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ノーマン・ジェイコブズ著『発展なき近代化――タ イ国の事例研究――』(書評)

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(1)

ノーマン・ジェイコブズ著『発展なき近代化――タ イ国の事例研究――』(書評)

著者 北原 淳

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization (IDE‑JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名 アジア経済

巻 15

号 12

ページ 85‑90

発行年 1974‑12

出版者 アジア経済研究所

URL http://doi.org/10.20561/00052619

(2)

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ノ ー マ ン ・ ジ エ イ コ ブ ズ 著

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  r 発展をき近代化ータイ闘の

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事 例 制 − J . I 

J ,ゆNorm JaTh;cobs,,HodernizatA, ion  without  l

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著者N・ジエイコブズはハーパード大の Ph.D.学{立 をもち,現在イリノイ大学(Universityof Illinois)の社 会学およびアジア研究の教職にある中堅の社会学者であ る。著者のアジアへの関心は第2次大戦中のフィリピン での日本語教師の経験に始まる。すでに,中国と

n

本,イ ランに関する比較社会学の著作を手がけてし、るが(The Orig仇 ofModern  Capitalism and Eastern  Asia,  Hong Kong, 1958; The Sociology

fDevelopment: 

Iran as an Asia CaseStudy, New York, 1966),今 回はひき続いてタ

f

のケース・スゲデ、ィを行なリたわけ である。これによって著者のアジア大陸部の家産制的国 家の比較社会学(その重点は支配の社会学)の研究はます ます壮大でかつ,精微な体系を築きあげたといえよう。

ウェーパ一理論を下敷きとした歴史的=理論的構成と タイの地域研究の成果を十分に吸収した事例分析とは,

社会学プロパーあるいはタイ研究フ。ロパーのどちらにと っても消化不良をおこしかねない内容である(あるいは 逆にどちらにとっても中途半端で不満を残す内容だとい うおそれもあるが)。このような意味で本書を正当に評価 することは評者の能力にあまる。しかし本書の方法論と 分析結果とはタイ研究に従事する評者にとっても+分魅 力的であり,非力を承知であえてその紹介,コメントを 試みることとした。

まず本書の方法論的特徴は一言にしていえば,機能的 二構造的な社会学,人類学の方法論を批判的に摂取しな がらも,基本的には伝統的な歴史的=理論的方法論の伝 統にたつといえる。とくに「家産制」概念では,ウェー

ξー,

J

・ミノレ,マルクス,ウイットフォーゲルに多く を負うとされる(pp.4〜5)。著者のライトモチーフは,

日本をも含む西欧の封建制的社会とアジアの家産制的社 会の発展法則(その重点は支配の法則,体系)の比較検討 である。著者にとヮて中国,イラン,タイの家産制的社

書 評

会の発展法則jの比較対象は日本社会の発展法則である。

著者は日本社会の封建制的制度〈封建制社会およびそこ から形成された封建後制社会 postfeudalcietyの制 度〉を日本社会の発展の規定的要因と考え,これとの対 比でアジア社会の発展の規定的要因を現在にまで続く家 産制的制度に求めるoつまり著者の家産制,封建制の概 念は,家産制→封建制→近代というような発展段階説 的,歴史学的概念ではなく一種の類型概念なのである。

しかもそれは動態的な概念である。

著者は社会の発展類型の差を考慮しない単線的理解,

あるいは類型の差を文化の差に解消してしまうアメリカ 社会学,人類学に通例的なアプローチには多分に批判的 である。本書のテーマを「タイ社会の近代化と発展の制 度的,社会学的分析J(p. 12)とするとき次のようなこと が念頭におかれる。 「そのようなアプロ}チが誤りだと かわれわれより劣っているとかいうつもりはない。しか し,社会行動を形づくるものとして,それぞれ, op卵 子

tunityとinterestsは少なくともmotivationと同様に重 要であり, socialconsiderationは少なくとも表現され たsystem

