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大 峯 奥 駈 道

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Academic year: 2022

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山 伏 の 姿 と 心

大 峯 奥 駈 道

霊 峰 の 魂 宿 る

近畿の世界遺産の旅

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」については「小 辺路ルート」、「中辺路ルート」と二度にわたり本機 関誌でご紹介したが、今回はその参詣道の中でも最 も過酷な参詣道である修験道「大峯奥駈道」をご紹 介しよう。

大峯山護持院 喜蔵院

多 士 済 々 の 修 験 者 多 士 済 々 の 修 験 者

ろん な人 がお り 外国 の方 も多 く アメ リカ

、フ ラ ンス から もや っ てき ます

。外 国 人の ほう が純 粋 に山 岳修 行を 経 験し たい と思 っ てい ます

。一 方日 本人 の方 は単 に大 峯山 を 縦走 した いか らと いう こと で山 に入 って 来る 人が 見 受け られ ます

。奥 駈 は一 歩一 歩お 山に 入っ てい くと いう 気持 ちが 大事

、 ここ が通 常の 登山 と違 うと ころ です

。 皆 が 道中 の 安 全、 満行 を お願 い す る。 喜蔵 院で 30は 名位 を一 つの 隊︵ グル ープ

︶ とし

、 新客

︵初 参 加者

︶に

﹁ひ で﹂ の 役 割を 担わ すこ とに して いま す。

中井住職はWTO世界観光機関の主催でパ

リ︑シドニー︑ロサンゼルスで修験道につい

てご講演をされていますが︑その関係で外国

の方が来られたのですか︒

フォ ーラ ム に出 席し たか らそ のつ て で 来ら れた とい うこ とで はな く﹁ 大峯 奥駈 に 連れ てっ て﹂ と直 接連 絡が 入っ てき ます

外国 の方 は﹁ 修行

﹂ とい う言 葉を 使い そ の 重み を感 じて いる よう で す。 私は 修行 に 入る のだ から 白 い着 物、 袈裟

、念 珠は 必 ず用 意す るよ うに 伝え

、登 山と 違う こ とを 説明 して いま す。 外 国の 方は 来ら れ る目 的 がは っき りし てお り、 ロー マ字 で 般若 心経 を書 いた りし て頭 の中 でき っち り整 理さ れて いま す。 彼ら は修 行の 感動

