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上杉家伝来鎧下着・着込み・頭巾等四領二個 下―

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(1)

上杉家伝来鎧下着・着込み・頭巾等四領二個 下―

伝上杉謙信・上杉景勝所用服飾類調査報告 六―

著者 神谷 榮子

雑誌名 美術研究

号 294

ページ 13‑28

発行年 1974‑12‑20

URL http://id.nii.ac.jp/1440/00006541/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止

http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

(2)

上杉家伝来鎧下着・着込み・頭巾等四領一

l l 伝上杉謙信・上杉景勝所用服飾類調査報告

( 2 )  

伝景勝所用紅縮緬鎧下着

( 図

版 I ︑

一 一

九 一

サ 図

版 E

b ︑

挿 図

1 6 7 ) すでに概要(

術 研

二 九一号掲載﹁上﹂﹀において述べたように︑この

紅縮緬鎧下着は紺麻地銀繋ぎ矢車文鎧下着と大きさも形態も殆ど同様

で︑且つ景勝所用と伝えられている点も同じである︒ただこちらは綿入

紅縮緬鎧下着 ( 2 )

山形 挿図 8

れで︑裏裂には紅染の麻が用い

上杉神社蔵

られていて無双仕立ではない︒

また裏は袖附の縫目があるが︑

表は袖附の縫目がなく︑身頃と

袖は一幅の裂からとってある ︒

更にこの表裂の縮緬に関して

は次のことが考察される︒縮緬

は金禰

・ 紗

・ 紋紗

・ 金紋紗

・ 鍛

子とともに ︑ わが国では天王年

上杉家伝来鎧下着

・ 着 込 み

・ 頭 巾 等 四 領 二 個 下

ノ み ; 、 / 口¥

註 却 聞に明様の織法が伝来し製織されたのが始めだといわれているので︑こ

註幻︑お の鎧下着が景勝が少年時代のもの

︑即

ち永禄末から元亀年間頃のもので

あるということになるとわが国で製織される以前で︑明からの輸入品と

なり︑現在のところ︑ わが国最古の縮緬の遺品資料である︒後染の紅縮

緬で︑この場合︑保存条件が良好であったため通常は槌色の著しい紅が

註 幻 註 お

極めてよく色を留めている︒ただ染めむらがあり︑縮緬の地質は上質と

は言い難い ︒

この鎧下着の紅染に関しては︑調査 ・ 研究に御協力願っている紅染研

究家の鈴木孝男氏の調査推定事項を次に紹介させていただく ︒

紅約制鎧下着の紅染

表裂の紅縮緬

斗 ・ 印 同

日 ¥ 一 戸

N

註 u

m ¥ H C  

一 議 裂

の 紅

HO

紅 縮 緬 ( 表 裂 ﹀ の 方 は ︑ か な り 黄 味 が 入 っ た 帯 黄 色 の 紅 ( 緋 ) 色 で ︑ 黄 色 の 下

5 1  

(3)

