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荒木田麗女の歴史物語『笠舎』の全体像

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Academic year: 2021

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(1)Title. 荒木田麗女の歴史物『語笠舎の』全体像. Author(s). 雲岡, 梓. Citation. 国語論集, 16: 12-23. Issue Date. 2019-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/10449. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 荒木田麗女の歴史物語 『笠舎』 の全体像. はじめに 荒 木 田 麗 女 ( 一 七 三 二 ~ 一 八 〇 六 ) が 執 筆し た 『 笠 舎 』 は 、 神武天皇から安徳天皇までの八十一代の間の出来事を編年体で 記 す 長 編 歴 史 物 語 で あ る 。 四 鏡 と 同 様 の 仮 託的 構 成 で 、 伊 勢 の 蓮 台 寺 の 僧 房 で 雨 宿 り を す る 間 に 長 寿 の 老 人 か ら 聞 い た昔 語 り を書き記したものとする。麗女の著作の中でも大部の書である が、完本が現存せず、翻刻もなされていない。 本書の存在については、すでに戦前に千田憲氏が紹介してい る (1) 。しかし千田氏が調査して以降、残存状況に変化も生じ、 典拠を推測し得る新たな資料も発見されたため、ここに再度『笠 舎』の全体像を詳細に提示したい。. (ママ). 一、成立と構成 麗 女 の 著 作 の 書 名 ・ 執 筆 着 手 日 ・完 成 日 ・ 冊 数 等 を 詳 細 に 記 す資料、『檜垣麗女著述目録』(2)には、以下の記載がある。 笠舎 五十五 局 従同年(※注・安永二年)五月廿一日 至同三年正月二十六日成 こ れ に 拠 ると 、 麗 女 は 四 十 二 歳 の安 永 二 年 ( 一 七 七 三 )五 月 二 十 一 日 に 執 筆 に 着 手し 、 お お よ そ 八 ヶ 月 後 の 翌 安 永 三年 正 月 に完成させている。そして冊数は五十五冊あったことがわかる。 また、麗女の自伝『慶徳麗女遺稿』(3)にも、成立事情の窺 える記述がある。. 雲 岡 梓. それより、日本紀をはじめ、我が朝の国史類、諸家の記等、 又公事の書、有職の書の類をみるに、殊におもしろく、心と むるやうなりしかば、又良人、さらに仮名国史に似たらんこ とをも書出でよと望まるゝにより、「池の藻屑」を書きたり。 是は北海先生の序あり。跋は岩垣亮卿なり。後三角先生も序 を添へらる。次に「月の行へ」は、野公台の序あり。(略) 笠舎五十四冊は、これも国史にならへり。 ここでは、国史や公事、有職故実の書に興味を持っていた麗 女が夫の勧めによって歴史物語執筆を始め、 『池の藻屑』、 『月 の 行方』に続いて『笠舎』を完成させた経緯がやや詳しく書かれ ている。冊数は『檜垣麗女著述目録』の記録よりも一冊少なく、 五十四冊とある。なお、 『池の藻屑』は後醍醐天皇から後陽成天 皇までの十四代、 『月の行方』は高倉天皇と安徳天皇二代の歴史 を記すものである。 『笠舎』は後述する通り残欠本である。しかし、第一代神武 天皇から安徳天皇までの歴史を記すことがわかり、 『池の藻屑』、 『月の行方』に書かなかった神武天皇以降、高倉天皇以前の歴 史を補う意図が窺える。ただし高倉天皇、安徳天皇については 『月の行方』に書かれた時期と重複している。 『 笠 舎 』 序 文 は 、 にわ か 雨 に 見 舞 わ れ た 聞き 手 が 笠 舎 り の た め に 伊 勢 の 蓮 台 寺 僧 房 に 立 ち 寄 り 、 老 翁 か ら 昔 語 り を 聞く と い う、四鏡に倣った仮託的構成となっている。このため、 『笠舎』 という書名が付けられているのである。語りの場となっている. (- 12 -). −12−.

