源氏物語評釈の異板 -架蔵本二種を巡って-
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(2) 源氏物語評釈の異板 ── 架 蔵本二種を巡って ─ ─. はじめに. 伊 藤 一 男. 語評釈』の諸板について、どのように見られているか、森川彰・. 多治比郁夫「『源氏物語評釈』の出版事情─河内屋茂兵衛あて. 調査は十分でないが、所見本のみについていえば、藤花模. 『源氏物語評釈』初編八冊の板本は、惣論二冊、桐壺・帚 木・空蝉・夕顔各一冊、語釈・余釈各一冊よりなる。板本. 萩原広道書簡─」に見える多治比郁夫の説明を見ておく。. 事情を知ることができる。どのような経緯で出版に至ったか、. 萩原広道という人は、たいへん筆まめで長文の書簡を数多く 残した。そのお蔭で、 『源氏物語評釈』の作成に関わる様々な また、その異色な販売形態故、通常、書林の処理に任せておけ. 様表紙、「夕顔」巻末に「嘉永六年癸丑新刻/鹿鳴草舎蔵 (朱印). ばよかったことにもひどく悩まされた。それらを確認するだけ 『源氏物語評釈』 の諸本については、 広道の代表的著作である 伊井春樹編『源氏物語注釈書・享受史事典』に「版はいずれも. 図」 を載せる。群鶴模様表紙をもつ版では「惣論上 (首上) 」. て「余釈」の四〇ウ・四一オに朱墨二色刷の「中河の家の. でも充分におもしろい。. 同じだが」とするように、一部違いはあっても、取り上げるほ. 板 印(鹿鳴草舎)」とあるのが初版である。同じ表紙で印 記 を 欠 き、 「発行書林」の連名を載せる版もあるが、すべ. どの差異ではないというのが標準的理解だと思われる。. を欠き、このところの柱の丁付けを「四十ノ四十一」と改. 校正 源氏物語評釈/ の 見 返 し に、 「萩原先生著 初帙八冊/ 訳 注 鹿鳴草舎蔵板」の刻があるが、「余釈」の「中河の家の図」. ところで、今手元に二種の『源氏物語評釈』がある。この二 種の記述を比較すると、まったく異なった結論を述べていると. 刻する。. 山崎勝昭「『源氏物語評釈』─出版と作品─」では、多治比 の説明を元に、さらに詳細な検討を加えているが、煩雑となる. ころが見える。その違いについては、どうも今まで着目されて こなかったようである。そういう違いのある板があることを指 摘するというのが、本稿の主たる目的である。通常、 『源氏物. - - 1.
(3) ので、本稿では多治比の説明に従って、表紙、夕顔巻末の記載、 刊記、「中河の家の図」 、見返しについてを中心に見ていくこと とする。. 装丁(書袋・帙) 架蔵十三冊本は、よくある紺地の無双帙に十三冊が納められ るが、帙に張られた題簽は白紙で、最初から添えられていたも のではないと推定される。架蔵八冊本の方には書袋が添えられ ている。その書袋に納められている、というのが最初の形態で. - - 2. あったものと思われる。 また、十三冊本には黄地の見返しが貼付されている。第一期 の一冊目、 首上には「初帙八冊」と記され、 第二期の一冊目「若 紫」の見返しには、 「二帙五冊」と記されている。この二種の 見 返 し は、 「初」と「二」 、 「八」と「五」以外の部分は同一で あるように見受けられる。さらにいえば、とくに「初帙八冊」 のほうは、書袋とまったく同一に見える。多分、最初書袋とし ていたものの天面を、そのまま見返しに転用したものと思われ る。なお、書袋の地面には、次のような文言が刷られている。 五十四帖評釈并餘釈語釈共五六帙 ニ相分 チ年々嗣出 可致且製本寸法毫厘も相違不致様今調候間連々御揃 鹿鳴草舎門人誌 御覧可被成候 また、上部やや右寄りに経五六㎜の朱丸印、 「鹿鳴草舎塾蔵」 の下部に一九㎜×一八㎜の「文栄堂」の朱角印、左側面に三六. 八冊本書袋.
