●はじめに 世界で最も貧しい国々が集中するアフリカ大陸でも、この一〇年で携帯電話が急速に普及した。世界銀行の公表する世界開発指標によると、サブサハラ・アフリカ(サハラ以南のアフリカ)地域の一〇〇人あたりの携帯電話契約数は、二〇〇三年の五人以下から二〇一三年には六六人という水準にまで急成長している。この変化の大きさは、携帯電話があらゆる地域、あらゆる社会階層にまで急速に浸透しつつあることを意味する。
携帯電話の普及は、単に音声やテキスト情報を安価に遠隔地に、そして瞬時に届けることを可能にしただけでなく、携帯電話をプラットフォームとする様々なサービスの出現を誘発した。特に、モバイル・マネー・サービスと呼ばれる携帯電話のショート・メッセー ジを用いた電子決済サービスが、サブサハラ・アフリカにおいてものすごいスピードで普及し、人々の生活を変えつつある。この変化は、都市の富裕層だけでなく都市から遠く離れた農村の零細農家をも巻き込んだ大きな変化で、これまで金融サービスへのアクセスが非常に限定的であった人々が、送金、預金そして借り入れなどの金融サービスを利用できるインフラが整備されたのだ。 これまで、アフリカの貧しい人々の多くは、銀行などが提供するフォーマルな金融サービスにアクセスできない、いわゆる金融排除(financial exclusion)の状態にあった。口座開設や維持のための手数料が高かったり、窓口までの距離が遠すぎたりと、取引費用が高すぎるのだ。そうした状況下では、貯蓄や投資が満足に行えず 資産形成が効率的にできない、あるいは、低い利率での借り入れが困難なために、天候不順や病気などの一時的なショックが、資産の取り崩しや子どもへの教育投資の打ち切りなどを引き起こし、人々の暮らしに長期的な負の影響をもたらす。結果として、貧困の罠から抜け出せない。つまりこの金融排除が、慢性的な貧困の一因だといわれてきた。しかし、携帯電話の普及とそれにともなう新たな情報・金融サービスの展開「モバイル革命」が、この状況を劇的に変えつつある。 こうした急速な環境変化に際して、アフリカの人々はどのように対応し、暮らしぶりはどのように変化しているのか、本稿では、筆者の研究対象地域である東アフリカの農村を中心に、現在のアフリカにおけるモバイル事情を報告す る。●アフリカでの携帯電話の急速な普及
筆者は二〇〇五年にケニアの地を踏んで以来、調査のために東アフリカの農村を訪問する機会が多くある。たかだか一〇年ほどではあるが、この間、社会・経済環境が大きく変化するのを肌で感じている。最も劇的な変化は、やはり携帯電話網が整備され、携帯電話が普及したことであろう。現在、筆者が対象としているケニア、ウガンダ、エチオピアの農村のどの調査地に行ってもほぼ携帯電話が使える。調査で村を訪れる際は、事前に村のリーダーに電話で約束を取り付けてから訪問する。農村で固定電話を使える所は皆無に等しいので、以前は事前に連絡を取る手段が無く、目的の人物に会えないこともしばしばであった。それに比べると随分と調査の効率が上がった。
筆者の所属する政策研究大学院大学の研究チームが行っている東アフリカ三カ国(ケニア、ウガンダ、エチオピア)の農村家計の調査プロジェクト(Research on Poverty, Environment, and Agri-
特 集
アフリカ農村開発の新機軸
モ バ イ ル 革 命 と 東 ア フ リ カ 農 村 の 変 貌
松本
朋哉
:RePE %であったのが、二〇一二年の調査では九三%まで増加している。ウガンダでは、二〇〇三年の四%から二〇一二年の七三%へ、少し出遅れていたエチオピアでも、二〇〇四年の〇%から二〇一四年の四八%へと大幅に増加している(図1)。この普及のスピードの速さは、携帯電話を使うことからもたらされる便益が如何に大きなものかを物語っている。●携帯電話普及の効果 農村を含む広い地域で情報インフラへのアクセスが改善したことで、小規模農家の農業生産や販売行動のパターンも大きく変化している。情報交換が安価に行えるようになると、農産品の売買のための取引費用が縮小し、これまで取引しても儲からなかった遠隔地の生産者も市場 に参加するようになり、市場の裾野が広がる。ウガンダのRePEAT調査を用いた研究では、ほぼ自給自足的な農業を営んでいた遠隔地の農家が、携帯電話の普及により、市場を通じて傷み易いバナナなどの生鮮農産品をより多く販売するようになったことを示している(参考文献⑧)。また、ケニアの小規模農家が都市のスーパーマーケットや輸出用に、果物や野菜そして生花などの新しい商品作物の生産に乗り出しているのも、携帯電話による流通業者とのコミュニケーションなしでは成り立たない。 モバイル・ネットワーク網の拡大は、取引費用が縮小することで市場の裾野を広げるだけでなく、各地方で分断されていた市場を統合する効果を持つ。隣接する地方の市場が統合されると、それぞれの地方の需要と供給状況に大きく左右され不安定であった生産物の取引価格が、より大きな市場での需要と供給の状況で決まるようになるため、価格の変動のリスクが小さくなる。また、売れ残りや品不足などの需給のミスマッチが減る(参考文献①、⑥)。こうした変化は、より効率的な資源配分を もたらすとともに価格の変動リスクを減らすため、一般に生産者にとっても消費者にとっても望ましい。●携帯端末をプラットフォームとする様々なサービス