(3) 蓮 台 寺 と は 鼓 嶽 山 蓮 台 寺 で 、 明 治二 年 に 廃 寺 に な り 、 現 在 の 伊 勢市勢田町滝口に遺構が残る。 二、諸本と残欠状況 『 笠 舎 』 は 国 立 国 会 図 書 館 に 麗 女 自 筆 本 が 、名 古 屋 大 学 附 属 図 書 館 に写 本 が 所 蔵 さ れ る 。 ど ち ら も 完 本 で は な く 、 国 立 国 会 図書館本『笠舎』(以下、国会図書館本)は巻一、二、三、四、 十 六 、 二 十 、 二 十 一 、二 十 三 、 二十 四 、 二 十 五 、 二 十 八 、 三 十 (上)、三十三、三十四、三十六、三十七(上)、三十八、三十 九 、 四 十 一 、 四 十 二 巻を 欠 き 、 三 十 一 冊 が 残 る 。 名 古 屋 大 学 附 属図書館本『笠舎』(以下、名古屋大学本)は三、四巻を欠き、 三十三冊が残る。 論 述 の 便 宜 上 、 国 会図 書 館 本 ・名 古 屋 大 学 本 の 書 誌 を 簡 単 に 示す。. ②名古屋大学本 【 所蔵 】 名 古 屋 大 学 附 属 図 書 館 ( 請 求 記 号 : 神皇)。 三十三冊が残存。 【表紙】 藍色無地。二十六・〇×十七・五(㎝)。 【外題】 なし。 【内題】 なし。 【見返し】 「 十二代景行天皇 ヨリ/ 十六代応神天皇 マデ/二」のように記 される。 【書写者】不明。筆跡から見て、麗女・夫家雅ではない。 【来歴】 巻一の一丁表(遊紙)に貼紙し、 「慶徳荒木田麗女著 /笠 舎 三 十 四 冊 /但 原 稿 自 書 ハ 別 ニ 所蔵 セ リ / 両 日庵蔵」とあり、両日庵旧蔵書であることがわかる。 両日庵は幕末~明治の伊勢の書家、江川近情。 国会図書館本の清書本。 【備考】. 見返しに記入される通り、 『笠舎』は各天皇一代の間の出来事 について編年体で記している。第一代の神武天皇以外は、 「 第二 代 の 帝 綏 靖 天 皇 と 申 奉 る 、 御 諱 神 渟 名 川 耳 の尊 と て 、 神 武 天 皇 第三の皇子におはします。」と、天皇の代・諡・諱・出自を記す ところから始まる。『今鏡』、『増鏡』のように雅な巻題を付さず、 冒頭に天皇の名称を掲げるのみであることは、 『 池の藻屑』 、 『月 の行方』と同様である。 国 会 図 書館 本 も 名 古屋 大 学 本 も 序 文 ・ 跋 文を 欠 く が 、麗 女 の 和文集『麗女文集 下』(4)に「笠舎序」、「同跋」が収載され る こ と か ら 、 も と も と は 序 ・ 跋 が 存 在 して い た こ と が わ か る 。 序 文 に 並 外 れ て 長 寿 の 老 人 が 登 場 し 、 聞 き 手に 昔 語 り を 始 め る 場面が描かれる点は四鏡と同様である。そして物語の最後に再 び老人の語りに回帰し、 「此後の御代のことはくさ〴〵しう申さ. / A / 5 . 3 1 9. ①国会図書館本 【所蔵】 国立国会図書館(請求記号: )。 三十一冊が残存。 【表紙】 黒色無地。二十四・一×十六・九(㎝)。 【外題】 「笠舎 一」題簽左肩(後補。巻号は時代の古い順に 一 か ら 三 十 一 ま で 付 さ れ る 。 見 返 し に 自 筆で 記 さ れ る巻数と一致していない)。 【内題】 なし。 【見返し】 「廿六 武烈帝 ゟ/三十一 敏達天皇 迄/五」のように 記される。 【書写者】麗女自筆。 【備考】 稿本で貼紙・○印△印を付しての書入あり。. (13). −13− 4 1 1 3 8.

(4) ん よ り は 、 増 鏡 な ど 御 ら ん じて よ 。 い と あ き ら か に ま のあ た り 見る心ちなんし侍るぞかし、とて、さらに聞へ出ることもなし。」 と の 一 文で 物 語 が 終 わ る こ と に より 、 麗 女 に 第 一 代 天 皇 か ら 始 め て 『 増 鏡 』 に 接 続 す る 歴 史 物 語 を 執 筆す る 意 図 が あ っ た こ と が読み取れる。 本 文 は 、 奈 良 時 代 頃 まで は 一 巻 に つ き 数 代 の 記 事 を 収 め 、 平 安 時 代 前 期 の 終 わ り 頃 ま で は 、 お お む ね 一 巻に つ き 一 代 の 記 事 を収 める。平安時代中期以降は一代につき上下二冊に分かれる 巻が出てくる。以下、諸本の残存する巻とその内容を、見返し に記入される巻号に従って一覧に示す。. (14). −14−.