。 待

fvaluesと同様に重要であり,そして最後 にorganizationは少なくとも interpersonalrelations 

と同様に重要であるとわれわれは示唆する」(p.12)。と くに Thaispecialistは政治学を除色制度的問題を回 避する傾向があると著者は指摘する。したがって著者の 努力はこれらタイ研究者のデータを解釈しなおし,再構 成して,制度的な枠組にはめこむ作業に向けられる。著 者が控え目に誇るように,これこそ本書が存在意義をも っゆえんである。

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著者がタイ社会を分析するため用いる理論的枠組は次 のとおり。前述のように著者は日本を含む西欧社会の枠 組として「封建制」(Feudalism)を想定し,これに対し 大陸部アジアの社会の枠組として「家産制」(Patrimo・ nialism)を対置する。このこつの社会の枠組は一種の類 型概念であり,一方が他方に発展するという発展段階的 概念ではない(ウェーパー自身や多くの日本人学者はこ れを発展段階的に理解すると著者は考える)。この類型 化のあと,それぞれの類型に独自の動態的変化を想定す る。そのために,「近代化」(modernization)と「発展J (development)という二つの概念が導入される。

modernizationとは「社会の目標と基本的構造(ある いは形式〉により設定された限界の枠内での(within)社

(3)

書 評

会の潜在的可能性の極大化達成jと定毅される。これに 対し developmentとは「社会の目標あるいは基本的構 造により一般的に設定された限界と関係ない(rega吋e

f),社会の潜在的可能性の躯大化の達成Jと定義されるり mobernizationは, developmentと同様に伝統的環境に 主・Jえられる革新的なインパクトへの反応の過程であり,

その反応は形式的にほ西欧化の形をもとりうるが,あく まで既存の社会的目標とその手段を維持する連続的過程 である。これに対し developmentは既存の社会的目標 とその手段がU、かなる変化をうけようとも,生産的変化 に対して関かれた目標をもってかかわる。 development は社会の潜在的可能性極大化という客観的茶準にも Eづ いて革新的インパクトの受苦手の

r i J

否を判定するという,

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味での客観性(objectivity)への依拠である。

著者はことさらに modernizationの相対化を心がけて いるように恩われるが,これは西欧的偏見を除くためだ とされる(p.11)。要ナるに,通例の用語法と違い,どこ の社会にもありうる社会の量的変化,増加が「近代化」

とされ,とくにそれが質的変化をともなう場合にのみ development (「発展」〉とされるのである。

「発展

J

とは「近代化」の特殊なケース,すなわち民 的変化に質的変化が加わvJた場合である(皆者はこれを 前述のように機能的モデルに組みかえているが〉。そし てこの「発展」は,今日までのところ(toelate),ある特 定の社会,つまり「封建制」社会にのみ生じ,「家産申ljJ 社会にほ生じなかった。だからといッて「家産制」社会 が「発展

J

という質的変化をとげないと断定するのはま ちがいである。ただし「家産制J社会が量的変化かム質 的変化へという論理的飛躍をなしとげるためには,その

「中枢的焦点」(k町 focuses)の型(つまり「制度j〕の 変輩が必要なのである。

Key focusesとは要するに政治,経済,社会,価値な どのことであり,それらが一定の目標と手段によ円であ る型(構造〕にはめこまれたとき,これが「制度」(ins・ titutions)だと定義される。続いて「家産制J社会の「制 度」の特徴が, 「封建制

J

社会との対比で,説明され る。著者は次の七つの「制度Jをもって必要,十分とす る(「封建制j的社会の「制度Jを著者は feudal,p倒t•

feudalの双方一一つまり封建制とそこから発展した近代 資本主義の双方一ーの「制度Jとして一括して説明す る。地方権力の承認,市場の自律性,身分職業による利害 団体の形成,内面的価値と職業の適合.セケトの形成、