携帯電話は、単にコミュニケーションのための道具として使われているだけではなく、携帯端末をプラットフォームとする様々なサービスの受信機としても使われている。ショート・メッセージ・サービス(SMS)を用いたテキスト情報の提供サービスは、携帯電話が普及し始めた比較的早い時期から支援目的の公的機関や、あるいは営利目的の民間業者により様々な種類のものが提供されている。例えば、医療関連のサービスとして、ケニア、マラウィ、南アフリカでは、エイズ感染者にレトロウィルス療法の薬の服用の種類とタイミングを通知するサービスが提供されている。健康教育のメッセージを提供する公的サービスもある。農業関連では、市場で農産品の実勢価格を利用者に伝える情報サービス、あるいは、SMSで農業技術指導を行うサービスなどが利用されている(参考文献③)。
(出所) RePEAT Surveys.
0 10 20 30 40 50 60 70 80
エチオピア ウガンダ ケニア
第1回調査時
ケニア/エチオピア(2004年)
ウガンダ(2003年)
最新調査時 エチオピア(2014年)
ウガンダ/ケニア(2012年)
特集:モバイル革命と東アフリカ農村の変貌
携帯端末をプラットフォームとするサービスのひとつにモバイル・マネー(MM)サービスがある。これは、携帯電話のSMSを用いて、個人間でお金のやり取りができる電子決済サービスである。驚くことに、このMMが世界で最 も普及している地域が、サブサハラ・アフリカである。二〇一四年に、MMの成人普及率が一〇%を超える国が、世界に一三カ国あるが、そのすべてが、サブサハラ・アフリカの国々なのである(参考文献④)。そのなかでも最も進んでいるのがケニアだ。
ケニアの大手モバイル・ネットワーク・オペレーター(MNO)であるSafaricom が、二〇〇七年三月にサービスを開始したMMであるM-Pesa(Mはモバイルの頭文字のM、ペサはスワヒリ語でお金の意味)は、預金・送金の手段として、その取引手数料の安さと携帯端末での簡単な操作で取引可能な利便性の高さから、瞬く間に全国に普及した。他のMNOも追随し、現在四社 がMMを提供している。 口座は街のいたる所にあるM-Pesa取扱店に身分証明書を持参すれば、数分で、しかも無料で開設できる。使い方は簡単で、お金の預け入れと引き出しは取扱店(もしくはATM、ただし都市部のみ)で行い、送金は携帯電話のSIMカードのメモリーに組み込まれている専用のアプリケーションを操作して送金者自身が行う。送金先の電話番号、送金金額、暗証番号を入力するだけで、一瞬で送金できる。預金・送金などの取引が完了すると、直ちに取引完了のメッセージが、取引者の携帯電話に口座の残高情報と共に送られてくる。取引後、瞬時に取引記録を確認できるので、取扱店の店員に預金額を誤魔化される心配もない。また、記録が残るので二重送金などの送金額違いのために発生するトラブルも少ない。さらに、口座から現金を引き出すには、取扱店で身分証明書の提出と暗証番号の入力が必要になるので、携帯電話を盗難されたり紛失したりした場合でも、他人に引き出される危険は非常に小さい。長距離を移動する際に盗難のリスクを減らすため、出発の前に現金をMM口座 に預け入れし、多額の現金を持ち歩かないという人も多い。一般に人々のMMに対する信頼度は非常に高い。筆者もナイロビ赴任中は口座を持ち、頻繁に使っていた。手持ちの現金が無い時にガソリンスタンドやレストランでM-Pesaで支払ったことも何度もある。農村でも普及しているので、調査協力者への謝礼はM-Pesaで支払っていた。そのくらい普及しているのだ。ケニアのRePEAT調査データによると、二〇〇九年の調査時点ですでに四三%の農家家計でMMを使用し、二〇一二年には七二%まで増加している(図2)。
●モバイル・マネーの普及とその効果
