二宮尊徳の研究 : 尊徳の教育観とその実践について
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(2) い“. ・目 次. ⋮尊鷹研究㊧敢育、旬気論.じ ﹁﹁第’卸、曲、﹂解され、斥尊徳像. 皿第多,知治定庵身書に於σろ尊痴倣: ,築三節尊拠庸究の冒幻と方法 ㍉,第四冒卸’,尊徳舐霧祷道蔽. 尊範の生育量耀 江﹄ア未期の農村 尊徳の,勉学. ﹂第そ章.ト報矯の原狸. 、、﹂,ド第’諭、瞬某輸■延・. ‘,第,’で卸弓道しん道、. 第ゴ節遭穂・門経妄− 蓄三章⋮ ,、尊焼死教門観 第一節,,尊徳の人門門 ,.、,、蒙〃 凹田畔 万物一理. ・第﹂三竹即 天上丁丁唯我独重継. ”・第.四節− 鰐呵閣発. 尊徳の教門実践 何列指導 実態調査 人道門門 表彰法 ﹂巡回による.指.六町. マ. 忽.. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 20唱 」7 ” 3( ’,31. 66; 5て 57:. 節卸. そ二:節節卸. 匿第五節、読書論 斎六卸 神棉備正味’粒丸. 搾出第幽孝. gg ss. 門靖庫 11四:. 120 tD9・ lo({i 95 91 15’5’ 藍年8 1年8 1年3 137 137. 1三.
(3) 蹴. 託. 論. 第. 四. tgtlt. 兵庫教育大学. 兵庫教育大学. 18ぎ. 門門酪訟. ゚三. 社会教育 先易後難 結社による教宣. ニー. 173 t69 i 62 t6t.
(4) 浄諭 ⋮第!二節,⋮也餌p孚れ、仁尊砲壕. 岺Oじ.全劇至る所の小−洋藍狡庭に、二名尊徳像が見乃れ. ⋮ぬ一が∴て⋮、◎馬身教濡雪町﹁﹂動塑一﹃孝弥、﹂、ヨ学業努汐. 兵庫教育大学. ェ、−,紹 和ノニナ年代後半から四ナ年,代仁が.俳で,姿を消す 一に⋮倒グ⋮k、、,一之一れ,ぼ尊・群像が撤去こ久、、再建乏久ず仁レ波七. ウ訳てい⋮与場合が〃いφ一仁原因.レている。又一.、、愚管含建. ⋮段か為専徳像忘メ﹁ンめ場町かち取つ去ブ﹁瓦掌⋮役t少 なく⋮μ謄=現在吻児童隼徒に二専健の動倹.が行−聖学業努〃 一圏鯛∴仁徳自逸激百循,導、し,ても、教畜効果はケ与 帆若r﹁看 セ﹂か∵与ガ﹂㌻並−れ−なけ噂 ぴずれ﹁に.せよ﹁﹂尊⋮短骨■が⋮見−互塾. ネぐ、鵡﹂,ワ⋮仁 φ∬﹁唱旧∵穿徳ド仁﹂対 で駈る−意識,・更化.に、依与≡も﹂、砂ぞ⋮あ . パよ ・る. 2⋮一 −︵3 :. ,︵,乙、、. ョ池迩量器ぢケ⋮いて、戦前あ軍倒主義.整腸、散育み宙叡 管﹂翠強κ︾.結び:村ザゐ浅短も”あるが、人閣諺八結団教省気・. 廃等客見甑ぜ∴豊平.が再評.価さがるめも勤蒸であ亙﹂=︸ ⋮直、=可尋人②暁雲中“尊徳が海在して酒毒のであろグ。一 ⋮口三三珍専癒と一壱えし.惟、瞬,代逆竹ピいう印象を受ザ々す鴎,. ∵回欺で鳳魚介真.実像を訴解出来りい.夜・で﹁=脚僻さ訳 で眠ド=漸﹂尊礁一切、世、界ソ観、丁人生観.、画聖観・激ちコ観⋮を、兇㌦明す. [.ゑ禦沈沈ポ.立圏寓言壌塚いもの、であう^ノ.一. カφ卸で研、=専、兜が諜解された原義を諸家曳てbぎ﹂ヒ みゆ 禔A. 兵庫教育大学. 一た [、. 一、. [え. 、. →≡=. {,.
(5) 切怠濡身であ,り. 株m甲オのべき理由も1応当であ,っ尺。 げ獄. 冶わ,余りにその徳亘バ強黒川な語誌のため,ヴ耳期の勇 徳倣のイメージのみが浮さ彫りとなつκのである. 次に尊長の勤倹〃行の徳ヨを強調し,戦茅遂竹のドめ の耐ん生活を児童生・徒に強いる身に協かぜしあろれた。. 即ち.倹豹・勤勇・奉仕署の徳目バ報徳の原理であフた 為、車国王鍍﹁に利用こ玖たのであう.. こうい・﹄歴史的書置が言意を体制に艇順な人物と評 価したのであう.歴史上の尺物がある時代に歓迎芝久, 体制ぴ麦化す杁ば排斥される場含バカ々ある. 二尊嬉つ碗 もその内の’人である。. 薮衣多量ぽ、.原始的な農業技術をそのまま肯足し. 肉体勇働の美化と支配看階級の温楠のみに俵詰して農村 へど の復興をくわだてた二叉尊公﹂と評している.この批判 ハら 12.尊徳の・杜・法著﹂Σπ読す久ぽ.馬衣の指摘すろ点 が的を得・てpりいことが.仁ちどころに判明するであろ. う.又,殉歌森木節も.各地の農村にぽ政治の改善を求 める農民の動きが口じ﹂ううとしてい,κ.この時期に政 バツ . 治に対する批判を蔚たず勤倹力行を旨とした二葛尊徳レ コげ ど毬べていうが.享徳が小田原看に要求した書商を1読 すれ.口.直ちに理解江平るでうろう.尊徳研究裂として, 肩彩な奈良本辰也までが、 .’尊矯が召姓1揆q蔑氏、ヒ者一. 旗 あ ろと述べ巨と叙述してのるが.彼の老葦農教 らゆ. 犬道鏡﹄にσ奈良本の落忌量る意図Q倉まれて口ない. 逆に尊徳α報徳の原理をもって,各地の農村の復甥と笑 施すろことに依り,召姓’擾より価値あるものを兇い出. し,にので口な口.・に︾つ馬フ、が. 又,教育関宿老著も二当要論を該解している.ガンケ イ新聞に。二尉尊徳・敢・打ちこわレ命令ゼず﹂と見出 しで報道している.次に引用してみにい.. 、 戦前ヨ本中の津々浦々の小学絞の絞門のわさに立. うていヒニ名尊徳の像が,敗戦とともにぼとんど肇. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 3.
(6) 左消しに。それまで登狡苅る児童に,帽手をとって おじざを受けでいた尊徳廠ぱ.台産がら引きずりお ろう、れれぢ≧わされて校庭のスミに無残な姿で放 り婁、れた.評議畢醒軍国主義、封思弁徳打破のた め”麦勇”をふるっていた時.代だけに.一般にσ占 頒軍の強い指導によるものと受けとられた.ところ. が,歯痛班バこのOど米国公文書別館で発掘したβ cAp︵連合国軍最高司令官︶脚係の極点文書によ ると.占頒旱は当時4れちこわレ命令﹂を出してい ながったぼがりが.尊惚翁をむしろ.地.域社会の申 民的侵人物﹂として高く評価して口ること爪わがつ た.尊慮蕨のとりこあしも.どうマら占頒軍に慰留 ハム し斥誤想閲係看の竹き過ぎた指置だッk﹄うだ. 即ち、敗戦後の尊蝿蕨の取り壊しほ,教育.学救関係 老が尊槌の真の,へ周敬を譲慰し,早春み込みした感があ. る.. ・あように尊徳の人間破が曲解・誤碑漏れていう場合 が多い。このような滅亡を正すκめに,Q.二宕尊徳全集 多六壱を読破レ,三徳の業・績を朗確にするととが関要で. 島を.. 内村鑑三が司,代・表的.日本ん﹄の中で, 心門尊爵を﹁・農. 民聖尺﹂と−て掲げて,次の如く紹介している。 彼ほその生涯をいよいよ開じる時まで激しい活勤の 人であっヒことほ畜ふまでもない。彼ぽ遠さ将朱の たあにも誹画を立てて活動したがゆゑに.彼のしう もろの享柴乙養化とぽ今なO我載とともに生さでる 苑・. 冒本を・代表でる五んの中に尊書を選出レ,賞賛してい で あ るの . る0. 又.村岡典緩し.象朴なる斌故に偉尺なる恩想家を見 ハほり 得る﹂と評価し,蔚妹感得数として尊徳を位置付けして いち.. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 5 6.
