I、
藤原宮 の調査
1、 西 方 官 行 地 区 の調 査
ア、第66次 調査
(平成三年八月〜九月)
この調 査 は農協移転 に伴 う事前調 査 と して、 橿 原市縄手 町 で行 った もので あ る。調査地 は藤原宮西 方官衛 にあた る。 周 辺 地 は国道165号線 建 設 時 に地 下 げ が行 われて お り、 藤原宮期 の遺構 の存在 が あや ぶ まれて いた。 過去 に は同敷地 内 で第29‑2次調 査 が行 わ れ て い る。 この 時 は藤 原 宮 期 の遺 構 は確 認 で きず 、 古 墳 時代 の 自然 流 路 を検 出 して い る。 今 回 はそ のす ぐ南 に東 西37m、 南北7mの 調 査 区 を設 け、 一 部 東 端 を南 へ拡 張 した。 調 査 面 積 は約315rであ る。
調 査 区 の層 序 は上 か ら盛 土・ 旧耕 土・ 茶 褐 色 土 とな り、西 辺 の一 部 で は茶 褐 色 土 の上 に淡 緑灰色粘質土 が、東辺 の一 部 で は青茶褐色細砂土 (整地 上
)が
堆 積 す る。 床土 は地下 げのため存在 しな い。 遺 構 は現地表面下 1.3mの 旧耕土 直下の茶渇色土・ 淡緑灰色粘質土・ 青茶褐色 細 砂土 上面 で検 出 した。
遺
構
検 出 した遺 構 は流 路・ 井 戸・ 土 坑 な どが あ り、 これ らは古 墳 時 代 の もの と7
世 紀 後 半 の ものが あ る。
古 墳 時代 の 遺 構
調 査 区 の 中央 部 と東 部 で 古 墳 時 代 初 頭 の流 路 SD7326。
SD
7327を確 認 した。 SD7326は 南 東 か ら北 西 へ と流 れ る 自然 流 路 で 幅3.5m、 深 さ 1.lmで あ る。堆積層 は褐色・ 灰色粗砂 で あ る。 SD7327は 南 東 か ら北 西 へ と蛇
IY17 720 1700
第66次調 ml
八
査遺構実測図 (1:400)
行 しな が ら流 れ る 自然 流 路 で あ る。 幅5〜6m、 深 さ1.Omで、 堆 積 層 は黒 灰 色 バ ラ スで あ る。 第29‑2次で検 出 したSD2286は SD7327の堆 積 層 の 一 層 で あ り、 第
29‑2次調 査 区 全 域 が 今 回 検 出 のSD7327の 中 と考 え られ る。SD7326。 SD7327か らは布 留 式 の土 器 が 出土 して い る。
7世 紀 後 半 の遺 構
調 査 区 の東 部 、SD7321以東 の東 西 幅4mの範 囲 で 、 厚 さ約0.
3mの青 茶 褐 色 細 砂 上 の整 地 層 が存 在 す る。 こ の 整 地 層 上 面 で 南 北 溝SD7321・
井 戸 SE7320・ 土 坑SK7322が検 出 さ れ た 。SD7321は幅0,6m、 深 さ0.5mの 南 北 溝 で 、 調 査 区北 端 か ら4.5mで終 る。 埋 土 は青 茶 褐 色 砂 質 上 で遺 物 の 出 土 は無 か っ た。SE7320は径1.5mの 円形 の井 戸 で あ る。 北 半 分 は調 査 区 外 と な る。 深 さ1.1 m、 堆 積 土 は暗 灰 色 砂 質 上 で 、 飛 鳥 Ⅲ の土 器 が 出 上 した。SK7322は 径0.5mの 上 坑 で 、 深 さ は0,7m、 北 半 分 は調 査 区 外 と な る。 堆 積 土 は黒 褐 色 土・ 暗灰 色 砂 質 上 で 、 重 複 関 係 か らSD7321よ り新 しい。
遺
物
今 回 の調 査 区 か ら出土 した遺 物 は比 較 的 少 な く、 弥 生 時 代 か ら藤 原 宮 期 に属 す 。SD7326・ 7327か らは古 墳 時 代 初 頭 の布 留 式 の壺・ 餐 。椀 。高 杯 が 出土 し、
SE7320か らは飛 鳥 Ⅲ の上 師 器 杯C。 甕・ 高 杯 、 須 恵 器 杯・ 甕 が 出上 した。
ま とめ
今 回 の調 査 の 目的 の ひ とつ で あ った藤 原 宮 関 係 の顕 著 な遺 構 は確 認 す る こ と が で き な か った が 、 藤 原 宮 造 営 以 前 の様 相 の一 端 に触 れ る こ とが で きた。 古 墳 時 代 初 頭 の遺 構 と して 南 東 か ら北 西 へ と流 れ る2条 の 自然 流 路 を 確 認 した 。 ま た、 調 査 区 の一 部 で 7世 紀 後 半 の整 地 上 を確 認 、 これ を 切 込 む 溝・ 井 戸・ 土 坑 な どを 検 出 した。 井 戸SE7320は 出土 土 器 か ら丼 戸 の存 続 時 期 を飛 鳥 Ⅲ に限 定 で き、 整 地 地 業 も これ に伴 う もの か 、 そ れ 以 前 と考 え られ る。 当該 時 期 にお け る 藤 原 宮 地 域 の 開 発 が 注 目 され る。
イ、 第
66‑2・
3・4次
調 査(平成三年四月)
これ らの調 査 は、 住 宅 新 築 な らび に駐 車 場 造 成 に伴 う事 前 調 査 と して、 橿 原
