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わが国における政教分離原則の沿革

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(1)

わが国における政教分離原則 の沿革

法律学教室 尾 は じめ に 国家権力が特定の宗教 と結びつ くことによって

,そ

の特定の宗教以外の宗教 を弾圧 した り

,無

宗 教者 に迫害 を加 えた りして

,信

教の自由に対 して大 きな脅威 を与 えて きた ことは

,歴

史 の示す とこ ろである。 また

,宗

教が国家権力 と結びつ くことは

,宗

教 に とって

,そ

の純粋 さを失い

,世

俗 と混 清す ることによって堕落するとい うことにもなる(1ち この点で は,米 国連邦最高裁 のブラ ック判事が エ ンゲル判決の中で12j,「国教禁止事項の基本 にある…最 も直接 の意図 は

,国

家 と宗教 の結合 は

,国

家 を破壊 し

,宗

教 を堕落せ しめる傾 向があるとい う信念 に基づいてお り

,…

い ま一つの意図 は

,国

家 によって定立 された宗教 と宗教的迫害 とは互いに手 を携 えるものであるとい う歴史的 自失の自覚 に基づいてい る」 と子旨摘 した ことと符合 してい る。 したがって,近代憲法 においては,何らかの形で「国家 と宗教 との間に分離の壁(a wal1 0f Separation) を設 けること。もとしたのである。国家 と宗教 の分離 といって も,各 国個別 に伝統的背景が あるため, 決 して普遍的な ものだ とはいえない。 た とえば

,比

較的徹底 した政教分離 をとるアメ リカや フラン ス型

,国

教制度 をとりなが らも他 の宗教 に対 して広汎な寛容 の態度 を示す英国・ スペ イ ン型

,協

会 と国家が協約 (コ ンコルダー ト

)を

結 びそれぞれ守備 の範囲 を決 める ドイツ 。イタ リア型 な ど幾つ かの形態がみ られ る。 日本国憲法 は

,14条

I項後段が「いかなる宗教団体 も

,国

か ら特権 を受 け又 は政治上 の権力 を行 使 してはならない」 と定 め

,ま

た同条Ш項 は「国及びその機関 は

,宗

教教育 その他 いかなる宗教的 活動 もしてはな らない」 とし

,さ

らに89条で「公金 その他 の公 の財産 は

,宗

教上 の組織若 し くは団 体 の使用

,便

益若 し くは維持のため… これを支出 し

,又

はその利用 に供 して はな らない」と定 めて, いわゆる「政教分離原則」を定めている。わが国において も

,政

教分離原則 を考 える場合 には

,日

本独 自の歴史事情 に立脚 しなければな らない ことはいうまで もない ことである。 ―

,明

治 憲 法 下 に お け る神 道 の 国教化政 策 文化発展のパターンを

,神

道 も含めた宗教文化全体の観点か ら見ると

,日

本 は古代の宗教 たる神 道を保存 したまま仏教国になった。仏教 は

,神

道 という宗教基盤の上に広が り

,今

日多 くの日本人 がそうであるように

,神

道 と仏教をともに信仰するという多重信仰の信仰形態を形成 した。 これは 喬 中

(2)

中尾喬一:わが国における政教分離原則の沿革 欧米 キ リス ト教圏の信仰 の形態か らすれば不真面 目な信仰形態のように見 えるか もしれないが

,

し か し

,た

とえばキ リス ト教 のように信仰 ゆえに戦争 しなければな らない ことにはな らなかった。 そ して

,

こうした「神々の共存」 は

,他

者 の宗教 に対 す る寛容 を生みだ している。柳 田国男 は

,他

人 の信 じるものを敬 い拝 む「敬神」が 日本の信仰 の特徴 であった と指摘 しているω。 しか し

,明

治期 にお ける国家神道の成立 は

,日

本 の宗教事情 を変貌 させ ることになった。すなわ ち

,明

治国家 は祭政一致 を標榜 し

,神

社 に対 して特別 の地位 を付与 し

,神

社神道 をして他 の諸宗教 を超越す るもの としたのである。ち 明治

4年

5月14日の太政官布告 (234号

)は

,「ネ申社 ノ儀ハ国家 ノ宗祀ニテー人一家 ノ私有ニスヘ キ非サルハ勿論 ノ事」 と述べ

,神

社 の公の性格 を宣言す るとともに神職 の世襲制 を廃止 した。同 日 の太政官布告 (235号

)で

,伊

勢神宮 を別 として

,神

社 を官社 (官幣社・ 国幣社

),諸

社 (府社・ 藩社・ 県社・ 郷社

)に

分 け

,全

国すべての神社 をランクづける社格制度 を定 め

,神

職 には官公吏の 地位 を与 えて

,他

の宗教 と異 なる特権的地位 を認 めた(6ち 神社 はすべて「国家 の公の施設(7ち とな り , すべて国家的見地か らす る階層の中に位置づけられた。神道国教化政策 は