(5) 40. 37. 34. 28. 舒明・. 斉明・. 持統・. 元明・. 聖武. 皇極・. 天智・. 文武. 元正. 孝徳. 天武. 名古屋大学本. 景行・. 成務・. 仲哀・. 27. 13. 40. 37. 34. 28. 14. 29. 15. 用明・ 舒明・ 斉明・ 持統・ 元明・ 聖武 孝謙・. 崇峻・ 皇極・ 天智・ 文武 元正. 推古 孝徳 天武. 廃帝(淳仁). 応神. 16. 欽明・. 神功皇后・. 33. 宣化・. 36. 安閑・. 39. 継体・. 42. 武烈・. 44 称徳. 敏. 1神武・2綏靖・3安寧・4懿徳・5孝昭・6孝安・ 7孝霊・8孝元・9開化・ 崇神・ 垂仁. 達. 12. 国会図書館本. 27 廃帝(淳仁). 26. 欠. 欠. 33. 孝謙・. 32. 巻一. 巻二. 欽明・. 欠. 宣化・. 欠. 36. 称徳. 35. 光仁. 31. 巻三. 39. 11. 30. 欠 安閑・. 30. 欠 継体・ 29. 巻四 武烈・ 敏達. 42. 光仁. 38. 桓武. −15−. 巻五. 44. 推古. 31 26. 崇峻・. 32. 用明・. 35 桓武. 15. 巻六 巻七 巻八 巻九 巻一〇 巻一一 巻一二 巻一三 巻一四 巻一五. 38. 10. 41. 47. 41. 47. 43. 45. 46. 48. 50 49. 43 45. 46. 48. 50 49.

(6) 巻一六 巻一七 巻一八. 欠. 欠. 巻一九 巻二〇. 淳和. 巻二五. 巻二四. 巻二三. 村上(上) ・同(下)※巻二六上・巻二六下 の二冊に分かれる。. 欠. 欠. 欠. 光孝. 文徳. 仁明. 冷泉. 花山. 欠 ※擬古物語『山の井』と混同し、京都大 学 附 属 図 書 館 に 『 麗 女 世 継 物 語 』 の 仮 題で 一 括保管される。同巻一が 円融(上) 。 円融(下)・. 三条. 上 巻 欠 ・ 一 条( 下 ) ※ 巻三 〇 上 ・ 巻三 〇 下 の二冊に分かれ、下巻のみ現存。. 淳和. 仁明. 朱雀(下). 光孝. 文徳. 54. 巻二六 巻二七 巻二八. 巻二九 巻三〇 巻三一. 花山. 村上(上)・ (下) 冷泉 円融(下)・ 一条(下) 三条 後一条(上) 後一条(下) 後三条. 堀河(下) 近衛 二条(下). 65. 欠. 55 61. 62. 63. 64. 66. 67. 巻二一. 58 64. 68. 68. 71. 73. 76. 78. 巻二二. 53. 65. −16−. 54. 66. 16. 53 55 58 62. 63 64. 67.

(7) 巻三四. 巻三三. 巻三二. 欠. 欠. 後一条(上) ・同(下)※巻三二上・巻三二 下の二冊に分かれる。. 巻三六 上 巻 欠 ・ 堀 河 ( 下 ) ※ 巻 三 七 上 ・ 巻三 七 下 の二冊に分かれ、下巻のみ現存。. 欠. 高倉(上). 高倉(下). 80 安徳(上). 80. 安徳(下). −17−. 後三条. 巻三七 欠. 17. 巻三五. 巻三八. 欠. 近衛. 欠. 巻四一 欠. 巻四〇. 巻四二. 二条(下)・. 高倉(上) ・同(下)※巻四四上・巻四四下 の二冊に分かれる。. 巻四三 巻四四. 安徳(上) ・同(下)※巻四五上・巻四五下 の二冊に分かれる。. 六条. 巻三九. 73. 巻四五. 79. 81 81. 68. 71 76 78 80. 81.