制 5

江川 v︐4

号 九 四

,̲,.. ~

ヲ乙

染が施された上に紅染した︑即ちこの場合は ︑黄︑次に紅の

二 浴

( 二

回 の

浸 染

註 鈍

から成った紅色と考えられる︒帯黄色の紅色には ︑紅花餅 に含有する水溶性の

黄色素を完全に溶出しないで紅染したものもあるが ︑との鎧下 着の紅縮緬は黄

色の下染が予めなされている様相が処々に認められる︒紅花餅に含有する水溶

性の黄色素を完全に溶出しないで紅染 した帯黄色の紅色の場 合は全体的な槌色

が認められるのであるが︑この鎧下着にはそれがなく ︑襟の部分 に紅の分解の

性格が見られる外は摩擦による槌色

︑ こ

の場合は摩擦の多かった個所は紅が剥

落し︑下染の黄が現われている︒

紅は顔料系で ︑ 一たん発色すると顔料の性質になり摩擦に合うと剥落する︒

註 お

との鎧 下着は裂地が縮緬であるため濡れると著しく縮み︑しかもこの場合は紅

が淡い(現状から推測すると恐らく当初は深紅であったと思われる︒)のでますます裂

地に浸透しにくくなり︑拡大鏡で観察すると表面附着の感が如実にあらわれて

いる︒黄の下染があるので︑ おのずからそれと比較され︑紅の顔料の性格がま

と と に よく見られるが︑純度が高く︑そして濃い紅が︑黄に染まった繊維の表

国に附着している感じが強い︒ 即ち何かの黄色染料で浸染の下染をし︑

そ の

後 ︑純度の高い濃い紅に 浸染 したものであろう︒

長の紅麻は ︑麻の 場合は純粋の ものしか布に着かないのでこの 裏裂 も純度が

'AHJ

︑ ︒

J

﹁ いし

以上の推定は槌色尖験における紅の色 相 変 化と符 合さ

せ て

考察

し た

鈴木孝男 ︒

れ の 鈴 木 孝 男 氏 の 考 察 で

︑ 紅 縮 緬 の 染 め む ら と 思 わ れ た も の は 実 は 摩 僚 の 多 か

っ た

個 所 の 紅 の 剥 落 で あ

っ た

こ と が 明 ら か に な

っ た ︒

摩 擦 に よ それも左(向って右)胸の脇に寄った部 分 が こ の 鎧 下 着 の 中 で も 特 に 目 立

っ て

ま だ ら な 黄 色 に な

ており

︑ 即 ち

る剥落の多い

個所は︑両胸下方︑

紅の剥落で下染の黄色がまだらに露呈しており︑

紐 巾 2 . 7 c m ,長さ 97cm 四 釦 直 径 O.9cm 選裂には袖附縫目 : がある

5 2  

紅 縮緬鎧下着 ( 2 ) 実測図 一一一一ーは下前 挿図 7

次 に 両 肩 山

・ 袖 山 附 近

︑ 左 袖 の 正 面 袖 口 に 近 い 部 分

︑ 襟 は 総 体 に

︑ そ し て 背 中 の あ た り と な

の一畏面(内側﹀と接触し︑ っている ︒

こ れ は と り も な お さ ず

︑ 鎧 下 着 と し て 用 い ら れ た 際 に

︑ 具 足 摩 擦 の 多 か っ た 順 序 と も 一 致 す る よ う に 思 わ れ る

︒ な お

︑ 裏 裂 の 紅 麻 に

︑ 丁 度 背 中 に 当 る と こ ろ に 四 ヶ 所

︑ 明 ら か に 発汗のしみあとの形で紅の色が槌せて薄くなった個所があり︑

この摩擦

々 しい ︒

の 状 態 と 合 わ せ

︑ 如 何 に も 実 戦 に 供 せ ら れ た で あ ろ う 鎧 下 着 の 痕 跡 が 生

( 形状︑法量 ︑

仕 立

て 方

形状︑法量は一覧表の

ω ( ﹁

上 ﹂

掲 載

の 表

ll

美 術

研 究

二 九

一 号

一 三

百 1

)

折図 7 の 実 測図に示した︒ ω の紺麻地銀繋 ぎ 矢車文鎧下着と 大きさ ︑ 形態

が殆ど同じ で︑景勝所用と伝 えられ ている点も同じ︑ただ仕 立の上から次

点 が

あ る

に挙げるような 大差︑比較的目立つ 差 ︑ 精査の上でわかるよう な 小 差の諸

先ず大差では ︑ ω 紺麻地銀繋ぎ矢車文鎧下着は袷で︑更に︑哀にも表裂

(4)

が使われている無双仕立であるが︑この ω 紅縮緬鎧下着は綿入れで ︑ 一 袈

っ た

即 ち︑このわが国最古の遺品資料である縮緬の裂幅が判明したので

表とは別裂の紅一麻が用いてあること︒ ある︒この鎧下着の正面 ︑袖 口から打合わせの端までは一幅の裂で川来て

次に比較的目立つ差では ω には袖附の縫目があるが ︑ ω

に は

一 裂の麻裂に お り ︑ 裂幅はその幅に袖口の裏への折返えり一 ・ 七センチと両端の縫代と

は袖附の縫目はあるものの去の縮細の方にはなく ︑ 身頃と袖は一一陥の裂か して一センチの二倍を加えれば山て くる︒こうして計山された裂悩は四八

らとってあること︒ センチ前後となる︒

で︑図版 I ︑ 二九一号図版 I ︑ 挿図 1 ︑ 6 で見られるように︑襟首に 襟は ω 紺︺跡地銀繋ぎ矢車文鎧下着と同じ形であることはすでに述べたと

ころであるが ︑ これら

ω ω

の曲線裁ちの襟は ︑ 一枚の裂が 二 つ折りにして 最後の︑粕査の結果判明する小差は︑ その一つに ︑ 襟は ω と ω は同じ形

4 4 ︑

J

は左右にくるみ釦がついており ︑ 共裂の乳 ︑即

ち ル

l プに通してと め る よ その両端を端から六 ・ 五センチ問つまんで丸みを出してある︒襟首の釦留

うになっているが︑ ω の乳は共裂を撚って糊で固めてあり ︑ ω の乳は現今

一 枚

の細長く裁断した小裂を 二枚に の乳と同様の通常の仕立て方の乳で︑ は ω と同様 ︑ 左右に直径 0 ・ 九センチ ︑ 厚み 0 ・ 五センチの共裂のくるみ

釦がついていて ︑ 共裂の乳に通して留めるようになっている︒乙の乳は前

折りたたみ︑くけ合わせてある

υ

といったものがある︒この小差に関して 述したように今日の羽織の乳と同様の作りになっており ︑

︑ ︑ コ 工

2 4

4

J4f'品

μ l

J

く け

一々をここで

比 較

せ ず

主として ω

の 詳

述を行い︑すでに﹁上﹂

( 美

研究二九一号﹀に於いて詳述した ω との照合比較を適宜行えるような便法

』 ま

目が下につけてある(図版 I ︑

挿 図

11

﹁ 上 ﹂

︑ 美 術 研 究 二 九 一 号 三 二 頁

l )

をとりたいと考える︒

背縫の折被せは表裂とも今日でいう正常な方が上(美術研究一一一一八号二 O 幅 二 ・ 八センチ ︑ 全長九七センチの表裂と共の紐が ︑ 後から前にまわし

て結ぶ方式で背面にくけつけてある(美術研究二九一号図版

E

わなが上 b V ︑

︑ 挿

図 3 参照﹀になっている︒ 縫目が下につけてあること ︑ その組には白木綿の芯裂が ω と同様な方法で

入っている(挿図 7 ︑

﹁ 上 ﹂

︑ 美術研究二九一号三六頁下段参照)ことは ω

利 一

跡 地

裾脇明けは両脇とも前は左右とも十二 ・ 五センチ ︑ 背面は左右とも十三

むしとめ

センチ裾から上方までで︑その位置に薄紅色絹糸で虫留がしである︒袖口 銭繋ぎ矢車文鎧下着と殆ど同一といえる︒背面の背紐っけには ︑ くけつけ

た上を挿図7に示したように鵜色 S 撚絹糸二本どりで ︑ 鎧下着の

一 以

側には

︿ 平

袖 で

あ る

が )

