博 士 ( 工 学 ) 岡 田 龍 一
学位論文題名
Organization and Neural Activity ofaHigher Center of an Insect Brain
(昆虫の脳の高次中枢の組織構造と神経活動)
学位論文内容の要旨
昆虫は地球上の全動物種のうち70%(約70万種)を占め、進化的に成功を収めた動物 であり、その脳を構成する神経細胞の数がヒトに比べるとわずか10万分の1であるにもか かわらず、複雑で精巧な行動を示す。昆虫の脳の運動制御、感覚統合、記憶や学習など のメカニズムを解明することは、ヒトなどの脳の高次機能の基礎的知見を与え、また、
ロボットなどに用いることが可能な、新しい情報処理装置の開発にっながると期待でき る。本研究では昆虫の脳の情報処理様式を明らかにする目的で、ワモンゴキブりのキノ コ体に関する研究を行った。
昆虫の脳にはキノコ体と呼ばれる高次中枢があり、学習、配偶行動、運動制御などに 関与すると考えられている。ワモンゴキブりのキノコ体は20万個の内在神経細胞(ケニ オン細胞)からなり、傘と呼ばれる入力部位で様々な感覚情報の入カを受け、処理した 後、柄、 葉、ロ葉の3つの出力部位から脳の様々な領域に信号を出カする。本研究で は、私はゴルジ染色法、鍍銀染色法などを用いてワモンゴキブりのキノコ体の組織学的 研究を行った。また、運動制御におけるキノコ体の役割を明らかにするために極細の銅 ワイ ヤ埋 め込 み電 極を 用い て自由 行動中のキノコ体の神経活動の記録を行った。
鍍銀染色法によって、ワモンゴキブりのキノコ体の出力部位に15対の明暗の層(スラ ブ)が観察された。スラブは他の染色法でも再現性良く観察され、キノコ体全体を通し て、互いの位置関係を保存していた。さらにゴルジ染色法によってスラブ内でケニオン 細胞の軸索が多数絡まりあった薄いシート構造が観察された。一つのシートはキノコ体 全体を通して、一つのスラブに属し、決して他のスラブに入る事はなかったことから、
ワモンゴキブりのキノコ体は、スラブ特異的なケニオン細胞からなるシートによってで きる、明暗合わせて30の構造単位を持つ事がわかった。また、ゴルジ標本の詳細な観察 の結果、ケニオン細胞は細胞体の位置、傘部での樹状突起の広がりやその形態的な特 徴、軸索の傘部内での走行位置などによって、4つ(Kl−K4)に分類できた。4つのタ イブの細胞は細胞体も軸索も同心円状に分布しており、Kl細胞の細胞体は、最内側を占 め、傘の繊維層の内側を走行しながら、短い枝を傘の神経叢にのばす。同心円の外側に いくにっれて、K2細胞、K3細胞の細胞体があり、K3細胞の軸索は傘の繊維層の最外側 を走行する。両者はともに刺状構造に富んだ枝を傘の神経叢にのばす。K4細胞の細胞体 は最外側を占め、軸索は直接傘の神経叢に入りながら枝を出す。Kl細胞の軸索は柄の最 内側を通り、 葉の最後方ヘ投射する。 葉の中間部はK2細胞が投射し、最前方へは K3細胞とK4細胞が投射するが、K4細胞は最前方のスラブにしか投射していないのに 対しK3細胞は近隣のスラブにも投射している。それぞれのタイブのケニオン細胞はそれ
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ぞ れ特 定の スラ ブに 投射 する ので 、キ ノ コ体 はス ラブ に投 射す るケ ニオン細胞によっ て 、4つの 領 域に 分け るこ とが でき る。 以上のことから、キノコ体は ケニオン細胞から な るシ ート 、ス ラブ 、領 域と ぃう 組織 学 的な 階層 性を 持っ こと がわ かった。それに加 え 、キ ノコ 体の 外来ニューロンには、樹状突起を暗層または明層のい ずれかにしか広げ て おら ず、 しか も特定の層にしか枝を広げていないニューロンも観察 された。っまり、
