文化は誰のものか : 中国湖南省における「女書」
の伝承をめぐって
著者名(日)
丁 育華
雑誌名
白山人類学
号
10
ページ
41-67
発行年
2007-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00002370/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止白山人類学 10号 2007年3月 文化は誰のものか
中国湖南省における「女書」の伝承をめぐって
丁 育 華* Whom Does the CUlture Belong to? The Case of‘‘Nushu,, in Hunan ProVince, China * DING YUhua In southwest Hunan Province,in one part of Jiarigyong County near the GuangXi Zhuang Autonomous Region, there was a traditional way of writing called“nushu”which could only be read and written by women. This writing system was developed by the local woman and used as a method of co㎜画cation between themselves. Now, nushu has died out as a practical language,but the r卿al tradition of nushu is recoveri皿g in a new way after researchers have brought attention to the cultural value of the script, and the local govemment has included it in their local development p1an. In my research, I have examined the process m which nushu has been changed by the various bodies involved in its development;“development”being in the modern context of“development anthropology”. I will examine“who owns culture”and explore the problems with development anthropology as a field of study through the cultural development phenomenon in which the tradition− bearing local residents been left out of the development project plans. キーワード:女書,文化開発,持続可能な開発,開発人類学 Keywords:Nushu, Cultura1 Development, Sustainable Development, Development Anthropology は じ め に 文化人類学の一領域として「開発人類学」という名称が使われはじめて久しい。開発に関す る人類学という研究分野は,開発援助機関へ直接関与し,政策科学としての人類学を標榜する 立場一「開発人類学」(development anthropology)一と,基本的にアカデミズムの内部に留 まり,開発政策に起因する諸変化,特に知識と権力のあり方を記述分析する立場一「開発の人 類学」(anthropology of development)一という二つのアプローチに分類される。人類学的な *徳島大学大学院先端技術科学教育部;Graduate School of Advanced Technology and Science, University of Tokushima,2−1 , Minarnij osanj irna, Tokushirna,770−8506/dingyuhua@eco.tokushima−u.ac.jp白山人類学 10号 2007年3月 開発研究においては,参与観察によって開発プロジェクト内部の諸変化を分析しながら,開発 現象の全体を把握するようなアプローチをとることが望ましい。「開発現象」には,プロジェ クト対象地域の住民ばかりでなく,開発実施者側の多様な人々も含まれる。開発という現象は, 開発する側・開発される側の相互作用の中で生み出されるものであり,後者の存在を無視して はならない[鈴木紀1999]。 本研究は,「女書」という事例を取り上げ,開発プロジェクトの全体(開発側と開発対象側 の双方)に目配りをし,とりわけ開発対象側に重点を置き,地域社会における持続可能な「文 化開発」のあり方の可能性について論じるものである。現在の女書の「開発」のあり方には, 地域住民不在,不均衡な権力構造といった問題が存在している。こうした問題を是正し,「地 域住民」が主体となった開発の可能性を探るためには,一歩対象に踏み込んだ「開発人類学」 の立場を取る必要がある。また,「開発」するかどうかも地域住民の考え方による。そこで, 本研究は「女書」の事例を通して,「開発人類学」という学問自体に潜んでいる問題も問うて みたい。 「持続可能な開発」(sustainable development)という概念は,環境と開発に関する世界委員 会が最初に提唱したもので,「将来の世代が自ら欲求を充足する能力を損なうことなく,今日 の世代の欲求を満たすこと」と定義される[玉置1996:70]。「持続可能な開発」は,一般に, (1)環境及び文化・社会への配慮(環境や文化・社会に破壊的影響を与えないこと),(2)規模 の縮小あるいは適性規模志向(大規模開発の破壊的影響を避けて小規模の開発でよりよい効果 をめざす),(3)基本的な必要性や平等性の重視(工業化や高度技術よりも人々が基本的に必要 な衣食住や医療・教育などを重視する),(4)住民の主体的参加(開発が行政や企業のみによっ て進められるのではなくその計画・実施・評価などに地域住民が参加すること)などの要素に よって特徴づけられる[玉置1996:70]。本論文においても,このような意味を包含するもの として「持続可能な開発」という概念を使用したい。 従来,「女書」をめぐる研究は,歴史学・文字学・言語学などの文献学的アプローチが中心 であった。しかし,そこでは現代社会における女書の現実的な機能と意味や位置付けを検討す る視点が欠落している。これに対して,本研究は文献学的なアプローチと実証的なアプローチ を併用しながら,現代の「観光開発」という文脈において,女書が開発に関わるさまざまな関 与主体の相互作用の中で変容していく過程の解明を意図している。このような女書の現状に関 する先行研究は皆無である。こうした,女書に対する現代的アプローチという視点は,本論文 の特徴と言えるものである。 研究方法としては,先行の文献研究を踏まえ,主に現地における聞き取り調査,アンケート 調査を中心としている。フィールドワークは2004年2月の2週間と,2005年6月から7月に かけての1ヶ月ほどの2回を行った。聞き取り調査は県政府の担当者(1人)や企業の責任者
丁:文化は誰のものか (1人)と伝承者(12人),アンケート調査は一般の地域住民(26人)を対象とし,幅広く調 査を行った。
1調査対象地域の概況