,当

然幕藩体制下 に国教 的地位 にあった仏教 に対す る抑圧的政策 を保 ったのである。神道の国教化のためには習合 していた 神仏の分離政策が必要であって

,い

わゆる神仏分離令が廃仏毀釈運動 を呼びお こした ことはよ く知 られている。 しか しなが ら

,明

4年

を境 に

,宗

教政策 の転換が はか られ ることになった。 この年

,神

祗官 は 神祗省 に格下 げされ

,翌

5年

には廃止 され

,こ

れに代 って教部省が設置 され

,教

導職がおかれ るよ うになった。 これ は

,神

道 と並んで仏教 に も一応「公」の地位 を与 え

,神

儒仏三教合同の教導政策(9」 を実施 す るための ものであ り

,こ

のような宗教改革 の転換 は神道国教化政策の放棄 であ り

,仏

教 を まき込 んだ「 よ り広い国民教化19」 への方向転換 を意味 した。注 目すべ きことは

,明

7年

頃 には, 信教 の自由

,政

教分離論が政府 の主流 とな り(I Ol,政府 により

,仏

教・ネ申道系諸宗教 に一定 の独 自性 が承認 された とということである(11ち 明治10年1月 には教部省が廃止 され

,そ

の事務 は内務省内社寺局の一小課 に引 きつがれ さらに, 明治12年には太政官達 を もって府県社以下 の神職 の身分 を「―寺住職同様」 とした。そのため明治

4年

には

,神

社が「国家 の宗〒E」 とされ公的性格が宣言 されたにも拘 らず

,八

年た らず して府県社 以下 の神社 は

,私

的宗教 と同様 の もの となって しまった。 その後

,明

治15年1月24日の内務省達 乙第

7号

によ り「自今神官ハ教導職二兼補 ヲ廃 シ葬儀 二関 係セサルモノ トス」 とした。 これによって

,神

職 は教化活動か ら分離 され

,ま

た葬儀 に関与 で きな くなった。 これ は,「ネ申社 を非宗教 =『 祭祀』と位置づ けるものであ り

,宗

教活動 を行 う神道系宗教 は教派 (宗派

)神

道 として これ よ り分類 される(12も 。平野教授 によれば,「国家神道体制 の始(13も い うことになる。祭祀 と宗教の分離 によって

,宗

教でない とい う建前 に国家神道が

,教

派神道

,仏

,キ

リス ト教 のいわゆる神仏基三教の うえに君臨す る「国家神道体制」への道が開かれたのであ る(14)。 その後

,明

治17年には

,神

職 は公的宣教 を禁止 され

,形

式的になお存在 していた教導職が廃止 さ れ

,教

派神道

,仏

教 に管長制 の下での自治が認 め られた。明治20年 には官国幣社保存金制度が定 め られ

,官

国幣社 には国費か らの援助がなされ ることになった。 明治初年か ら試行錯誤 して きた政教関係 は

,明

治憲法制定 を前 にしてようや く形 を整 えるように なった。すなわち

,宗

教 (教派神道 。仏教

)と

祭祀 (神社神道

)を

分離 させ

,前

者 は家 (私

)の

宗 教 とされ

,そ

の限 りで は一定の自治 と自由を認 めた。後者 は国の祭祀 として非宗教 とされ

,公

の性

(3)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第44巻 第

1号 (1993) 63

格 を もつ もの とされ た ので あ る(19。 三

,明

治 憲 法

28条

と政 教 関 係 以上のような背景 の もとに

,明

治22年明治憲法が制定 され,「安寧秩序 ヲ妨 ケス及 ヒ臣民タルノ義 務二背カサル限 リニ於 テ」信教 の自由が保障 されるに到った。憲法の告文 は確かに神道的色彩 を帯 びているが

,本

分 の中には政教関係 の規定 はない。 また

,神

社神道 は国家 の祭所Eであるとされてい ても

,そ

の ことは憲法上規定 されていない。 美濃部達吉 は

,神

社神道が「国教」であることを認 めなが らも,「本条所謂『信教 の自由』は

,唯

人民が宗教 を信ず るについての自由を意味 し

,総

ての宗教が法律上 に平等の地位 を有す ることを意 味 しない。・中国家が多年の歴史的伝統 に基づいて或 る宗教 に対 し特別の関係 を有 して居るとして も, それ は敢 て本条 の規定 に抵触す るもので はない」と説 き,「政教分離原則 を定 めた ものではない」と 説いている。0。 明治憲法の起革 に携わった井上毅 は