(7) ⋮⑥実行一ψ跡を尋毎て見魚ヒ⋮.報礁生治=が徳説諭=代仁■喪い﹂ −威.績をあザ犬だ冒サで、なく∴,叫,冶大正め時磯にゼへ・照和一⋮=φ﹂. 堵㈹⋮ビ、む、一、現代にみいても詩篇腹芸をみげつ﹂羽あるφ一で. あユ鉾、慰み重うに,尊穐の論罪は、、何貧富経ぞ輩 三三性と欠わぼい人きなエネレギ、一、を倉む・も婬であ宮。い. 箭!二節 国是修身書に於ける尊徳像 教科書制度ば,明、治†九年がら検是制,・度が、契.施ξれ瓦. 検寒教科書が、与選釈され表敬科書が使用芝れ与“迩ヴ仁な 7、斗た.のでみゑが、、嗣ぞ三ナ五年切数科書訴件︵敬意書株 択ぎあ⋮ぐ,々窮短妬蘭鷺︶が起ごつ,珊潰三千七年春写厨. へ芭 ⋮=,ぞ迩言い物定教⋮斜喜⋮ぱ一瑚湿す♪屠蘇φ肉民設笹に至な函. 8認続鮎て識び,■活字乞維て修正編象されてW与.潮の周. .三三叡薫掛に登場ル、、狸,穏倣として児重に激え,込ざμて .乏に尺 物σ霊亀ぐい乃が.σんどいってもそφ典型慨,. ピ珊治美皇と二宮尊穐である。勿論、明冶天皇は絶対的権 威首ざ.あるが,二呂尊徳け国定教斜書に探用さ承てがら、 全倒乱打知門わたるようにばつに. 吾上哲突ゆσ.、﹃国足教斜書と二喜翁﹄と税し.て、拠 ⋮ゆ一よう仁迷べている。. こ,画真教言書に翁を加え氏のは最も選の宣しさと篠κ ﹁﹂毛φでおろう。わが国史中妻範的ん物としてQ,一中 こ㌦江,藤樹、・冥原益軒.上市鷹山、水戸の義ハA.熟睡の. 一己烈公孫どがあゲ,どもに犬和氏族の精粋で後脚焼締 範−とすうに足るむのでめろ、しゲし、鷹朗,義広、 ⋮⋮⋮,烈スガ如考、は,欠危であフて一般の・平氏にぱ縁が遠. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 7.
(8) く、従って感化の及びがたいものがある。ところが 翁ぽ乎民であフてしかも農芸の子として成長したの で農家の子女にQ給し当を得て口る。 フランクリン の如きば、模範的ん物であるが、日本・へとα境遇が ひどく遠うので線が遠い.二呂翁の如きぼ模範的尺 物として唯一の人格マあった。ぽじめ国三教斜書の 撰足ぜられんとするや、当局看を悩ました二つの問 題があった。一フほ二呂翁の如き人物を今少し篤く 撰択しょうとしたことで,二つσ穫範的婦尺を得ん と欲したことであフだ.いずれにせよ、人道的人物 塵して翁はわが倒邸中、秀え然卓蔵した人物であ・ 仁。. がく6/∼﹂にぽ,次のように叙.述していろ。 金漫才は十ンハの曙母をうしなひました。 やがて二人. の劣とう乙σ母のさとに引取られ,金次節はまんぺ ゑ乙い・か8ぢの象へ行って,せわになりまし仁。金 次ゆぽよくをちのいμつワをまもり,︻にちσたら いて夜になると、本をよみ.誓をならμ、さんじ ゆつηけいこ・としゴ︸した。をぢ’ロあ・がらがいるの↓と. き5って夜学をとめましたので,金次即αじぶんで うぶ5なとっくり,そのたね左町へ符って行ってあ よらに取りかへ,μ母ばんべんさぐうしましん。2ぢ が又︻本をよむよりばう5のしごとをせ﹂レといμ ましたがら,金次却ほ、及おそくまで裁のしごとをレ て,そのあとでバくもんとしまし斥.金亥﹂即ぼ二† 苓\いの・時じぶんの家へかへd・, せい創にしでり仁ら一の. ハほビ. て、の写にはえりい人になり3しん。 国是修身著の表記にぽ,後手生に触れ.可.■のちにO. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 〆/診尊徳ま雨足・転載壱に登場させ仁根拠ば.こ鼠で理 解で登よう.でσ.蛮習はどのように表現減れているの だううが.尋串ホ盗汗修身老巻多にば,がうかう、しご とにけげあ.’がくもんの三徳目ε揚げて口る。第五の・. 9.
(9) え5い人になり﹂した﹂で終止している。確がに少年金 沢節・σホ診ヶ生にとって模堅肥になる・実践竹ノ為の薯L薫ハを一諾っ. ていた。修身書ぽ修身著として冒本の、代表的人物11葛金 次即を掲げにのほ当然であフ斥ボ。ただ,富珍身こ著だけに 留まり.尊徳の全体倣については。將にと・−あげりれる ことバ露ながつた。枷濫悪平が畜う厳く.実はイ尊徳の はり 彦入芝ぱ.四す三穴以後にある﹂のであ・て,tつと威 人後の活躍に焦点を当てる喫夢がある,従うて,小学修 身著にのみ登場レ,それ以復の教材にd尊徳が登場され ていないが.これでぼ二呂尋寵の実蕨がノ般に理解計れ ていないのば当鍵州である。 砂姐山汲勘や治ぽ. ﹁その.オ’ぱぬげ陰門冶ル戸︹唱, 第〃ナたちの活. 動による部分が〃欠であるが.反面これによって尊穐の 真実の姿が,がえって理解≦敢にくくぼうたのも亭災で ある.疹奇書の主役にまつりあげられた結果ぎ鉾くに 旧くの反、謡扇かうσめになった、芝も否足でき慧い﹂と 述べているが, 修身厚畳︸の主役に獄 っκ尊書は. 真の∠へ闇. 像を鬼果されながつ仁のである。. .柴刈り.縄謡い.隠妻作り、親♀助σ,弟縫 銘し,兇弟仲よく、孝行をフくす、手本ぽ二宮金次侍し の唱歌により,彼ぽまさに小学生の模範生であった。 少耳金下部の傲ぼ、+六出の時’象離散,銀難辛苫の 中。寸暇を結しんで勉学ヒ励む嬰であるバ,あまりに. 勤倹力行﹂の徳目のみが先行し,真のん聞破を把握する まで徹しされはが・斥のである。威詫言の尊徳は修身書 に託載iれ杜質素倹約・勤倹が竹といった活動グおつκ. が,それは尊穐の人間破の’面であって.その後の人道 三三に真価斌発庫きれている。 尊徳自身ぽ自分の天分を自覚し その徳を発揮したが 後ヒ修身詳密廃止になると。その中にある尊影5でが自 然に消滅する田田となったのである。. 二9尊穐の評価q,今の冒本人よりむしろ米国んめ方. 兵庫教育大学 兵庫教育大学.
(10) が高い.八州繁樹口次の如く述べている、 八面洋戦争末期に.アメリカ軍がら29か略我マの頭 上にしさりに撒布した伝単の中に.二三尊鷹の肖廠 をかか.ア.. 民主社会建設のために生涯8捧げに民主ま義のあ覚 O 着二子尊徳に彦ヶベ 東め平和主義を更聡し仁偉人二心尊徳をたれなな。 鞍徳精神に還るとき.永遠の世界平知が謬れる。 りどというものがあ・幅.. 封建制度下の農村詣導箔である二宮霜露は現,下め計量. にズレが亘り、苦学力行ぽ忍耐を強いる生め,教肴基本 法の鰍旨に合わ言いとq・セ現代人に.真の尊徳像を諒 晶解するととロ無理な≧とかもし久な口。 しかレ.徳・川末. 期に於・て、犬衆と主体とする生活き強調し、肥育左臭 β践しに人物であ・たごとξ蒙てはいワηい.今こそ与 橘の偉業一に再び青嵐すりべさ・時バ磁米たのでほないに・つうか、. 第三節尊穐研兇の目的と方法 新聞.雑誌りどに脅か・午の非竹悪馬バ報道三論.年々 エスカレ二三レ,激有の荒廃Σ痛.慾させら罷る今ロであ を、又,密々頻発している数庭不知や社会影画と見て軌 現杜けど人間の荒廃を・慾じら時σな口。 .戦後.冒本人は生きる為,再達の為に努力して着たが、. その方策け主として経紀的復興であフた。その結果、今 々経七去国となり.世界の中でも注目される唇在仁なう 鳶のである.冒本の経青ぱ確かに驚妥的に搭辰レ..押 ば過剣ワOどに整がにな・たが.誠々4民活σ.いろ“ うな矛盾点が生じて釆ている.≧れσ経斉復興の彩に於. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. lg.
