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考 察

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(1)バイエルン. 橋. ドイツにおける不動産譲渡法に関する一 考察. ザクセン. 舟. ードイツ民法典成立以前のラント法を中心にー. 一 はじめに. ニプロイセン ー プロイセン一般ラント法 2 土地所有権取得法. ー. 3 プロイセン法総括 三 その他の地域 2. 3 ラインラント 四 むすびに代えて. ドイツにおける不動産譲渡法に関する一考察︵舟橋秀明︶. 秀. 一九九. 明.

(2) はじめに. 早稲田法学会誌第四十八巻︵一九九八︶. 一 ︵一︶ 本稿の目的. 二〇〇. 民法学の領域において︑物権変動論はもっとも難解で︑かつ︑もっとも重要な論点の一つである︒長年にわたる議. 論にもかかわらず決定的な解釈論がいまだ出されていない︑というのが現状ではなかろうか︒そこで本稿においては︑. 決定的な解釈論を提起するというところまでには至らないが︑少しでもこれに近づくための準備作業としての考察を 行う︒. 我が国において物権変動論が議論される場合︑基本的な視点としていわゆる意思主義︵フランス法主義︶かまたは ︵1︶ 形式主義︵ドイツ法主義︶かという問題のとらえ方をするのが一般的であるといえる︒ところが︑物権変動論の問題. は︑このような基準に基づいて議論され得るほど単純なものではない︒物権変動に形式を必要とすることは︑確かに ︵2︶ ドイツ法の特色である︒しかし︑よりよくドイツ法を特徴づけているものは物権契約の存在ではなかろうか︒他方︑ ︵3︶. 法律実務においては︑ドイッ法主義とフランス法主義は議論されているほどの差異はほとんどない︑という見解が. ある︒したがって我が国における従来の物権変動論に関する理解は︑誤りとは言わないまでも︑決して正確なもので. はないと言わざるをえない︒そこで物権変動論の理解をさらに正確に︑かつ︑深くするためには︑フランス法にしろ ドイツ法にしろ︑より正確な比較法的な研究と理解が要求されるであろう︒. それゆえに︑フランス法︑ドイツ法︑および日本法の体系的︑総合的な研究を行うことが︑もっとも効率的な研究. スタイルと考える︒そこで︑本稿では︑このような研究の第一歩として︑まず最初に︑ドイツにおける不動産譲渡法. の議論を中心に行う︒そしてこのドイツ不動産譲渡法の中でも︑ドイツ民法典︵以下BGBと略︶の規定を検討する.

(3) 前に︑BGB制定以前の各地方におけるラント法を中心に考察を展開していく︒このように︑一見すると遠回りする. ような手順を踏むのは︑歴史的な流れに沿って議論を展開することによって︑BGBに規定された原則の理解がさら に深まることが推測されるからである︒ ︵二︶ 我が国における議論. BGB制定以前の各ラント法についての我が国の研究状況について言うならば︑プロイセンについては︑さまざま. な分野について︑それぞれ比較的詳しい研究がなされている︒プロイセン法が︑BGBの制定過程において︑もっと も影響力を持つこととなったのがその原因であると思われる︒. ところが︑ドイツにおいても同様に︑プロイセン以外のラント法についての研究成果は数少ない︒したがって︑必. 然的に本稿においても︑プロイセン法についての議論に比べて︑プロイセン以外のラント法についての議論が手薄に. 本稿の対象. なっていることは否めない︒不足のところがあれば御教授願いたい︒ ︵三︶. 本稿では︑﹁不動産﹂の譲渡法を対象とする︒それは︑物権変動の議論が従来から不動産物権変動についてなされ. てきたこと︑および登記に対してどのような効力を付与するかという問題の解決次第で︑物権変動に対する解釈論が. 大きく変化してくる︑というような理由から︑とりわけ﹁不動産﹂の譲渡法を議論することに意味があると考えるか らである︒. 二〇一. また不動産の譲渡に関しては︑その原因として売買︑相続︑時効取得など︑いくつか考えられるが︑本稿において は︑とくに当事者の意思表示に基づく不動産の譲渡︑物権変動を対象とする︒ ︵四︶ 本稿の構成 ドイツにおける不動産譲渡法に関する一考察︵舟橋秀明︶.

(4) 早稲田法学会誌第四十八巻︵一九九八︶. 二〇二. 以上のことを踏まえて︑本稿は︑次のような構成にしたがって検討を進めていく︒まずはじめに︑プロイセン法の. 状況について検討する︵第二章︶︒その際︑プロイセン法固有の間題についての検討に合わせて︑第三章において論. じられることになるプロイセン以外の地域についても共通に議論される問題に関しては︑ここで予め検討しておく︒. プロイセン以外の地域については︑バイエルン︵第三章第一節︶︑ザクセン︵同章第二節︶︑ラインラント︵同章第. 三節︶の順序で論じていく︒そして最後に︵第四章︶︑本稿における検討を通して得た︑これまでの一般的な認識に. プロイセン. 対する︑筆者なりの新たな提案を提示する︒. ニ ー プロイセン一般ラント法 ︵一︶前提. プロイセンにおける立法活動は︑プロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム一世︵男幕量3ぎ浮①ぎH︒在位一. 七一三ー一七四〇︶が国家の統一と統一的立法の作成を意図したことからはじめられた︒そして実際に法典編纂事業 ︵4V. が完成したのは︑そのおよそ一世紀後の一七九四年︑プロイセン一般ラント法︵以下ALRと略︶の制定・公布に. よってであった︒この法典は︑中世以来継受されてきたローマ法とゲルマン古法以来のドイツの固有法との不調和を. 排除し︑両者を有機的に結合するものとして︑また普通法の適用を排除しうる最初の法典として︑ドイツ法史上画期. 的意義を有するものといえる︒またこの法典は︑一九〇〇年BGBの施行と共に大部分がこれにとって代わるまでの. およそ一世紀にわたりその通用力を保持した︒この法典の効力に関しては︑ALRがドイツ普通法に優先し︑﹁都市 法はラント法を破り︑ラント法は普通法を破る﹂という原則に従っていた︒.

(5) ︵二︶ ALR上の不動産譲渡法. 物権の承継取得に関して︑ALRにおいては前期普通法学説である簿三拐琶α蓉2ω曽8葺①呂三︒巨葛理論. ︵6︶. ︵5︶ ︵﹁権原と取得様式﹂理論︒以下では窪艮疹毒儀馨含ω理論とする︒︶が採用され︑この理論の実定法への定着がは じめて達成された︒. ALRは物権と債権を厳格に区別することなく︑債権を物権取得の原因として関連付けていた︒すなわち債務法が. ︵7︶. 物権法に従属する形で融合させられていたので︑諸々の契約は所有権の取得原因としてのみ取り扱われていたので ある︒. 鼻三拐暮α馨含ω理論における簿三拐とは︑﹁正当な権原冒器︒き器﹂をあらわし︑当事者の譲渡意思を具体化 ︵8V. ︵9︶. したものと定義することができる︒鼻三5を有する者は︑物の占有を全く考慮することなく︑一定の物の譲渡に向 ︵10︶. けられた債権︵人的権利︶を取得する︒この権利は寄9欝ξ留︒冨︵冒ω呂吋︒目︶と名付けられ︑事実上︑これが物権 ︵11︶. 取得の権原↓一琶を構成することになる︒この寄9欝ξの8冨︵甘の区べΦ目︶に対して︑ALRは悪意の第二譲受人に. 対抗する効力を認めた︒この規定は︑健全な自然理性︑国情︑そして現実に通用している判例や地方固有法をも考慮. すべきであるとする要請と︑それに即応する多くの立法関係者の心情が勝った結果として成立したものと考えられて いる︒. ︵12︶. そして権原葺三房に続く取得様式馨身ωとしては︑対象物の上に直接的で︑すべての者に認識可能な性質を備え. る占有の取得︵引渡︶が要求された︒これは外部的︑事実的︑公示レベルの過程であり︑契約的な性質は有していな いとされる︒. 二〇三. 以上を総合的に見ると︑葺三5という原因行為から評9欝弩の8冨︵冒ω区﹃①目︶が生じ︑これに引渡目&5が加 ドイツにおける不動産譲渡法に関する一考察︵舟橋秀明︶.

