• 検索結果がありません。

我が先住民族

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "我が先住民族"

Copied!
22
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

諮科率的研究より観たる我が先住民族

諸 科 率 的 研 究 よ り 蜘 側

︑ た る

我が先住民族

考古畢上よりの考察

韓近庚汎にして精椴なる成泉佐約めつLある我が闘考古皐界の烏賊ずら筆者の如き能裕なき者には容易なととで

Q

而して敢て詫串非才を顧みムヂ拾に筆者が﹁考古皐上より

O考察﹂と題して我が先住民践を論ぜんとする所

以のものは.嚢に記述せし紳典事記に基礎を嵩く我が先住民族の解放D解明が決して考古皐上より親るも全く無視

でなき事を説明せんが泊めであるJ元来一説を樹立するに営つてはそれに閲聯を持つ諸科皐的研究の結を出来得る

限り国的して樹つるととが至営であることは論を倹たない︒然れ共我が園先住民族を研究するに営って所謂科事的 研究のみを重硯ずる結果は必やしも正しい結論を導き得ないであらう︒論者の諸説は結局論者︒文化科皐に封ずる

遺詣の深浅に依りて左右せらるLものでるる︒論者が若し時に外国文化に明るき場合にはその反映として外閣文化

(2)

扱て最近の我が圏の考古畢界の情勢について鳥居龍蹴博士は次の如く述べられてゐる︒先住民石器時代研究は 今日はどうしたものか誰れも彼れも唯だ土器の破片のセクションや土器の輪廓忙就て

Dみ走りその他の石器時代の

大切なる部分を忘れて居るかの感がする︒以上の研究は国より有益であるけれども︑百人が百人交で等しくこれば

aの進歩護連の上から大なる損である︒少数の人にこれを信頼し︑他の多数は別な仕事に轄

ぜねばならぬのである@貝塚の護掘もよいが︑近頃は仮令護掘があっても・その結論は昔の人類阜曾や人類畢教室

の人々が試みた官時ほ芝は行かぬ︒いつも唯だ護掘のみしては斯間半上何等の結呆はないから是非ともそO結論の研

手相シ究が欲しい︒土偶・土版から石器・骨器等を始め住居や基や︑億一等研究すべき事が多くあるが︑今日の研究者はこれ

等を忘れ℃一向着手して居ない︒私はとれ佐一寸の態度に封して大に希望と不満があるのである︒﹂ハド九メン特輯︑六

月︑鳥居龍臓博士﹁先住民研究に封ずる私の感想﹂中より︶以上博士の感想文中に伺はれるごとく最近我が図先住

民の結論的研究は以前に比して殆んε問題にされぬ如き観を呈してゐる︒

従来我が先住民族に封する考古皐上の簡単読としては弐の諸設がある︒誌に前以て注意を要することは︑考古墜と 人類墜との密接不離な闘係である︒即ちとの関係は我が園の石器時代研究が故坪井正五郎博士等による東大人類皐 敬室︑人類皐舎から捕を裂し・今日考古事の名を以て呼ばれるに至った賠より観るも明瞭である︒故に草に考古事

と一五へども究節に謹ぷる考古墜の姉妹科事・人類晶一︑人種皐等D研究も多分に含まれてゐるとととを識らねばなら

諸科血中的研究より観たる我が先住民族

(3)

諸科率的研究よP相似たる我が先住民族

研究史上より皐誌を紹介すれば︑故人類撃者坪井正五郎博士のコロボツクル読封白井光太郎博士︑小金井良精博

士等のアイヌ設との論争を塙矢とする︒営時ヨロボツクル読は坪井博士によって根強く力説せられたのであるが博

士が大正二年五月廿ムハ日露都ペトログラードに於て腸チプスに胃され長逝せられて以来会く蕗駕して丁ったのであ

る︒ョロボツグル設︑アイヌ設以外に蝦夷人設机アイヌ人説︑アイノド設等の諸設がある︒同して今日アイス説

が一番有力訟の如︿取扱はれてゐる如くであるが︑筆者はアイヌ以前にコロポツクルの存在せしととを強調する︒

左に安藤正次氏の著書﹁日本文化史︑古代﹂中にコロボツグル読の要黙とアイヌ設の要貼とが極めて平易鮮明に箇

保書を以て列記せられてゐる故︑吾人の参考に供する次第である︒

﹁ヨロポツクル設の主要な鮪は左の如くである︒第一︑荷器時代の人骨は今日のアイヌの骨とも遼ふし︑今日の

第二︑石器時代の人民には踊歯が多い︒然るにアイメには鮪歯が稀である︒

調

IC

1

石器時代の人民の男子を示したと思はれる土偶には転が多い︒アイヌは非常に多毛の人程で髭

2

石器時代人民を示したと品はれる土偶の男女とも結髪である︒殊に女子と思はれるは複雑し

てゐるが︑アイヌは男女共に髪を切ってゐる︒

(4)