市縄手 町 にお いて相 次 いで行 った もので あ る。 調 査地 は醍 醐池 の西 方 で藤原 宮 西北 部 にあ た る。 周辺 で は過 去 十 数 回 の調 査 を行 って い るが、 概 して後 世 の削 平 が著 し く、 第58‑11次調 査 に お いて宮 内先行 条 坊 の 四条 々間路 と西 二 坊 々 間 路 の交 差 点 を検 出 した (『概 報19』
)以
外 、宮 にか か わ る顕 著 な遺 構 は検 出 さ れて いな い。 ただ、 第27‑6次
調 査及 び第63‑2次調査 にお い て14世紀 頃 の集 落 に伴 う環 濠 ら しき溝 が見 つ か って お り、 今 回 の調査 は藤原宮 期 の遺 構 の遺存 状 況 の確認 と共 に、環 濠 で 囲 ま れ た範 囲 を押 え る ことを主 眼 と した。 そ の結 果 、 や は り藤原宮期 の遺構 は全 く検 出で きなか ったが、二 重 の環 濠 を巡 ら した方形 区画 の規 模 が判 明 した ので、 調 査 次 数 は異 な るが ま とめて報 告 す る。遺
構
第66‑2次調 査 は2m× 9mの東 西 トレンチ2本を、6mの間 隔 を あ けて設定 した。
南 トレンチ は従来 か ら知 られ て い る沼状 地 形 にあ た り、 湧水 が著 しい た め調 査 を断念 した。北 トレンチで は、 床土 直下 の暗茶褐色粘質土面 で 自然 流路 と思 わ れ る南北溝SD7290と 、 これ に注 ぐ東 西 溝 SD7291を 検 出 した の で、 両 トレンチ 間 を幅2mで結 ん だ。 そ の結 果 、 南 トレンチ の す ぐ北 か ら東 南 方 向 に沼 状 地 形 SK7292が 広 が る ことが判 明 した。 SD7290は ここに流 れ込 む ので あ ろ う。
第66‑3次調 査 は東西9m、 南 北 9.5mの 調 査 区 を設定 して行 った。 基 本 的 な層 序 は耕 土・ 暗灰茶 色砂 質 土・ 黄 褐 色 粘質 土・ 灰 黒褐 色 砂 質 土 (地 山
)の
順 で 、 暗灰茶 色 砂 質土 面 で環 濠 の一 部 で あ るSD6881・ SD7293と 数 個 の 円 形 小 柱 穴 群 SX7294等 を検 出 した。SD6881は 前年東 隣 で行 った第63‑2次
調 査 で 検 出 して い た溝 の西延長 部 に当 り、 調査 区 中央 で一旦途切 れ る。 幅約2m、 深 さ0.25cmで 、 埋 土 は2層 に分 か れ る。前 回 は無 遺 物 の た め年 代 を決 め られ な か っ た
壁 が 、 今 回14世紀 の 土 器 が 出上 した た め、 環 濠 の一 部 とみ て 間違 い な い。SD7298は SD6881の
│
第66‑2・ 3
l l̲ャ̲̲̲̲………………………………………一――一二P・・ 4次 調査遺構実測図 (1:400)
▲ 員
西 端 か ら2.2m隔て て始 ま り、 西 へ 伸 び る溝 状 遺 構 で あ る。 幅4.4m、 深 さ0。
75m
程 の大 規 模 な もの で 、 埋 土 は2層 に分 か れ る。 SD6881・ SD7293の 周 辺 に は数 個 の 円形 の小 型 柱 穴 が あ り、 半 数 に は柱 根 が残 る。 建 物 と して 明確 に ま とま らな い が 、 溝 が途 切 れ る鞍 部 に 当 る た め門 が存 在 した可 能 性 は残 る。
第66‑4次調 査 は当 初 東 西8.3m×南 北7,7mの範 囲 で 開 始 し、 後 に 東 へ 1.7m×
3.7m拡張 した。 基 本 層 序 は耕 土・ 床 土 。灰 褐 色 砂 質 土・ 暗 灰 茶 色 砂 質 土・ 灰 黒 褐 色 砂 質 土 (地山
)の
順 で 、 遺 構 を検 出 した の は暗 灰 茶 色 砂 質 土 面 で あ る。 調 査 区 ほ ぼ 中 央 を北 か ら東 にL字形 に 曲 る溝 SD7295・ SD7296は 幅2.Om、 深 さ0.4m で 、 埋 土 は層 に分 か れ る。 そ の 東4.3m、 北4,Omの位 置 (拡張 区)で
、 平 行 して や は りL字形 に曲 る溝 の一 部 を検 出 した。 これ は第66‑3次調 査 の SD7293、 第27‑6次
調 査 のSD2666そ れ ぞ れ の 延 長 線 上 に あ り、 両 者 が 合 す る部 位 に あ た る。幅 は不 明 、 深 さ30cm、 堆 積 土 は上 下 の2層 に分 か れ る。
ま とめ
今 回 の調 査 と第27‑6次 。第63‑2次調 査 の成 果 を総 合 す る と、 二 重 の 環 濠 を 巡 らせ た正 方 形 の 区 画 が 復 原 で き る。 第27‑6次調 査 の 直 角 に折 れ 曲 が る溝
SD