(6) 早稲田法学会誌第四十八巻︵一九九八︶. ︵13︶. 二〇四. わることによって恩99鳳旨留︒冨︵甘ω一昌邑すなわち物権へと発展・強化されるという構造を備えていたことが. 理解できる︒ただし正当な権原がはじめから存在しなかった︑または無効・取消により正当な権原が存在しなくなっ. 葺巳5毒αヨ09ω理論の形成過程. た場合には︑仮に引渡がなされたとしても︑権利移転の効果は発生しなかった︒ ︵三︶. ︵15︶. ︵16︶. ︵17︶︶. ここで葺三5暮α§魯ω理論の形成について考察してみよう︒ ︵皿︶ ローマ古典法においては︑厳格な方式の下に所有権譲渡を行う握取行為︵目き暑呂︒︶︑および訴訟の形式を利用. して所有権譲渡を行う法廷譲与︵一三ξ︒8路︒︶が行われていた︒その後ユスティニアヌス帝の時代に至り︑引渡 ︵18︶. ︵欝昏§が万民法上の所有権譲渡方式として承認されるようになってきた︒その際︑引渡は単なる事実的な行為. として認識され︑それ以外になんらの方式をも必要としなかったために︑単なる事実行為である引渡が所有権譲渡の ︵19︶. 法律効果を生ずるためにはさらにもう一つの法的要素︑すなわち正当な原因含器︒讐邑が存在していなければな らなかった︒. ︵20︶. ローマ法継受後のドイツにおける法律家および法律実務には︑ドイツの現実の法をローマ法によって説明し︑両者 を融合させるという課題が課せられていた︒. 一六世紀に至り︑人文主義の風潮の中で歴史的・非体系的なユスティニアヌス帝の法源の順序に従った註釈的な方 ︵21︶. 法に対して︑体系的・総合的に理性と法制度の本質によって思考された新たな分類が行われるべきであるという方法. 論上の主張がなされた︒人文主義者であるアペル9言亀は含︒9a一8象賠&8ω§δ区﹄鼠呂暑号呂§. 88目暮3旦観錺︾﹃法律学に適合せる︑弁証法的理性﹄と︽ぎαq︒鴨℃霞α芭品毒一昌ρ轟9︒二一び8巴霧二ε3昌旨 ︵22︶ O﹂琢浮一き二暑①聾黛陣ω﹂竃O︾﹃ユスティニアヌス帝の法学提要全四巻への対話による入門﹄という二つの著作に.

(7) おいて︑体系的な法律学を形成し︑所有権譲渡理論である葺巳房巨α馨身の理論を主張した︒. アペルは︑契約と所有権取得様式の混同を戒めて︑かたくななまでのスコラ的思惟を通して︑この理論を構成して. いった︒すなわち所有権の原因︵8窃曽&巨忌Vはその取得様式︵馨身霊β昌8亀に存在し︑契約︵8再轟g易︶は. 債権・債務の原因︵︒き器9凝弩募︶でしかない︑とした︒つまり債権・債務と所有権の取得様式との間には︑契. 約は取得様式としての引渡の原因︵85碧声島δ昌︶であるにすぎないという関係しか存在しないのである︒した. ︵23︶. がって引渡︵霞毘筐︒︶が所有権取得の近因︵8拐餌冥負ぎ四︶であり︑契約はその遠因︵︒き釜器§邑であると. する︒アペルは︑この近因と遠因の対比において︑物権と債権を分類して︑最終的には︑この分類はロマニステンに ︵鍛︶ よる厳格な物権と債権の峻別へと結び付いていくのである︒. アペル自身は葺巳房という用語こそ用いることはなかったが︑これが蜂三霧仁注暮含ω理論として︑サヴィニー. ALRの制定後. の理論が出現するまでのおよそ三〇〇年もの間︑ドイツの所有権譲渡法を支配することになった︒ ︵四︶. さて︑つぎにALR制定後の状況について考察する︒. 蜂三湯毒α93ω理論の提唱者とされる一六世紀のアペルによれば︑この理論は元来承継取得のみをその対象と ︵25︶. していたが︑実際に︑ALRは原始取得をもその射程に入れるのみならず︑法規や判決によっても権原が基礎付けら れることを認めていた︒. さらに例外として︑たとえば抵当権の設定の場合︑抵当権はそもそも物の占有を必要としない物権であるため︑抵 ︵26︶. 二〇五. 当権の設定には占有の移転を要件とすることはできず︑つまり蜂三拐仁且馨含の理論を単純に適用することはせず に︑抵当権登記簿への登記をその要件として付け加えた︒ ドイツにおける不動産譲渡法に関する一考察︵舟橋秀明︶.

(8) 早稲田法学会誌 第 四 十 八 巻 ︵ 一 九 九 八 ︶. 二〇六. 以上のように︑物権の取得一般には物の引渡を要求する葺三彦仁且馨3ω理論を採用し︑他方抵当権の設定・取. 所有権の二重構造︵最U后言ま&8田鴨暮毒ω︶. 得には登記を要求することによって︑所有権の二重構造の間題が必然的に発生することになった︒ ︵五︶. ここで所有権の二重構造の問題に簡単に触れておく︒なお︑この間題は︑プロイセンに特有なものではなく︑プロ イセン以外の地域においても共通に論じられるべき問題である︒. ローマ法によれば︑所有権は引渡によって移転する一方︑不動産担保権に関しては︑担保権設定契約だけで有効に ︵27︶. 成立し︑なんらの公示手段も要求していなかった︒したがって︑抵当権ですらも公示を要することなく存在すること. が可能であったのである︒中世のドイツでは︑都市をはじめとした経済的な発展︑さらに農業の資本主義化にとも. なって︑従来の﹁質﹂形式による担保では経済効率が悪いため︑不動産への﹁抵当﹂形式による担保によって資本の 借入が次第に要求されるようになり︑その結果︑抵当法が急速に発展していった︒. 抵当法に関してローマ法を維持する限り︑信用取引を害することは明らかである︒そのため登記は抵当権の設定の ︵28︶ ためには必要であるとする原則︵担保権登記主義頃き象ぎ房巻什窪︶が確立されていった︒. この原則が確立されることによって生じた新たな問題が︑所有権の二重構造の問題である︒すなわち︑現実に土地. を占有している所有者と︑抵当権設定のためだけに作成された登記簿に所有者として記載されている所有者という具. 合に︑二種類の所有者が併存可能な状態となり︑これにより必然的に土地所有関係が複雑化してきた︒前者︵現実に ︵29︶. 占有している所有者︶を自然的︵轟9葺魯亀所有権︵者︶︑後者︵登記簿上の所有者︶を市民的︵区お①岳魯亀所. 有権︵者︶という︒両者は必ずしも一致していなかった︒たとえば︑登記をしていた所有者から引渡を受けた取得者. がそのまま登記を放置していた場合などがある︒そこで︑真実の所有者と主張し得る者は引渡を受けた者だけであり︑.

(9) ︵30︶. 登記はしているが引渡を受けていない者は真実の所有者とはみなされないという原則が確立した︒もちろん登記未了. ALR下における所有権の二重構造. の占有者が登記をすることを妨げるものではなかった︒ ︵六︶. ALRの制定後は︑所有権の二重構造を解消することが主な課題となった︒この問題の解消のためには︑葺三霧. 琶α暮魯ω理論に基づいて現実に占有している自然的所有者と︑登記簿上の所有者である市民的所有者との齪驕を. 1︶. 取り除けば十分である︒一つの案として︑引渡を受けた所有者に登記を強制することが考えられる︒つまり強制的名 ︵3 義更正︵N語罐鋒琶び豊9凝毒鵬︶の義務付けである︒. 2︶. 当初プロイセンにおいては︑土地所有権の取得のためには引渡だけでは十分ではなく︑実際には︑さらに抵当権登 ︵3 記簿への所有名義の更正が加わらなければならなかった︵強制的名義更正︶︒しかし一七八四年八月二四日および一. 八〇四年五月二六日の命令によれば︑登記は事実上の占有移転に先行することができ︑この場合には︑所有権は登記. の時に移転した︒このような事情を考慮すると︑馨倉ωの形態としては引渡ばかりでなく︑登記をも念頭にあった ものと考えることができよう︒. しかしながら︑この時代の登記手続きについては︑啓蒙主義的専制国家の警察的・後見的な機能を担っていたた ︵33︶. めに︑権原についての実質的審査主義が非常な厳格さをもって実施されていた︒さらに不正な登記が行われれば︑こ. ︵35︶. 4︶. れを行った登記官吏は損害賠償の義務を負うことになっていたので︑審査の範囲も徐々に拡大され︑登記をすること ︵3 に非常に慎重になって︑そのため登記手続きが著しく遅滞することになった︒これに対しては︑審査範囲の拡大によ ︵36︶. る︑公権力の私権への介入であるとの批判が強く出されるようになった︒このような状況から︑一八〇五年︑強制的. 二〇七. 名義更正義務は一時的に緩和された︒登記の更正の絶対的な強制を正当化するためには︑国家の利益自体からはあま ドイツにおける不動産譲渡法に関する一考察︵舟橋秀明︶.