(4) 十三冊本首巻見返 十三冊本若紫見返. ㎜×二九㎜の「浪花心齋橋南久宝寺街伊丹屋善兵衛製不記」の. 角朱印が捺されている。おそらく、これらは書店の扱印で、朱. 印の捺されていないものが原型かと思われる。第一期八冊、第. 二期五冊が書袋に収められた形で頒布されたものであろう。な. お、 「二帙五冊」の書袋は未見であるが、山崎勝昭が、刈谷市. 中央図書館に納められたものの上包みとして紹介しているのは. これと同一と思われるが、こちらには「二帙五冊」のものも存 しているという。. 表紙. 表紙は、架蔵八冊本は藤花模様、同十三冊本は群鶴模様であ る。ただし、この模様は表面からはほとんど確認できないが、. 見返し部のはがれたところで確認できる表紙裏にははっきりと. 模様を見ることができる。なお、表紙色も異なっており、藤花. 模様の表紙は緑青、群鶴模様の表紙は青となっている。また、. かつて目にしたものでは、紫に近いものもあったかと思うが、. その模様がどうであったかには記憶がない。. 中河の家の図. 空蝉の余釈は、四十丁裏と四十一丁表に、長澤伴雄の手によ る「中河の家の図」が朱(帚木巻記事)墨(空蝉巻記事)二色. で掲載されていたが、後に図は省かれ、四十丁表から四十一丁. 裏に直接続き、柱には「○四十ノ四十一」と記される。青木賜. - - 3.
(5) 八冊本余釈一四〇オ・四一ウ. 十三冊本四〇ノ四一. - - 4.
(6) されたと推測される」としている。八冊本と十三冊本、それぞ. は、およそ九か所の字体の違いから、 「被せ彫りによって改刻. 鶴子「萩原広道『源氏物語評釈』初版八冊本から十三冊本へ」. 寺町通仏光寺 河内屋藤四郎/江戸日本橋通壱丁目 須 原屋茂兵衛/同弐丁目 山城屋佐兵衛/同弐丁目 須原. 岡 村 屋 庄 助 」 と し、 『源氏物語余釈』に…「書林/京都. に、 「 萩 原 鹿 蔵 著 述 / 江 戸 下 谷 御 数 寄 屋 町 / 発 兌 書 林 . 一目で違いのわかる文字が多い。私に数えてみると、一五%以. や「に」、 「の」 、 「し」をはじめ、線の長さや角度の違いなど、. 明前 岡田屋嘉七/同 和泉屋吉兵衛/大阪心斎橋筋本. 道 英文蔵/同大伝馬町弐丁目 丁子屋平兵衛/同芝神. 屋新兵衛/同南伝馬町壱丁目 山城屋政吉/同下谷御成. れの当該図版をを掲載したが、詳細に比較してみると、 「ハ」. 上の文字は、明らかに異なっている。これだけ異なるというこ. 町角 河内屋藤兵衛/大阪心斎橋筋博労町角 河内屋茂 兵衛版」. 同 山城屋佐兵衛/大阪 敦賀屋九兵衛梓」 ⑤夕顔末の「嘉永六年云々」など同じ版ながら、書肆が次 小林喜右衛門/同. . のようにある。「東京 吉川半七/同 大倉孫兵衛/同 林平次郎/西京 佐々木惣四郎/ . 同 福井源治郎/同 若林茂一郎/同 松田正助/大阪 市東区南本町四丁目五十番屋敷 森本専助/大阪市南区. となっているが、板木の一部の欠けたものではないかと思われ. 心斎橋筋一丁目六十七番屋敷 松村九兵衛」 ④の「美濃屋伊八」は中京大学図書館蔵本では「美濃屋伊六」. . /勢州津 篠田伊十郎/尾州名古屋 美濃屋伊八/西京 銭屋惣四郎/同 丁子屋茂兵衛/東京 須原屋茂兵衛/. 兵衛/阿州徳島 天満屋武兵衛/淡州須本 久和志満屋 文蔵/加州金沢 近岡屋太兵衛/越中富山 上市屋卯助. ④同版ながら、巻末の書肆は…「発行/讃州高松 本屋茂. とは、被せ彫りでのずれというよりは、板下の作成が敷き写し によるものと考えた方が納得がいく。いずれにしろ、字体、字 配り等、非常に近しいものであることは確実である。. 刊記 「版はいずれも 『源氏物語注釈書・享受史事典』によると、 同じだが、刊記の違いによって次のような諸本が存する」とし て、五種類を数える。 ①「皇漢洋今古書類自家積年発兌セル者ト其集蔵啻ニ充棟 載車ノ夥キノミナラズ品位精工價程清廉以テ四方君子ノ 愛顧ヲ待ツ/文栄堂蔵版 東区南久宝寺町四丁目八番地 /阪府書林 前川善兵衛」 ②第四冊「夕顔」末に「嘉永六年」の刊記…裏表紙見返し に、 「萩原鹿蔵著述」とし、 『源氏物語余釈』の裏表紙見 返しにも「萩原鹿蔵著述」とある ③第四冊「夕顔」末に「嘉永六年」の刊記…裏表紙見返し. - - 5.