3

爾者に通じて入墨はあるがw模様の形は異なってゐる︒もし形にかまはむとすると入墨は闘方

にあるのであるが︑此の風はアイヌの口問によれば石器時代の人民から停はったのである︒

4︶接民同具を巌めることは︑石器時代の人民にはエスキモーに於けるが如︿行ばれたらしいが︑アイヌは決し

て左椋たととはせぬ︒

5︶石器時代人民は笠また帽子を用ゐたが︑アイヌは類似品を持ってゐない︒

6︶石器時代の人民は外吉顕巾のやろなものを被れJたととが分守口︒アイヌにも似たものがあるが作り方が全く

7

U石器時代の土偶の中には雪の光をよ峠りるための悲光器左限にかけたと忠はれるもりがあるが︑プイスはさ

ろいふものを問ゐない︒

8︶石器時代人民の女子は一義闘を用ゐたが︑アイヌは府ゐない︒

9︶石器時代人民の上者は筒袖で︑男は上より被

hy女のは前に合せるやうになってゐた︒然るにアイヌの一衣服

は断︑袖で︑男女とも通例の日本般のやうに草ねて︑その上へ持を締めてゐる︒

︵叩︶石器時代人民は股引左穿ってゐたが︑アイヌは左様たものは用ゐない︒

第四︑食物石器時代の住民は貝を好んだが︑アイスはとれを好まない︒又前者は食人程であったが︑後者は死

入が極めて嫌である︒

諮科事的研究より叡たあ我が先住民族

(5)

諸科躍的研究よF

親たる我が先住民族

;¥,. 

第五︑住居

石器時代人民は竪穴小屋に位ってゐた︒その形は固形︑縮図形︑方形︑長方形︑瓢形︑又は不規則

な形であるが︑アイヌの小屋は何時も長方形であり︑叉穴の上に小屋を立てる一議はない︒

第六︑石器

アイヌが石誌を用ゐた時代があったとしても︑それは飴程古いととに連ひない︒そんな古い時代に

用ゐたアイヌD石器が︑乙の新しい遺跡からして︑さう津山に出る筈が無い︒

第七︑土器石器時代の遺跡からは土器が多く出るが︑アイヌは土器を用ゐ訟い︒

第八︑雨者の聞に模様や意匠の相還がある︒

第九.土器の外面についてゐる械物の形によって見ると・アイヌの織物とは全く違ふ︒網代︒編万も違ふ︒

小金井博士の所説の要期は左の如くである︒

第二人骨口湖定はいづれの説の助けにもならね︒只貝塚を遣った人民が現今のアイヌ人よりも小さかったこと

第二︑蹄歯の多いといふことは︑研究に供せられた材料の上から見れば事買であるが︑とれは偶然では無いか︒

第三︑坪井博士が石器時代人民とアイヌと遼ふ賠として皐げられた賠は多いが︑時といふものを全く考への方に

置いて居られる︒土偶の如きは︑技術が甚だ拙ない上にその形の故意κ襲へられてゐるのがある︒さういふものに

ついて衣服や髪のことなどを知るのはむづかしいととであらう︒

第四ゐ石器時代の人民が慌を好んで食したといふがとれはその時代に格別技怖を嬰せやに得易かったとと貝類

(6)

は殻を多く出すものであるといふことを考へ︑現今のアイヌが具類を多く食せぬのは︑他に食物を得る方法が護連

して来たからだと考へるべきである︒

第五.模様の相遣については︑見方によっては坪井博士と反割に︑相蓮を認めない人もある︒

コロポツクルの偉設はそれほE

信用するととが出来ない︒現に北千島にゐるアイヌにはさういふ類似の停

設も無いし・石器時代の遺跡や遺物を自分たちの祖先が遺したものであ一るといってゐる︒

第七︑アイヌが日本歴史時代に既に石器を使ってゐなかったと云ふことは.一揖アイヌ設に闘係は無い︒早くH

本人に接近してゐたもの一は︑早く餓器を用ゐてゐたのであらう︒

第八︑アイヌ以前に石器時代の人民があったとすれば︑我が園にアイヌ一語の地名︑またアイヌに関する地名の多

くは遣ってゐるととの解緯がつきにくL

r a E E

である︒従来とれを﹁蕗葉の下の人﹂の義に解してアイヌ

が自分たちよりも小さい先住民に﹁蕗の葉の下に住む人﹂の意味でとの名稿を奥へたものであるといふやうに見て

ゐたが︑金津庄一一.郎博士がその著﹁言語に映巳たる原人の思想﹂八九頁に設いてゐられる所によると︑蕗はアイヌ

0

3 r

OB

HU

O HU

rR

n r v q

m

Eロ と 等しく﹁地下の人﹂に解すべきであらうといはれてゐる︒アイヌは︑古くはアイノといふ稿

呼で一般に知られてゐた︒しかし金田一京氏の設によると︑土人の方ではもとから﹀一口己と護一音してゐたのだが.