(10) 早稲田法学会誌第四十八巻︵一九九八︶. ︵37︶. 二〇八. りにもかけ離れているということがその理由になったようであるが︑その五年後の一八一〇年には︑公共の福祉と善 ︵38︶ 良な秩序のためには強制的名義更正が必要であるとの認識から︑これが再び導入されることになった︒この時︑譲渡. 9︶. 人は契約に基づいて譲受人が登記されることを承諾し︑譲受人はその登記を申請するという形式を採るのではなく︑ ︵3 当事者の一方のみがそれを申請すれば登記は許され︑そして事実上の占有移転が証明されてはじめて登記が行われた ︵一八一六年六月一九日および一八一九年五月一七日の命令︶︒. ︵40︶ しかし登記強制による登記費用の納付︑および国家の監督的・後見的規制に対する国民からの批判︑経済的自由主 ︵覗︶. 義の勃興などが原因となり︑一八三一年一〇月三一日の閣令︵頴獣箒霧︒こ8により︑強制的名義更正義務は最終. 的に完全に廃止されることになった︒これ以来︑登記はもはや所有権の取得にとってはなんらの意昧も持たなくなり︑ ︵42︶. 当事者の裁量で登記名義更正が行われるにすぎず︑既に完成した所有権移転の任意的で︑純粋な管理行為とみなされ るようになった︒. このように所有権の二重構造を回避するための努力はなされたものの︑結局は︑登記名義の更正が義務化されな. かったために︑所有権の二重構造はますます激化し︑煩わしい面の多い登記主義は後退せざるをえなかった︒した. がって︑現実の占有をしている者だけが︑次の取得者に対してさらに占有移転が可能であるという理由で︑この者だ. けが真の所有者とみなされるようになった︒これに反して︑引渡を受けていない登記簿上の所有者としては︑占有を ︵43︶. 必要としていない限りで所有権そのものを処分する権限がなく︑占有を必要としない権利︑すなわち抵当権を有効に. 設定しうる権限に制限された︒登記簿上の所有者と抵当権取引を行った者は︑その者が善意である限りで取引が有効 ︵処︶ となる善意取得制度により︑抵当権取引に関してはとりあえず保護されるようになっていた︒このような意昧で︑プ ロイセンの︵抵当権︶登記簿には既に公信力が与えられていたといえる︒.

(11) 少なくとも抵当権に関して登記制度を導入したことによって︑ローマ法以来の黙示および法定の抵当権は︑プロイ. センにおいては完全に消滅することになった︒それゆえ︑抵当権の公示性と特定性︑さらには物権の安定性が容易に︑. 5︶. かつ︑適切に確保されることになり︑成長しつつあった資本主義経済の発展に寄与することとなった︒しかしその反 ︵4 面︑登記手続きの煩雑さと高い登記費用はなお克服を要する課題として存続した︒. なお一八四五年七月一一日の公証人法以来︑私署証書による契約を基礎にしては抵当権登記を行うことはできず︑ ︵46︶. したがって登記をするためには︑その基礎となる契約に︑証拠保全及び契約内容の審査を理由に︑裁判所または公証 人による署名の公証が必要となったことを付け加えておく︒. 土地所有権取得法の制定. 2 土地所有権取得法 ︵一︶. 警察的・後見的な啓蒙専制主義的国家の基盤の上に立つALRは︑時代の流れとともに︑その存在を根底から覆さ. れざるをえなかった︒すなわち市民社会の成立︑自由主義的な思想の台頭︑経済的自由放任主義の発展は︑ALRの. 予定していた法律状況に支障をきたし始めていたのである︒法律学の領域においても︑歴史法学派が台頭し︑パンデ ︵47︶. ︵48︶. クテン法体系の完成を目指す後期普通法学が大きな影響力を持つようになり︑ALRがその批判の対象になって. いった︒このような状況の下で一八七二年に成立したのが土地所有権取得法︵以下EEGと略︶である︒. EEGの制定にあたって︑そのもっとも大きな動因となったのはプロイセンにおける経済状況であった︒すなわち︑ ︵鶴︶. 大土地所有貴族たちは︑所有地のさらなる拡大とそれに伴う土地経営の合理化︑および農業技術の改良のために多額. 二〇九. の資本を必要としていたのである︒その他にも戦争︵七年戦争一七五六ー六三︶や一連の農民解放︵一八〇七年一〇 ドイツにおける不動産譲渡法に関する一考察︵舟橋秀明︶.

(12) 早稲田法学会 誌 第 四 十 八 巻 ︵ 一 九 九 八 ︶. 二一〇. 月九日の農民解放令以降︶により︑ますます多くの資本を必要とした︒このような金融の促進が社会的に要請される. 場合︑大土地所有貴族ばかりでなく︑一般投資者にとっても物的担保︑とりわけ不動産担保が好都合な担保手段とな. る︒登記簿の利用により︑不動産担保の中でも特に抵当権が次第に整備されてゆき︑それに伴い︑利息の収取と投下 ︵50︶ 資本の安全・確実な回収がはかれるようになり︑土地信用がさらに促進されるようになった︒. 1︶. 2︶. その一方で︑登記手続きの面で間題が残っていた︒特に実質的審査主義が間題となっていたのであるが︑これが信 ︵5 用取引を遅滞させる主な原因となっていた︒そのため︑手続きの簡素化︑登記手数料の軽減︑抵当証書の移転の容易 ︵5 化等の要請がなされ︑これらの問題を解決すべく︑時の宰相ビスマルクによって新人事が行われた︒一八六七年一二. 月︑当時の司法大臣であったリッペ伯︵O段雅8︒匡Nξロ窓φ一八一五−一八八九︶が罷免され︑新たにレオンハ. ルト︵O段訂匡︾α&≦旨Φξ冨︒菩弩象一八一五!一八八○︶が司法大臣に就任した︒さらに彼は︑一八六八年︑. 参事官としてフェルスター︵﹁霞馨雲一八一九−一八七八︶を招塒し︑本法の作成を委嘱した︒レオンハルトと. 譲渡契約+アウフラッスンク+登記. フェルスターは共に歴史法学の支持者であり︑歴史法学説の立法化に尽力した︒ ︵二︶. EEGが採用した不動産譲渡理論は︑︵債権法上の︶譲渡契約︑これに登記裁判所でのアウフラッスンク. ︵>邑霧象詔︶と登記を加えるとするものである︒EEG草案の審議上もっとも問題となったことは︑以下のような. ことである︒その第一点は︑法律状態としては不健全なものと考えられていた所有権の二重構造を排除するために︑. 引渡による所有権移転を廃止し︑登記による所有権移転に一本化することである︒第二点は︑取引の迅速性を害し︑. 登記手続きの遅滞の主な原因をなしていた実質的審査主義を排除するために︑アウフラッスンク理論を導入すること によって︑売買契約などの原因行為を登記官吏の審査の対象から除外することであった︒.

(13) これらの問題に対しては︑さまざまな議論がなされた︒すなわち︑登記とアウフラッスンクはもともと一つのもの ︵53︶. であり︑さらに譲渡契約と登記の有効性を分離することはおかしいのではないかという疑問や︑反対に︑アウフラッ. スンクから抽象的︵無因的︶性格を排除して実質的審査主義を維持することに対しては︑実質的審査主義は行き過ぎ た行為であるなどの非難が浴びせられた︒. ︵54︶. 最終的には不動産についての唯一可能な取得様式馨含ωとしては︑登記ということに落ち着いた︒またこの取得. 様式のための権原葺三5に相当する部分には︑物権契約としてのアウフラッスンクが当てはめられた︒したがって ︵55︶. 土地所有権の移転は︑もはや引渡によらずに︑アウフラッスンクに基づく登記簿上の名義書換が行われたときにはじ. ︵56︶. めて完了することになった︒この場合のアウフラッスンクは︑所有権の譲渡を意図する所有者の意思表示として観念 ︵57︶. ︵58︶. され︑この意思が譲渡契約︑たとえば売買︑交換︑贈与などに基づいているかどうかは︑サヴィニーが主張した ︵59︶. ↓轟昏一8の場合と同様に︑閾題にならなかった︒すなわち︒き器はアウフラッスンクそれ自身の中に︑そしてそれ. アウフラッスンクの法的性質. 1︶. だけに存在したのである︒それゆえに︑登記官吏による審査の範囲もアウフラッスンクに限定されることになり︑原 ︵60︶ 因行為にまで及ぶような実質的審査主義はアウフラッスンク理論の導入により完全に排除することができた︒このよ ︵6 うにしてフェルスターは︑さまざまな批判にもかかわらず︑結局はサヴィニー理論の立法化に成功した︒したがって︑ ︵62︶ サヴィニーの無因的物権契約理論を立法上肯定した最初の例はこのEEGであると言われている︒ ︵三︶ ︵63︶. アウフラッスンクの法的性質として︑当時一般的には︑これを物権契約︑しかも無因的な契約であるとして理解さ. 二一一. れていたが︑立法者であるフェルスター自身は︑契約の無因性どころか︑物権契約という概念でさえも認めていな ︵64︶ かった︒具体的にフェルスターの普通法学上の見解を見てみるならば︑以下のようになる︒フェルスターは︑売買な ドイツにおける不動産譲渡法に関する一考察︵舟橋秀明︶.