(7) る。. 記が付された際には、 この書袋が付随していたものと思われる。. 伊丹屋善兵衛」まで十人が並ぶ。最後の伊丹屋善兵衛は、書袋. 八冊本夕顔裏表紙見返. 側面の朱印の人物である。これから考えると、夕顔末にこの刊. 架蔵十三冊本は、語釈一の裏表紙見返しと、語釈二を合冊し た余釈二の裏表紙見返しに、①と同じ刊記が見える。刷面の状 況から、同一の版を用いたものであろう。 「嘉永六年癸丑新 架蔵八冊本は、夕顔の五十六丁裏中央に、 刻/鹿鳴草舎増板」とあり、朱印はない。さらにそれに面した 裏表紙見返しに、発行書林として、 「江戸日本橋通壹丁目須原. 惣論. 惣論の一丁裏は、内容が大きく異なる。次に一丁の画像と、 その翻刻を掲げる。. 一丁表と、一丁裏の十一行目以降は、用いられている漢字や 字配り等、まったく同じであるが、詳細に見ていくと、筆の運. びや崩し方、平仮名の字母も異なっている。この部分について. まったく異なっている文字に囲みを施しておいた。このことか. らすると、空蝉余釈の場合とは違い、この一丁分は、新たに板. 下から書き起こしたものと思われる。. - - 6. 屋 茂 兵 衛 」 か ら「 同( 大 阪 南 久 宝 寺 町 ) 心 齋 橋 通 南 久 寶 寺 町 . 語釈一裏表紙見返 余釈二裏表紙見返.
(8) 八冊本総論一丁. 十三冊本総論一丁. - - 7.
(9) 2. 一丁表 1 3 4 5 6 7 8 9. 校正譯注源氏物語評釋首巻. ル . ノ . 萩原廣道著 ノ 上 総論 ナ 号の事 源氏物語といふ題 ノ ノ ク 源氏物語といふ名の 事 は .本居翁の玉小櫛に云.大かたもろ〳〵の物語の名の例. ムネ ノ おほくは其中に主としていふ人の名をもてつけたり.此物語もそのでう に て .. 光源氏君の事をむねとしてかける故に.源氏の物がたりとはいふな り 云 々.さて ル ノ 物語の名.光 源 氏 の物 語 と いふべし. た ゞ 源氏物語とはいふべきに あ ら ず.といふ人. ル. ノ. ト. ト . . . -. モト. -. テ. ニ. ツ. ヺ. ス. ト. リ メ . エミシ. ク. キ . - - 8. あれど.さしも あ ら ず.はやく作りぬしの日記にも.たゞ源氏の物がたりといへるを ノ ノ ク や。といはれたり.此説のごとし.さて 源 氏 の 事 は 、岡部翁の 源 氏 新釈に云. ノ ノ マコト. ハ . 国史また新撰姓氏 録 な どを案ずるに.嵯峨天皇弘仁五年 に . 皇子 信 公以下男 ノア ソ ン メ タマ ツラ 女八人 に . 始て 源 朝 臣の姓氏を賜はりて.左京に貫 ね 給 ひしより. 皇 子 に 氏賜. メ . ノ . はるは専ら源氏なり.諸抄に.此時三十餘人に始て源氏を賜る.といへるは委しからず. ハジメ. ヺ. ノ. 最初八人にて.次々に三十餘人には至れるなり。といはれたるがごとし.源字の事ハ.舊説に. ノ. メ . ト. 九河 之源 の義に祝して用る也.とあり.また伊藤長胤が秉燭譚に云 .北魏 濫觴小水爲 二 一. ク. 3. ノ. テ. を賜ふ事.源賀が傳にあり.本朝にても源氏は皆皇族より出つ.同一義なり。といへり. ハ. の時.源賀に始て源姓を賜ふ.源賀は本魏の皇族にて.源を同じうするに因て.始て源姓 ノ. 4. ス. かの国の史を考るに.げにも此事ありて.源賀禿 髪傉 檀之子也云云.太武謂曰.卿與. カラブミ. の御時は.殊に漢籍をもてはやし給へれば.委しく議定られて北の 狄 が同源の義. 