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『新選沙石集』(『仏法奇妙集』)と『三国伝記』

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Academic year: 2021

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(1)Title. 『新選沙石集』(『仏法奇妙集』)と『三国伝記』. Author(s). 竹ヶ原, 康弘. Citation. 国語論集, 17: 50-59. Issue Date. 2020-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/11240. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 第一. 巻数・話数. 4. 3. 2. 1. 通算. 小児念仏のくどくを得る事( ―. 唐の師東めいどよりかへる事( ―. 玄賓僧都とんせいふなわたしの事( ―. 鎮尽法花懺法によつて命をのぶる事( ―. )漢. )和. 康 弘. )漢. 2. )和. 4. 12 11 4. 6. 13. 4. 4. ( 79 ). 竹 ヶ原. 一、 『新選沙石集』収録説話と 『 三 国 伝 記』 本 節 では 『新 選 沙 石 集 』収 録 にさ れた説 話 の一 覧 と、その特徴 に ついて整理したい。以下に 『新選沙石集』に収録された説話の外題一 覧を別表1として提示する。題名の後の( )は 『三国伝記』の巻数・ 話 数 を示 し、括 弧 の後 に梵 ・漢 ・和 (インド・中 国 ・日 本 )の別 を記 し た。別表の作成に、 『新選沙石集』は前出黒田論文と仏教物語叢書、 および名 古 屋 大 学 附 属 図 書 館 蔵 小 林 文 庫 本『仏 法 奇 妙 集 』を用 い た。 『三国伝記』は池上洵一氏校訂の 『三国伝記』(以下、 「版本」)を 用いた。以下、特に記した場合を除き、 『新選沙石集』と 『 三国 伝 記』 のテキストはこれらを用いる。. 第一. 5. 4. 題名・『三国伝記出典』・梵漢和の別. 第一. 1. )梵. 第一. 2. 阿弥陀如来因位の事( ―. 第一. 3. 別表1 『新選沙石集』収録話一覧. 6. 4. 9. 5. −50−. 『新選沙石集』(『仏法奇妙集』)と 『 三 国 伝 記』. 序 本 稿は 『 新 選沙 石集』、別名『新沙 石集』『仏法奇妙集』と名付け られた江 戸期 の仏 教説 話集 と、その元 となった説 話集『三国伝記』 との関係について数点の検討を試みるものである。 書名は 『 新 選 沙 石 集 』となっているが、無 住 の 『 沙 石 集 』とは関 係 なく、室町期に成立したとされる仏教説話集『三国伝記』の抄出本 である。大 正 期 に仏 教 物 語 叢 書 (文 明 堂 )の第 一 編 として翻 刻 (浜 口 恵璋 校訂)されているが、頻 繁に使用される説 話集ではないと言 えよう。 本 書 の伝 来 については、黒 田 彰 氏 の論 考「 新選 沙 石 集(仏 法 奇 妙 集)のこと―三国伝記の一異本」に詳しい。また、 『新選沙石集』の本 『 三 国 伝 記 』国 会 図 書 館 蔵 本 と版 本 、あるいは、版 本 を元 に 文 は、 したと考えられている平仮名本のうち、版本の本文を和様に改めた 文に近いとの指摘が松尾譲兒氏によってなされている。 このよう な先学の指摘は存在す るが、 「(『新選 沙石集』は)『三 国 伝記』の抄 出本 」という 指摘や、あるいは 『三 国伝記』の古態を検討 する際の材料としての使用に留まり、本書そのものの特徴や本文に ついての詳細な検討には到っていないのが現状と言える。 本稿では、 『三国伝記』から 『新選沙石集』を抄出した際に生じた と考 えられるいくつかの特 徴 から、本 書 の性 格 について些 かの検 討 を試みてみたい。 2. 4. 1. 3. 5. 8. 7.