中国湖南省の西南部,広西壮族自治区に近い江永県の一部に,女性だけが読み書きできる文 字「女書」が伝承されてきた。この文字はこの地の女性たちが創り出し,女性同士のコミュニ ケーションの手段として使われてきた,いわゆる「女文字」である。こうした女書を,男性は かつて読むことも書くこともできなかった。 調査対象地域である江永県は中国南東部の湖南省南部にあり,東は江華瑠族自治県,西は広 西壮族自治区の恭城揺族自治県,南は広西の富川揺族自治県,北は湖南省の道県に接する。こ うした地理的環境のため,県内には少数民族の揺族と漢族が混住している。 女書の主たる伝承地域である江永県北部・上江嘘鎮の瀟水沿岸は,豊富な水源に恵まれた県 内でも裕福な地区である。女書は湖南省江永県一帯に伝承されてきたが,その中心地は江永県 上江嘘鎮である。伝承者が結婚などを契機として地域外に転出すると,そこで新たに女書が伝 承されることになる。このようにして,女書の伝播は上江塩鎮を中心に,周辺地域にまで広が っていったのである。 女書の伝承地域では,漢族も揺族もそれぞれ特有の文化を持ちながら,互いの行事や祭りを 受け入れてきたが,それは,両民族の風俗や習慣が互いに影響を及ぼし,習合したものと言え る[遠藤2002:9]。謡族の村では立派な祠堂を祀り,漢族風の宗族の祖先祭祀を受け継いでい る。漢族と揺族の双方に,養子慣行,擬制的親族関係,同じ年齢集団の相互扶助などの特色が 見られる。特に,何人かの女性たちが義理の姉妹関係を構築して,相互に助け合い,女書を贈 り合う「結交姉妹」(後述)の慣習はこの地域特有のもので,女書とともに他地域には見られ ない民俗事象となっている[鈴木正崇2002:69−70]。古くからこの地域に混住する漢族と揺族 の文化的な融合や,社会基盤にある擬制的親族関係は,女書の成立に文化的,社会的な環境を 提供したと言える。 2000年に実施された全国人口調査によると,江永県の人口は235,893人,そのうち揺族が 147,164人と,総人口の62.38%を占めている。また,近年,中国の少数民族優遇政策が浸透 してきて,以前は「漢族」と名乗っていた人々が揺族に「戻る」ことを選択したため,揺族の 人口は急速に増加した[湖南省江永県誌編纂委員会1995:96]。県内の民族構成において揺族 の割合が多くなっていることから,女書の成立に際しては漢族と揺族の交流があったのではな いか,あるいは女書はもともと揺族の文字であったのではないかというような議論も出てきた。 しかし揺族研究の専門家は,女書を揺族の文字と認めず,公式にも,研究者は女書を少数民族白山人類学 10号 2007年3月 の文字とは認めていない。そのため,女書の保存や,それを利用した文化開発に関する問題へ の取り組みは終始県政府のレベルに留まり,省や国レベルの動きには至らなかった。現在,女 書は漢族の方言を表す文字であるというのが学界の定説となっている[趙1989:68]。 清代から江永県は農業経済県であった。近年,産業構造の変化にともない,伝承地域の人々 は農業をやめて,村を出て鎮,県城や県外へと出稼ぎに行く人が多くなりつつある。 以上述べてきたような自然・人文・社会的環境は,当地における女書の発生,伝承に大きく 関連するものと言えよう。長い間,女書は(当地の他の民俗文化と同様)狭い範囲で伝承され てきた。豊かな自然環境は農業に従事する伝承地の人々に経済的なゆとりを与え,女書の伝承 にとって都合のよい経済環境を提供し,そのゆえ維持されてきた。しかし,近年では農業をや めて出稼ぎに出る人々が増えているため,伝承はほぼ失われつつある。
II生活の中の女書
女書の形態は漢字によく似ているが,右肩上 がりの菱形をした独特の書体である点に特色が ある。女書は,漢字のように文字それ自体が意 味を表す表意文字ではない。江永県の方言の音 を文字で表した表音文字である[白・向2005: 9]。中には漢字から転用したものもあるが,刺 繍に似た図案風の文字には,女性の手仕事の影 響がある。従来は紙や絹布,ハンカチや扇子に, 鍋墨や墨を用いて竹箋で書いたというが,現在 は普通の筆記具を使用する。(写真1) 女書で記された文章は七言の韻文が多く,女 性が集まる機会に,リズミカルに節を付けて 「歌われる」。内容は手紙,自伝,歴史的記述,写真1女書
叙事,拝情,祭文,義理の姉妹の契約文などさまざまであるが[趙・宮1990:13−16],「結交 姉妹」が結婚した友人に結婚後三日目に贈る「三朝書」は特に重要である。 女書の伝承者,あるいは女書の所持者が死去した際には,女書を一緒に葬る習慣があった。 これは,死者があの世で女書を読んで楽しむと信じられていたからであった。また,文化大革 命の時には「妖書」として,多くの女書が焼き捨てられた。そのため,現在残されている女書 資料は僅かなものに過ぎない。 当地では,少女時代に仲良しであった娘同士が義理の姉妹関係を結ぶ「結交姉妹」の風習丁:文化は誰のものか が盛んであった。「結交姉妹」の契りを結ぶとき,女書で「結交書」と呼ばれるものを書いた。 いったん義理の姉妹関係を結んだ女性たちの絆は,血縁関係にある姉妹よりもずっと強いもの で,働くときも遊ぶときも,廟会(廟の祭り)に参るときも,常に一緒にいたというほどであ った。「結交姉妹」の契りを結んだ娘たちは,生涯にわたってこの緊密な関係を保ち続けた。 女書の伝承地域の家屋は,ほとんどが2階建てである。2階に小さな窓がある所は,女性た ちが「女紅」(女性の手仕事)をする場所であった。「結交姉妹」の娘たちは,当然のこととし て「女紅」を一緒にしたが,逆に「女紅」をするうちに親しくなって「結交姉妹」となるとい うケースもあった。「女紅」というサロンは野原の仕事より,女性に女書の産出に文化的な環 境を提供し,結交姉妹の風習を維持・強化する力にもなった[遠藤2002:7−8]。 「結交姉妹」の誰かが結婚を決めると,ほかの姉妹は嫁ぐ娘と別れる悲しさを表現(共有) する手段として,別れを惜しみ,婚家での幸せを祈る歌を女書で「三朝書」を書く。それを結 婚の三日目に花嫁に届ける。「三朝書」という記念のモノと「女書」という心を籠めたカタチ が,「結交姉妹」という「女性の縁」を再確認させて,人生の辛さを乗り越える勇気を湧き立 たせた。 女書の起源については,現地にいくっかの伝説が伝えられている。いずれも女性が漢字の代 わりに女性しか読めない文字を手に入れることを望んだこと,女性の手仕事(刺繍)や「結交 姉妹」という習慣が,女書と切っても切り離せない関係にあることを物語っている。一方,女 書の起源については,研究者の中でも多様な見解があるが,現在までのところJ漢字(楷書) をもとに少なくとも清代中期(300∼400年前)に生み出された文字であろうと考えられてい る[宮1992:69]。 解放前の中国漢族社会は男性中心の社会で,女性は従属的な地位にあった。女性は学校教育 を受ける権利がなく,もちろん漢字も知らなかった。女書は古くから,学堂の教育を受けたこ とがない,漢字を知らない女性の間で漢字への「対抗文化」として,男性に反するマイノリテ ィ=女性の意識の表現アイデンティティの象徴として伝えられてきた。鈴木正崇は,(女性 の側から)このように男尊女卑の傾向が強い社会を中和する独自のコミュニケーションネット ワークを構築する試みが「女書」である。女性たちは自らの生き様や記憶を「女書」に凝縮さ せ,漢字を「男書」と呼び,自らを差異化したと論じた[鈴木正崇2002:84]。筆者の調査で も,漢字を「男字」(男文字),女書を「女字」(女文字)と呼ぶという話が聞かれた。 伝統社会においては,従来の女書は地域の女性たちの生活の中に深く浸透した「生活文化」 としての性格を持っていた。しかし,1913年に「江永県立女子小学校」の成立により,江永 の女性が学校の教育を受けることが出来るようになった。また,1949年以降の新中国では, 「男女平等」を提唱するもとで女性の社会的地位は一気に上昇した。一方,新中国成立後は 「普通話」(中国標準語)が普及,もともと狭い地域に限られる江永士話を話せる人はさらに減