、 体験 を非 常に 喜ん でく れま す。 ある フラ ン ス人 は山 伏と なり 奥駈 で百 日の 行を 積み

、 今は フラ ン スに 帰り そこ の山 に勝 手に 名 前を 付け て修 行し てい る者 もい ます

。 登山 する とい うよ うな 考 えで お山 に入 る 人に とっ て は、 何で

、木 や岩

、 滝に 向 かっ て 拝ま ない とい けな いの かと 思う 人 もい ます が、 これ は︵ 大峯

︶山 での ルー ル、 最低 のル ール は守 って 欲し いと 思い ます

﹁ひで﹂の役割とはどのようなことをする

のでしょうか︒

大峯 奥駈 道に 75は の靡

︵な びき

︶い わゆ る 行場 があ りそ こに

﹁ ひで

﹂を 置い てい きま す。

﹁ひ で﹂ とは

﹁碑 伝﹂ と書 きま すが

、 峯入 修 行を 終え た標 とし て板 でで きた お 札で これ に願 文、 年月

、名 前な どを 記し

後々 20︵ 30〜 年︶ まで お参 りし たこ とが 分か ると いう もの です

。こ の責 任を 新客 に任 すこ とに して いる

。当 然新 客は 責任 の重 大さ を 認識 し役 目を 果た すこ とに なる

。絆 は深 ま りお 互 いが 助け 合い

、思 い やる こと が育 まれ てい く。 この こと が大 事な こと です

大峯奥駈の

75の靡全てに

︑﹁碑伝﹂を置く

となれば大変な役割だが⁝

本来 75は 靡必 要と され ます が、 これ 全 てと なる 12と 13泊 日の 行程 を要 する こと に なり

、時 間+ 体力

+ 精神 力が 求め られ 今で はそ こま では やっ てい ませ ん。 吉野 山 でも 75靡 終え たの は今 では 私だ けで ある

。 今 は 吉 野 の﹁

75 番 柳 の 渡 し

﹂ から 29番 前鬼 山﹂ まで を当 寺︵ 喜蔵 院︶ の ルー トと して いま す。 大峯 奥駈 は﹁ 番1 本宮

﹂か らの 順峯

︵じ ゅ んぷ

︶と 75番 から の逆 峯︵ ぎゃ くふ

︶の 二つ の方 法が あり

、近 年 は吉 野か らの 逆 峯が 一般 化さ れて いま す。 順峯 が無 くな っ

取材者3名近鉄橿原神宮駅で合流し吉野線

1時間のローカル線の旅となった︒車中は平

日︵金︶の昼前と言うこともあるのだが女性

専用列車に乗り合わせたかと見間違うほど7

割方女性客で占められていた︒平日元気のい

いのは女性群と改めて認識させられた︒

大和の国吉野山はわが国修験道の根本をな

す金峯山寺蔵王堂を中心に︑日本一の桜の名

所であり︑南朝

60年の悲史とロマンを物語る

数多くの史跡が残る︒

桜花爛漫のその日近鉄吉野駅で下車︑千本

口駅からロープウェイで山上駅に登るのだ

が︑まず改札口でグループごとに整理される︒

これが何の意味があるのと思いきや乗車人数

確認︵

28人定員︶と併せて記念写真を

1枚︒

この写真は︑山上駅に到着するや否やプリン

トされて販売されている︒ユニーク︵商売上

手︶な試みに感心した次第である︒

10分足ら

ずで山上駅に到着︑歩いて数分でお山の入り

口黒門をくぐる︒ほどなく右手に金峯山修験

本宗

  総本山   金峯山寺の本堂

・蔵王堂︵国宝︶︑

重層入母屋造り︑桧皮葺き︑高さ

34m

︑四方

36m

の堂々とした建物が目に入る︒取材の約

束の時間もあるので本堂のお参りは後に回す

こととして︑取材先の大峯山護持院

  喜蔵院

へと向かう︒

本来なら︑実際に奥駈道を踏破して取材す

べきであろうが︑筆者の体力ではいかにも心

もとない︒ましてや︑一日や二日での踏破は

無理ということを言い訳にして︑今回は修験

道での経験豊富な方に取材し︑奥駈道の魅力

と修験の心を教えていただくことにした︒

お話を伺うことになっている喜蔵院御住職

の中井教善師は﹁大峯奥駈道﹂での修行を

60

回にわたってされたという︒

だらだら坂から突然の急坂を上ると目指す

喜蔵院に到着︒今回特にお願いして中井教善

師には山伏の装束でインタビューに応じてい

ただいた︒

大峯山護持院

 

喜蔵院 住職  中井教善

 

奥駈修験に来られるのはどのよう年代の方

が多いのでしょうか︒

多く 30は 歳代 60、 70〜 歳代 です が、 最高 齢は 84歳 で現 役の 方も いま す。 広範 囲で い

23 24

(2)

精 神 力 が 試 さ れ る 奥 駈 道 精 神 力 が 試 さ れ る 奥 駈 道

自 己 研 鑽 の 道 場 … 大 峯 奥 駈 自 己 研 鑽 の 道 場 … 大 峯 奥 駈

宗 派 を 超 え た 修 験 の 道 宗 派 を 超 え た 修 験 の 道

たと いう こと では なく 那智 山 青岸 渡寺 の 立木 住職 は順 峯で 入ら れて いま す。

一つの隊は

30名と先程お聞きしたが︑もっ

と大人数になることはあるのですか

人数 が多 くな ると 危険 率が 高く な りま す。 先頭 から 最後 尾ま で見 渡せ る位 が 危 険が なく てい いん です

。﹁ 67番 山上 岳﹂ ま では それ ほど 怖く ない が、 ここ を過 ぎ る と危 険な 個所 が増 えて きま す。 54﹁ 番弥 山

︵み せん

︶か ら﹁ 29番 前鬼 山﹂ まで は岩 場 があ り鎖 伝い のと ころ も相 当あ りま す。 吉 野山 から 前鬼 山、 小辺 路を 通り 本宮 まで 25 0 キロ が大 峯奥 駈道 と申 し上 げた が、 これ は本 山聖 護院 の﹁ 聖護 院の 宮様

