関東農村の荒廃と尊徳仕法
‑谷田部藩仕法を事例に‑
はじめに
一農村荒廃と藩財政の逼迫H谷田部藩領の概観臼農村荒廃の概況・田津財政の退迫田領主階級の島村荒廃観と農民教化のイデオロギー二農民と心学運動・尊徳仕法;荒村下の島民の思想形成と盛事改良の特質臼心学運動の展開と衰退臼二宮尊徳の思想と仕法の原理三谷田部藩の尊徳仕法の導入と経緯;尊徳への仕法の依頼 大藤
II津財政のr分度」の設定と仕法趣旨の教諭臼仕法の経緯四仕法の内容と結末H藩財政再建仕法臼盛村復興仕法Ⅰ天保六‑︼三年の仕法1仕法の資財2仕法の内容
1
天保︼四年以降の仕法日尊徳と谷田部洋との確執おわりに修
関東農村の荒廃と等徳仕法(大藩)
史料館研究紀要第‑四号
は
じめに幕藩制解体過程の諸矛盾は、関東農村においては'「荒廃」として表出した。近世中期以降の農村における商品生
産・流通の発展は、一部の農民を富裕化させる一方では、多くの貧窮農民を生み出したことは'幕藩制的な分業編成・
市場構造に規定された普遍的な農民層分解のあり方であった。それが関東農村においては「荒廃」として現象したの
は、土地生産力が低‑再生産基盤が脆弱な上に、過重な貢租収奪にさrtOされていた小農民経営が、近世中期以降商品
貨幣経済に巻き込まれ、前期的資本の収奪をも受けるようになったことにより'没落を余儀なくされ、あるいは死絶(1).し、.あるいは欠落して、農村人口の減少1字余り荒地の発生を釆たしたことによる。殊に一八世紀半は以降、打ち続
く自然災害に見舞われたことにより、農村の荒廃化は一層激しさを増していった。
農村の荒廃によって貢租収納量は大幅に減少し,債主財政は深刻な危機に防つ.た。1八世紀後半以降,幕府および
諸藩∵旗本は、農村復興・財政再建の方途を模索し、試行していった。1万、農民にあってはへ農村の荒廃は、何よ
りも自らの生産・生活の場である「家」と「村」の崩壊の危機として自覚された。その再建を図るために、彼らは'(2)自らの人間としての主体性を確立し、新たな生活・農業経営の原理・様式を探求すべき課題に直面した。そこに、膨
大な自律的エネルギーが発揮され、近代へ舟けての人間頬型、農業技術の特質が形成されることになった.また、こ
うした農民の課題に即しtかつ領主の政策とも結び付きつつ'農村の更生を図る様々な社会運動が展開した。
我々は、荒村下の農民の主体的な諸営為'および種々▲の農村更生運動の意義を'単に保守的か革新的かという観点\から裁断するのではなく'そこに内在している諸契機にまで立ち入って深く考察せねばならない。
農村更生運動の中で、展開の範囲、社会的影響力からみて、二大運動としてあげられるのは、・心学運動と報徳運動
である。時期的には'両者は継起的に展開している。すなわち、心学運動は寛敗期から文政期にかけて関東地方にも
広く展開.Jたが、天保期の凶作・飢倦心よって荒廃が深刻化した現実の瀧に、その精神主義的な教化運動の限界が明
らかとなり、それに代わって'二宮尊徳の提唱した「報徳」思想に基づく「家」・「村」の再興仕法が幕末にかけて急
速に広まったOざらに明治以降、全国各地に報徳社が設立され、広汎な民衆運動iJLで発展していった。
報徳運働は、幕藩制解体‑近代化過程における政治・社会・思想(精神を含む.)問題を考える上で、等閑に付すべ
からざる位置を占めているにもかかわらず、二宮尊徳および報徳運動に関する歴史学の分野での研究蓄積は、畳・質(3)ともに決して十分なものではない。近年ようや‑、社会経靖史的あるいは幕藩政史肘観点から、各地で実施された(4)仕法についての個別研究がなされるようになったが、概して基調論に止まっているものが多く、しかも仕法の基礎と
なっている尊徳の思想を内在的に十分に考察して、その意図したところを把握しないまま'単に仕法が主に領主の行
政の1環として実施されている面のみをとらえて、きわめて機械的にその思想・仕法の性格を封建的・反動的なもの
と規定してしまう傾向が目につく。
単なる性格規定論に終始していたのでは、「報徳」という独自の思想、それに基づく仕法を生み出し'それが広く受
容され展開していった'農村荒廃期の時代的特質‑政治・社会状況および精神状況‑に深くアプローチすることがで
きない。報徳仕法のみならず、この期の種々の島村更生運動はすべて、荒廃に瀕している農村を如何にしたら祝典で
きるかという、きわめて現実的な切迫した課題に取り組んだものである以上、所与の歴史的条件=幕藩体制を前提に
運動を進めざるを得ないのは当然であり'したがって単なる性格規定論の立場からすれば'体制的=封建的の一言で
片付けられてしまわざるを得ないであろう。
関東農村の荒廃と尊徳仕法(大藩)
史料館研究紀要第一四号九四
だが、それだけでは、きわめて図式的な歴史理解に止まる。我々は、その思想・運動を内在的に深く考察して、そ
れが当該の時代状況に対して提起しているところの意味を理解し、さらにそこに学まれている新たな未発の契機をも