等々)。

86 

山権力:意思と暴力の正統的行使, 12)経済;社会存 心:の生産,分配,消費, 13)職業:特権の専門化の儀式,

(4)1結局:社会的特権への相対的接近度を決定するヒエヲ ルキーの中での個人の;;

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耐と相対的序列, 15)血縁と山 自:

i

社会関係における血縁関係,戦略的資産(二土地)

の相続関係,{6;宗教:社会秩序における宗教的実践の役 割,社会関係,社会行為の妥当性に対する信仰の役割,

17)統合された安定的社会秩序と正統化される変化:秩 序,変化の構成要素とその決定の委任者。

以上の七つの制度は「家産制」社会においては次のよ うな特徴をもっ。

( 11について。下位者は上位者の恩情(grace)に仕え,

その特権,身分の安全の点では上位者の寵愛に依頼する,

1

−者の間に拘束的契約関係はなく, J忠誠,責任は相互規 定的でなく 個人的,恋意的である。首都と地方との政 治関係は定形化されず,集権的国家・が建立される特徴を もち,地方

n r

台は保障されない。権力の主要関心は社会 の道徳(morality)を維持することにあリ,社会の道徳を 独市し,他者との共有を許さなし、。芯:思決定は規格化さ れた基準によらず,個人的,道徳的基準によりなされ,

行政行為も定式的行政槻則によらず側人間の交渉により なされる。

(21について。権力は経済を公共福祉(サービス)の名 において自らのイニシアで操作し,このザービスの代償 として経済的収益(prebends=Pfriinde)を充当し,分配 する。一般の人民は権力のサービスと brebendsの付与 に対し双務的公務(戦役,{名役,貢納)に服する。権力 の生産と交換への直接的介入は,経済をそれ自体独立し たものとみなさず,公共福祉の日的のもとに操作すべき だとU、う観念によって正統化される。

聞について。特定の職業を一次的その他を二次的なも のと区別する。宗教を含むstatecraftと農業が第一次的 職業であり,その他はたとえ社会的分業上重要であって も第二次的職業とされた。軍人,職人,労働者,商工業 者 は 次的職業の遂行に支障をきたさぬ限りで存在を許 されたが.とくに商工業者は,原則的には職業的利益擁 織のための

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体,組織結成を祭止され,官僚の利害に服 従せさるをえなかった。

(41について。通常官僚がもっ知的道徳的な職業的役割 のみが職業的利益を公的に承認,保護される権利がある とされた。他の職業集団の安全は公的には保障されず,

支配階級(=官僚)の個人的恩情によってのみ保障され た。下位階級の個人が上位に移動,上昇することはでき

(4)

I

たが,これはその個人の属する階級全体の地位上昇には polity,すなわち行政制度自体が窓思決定者である。ただ 役だたず,むしろそれを阻止した。 しその支配様式は恩僚と暴力の独特の結合によりなされ i5Jについて。戦略的.典型的土地資源の私的所有,分 る,(21正統性根拠づけの要素として道徳(morality)が重 訓を禁止する制度がありた。この制度は権力の道徳的怠 要視される,(3)以上三つを結合すると億ある脊はカがあ 忠に対抗する私的総済ブJの台頭,成長を妨げ,

M

時に農 り,それを正しく行使するという観念となる,(4)支配様 ll;;に士止也の股大阪利用を保障L. l食主主に専業化3せるの 式は,特定個人におげるカと徳の結合とそれによる支配 に貢献した。 rule hy modelの形をとる,等々。中枢権力ではtitular

(61について。家産制的正統的宗教の役将lは人間に分を rulerたる国王の役割が重要である。国王は道徳的至高 わきまえさせ既存の社会秩序に適応させるため,

1 1

会 行 の modelであり,サービス供給に指導性を発揮し ゐの規範化を行なう点にある。逆にこの規範を等門的に model charismaを伝搭させたが(ruleby model),その 学び実践することは宗教的完全姓と同格になる。このた Ji.面権力維持,継承の規則が非定型的で権力の維持に苦 め知識と道徳にすぐれた者(官僚)と宗教的完全性を体 慮した。いわゆるdespotismと規定できないのは顧問ス 現する者(僧侶)との結びつき,正統的宗教と政治秩序 タフと権力を分有したためである(1932年革命後は顧問 との同盟が必然的に生ずる。社会的道徳に一・義的関心を ス守7