,政

教関係 に対す る基本認識 として,「宗教 ノ事

,本

卜政事 ト 顕冥 ノ域 ヲ殊ニス

,之

を御 スルニ某術 ヲ得ル寸ハ

,以

テ互二局外二居 り

,相

妨 ケ相触ルルコ トナカ ルヘ ク…On・・」 と述べ「政治 と宗教の分離」及び相互不介入

,不

干渉 を政教関係 の前提 と考 えてい る。 そして「政府宗教 ヲ保護 スル事」つ まり教会 を公認 し

,僧

官 を任命 し

,寺

領 を与 えて政府 の監 督の下 に服 させ るとい う

,当

,欧

州 の各邦が採用 していた「公認教制」(折哀制)の採用 を主張 し ている(18屹 明治憲法 のモデル とされた1850年のプロイセン憲法の保障す る信教 の自由は

,同

憲法14 条によれば「 キ リス ト教 は

,第

12条が保証す る信教 の自由にもかかわ らず

,宗

教活動 と関係す る国 家的諸制度の基礎 とされ る」 としてお り

,国

家 と宗教 (キ リス ト教

)の

密接 な関係 を破 るものでは なかったのである。 このように当時 ドイツは信教 の自由を許容す る一種 の国教制 (それ はもはやキ リス ト教 の特定宗派の優位 を認 めるものではないが,国 家キ リス ト教制(StaatS‐Christeutum)と いう 形でキ リス ト教 の優位 を認 めた(19)が行われていたのである。グナイス トが仏教 を以 て日本の国教 とすべ きもの とし

,ロ

ー レン・ フォン・ シュタインが神道 (非宗教的な

)を

もって国教的道徳 とす べ きことを示唆 したのは当時の ドイツの常識であったか らである。 彼等の勧告 を拒否 した伊藤博文 は

,こ

の点 につ き,「憲法義解」で次のように説明 している。「現 在各国政府ハ或ハ国教 ヲ存 シ或ハ社会 ノ組織又ハ教育二於 テ

"一

派 ノ宗教二偏祖 スルニ拘 ラス法律 上一般二各人二対 シ信教 ノ自由ヲ予ヘサルハアラス…蓋本心 ノ自由ハ人 ノ内部二存スル者ニシテ固 ヨリ国法 ノ干渉スル区域 ノ外二在而 シテ国教 ヲ以テ偏信 ヲ強マルハ尤人知 自然 ノ発達 卜学術競争ノ 運歩 ヲ障害スル者ニ シテ何 レノ国モ政治上 ノ威権用ヰテ以 テ教門無形 ノ信依 ヲ制圧 セム トスルノ権 利 トヲ有セサルヘ シOω」と。「国教 ヲ以 テ偏信 ヲ強 フル」ことが否定 されてお り

,こ

れ こそまさに「政 治 と宗教の分離」 を宣言 した もの といえよう。憲法義解 によれば

,憲

法28条の「臣民 タルノ義務」 の中には国家神道専崇が当然含 まれているとは考 えに くい し,明治憲法制定当時の臣民たる義務 は, 兵役の義務・ 納税 の義務・遵法の義務等であって

,神

社参拝 の義務 まで は含 まれていなかった と解 するのが

,少

な くとも

,立

法者 の考 えであった。 その後

,明

治33年

,勅

令 (163号

)に

より

,内

務省 の社寺局が廃止 され,「4申社局」 と「宗教局」 に分離 され

,神

社 を「国家の宗〒E」 とし一般諸宗教 の行政 と区別す ることになった。1ち さらに

,明

治39年 の「官国幣社経費二関スル法律」 により

,官

国幣社 を国庫 の負担 とす ることが

,ま

,同

年 勅令第96号「府県社以下神社 ノ神鎖幣吊料供進二関スル件」 によ り

,道

府県費か らは府県社 と郷社

(4)

中尾喬一 :わ が国 における政教分離原則 の沿革 に

,市

町村費か らは村社 の神餞幣吊料 を供進で きることが定 め られた。 しか し金額的には「全体 と して きわめて微々たるもの。2ち に過 ぎなかった といわれている。 また