(14) 早稲田法学会誌第四十八巻︵一九九八︶. 二一二. どの譲渡行為を権原↓箒一とみなし︑引渡の原因はこの譲渡行為の中にはじめから内蔵されている所有権の移転に向. けられた当事者の合意であるとする︒そして︑所有権の移転は合意の効果として生ずることになり︑他方︑引渡は︑. サヴィニーが観念したような契約ではなく︑単なる事実行為であり︑権原たる譲渡行為から生ずる義務の履行である. と考える︒合意に所有権移転の効果を認めるものの︑さらに引渡という外部的行為を要求するのは︑物に対する支配. を現実のものにするためでしかなかった︒そして︑権原の中に引渡の原因が含まれていると理解するにもかかわらず︑. それらは一体のものではなく︑したがって仮に権原についての錯誤があったとしても︑引渡の原因すなわち当事者の. 合意さえ存在すれば︑引渡を伴って所有権は移転するものと理解していた︒サヴィニーの物権契約概念に関しては︑ ︵65︶ 所有権の移転を完成させるために何故に二つの契約が存在しなければならないのかが疑問である︑と批判している︒. ︵四︶小括. 以上のようなフェルスターの理解に基づいてEEGを考察すると︑アウフラッスンクは決して契約ではなく︑従前. ︵68︶. 7︶. の所有者による新たな取得者のための所有権の放棄を意味することになるであろう︒そしてこの所有権放棄の意思表 ︵66︶ 示は︑登記名義の書換えについての承諾を意味し︑さらに取得者による新たな登記の申請が伴った︒また︑アウフ ︵6 ラッスンクは当事者相互問に交わされるものではなく︑登記官吏に向けて表明される公の行為であると理解すること によっても︑アウフラッスンクの契約性は否定された︒. このようにフェルスターの見解は︑サヴイニーの物権契約理論とは内容的に異なったものではあったが︑法的構成. については︑両者ともに所有権移転に向けられた独自の意思︵物権的意思・アウフラッスンク︶を抽出し︑これが無 ︵69︶ 因的性質を持ち︑さらにこれに外部的行為︵引渡・登記︶を伴わせたところは全く同一の構成といえるであろう︒. EEGが極めて論理的な構成を持つアウフラッスンク理論を導入した反面︑ALR上で行われてきた窓9欝ξ.

(15) o︒. 8ぎ︵甘ω区話首︶の制度が廃止された︒物権と債権を厳格に峻別するパンデクテン法体系の所産ともいうべきアウ ︵70︶. フラッスンク理論の導入にとっては︑葺巳霧琶α白&5理論を基礎とする幻Φ9欝ξ留9Φのような物権と債権の中. EEG制定以前の状況. プロイセン 法 総 括. 間形成物は受け入れられなかったからであった︒. 3 ︵一︶. 資本主義の発展に伴い︑プロイセンの商業経済は成長し︑農業は農業技術の革新︑経営の合理化のために多額の資. 本を導入することを余儀なくされた︒その際︑投資を行った債権者は利息の獲得と投下資本の安全・確実な回収をは. かるために担保の設定を要求するが︑商業経営者および大土地所有者にとってもっとも手っ取り早い担保手段として. 不動産担保権︑とりわけ抵当権が利用されることになった︒しかも抵当権登記簿の利用により︑特定の原則・優先の. 原則・公示︵公信︶の原則を維持することが可能になると︑これらの原則によって投資債権者にとっても有利な事情 となり︑それに伴い金融取引がさらに促進されることになった︒. ところがこの金融取引にはいくつかの障害が存在した︒すなわち︵不動産︶譲渡理論として葺三疹§伍馨&ω理. 論をALRが採用したために︑土地所有権の譲渡のためには土地の引渡が要求され︑他方︑占有を必要としない抵当. 権の設定のためには登記が要求された︒このため︑現実に土地を占有している自然的所有権︵者︶と登記簿の名義人. となっている市民的所有権︵者︶というような所有権の二重構造を生み出すことになってしまった︒抵当取引につい. 二一三. ては善意取得制度が採用されたので︑取引の相手方は抵当権についてのみ保護される余地があったが︑所有権の取得 にまで保護は及ばなかったので︑次第に不動産取引に混乱をきたしてきた︒ ドイツにおける不動産譲渡法に関する一考察︵舟橋秀明︶.

(16) 早稲田法学会誌 第 四 十 八 巻 ︵ 一 九 九 八 ︶. 二一四. さらに登記については︑登記実務上︑実質的審査主義が採用されていたので︑登記の際には契約などの原因行為に ︵71︶. 審査が及ぶことはもちろんのこと︑審査内容の厳格さをはかるために︑時には当事者の個人的な関係に立ち入ること. さえもあった︒このために︑取引の迅速性が不当に害されるという結果がもたらされた︒このような状況は︑当時世. の中に広まりつつあった自由主義の影響下においては︑国家による不当な介入と感じられ︑取引の容易化・迅速化の. EEG制定以後. ためにも実質的審査主義の排除が強く望まれた︒ ︵二︶. EEGはこのような状況を打破するために制定されたといっていいだろう︒特にEEGに新たに採用されたアウフ. ラッスンク理論は︑実質的審査主義の排除と所有権の二重構造の解消に大いに役に立った︒すなわち︑土地所有権の. 移転には登記を要すること︑および登記の際の審査の範囲を物権契約とされるアウフラッスンクの部分に限定するこ. とによって︑登記のない所有者を排除し︑また登記手続きを容易化することによって実質的審査主義を完全に排除す. ることに成功したのである︒したがって︑プロイセンにおいては取引の安全を保護するという積極的な目的のために ︵72︶. 新たな理論が導入されたのではなく︑所有権の二重構造の解消︑実質的審査主義を排除するという︑プロイセンに固 有な︑消極的な目的から導かれたことが理解できるであろう︒ ︵73︶. ラント法主義者が主張する︑﹁形式主義と︑所有権移転の物権的側面および債権的側面との純粋理論的分離﹂は. ﹁非現実的な無内容な骨董品﹂である︑というような非難やさまざまな反対にもかかわらず︑プロイセンにおいて︑. アウフラッスンク理論は確実に定着していった︒このことは︑結果的には︑所有権の二重構造の解消︑および登記手. 続きにおける実質的審査主義を排除する機能を持ち得たのではあるが︑アウフラッスンク理論の導入は必ずしも理論. 的または解釈学的な結果とはいえない︒むしろフェルスターら当局者たちの普通法理論の貫徹に対する︑きわめて学.

(17) ︵74︶. 問的体系学上の個人的な欲求の結果であろうと考える︒というのも︑物権契約理論の創始者であるサヴィニーにとっ. ての物権契約理論は︑ローマ法を基礎とした引渡主義が理論の前提にあり︑さらにパンデクテン法体系の確立のため. のすぐれて思弁的な結果であったからである︒したがってフェルスターらの努力によってEEGにおいて確立された. ︵76︶. アウフラッスンク理論は︑所有権の二重構造の解消︑登記手続き上の実質的審査主義の排除という︑サヴイニーに ︵75︶ とっては思いもよらなかった理由で︑すなわちきわめてプロイセン的な特殊事情の下で確立されていったのである︒. 他方︑アウフラッスンク理論の確立によって新たな問題が引き起こされた︒すなわち︑この理論の確立の反面. 寄魯9ξ留︒冨の制度が廃止されたために︑それまでは善意の譲受人に対してだけ所有権を取得しうるという保護. が与えられていたものが︑悪意の第二譲受人もが所有権を取得することが可能となり︑さらには詐害的な意図を持っ. た者までもが所有権取得の保護の対象になり得た︒つまり悪意者排除の機能が喪失し︑これによって︑実際の取引に. おける弊害がまったく考慮されなくなってしまった︒そしてこのような弊害を憂える声はBGB制定時まで続くこと. になる︒したがってこの問題をBGBにおいてどのように解決していくかを検証することは︑これからの課題の一つ. その他の地域. として残されているであろう︒. 三. ドイツ法の統一を目的の一つとしていたドイツ普通法としてのローマ法は︑その継受と同時にその目的とは全く反. 対に︑ドイッのほとんどの地域において︑地方固有法との溝を徐々に広げて行き︑︼般法と特別法という厳格な関係. をもつに至った︒ドイツの国内はいくつかの領邦国家によって分割され︑統治されていたので︑当然のことながら︑. 二一五. それらに固有の法をそれぞれ有していた︒その中でも︑プロイセンの法状況については既に前章において詳論した︒ ドイツにおける不動産譲渡法に関する一考察︵舟橋秀明︶.