﹂が 歩 かれ たと いう こと で、 この 道を 辿っ てお り今 はほ とん ど前 鬼山 まで とし てい ます

大峯奥駈は﹁役の行者﹂によって開かれた

山岳宗教といわれていますが︑熊野から吉野

への目的は何なんでしょう

大峯 山と いう 山 はな く吉 野か ら熊 野の 山々 を大 峯と 言っ て竜 体と して 崇め られ

てい ます

。竜 尾と 書い て﹁ たの

﹂と いう と ころ があ りま すが

、こ れは 竜の シッ ポで す。 さす れば 竜の 口が ど こか にあ るは ずで す。 竜の 口か ら 入り シッ ポか ら 出る

﹁役 の行 者

﹂は 竜体 の終 点を 吉野 山と した の でし ょう

。 熊野 から 吉野 は全 体に 神々 が宿 る山

、お 山 全体 に仏 様の 名前 がつ いて おり 一般 の 山と 違い 神仏 がお られ ると して 崇め られ てき た。 本来 なら 番1

︵熊 野の 本宮

︶か 75ら 番に 帰る のが 姿で あ り、 私も 番1 か らや って みま した が、 順峯 はな かな か厳 しい 道と なり つら いと いう のが 実感 です

。 従っ て今 はほ とん ど逆 峯と なっ てい ます

小辺路でさえもそうであった︒⁝⁝筆者は

20 07年夏

︑熊野古道

﹁小辺路﹂の一端

を十津川から︵十津川温泉〜熊野本宮

15㎞︶

歩き︑その厳しさを身を持って体験した︒

本宮側から入ったなら最初で恐れをなし︑

とても歩き切れなかったのではと今でも思っ

ている︒

山岳修行と仏様とのかかわりは何なんで

しょう

日本 人は 山に は神 様 がお られ るの では ない かと 昔か ら思 って きま し た。 山に 畏 敬の 念を 抱い てい ます

。 里に はい ない 神 が山 にい る、 その 山に 手を 合わ せる のは 日 本人 の心 がそ うさ せて いる ので は⋯

、即 ち 亡く なっ た 先祖 が一 番近 くに 帰っ てこ ら れる のは 山で す。 従っ て最 初は 山に 手を 合わ せて い たが それ が段 々と 山に 入っ て 行く こと で、 より 先祖 に 近づ ける との 思 いが 山岳 信仰 に繋 がっ たと い えま す。 大 峯は 人の 手が 入っ てい ませ ん。 昔か ら綿 々 と続 いて き た価 値が 世界 遺産 とし て認 め られ たの でし ょう

修験道は山岳信仰と仏教︑神道の混淆︵こ

んこう︶と言われていますが

大峯 は神 道、 仏教

、道 教の 要素 が入 って いま す。 よく いわ れる

○仙 とい うの が ある が、 これ は道 教の 思想 から きて いま す。

﹁役 の行 者の 自然

︵じ ねん

︶即 山、 山 即神 と いう 単純 な考 え﹂

、﹁ 役の 行者

﹂は 18歳 で葛 城山 に 入り 修行 のベ ース とし そ れか ら大 峯山 で修 行を 重ね

﹁蔵 王大 権現

﹂ を感 得さ れ修 験道 の基 礎を 開か れ た。 仏 教で

○○ 宗と いう もの があ りま すが 大峯 山は 宗派 を超 えた もの があ りま す。 以前 ある 宗派 の若 い僧 を連 れて お 山に 入っ たが 本人 いわ く﹁ 妙法 蓮華

﹂と は 何か 分か らな かっ たが

、大 峯修 行を して いる 時、 これ を身 体 で感 じた と言 って い ます

。な にも 無い 自然 の中 で の、 喉の 渇 き を潤 す一 滴の 水、 し ん ど い 時 の 頬 を 撫 で る 風、 山 で 聞 く 鳥 の 鳴 き 声 と 五 感が さえ てき ます

。 満 ち 足 り て 何 で も 手 に 入 る 世 の 中 で山 に入 り皆 が一 つに なっ た気 持ち は言 葉 では 言 い 表 せ ない 感 動、 この 感動 は自 分し か 分か らな い、 一緒 に歩 い たも のに しか 味わ えま せ ん。 ある 者は 戦争 だと も いま す。 寺に 帰っ てき た時 の感

想で

、﹁ 俺の 水を 飲め

、重 いリ ュッ クを 持っ てや ろう と言 って もら った

、何 とあ りが た いこ とか

﹂と 大の 男が 泣き 出す 始末 です

大峯奥駈は歴代途絶えることなく続いてき

ているのでしょうか

戦時 中は 途切 れて いた か も知 れな いが

﹁武 運長 久﹂ と言 って 歩い た人 もあ りま し た。 寺の 倉庫 にも

﹁武 運長 久﹂ の願 文が 残っ てい ます

。た だ、 いわ ゆる 明治 元年

︵1 86 8 年︶ 神仏 分離 令が 出さ れ、 廃仏 毀釈 によ り明 治5 年修 験禁 止令 が出 され

、 一時

、途 絶え た時 期が あり ます

。 私は 69今 歳で すが 中学 2年 生 の時 親に つい てお 山 に入 った のが 最初 です

。平 成 20年 60に 回に 達し たの を機 に引 退し 若い 者に 道 を譲 りま した

。お 山へ は、 午 前2 時に 起き 3時 に出 発す るの だが

、 お山 の 途中 で﹁ 法螺 の音

﹂が 聞こ える と、 若い 者に まか せて おけ ばい いと 思っ てい ても まだ まだ 心の 中に お参 りし たい とい う気 持ち が強 くな って きま す。