キ ノコ 体の 外来 ニューロンは個々に決まった、特定のスラブのセット から入カを受けて お り、 スラ ブが 単なる構造単位だけでなく、喃乳動物の大脳皮質の「 コラム」と同様に 機能単位である可能 性を示唆している。
埋め 込み 電極 を用いたキノコ体の出力部位の神経活動の記録によっ て、キノコ体の外 来 ニュ ーロ ンは 感覚 刺激 に応 答し たも の (感 覚ユ ニッ ト) 、運 動と 関係があったもの
( 運動 関連 ユニ ット)、感覚刺激に応答し、かつ運動と関係があった もの(感覚ー運動 ユ ニッ ト) に分 類できた。これらのユニットはキノコ体の出カニュー ロンの活動を反映 し てい ると 考え られ、それぞれのグルーブ内においてもニューロンの 神経活動は非常に 多 様で あっ た。 感覚 ユニ ット には (1) 多種 感覚 刺激 に応 答す るも の、(2)体の様々 な 部位 に対 する 接触 刺激 に応 答す るも の 、(3)右と左の付属肢の感 覚刺激を区別して 反 応す るも の、 (4) 刺激 の種 類に よっ て応答の潜時が異なるものな どがあった。運動 関 連ユ ニッ トは 、自己受容器からの信号を受け取っていると考えられ るものが多かった が 、(1) 運 動の 開始 とと もに 発火 頻度 が減少し、運動の終了後も低 い発火頻度を維持 す るも の、 (2) 記録 時間 中に 神経 活動 の応 答が 変化 する もの 、(3)歩行運動の方向 に 関係 があ った もの (方 向選 択性 ユニ ッ ト)、(4)運動の開始に先 行して発火頻度が 増加するものが見っかった。方向選択性ユニットは、運動出カのコピ−(efference copy)を 受 け取 って いる と考えられた。とくに運動に先行して発火頻度が上昇 するユニットは運 動 が開 始さ れる より非常に早くから発火が始まる事から、運動司令を 出カするユニット で はな く、 運動 の準備に関連しているユニットであると考えた。運動 に先行して発火す る ニュ ーロ ンは 哺乳動物の皮質運動野や大脳基底核でも観察されてい る。これらの事か ら キノ コ体 は様 々な感覚信号や運動の開始や維持を含めた運動に関連 する信号を統合し て いる とぃ う仮 説を提案した。同時に複数のユニットの神経活動が記 録された時、それ ら のユ ニッ トの 性質 は似 てい たが 、詳 細 な解 析か ら、 全く 同一 では ないことがわかっ た 。そ れら には 運動の準備に関連していると考えられるものと運動を モニ夕一している と 考え られ るも のが同時に記録された例もあった。私の記録方法では 電極のごく近傍に あ る神 経細 胞の 活動しか記録出来ないので、同時記録したユニットは 互いに非常に近く に 存在 する と考 えられる。種々の染色法の結果から、キノコ体の出力 二ユーロンは数個 な いし 数十 個ず っが密集してクラスターを形成していることが示唆さ れていることと考 え 合わ せて 、キ ノコ 体の 出カ ニュ ーロ ン は似 た性 質の ニュ ーロ ンが クラス夕一を形成 し 、そ のク ラス 夕一 は感 覚情 報と 運動 の 準備を含めた運動関連の信号を1組のセットと して、脳の様々な領 域に出カしているとぃう仮説を提案した。
本研 究に よっ て、昆虫の脳のキノコ体にはシート、層、領域とぃう 階層的な組織学的 単 位が ある こと 、ま た、 キノ コ体 は脳 の 様々 な感 覚情 報と 運動 に関 連する情報を統合 し 、運 動の 開始 や維 持な どに も関 与し て いる 可能 性が ある こと が明 らかになった。、