2665・ 2666が 内 濠 の西 北 隅 に あ た り、SD2665の北 肩 か ら今 回 検 出 し た 西 南 隅 に あ た るSD7293の南 肩 まで の距 離 は約65mであ る。一 方 、SD7293の西 肩 か ら第66‑
3次 で 検 出 したSD7293東端 とSD6881西端 の と ぎ れ 部 の 中 心 ま で の 距 離 は32m強
を 測 り、 両 溝 間 の鞍 部 を 中 央 入 口 と見 て こ こを 中軸 線 と して東 に折 り返 せ ば外 寸 で 方65mの区 画 が想 定 で き る。 ま た、第
27‑6次
の 調 査 で もSD2665・ 2671、 S D2666・ 2675双 方 の溝 肩 間 が 約4.3m、 4.5mと ほ ぼ等 しか っ た こ と か ら、 こ の 空 間 地 を通 路 とみ なす 可 能 性 を指 摘 して い た が 、 西 南 隅 の 第66‑4次
で も同 様 に 西 へ 約4.3m、 南 へ約4.lm隔 て て 直 角 に折 れ 曲 が る溝SD7296・ 7295を 検 出 し、 こ れ らが外 濠 で あ る こ とが 確 実 に な った。 外 濠 で 囲 まれ た 区 画 の規 模 は東 西・ 南 北 共 外 寸 で76mと な る。 な お 、 内 濠・ 外 濠 間 の空 間地 に土 塁 あ るい は築 地 塀 の よ うな施 設 が あ った か否 か は判 らな い。 ま た、 西 辺 の 外 濠SD2675は北 方 へ と 抜 けて い る。 排 水 の た め で あ ろ う。区 画 が 正 方 形 で 、 環 濠 が 二 重 に巡 る点 は、 通 常 の 中世 環 濠 集 落 の あ り方 と は
様 相 を異 にす る。 む しろ土 豪 層 の居 館 の よ うな施 設 を想 定 す べ きで あ ろ う。
出土 遺 物 に は大 量 の 上 器 類 の ほ か 若 子 の 瓦 類 が あ り、 軒 丸 瓦 6275型 式 1点 、 軒 平 瓦6641F型式1点がSD7293か ら出上 して い る。 土 器 類 は主 と して 2本 の 濠 か
ら出上 し、14世紀 代 を主 体 に若 干13世紀 代 の もの を混 え る。
環濠区画復原図
ウ、 第68次調 査 東 区
(平成二年九月〜十一月)
この調 査 は、 近 年 継 続 して行 な わ れ て い る橿 原 市 四分 町 で の市 営 団地 建 て替 え工 事 に伴 う事 前 調 査 と して実 施 した もの で あ る。 調 査 地 は藤 原 宮 西 方 官 衡 地 域 に当 る。 当地 域 で は、 これ まで の調 査 に お い て、 藤 原 宮 に関 わ る南 北 に長 い 建 物 群 (第 5〜9次 調 査)、 小 規 模 な掘 立 柱 建 物 や塀 (第3・ 26・ 51次 調 査)、 あ る い は藤 原 宮 に先 行 す る六 条 々間路・ 西 二 坊 々間路 (第51・ 54‑15・ 57・ 59次 調 査
)な
どを検 出 して い る。 ま た 当地 の周 辺 に は弥 生 時 代 の集 落 遺 跡 で あ る四 分 遺 跡 が ひ ろが り、 今 回 の調 査 区 に東 接 した位 置 で 行 った第 59次 調 査 で は掘 立 柱 建 物 や掘 立 柱 塀・ 井 戸 な ど藤 原 宮 期 の遺 構 を検 出 す る と と もに、 そ の下 層 で 弥 生 時 代 後 期 の水 田遺 構 を確 認 して い る。 従 って本 調 査 に お い て は、 西 方 官 衛 地 域 に お け る藤 原 宮 期 の土 地 利 用 の状 況 、 及 び そ の下 層 に お け る弥 生 時 代 の水田跡 の西 方 へ の ひ ろが りを確 認 す る こ とを主 な 目的 と した。
な お 今 年 度 実 施 した第 68次 調 査 は、 東 区 と西 区 に分 けて行 った。 そ の うち本 概 報 で は東 区 の調 査 につ い て報 告 し、 西 区 につ い て は次 年 度 の概 報 に収 録 す る
こ と とす る。
東 区 に お け る調 査 は排 上 の 置 場 の 関 係 か ら、 まず 調 査 地 の北 半 を調 査 し、 次 に南 半 に及 ぶ こ と と した。 調 査 面 積 は1010だ で あ る。 な お下 層 遺 構 の調 査 は第 59次 調 査 との 関 連 か ら、 調 査 区南 半 に東 西14m、 南北1lmの調 査 区 を設 けて行 っ た。 以 下 で は上 層 遺 構 と下 層 遺 構 に分 けて調 査 の概 要 を述 べ る。
上 層 遺 構
本 調 査 区 に お け る層 序 は、 上 か ら、 現 代 の盛 土・ 耕 作 土 (暗灰 色 粘 質 土)・
床 土 (暗青 灰 色 粘 質 土)・ 淡 褐 色 上 で 、 遺 構 は これ らの上 を排 除 した現 地 表 下 0,7mの 深 さ に あ る淡 黄 灰 色 微 砂・ 灰 褐 色 礫 の上 面 で検 出 した。
