いる。第 2 次世界大戦後、種目数は増加し続けている。また、参加国・地域 は 100 年間で 19 から 200 とおよそ 10 倍になり、参加選手も 1066 人から 10321 人へと 10 倍近くになっている2。 冬季大会においても、1924 年の第 1 回シャモニー・モンブラン大会が 14 種目であったのに対し、1998 年の第 18 回長野大会は7競技 68 種目と、種目 数が 4 倍以上になっている3。参加国・地域は 16 から 72 へと 4 倍以上に、 1 図1参照 2 図2参照 3 図3参照図1 オリンピック競技数と種目数(夏季大会)4 図2 オリンピック参加選手数と参加国・地域数(夏季大会)5 4『近代オリンピック100 年の歩み』ベースボールマガジン社 1994 年 p.433 のデータをもと に著者が作成 5 同上
図3 オリンピック競技数と種目数(冬季大会)6
図4 参加選手数と参加国・地域数(冬季大会)7
6 同上 7 同上
参加選手は 258 人から 2339 人へと 10 倍近くになっている8。 近年の競技・種目の増加の背景には、テレビの影響力の増大があると考え られる。2000 年シドニーオリンピック大会の放映権料の総額はおよそ 1420 億円にのぼる。シドニーオリンピック大会組織委員会とオーストラリア・オ リンピック委員会の総収入の44%を 863 億円のテレビ放映権料が占める。シ ドニーオリンピック大会の放映権料は前回アトランタオリンピック大会の 1.5 倍であり、高騰に歯止めがかからない。図5から分かるように、1984 年の ロサンゼルスオリンピック大会を境に、日本やアメリカ、ヨーロッパが支払 う放映権料は倍増し続けている。IOC(国際オリンピック委員会)は放映権 料を収入の柱の一つと考えており、高額な複数大会契約を押し進めている。 図5 オリンピック放映権料の推移9 日本 アメリカ ヨーロッパ 年度 開催地 金額(ドル) 金額(円) 金額(ドル) 金額(ドル) 1960 ローマ 5 万 60 万 60 万 1964 東京 50 万 1 億 8000 万 100 万 38 万 1968 メキシコシティー 60 万 2 億 1600 万 850 万 100 万 1972 ミュンヘン 105 万 3 億 7800 万 1350 万 170 万 1976 モントリオール 130 万 3 億 9000 万 2500 万 455 万 1980 モスクワ 850 万 18 億 7000 万 8500 万 595 万 1984 ロサンゼルス 1850 万 46 億 2500 万 2 億 2500 万 1980 万 1988 ソウル 5000 万 77 億 5000 万 3 億 2800 万 1992 バルセロナ 5750 万 88 億 4 億 100 万 9000 万 1996 アトランタ 9950 万 84 億 5750 万 4 億 5600 万 2 億 5000 万 2000 シドニー 1 億 3500 万 142 億 7000 万 7 億 1500 万 3 億 5000 万 2004 アテネ 1 億 5500 万 7 億 9300 万 3 億 9400 万 2008 未定 1 億 8000 万 8 億 9400 万 4 億 4300 万 ※ヨーロッパはすべてヨーロッパ放送連合(EBU) 高額の放映権料を支払ったテレビ側は少しでもその金額を回収しようとし、 様々な要求をするようになる。テレビのゴールデンタイムに合わせた試合開 8 図4参照 9 『WINNERS 2000』新潮社 2000 年 p.399 のデータをもとに著者が作成
始時刻の変更や、テレビ視聴者を意識したルールの変更が行われてきた。 また、より「テレビ映えする」競技や種目が次々と加えられている。前回 のアトランタオリンピック大会では、シンクロナイズド・スイミングのチー ム、ビーチバレー、新体操の団体が加えられ、2000 年シドニーオリンピック 大会では、トランポリンやシンクロナイズド・ダイビングなどが加えられた10。 2人の選手が同時に飛び込み、同調性を競うシンクロナイズド・ダイビング はアメリカではショーとして行われており、人気が高い。新種目の承認は 4 年前というIOC の規定がありながら、このシンクロナイズド・ダイビングが 正式種目として承認されたのは1 年半前である。冬季オリンピック大会にお いても、1992 年アルベールビル冬季オリンピック大会からフリースタイル・ スキーやスケート・ショートトラックが加えられ、1998 年長野冬季オリンピ ック大会ではカーリングが加えられた。華やかさやスピード感のあるテレビ 映りのよい種目が採用される傾向にあるといえる。 開会式や閉会式といった儀典もテレビの影響を受けている。趣向を凝らし たアトラクションが続く開会式は選手が集う場というよりは、世界規模のシ ョーのようである。あまりにも長時間のため、調整を理由に欠席する選手も 多く、本末転倒である。 種目数増加のもう一つの要因として、スポーツにおける女性の地位向上が 挙げられる。以前は男子のみだった種目に女子が加わってきている11。例えば、 1992 年のバルセロナオリンピック大会から女子柔道が正式種目になってい る。また、1996 年のアトランタオリンピック大会から女子サッカーが正式種 目に加わっている。2000 年シドニーオリンピック大会では女子ウェイトリフ ティングが加わった。陸上では、アトランタオリンピック大会から女子三段 跳びが、シドニーオリンピック大会から女子棒高跳びと女子ハンマー投げが 正式種目になった。参加選手全体に占める女子選手の割合は大会ごとに大き くなってきているが、シドニーオリンピック大会でも4 割弱である。ボクシ 10 付属資料Ⅱ 参照 11 付属資料Ⅱ 参照
