伝上杉謙信所用金銀欄緞子等縫合胴服について 下
―伝上杉謙信・上杉景勝所用服飾類調査報告一―
著者 神谷 榮子
雑誌名 美術研究
号 219
ページ 17‑39
発行年 1962‑08‑30
URL http://id.nii.ac.jp/1440/00006855/
伝上杉謙信所用金銀欄鍛子等縫合胴服について
下 ー!伝上杉謙信
・上杉景勝所用服飾類調査報告
五 寄せ裂仕立に関する考察
裂 を 接 寄
ぎ せ 合 裂 わ 仕 せ 立 て に 衣許つ 類広い を て 作
る と は 相 当 古 く か ら
千丁
わ れ して、 た と 思 わ
1
れる︒現代のように機械生産で多量の裂が産出されている時代でも︑美
しい裂や珍しい裂の接ぎ合わせ使用は勿論︑見本裂や端裂を接ぎ合わせ
て用いることも屡々であり︑僻地︑貧困等の理由で繊維品が容易に入手
註日
できない場合は︑必要上寄せ裂やぼろ裂集めで友類を作るのが常であ
る︒ましですべてを手工によらねばならなかった時代は︑生産量は僅少
で裂に対する節約や愛着は現代の比ではないから︑残り裂や端裂でも貴
重な筈であって︑そこには当然接ぎ合わせの方法で使用の目的を果した
ことが考えられるのである︒
寄せ裂仕立の場合にも一種類の裂で仕立てる場合と同様︑作成に当つ
ての動機が二つある︒即ちその動機になった目的が着用する﹁衣類﹂に
あるか︑使用する﹁裂﹂にあるかのどちらかであり︑この場合は一種類
伝上杉謙信所用金銀欄椴子等縫合胴服に
ついて
下
神
子
/.、
/口i
栄
の裂で仕立てる場合にくらべて後者の割合が多いのが注目される︒それ
は︑余り裂や端裂に対する愛着や節約から﹁裂﹂を集め接ぎ合わせて衣
類を作ることが︑後者の﹁裂﹂に作成の動機が置かれることと一致する
からで︑寄せ裂仕立に小裂利用の性格がある以上当然である︒
更に寄せ裂仕立の﹁裂﹂が動機になる場合には︑裂に対する愛着や節
註日約以外に信仰的な性格や俗信が殊のほか強く︑またこの種の寄せ裂には
註日その衣類に小袖や袴の類が殆どないのが特色である︒
ところで作る動機が﹁衣類﹂にある寄せ裂仕立は︑本来ならば一種類
の裂で仕立てるところを︑裂が足りないため︑二種類以上の裂を接︑ぎ合
わせて作る場合が殆んどであるから︑それらには共通して接ぎ合わせる
裂はなるべく大きなものを︑裂の種類はなるべく少くといった考慮が見
られ︑更に衣類本来の目的である使用面の逼迫性が濃厚で︑﹁裂﹂が作成
動機になる場合とは種々な点で対照的である︒
しかしこれらは何れにしても端裂や残り裂小裂等使用のささやかな仕
145
立であって︑真新しい一続きの大きな裂を裁断し縫合わせる仕立とは根
一七
美
術 研
外2 ノh
第
百 十 九
本的に異る︒ 号 法 隆 寺 献 納 宝 物
2
寄せ裂意匠の発
展︑並びにこの胴
服の意匠成立の背
糞 掃 衣 部 分
主主 用、
このようなつましさ
の上に立った寄せ裂仕
挿図13
立にも︑それにふさわ
しい発展があって今日
に至っているq中でも
/¥
意匠上の発展は特に独自性が著しい︒
ふんぞう
え 註 口
かつて糞掃衣(一例︑挿図日﹀は粗服に徹する僧衣本来の面目を示すも
のであった︒それが正倉院の刺柄袈裟に見られるような︑装飾的効果を
求めるものになり︑やがては後世の美しく模様化された遠山袈裟(一例︑
挿図日﹀にまで進められた︒
修行精神から発した組服が眼目の僧衣でさえ︑このような寄せ裂仕立
独得の意匠の発展があったのであるから︑ましてささやかな中にも喜び
を見出したいのが本能である一般庶民の聞にこの発展がない筈はない︒
註
m m
小袖の段の起源を思わせる対馬のハギトウジン︑鎌倉から室町にかけ
註日ての片身替りの直垂︑室町から江戸初頭に多い片身替り︑袖替り︑段の
小袖等︑現存遺品資料並びに絵画資料から考察すると︑庶民間での︑
石 山 寺 蔵
枚の衣服を作るのに幾種類もの裂を寄せ集めて仕立でなければならなか
った乏しい衣生活がその根底にありながら︑接ぎ合わせを行う立場に常
滋 賀 県
時寄せ裂の装飾性を求めていたのが窺われる︒そしてその装飾性は︑明
らかに計画的に意匠を作成したと認められる種類の片身替り︑袖替り︑
江 戸 中 期
段にまで進んだのであった︒ 即ち鎌倉時代の祭礼装束の直垂(
一例
︑挿
図日
﹀等は︑派手な効果が目
挿図14遠111袈 裟 部 分
的の寄せ裂仕立であることは明瞭であり︑更に室町から江戸初頭にかけ
ての初期小袖の片身替りや段に︑それが別裂仕立ではなく意匠企画が既
に織や染の段階で行われている凝ったものに屡々直面するのなどは︑本
来の接ぎ合わせからは脱して︑その意匠だけが完全に独立した姿といえ
る︒これは︑当時の武士階級の聞に︑庶民の接ぎ合わせ意匠の観念が浸
透していたことを意味すると同時に︑その意匠がまだ模様染の発達して