白山人類学 10号 2007年3月 少し,さらにその後に続く文化大革命の中で,女書文化を支える旧習慣が廃除され,女書資料 も殆ど散逸した。こういった要因により女書文化は徐々に衰退し,新しく伝承されない一方, 本来の旧伝承者たちが次々と亡くなっていった。ついに2004年9月,最後の「旧伝承者」(後 述)の楊換宜が死去したことにより,生活文化としての女書はいったん廃絶した。現在は新し い伝承者の育成も行われているが,伝承の方法や女書の使用目的は従来のそれとはまったく異 なっている。もはや女書は生活文化ではなく,表面的な形式だけが受け継がれているというの が現状である。 1950年代に女書は研究者によって「発見」され,1980年代に初めて学界で公開された。学 界での反応が大きく,地方政府も女書の伝承と開発に動き出し,それを「観光文化」へ再構成 する動きが出てきた。次に地方政府の動きに重点を置きながら女書の再発見の過程をみていき たい。 III女書文化の「再発見」 女書が中国の学界やマスコミに注目されるようになったのは,1983年のことであった。こ の年初めて宮哲兵は中国の学術誌に女書に関する論文「関干一種特殊文字的調査報告」[『中南 民族学院学報』3:122−128]を発表した。その中で,宮は女書発見の経緯,伝承地域の民族分 布などにっいて述べ,女書は揺族の文字ではないかという仮説を提示した。それに対し,謝志 民は「江永『女書』概述」[謝1987]の中で,女書の伝承と現状,女書の構造と機能を分析し, 女書は漢族の文字であると結論づけた。文字学専攻の趙麗明は,1989年発表した「『女書』的 文字学価値」[趙1989]の中で,女書の文字学的な価値を論じるとともに,方言文字学を確立 する必要性を示した。さらに,女書に見られる古文字の特徴,女書と甲骨文字の類似性を検討 した謝志民は,女書は中国商代の古文字の遺留もしくは変化型であると述べていた[謝1991]。 女書が学界に紹介されて以降,「世界で唯一の女文字」として評価が高まり,国内外から多 くの研究者が江永を訪ねてくるようになった。特に,女性のジェンダーやフェミニズムの研 究者に関心が高まった。1990年代になるとマスコミの多くも,女書を大々的に取り上げるよ うになった。このように学界での反響が周囲に広がる中で,政府は急速に失われっっあった女 書資料や女書伝承者の「保存」の手だてを考え始めた。多くの女書の原本を収集し,関連する 博物館や展示館を作り,文書館に保存した。実際の保存に向けての政策として,女書学習者の ための養成教室の開催,「女書伝人」の指定,「伝人」への生活補助などが行われた。また,女 書が「発見」されて以来,女書に関するシンポジウムが1985年武漢,1986年北京大学と江永, 1990年武漢,1991年江永,1995年北京大学と計6回開かれた。これらのシンポジウムでは, 様々な視点から女書の保護・保存の必要性が訴えられた。
丁:文化は誰のものか また,中国では1978年に経済改革・対外開放政策がとられるようになってから,国際観光 は外貨獲得の有望な産業として注目されるようになった。その後,中国政府は様々な観光規制 緩和や観光誘致政策を実施し,天安門事件が発生した89年を除いて国際観光客は着実に伸び てきている。80年代中頃になると,中国国民の生活水準が向上し,可処分所得が増加にっれ て国内観光も盛んになり,90年代に入ると急速な伸びを示し,大都市住民にとって観光は重 要な消費分野となってきた。このような中国観光の大きな流れの中で,国家が今最も注目して いるのが辺境の少数民族地域における観光資源の開発である。注日する理由は,内陸と沿岸, 農村と都市の地域格差を縮小することである。中国は56民族からなる多民族国家であるが, 最貧困層の8割が辺境の少数民族地域に暮らしている。そこで国家は少数民族の生活,文化に 注目し,それを資源とする民族観光をおこし,貧困救済と地域振興につなげたいと期待するよ うになった[曾2001:88]。 こうした中国全士にわたる「観光開発」の動きの中で,揺族の人口が大きく占めている江 永県の県政府は揺族の文化に注目し,1986年に揺族の故地として「発見」された「千家胴1)」 と「女書」を観光資源として利用し,地域の経済発展を図ろうとしている。女書に関する実 際の政策として,2002年4月,江永県県委・県政府は「関丁槍救和保護江永女書文化的意見」 (「江永女書の救助・保護に関する意見」)を布告,「女書文化槍救工程」(「女書文化救助プログ ラム」)を実行に移すこととした。この文書の中で,江永県委と県政府は,県内の多くの部門 を連合して女書に関する政策に取り組む姿勢を示した。筆者が県委宣伝部の担当者に聞いたと ころ,江永県内の観光開発プログラムのうち,政府が最も力を入れているのは女書の開発であ るということであった。女書の開発を通しての観光化により地域経済の活性化を図り,さらに 目標を実現した上で,女書が再び地域内で伝承されていく 「持続可能な開発」を目指している という。ここで政府のいう「持続可能な開発」は,国際機関(例えば後述のフォード基金)の 援助をひくための「たてまえ」(表面的なスタンス)であり,その背後には女書をはじめとす る県内の観光開発による発展で,内陸と沿岸の格差を縮小するという,国家の「観光開発」政 策に先導された県政府の「本音」が潜んでいるだろう。しかし,こうした「たてまえ」の動き すら地域住民に・卜分認知されていないようである。後に紹介するが,地域住民は政府のこうし た一連の政策や活動をまったく知らず,また政府は女書のことを重視していないとも捉えてい るようである。 こうした政府による女書の「保存」や「再構成」の過程の中で,政府の観光誘致政策に乗 1)江永県の県城の北方の大遠郷(古くは道州府)は、都鹿山をはじめ山々に囲まれた盆地状のヒ地「胴」 で、唐代には揺族が千戸ほど集住し「千家胴」と呼ばれた。大遠郷を千家胴に同定したのは宮哲兵で、 1982年から1985年まで調査して結論を出した。1986年5月に江永県で「揺族千家胴故地問題シンポ ジウム」が開催され、江永県は1岳族の故地として「発見」されて有名な場所になった[鈴木正崇2002コ。
白山人類学10号2007年3月 り出した企業や,「再構成」の意味を理解できていない地域住民も登場し,もともと地方政府 が中心になって取り組んでいた女書の「再構成」は,地域内部(行政・地域住民)と地域外 部(企業)が「文化資源」をめぐって絡み合う,複雑な開発の問題となっている。本論文の後 半では,この開発問題をめぐる主体を行政・企業・地域住民という三つに分け,女書の「再構 成」の実態を明らかにしていきたい。
IV女書文化の「再構成」へ一政府の「女書」政策
「女書文化槍救工程」を実施するため,2002年に江永県委と江永政府は県委宣伝部内に江永 県「三千文化」研究管理センターを設立した。県内では,千年の謎一女書,千年古村一上甘 業2),瑠族故地一千家胴という三つの「千」を含む観光地を「三千文化」と総称し,「三千文 化」管理センターはこれらに関するすべての業務を担当する。女書を核として漢族と揺族の文 化をセットにした「観光開発」が始まったのである。センターは県委宣伝部に属し,更にその 下に二つの支部が設けられた。支部の一つは「江永県女書文化研究管理センター」と呼ばれ, 女書の救助,保護対策を専門とする。女書に関する行政政策をまとめている「女書槍救,保護 規劃」(「女書の救助・保護計画」)は2002年4月にセンターが制定したものである。その中 に女書の保護・伝承にっいての方針も含まれているが,どちらかというと女書の開発という色 彩が強い。筆者は2005年夏,その具体的な内容,実施組織,財政経費について,県委宣伝部 の女書に関する担当者にインタビューを行った。それを踏まえ,政府の女書に関する政策を保 護,伝承,開発の3つに分けて以下のように論じる。1保護