(11) 口て見過ごされて6尺精神勾筑廃が表面化5れたたあで ある。 今マ物質至上ま必教の経恋恋童に弄ノ眉が生じ. 。ん. 間荒廃﹂へと転勉して口るのである.このっ人事荒廃﹂ がら脱却する篭めにぱ,先ザ散育を斥て直す塑畢がある. 敬育は総ての人畜ヒ共通する,他の何にもまして最優先 する墨田であり,根元前壷婁季項である。 教育ぱ人間を人間化するもの,つまつ人闇を人闘にす うものである.従フて,敬育斌荒廃していにならば,人 間を荒廃︵非人間化︶に導くことになる。だと詰れば, 敬育こそ,人闇形戌の最も悪気な要とはるであろう.先. ず正当ぢ教奇窺を雁書言うこと状肝薯であ9,そのた めにσ。正一いん間観を提示しなけれ.¢ならぼい,こめ 正しい人虫偏ヒ照らして,・へ闘を敬育しん格を陶冶して いかりければならない. ミ り. 最近.新闘雑誌箸で盛んに.二葛尊徳に学べ﹂と論じ てuる拭,その論調を見ると.依然として.勤倹が竹レ の尊徳蕨しが待ち合わぜていないがのようである。この 歪曲泊れた尊徳像を正確に認繊レ,報徳の教責観を論尽 した口。. ,報徳﹂σ二謬尊影の教釧であり.以徳報徳︵徳つ以 テ,徳二\報ユし︶の畜爬味である. ﹃徳レとは一綴ヒ人倫・. 五常の道£竹なってこ訊を曳に乞得し仁人の行為の総評 をいう。尊徳は”くの徳の意味を悪逆ぜて.穂レど呼ん でいる。フま9、・報徳レの徳は森羅石裂総てに.徳レ を椿・ていると解してのる。と口うことは総てり孕物. 拭各々の特質に於uて.人爵生活に役立・ているごとで ある。そのこどがぢ,戚々け役立2昂物’に対する威嚇謝々 愚恵とρう考えが生じ.報徳関係着箸σ.報徳↑詞徳を 美点・良点と同視している。 こめ・報徳﹂め凍理り1ノ宮尊徳の人間観・教育観の根 底である。従・て,この原理を追求することが,正しい 敢為め確立への道標と獄るのでほ云いだろうが。. 兵庫教育大学 兵庫教育大学.
(12) 以上の観点がら.現代下露が言えていろ病める人闇三. 三を解決万誕めにも,報徳・饗教育現覆導入♂る ことへの検討が喫要であろ.,報徳恩初Nは実行導な9﹂ の示可・通り,労’法ぽ1つであう。即ち.ノで宴酋刈穂.の人言. 観・競落観2更践現場の中で生がすことであり.正しい 人一間を喬e秋イリることであ.る。 それバ本来あワるべさ人闇.の. 肇として,周囲から共・遷と呼び、賛同を得ることにより 色然に他を浄化するのであろ。 .幽経斎六国﹄と︾云われてUる一現象ぽ, 物普ハ面のみ’にム望. 点を置さ.精神面に着いては薫習視≦れぽかつk.それ が、三二気廃の’因と電っているのである.訓育荒賂は嶋 田荒廃に他9ら撃いのであるから,ヨ本の精神・乱土の 崩壊につながるものである。 尊徳の教育恩穏ど叡育実践ま再評緬レ、尺暑気轟き訪 う斥めにも,人間.つくりに生かさねば獄らね口と考えた のである.教育着としての尊徳の生き方の中に,今日に 於いても孝ぶべさこと醒〃くある。 私は本論丈を長課する上で,兇、可尊権に劇てる丈献を 調回する,︸どが歯骨鋤硯昭和季多年に発竹苓灰国司 二三尊徳循晃文献維覧﹄に詳細な文献目録が財嚢出れて いる。. 二葛尊徳に関する柔献は〃数出坂こ予ている厭,その ヰぞ〆般に読歩れて口みのぼ、福富正面の旬’〆謬翁面詳 が畠頓島艇暑呵報徳記白位で. 11謬尊徳全集ぱ殆ど託ま 撚て口な口.全集の原理締ぽ円高と藻丈、仕法締ぽ数字 計算・日記・﹂著座閻締σ仮危交りン人といっ﹄よ・つに, 難 解. であるkめに読破芝れることば少ぼい。ごうした理由か ら真の尊慮恩想や業績が知られていない。故に歪められ た尊徳像や的ぎ碍ない尊徳批判ボおこなわ直る訳である。 実像の尊徳を把握するkあにも,彼の遺産を継承する 良あにも,私ば全集の学面的研究斌心要と釜元に。特に、 全集の中でも原理締︵三星報徳金毛録・夫円鏡・芒種輪. 兵庫教育大学 兵庫教育大学.
(13) 廻鏡・汁物発き集・梧道理論罪イ案・報愚臣箸・︶を中書に 添論丈を哀暫しκ。これらば尊徳剋想の服幹であり,彼 の教育観を知るうえで非常に重要である。原理締に属す ろ書物ば体系的論理的記,述に欠けており,ヌ,説明不足. であり難解である.西港1節バイ夜痩翫味するを最も肝. ヨ . 要なり・とイリる﹂ と述べたよ・りに、 私σ精読イ9る・能側度で降 ん.仁。. しグし、蒋徳研晃8すすめる場合,原理編の渉による 研晃をすることば危険である。Uぜなら.凍狸繍は断片 的であワ,体糸面に編輯されてお5ず.尊徳の教育絶想 の跡乏充分にたどる・一とば出来ないからであ・る。私ぼ冒. 託解富商も補足的な資料であると考え,尊徳の散育思想 や数畜災践に関するものを探究しに.. 全集による学間的研究の他に,現在実践している報徳 会︵謡本報徳社・愛知報徳社・ノ円融合潮干︶の窃短気 にも参加をし、 ・体得したことをも参考と一た。 周・時に尊. 徳の足跡︵ホ田原・秘,町・真岡町等︶をたどり.そこで 実際に見聞したことも考慮一た。こ久Q文、献研究と異・ ヒ鉾刃徳の’面を引き出せたと恩わ勲る.. 報徳甜見の進族. 以上の方法により,尊徳の教喬観を把握することに努 めた。. 第四節・. 尊爵甜兇感.主ヒ彼の門下の畠由島薦・福住油壷・脊 三島竹・岡田良一郎著が各地で報徳社を結社しなバら,祷 回していった。尊徳創%の青本資料ば。彼寿の老となっ たものが多いが,二興しヒ理論哲確立されていない。. 島弟で尊徳の論意の富田島塵Q.彼の片腕となって実 駕肱しヒ人物であるが, その着看の切・報、練∼藍島は﹂報、徳図書. の代表幻、2ものであり,絶に司報徳諭﹄がある。ス.報. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. t9. 20.
(14) 、徳の入門書と呼ばれる勿二宮翁夜話吟の著者福往正負ほ 珍くの着書を着わし、司富国捷径﹄﹃報徳学内記﹄司二 葛尊徳翁略伝西台がある。. 富田島憂の甥呑属島竹も切報徳外翁忌℃ノ〆呂先生誘電 を看わして凝る。明冶新政府にな’−,〃数の農氏青耳を 喬てヒ岡田良’師頃啄報徳畠国論出営適法孟子論二面を ・老いわしていろ。 以上の門下生による報紳偲関係の暑∼圭臼が三下. 徳研究の狼本元料として貴壷歯しのである。 明冶の恩想界に初めて二呂尊徳を紹毒しにのQ、加藤 弘之であツた.彼は明治二+九耳の哲掌会に門口て,. 哲学看としての二名尊徳翁﹂と題して講須している。そ の内容バ同会雑誌に記〃軌芝れており, 注日すべき嘉、項が 載・ていろ.. 溝口がけな口ことだが。二宮翁の説くところは.経 斎の話ぼけにとど3らず,がつ’種の哲理の梅する ばかりでなく,その哲理は,余の深く信ずるところ. の西洋瓦世の一種の哲理とαとんど符合していた. 余ぱこれと読んで翁が和漢禾気楽,なろ卓見を有し仁 る 享に驚いた。. 以上の如く、加藤9薯徳か5,薦銘を受けた様手がうが り り. がえる. 明冶三す年, 中甲子校絞長であった土井名亀之進酬句二呂. 尊徳五道惚面斎鈴衝を出版し,報徳狂想を散育現場に導 入し実施した.彼の著切話!葛尊鷹翁直徳経清論﹄は#・. 丑二.佐々弁嗜論尋駆詰惚ヒ邑ざめさせたという点で 八きな憲義をも・ている。. 同多ヤ︿年に脅上智次郎バ.学説上に於ける二名翁の 苑位﹂と濡して呵人道㊤に託翻しに、加蔭七巡が昇上 博士は後に司祭本妹子順次の哲学吟句ロ本陽明学次の智 学缶・6本古学駅の哲導ウという多師作を出版して,長 く学界および電畜界を気配した.この方面における先議 的でもあり、代表的でもある博士をして独立導次と・う’. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. )t )).