ングやレスリングなど男子のみの競技や、男子のみの種目に今後女子が加わ る可能性は小さくないだろう。 競技・種目、選手の増加に伴い、取材するメディアの数も増加している。 シドニーオリンピック大会の取材登録者数は17,500 人であり、アトランタオ リンピック大会から4 割近く増加している12。取材登録者の6 割強がテレビ放 送局のスタッフである。 オリンピック大会運営のための資金の多くをテレビ放映権料に依存してい る現状では、今後もテレビ主導の競技・種目の追加や儀典・イベントの大規 模化が予想される。開催都市には選手やコーチ、大会関係者、報道陣、観客 と膨大な数の人間が集まることになる。300 に及ぶ種目を実施し、1万人以 上の選手と2万人近い報道陣、さらに大会関係者や観客を収容できる都市は 世界のいくつかの大都市に限られてしまうだろう。カナダの環境コンサルタ ントでスポーツのグリーン化を提唱するデイビッド・チェルナシェンコは次 のように述べている。 「巨大都市圏だけが夏季五輪の開催を可能としている。冬季五輪の次第に大 きくなる規模と技術的要求は、カルガリのような大都市が選ばれざるを得な いか、さもなくば、リレハンメルのような小さな町に大きな負債を残すかの どちらかになる。13」 小・中都市が支えるにはオリンピックはあまりに肥大化してしまったので はないだろうか。
第
2 節 環境問題
第
1 項 環境問題認識の遅れ
オリンピックにおいて環境問題が意識されるようになったのは 1974 年の 12 2000 年 10 月 2 日付 『読売新聞』 13 D・チェルナシェンコ『オリンピックは変わるか Green Sports への道』道和書院 1999 年 p.76アメリカ・コロラド州デンバーの事例からだろう。デンバーは1976 年冬季オ リンピック大会の開催を決めていたが、資金難や過剰な街の膨張、住環境の 破壊、土地の値上がりの不安などを理由に環境団体が反対運動を起こした。 住民投票の結果、環境派が勝利を収め、冬季大会の開催をIOC に返上するこ とになった。 その後カルガリーが立候補したときにも、スポーツ施設の建設や国立公園 内の開発計画に関して、同様の問題提起があった。また、1996 年の夏季オリ ンピック大会の誘致をトロントが決めた際にも地元の環境団体から批判の声 があがり、1992 年アルベールビル冬季オリンピック大会の開会式では抗議運 動が展開された。しかし、オリンピックにおける環境問題が大きくクローズ アップされるようになったのは「環境五輪」の目標を掲げた1994 年のリレハ ンメル冬季オリンピック大会からだろう。逆に言えば、それまでいくつかの 反対運動はあっても、スポーツ関係者が本格的に環境問題を意識することは なかったということである。 D・チェルナシェンコは著書のなかで次のように述べている。 「我々が総称して“環境”と呼ぶものにスポーツは一定の影響を与えざるを 得ないし、また逆に環境の影響を受けざるを得ない。リレハンメル大会まで、 否、今日でも多くのところで、このことはまだ十分認識されているとはいえ ない。14」
第
2 項 環境破壊の実情
より壮大で華美なオリンピックを求める考えはしばしば浪費と環境破壊を もたらしてきた。1976 年モントリオールオリンピック大会では、最新技術を 駆使した室内自転車競技場がその後 10 年間にわたって数百万ドルの損失を もたらし、結局1980 年代後半には「バイオドーム(室内生物博物館)」をつ くるためにスクラップにされた。また、オリンピック村は地中海気候用に設 計されていたため、亜寒帯湿潤気候のモントリオールでは大会後入居者を見 つけるのが困難であった。 14 同上p.51992 年のアルベールビル冬季オリンピック大会でも、建物が必要かどうか、 環境的・社会的・美的にその環境に対して適切かどうか、大会後経済的に維 持できるのか等を確かめる努力を怠った結果、深刻な環境破壊をもたらした。 強い毒性のあるアンモニアでトラックを凍らせるボブスレーとリュージュの トラックは人家に近いところに建設されたうえに、走路全体が不安定な斜面 に建設された。既存の施設を利用するはずだったスキージャンプ台は不安定 な斜面に永久的な代替物が新設され、それがずり落ち始めると60 万トンもの コンクリートで追加補強しなければならくなった。バイアスロンとクロスカ ントリーの決勝地点は保護下にある貴重な湿地帯に設けられ、ほとんど沼地 を破壊してしまった。また、従来から慢性的な渋滞に悩まされていたアルプ ス高地にある開催地への高速道路は、大会中の交通量をさばくことは無理で あることが分かっていたのにもかかわらず拡幅され、結果として、すでに排 気ガス汚染や森林破壊、侵食などの被害を被っている冬季競技場「スリー・ バレー」にさらに多くの車両が流れ込むこととなった。 モントリオールオリンピック大会やアルベールビル冬季オリンピック大会 に代表される、施設や交通に関わる問題に限らず、スポーツ施設や大規模な スポーツイベントは常にオゾン層の破壊や、動植物生息地や生命の多様性の 喪失、土壌の侵食、水質汚染、エネルギー消費、大気汚染、温暖化ガス排出、 毒性・非毒性廃棄物を生み出す。D・チェルナシェンコは次のような例を挙げ ている。 ・ 典型的な米国・プロフットボールまたは野球のゲームは、地域の埋め立 てゴミ処理場に3万∼5万個の使い捨てコップを捨てる。 ・ カナダの2,300 のアイスアリーナと 1,300 のカーリング用リンクは、毎 年、100 万ワット以上の電力を消費し、大気にアンモニアと CFC 冷却液 を放出する。 ・ たいていのスイミングプールではバクテリアと藻を処理するために危険 な塩素ガスを使う。 ・ イギリス・スポーツカウンシルのナショナルセンターは1 年に数百万ド
ル近くのエネルギーを消費し、大気に約50 万トンの二酸化炭素を排出す る。15
第
3 項 リレハンメル冬季オリンピック大会の
「グリーン化計画」
これらの問題をふまえて、リレハンメルは第17 回冬季オリンピック大会の 開催地に決定した1 週間後、冬季オリンピック大会の「グリーン化計画」を 公約した。開発業者と環境保護者は当初対立していたが、双方の粘り強い交 渉によって、計画が立案され、主な開発工事はすでに比較的集中して住居や 企業に使用されている区域に制限された。全ての大会建造物が安全で優良な 材料で建設され、換気が十分で静かであるようにと、入札に名乗りを挙げた 施工業者らには様々な条件のリストと環境影響アセスメントの見本が配布さ れ、これらを考慮に入れることが、入札の際に重要になった。 廃棄物については、極力少なくすることとし、どうしても必要なものにつ いては、材料やエネルギーのリサイクル奨励がされた。地元の家々や企業に その場で廃棄物を分離するよう奨励し、新しいリサイクル施設を開設した。 その結果、ごみ集積場に出されるごみの量が60%程度に減少した。大会組織 委員会に物資を提供する企業は一定の環境要求に従わなければならなかった。 大半をコーンスターチやじゃがいもで作った皿やフォークやナイフは使用後、 動物の飼料や堆肥になった。競技プログラムはコレクター用にプレミア付で 売ることを考え、そのように設計された。大会施設はできる限りエネルギー 効率を高めるよう建設され、通常の建物よりも少なくとも30%消費エネルギ ーを削減している。 リレハンメルのこのような取り組みは完全ではなかったが、世界中の多く の人々の目をスポーツと環境問題に向けさせた。資源やエネルギーを浪費し、 周辺の自然環境を破壊し、住環境を悪化させるオリンピックから、環境に配 慮した「グリーン・オリンピック」への第一歩となり、様々な基準をつくっ た。 15 同上p.31・32第