まず女書の保護政策として,政府は女書の読み書き・歌唱能力,女書による文章の創造力, 女書手芸品の作成能ノJなどに基づき,2001年に楊換宜(1909年一2004年),胡美月 (1962年 生),何艶新(1940年生),何静華(1940年生),義運媚(1969年生)の5人を「女書伝人」に 認定し,「女書伝人」のプレートを授与した。認定された伝承者には,毎月20元(2005年現 在,1元=15円)の生活補助金を与えている(ちなみに,1990年の江永県農民の平均収入は 473元)。この20元は伝承者にとってはほんの僅かの補助にすぎないが,県政府の側の,でき るだけ伝承者たちを支援したいという気持ちが読み取れる。県政府は主たる女書の伝承地域 (小普美村)を保護地区に指定し,2002年に小普美村に「女書園」を建設し,園内に女書教育 センターとして「女書学堂」(写真2)をっくり,その教師の雇用費も政府が負担している。 2)周氏の先祖が唐代の天宝年間にここに定住し、村を「甘業」と名づけた。今まで1240年の歴史がある。丁1文化は誰のものか 政府は女書の保護を重視しているようだが, 女書は少数民族の文字という特殊な性格を持た ないため,女書に対する取り組みは終始県政府 のレベルに留まり,省や国レベルまでには至ら なかった。そのため女書への投入資金は限られ, 伝承や開発に充分投資できない状況となってい る。筆者が県委宣伝部の担当者に聞いたところ, 女書の保存・維持に関する経費は県の財政から 支出されているが,これは省政府に申請したも のであるということだった。つまり湖南省の省 政府には女書を取り扱う専門的部署が設置され ていないため,女書に投入する資金については 県政府が素案を作成,それを省政府に上申し, 写真2 女書学堂 審査が通れば,経費が支給されるという仕組みになっている。たとえば「女書学堂」建設に投 入した80万元の経費は,この一連の手続きを踏み省政府から支給された資金であった。さら に保護の一環として,県政府は女書を「無形文化財」として世界文化遺産への登録を申請した。 成功するか否かは別問題として,県政府が積極的に申請に取り組むのは,登録による反響が地 域の新しい経済力に変わることを期待しているからだ。 県政府は2002年頃から,女書を「文化保護」の項目で世界文化遺産に上申するようになっ た。最初は「中国‡當案文録」として国に上申,その結果2002年4月に国の認定を受け,「中 国補案文献遺産名録」に登録された。県政府は同年,女書の世界文化遺産申請に着手し始め, 2005年4月に中国民間文芸家協会と連携し,『閨中奇跡 中国女書』[白・向2005]を出版し た。世界文化遺産に申請する際には,整理された推薦双書の出版が必要となる。これは「中国 民間口頭与非物質文化遺産推薦双書」の一分冊として,連合国教科文組織(UNESCO)文化遺 産委員会に提出する書面報告ともなっている。 2伝承一人工的な伝承の「場」を作る 女書の伝承については,政府は主な伝承地域である小普美村(1日名甫尾村。女書研究に多 く貢献した高銀仙,胡慈珠といった有名な旧伝承者が小普美村に居た。そのうち,高銀仙は初 めて学界に登場した女書伝承者であり,彼女を記念するため,県政府は小普美村を「女書文化 村」と名付け,女書の伝承・開発に関する政策は小普美村を中心として展開されることになっ た。)及びその周辺の村に,人工的に伝承の「場」を作り,女性たちが女書を伝承するための 支援もしてきた。しかしそれは形式上の,表面的な(ハード面での)施策にとどまっており,
白山人類学 10号 2007年3月 伝承者が自発的に女書を学ぶことが可能なソフト面での環境整備はまったくしてこなかった と言ってもよい。むしろ,女書は「社会に埋めこまれており」,その必要はなかったのであり, 地域住民の覚醒には結びつかなかったのである。 例えば,2001年頃,江永県政府と上江櫨郷政府の提唱により,上江嘘鎮小普美村の村幹部 が中心となり,「普美女書学堂」(以下「旧学堂」という)を開設した。場所は村の中にある古 い「祠堂」を利用し,教師は「女書伝人」の胡美月を選任した。政府は教師としての給料を支 給し,本や筆記用具などの補助も行った。机や椅子などは全部郷の小学校から運んできた。こ うした動きは,村民が自発的に女書を学ぼうという意識があまり高くなかったため,政府がそ れを誘導・啓発しようとするものであった。 真の意味の「内発的発展」(endogenous development)による持続・∫能な開発を望むならば, 「上」(政府)が一方的に形だけの伝承の「場」を作るより,当初から女書の新しい「観光文 化」の活用を,しっかり地域住民に理解してもらい,「下」からの動きとして展開する方がよ り現実的ではないかと筆者は考える。地域住民が政府の「再構成」の意図,つまり生活文化と しては「消滅」した女書を「観光文化」として新たに「再構成」することを,地域住民が理解 してはじめて,女書の伝承を「内面」から支持し,積極的な姿勢を示すようになるだろう。こ れを裏付ける事例として,「女書学堂」の生徒募集のことが挙げられる。 2002年に新しい「女書学堂」(写真2)が開設された。2003年に入ると,県政府は郷政府に, 女書の伝承区域の拡大・他地域の生徒の確保を目途とし,「新学堂」における新しい生徒の募 集を上申した。郷政府の宣伝担当から各村への通達によると,女書に興味があれば誰でも参加 できること,受講料は不要であるが,交通費と食費は自弁とのことであった。しかし筆者の調 査では,伝承中心地・小普美村の隣村である大普美村の人は殆んどこの通達を知らなかった。 このことを県委宣伝部の担当者に尋ねたところ,通達は郷政府の担当者→各村の幹部→村民と いう流れで伝わっていくので,もしそのルートのどこかで連絡が途切れれば,村民のところま で情報が届かない,あるいは届いても村民は注意を払っていなかったのではないかとのことで あった。こうした事実から,地域の幹部も村民も女書の伝承には関心が薄いことがうかがえる。 女書の伝承について言えば,政府(上)が主導的に指揮をする一方で,伝承主体になるべき地 域住民(下)はいっこうに積極的に取り組む様子がないという,乖離状態であったのである。 このことに関して,もう一つ事例を挙げてみよう。 筆者が2004年2月に「新学堂」を訪問したとき,40人ほどの生徒が土・日曜日に来ている と学堂の管理者から聞いたが,2005年の夏には,「新学堂」で女書を学ぶ人は一人もいなかっ た。こうした事態に至った理由を,県の担当者はこう説明している。 「旧学堂」の頃,学堂に学びに来る人たちはマスコミの宣伝もあって女書を学ぶことに
