早稲田大学審査学位論文(博士)
コミュニティの再創成に関する考察
―新たな互酬性の形成と場所の創出による地域協働―
Recreation of Communities ―a Way of regional Collaboration
as the Reformation of Reciprocities and the Restoration of Places―
早稲田大学大学院社会科学研究科 地球社会論専攻 社会哲学研究
古市 太郎 FURUICHI,Taro
2012年6月
1 コミュニティの再創成に関する考察
―新たな互酬性の形成と場所の創出からなる地域協働
古市 太郎
本論文の基本的な主張は、「コミュニティが、様々な主体の協働によるつながり の構築と、その協働による場所の再創造から創成される」というものである。そし て本論文ではコミュニティを、一定の空間的広がりの中で、様々な主体や組織を結 びつける働きとして捉える。その働きとしてのコミュニティが、空間を場所へと変 容させる。
さて、日本社会において「コミュニティ」という言葉は、1969 年の「国民生活審 議会コミュニティ問題小委員会報告・コミュニティ―生活の場における人間性の回 復」で初出した。その後、1995 年の「阪神淡路大震災」や 2011 年の「東日本大震災」
を経て、コミュニティの形成が再び必要とされている。これは、戦後からのコミュ ニティ政策が上手く浸透せず、また市民あるいは住民自らの手でその形成がなされ てこなかった状況を少なからずあらわしている。
われわれはこのような歴史的文脈にありながら、なぜ、今、コミュニティを必要 とするのか。また、それが定着するためにはどのような点が検討されなければなら ないのか。おそらくそれには、行政と住民の連携、喪失しつつある「地縁」にとっ て代わる紐帯、居住するところの自然的環境と住民の関係などに対する検討が必要 となろう。
そこで第一に必要な検討は、戦後の日本社会の歩みとコミュニティ政策に関する 研究である。1969 年の「国民生活審議会」から、2009 年に構想される「地域協働体」
までの「コミュニティ政策史」を踏まえ、どのような背景及び意味をもって日本社 会の中で、コミュニティが捉えられてきたのかを検討する。
第二は理論研究である。具体的には「地域住民組織論」を手がかりに、「地域協 働体」という今後のコミュニティのあり方を、そのあり方においてキーワードとな る「相互信頼」とその本質である「互酬性」から吟味する。
第三は、その理論研究の成果を実証するため、「月島西仲共栄会」と「清水駅前 銀座商店街」を事例とした研究である。とくに、様々な主体を当事者として結び付 ける「相互信頼」が、まちづくりにおいてどのような形で現れるのかを検討する。
最後は、コミュニティの形成における人間と自然的環境の関係を考察する。具体 的には、各主体による「地域色を内面化しまたそれを外部化させる」という「通態 化」から、各主体が地域において結ばれ、各主体と「風土性を帯びた地域」との間 に生じる相互関係性を検討する。
このように本論文は、いかにして、地域協働を通じてコミュニティが形成される のかを、理論的及び実証的なアプローチを通じて解明する。この問題を論じるため に、本論文は四章の構成をとる。
2 第一章 戦後の日本社会とコミュニティ政策
一章では、戦後の日本社会の進展とコミュニティ政策の関連性を検討し、現代の 日本社会におけるコミュニティ形成の必要性を論じる。
戦後の高度経済成長がもたらす都市部への人口の流入と産業の集中に伴い、既存 の地域共同体が解体されていった。この経済成長が「物質的な豊かさ」と「公害」、
「地域共同体や家族制度という旧い束縛からの解放」と、「生活の場における人間 性の喪失や拠り所の不在」を人びとにもたらした。
この解体しつつある「地域共同体の埋め合わせ」として、市民の自発性によるコ ミュニティが、1969 年の「国民生活審議会」で構想された。しかし実際、そのコミ ュニティでは、共同生活への関心にもとづく活動ではなく、機能別集団と行政の接 合や、施設を建設することに重点が置かれていた。その結果、描いた構想ではなく、
「行政主導によるコミュニティ」がうまれた。