(18) 早稲田法学会誌第四十八巻︵一九九八︶. バイエルン. 二一六. したがって本章においては︑プロイセン以外の地域における法状況を取り上げ︑ その概観を説明する︒. ー ︵一︶ 前提・バイエルンラント法. 啓蒙期自然法学の影響を多大に受けた法典が最も早く編纂されはじめたのは︑バイエルンにおいてであると言われ. 浮拐Ω註邑﹄が制定さ. ている︒啓蒙主義的思考の持ち主であった選帝侯マクシミリアン三世ヨーゼフ︵ζ塁巨鼠三一こ︒昭9り在位一七四. 五−一七七七︶の統治の下で︑一七五六年︑﹃バイエルン民法典︵Oa震ζ髪巨冨莞霧田<. れた︒次いで︑これが改訂されて﹃クーア・バイエルンニフント法︵9寧田篇冨魯8冨且吋9邑﹄となった︒この 7︶. 法典はさらに改訂されて﹃バイエルン・ラント法︵評器誘98冨区お︒ε﹄となり︑ライン河右岸に至る広大な地 ︵7 域において︑BGBの施行まで通用することになった︒これら一連の法典は︑クライットマイアQ︒器喜≦蒔三器拐. ざ<&霧≧︒冨一房宰鉱ぽΦ霞<8寄Φ葺暴≦二七〇五−一七九〇︶の手によって編纂された︒彼は︑できる限り明瞭 ︵78︶. かつ平易な言葉を用い︑十分に検討し尽くされた諸解決法を取り入れ︑さらに錯乱した旧来の伝承を完全に排除した 法典を目指していたと言われる︒. 法典については︑体系的には︑ユスティニアヌス帝の法学提要に倣い︑﹁人事法﹂︑﹁物権法﹂︑﹁債務法﹂という分. 類が採用された︒法典の効力に関しては︑依然として存続し続ける単行制定法に対して原則的・優先的効力を承認し︑ ラント法自体には補充的効力しか認めていなかった︒. さて︑不動産譲渡法に関しては︑ローマ法の原則を導入した︒すなわち︑まず正当な原因曾ω蜜︒窪危が存在し︑. さらにそれに基づいた引渡・占有移転︵富鼻δ︶によってはじめて︑不動産所有権が移転するものであった︵引渡.

(19) 主義︶︒外見的には︑他の地域となんら異なるところのない引渡主義が行われたのであるが︑ここにはバイエルンに 特徴的な現象が含まれていた︒ ︵79︶. それは︑権利変動の原因をなす権原︵↓箒一︶︑つまり譲渡契約が︑常に︵公正︶証書化されなければならなかった. ことである︒バイエルンにおいては︑地理的にもイタリアに近かったためか︑早くから公証人制度が発達し︑権原. ︵目琶︶のためには公正証書の作成が義務付けられ︑これを基礎に引渡が行われなければならないという構成がと. バイエルンラント法以後. られていた︒以後この公証人慣行はBGBの制定に至るまで継続されることになる︒ ︵二︶. しかしながら︑バイエルンにおいても資本主義経済の波が押し寄せることによって︑抵当権の需要が増大していっ. た︒当時バイエルンを全面的に支配していたローマ法︑とりわけローマ法上の抵当法が︑金融経済において︑次第に. 支障をきたすようになってきた︒つまりローマ法上認められていた一般抵当︵菖ε夢︒8Φ鷺饗邑邑および黙示の. 抵当︵ξ宕爵︒8曾畳幕︶が︑抵当債権者による投下資本の回収の安全性・確実性を阻害し︑そのために︑抵当債権. 者たちは︑必然的に当事者間の約定により設定した抵当権に対して︑不安の疑いを持つようになっていった︒さらに︑. しまいには資本を投下すること自体に躊躇しはじめたのである︒その一方で︑バイエルン地方においても︑当然のこ. とながら︑物的信用に対する期待はますます大きなものとなり︑物的信用は金融経済にとって不可欠なものとなって いくのであった︒. このように矛盾した状況の中で︑既に一七八三年にプロイセンにおいて成立していた︑改正抵当権条例︵零窪盈零訂. ≧奮馨ぎ塚8芸魯窪−9号きひq<量8●嵩●嵩o︒εがバイエルン法に対して大きな影響を与えることになった︒つ ︵80︶. 二一七. まり︑抵当権の設定のためには抵当権簿への登記を必要とする︑という原則を規定した抵当権法が︑先のプロイセン ドイツにおける不動産譲渡法に関する一考察︵舟橋秀明︶.

(20) 早稲田法学会 誌 第 四 十 八 巻 ︵ 一 九 九 八 ︶. 一二八. 法を参考にすることによって︑一八二二年にバイエルンにおいても制定され︑これによって抵当権についての﹁特定. の原則﹂︵oo需N芭一聾呂言暑︶と﹁公示︵公信︶の原則﹂︵汐9葺壁箕一昌N邑がはじめて確立されることになった︒. このときに確立した特定の原則には︑一個の抵当権が一定の土地を把握するという意味ばかりでなく︑一個の抵当. 権は一定の金額に集中されなければならないという意味も同時に含んでいた︒また︑公示︵公信︶の原則によって︑ ︵81︶. 抵当権についての登記主義と善意の抵当権者の保護機能が︑はじめて導入された︒抵当権登記簿を利用することに. よって︑登記がなされた順序にしたがった抵当権の順位が確定されたために︑ローマ法上認められていた特権的抵当 権が完全に排除され︑その反射的効果として︑抵当権者の保護がもたらされた︒ ︵三︶ バイエルン民法草案. 経済上の要求から︑抵当権に関して登記主義が採用されたにもかかわらず︑他方︑不動産所有権の譲渡に関しては︑. 依然として引渡主義が維持されたことから︑その後の発展は︑プロイセン法について既に説明したことと同様に︑所 有権の二重構造の発生とその弊害の解決にあった︒ ︵82︶. 実際に︑一九世紀の中頃︑所有権の二重構造を解消すべく︑バイエルンにおける新たな民法典の草案が作成される ︵83︶. に至った︒この草案によれば︑土地の所有権は取得者が登記簿へ所有者として登記されることによって取得される︑. と規定されている︒ここに不動産所有権の譲渡に関して︑はじめて登記主義が規定されたことになるのであるが︑こ ︵84︶. の登記主義の内容としては︑登記がいわゆる形式的法確定力︵蜀暴頴慰9諺ξ 津︒α﹂︒毒毘Φ望器且ω胃聾︶を持. つものと考えられている︒つまり︑所有権取得のための正当な権原︵寄︒募簿亀がもともと存在しなかった︑また. は正当権原が無効・取消可能なものであったのに︑登記が行われてしまったとしても︑登記さえ有効になされてしま. えば︑全く瑠疵のない所有権の移転が実現されてしまうのであった︒このように︑原因関係においてなんらかの毅疵.