(3) 応俊禅師の事( ―. )漢. )梵. 第一. )和. )梵. )漢 )和. )漢. 戴淵といふ盗人の事( ―. そとば利益の事( ―. )漢. )和. )漢. )梵. )梵. )梵. )和. )和. )漢. ( ―. 釈尊成仏因の事 並そとばくどくの事( ―. 神母が牛にひかれて仏寺にいたる事( ―. 不動貴験の事( ―. 望西びくの事( ―. 瞋恚のびくどくじやとなる事( ―. 沙門道乗瞋恚をやめ往生を得る事( ―. )和. 破りて蘇生する事( ―. 婦のことばを信してあみだ仏の名号を唱へて地獄を. 信濃国とんせいじやわうじやうの事( ―. 道鳴法師が事 並法華経くどくの事( ―. 善愛女が事( ―. )梵. )漢. )梵. )和. 師氏大納言の事 並空也上人ゑんまわうぐうへ状の事. げんじやう三ざう天竺にわたる事( ―. 光明皇后の事( ―. りうじゆ大士術法のむかしの事( ―. 行基ぼさつの事 付日本霊鷲山の事( ―. しゃかによらい出世の事( ―. 尾州成清子息とんせいわうじやうの事( ―. 第二. 第二. 波斯匿王国の珠をぬすみ仏道に入る事( ―. 第二. 第一. 第二. 第一. 第二. 第二. 第二. 第二 第二 第二 第二 第二 第二 第二 第二 第二. 地蔵ぼさつ過去に女人となりその母の生所をたづね. 第三. 第三. 第三. 第三. 第三. 第三. 第三 第三. 第三 第三 第三 第三. 第四. 第四. 第四. 第四. 第四. 第四. 第三. 第四. 第四 第四 第四 第五. )和. )漢. 賤下女地蔵講の功徳により蘇生する事( ―. 和州藤井の安基蘇生の事( ―. もろこしの恵心法花経をよむ事( ―. )梵. )和. )和. )梵. )和. )和. )和. )漢. ( ―. 貧女勝鬘経を受持して現身に皇后となる事. 阿維精舎の二比丘の事( ―. 瘂女石山寺にまうで物いふ事( ―. 長明と国助とが明月歌の事( ―. )和. 大般若書写のくどくにより蘇生の事( ―. 黒僧安勝が事( ―. 周利槃特の事( ―. )漢. )梵. )梵. )漢. )和. )梵. )和. )梵. )漢. 縁起の事( ―. 信州さらしなのこほり白介翁が事 付新長谷寺. 富楼那尊者の事( ―. 釈のちみやうの事( ―. 聖徳太子の事( ―. 曇鸞法師の事 付観経の事( ―. )梵. 満足尊者餓鬼道を見る事( ―. 恵心院源信僧都の事( ― 慳貪女の事( ―. 江州増てのおきなの事( ―. )梵. 釈の携恵わうじやうくはんぎこくの事( ―. 髪をぬく男の事( ―. )和. )漢. 西域のはらもん手よりひかりをはなつ事( ―. 慈覚大師夢に不死の薬を服する事( ―. 比丘僧感夢に極楽の地にとぶ事( ―. ( 80 ). 第二. 第三. )梵 )漢. 苦をすくふ事( ―. −51−. 3. 5. 4. 悪業の罪人地蔵菩薩に遇ひ苦を免る事( ―. 24. 22. 5. 5. 5. 5. 5 25. 12 3 12. 30. 5. 15. 14. 6. 10. 11 24. 5. 28. 8. 12. 1. 26. 7. 25 6. 25. 第二. 第三. 38 37 36 35 34 33. 32 31 30 29 41 40 39. 5. 5. 21. 24. 8. 23. 5. 3. 3 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42. 4. 4. 12 2. 26. 27. 3 6. 27. 8. 2. 2. 2 3. 6. 1. 25. 3. 4 52. 1 2. 7. 3 3. 19. 9. 3 11. 11. 2. 19 23. 1. 17. 1. 17. 18 17 16 15. 21. 25 15 8. 2 26 25 24 23 22 21 20 19. 2. 2. 3. 3. 3. 3 27. 5 12 11 10 9 1. 6. 4 28. 6 15 14 13 2. 7. 5 10 9. 7 10 9. 3. 8. 6 18 17 16 15 14 13 12 11. 8 1. 4. 14 13 12 11 10 9. 7 1. 30 19 24. 1. 1. 5. 6. 10 14. 2. 6. 7. 5. 7. 8. 5. 8. 1 8 2.

(4) 第五. 第五. 第五. 第五 第五. 第五. 第五 第五 第五. 第五 第五 第五 第五. )梵. )漢. )和. )和. )漢. 乞食の尼単衣を得て清水寺に奉加の事( ― 賊比丘をしばる事( ― 魏敬徳居士くはんをん信仰の徳の事( ― )梵. 善知識のすゝめによつて往生をとぐる事( ― 尸毘大王鳩にかはり給ふ事( ― )梵. 山伏延好が立山にて亡女言伝する事( ― 乞食沙門の事( ― 桑をとる女閔王の后となる事( ― )梵. )和. )和. )和. 帰依の憎教化なくだんな蛇道におつる事( ―. 延暦寺章忠阿闍梨わうじやうの事( ― 高光少将とんせいわうじやうの事( ― )梵. 和州片岡の貧者住生 付当麻曼荼羅の事( ―. 波羅奈国の比丘因果のがれさる事( ―. )和. もに版本・仏教物語叢書に欠落している三話を足したものである。. 浜 口 恵 璋 校 訂『新 選 沙 石 集 』より作 成 。話 数 は巻 ごとの話 数 ・総 話 数と. ※黒田彰氏「新選沙石集(仏法奇妙集)のこと―三国伝記の一異本」と、. 65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53. 以上が 『新選沙石集』収録の説話であるが、 『三国伝記』と比較し た際に最大の特徴として挙げられることとして、梵・漢・和の説話配 列をとっていないことがある。 『三国伝記』は各巻三十話の説話を梵 漢 和 の順 に配 列 しているのだが、 『 新 選 沙 石 集 』は別 表 1の通 り、巻 第一の冒頭は梵漢和の順に説話を配しているが、他に梵漢和の順に 説話が配されているのは、. ④巻第四、七話から九話 ⑤巻第五、三話から五話 ⑥同、八話から十話. 巻第一→四話(六・二パーセント) 巻第二→八話(一二・三パーセント) 巻第三→九話(一三・八パーセント) 巻第四→八話(一二・三パーセント) 巻第五→一一話(一六・九パーセント) 巻第六→三話(四・六パーセント) 巻第 七→〇話 巻第八→二話(三・一パーセント) 巻第九→八話(一二・三パーセント) 巻第一〇→五話(七・七パーセント) 巻第一一→四話(六・二パーセント) 巻第一二→三話(四・六パーセント). ※別表1を元に算出。. の七 カ所 のみである。これらの説 話 群 のう ち、 『 三 国 伝 記 』において も連続で説話が配されていたのは二例で、①が 『三国伝記』では巻第 二 の二 十五 話 から二 十 七話を出典としており、③が 『三国伝記 』で は巻 第 五 の一 話 から三 話 を出 典 としている。つまり、他 の五 例 は偶 然に梵漢和の配列になったものと考えられる。 『三国伝記』から 『新選沙石集』が抄出された際のもう一つの特徴 として、巻 第 七 から採 録 さ れた説 話 が存 在 していないことがある。 以下に具体的な数値を挙げる。. 10. 最 多 は巻 五 で、次 いで巻 三 、巻 四 ・八 からの採 録 が多 い。ここで、. ( 81 ). 11 1 24 10 21. 2. ①巻第二、七話から九話 ②同、十二話から十四話 ③巻第三、一話から三話. −52−. 9. 11 10. 9 22 27. 22 10 2. 24. 9. 10. 9. 15. 11. 7. 9. 9 9. 9. 10. 3 6. 4 7. 5 8 14 13 12 11 10 9.