C

王族)の役割を平民のカナ(支配集団)がひき もつ正統的宗教は個人の宗教的関心につL、ては,社会的 継ぎ,国王のそれを首相がひき継いだだけで本質的変化 な対抗形態をとらない限りでそれを許零する。 はない)。

!7)について。正統的秩序の維持とその変革の承認権は 権力と民衆との関係では,権力が民衆の利害や政治的 知的,道徳的エリートが独占する。その正統性の根拠は 参加に全く無関心な点は不変である。民衆は権力に挑戦 エリートのみに判断,命令の権限があるとみな3れる点 する制度的権利,径路をもたず,個人的に patron‑client にある。社会秩序の維持のヒで諸問題が生じた場

f r

,そ 関係を結び自らの利害を実現した。法律は道徳的至高者 の原因は秩序そのものの構造的欠陥には求められず,ェ から発せられる一時的な道徳的規範にすぎず,現実の正 リート個人の道徳的欠陥,道徳的落第者の排除手続の不 義の裁断は官僚市jlの中で行なわれた(汚職の原因)。地方 備などに求められるの 行政は,中央の管轄下にあるが,中央の地方支配の道具 としても,地方自治の道具としても十分に機能していな 狙 い。その特徴は,官吏の集積体たる都市中心的,都市を

本書の構成は次のとおり。第1章は以とEに紹介した 総論。第2〜3章は structure

behaviorの両面ーから みた政治権力に関する分析。第 4〜5章は一般的形態,

発展形態に分けた経済に関する分析。第6j1者は職業,第 7主主は階層,第8章は血縁と出自に関する分析。第9〜 11章は僧侶集団の役割,宗教的価値および世俗的宗教価 値の役割に区分した宗教に関する分析。第12君主は社会秩 序の維持(統合と安定)と変革の正統性的特徴に関する 分析,という順序である(なお終章はアジア社会研究に おける西欧的見解と西欲的方法論に関する自戒と自己弁 護のノートである)。

以上の膨大で豊富な内容を逐一紹介することはとうて い無理である。ここでは第2

3章の政治権力,第4

5章の経済,第9〜11章の宗教,第12章の社会秩序に関 する分析に限定して紹介してみたい。

第 2章は政治循カの構造分析である。家産制支配の特 徴は次の諸点にある。(1)タイの政治装置は bureaucratic

通じての辺境支配,地方自治の承認でなく中央行政の強 制l分担などにある。都市は formalleaderたる村長,区 長を通じ農村を形式的に支記するが,農村独自の利益追 求も家産的秩序に挑戦しない限りで許される。

第 3章は権力の行動分析にあてられる。権力の行動基 準は権力維持のため潜在的対抗勢力(中枢権力,官僚,

非官僚勢力内部の〉の成長を抑制することにあり,支配 の効率もこの基準に矛盾しない範囲で採用される。歴史 的には,人民はすべて支配者の直属臣民であるという観 念を前提にして,地方行政の自立化を最小限におさえる 諸方策がとられ,地方的利害の出現につれ中央の統制と 後見的役割は拡大した。 1932年革命後,議会はできたが これが行政府の脅威になると廃止し,与党すなわち行政 府が自らmoralpoliticalな社会の後見人となった。中枢 権力外の対抗勢力に対しては.共同体を独立的分節体と して分散化させ相互安涜,連帯を禁止し,破壊的組織

(官僚制度にとって〕をけん制する方策をとった。タイ の権力が unitaryではあっても dictatorialでないのは

(5)