次に、この市民の自発性によるコミュニティ構想が「行政主導によるコミュニテ ィ」へと変容してしまった原因を考察する。
第一は、市民の自発性が不活発であった点を、リースマン、セネット、ベラーの 社会心理学的観点を援用し検討する。この観点からすると、「物質的豊かさ」の達 成に伴い、人びとは、社会へと参加するより、むしろ自身の生活水準の確保と上昇 をめざし、「私生活」へと閉じこもる「私生活主義」に陥る。それゆえ、市民の社 会への参加に対する関心が薄れていった。
第二は、行政と住民の間に協働関係が構築されなかった点を、福祉国家体制とい う観点から検討する。ハーバーマスによると、福祉国家体制のもとでは、経済の成 長と安定、その恵みの分配が最優先課題であるため、国家と社会が相互に浸透する
「国家の社会化」あるいは「社会の国家化」が生じる。このような体制のもとでは、
市民と行政の間に協働関係がうまれにくく、市民あるいは住民は経済的恵みを享受 し、それを産みだす福祉国家体制への依存者となる。それは、「生産性」あるいは
「効率性」といった価値基準を無自覚に受け入れる生活、つまり、どのようにして 自分たちが共同して生活を送るのかという目的や価値を問わずにその価値基準に対 する「手段の自己目的化」に徹する生活が送られるからだ。したがって、協働関係 がうまれにくい原因には、市民が経済的恩恵の受容者として行政に依存しているこ とが関係していた。
このように、「市民の自主性によるコミュニティ形成の遅延」と「行政と市民の 協働性の欠如」は表裏関係にあった。それゆえ、市民の自発性によるコミュニティ が根づかず、その結果、「行政主導によるコミュニティ」が産まれたことが理論的 に解明された。
さらに、「私生活中心主義」とそれを担保する福祉国家体制が日本社会において 具現化された「日本型福祉国家体制」の特徴を考察していくと、市民によるコミュ
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ニティ形成の遅延に関する別の原因が見えてきた。それは、日本独自の「企業共同 体」の存在である。労働環境において「終身雇用制度」と「年功序列制度」により 労働者が企業へと統合され、また企業福利厚生制度、厚生年金基金や税制適格退職 年金制度などの企業年金、住宅取得の際の融資制度あるいは税制優遇といった形で、
行政側も企業依存体質のあり方を支え補完する形で「企業共同体」が形成されてい た。このように、労働環境や社会保障といった様々な面で、企業を中心とした生活 環境あるいは「社縁(会社を通じたつながり)」が、人びとの生活に浸透していた。
しかし、こうした福祉国家体制という経済成長を前提とした体制が、石油危機を 契機にその方向の転換を迫られた。また、経済成長とそれに伴う都市化あるいは都 市的生活システムの浸透が、1970 年代にコミュニティの位相を変化させた。すなわ ち、「既存の地域共同体の埋め合わせとしてのコミュニティ」ではなく、市場セク ターでも行政セクターでもない、市民がある問題意識を共有して解決をはかる「共 助セクターとしてのコミュニティ」が台頭し始めた。
さらに、こうした方向性とは逆に、大平政権(1978-80 年)による「自助努力」を軸 とする「日本型福祉社会」構想も登場する。その構想では、「自助努力」が何より も重視され、また福祉に関しては「家庭」を中心とした共同体を通じて、各家庭の 自助努力と地域社会における相互扶助からなる日本型福祉社会がえがかれた。
したがって、1970 年代におけるコミュニティに関する方向性として、まずは「1969 年の『コミュニティ政策』の実施」、つづいて「共助システムとしてのコミュニテ ィの台頭」、最後は「自助努力と家庭を中心とした福祉社会」という三つの方向性 が現れていた。
こうした幾つかの方向性が現れる中、1973 年の「石油危機」とその克服の「自信」
から、市場経済を重視する「構造改革路線」が日本社会の軸となる。この「路線」
は、1980 年代から 2008 年頃まで取られ、戦後積み上げられてきた日本型福祉国家体 制を掘り崩しながら進んだ。具体的には、企業中心社会の基礎となる労働環境を規 制緩和し、脆弱であった社会保障制度をさらに薄弱化、地方における雇用と所得水 準の低下、地方の疲弊が引き起こされた。とくに、地方ではその影響が大きく現れ、