挿 図15 片 身 替 り の 直 垂 春 日 権 現 霊 験 記 第 十 三 巻 模 本
いな かっ た当 時︑
一枚 着と
しての小袖を飾るにふさわ
しい効果的なものにまで発
達していたことを物語って
いる
この片身替り︑袖替り︑ ︒
段は︑室町・桃山の染織工
註初代から江戸の染の時代へ移る過渡期にあって︑種々な過渡的様相を呈す 芸が︑平安・鎌倉の・織の時
る中で︑前時代的傾向が濃く︑従来の織の技術︑当時多量に舶載された
外来裂の利用︑寄せ裂仕立及び寄せ裂意匠等が相侯って︑新たに服装の
主流となった小袖の一意匠として独得の進展を見せたのである︒
さて︑この寄せ裂の胴服は室町末若しくは桃山初頭の製作である︒既
にその意匠が片身替り︑段と同類であることは述べた︒こうすすめてく
るとこの胴服が如何なる寄せ裂であるか歴然とするであろう︒この高度
に凝った賛沢な胴服は︑この時代︑前述したように進んでいた片身替り︑
段等の意匠の中にあって︑それらの構成に手馴れた優れた意匠感覚の持
ち主があれば︑それらの応用形として当然こういう試みも行ったと思わ
れる︒この傑作は決して突如として出現したのではない︒ところでこの
胴服の殊更に細かい寄せ裂には意匠以外の目的︑即ち1において述べた
考察が困難であるので言及を控えたい︒ ような︑信仰的乃至は俗信的な目的も考えられるが︑それは現段階では
寄せ裂に一貫している意匠上の特質は︑異った裂の色や質︑形︑模様︑
伝 上 杉 謙 信 所 用 金 銀 欄 鍛 子 等 縫 合 胴 服 に つ い て 下
裂の大きさ等の対比対照の面白さであるが︑江戸時代も中期近く︑帯の
幅が広くなってくると︑そこにもその面白さが使われるようになり︑渡
りものである唐桟の余り裂を巧みに接ぎ合わせた羽織や胴着は︑気のき
いた品のよい江戸趣味の酒落着であった︒江戸の後期︑型染の技術が発
して扱われ今日に及んでいる︒ 達した頃︑遂にこれは寄せ裂模様︿一例︑挿図凶﹀となって屡々染模様と
このように寄せ裂にはそこに寄せ裂独自の美しさ面白さがあるため︑
それが或時は
京 都 ・ 千 総 蔵
つましい衣生
活の唯一の喜
びとなり︑或
左同28年製〉
時は寄せ裂自
体の面白さか
ら試
みら
れ︑
挿 図16型 友 禅 の 寄 せ 裂 模 様 例 〈 右 明 治19年製
更に意匠自体
に発展が生じ
ている︒これ
は手先の器用
な日
本人
の︑
如何なる裂で
も巧
みに
接︑
ぎ
合わす優れた
技術と︑その
147
jj.
美
術
究
第
百 十 九 号 研
ための労をいとわない性格︑更に歴史的にみて節約を余儀なくされた時
代が多かったといった条件から発展したものと考えられる︒要するに寄
せ裂や寄せ裂模様の発達は︑つましい衣生活と手先の器用さに源を発し
た所産である︒
3
この胴服における寄せ裂の特異性
この胴服に十六種類の表裂が使われていることは既に幾度か触れたとこ
ろで
ある
︒
その中の一つ蔚黄地笹蔓花文様紋子(笹蔓手︑裂の種類別番号
日)は薄標色笹蔓花文様鍛子(笹蔓手︑裂の種類別番号3﹀と同文の色違い
(第
一二
六号
図版
I
︑v a
︑挿図ロ参照)で︑その使用は挿図ロの裂の通し
番号臼の小片
( E
V
︿仏‑r
B)
一ヶ所だけであり︑それは知何にも珍しく美
しい裂を寄せ集めて接ぎ合わせる寄せ裂の気分のよく現れているところ
で︑そういう点からみても︑これは勿論﹁美しい裂が種々あるからこれ
を接ぎ合わせて何か作ろう﹂という寄せ裂の意図から出たものであるこ
とは間違いなかろう︒では一体何処が普通一般の寄せ裂と異るのであろ
うか
ここに用いられている表裂は先に挙げた一種類を除き︑何れも始めは ︒
相当な大きさがあったと想像されるが︑それをこの意匠に合わせて思い
切りよく切りこまざいて使った点驚異である︒この大きな貴重な裂を切
註幻
りこま︑さいていくことは︑普通では真似のできない芸当で︑このように
臆することなく高級な舶来品を切りきざむ英断は︑よほどの無謀かよほ
どの自信と勇気がなければ出来ることではない︒この場合︑意匠の出来
を見ればわかるように︑自信と勇気の所産であることは明らかであろう︒ 二O
また﹁小さな裂もあますことなく用いて﹂という普通の場合の寄せ裂
製作の考えでは︑この見事な意匠は望めない︒何故なら︑三角や四角そ
の他の多角形を大小とりまぜ︑しかも十六種類の裂をほどよく配置する
ことは︑それが複雑な難しい事柄を幾重にも持っているだけ︑最初に行
う意匠企画は︑よほど充分な用布が準備されない限り不可能だからであ
そのようなことからこの寄せ裂は残り裂︑端裂とはいい条︑十六種類 る ︒
の高級な裂が充分に用意され︑惜し気もなく切りこまざかれて作られた
という︑実質的にも気分的にも極めて賛沢な点が異色であろう︒
では次にそこに用いられている裂の説明に移りたい︒