は︑表裂の紅縮細が裏へ一

・ 七

Y チ前後返っている︒折 糸が出ないようにして

( ω

は裏側にも糸が出るようにしてある)飾り縫が施し

被せは裏裂の紅麻が上側︒袖口以外の表裂と裏裂の縫い合わせ部分即ち前

て あ

る ︒

ω の場合 ︑

この飾り縫は挿図

5

( ﹁

上 ﹂

│ 美

術 研

究 二

九 一

号 三

六 頁

身頃 ・ 後身頃の裾 ︑ 前合わせの上前

・ 下

前 ︑裾脇明けは 突き合わせに縫い 合│﹀に示したように

︑ 飾

り糸を単に掛け合わせただけで進行しているが ︑

合わせてある ︒袖口︑相などに屡々見られる沌の綿おさえ(ふきとじ)のと

こ の

ω の場合は ω のように掛け合わせた後 ︑す べての個所で更に糸をから

め糸はこの綿入の紅縮緬鎧下着には何処にも行われていないようである︒ ませて飾り糸を動かぬようにしてある︒そのからませ方 ︑ 官め方は

一詳細に

袖口の縫い合わせ目と前身頃の打ち合わせ部分の端を ︑ それは何れも縫代 当ったところ一定の法式はなく︑ いわば適当に飾り糸をからませて動かぬ

の端であって表裂と裏裂の聞に縫い込まれている部分であるので縫目の間 ようにし︑進行したものと考察された︒

から針を入れて一部引き出して観察したところ ︑その何れ の端も織耳であ 縫糸は紅染の赤 S 撚絹糸で︑縫目は二枚合わせの平縫が 0 ・ 二センチか

上 杉

家 伝

来 鎧

下 着

・ 着

み ・

頭 巾

等 四

領 二

一 五

(5)

制 5

r↑E' 

. 目 . 目 ︐ ︐

γA

3

‑'J 

九 四 究

ら 0 ・三センチ︑くけ同が 0 ・七センチから 0

・ 八

セ ン

チ ︑

北 川

紐 つ

け の

け闘が約一センチの針目となっている︒

( 表

裂 図版

I 参

照 ﹀

後染の紅縮緬で ︑黄色の下染の後︑紅染を行 ったものと考察される︒槌

色の著しい紅としては色をよく留めている︒紅染に関する鈴木孝男氏の考

察︑並びに摩擦による紅の剥落状態は前述 した︒縮緬の生地は織り目も整

っておらず ︑比 較的薄手ではあり上質とはいい難いが ︑ わが国最古の縮緬

の 泣

n 川資料として極めて貴重である︒二越の縮細で ︑緯糸は S 撚と Z

撚 の

強撚糸が二越ずつ交互に入っており︑密度は一センチ聞に︑経糸は四四本

前後︑総糸は二四越前後である︒裂幅は前述したように四八センチ前後で

あ る

( 一 去 川 氏

凶版

I 参照)

後 染

の 紅

一 胤

で ︑

J

麻である︒表裂の紅縮細同様 ︑槌色 の著しい紅染の遺

日川としては極めてよく色を留めている費重な資料である︒紅染に関する鈴

木孝男氏の考察 ︑並 びに背中に当る部分の発汗によるしみあとは前述し

た︒苧麻の裂地としては上質で ︑密度 は一センチ聞に ︑ 経糸は二六本前後 ︑

料糸は二四越前後である︒

( 品

川 紐

の 芯

裂 )

恐らく ω 紺麻地銀繋ぎ矢一山文鎧下着の背紐の芯裂と同一位のものであろ

う︒この ω 紅縮緬鎧下着には紐にもほころびの個所がなく︑くけ口の聞か

ら針を則いて︑芯裂の色︑地質 ︑芯 裂としての納まり方を観察したにすぎ

ないので︑密度までは判明しなかったが ︑ ω の背組芯

裂 と

向 付

( の

白 木

綿 と

机ワ奈されたハ﹁上﹂︑美術研究二九一号三六 ・

三 七 頁 参 照 )

一 六 ( 3 )  

伝 謙 信 所 用 自 平 絹 鎧 下 着 ( 挿

図 8 ︑

¥..J 

54  節

織 の 白 平 絹 で 作 ら れ た 綿 入 れ の 鎧 下 着 で

︑ 挿

図 8

で見られるように 袖 に 三 角 の 楢 裂 が 入

った筒袖であ

白平絹鎧下着 ( 3 ) 山形 挿図 8

実用本位のものと言えよう︒

( 形

状 法盆 ︑ ︑

パ ー 立 て 十 点 )

移犬 ︑

市 寸J

J﹄ 叶

は一覧表の ω

( ﹁ 上 ﹂ 仰 向 載 の 表 ー ー 美 術 研 究二九一号 一 頁

│ ﹀

わ な

よ旦

J と

上杉神社蔵 る︒袖の形と丈が短いこと以外は その時代の小袖と殆ど変らない︒

小袖との比較では拙稿﹁伝上杉謙 信 所 用 小 袖 十 二

領 l 伝上杉謙信・

上 杉 景 勝 所 用 服 飾 類 調 査 報 告

(美術研究二二八サ﹀を参照さ

も こ

︑ 口

︑ Z

ナJ

︑ ν

一義も表と共裂の節織白平絹で︑

裂地︑色︑形︑すべてが純然たる

b

失測図

可 平 絹 鎧 下 着 ( 3 ) 挿図 9

凶 9 の実測凶に示した︒表一義共裂の白地のものであるが汚れは殆どないと

(6)

二 一

一 円

っ て

よ い

程 で

︑担 似は︑左一周の襟附から約六センチの位民に

︑ 長

代 約

‑ 五センチ︑短径約 0 ・八センチの破損 ︑ 上前の妊の裏側に剣先から約四

二センチ下った位山に長径約二 ・ 五センチ ︑

短 径

約 一

・ 五センチの破損の

跡と︑下前の裾の一足側に︑長径約八センチ ︑ 短径約五センチの大きな破損 と凶径が約 0 ・

八 セ

ン チ

か ら

・ 五センチの小さな破績がかたまって士一つ

ある位で︑その他は保守状態のよい鎧下着である︒

綿は比較的厚く入っており︑袖口 ︑ 裾ともに施があり ︑ 袖口の施は約 O ‑ 五センチ︑裾の施は前裾は一センチ前後の個所が多いが ︑

背 面

の 北

川 縫

の 栴

は 一

・ 五センチある︒棲先は尖っている︒背縫の折被せは表一辺ともわ

れわれがいう正しい方向(美術研究二二八号二 O

頁 ︑

掃 図

3 参昭りになってい る︒叩ち挿図 9 の実測図に示 したように﹁上﹂と記入してある側が向くな

っている︒襟のくけ目の側(挿図 9 参照)には表襟に綿がふくませてあり ︑

一袋襟がくけつけてある︒裾には綿のとじはないが ︑袖口には︑内側 三 ・ 三 センチのところに︑袖口綿のとじ糸が︑約三センチ m 隔に白 S 撚利糸で O ‑ 一 センチから 0 ・二センチの針目で見られる︒