中心市街地の来街者数の減少、シャッター商店街の続出、そして「限界集落(コミュ ニティ)」といった諸問題が現れた。
1980 年代から市場重視の経済体制が日本社会で取られながらも、コミュニティへ と人々の関心を向けさせる出来事が起こった。1995 年の「阪神淡路大震災」である。
この偶然の出来事を契機に、ボランティアやコミュニティへの注目が高まり、2005 年の「国民生活審議会」で「地域コミュニティの再興」が謳われ、2009 年に地域の 実情に合った「多様な主体」をもとにした協力関係からなる「地域協働体」が提唱 された。
また、このような提唱がなされた時期は市民あるいは住民にとって、経済成長の 恩恵を受ける受動的かつ依存的体質から抜け出せる契機でもある。まさに、行政セ
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クターでも、市場セクターでもなく、市民あるいは住民が自らの手で自分たちの生 活を考え、コミュニティを「共助システム」として築きあげていく時期を迎えてい る。
したがって、戦後から根深く刷り込まれた「物質的豊かさ」を前提とした生活の あり方を問い直し、「生活の指針」を共に創りだす「共助としてのコミュニティ」
の形成が、今求められている。
第二章 コミュニティの担い手と連帯の源泉
二章では、まず、コミュニティの担い手に関して「地域住民組織論」を検討し、
つづいて、その各主体を結びあわす紐帯の形成を「互酬性」という観点から考察し、
日本社会におけるコミュニティの形成に向けた具体的な方向性について論じる。
まずは、日本社会におけるコミュニティの特徴と今後のあり方を探るために、地 域住民組織論に関する近代化論、文化型論、ボランタリー・アソシエーション論、地 域共同管理論を検討する。
この四つの論を簡潔に述べると、町会に代表される土着性の強い地縁組織をめぐ り、「封建遺制」とする近代化論と、他方「無意識の文化形態」とする文化型論が 登場した。
そして経済成長とそれに伴う都市化により、「近代化」型か「文化」型かという 二項対立論ではない、地域で実際に働く「地域の生活集団」を解明する地域住民組 織論が登場した。そのうちのボランタリー・アソシエーション論は、文化型をさら に深化させ「親睦と分担」という文化原理を見出し、その原理を突き動かすのが「や むにやまれない」というボランティア精神であり、それが組織や集団を存続させる という論である。もうひとつは、地域共同管理論である。それは、地域住民を成り 立たせしめる具体的な地域の諸条件に注目し、その諸条件を共同に管理していくこ とで、コミュニティが形成されるという論である。これは、行政だけが公共性を担 うという視点を超えた論を展開する。
したがって、ここで論じられている内容は、「地縁組織か市民組織か」というに 二項図式から、「各主体の多様な関係性」からうまれる地域協働へと移行する地域 住民組織論である。
これらの地域住民組織論の考察から、地域協働における紐帯の形成が問題の焦点 となる。その紐帯が、地縁や血縁といった所与のつながりではなく、パットナムが とくところの「ソーシャル・キャピタル」すなわち一般的互酬性である。それは、
まちづくりや環境といった各テーマにもとづいた市民活動により醸成されると考え られている。
このように日本社会におけるコミュニティ形成の課題と今後のそのあり方が見出 されたところで、各主体を結びあわす紐帯の構築に関する理論的な解明へと向う。
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本論文はとくに、その紐帯がなぜ互酬性であるのか、その点をモースの「贈与論」
からひも解く。具体的には、「贈与と互酬性」を「交換」と「社会統合」という観 点から捉え直し、「贈与を通じた歴史から形成される互酬性」を明らかにした。つ まり、互いに酬い助け合うのは、互いの社会的属性や権力ではなく、互いがある場 で共に費やしてきた時間、つまり「物語」からである。この「時間」の紡ぎ合いと 共有を互酬性の契機に据えると、その互酬性は、地縁や血縁といった特定的関係だ けでなく、異質で不平等な境遇を共にした当事者間からうまれる。それゆえ、近年 の様々なボランティア活動を通じた新たな「互酬性」が、現代において生じている ことが理解される。