既に三において︑ここに用いられている十六種類の裂が名物裂級の裂
であることを述べた︒その﹁名物裂級﹂という意味は︑当時即ち十五・
六世紀ごろ︑主として中国の明から相当多量の裂が入ってきていた中で
註辺三百種から三百五十種類がいわゆる名物裂として︑当時の程度の高い文
化人である武人や茶人の好みによって選択されていた︒その選択は別に
何かの基準があったわけではなく︑あくまでそれらの人遠の好みによっ
たので︑高級品が必ずしもその選に入るということはなかったが︑しか
しさすがに好みのよい目の高い人達の選択だけあって︑選ばれたものに
下級品は見当らない︒即ち﹁名物裂級の裂﹂というのは名物裂の選に入
る程度の高級な外来裂のことである︒ではそれらの表裂について詳述し
よう
付) ︒
十六種類の裂の種類︑その品質
十六
種類
中︑
金禰
三種
(中
二種
同文
)︑
銀欄
二種
︑鍛
子九
種(
中二
種同
文)
︑締
子一種︑倫子一種であ
茶地石畳に藤巴文様金欄文様図
る︒個々の裂の説明は
この織別順序で行う︒
茶地石畳に藤巴文様金
欄(裂の種類別番号
6)
石畳文様は名物裂に
屡々
見ら
れ︑
この金欄
挿 図17
のように小さい石畳が
地文になって上文が散
似ているものでは の﹁伊予簾鍛子﹂(石畳の大きさ
0
・三セシチ前後﹀︑この金欄に文様が多少 らしであるのでは名品﹁薄紅地鳥の丸に宝尽し文様金入鍛子
L (鳥
の丸
の直
径
五・
二セ
ンチ
︑石
畳の
大き
さ
0
・三
セシ
チ前
後﹀
があ
る︒
(文様及びその大きさ)
挿図口藤巴の大きさは大の直径約︑五・五センチ︑小の直径約四・コ一センチで︑
中には四・四センチぐらいのものもある︒石畳の大きさは0・三五センチぐらいのと
0・五センチぐらいのまで種々ある︒
︿地
合﹀
他は経の五枚嬬子︑文は平金糸で織りあらわされており︑金糸は緯糸二本おきに入
っている︒地揚みで経糸一O本目毎に一本が揚んでいる︒経糸は一センチ聞に二一O
金糸の幅は平均0
・五
ミリ
︒
本前後︑緯糸は一センチ聞に二四本前後︑金糸は一センチ聞に一二本前後入っており
(糸 の色
︑撚 等﹀
糸は経も緯も同じ茶色であるが経は細く緯が太い︒経糸はZ撚︑緯糸の撚は不明︒
白地石畳に藤巴文様金欄(裂の種類別番号ロ︑第一二六号図版
E a
﹀
伝上杉謙信所用金銀欄鍛子等縫合胴服について
ー ド
(文様の大きさ) この方が地質が詰んでいる︒これは前述のと同文であるが︑
藤巴の大きさは大の直径約五・二センチ︑小の直径四センチ(多少小さいのがある﹀︒
‑五センチぐらいのまで種
々あ
る﹀
︒
石畳の大きさは0・四センチ平均
(茶 色の 場合と同様0・三五センチぐらいのからO
︿地
合﹀
地は経の五枚嬬子︑文は平金糸で織りあらわされており︑その金糸は緯糸二本おき
に入る︒地揚みで経糸一O本目毎に一本が揚んでいる︒経糸は一センチ聞に一二O本
幅は平均約0
・五
ミリ
︒
前後︑緯糸は一センチ聞に三O本前後︑金糸は一センチ聞に一五本前後入り︑金糸の
(糸
の撚
﹀
経糸はZ撚︑緯糸の撚は不明︒
花色雷文菱棒竜に花形文様竪縞金欄(裂の種類別番号7﹀
らしである金禰は名物裂によくあり︑ 菱や入子菱︑雷文菱が棒になって繋って地文になり︑そこに上文が散
これは文様︑地質共にその一連の
ものと見倣してよいと思われる︒また同じく上杉の緋羅紗陣羽織の裏に
浅葱色の紋子でこれに似た模様のが使つである︒
(文様及びその大きさ)挿図日
; 5 . a l l ト一一一一3.8 1 :
花色雷文菱穆竜に花形 文様竪縞金欄文様図
(地
合﹀
地は経の五枚
縞子文は平金糸
で織りあらわれ
ており︑その金
挿 図18
糸は緯糸二本お
きに金糸が一本
149
入っているのは
美
術
t:J
‑IJ"
前記二種と同様︒地揚みで︑経糸一O
本目毎に一本が揚んでいるのも前記二種と同 研 究
第
百 十 九
様︒経糸は一センチ聞に一二O本前後︑緯糸は一センチ聞に二六本前後︑金糸は一セ
ンチ聞に一三本前後入っており︑金糸の幅は平均約0
・五
ミリ
︒
(糸の色︑撚等﹀
経糸は濃い花色で撚はZ撚︑緯糸は浅葱に近い花色で撚は不明︒この金糸は赤味が
かった金である
薄青緑色雷文に花の段文様銀欄(裂の種類別番号叩)
裂によく見受けられるがその一連と見倣される︒ 雷文が横に繋って他の文様と段になっている文様構成は名物裂系統の
(文様及びその大きさ)
挿図日︿
地合
﹀
地は経の五枚嬬子︑文は平銀糸で織りあらわされており︑その銀糸は緯糸二本おき
に入っている︒地揚みで経糸一O本目毎に一本が揚んでいるのは前記金欄と同様︒経
糸は一センチ聞に一二O
本前
後︑
緯糸は一センチ聞に銀糸の入らぬ個所は五O
本 前
後︑銀糸の入っているところは二二本前後︑銀糸は一センチ聞に一一本前後入ってお