諸科験的研究より観たる我が先住民族

L

(7)

講料率的研究よリ視たろ我が先佑民族

土日の人はそれをアイノと聞いてプイノと呼んでゐた︒それはパチラ

l博士以後はじめて土人が一五ふのは﹀

Eo たく﹀一ロロだとゐかつて︑今度はアイヌと呼ぶやうにたったのであるといふ︒たほアイヌといふ語は

EE OR

ふ意味でるるが︑その原義は美稿の﹁長者﹂といふほEの義で傘敬の意を含んであるといふζ

向上越二詑共他の諸説の説明については安藤氏の著書を参照せられたい︒従来アイヌ設を主帳しマロポツクル詑 アイヌ設に闘して解決を輿へる有力なる資料を提供しつ

Lあった鳥居龍一勝博士はドルメン誌上に弐の如き感想を寄

せてゐる︒﹁私はもと先住民をアイヌとする論者であって︑困難の場合に際合せるアイヌ論に向て一遣の光明を輿へ たものであった︒けれ与も私は今日貝域護見の人骨を見るにつ秒︑その骨格の上から彼等がアイヌであるのを疑ひ 始めて来たのみならや︑そのバンアイヌ設にも不賛成であって︑寧ろ先住民は別友民族の名稿を附する方がよろし いと考えて来たのである︒﹂とれ印ち決してアイヌ設のみを以てしては我が先住民族は説明出来ぬ所以である︒叉三

宅宗悦氏は同ドルメン誌

﹁日本石器時代人漫考﹂中に弐の如き見解を述べてゐる︒﹁アイヌ設︑鈴りにも根強く顕 ってゐる︒近来の先史人類襲︑殊に我々の清野研究室からは今までに日本石器時代人群に劃する多くの研究報告を 出して来た︒その結果石器時代人は今日のアイヌ人とも日本人ともや

L遣った鰐質を持ってゐる︒との可成り差の

ある石器時代を現存人種名たるアイヌの名を以て呼ぶ事の不可である事は明かすぎる程明かな事である︒我々がア イヌ設を異端視するのはこの賭である︒アイヌの血が日本人に混じてゐるのでなく日本石器時代人の血が今日の日 本人にも︑アイヌにも混じてゐるのである︒簡皐に言へば不器時代人を通ビて日本人とアイヌとは血族的関係があ

(8)

るととになる従って石議時代土器に屡用ひられるアイヌ式土器たる名稿が不可である事を読解して戴ける事と思

ふ︒祉の考古皐徒はアイヌ式土器なる名揺を捨てL縄紋土器と呼ぶべきである@云々︑以上二事者の見併が等しく

アイヌ民族に非ざる我が園石器時代人の存在を認めてゐるととは︑最近の一我が問先住民族の研究に新らしい針心を

興へるものである︒吾人は早に考古問中上の研究にのみ法頭せや大いに我が国文化史の研究を進め・なければならい︒

筆者は祖一岬と民族との閥係を明かにすることに依って︑営然アイヌ民族に非ざる先住民族の我が閤土上に存在し居

りして之を肯定し強調する次第である︒併してアイヌ民族直前の先住民族が穴居民族であり︑故坪井正五郎博士の

唱導せしマロポツクル民族と命名して何等惇るととなきを公言する・次第である︒坪井主五郎博士がマロポツクルを

1と同探に取散ったことが足立文太郎博士共他畢者の強烈なる反肢に逢ったのであって︑誌が先住民族

が他幽より波来せしものに非宇して︑組神の河化によって︐次第に大和民族形成に至ったことを認むれば三宅︷一不悦

氏の﹁アイヌの血が日本人に混じてゐるのでなく日本石器時代人の血が今日の臼本人にも.アイヌにも協ビてゐる

のである己といふ見解も容易に成立是認出来るのである@

人類畢人種場上よりの考察

人類簡単を開質人類墜と文化人類準との二大網目に分類し・更に般質人類皐と文化人類感・とを各小自に細分類して

人類撃の一韓系を組織し・以て人類療を一つの皐問となしてゐる筆者も多数あるが︑ドイツ流の人類皐の定義は瞳

(9)

務科血中的研究よ叫続たる我が先住民族

質を主題にt

て取扱ってゐる︒例へぽシヤイト巧・∞口町︒一円の如きは﹁人種皐は人類皐の一部円であって人類壊とは 人類の自然的親縁関係を取扱ふものである﹂としてゐる︒叉ルドルフ・マルテイン︵同

E O

52

ば﹁人類串は糟ゆる時間と塁間とを籍軍するととろ白人類の自然史である﹂となし︑乙の自然史は遺倖史を意味す るといふ︒而して人種皐は陪質人類串中の一項目として論歩る撃者もあり又人類撃と同様に取扱ってゐる皐者も ある︒執れにしても人類皐と人組皐とは人類を研究主題にしてゐる貼に於て密接た関聯を持ってゐる︒小山柴一一一氏 は此の著書﹃人種態﹄中に於て﹁人種事とは科皐的封象としてとの人粧の本質及び形態の時間的・空間的存在を認

識しようとするものである﹂と定義してゐる︒序に氏Q人種の定義に従へば﹁入居とは肉賠的精神的達偉特質を共

有する一定程圏の人類︑の地域的形態を指すものと観念するととが出来る﹂と述べてゐる︒設に五口人は人類皐︑人桓 阜︑人種等の諸定義の検討よりも之理諸科皐が我が先住民族を如何に説明するかにより多くの興味を抱くものであ る︒﹁最近︑松村博士によって日本人の頭形及び身長の研究が護表せられ︑また清野博士らによって古代人骨の研究 が溌表せられ私建日本民族の隈質的方面は以前に比ぶれば柏々明瞭になって来たが︑それらは日本人の人観的位 地にほんの見営しか興へて︿れない︒日本人の事記についてはどんな決定をも興へる力を有って居らぬ