審 評

政治的挑戦がないからである。民衆とくに非官僚からの 批判,民間組織の存在自体などは脅威とみなされ弾圧さ れた。学生集団や大家族集団など脅威集団もタイにはな

ν

。、

権力の行動は patron‑client関係と prebendsの授受 関係を基本とする。重要な意思決定は権力が独占し(ス

タフの介入を阻止し), clientの派閥を分断し,個々に関 係をとり結ぶ。 clientの中では prebendsの配分をめぐ りfactionalismが生ずる。この制度の中では perform‑ ance志向は欠如し,人事操作,調和をもたらす能力な

E

が重視される。

第 4章は経済に関する一般的考察である。家産制経済 はサービスの供給とその代償としての prebendsの充当

(および分配〉という原理から成りたつ。

prebendsつまり経済的利潤の充当と分配はアユタヤ 時代以降サクディナー制度、近代:~ ~、たり俸給制度によ り行なわれたが,官僚スタフにとっては権力に応じた.

それ以外の源泉からの富の蓄積が刺激となった(立憲革 命後は富くじ局,公営企業,政!何事業入札など)。民衆 へのサーピスには建造物設置,国家儀式の遂庁、治安維 持,反乱鎮圧などがあった。 19:32午・以降i立サーピスの重 点が公共福祉に移行している。外

l

司援助も家産制秩序の 枠をこわさず経済的サービスを附加する限りで歓迎され る。政府サービスに対する人民の代償l土戦役,

f

在役,納 税であった。

中央の地方支配は,土地私有制欠如が 品目の地方での集 積を阻止したことを一閃として,中央への寓の集l:pをも たらし,有利な物質的条件をつくった。柴村は自足的で あったが家産制支配に対抗する経済力発阪の展隻を欠L、 た。

物質的発展と家産制の目:擦が調和させられるべきだと いう観念が存在し,支配者が全国の財産E利潤の所有権,

処分権を独占するという伝統があったため,権力の経済 への直接介入め権利は正統化された。古くは主室の商業,

貿易独占があり,ポーリング条約以降は独占放棄の代{貨 を米の輸出税,賭博・アヘンの請負制などの財源創出で 補った。戦後は外国為替管理,米のプレミアムおよび公 営企業の拡大などが行なわれた。華僑抑圧策もそのひと つで,華僑企業のコスト上昇,競争力低下,汚職の常習 化などをもたらした。戦後の工業化7'ランには一貫した,

持続的客観的原理,基準,哲学がなく,相矛盾する短期 的目標と戦術が同一フoログラム内に併存しているが,こ れも人民に恩恵(grace)を与える(すなわち雇用という

88 

prebendsを与える)とL、う家産制原理の点では首尾一 貫している。

第 5章は経済発展と家産制原理の貫徹に関する考察で ある。タイの場合の経済変容は現存の家産制的支配力に 挑戦せず,むしろそれを強化する限りで許容される。す なわち経済発展の目標は prebendsの充当,分配を促進 する観点からすえられるので,経済的ノtターンの洗練化

(「近代化J)はありうるが,経済関係、の質的変化(「発 展J)はない。

農業は最大の産業だが,所得も生産性も最低である。

これは農業余剰が都市のスタフへのprebends供与に完 全に吸収されたこと,またそのため農村の自立的対抗勢 力の台頭が阻止されたことの結果である。工業は量的に も質的にも発展したが,家産制ゴールと矛盾しなかった。

半値民地的経済発展は結局,政治的独立によるprebends の充足とし、う家産制ゴールを満たすものであった。戦後 の経済百十闘も所得向上,国際的地位向上よりも,経済に おける家産;!!~oi) 統制と意思決定,家産制的サービスと p・,:円、おの分配,を主要目標とした。目標だけでなく 経済政策遂行(手続と行政)もまた,経済と政治権力が

l . , J

ーシステム(家産制〉の中のニつの制度的側面にすぎ ないという認識にもとづいてなされる。財政の運用,プ ロジェクトの立案・実行,プラニングの立案・実行など がその例であり,問題は立案の技術不足や統計データ不 備など技術的理由そのものではない。