薄 青 緑 色 雷 文 に 花 の 段 文 様 銀 欄 文 様 図
挿図19
り︑銀糸の幅は平均約0・八ミリ
(糸の色︑撚等)
一誌は経糸︑緯糸共に薄青緑色で撚の強い
Z撚︑経緯共糸かと思われるほど緯糸が
‑ 一‑EqL
細い
︒
青緑色花鳥文様竪縞銀欄(裂の種類別番号口︑第一二六号図版
E b
﹀
務 内 健 診
w
緩慢鈴協
w g
敏 h Z Z 像
ゑ 縞
様
i
似m m m m m m m m m m m m m m m m a m a m m m m m m m m m m m m m
初 防 隊 文
↑ 制 側 協 戦 機 物 鰯 慨 級 協 縁 側 出 抑
磁 傷 後 初 例 褐 協 物 務 総 絡 線 鯵 働 金 銅
S M m
弘
w m
m m m
吻
m m
m w m m m m m
ル 郎
m m 防
m m m m m m m m
払炉
m
開n m m m 閉
削 除 閉 炉 開 閉 m m u m m m m m m m M m m o m m m j
図
湖 ︑ 淵 伊 勢 場 多 o a d
行 ︽ 物 多 多 額 均 身 挿
(文様及びその大きさ﹀
挿図却(
地合
)
地は経の五枚儒子︑文は平銀糸で織りあらわされており︑その銀糸は緯糸二本おき
に入る︑地揚みで経糸一O本目毎に一本が揚んでいるのは前述の金欄・銀欄と同様︒
経糸は一センチ聞に一一一O本前後︑緯糸は一センチ聞に二O本前後︑銀糸は一センチ
聞に
一
O本前後入っている︒銀糸の幅は平均約て︑︑リで幅が広い︒この銀欄は竪縞に
銀が通る文様になっており︑その銀の竪縞は幅一ぱいにくり返されているから前記銀
欄のような銀糸の入っていない個所というのはなく︑そのため前記銀欄のような地合
のつまったところがなく全面組い感じがする︒また銀糸の幅が広いので地緯の密度も
組くなる結果になり全体に地の組い銀欄になっている︒
(糸の色︑撚等﹀
これは経糸緯糸共に青緑色で撚の強いZ撚︑経緯共糸かと思うほど緯糸が細い︒
この裂と同文のが岐車県・関市の春日神社の能装束狩衣︿同文赤地銀
欄V︑側次(同文赤地銀欄︑同文薄繰色金欄︑同文繰色金欄)にあり︑それら には珍しく裂地の文様の中に処々︑裂の織幅一ぱいに約一センチ幅に細 く区切りが入り︑そこに横に﹁哀思誠﹂或は﹁陸小恵﹂の文字が白糸の
浮織で織り出してあるハ挿図幻﹀︒その文字は或場所では逆に左字になっ
ており︑また或区切りにはその文字が織り出されていない︒この文字が
何を意味するのか明確にはわからないが︑恐らく亡れらの裂の製織に当
註斜った明の機戸か繊手の名称を意味するものと思われる︒これらの裂が文
様の大きさも同じであり︑使つである糸も何れも経緯共色︑共に撚の強
いZ撚︑経緯共糸かと思われ
るほど緯糸が細く︑地合は何
LιLFhd 一‑EnLれも上杉のとほぼ同様である
点から推測すると︑これらは
一連の色違いの同文であるこ
春 日 神 社 側 次 部 分
とがわかる︒また緑色の同文
と思われるものが︑加賀の前
t四 国
CJlCJl 主列c
I.OW ~~-
ω∞ Lこ
所 伝 用 わ と る い 前 う 田 脚 利 紳 家
2
註 慶 文7
妄る26長 七
挿図21
とのことで︑そうなると上杉
謙信とは同時代であり︑
そこ
にこの裂の年代の確実性が出
てきて︑春日のものも年代が
より確実になるということに
なる︒またこれらのことから
伝 上 杉 謙 信 所 用 金 銀 欄 鍛 子 等 縫 合 胴 服 に つ い て
下
この時代︑この手の裂が相当多量に入り︑装束の類に広く使用されたの
ではなかろうかと思われる点注目される裂である︒
また春日のこれと同文の金欄︑銀禰︑他の金禰の類を見ると︑金糸の
場合はその糸の幅が
0
・五ミリ前後︑銀糸の場合は一ミリ弱といった上 杉の金禰︑銀欄の金︑銀糸の幅と同様な関係を有し︑地糸は経緯共糸か と思われるほど双方Z撚の強くかかった細い糸(上杉の金欄三種は経糸は銀禰二種と同様なZ撚の強い細い糸であるが緯糸は普通の場合の緯糸のように
五枚緒子の組織︑金・銀糸の入り方︑地揚みの状態︑地の密
註幻
度が︑何れも名物裂金・銀欄の上物にくらべると大分粗いなど共通点類 太
い﹀
で︑
似点が揃うので︑或はこれらは同時代同所で出来たものであるかも知れ
ない︒それにしても︑
その中の同文が幾っかある花鳥文様竪縞金・銀禰
に前述したような浮文の文字が見られるのは︑今後の研究に何かの手が
かりになるのではなかろうか︒
濃蔚黄地記入棒に竜文様鍛子(桑山椴子﹀(裂の種類別番号9︑第一二六号図
版V
b)
名物
裂の
桑山
鍛子
であ
る︒
茶人
桑山
重晴
(﹂
八︑
永畑
町山
一見
区)
・重
長(
一一
一
MM
1
問問
︑
t)
父子のどちらかが好んだことからつけられた名称であろう︒名物 裂には百の入った三重棒