(15) む. へ る. 派を考え芝せ仁ことば蓬目すべき必レのであう﹂ と述べて いるように,言上哲次節によ・て二陽尊徳σヨ本哲学史 上に位置付ワられ,ス,独立芝繋として扱われなように なフたのである 明治の後学になる乙、社会蚕業象であな留周孝卿が, 三三司斯民臼ヒ袈徳研見の論丈を載せている。彼ぽ針刺 ヒ於ける二喜尊徳の善化を知り,鞍礁研%を始め仁ので ある.留岡ぼ丈献適言から報徳き恩諭すみめでけはく,. 蒋徳ヒフいて兇鋼し仁り.長彪がら得ヒ逸話を集めるこ となどにカを入れhのである、用二言翁夜話凸旬報酒気 箸の資料ど巽獄・た尊五言と知るのに痛益である. 同昇,莫丈による尊徳研兇として読響鑑三著切、代表勾 耳本・へ﹄尻あり,各国に尊徳が紹命されだことば特筆す べう、であうう。. その後,人魂,昭知に杉るにフれ、多くの報徳田園薮 ザ続出レkが,その代表者が転々妊信云即であ・k。佐 受井ぽ報億資料め、八イアレど呼ばれう二呂尊徳全集三†. 六巻を編集しに.二呂尊徳全集は報徳厨晃に勉欠ぼ便を あにえたのであろ。第一巻ぽ原理,第二巻け仕言雛形、 ぬ 第三巻か今第五巻まで日記.第六巻から第九巻まで書簡 第+巻がり第三す三巻まで廿法,%三†四巻・第三†五 巻ぱ雑輯,第三†六巻ぼ門人集となフている.この全集 ぼ旧藩七耳に出版と完了し鳶バ、こめ全集がら行くの研 究バ始まフトのである.西岳1即は・その第1巻に徽条 原理ヒ関可な若作を悉く綱薙レ,誰乏し,解説乞加へ丈 研究着に報岬切なを脂導左瑛へてある﹄と述べていろ如く 全集の反響ぽ巨大であっ尺.. 全集の出版完了の翌耳から,めざましい報徳転勤が蔽 關し,藁金時.代にふさわしいものであフに、特に 西晋 一即の田尊徳・梅岩宙ぼ、こ杁までの駿徳研究に見られ 怠が・た体素を押えヒものである、. 昭知†下畑に下篇勇吉が司天道と人通﹄を出版し,報. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 23 )y.
(16) 徳の魯理である司三才報徳金毛録距を体糸化したことは, 士馬義がある。. この昭和初期ほ,報徳経斎学研売拓落が閣が訊.・熱心な. 研三家が続出し仁頃であっκ。この会ぽ朋藤仁平による と、・二宮尊徳ノ経済道果高閲スレ原理ヲ研究シ現、代ヨ 本ノ国・撮社会二・橘丁鶴スレ報薇爬経瘡∵字ノ樹立ヲ目的.トシ、. コレが為、電量相互/素謡トソ/研免/発表トヲナスも ヨ う ノース﹄を目的とした研究会であ・尺.この時期が襲徳 の全盛期であっk。. .戦後になると,.偲蕨二三尊穂の破壊しの時期と獄り 二葛尊鷹け時.残からとワ残ざ訊鳶のである.周じ頃 少 与金次即の像バ小学絞の絞庭から消えていっヒのである. その後。寿島丈夫が切論,代磁器報徳祝吻を暑し仁のを初 め.山崎英一著司新日本を興言1!老翁夜話詣’教㊤、股部 鱒之助の川州呂尊書の哲掌と生酒﹄等が出版されんが. ・蝦徳託﹄や旬二尊翁夜話勘の解説に留まフており.啓 三三獄ものであ・た。. 勇徳の激肴禰完部門でほ.下弓勇壱三夕!湯尊徳の人 闇導的厨究山那あげられう.下催ば言言の人闇の徐件8. うき皇民驚無学君.教育重−ての側票ら彼三 と今えている.又.肉’喜尊詠.人心富田幸臣にし尊徳 の生涯・思得・教賃とい・κ面炉ら,述べている.. 加藤仁平ぼ.従来の尊徳研究の.成果を集成し仁三二二. 尊穂全集補遺﹄を老レ,報徳を数育学的視点がら研究し ており尊徳の教筒研冗の言句をぷ唆している。又,田 新興竣徳教育匿ぽ,教育轟轟と報徳恩想の関連も詳細に 述賦︾ており、学校拳旦に及ばした影響を知る、、とがで きる。. 条孝男著の・警看としての茗尊織至りつホ諭 丸バある.∼玖ぽ心田開発左中配とした冥践面を五べん ものでうり,参考となつに。 鍾つ徳の精神と皇コ業を庸売嚇する尺あ・に発刊されたものに. 兵庫教育大学 兵陣教育大学.
(17) 司かnび々く﹄があを。佐受乱落比吉は切かいがやく告 ソ にっ二呂尊徳と教肴レと題して飛べている.尊徳拭どめ 試うに営び、とのように激えたかを話っているが、尊飛 の尺骨観、教角観に触れてロりいのが残念である. 硯狂、報徳の理を体系付けろべく, 息命野・が今研半面. れているが,上記以外に、尊徳の原英批判を中心ヒ研究 をしている内山稔、又、歴更資料から究明し厚耀ら尊施 蕨を把握しようとすう奈長瀞及也,児王幸多、芳賀登. 等の宮前営看がいるが,本研究にσ参吻と可る前が少な いよ、フに田配’η広る。. へ一︶茜号﹂紙代の島冶防則σ、 一面取に、八里温容しと毎百か・れ一くいムWバΨ. 者年期の彼の冒記、書鞠にけ、金冶部レと記.濡してい る,私σ.二宮漆瘡翁略伝西ヒ.翁面鳶徳。通檎金沢 節レとあるので、二古身徳乙詠いた. へ2︾読売新治 昭和五と午八月払百. ︵3︸﹃毎冒グラフ﹄ 毎冒新調社 昭和五七午+月三ヨ ︵紀囁復∴刻版一品壱Ψ小豊熟下身・書訂 ︵ノー.ヘレ書一房 昭和四五︶ ︵タ︶三章 導師切 冒瀞冷実︹化﹄実’﹄ ︵岩τ渡書店 昭知q四 五︶一=一六亟く. ε駈々磁歪甘煮妻田二喜尊徳全集B︵二宮一尊徳偉業豊揚 会・昭和囚v冠す巻から第三二特立 ︵エ知歌森煎郎q冒本・歴気団皐・物語勘 ハ河・出書房・ 昭知四 二︾ 一五四一輿. ︵δ︾前掲慰二呂尊徳全集二言六巻から第逆巻迄 ︵﹃︸奈良本辰也二二薯尊マ範匙 ︵岩波書店 昭和四五︶五更. ︵璽前掲旬二上専範全集血第’巻π。一更がら拓二七貢迄 ︵“︾サンケイ新聞へ昭和i†准†払/月二冒ゾ. ^g内村鑑三﹃べ表的冒本人﹄︵岩波書店昭和五ご 一 一 〇ゐ臭 ︵13︶村岡典嗣剛歯垢哲学・史衡 ︵岩波書店 昭和七︶八。貢 ︵即︶佐安井信寿覧顔﹃報徳生活の原﹁理ど方法勘 ︵一円融↑合会. 昭和五三︶. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 27. z9.