(8) 国会図書館本・名古屋大学本を比較すると、国会図書館 本では巻二十六、三十、三十二、三十七、四十四、四十五 が上下二冊に分かれているが、名古屋大学本ではこれらは 一冊にまとめられていることがわかる。国会図書館本は全 四十五巻あり、上下巻に別れている冊数分を加えると、本 文だけで五十一冊になる。 『慶徳麗女遺稿』には五十四冊と あるので、おそらく欠けている部分に上下二冊から成る巻 があり、本文だけで五十四冊あったと見られる。そこに序 文一冊を加えると、 『檜垣麗女著述目録』に記載される五十 五冊になるということであろう。これが麗女が執筆した当 初の『笠舎』の原型であった。 一方、名古屋大学本では、欠けている時代に拘泥せず、 残存部分の見返しに古い順から巻数を振っていることがわ かる。おそらく名古屋大学本が筆写された時点で、自筆本 である国会図書館本にすでに欠巻が生じていたため、筆写 した人物が欠けている箇所を省き、写した順に一から三十 五という巻数を補ったのであろう。その際に自筆本で上下 二 冊 に 分 か れて いる 巻 も 一 冊 に ま と め ら れ た と 考 え ら れ る 。 また、千田氏は名古屋大学本の残存状況について、次の ように述べている。 然し前に述べたように、完本の写本は見当たらず、名古 屋大学本でも次の天皇の巻々が欠けているのである。上 代に於いては、 仁徳・履中・反正・允恭・安康・雄略・清寧・顕宗・ 仁賢 の九代が連続して欠け、平安期に於いては、 平城・嵯峨. 清和・陽成 宇多・醍醐・朱雀 後朱雀・後冷泉 白河・ 「堀河の前半」 鳥羽・崇徳 後白河・ 「二條の前半」. (ママ). −18−. と、飛び〳〵に、或部分が連続して欠げている。 こ の 記 述 に よ れ ば 、 千 田 氏 が 調 査 して 以 降 に 、 さ ら に 名 古 屋 大 学 本 から 「 一 条 天皇 上 」 と 「 六 条 天皇 」が 失 わ れ た ことになる。. 三、典拠について 本 書 の 典 拠 に つ いて 、 千 田 氏 は 記 事 内 容 を 分 析 し 、 次 の ように述べている。 「 笠 舎 」 の 記 事 は 、 主 と して 六 国 史 を 始 め 、 そ の 他 の 史書に載せられたところのものを、平易な中古文で書き 下したのであって、全体に粉飾が少なく、平明暢達の文 体で終止している。大和時代の記事は、 「 日本 紀」を 主 とし、ついで「続日本紀」に依って文を成していて、こ れに合わせて「旧事記」の記載を割に重く見て取扱って いる。 この分析に加え、麗女夫婦の蔵書目録と思われる資料『要 、 『書目』(6)を参照すると、麗女の執筆方法がよ 書目』(5) り詳しく見えてくる。 例 え ば『 笠舎 』 に収 録さ れ る 記 事が 『 日本 書紀 』 に収 載 される記事内容と重複し、人名の表記や日付が一致する点、 第十五 代天皇を神 功皇 后とす るな ど 、歴 代天皇の皇 位継 承 の順序が『日本書紀』に従っている点から、 『笠舎』の上代 に関す る 記 述の主 要な 典拠は 、千田 氏の 指摘す る通 り『 日. 18.