l l
多くは襖の中に日入の菱が入った文様︑菱の線も棒
に平
行で
ある
ため
三重
棒に
見え
る︒
また時にはこのような三重樺ではなく
一重の棒の中に百が入っているのもある︒ーーが地文になって上文が散らし
註おてあるのがよくあり︑この桑山紋子や芝山鍛子︑藤種紋子などはその手
の名物裂の中でも上質である︒
151
美
術
研
J 戸ノL
第
十
n乃
九 百
(文
様
及びその大きさ﹀
挿図
n
波踊黄地目入棒に竜文様鍛子
〈桑山鍛子〉文様図
(地
合)
地は経の五枚縞子︑文は緯の浮文で百入棒
は二本越しているもの四本越しているものが
混っており竜文は五枚綾¥(左上とになった
部分が多い︒経糸は一センチ聞に七O
本 前
後︑緯糸は一センチ聞に三四本前後︒
挿 図22
(糸の色︑撚)
経糸は非常に濃い青昧の多い蔚黄色で撚は
Z撚︒緯糸は薄商黄と薄棋のまやさったような
青昧の多い薄茄黄で撚はゆるくS撚かZ撚か
(東京国立博物館蔵の名物裂帖に見られる二種類の桑山鍛子﹀
一見上杉のこの桑山鍛子と同じである︒調査の結果︑組織が綾(地が経の三枚噌i
綾¥ハ左上り)︑文が緯の六枚綾¥ハ左上り)﹀である点以外上杉のと悉く同じであった︒
(2)
薄青緑色(経糸︑緯糸共に薄青緑色﹀で文様が小さく(木瓜形の横径三・
三セ
セ
ンチ︑竪径一・九センチ)︑組織は縞子(地が経の五枚嬬子︑文はその裏組織﹀︑
共に細くZ
撚 ︒
ンチ間の経糸本数は一三O本前後︑緯糸本数は五O本前後︑糸は経緯共糸かと思われ
白地青海波に雲文椴子(裂の種類別番号1︑第一二六号図版
w a
﹀
名物裂系統の裂の文様に雲文が多いことは今更いうまでもなかろう︒
この胴服に用いられている雲文鍛子は第一二六号図版Wにある三種︑即
ちこの鍛子及びこれに続いて列挙するこ種である︒
またこの紋子に見られるような一センチ大の二重の青海波が地文にな
って︑それに上文が散らしてある名物裂に本能寺裂鍛子︑三雲屋紋子が 二四
あり共に時代は宋元の間といわれている質も上質のものであるが︑上杉
のこの鍛子も文様︑地合︑組織から見てそれら一連のものに近いと考え
られる︒なおこの鍛子は鍛子としては経糸の密度が多いので厚みのある
生地であるからかも知れない︒ しっかりした生地になっている︒この裂には裏打紙のないのはそうした
(文様及びその大きさ﹀
挿図お(
地合 ) 地は経の五枚嬬子︑文はその裏組織︒経糸は一センチ聞に一一O本前後︑緯糸は一
センチ聞に三二本前後︒
(糸 の撚 )
経糸緯糸共にS
撚 ︒ (類 似裂 )
ω
本能寺裂椴子l
東京国立博物館蔵│文様の大きさは青海波の大きさ約一センチ︑雲文
の横径三・三センチ︑竪径五センチ︑地合は地が経
の五枚嬬子︑文は裏組織︑経糸一センチ聞に一00
本前後︑緯糸一センチ聞に三五本前後︑経糸は鉄色
がかった濃蔚黄S撚︑緯糸浅葱S
撚 ︒ (2)
三雲屋鍛子
l
東京国立博物館蔵名物裂帖i
約一センチ大の二重の青海波に宝尽しの上文散ら
し︑地合は地が経の五枚嬬子︑文は裏組織︑経糸一センチ聞に一OO本前後︑緯糸は
一センチ聞に三六本前後︑経糸は鉄色Z撚︑緯糸は白茶で撚は不明︒
瀦色雲文紋子(裂の種類別番号目︑第一二六号図版
W b
﹀
この紋子はきめがこまかくしかも地質がしっかりしている︒務色の色
が鮮やかである︒
前後 ( ︒ 糸の 色︑ 撚﹀
︿文様及びその大きさ﹀
挿図目︒この雲文と白地青海波に雲文鍛子
(1
﹀
の雲文及び黒雲文鍛子︿日)の雲文は形は類似して
いるが大きさが異る︒これが最も小さく(日)が最
も大
きい
ハ挿
図泊
︑目
︑お
参照
)・
(地
合﹀
地は経の五枚嬬子︑文はその裏組織.経糸は一セ
ンチ聞に一一O本前後︑緯糸は一センチ聞に三二本
経糸︑緯糸ほとんど同色の鶴色︒撚は経はS撚︑緯はゆるいがS撚らしい.
黒雲文鍛子(裂の種類別番号口︑第一二六号図版印c﹀
痛みが少い︒ この紋子は鉄媒染のため痛んでいるところがあるが︑黒無地縮子より
(第
一二
六号
図版
I
参照)が上質のしっかりした生地である︒ 現在色は槌色して茶になっている
なおこの紋子は組織が綾である︒従って組織の上から厳密にいうと鍛
子ではなく綾になるが︑名物裂系統の裂の慣例に従って紋子とした︒こ
!
lぬ
』一一 2.5一一一~議 ア : lI
'__---5.7---~
黒雲文鍛子文様図
れ以後六種の鍛子は何れも綾組織のも
のばかりである︒
︿文様及びその大きさ)
挿図お︑三種類の雲文鍛子中これが最も大
︐ ︐ ー
︑ ︒
司‑ w
t︑ ︑ ︐
u‑
‑
挿図25
(地 合)
地は経の三枚綾¥(左上之︑文は緯の六枚綾
¥︿ 左上 り﹀
︒経 糸は 一セ ンチ 聞に 一一
O本前後
伝上杉謙信所用金銀欄椴子等縫合胴服について
下
緯糸
は太
く︑
一センチ聞に二五本前後.