八冊本総論一丁翻刻. 朕同 源 .因 事 分 姓 .今可 爲 源氏 .と見えたり.されど此説はいかゞあるべき.嵯峨 天皇 レ レ レ レ 二 一 レ. 8. アト. に依給ふには非るべし.されば源氏をば殊に重みし給ひて.皇子の氏にのみ賜へる ク . 玉小櫛に云.中むかし の ほ ど物語といひて一くさのふみ あ り .物語とは今の世に モジ はなしといふことにて. す な は ち昔ばなし也.日本紀に談といふ字をぞ.ものが. ノ . 例となれるは.嵯峨の御時のめでたき蹤に因給ふなるべし.さて物語といふ事は.. リ . 9. 7. 6. 5. 2. 一丁裏 1. 12 11 10 12 11 10.
(10) 2. 一丁表 1 3 4 5 6 7 8 9. 校正譯注源氏物語評釋首巻. ル . ノ . 萩原廣道著 ノ 上 総論 ノ ナ 物語といふ題号の事 源氏 ノ ノ ノ ク 源氏物語といふ名の 事 は .本居翁の玉小櫛に云.大かたもろ〳〵の物語の名の例. ムネ ノ おほくは其中に主としていふ人の名をもてつけたり.此物語もそのでう に て .. 光源氏君の事をむねとしてかける故に.源氏の物がたりとはいふな り 云 々.さて ル ノ 物語の名.光 源 氏 の物 語 と いふべし. た ゞ 源氏物語とはいふべきに あ ら ず.といふ人. キ. ノ. ル. -. ノ. ト. . . -. ヺ. テ. -. -. -. -. ニ. ツ. ヺ. イマオモフ. シ. ス. ノ . ト. -. カラブミ. 十三冊本総論一丁翻刻. - - 9. あれど.さしも あ ら ず.はやく作りぬしの日記にも.たゞ源氏の物がたりといへるを ノ ノ ク や。といはれたり.此説のごとし.さて 源 氏 の 事 は 、岡部翁の 源 氏 新釈に云. ノ ノ マコト. ハ . 国史また新撰姓氏 録 な どを案ずるに.嵯峨天皇弘仁五年 に . 皇子 信 公以下男 ノア ソ ン メ タマ ツラ 女八人 に . 始て 源 朝 臣の姓氏を賜はりて.左京に貫 ね 給 ひしより. 皇 子 に 氏賜. メ . はるは専ら源氏なり.諸抄に.此時三十餘人に始て源氏を賜る.といへるは委しか ハジメ. らず.最初八人にて.次々に三十餘人には至れるなり。といはれたるがごとし.源字の ト . 九 河 之源 の義に祝して用るなり.とあり.今 案 に.伊藤 事ハ.舊説に.濫 觴小水爲 二 一 ク . 3. 源を同じうするに因て.始めて源姓を賜ふ事.源賀が傳にあり.本朝にても源氏は. 長胤が秉燭譚に云.北魏の時.源賀に始めて源姓を賜ふ.源賀は本魏の皇族にて. モト. 4. コヽロ. ス. 皆皇族より出つ.同一義なり。といへり.かの國の史を考るに.げにも此事ありて. ク. 6. 朕同 源 .因 事 分 姓 .今可 爲 源 氏 .と見えたり. 源賀禿 髪傉 檀之子也云々.太 武謂 曰.與 レ レ レ レ レ 二 一 ノ . テ. 7. 大かたは長胤がいへりしごとく.同源の 義 にて賜へるなるべし.さる故に源氏をば殊に. されば舊説はいかゞあるべき.嵯峨天皇の御時は.殊に漢籍をもてはやし給へれば.. ノ. 8. ク . 玉小櫛に云.中むかし の ほ ど物語といひて一くさのふみ あ り .物語とは今の世に モジ はなしといふことにて. す な は ち昔ばなし也.日本紀に談といふ字をぞ.ものが. ノ . 重みし給ひて.皇子の氏にのみ賜へる例とはなりにけん.さて物語といふ事は.. ハ. 9. ノ . 5. 2. 一丁裏 1. 12 11 10 12 11 10.