(9) 本書紀』で間違いないだろう。 加えて、 『書目』には、歴史物語執筆の際に参照されたと 考えられる様々な歴史書等が記載されて いる。その中に、 「神書」と題される下記の書群がある。 神書 神代巻評注 尚舎 六 同 諺解 益弘 八 同 風俗抄 信慶 十 同 合解 十二 同 塩土伝 五 同 私説 八 同 口決 五 同 直指抄 五 同 藻塩草 右から順に、竜尚舎『日本書紀神代巻評註』、度会益弘『日 本書紀諺解』、中西信慶『日本書紀神代巻風俗鈔』、清原国 賢『日本書紀合解』、白井宗因『日本書紀神代私説』、忌部 正通『神代口訣』、谷重遠『神代巻塩土伝』、 『神代巻直指詳 解』、玉木正英『神代巻藻塩草』の名が記されている。その 他『日本紀私記』、『釈日本紀』、『日本紀通證』、『日本紀竟 宴和歌』等の書名を示す箇所もある。 その一方、『日本書紀』そのものの名は見えない。『日本 書紀』は江戸時代、訓 点を施 した 寛永板本や 、同じく訓 点 を 付し 、広 く 流布 し た 寛文九 年板 本な ど がす で に 刊 行さ れ て い た が 、 麗 女 が 参照 して い た の は 、 先 に 挙 げ た 、 読 み 下 し文まで 付された 豊富 な注 釈 書類で あっ た可 能性が 指摘で き る だ ろ う 。 ま た 、 主 と して 『 日 本 書 紀 』 に 依 拠 し な が ら も、 『古事記』、 『水鏡』を典拠としたと見られる記事も数箇 所見られる。. 次 い で 平 安 時 代 以 降 の 記 事 に つ いて 、 千 田 氏 は 内 容 の 分 析により、以下のように述べている。 平安期の記事も主としては「続日本紀」 「日本後紀」 「続 日本後紀」「文徳実録」「三代実録」「日本紀略」「扶桑 略記」「一代要記」「帝王編年記」等に拠っている。 この中で、 『一代要記』 、『帝王編年記』以外は『要書目』、 『書目』に記載がある。この外にも『類聚国史』、 『百練抄』、 『本朝通鑑提要』、『大日本史』、『皇年代私記』、『皇年代略 記』、『歴代皇紀』、『神皇通紀』、『神皇正統録』、『皇代暦』 等の通史類や、 『台記』 、 『権記』、 『春記』、 『山槐記』、 『玉葉』、 『愚昧記』、 『長秋記』、 『永昌記』等の公家の日記、『備後風 土記』、『豊後風土記』、『武蔵風土記』、『伊賀風土記』、『伊 勢風土記』、『尾張風土記』、『駿河風土記』、『国名風土記』 等の 地 誌 類 の名が 見え る 。主 たる 典 拠は 千田 氏の 指 摘の 通 り 六 国 史が 中 心で あ る が 、 麗 女 は こ れ ら 多 数 の 書物 を 博 捜 して、本書を執筆していたのである。 そして記述方法には、おおむね以下の三点がある。 ①典拠とする漢文体の資料をそのまま和文体に直すもの。 ②典拠とする資料の記事を圧縮して、大筋に関わらない出 来事や台詞、地名等を省くもの。 ③典拠とする資料の記事に『万葉集』等から和歌を引用す ることによって、物語的情趣を加味するもの。 それぞれの例を挙げると以下の如くである (7) 。. ①富士山噴火と筥荷の路開通 日本逸史 甲戌、廃相模国足柄路、開筥荷路途、以富士焼砕石塞 道也。. 19. −19−.

(10) に 、 皇 子 大津 を 訳 語 田 の 舎 に 賜 死む 。 時 に 年 二 十 四 な り 。 妃 皇 女 山 辺 、 被 髪 し 徒 跣 に して 、 奔 赴 き て 殉 る 。 見る者皆歔欷く。. ス ア シ. 笠舎 巻九 持統天皇 十月二日、大津の皇子捕へられ給ひ、心よせ奉りし人〳 〵 三 十 余 人 召 と ら れ き 。 又 の 日 皇 子う しな は れ 給 へ り 。 廿四にぞならせ給ふ。先帝第三の皇子にて、御母は大田 の皇女におはします。