4 項 長野冬季オリンピック大会
リレハンメル冬季オリンピック大会の4 年後の第 18 回長野冬季オリンピッ ク大会は「自然との共存」をスローガンに開催された。しかし、1980 年代後 半の招致段階では、志賀高原岩菅山のスキー滑降コース建設を核とした周辺 の大規模な開発が計画の中心となっていた。堤義明氏が社長を務める国土計 画(株)は焼額山スキー場やごりん高原スキー場など志賀高原の開発を進め てきた。その次の標的が岩菅山であり、堤氏の岩菅山開発と長野オリンピッ ク大会招致にかける意気込みは並々ならないものであった。志賀高原はすで に200 軒近くの宿泊施設と 60 以上のリフト・ゴンドラをもつ 1,060 ヘクター ルものスキー場22 ヶ所を有する国内最大規模のスキー場である。そのなかで 岩菅山周辺は豊かな自然が残されている数少ない場所であったため、地元の 環境保護団体はこの開発に強く反対した。綿密な調査やシンポジウム、メデ ィアへの働きかけ、JOC や行政への要請など粘り強い反対運動の結果、岩菅 山開発は断念され、白馬村の八方尾根が代替地とされた。反対運動の中心で あった町田和信・長野県自然保護連盟副会長は1991 年の IOC 総会で長野開 催が決定した際、次のように述べている。 「とりわけ、自然破壊となる岩菅山滑降コースの開発計画を、自然保護を主 張する国内外の世論に応えて断念し既設コースに変更したことが、長野決定 の大きな力になったと確信している16。」 しかし、代替地とされた八方尾根でも滑降コースのスタート地点をめぐっ て最後まで対立が続いた。1991 年の開催決定の段階では、スタート地点は国 立公園第一種特別地域外の1680 メートルとされていた。しかし、1993 年に FIS(国際スキー連盟)は、既存のコースは標高差 800 メートルという FIS 基準を満たしてはいるが、短いうえに難度が低く、五輪にふさわしい競技レ ベルを維持できない、との理由でスタート地点を国立公園第一種特別地域内 の1800 メートル地点に引き上げるよう、NAOC(長野オリンピック冬季競技 16 町田和信『志賀高原岩菅山の2000 日―冬季オリンピックと自然保護―』新日本出版社 1991 年 p.1大会組織委員会)に求めた。NAOC が自然公園法に違反するとしてこれを拒 否すると、FIS は国立公園第一種特別地域外の 1800 メートルにする案を示し た。しかし、NAOC はそれでもコースが特別地域内に入ってしまうため、認 められないとした。 ところが、実際には地元の業者が第一種特別地域に指定される前にリフト を建設しており、年間60 万人もの一般スキーヤーが特別地域内を滑っていた のである。なぜオリンピック選手は滑れないのか、とFIS はスタート地点の 引き上げを強く主張し、対立が深まっていった。結局、大会開幕直前の1997 年12 月、双方の主張の間をとって 1765 メートルという妥協案に落ち着いた。 最終決定したコースは国立公園第一種特別地域を2 回通過することになった が、「ジャンプして飛び越える」という苦し紛れの策がとられた。 「長野オリンピック・理想と現実」というテーマのシンポジウムで信州大 学教授・環境社会学者の鵜飼照喜氏は、一連のスタート地点騒動について次 のような見解を示している。 「『スタートラインの引き下げ要請は行政側が環境保護をきちんとやってこ なかった弱みをつかれたもの。だが、環境問題はここだけではなく、NAOC がかりに1680 メートルを守ったとしても、それで自然保護が万全だというわ けではない』 滑降コースのゴール地点の森林伐採の問題や五輪道路建設など、スタート 地点以外にも環境問題はたくさん存在しているという指摘だ。17」 この長野の例のように、「自然との共存」といったスローガンを掲げても、 現実には全ての環境問題が解決されるわけではない。オリンピック大会にお ける環境保護の取り組みはまだまだ始まったばかりである。大会期間中の交 通の集中による大気汚染やエネルギー消費の集中など、どの大会にも当ては まる問題が残されている。D・チェルナシェンコが言うように、スポーツが「環 境」に一定の影響を与えざるを得ないすれば、その取り組みには終わりはな いと言えるだろう。 17 相川俊英『長野オリンピック騒動記』草思社1998 年 p.243
第
3 節 開催都市の負担
第
1 項 オリンピックの転機:
第
23 回ロサンゼルスオリンピック大会
1970 年代から 1980 年代始めにかけて、オリンピックは夏季大会・冬季大 会とも開催地探しに苦労した。先に述べたように、アメリカ・コロラド州デ ンバーは資金難や環境保護を理由に1976 年の第 12 回冬季オリンピック大会 を返上した。いくつもの都市が立候補し、多額の費用と労力をかけてしのぎ を削る今日からは想像もできないが、1980 年の第 13 回冬季オリンピック大 会に立候補したのはレークプラシッドのみ、1984 年の第 23 回夏季オリンピ ック大会に立候補したのはロサンゼルスのみであった。その理由として、オ リンピックは競技施設・関連施設の建設や、周辺の交通網の整備、大会期間 中の輸送や警備などに費用がかかるのに当時収入といえば観戦チケット料く らいであり、赤字大会が多かったこと、さらに、1976 年モントリオールオリ ンピック大会の人種差別問題に端を発したアフリカ諸国のボイコットや 1980 年モスクワオリンピック大会の東西冷戦による西側諸国のボイコット、 環境破壊などにより、オリンピックの健全で明るいイメージが崩れつつあっ たことなどが考えられる。オリンピックを都市基盤整備の起爆剤と考え、前 向きな都市もあったが、費用がかかる割には、たいしたメリットがなく、厄 介ものとさえ考える都市も多かった。