(5) 羅不受 一銭供養事 阿難尊者事 并薄 𤘽𤘽 太山府君旧訳仁王経誉 玉フ事 山 門 無 動寺 暹 命 上 人 事 倶那 羅太 子 事 虞 舜 即位事 相坂蝉丸事 阿 闍 世 王事 招 対 於 地 獄 値亡 母 事 真 源 法 師 値 死 亡師 事 建立精舎地感応事 夏禹 王事 箱 根 権 現 和光 利 物事 天人下而供養阿難塔事 揚 州 居 士依 常 住二 字 生 不 動国 事 鑑 真 和尚 事 耆 婆 大 臣事 孫 陽 得駿 馬 事 天 台 座 主 延 昌 僧 正事 昔 蓮 花 女 今 得 羅 漢 果 後 勧 出 家縁 事 陳 氏 女 亡 母 資 苦事 隆弁 僧正諏方明 神示夢 想事 睒 弥国 闘 諍余 執 事 𤘽𤘽 道珍禅師読誦阿弥陀経往生事 百 済寺 源重僧 都一 生 如 法経行 事 憍薩 羅国 免 疫難事 魯 郡孤 女蘇事. 巻第 七第廿七 巻 第 七 第 廿八 巻 第 七第 廿 九 巻第七第 卅. 山 蔭 中 納 言惣 持 寺 建 立 事 身 子 尊 者 調 達 弟 子 被 殺事 子 安 鶴 助 後 死 三 年而 生 返 事 武州 入間川官首 道心事. 題 名 の上 に付 けた 「 × 」印 は 『 三 国 伝 記 』平 仮 名 本 に採 録 さ れな かった説 話である。 『 三 国 伝 記 』平 仮名 本 は版本 と比 較 す ると五 十 二 話 分 の題 名 が目 録 に見 えない。一 部 の説 話 は他 の説 話 と合 わせ て一 話 とさ れているため、単 純 に 『 三 国 伝 記 』平 仮 名 本 に採 録 さ れ なかったとは断 言 できない。七 巻 所 収 の説 話 が全 く存 在 しないため、 『新 選沙 石集』の編纂者が編纂時に何らかの事情で巻七を見ていな かった可能性もあろうが、あくまで推測の域を出ない。. 二、 『新選沙石集』収録説話と 『三国伝記』との相違 ここまで 『新選沙石集』と 『三国伝記』との間における説話の異同 について見てきた。 『新選沙 石集』は 『三国伝記』を元としていながら、 『 三 国 伝 記 』とは異 なった形 で説 話 を配 す ることで、 『 三 国 伝 記 』と は別な仏教的世界観の表現を試みたのではないかと考えられる。以 下、 『 新 選 沙 石 集 』と 『 三 国 伝 記 』とに収 録 さ れたいくつかの説 話 を 比較し、テキストの異同と、 『新選沙石集』における説話の配列意図 とについて検討してみたい。 先の別表1を見ると、 『三国伝記』から 『新選沙石集』に説話を引 用す る際、その多くは収録 順に説話を配 しているが、巻第二の二十 二 話 ・二 十 三 話 (話 数 は総 話 数 )、巻 第 三 の三 十 二 話 ・三 十 三 話 は 配列が 『 三 国 伝 記 』と逆 になっている。以 下 、巻 第 二 の二 十二 話 ・二 十 三 話 、およびその前 後 二 話 の内 容 を確 認 し、 『 新 選 沙 石 集 』にお ける説 話の配 列が意 図的な改変であるのか否 かについて考えてみた い。. ( 82 ). 一 話 も採 録 さ れなかった 『 三 国 伝 記 』巻 七 の題 名 を挙 げてみたい。 巻 第 七第 一 巻第七第二 巻 第 七第 三 巻第七第四 巻 第 七第 五 ×巻第 七第六 巻 第 七第 七 巻第 七第八 巻 第 七第 九 巻第 七第 十 巻 第 七第 十 一 巻第 七第 十二 × 巻第 七 第 十 三 × 巻 第 七第 十 四 巻第七第 十五 × 巻 第 七第 十 六 巻第七第 十七 巻第 七第十八 × 巻第 七 第 十 九 × 巻第 七第 廿 巻第七第 廿一 巻 第 七第 廿 二 × 巻第 七 第 廿 三 巻 第 七第 廿 四 巻第 七第 廿五 巻 第 七第 廿 六. −53−. 11.