把握した上で、それが現実の社会的諸関係の中で客観的にどのような機能を果たしたか'また如何なる矛盾に直面せ
ざるを得なかったか、を考えるという手順を掩む必要があろう。
本稿は谷田部藩領の報徳仕法の事例分析を試みるものであるが、その前に、尊徳の思想について、私なりの観点か
ら少しく考察を加えておきたい。また、彼の思想・仕法の性格・特質を考えるための前童作業として、農村荒廃期の
領主階級の農民教化のイデオロギ」、農民の思想形成の動向'報徳仕法に先行する心学運動等についても検討しておく0
関東農村の荒廃に関する論稿は数多いが'中でも,'関東農村における商品生産・流通の展開と完廃化の進行のメカニズムが,地域市場の構造的特質の解明を通じて統一的に把握Ltブルジョア的発展=両極分解か貧窮分解かという二者択一論的理解(前者では木戸田四郎氏「明治維新の農業構造Ltr維新架明期の豪農層Lt後者では芝原拓自氏「明治維新の権力基盤」)を止揚せんとする、長倉保氏と須永昭氏の研究が注目される。長倉氏「関東農村の荒廃と豪農の問題」(「茨城県史研究し第一六号)・「北関東畑作農村における農民層の分化と分業展開の様相」(「商経論叢」第七巻第四号)'須永氏「近世後期北関東の農業構造」(「関東近世史研究」第八号)・「幕末 維新期の農業構造」(津田秀夫氏編r近世国家の解体と近代」)・「天保期の農村」(講座日本近世史第六巻r天保期の政治と社会」)等。(2)幕藩制解体‑近代化の過程における民衆の主体性形成のダイナ‑ズムについては'安丸良夫氏「日本の近代化と民衆思想.l第1二1章で考察されてお‑'通俗道徳的自己規律論が淀起されている。(3)但し'歴史学の分野に限定しなければ'尊徳に関する論稿は'明治以来きわめて数多く発表されている(r二宮尊徳研究文献目録Lt内山稔氏「二宮尊徳研究の手引き」'「二宮尊徳と現代」所収を参周)。その多‑は'■報徳社運動の実践家や哲学・倫理学・教育史の研究者の手
(4) になるもので'尊徳の伝記的研究'あるいは人間論的・哲学的研究に主眼が置かれている。こうした観点からの研究としては'佐々井信太郎氏と下程勇吉氏が多大な業績をあげられている。佐々井氏「二宮尊徳研究し二二官尊徳の体験と思想J・r二宮尊徳伝J'下笹氏r天道と人
道J・三宮尊徳の人間学的研究J等。歴史学の分野では尊徳が等閑祝されて来たのは'戦前'少年時代の金次郎が帝国小臣民の理想像として国家によって喧伝されたことに対する心情的な反発にも基因していたようである。戦後'歴史学の分野における尊徳についてのまとまった著香としては、僅かに奈良本辰也氏の「二宮尊徳Lと'守田志郎氏のr二宮尊徳」しか存しないのが現状である。しかも'雨音とも啓安否として概論されたもので'そこには歴史家ならではの知見も散見するものの、尊徳の人間像への肉迫皮という点では'佐々井氏や下笹氏の
著香に比べて稀薄な感は否めない。近年では、専ら幕津制解体期における尊植仕法の意義について論じられるようになっているが'尊徳が何よりも理論と実践の一致を
重視した人物である以上、仕法の基礎となっている思想'さらには彼の人間像についても'歴史学の分野でも本格的に研究がなされる必要がある。
上杉允彦氏「報徳思想の成立I桜町仕法を中心としてtL(r栃木県史研究J第1四号)・「幕政期の報徳仕法」(r立正史学」第四三号)'長倉保氏「鳥山津における文
関東良村の荒廃と尊徳仕法(大藩) 政・天保改革と報徳仕法の位但」(r日本歴史」第丁三二八早)・「小田原藩における報徳仕法について」(北島正元氏編r幕藩制国家解体過程の研究し)、大江よしみ氏「天保期小田原藩領の放村の動向‑金井嶋村の報徳仕法‑」(「小田原地方史」第一号)'内田持氏「天保期の小田原藩領中里村と尊植仕法」(同前第三号)'川俣英一氏r幕末の良材計画‑二宮尊徳の青木村仕法について‑」(茨城県田園都市協会発行)'竹中端子氏「天保改革の片鱗‑下館浮の場合‑」へrお茶の水史学」第四号)'林玲子氏「下館津における尊徳趣法の背負」(「茨城県史研究」第六号)へ河内八郎氏「花田村の尊徳仕法LH・日(r関城町の歴史L第1二一号)、高橋敏氏「打数Lと代官」(「地方史研究J第二九号、大磯仕法についても述べてある)へ大館右事氏「天保改革と日光神領」(「埼玉旅立豊岡高校紀要」第二号)へなお'日光神領の仕法について
はtr日光市史J中巻とrいまいち市史J通史編・別編Ⅰが詳しく'特に後者は報植仕法の特典で'現段階では'それについての最もよ‑まとまった着否である(河内八郎氏・森豊氏執筆)。岩崎敏雄氏r二宮群徳仕法の研究」は'相馬津の仕法について概論したもの。本稿の分析対象である谷田部藩の仕法については'佐々井信太郎氏
r二宮堺徳伝J、秋山高志氏r谷田部洋領安政四年積穀騒
動」(植田敏雄氏編「茨城百姓1損」)'大木茂氏r茂木
の歴史」(昭和五四年度宇都宮大学内地留学報告苔)で
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