そのような状況を一変させたと言われ ているのが1984 年の第 23 回ロサンゼルスオリンピック大会である。 ロサンゼルスオリンピック大会組織委員長となったピーター・ユベロスが まず注目したのは、それまで寄付的な意味が強かったスポンサーとの関係で ある。ユベロスはスポンサー協賛について、ロサンゼルスオリンピック大会 以前までに行われてきた企業の協賛活動の価値観や意味、考え方を整理し、 企業の広告宣伝活動の一種としてのシステムを確立させた。彼は特に、「独占性」18という考えを強く打ち出した。一業種一社、全体でも30 社程度に絞り、 高額のスポンサー料と引き換えにオリンピック・マークや大会公式エンブレ ム、マスコットの使用など独占的な権利を保障するのである。ユベロスは各 企業に最低400 万ドル(約 8 億円)を要求した。高額のスポンサー料であっ たが、一業種一社に限定したため競争の原理が働き、コカコーラ社がぺプシ コーラ社に1260 万ドル(約 25 億 2000 万円)で競り勝ったのを始めとして、 次々とスポンサーが決定した。スポンサー企業数はそれまでの大会から激減 したが、スポンサー料収入はかつてを上回った。そして何より、オリンピッ ク大会に強力な媒体価値を持たせることに成功した。 また、ユベロスが収入のもう一つの大きな柱と考えたのがテレビ放映権料 である。従来からテレビ放映権料は確立されていたが、もっと値をつり上げ、 さらに前金をとることを考えた19。アメリカ3大ネットワークに対しては2億 ドル(400 億円)を最低金額として交渉を始めた。前回モスクワオリンピッ ク大会の落札価格(NBC が獲得)である 8500 万ドルのおよそ 2.5 倍にあた り、批判もあったが、オリンピック大会は他に類をみない世界のビッグイベ ントに成長しており、結局ABC が2億 2500 万円で落札した20。さらに、テ レビ放映権収入は大会組織委員会に3 分の 2、IOC に 3 分の 1 が配分される ことになっていたが、ロサンゼルスオリンピック競技大会組織委員会 (LAOOC)はその配分増を求めた。1984 年の第 23 回オリンピック大会には ロサンゼルスしか立候補していなかったため、IOC はこの要求を受け入れざ るを得なかった。最終的なLAOOC のテレビ放映権収入は 2 億 3900 万ドル にのぼった。 さらに、ユベロスはアメリカ国内をリレーする聖火ランナーから参加費を 徴収することを考えついた。聖火が採火されるオリンピアのあるギリシャ・ オリンピック委員会は、聖なる火を商業利用することは許せない、と強硬に 反対したが、結果的にはLAOOC の目論み通り、参加費を徴収することにな 18 石井清司『スポーツと権利ビジネス』かんき出版1998 年 p.95 19 『近代オリンピック100 年の歩み』ベースボールマガジン社 1994 年 p.235 参照 20 本論文p.10 図5参照
った。 オリンピックに民間資本を導入し、マーケティングの手法を本格的に取り 入れた最初の大会となったこのロサンゼルスオリンピック大会は、最終的に2 億1500 万ドル(430 億円)の黒字で幕を閉じた。黒字分はアメリカの青少年 とスポーツ振興に当てられることになっており、60%がアメリカオリンピッ ク委員会(USOC)に、40%が南カリフォルニアに贈られた21。 1984 年のロサンゼルスオリンピック大会の大成功はかつての赤字大会の イメージを払拭し、世界の各都市に「オリンピック=儲かる」という強烈な イメージを残した。夏季・冬季大会とも立候補する都市が増加し、激しい招 致合戦が展開されるようになった。ロサンゼルオリンピック大会の2 年後の 1986 年にローザンヌで開かれた 1992 年第 25 回夏季オリンピック大会と 1992 年第 16 回冬季オリンピック大会を決定する IOC 総会では、夏季大会に 6 都市、冬季大会に 7 都市が立候補する大混戦となった。 しかし、すべての都市がロサンゼルスのようになれる訳ではないだろう。 開催都市は予定していた収入が得られなければ常に赤字となるリスクを抱え、 オリンピック大会で使用された競技施設や関連施設の維持費が大会後の都市 の財政を圧迫することも考えられる。そこで、1984 年のロサンゼルスオリン ピック大会とその後のオリンピック大会を比較しながら、開催都市の負担に ついてまず検討しておきたい。
第
2 項 インフラ整備の負担
民間資本を導入して収入を大幅に増加させたロサンゼルスオリンピック大 会は、支出を徹底的に抑えた。施設はできる限り既存のものを使用し、どう しても新設しなければならないものについては企業の協力を求め、LAOOC の支出を少なくした。選手村は新設せず、大学の寮を利用した。この結果 2 億1500 万ドルもの黒字を計上したわけだが、他の都市が同じような方法をと ることができるとは限らない。競技施設や関連施設、交通網の整備などの負 担が重くのしかかる都市もあるのではないだろうか。 21 『近代オリンピック100 年の歩み』ベースボールマガジン社 1994 年 p.236 参照まず第一に、ロサンゼルスにはすでに国際大会が開催できるくらいの施設 がある程度整っていた。1932 年に第 10 回オリンピック大会を開催している ことに加え、アメリカ西海岸の中心として栄え、国立・州立・市立の競技施 設のみならず、プロ・スポーツのスタジアムや大学のスポーツ施設も充実し ていた。また、ビジネスの中心であり、ハリウッドやディズニーランドをも つ世界的な観光都市でもあるため、競技施設に限らず、空港からの輸送手段 や市内の交通、大会関係者、報道陣、観客らを収容するためのホテルなどが ある程度整っていたといえる。 オリンピックの招致に立候補する都市は大きく分けて、1964 年の第 18 回 東京オリンピック大会や1968 年の第 19 回メキシコシティーオリンピック大 会、1988 年の第 24 回ソウルオリンピック大会のようにオリンピックを都市 開発や都市基盤整備、雇用増大などの起爆剤にし、国際都市として世界に認 められる契機にしようと考えるいわば「発展途上」の都市と、1984 年のロサ ンゼルスのような「成熟」都市に分けられるのではないだろうか。「発展途上」 都市の場合、国際大会に対応可能な競技施設や宿泊施設などの建設、空港か らの輸送経路や市内の交通網整備それら自体が大きな目的でもあるが、その 財源の多くは国や地方自治体から賄われる。つまり、納税者の負担となるの である。