丁:文化は誰のものか 対し多少の誇りを感じ,積極的に学習に取り組んでいた。しかし,現在の学習者からは誇 りも消え,「お金にならない」「実用的でない」女書を学ぶ積極的な意味が失われてきた。 もし女書が収入に結びつくものになるようであれば,自発的に習うようになるだろう。 しかしこうした地域住民の一時的な「誇り」は,自文化である女書に対する誇りではなく, マスコミに取材される女書文化が自分の地域にあるということに対する「誇り」にすぎない。 女書を真の「自文化」として捉え,伝承しようという意志はなく,表面的な誇りは,メディア の喧伝の消失とともに消えていったのである。また「女書がお金にならない」ことにっいては 後述するが,筆者の調査では,今のところ女書の開発により得られた利益を享受しているのは, 伝承者=村民ではなく,地域外の第二者である企業である。「新学堂」の経営も実は企業に委 ねられている。こうした局面をいかに転回し,女書の開発利益を地域内部の人々の手に取り戻 すかが課題となるが,それは村民の課題だけでなく,地方政府の役目でもあろう。 ここまで女書の伝承に対する政府の取り組みを,「保護」と「伝承」の両面から述べてきた。 政府は人」二的に伝承の「場」を作ることを通して,地域住民の女書伝承の復活を図ろうとして きた。女書が古くから様々な歴史的,社会的な制約を乗り越えて伝承されてきたのは,伝承主 体である地域の女性達の強い信念,女性同士の強い絆があってこそのものであった。しかし, こうした伝承者・伝承者を取り巻く社会・文化環境という「文脈」(context)を重視すること なく,ただ表面的に「場所」や「もの」といった「要素」(element)を提供しても,効果的な 伝承は難しいだろう。しかも,こうした表面的動きすらも地域住民に認識されず,政府はあま り女書に力を入れていないと捉えられているようである。 3企業まかせの開発計画 先にも述べたように,県政府は女書への投入資金に困窮しているため,女書の開発をすべて 旅行企業に委託する方針を打ち出している。具体的に言うと,県政府は2003年にK社(本社 が香港にある観光企業)という旅行企業と契約を結び,「三千文化」に関する観光開発権を売 り渡し,その代わり企業は毎年2万元の税金を県政府に納めることになった。 契約の内容は,県政府に毎年2万元の税金と,村に土地占用費用として毎年1千元を納め れば,他の現金収入(主に入園料)は全部企業の収益となるというものである。このほか,以 前には県政府から女書教師に支給していた給料を,企業は引継いで支給することになっている。 2万元の税金と1千元の占地費はかなり少額と言えるが,県政府は財政が逼迫しており,企業 からの開発協力を仰ぐためにはかなりの優遇政策を取らなければならないと考えているのであ る。2005年現在,企業の開発を借りて,女書を再び地域内で伝承させていく「伝承のための 開発」という姿勢が県政府の基本的な立場となっている。
白山人類学 10号 2007年3月 しかしこうした優遇政策に乗り出した企業は,地域のための開発より,企業の立場で会社の 経済利潤を高めることを目標としているのである。これを裏付ける事例をいくっか挙げる。 まず企業の投資の事例である。企業は「女書園」の経営を開始して以来,園内の建設整備を あまり進めていないようである。2004年2月,2005年6月に行った筆者の調査では,「女書 園」の中では,ガイド解説用の展示ホールを増設し,園内の観賞用の植生を整理した以外,殆 んど何も変わらないようだった。その一方で,企業は数百万元を費やし,県庁所在地に「江永 大酒店」というホテルを建造した。だが,県政府が「三千文化」の開発管理権をK社に譲渡 したのは,テーマパーク内での整理,開発を期待しているからで,これは契約が終了した後も 現地に残る文化的な財産となるからである。「江永大酒店」は女書と揺族の故地の千家桐の観 光とセットのインフラ整備であるが,「女書園」のようなテーマパークには属していない。観 光パーク内の整備によって開発利益を上げるより,観光客の宿泊による現金収入の方が確実で ある。さらに契約が済んだ後,企業はこれを他の企業や個人に売却することも可能な上,投入 資金も回収しやすい。このように,現地に益する長期的な開発ではなく,目先の利益を狙うと いう企業の企図を読み取ることができる。 また企業が経済利益を目指していることを読み取れる事例として,筆者の2005年に調査時 に,女書とは関係のない「竹杵舞3)」のパフォーマンスが上演されていたことがあげられる。 これは中国国内の少数民族の観光地でよく演じられている踊りで,真正な「女書」文化とはい えないにもかかわらず,観光客を誘致できればそれでよしとする企業の姿勢を読み取ることが できる。 以上見てきたように,県政府は,地域の経済発展のための「観光文化」として,女書の開発 を計画してきたが,地方の財政状況から,企業にその運営主体を譲った。しかし,企業は会社 の経済収益を高めることを主な目的としており,このことは必ずしも政府の女書による観光開 発の目的と一致しない。こうした目的の不一致から様々な対立が生まれ,地域における女書の 「伝承の問題」が,地域の内外にまたがる「開発の問題」として展開することになったのであ る。その一方,地域住民の方はどのような態度を示しているのだろうか。 4村民の反応 村民は政府が開発権を地域外部者に渡すことに対し,消極的な姿勢を示している。具体的に は,前で述べたように年に1千元の占地費だけを受け取る村民たちは,企業の開発に無関心と いうより失望に近い態度を示している。企業の開発は自己の利益を中心とする開発であり,村 民達に現実的な現金収入をもたらさないため(具体的には後述),村民の女書に対する学習意 3)竹を動かしている上で踊るもので、黎族の「伝統舞踊」と言われるが、東南アジア各地(フィリピン、 ボルネオ)などにも広がっており、bamboo danceとして観光化されている。
丁:文化は誰のものか 欲は低下している。習っても何にもならないと考えている村民は,女書による観光開発を通し て現実の生活水準を高めるという考えに,消極的な姿勢を示しているのだ。 筆者が現地で調査をしている間,村民と企業との間に様々な葛藤があるということを聞いた。 例えば,「女書園」を建設する時,国道から小普美村の中に入る地点に鉄橋を架けた。橋の管 理権は,「女書園」の管理権とともに企業に移った。しかし現在,橋の両端の鉄の手すりが壊 れているのに,企業が修理する気配は見られない。また,村民は村のダムの修理に関する手配 を企業に頼んだが,断られた。こうしたさまざまなトラブルが積み重なり,村民の企業に対す る不満は欝積している。 現時点において,村民たちは県政府や企業の開発に大いに期待しながらも,実際にどのよう な形で開発が進められるかまったく分かっていない。こうした状況においては,政府のリーダ ーシップが求められる。しかし,政府が開発権を第三者に譲渡した時点で,女書の開発をめぐ る問題は「地域内部」と「地域外部」の両方に跨るようになり,両者の開発に対する考え方の 不一致から発生する対立は,もはやどちらか一方だけで解決できる問題ではなくなっている。 今後,こうした対立構造の解決に向かって,県政府はどのような方針をとるかが問題となって くる。そこでアメリカのフォード基金が2005年に登場してきた。 フォード基金は慈善団体であり,基金の趣旨は女書の「保護」,女書文化をその原型に近い 形で保存することにある。古い文化ほど保存する価値があるというのが,フォード基金の基本 的な考え方である。女書文化を保存しつつ,伝承地域の開発を行おうというフォード基金のコ ンセプトは,県政府の望む「持続可能な開発」の考え方に合致している。県政府の目的は,基 金の投資を運用して村民のための開発を行うことにある。フォード基金との協力を通して伝統 的な民俗を復活させ,女性たちに生活の中で女書を習う意義を理解させ,自発的に女書を勉強 させる体制を整えることが政府の目論見である。こうした方策は,「女書学堂」を開設したり 強制的に女書を勉強させたりするより,はるかに効果的であろうと考えられている。 しかし,非営利的な目的の慈善団体・フォード基金と,経済利益だけを狙う企業とでは根本 的な目的が異なっており,県政府がこの両者との契約を同時に結ぶことは難しい。両者の理念 がぶっかる時,県政府の立場は中立であり続けるだろうか。このことについて県政府の担当者 は,政府は三者による協力は不可能ではないと考えているようである。 以上のことから,伝承の主体たるべき地域住民は,「女書開発」「女書伝承」のイニシアチブ を取ることなく,受動的に外部から提供される開発プロジェクトに組み込まれていることが見 て取れる。ここで,「文化は一体誰のものか」という疑問が生じる。次章では企業と地域住民 という二つの立場を分け,それぞれの女書文化の「再構成」に対する考え方の違いを考察する。