(21) があったとしても︑当然には物権関係にまで影響を及ぼすことはなくなったために︑その後の最終的な清算は︑債権. 法上の請求権として︑登記の取消を求めることによって行われた︒この制度を導入することによって︑所有権の二重. 構造を完全に排除することに成功した︒しかし︑前述したように︑登録免許税が高額であったことなどの理由から︑ 実際には︑登記がなされることは稀であったようである︒. つぎに︑この所有者としての登記のためには︑所有権取得のための正当な権原︵寄︒算ω鼻色︑すなわち従前の所 ︵85︶ 有者が取得者への所有権の移転を承諾することを内容とする法律行為を前提としていなければならなかった︒さらに︑. 土地に関する権利の登記を行うためには︑登記の法的原因︵響︒算詔窪且︶とこれから登記される取得者の登記に対 ︵86︶ する承諾について公的な証書︵鼠窪践9︒ωΦ仁詩琶α琶鵬︶を作成する必要があった︒. ここで︑前述したプロイセン法と比較してみよう︒プロイセンのEEGにおいては︑登記に直接結びついた権原と. してアウフラッスンクが観念されたのであるが︑他方︑バイエルンにおいては︑登記するための権原として観念され. たものは法律行為であった︒しかもこの法律行為は︑債権法上の契約であったと考えられる︒なぜなら︑プロイセン. 法がアウフラッスンク理論を採用したのは︑アウフラッスンクが登記手続きにおける実質的審査主義を排除するため. の有効な措置であったからであるのに対して︑バイエルンには︑昔から公証人慣行が確立していたことから︑登記手. 続きにおける実質的審査主義がはじめから問題にならず︑債権法上の契約とは考えられないアウフラッスンクのよう な特殊な形式を採用する必要がなかったからである︒. 二一九. 以上のことから︑バイエルンにおいては︑プロイセンのような論理的に複雑で難解な不動産譲渡法を確立すること ︵87︶ なく︑より単純でわかりやすい不動産譲渡法が行われようとしていたことが理解できる︒. ドイツにおける不動産譲渡法に関する一考察︵舟橋秀明︶.

(22) 2. 早稲田法学会 誌 第 四 十 八 巻 ︵ 一 九 九 八 ︶. ザクセン. ︵一︶ 裁判上のアウフラッスンク+登記 ︵88︶. 二二〇. ザクセンにおいては︑ドイツ古法の時代から︑その卓越性が認められてきたザクセンシユピーゲル. ︵留9紹霧冨豊︶が多大な影響力をもって行われてきた︒ザクセンシユピーゲル上の原則としての不動産譲渡理論 ︵89︶. は︑裁判所で行うアウフラッスンクとそれに基づく公の帳簿︵土地登記簿︶への登録という手続きによるというもの. であった︒ザクセン法上維持されてきた≧一a芭ぎ話昌9嘆︵裁判上のアウフラッスンク︶においては︑従前の所有者. ︵譲渡人︶から新たな所有者︵譲受人︶への直接的な土地所有権の移転が認められていなかった︒つまり︑この譲渡. 法は︑所有権の移転経路をたどるならば︑譲渡人は︑いったん裁判官に対して︑自己が有していた土地所有権の放棄. の意思表示を行い︑次いで譲受人による裁判官に対する所有権取得の意思表示により︑譲渡人からではなく︑裁判官. から間接的に所有権が移転されるという︑三面的な移転経路をたどっていく譲渡方式であった︒. もちろんここにいうアウフラッスンクはプロイセンにおけるEEGによって採用されたものとは性質的に異なり︑ ドイツ古法の時代から受け継がれてきたものである︒ ︵二︶ ザクセン民法典以前. ︵90︶. ところが︑ザクセンの地方慣習によれば︑特にローマ法の継受以降のことであるが︑裁判所におけるアウフラッス. ンクは︑実務においては︑頻繁に怠られたのが現実のようである︒つまり︑裁判所を介した手続き︵アウフラッスン. クおよび登記︶を経ることのない︑単に当事者間の︵契約上の︶合意だけに基づいて︑引渡だけが行われるという︑. いわゆる引渡主義が慣習として成立していた︒これによって︑徐々に取引に混乱が生じはじめたのである︒そこで︑. このような法形式の踏まれていない土地所有権の譲渡は︑はたして有効か否かという問題が生じ︑かつ︑そのときの.

(23) 土地所有権の譲受人にはどのような保護が与えられるかが︑特に間題となった︒ ︵91︶ ︵92︶. これに伴い︑ザクセンにおいても同様に︑所有権の二重構造の問題が生じたが︑この問題の解消のためには︑強制. 的な登記名義更正義務が課されたり︑登記に形式的法確定力を認めたりするなどの︑いくつかの解決策が試みられた︒ ︵三︶ ザクセン民法典目登記の形式的法確定力. ザクセン法は︑法の歴史的な経過から観察しても理解できるように︑比較的早いうちから︑登記に対して法的な効. 力を付与してきた︒しかしながら︑ザクセンにおけるこのような法制度は︑不動産信用制度の安定と促進︑土地取引 ︵93︶. の明確性と見通しをよくすることに貢献することを目的として創設されたものではなく︑むしろ税金制度の確立に唯. 一の目的を設定していた︒したがって︑当時の登記制度は︑今日のような私法上の制度としては認識されておらず︑. 登記簿自体は地租台帳として認識され︑財政上の制度としてのみ重大な意昧を持っていたのである︒国家にとって︑ ︵94︶ 税金制度の確立は不可欠な最重要課題であり︑またそれが唯一の指導的思考であった︒. しかしながら︑このような思考も︑取引が盛んになるにつれて︑次第に衰退しはじめると︑これにとって代わって︑ ︵95︶. 税政策またはその他の財政上の目的から明確に分離された︑単に私法にのみ貢献する︑今日の意昧での土地登記簿が︑. 一八四三年の法律によってはじめて導入された︒この法律によって﹁登記なければ物権なし﹂︑︑︒目Φ野9§鵬レ晋 象髭ぎ冨ω評︒拝.︑という︑登記主義の原則が完全に確立されることになった︒ ︵96︶. また︑所有権の二重構造の問題に関しては︑この法律によって解決されたかどうかは争いの余地のあるところであ. るが︑少なくとも一八六三/六五年のザクセン民法典の成立によって完全に解消されるに至った︒. ザクセン民法典によれば︑土地所有権の取得には登記が必要であって︑そのほかに占有の取得までは必要としてい. 二二一. ない︒登記は︑法律行為としてではなく︑単なる形式行為︵ぎ§巴欝け︶として観念された︒したがって︑登記する ドイツにおける不動産譲渡法に関する一考察︵舟橋秀明︶.

(24) 早稲田法学会誌第四十八巻︵一九九八︶. ︵97︶. ︵98︶. 二ニニ. ためには︑所有権取得のための正当な原因が前提とされた︒そして︑この正当原因となりうるものとしては︑所有権. 移転に向けられた法律行為︑裁判上の判決︑相続などが法典に列挙されている︒登記が︑無効または取消可能な正当 ︵99︶. 原因に基づいてなされた場合には︑譲渡人は︑譲受人に対して登記の抹消を請求する権利︵>鉱の9ε凝巽9εを取. 得するにとどまる︒結果として︑正当原因の無効または取消によっても︑土地所有権は当然に譲渡人に復帰するとい ︵m︶. う構成はとられなかった︒このことから︑ザクセン法上の登記には形式的法確定力が付与されていたと理解すること. ができる︒民法上︑この場合に譲渡人に認められる請求権は︑物権的な請求権ではなく︑単なる債権法上の請求権で. しかない︒このような請求権の性質の帰結として︑原則的には︑この請求権の範囲は︑既に登記を完了した第三取得. 者にまで及ばないことになる︒しかしながら︑この第三取得者が︑自己への登記の時に︑前主の登記の法的原因の正 ︵皿︶. 当性︑または取消可能性を知っていた場合には︑この第三取得者に対しても︑譲渡人の抹消請求権が及ぶことが規定. ザクセン法総括. されている︒この規定は登記の公信力を明文上認めたものと理解される︒ ︵四︶. バイエルン法は︑実際に︑登記に対して形式的法確定力を認めようとしていた︒しかし︑結局のところ︑この制度 ︵鵬︶. は草案段階に終わってしまったので︑登記の形式的法確定力を明文上はじめて認めた法典は︑ザクセン民法典である. といえるであろう︒ザクセン法が登記制度に力点を置いたのは︑もちろん所有権の二重構造を解消するためでもあっ. たであろうが︑それよりもむしろ︑ザクセン当局が領域内の土地を自ら管理し︑さらに︑そこから確実に税金を挙げ. ることに魅力を強く感じていたからであろう︒他の地域︵特にフランス法領域︶においては︑国家権力が私人の取引. 関係に介入することを︑とりわけ敬遠したために︑登記制度の導入にことごとく失敗している︒最終的には︑経済的. な要請により︑登記制度の導入を余儀なくされるが︑そこに至るまでには︑必ず紆余曲折を経ているのである︒まし.