Q以上︑更

に文化人類接的研究を加へるととがなければ︑日本人の進化史は依然として明確にされないであらうよ以上西村民 次氏が﹁日本古代吐曾﹂中に記載せる如︿︑をだ今日迄の人類皐︑人種態研究の結果は我が犬和民族の本質解明に

I

十分なる一示唆そ興へる迄に室って居ら左い如くである︒西村氏が文化人類早的研究の必要を設くのは︑自然科摩的

(10)

研究に劃して精神科皐︷文化科皐﹂的研究を強調する筆者と意を同じくするものであって︑民族の研究には扶く可

らざるととである︒人類串にしろ人種撃にしろ姉妹的語科阜の協力に侯Qとと多いのは勿論であるが︑特に困村

氏がその著﹁人類皐汎論﹂中﹁最近に於ける人類阜の新傾向﹂なる一節を設けてマレツト︵ER己乙の人類撃の定義

を紹介してゐる中に量魂生活にまで言及してゐるのは興味多会乙とである︒即ち﹃人類皐とは準化の蹴念によって

浸さる主人類の杢史である︒進化上の人類が人類阜の研究主題でるる︒人類墜はあらゆる時代︑及び世界のあらゆ

る場所に於ける人類︑を研空ずる︒皐に其肉醐慌のみなら十.霊魂をも共に研究する︒即ち時間及び塁間中に樹︿語保

件に従属する肉的有機肥としての人類を研究するが︑共肉的有機鰐は同様の諸後件に従属する霊魂生活と密接の闘

係を有してゐる︒かうした駅を以て人類の陸史過程を観ると初めから和めまで︑睦質的にも精榊的にも︑人類は

同党化の蓮穫である︒人類皐の仕事は早に記述するのみである︒しかし其範囲を超えるととなしに格別から一般に

住まうと企でなくてはならない︒即ち人類の抽出化が構成せられるとこあの援化の会連積を綜合する記辿的公式を作

るととを日的としなければならないよ

吾人は各民族の霊的京質︑組成等を研究することなしにγレツトの.栴ふる人類進化の会史を論守るととは不可能

であらう︒筆者は再び我が大和民族研究に営って︑一抑凪︵古事記の如き比類なきそ臼文献に恵まれてゐる吾人がとの方

面に注意を向けられるととを望む弐第である︒精神生活に於て金々別個の存在を保って来た我が大和民族の起源を

我が園土上以外に求むるととの如何に牽強附舎な設であるか最近の剛院質︑血液等の研究の結呆が漸くその詮明の

P観たる我が先住民族

(11)

諸科準的研究より混たあ骨叫が先住民筏

曙光を見せつL

あるのは誠に悦ばしき事である︒郎ち鼠に引用せし如く︑一ニ宅宗悦氏はドルメン誌上に下の如く連 ぺ℃ゐる︒ハ前略︶坪井先生のコロボツクル説は石器時代人を先住民族とした事︑殊にアイヌよりも先住してゐたと 見る黙に於ても今日の立場からは攻撃されるがプイヌでもよく︑日本人でもない別種の人種と見た貼に永遠の生

アイヌ説︑飴りにも根強く蹟ってゐる︒近来︒先史人類阜︑殊に我々の清野研究室からは今までに日本石器時代 人群に封ずる多くり俳究報告を出して来た︒その結同市︑石器時代人は今日のアイス人とも日本人ともや

L遣った躍

質を持ってゐる︒この可成りの差のるる石器時代人を現存人種名たるプイ只の名を以て呼ぶ事の不可である事は明

かすぎる程明かな事である︒我・々がアイヌ一況を異端視するのはこの鞘である︒アイヌの血が日木人に混じてゐるD

でなく日本石器時代人の血が今日の日本人にも︑アイヌにも混巴℃ゐるのである︒簡翠に言︑へぽ石器時代人を通じ

て日本人とアイヌとは血践的関係があるととになる︒一再々﹂

吾人は組神によろ民族同化が血液に及ぼす即断響を皆皐博土岸一太先生の研究上り伺ふととにする︒﹁︵前略﹀民族

の血液型は組神の同化に上って麓化するものであることを容易に誰明し得るものは︑恐らくは我々日本人あるのみ である︒之れは民族同化の樫史が霞然と古事記に記載せられ℃存在する故に之れを詩し得るのである︒

之れを研究するととは苦人口責任であるが︑今猫ほ完成し持ぬのでちるととは甚だ遺憾である︒多くの日本の謬 者は同化と一五ふ意味をば全く理解せ示︑又民の大和民族の血液型に就ての理鮮な︿︑日本各地の人の血液型を検益

(12)