検 出 した遺 構 に は、 掘 立 柱 建 物・ 掘 立 柱 塀・ 井 戸・ 土 坑・ 溝 な どが あ り、 こ れ らは お お む ね古 墳 時 代・7世紀 前 半 代・ 7世 紀 後 半 及 び藤 原 宮 期 に属 す る。
古 墳 時 代 の遺 構
この時 期 に属 す る遺 構 に は、 井 戸 2基 、 溝 4条 、 土 坑 1基 な ど が あ る。
2基 の井 戸 は いず れ も調 査 区 南 半 で 検 出 した。SE73601ま 東 辺 に位 置 し、 1辺 1.2mの 隅 丸 方 形 を呈 す る素 掘 の井 戸 で 、 深 さ は0.8mで あ る。 ま た 西 辺 で 検 出 したSE7355は、 深 さ1.lmの素 掘 の井 戸 で 、1辺1.4mの 隅 丸 方 形 を呈 す る。SE73
60とSE7355か らは と もに5世紀 後 半 に属 す る土 器 が 出土 した。
調 査 区 北 端 付 近 で はSD7400。 7403・ 740407406の 4条 の溝 を検 出 した 。SD740
0は調 査 区 の北 端 で 検 出 した斜 行 す る大 溝 で あ る。 調 査 区 内 で は南 岸 の み を 検 出 し、 北 岸 を確 認 して い な い た め に溝 の規 模 は明 か で は な いが 、 現 状 で 幅 は5.
5m以
上 、 深 さ は1.8mぁ る。 堆 積 土 は大 き く3層 に分 け られ る が 、 最 上 層 (炭 混 暗 灰 褐 色 砂 質 土)は
この溝 を含 め調 査 区北 端 部 全 体 を埋 め た埋 土 で あ る。 こ の層 か らは飛 鳥 I及び飛 鳥 ⅣoVの
土 器 が 出土 した。 溝 の 本 来 の 堆 積 層 は2層 か らな り、 上 層 は灰 色 微 砂・ 黄 灰 色 粗 砂・ 淡 灰 色 粘 砂 が互 層 にな る砂質土層 で、下 層 は灰 褐 色 粗 砂 で あ る。 上 層 か らは5世紀 後 半 か ら6世 紀 後 半 の土 器 が 出 土 し
た の に対 して 、 下 層 に は須 恵 器 が含 まれ て お らず、
4世紀 末 か ら5世紀 初 頭 の土 器 が 出土 す る。SD7400 の 中央 部 に は流 れ に沿 うよ うに木 組 施 設 SX7401・
7402が 設 け られ て い る。 と もに溝 の底 を 幅 数 十cm で掘 り窪 め て流 れ に沿 って 置 い た木 組 の 施 設 で 、 そ の 周 囲 に粘 土・ 粘 質 土 を 貼 っ て 固 め て い る。
SX7401は、 掘 り窪 め た底 に小 石 を 置 き、 そ の上 に 板 を立 て て粘 上 を貼 って そ れ を支 え、 さ らに そ の 上 に底 板 を置 い て 側 板 を立 て 、 側 板 の 内外 を 粘 土 で貼 り固 め る と と もに所 々 を杭 で止 めて い る。 ま たSX7402の木 組 は机 を転 用 した もの で 、 天 板 を北 に向 け て寝 か して い る。SX7401・ 7402と も に機 能 は明 か で は な い。 な お これ らは裏 込 や 内 部 の 堆 積 土 か ら出土 した遺 物 が4世 紀 末 か ら5世紀 初 頭 の も の で あ る こ とか ら、SD7400の下 層 の堆 積 上 に対 応 す る時 期 に設 け られ た もの で あ る。
SD7404は幅0.8m、 深 さ0.5mの 素 掘 の 東 西 溝 で 、 断 面 は
U字
形 を 呈 す る。SD7404は SD7400か ら水 を 引 く た め の 溝 で あ る と 考 え ら れ る。 ま たSD
7403は1.2m、 深 さ0.3mの素 掘 の溝 で 、SD7400に ほ ぼ 並 行 し て 流 れ る 。 SD7404・ 7403は い ず れ も SD7400の上 層 と同 時 期 の上 器 を 出土 す るが 、 重 複 関 係 か らSD7403が SD7404よ り古 い。
SD7406は北 で 西 に45° 振 れ る素 掘 の溝 で、 断 面
U字
形 を呈 す る。 幅 は0.5m、 深 さ は0,4mであ る。出土 した土 器 は少 な い が 、 須 恵 器 を 含 ま ず ほ ぼ4 世 紀 末 か ら5世紀 初 頭 の も の に 限 定 さ れ る こ と
SB 7385
第68次調査東区遺構実測図 (1:500)Yフ る0
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や重 複 関 係 か ら、SD7400の最 下 層 の堆 積 に並 行 す る時 期 の溝 で あ る。 恐 ら くS D7404と 同 様 にSD7400か ら水 を 引 く機 能 を果 た して い た と推 定 され る。
井 戸SE7355の 北 で 土 坑SK7668を検 出 した。 楕 円形 で 、 深 さ7cmの 浅 い土 坑 で あ る。SK7668か らは古 墳 時 代 の上 器 が 出土 した。