たしかに、一般的互酬性は、地域間を横断する特定テーマの活動により醸成され る。しかし、それが互酬性たるゆえんは、当事者として互いの相互作用の歩みや「時 間」の共有があるからだ。このように、互いに背負ってきた「時間」あるいは「物 語」が根底にあるからこそ、互いは語り対話する。この他者に語りかけるという対 話において、個別具体的な状況にさらされる当事者としての「この私」を互いに表 現し高め合っていくことで、他者との連帯が形成されてくる。したがって現代社会 においても、「互酬性」は重要な関係性といえる。
さて、2005 年の「国民生活審議会」以降の政策においては、パットナムがいうソ ーシャル・キャピタル、つまり地縁や血縁とは違う「新たなつながり」が重視されて いた。それを互酬性から考察したところ、そのつながりとは、当事者としての「こ の私」が背負った「時間」をもとにした連帯である。それゆえに、当事者間に相互 信頼が醸成される。
第三章 「新しい時空間とまちづくり」の事例研究
三章では、二章で論じた「地域協働」の鍵が相互信頼の構築であるという点を、
「まちづくり」によるコミュニティの再生の事例を通じて、その相互信頼が具体的 にどのような形で現れるのかを検討する。
一つ目の事例は、「東京都中央区月島」にある「西仲共栄会(西仲通商店街ともん じゃ振興組合からなる)」のまちづくりである。
1980 年代半ば「世界都市・東京」が構想され、都心の再開発や人口の減少に伴い、
西仲通商店街は衰退の危機を迎え、1985 年から「まちづくり」にとりかかった。具 体的には、下町演出にもとづき「もんじゃ焼き・もんじゃ屋・もんじゃのまち」を つくりだし、1990 年中頃にブームをむかえ、商店街通りは「もんじゃストリート」
と呼ばれるに至った。
もちろん「もんじゃ焼き」がブームとなっただけで、まちが興されたわけではな い。そこにはキーパーソンが存在し、「まちにこだわりがあるからこそ、他人に任 せられない」彼らの心意気からまちがつくられた。その結果、もんじゃ屋だけから
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なるボランタリー・アソシエーションとしての「もんじゃ振興組合」が設立された。
また、2005 年以降の夏祭り「草市」、とくに、2007 年の「月島草市」の開催から、
共栄会、町会、ボランティアによる協働が生じた。各々が当事者として「まち」づ くりに取りかかり、時間を育み共有し、コミュニティを形成する。彼らを結び付け ている紐帯が、地縁や血縁ではなく、20 数年に亘り培われた「もんじゃのまち・月 島」への親しみ、「親縁(shared familiar network)」である。
この祭りの再興が、コミュニティを活性化させる。その準備を通じて、地域の仕 事を互いに分担し合い、地元住民と新住民が交流する機会が増えた。その祭りを通 じて、住民だけでなく参加者も、「まちのリズム」を体感した。それは、「もんじ ゃのまち」がその現場に身を置くことで体感できる「下町らしさ」を参加者各人に 与えているからである。
このように、下町演出に基づいたまちづくりは、初期において「もんじゃ焼きと いうローカル資源」を目玉商品としていたが、現在、その取り組みの結果、「月島 自身がローカル性そのもの」を体現するまちとなっている。
つづいての事例は、「静岡県清水区真砂」にある「清水駅前銀座商店街(以下、駅 前銀座)」の「まちづくり」である。駅前銀座を取り巻く状況は厳しく、1975 年の休 日の通行量が約 28,000 人であったのに対し、2006 年のそれは約 4,000 人に、また、
平日の通行量では約 15,000 人から約 3,500 人にまで減少した。
こうした状況に対し、商店街が持つ社会的多面性を活かして、「『超』専門店化」、
「『用事』近隣型商店街化」、「生活者への意識転換」といったコンセプトに基づ いて、生活拠点としての商店街づくりがはじまる。
その取り組みを段階的にみていくと、2000 年には地域通貨「エコマネー」により