(18) ︵汐︶丈総省旬学制百年史隠︵帝国地方行政学会昭釦五六︶ 三 三 三 重 ︵吃︶加藤仁平旬二葛尊徳全集補肥退距 ︵報徳同藁会 昭知咽. 、八︶ 五払貢 ︵7亀︶前掲司復刻門歯敵甲八二修身圭ど巻三ズハ百^. 璽加籐仁平﹃、威田山における=喜尊翁の開眼㊤︵土埃書 舎 昭丸五二 ︶ 一六工更. ︵n長波常沿﹃尊短と弟各たち.幽学と武士道色︵・目奉 罵回想系肚月報三三第五二巻 岩波書店︶ラ臭 多文部省﹃㍍秤訂ゴす吊小学唱歌白︵池田書店 昭和四六レ 九十ス. ︵ゴ︶三木繁尉.二面尊翁の実景︵図書刊行会昭和立ニ ニヘア冥 ︵22︾竹丙走ル士 嗣全海連す昇史肋 ︵伽・軽仁σ→ %和五六 レ. 四六百第. ︵づ二言尊徳看ニナ年祭記途詩業会食二移蒋平編究丈献目 録山 ︵龍骨書舎 昭知五三︶. 3︶西宮1師旬尊徳・梅満助︵老皮書店 昭魚1三︶1五貢 ︵オ﹀前揚州二子尊徳全集補遺助 五五質 3V同石 丑七回参州川 ︵汐同看 五七重. ︻22v前回切尊偲.梅田宙 一匹貢 ︵ゴゴ呂尊徳百ノノや年祭託急患業﹂会困二面・尊・徳と面一.代㊤ ︵ 理湘∼社 昭知五三 ︶ 1 ♪ハ九回不. ︹妙﹀下話勇壱弔二幅尊徳の人品学的研究珍︵広肥学璽 昭 和丑五︶. ︵31︸下程勇壱・久木幸男旬多菖尊徳・高原幽学壕﹄︵委川 欠学出版部 昭勧五一︶ ︵涙︶加巖仏田田噺興報徳教育珍 ︵同丈書院 隠知一三︶. 婁前場﹃二宴会穐ど現、代引六〇萸から八。臭立 一円融合会4. 3遊々六典比白詔二喜専徳と教育︵上︶鋤︵嗣かいがや く山第二=’巻第三号 . 兵庫教育大学 兵庫教育大学.
(19) 第一草 尊徳の生育過軽 第一節 江・ア未期の農村. 真の尊徳像を考察すなにぼ.先可彼の生怪していに時 、代の農村がどの﹂うな状況き呈して口鳶がを知ることが 撰薯である.尊徳ぽ天明七年生まれ安政多午没であるが、 この周の叢対の状況を知ろ〃なめにσ。枕封建制社会の組⋮織. をながあろことがら始あばければなら厚口。 徳珂封建社会の漫芸の根本ぽ。年環でろリ,頒圭の最大 の関土豪ぽ.如何に就業の耳貢火を収納するがというこ とであった。従ツて、.生かう\ぬよう,殺さぬよう﹂と. が.白姓とぬれ手拭ぱしばる程出るもの﹄とか言うよう に.しぼ−1取る、kけしぼりとろうとする頒婁側のノ方的 なやり労が竹われκ。≧の搾取方法は時.代マ藩によ−一言. なるが,いずれにイよ,農民階級に級寄ぜとなったので ある。支配老の苛劔誹・求により.農民の生計α貧困その ものであうた。ヌ.この時期には.長潟の飢鎚レの加く. たび重なる災薯が起こり.全国的西嶺であっκ.そのた め農氏の生活ぱ根底から破壊したのである。特に農業生 産ガの低がつた関東・東北地方の被薯は欠であっだ。 こうして農民の生瀬は困窮し、本窯姓ぽ。減少して.耕 地ぽ極度に荒廃した。尊慮が見仁農氏の姿はそのよう陰 状況下におがれた農氏の琶悩や田畑を捨て数ぎ捨て放蕩 の三州におちこんだものであった。. 文政五耳のロ記帳に.当支配所常睦下野囲村忠言及困 救躬小児苔︻兼候一にて闇凹引と唱産所,におら て心瓜生之小兇幽と矢 バロい. 殺いだレ候︹﹂とあろ昌如く, ロベらレと呼ばれる嘉マ件−が頻. 繁に起って口に. 、 天保耳間にぽ,各地に猛威8ぶるラ謡いくつがの天災 々飢鍾が逸っている.天保+二二丑年書簡留から引恥し. 兵庫教育大学 兵庫教育大学.
(20) てみる。. 西=1月十即日、御同道致出立,憶意中.片時し芝葺 置,飢渇入病人.豪轍凡手肩余軒,某外極難、中難、 人籔・四万三門門す余人、. この数値がらも当時め悲惨り篠子駅窺えるであうう. 天保八年にQ入塩ψイ八即がレ八坂で鍬起し、幕藩政冶の腐. 敗を訴え同急を集めて武力行動に訟なのであう。伊谷冶 部右衛門苑の言置尊徳め﹂書け闇には次のように・書き留めて いる。. 去申年之儀は,勇入以馬歯噸氣、薗天骨、誌上レ入風雨.. 享鶏にて、五†肩余年稀威穴凶柞、噸ぞ御地御頒分 速も同番之儀.御配慮之段秦遠祭候、別て當春ぱ麟 々敷儀出乗口にし,御心配被遊二六、后’量感邊と ヨ 毎候儀に御座門門.. 全国的な凶作に際し、騒騒しい論罪ハ大塩平八即め乱︶ が起.ている.ヌ,天保期の艦町の警手を尊徳ほ次のよ. ・つ‘に﹂語っている。. 村方Q勿論御陣屋辻も、古木,嘉詩生茂り.雨露之 凌も無論.二念罷,成候仕合、鳥獣狐狸之佐所に罷蔵 ハき 田子間、. 凝町が如何に荒廃してuるがが義字≦れる。ヌ.ん岨 の荒廃、乱紀め乱れ、道義の頽廃も悲惨な状光を呈して いた。﹃報徳記吻にば次の如く述べている。 衰廃極リ方今の貢貌僅に八邑苞筑豊六四袷軒館に減 夢し、家々極貧にしマ衣食足らず身に激特を纒ひロ に糟糖ぎ食ひ新紅のカなく徒に小誌を孚ひ公亭訴訟 止ユ時なく,男マ酒を倉図り博・変に流れ私欲︵外r他念あ. ることなく,んの善亭を悪み人の悪皐災難を喜び他 を苫しめ己を利せんことを計り里正ほ役威と措り細 民を虐げ細民は之を憤り互に仇讐の思ひをなし,粕 ハぢ 損△金を孚ふに至てぼ忽ち正客ふに至.れり。. 徳川末期の農村窮乏の原因について.下程勇吉ぱ次の. 兵庫教育大学 兵庫教育大学.
(21) ように.述べている.. 纂府後半期においては.米つがい経斉の基盤をなす 毅民Q,直接には政冶的強権による重脱の取り立て により,まヒ経斎的にQ高溶.貸付により,疲弊しつ. くして・生色8失・ていったので脅撃 下程ぱ農村あ窮乞の原因として.重税と玉響貸付をあ げているボ.主客要因は農民自身が窮乏から逃れようと して,自ら含パ困ぎ招Uたのでぽないドろうゲ。身分とし てロ武士の次に位置するが、聡敏訴家を強いるれ,下が ・りσ工商の高利貸・資本に圧迫を幽活けた 震民が、一封にも,後. にも身うごき出来ない精神的濡濡の状泥を呈してい仁。 匂分の舎で自ら首を絞あるように,農民は経斎的にも精 神的にも疲弊してい・忙のである。にもかかわらず.農 民が績霊的に臼分の立場を打開しようと社会斎盾に立ち 伺っていくことQ喰がつた。例えば、動姓’揆と畜えど も社会矛盾の醜決といったものでぽなく,眼前の風情か. ら行田に初一たに過ぎないのである。 以上め周簡ほ.江戸末期の農村全体が砲えていろ課題 であったが.幕府にはその解決方法q見出し得なかった のである.喜保の改革で実施し仁ようり上がらの政令で しがながつt。ヌ、天保の改革のような個人生活を強制 すみことしがながったのである。こ熱らの方法ぽ論点や 閣懸点を摩り替えることであって,農芸の改善にはっな 々今なし. 、 ・﹂。. そこで尊徳が間題としたのq,農村社会に於ける焙緒 的雰囲気をどう切り変えうがということであっ仁。対掬 の焦燥観、不二、惰性をどうして徐き、村民’人ノ尺に 勤労意欲をどうして漏斗託るかヒいうことであ・仁。即 ち.自己価値観を祷振せるにぼどう二二ばよdがといを 人閉・桔m循面への敬肴的・な働さがけ∠であ.つた。橋本敏雄は、. .三斜ほ出塁でもなく恩鯉家とが忍教家といった類でぽ なく、むしろそうし仁孝間的雰囲気とQ無緻のとこ・つ.丈. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 3夕. 36.