(糸 の色
︑撚
﹀
経糸︑緯糸共黒が茶色に槌色︑撚は経緯共にZ
撚 ︒
(類
似裂
﹀
上杉のものの中で同じく謙信所用と伝えられる﹁赤地雲文椴子の陣羽織ハ袖附どの
文様地質はこの雲文鍛子によく似ている︒雲文が更に大きく雲文中央の横径が五セン
チある︒との地合は地が経の三枚綾
¥2
ょと︑文は緯の六枚綾¥ハ左上とで経糸は一セ
Z撚 ︒ ンテ聞に八二本前後︑緯糸は一センチ聞に二五本前後︑経糸︑緯糸共に色は赤︑撚は
薄標色笹蔓花文様紋子(裂の種類別番号3︑第一二六号図版
Va )
これは次の蔚黄地笹蔓花文様鍛子と同文で︑名物裂ではこの手のもの
註却を笹蔓手といっている︒本歌物の笹蔓椴子(挿図幻﹀は名物裂中の名物と
して
名高
い︒
蔚黄地笹蔓花文様鍛子(裂の種類別番号日)
薄 標 色 笹 蔓 花 文 様 鍛 子 (笹蔓手〉文様図
挿図26
(文様及びその大きさ)
挿図お(
地合 )
地は
経の
三枚
綾/
(右
上り
)︑
文 は緯 の六 枚綾 /( 右上 り﹀
︒経 糸は
一センチ聞に七二本前後︑緯糸
は一センチ聞に三二本前後︒
(糸の色︑撚)
経糸は濃い練色︑撚はS
撚 ︒
緯糸は自に近い薄練色︑撚はS
撚
] 53
二五
美 術
百 十
号 九 研 究
第
これは前のと同文で︑経糸︑緯糸の本数も殆ど同じである︒ただこれ
の場合緯糸が細いので緯糸が粗く入ることになり︑結果的に前記のに較
べ地
が粗
い︒
(文様及びその大きさ﹀
挿図お(
地合
﹀
地は経の三枚綾
/ハ 右
上之︑文は緯の六枚綾/(右上り)︒経糸は一センチ聞に七二本
前後︒緯糸は
一セ ン
チ聞に三二
本前
後︒
︿糸の色︑撚﹀
経糸は濃萌黄︑撚はS撚︒緯糸は鶴色︑撚はゆるいS
撚 ︒
(本
歌物
)
笹蔓鍛子││東京国立博物館蔵︑挿図幻││これは経糸蔚黄︑緯糸金茶で織り出さ註羽れは温い色合の蔚黄で︑地合は︑組織が地は経の三枚綾/(右上之︑文が緯の六枚紹子
と五枚紹子の組合わせという嬬子組織で︑経糸は一センチ聞に六八本前後︑緯糸は一
センチ聞
に三
八本前後︑糸の撚は経緯共Z
撚 ︒
これら二種類の笹蔓手を本歌物と比較すると︑文様の類似相違は図版
v a
︑挿図お︑幻に見られる通りで︑六灘小花と三枚笹の蔓は左右の向
が逆ではあるが形も大きさも殆ど同じでその主文になっており︑笹蔓手
には本歌物にない蕨手様の小蔓が加わり︑更に本歌物の六郷小花と互の
目に並んでいる俗にいういちご(惰円形の丸い実のようなもの﹀が菊文と蓮
華文の一段おき挿入に替っており︑そのためこの笹蔓手は本歌物より一
模様が大きくな
って い
る︒またこの二種の注目すべき相違点に組織があ
り︑この笹蔓手は原則通りの綾地綾文であるのに対し本歌物は調査の項
で記したように異例の変則組織の綾地縮子文になっている︒このため本
歌物は地が綾で引きしまった感じになっているところへ緒子組織である
二六
文様が柔かに浮いた感じに出ており(地が経の綾である場合はその文様は緯
の綾
組織
にな
るの
が原
則で
そうなると文様の中に斜めの綾目が立って堅い感
じに
なる
)︑
そういう味わいが品格の高いこの裂の気品や温かみの一因
になっていると思われるのである︒上杉のこの笹蔓手は本歌物と較べた
場合︑文様の端厳さや柔かみの上で見劣るがしかし名物裂としては上物
であ
る︒
東 京 国 立 博 物 館 蔵 笹蔓鍛子〈本歌物〉
挿図27
緑色小牡丹唐草文様鍛子(裂の種類番号
4)
名物裂の蔚黄(緑﹀綾地牡丹唐草文様金禰(一重蔓中牡丹金欄﹀の金糸の
文を緯糸の紅色(紅が偲色して燈色になっている)であらわし︑中牡丹を小 牡 丹 に 変 え た も の
︒色も地合(その金調の地は経の三枚綾/(右上之︑文は金糸で別鰯︑経糸一センチ聞に七
O
本前後︑緯糸一セγチ聞に二二本前後︑糸の撚は経緯共S燃
﹀ も 酷 似 し て い る
︒ 上 物 の 綾 子 で あ る
︒ (文 様の 大き さ)
壮丹の径約二・五センチ
(地 合) 地は 経の
三枚
綾/ (右 上り
﹀︑ 文は 緯の 六枚 綾/ (右
3
上・経 糸は 一セ ンチチ
聞に 七八 本前 (糸 の色
︑撚
)
後︑ 緯糸 は一 セン チ
7‑J
デ毘 に三
O本
前後
︒
経糸 は濃 い緑
︑
S撚︒
緯糸 は紅
︑
ただし現在は表面に出て︑るとしとところは槌色し︑内
側に な って いる と
ころは鮮かな紅色が残っている︒
ゆる いS 撚︒ 黄
地 紗 綾 形 に 竜 文 様 紋 子 ( 裂 の 種 類 別 番 号
8︑第一二六号図版
VC
﹀
こ の 黄 色 は 掻 色 の か 斗 っ こ 宣
τf
温い感じの色で︑
打 込 み が よ く 織 目 の 揃 つ た し っ か り し た 地 質 の 上 物 の 鍛 子 で
黄地紗稜形ζl竜文様鍛子 文様図
ある
︒
竜 文 は 菱 に 入 っ た の と 入 ら な いのとが互の目に並んでいる︒
(文 様
及びその大きさ)
挿図お
(地合)
挿図28
地は
経の
三枚
綾/
(右
上り
)︑
文は
緯の
六枚
綾
/ハ
右上
2︒
経糸 は一 セン
チ チ
聞に
七六
本前
後︑
緯糸
は
一セ
ンチ
聞に
三二
本前
後︒
伝上杉謙信所用金銀欄鍛子等縫合胴服について
下
(糸 の色
︑撚
﹀
経糸
は燈
がか
った黄色で撚の強くかかっ
たS
撚︑
緯糸
は金
茶色
でゆ
るい
S撚
︒ この綾もしっかりした地質で︑
薄練色紗綾形文様椴子(裂の種類別番号目︑第一二六号図版
V
﹀d
かも知れないが上物に入る︒
薄;標色紗綾形文様鍛子
文様図
黒 無 地 縮 子 ( 裂 の 種 類 別 番 号 2 こ の 締 子 は 鉄 媒 染 の た め 痛 み が ひ (第 一一 一六 号図
参照)
I
版(地 合)
経の五枚緒子︑経糸は一センチ聞に約
後 ︒
(糸
の色
︑撚
﹀
前 記 黄 色 の 綾 よ り は 多 少 質 的 に 落 ち る (文
様及 びそ の大 きさ
﹀
挿図ぬ(
地合
﹀
地は
経の
三枚
綾/
(右
上り
)︑
文は
緯の
六枚
綻
/ Z
上之
︑経
糸は
一セ