7世紀 前 半 代 の 遺 構
この時 期 に属 す る遺 構 に は、 掘 立 柱 建 物1棟が あ る。
調 査 区 中央 北 寄 りで 検 出 したSB7380は 、 桁 行4間、 梁 間 2間 の 掘 立 柱 建 物 で 、 北 で西 に45° 振 れ る。 この振 れ は、 上 述 した古 墳 時 代 の 2条 の 溝SD7400・ 7404
の振 れ や、 第 59次 調 査 で検 出 した弥 生 時 代 後 期 の水 田遺 構 の畦 畔方 向 と も ほ ぼ 合 致 す る。 この こ と は弥 生 時 代 か ら7世紀 前 半 まで の 長 期 に 亙 り地 形 に制 約 さ れ た土 地 利 用 が行 わ れ た こ とを示 して い る。 柱 間 寸 法 は、 桁 行 が18m、 梁 行 が1,9mで あ る。
7世紀 後 半 か ら藤 原 宮 期 の 遺 構
この 時 期 に属 す る遺 構 に は、 掘 立 柱 建 物 4棟 、 掘 立 柱 塀2条、 土 坑3基等 が あ る。 掘 立 柱 建 物・ 掘 立 柱 塀 と もわ ず か に北 で 西 に 振 れ て い る。
調 査 区 の東 辺 中央 で 検 出 したSB7375は 南 北 棟 掘 立 柱 建 物 で 、 そ の 西 側 柱 列4 間 分 を検 出 した。 柱 間 寸 法 は2.lm等間 で 、 い ず れ も柱 穴 に は長 さ50〜70cmの 柱 根 を残 す 。 両 端 と北 か ら3番 目の3個の柱 穴 に は柱 の下 に礎 盤 (南 端 は石 で 、 他 は木 材
)を
置 く。SB7375の 北3.7mに は8B7375の 西 側 柱 と柱 筋 を 合 わ せ たSB
7385が あ る。SB7385も 南 北 棟 掘 立 柱 建 物 で 、 そ の 西 側 柱 列 7間 分 を 検 出 した 。 柱 間 寸 法 は1.4m等 間 で あ る。 北 端 の柱 穴 に は柱 根 が 残 り、 そ の 下 に は礎 盤 の 石 が 置 か れ て い た。SB7385と 重 複 関 係 が あ り、 そ れ よ り新 しいSB7390は 、 桁 行 3間、 梁 間2間の南 北 棟 建 物 で、 柱 間寸 法 は桁 行 が1.8m等間 、 梁 行 が1.7m等間 で あ る。SB7375の 南1.5mに は掘 立 柱 東 西 塀SA7365が あ り、 調 査 区 内 で 4間 分 を 検 出 した。 柱 間 寸 法 は1.5m等間 で あ る。 ま たSB7385の 北 に は4.5mを 隔 て て 掘 立 柱 東 西 塀SA7395が あ り、 調 査 区 内 で6間分 の柱 穴 を確 認 した。 柱 間 寸 法 は1.8
m等
間 で あ る。 さ らに調 査 区 の 北 辺 に位 置 す る総 柱 建 物8B7405は、 南 北 2間 、 東 西1間以 上 で 、 柱 間 寸 法 は南 北 が2.Om等間 、 東 西 が2.4mで ぁ る。3基 の上 坑 SK7366・ 7367・ 7368は 古 墳 時 代 の 井 戸SE7355の北 で 南 北 に並 ん で
検 出 され た。 いず れ も隅 丸 方 形 を呈 す る深 さ0.lm程度 の 浅 い 土 坑 で あ る。 こ れ らの上 坑 か らは7世 紀 代 あ るい は飛 鳥 Ⅳ の 上 器 が 出 土 した 。 当 初SK7368も 含 め て一 連 の柱 穴 で、 掘 立 柱 建 物 とな る と考 え て い た。 しか し断 ち割 り調 査 の結 果 いず れ も浅 く、 柱 の痕 跡 や抜 取 りを認 め る こ とが で きず 、 ま た 出土 した遺 物 か らSK7368だ け時 期 の古 い こ とが 明 か と な り、 並 ん で 掘 られ た 土 坑 で あ る と 考 え る に至 った。
な お第 59次 調 査 で調 査 区 の西 辺 に お い て 検 出 し、 さ らに西 方 へ延 び る こ とが 推 定 され て い た3棟の掘 立 柱 建 物 と1条の掘 立 柱 塀 につ い て は、 そ の延 長 を 本 調 査 区 内 で 検 出 す る こ と はで きな か った。 従 って これ らの遺 構 は いず れ も第 59次 調 査 区 と本 調 査 区 との 間 に お いて 完 結 す る もの と推 定 さ れ る。 ま た逆 に本 調 査 区 に お い て 検 出 し、 東 へ 延 び る こ とが 推 定 さ れ た遺 構 に つ い て もそ の延 長 を 第 59次 調 査 区 に お いて検 出 して い な い こ とか ら、 これ らの遺 構 も両 調 査 区 に挟 ま れ た未 調 査 地 に お い て 完 結 す る もの と思 わ れ る。
下 層 遺 構
下 層 遺 構 の調 査 は、 調 査 区 南 半 の東 壁 面 に お け る土 層 の観 察 及 び平 面 に お け る遺 構 の検 出 の両 面 か ら行 った が 、 いず れ に お い て も水 田 の遺 構 を確 認 す る こ と はで きな か った。