「商店街どうし」が、2007 年にはブログを中心にしたつながり「e しずおか」によ り「清水に関心をもつ人びと」が、2008 年には「隣人祭り」により「地域住民どう し」が「つながり直されて」いる。
また、駅前銀座を中心に地域住民や地元産業の協力から、清水ブランド大作戦に よる「もつカレー」という地域資源の発掘がなされた。さらには、ボランティア・ア ソシエーションである「NPO まちづくり考房 SHIMIZU」が設立される。こうして、駅 前銀座、地域住民、地域外の人びとが協働し、当事者としてまちづくりにとりかか り、そこで紡ぎだされた相互作用の歩みを共有することで、駅前銀座にはコミュニ ティが形成されている。そして知識提供者は、「協働はその問題の現場で一緒に時 を過ごし信頼関係が生まれたところに生ずる」と語る。
さらに、この地域資源を再創造したまちづくりを産業面から捉えると、これは「六 次産業的取り組み」といえる。例えば、清水でいえば、清水市民に自明視されてき た「もつカレー」を発掘し(一次)、駅前銀座を中心に水産業者の協力を得て、「も つカレー缶」として製造し(二次)、その製品を販売して流通させる(三次)。全ての 過程が清水市内で、一体的に推進される。とくに、この取り組みは、農林水産業が
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存在しにくい地域では、新たな地域産業の復興の一つのあり方といえる。
この二つの事例から、まちづくりにおける「新たなつながり」を本論文は「親縁」
と捉えた。もちろん、これは親族等のつながりを意味する親縁ではなく、地域への 親しみやこだわりから生じる紐帯である。商店街、町会、ボランティアがそれぞれ の立場を超えて、相互作用を繰り返し、彼らを結束させていたのは、この地域への 親しみによる「親縁」である。
したがって、二章において、各主体をつなぎ合わせる紐帯は、当事者間の紡ぎあ った「時間(物語)」の共有であり、それが社会的属性を超えた水平的なネットワー クを形成すると論じた。この三章の事例研究から、まちづくりにおいて、そのネッ トワークとは地域へのこだわりや親しみからなる「親縁」であるといえる。
第四章 コミュニティの持続と「場所」
四章では、三章で論じた新たな紐帯である「親縁」の形成には、人と場所の「往 復運動」が関わっていることを論じる。具体的には、商店街、地域住民、ボランテ ィアによる相互作用の歩みがコミュニティを形成すると同時に、地域を単なる生活 空間から「生活史としての場所」へと変容させている。その変容の過程を、和辻や ベルクの「風土論」から検討する。
この「場所への変容」を理解するには、「人間が環境を支配し制御する」認識枠 組みを問い直す必要がある。
まずそこで、利便性という観点から開発を推し進める近代化の根本にある「人間 が環境を対象化し、環境が対象化される」認識枠組みのエッセンスを、デカルトを 通じて整理した。
つぎに、この近代的認識枠組みに対し、「環境も人間存在の構造の一部」として 捉える和辻の視点が検討される。和辻によると、風土を通じ「具体的な我々・道具・
時間」が了解され、「我」は「主観」としてではなく「関係性」として存在する。
それゆえ、風土は、主観としての「自己」から「図」あるいは「目的」を投影され る「拡がりある物」ではなく、また主観の目的に対する手段や材料でもない。それ は「人間存在の構造の契機」である。したがって、風土を通じた具体的な関係性の 中において人間は存在することが検討された。
この和辻の風土を踏まえてベルクは、人間から風土あるいは風土から人間へと向 かう相互関係を強調する。具体的にベルクはその関係を、「主観と客観、個人と社 会、文化と自然」の三つの次元における「往復関係」として捉える。例えば、身体 は生物学的次元だけから成るのではなく、ある社会の集団的かつ象徴的な意味も身 体には内面化されている。その内面化とは、地域の慣習やそこでしか通用しないル ールを取り込むことである。それゆえ、地域住民は地域に根づいた生活を送れる。
この「居住」という生活のあり方を通して、内面化した地域性を外部化していく。