ンチ
聞に
七四
本前
後︑
緯糸 は一 セン チ
7‑デ
毘に 三六 本前 後︒ (糸 の色
︑撚 ) 経糸
︑緯 糸共 薄標 で
S撚︒
挿図
叩﹀
どい
︒ 現在は茶色に槌色している︒
一OO
本前後︑緯糸は一センチ聞に三二本前
経糸︑緯糸共黒が茶に砲色して
いる
︒撚
は経
糸は
S撚
らし
く緯
糸は
不明
︒
155 二七
美 術
号
十 研
第 究
百
九
白地紗綾形に蘭文様倫子(裂の種類別番号5﹀
註3上杉の服飾類の中︑倫子が二種類あり︑その一つである︒他の一つは
襟が稲妻形文様唐織の胴服(表1例)の表裂で白地紗綾形雲文倫子であ
註認る︒紗綾形の大きさがこの倫子の約倍あり︑地合が多少異る︒この時代
の倫子の遺品は非常に珍しく現在のところ上杉のこのこ種だけである︒
註おわが国では倫子は慶長年間に明の製法に倣って織られたといわれるから
謙信のものだとするとこれらの倫子もやはり中国からの渡りものという
こと
にな
る︒
(文様の大きさ)
紗綾形の大きさ二・二セ
ンチ
前後︑蘭の大きさ二
・ 二 セン チ
前後
︒
︿地
合﹀
地は経の五枚絹
子 ︑
文は緯の浮織(裏組織が基準にな
って
いる).経糸は一センチ
聞
に九
O本前後︑緯糸は一
セン チ
聞に三四本前後︑糸が細い
ので
地質は密度が多少粗
' v
︿糸
の撚
﹀
倫子は経緯共生糸で製織するから撚はない
以上述べてきたようにここに用いられている十六種類の裂には︑名物
裂の中でも上物に入る桑山鍛子並びに笹蔓手二種があり︑文様︑地質の
上で名物裂に類似品のあるものが幾つかあり︑その他のものも室町・桃
山ごろ渡って来た明の裂の様相が濃厚である︒その中でも特に紋子は粒
揃いで︑名物裂になっていないものでも質的に高く︑名物裂と比較して
その大部分が上物に匹敵し中を下るものは先ずないと思われる︒金欄︑
銀欄は名物裂級より多少落ちるかも知れないが︑岐阜県・関市の春日神
社や前田利家所用の裂と同文があったり類似点の多いものがあったりし 二八
て当時の衣類︑能装束︑舞楽装束等に使用されていた外来裂の一端を知
る貴重な資料である点注目に値し︑繍子や倫子も或程度上物の外来裂で
あろうことが推測され特に倫子は資料的価値が高い︒
さて︑これらを質的に見ると如何であろうか︒十六種類を均して当時
の外来裂の中で考えてみたとき︑それらは名物裂の名品群の列にはとう
てい及ばないにしても︑下手物も相当多かったであろう当時の外来裂の
中でこれだけの粒揃いは充分上物だといえるであろう︒名物裂が三百種
余りあるのだとしたら︑これらの平均値は二百の内に入るぐらいのとこ
ろはあるように思われる︒外来裂の中でも勿論︑有難がられ︑喜ばれ︑
'勿体ながられて使われていた裂に相違ない︒
(ロ)
十六種類の裂の用量
各裂の用量については次のような調査を行った︒裂の各小片は使用に
当って布目の方向に統一がなく竪裂︑横裂︑斜裂種々使われている(挿
図ロ
参照
﹀ ︒
そこで︑挿図ロに示すように実測図に布目の方向を印し︑そ
の実測図の各小片を裁り離して各種類別に集めた︒それを︑当時の外来
註M裂の布幅を平均五七センチと仮定して︑挿図却の例に示すように︑その
幅内に布目の方向を合わせ縫代を一センチほどみて並べた︒その並べ方
は模様まで合わせたわけではなく︑配置も適当に行った凡その見当であ
る︒この調査を概算ですませた理由は︑第一に小片を飯めていく布幅自
体が各種の裂にとっては凡その見当であるから正確な復元はその出発か
らが不可能で︑またこれは︑寄せ裂という最初必ずしも一つづきの布幅
一ぱいの裂を用いたとは限らない条件下の仕立である関係上︑正確な復
元は所詮は無理であり︑それにこの調査は各表裂の用量概算が出来れば
ホ ←
ω
n︐血
小 ﹄l由
V A
噌EA V
1 t
135 /→←
n
57(布幅) ゲ
コト、
目的は充分達せられるからである︒
こうして挿図ぬの方法で各裂とも試みた結果は表3の中央の列に示し
た通りになった︒次に各種裂の表面積の集計を行い︑仮に五七センチ幅
伝 上 杉 謙 信 所 用 金 銀 欄 鍛 子 等 縫 合 胴 服 に つ い て
下
右①黒無地嬬子〉
各種裂用量仮想図例(左①白地青海波に雲文鍛子 挿 図30
の布にした場合どうなるか数字の上からだけの割出しを行って︑同じ表
の右列に示した︒
表3各種裂最低用量仮想一覧表(布幅五七センチ)
梨 長 さ (cm)
I
の 挿
5を7 各裂 種
類 凶
30 で 総
別 の 割 表
番 方
号 法 積 *
6 42 20 12 43 23 7 41 19 10 32 13 13 51 26 9 52 24 1 73 39 14 36 17 11 55 26 3 62 39 16 14x4.5cm一 片 だ け 4 55 26 8 57 29 15 27 13 2 90 54 5 46 24
持 表4・5参 照
この表で明らかなように︑どの種類の裂も表面積の約二倍の用布が使
われていることになる︒これは︑いろいろな形の小片に切りきざんだこ
とに
より
︑
それぞれの縫代が相当な面積を占めたことを示し︑切りこま
ざくことは即ち用布︑が多量に必要であることを意味するものである︒
更に
︑
この胴服を五七センチ幅の外来裂一種類で裁断すると仮定した
場合︑挿図訂のようになり用布は五一
0
センチ︑曲尺で約一丈七尺必要ということになり︑この場合と前述調査十六種類の裂の用量総計を比較
する
と︑
その差は約二五
0
センチとなり︑種々な裂を切りこまざいて接ぎ合わしたために一種類で裁つ場合の五割増の裂が使用されたというこ
とに
なる
︒
この五割増ということでさえ驚かされるが︑これは最低五割増という
こと
であ
って
︑
この胴服の場合は更に多量の裂が用意されていたと想像
されるのであるc
何故
なら
︑
これだけ複雑な︑これほど隙のない意匠は
157
結果的な使用量である十六種類の最低の用布では計画できるものではな
二九
美
術
1/ H
去宮掌三+
ゼ
哩+
前 身 頃
後 身 頃 t 前 身 頃
後 身 頃
.