して︑文化の翠なる影響を測定しようとして居るのである︒

叉現時の科皐者には民族同化に就ての智識はなくとも︑唯民族質と一民ふものLあるととを認めて種々研究して肘

るものがあるのである︒而して民族の心理に影響を及ぼすべき種々なる原因を研究し℃も︑共の影響する鹿は皆一

時性であって民族質の根本的要素には品川んど慣れないものであるととをば認めて居るのである︒

L様であると云うて居るのである︒之れに就ては大

O如く考へて居る上うである︒

一︑閣民の生活に於ける思想の勢力

二︑文明の進化に於ける宗教的信仰の勢力

豆︑国民歴史に於ける偉人の勢力

此等の勢力が作用するときは︑民族性は鑓佑するものであると考へて屑る様であるが0・此の観察は皆唯末梢的の

饗化bE見て推定したものでるる︒民族性の鑓化は血液型の上に之を認め得るものであるが︑共の血液型の建化と一五

ふものは帥の同化によって起るのみのものであることを皐者等は知らぬのである︒

神の同化によって血液型の趨化︒起ると云ふζとは︑今日調り之を日本人が寛際詮明し作るのみであると忠ふ︒

而も之を説明するには共の試験材料は物質科筆者の護表せし材料を以て容易に詮明し得るのである︒

諸科事的研究上り翻たる我が先住民族

(13)

諾科事的研匁より観たる我が先住民放

,皇4

前にも述べたろが如く大和民族は週hAアイヌ民族より向化せられたるも

のである︒之れによって大日本帝国は構成せられて居るのである︒然れども各地の日本人の同化の程度は一様では

なく︑各地方によっ℃護機が存ずるのである︒共の同化D濃淡は各地方の人の胤液型を検在するととによって確賓

に検定し得るのである︒又之が封照とすべき同化を被らざるアイヌ人は︑今狛現に北緯道に生存して居るととは︑

o

O

4u

田叶て﹄﹂ノ圃

一 八 ︑ ニ

0

二 一 ︑

O

丸 ︑ム ハ

O

今此の表によって見るときは︑アイヌ民族はO型に於て大いにかJ

く ︑

A型に於ても亦柏少く︑之に反してB

於℃は非常に多数である︒斯る血時限型を有せしプイヌ民族の同化せられたる現時の大和民族は右の平均数の如き血

液型となワて居るのである︒

併し友がら大和民族の買の標準たるべき血液型の比例は︑

である︒此の日本人平均頻教とは日本圏中に於けるものh平均教である︒即ち完全に同化したものと難問化のも 一般に一人の一五ふ日本人平均頻駄よりは少し︿異るの

h卒均散であるo

U官際民検の同化

LL

Lものでは左い︒プ

イヌ民族は地方によって共の民族魂の性質を具にし︑同化せらるL年月の長短を異にして昂るのである︒一脚武天皇

(14)

以前の帥代の天皇等も日本各地に於て各々同化に力められたのである︒故に血液型は各地に持て自然差違があるひ

であって︑前に掲げたる日本人平均散の︿O

OA

A

B

大和民族の血液型を現はすものではないのである︒震の大和民族は大韓弐の如き血液型敢を有ずべきものであると

「ーーl

一 二 ︑

OA

o

i

B

o

l一 一 一

一 一 ︑ ゥ 一

A

B

ol

0

3

︵中略︶事者の中には日本人と敵米人との血液型の主呉を見て直に欧米人を帯して理想的血液型の如く稿拐するも

P﹂も︑之れは大いに早計の批判と思ふのである︒物質文化のみを理想として観察すれば︑或は左様の感が生

やるやも知れぎれども今や特に精神文化が犬いに護撞ぜんとせるに際しでは︑物質精帥悶文化の併立を理想とせ

る大和民族の血液型が員の理想的のものである︒世界の民族は悉く之れに同化せらるL時あるやも知れぬと思ふの

ある︒﹂︵岸博士著﹁教育と紳霊草﹂中﹁八︑同化と血浪型﹂悲照︶

以上は﹁同化と血液型﹂に閲する同博士の研究の一端を紹介したのであるが︑向詳細に亘つては参照著書を熟語

翫味せられんことを切望する次第である︒結局吾入は血液型の研究を題して何笠間学ぶのであ一るかといふに大和民

族がとの日本園上に於て各先住民族が次々に同化せられて形成せられたものであると一五ふととを事ぶのである︒人

種率上人種徴去の規準と計測法の研究が謹めば進む粍五口人は大和民族と他民族との差異を明確に認識するに至るで

あらう︒而して人種的差異を構成する根本的存在である民族坤と深い閥係のあることを知るに至ろであらう今

諸科血中的研究より観たる我が先住民族

(15)

諸科向学的研究より観たる我が先住民族

共に西村民共氏︒白木人を構成する人種的要素に関して簡単な卑見を趨ぷる︐次第である︒氏は日本人を構成する

人種的要誌として充の黒︑黄︑白の三大人種に一一つてゐるといふ七種族名を事げてゐる︒

a

1族︵

Z h w m

円 一 件

︒ ︶

b

mH

E4

ヘ ピ ロ ロ

C

l

︿

D

m 5 0

d

H E

︵ ︶ 口

22

5

e

︿H E

守 口 町 一

2

0

f

s

zh F7 20

g

gm

c 一 山 ︶

而して之等諸種族の我が悶への渡来順序は︑1族が漂着し︑弐ぎに奮アイヌが移住し・それを

逐ってツング1ス族が大移動をなし︑南方からはインドネジヤ族と印度支那族とが入り︑西からは原支那人と蒙古

族とが入って来たといふのである︒勿論とれは氏の臆訟である︒氏は以上の七種族が埠血して日本人を構成したと

とを詮明ずる方法はいく泊りもあるが︑それ彰一眼に見えるやうに質詮率的に立誼するととはちょっとむづかしいと

断ってゐる︒澄明ずる方法はいく語りもあると述べ乍ら︑氏は面貌姿相の上より観察してゐるに担ぎない如くであ

る︒即ち氏は七種挟の男子正面窮民を眼で焦酔祖を舎はして同じ種板に撤りて水を想定上の一 t人治日木人﹂として比

(16)