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このように、ベルクの風土は重層的かつ動態的である。この「内面化しつつも外 部化する」往復運動が絶えまなく働くからこそ、住民たちの生活史が刻まれた「場 所」が創出される。こうしてベルクを援用すると、まちづくりにおける「親縁」に よるコミュニティの形成には、人と地域の「往復運動」が働いていることがわかる。
ところで、こうしたコミュニティの形成には場所が創出されることを論じるゆえ、
土着的で閉鎖的な共同性が形成されやすいと一般的には捉えられてしまう。このよ うな指摘に対し、これまで論じてきたコミュニティが地域外の人に対し「開かれ」
やすく、また持続性を有している点を論じた。「親縁」は人々の「地域に対する親 しみ」、つまり「地域に通じる」ことから形成されている。「通じる」とは、地域 に住む人間および存在する事物の関係を「その人なりに」位置づけて把握し、地域 を「物語れる」ことである。このような「物語り」を可能にするのは、住民の地域 に対する「こだわり」である。
また、各人の地域に対する「こだわり」は一致することがないため、互いの「こ だわり」という特異性や異質性が、分裂を引き起こすと捉えられがちだ。まさにこ のように、異質性が分裂を産むと捉える共同性の原理が「企図」である。その共同 性の形成は価値観や社会的属性の同質性が前提とされている。そこで本章は、ナン シーの「分有」による共同性のように、異質性や特異性が互いを結び合わす契機を もたらすと捉える。こだわりが異なることにより、互いに軋轢といったものを生じ させやすいが、また、それにより、互い対し「何かしら」共通の基盤や、互いの「こ だわり」の深さを自覚させる契機がもたらされる。それゆえ、「こだわり」が複数 存在することは、賛成か反対かという二項図式や一つの価値観に回収されにくく、
むしろ、互いの地域に対するこだわりが生じさせる境界を分かち合うことにつなが る。
それゆえ本章では、地域に対する考えが閉鎖的にならずに、地域外の人々に対し ても「開かれ」やすく、また、地域に対する「こだわり」あるいは「物語り」には 完結あるいは一致がないからこそ共同性が継続し、閉鎖性が働きにくく、つながり が形成される根拠が考察された。
結語 「地域の型」の形成に向けた地域協働
結語では、一章から四章を通じて論じられてきた、コミュニティが様々な主体に よる協働を通じて形成されるその具体的な内容と今後のコミュニティのあり方が総 括される。
さて、戦後の日本社会では、1969 年の「コミュニティ政策」が構想する「市民の 自発性によるコミュニティ」ではなく、1971 年から 1990 年を通じて、施設を建設す ることを重視する「行政主導によるコミュニティ」が成立した。また、1980 年代以 降の「新自由主義的構造改革路線」の推進から、地域経済が疲弊し、地域社会が解
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体され、地方あるいは都市に「限界集落(コミュニティ)」が現れた。
こうした状況であるからこそ、今、人びとは「共助システム」としてのコミュニ ティの形成に迫られ、そのコミュニティが「地域協働体」という形で描かれた。
コミュニティ政策史や地域住民組織論の検討によると、今後の日本社会における コミュニティ形成には、地縁や血縁といった所与のつながりではない「新たなつな がり」が必要とされた。つまり、どのように信頼関係を構築し、その関係を継続さ せる「一般的互酬性」を各主体間に打ち立てるのかが問題となった。その互酬性の 本質は、二章の考察から明らかなように、財やサービスのやり取りの背後にある「時 間」及び「歴史」の共有にある。
そこで、地域協働の具体的内容を、まちづくりの事例を通して検討した。理論的 に見出した「新たなつながり」を、地域への親しみからうまれた「親縁」と本論文 は捉えた。それを通じて各主体がつながり、コミュニティが形成される。また、こ の「親縁」の浸透あるいは定着には、各主体による「地域の固有性を内面化しまた それを外部化させる」という絶え間ない「往復運動」が働いていた。この運動を通 じて、「地域の固有さ」が地域あるいは人びとに浸透し、生活史が刻まれた場所が 産まれていく。
また、「新たな互酬性の形成や場所の創出」により、住民にとっての地域の指針、