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学位論文審 査の要旨 主査
副査 副査 副査
教授 教授 教授 助教授
下 澤 楯 夫 狩 野
猛 河 原 剛 一 水 波
誠
学位論文題名
Organization and Neural Activity ofaHigher Center of an Insect Brain
( 昆 虫 の 脳 の 高 次 中枢 の 組 織構 造 と 神経 活 動 )
近 年 、 工 学 設 計 を 生 物 か ら 学 ぷ 気 運 が 高 ま っ て い る 。 な か でも 昆 虫 は全 動 物 種 の70% を 占 め 、 地 球 環 境 へ の 適 応 に 最 も 成 功 を 収 め た 動 物 群 の1つ で あ り 、 そ の 脳 を 構 成 す る 神 経 細 胞 の 数 が ヒ ト に 比 べ る と わ ず か10万 分 の1で あ る に も か か わ ら ず 、 極 め て 複 雑 で 精 巧 な 行 動 を 示 す 。 昆 虫 の 「 微 小 脳 」 の メ カ ニ ズ ム を 解 明 す る こと は 、 次世 代 情 報 処理 技 術 の 開 発 や マ イ ク ロ ロ ボ ッ ト へ の 応 用 に っ な が る と 期 待 で き る 。 本 研 究 で は 昆 虫 の 脳 の 情 報 処 理 様 式 を 明 ら か に す る 目 的 で 、 ワ モ ン ゴ キ ブ り を 材 料 に 、 昆 虫 の 脳 の 最 高 次 中 枢 で あ る キ ノ コ 体 に 関 す る 研 究 を 行 っ て い る 。 本 研 究 は5章 か ら な る 。
第1章 で は 、 本 研 究 の 背 景 と し て 、 昆 虫 の 神 経 系 の 基 本 的 な 特 徴 と そ の 工 学 へ の 応 用 の 可 能 性 に つ い て 論 じ て い る 。
第2章 で は 、 昆 虫 の 脳 の 構 造 に つ い て 概 観 し て い る 。 昆 虫 の 脳 に は キ ノ コ 体 と 呼 ば れ る 高 次 中 枢 が あ り 、 学 習 、 配 偶 行 動 や 運 動 の 制 御 な ど に 関 与 す ると 考 え られ て い る 。キ ノ コ 体 は 入 カ ニ ュ ー ロ ン 、 内 在 ニ ュ ー ロ ン ( ケ ニ オ ン 細 胞 ) お よぴ 出 カ ニュ ー ロ ン から 構 成 さ れ る 。 入 カ ニ ュ ー ロ ン は 傘 と 呼 ば れ る 入 力 部 位 で ケ ニ オ ン細 胞 に 様々 な 感 覚 情報 を 伝 え る 。 ケ ニ オ ン 細 胞 で 統 合 さ れ た 信 号 は 、 柄 、 葉 、 ロ 葉 の3つ の 出 力 部 位 で 、 出 カ ニ ュ ー ロ ン に 伝 え ら れ る 。 出 カ ニ ュ ー ロ ン は 脳 の 様 々 な 領 域 にキ ノ コ 体の 出 力 信 号を 伝 え る 。
第3章 で は 、 ワ モ ン ゴ キ ブ り の キ ノコ 体 の 組織 学 的 研究 を 行 って い る .っ 渡 銀 染 色お よ び ゴ ル ジ 染 色 標 本 の 詳 細 な 観 察 の 結 果 、 キ ノ コ 体 の 出 力 部 位 に は15対 の 明 暗 の 層 が あ り 、 各 層 は 別 々 の ケ ニ オ ン 細 胞 の 集 団 か ら 構 成 さ れ て い る こ と 、 す な わ ち キ ノ コ 体 は3 O個 の モ ジ ュ ー ル ( 構 造 単 位 ) か ら 構 成 さ れ て い る こ と を 見 い 出し て い るt, さ ら に、 ケ ニ オ ン 細 胞 に は4つ の 形 態 的 な タ イ ブ が あ り 、 そ れ ぞ れ の タ イ フ の ケ ニ オ ン 細 胞 は そ れ