(6) 『 新 選 沙 石 集 』における 『 三 国 伝 記 』からの説 話 の採 録 は一 部 二 話、あるいは三話一類の基準で説話を並べたと考えられる部分が存 在する。 先に 『 新 選 沙 石 集 』において梵 漢 和 の順 に説 話 を配 している部 分 は七カ所であると述べたが、巻第 三の一話から三話は、 『三国伝記』 の巻第 五冒 頭の地 蔵菩薩譚をそのまま採録した形である。これは、 『新選沙石集』の編纂者にとって配列を変える必要がなかったためで あろう。 一方 、 『三国伝記』から 『新選沙石集』に説話を採録する際に、説 話 の配 列 が逆 転 している部 分 も見 られる。巻 第 二 の十 四 話 (「 不 動 貴 験 の事 」)と十 五 話 (「 神 母 が牛 にひかれて仏 寺 にいたる事 」)がそ の例である。 以下、 『三国伝記』版本、 『新選沙石集』、 『三国伝記』平仮名本の 当 該 説 話 を比 較 す る。テキストは片 仮 名 を平 仮 名 に改 め、漢 字 は 現在通行の字体を用いた。また、 『三国伝記』平仮名本の本文には、 必要に応じて傍線を施した。 13. 『三国伝記』版本 巻 第 三 第 十 五 不 動 貴験 事 和 云 、中 比 、東 国 受 領 なりける人 、上 洛 時 、奥 州 平 伊 郡額 部 立馬共数百疋狩上けるに、雑駄中黒馬一疋あり。長途間荷負 せたれども余 馬 如 くには不 疲 肥 太 てぞ在 ける。馬 主 不 審 思、 此 馬 力 強 盛 なるにや とて弥 重 荷 付 。或 夜 彼 馬 夢 中 主 人 前 来 不動真言誦。主人故へを問、馬答云、 「我 従 国 至 国 昨日 山 今 朝 之 雲 、自 村 臻 村 今 宵 月 明 日 路 、身 常 負 重 過 行 但 今 水 草 望 加 諸杖捶苦雖 非可難忍、先生人間生僧 成不動尊 仕験徳播故多 信 施 受 。其 罪 業 依 馬 成 也 。唱 真 言 事 宿 世 誦 せし縁 以 任 運 忘 故なり。但し馬成荷負云へども、常不動尊相副我負物持助玉へ. 12. ( 83 ). ば、我苦無肥満せり。明日又荷負たらんを見玉へ。其物我身不 受 」と云 ふと見 夢 忽 覚 。主 人 次 日 此 馬 物 負せたるを何 なく見 れば、馬 背より四 寸許 のきて其荷 中有 。主 人是 を見発 露 涕泣 其後荷略敬飼けり。不動明王生々而加護誓新なる事也。. 『新選沙石集』巻二 十四 不動貴験の事 和 に云 はく。中 頃 東 国 受 領 なりける人 、上 洛 の時 奥 州 平 伊 の こほり額 部 立 の馬 どもを数 百 疋 狩 りて上 りけるに、雑 駄 の中 にくろ馬一疋あり。長途の間、荷を負せたれども、余の馬のご とくにはやせず、肥 へ太りてぞありける。馬主不審に思い、この 馬の力つよくさかんなるにやとて、いよいよおもき荷をつけたり。 ある夜 かの馬夢 中に主 人のまへにきたりて、不動の真言を誦す。 主 人 ゆへをとふに、馬 こたへていはく我 国 より国 にいたれば、昨 日 の山 は今朝 の雲 、村 より村 にいたれば、今 宵の月は昨日 の路、 身 つねに負 重 して過 ぎ行 けば、たゞいま水 草 の望 加 へ諸 杖 捶 の くるしみしのびがたかるべきあらずといへども、先生に人間にむ まれ僧となりて不動尊 につかへて、験徳をほどこす ゆへに、多く の信 施 をう けたり。そのざ いごふによつて馬 となる也 。真 言 を となふる事は、しゆくせに誦せし縁をもつて任運 にわすれぬゆ へなり。たゞし馬 となりて荷 をおふといへども、つねに不 動 尊 あ ひそひて、我 負 たる物 をもちてたす けたまへば、我 はくるしみ なく肥満せり。明日又 荷をおひたらんを見たまへ、その物我身 にはう けず といふと見 て、ゆめたちまちにさ めたり。主 人 次 の 日この馬に物をおふせたるを、何 となくみれば、馬の背 中 より 四 寸ばかりのきて、その荷 中にあり。主 人これを見、発露 涕泣 してその後は荷を略してうやまひかひけり。不動明王生々にし て加護のちかひあらたなる事なり。. −54−.