(22) ︵三略︶.農民の指導煮として、農尉更生に生涯を捧げ セ た・へである﹂ と・迩べるように. 酋仁徳にぱ社会改ザ辛家、一敢. 育者的性椿ボうががえる.. 汐ア末期の愚暗社会に於いては,農民び労働てる・・と によづ.生活に満疋・慾乙生きが日ボ搭見歩鋳るという教 育幻な働きかけこそ.当時の村氏に最も曝妥であ.たと 多えよう.尊徳が老き時期を鳥車馬の如く労働一た農民 め一人で・めったかρつこ易一, ・勤r箸をゑ軍祖︸し、妄足囲、ぜる・へ. き生玉を可能とすろ農村ブくり,村民つく11を心掛σう ように麓つたのである. 第二節勇穂の勉学 尊徳の思褐を考察する榛に口,先ず彼の青年期の生沽 乏明擁にしてあく孟春がある。世に知られて日る尊徳σ. 者年期の努力.即ち.皇教説書が.成功の主賀原因である とみられているが.案外青年期の尊虚像の裏態は知られ ていない.青年期の専穐の資料としてぽ喝報徳記﹄があ るが、碓実な資料∠畜い難く,そこから明麗は尊鷹惹け 旧び上がっイ︵也木ない。. 二呂尊翁全集第+四巻の解題に.二重全集ぽ.新しき 二三ハ翁を社会へ活欄躍︷しむること㌧なつにが、特﹁にこの +四巷ぽ、編煮といへども豫想せ.さりし新資料の登晃に よ・て、去年期の亭實ま網羅し、﹃畜年時.代の二呂翁﹄. 或ぽ﹃二呂翁の声年期の記錬﹄とも冠すべく.ま鳶﹃偉 尺二呂翁の誕生乙そめ環境﹄など︾も考小べさ大冊とな ・陣と記している.艇って.第ナ四巻を中心に看年期 の尊徳破を述べていきた口。 ﹃ク呂尊︷徳川羽渦略伝﹄にぽ,次ハのよ・フに姫師っている。. 翁立縞穂。通絵金次隔即・。相田國足柄上郡栢山村人。 父檎利右衛一門。 母魯ロ子別一所一村。川−窪田一女也. 以天. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 3ク. 38.
(23) 明七耳七月廿三二生。其先出些事銭禽。 位得曾載太夢 彰イ碗確。 十・三世之孫。・肩二心肪周老川。翁芸皿其鴻道辺。. 寛政三年。翁繭五歳。酒匂川媒水.破堤暑及藪†討. 歯舌右衛門田畝。蒙害尤甚。豪産爲之三指,利右衛 門。乳春夜課。薯盈力予聞拓.既而罹病。荏善斎鍬﹁。 ♂而殺。 零時十 多 年沁臼u廿♪ハ ロ也。 任丁四†八。 公羽崎任イ十一. 四。多淫某々.露盤。既孟母亦雁病。遂不言。年三 イ六.實享知二年四月四百也。是歳八月。酒匂川復 洪氷。 田田藍流亡。殆難得治臨v。. 尊徳の青年期ほ.飢鍾﹄の時代であり.哲姓一嘗や打 ちこわしが各地で勃脱し、幕藩郵政箔の根本と揺れ動が て縁詔であフに。まさしく,尊徳の青年期ほ幕気血国家 の賄・壊期∵Cあった。. 尊徳の生家ぽ.鞍難辛苔の物語が残されて回るが、む しろ中気以上の農数であ・た。否.妄永七年狛山村家株 処分調の司象秣田畑高反別取調帳歯にぽ,祖父銀右衛門、 父訓后衛門の合同調査によると、田畑試論三反六畝訊袷 .瓠歩とあるがら.キ精農ゑと云うよリ裕福怠農家τあ・ たので’ あ る. 寛政八年正月にぱ、利右衛門バ参呂し尺際の花向帳. ドむ 即ち、 ﹃参呂覚帳㊤があるバ.当時伊勢参弓バ流行であ ・たに一ろ、ヨだ生写に余裕があ﹁hと汚えちれる. 以上の点ぎ考慮すれば.尊徳の生家口元来裕福な環境 であっbど捉え5れる。 しゲし、寛政三年く月の酒匂川天羨水左うける頃がら 除セに酋刈徳の著悩の生活が始まる。 堵﹂報徳記白にぱ・沢の. ように書かれている。 干噌時寛政三辛忘年、先生僅に五歳、 洒匂香芝”捨駒八ロ め堤を破ワ動吟初村流亡イ9。 此・宝剣∵石衡⋮門の田圃’畝. も残らず悉く石河原となる。素より赤貧、加ふる仁 にワ 四四害に衝維り、. ここに示された如’く, 酒匂川の渓沢が貧困のどん底に. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. Sl タO.
(24) つき落した主な原子である。 専田謡言ぱ尊徳生教の貧困原因について、二点をろげ ている。第ノ点σ、確かに二念永の為にほ相違ないが. む一ろ父剰右衛門の意え・方バ農 氏的発想一大洪訳の為蜜. 纈が石河原にな熟.順黙々と石塊左取除き、元め田畑﹂で に耕作する一でなが・に。つまり,刑右衛門色身斌言下 め伜であるが、次男であっ尺為壱姓としての体質バ幽来 ていなが・西ことである.第二点ほ銀右衛門の養子とし て祖母の教産と継ぐが,利右衛門ば家産を終生の欺とみ なしていUい。即ち、継いだ財彦は多孫に残すのでσ歩 く、’・代によフて売り言いりがら生湿をすうという圭浩 ハほト 信条で為つk。. 寄田が指摘する二面α従采の尊億関係の文献と違う氏 発想である駅、残念ながら穣本資料と獄るものが云い尺 めに子捨に可るこ巳門門泉ない。 司鍛徳記膨には!1葛煮の貧血の例’と次りように示して いう。. 某年正目土倦尺若餅と云ふるもの在裂を廻り一曲を 舞て手歳ぎ祝す、豪て看銅を投じて之ε疑しも,舞 しめざれば†二子を輿て去らしむ。時に迩隣に至る。. 母驚て臼天神攣小害久り何を以て之に輿ん。﹂先生臼僅. に+二銅を貨ぱ可慾㍉と,・笈に於て教の内悉く艘 回田れども一鋒﹁ぎ得ず、. 父の死後 苦労と貧困がま︸9ますきわま・て来たので あう。喜保元年†二日にU、t畝試拾八歩の田地を壼両 三分で売払って僅がに越耳してuるボ.翌年の正目は+ 一=人の鋒なしに,大神楽に居留守をしなワ八ばぼらばが ﹁舘、同三月にぽ、母方の祖父刈久保欠兵衛め葬儀に・参 列しぼがら.身ばり.がカのまりに卑しいという理由で同野牛 ら を拒まれ鳶罎である。. このような貧困生活の中で、尊徳はどのような教育ε 受σnのであううが。留岡幸助の著書切回葛翁逸話﹄の. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 4t. 42.
(25) 中に・翁の手習﹂という題目をつけ、次のように、述べて いンつ. 公羽は瓜ワの丈への々ごつに紙や鼻皇尊で在つ習=とち﹂れ幽にのηぐは. ない。盆の上に萢匂川,の極く紬が量る茨黒砂を入れ. 莫鼠8平らにして彩箸を以て’生懸命に習はれ氏と い・フことであソる . ︵豊。. 祖父と初め.父老右衛門がら尊徳は、﹃夢語激白々司 董子教﹄を学んでい氏のである。特に切実語感碑の教訓 は、尊徳の人生の道橡とぼう仕のである。達士川游著司 実、藷教﹄の’面懸には,由天能楽のノ・書σ明冶維射τ副にあり. ては幼童の籏物として屡く行は蘇て彦うたもので、儒叡 と備教との竹説を告知レ,深切に人人のたましかΣ育て ることを説いんもので.我邦の精神丈化に員献灯なこと. が﹂乃7浦々ラ鳶のでわのるレと書が満ている。. ハゼ. 、少年専徳の純粋な誉田や葱悲偲ぱ、望果証跡臼のヰで 一層狂しく成長していワたのであろう。 ズ 巳弟灘不詳 弦心悲為兄弟﹁ 父母如天地 師.毛如月日. 父母動タ孝紳老詳言仕交友勿静夢乞兄薫掛敬 義弟致愛顧 尺而無孝老 不妥於畜生 己敬人之親 人亦敬田田 又,・酋寸︷偲の勉学の心⋮得として、次﹁の叡h訓門が契機に.なつ. ヒものと恩われる。. 尺不孝無智無轡為愚人雛績奇両童画如一日学 訪児不勤学 老後難索餅 尚無題権益 故藷7書士倦 寄文古墨噂 徐眼通夜錦 忍飢終衆議一 雛会師イ掌 れレ. 屈抑向門人 初学老に対して適切な激言書である司実語敬均ボ無’ 叉の境涯からたち直らせる源動力とな・kめぽ明確であ る。. 勿論. ﹃大学﹄ ﹃論語出 賠中庸﹄・等は読破寸る。特に. 罧新の往来に﹃大学﹄を諦じに、﹂とσ有危である。﹃報 徳三助にはこめ様子を次の如く述べている。. 兵庫教育大学 兵庫教育大学.