公営企業は,権力によりそのスタフ,部下に経済的報 償(prebends)が与えられるという家産制経済の近代的 変形にすぎない。現存する不十分な経済的サービス(運 輸・通信,市場,信用など)は権力の恩情の表明,政治 的統制という目標に適するものであり,またその達成の 手段も ruleby modelの特徴をもっ。

民間部門の商工業は商業資本的性格が強いが,それは 権力の介入,市場の不安定性と計算不可能性という条件 の下では合五思的である。民間企業もまた公営企業と同様 家産制原理(この場合権力への client的な対応)に依拠 する。結果として民間経済は早期利得的,投機的行動を とる。労働者も権力の慈悲,恩情による保護に期待する

J点で家産制的原理にたっ。農民は企業的動機はもつが,

制度的に与えられた機会を欠くため,技術革新の受容に は選択的にしか対応しない。市場など経済的環境の安定 性を欠き,労働力調達が困難で,また政府の農業政策も 不十分なため客観的行動をとることはできない。タイ人 は宗教的,精神的だという通念に反して,物質的に意欲

(6)

書 評 一 一 一 一 一 一 的野心的ではある。しかしこの傾何は短期的,限定的で, 件であった。タイ人は個人的には革新に弾力的で受容力 一定の限界内では意欲的に目標を達成するが,それ以上 があるが,そのような個人の創造的精神は結局家産制原 の分野では幸運にかけ投機的で,千載一遇の機会に機敏 理の枠の中でしか発揮されず,質的社会変革をもたらさ に反応するのみである。タイ人の企業者精神は一定限界 ない。つまりタイの社会システムはclosedsystemであ 内でのみ合理的であり,質的合理性をもっためには経済 り,古いシステムの変化に対応してなされる再編成も質 環境の質的変化が必要である。 的に古い性格を保持しつづける循環的システムである。

第 9章は僧侶集団(サンガ)の分析であるが,集団の 価値や理念の分析ではなく,集団のもつ機能,すなわち 政治権力,経済,職業,社会奉仕,支配者との関係、にお ける集団のもつ機能の分析である。詳細は省略せざるを えないが,結局多くのタイ人のいだく通念に反して,サ ンガは政治的管理と権力のサービスに従属し,政治秩序 に統合され,生産的社会変動の原動力として機能してな い,と結論する。

第10章は宗教的価値の家産制秩序維持機能に焦点をあ てた分析である。仏教宇宙神話と家産制ヒエラルキーの 適合性,政治集団とサンガの相互依存性,などの分析に よる宗教的価値の家産制秩序正統化,道徳的合理化の証 明,道徳(morality)を社会に浸透,普及させる場合に果 たすサンガおよび支配者の相互補完的機能,家産制秩序 破壊的異端〈たとえば千年王国運動)の弾圧の特徴J社 会変革に対するタイ仏教の限定的役割,の分析,などが 主要テー7である。

第11章は世俗的宗教価値の社会的機能に関する分析に あてられる。タイ仏教の複数規範的性格,抽象的基準の 欠如,倫理的相対主義,教育における倫理的z知的目標 重視,仏教的救済の個人主義的性格,カルマ思想と限界 内合理主義的性向との適合性,宗教的価値と家産制的経 済活動との適合

1

,真理把握のための morallogical な 態度・方法論,などが主題である。結論として,タイ社 会の道徳的,宗教的価値は現在の所「発臆」に適合的で はないが,タイ社会の内抱する「発股」と「客観性Jの 要素に適合するようそれを変革することは可能であり,

タイ社会の「発展」を促す可能性のある農民大衆と宗教 改革を促すエリートの結合こそが家産制秩序の根本的打 破につながることが示唆される。

第12章は家産制的秩序の維持と正統的変革にふれた総 括的部分である。タイ人はきわめて柔軟性に富み,イデ オロギー,原則への固執はなく革新(イノベーシヨン)を 受容する。しかしその受容は,それが政治的独立の維持