(7) 『三国伝記』平仮名本 しんせをうけし僧、馬に生るゝ事 中 比 、東 国 のしゆりや う なりける人 、あふしう 、平 伊 のこほり、 ぬかへたちの馬す百 疋かりて、上りけり。その中に、くろき毛の さうた、一疋 有けるに、ちやうとの間、にをおほせて、のほりし か、よの馬 のや う に、や せもせす 、こえふとりぬ。馬 ぬし、これ をみて、此馬ちからつよく、さ かんなりと思て、いよいよおもに をおはせたり。 あるよ、主 人 の夢 に、かの馬 、わかまへにきたりて、ふとう のし んこんをしゆす。あや しく思て、その故 をとひけれは、馬こたへ て云、我は、せんしや うにては僧 にて有しか、ふとうそんにつか へ て、そのけんとくをほとこし、おほくのしんせをうけたり。その こう によつて、いま馬 となれり。しかれとも、しゆくせに、ふと う 尊 をたつとみ奉 りし故 に、今 馬 となりても、つねに、ふとう 尊のつきそひて、まもり給ふ也。かるか故に、われおもにをおふ といへとも、ふとう 尊 のもち、たす け給 しかは、我 は、くるしみ もなくして、かやうにひまんすと、かたりけり。主人、きいのお もひをなし、明日また、此馬のにを、おふてゆくをみれは、せな かより、四寸はかりへたてゝ、にはありけり。しゆしん、たつとき 事 におもひゝ、ほつろ、ていきうして、そのゝちは、にをもおふせ す、うやまふてかひにけり。 ふとうみやうわう、しや うしやうかこのちかひ、あらたなる事 也。 松 尾 氏 の指 摘 通 り、 『 三 国 伝 記 』版 本 を訓 読 した際 の本 文 と 『新 選 沙 石 集 』本文 との同 一 性が認 められる一方 、 『 三国 伝 記 』平 仮 名 本とは説 話の大筋は同 一であるものの、傍線部の表現に少なくない. 14. 差違が見られる。 本説話は、奥州から京都までの旅中、重荷を負わせても痩せない 馬 が、実 は前世 に不 動 尊 を奉 っていたものの多 くの信施 を受 けた罪 で馬に転 生した僧であったこと、また、馬に生まれ変わりはしたが、 前 世 に不 動 尊 を奉 った縁 で、道 中 、不 動 尊 が重 荷 を持 ってくれてい ることを主人の夢の中で告げたところ、翌日、それが事実であったこ とを知ったという内容になっている。 『 三 国 伝 記 』版 本 ・『 三 国 伝 記 』平 仮 名 本 では、本 説 話 の後 に 「離 越尊者事」と題されたインドの説話が配される。本話は離越という 阿羅漢が牛泥 棒と間違えられて十二年の間投獄されるが、間違え であることが分 かり釈 放 さ れる際 、己 も前 世 に無 実 の者 を牛 泥 棒 として訴えたことがあったと告白 す る内 容になっている。本話は 『新 選沙石集』に採録されていない。 前 世 の咎 によって現 世 に何 らかの果 を受 けた点 において 「不動貴 験事」と 「離越尊者事」とで内容の連続性を指摘し得よう。なお 「離 越 尊 者 事 」の後 は 『世説 新語 』に話 源を求 め得 る説 話が収 録さ れて おり(「戴淵云盗人事」)、この二話との関連性は無い。 では、本来であれば 「不動貴験事」の前に配されていた 「神母 被 牛 牽到仏寺事」と題された中国(漢)説話の本文を見てみる。 「不 動 貴 験 事 」と同 じく、 『 三 国 伝 記 』版 本 、 『 新 選 沙 石 集 』、 『 三 国 伝 記 』平 仮名本から引用する。. 『三国伝記』版本 巻 第 三第 十 四 神 母 被 牛牽 到 仏 寺 事 漢 言 、預 州 有 一老女 。唯 神 道事 不 信 三宝。時 人 其 名 称 神母。 邪 見 覆 心 不 往 詣 寺 塔 辺 剰 路 行 遇 比 丘 僧 目 掩 而 過 。或 時 、黄 牛一頭女門在、不去三日。更主尋無。神母自謂是神助与処な りとて、自牛叱家帰らんとするに牛不随 。女 衣帯解牛鼻繋牛. −55−. ( 84 ).

(8) 小 河 にのぞみて耳 を洗ていはく、我 不 祥 の事 をきゝけり、大 般 若波羅蜜多経と三度称せり、このことば水としたがひてうせよ、 す みや かにきへよと云ひて。許由かごとくに耳をあらひ巣父が や う に牛 をひきて家 にぞかへりにける。然 るに牛 たちまちに見 へず そのゝちかの神 母 や まひして死 す 。さ らに仏 経 に値 遇 せさ るものなれは。いかにつみふかゝるらんと思ひけるに、かの嫡 女 に夢につげていはく我死てゑんま法王のみもとにいたる。たゝあ くごう のみあつて身 を荘 厳 し。まつたく少 分 の善 根 なし。ゑん わう 札 をかんがへて微 咲 していはくなんぢ般 若 の名 をきくこと あり。まづ人 間にかへりはんにゃを持 す へし。人 業つきては忉 利 天に生ずへしとてゆるさる。よつていま人間にありて大はんにや を書写す。なんぢ憂念を生ずへからずと云々。ゆめさめて書写 の大般若三百余巻現あり。すなはちくはんぎらいはいして披見 す るに。王舎城 の春 の花は貫 花文 をつらぬき、竹林 園の秋の露 は垂迹の点をたれたり。ありかたき事にや。. 『三国伝記』平仮名本 牛にひかれて、たうへまいりし事 唐 土、よしうに、神母といへるおふな有けり。しやうとく、三ほ う の事 をきらひ、神 道 の事 をのみしんかう しける故 に、よの人、 神母といへる也。