(26) 而して挨薪の五泉にも欠學の書を壊にして途中歩み ながら之を歯し少しも怠ず.是先生聖賢の學の歪な り。道路鉱剛者にこ甑∵をM論α編鵬イ9る・がル帆に∠へ雪掻み下見. £︸σ. と以て之を目するものあり 尊徳が法用した﹃太学﹄の薯は,現に彼の弟1’1郎左衛 門の手孫に当にる二喜兵三郎家に所蔵されている。司二 喜翁逸話巴にσ﹁翁は報徳記にある如く閑がはいので夜 分入の寝静5つ出時とか,溶けムに竹・て休息の靖とか、或 け・追ε止少く時とかに入四字を壮賀まれた。 ︵中略︶宴夫学の. Ψにある名ゼブとい・つ所、にヨキヒトとい・つ呼名がつけ一︵あ. る.二心人調活為不善の闘彦という舛にヒマという假乃 謹かκ振フてbのる﹂と﹂著か・れ7kいる.. 以上の点か5し、農民の手尊徳が読癒する時間が皆無 だったと考えられる。この占⋮について、守田匙即ぽ。み ちすがら匁声で漢籍の暗舗εくりがえしたという逸話.が あ・る。 み・〆φか/ワψとぽ.けエよし、 ま氏み・ずか・うの志士戸を耳が. ら入れることで暗記するというの口,青衣の士獄らば行 なわ獄い方法であろう。そうしてまで漢籍左身につげ﹂ ・つとし仁ところに尋9でに学﹂スの型では9い、努力の.型と. ビヨ しての尊徳択のぞいている﹂と記している。学周の環境 の面で恵ま撚ながフた尊徳、小努力の型写して、寸暇き惜 しんで勾穴営﹄を素読した様子バ窺い知れるであろう。 さて、この素読である〆,漢籍の丈章に対する解釈に は至らなけ訓読のことである。江戸崎、代にQ四書五経、 史記、詩歌など沙くの嘆籍が、学者丈人達によ・て訓読 をつけ弓がていkがら,・取初に訓読の要頒趣教授−ても らいさえずれば、一人で素読でさたのである。尊徳ぽ寺 子屋にみ行けな口斥め、一驚石衛門がらナ二歳にな鼠ば q大学臣舶論語﹄にはい然るまでに教えられなのである。 しがし、尊徳ぽ内容を総て理解出来鳶のでαなく,ロま ぬに過ざ賀が・斥のである。そ水でも尊徳の脳裡にしみ スフた多数め金言や教訓は,彼の成長発達にフれ浸透し.. 兵庫教育大学 兵庫教育大学.
(27) 敬養として役立フたのであう.特に尊徳の少耳期の素読 ぼ後の思想形成上、匂寒点社に発言し、解叙し鳶のであ る。. 貧乏がらの脱却が至上命懸であ・ヒ尊徳ぽ.学問の自 、、の占押につ. り む へ. 的も侶ヨ雍戸扉輿困がコ・ら・帥Uいレ山が7㌘こと一ぐ鴨のっ↑に . いて。 勾・報徳記﹄ ば次の加く、述べている。. 他尺の教に養Oれ日←ど送ろといへど・し婚儀必迫丈幽写t乙柑. 懸ずんげ’生転音のんとなり父租傳來の豪を興すこ ︵婆、. と難がるべし、 我議会を以て學ぶ崎ぽ暦数心りに謙る. ∼こと無がる可しと 他の学老丈人達とは異な・ヒ掌間急識であっk。この 点について、佐々判輿比壱け﹁極貧の恥辱了いうものが、 骨身にこ忙えている。、kがら、どうしたら貧乏から脱却 でさうかとい・りことが, レ入闇⋮ 題’℃あフ鳶﹂ と。述べるよ・フ. ハさ. に、 一家復興バ窪なる目的であ・尺。その富めにぱ 学. 闇の輿要性を強調イ9る碧便は. 偲め召書の〃ケと箱4亘点が. あ・ヒ。即ち、鳶惚は妥常砿までに舗著に匁着し尺≧と であ・た。. 鳶徳の伯父石兵衛家に於ワる動掌にフいて、旬応徳塾 O けこ・フ勿匹していムσ 二三先生巳に孤となり縁老萬兵備の爲めに養はる時 に年†六歳.、ザ禺兵衛なるもの安置呑にして強心愛の醇. 薄し故に先生の難論巡れり.、或時先生終日萬兵衛の 豪業ぎ陰勤め夜に入り寝ずして夜學・す。蕩兵衛穴に恩 り煮て日戟汝を養ふに多分の雑貨あり、汝幼若の働 考・ま以て何ぞ之と補ふに足らん、禽ヌ之二恩は.可一 て夜學の爲に燈油を賃て茅恩を知らざるもの也。泣 数もなく田圃もなレ・への扶助と得て以て命を繋ぐ身. の學闇藩命の虚無オ速にを止めよヒ激面する 、︶と甚し. この丈面からは、向掌贈に燃える尊徳に対して、伯気 石兵衛の学周に対する無理解、冷淡無情のように受け取. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 47 4g.
(28) られるボ.これは’人前の看性に有威︹ようとした結果 である。寿感文天も指摘可るように、伯父万兵衝の性格 ロ.、甚、斥しくσちな人間として言口てあることは、 へ中. 略︶、武士階級出身である養老︵富田高岳︶の菖口すぎで あ・ろ﹄と述べている。 ヌ,南寸田士酵即も.掴規がわりとして. あ . ハ の蕩兵衛−のきびしさと菰がさがそこにあるレと述べて口 る。つまり、伯父万面壁にと・て、学闇は無益の亭であ り、むしろ尊徳を’人前の壱姓にする責任、小あフに、協. 同体的色彩の濃い農村社会でぽ,旨姓として1ん前に仕 ・孝すろことほ各々の家にと・てぼ勿論nこと、対全体の 生冶を短持する為にも極めて喫密なことであフた。 尊徳と伯父万兵衡の学芸に対する撮本理念に湘違ボ見 られみよう.尺が、万兵衡の教育が後の報徳田富に㍗大の 養化と与えう結果とロブた、。. ﹃ 下刷房一論七十W公羽略. 文化元年、ナへ歳の尊徳ぱ可兵衛の元から独立し、一 薮と再建するが.勲学に志す彼ぱ他象に雇われ賃金と得 るにも組手︵仕事先︶左選択して口ゐ。 く 書 が 蘇 て に ほ 次 の ,如 い るb 伝﹄. 藩閥服部門番肩三男泣面詣︷書。翁視之心.姦刷喜之詰爲家. 僕。夜這坐其講書之傍.側聡不倦。遂通鍋蓋。能暗 詰レ 爲三多往學之僕。至則立講堂窓下。羅恥 、 記 之 。 又 ヨ. 議¥破。略豊丸義駒。. は 勤 苫 と 共 に 動 学 を と 仏 と 盆 立 さ ぜ て u>にので 尊徳 .青年期の生浩を知るのに根本資料と言える﹃臼記 鴇のムげ. て い る 、その解説に︻金船出入帳†三 す覚 帳 脂 が 残 され ハ . 冊σ 、公羽が†た淑よ11三†一歳 までの日記出入畳脹であ つ7\ 、公羽の圭円蓋・期の活動垂・歴’と物語るものである﹂と・書. か熱 て お り 、酋尉徳の修学に深く影⋮二一をkナえヒ㍗乳のろう上者. 堺貝語きゃ、つ. 威君田丈 算、代記. 九拾文 . 等 .即ち、﹃金麟訟入帳函の中に因りよう 籍バ心発 一 見で 、る な書籍が散兇できる。 ふ人化囚加十十一日子五日 之化⊥へ年− 正月廿三日. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 4タ. 釦.