,や

やお くれてで はあるが, 皇室祭祀令 (明治41年

),登

極令 (同42年

)が

出されていることは注 目すべ きことであ る。 このよう にして,「国家 の祭祀」 として神社神道 を位置づけ

,神

(教派神道)。 仏・基 の三教 を私の宗教 とし て公認す る体制 は

,日

清・ 日露戦争 を経 て制度的に完成 した。 また教育 を通 じて神社参拝が行われ るようにな り99七 学校行事 自体 も宗教的性格 を深 めていった し ,イ デオロギー化す ることによって, 明治政府 は国民 を動員・ 支配す ることに一応成功 した。国家神道が確立 した といってよか ろう。 国家神道体制 は成立期か ら確立期への間に性格 の変化があった ことは事実であるが

,し

か し

,一

貫 して神社非宗教論が とられた ことは周知の とお りである。神社非宗教論 は

,国

民 に各 自の信仰 と は別 に国家神道への尊崇 を義務づ ける論理 として機能する傾向があった。その間

,刑

法の不敬罪 と 大正14年制定 の治安維持法の二つ を軸 として

,昭

3年

には天理教か ら分かれた「 ほんみち」不敬 罪違反で弾圧 され

,昭

和10年 には大本教が三度 目の弾圧 を受 けた。 この弾圧で は国体 の変革 をめざ す もの として

,不

敬罪 とともに治安維持法一条違反が理由 とされた。そのほか,「ひ とのみち教団事 件」(昭和11年 ),「創価教育学会事件 (昭和18年

)な

,厳

しい宗教弾圧が加 えられたのである。4ち 前述 したように

,神

社神道が

,事

実上国教的地位 を占めた ことが

,明

治憲法第28条 に違反 しない か とい う問題 について

,当

時の政府 は,「ネ申社 は宗教 にあ らず」とい う解釈で一貫 して きた。第56帝 国議会貴族院宗教団体法案外一件特別委員会会議 に於て

,政

府側 は神社 を宗教 にあ らず とする理由 として次のように答弁 した。「ネ申社が宗教 に属するや否や は学問上別 の研究 あるべ きも

,之

を国家制 度の問題 として考 うる場合 は現行法制 に基 きて其 の性質 を決定せ らるべ きものな り。…右述ぶるが 如 く現行制度の下 に於 て は神社 は国家の公の施設た り。神職 は国家 の公務 に当る職員 にして個人の 信仰 を以て其の目的 とす る者 の宗教 とは全 く性質 を異 にす。」,「ネ申社 に於て行 はるる祈願祈濡 の如 き は神社崇敬 に付随す る自然 の結果 にして

,神

社 の本質が前述 の如 くなる以上之等の行事 あるが為 の 神社 を以て宗教的施設 な りとするに当 らず125屹」と。従 って

,神

社 は宗教 の施設でない結果

,憲

法第 28条の信教 の自由に関す る条規 は神社 と関係ない もの としたのである。そうして行政組織法的にも, 一般の宗教 に関す る行政 は

,文

部省 の所管 としつつ

,神

社 に関す る行政 だけは

,そ

れ とは別 に

,内

務省神社局の所管 としたのであった。 これに対 して

,神

道 について「わが古来の祭祀 も亦疑いな く― の宗教であ り

,而

してそれ はわが 帝国の国教である」 とし

,法

律的形式 においては

,仮

令之れが明 に宗教 と区別せ られて居 るとして も

,実

質的 には宗教の一種 であることが疑 を容れぬ とすれば,それ は疑 もな く国家的宗教であって, 国家が国政の一部 として自ら祭万日を管掌するものであ り

,而

して天皇 はその祭主たる地位 に在 ます のである。 それ はわが太古以来 の不文憲法であって

,而

して此 の不文憲法 は成文 の憲法の制定 に依 って変更 され るもので はない」 として

,神

道 は実質的にみれば宗教であって

,国

教であるが

,そ

れ は太古以来 の不文憲法 として正当化 され るという美濃部学説があ り

90,こ

の見解が通説である。 し か も祭政一致がわが国の国体 と観念 されていた ということがで きる。 また

,宮

沢俊義 によると

,明

治憲法下 の政府 の とった「神社 は宗教 にあらず」 とい う命題 は

,次

の二つの効用があった と指摘 し ている9り 。第一 に,「憲法 の明文で信教 の自由を定めることと

,神

社 だけを国家的に保護 し,これを 国民 に強制す ることが少 しも矛盾 しない一つ まり

,明

治憲法の定 める信教 の自由は

,神

社 を国教 と み とめることと両立す る限度 においてのみ,みとめられていた ことを意味す ることになる」。第二 に, 「当時優勢 を極 めていた神社 の攻勢 に対 して,明治憲法でみ とめられていた最小限の信教 の自由(P) を保持 しようとの意図 にもとづいていた。その限度で

,そ

こでその命題が はた した役割 は

,そ

れが

(5)

鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第 44巻 第

1号

(1993) 明治憲法下で本来 はたすべ く期待 され

,そ

して

,現

に果た した役割 とはちがって

,い

くぶんで も宗 教の自由に対 して反好的だった」 と。つ まり

,神

社側か らす る一般 の宗教 に対す る少 しで も緩和 し ようと努力す る という

,信

教の自由を最小限度保障す る方向に働 く効力である。 確かに

,明

治憲法の もとで は

,天

皇 の地位 は天孫降臨の神勅 に基づ くものであるとされ

,憲

法 に 明示規定が存在 しないにも拘 らず

,国

家 の最高祭司 として皇室祭祀 を行 う祭祀大権 を天皇が保存す ることは論ず るまで もないされていた。 また

,皇

室祭祀令 によれば

,皇

室祭祀 のあるものは天皇が 官僚 を率いて行 うもの とされていた。 しか しともあれ

,制

度的には世俗 国家が実現 されていた と考 えられるし,「近代国家 は

,制

度的 にも,イ デオ ロギー的にも

,基

本的には世俗国家 に属す るとして よい°地。伊藤博文や井上毅 らは「臣民 ノ義務」をあ くまで も

,徴

,納

,遵

法等の世俗 的義務 に 限ると解 していた ことは間違 いない し

,枢

密院の議論 をみて も

,少

な くとも国民一般 については, 「若 し朝廷祭祀 の際に於いて人民が礼拝せ ざるも

,別

段国体 に関 し

,又

義務 に負 うと言ふべか らざ るべ し。9」 とい うものであった。明治憲法下で は

,神

社が「非宗教」 とされた とい うだけで

,法

制 上 は国教 は否定 されていた と解 され る。神社神道だけでな く,「宗教」とされた教派神道

,仏

,キ

リス ト教 について も憲法や法律で規定 されたので はな く

,様

々な布告

,達

,あ

るい は行政上 の取扱 いによってその地位が規定 された状態が長 ら く続いていた。宗教団体法 は昭和14年になってやっ と 成立 したが

,そ

れ は神社神道 を対象 とす るものであった。政教関係 は法的関係 として整備 されず, 結局 の ところ

,曖

昧なまま柔軟 に運用 されたのである。したがって戦前のわが国 には,「政治 と宗教 の分離」 さえ存 しなかった と判断す るのは

,早

急す ぎるので はなか ろうか。 だが

,そ

の柔軟性 ゆえ に国民の多重信仰 の存在 とあい まって

,政

教関係 は国民の精神の支配 に有効 に機能 した ことは歴史 の示す通 りである°°。 満州事変 を契機 とする極端 な国家主義 の支配 とともに

,神

社 の優越 は国の文教政策 の最 も基本的 な原則 とな り

,神

社国教論が有力 になっていったのである。 このようにして

,神

社礼拝 を強制す る ことによって

,他

宗教の信者の良心 に圧迫 を加 えることにな り

,宗

教および信仰 の自由が否定 され るに至 ったのである。そして

,国

家神道 の神秘的天王制 と封建的諸制度 と反動思想 の一支柱 とな り, 又

,軍

国主義

,侵

略主義の理論的基礎づ けに用い られ1811「神国 日本」 とか,「ネ申州不滅」だ とかの かけ声の下 に

,狂

信的な神国主義

,軍

国主義が 日本 を支配 し

,第

二次大戦へ と不幸 な道へ突入 した のであった。 三

,神

道 指 令(321 敗戦 によって 日本 はポツダム宣言 を受諸 し

,民

主国家 の建設 に乗 り出 した。そのポツダム宣言 は, 民主主義的傾向の復活強化 に対す る一切 の障凝 を除去 し

,言

論 。宗教及 び思想 の自由を確保 すべ き ことを要求 した。 連合国による占領下

, 9月

24日

GHQは

,米

国の「降伏後 における米国の初期 の対 日方針(1954. 9,22)の 全文 を公表 した。その中に「占領後

,信

教 の自由が宣言 されるのみな らず同時 に国家的お よび軍国主義的諸団体及至運動が宗教 の外被 の陰 に隠れ ることが許 されぬ旨

,日

本国民 に対 して明 らかにされ よう。…人種・ 国籍・信教乃至政見 を理 由 として差別待遇 を規定す る法律・ 命令・ 規則 は廃止 され本文書 に述べ られてある諸 目的な らびに政策 と対立す るものは廃止・ 停止 もし くは必要 な程度 に修正 され る」 とあ り

,こ

こに国家神道廃上の方針が打出されていることがわか る。 この対 日管理政策 に基づいて

,GHQは

,昭

和20年10月 4日いわゆる「自由の指令」(政治的

,社

会的及宗

(6)