されは、かり初にも、寺たうの辺に、立よらす、 僧 尼 を近 付 す 。もしたまたまも、ろしにてゆきあふ時 は、めを おほふて、過 し也 。ある時 、我 家 の門 に、あめう しひとつ、はな れ居たり。いかなるものゝうしやらんと、あやしめとも、牛の主 とて、尋 きたらす 。三 日 迄 有 けれは、神 母 これをみて、神 のわ れにあたへ給かと、よろこはしうおもひて、う しを叱して、我家 につれて帰 らんとす れとも、したかはす 。よつて、みつから、お ひをときて、牛 のはなにつけて、これをひくに、牛 のちからつよ. ( 85 ). 牽 。牛 力 強 牽 相 程 牛 仏 寺 内 入 。女 人 惜 牛 及 帯 故 眼 掩 寺 入 背 本 意 立 。爾 時 彼 寺 衆 僧 等 神 母 仏 前 来 初 見 愍 笑 故 各「 南 謨 大 般若波羅密多経」唱懸たりければ、神母是聞驚牛捨走出臨小 河耳洗云、 「 我 不 祥 事 聞 けり。 『大 般 若 波 羅 密 多 経 』三 称 。此 言 水 堕 失 。速 消 」云 、許 由 如 耳 洗 巣 父 様 牛 牽 家 にぞ還 りにけ る。然牛忽不見。其後彼神母病死。更 仏経不値遇者なれば何 罪深 るらんと思けるに、彼嫡女夢告曰、 「我死至災魔法 王所。 唯有悪業荘厳身全無少分善根。炎王検札微咲云、 『汝有聞般 若 名 。先 還 人 間 応 般 若 持 。人 業 尽 生 忉 利 天 』とて免 さ る。仍 今 人 間 ありて大般 若 書写 。汝 不 可 生 憂念 」。夢 覚 書写 大 般 若 三 百余巻現在。即 歓 喜礼拝 披見 王舎城春 花貫 花文竹林薗 秋 露垂跡之点垂。有難事にや。 『新選沙石集』巻二 十五 神母が牛にひかれて仏寺にいたる事 漢に云はく。預州にひとりの老女あり。たゞ神道を事として三 ぼう を信 せず 。時 の人 その名 を神 母 と称 す 。邪 険 覆 心 にして 寺塔のほとりへも往詣せず。あまつさへみちをゆくに、比丘僧に あふて目をおくつて過ぐ。ある時黄牛一頭女の門にあり。去ず して三 日 なり、さ らに主 のたづぬることなし。神 母 みづからお もへり、これ神 のたす けあたふる所 なりとて、みづから牛 を叱 ふて家にかへらんとするに、牛したがはず。女衣帯を解いて牛の 鼻 にかけて牛 を牽 く。牛ちからつよくしてひきあふ程 に、牛 仏 寺 の内 に入 り。女 人 牛 及 び帯 をおしむがゆへに、まなこをおゝ ひて寺に入り。本意をそむきて立てり。 その時 にかの寺の衆僧 等、神母が仏 前にきたるをはしめて見て、 愍笑 す るゆへに、をのをの南謨大般 若波 羅蜜多 経ととなへかけ たりければ、神 母 これをきゝおどろきて牛 をす てゝはしり出 で、. −56−.

(9) くして、神 母 引 ゆくほとに、ちかきあたりに有 し仏 たう の門 の うちへそ引 入ける。へいせい、いとひ、きらへる寺のうちなれとも、 う しをほしく、帯 をおしみける故 に、まなこをおほふて、心 な らす 、寺 に入 けり。かの寺 の僧 衆 これをみて、をのをのあや し みつゝ、神母か仏せんにきたるを、はしめて、いまこそみれとて、 やかて、なも大はんにやはらみた経と、となへたりけれは、神母、 あや まつて、大 はんにや はらみたきや う と、三 へんそ、となへけ るか、おとろきあはてゝ、はしり出 、門 前に、小川のなかれける にのそんて、我 、ふしや う のことをきゝたりとて、みゝをあらひ、 たゝいま、となへしことは、水にしたかひ、きえうせよとて、くち をすゝき、さらふかことくに、うしを引て、帰けり。や かて、此 うし、ゆきかたしらす、うせにけるこそふしきなれ。 そのゝち、神 母 、つゐにおはりぬ。一 しや う 仏 にちくう し奉 ら さ れは、さ こそ、つみの深 かるらんと、かのむす め、なけきかな しみけるに、ある夜、夢につけて云、我すてに死して後、えんま のちや う に至 りしかは、えんわう 、ふたをひらきかんかへて、の 給 はく、なんち、はんにや の名 をきく事 有 。よつて、人 間 にかへ り、はんにや をちす へし。にんこう つきは、たう り天 に生 す へし とて、ゆるしかへさ れ、そせいして、いま人 間 に生 をう け、大 は んにや をしよしや す る也 。なんち、う れふる事 なかれ。これ則、 しよしや の経 なりとて、あたへ給 とみて、夢 さ めたり。きいのお もひをなす 所 に、大 般 若 六 百 よくわん、う つゝにあり。則 、く わんき、らいはいして、ひけんす るに、わうしや しやうの春の花 は、くわんくわのもん、つらぬき、ちくりんえんの秋 の露 は、す いしやくのてんをたる。有かたき事にこそ。 当該説話の大筋は、三宝を忌避していた神母と呼ばれた老女が、 門前から去らずに居た牛を家に引き込もうとした際に牛に引きず. られて仏 寺 に入 ると、神 母 は僧 侶 たちが唱 えた 「南 無 大般 若波 羅 蜜多経」を耳にしてしまった。神母はまもなく死ぬが、牛に引かれて 行った寺院で聞いた大般若経の徳によって再び人 間に生まれ変わり、 『大般若経』の書写をしたというものである。 先の 「 不 動 貴 験 事 」と同 様 、 『 三 国 伝 記 』版 本 と 『 新 選 沙 石 集 』と の本 文 の同 一 性 が高 く、 『 三 国 伝 記 』平 仮 名 本 とでは文 章 にかなり の差が見られる。 