例えば、2008 年夏季オリンピック大会に立候補している北京では競 技施設は国立のものがある程度あるが、空港から中心部への輸送経路が高速 道路1 本しかなく、また市内の公共交通機関もまだまだ整備途上である。オ リンピック開催を機に道路交通網の整備や地下鉄などの整備、街全体のクリ ーン化を急ピッチで進めたいところだろう。また、冬季オリンピックは競技 の性質上、国際空港や大都市から離れた山間部の都市で開催されることが多 く、インフラ整備の負担が大きくなる傾向にある。 さらに、オリンピック大会が毎回同じ年で開催されるのではなく、世界各 都市で持ち回りで行われる理由の一つとして、オリンピックを機に恒久的な スポーツ施設を建設し、その国や地域のスポーツ振興に役立てようという考 えがある。近代オリンピックの創始者ピエール・ド・クーベルタンは次のよ うに考えていたという。 「オリンピックの開催都市は、すべてが、大会を開いたことによって、未来
永劫に恩恵を受けるべきであるというのが、当初からのクーベルタンの考え であった。スタジアム、小競技場、そして体育館は、そのときの大会だけの ものではなく、大会終了後には、都市の青年たち―そしてその次の世代の青 年たち、またさらに次の世代の者たち―がスポーツのために利用するような ものでなければならない。」22 しかし、残念ながらこのクーベルタンの理想は都合良く利用されることが 多く、開催都市の過剰な開発やその都市の需要に見合わない大規模施設の新 設を正当化するために使われがちである。 第二に、1984 年のロサンゼルスオリンピック大会がオリンピックに新たな 商業価値を見出したため、2 つのことが起こったと考えられる。まず、前述し たようにロサンゼルスオリンピック大会以後のオリンピック大会は立候補す る都市が急増し、完全に「買い手市場」となった。そのため、ロサンゼルス しか立候補していなかった1984 年オリンピック大会において IOC がロサン ゼルスの要求をのまざるを得なかった状況とは逆に、立候補している都市は IOC の要求を受け入れざるを得なくなった。開会式・閉会式などを行うオリ ンピック・スタジアムの新設、快適な選手村などが求められ、常に「史上最 大規模の」大会でなければならないというプレッシャーがかけられた。本章 第1 節「肥大化」のなかで述べたように、テレビ映えする種目の増加に伴い、 迫力があり、鮮やかな映像がきちんと撮れるよう、放送設備の充実も求めら れる。各都市は開催を勝ち取るため、後利用を十分に考慮しないまま豪華で 見栄えのする施設の建設を約束するのである。 さらに、ロサンゼルスオリンピック大会から始められた本格的な民間資本 導入は、スポンサーとテレビへの依存度を強め、彼らの発言力を強めること となった。選手の調整を無視し、高額の放映権料を支払った国のゴールデン タイムに合わせて競技開始時間が組み替えられる。スポンサーはオリンピッ クの注目度を高め、1 人での多くの人々に自社のメッセージを伝えようとし、 テレビは第 1 節でも述べた通り、高額の放映権料に見合うだけの大会にしよ 22 ジェフリー・ミラー『オリンピックの内幕』サイマル出版会1979 年 p.144
うと躍起になる。オリンピック大会が盛り上がるのは何といっても質の高い 試合が行われ、新記録が出ることである。メディアの報道の仕方も記録への 関心を煽っている。2000 年の第 27 回シドニーオリンピック大会では、競泳 では13 個の世界新記録が出たが、陸上は新記録が一つも更新されなかった。 オリンピック閉幕翌日の新聞は「陸上に影?世界新ゼロ」と題し、 「スター選手の活躍や、世界記録ラッシュを期待していたファンには物足り なさが残ったことは否めない23」 と述べている。また、各競技連盟もオリンピック大会での注目度がその競技 の浮沈を左右するともいえるため、最高レベルの競技施設やコース条件を求 めてくる。開催都市には、記録を狙える「速い」トラックやプール、スケー トリンクが求められるのである。記録の更新に大きな価値をおくスポンサー やメディア、観客の傾向が変化しない限り、競技環境への技術的な要求は厳 しくなるばかりだろう。 例えば、1998 年の長野冬季オリンピック大会で話題になった「高速リンク」 エム・ウェーブもその一つである。総工費348 億円をかけて建設されたエム・ ウェーブは世界一の高速リンクをつくるため、水をろ過して不純物を取り除 き、気泡を抜くために50∼60 度のお湯にしてからホースで霧状に少しずつコ ンクリート面に張った。さらに製氷機で氷を削って表面をなめらかにしたあ とおよそ50 度のお湯をしみこませた布で表面をきれいにする。製氷後はコン ピューターで氷温を管理し、短距離・長距離それぞれに適した温度を徹底的 に研究した24。 また、第 1 節で述べた競技・種目数の増加により、競技施設も増加・複雑 化を迫られている。なかにはその国や都市ではアマチュア・プロともに競技 人口が少ない競技・種目もあり、オリンピック大会開催後の施設の管理・維 持が問題となっている。もちろん新しい競技・種目の採用には五輪憲章に定 められた基準(男子競技は4 大陸 75 カ国以上、女子は 3 大陸 40 カ国以上で 23 2000 年 10 月 2 日付 『朝日新聞』 24 『信濃毎日新聞』参照
親しまれ、大会開催の7 年前、種目は 4 年前までに IOC 総会で承認されなけ ればならない)を満たさなければならない。具体的にはそのスポーツの国際 連盟に加盟している国や地域の数が考慮されるが、スポーツはその国や地域 の文化や気候に深く根ざしているため、一般的に普及するのは難しいものも あるだろう。スポーツ記者の藤山健二氏は1996 年第 26 回アトランタオリン ピック大会から採用され、2000 年シドニーオリンピック大会では日本が銀メ ダルを獲得したソフトボールについて、次のように書いている。 「ところが、4 年後のアテネ五輪でまたこの感動が味わえるかどうかは微妙な のだ。アテネに限らず、欧州では野球やソフトボールの競技人口は極めて少 ない。当然野球場はなく、新たに建設したとしてもその後の使い道はないわ けで、それなら最初からやめてしまおう、という声があるのは残念ながら事 実だ。25」 オリンピック大会後の利用が厳しいのならば、仮設の施設や組みたて式に してオリンピック後に売却してはどうか、という意見もあるが、年々厳しく なる安全基準がそれを阻んでいる。安全基準を満たす仮設の施設を作ろうと すると、それはもはや仮設とは言えないほどの費用と時間がかかってしまう のである。何万人もの観客やスタッフが一度に集まるのだから、火災や地震、 テロなど予期せぬ出来事が起こっても混乱しないように万全を期すのは当然 のことだが、必要以上に安全性を追求すれば、既存の施設の安全性改善や特 別な保険への支払いが大会運営の財政を圧迫しかねないだろう。