中尾喬一:わが国における政教分離原則の沿革 教的 自由二対 スル制限ノ件

)の

覚書 を

,日

本政府 に発 した。 これによって

,宗

教的 自由を制限 して いた宗教団体法 を廃止 させたのである。続いて10月 6日には

,米

国国務省極東部長兼

SWNCC極

東小委員会委員長 ジ ョン・ カーター・ ビンセ ン トは

,次

のような米国政府 の神道 に対 す る正式見解 を発表 した。Цl)米国政府 は

,今

回 日本 の国教 としての神道 を廃棄す しめることに決定 した。 )個 人 として日本人が神道 を信仰す ることを妨 げない。 ●)今後

,日

本の神道 は政府 の指示 を失 い特殊 献金 を期待 しえず。

(4)諸

学校 における神殿 は失 う。 (5)国民 に対 して公 に強制す ることはで きな くなる。3)。 」 と。 以上の方針 を具体化 したのが「神道指令」正式 には「国家神道

,神

社神道二対 スル政府 ノ保障 。 支援・保全・監督並二弘布 ノ廃止二関スル件」(昭和20年12月 15日連合国軍最高司令官総指令部参謀 副官発第

3号

日本政府二対 スル覚書

)で

ある。 この覚書 の具体的な内容 は

,第

一項 で は

,①

国家神 道 に対す る国家的保護 の中止

,②

一定 のまた一定 の手段 による神道教義の弘布の禁止

,③

祭祀令・ 神祗院の廃止

,④

神道 に関す る国家的教育機関の廃止

,⑤

神棚 その他の有形的象徴 の公共施設 よ り の撤去

,⑥

公的資格 での神社参拝 の禁止等 を命令 している。 さらにその第二項では

,

この指令の目 的が「宗教 を国家 よ り分離」す るにあ り

,か

つ この指令 は

,神

道 に対 してのみな らず,「あ らゆる宗 教

,信

,宗

,信

条ない し哲学 の信奉者 に対 して も適用 されること」 を述べている。 そ して最後 に「神社神道ハ国家カラ分離セラレ

,ソ

ノ軍国主義的乃至過激ナル国家主義的要素 ヲ剣奪セランタ ル後ハ

,若

シソノ信奉者ガ望ム場合ニハ

,一

宗教 トシテ認 メランルデアラウ。而 シテ ソンガ事実 日 本人個人 ノ宗教ナ リ

,或

′`哲学ナ リデアル限 リニ於 テ

,他

ノ宗教同様 ノ保護 ヲ許容 セランルデアラ ウ。」 と神社神道 の今後 のあ り方 を限定 している。 要す るに

,神

道指令 は

,神

道 の国家か らの徹底 した分離

,神

道 の教義か らの軍国主義的

,超

国家 主義的思想 の抹殺

,学

校か らの神道教育 の排除 を命 じた ものである。そればか りでな く,「ネ申道 に関 す るあ らゆる慣例

,儀

,神

,伝

,そ

の他一切」 と国家 との分離 を厳 し く命 じていた。 これは 近代国家一般 に行われている政教分離 (国家 と教令 との分離

)の

概念 をはるかに通 りこして

,神

道 には特 に厳 しい ものであった135ち 神道指令 は

GHQに

とっては

,最

も重要 な精神的意義 をもつ ものであった し

,GHQは

これによ り

,日

本政府 に,「軍国主義」および「過激 な国家主義」を禁止する措置 をとるることを命令 し

,す

べての国民に対 して

,そ

の命令 を個人 として遵守す る責任 を求めたのである。神道指令 は,「占領 の 目的を宗教政策 の面か らラディカルに実施 に移 した もの としてだけでな く