(25) てや登記の形式的法確定力については︑必ず失敗し︑結果的に導入されるに至らないでいた︒ザクセン法が︑このよ. うな他と異なった発展経過をたどつたのは︑これは筆者の想像に過ぎないのであるが︑ザクセンという国家が︑人民. に対して有無を言わさぬほどの絶大な権力を握っていたからこそ可能であったのではなかろうか︒何故にザクセンば. ラインラント. かりが︑登記の形式的法確定力のラント法としての立法化に成功したのかが疑問である︒. 3 ︵一︶前提. ライン河の左岸に位置するこの地域は︑地理的にフランスと接しているために︑ある時にはドイツ領になり︑また. ある時にはフランス領になるというように︑常に非常に不安定な状況に置かれていた︒ ︵鵬︶ 一八世紀の終わりに︑ライン河左岸地方がフランスによって占領された際に︑これに伴いフランス法がこの地域に. 侵入していった︒公式︵法的︶な領土分割が︑一八〇一年になってはじめて行われたことからも推測されるように︑. フランス法のドイツ領域への侵入はかなり強引に行われたようである︒そして︑その後︑このフランス法は︑この地 ︵継︶ 域を拠点にしてゆっくりとその影響力を拡大していった︒. 当然のことながら︑この当時は︑いまだナポレオン法典は存在していなかったので︑このときドイツ領域に侵入し ︵塒︶. 合意︵契約︶主義. ていったフランス法というのは︑革命期の法︑とりわけ一七九八年のブリュメールの法律︵野毒葺①68欝︶で あった︒. ︵二︶ フランス法の導入. 二二三. その後︑フランス本国においてフランス民法典︵ナポレオン法典︶が完成し︵一八〇四年︶︑この地域においても ドイツにおける不動産譲渡法に関する一考察︵舟橋秀明︶.

(26) 早稲田法学会誌第四+八巻︵一九九八︶. 二二四. これが導入されてくるようになると︑不動産所有権の譲渡をはじめとする︑物権の設定および移転のためには債権法. 上の譲渡契約を必要とし︑しかもただそれのみによって︑有効に譲渡が行われうるという合意主義︵契約主義︶が不 動産譲渡法の原則となり︑これについては︑登記制度が導入されなかった︒. 他方︑とくに抵当権︵および先取特権︶に関しては︑とりあえずは︑対抗要件としての登記が利用されることに. なっていたが︵フランス民法典第二一六六条︑第二一〇六条︶︑抵当権の設定についても︑原則的には︑合意主義が. 適用されることになり︑また︑もともと公示を必要としない一般抵当の制度を存続させたので︑公示のなされない抵. 当権が有効に成立することが可能となり︑さらに対抗力を持ち得た︒このような黙示の抵当権が存在することによっ. て︑次第に取引の安全は害されるようになっていった︒以上のような状況は︑本国のフランスにおいてばかりでなく︑. ラインラントにおいても︑経済が発展するにつれて︑次第に大きな弊害を生じはじめさせた︒このことが主な原因と. なり︑一八五五年になってはじめて登記法︵一八五五年三月二一二日の法︶がフランスにおいて制定され︑これによつ ︵鵬︶ て不動産所有権の譲渡についても︑抵当権と同様に︑登記制度が導入されることになった︒しかしながら︑ここで導 ︵斯︶. 入された登記制度は︑プロイセン法におけるような所有権譲渡の成立要件になることはなく︑登記には第三者対抗要 件としての効力しか付与されなかった︒. このようにして︑フランス法においても全面的に登記制度が導入されたにもかかわらず︑資本主義経済の発展に伴. い︑さらに高まっていく物的信用に対する期待と︑一般抵当がフランス法においてなおも残存し続けたこととは︑相. 対立する思考であった︒したがって︑いっそうの経済の発展を望む時代の流れは︑取引の安全を危険にさらす一般抵 当を排除する機運を次第に高めていった︒ ︵三︶ プロイセン法の導入.

(27) ナポレオンのラインラントからの撤退により︑次いでこの地域に侵入してきたものはプロイセンであった︵一八一. 五年︶︒これと同時に︑プロイセン法を導入しようとする見解もあったが︑プロイセン法上の登記制度を導入するに ︵鵬︶. はあまりにも多額の費用を必要とし︑さらに︑実質的審査主義についてなされる︑裁判官︵登記官吏︶による私人関. 係への無用な干渉に対する嫌悪感などから︑一挙にプロイセン法が導入されることは回避された︒とりわけ市民によ. るこの嫌悪感は︑従来のフランス法に従っていたときには︑登記に必要な申請書のためには公証人によって作成され. た証書によることが義務付けられていたために︑この申請書の適法性だけを審査の対象とする形式的審査主義が採用 されていたので︑特に意識されたことであろう︒. しかしながら︑経済の発展は法の安定性・確実性をさらに要求したので︑ついには一八八八年四月一二日の法律に. よって︑旧プロイセン土地登記法が移入され︑これによってはじめてプロイセン法が導入されることになった︒. むすびに代えて. 以上のように︑抵当法の分野に関していくつかの変化が見られたものの︑ナポレオン法典の主要な部分は一九〇〇 ︵㎜︶ 年一月一日︵BGBの施行︶に至るまで︑ラインラントにおけるその効力を維持し続けた︒. 四. ドイツにおいて行われてきた︑いくつかのラント法上の不動産譲渡法を考察してきたが︑BGB制定以前は︑その. 地域に特有の譲渡法が行われていたことが確認された︒すなわち︑ドイツ普通法的な流れをくむもの︵プロイセン前. 期︑バイエルン︶︑一九世紀ドイツ普通法︵学︶的な流れをくむもの︵プロイセン後期︶︑ゲルマン・古ドイツ法的な. 流れをくむもの︵ザクセン︶︑そしてフランス法的な流れをくむもの︵ラインラント︶というように︑BGB上の不. 二二五. 動産譲渡法が︑各地方間における共通の概念に基づいて制定されたものではないことが明らかとなったであろう︒ ドイツにおける不動産譲渡法に関する一考察︵舟橋秀明︶.

(28) 早稲田法学会 誌 第 四 十 八 巻 ︵ 一 九 九 八 ︶. 二二六. BGB上の不動産譲渡法は︑プロイセンの譲渡法︑とりわけ一八七二年の土地所有権取得法が模範となって構成さ. れているといわれているが︑確かに︑債権契約のほかにアウフラッスンクと登記を要件とする点において︑外見上は︑. 両者とも同じ原則に基づいてるようにみえる︒しかし︑詳細に分析するならば︑プロイセン法上のアウフラッスンク. は︑当事者間の契約とは考えられず︑サヴィニーの物権契約というよりは︑むしろゲルマン古法で行われていたもと ︵m︶. もとの意味でのアウフラッスンクに近いものであって︑したがって︑BGBが規定しているようなアウフラッスンク とは性質的に異なるものといえる︒. このような認識に立てば︑BGB上の不動産譲渡法が︑全く異なった地方固有の譲渡法から︑種々の議論と妥協の. 末︑現行の譲渡法に到達したものと推測することができる︒したがって︑筆者にとっての今後の課題としては︑BG. Bの立法過程において︑各地方固有法の立場からどのような主張︑議論がなされ︑その結果として︑現行法の理論が. 他方フランス法は意思主義が原則であるにもかかわらず︑少なくとも不動産の譲渡については︑口頭または私署証書による合意が成立しただ. 七戸克彦﹁登記の推定力︵二︶ー比較法的考察ー﹂法学研究六三巻一号八一頁︒. り8誇自①o犀幹>亀︒区㎝﹂りω9ψoo一曽い 囚轟βω9U器田巳oq旨暢實言N言偉且忌02①但鷺2巴9護似Φωo. 原島重義﹁債権契約と物権契約﹂﹃契約法体系三︵有斐閣︶所収一〇四頁以下︒. 成立していったかを明らかにすることが残されている︒. ︵1V ︵2︶ ︵3︶. けではいまだに契約が成立していないものと意識され︑公正証書の作成︵この時に売買代金が支払われ︑登記申請手続きが行われる︶の時点で. 契約がはじめて成立し︑それと同時に不動産の所有権が移転するものと考えられている︒したがって売買契約の締結にはほとんど常に公正証書. これは︑フリードリッヒ大王︵閃幕93α韓9&.在位一七四〇ー一七八六︶の啓蒙主義的国家の構築の意図の下で作成・公布されたもので︑. ≧眞03①冒8い雪昏Φ︒鐸hξ&①零の償匿ω3窪の99︒け窪一⑩刈. 権変動﹂法学教室一〇九号六二頁以下︒. が作成されるために︑いわば要式主義︵または公証人を登記官とする登記主義︶が行われていると理解することができよう︒鎌田薫﹁不動産物. ︵4︶.