MMがケニアの農村において短期間で急速に普及したのは、携帯通信インフラが整備されたことも然る事ながら、農村の生活スタイルとも深く関係している。ケニアと聞くと広大な大地、マサイ族などの遊牧生活を送っている人々をイメージされる方が多いように思われるが、実は、ケニアの農家の多くは、定住型農業を営む零細農家である。小さな畑しか所有して
図2 モバイルマネーの農村での普及率(使用している家計の割合)
(出所) 図1と同じ。
ウガンダ ケニア
0 10 20 30 40 50 60 70 80
2009年 2012年
(%)
また、拡張家族)といわれる親 持参するという、効率の決して良くない方法しかなかった。受け取りに郵便局のある大きな町へ出向かなければならなかったり、送金に数日かかったり、途中でなくしたり、奪われたりすることも多かった。MMの登場でそうした状況がいっぺんに解消されたのだ(参考文献①)。また、予想外の所得の減少が起こった場合(例えば、家畜が死んだり、天候不順で収穫量が大きく減ったり、家族が失職したりした場合)にも、MMで仕送りを受け取ることで、消費水準が激しく落ち込むことを抑えることができるようになった、という実証研究もある(参考文献⑤)。
ケニアに一歩遅れているが、ウガンダでもMMの普及が加速している。二〇〇九年三月に最初のMMサービスが開始して以来、現在四社のMNOがサービスを提供している。農村でも普及が進み、二〇〇九年のRePEAT調査時に はほぼゼロだった利用家計が、二〇一二年には三八%(図2)、二〇一四年には七〇%まで増加している。著者らの最近の研究によると、MM利用家計では、非利用家計に比べ仕送りの受け取り頻度が倍以上で、年に平均五・五回、受け取り総額も倍以上で、家計の消費総額の約一五%にも達している。MMを利用することで、農村家計の仕送りの受け取りが増え、その結果、一人あたり消費支出が大幅に増加し、暮らしぶりが改善していることが明らかになった(参考文献⑧)。
●モバイル・マネーを使った新たなサービス
普及が進むにつれ、色々な場面でMMが活用され始めている。例えば、ケニアやウガンダの学校の多くは、MMによる学費の納付を受け付けている。これまで、生徒の親は、各学期の前に学校に出向き支払いをするのが一般的であった。初等学校は近場のケースが多いが、中等学校は遠隔地にあるケースも少なくないため、親はMM納付により相当な時間と経費が節約できる。学費を受け取る学校側も、会計業務が大幅に緩和された。 それ以外にも水道・電気などの公共料金もMMで支払う人が増えている。 MMを使用することで、これまで存在していなかった新たな金融・保険サービスも開発・提供され始めている。例えば、ケニアでは、キリモ・サラマ(スワヒリ語で「安全な農業」という意味)という小規模農家を対象とする穀物保険の商品が提供されている。保険金の支払い判定に、保険加入者の最寄りの雨量観測所の雨量データを用いる「インデックス型」という新しいタイプの保険商品で、損害調査が必要ないために保険商品一件あたりの提供コストが低い。また、保険金支払いにMMが用いられることで、さらにコストを抑えることができ、これまで販売対象となり得なかった、最もリスクに脆弱な小規模農家にも提供できる保険として期待されている。 銀行とMNOが提携し、MMを介してローンを提供するモバイル・クレジットと呼ばれるサービスも幾つかの国で始まっている。個人がMM口座を開設し利用すると、MNOには利用履歴の情報が蓄積されるが、この情報を解析することで、その個人の信用リスク
ニエンド市場のマトケ(食用バナナ)売り場、ウガンダ・マサカ県にて 2010年1月筆者撮影
特集:モバイル革命と東アフリカ農村の変貌
の程度が推測できる。さらに、その予測を元に貸出審査を行うことで、債務不履行のケースを削減でき、低い利率でのローンの提供が可能となる。銀行口座やクレジットカードを持つ個人が少なく、信用情報の蓄積のない発展途上国では、MMの取引履歴がローン提供のための重要な情報源となっているのだ。
MMは、援助機関に対しても大きな影響を与え始めている。これまでの援助のやり方を根本的に変えるかもしれない、全く新しい方法が模索されている。例えば、深刻な天候被害があった地域の住民に対してMMを通じて緊急援助金を分配するというプログラムだ(参考文献②)。これまでであれば、被災者援助のために支援物資を調達し分配するという方法が一般的に取られていたが、物資の横流しや到着の遅れなどの効率の悪さ、そして、援助物資の流入で地元の民業を圧迫してしまうクラウド・アウトの問題などが、しばしば指摘されていた。しかし、MMを介して被災した地域の住民に対して直接支援金を送金することで、援助プログラムの実施コストが大幅に削減される。また、流通業者が 物資を供給するための販売活動が活発になり、クラウド・アウトの問題も発生しない。