較を試みて居られるのである︒氏が﹃入超日本人﹄の馬民は必やしも成功ではないが︑いくらか日本人らしい特徴

を表はしてゐるといふ意味に於いτ一闘の債値があると思ふ︒敷堕的表示よりも︑かうした風の置物的表示は多

少非科随一ナ的要素があるとしても︑倫ほ一般には介り易くて興味が深い﹂と極めて通格的詮明に甘んじて出られる如

きは筆者をして甚だしく物足りな︿感ぜしむるものである︒一冗来具人種間に時折類似性を見出すといふととは珍ら

しいととでは・泣い︒一言語陀於ても数多い言葉の中に類似語を見出すととは臨々あり侍る︒特に紳代に於て我々の租

榊と他の民族の組紳とがある闘聯を持ってゐる時に於ては営然共蕗に類似性の起り得る可能性があるのである

Q

からと云って直ちに︑部分的類似性から混血を主脹ずるととは許されたい︒吾人の中にユダヤ人に似た鼻の所有者 があったとして.直ちに我々の祖先はユダヤ系だと結論することは早合賠である︒大和民族とユグヤ民族とは信仰

上金︿個別のものを持つτゐる︒一言語に於℃も然りである︒樫質に於ても然りである︒即ち面貌︑姿相も全︿度外

視するととは出来ないが︑より他に比較すべき重嬰なものが多々存ずるのである︒

西村氏が我が闘の先住民族としてヨロボウクルといふ銭ふ人程があったと一般に認められてゐる故を以て︑京亜 の何鹿かに倭小人簡をヰね︑ネグリト1族が小人であるととろから︑不グリト1族とそコロボツクルでむらうと推論 せられたのは卓凡の如くして甚だ凝はしいものである︒ヨロボツクル即ち今日いふ石器時代人の研究はかなり進め

られてゐる如くであるが︑ネグリト1挨とは金々別個のものとして取扱はれてゐる︒西村氏段︑不グリト1挨の我が

闘への漂着の時期並に経路について賢に勝手と思はれる如き説明をなしてゐる︒他の之鹿族の説明に閲しても氏は

L

(17)

諸科事的研究より観たる我が先住民放

買に滑稽と思はれる程の推定を下してゐる︒特にワングIス族を既日本人と見倣された如きは原白木人の形成過程

を記録する我が因︒古文献の何蕗に調和賠を見出し得るであらうか︒田村氏自から人類皐の綜合的研究を目指され

・ながらかかる偏狭な立論をなされるととは筆者の意外とする所である︒結局氏が我が閤先住民族の起訴を強ひて海

外にのみ求むることを以て浦口仁せられた所に互理が生じたのではなれらうか︒我々は我々の精神生活に最も重要な

る役割を持つ信仰︑言語上よりも我が先住民族を論じたいものである︒

第三節解剖畢上よりの考察

拾に﹁解剖早上よりの考察﹂と題して︑我が先住民族を解剖盤上より論やるに古って︑筆者は京都帝大名理教投

足立文太部博士の﹁日本人酷質之研究﹂なる大著作を参考にして論を進める次第である︒

足立博士は石器時代の住民に関して弐の如く述べてゐる︒

﹁一誌は主として坪井博士の主張する所であるが︑アイヌO園碑に撮ると背コロボツクルと一五ふ人聞が居って︑

之が石器や器土を用日て居ったと一足ふととを一再ふ︒是からして坪井博士の日本石器時代の住民は此のコロボツグル

であるといふ︒坪井博士のコロポツクルと去ふ設を立てたのは︑畢寛石器時代の住民にかう一民ふ名前を附けたので

あって︑それが何れの人種であるかと一式ふことを云はね︒併し博士は石器時代の遺跡から堀り出されたもの﹁即ち

ヨロボツクルの遺物﹂を研究して︑共の土俗が能くヱスキモlと似て居らるるよく世間の人がコロボツクルを直に

(18)

エスキモーと一五ふ様に誤解してゐるが︑博士は決して日本の石器時代の人は︑

タルと一再うてゐる︒市して共のヨロボツクルの土俗がエスキモーに似て届ると一式ふのである︒

一設は小金井博土のアイヌ設であって︑掘り出された骨の研究より類推し︑石器時代の向腔の甘と︑日本人及び

アイヌの骨と比べて見ると︑日本のは一番厚くてアイヌのが共の弐で石器時代O

石器時代の骨は日本人の骨との達ひよりもアイヌの骨との遠びの方が小さいと一五ふοである︒此の事よりして小

金井博士は︑石器時代の住民はアイヌであると断言せられ︑今一匹ふ通り石器時代の骨とアイヌの品目とは同巴でない

連ふ︑夫れを何故博士は同じものとしたかと一五ふに︑今日のアイヌは日本人の血が混った︒夫れが需に石器時代に は扇たかったものが︑今日は夫れよりも厚くなったのであると説明せられた︒が登場せられた到骨を比較してみる