天智天皇ことにいつくしみ奉らせ 給ひしを、皇子も思し忘れず、おとなび給ひて後、其姫 皇子山辺の皇女を御妃にし給へる。此折も姫皇子は御ぐ. しをみだり、徒跣にて皇子の御方に走り行給ひ、もろと もに失給へり。帝も御兄弟におはしませば、さすがにい とおしう思し歎かせ給ふ。世の中にも伝へ聞て、いみじ う哀に思ひ聞へ奉る。(略) 十一月、伊勢の斎宮におはします大来の姫皇子もまか で給ひ、京に上らせ給へり。大津の皇子のことを聞給ひ、 哀に覚へ給へば、斎宮、 神風の伊勢の国にもあらましを なにゝかきけん君もあらなくに. ①では、 『日本逸史』の記事と、内容も用いられる漢字も ほぼ一致している。 ②で は 、 熊 野 の 海で 暴 風 に よ っ て 船 の 制 御 を 失 っ た稲 飯 命が 入 水 し 、 それ を 見 た三 毛 入 野 命も 後 を 追 う 、と いう あ らすじは『日本書紀』の記事の通りである。しかし、 『笠舎』 では死を前にした二人の台詞、 「神邑」・ 「天磐盾」という地 名等が省略されている。 ③では、大津皇子とともに三十余人が捕らえられたこと、. −20−. 笠舎 巻十五 桓武天皇 富 士 焼 て 砂 の 降 ぬ る ま ぎ れ に 、 足 柄 の 路 埋 れて 通ひ が たく 成 に しかば 、 筥荷の路 開 か れつ れど 、 しば し にて 又足柄の路造られき。 ②稲飯命・三毛入野命の入水 日本書紀 遂に狭野を越え、而して熊野の神邑に到り、且天磐盾に 登り、仍りて軍を引き漸に進む。海中にして卒に暴風に 遇ひ、皇舟漂蕩ふ。時に稲飯命、乃ち歎きて曰はく、 「嗟 乎、吾が祖は則ち天神、母は則ち海神なり。如何ぞ我を 陸 に 厄 め 、 復 我 を 海 に 厄 む る 」 と の た ま ふ 。 言ひ 訖 へ 、 乃ち剣を抜き海に入り、鋤持神に化為りたまふ。三毛入 野命、亦恨みて曰はく、「我が母と姨とは、並びに是海 神なり。何為ぞ波瀾を起てて灌溺れしむる」とのたまひ、 則ち浪秀を蹈みて常世郷に往でましぬ。 笠舎 巻一 神武天皇 熊 野ゝ 方 に て 海 顔 俄 に 波 風 は や く 、 御 船 た ゞ よ ひ け る を 、 稲 飯 の 命 い た く う れ た き 事 に し 給ひ 、 海に 入て 神 にならせ給ふ。三毛入野の命は常世の国に詣給へり。 ③大津皇子の処刑 日本書紀 冬 十 月 の 戊 辰 の 朔 に して 己 巳 に 、 皇 子 大 津 の 謀 反 け む こと 発覚れぬ。皇子大津を逮捕め、并せて 皇子大津が 為 に 詿 誤 かえ た る 直 広肆 八 口 朝 臣 音 橿 ・ 小 山下 壱 伎 連 博 徳 と 、 大舎 人中 臣 朝臣 臣 麻 呂 ・巨 勢 朝 臣 多益 須 ・ 新 羅 沙 門 行 心と 帳 内 礪 杵 道 作 等 、 三 十 余 人 を 捕む 。 庚 午. 20.

(11) 本 文 中 に 麗 女 独 自の 歴 史 観 や 思 想を 読 み 取 れ る 箇 所が 見 受 け ら れ な いこ と か ら 、 歴 史 に 独 自 の 解 釈 を 加 え た り 、 批 判 精 神 を 発 揮す る こ と が 執 筆 目 的 で は な か っ たこ と が 明 白 で あ る 。 そ の 執 筆 方法 が 六 国 史 等 の漢 文 体資 料 を 、 典 拠 の 記 述に 従 い つ つ 、 物 語 風 の和 文 体 に 書き 改 め る も の で あ る こ と か ら 、 あ えて 言え ば 、 麗 女 の 目 的 は 自ら の 手に よ って 第一代 から 第八十 代に 至るまで の 歴史物 語を 四鏡に 倣 って 書き綴ることそのものにあったように見えるのである。 ま た 、 麗 女 に 『 増 鏡 』 へ と 接 続 す る 歴 史 物 語 を 執 筆す る 意図があったことは先述した。