(11) 頭にない。それに対して、東涯説は、漢籍を典拠とすることに 重きを置く。. ところで、惣論の板が一度改められたということは、早くか ら知られていた。嘉永七年二月六日の河内屋茂兵衛宛の書簡に. 「源」という氏の由来について論 内容が異なっているのは、 じているところである。 「濫觴小水為九河之源」─中国の大き. 次のくだりがある。. な九つの河 (江・河・瀁・沇・淮・渭・洛・弱・黒) も、 觴 (盃) から濫れた、または觴を濫べるほどの少しの水から発したもの. うか. であるの意─に由来するとし、大河の水源を意味する「源」と. さて又昨日御出し被下候五部、前之三部は総論本文小口一 丁、先達而彫替之丁と奉存候へども、跡の弐部もしや本の. あふ. いう、大いなる繁栄の祝意を籠めたものとするのが、長い間の. 同源であることから、源賀に源姓を賜った─に拠るとする異論. それに対して、伊藤長胤(東涯)が随筆『秉燭譚』で主張し た、『魏志』の「源賀伝」に見える記事─源賀と太武の系譜が. 候、大抵は御ぬかりは被下間敷と奉存候へども、為念御た. 口直しの分弐部残り居申候に付、為念御使へ嘱しさし上申. 処、途中にて及深更候故、御無音申上候、私方へいまだ小. 源氏物語の注釈で主張されてきたことである。. を、どちらが妥当であるかというところである。. 候哉. 架蔵十三冊本では、 「されば旧説はいかゞあるべき.嵯峨天 カラブミ 皇の御時は.殊に漢籍をもてはやし給へれば」と、源賀伝を典. うところから、大河の水源という旧注の説を可とする。. 尤先日五部之本、一本は願済納本に出し、壱本は町方願に 遣ひ、跡は岡村と前田、山内に見せ本に留置候よし、跡追々. る。. さらに、同年五月朔日の河内屋茂兵衛宛書簡には次の一節があ. 五部、小口一丁を改訂したものを送ったはずだが、手元に改訂. づね申上候、もし二部分小口本のまゝに候はゞいかゞ可仕. まゝの物には無御座候哉と存候に付、夜前一寸罷出かけ候. 説に対して、 「されど此説はいかゞある 架蔵八冊本は、東エ涯 ミシ リ べき」とし、 「北の 狄 が同源の義に依給ふには非るべし」とい. 拠だとする。. 岡村へ向け御指出し可被遣と申事に候間、かのかの小口壱. 『源氏物語評釈』の出版事情」によった。 こ の 書 簡 二 通 は「 なお、一部表記を変えたところがある。. 版が二部残っているので、送り損なった肺内かというのである。. 趣意は正反対である。賜姓として「源」の選ばれた理由にど ちらがふさわしいかということである。旧説の「濫觴小水…」. ノ . は出典が見当たらない。 『荀子』 に 「昔者江出於岷山、 其始出也、 うか. 枚、前田考之通之方御つけ御遣し可被成候 あふ. 其源可以濫觴」─揚子江の水源は岷山にあり、その始まりは觴 (盃)から濫れ出る(觴を濫べる)ほどのものであった─とい う同一趣旨の一節はあるが、引き方からすると、 『荀子』は念. - - 10.