基 本 的 層 序 は、 上 か ら順 に微 砂 (淡茶 灰 褐 色 微 砂 。淡 黄 灰 褐 色 微 砂)。 粘 質 土 (淡灰 褐 色 粘 質 土)・ 微 砂 (淡黄 色 微 砂・ 淡 黄 褐 色 微 砂
)で
、 遺 構 面 で あ る 粘 土 (黒灰 褐 色 粘 土・ 黒 灰 色 粘 土)に
至 る。検 出 した主 な遺 構 に は、 溝 状 遺 構SX7369と 東 西 溝SD7415が あ る。SX7369は 下 層 遺 構 掘 り下 げ途 中 で検 出 した もの で 、 検 出面 は淡 灰 褐 色 粘 質 土 で あ る。 幅 0.9m、 深 さ0.3mで、 調 査 区 内 で2.2m分を 確 認 した 。 掘 り込 み の 内 部 に は 自然 木 が埋 ま り、 そ れ を封 ず る よ うに上 を黄 灰 色 微 砂 が 覆 って い た。 機 能・ 性 格 は 明 か で は な い。 ま た東 西 溝Sp7415は 上 層 で 検 出 したSE7355の壁 面 及 び 底 面 に お い て 確 認 した、 ほ ぼ東 西 に流 れ る溝 で あ る。SD7415か ら は弥 生 時 代 中 期 の 土 器 が 出土 した。
出 土 遺 物
出上 した遺 物 に は土 製 品 。木 製 品・ 石 製 品・ 金 属 製 品 が あ る。 古 墳 時 代 の土 師 器・ 須 恵 器 が大 半 を 占 め、7世紀 か ら8世 紀 の 遺 物 は少 な い。 注 目 され る も の と して は、 7世 紀 か ら8世 紀 の もの と考 え られ る蹄 脚 硯・ 円面 硯 、古 墳 時代 の 碧 玉 製 管 玉・ 滑 石 製 双 孔 円盤 な どが あ る。
ま と め
今 回 の調 査 に お い て は、 古 墳 時 代 、 7世 紀 前 半 代 、7世紀 後 半 か ら藤 原 宮 期 の 建 物・ 塀・ 井 戸・ 溝 等 を検 出 し、 今 回 の調 査 区 にお いて も これ まで周 辺 で行 わ れ た藤 原 宮 西 方 官 衛 地 域 の調 査 成 果 と ほ ぼ 同 じ状 況 で あ る こ とを確 認 した。 ま た7世紀 前 半 代 の遺 構 の方 位 が弥 生 時 代 後 期 の水 田 の 畦 畔 や 古 墳 時 代 の 溝 の 方 位 と ほ ぼ一 致 して い る こ とが確 認 され 、 7世 紀 前 半 代 ま で 長 期 に亙 って 自然 地 形 に制 約 さ れ た土 地 利 用 が行 わ れ た こ と も明 か とな った。 一 方 本 調 査 区 に東 接 す る位 置 で 行 わ れ た第59次調 査 で 検 出 さ れ た弥 生 後 期 の水 田 遺 構 は今 回 の 調 査 区 で は確 認 で きな か った。 第 59次 調 査 区 で は黒 色 粘 上 の 直上 に堆 積 して い た 褐
三 卜
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ず 、 この こ とが水 田遺 構 を検 出 で きな か った要 因 で あ る。 ま た水 田 と住 居 を 区 画 す る よ うな溝 等 の施 設 ― も検 出 して お らず 、 第 59次 調 査 で検 出 した水 田 の西 へ の広 が りにつ いて は不 明 で あ る。
工、 第
66‑7次
調 査(平成三年八月)
この調 査 は、 道 路 建 設 に伴 う事 前 調 査 と して 、 橿 原 市 四 分 町 で実 施 した もの で 、 調 査 地 は藤 原 宮 の西 南 辺 に あ た る。 周 辺 で は これ まで 数 次 の 調 査 が 行 な わ れ 、 特 に本 調 査 地 に西 接 す る位 置 で 昭 和 六 十 二 年 に は第 57次 調 査 が実 施 され、 藤 原 宮 に先 行 す る条 坊 道 路 で あ る西 二 坊 々 間 路 が検 出 され た。 今 回 の調 査
0 5m
第66‑7次調査遺構実測図
(1:200)
はそ の東 延 長 を確 認 す る た め に実 施 した。 調 査 面 積 は60∬ で あ る。
盛 土・ 耕 土・ 黄 灰 粘 質 土・ 黄 灰 褐 砂 質 土・ 灰 褐 微 砂 を排 除 して遺 構 面 に達 す る。 検 出 した主 な遺 構 は東 西 溝2条 と土 坑2基で あ る。 二 条 の 東 西 溝 は と も に浅 い素 掘 で、SD5315は幅05m、 深 さ02m、 SD7310は幅0.8m、 深0.2mであ る。 こ の うちSD5315は第 57次 調 査 で 検 出 した西 二 坊 々間路SF4750北側 溝 の東 延 長 上 に 位 置 す るが 、 そ の南1lmに位 置 す るSD7310は南 側 溝 の延 長 上 に は な い。 従 って SD7310は西 二 坊 々 間 路 の 南 側 溝 で は な く、 本 調 査 区 内 で は南 側 溝 は削 平 さ れ て しま った と考 え られ る。SK7311は深 さ0.2mの 浅 い不 整 形 の 上 坑 で 、 ま た