とアイヌと遺ふものが多い︒

坪井博士はコロボツタルの土俗.即ち日本石器時代住民白土俗はエスキモーに似て居ると召一口はれる︒共鹿で今度

場り出した石器時代の頭と︑エスキモーの頭と較べることが大鑓に必要である︒エスキモー白頭は二十ばかり調べ

て見た︒咋日もお話申した通りエスキモーの頭は悉く狭い︑二十個の内一番買い頭でも共の示教が七十六と一五ふの

であった︒石器時代のもOは一番狭いものでも七十六である︒即ち石器時代の一番狭いものと︑

ο

康いのとが略ぼ同じである︒此の非常なる蓮びに依って少くとも今度明り出した頭は断然エスキ去ーではない︒

一種族として論やるが︑北よ日本の石器時代を論やる人を見るに・或はコロボツクル或はアイヌと一五ふが如く

問的科事的研究より観たる我が先住民議

(19)

り南まで一の種族であったらうか︑思ふに日本石器時代の住民は︑幾つかの遣った種族が集ったものであるまいか 現陀塵塚から出る所のものが地方に依って多少謹ふ︒北は北海道︑南は九州の端まで一の種族友りと一宮ふは柏想像 が出来難いととであろ︒或はアイヌも居ったかも知れ友い或はエスキモーも居ったかも知れぬが︑今度出た頭宣

骨は此のご者には相営しない︒然らは此の頭骨は如何なる種族の一樹骨であるかと一足ふととに罰しては私は暫く何と

以上足立博士の頭葦による研究段︑判然と石器時代入︑エスキモー︑アイヌ︑日本人等を匡別Lてゐる︒博士は

﹁本邦石器時代住民の頭蓋﹂たる論文に於℃石器時代白頭蓋がアイヌの頭蓋と著るしを相謹あり︑叉エス守モ

1

それとの差も大であることを長債示数の比較に依って詮明し℃ゐる︒

右の足立博士の研貨を清野謙攻博士は弐の如︿推賞してゐる︒即ち﹁此報告は今日起世人の注目を惹く事が少左 かったが︑坪井博士の日木石器時代人民コロボツクル設が倒れるには極めて有力なるものであった︒即ち坪井博士 は主として風俗上の研究から日本石器時代人民はヨロボツクルと名づくる特別人艇であってエスキモー左類似して 居る人前であると去はれた︒然るに足立博士は厭洲智皐中に測定したエスキモー人頭蓋骨と日本員塚人顕査骨とを 比較すると全然両者異なって居るものである事が明らかとなり︑且日本石器時代人顕査骨はチユクチ人顕査骨とも 異なれるものなる事を立詮せられたのである﹂と︒尚三宅宗悦氏は坪井博士並に足立博士の功績に封して次の如︿

註ベてゐる︒ハ前略﹀コロボツグルはアイヌに迫はれて千島を経て北に逃げた︑彼等の鼠習はエスキモウに似たもむ

(20)

を持ってゐた︑恐らく彼等はエスキモウ的な入縄だったと一足ふ一項も︑坪井先生長逝の数年前今の京都帝大名春敬

授足立文太郎博士によって打破られてゐる︒郎ち足立先生はエスキモウとアイヌと貝探人との三者頭蓋の長幅一不敏

を比較して貝探人はエスキモウにもアイヌにも似てゐ友い一品を力説された︒之は確に慧映であった︒飴談ではある

が足立先生共後︵

U R B E o E o

L軟部人類墜を創設されたが︑先生が留事中全世界の諸人種の顕査を計ら歩

計測を極東諸人種の踊査にのみ限られて居た−ならば︑或は先生協束の門店口一

o z m r

を完成されて居た事と思はれる︒

一寸待てとれじゃ害命の方が先に危い︑よしそれじゃ軟部人類躍を

創めて血管と角力をとらうと内

E E o z

m 止めをよしてしまったんだよ﹄といっか話された事がある︒坪井先生のコロ

ボツクル誌は石器時代人を先住民とした事︑殊にアイヌよりも先住してゐたと見る貼に於いても今日ο立場からは

攻撃されるが︑アイヌでもなく︑日本人でもない人種の人種と見た貼に永遠の生命がある︒﹂

以上に依って略々解剖串者の我が関先住民族に到する見解を伺び得ると肝心ふが︑主口人向幾分異と感ゃるのは︑坪

井博士のコロボツクル民族設を否定するに営って︑障で者が坪井博士のヨロポツクルはエスキモーに似てゐるとゆふ

賠に意を留めて︑石器時代人叉は貝坂人がエスキモーと比較解剖態上臭ってゐるといふ賠より立註してゐるととで

ある︒坪井正五郎博士は我が石器時代人即ちコロボツクルはアイヌに誼はれて千島を経て北に逃げたと一五ふ︒而し

てコロポツクルの風靖国はエスキモウのそれに似たものを持って居り︑恐らくヨロボツクルはエヌキモウ的な人種で

あったらうと推論ぜられたのに過ぎない︒が乙のコロポツグルはエスキモウ的な人障であったらうといふヨロボツ

諸科祭的研究より観たる我が先住民族

(21)

