やなぎの み︺しょ
岩 手 柳 ・ 之 御 所 遺 跡
1 所 在 地 田石手 県 西 磐 井 郡 平 泉 町 字 柳 御 所 2 調 査 期 間 第 四 九 次 調 査 一九 九 八年
︵平 10︶
五 月
︱ 一〇 月 3 発 掘 機 関 山石手 県 教 育 委 員 会 4 調 査 担 当 者 斎 藤 邦 雄
・鎌 田 勉 5 遺 跡 の種 類 居 館 跡 6 遺 跡 の年 代 平 安 時 代
︵一 二世 紀後 半︶ 7 遺 跡 及 び 木 簡 出 土 遺 構 の 概 要 柳 之 御 所 遺 跡 は
︑ 平 泉 町 字 柳 御 所 か ら 字 伽 羅 楽 地 内 に か け て所 在 す る
︒ J R 平 泉 駅 の 北 方 約 六 O O m︑ 平 泉 市 街 地 の東 端 に位 置 し
︑ 北 上 川 に よ てっ 形 成 さ れ た 標 高 二 五 m前 後 の低 位 段 丘 縁 辺 部 に 立 地 し
︑ そ の面 積 は 約 一 一万
♂ あで る
︒ 一九 八 八 年 か ら 実 施 さ れ た 緊 急 発 掘 調 査 で
︑ 遺 跡 を 関
囲 む 大 規 模 な 堀
・園 池
︒ 一
塀
・掘 立 柱 建 物
・井 戸な ど が 検 出 さ れ
︑ ヨ
﹇妻 鏡
﹄ に
見 られ る奥 州 原藤 氏 三代 秀衡 の平 泉 館と の推 定 がな され て るい ︒ 一 九九 七年 度 国に の史 跡指 定 を受 け︑ 一 九九 八年 度 から 当 教育 委 員会 が史 跡整 備 たの め の資 料収 集を 目的 と し て︑ 未 調査 区域 対を 象 調に 査を 実施 し て るい
︒ 九 八年 度 は 以︑ 前 の調 査 で検 出さ れ て いた 正方 位 の軸 線を 持 つ︑ 中心 建物 群 と され る遺 構 の東 側 の状 況を 把握 す る こと を 目的 と し て︑ 調査 を 実施 たし そ︒ 結の 果
︑ これ ら 中心 建物 群 の 一部 に付 随す ると 思わ るれ 塀 他の 梁︑ 行 二間 桁行 一 一間 長の 大 な堀 立柱 建 物︑ 井 戸な ど 検が 出さ れた
︒ 簡木 は平 面形 がほ ぼ円 形 で︑ 開 口部 径 四
・二 五 m深 さ約 三 mの 素 掘 り の井 戸か ら出 土し た︒ こ 井の 戸は 為人 的 埋に め戻 さ れ てお り︑ 本木 簡を 含 め遺 物 は埋 土中 位 上半 部 集に 中し
︑ 同時 多に 量 の完 形︑ ほ 完ぼ 形 のか わら け︑ 木質 部 残の る刀 子
・刷 毛
・折 敷
︒曲 物 の 一部
︑ 美渥 産 の陶 器片 など が出 土 し て るい
︒ 8 木 簡 の釈 文
︒内 容
⑪
︒﹁
<□ 之
□
□ 四
□
﹂
︒
﹁
< 九 月 日 納 了
﹂
∞葉 や要 N o駕
物 品 付に け ら れた 荷 札と 考え ら れ る︒ 上端 左の 右 切に り込 みが あ る付 札型
の形 態 で︑ 文字
の記 載は 切り 込 み の下 か ら始 めら れ て いる
︒ 表裏 面
︒上 端
︒両 側面 は調 整 さ れ︑ 下端 部分 切に り込 みを 入 折れ っ
た 痕 跡 が 認 め ら れ る
︒ 表 に は 物 品 名 な いし は 人 名 に 加 え て数 量
︑ 裏 面 には 月 日と
﹁納 了
﹂ の文 言 を 記 載 し た と 推 定 さ れ る
︒ こ れ は 柳 之 御 所 に 搬 入 さ れ た 物 品 付に さ れ た 付 札 で
︑ そ の物 品 が 納 入 さ れ た 場 所
︑ あ る いは 消 費 さ れ た 場 所 周 辺 の井 戸 廃に 棄 さ れ た と 考 え ら れ る
︒ 釈 文 な ど に つ いて は
︑ 東 京 大 学 の佐 藤 信 氏 にご 教 示 を いた だ いた
︒
︵斎 藤邦 雄︶
夕 代 こ な 発
リ
1998年出上の木簡
け
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