SK
7312は 深 さ0.lm程の長 円形 の上 坑 で あ る。 いず れ も時 期 は明 らか は な い。
2、 西 面 大垣 の調査 (第
66‑11次
)(平成二年十一月〜十二月)
この調 査 は、 橿 原 市 縄 手 町 に お け る個 人 住 宅 新 築 に伴 う事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 は昭 和 五 十 四 年 の 第23‑5次調 査 地 の北 に あ た り、 調 査 区 の 東 端 に 藤 原 宮 西 面 大 垣SA258、 そ の西
9mに
南 北 溝SD2375、 調 査 区 西 端 か ら西 の 水 田 に外 濠 SD260が想 定 され た。 調 査 地 は湿 潤 な水 田 で、 基 本 的 な層 序 は上 か ら水 田 耕 作 土・ 床 土 。青 灰 色 粘 土・ 暗 褐 色 砂 質 土 (地山)で
あ る。 調 査 地 の東 端 で は表 土 下 約40cmで地 山 の 暗 褐 色 砂 質 土 とな り、 そ の上 面 で 大 垣SA258を検 出 した が 、 地 山 は大 垣 の 西3mぁ
た りか ら西へ 向 か って大 き く下 降 し、 そ の上 に灰 色 微 砂 粘 土 や青 灰 色 砂 質 土 が 厚 く堆 積 す る。 ま た 、 大 垣 の 西8
mあ
た りか ら西 で は、 青 灰 色 砂 質 土 もや や大 き く下 降 して 、 木 質 物 を含 む 暗 灰 色 粘 土 層 や 暗 灰 色 砂 層 とな る。 これ らは西 外 濠 の最 終 堆 積 層 に あ た る もの で 、 調 査 区 の西八
一
1調 5
│
第66‑11次 調査遺構実測図 (1 300)
端 で は、 暗灰色 粘 土 が急 激 に下 降 す る状 況 で西外 濠 に至 る。
遺 構
検 出 した主 な遺 構 に は西 面 大 垣 SA258が あ る。 第
23‑5次
調 査 の南 北 溝 S D2375は 検 出 され なか った。西面 大 垣 SA258は 、 一 辺1.5〜1.8mの 大型掘方 を もつ 南 北 塀 で 、5間分 を検 出 した。 柱穴 の遺存 状況 は極 め て 悪 く、 柱 掘 方 が深 さ約0.3〜0.4m残 る だ けで、
そ の中央部西寄 りに柱 抜取 り穴 の最下部 が柱痕跡状 に確認 され た。 柱抜取 り穴 の東面 は半 円形 を な して いて、 柱 の最下 部 の痕跡 と理解 され る ことか ら、柱 の 直径 が約 0.3mで 、 柱 間 は2.6m等間 で あ る ことが わ か る。 北 端 の 柱 穴 で は柱 位 置 の底 に大 きな川 原 石 を据 え て、 そ の周 囲 に同様 の川 原 石 を詰 め込 ん で い る。
他 の柱 穴 の底 に は礎 盤 が据 え られて い る。 礎 盤 は長 さ約50cmに切 った筏 穴 の あ る丸太材 を2つか ら3つ に縦 割 り した もので、南端 の柱穴 で は別 に半 裁 した丸 太 の薄 い断片 が敷 いて あ った。 これ らは柱 の不 同沈下 を防 ぐため と考 え られ る。
遺 物
遺 物 に は土器・ 瓦類 が あ る。土器 は西外濠の最終堆積層 な どか ら土師器・
須恵 器・ 黒色 土 器・ 瓦 器 の ほか灰 釉 陶器 が少量 出土 し、 瓦類 に は藤 原宮 式 軒 丸 瓦6275D・ 軒平 瓦 6641Cの ほか丸・ 平 瓦 が少量 あ る。
ま とめ
西 面 大垣 に関 して は、 これ まで に昭和 四十 二年 の県教育委員会 の調査、
第23‑5次・ 西面 中門・ 西面 南 門 。西南 隅 の調査 の多 くの地 点 で確 認 して きた。
今 回 の調 査 で は、 大垣 の柱 の礎 盤 の存 在 とそ の構 造 を確 認 した。 西 外 濠 につ い て は、 第23‑5次調 査 で藤 原 宮 の廃 絶 後 も周辺 地 の基 幹 用 水 路 と して 中 世 ま で 機能 し続 けた こ とが明 らか に な って お り、今 回 も直接 に西 外 濠 を検 出 したわ け で はな いが、 そ の最終堆 積 層 にあた る砂 。有機物層 を確認 し、 中世 に は浅 いが 幅広 い水路 とな って お り、 この水 路 の ため に藤原宮 期 の南 北 溝 が流 失 して い る ことを確認 した。 この最 終堆 積層 に関 して は、 第
23‑5次
調 査 で は青 灰 色 粘 土 層 で覆 われ た後 、 自然 河 サII状を な した もの と理解 して きた。 今 回 の調 査 で は、瓦器 を含 む粘質 土 層 や有 機 物 層 が その上 で確認 され、 瓦 器 の時 期 に まで も基 幹 水 路 と して機 能 して い た こ とが認 め られ た。