第
3 項 経済的負担
オリンピックを運営する各大会組織委員会の収入には3 つの柱がある。テ レビ放映権料、スポンサー協賛金、入場券料である。1984 年のロサンゼルス オリンピック大会以後、テレビ放映権料とスポンサー協賛金ははね上がり、 オリンピック=赤字というイメージは払拭され、世界の各都市がオリンピック開催に名乗りを上げるようになったわけだが、同時にIOC もある種の危惧 感を抱くようになった。IOC のマーケティング戦略にふれた『スポーツと権 利ビジネス』では次のように述べられている。 「『このようなマーケティングビジネスを開催国のオリンピック組織委員会 にやらせっぱなしにしていると、IOC の取り分がなくなってしまう』 IOC がマーケティングというものを重要視し始めたのは、このロス五輪の 成功を境にしてからである。IOC は、オリンピックの資金集めと運営に、そ の手法を積極的、系統的に採り入れていこうと考えたのだ。26」
具体的には、TOP(The Olympic Partner)プログラムというものを開発 した。およそ40 億円のスポンサー契約金と引き換えに、オリンピックマーク や夏季・冬季オリンピック大会の公式エンブレム、マスコットを商業的に利 用する権利を販売するのである。もちろん1 業種1社に限定し、IOC が国際 企業10 社程度と契約する。契約期間は夏季・冬季をセットにした4年間で、 1988 年の第 15 回カルガリー冬季オリンピック大会と 1988 年の第 24 回ソウ ルオリンピック大会を組み合わせた「TOPⅠ」に始まり、1998 年の第 18 回 長野冬季オリンピック大会と2000 年の第 27 回シドニーオリンピック大会が 「TOPⅣ」である。スポンサー契約金は IOC に直接入り、それを NOC(各 国のオリンピック委員会)と夏季・冬季オリンピック開催組織委員会へ配分 する、というのが基本である。
分配の割合は、IOC20%、アメリカオリンピック委員会 20%、NOC20%、 残り50%を夏季・冬季の大会組織委員会に 2:1 の比率で分けることになっ ている。例えば、1998 年の長野冬季オリンピック大会では、全体の 17.5%が NAOC に配分された27。さらにそのうち7 分の 1 を JOC が取るので、NAOC が実際に手にしたのは全体のおよそ15%にすぎないのである。
TOP スポンサーの下位に置かれる「ゴールドスポンサー」はその大会組織
26 石井清司 前掲書p.108 27 相川俊英 前掲書p.211 参照
委員会が独自に交渉を行い、オリンピックマークなどの使用を国内に限って 使用する権利を販売することができるが、1 業種 1 社で TOP スポンサーの業 種と重ならないことが条件であり、スポンサー料の5%を IOC に納めなけれ ばならない。 「ゴールドスポンサー」の下位に置かれるのが、物品やサービスの提供が 中心となる「サプライヤースポンサー」である。また、オリンピックマーク やマスコットを商品にして販売することができる「ライセンシー」契約もあ る。これらの収入からも5%が IOC に納められる。長野冬季オリンピックで はJOC が設立した「ジャパン・オリンピック・マーケティング」社(JOM) という代理店が「ゴールドスポンサー」や「サプライヤースポンサー」、「ラ イセンシー」収入の10%程度を手数料として取り、その残りの 7 分の 1 を JOC が取った。テレビ放映権料もすべてIOC に集められ、その 40%が IOC に、 60%が開催都市に配分される28。テレビ放映権料はドル建てのため、場合によ っては為替レートの変動により当初の予定より大幅に目減りしてしまうこと もあり、大会組織委員会の財政計画を狂わせる。 1984 年のロサンゼルスオリンピック大会が始めたマーケティングの手法 はIOC に取って代わられ、このような配分システムの結果、開催都市の大会 組織委員会の実際の収入は大幅に少なくなってしまった。オリンピックの商 業主義化が進み、オリンピックは莫大な金を生み出すと言われているが、必 ずしも開催都市にその全てが入るのではなく、むしろ大会ごとに確実に莫大 な金を手にするのはIOC や NOC であるといえる。 IOC や NOC は「濡れ手で粟」ともいえるシステムで金を集めている一方 で、オリンピック開催のリスクを負うのは納税者である。オリンピックが当 初の予算を大きく越える費用を必要としても、IOC やスポンサーが資金援助 を行うわけではない。むしろ、IOC が財政的保障を求めるのは、開催都市や 政府なのである。1984 年のロサンゼルス大会は民間資金のみで運営されたと されるが、実際には「9000 万ドルから 1 億 2,800 万ドルにのぼる『隠れた政 28 同上 p.205 参照
府補助金』が使われ29」たとも言われる。 大会組織委員会への出資とは別に、開催都市や国には競技施設の建設や道 路整備など関連事業への出費が求められる。長野冬季オリンピック大会を例 にとると、競技施設の建設費は国が2 分の 1、長野県が 4 分の 1、開催市町村 (長野市、白馬村、軽井沢町、野沢温泉村、山ノ内町)が4 分の 1 を負担し た。競技施設の総事業費は約1037 億円で、国が約 531 億円、長野県が約 267 億円、市町村が239 億円を負担したとされる。道路などのオリンピック関連 事業については、通常の公共事業のなかでの優先的配分にとどめ、国庫補助 率引き上げなどの特別措置はとらないとされ、約2479 億円の事業費のうち約 1746 億円を県が、約 733 億円を市町村(長野市が約 712 億円)が負担した。 競技施設と運営用施設、オリンピック関連道路の事業費を合計したオリンピ ック施設整備費用は約4174 億円にのぼる。この他に長野新幹線や高速道路の 整備に約1兆5200 億円が投じられたとされる30。 オリンピックの招致や開催に反対する市民運動の主張の一つが、オリンピ ックに公的資金を投入することへの疑問である。