福田景道氏は、 『池の藻屑』 と『月 の行方』について 、序文の 構成・序文に設定される 語 り 手 の 人 物 像 ・ 結末 部分が 、四 鏡 の中 で も 『 増 鏡 』と 類 。これらのことから、 似していることを明らかにしている (8) 麗 女 が 歴 史 物 語 執 筆 に 際 し 、 特 に 規 範 と して 念 頭 に 置 い て いたのは『増鏡』であったと考えられる。 一方で、 『増鏡』や『栄花物語』のように雅な巻名は用い ず 、 天 皇 の 名 称 を 巻頭 に 配す る と いう 相 違 点 も み ら れ る 。 この点と、第一代天皇以前の神代の歴史に関しては、 「天地 ひ ら け て 、 天 津 祖 は じ めて 基 を 起 し 給ひ 、 大 八 洲 の 国 な り て 天 の 神 地 の 祇 の 御 代 の程 、 幾 万 の年 を 経 侍 るこ と にて か ろ 〴 〵 しう 聞 へな す べ う も 侍 ら ず 、 唯 か しこ ま り 置 ば か り になん 。さ るは古き 書などにても お のづ から 御らん 得ら ん かし。」と記して省略している点から、麗女には天皇の年譜 を 中 心 と し た 天 皇 の 系 譜 の 物 語 と して 『 笠 舎 』 を 執 筆す る 意識もあったのではないだろうか。 さ ら に 、 麗 女 に は 、 現 存 未 詳 の 『 か さ の 雫 』と い う 全 七 十巻の歴史物語と思しき作品もあったらしい。 『檜垣麗女著 述目録』には記載がないが、度会貞多の『神境秘事談』(9) に、 「いにしへよりの歴代の治乱興廃戦争をのぶ」ものと記. −21−. 大津皇子が処刑された後、妃の山辺皇女が髪を振り乱して 素足で追いすがり、殉死したこと等、基本的に『日本書紀』 の記述に拠りながらも、 「直広肆八口朝臣音橿・小山下壱伎 連博徳と、大舎人中臣朝臣臣麻呂・巨勢朝臣多益須・新羅 沙門行心と帳内礪杵道作等」の、大津皇子に味方した人物 の名称は省略している。その一方で、 『日本書紀』には掲載 されない大伯皇女の大津皇子を偲ぶ和歌を『万葉集』から 引くことで、物語らしい趣を添えている。 このように、 『笠舎』の執筆方法は、典拠への依存度が高 い。しかし、その中にも物語としての読み易さへの配慮が 随所に認められる。そして、本文中に麗女独自の歴史解釈 や麗女の創作による独自記事の挿入は見られない。 四、執筆目的について 千 田 氏 は 本 書 の 執 筆 動 機 に つ いて 、 以 下 の よう に 結 論 付 けている。 即 ち 此 の 著で は 、 事 件 が 細 大 と な く 生 滅 、 継 起 す る 様 相 は 表 面 的 に は 描 出 せ ら れ て は いる が 、 そ れで 終 っ て い る 。 史 実の 羅 列で 終止 して いて 、 そ の 中 から 大 き な 時 代 の 特 色 だ の 、 大 き な 時 代 の 動 き な ど を 掴む 事 は 困 難である。 (略)即ち此の書に於て著者の史観と云うも の を 知 る こ と は 全 然 不 可 能な ので あ る 。 尤 も 著 者 は 初 か ら 、 そ んな 事 を 念 頭 に して い たので は あ る ま い 。 史 書 に よ りて 、 史 実 を 学び 知 る 事 を第 一 の 目 的と し 、 更 に そ の 知 識を 整 理す る為 、 筆を 執る 事 の好 きな 性 情と て、自己の文章として書き流して行ったのであろう。 四 鏡 に 倣 って 様 々 な 資 料 を も と に 和 文 で 歴 史 を 綴 る こ と そ の も の が 麗 女 の 目 的 で あ り 、 楽 し み だ っ た ので は な い か という見解であり、首肯すべきものである。. 21.