白山人類学10号2007年3月
V「再構成」過程における企業の参入
1企業による開発の実態 筆者は2005年6月,企業の女書開発部門担当のA氏に,企業の実際の投資状況,「女書学 堂」の運営及び今後の開発計画についてインタビュー調査を行った。そこで得た情報に基づき, 企業の活動実態を以下のように整理する。 前述したように,政府は財政緊縮のため,2004年に企業・K社に運営を委託し,女書の保 護・伝承を図ることになった。しかし,K社は旅行会社であり,企業として利潤を上げること を前提に開発を進めている。両者のスタンスは根本的に異なり,今後の協力のあり方において 摩擦が生じるのは当然である。双方の連携を円滑に運ぶため,企業は「女書園」の経営状況に 関する報告書を作成し,年4回政府に提出することになっている。 企業は県政府の指示により,「女書伝人」に指定された胡美月を引き続き「女書学堂」の教 師に指定した。そのほか「女書園」では4人の女性と1人の男性を雇い,それぞれ園内ガイド, 入園券の販売,女書民俗のh演,資産管理,警備員の仕事を分担させている。女書に含まれる 揺族の要素を強調するため,揺族の民族衣装を制服として4人の女性に着させている。雇用条 件は女書を読み書きし,歌うことができる事である。またA氏にインタビューしたとき,な ぜ「本当の」1日伝承者を招聰しないのかと尋ねたところ,旧伝承者は普通話(中国標準語のこ と)を話せず,観光客とコミュニケーションを取れないからという回答を得た。女書が伝統的 な生活文化から,経済利益と関連する「観光資源」とみなされるようになると,「文化の保存」 という意味での貴重な存在である「1日伝承者」は,開発者にとっては無用な人に過ぎない。企 業の開発は,決して伝承者達のための開発ではないのである。 「女書園」では展示室を設けて,女書について出 版された研究者らの本を展示し,観光客を対象に 売っているものもある。これは女書の学術価値を観 光客に提示することよりも,むしろ女書観光の宣伝 とされている。本以外に,政府が民間から収集して きた女書の作品も展示されている。展示室のほかに 女書上芸品販売館もある。その中に,女書記念用紙 (一枚の白い書画用紙である。観光客は白分で女書 を真似し書いたり,園内のガイドに頼んで書いても らうことができる),女書の文字を刺繍したカバン, ハンカチ,小銭入りや,女書を彫り込んだ木製プレ ート,「二千文化」の風景絵葉書など,女書にまつ 写真3 村民が加11した女書刺繍 のカバン丁1文化は誰のものか わるもの以外に,普通の観光地のお土産品店で見られる小物も並べられている。また観光客向 けに,揺族の民族衣装を着るガイドが拍子をとりながら女書の歌を歌うパフォーマンスが上演 されている。このパフォーマンスは,女書を歌う本来のあり方とは根本的に異なっており,揺 族と女書を結びつけて観光客を引きつけるための工夫を読み取れるのである。 今後の開発計画については,企業は2006年∼2009年の4年以内に,「二千文化」のすべて の開発項目に1,500万元を投資する予定であるという。「女書園」の観光開発には600∼700 万元が計算され,女書による観光開発に重点が置かれていることがわかる。一方,企業の伝承 に対する計画は見られなかった。女書の「開発」には力を入れるが,「伝承」は後回しにする という姿勢が見て取れる。 2企業と村民の関係 前章でも触れたが,村民は企業の開発計画に不満を抱いている。開発による経済収入・女書 園の建設・十地所有・村内の建設整備などの問題をめぐり,両者の対立構造はより先鋭化して いる。まず女書工芸品の販売による経済収入について,企業は女書工芸品を村民に加工させ, それを販売して,利潤を上げているが,そこで得られた利益を村民に還元しようという姿勢は 見られない。 女書工芸品販売館では村民たちに発注した手芸品を販売している。いずれにせよ利益を村民 に与えていることになっていると,A氏は強調していた。しかし実際の販売状況は園内の販売 担当のB氏によると,企業が安い加工費を払って,高い技術の製品を村民に作らせていること が判明した。事実,村民のいうところでは,以前には企業は手数料を徴収し,販売場所を貸し て村民に手芸品を売らせたこともあるが,現在では手数料を高く徴収した上,自社製品を売る ため,村民のものを受け入れないとの話だった。手芸品の加工を依頼することにより村民に利 益を与えていると企業は言うが,実際は利潤追求だけの村民の労働力利用としか見えない。 後日,筆者は女書開発をめぐる利益の分配や,企業と村民との関係について,村民側と企業 側にそれぞれ聞き取りを行った。企業と村民との対立構造は,女書関連商品の販売の件に限ら ず,「女書学堂」の建立,学堂占用十地の費用,学堂収益の分配など,一連の事件の中に表れ ていることが明らかになった。 これらの事件から,村民側は女書園の建設・占地・利益分配をめぐって,企業に多くの不満 を持っている。こうした対立に対して,当初女書の観光開発の指揮にあたっていた県政府は, 前述の,地域外の第三者(フォード基金)に開発プロジェクトを委ね,解決を図ろうとしてい る。こうした動きにより開発計画が成功に向かう可能性もあるが,また地域内部(住民)・外 部(フォード基金)の協力問題となり,新しい対立構造の火種にもなりかねない。 前述したように,持続可能な開発が求められているが,持続可能な開発がもっとも強調する
白山人類学 10号 2007年3月 点は,開発対象側の参加を重視する「参加型開発」である。しかし,現時点では,村民は主体 的に県政府の提示する開発プロジェクトに関わっておらず,企業もそのことを開発目標(村民 の生活の改善)としていない。村民は完全に開発計画の「かやの外」に置かれているのである。 VI「再構成」の現場では一伝承者たちの対応 政府の女書に対する「再構成」において,地域住民にとっての女書はもはや「生活文化」で はなく,「過去の遺物」でしかない。「開発」により地域住民が潤うのであれば,女書を学ぼ うという意欲も沸くだろうが,現在まで政府・企業主導の「地域住民不在の開発」が進められ (カヤの外で開発が勝手に進められ),「女書学堂」の生徒が不在という状況から,住民の女書 を学ぼうという意欲も薄れがちになっている。県政府の「伝承のための開発」という基本的姿 勢も地域住民には伝わっていない。地域住民は現在,女書を自文化と捉えることなく (女書文 化を内在化しておらず),女書を学ぶこと・伝えることに対する「誇り」を持っていない。 次に,県政府の考える女書の再構成の方向性(開発と伝承に対する政府の方針と施策)に対 する,地域住民の捉え方を見ていきたい。一言で「地域住民」と言っても,その中には現在, 女書の伝承を担っている「伝承者」たち(積極的,消極的といった違いはあるが)と,女書に ほとんど関わりを持たないそれ以外の一般住民の2つのカテゴリーがある。 伝承者(女書を習う人々を指す)というカテゴリーは,さらに「旧伝承者」「新伝承者」「新 新伝承者」の三つに分けることができる。「新伝承者」は政府の認定を受けた「女書伝人」の ことを言う。認定された5人の中で楊換宜だけが伝統的な伝承方式で女書を習い,伝統社会の 実生活の中で使用した経験があるので,彼女こそ本当の意味での伝承者と言えよう。ここで筆 者は,5人の伝承者のうち楊換宜だけを「旧伝承者」あるいは「自然伝承者」と位置付けたい4)。 残りの4人胡美月,何艶新,蜷垂,義運娼は伝統的な伝承方式で習ったことがあるが,実 際に生活の中で女書を使用した経験はなく,ここでは「旧伝承者」と区別するため,「新伝承 者」と呼ぶことにする。なお,生活文化としての女書がいったん消滅した後,女書の文化財・ 観光文化としての再認識が進み,従来の伝承方式以外の方法(自習や女書学堂を通うなど)で 女書を学習するようになった人々を「新新伝承者」と呼んでおきたい。「旧伝承者」「新伝承 者」「新新伝承者」のそれぞれは,置かれる社会環境や,政府の「再構成」への理解の違いか ら,女書の伝承・開発に対する考え方は異なっている。 4) 楊換宜に関しては、遠藤織枝2002年『中国女文字研究』明治書院79−84ページを参照。