ぞれ 特定のス ラフ゛を 形成して いること 、すなわち 、キノコ体を構成すろ30個のスラブ は4つ のグルー ブ(領域 )に組織 化されて いろことを 見い出し ていろ、 さらに、 キノコ 体の 出カニュ ーロンに は、樹状 突起を暗 層または明 層のいずれかにしか広げておらず、
し か も特 定 の 層に し か枝 を 広げ ていない ものがあろ こと、す なわち、 キノコ体 の外来 ニュ ーロンに は個々に 決まった 特定のス ラブのセッ トから入カを受けているものがあろ こと を観察し ている。 このこと から、ス ラブは単な ろ構造単位だけでな<、哺乳動物の 大 脳 皮 質 の 「 コ ラ ム 」 と 同 様 に 機 能 単 位 で あ る 可 能 性 を 指 摘 し て い る 。 第4章 では、運 動制御に 於けるキ ノコ体の 役割を明ら かにすろ ために、 極細の埋 め込 みワイヤ電極を用いて自由行動中のキノコ体の神経活動の記録を行っていろ ・,キノコ体 の出 力二ユー ロンはそ の活動の 特徴から 、感覚刺激 に応答したもの(感覚ユニット)、
運 動 と関 係 が あっ た もの ( 運動 関連ユニ ット)、感 覚刺激に 応答しか つ運動と 関係が あっ たもの( 感覚ー運 動ユニッ ト)の3つ に分類され たが、そ れぞれの グルーフ 内でも ニュ ーロンの 活動は非 常に多様 であるこ とを見い出 している。例えば、運動関連ユニツ トに は自己受 容器から の信号を 受け取っ ていると考 えられるものが多かったが、それ以 外 に 、(1) 記 録中 に 活 動の バタ ーンが顕 著に変化し たもの、 (2)歩行 運動の方 向に 関係 があった もの(方 向選択性 ヱニット )、(3)運 動の開始 に先行し て発火頻 度が増 加す るものを 見い出し ている。 方向選択 性ユニット は運動系が出す出力命令のコヒーを 受け 取ってい ると考え ている。 特に運動 に先行して 発火頻度が上昇するユニットは、運 動の 開始には るかに先 行して発 火を始め る事から、 運動司令を出カするユニットではな く、 運動の準 備に関連 している ヱニット であると考 えている。運動に先行して発火すろ ニュ ーロンは 哺乳動物 の皮質運 動関連領 域野や大脳 基底核でも観察されている。これら の結 果から、 キノコ体 は様々な 感覚信号 や運動の開 始や維持に関わる運動関連信号を統 合しているとぃう仮説を提案している。
第5章 では、本 研究で得 られた知 見を基に 昆虫の脳の システム 設計につ いて考察 し、
昆虫 の脳の神 経回路は 全体とし て3つの階 層から構成 されてい ろとぃう 仮説を提 案して いる。
これ を要する に、著者 は、微小 な情報処 理装置であ る昆虫の脳の最高次中枢であるキ ノコ 体につい ての研究 を行い、 キノコ体 には階層的 に組織化されたモジュール構造があ るこ と、また 、キノコ 体は様々 な感覚情 報と運動情 報を統合し、運動の開始や維持など の高 次運動制 御に関与 している ことを明 らかにし、 昆虫の脳のシステム設計について新 知 見 をも た ら した も ので あ り、 神経情報 工学の発展 に寄与す ろところ 大なろも のがあ る。
よっ て著者は 、北海道 大学博士 (工学) の学位を授 与されろ資格あろものと認めろ、