O 論 説 特 集 O 現 代 中 国 映 画 研 究
銀 幕 の 憧 れ
中国映画の中の都会人不在についての一考察白井啓介
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中国映画は土の匂い?
中国映画を見るたびに︑いつも感じることがある︒
香港映画︑例えば香港ノワールと呼ばれる﹃英雄本色﹄(邦題﹃男たちの挽歌﹄)シリーズ(一九八六1︑呉宇森︑
徐克脚本監督)や︑最近の作品で言えば︑フルーツ・チャ
ン(陳果)の香港返還三部作などと比べた場合︑大部分の
中国映画は︑どうしてどこか土臭く垢抜けないのだろう︒
チョウ・ユンファ(周潤畿)のキザっぽい仕草は︑しかし
嫌みにならないだけの垢抜けた洗練さを備える︒フルーツ・
チャンの作品も︑都会とはいうものの生ゴミと飲食店の厨
房の裏側の匂いが漂うもので︑つまり場末の裏通りの情景 という程度のものだが︑この程度の都会のごみごみした雑
踏の匂いを濃厚に発散する中国映画さえも︑数え上げるの
に苦労するのはなぜなのだろう︒ウォン・カーウェイ(王
家衛)の作品にいたっては︑常に都会が背景に覆い被さっ
ているし︑無国籍と言っていいような都会の︑その無機質
な匂いが充満している︒中国大陸の映画にも︑都会の情景
や人間が全くないのではないし︑より若い世代の撮る作品
には︑それでもそれなりに都市が描かれることはあるが︑
あまり大きな比重は占めていない︒巨大な田舎っぽさと言っ
ていいような︑田園的で牧歌的︑ローカルな﹁緩さ﹂が支
配的なのだ︒そういう中国映画に︑都会人︑特に近代都市
のモダンな都会人の姿は見出しにくい︒
同じく中国人が登場しても︑アメリカ制作の作品だとこ
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うはならない︒例えばジョン・ローンが颯爽と現れる﹃イ
ムヨ ヤー・オブ・ザ・ドラゴン﹄だと︑そのスーツの着こなし
に息をのまされたり︑マフィア風のジェントルさと狂気の
落差に引き込まれるが︑これと中国映画に登場する中国人
との問には大きな落差を感じざるを得ない︒もちろん︑こ
れは舞台となる町がニューヨークであり︑そもそも背景と
する環境の違いはあるのだが︒
中国映画における都会人の不在ということを︑見方を換
えていうなら︑中国映画に︑憧れのモダンな暮らしぶりや
生き方を求める観客がどれだけいるだろうか︑ということ
にもなるだろう︒あるいは︑目の覚めるくらいダンディな
男たちの仕草をまねる若者が︑中国映画を見て生まれるだ
ろうか︒ちょつとセクシーでコケティッシュな女性の姿態
に︑思わず見惚れてしまう︑最先端のファッションに身を
包んだ登場人物の粋な身のこなしにため息をつきながら見
とれる︑そんな観客が中国映画に生まれるだろうか︑と捉
えてみてもよいかもしれない︒
もっとも︑我が国の中国映画を支える観客層の傾向とし
ては︑そもそも別のバイァスを帯びているため︑少なくと
も現在の日本では︑中国映画に都会人や華やかな都市文化
の繁栄の姿を求めていないのが実状ではないか︑と思う︒ 中国映画はノスタルジーか
近代都市文化という視点を借りながら︑中国映画の中の
都会性の問題をいま少し明らかにしておこう︒
漱石の﹃三四郎﹄(一九〇八)と荷風の﹃深川の唄﹄(一
九〇八)を東京の都市文化形成のシンボルとして掲げる川
本三郎は︑三四郎が知ってしまった禁断の園としての都市す 文化を︑三四郎の次の述懐の中に見出す︒
うご第三の世界は︑燦として春の如く盈いている︒電燈
がある︒銀匙がある︒歓声がある︒笑語がある︒泡立
シャンパンつ三鞭の盃がある︒そうして凡ての上の冠として美し
によしょうム い女性がある︒
これは︑明治の近代工業化が推し進められた時代のもの
ではあるが︑さらには︑谷崎の﹃痴人の愛﹄(一九二四‑二
五)のナオミが具現する消費志向は︑大正時代に開花する
都市消費文化の反映と見る︒その背景には︑大正三年(一
九一四)の三越に始まり︑同八年(一九一九)の白木屋︑
松屋︑高島屋等の近代的デパートの出発がある︑とも指摘
する︒こうした都市消費文化が︑昭和五年(一九三〇)の﹁東京行進曲﹂に﹁銀座の柳﹂﹁ジャズ﹂﹁ダンサー﹂﹁恋の
丸ビル﹂﹁地下鉄﹂﹁バス﹂﹁デパート﹂等として歌い込まれ
ることに結実し︑モダン都市の華やかさを顕示する記号が︑
ム 関東大震災後の東京の復興を印象づけたのだという︒
三四郎にとっての﹁燦として春の如く盟いている﹂もの
にせよ︑ナオミの消費心をくすぐる﹁今日は帝劇︑明日は
三越﹂にせよ︑はたまた﹁東京行進曲﹂に歌われるモダン
都市を顕示する記号は︑都会の誘惑となりうるイメージで
あり︑あるいはランド・マークである︒そういう求心力を
備え︑人々を吸い寄せ︑憧れの対象となる都会は︑近代日
本においてのみ問題となり得たのではなかろう︒我が国で