縫糸は比較的細い白 S 撚絹糸で 縫目は ︑ 平縫は約 0 ・二センチの針日 が揃っており くけ日は約一センチの針目が揃っている︒

( 裂 地 ) 表 と 一 お と は 共 裂 で

︑ 料糸に節糸が用いられている︒

終 糸 も 比 較 的 太 口

で︑糾糸よりやや細日と忠われる程度︒窮度は一センチ問に ︑ 経糸は 木前後︑緯糸は二五越前後である︒

( 4 )  

伝謙信所問問鉛附究(図版 E ︑

1 1  

¥ノ

挿 図

刊 ︑

向の鎖頭巾と共に実戦用衣料で︑

具足の下に着込んだものである

︒ 里

上 杉

家 伝

来 鎧

下 若

・ 着

込 み

・ 頭

巾 等

四 領

二 例

麻地に鎖が縫いつけてあり︑鎖の置き方は︑図版

E ︑ 神 間日︑日で見ら れるように一屑山や袖山など着装時に壌を取ったり鍛が寄ったりしない何 所︑即ち裂が延びたままの状態であるところには鎖が隙間なくベタに党 ベてあり︑袖の袖下や脇に着込む個所︑身頃の胸︑背

脇など︑袋をと り︑微を寄せて着込む個所には

袋や被が容易に容せられる上︑着装上

鎖 雄 子 ( 4 ) 背 面

山 形 上 杉 神 社 蔵 挿図 1 0

では腕や胴を隙間なく鎖が使

っ て ρ

J1114

︑ .

Ji一

Aq

t

て防禦の役を果すように︑一二・ 1 セ

ンチ四方の間隙をこしらえて並べて

ある(掃図日﹀ ︒

更に袖下︑両脇は縫 い合わせてなく︑地裂の麻も裁ち放

しにな っているのは

︑着込む時の調 節や実戦時の身体の動きが白山で楽 で あ る よ う に と の 考 慮 か ら で あ ろ ぅ︒何分三

・ 九キロという鎖のつい

た重い衣類を

着 込

み ︑

実 戦 に臨むのであ るから︑生身 の防禦は充分

鎖 l q 住子 ( 4 )

に果した上︑

如何に着やす 挿図 1 1

く動きやすく

﹁ 1

1 1 1 1 g l i l

‑ i 一

5 5  

す る

か ︑

機 能

一 七

(7)

九 究

の上での計算が精密になされているように思われる︒

(形状︑法量︑仕立て方)

形状︑法量は一覧表の

ω ( ﹁

上 ﹂

掲 載

の 表

1 │

美 術

研 究

二 九

一 号

一 三

頁 │

) と

挿図日の実測図に示した︒破損個所は図版E︑挿図叩で見られるように大

小 合わせ て十数ヶ所あるが︑ 正面の右側(向って左側)に大きい破損が比較

的集中して見受けられる︒何れも鎖は無傷で地裂のみの損傷である︒地裂

は苧麻糸の太い糸で織った麻裂で︑ 一重である︒先ず地裂の背縫︑袖附︑

襟 附 ( こ れ ら の 縫 い 合 わ せ は 何 れ も 通 常 の 縫 い 合 わ せ と 異 っ て 紙 類 の 貼 り 合 わ せ の

よ う に 左 右 の 裂 を 平 に 重 ね 合 わ せ ︑ そ の 上 か ら 大 き い 針 目 を 表 と 裏 に 出 し て 綴 じ て

あ る ︒ 針 目 は 一 セ ン チ か ら 二 ・ 五 セ ン チ の 不 揃 い の 大 き い 針 目 で ︑ 図 版 E ︑ 挿 図 叩

で 見 ら れ る 通 り で あ る ︒ ﹀ を 行 い ︑ そ れ に 鎖 を 縫 い つ け ︑ そ の 後 で 袖 口 ︑ 袖 下 ︑

両脇の鎖のない部分の裂を縫いつけている(この縫いつけも︑前述の背縫︑袖

附︑襟附同様に貼り合わせ式の重ね縫いである﹀︒この鎖のない部分の裂は︑鎖

惟子全体から眺めると恰も魚の鰭のようで︑裂の端はまつったり︑ くけた

りしない裁ち放しである︒この鰭のような部分は︑恐らく重い鎖の部分を

固定させておくための役目を持った裂であろう︒実戦のはげしい動作に

も︑重い鎖がずれたり片寄ったりせずに満遍なく身体に覆い被さっている

ように考えられた

' U 休に巻きつけるように着込まれた部分であったろう︒

そのため袖下縫︑脇縫はせず︑裂の縫い合わせも貼り令せのようにして裂

の重りが二重でとどまるように考慮し︑端も裁ち放しで︑あくまでも平に

(ゴロゴロせずに﹀胴体や腕になじみやすくしてあるのだと考えられる︒背

縫︑袖附︑襟附に行われている貼り合わせ式の重ね縫も︑ いささかでも身

体に平に当るよう配慮されたものであったろう︒具足と鎧下着の間に挟ん

で着装する防護服として周到な思慮が考じられている点︑特に驚歎させら

れ る

l ¥ .  