,そ

の理念 を包括的に示 す もの として重要な資料である。

GHQは

,神

道指令ののち

,日

本国憲法 の制定 を日本政府 に示唆 したが

,神

道指令 の趣 旨を引 き 継 ぎ

,憲

法化 した もの として

,20条

および89条 に「信教の自由

,政

教分離」 を柱 とす る宗教規定 を 掲 げさせた。 この条文 には「神道」の語 は一語 もないが

,GHQは

,そ

の規定 によって神道指令 の 趣 旨は完全 に制度化 され

,国

家神道の復活抑止 はで きるもの と考 えていた ことは間違 いない。 そ し て

,そ

のことは

,戦

後 の憲法学説の主流である美濃部達吉「新憲法概論」や佐藤功「憲法 (ポケッ ト注釈全集)」

,法

学協会「註解 日本国憲法」 な どによって

,認

め られている。 以上,「わが国における政教分離原則の沿革」 について述べて きたのであるが

,こ

の戦後49年間, 政教分離問題 をもめ ぐって激 しい対立がみ られ る。平成

4年

4月現在(鳥取県神社庁調

),最

高裁以 下 の裁判所 に係属中の政教関係訴訟 は約20件 にのぼ り

,こ

の問題 をめ ぐる紛争 は一向 に減少す る気 配 を見せない。憲法20条第1項の信教 の自由の基本保障 と宗教団体 による政治権力行使 の禁止

,第

(7)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 44巻 第

1号 (1993) 67

H項

の宗教行事への参加強制 の禁止

,第

Ⅲ項の国お よびその機関の宗教的活動の禁止 は神道指令 そ のままであって

,そ

の上第89条は

,公

金その他の公 の財産 を宗教上の組織 または団体 に支出 または 利用 に供することを禁止 して

,経

済上か らも政教分離 を完壁 にしたはずであった。なぜ このような 対立乃至混乱が生 じるのであろうか。考 えるに

,

これ らの問題 の中には

,純

粋 な政教分離問題であ るよ りは

,実

は信仰 をめ ぐる争いであった り

,あ

るい は天皇制 をめ ぐる政治的対立 と捉 えた方がわ か りやすい問題 も少 な くない。 しか し

,同

時 に,「政教分離」の概念 その ものが曖昧

,不

明確で

,そ

のために混乱が生 じ

,問

題が紛糾 しているので はないか と思われ る°7ち 先 に述べた ごとく

,近

代 日本 の政教関係 については

,そ

れが憲法 に規定 されなかったし

,神

社神 道 は国家 の祭祀 とされて も

,そ

れ は宗教ではない とす ることは

,法

律上 の根拠 を持たなかった。神 社非宗教論 は

,い

わば行政上での取扱いに過 ぎず

,非

宗教 の内容 も布教活動 と葬儀 をなさない こと 以上 に明確 になっていたわ けで はなかった。りF宗教」の内容 はこのように流動性 のあるものであっ たか ら

,神

社宗教論が常 に主張 され る余地があったのである。 このような柔軟性 は近代国家 の法構 造の大 きな特色 である。政教分離 の原則 は

,欧

米で は血 み どろな闘争の上で妥協的に打 ち樹て られ たのだが

,日

本 の場合 は

,神

道 と仏教の二重信仰 をす る とぃ う

,仏

教伝来以来 の伝統 によって早々 と形成 されていたので はなか ろうか。つ まり

,日

本で は世界的に も稀有な宗教的寛容 の精神や態度 が古 くか ら形成 されてお り

,そ

の結果信仰 の自由を認 なければな らない現代国家 において

,優

れた 政教分離の情況 をつ くり出 しうる恵 まれた素地 を本来 もっていたのであるとい うことがで きる。 し たがって

,明

治憲法下の神社参拝 の強制や他宗教への圧迫 は

,明

治憲法28条の もともと予想 しない ところであって

,そ

の意味で は

,本

来の立場か らの「逸脱」であった とみるほかない。0。 日本国憲法下 において も「国家 と宗教」の問題 は頻繁 に起 っている。「政教分離」概念 の曖味 さ不 明確 さの問題 はさてお き

,日

本 の社会 の伝統や習慣 に適合 しない ものを神道指令 によって強行 し, その神道指令 の精神が

,占

領 中制定 された日本国憲法の宗教条項 の上 に

,そ

のまま立法化 された こ とに一番 の原因があると考 えられ る。つまり

,神

道指令 は,「社会習俗」となって引 き継がれて 日本 人の生活 に溶 け込んでいる神社神道 を

,日

本 の公的生活か ら徹底的 に追求す る占領政策 目的 をもっ て,「国家 と宗教 の分離」を強制 しようとす るものであった。 したがって

,諸

外国の制度 とは甚だ異 質異例 の もの となっている。換言すれば

,神

道指令 の目標 は

,あ

くまで も「軍国主義」。「超 国家主 義」の排除であって

,本

来的には日本人の宗教 としてのネ申道 の抑圧で も

,信

教 の自由を保障す る制 度 として政教分離 の推進で はなかったはずである。 そ こに神道指令の残 した問題点があるので はな かろうか。 法の解釈 は

,立

法者意図が まった く無視 され るとい うもので は勿論 ないが

,そ

れ以上 に

,国

民生 活の現実 に即 しつつ

,規

定 それ 自体 の文理な らびに論理 に基づ く客観的な判断が

,よ

り強 く法の解 釈 に要求 され ることは

,い

うまで もないことである。 日本 国憲法の解釈 は

,そ

の意味 において

,日

本人 としての感覚

,尺

度 によってなされるべ きである。「国家 と宗教 とは何か」という命題 について は

,別

稿 で論 じることにす る。

た とえば伊藤正 巳「憲法」263買以下,田中耕太郎「教育基本法 の理論J565買以下参照。 Engel V Vitale,370u,s,421(1962) 橋本公亘「 日本 国憲法」236買∼237頁 。