'E3
I I
8 •
3
主 f~ 宇宙1 8g e 18.5+縫 代 襟
長ZJ250 J
約510
戸
研 究
第
十 百
九
, . 'Y
いからである︒少くとも各種裂共その倍
ぐらいは用意されていなければこの意匠
の考案はできない︒充分に用意された裂
の前で︑配置配色に関する用布の不足等
註お案ずることなく意匠企画に専念するので
なければこの素晴らしい意匠は生誕しな
金 銀 欄 鍛 子 等 縫 合 胴 服 外 来 裂 一 種 類 仕 立 裁 方 仮 想 図
かったと考えられるのであるのこの場合
各種裂の用量を前記調査の倍とみると︑
各種裂については一メーターから二メ
l
タ
i
近く用意されていたと恩われるものが多く︑その総計は数字に忠実に従って
一五二四センチとなり︑一種類の外来裂
で仕立てた場合の約三倍になる︒
ここで川同の調査の結果から出た十六
種類の裂の品質用量をまとめてみると︑
挿 図31
品質は︑室町ごろ主として明から渡って
きた外来裂中の上物で︑いわゆる名物裂
級の裂であり︑用量は︑十六種類中の大
半が五七センチ幅として一メーターから
二メーター近く用意されたことになる︒
このことから考えて︑この胴服は如何に
端裂を利用した寄せ裂仕立とはいえ︑そ
れはもう単なる端裂や寄せ裂仕立ではな
。
い極めて賛沢な酒落着であったという事実が判断されるのである︒
4
当時の胴服は酒落着であった
さて︑以上のことからこの胴服が賛沢な酒落着であったことを知るの
であるが︑これを更にすすめて考えると︑当時の胴服は︑実用着として
の胴服というよりも酒落着としての面が多かったと思われるのである︒
それは︑上杉の他の九領の胴服もそれぞれに賛沢で派手で粋でその意匠
註おまた当時の遺品資料の幾つかをの凝り方は並々でなく(表1
挿図 ロ)
︑
考え合わせてもこのことがうなづかれるからである︒
̲L..
ノ¥
この胴服の美しさ
現代の抽象画をみるようなこの胴服の意匠は︑事実﹁見事﹂の一語に
っきる感があるが︑いましばらくその美しさについて考察を試みたい︒
この胴服の美しさの構成要素として先ず考えられるのは﹁対比対照の美
しさ﹂であろう︒次に﹁意匠全体としては極めて派手であるのに渋さが
あり
﹂
﹁色調は寒色の統一とみられるのに温かみがある﹂といった相反
した二つが︑それぞれ同時に備わる驚くべき美の含有性︑更に﹁鋭く引
きしまった隙のない美しさ﹂等であろう︒ではそれらが何に由来してい
るか︑それらの要因を順次探求したいと考える︒
1
対比対照の美しさ
既に四において片身替り︑袖替り︑段には︑その区劃された部分に︑
色や模様︑地質等の対比対照の美しさがあることを述べたが︑それらに
上 杉 神 社 蔵 伝 上 杉 謙 信 所 用 紅 地 雪 持 柳 繍 胴 服 背 部 分 〈 表1(2)参照〉 米 沢
挿図32
限らず室町・桃山の衣服には共通して多分にこの対比対照の意図が窺わ
れる︒それは︑上杉の他の胴服︑小袖︑陣羽織の類︑また当時の他の遺
品資料におけるそれらの類をみると︑一周裾は勿論︑無地或は全面に模様
のある胴服にはそれと対照的な色や模様の襟︑例えば表が白地や薄浅葱
伝上杉謙信所用金銀欄鍛子等縫合胴服について
下
であれば赤い唐織や赤い平絹に刺繍を行った襟︑全体に刺繍がある胴服
には辻ケ花染の襟をつけるといったような場合が多く︑また︑それら胴
服︑小袖︑陣羽織の大部分は︑表と対照的な色の裏裂︑例えば表が白な
らば裏は紅︑紫︑蔚黄︑弟色︑浅葱等︑表が紅ならば一長は蔚黄や弟色︑
浅葱等︑表が紺や青︑薄浅葱であれば裏は紅︑鶴色︑黄等︑表が茶の場
合は一長を揚色にする等︑対照的な配色が極めて自由な組合わせで行われ
ており︑またそれら裏裂には配色だけでなく︑表裂との地質上の厚みの
均衡や光沢の対照も考慮されていることが︑練緯や紬等の平絹︑綾︑鍛
子︑給子︑金・銀禰︑紙衣等には裏裂に練緯を用い︑羅紗の陣羽織には
裏裂に鍛子を用いている例が多いことなどから推察される︒
このように室町・桃山の衣服には︑常に扱う裂地の対比対照の美しさ
が考慮されていたようであるから︑この胴服の場合も当然この点に配慮
があったと考えられる︒
ではこの胴服の場合︑どういう点にそれがあらわれているのであろう
か︒それは︑それぞれの区劃における色︑形︑大きさ︑地質︑地質の光
沢及びその配分について考えられる︒そこでその分析を試みて挿図ロ︑
お︑白及び表4︑5︑等を作成した︒しかしこの分析は︑美学的︑色彩
学的見地より多角的な考察を要するものであるから現段階ではその調査
の呈示にとどめる︒
ただこの調査で︑われわれの立場から気付いた点など︑次にあげてお
く 付)
全体の面積比に関して
色に関して(表4
︑第
一二
六号
図版
I
参照﹀
159