縫糸は地裂の縫い糸も︑地裂に鎖を縫いつけてある糸も共糸で︑ Z 撚 の

5 6  

附してない麻ハ苧麻﹀糸である︒ 地裂の重ね合わせ縫の針目は一センチか

ら二・五センチの大針目で︑鎖の縫いつけは一センチから 二センチ間隔 で

行われているが中には 0 ・八センチ位の間隔の個所もある︒

︿ 地

裂 の

裂 地

この麻は糸が太く織目は粗いが苧麻である︒重量のある鎖を縫いつける

地裂であるため︑それに適するよう丈夫な繊維の苧麻を太糸にして利く平

織に織ったものと思われる︒経糸は S 撚︑総糸の撚は不詳︑密度は一セン

チ間に︑経糸は十本前後︑緯糸は八越前後である︒後染の黒である︒

(袖口︑袖下︑両脇の裂地)

側一の縫いつけてない部分の裂地で︑鎖の縫いつけてある地裂と川秘に苧

麻の平織で︑後染の黒であるが織目が密である︒経糸︑総糸共に S

撚 で

密度は一センチ聞に︑経糸は十六木前後︑続糸は十四川 一 前後である ︒

( 5 )   伝 謙 信 所 用 烏 帽 子 形 白 綾 頭 巾 ( 図

E 版 ︑

w a

︑ 掃 図 ロ

図 版 Ea は斜め前︑ b

あげまさ

は背面である

︒ 松 竹 梅 が 地 文 の 臼 綾 製

︑ 総 角 は赤である

図 版 で も 見 ら れ る よ う に 形 と し て は 烏 帽 子 と い う よ り も 桃 山 時 代 の 風 俗 画

︑ 例 え ば 狩 野 長 信 筆 の 花 下 遊 楽 図 な ど に

︑ 女 が 長 い 布 で 頭を街形に巻いている形に似ている︒

尖 っ た烏帽子形部分の高さが四二センチ(山川市の

一 川 さ ︑

正 一

聞 は

五 五

セ ン

チ あ る ︒ ) も あ り ︑

そ の 形 に 合 わ せ て 中 に 畿 を 粗 く 編 ん だ 竹 龍 の よ う な も のが入れてある

尾 を 引 い た よ う に 長 く 垂 れ て い る

二 枚の裂は︑ 正面の

蝶 結 び 風 な 飾 り か ら 続 い て い る 裂 で

︑ 幅 は 約 二 0

セ ン

(8)

左右ともほぼ一メートル︑実に派手やかな白頭巾で︑

こ れ を 通 し て 連 想

のである︒銭は二本の垂れ飾りの先端にも裂を張らせるために巻き込まれ

て あ

る ︒

さ れ る の は

︑ 昔 か ら 川 巾 島 合 戦 の 図 と い う と 必 ず 現 わ れ て く る 白 布 で 頭

烏帽子形部分の白綾は横裂が使ってある︒ 即 ち鳥川子形の山さに裂 似 を

詳かでないが何とも興深い遺品である︒ を

包 ん だ 謙 信 の 姿 で

︑ 実 際 に は こ の 白 綾 頭 巾 を ど の よ う に 用 い た も の か

あとは円

ヘ 修

犬 ︑

/Y 41 4J q 

法 長

仕立てカ)

当 て

て あ

る ︒

その尖端は三センチ間を折り畳んで始末してあり︑

錐形を左脇後方の縫目(押え縫い︑ 0

・ 二

10 ・三センチの針目)で形作って

い る

︒ 正面の結び目よりやや上方に裂の接ぎ目があり︑ 0 ・ 一

r H 一

セ ン

チ 前

後の細かい針目で押え縫いがしである︒ 烏帽子形部分の横裂に接ぎ合わさ

形状︑法量は一覧表の例(﹁上﹂掲載の表 21 美 術 研 究 二 九 一 号 一 三 頁

l )

挿図ロの実測図に示した︒破損個所は図版皿で見られるように前頭部に大 れたこの裂は前の蝶結び風な飾りから後方へまわり二木の垂れ飾りとなる 一統きの裂の一部と忠われるが ︑結 び飾りの数ヶ所の抑めに遮られて詐ら

為こよ

h

工 ︑

ヵ l

f p

J J

小 四

ヶ 所

左側而に比較的大きく一ヶ所 ︑烏帽 子形の尖端に一ヶ所と何れ

正面の蝶結び風な飾りは側面から背面にまわり︑後頭部で適当に幣えら も摩擦に原因するようなすり切れの損傷があり︑垂れ飾りの先端には二本

れて︑その部分に紅染角打紐の総角がつけられ︑そして 二木の長 い訣れ飾

なく良好な保存状態である︒ とも巻き込んである銭が突き出ている小さな破損がある位で ︑汚れも 殆ど

り (

右 側

九 五

セ ン

︑ 左

側 一

O 八センチ)となっている︒この一統きの長い裂

一一帽の裂を二つ折りにしてあり︑二つ折りにした幅が一九・五 J 二 0

センチとなっている︒二つ折りの部分はこの頭巾の場介︑耳の側は両耳を ただ烏帽子形部分に入れてある竹籍状の畿には内側から白い和紙が全面

U 土

に当てであった(即ち当初は表の白綾と裏の白和紙の聞に銭が入っていた)痕跡

が明らかで︑その和紙は現在では殆どが破損しており︑ごく僅かの部分だ 介わせ縫って表にかえし︑その上から一・五ミリ前後の細かい針口の平縫

で抑さえ縫いしてあり︑わなの側にも耳側と同様︑細かい針日の平縫で上 けが銭を覆っている︒そのため烏附子形の裏︑即ち内側から ︑中 に入れら

上 杉

家 伝

来 鉛

下 活

・ 若

込 み

・ 頭

巾 等

四 領

ニ 個

実測図

れている目の粗い竹 から押さえ縫いがしである︒蝶結び風の正面の飾りも︑側而にまわ

っ た

寵状畿が観察される 所も︑背面の総角の下になっている部分も︑この一統きの裂は処々に丹念

烏帽子形白綾頭巾 ( 5 )

