博士学位論文審査の要旨
【学位論文審査の要旨】
本学位申請論文は、外傷により脊髄を損傷した人が、そのからだで生きることの経験を 現象学的記述によって開示することを目指した研究である。研究参加者は、受傷後間もな い2名と受傷後約10年の1名の計3名であり、長期にわたって関与しつつ聞き取りを行っ たフィールドワークの成果である。
論文審査においては、脊髄損傷患者を巡る医療の現状を踏まえて研究課題が設定されて いる点、丁寧な記述が脊髄を損傷したからだで生きる経験を十全に描き出している点、お よび現象学的視点から詳細に分析されている点が評価された。そのうえで、審査者からは、
個々のストーリーの構成の仕方、テーマ表記の一貫性、現象学用語の意味、受傷後間もな い患者と約10年後の患者の経験の繋がり、現象の現れ方の探究と患者の経験している感情 を深めることの違い、考察の複数の内容等々が質問され、他の視点からの分析および検討 の可能性が議論された。公聴会では、「経験」の意味や脊髄損傷者に固有な「自分」につい ての質問がなされた。
申請者はいずれに対しても、自身の考えと根拠を示しつつ論理的かつ妥当な回答ができ ていた。また、本研究の課題と今後の発展の可能性にも言及できていた。これらを受けて、
本論文は次の点において、新規性および独創性があると評価された。
第 1 に、研究背景や関連概念が十分に検討され、現象学的研究の必然性が述べられてい る点が評価された。本論文は、自らの臨床経験から生まれた患者理解に関する疑問を出発 点とし、丹念な先行研究の検討、とりわけ「障害受容」等の概念や諸研究の前提、方法論 的課題の検討を通して、“身体/精神”“援助する者/される者”という二項対立の図式、
文脈の分断等が患者理解を難しくしていることを見出している。この課題を乗り越えるた めの研究デザインと“脊髄を損傷したからだで生きる”経験に注目した点が、現象学的研 究としての一貫性を有していると評価された。
第 2 に、不断に自らを振り返りつつ、患者理解に対する熱意をもって丁寧にフィールド ワークが行われていた点が評価された。申請者は、受傷後間もない「自分であって自分で ない」とも語られる状態の患者の、纏りを欠いた断片的な言葉や身振りに、丁寧に関与し ながらその言葉を共に作り出していた。この態度から導かれた成果は、看護師等の関与が 患者の経験の生成に深く関与していることを示しており、その意味で、看護実践へ大きく 貢献しうるものといえる。また、探究しようとしている「経験」を、研究者自身もそこに 参加して生成する研究手法に独創性が認められる。
第3に、“脊髄を損傷したからだで生きる”現象学的記述の新規性が評価された。研究参 加者一人ひとりに注目した記述では、その意味の浮かび上がる様が詳細に描かれ、個々の 経験から導かれた考察では、「自分のからだの統合性が崩れる」、それによって生まれる「時 間経験」、「応答関係の信頼が揺らぐ」、「できることができないことを含みもつ」、「変わっ たことの想起が今でも変わらない思いを際立たせる」という視点が検討され、既存の研究 において見出されていなかった水準の感覚的経験が他者との関係から浮かび上がり、その
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関係を通して意味がいかに更新しているのかが明らかにされた。この成果は、患者理解の あり方に新たな示唆を与えうるものであり、看護学において、さらには哲学において意義 深い発見であると評価された。
加えて、申請者の熱心かつねばり強い探究心、そして真摯な取り組みの態度は、研究者 としてふさわしい資質と今後の発展の可能性を示していると評価された。
以上より、申請者の研究は博士論文として妥当な水準に至っており、公聴会、および最 終試験での議論を含めて、博士(看護学)の学位にふさわしい専門的知識と能力を備えて いると判断した。