は︑その後も昭和期︑そして戦後期と︑都会文化への憧れ
と︑それを煽る都市文化の顕示動向は途切れることなく続
いたが︑こうした都会への憧れの志向が︑なぜ中国映画に
は見出されないのか︒あるいはそれは︑日本の観客の嗜好
と合致するものではないためなのか︑はたまた中国映画そ
のものに︑都会の誘惑を誘うモダンな情景や︑垢抜けた都
会人が活躍しないためなのか︑という二種類の問題を含む
ことになる︒
日本の観客との合致という点で言えぼ︑先に述べた別の
バイァスということを考えてみればよい︒
﹃一→都不能少﹄(邦題﹃あの子を探して﹄)(一九九八︑
広西電影製片廠︹以下広西︺︑施祥生脚本︑張芸謀監督)を
映画紹介で取り上げた筑紫哲也は︑自分の幼少期の学校を
目の当たりにするようで︑切実な思いがする作品だと述べ
ていたが︑これこそ中国映画を見る︑最も典型的なスタン スではないか︒この点を了解するなら︑日本で比較的評判
になる中国映画の作品が︑現代の都会の暮らしの中で苦悩
したり︑夢を追う人々を描いた作品より︑苦しく貧しい中
で牧歌的に過ごす中国人の姿や苛烈な抑圧構造の中で︑健
気に生きる人民︑抑圧の最下辺に置かれる女や子供︑そう
いう人物の境遇に共感を覚えたり︑カタルシスを覚えるプ
ロセスにも説明がつくと言えよう︒中国映画は︑華やかな
都会的魅力を持ち︑人々を吸い寄せる憧れの輝きを備える
ことによって映画界に地歩を占める︑そういうタイプの映
画ではない︒少なくとも︑我が国においてはそう言わざる
を得ないだろう︒
また︑台湾映画がある種のブームを呼んだ時期︑多くの
日本人が︑家屋や町並みなどかつての日本の風景を彷彿さ
せる景色にノスタルジーを感じ︑その点において評価の目
が注がれていたのではないか︑と四方田犬彦が次の通り指
摘している︒
異国情緒が空間軸における魅惑の志向性であるとす
れぼ︑それを時間軸へと転換したとき︑ノスタルジア
が生じる︒日本では侯孝賢のフィルムはしばしぼそこ
に描かれている台湾の生活の﹁なつかしさ﹂ゆえに称
賛され︑小津安二郎との類似のもとに評価されてきた︒
現代の韓国映画を観て︑一昔前の日本映画を髪髭させ
るといった評言が︑いったい幾度口にされてきたこ
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︿∬﹀°とカ
そして四方田が批判する︑アジア映画をめぐる紋切型の
思考の一方の雄として︑佐藤忠男を代表とする﹁第三世界
の映画によって︑異文化と出会い︑第三世界について多く
を学ぶ﹂といった学習主義の視線が︑中国映画の場合にも
注がれ続けているという現状が︑別のバイアスの核心をな
すと見るべきだろう︒
中国映画とは︑そんなものなのだろうか︒
八〇年代以降の作品1ー様々な人物像と世界観
日本における中国映画の上映紹介は︑一九八〇年代に入っ
て本格的に進んだが︑その数はすでに一五〇本を上回って
いる(附表‑︑2参照)︒その大部分は︑﹁中国映画祭﹂と
いう短期集中の作品展形式による上映ではあったが︑九〇
年代からは︑ロードショーによる一般映画館での上映も︑数
こそ多くはないものの着実に定着してきたと言えるだろう︒
もちろんこれは︑中国で制作上映された作品のほんの一
部分にすぎないが︑それでも主要な傾向は概ね伝え得てい
るし︑一国のナショナルな映画の紹介導入としては︑決し
て少なくないと言える︒それではこの中に︑﹁あこがれの都
会への誘惑﹂や都会人のダンディさを漂わせた作品︑最先 端の粋を発散する作品はどれほどあったろう︒
都会を舞台に展開する物語は︑この中にも見出すことが
できる︒これを仮に﹁都会題材もの﹂と呼ぶとすると︑七
九年の﹃始偏和他禰﹄(邦題﹃双子の兄弟﹄)(上海電影製片
廠︹以下上海︺︑桑弧監督)も八〇年の﹃礁這一家子﹄(邦
題﹃ピンぼけ家族﹄)(北京電影製片廠︹以下北京︺︑林力脚
本︑王好為監督)も︑立派な﹁都会題材もの﹂だ︒だが︑
この作品世界に都会的な粋やダンディズムを感じる観客は
いただろうか︒あくまでも中国の歴史的条件の中での可能
な限りの﹁健気さ﹂に︑拍手していたのではないか︒﹁都会
題材もの﹂が︑多少見るべきものを提示するのは︑文革で
心の傷や挫折を体験した青年層が︑都市に戻っても十分に
報われることなく︑より一層の社会的ハンディを背負って
生きる︑その種の社会と人々の心のあり方のギャップを描
き始めてからだ︒八三年の﹃逆光﹄(珠江電影製片廠︑秦培
春脚本︑丁蔭楠監督)や八四年の﹃大橋下面﹄(邦題﹃上海
にかかる橋﹄)(上海︑白沈脚本監督)︑﹃夕照街﹄(北京︑蘇
叔陽脚本︑王好為監督)等が︑こうした点でいささか見る
べきものを提供したと言えるだろう︒だが︑その作品を見
つめる我々の視線は︑先の四方田の言を借りれば︑﹁学習主
義﹂の域を出ることはなく︑同時代の中国の都会の華やか
な生活に憧れたり︑人々の暮らしぶりに波長を同期させた
わけでは必ずしもない︒