紫 な

め し

革 紐

二 本

と も

巾 M

長さ初

にと言っても過言ではないほど形を整えるための留が行われてお

り︑留の糸の切れた部分でもあれば精査は更に進められるのであ

るがそれもかなわない状態である︒ 正面の蝶結び胤な飾りの部分

には︑張りをもたせるために芯として和紙らしいものが入 っ

て い

る ( 調 査 は 裂 の 上 か ら の 触 感 と 針 を 刺 し て の 感 覚 で 行 っ た

﹀ ︒ 挿図 1 2

頭囲りは銭の頭囲り部分の内側が七 0 セ ン チ あ り ︑ 誠 一 い の 仙 の

頭巾から推測する(﹁上﹂掲載の表 21

美 術

研 究

ニ 九

一 円

V 一

三 頁

l ) と

5 7   下

(9)

‑,n ‑;‑

じかに被る頭巾より十二 ︑ 三センチ大きいので

︑ 側

一 頭 巾 と か 兇 の 上 に 被 っ

たものであろうことが想定される︒

縫糸は白 Z 撚絹糸で︑縫目は抑え縫の平縫が多く川いられており︑針目

は細かく︑烏帽子形部分の縫目が 0 ・ 二 J0 ・ 三 セ ン チ ︑

後 は

0 ・

一 五

セ ン チ 前 後 で あ る ︒

( 裂

地 ﹀

もんたけ註お

松竹梅が地文の白絞で ︑文丈は七セ ンチの例所が多いが ︑打 ち込みのゆ

註 幻 く わ ま は ば 註 お

るい例所もあって七 ・ 五センチのところもある︒案問幅は八センチ前後︑

玉 案 聞 で あ る

組 織

は 地

は 経

の 六

枚 絞

で /

( 右

上 り

文は料の六枚紋で¥

( 左

上 り

) ︑

密 後 は 一 セ ン チ 問 に ︑

経糸は四八木前後 ︑ 料糸は三

O M

M 前 後 で

ある︒裂幅は四 0

セ ン

チ 前

後 ︒

( 総 角 の 組 )

一辺が約一センチの角打ちの 紐で︑紅染の糸で組んである ︒ 紐や総の外

側(表面)が槌色しているが内側は紅の鮮やかさを保っている︒

( 6 )  

くさりずさん

伝謙信所用鎖頭巾(図版

W

︑掃図日﹀ b

鎖惟子同様に実戦用の頭巾で︑

兜や前出の烏帽子形山綾頭巾

( ω

) の

ような頭巾の下に被

ったものである︒

この鎖頭巾は表面は黒綿子である

註 却

が黒染が鉄媒染であ

っ た た

め朽損しているので︑本来ならば黒締子の下

にあ って見えない筈の 綿(真綿)や鎖︑

鎖を縫いつけた地裂の麻が図版

でも見られるように露出している︒ 鎖は鎖雌子(川何)の一屑山や袖山など

と同様︑隙間なく地裂に縫いつけてある︒頭から首にかけて襲も敏も苓 せないです

っぽり被るように 作つである頭巾であるから︑

このように全

二 O

体にベタに鎖を縫いつけてあって至当であろう

この地裂の麻は染めて

5 8  

もなく晒してもない茶色の麻(苧麻)で︑

表の黒締子とこの鎖の縫いつ けである麻裂との間には綿が入っている︒

な お

この.頭巾には一番内側に︑頭囲り五八センチ︑深さ二一センチ

の黒嬬子丸形頭巾を被るようになっている︒図版で正面の額の部

︑ 分 に見 えるのがその頭巾の一部である︒この丸形頭巾は頭に密着するような形

で ︑六

セ ン チ 幅 の 縁 取 が 額 か ら 後 頭 部 に か け て 鉢 巻 の よ う に 囲 っ て い る︒中には和紙の芯が入っており

︑裏は節織の浅葱

平絹である︒重量は 中の丸形頭巾も共で七六

0

グラムとかなり重い

紙芯の入った中頭巾を 先ず被り︑次に︑鎖が間隙なく縫いつけてある麻裂と真綿の

二重の屑を

持つ黒締子の鎖頭巾をいただき︑

その上に兜の類をつけるとい

った頭 部

を護るに周到な武装が︑先の鎖惟子を着込んだ胴体の武装の民間さと共

にたのもしい感じを抱かせる︒

(形状︑法室︑仕立て方)

形状 ︑

法 量 は 一 覧 表 の 例 ( ﹁ 上 ﹂ 掲 載 の 表 2

│ 美 術 研 究 二 九 二 三 二 頁

l ﹀

抑図日の実測図に示した︒現状は表裂の黒絹子が殆ど形をとどめないまで

に朽損し︑そのすぐ下居の綿の府も破損乃至は片詐りの状態で︑

そ の た め

更に一段下回川の鎖とその鎖が縫いつけてある麻裂が露呈している︒

後 の 中 央 が 一

0 ・ 五センチ剖つであり︑前には幅一

・ 四

セ ン

チ ︑

長 さ

コ 一

0 センチの紫なめ し革の紐が左右につけてある ︒

鎖は地裂に縦︑横ともに二センチ間隔位で縫いつけてあるが︑その縫附

けである糸は目径が 0 ・ 二センチもある細組とも

えるような太い附して ‑ J

な い

Z 撚 木 綿 糸 で あ る ︒ 麻 の 部 分 の 縫 糸 ( 縁 の 縫 代 を 押 え 縫 い し た 部 分 に 凡 ら

(10)