丁:文化は誰のものか
1新伝承者
4人の「新伝承者」の,女書を学ぶようになった動機,過程,創造能力はそれぞれ異なる。 このことについては遠藤らの先行研究の中に詳細に記されているので,ここでは略する[遠藤 2002]。筆者が4人の「新伝承者」に対して行ったインタビューの内容の概要を表1にまとめ た。それを整理すると,以下のような特徴が挙げられる。 まず4人とも,旧伝承者のように女書は女性同士を結びつける強い絆と考えておらず,女性 達の間の強い信念はない。女書の存在基盤としての女性同士の絆や信念は,旧伝承者たちが共 有してきたものであるが,新伝承者はこうした基盤を持っていない。 伝承について,Rさん以外の3人の新伝承者は,女書を女性たちの「自文化」と捉え,女性 としての立場から保持し,そして伝承されていくためにもっと外の人にも教えたいといった統 一した独特なアイデンティティを持っていない。伝承に全然関心がないSさん,地域外での女 書の伝承に全力を尽くしたいRさん,家内の人に伝える意欲が強いが,外部の人に伝承を広げ る意欲が薄いYさん,将来の開発に利用できるかもしれないと考え,家内では伝えたいと語っ 表1女書についての新伝承者の考え 女書を書くこと、また女書の捉え方について 女書の伝承について 最近はずっと女書を書いていない。筆を手に 今は女書についての本がたくさん出版され 執ると頭が痛くて、目も悪くて見えなくなり、 ているから、私が書かなくても、女書が Sさん 書きたくないのだ。孫の面倒を見なければな 轤ネいし、書く暇もない。書き出すと悲しくなるのだ。 酪曹 江永地方の女性特有の文化と捉えて 伝承できなくなる心配はない。また、宮哲兵ら フ本で習って独習している人はたくさん居る。 墲エわざ学堂に通う必要がない。 いない。私は女書を書けるということに意浪が あるとは思っていない。農村ではこんなことは ロの に立たたいし政 に れていない 最近、何も書いていない。娘のことを心配して、 私は、女書を自分の後世だけではなく、より多くの 書く気になれない。また孫の面倒を見なければ 人に教えたい。そのため力の限り努力したいと思う。 Rさん ならず、書く時間がない。 江永県の女性だけが女書を書くのは面白くない。 酪曹ヘ1つの紐帯のように、全世界の女性たちを結び ツけることができると考えている。 女書を江永人の地域文化として捉えている。 自分の後世にしっかり伝えていくつもりだが、外部の Yさん 女書の発音は、江永方言の特有のものだ。 人が習いたければ教えてもいい。今後の伝承について ヘ、あまり考えていない。それは他人のことだ。以前、 酪曹フ工芸品を作って売ったが、現在は売る場所がなく、 o済利益があまりない。また最近、女書に関するトラブル が くて女 やめよ゜と ったこと 最初は女書を習う意欲はなかった。近年、研究者 私自身はあまり女書が好きではないが、お婆さん(高 Hさん (謝志民)らに勧められ、習いはじめた。その後、 u新学堂」で女書を習っていたが、半年ぐらいでやめた。 ?厲條ヤをかけて習うわりに金になることはなく、 _耕の仕事にも手を焼いていたからだ。 銀仙)の作品や謝志民教授がくれた資料などは売って 「ない。これらを使って後世に伝え、将来、使える ゥもしれない。伝承はやはり重要だ。その一方、 ュ府はもっと女書を璽視しなければならない。しっかり と伝承者を育てるべきだ。白山人類学 10号 2007年3月
Sさん
女書の文化開発について 私は政府の女書開発を支持している。成功の開発 と女書の発展を祈念している。しかし、今後の伝承 や開発はほかの伝承者に任せることで、私と関係がない。 政府の具体的な開発状況は何も知らないが、 とにかく開発のことを支持している。 女書の開発にはとても賛成している。観光開発は とても良いことで、開発をうまく進めれば、女書は 江永県という枠を超え、世界中に知られるようになる。R
上の人はうまく開発を進めたら、私はできるだけ多くのさ 女書作品を書いて宣伝し、協力する。ん 県政府の方針については知らない。私たち(村民)は あまり教育を受けていないから、具体的にどうすれば よいか分からないのだ。 開発に関する政府の方針や動向は全く知らない。 村民によれば、開発の成功は難しい。私自身は開発 きが将来にと・ていい・とだ・思・ている.・か・村民は ん実際の利益を得ていない。将来・女書に頼って生活 するのは難しい。 以前、女書の工芸品を作って売っていたが、その収入 はあまりなく、女書だけに頼って暮らしていくのは不可能H
だ。現状のままでは開発は成功しないと多くの村民はさ ん思っているようだ。村民の企業に対する不満が高まる 一方だ。女書の開発についてまず村民たちの意見を 聞くぺきだと思う。たHさんの4人の「新伝承
者」は,それぞれ異なる伝承 像を呈している。 開発に対する新伝承者4人 の考え方もそれぞれである。 開発をまったく他人のことと 捉えるSさんもいれば,自ら の行動から開発を支持するR さんもいる。ほかにYさんと Hさんの二人は,政府の望む ような伝承のための開発では なく,逆に開発のための伝承 と捉えているようである。こ のように,4人は女書に対す る意識が多様であり,統一し たアイデンティティが見られ ない。一方,4人とも,地域 住民は女書の開発を通して生 活をすることが可能だとは考 えていないようである。それ は,新伝承者は女書が「観光 文化」になって以後の様子を 予想できないからである。こ の点は後述する新新伝承者の考え方と共通している。 政府が進めている女書文化再構成について,新伝承者はみんな知らないようである。ここか ら,「新伝承者」たちがまだ再構成のプログラムに主体的に関わっていないことがうかがえる。 女書の再構築過程に主体的に関わっていない新伝承者たちは,政府が女書を重視していないと 捉えているのだ。実際には,政府は女書の伝承を非常に重視している。こうした行政と地域住 民のズレについては前節でも触れたが,県政府は表面的な伝承の「場」を提供するハード面だ けの援助を行うだけで,ソフト面での教育や宣伝は不足しているのである。 2新新伝承者 前述したように, 「新新伝承者」のうち,半数以上の人々が出稼ぎに行き,残りの人々が進丁:文化は誰のものか 学や「女書学堂」の関係で 表2調査対象者(新新伝承者)の属性表(2005年) 村に残る。こうした要因に より,調査対象者の女書に 対する態度も大きく二つに 分かれる。そのため,「新 新伝承者」に実施した調 査は全体の意識を代表する とは言えないが,出稼ぎに 出ないで,村に残っている 「新新伝承者」の考えを考察する際には参考になるだろう。女書を伝承せず出稼ぎに行く人々 が「新新伝承者」の半分以上を占めており,少なくとも彼女らの中では,女書は「新新伝承 者」を強く結びつけるような「内面的な」文化とはなっていない。 筆者は女書園の職員を含め,小普美村に残っている8人の女性に対して聞き取り調査を行っ た。調査対象者の基本情報は表2の通りである。 調査結果から,新新伝承者たちの考え方は明らかに二つのグループに分かれることがわかる。 女書園の職員のように,開発(政府や企業の動き)と密接な関わりを持つ人は女書の開発や伝 承にも関心が高い。一方,開発に直接的な関わりを持たない「新新伝承者」達は,経済的に苦 しく,仕事や学業に追われ学ぶ時間が取れないという環境に置かれている。