=家産制的秩序の維持というゴールを脅かさない限りで なされた,という意味で選択的であった。形式的な革新 の受容と家産制秩序の温存とは政治的独立の必要十分条

膨大な分量と豊富な内容をもっ本書の意義を十分にく みとることは困難であるが,さしあたりタイ研究の上か

らは次のように評価できょう。

まず第1に本書は地域の研究にありがちな超微視的な 事実発見へのタコツボ的沈潜か,あるいは逆に超抽象的 一般化への飛朔か,というこ極分解の弊害を克服し,事 実にもとづきそれを整理した一般化に成功している。も ちろんその方法論,分析視角は,あとでみるように,問 題がないわけではないし,また事実の強引な解釈(たと えば第 3章で政治的行為の特徴の説明にタイ人の性格を もち出す点はその典型〉もなかわけではなU、。しかし少 なくとも著者の一般化の水準をみると,アメリカのタイ 研究の水準の高さと,反対に日本の水準の低さとそれを 反映した若干の一般化の試みの粗雑さとを痛感しないわ けにはいかない。

第2にタイ社会の総体的把援という点でも,こわほど 成功した作品を知らない。すなわち宗教を含む社会的諸 制度が,政治権力の家産制維持・再編成と

u

、うゴールに 対して,完壁な体系をもって組織され,機能していると いうタイ社会の主要な側面が論理一貫的に把握されてい る。タイ社会の理解で思い出すのは Embreeの Loose‑ ly  Structured Social System,,という有名な規定であ

るが,この規定は社会のヨコの関係は説明しえても,タ テの関係の視点を致命的に欠いている(ヨコの関係にお ける規制,拘束の弱さをもって農民の支配からの自由な どという性急な議論が生まれるのはそのためである)。

本書の目標はタイ社会の発展の分析にあるが,結局その 発展を「近代化」におしとどめている社会の枠組=家産 制支配の分析を中心としている。その意味では本書はタ イの「支配の社会学jの著作でもある。

第3に本書は,せまくタイ社会の構造把握にとどまら ず,中国,イラン,タイとし、うアジア大陸の家産制国家 に共通する社会構造をある方法と基準によって統一的に 把握し,西欧社会との対比を可能にしたといえる。著者

(7)

でよニ===ニ二:欝

E

平ニ:;匂;町一一二了 はイランの著作の中で地域選定の基準として, l直接的植 民地でなかったこと,PluralSocietyでないこと,をあげ る。 3国がこの基準を完全にみたすかどうかは疑問だと しても,地域の選択には成功しているというべきだろう。

ひとつの問題はこれ以外のアジア諸国を著者が分析した ような「家産制」概念で把握できるのかという点である。

次に本書の方法論と分析視角につし、てコメン卜してお きたい。

まず方法論上の問題として,日本を合めた商欧社会0: 封建制的社会とし,アジアの上記3閣を家主量制的社会と 区分する類型輸をあげたい。日本と中国を対比し封惑制 の有無をもって近代化の度合を測定するという方法は,

ライシャワー博士に限らず,西欧の学界の19世紀来のか なり根強い伝統らしいが,著者のこの10数年来の研究も この伝統から自由ではない。日本の封建制がその成立期 から家産制的特徴を濃厚にもつ点については,とくにラ イシャワ一説を意識したり,日本とアジアとの共通性を 求めようとする日本史家遠に強調されている。日本を発 達した西欧社会に加え,これに対して後進的アジア社会 を対置するとL、う発想、は多かれ少かれ悪名高

ν

「アジア 的停滞論」の色彩をおびる危険性がある。本書も e見し たところこの「アジア的停滞論」のバリエーションでは ないかという印象を受ける。

しかし著者の真意は決してそうではないと思う。著者 は西欧的偏見にきわめて敏感であり, modernizationの もつ価値観的響きを消すため,これをきわめて相対的な 概念にかえた(しかし同時に楽天的近代化論者でもな い)。また「家産市