小辺路は村の生活道路として使われていた

が奥駈道はどうなんでしょう

大峯 は生 活 道路 とし ては 使わ れて い ま せん

。お 山に 入っ ても 森林 作業 の音 も 聞 こえ ない 正に 修行 のた めの 道で す。 昔か らひ とつ も変 わっ てい ない こと が世 界 遺 産と され たの でし ょう

。新 道は 山腹 を舐 める よう に進 みま すが

、昔 は横 巻き をせ ず に険 しい 峰々 を目 指し た所 を進 んで いる

。 仲間 で古 道捜 査隊 なる もの を作 って 道を 探し まし たが

、 ちゃ んと 古い 道が 出て き まし た。 昔 の人 はこ んな 所 を、 しか も短 時間 で歩 き続 けた

、何 と健 脚の 持主 かと 今更 なが ら尊 敬の 念が 湧き ます

奥駈とは正に﹁かけっこ﹂の意味合いがあ

るのでしょうか︑昔から集団での参加はあっ

たのですか

昔は 奥通

︵お くと おり

︶ と書 いて いま した

。今 のよ うに ル ート がは っき りし な い時 代で は熟 練の 先達 さん がい ない と無 理で 集団 でと いう のは あり ませ ん。 大峯 の 奥通 をさ れた 人は ほと んど いま せん

。そ の

25 26

(3)

実 用 性 と 精 神 性 を 備 え た 山 伏 装 束 実 用 性 と 精 神 性 を 備 え た 山 伏 装 束

畏 敬 の 念 で 接 し た い 大 峯 奥 駈 畏 敬 の 念 で 接 し た い 大 峯 奥 駈

人は 神様 的扱 いと され

、崇 める 人た ちは

、 地べ たに 頭を つけ て跨 いで もら うと か、 金 剛杖 で身 体の 具 合の 悪い とこ ろを

﹁ トン トン

﹂し ても らう

、そ れだ けの もの

︵霊 験︶ を持 って おら れる 方で す。

比叡山の千日回峯と同じなんでしょうか

比叡 山の 千 日回 峯は 大変 厳し い修 行 で すが

、大 峯の 奥駈 と修 行の 意図 が違 い ま す。 大峯 奥駈 は個 人の 修行 であ る。 これ は 何十 回重 ねて も個 人の 修行 とな るだ けで

、 何か の位 が得 られ るわ けで はな いん です

。 ただ

、自 分の なす べき こと は何 か﹁ 役の 行者

﹂の 足跡 を踏 んで みた いと いう 純粋 な気 持ち から きて いる と思 いま す。

わざわざお願いして山伏の装束を着けてい

ただきましたが︑装束について少しご説明頂

きたいのですが

※法 螺貝

︵ほ らが い︶ 神・ 仏が おら れて もど こか に魔 物が 潜み 修行 の邪 魔を しま す。 法螺 の音 は﹁ 獅子 吼﹂ とい い百 獣の 王の 吼え 声を 聞く と魔 物も

近づ いて きま せん

︵熊 除け にも なる

︶。 一 般的 には ラッ パ手 でい わゆ る士 気を 鼓舞 する 役目 があ りま す。

﹁あ かん

、し んど い﹂ とい う時 に自 分は 持物 も少 ない のに 法螺 を吹 きな がら 登る 人は もっ とし んど い﹁ よ し頑 張ろ う﹂ とい う気 持ち にさ せま す。 法螺 にも 符が あ り宗 派に よっ てそ れぞ れ違 い ます