このような人々は, 女書の伝承や開発について考える余裕も無く,態度も冷めており,自文化への「誇り」を持っ ていないようである。 「新新伝承者」の中でも,開発プログラムに少しでも関わる人のほうが,女書への関心は高 い。しかし,同時に政府の女書開発への力不足を指摘する声も強い。前述したように,伝承 者でも女書を自らの文化と捉えず,女書を伝承する意味も理解できず,一方的に政府の開発に よる利益に期待している。新新伝承者は,開発と伝承との関係に関しては,両者を関連のない ものと捉える人もいれば,「開発のための伝承」という捉え方をする人もいる。いずれにせよ, 政府の考えるような「伝承のための開発」というような捉え方をする人はいない。女書の伝承 と開発に対する認識については,県政府と伝承者の間に大きな齪歯吾があり,双方向的な動きに は発展しないのである。伝承者として女書への強い愛着を持たない場合,当然ながら女書を自 文化とする「誇り」は生まれてこない。 番号 年齢 最終学歴 出身村 職業 1 43 小学校 道県・午田村 農民 2 39 高校 江永県・県城 女書園の管理者 3 26 中学校 江永県・小普美村 女書園の職員 4 23 専門学校 江永県・薫江村 女書園の職員 5 16 中学校 江永 ・小 美村 学生 6 15 中学校 江永県・小普美村 学生 7 1 酷 1 、 り、 8 10 小学校3年 江永県・小普美村 学生 3地域住民の反応 現在,「地域住民」の中には,女書の伝承を担っている「伝承者」たちと,女書にほとんど 関わりを持たないそれ以外の一般住民の2っの社会的区分があると述べた。先に県政府の再
白山人類学 10号 2007年3月 構成に対する伝承者たち(前者の一部)の考えにっいて論じた。しかし,女書が「地域文化」 として開発されている以上,プロジェクトに関わる人々として,伝承者以外の一般の地域住民 (後者)の「再構成」に対するアイデンティティを無視することはできない。 筆者は2005年7月,江永県在住の住民を対象として,女書の伝承や開発に関する知識や意 識を問う付録(文末を参照)のようなアンケート調査を行った(原文は中国語)。調査方法は 聞き取りによるアンケート調査を用い,26人を調査対象5)としたが,そのうち有効回答数は 22人であった。村・鎮・県の各レベルにおける調査対象者の状況を表3にまとめた(小普美 村=女書文化村)。アンケートの調査結果から,地域住民の考えについて,次のような特徴が 挙げられる。 まず女書文化の位置付けについて,女書文化村以外の地域住民は,女書を地域文化として捉 えていない人が多い。具体的に言うと,まず同じ江永県の人であっても女書を知らない人がい る(問1)。さらに,女書文化村の中にも女書のことを知らない人がいた。女書の伝承にっい て,現実的な用途や経済利益をもたらさない,習わなくてもいいとはっきり主張する人までい る(問3,問3−2)。 また,学習者の目的について,多くの人は女書が将来的に経済利益をもたらすことがあり得 ると考えている(問3−1,問4)。しかし,女書は本来,女性独特の文化だから伝承すべきであ ると考える人はいない(問4)。一方,県レベルでは,「女書学堂」の存在を知らない人もいる (問6)。このように,女書は地域文化,女性独自の文化として多くの人々に認識されていない ことが分かった。逆に女書文化村の人々は,女書を江永人特有の文化と捉えている人がほとん どであった(問1−3)。同じ地域住民でも,開発・伝承の中心地とされる女書文化村の住民と, その他の地域住民とでは,女書に対する認識の格差があることが明らかになった。 しかし,当の村民 (女書文化村)にせ 表3アンケート対象者の属性表 よ,その他の地域の 住民にせよ,女書の 伝承の意味について, 多くの人は,女書が 経済価値のあるもの に成りうると考えて いるようである(問 【注1無=無学歴/小=小学校/中=中学校/高=高校/ 農=農民/学=学生/商=商業/エ=会社員/幹=幹部】 3−1,問4)。反面, 小普美村 大普美村 上江櫨鎮 江永県 人数(男/女) 9(5/4) 5(0/5) 6(3/3) 6(3/3) 年齢 42.50.54,61 W4,45.55.77,80 14,16,34,49
@59
13,32,37,40@47,51 23,25,33,36@40142
最終学歴 無:4、小:3、?F2、高:0 無:2、小:2、?F1、高:0 無:1、小:3?F1、高:1 無:0、小:2?F2、高:2 職業 農:9 農:3、学:2 農:2、学:1、 、:2、幹:1 エ:1、商:5 5)村・鎮・県の3つのレベルに分け、それぞれ出会った人に聞いた。丁:文化は誰のものか 自分自身の文化,あるいは精神生活を支える文化だから,内心から守ろうという意識はあまり 見られなかった。ここでは,生活文化に代わる新しい機能である観光文化としての女書はいま だ地域住民の中に定着せず,意味づけられていないと言えよう。 もう一つは県政府による女書の「再構成」についてである。県政府が中心となって進めてい る女書の「再構成」過程に,地域住民(先に紹介した伝承者を含めて)が積極的に関わること はほとんどなかった。さらに,問10の回答に見られるように,政府の開発施策の具体的な内 容を誰も認知していない。県政府は,「女書学堂」という伝承の「場」を作り,現在の女書学 習の基礎作りに貢献したにもかかわらず,その意義はほとんど地域住民に認識されていないよ うである。問4の結果から,地域住民は,学習者の学習目的(動機)には政府の提唱の影響が あるとは考えていない。 このように,地域住民にとって,県政府による女書文化の「再構成」は,自らの文化の「再 構成」ではなく,どこか遠くにある他人の文化を「再構成」しているように映っている。女書 を学ぼうというモチベーションが低くなるのは当然のことであろう。これを裏付ける理由とし て,問8の結果では,政府の開発プロジェクトに対して,自分自身と関係ないと無関心の人も いれば,女書を開発してもしなくても,どちらでもよいという態度を示した人もいた。問1−2 のところで,政府の宣伝によって女書の存在を知ったと答えた人は一人もいなかった。行政は 地域外部に向けて熱心に宣伝しているにもかかわらず,当の地域住民はそうした状況(地域外 での女書の評価)を全く知らないようである。こうした環境に置かれている地域住民に,女書 の再発見および再構成は地域内部にあまり影響を及ぼさないと捉えられるのは当たり前のこと であろう(問11)。さらに,今後の女書文化の展望にっいて地域住民に聞くと,多くの人は分 からないと答えた(問13)。女書が観光開発と結びつけられて発展していくような様子は誰も 想像していないようである。 こうして前の「新伝承者」と「新新伝承者」の事例を踏まえ,(伝承者を含めた)地域住民 は,県政府による女書文化の「再構成」を受動的に受け止めていることが分かった。その原因 は女書文化が地域住民の中で意味づけられておらず(何のために伝承するのか,という目的意 識が欠落しており),表面的な「形」として伝承され,地域住民の中には「内在化」されてい ないからである。さらになぜ「内在化」されていないかというと,地域住民は女書文化の経済 的・文化的価値を一部の人々に限って認識しているようであるが,「経済的利益」がともなわ ないことにより,伝承を中断しているからである。また,経済的な価値(今の時点で企業にあ る)も十分に手に入れていないからである。 地域住民は自文化の価値を再発見し,つまり女書を「観光文化」として再認識し,「内面」 から女書文化に対するアイデンティティを形成してはじめて,自文化への「誇り」が生まれ, 白発的,主動的に女書の伝承に取り組むようになるだろう。ここで先に提起した「文化とは一