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も「近代化

J

から「発展」へと質 的変化をとげる可能性のあることを示唆した。それにも かかわらず,著者のタイ社会のイメージはきわめて静態 的であるように感じられる。その理由はおそらく,第1 に「近代化jから「発展Jへとつらなる動態的プロセス の論理(あるいはその契機でもよい)が不明確な点,第 2に,論理はともかく,少なくとも具体例を明示的に整 理してなv',i長にあるだろう。断片的に示唆される事例 は,たとえば次のような点である。プリデ、イー支配期の 家産制原理の例外的な弱さ(p.44),近代的志向をもっテ クノクラートの経済的変容促進の可能性(PP.126‑127),  農民が甘受せざるをえない家産制的経済環境を変えうる 官僚制(p.161),大衆がもつべき合理的宗教を生み出すエ リートの役割(p.133)。結局タイ社会に存在する I客観 性と発展のポケットJ(p. 132)を社会全体に普及させる 役割を担うのは家産制原理から自由なエリートだという

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ことになろう。しかし,その場合の制度的変化は現在の 家産制的舞台よりもっと広い政治的展望でなされるべき であり,とくに「政治的発展のための闘いは,現在のよ うな政治的エリートの増殖(現象〉のみに限定されるべ きではない」(p.327)といわれる。

著者の「発展」への飛躍の契機の示唆はきわめて控え 目である。むしろくり返し強調されるのは家産制的制度 の根強い存続とその下での「近代化jである。 1973年の 10月政変を経た今日では.学生の体制内的存在(P.78,  PP.186〜187),労働者の階級的利害表現の欠如(pp.177〜  179)とャった叙述は改められるべきだろう。さらに積械 的には戦争直後のプリディ支配期, 1950年代後半のピブ ン支記末期などに政治的大衆が家産制秩序打破に対して 果たした役割を10月政変以降の動きとの関連で再評価す

る必要があろう。

最後に分析視角に簡単にふれたし、。中国と日本,イラ ン,そしてタイの著作で著者は,ほぼ全く同様に七つの

「制度J(institutions)を基準に分析している(II参照)。

しかしこの「制度」は同一次元で併列的には並べられな いと思う。支配の主体(政治権力)一一(1)の前半,本書;

第2箪ーーが(1)〜(6)の支配の手段の体系を通じて,(7)の 秩序維持(およびその正統的再編成)を総括とする,と いう構図の方がはるかにわかりやすい。著者は「制度」

を,社会秩序の keyfocuses−一政治,経済,社会,宗 教一ーが一定の目標と手段に従って特定の翠!,構造に組 織されること,と定義する。この定義ではそのような組 織をする政治主体自体も

I

制度」の中に没埋してしまう おそれがある。支配秩序の維持と再編成が「近代化」に とどまるか,それとも「発展Jに飛躍するか否かは.結 局「制度Jそのものの中から生じ,政治権力と何らかの 緊張関係をもっ「制度」の変革主体の形成いかんにかか っている。それは近代的エリートとその共鳴板としての 大衆との同盟という形をとらないであろうか。著者は本 舎ではパーソンズを意識的に無視しているように思われ るが,その影響から決して自由ではない。

なおつけ加えると本書の刊行以後 ThaiSpecialistの うちとくに歴史学の新鋭がタイ研究に登場したことの意 義は大き

u

、(たとえばDavidK. Wyatt, Constance M. 

Wilson, Akin Rabibhadana)。また10月政変以後の言論 の自由はプリディや無名の学徒Somsamaiなどの1950年 代中葉の思想的な営みを明らかにしてくれた。おそらく 著者の桝且を豊富にする材料は本書刊行当時よりふえた はずである。 (調査研究部北原浮〉

参照

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