『三国伝記』版本・平仮名本で共に 「神母被牛牽到仏寺事」の前に 配されている説話は 「率都婆功徳仏示婆利長者事」と題された短い 説話であり、卒塔婆を拝することを促す内容である。 巻第三の十話から十三話までは卒塔 婆の功徳を説く説話が並ん でおり、十 話は 「釈尊成 仏因事〈明 卒塔 婆功 徳 也〉」(〈 〉は割 り注 を示す。以下同)、十一話は 「卒塔婆利益事」、十二話は 「灌 頂 卒 塔 婆 功 徳 事 」と、梵 漢 和 の卒 塔 婆 関 連 の説 話 が並 ぶ。十 三 話 にもう 一 話 インドの卒 塔 婆 説 話 が配 さ れるが、その短 さ 故 か 『新選沙石 集』では採録されていない。 『三 国伝 記』巻第 三と 『新選沙石集』巻第二とに配された説 話を もう 少 し見 てみると、版 本 巻 第 三 の六 話 ・『 新 選 沙 石 集 』巻 第 二 の 十九話は 「 沙 門 道 乗 停 瞋 恚 得 往 生 事 」、版 本 巻 第 三 の七 話 ・『 新 選 沙 石集』巻第二の二 十話は 「昔発瞋恚比丘成 毒蛇事」と、瞋恚を題 材とした説話が配されている。その後に 「望西比丘事」(版本巻第三 の八 話 ・『新 選沙 石 集』巻第 二の二 十 一話)が配されるが、これは無 学の僧が死んで閻魔の裁きを受ける際、たまたま覚えていた無量寿 経 の偈 を唱 えたことで蘇 生 したという 内 容 である。これは、後 に続 く 「不動貴験事」の生前不動尊を奉ったので、死後、馬に生まれ変わ りはしたが不動尊が加護してくれているという内容、また、その次の 説話である 「神母被牛牽到 仏寺事」の大 般若経の名を聞いただけで 三 宝 を忌 避 していた神 母 が救 済 さ れたという 内 容 の説 話 との関 連. −57−. ( 86 ).

(10) 梵 3. 2. 6. 6. 6. 6. 4. 5. 4. 2. 4. 5 3 6. 計. 18 25 65. ではなく、 『三国伝記 』と同様 に仏 教的な三 国観で全 体を構成しよ うと試みた 『今昔物語集』や『私聚百因縁集』においても中国関係の 説話は、インド・日本と比べて量が劣る傾向にある。 『三国伝記』では 梵 漢 和 それぞれ百 二 十 話 を採 録 しているが、中 国 の説 話 は数 を合 わせるのに苦労している傾向にある。 『新選沙石集』において中国 関係説 話が少なく、日 本関係の説話 が増えることは、元となった 『三国伝記』から説話を採録する際に、 編 者 の興 味 を引 くよう な説 話 が少 なかったから、あるいは、改 めて 収録するに値すると考えられる説話が少なかったからであろう。. 16. 結 『三国伝記』の最 大の特徴は、 『今昔物語集』に代表されるような 二 話 一 類 (あるいは三 話 一 類 )の手 法 によって説 話 の主 題 を明 確 に して行 くのではなく、梵 漢 和 の説 話 を連 環 さ せることで、インドか ら日 本に至る仏教的な世界を表現 しようとしたその説話配置にあ る。一方、その抄出本である 『新選沙石集』は、説話の配列を見る限 り、 『 三 国 伝 記 』がとった様 式 を捨 て、 『 今 昔 物 語 集 』に見 られる二 話 一 類 の手 法 で説 話 の主 題 を浮 かび上 がらせる様 式 に回 帰 したの ではないかと考えられる特徴を持っている。 現状、 『三 国 伝 記 』の原 態 が不明であることに加え、本稿では 『三 国伝 記 』版本の巻 三と 『新選沙石集』の巻二 の一部分との比較 を試 みたに過 ぎない。先 述 の見 解 の適 否 を見 極 めるためには、 『新選沙 石 集 』全 体 に対 しての検 討 作 業 を行 う 必 要 があろう 。今 後 の課 題 としたい。 (たけがはら やすひろ/北海道教育大学釧路校非常勤講師). 17. ※成稿にあたり、小枝駿氏(大東文化大学職員)の助力を得た。 記して御礼申し上げる。. ( 87 ). 性が高い。 『三国伝記』の古態がどのような形であったのかは写本や版本との 比 較 作 業 に依 らねばならないが、少 なくとも『 新 選 沙 石 集 』は 『三 国伝 記 』の梵漢 和と説 話を連 環さ せる形ではなく、説 話 そのものの 内 容 の関連性を重視 した説話 配 列を施した可能性が高いと指摘で きよう。 『 新 選 沙 石 集 』は二 話 ・三 話 一 類 を意 識 しす ぎたためか、本 書 に おける梵 漢 和 説 話 の比 率 は、引 用 元 である 『 三 国 伝 記 』とは異 なっ ている。別表2は 『新選沙石集』における梵漢和それぞれの説話数で ある。. 漢 3. 14. 22. 別表2 『新選沙石集』における梵漢和別の説話数. 和 8. 10. −58−. 15. 巻一 巻 二 巻三 巻 四 巻五. 計 15. 『 新 選 沙 石 集 』に収 録 さ れた説 話 は元 々 六 十 五 話 と梵 漢 和 の話 数が等しくならない数であるが、数値で確認すると漢、即ち中国関 連の説 話が少なく、特に後半の巻四と巻五でその少なさが目立つ。 中 国 関 連 の仏 教 説 話が貧 弱 になるのは 『三国伝 記 』に限 った傾向. 18.