れる)は︑附してない Z 撚麻糸で︑約三 ・

五 セ

ン チ

幅 ・

の 紙

の 縫

代 は

︑ 一

セ ン

チ 前 後 と 0 ・ 三センチ前後の大小交互の針目 で押え縫いが行われている︒

表裂の黒締千部分の縫糸は蔚黄 Z 撚絹糸で︑その黒縞子裂の接ぎ合わせ

らしい縫目に 0 ・ 二センチ前後の平縫の針目が見られる︒

川 以 頭 巾 の 下 に 被 る 中 一 部 巾 も 表 裂 が 黒 綿 子 で あ る の で 損 傷 が 著 しいが︑鎖

以巾の表裂に比較すれば残存部分もはるかに多い︒経文のような文字が書

き込まれている紙の芯が二重になっ

て 入

っ て お り

︑ 額から後頭部にかけて

は鉢巻状の裂が困り

︑ 頭

に 密

昔 一

泊 す

る よ

う な

形 の

頭 頂

部 分

は 六

枚 は

ぎ に

な っ

m m

ている︒六枚はぎの縫い合わせはくけ目

で あ

ろ う

か ︑

一 ・ 三 セ ン チ J 一 ・

八センチの大きい針口である︒その 他の部分の縫目は︑平縫が 0 ・ 二

J O

‑ 三 セ ン チ ︑

く け は が 一

・ 二 J 一 ・

一 一 一 セ ン チ の 針 目 と な っ て い る ︒ 縫 糸 は

淡葱 Z

撚 絹

糸 が

川 い

て あ

る ︒

( 鎖

頭 巾

の 裂

地 )

去裂の黒紹子 ll 五枚経紙 子のようであるが ︑ その他は損似が甚だしく不

一 昨

で あ

る ︒

似の縫いつけてある地裂││附してない麻で苧麻の裂である︒従って色は

苧麻の自然色で薄茶色︑粗い織目の平織で ︑ 経糸は S

撚 ︑

緯糸は経糸よ

りやや太く ︑ 撚は不詳︒密度は一センチ問に経糸は一三木前後 ︑ 糾糸は

一 一 組 前 後 で あ る

( 小

巾の裂地)

ぃ 衣 裂 の 黒 絹 子 l l z

撚経糸の五枚経絹子で︑密度は一センチ川に︑経糸は

一 OO 本 J

一 一

O 木位︑総糸は三六越前後である︒

以裂の薄浅葱平絹

l l

l 後染の痔浅葱平絹で ︑節糸を使

ってある節織であ

上 杉 家 伝 来 鎧 下 着

・ 着 込 み

・ 頭 巾

等 四 領 二 個 下

υ

山 町

い は

は 一

セ ン

川に︑経糸は二四本前後︑総糸

は二二越前後であ る

四 むすび

叔上で上杉家伝来の武装服飾中すでに美術研究二八六号に於て報告発 表十みの陣羽織を除く六点︑即ち鎧下着

・ 着込み

・ 頭巾等問領二個の調

査を

7J

え︑それぞれに武装服飾としての得難い貴重な資料であることを 確殺したのであるが

︑中には景勝所用とし

て伝えられている二領の鎧下

着のように︑ 一領は多

色型染として︑他の一領は縮緬として︑共にわが 国最十円の遺品資料であるといった染織史上特筆すべき事項も含まれてい

るのであった︒

その二つの事項

︑即ち多色型染と縮緬︑加えて

鎧下着であるといった 三面から︑年代は多

少下る

が恰好の対照資料の優品があるので

︑ ここに

紹介したいと考える

それは東照宮御譲りと

して尾州・徳川

家に伝来した徳

禁明会所蔵

徳川美術館保管の﹁黄縮緬根芹雪輪小紋袷﹂で︑調査は下前妊附の縫目

が 一

一 メ

トル前後ほころび

ていた昔日に一 度と ︑

ほころび部分も繕ろわ れでいた今回との計二度に亙った精査である

調査に際し一方ならず御 世話にな

った徳

川禁明会の徳川義宣

専 務 理事︑並び

に徳

美術館の熊沢 五六館長ほか学芸員諸氏の御好意と御協力を深謝し報告に入りたいと思

この衣料の呼称は徳川家明会の名称であり︑掲載写真(図版

J

なお ︑

V )

一 は同会原板の焼付である

5 9  

(11)

制 ぜ

﹁ バu v

)~

rr  IJ 

東照宮御一歳黄縮

緬 根 芹 雪 輪 小 紋 袷

図 (

版 V ︑

挿 図

日 比

︑ 1 5  

¥.J 

輪散らしに雪輸を置き︑

その上に根芹がそれぞれ勝手な方を向きなが らも恰も互の目に並んでいるかのようにバランス

よく配されている

︒ 生

註 却

気 に 溢 れ た 根 芹 の 図 様

︑ 芹 の 花 の 扱 い と 散 ら し 方

︑ そ れ ら を 巧 み に 雪 輪 に組ませてリ

ズミカ

ルに四方に進行させているこの連続文様は文様とし ても傑作である

澄がか

っ た黄色地に︑藍︑薄藍︑茶色の三色で文様があらわされてい

る︒上杉家伝来の伝景勝所用紺麻地銀繁ぎ矢車文鎧下着(木稿の

ω ︑美術

研究二九

一 号

掲載の﹁上﹂参照)と同様︑

形染で多色染が行つである︒

現 在 の と こ ろ

︑ 室 町 か ら 桃 山

︑ 江 戸 初 頭 に か け て の 型 染 遺 品 資 料 で 多 色 染 が行つであるのはこの二点だけで︑

その意味でも極めて貴重な資料だと

会 一

口 え

る ︒

︿ 観 察 並

び に推測染色法)