(29) 同年. 同. ノ\. 四月 二日 ・’ハ月廿多 日. ハ月 七日. 三百四拾八丈 門止阜 ゲ臼回田、訊♪人 こ・つき々・フ. 多白イ人 中山記. 試朱 経典濡濡. 窪目十虚日 二日 二日 、瓠旨三給気山人 彦耀詩一選. 壱一の訊朱ト けいてんよし 銀囚匁五分 ●. 正目せ七日 囮同十三日. 八†丈 實語回. 三日廿五日 九月 朔日. ヂ臼・イ ・’ハキ人 ヤへ學. π月 六日. 丈化±笄 周 二月す⊥ハ日. 試副子三十載山人 彦輕. 丈政二年 †川州二日 士豊嘗試朱 田圭望霊組 同 十周月十へ日 皿合文 四回目士骨組響. 門前董τ. 三 †占ハキ入 ﹂旦ハ垂百. 宜−、代、口. 史化†二年 正月 三日. 議拾八ふ人 . 之化 † 皿 年 ,. 七日†三日. 毒維 孝孫. 白面、託. 陸. ±R+七日. 試百五拾壱匹・丈 . 湯. 文化兀年 丈化 や 年. イし. 固 十二日U廿へ臼 土蚕糸7L 曲言θ壱玄組 ︵引︶. ﹄﹂ 函 三 十−山ハ 丈. 、又化八年がら尊徳ぼ服部象に中問として働き給金を貰 ・ている温め,図書の購入斌点くな・kことが立証芝れ る。ヌ、三組の四書を購入してお9,便用目的は記入さ れていりいため明確に判明出釆高いが.冷語年忌諾役出 一目 鋒相帳﹄に・愁介糸偏候・とが、旬御金蒔米鍍色入椌愉絶 ハおり ヒ.西栄出精に付属レ帳﹂と書かれていな.尊鷹ほ教育 実践に於いて、表彰崎に褒美と重て.四書壷紅レを与え たと考えられる.こめ煮にフいてぽ、第四章で詳言に込 べることにし仁い。. 勉量の書籍購入と同時ジ丸化へ年に尊徳ぽ本ばこき 銭百蒜拾四丈で買ってお9,がなりの書物を暫幸してい トと考えられる.. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 島.
(30) ハち . ハち. 他に丈化三面四月より、ム雪の句話、楚光評句料、暑 死目ソ 細賃キ句等〃額の三半を灸訟している.専鷹σノ1†歳頃 から・ム雪乙とうして俳句をフくっている.勿論ある程 度の生沽の余裕も生じζいヒためヴeうのるが、鉾N惚 17当碕 . 江タにあうて雪申庵の危瑚を継いだ雪甲庵冷寒︵天島完 来︶がら指導を受けていた.悪徳σ芳デΨ期の排んで肩 彩な見来からム雪の号・ε許司三れ熱蛭に俳句を学んだの. 徳. 編 . 道 集 と ん 第 :道三一 龍. 』六〇 六三 一巻巻 右巻 二三門. ta 宮. 改 蒋 天 ・全 tS. 歯八州0一 書。八fto一 ・舎重田田十重. 三五払萸. ︵18︾畠士川游﹃実語教画 ︵Ψム丈叱研彪邦所 昭和︸o︶二頁. ︵些黒田博司二呂尊徳の生濯と報徳の恩許﹄へ書芸学團 三和五七︶ 二四貢 ︵巴留岡幸助二二呂翁逸話侮︵警醒社告店 朔治四一︶ 五三貢. にり︶ 扇 七り ・入・’八貢. ︵群︶払則︷揚﹁旬 二 由6酋寸循へ全層禾﹄ 帰第三・二二 ←ハ五二. 戸Bご守田為郎−旬二宮尊徳﹄ ︵動⋮⋮旨揃,聞社 昭ん六五〇︶二三萄八. 危︶ 冨 石 三六巻 大三三. ︵巳憾石 . ㊤ 同 石、 ﹁四巻三川ニ重. す︶ 樹 七似 三六巻︺九〇一〃與. 六嘘更 ︹8︶前掲﹃ニウワ酋て徳全集田箸︸囚巻 . 昭釦囚t︶ 四〇7冥. ︹7癒本敏雄四二呂尊徳の思廻︵上︶勘︵痢泊蓼咤論叢. 昭和五三︶. である. これは後に・専徳が道歌をフくう條の素読になつ. 勇 m 吉方右右な二. 氏のであうう。. 下 前 回同門同門猪. 一徳二 曳. zξ征3⑤↑. 兵陣教育大学 兵陣教育大学. S3 ケ9.
(31) 綿 同 ち 六一喫がら三’チ興より櫓↑出. O回︸﹃ 二十一尊徳﹁全集﹄ 第三六巻 ←ハ五二. O掲q二呂翁雲州﹄ 巧=二言. O掲﹃川治酋訂徳画 1!門歯. が竹囚眠天司囚書一五・経偉 ︵平凡社 昭知四五︶二三払萸 蝉メ副掲 切 ’♂呂尊緬旬全集画 諭第三ふハ巻︺ よへ八嚢. 雄前揚司二喜尊徳乙教去臼︵上︶﹄ハ臭 払前掲﹃二宮尊・穂全集と箸・三←へ巻 −ゾヘへ彙. η寿・島丈夫﹃現,代語版報徳記色 ︵逆理書院 躍知四六ノ. ニ五萸 認y則掲﹃二呂州・徳山 四一章へ. 呼前掲・二呂鳶徳全集﹄第三六巻払・二貢 @ 同 右 一二巻三←ヘ川州. 徳・卜 巻尊. ‘」田 一徳 参原 一t・3. との )ム. 31 周 亡但 一二←八 囚 貢 か △7←へ 0 八 真. 臨. 負萸 智嚢貢貢. 尊 の. ガロe 巻っ. よ り才 歩出 . い田 x と ろlc..右回れ考ズヨ石門 い て し 。. う いて 哲 る緋 で .句. rt 2 ノト つ. 」 そ が三三 れ多門プL fl o−kC 蓮!\五四. 周 右 七五二回天. て細nt厨残』同門同. 句 く の り 会 . あ ノ\ 七 かぐ 七= 一 ヤ=. @ しil に雪. 兵庫教育大学 兵陣教育大学. 20 21. 22. 30. 32. 3夕9タ33. 3736 . ケケ. ケ6.
(32) 第二章 報徳の原理 節 因果輪廻. 皆弟一. らロリ. 気廃しに裏﹁村誌復興すること乏生涯の妊務とした酋可・徳. ロ、.天地の経回しかち勉学したのである、街々の農新 生薩活動を通してリアレに観察したものであり、彼の対. 象ロ心農毒︸物バ中・憎であっ仁のぽ当然である。尊徳はこの. 天比の経文炉ち因果輪廻の理を恩讐レた.二途尊徳全集 の原理編の解顯一にQ、次の40く“述べている。. 翁ぱ百種百草の生育によって年々歳々種草花賓の四 世因果の輪廻するを知り、貧畠の愛器の根元を洞察 して宇宙間の動静罐化と莫に悉く因果の連鎖を以て 輪廻湿る・︸とを断重した、’切萬孝が因果を以て輪 廻でることは、 吉今・棄 西門ん右承切曜ぜぜ\る怠考や宇、蜀. ︵3。. め大田則である 尊飽ゆ独自の囚也因果の輪廻を説さ、 ℃三穴報徳金毛 録﹄め因果輪廻之解に次め円図と麦丈とも・て説いてい る。. 因果輪廻之田 無. 生米穗. 登米州. 結米唇貝. 兵庫教育大学 兵庫教育大学. 至言二二生育氣至髄木子花咲氣 至腱華言實凝奪回回忌含種子氣 ︸時米撞. 蒔変種 生変穐 発四花 結変賢 結粟實 蒔粟楚 生栗穗 発粟尾 蒔稗腫 生娘穏 発稗死 結田田 雨曇種 生豆艸 発豆汐 結豆實 妻帯種 生野蔓 田邸尼 結病田 ヲリ 生茄木 発茄彪 結茄子 蒔託種 右図の1円は輪廻の起こる内部的生命−の遅続・逆心を 示すものである。春・夏∵叙・冬それぞれ木・花・更・ 冬.
図
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