多くの場合、オリンピック の招致を決定するのは行政側や地域の産業界である。招致を決めた段階で、 招致活動と開催権を得られた場合に必要となるコストを正確に予想すること は困難であり、当初の見積もりの数倍から10 倍に及ぶこともある。不足分を おぎなう公的資金は、本来ならば社会福祉や教育など他の目的に使われるは ずのものであることもある。テレビやスポンサー企業と密接に結びつくよう になったオリンピックは公的資金なしで独立採算で行うべきだ、と1996 年第 26 回夏季オリンピック大会の招致に反対していたトロント市の市民団体は主 張している。 競技施設や交通網はオリンピック開催後も残るのだから、その恩恵を受け る開催都市の住民が建設費を負担するのは当然だとする考え方もあるが、そ れらの施設が本当に住民の望むものであるかどうかが重要である。数・質と 29 D・チェルナシェンコ 前掲書 p.79 30 相川俊英 前掲書p.224・225 参照
も都市の規模に見合わないほどの大規模な競技施設はオリンピック後の維 持・管理費が市の財政を圧迫するし、次に述べるように地域を活性化するだ ろうと思われた交通網の整備が予想外の影響をもたらすこともある。オリン ピックの招致や開催に公的資金を投入するのであれば、その計画段階から納 税者である市民が参加し、十分な議論がなされるべきだろう。第2 項「イン フラ整備の負担」で述べたように、IOC や各競技連盟、テレビ、スポンサー の求めるままに競技施設や関連施設の新設、交通網の整備などを約束すると、 予算はどんどん膨れ上がってしまう。
第
4 項 オリンピックは経済効果をもたらすか
オリンピック招致を決めた都市の多くが口にするのがオリンピックによる 経済効果への期待である。しかし、招致を決めた段階と開催が決まった段階、 さらに開催後では世界や国内の経済の状態が異なることもあり、オリンピッ クによる経済波及効果を予想することや評価することは難しいだろう。D・チ ェルナシェンコは次のように書いている。 「増大する観光やビジネスの急落のようなどうにもなすすべがないことが 起こる場合、スポーツイベントの経済的遺産を評価することは難しい。『大会 を誘致することが地域の経済を潤すという仮説を実証することは、これまで ほとんど行われてこなかった』とカナダの答申は記している。31」 1998 年の長野冬季オリンピック大会の例がこのことを示している。冬季オ リンピック大会開催が決まる前の長野県は高速道路や新幹線が通っておらず、 「陸の孤島」とさえ言われていた。善光寺やスキーを目的に訪れる観光客は 主にバスで狭い道を長時間移動しなければならず、県内の産業を支える観光 は落ち込み気味であった。高速交通網の整備は長野県にとって死活問題とも いえた。冬季オリンピック大会開催が決まれば、高速道路や新幹線の整備が 優先的に進められ、そのような状態が打開されるだろう、という期待が招致 の中心的動機であったとさえ言われる。 31 D・チェルナシェンコ 前掲書 p.79・801991 年 6 月、イギリスのバーミンガムで開かれた IOC 総会で 1998 年の第 18 回冬季オリンピック大会の開催地が長野に決定され、オリンピックに間に 合うようにと長野新幹線や高速道路が着工された。1997 年 10 月に長野新幹 線(高崎―長野間)が開通、上信越道が新潟県中郷インターまで北上した。 また、長野市内はオリンピックによる観光客増を見込んだホテルや旅館の建 設ラッシュとなった。 ところが、1998 年 2 月 22 日、16 日間の第 18 回冬季オリンピック大会が 終了すると、長野は「五輪不況」ともいえる状況に陥った。長野新幹線が東 京―長野間を最短79 分で結ぶようになったため、首都圏から長野を訪れる以 上に、長野県内の人々の首都圏への流出が加速した。県内の消費者にとって は便利になったと言えるが、県内の洋品店や大型マーケットでは閉鎖が相次 いだ。また、旅行全体が「安・近・短」(安い・近い・短い)を求める流れの なかで、新幹線や高速道路の整備が首都圏からの日帰りでの観光を増加させ た。長野新幹線「あさま」の乗車率は好調だが、宿泊施設の利用は減少傾向 にあるようだ。オリンピック施設を利用したコンベンション開催は順調だが、 宿泊は戸倉上山田温泉など周辺の観光地になることが多く、もともと乱立気 味だった長野市内の宿泊施設は閉鎖や休業状態に陥るところが続出した。オ リンピック期間の混雑を嫌って行き先を変えたスキー修学旅行の客離れも深 刻である。長野はスキー修学旅行受け入れの第一人者とも言える地域だが、 一度離れた顧客がすぐに戻る保障はないだろう32。これらの事態にはバブル後 の日本全体の不況も大きく影響していると思われる。 景気の悪化や国内観光の停滞、高速交通網による県民の流出などを招致や 開催決定の段階で正確に予測することは不可能であっただろう。オリンピッ クが大きな経済効果をもたらし、長野の経済を立て直す、といった期待があ まりにも大きすぎたため、開催後の予想外の不況に長野県民は大いに落胆し たのである。オリンピックが経済効果をもたらすかどうかは一概には述べら れず、また予想もできないと考えた方が良いだろう。開催都市はそのことを 認識しておくべきである。 32 『信濃毎日新聞』連載「五輪からあすへ」参照
第
2 章 オリンピック広域開催とは
第1 章ではオリンピックの肥大化により中・小都市での開催が難しくなり つつあることや、オリンピックが開催都市の環境に与える影響、高額のオリ ンピック放映権料やスポンサー協賛金の全てが開催都市の大会組織委員会に 入るわけではないこと、インフラ整備や競技施設の建設・管理が開催都市の 財政を圧迫する可能性があること、オリンピックが開催都市に必ずしも経済 効果をもたらすものではないことなどを述べてきた。このように考えると、 オリンピックは再び開催都市探しに苦労するのではないか、また、オリンピ ック大会自体を中止してしまうべきではないか、といった意見も出てくるだ ろう。 しかし、オリンピックはやはり多くのアスリートにとって目標である。開 催都市にとってはグローバル化が進むなかで世界規模のスポーツ大会を開催 できる「世界レベル」の都市と見られたいという願望を満たす絶好の機会で あることには変わりないだろう。また、コミュニティへの帰属意識を高める、 市民のネットワークを構築する、スポーツの底辺を拡大する、といった目に 見えないオリンピックの遺産はもっと評価されるべきだろう。 そこで、今後、開催都市の負担を軽減し、オリンピックと開催都市がより 良い関係を築きながらオリンピック大会を続けていくための方法の1 つとし て、オリンピック広域開催を考えてみたい。第