(8)

中尾喬一 :わ が国 における政教分離原則 の沿革 (→ 柳田国男「 日本の祭」定本柳田国男集10巻301頁。 ⑤ 以下の叙述については

,平

野武「明治憲法下の政教関係」

,公

法研究52巻,百地章「憲法 と政教分離」

,梅

田義彦 「 日本宗教制度史 (近代編)」

,文

化庁「明治以降宗教制度百年史」

,村

上重良「天皇制国家 と宗教」等に依拠 して お り,一々引用 しなかったことをお断 りする。 脩

)国

家神道成立史については

,村

上重良「国家神道」(岩波新書

)参

照。

P)政

府答弁 田中耕太郎

,前

掲書545買参照。 偲

)百

地,前掲書27頁。 (9)平野,前掲論文60頁。

10

章津珍彦「国家神道 とは何だったのか」65頁。

10

明治 8年11月27日付教部省の神仏各管宛の口達書「抑政府 ヨリ神仏各宗共信教ノ自由ヲ保護 シテ之 ヲシテ暢達セ シムル以上ハ及ヌ之ヲシテ行政上ノ稗益ナルモ妨害タラシメス以テ保護ノ始終ヲ完全スル是レ政府ノ教法家二対 スル所以ニシテ

,而

シテ其教法家ハ信教ノ自由ヲ得テ行政上ノ保護 ヲ受クル以上ハ能ク朝旨ノ所在ヲ認メ盲二政 府 ノ妨害 トナラサルニ注意スルノ ミナラス務メテ此人民 ヲ善誘 シ治化 ヲ翼賛スルニ至ルヘキ是 レ教法家ノ政府エ 対スル所以 ノ義務 卜謂 フヘシ」 と述べている。 1か 平野,前掲論文62頁。 10 平野,前掲論文62頁。 10 村上重良

,前

掲書118∼■9頁。 10 平野,前掲論文62頁。 10 美濃部達吉「逐条憲法精義」402頁。

10

井上伝史料編第 6163頁 。尚

,村

上準一氏 は明治憲法28条は「プロイセンの先雛に倣ったものであり…19世紀後半 に制定された憲法の下で一種の国教が存在 したこと自体 は,日本だけの特殊現象 とは言 えない」 と注 目すべ き発 言をしている(ジュリス ト928号 123頁)。 10 新田均「明治憲法制定期の政教関係 ―井上毅の構想 と内務省の政策 を中心に」井上 :坂本「日本型政教関係の誕 生」144頁 以下参照。 10 村上準―,前掲論文123頁。

90

阿部美哉「政教分離」311頁より引用。

90

葦津,前掲書■9頁。 1221 神社新報者編「近代神社神道史」126頁。 1231 昭和 7年 9月30日文部次官回答 は次のようにいっている。「学生生徒児童 ヲ神社工参拝セシムルハ教育上ノ理由ニ 基 クモノニシテ此ノ場合工学生生徒児童ノ団体ガ要求セラルル敬礼ハ愛国心ノ発露 卜忠誠 トヲ現スモノ トス。」 90 村上,前掲書201頁。 1251 田中耕太郎

,前

掲論文545頁より引用。尚,平野武「明治憲法下の信教の自由 と神社非宗教論」阪大法学80号69頁 以下参照。

90

美濃部,前掲書402買∼403頁。 1271 宮沢俊義「 90 安丸良夫「近代転換期 における宗教 と国家」・「日本近代思想体系

5,宗

教 と国家」543買。 90 清水伸「明治憲法制定史 (下)」 245頁。

90

平野,前掲論文70頁。

00

註解 日本国憲法408頁。

9D

以下の叙述 については阿部 。前掲書

,神

社新報社「神道指令 と戦後の神社」等 より引用。

0)ワ

シン トン特電 6日 発朝 日新聞昭和20年10月 8日 掲載。 00 神社新報社前掲書260頁以下参照。

90

仏教,キリス ト教等には比較的おだやかで,東京都の慰霊堂

,湯

島の聖堂,療養施設における礼拝堂,仏殿 など に関 して,その撤去 は強制 されなかった。 1361 阿部

,前

掲書50買参照。

9'

百地

,前

掲書 3頁 ∼ 4頁 。

90

百地,前掲書35頁。 (1993年4月20日受理)

参照

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