さらに、被災者が援助金を受け取るために、遠方へ出向き長蛇の列で待つ必要もないため、被災者の身体的そして精神的な負担も軽減される。また、それぞれの受取人がそれぞれの事情に応じて欲しい物資が購入できるというメリットもある。まだまだ試験的に運用されているプログラムであり、問題点がない訳ではないが、潜在的な便益は非常に大きいように思える。 まだまだ深刻な貧困問題を抱えるサブサハラ・アフリカ地域ではあるが、多くの国でMMサービスのインフラが整備され、普及が急速に進んでいる。道路などの交通インフラの改善とも相まって、民間ビジネスが活気づいているのは間違いない。アフリカの未来に希望の光が少しずつ射してきている、そんな気がしてならない。アフリカが大きな変貌を遂げているこの時期に、研究者として対象を間近で観察する機会が与えられたことはとても刺激的なことであり、幸運なことである。「これからアフリカの時代が来る」そんな期待を込めて、今後も観察を続け何が起 こっているのか見届けたい。(まつもと ともや/政策研究大学院大学助教授)《参考文献》① Aker, J. C., “Information fromMarkets Near and Far: Mobile Phones and Agricultural Mar-kets in Niger, ” American Eco-nomic Journal: Applied Eco-nomics, 2 (3 ), 2010, pp.46-59.② Aker, J. C., R. Boumnijel, A. McClelland and N. Tierney,“How do Electronic TransfersCompare? Evidence from a Mobile Money Cash TransferExperiment in Niger,” mimeo,2013.③ Aker, J.C. and I.M. Mbiti, “Mo-bile Phones and Economic De-velopment in Africa, ” Journalof Economic Perspectives, 24(3), 2010, pp.207-232.④ Demirguc-Kunt, A., L. Klap-per, D. Singer and P. Van Oud-heusden, “The Global FindexDatabase 2014: Measuring Fi-nancial Inclusion around theWorld, ” World Bank Policy Re-search Working Paper, 7255, 2015.⑤ Jack, W., A. Ray and T. Suri,“Transaction Networks: Evi-dence from Mobile Money inKenya, ” American EconomicReview, 103 (3 ), 2013, pp.356-61.⑥ Jensen, R., “The Digital Pro-vide: Information(Technolo-gy ), Market Performance, andWelfare in the South IndianFisheries Sector,” QuarterlyJournal of Economics, 122 (3 ), 2007, pp.809-924.⑦ Mbiti, I. and D.N. Weil, “Mobilebanking: The impact of M-Pesa in Kenya,” National Bureau of Economic Research WorkingPapers, No. w17129, 2011.⑧ Munyegera, G. C. and T. Mat-sumoto, “Mobile Money, Remit-tances and Rural HouseholdWelfare: Panel Evidence fromUganda, ” GRIPS DiscussionPapers, Report No. 14-22, 2014.⑨ Muto, M. and T. Yamano, “TheImpact of Mobile Phone Cover-age Expansion on Market Par-ticipation: Panel Data Evidence from Uganda,” World Develop-ment, 37 (12 ), 2009, pp.1887-1896.