。仲 間 内 の掛 け 合い

、案 内、 説法

、宿 入り とか 所作 の時 に吹 き鳴 らし

、 通信 手段 とし て使 って い ます

。隊 30は 名 で法 螺師 が3 名入 って い ます

。法 螺師 に な るた めに は検 定試 験が あり なか なか 難 しい よう です

※頭 襟︵ とき ん︶ 大日 如来 様は 五智 の宝 冠を 頭に 頂い て お られ る。 その 宝冠 の 代わ りを する もの と して おり

、6

+6 12= のヒ ダが あり 12 因縁 を表 して いま す。 山 伏は 水飲 みコ ッ

プと して 使う こと もあ りま す。

※結 袈裟

︵ゆ いげ さ︶ 輪袈 裟に は六 つの フサ がつ い てお り六 波羅 蜜を 表 して いま す。 十界 の修 行の 中 で菩 薩界

︵奉 仕の 行︶ の六 波羅 蜜 行が 最 も大 切な 修行 です

。六 つの フサ は赤

、紫

、 緑で 階級 を表 して おり 赤 フサ が最 上級 と なっ てい る。 山伏 の階 級は 準先 達、 先達

、 準大 先達

、大 先達

、 参仕

、直 参、 峯 中出 世の 段7 階と なっ てい る。

︵ちなみに︑中井住職の房は赤でした︒︶

※螺 緒︵ かい のお

︶ 岩場 を登 る時 や危 難 の時 にこ れを 解い て用 いま す。 長さ 25は メー トル あり ます

。 ほか

に鈴 懸︵ すず かけ

︶、 釈杖

︵し ゃく じょ う︶

、最 多角 念珠

︵い らた かね んじ ゅ︶

、 引敷

︵ひ っし き︶

、手 甲・ 脚絆

︵て っこ う・ きゃ はん

︶で す。

大峯奥駈道が世界遺産に登録され︑一般の

方が山に入られることについて何か思いはあ

りますか

これ は 大変 微妙 な問 題 です

。吉 野大 峯 山と いう もの をい ろん な形 で広 く 知っ て 頂く のは 大変 あり がた いこ とで す。 その 一方 面白 半分 で山 に入 られ 滑 落し 亡く なっ たり され ると

、昔 のま まが いい の かな と思 いま す。 お山 で出 会う のは 修 行 者だ けに して 欲し い気 持も あり ます

。 私 とし ては 俗化 され るこ とが 一番 心配 です

。 例え ば 深仙

︵じ んせ ん︶ の 清水 は、 お 香水 とし て貴 重な 水で 灌頂 会の 時に 使わ れま すが

、こ の水 はち ょろ ちょ ろと 流 れ てく るの を笹 で受 けて 貯め 込む ので すが

、 これ が水 の貯 まり 場と して セメ ント で囲 われ てし まっ てい ます

。喉 の渇 きを い や すと いう こと では 合理 的か も知 れな いが

、 割り 切れ ない 気持 ちで す。 また

、危 ない か ら橋 を架 けた

、鉄 で囲 った とか

、或 いは 鉄板 に説 明書 きな どさ れる と必 要な こと かも 知れ ない がつ ら い思 いを しま す。 こ うい った 案内 も熟 練の 先達 が次 の行 場は

こう いっ た所 であ ると 皆に 説明 する 形が その まま 残れ ばい いと 思 いま す。 その た めの 先達 です から

⋯ 私達 も お山 に入 り 朽ち て 危険 な個 所、 大 雪、 大雨

、 地震 等で 岩崩 れ して 危険 な 個所 等を 調査 し関 係機 関で

﹁連 絡協 議会

﹂ を設 け奥 駈道 が修 行の 場と して 昔の まま 保全 出来 れば と願 って いま す。 皆さ んに も是 非ご 理解 頂き たい と思 いま す。

中井住職は︑齢

70歳を刻もうとするいまも

なお︑奥駈への熱い思いが衰えることはない︒

語っていただいているその顔には︑永年修験

を通じて大峯の山々の心を体中で感じとって

こられた信念がほとばしる︒

﹁ちょうどいい機会だから︑この7月の奥

駈修験の旅へ参加されたらいかがですか?﹂

という親切なお誘いに︑

﹁はあ⁝︑い︑いや⁝その︑ありがとうご

ざいます︒いや︑ですから⁝今日はお忙しい

中︑取材にご協力いただきありがとうござい

ました︒﹂

何やらわけのわからないお礼の言葉を残し

て︑午後3時前︑喜蔵院を辞することにした︒

外は︑お昼までの好天が嘘のように︑大雨 である︒

雨の吉野もこれまた一興と空威張りしなが

ら︑散策がてらケーブルの駅へと向かった︒

︵財︶関西交通経済研究センター   首席研究員  山本  義弘

︻取材協力︼  

  大峯山護持院

  喜蔵院    住職  中井教善

  師

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