(29) ︾亀口ま8堕も︒讐陸. 近世ヨーロッパにおける最初の体系的で︑啓蒙期自然法学の影響を強く受けた法典といえる︒ヴィーアッカーは︑ALRは啓蒙期自然法学説の. ALRは公法・私法の両規定を包含し︑全二編四七章︑およそ二万条もの条文を有する膨大なものであった︒この法典の特色は︑その編別か. 集大成であるという︒妻一S畠9ギぞ弩9簿詔Φ曽芽鐸①号﹃寄盲①霊卜︒. らも知られている通り︑第一編財産法︵相続法を含む︶︑第二編身分法︵婚姻法・親子法のほか︑農民・市民・商人・貴族等の階級的身分法お. よびその一部としての商法・行政法・刑法を含む︶に分けられ︑十八世紀の法律思想を代表するもので︑その基本は国家の等族的構成︑私生活. ︾舅︐H9曹1︒︒︑﹁所有権を取得する外的諸行為を︑種々の取得様式︵日毒旨旨Φq器こと規定する︵1︶︒﹂﹁右の外的諸行為が所有権を取得. に対する国家の後見的干渉︑専制的族長国家等の思想であった︒. する力を持つ法定原因︵鴨鋒昌3︒O籍区︶を所有権の権原という︵2︶︒﹂﹁所有権取得には占有の取得を要する︵3︶︒﹂好美晴好﹁甘ω区﹃§. ︵5︶. 卜舅一﹂O︑密り﹁物の所有権の間接取得は︑それに必要な権原︵目邑︶のほかに︑その現実の引渡︵註蒔ぎ箒孚Φ嶺菩Φ︶を要する︒﹂好美・. とその発展的消滅ー特定物債権の保護強化の一断面ー﹂一橋大学法学研究三号三二二頁参照︒. サヴィニーはALRのこの部分について次のような批判を加えている︒その第一点目は︑債務関係が権原として引渡に先行しなければならな. 前掲三二一二頁参照︒. Z鴛房︒ぼ拝の﹂窪︵九大法学部所蔵︶︒野田龍︸﹁サヴィニーとプロイセン︸般ラント法i一八二四年講義ノートの研究︵一︶1﹂法政研. いということに対してであり︑簿三5仁区馨倉︒︒理論は引渡の際に正当な原因甘器︒窪器を必要とするローマ法源の誤った抽象と解釈に基づ くものであると非難する︒さらに第二点目として︑それに悪意の第三者に対する効力を認めたことに対するものであった︒一器ξ一鴨房. 野田・前掲涯 ︵ 5 ︶ 一 一 四 頁 ︒. 石田喜久夫﹁引渡主義について1物権行為の理解のためにー﹂民商法雑誌三九巻一・二・三合併号一八七頁︒. 究四八巻三・四合併号一二九頁以下︒ ︵6︶. ︾蜀ゆ一﹄諭嵩ド﹁かかる債権が特定物の引渡︵OΦげ9︶または譲渡︵O睾讐毎轟︶を対象にもつとき︑これを寄9欝霞留3︒という︒﹂好. 卑昏8国蒔窪9彗ω段毛Φ﹃げ¢区>5け窪ω︒凝︒ω︒茎舞一箕O●の●oo命. ︵7︶. ︵9︶. ︵8︶. ︵10︶. >舅﹄一ρ鷲9﹁引渡のときに︑それより早く成立した他人の権原艮琶︵の存在﹀を知る者もまた︑その者の不利益においてより早くなさ. 野田・前掲注︵5︶二二〇頁︑好美・前掲注︵5︶三二八頁以下︒. 美・前掲注︵5 ︶ 三 二 三 頁 参 照 Q. ︵11︶. 二二七. 卜賠H刃留o︒ら﹁︵引渡による占有の取得は︶従前の占有者が他人のために物を放棄し︑その者が放棄せられた占有を取得することによって. れた引渡を主張することはできない︒﹂好美・前掲注︵5︶三三〇頁参照︒ ︵12﹀. ︒⑦好美・前掲注︵5︶二九八頁︒ ㌍き費帥動○の︒o. 行われる︒﹂有川哲夫﹁物権契約に関する学説史的考察﹂福岡大学法学論叢二〇巻四号三=一頁参照︒ ︵13︶. ドイッにおける不動産譲渡法に関する一考察︵舟橋秀明︶.

(30) 手中物︵土地︑奴隷など︶についての所有権を移転する際に行われた譲渡行為︒ζω9智旨零富のギ帥轟け§算♂レ魯﹂8Pψ一置︒. 二二八. ︵14︶. イェーリングはローマ法上のこれら二つの譲渡方式が︑抽象性︵無因性︶を有する物権契約の最も古い形式であると指摘する︒冒象農るΦ茸. あらゆる種類の物︵非手中物を含む︶の所有権の移転の際に行われた譲渡行為︒図器9鐘○あ﹂嵩●. 早稲田法学会誌第四十八巻︵一九九八︶. ︵16︶. 島8&塁δOげO昌 ΦO耳の﹂一一.一〇. QO OO O︐の・N一ピ ユスティニアヌス帝以前の法においては︑握取行為および法廷譲与がすでに衰退した後で︑単なる引渡によるのではなく︑売買や贈与などの. ︵15︶. ︵17︶. あり︑それゆえそれらの契約は譲渡の原因行為であるばかりでなく︑これ自体が物権行為としての性格を兼ね備えていた︒ζω9きbあ■. 契約によって直接的に所有権を移転させるようになっていた︒それは︑売買や贈与が即時的に実行される践成行為として理解されていたからで. 所有権の移転のためには引渡を必要としたが︑他方不動産担保権の設定に関しては︑契約のみによって成立し︑そのほかになんらの方式︵登. =①い. 記など︶も要求しなかった︒ローマ卑俗法においては︑不動産譲渡に関して︑ほとんど常に︑都市参事会における申述︵<霞富&一目吸︶と証書. ︵18︶. の作成︵切窪甚自魯凝︶が要求された︒葦S鼻9鐘bあ8鰹一 なお引渡の具体的な方法としては︑譲受人が目的物を現実に支配する状態に置かれればそれで十分だった︒したがって物の現実的交付のほか. ︒ふ旨﹄ヒ扇●ご︑土地はそこに近接した適当な場所から譲受人に手を広 に︑野外の牛などには焼き印を押すことによって︵d豆曽崖ω●∪﹂o. を引渡すことによって︵O旨ωピ﹂一ド99ざ磐N﹂ひホ︶︑賃貸中の物は﹁単なる意思﹂を示すことによって︵いわゆる短手の引渡碁鼻︒. げて範囲を示すことにより︵いわゆる長手の引渡霞蟄瓜巳︒茜曽塁讐︶︵℃曽三5q占面﹂﹄じ︑貯蔵庫内の品物の引渡はその貯蔵庫の前で鍵. 耳a慧凄︶︵9冒幹∪︒島﹄ヒぴヒ菅き舞O︐①面㊤●こ引渡すことが認められていた︒さらに牽王が引続き保管︑賃借︑用益などを行う場. 評巳5q島レる一讐9言の﹄﹄9. ﹁単なる引渡だけでは決して所有権は移転せず︑売買その他︑何らかの正当な原因が先行し︑そのため. ミ︶︒松尾弘﹁ローマ法における所有概念と所有物譲渡法の構造−所有権譲渡 合には︑いわゆる占有改定が認められていた︵9官9︒窪・ ︒ ピふ﹂ 理論における﹃意思主義﹄の歴史的および体系的理解に向けて︵1︶1﹂横浜市立大学論叢四一巻社会科学系列三号二六八頁︒ ︵19︶. またドイツ法が所有権の移転について物権と債権との関係で︒窪器を論ずるのに反して︑フランス法では債権の成立についても︒き器が論. に引渡が行われることによって︑これを生ずる︒﹂. 二垂紀の末から一三世紀のはじめの頃にローマ法が継受され始め︑一五世紀以降になって継受が完了したとされている︒継受の状況に関し. さらに売買による所有権譲渡の場合には︑代金の支払いが要求されていた︒ζω99︾Oあ﹂ミ●. フランス法上の︒睾器論について︑小粥太郎﹁フランス契約法におけるコーズの理論﹂早稲田法学七〇巻三号参照︒. ぜられる︒篠塚昭次・月岡利男﹁物権変動と原因︵O程絶ー甲即ヴェスターマンの所説にそくしてー﹂登記研究二七六号七頁以下︒なお. ︵20︶. ︒あレ象蓋窪畠Φき鐘bあ﹂&陣大木雅夫﹁世界におけるわが国の民法−日本民 て︑寂葺霧き善︒昏戸浮β§冨ω零一く弩9拝o︒︒>邑﹂箋o 法典の系譜﹂法学教室一八一号三一頁︒.

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