つまり地域の「型」が創られていく。この「型」とは、その地域で世代を通じ受け 継がれ蓄積されてきた伝統であり、また住民たちが再創造してきた伝統でもある。
もちろん、この型は、文化型が説く「無意識の文化形態」ではない。それは、「ま ちづくり」という問題に直面し、当事者として取り組んできた歩みや時間を共有し、
再創造されてきた「型」であるからだ。
さらに「型」が地域独特のものとなるには、人間の「創意工夫」ともう一つの要 因がある。それは地域の風土あるいは自然的環境である。つまり、風土自体の「生 成変化」とそれに働きかける人間の試行錯誤や創意工夫とが相まって、地域独特の
「型」が産まれ、コミュニティが創成される。
ではコミュニティの創成について、「時間」と「空間」の観点からまとめると以 下のようになる。
一般的に、和辻の「風土論」は、ハイデガーの『存在と時間』を下敷きにして、
「時間」の代わりに「空間」を位置づけたと解釈されている。『存在と時間』にお ける「存在」とは、個人の世界観あるいは視点である。この個人の世界観あるいは 視点は、「生活している時代精神」に基礎づけられている。この点に個人は次第に 気づいていく。その気づきの過程が「時熟」であり、この自覚の過程を踏まえ、個 人は「現存在(Dasein)」、すなわち「存在の意味が開かれた場」になるという。し たがってハイデガーは、主として「個人の時間と実存」を問題としている。
和辻は、このようなハイデガーの時間を、物理的な地域空間や地域の特性を含め た「風土」に置き換えて、実存について考究した。四章で示したように、この風土
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を契機にして、具体的な世界が自覚され、個人は実存となる。したがって和辻は主 として、「個人の空間と実存」に焦点を当てていたといえる。しかしながら、日本、
中国、インド、アラビア、ヨーロッパなどの実例を検討していく中で、各地域の他 者の経験や主観性に対し自分のそれらを据え置いただけとなり、彼が目指した「風 土の生成」に関する考察までには至らなかった。
また、彼の「風土論」が、風土による個人の規定付けに重点がおかれるため、「人々 の営み」と「風土」との相互関係があまり論じられていない。つまり、和辻が風土 を静態的に捉え、風土が個人を決定付けるという「環境決定論」に陥っている、と ベルクは批判する。
そのベルクの「存在」は「意味あるいは趣(sens)」である。この「意味あるいは趣」
は風土を通じて個人に自覚されていく。個人と風土が共に関わりあうなかで、技術 的・社会的・象徴的・自然環境的な事物(存在者)を結び合わせながら、特定の「意味 あるいは趣」が個人、事物、社会、自然的環境に示される。同時に、この「意味あ るいは趣」にそって、人間の社会と環境の関係が展開する。
このように、われわれは「意味あるいは趣」のなかに捉えられ、同時にこの「意 味あるいは趣」はわれわれに依存している。
そして本論文は、コミュニティを創成する「時間」と「空間」の双方を問題とし た。時間に関していえば、地域への親しみに基づいた当事者としての「協働」を通 じた時間というのは、個人の時間ではなく、地域社会の「意味あるいは趣」にそっ て創出された時間である。その時間の共有から一般的互酬性が形成された。
他方、空間に関していえば、その協働とは風土との双方向的交渉でもあり、空間 が人びとにとって「意味づけられた場所」となる。また、そこは閉鎖的で排他的な 場所ではない。つまり、人びとの地域への「こだわり」からうまれる「親縁」に現 れているように、地域外の人々に対しても「開かれ」、常に時間と共に変化しつづ ける「場所」である。
このように本論文では、主に和辻やベルクの風土論を踏まえ、コミュニティの創 成における時間と空間について論じた。
さて、本論文が扱う事例は、まちづくりの事例の中のほんの一部分にしか過ぎな い。しかしながら、地域の実情に合った組み合わせから「地域協働体」が形成され る。それゆえ、今後、各地域で、地域自身が見直され、地域の固有性を活かした様々 な地域づくりが湧出してくることが望まれる。
11 注釈)
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