(12) 意見によるものであることは認めてもよいのではないかと思. 現在残っている『源氏物語評釈』には、惣論冒頭部に異なる 二種が存在しており、それが改板願いの申請の際、前田夏蔭の. とが、「『源氏物語評釈』の出版事情」に指摘されている。. 大きく、売払願には、広道が夏蔭の門人として記されているこ. おいては、今まで見過ごされてきた総論の違いを指摘した。『源. 記される住所など、検討が必要なことはまだまだ多い。本稿に. た、刊記やそこに名前の挙がっている書肆であったり、そこに. があるものと思われる。表紙であったり、題簽であったり、ま. おり、十三冊本の方が後の刷りであることは、一見して了解で. 架蔵八冊本と十三冊本は、匡郭の欠け具合、点画など文字の 摩耗や破損の状況を見ると、一部を除いて同一の板木を用いて. おわりに. う。しかし、 どちらが原型であるかについては、 判然としない。. 氏物語評釈』は、残されたものも多く、材料には事欠かない。. 小口一丁の改訂は、前田夏蔭の指示によるものであったとい う。また、このときの五本のうちの一本は夏蔭に送ることとし. 素直に考えれば、古い方の板が初期形だといえそうである。し. さらに詳細な調査、検討がなされることを期待する。. ている。『源氏物語評釈』の出版に当たっては夏蔭の力添えが. かし、板行許可願提出前に改刻したのだとすると、改刻後の板. ─河内屋茂兵衛あて萩原広道書簡─」. ( 『混沌』七・昭和五十六年八月) 森川彰・多治比郁夫「『源氏物語評釈』の出版事情. . ( 『混沌』五・昭和五十三年九月) 森川彰「萩原広道書簡─美濃尾張旅行─」. . 『大阪府立中之島図書館紀要』一四・昭和五十三年三月) ( 森川彰「『源氏物語評釈』の出版─広道書簡─」. 平野翠「河内屋茂兵衛書簡集」. 井上通泰『萩原広道消息』. 【参考】. きる。しかし、それ以上の点については、まだまだ調査の必要. が流布したとする方が自然である。ではなぜ異なった板が見ら れることになったのであろうか。 夕顔巻末の「鹿鳴草舎蔵板」という記載からすると、最初、 板木は鹿鳴草舎塾の所蔵であったものと思われるが、十三冊本 の刊記では「文栄堂蔵版」となっており、板木の売却があった ものと思われる。その際、改刻前の総論一丁が渡された、とい うような状況も想像できそうである。申請時改めたものを、後 に元に戻したというようなことであったかもしれない。埋木な どによる一部の改刻であれば、古い板は残っておらず、元に戻 すには結構な手間が必要となるが、先に見たように、惣論の一 丁はまったく新しい板であり、全面的な差し替えはたやすい。. . . - - 11.
(13) ( 『大阪府立中之島図書館紀要』二五・平成元年三月) 一日会『櫻井次郎先生還暦記念 萩原廣道書簡』 (中尾松泉堂・平成十二年三月) 伊井春樹編『源氏物語注釈書・享受史事典』 (東京堂・平成十三年九月) 青木賜鶴子「萩原広道『源氏物語評釈』の版木と出版」 『上方文化研究センター研究年報』一〇 ( ・平成二十一年三月) . 青木賜鶴子「萩原広道『源氏物語評釈』初版八冊本から十三 冊本へ」 ( 『百舌鳥国文』二〇・平成二十一年三月) 『源氏物語評釈』─出版と作品─」 山崎勝昭「 ( 『葭』二一・平成二十二年二月) 」 青木賜鶴子「萩原広道『源氏物語評釈』の版木と出版(続) ( 『上方文化研究センター研究年報』一五 ・平成二十六年三月) (ユニウス)が出版さ ※本年三月、山崎勝昭『萩原広道』 れたことは知っていたが、私の怠惰から未見である。総論 の異板について、すでにご指摘があったとしたら、まこと に申しわけなく思う。 ※本稿は、 平成十年度語学文学会大会(平成十年十一月六日) 、 平成二十八年度同大会(平成二十八年八月三十日)での研究発 表を本にしている。発表時にいただいたご示唆に感謝する。. - - 12.
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