諸科態的研究よP叡たる我が先便民族

グルをエスキモウに結び付けられた坪井博士の臆設が還に博士長逝後ヨロポツクル設を路震に導いた大いなる原因

である︒既に吾人はエスキモウとアイヌと貝探人との三者調査の長幅一示敢比較の結果貝境人はエスキモウにもアイ

ヌにも似て居らぬといふととを比較解剖皐上上り賓詮せられた弐訴である︒即ち脊人の撃ぶ乙とは載が先住民族と

してアイヌ以前にアイヌに非ざる︑併して日本人とも異なる︑ヱスキモウでもない金々別種の民族が我が図土上に

先住してゐたといふ事置である︒との全身別種の民族を坪井博士の稿ふるコロボツクル民族と呼ぶことは既述蚊京

の説明よりするも何等差支へないと息ふのである︒而して今後ヨロボツグル民族をして坪井博士の推論せられしが

如くエスキモウ的な人種であるといふ観念を捨て去り︑飽くまでも﹁第二堂大和民族形成樋程﹂D噴に於て謹ぺし

が如︿︑載が園土上に史的事貰の上に先住せし先住民族となすととを安定とする︒斯くの如く考へる時︑西村田県弐

氏等の設の如く我が先住民族が海外より渡来せるものであるといふことには反封せねばならない︒

小谷部会一郎氏は﹁日本及日本国民之起原﹂なる氏の著書中に於て今日起の我が大和民族の研究者建と全く異な

る新設を論じてゐる︒即ち氏は猶太経典郎ちバイブルと我︑か古典とO比較研究を行ひ︑西部亜細亜のタガ1

ラ左る地名と我が高天原とを結びつけてゐる︒奥原の所謂天孫民族は小谷部氏に従へば世界の中心たる西部亜細亜

のタガマ別に議群ずるといふのである︒我が悶の甑先が狛太系であるといふことを小谷部氏は宗教上言語上共他

種々の方面より論じてゐるが︑筆者は拾に小谷部氏の我が民族研究の動機を同著書中より伺へば弐の如くであるら

しい︒即ち竹越興三郎氏の著書﹁二千五百年史﹂中に竹越氏が宍孫人種が狛太民族と類似鮪を多分に持ってゐると

(22)

いふ鮪に小谷部氏は興味を感ぜられしとと︒実に英圏に於τ英国民の臨先は狛太穂族なh

指太極族とそバイブルに明記せられてゐるととろの世界唯一の英湛非凡友る民族去りと思惟して居られること︒向

小谷部氏がキリスト教と紳遣とを深く研究され︑我が園の先住民族研究白魚めに白からアイヌの中に起屈し︑言語

接的研究︑停設の究明に努力せられしこと等である︒﹁日本及日本民族之起原﹂なる著書を題麗して筆者の受け忍第

一印象は︑小谷氏が他の多︿の開明者同様︑外国に資料を求めて無理に我が史賞を結びつけぺく努力せられてゐる如

き感を受けることである︒勿論小谷部氏は筆者の如く神代と人代とを明瞭に区別して居らや︑大和民族の風俗習慣

と先住民族のそれとを混同してゐる︒筆者は小谷部氏の結論ともいふべき我が天孫民族を猶太民族とする観念宇一足

立文太郎博士の研究よ一り反駁してとの節を終る弐第である︒即ち足立博士は日本人の顕と猶太人2聞とは全く違ふ

ととを女の如く述べてゐる斗日本人は一種何れの人種かと一区ふ事を人がよく雫ねますが︑之陪就ては多くの人が是

詰賠質上︑歴史上︑考古皐上︑言語事上︑紳掌上︑実の他種々の賠からして種々の一惑を一足うて居ります︒殆

HC

ゆる想像の出来るだけの事を栴へであります︒甚しきは日本人と狛太人と

F同様である︒何故かとなれば臼本人には

鼻の曲って且尖って居るものがあるたEと云うて居りますが︑鼻は稀には似て居るもOもあれEも︑頭が全く違ひ

我々は以上解剖撃が民族研究に重大たる投割を持ってゐるととを識る︒市して勝来の我が民族研究に斯皐の登展

が買に偉大なる影響を持っととより︑斯恩?の益々精敵友る進歩殻展

4V

一 一 一 足

参照

関連したドキュメント

・精神科入院時は、本人の意思決定が難しい状態にあることが多く、その場合、家族に説明し理解してもらってい

睡眠を十分とらないと身体にこたえる 社会的な人とのつき合いは大切にしている

強者と弱者として階級化されるジェンダーと民族問題について論じた。明治20年代の日本はアジア

が漢民族です。たぶん皆さんの周りにいる中国人は漢民族です。残りの6%の中には

19 世紀前半に進んだウクライナの民族アイデン ティティの形成過程を、 1830 年代から 1840

であり、 今日 までの日 本の 民族精神 の形 成におい て大

い︑商人たる顧客の営業範囲に属する取引によるものについては︑それが利息の損失に限定されることになった︒商人たる顧客は

都内人口は 2020 年をピークに減少に転じると推計されている。また、老年人 口の割合が増加し、 2020 年には東京に住む 4 人に