1 節 オリンピック広域開催の定義
広域開催は1都市での開催を原則とするオリンピック大会では例外的措置 とされる。しかし、冬季オリンピックでは地形の関係からメイン会場と離れ た場所で競技が行われることがある。また、記憶に新しいところでは「コン パクト五輪」を売りにしていた2000 年第 27 回シドニーオリンピック大会で も、サッカーは数百キロ離れたブリスベン、シドニー、キャンベラ、メルボ ルン、アデレードの5 ヶ所で行われた。では、「競技会場が分散している=広域開催」なのだろうか。私はオリンピック広域開催の定義として、次のよう なことを考えた。 ①競技会場が複数の都市に分散している ②既存施設の利用を原則とする ③招致の段階から開催まで競技会場をもつすべての都市のメンバーが計画立 案に参加する ④国家がオリンピック大会組織委員会の運営に関与しない ①については、分散の範囲を特に定めない。各会場間の移動を考慮すると、 中心となる選手村から半径50 ㎞圏内、最も離れた会場間でも車で 1 時間半か ら2 時間の 100 ㎞以内に収まる程度が妥当と思われるが、その地域の地勢や 交通網、競技施設の適性などにより大きく異なると思われるためである。ま た、県・郡・州といった行政区分を跨ぐことがあってもよいと考える。 ②の既存施設の利用はオリンピック広域開催を考えるうえで最も重要な要 素である。会場となる都市を選ぶ第一の基準は、オリンピック大会を開催で きるレベル(「観客席の 3 分の 2 は屋根で覆わなくてはならない」「フィール ドと観客席の間には幅2m、深さ 3mのトレンチ(溝)を設けなくてはならな い」などの条件が定められている)の施設の有無、または観客席の増設など既 存のものに手を加えることでオリンピック大会に対応できる施設の有無であ る。都市を定めてからそこに新たな競技施設を建設するのでは、広域開催の メリットが半減してしまうだろう。 ③については、中心となる都市が単に他の都市の施設を利用するのではな く、競技会場を含む都市がそれぞれ対等な立場でオリンピックの招致・運営 にあたり、それぞれの都市の市民がより身近にオリンピックを感じられるよ うにするためである。また、行政的にも民間の側からも、各都市間の連携が 何より重要と思われるので、招致の段階から知識や場を共有していた方が大 会運営が円滑に進むだろう。 ④は、詳しくは次の第2 節で述べるが、オリンピックは国ではなく都市が 開催する、というオリンピック運動の原則に基づくものである。1936 年の第
11 回ベルリンオリンピック大会が結果的にヒトラー率いるナチス党の威力を 世界に示すために利用されたことへの反省をこめて、オリンピックでは都市 開催が守られている。よって、広域に分散した開催都市を国家が統括するこ とはできない。国内の各都市に競技会場が分散し、国に開催権が与えられる サッカーのワールドカップとは対照的である。
第
2 節 オリンピック憲章と開催都市
第
1 項 オリンピック憲章
IOC の憲法ともいえるオリンピック憲章には開催地に関するいくつかの規 定が盛り込まれている。長くなるが関連する項目を引用する。 オリンピック憲章1 第Ⅴ章 オリンピック競技大会 36 オリンピック競技大会の開催 2―オリンピック競技大会を開催する栄誉は、オリンピック競技大会の開 催都市に指定された都市に対し、IOC によって託されるものである。 37 開催都市の選定 2−当該国の NOC が立候補を承認した 1 都市だけがオリンピック競技大 会の開催都市となる候補申請をすることができる。オリンピック競技 大会の開催都市となるための候補申請は、当該都市当局によって、そ の国のNOC の承認を添えて IOC 宛になされるものとする。(中略) 同一オリンピック競技大会の開催都市となることを希望する都市が1 国のなかに複数ある場合、その1つの都市を候補として推薦すること を決めることはNOC に一任されるものとする。 38 オリンピック競技大会の開催地 1−1 部の種目を同じ国内の他の都市、もしくは他の場所で開催する権利 1 財団法人日本オリンピック委員会発刊 1996 年度版オリンピック憲章 参照を開催都市がIOC から得ていない限り、すべての競技はオリンピック 競技大会の開催都市でおこなわなければならない。このような趣旨の 要請は、いかなるものでも、遅くとも候補都市のための調査委員会の 訪問以前に書面でIOC 宛に提出されなければならない。開会式および 閉会式は開催都市のなかでおこなわなければならない。 2−オリンピック冬季競技大会において、地理的もしくは地勢上の理由の ために、競技のうち1 部の種目もしくは 1 部の種別を開催都市のある 国内で開催することができない場合には、IOC は例外的根拠にもとづ いてこれらを周辺国で開催することを許可することができる。 39 組織委員会 1−オリンピック競技大会の組織は、IOC が開催都市のある国の NOC お よび開催都市自身に一任するものである。当該NOC は、この目的の ために組織委員会(OCOG)を組織する。 組織委員会は、設置されたときから直接IOC と連絡を取り IOC から 指示をうける。 42 オリンピック村 1−すべての競技者、チーム役員、その他のチーム要員を 1 か所に集める ために、組織委員会は、オリンピック村をオリンピック競技大会の開 会式の少なくとも2 週間前から閉会式の 3 日後まで使用できるように しておかなければならない。また、オリンピック村はIOC 理事会が制 定したオリンピック村ガイドの必要条件を満たしていなければならな い。 規則42 付属細則 1−OCOG は、選手、チーム役員およびその他のチーム要員のオリンピ ック村での食事、宿泊費および彼らの現地での交通費を全額負担する。 2−開催都市以外の場所での競技種目の開催を IOC が OCOG に許可する 際には、IOC 理事会は、上記とおなじ条件のもとで選手、チーム役員 およびその他のチーム要員がこのような競技の開催地、もしくはその 近くで利用することができる正規の宿泊施設を提供するようOCOG に要請することができる。