(12) 注 1 千田憲氏「慶徳麗女の「笠舍」に就いて」 (『女子大国文』一、一 九五五年一〇月)。引用の際、漢字・仮名遣の旧字を現在通行の 形に改めた。 2 白 百 合 女 子 大 学 図 書 館 蔵 『 檜 垣 麗 女 著 述 目 録 』( 請 求 記 号 : ) 3 荒木田麗女『慶徳麗女遺稿』は、享和二年頃成立。本文は(大川 茂雄氏・南茂樹氏編『国学者伝記集成(上)』復刻版、東出版、 一九九七年九月)に拠った。 4 荒木田麗女『麗女文集 下』は、文化三年成立。本文は白百合女 子大学図書館所蔵本(請求記号: )に拠った。 5 『要書目』は成立年不明。実践女子大学・実践女子大学短期大学 部図書館伊豆野文庫所蔵。本文は麗女の夫、慶徳家雅の筆跡。様々 な書物の名称が列挙され、作者や冊数が付されているものもある。 6 『書目』は天明三年成立。『要書目』に記載される書物とほぼ重 複するが、多少の増減がある。『要書目』の成立以降に新たに入 手したものを書き入れ、手元からなくなった物を削除し、再度蔵 書を整理して作成した目録と考えられる。 7 『日本逸史』の引用は、国史大系第八巻『日本書紀私記 釈日本 紀 日本逸史』 (吉川弘文館、一九六五年)に、 『日本書紀』の引 用は、新編日本古典文学全集『日本書紀①』(小学館、一九九四 年)、同『日本書紀③』(小学館、一九九八年)に依った。『日本 書紀』の引用に際しては、書き下し文のみを用いた。 8 福田景道氏「『月のゆくへ』の輪郭―枠物語形式の継承と変容―」 (『島大国文』三三、二〇一一年三月) 、 「『池の藻屑』研究序説― 歴史物語の系列化と枠物語構想―」 (『島大国文』三四、二〇一四 年一月) 9 度会貞多『神境秘事談』は享和三年成立。本文は神宮文庫所蔵本 (請求記号:八門―三三七)に拠った。 荻野由之氏『史話と文和』 (博文館、一九一八年) 、芳賀矢一氏『日 本文献学文法論歴史物語』 (冨山房、一九二八年)等に言及され る。近年においては、前掲注(8)においても、主要な歴史物語 作品と見なし得ることが述べられている。. 22. −22−. されている。『笠舎』との成立の前後関係は不明であるが、 題 名 か ら 『 笠 舎 』 と 対 に な る 書で あ る と 考 え ら れ る 。 麗 女 は『池の藻屑』、『月の行方』、『笠舎』の中では戦にまつわ る 描写 を 簡 素 な も の に 留 め 、 宮 中 を 中 心 と す る 雅 事 の 描 写 に多く筆を割いている。しかし貞多の記述を見るに、 『かさ の 雫 』 で は こ れ ら で 省 筆 して い る 戦 の 描写 に 力 を 入 れ た の で あろ う 。 第 一 代 から 第 八十 一 代 まで の 長 期 間 の 出 来 事 を 網羅し た『 笠 舎』と 、 七十 巻にも 及ぶと いう 『かさ の 雫 』 が 存 在 し たこ と か ら 、 歴 史物 語 を 綴るこ と に 対す る 麗 女 の 熱意が窺えるのである。 おわりに 麗女は『 池の藻 屑』と『月 の行方』の執筆によって 、四 鏡 に お け る 空 白 期 間 を 補 い 、 和 文 に よる 日 本 通史 を 完 成 さ 。そして麗女の歴 史物語執筆の せ た と 評 価 さ れて い る ( ) 取り組 みは 、上記 の二 書に留 まら ず、さ らに 長大な 歴史物 語『笠舎』執筆へと続いて行く。筆の速い麗女には珍しく、 八 ヶ 月 も の 時 間 を か け て 執 筆 し た 『 笠 舎 』 は 、 こ れ まで 詳 細に研究される機会に乏しかった。 『池の藻屑』、 『月の行方』 と は 違 い 、 歴 史物 語 の 系 譜 の 中 に も 加え ら れ て いな い 。 完 本 の 存 在 が 確 認で き ず 、 広 く 流 布 し た 形 跡 も な いこ と が そ の原因であると考えられる。 しかし、 『池の藻屑』、 『月の行方』で歴史物語執筆の要領 を 掴 ん だ 後 に 、 満 を 持 して 第 一 代 天 皇 か ら の 歴 史 を 書 き 綴 っ た本 書は 、 麗 女 の 歴 史 物 語 の 集 大 成で あ る と 見 る こ と も で き る 。 麗 女 の 歴 史 物 語 に つ いて 考 え る 上 で は 、 本 書 の 主 題や構 想等も明ら かに し、内 容の分析を 進めて ゆくこと が 必要であろう。 10. 10. 6 3 / 4 6 A / 0 9 0. 1 2 / 4 6 A / 0 9 0.

(13) 7 5 7 6 1 K 6 1. (くもおか. あずさ/北海道教育大学准教授). −23−. 〔付記〕 本 稿 は 平 成 三 十 年 度 科学 研 究 費 補 助 金 ( 若 手研 究 B ・ 課 )による成果の一部である。 題番号:. 23.

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