3、
南面大垣の調査
(第66‑9次
)(平成二年九月)
この調 査 は下 水 道 埋 設 工 事 に伴 う事 前 調 査 と して、 橿 原 市 飛 騨 町 で行 った も の で あ る。 調 査 地 は藤 原 宮 西 南 隅 の整 備 地 に は さ まれ た南 北 道 路 で 、 南 面 大 垣 を南 北 に横 断 す る位 置 に あ り、 第 34次 調 査 (『 概 報12』
)の
東 隣 に あ た る。 調 査 区 は南 北49m・ 東 西0.8mの約40nfであ る。調 査 地 の層 序 は上 か ら盛 土・ 茶 灰 色 砂 質土・ 淡 茶灰 色 細 砂 土・ 黒 褐色土 で、遺構検 出 は現地表面下 1.5mの 黒褐色土 (弥 生 時代 後 期 の包含層
)上
面 で行 った。 検 出 した遺 構 に は南面 内濠・ 大 垣・ 外 濠 の ほか東 西 。南北 の小 溝 が あ る。南面 内濠SD5021ま幅
lmで
、 堆 積 土 は黒 褐 色 土 混 じ りの灰 茶色 土 で、 瓦・ 土 器 が少 量 出上 した。南面 大 垣 SA2900は2個の柱穴 を検 出 した。 これ らはそ れ ぞ れ西南 隅 の柱穴 か ら9・ 10番 目にあた る。 東 の柱 穴 は南 北1.8
m、 東 西 は調 査 区外 に出 るが0.5mま で確認 で きた。 隅丸 方 形 を呈 す る と思 わ れ る大形 の柱掘方 で あ る。埋土 は黒褐色土 ブ ロ ック混 じりの淡 茶灰色上 で あ る。 西 の柱穴 は西壁 で確認 し た もので、南北1.2mま で確認 した。埋土 は東 の柱穴 と同様 で あ る。南面外濠SD501は 幅15m以上 を検 出 した が、 さ らに南 へ広 が る。第34次調 査 地 を考 慮 す る と、 今 回検 出 した溝 は外 濠本 体 で はな く最 上 層 の部分 と思 われ る。 堆 積 土 は最上 層 が 灰色 粘 土・ 茶 褐 色 土 で あ る。
以上 の よ うに、 幅0,8mと 極 めて狭 い調 査 区 で あ ったが、 藤 原 宮 の南面 内濠 。大垣・ 外 濠 を検 出 し、 これ まで の成 果 を追 認 した。
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第66‑9次調査遺構実測図 (1:400)
4、
宮外周帯の調査
(第63‑11次
)(平成三年一月)
この調 査 は資 材 置 場 建 設 に伴 う事 前 調 査 と して、 橿 原 市 醍 醐 町 で行 った もの で あ る。 調 査 地 は藤 原 宮 西 北 隅 の二 条 大 路 と外 濠 に はさまれ た外周帯 にあた り、
周 辺 の調 査 と して は南 に第 36次 (『 概 報14』 )、 東 に第54‑22次 (『概 報19』 )、
北 に は第58‑14∫15次 (『 概 報19』 )、 北 西 に第63‑1次 (『 概 報21』
)等
が あ る。 調 査 区 は東 西 24m・ 南 北3mを設 定 、 後 に一 部 北 へ 拡 張 した。 調 査 面 積 は82 言 で あ る。 調 査 地 の層 序 は、 上 か ら黒 灰 色 粘 質 土 (耕土)。 青 灰 色 粘 質 土・ 灰 褐 色 砂 質 土 (床土)。 暗 灰 褐 色 砂 質 土 (包含 層)・ 茶 褐 色 粘 質 上 が あ り、 遺 構 は現 地 表 面 下0.4mの茶 褐 色 粘 質 土 面 で検 出 した。 検 出 した遺 構 は、 建 物・ 溝 の ほか 、 南 北 。東 西 方 向 の小 溝 が あ る。建 物 SB7043は 東 西3間、 南北2間以 上 の建物 で柱穴 は
0.5m規
模 、 柱 間 は東 西7尺 、 南北7尺で あ る。一部 の柱 穴 に は石 が入 り、 柱 穴 か ら10世紀 以 前 の黒 色 土 器 が 出土 して い る。 建 物 SB7044は 東西2間、 南北2間以上 の南北 棟建 物 で、 柱 穴 は一 辺0,7m略 方形 を呈 す る。柱 間 は梁行6尺、 桁行8尺、遺 物 の 出土 は無 か った が、藤原宮以前 の7世紀代 と考 え られ る。 南 北 溝SD7045は 幅0.5m、 深 さ0.15mで 暗灰 緑 色 砂 質 土 が堆 積 し、 ■世 紀 の瓦器 が 出上 して い る。南北溝 SD3220は 幅0.
9m以上 、深 さ0.5mで、包 含 層 の上 面 か ら切 込 む。 暗灰 緑 色 粘 質 上 の堆 積 土 か ら11〜 12世紀 の 瓦 器 が 出 土 して い る。 南 北 溝 SD7048は 幅 1,3m以 上 、 深 さ 0.5mで あ る。SD3220の 下層 で検 出 した もので、 西 肩 は調 査 区外 とな る。 堆 積 土 は灰褐色砂質 土 で、土 師器・ 須恵器 が 出土 して い る。
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