(11) 注 1、 『国 書総目録』一、および、 「日 本古典籍総合目録 データーベー ス(国文学研究資料館。二〇二〇年二月一日確認)」。 2、浜口恵璋 校訂『新選沙 石集』(仏 教物語叢書 第 一編。一九一三 年、文明 堂)。なお、版本『新選 沙 石集』は巻二に落丁があり、本 翻 刻 も該 当 部 分 の本 文 が欠 落 しているが、後 出 の黒 田 論 文 を用 いて補うことが可能である。 3、黒田彰「新選沙石集(仏法奇妙集)のこと―三国伝記の一異本」 (『説話文学研究』第 十九号所収。一九八四年、説話文学会)。の ち、黒 田 彰『 中 世 説 話 の文 学 史 的 環 境 』(一 九 八 七 年 、和 泉 書 院)に収録。 4、 『三国伝記 平仮名本』(古典文庫四三四、四三六、四三八。一 九八二年~一九八三年)、および、黒田彰「新出の平仮名本三国 伝記 について」(『説 話 文 學 研 究 』第 五 十号 所収 。二 〇一 五年 、説 話文学会)。 5、松 尾 譲 兒「『三 国 伝 記 』二 伝 本 と 『 三 宝 感 応 要 略 録 』」(『名 古 屋 大学人文科学研究』第四十二号所収。二〇一四年、名古屋大学 大学院文学研究科)。 6、注3、黒田論文。 7、注2書。ただし、一部に注8書を用いた。 8、本書は 「名 大システム 古典籍内容記述的データベース」において 。 画像が公開されている(二〇二〇年二月一日確認。 CC BY-SA )。 https://www.nul.nagoya-u.ac.jp/cgi-bin/wakan/wa.cgi?i=k8 9、池上洵一校訂『三国伝記(上)』(一九七六年、三弥井 書店)、お よび同『三国伝記(上)』(一九八二年、三弥井書店)。 、巻 第 四 の十 話 から巻 第 五の一 話 ・二 話 も梵漢 和 の順 となってい るが、巻を跨いだため外した。 、渡 邉 信 和「 書 誌 ・解 説 」(名 古 屋 三 国 伝 記 研 究 会 編『 三 国 伝 記 10. 11. 平 仮 名 本 (古 典 文 庫 四 三 八 )』下 、所 収 。一 九 八 三年 、古 典文 庫)では五十一話とされているが、注4黒田論文 によって改めた。 、 「二話 一類」の語については、国東文麿『今昔物語集成立考』(一 九 六 二 年 、早 稲 田 大 学 出 版 部 )の 「 今 昔 物 語 集 の構 成 」(一 頁 ~ 三十四頁)を参照のこと。 、他、巻第三の六話と七話との関係が該当する。この二話は版本 では巻第五の二十二話・二十一話に配されている。 、注5、松尾論文。 、注9、池上著(上)「解説」の 「七 伝本」参照。 、 『今 昔 物 語 集 』は巻八 を欠 くが、新 日 本 古 典 文学 大系『今 昔 物 語集』二の巻八の解説に、本巻を欠く原因として編纂時の資料の 少なさがあったのではないかと述べられている。 『 私 聚 百 因 縁 集 』の唐 土 篇 に収 録 さ れた説 話 については、拙 稿 「『 私 聚 百 因 縁 集 』巻 六 第 十 七 話 に関 す る小 考 」(『 国 語 論 集 』第 十 六 号 所 収 。二 〇 一 九 年 、北 海 道 教 育 大 学 釧 路 校 国 語 科 教 育 研 究 室 )、また、 「『 私 聚 百 因 縁 集 』唐 土 篇 における説 話 の採 録 」 (『解釈』六十五号所収。二〇一九年、解釈学会)を参照されたい。 、注9、池上著(上)「解説」の 「三 『三国伝記』の世界」参照。. (付記) 本 稿 は、数 年 前 に 「『 三 国 伝 記 』は読 むべきである」という 石 井 行 雄 先生 からのご教 示を契機として書いたものである。日 常、先生が 惜 しみなくしてくださ るお話 から得 られる知 識 は研 究 者 としての 自分を支えており、また、先生の教育者としての経験や配慮は教育 者としての自分の規範となっている。 「『 三 国 伝 記 』を読 んでみました」という お返 事 としては拙 劣であ り、かつ失 礼 であることを承 知 してはいるが、本 稿 を以 て石 井 行 雄 先生へのささやかな御礼としたい。. −59−. ( 88 ). 12. 13. 16 15 14. 17.

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