前述したように初回の剥査時には下前妊附の縫目がほころびたままの状

態であったので ︑

裂 地

の 一

袋 面

も 観

察 で

︑そのため染色︑仕 立て方など解

明点が多か

っ た

表からの観察ーーー地は控色がかった黄色 で︑雪輪と芹の 茎は赤味の多い

茶色︑汗の根は茶色と薄藍︑汗の葉は簿藍と藍が約半々位の割合で︑芹の

花の大きい方は輪郭と巾心の点が茶色で花弁内の点が藍になっており︑芹

の花の小さい方は簿藍となっている︒この場合︑薄藍は黄色地に重ねてあ

るので総に見える︒これらを色 別 にすると次

の よ

う に

な る

黄縮緬根芹雪輪文型染「星」

説明図(図版 V b 照合〉

星 J~

星   r ム i 旦 "‑寸 J

12n̲

旬 , ̲ . ' 星

イ/ 星

挿図 1 4 紐

f r j l   5cm 

l~長さ各 108cml 釦直径1. 0 c m

茶 色

( 赤

茶 ﹀

│ 雪

︑ 芹の茎 ︑ 芹の根 ︑

6 0  

大きい花の輪郭と中心の点

小さい花 薄

藍 (

緑 に

見 え

る ﹀

│ 芹

の 葉

藍 ー

芹 の

葉 ︑

t下

内ノ 口氏

7 J + r 6 h  

大 き い花の花弁内の点

型紙の星は挿図日に示したように︑

。 百

チ に

‑ ニ

佃 ず

つ (

間 隔

は ︑

向 っ

て 左

か ら

・ 五

セ ン

一 一

・ 八

セ ン

チ )

︑ 竪

一 一

ンチの 川隔

で見られる︒星は茶色の上に薄藍︑藍と色

/フキ 0 . 2 ‑ 0 . 3

上一一

が重っているので型付がその

順で行われたことが知られ

る︒即 ち 地染の黄色の上に茶

一・ー・ーは下前

色︑薄藍︑藍の順で摺染した

ことが観察される︒この中︑

茶色部分の文様は型紙を 二 枚

黄縮緬根芹雪輪小紋袷実測図

は必要とするから︑この文様

の型付は三色で故小四枚の摺

型を使 っ

て い

る ︒

一 畏からの観察

l

表面は表 l

の地色の黄と同

の 濃 度 で

( 現

状 は

表 は

槌 色

が 幾

ら か

あ っ

て 茶

ぽ く見えるが裏は鮮 や か

挿図 1 5

な黄色である﹀あるからこの地

染は引染めでなく以染である

ことが明らかである︒更に 裏

は黄色無地であるからこの裂

(12)

の文様は ︑ 表からの制筏と総合 し て 次 の よ うな製作に成る も のと考察され 衷に紅の平絹が通 し 裂でつけてある袷仕立で ︑ 室町 ・ 桃 山 の給仕立の大

U

︒ 部分のものに見 ら れ る 四 つ縫は一ヶ所と し てない︒この四つ縫の調査は以

前ほころびのある時代に ︑ 裂を見ることも山来て容易に各所に当れたが ︑

先ず黄色の以染で地染がなされ ︑ 次に表に型付によって文様がすべて摺 背縫 ︑ 脇縫 ︑ 袖

附 ︑

附 ︑

袖 附 と四 つ 縫可能な例所は何れも表と一訟は別々

染で行われる︒型紙は一かえり一一センチで ︑ 一幅に三個並んでいる口星 に縫い合わせてあって ︑ 後でとじつけであった︒

で当って引が送られている︒文様の色は三色で ︑

茶 (

赤 茶

薄 藍

( 黄

色 地

燃は上杉家伝来の鎧下着二領

( ω ω )

と同様な山総裁ちの立校であるが ︑

上なので緑に見える)︑藍の順に型付されているようである︒

型紙は茶色部

株も前の重りと同様に打ち合わせとなっており︑表裂でくるんだくるみ釦

分の文様に以小二枚は必要であるから最小四枚は使われている︒型紙四 ︑

LL

E ‑a

五枚を川いて型付したmm染の文様である︒上杉家伝来の ω 紺麻地銀繋ぎ矢

d

の官めは乳(ル プ﹀ではなく穴かがりされた釦穴である 釦は山径一セン l ︒

チ ︑

一 昨み 0 ・ 五センチ で 上杉家伝来の二領のくるみ釦と大きさはほぼ同じ

山文鎧下着の染色に川いられている糸目糊や伏糊の型付はこの場合はな

であるが ︑ こちらは釦の中央に表から裂に通る針の通る穴が山いているら

し 、

しく︑そこに穴糸のように太い議紅色の S

撚利糸が表から引に迎

てお

( 形

︑ 法室︑仕立て方) り︑その部分は糸に締められて釦をくるんだ表裂がくぼんでいる︒穴かが

りは別代の穴かがりと同一方法のように観察された︒燃の史 む

﹂ り の 紘

形状 ︑ 法量は抑凶日の尖測図に示したが ︑ 身丈が一五回 ・ 五センチと非 に︑片面(外側)だけに針目が出て ︑ 平縫の飾り縫が施してある ︒ 紅色 S 撚

引に長く︑袖下の山線が注目をひく袷仕立の衣服である︒丈の長いのは兵 組糸で針目は 0 ・ 四センチ前後である︒とれは飾り縫か︑ 必要な縫円か定

足の下に着込むものとして各人着心地その他の点で各様であったと忠われ かでないが ︑ 二枚の縮緬を襟の形に裁って縫い介わせである松川りの部分

るのでさして川題にもならないし ︑ 袖下の曲線は桃 山 から江戸の初頭にか が︑小に縫い込んである縫い代を定着させ ︑ そうすることによ っ

て .

抜 り

を 持

けての鎧下着には名古屋城に所賊されている織田信長所用の鎧下着ニ領

たない縮緬の襟の形を整えさせる必要性も多分にある縫ハと札つ え

ら れ

る ︒

︿挿図目 ︑

げ ﹀

とか水戸の徳 川 家に家康及び光園所用として伝わる鎧下着数

領にもこの種の袖の形が多く ︑ 別に特異なものではない︒校のある小袖の

14L

︑ ︑

A

京 カ 上前︑下前とも幅五 ・ 二センチ前後 ︑

長 さ

O

八 セ

ン チ

の表裂と共の附

わなが上 ︑ 縫目が下に妊にくけつけてある︒そのくけつけの糸は黄

袖を共足の下に着込むに都合のよいよう袖口を筒袖のようにすると ︑

そ の

色 S 撚桁糸二木どりで表裂︑だけにくけつけてある︒附紐は そ の附け方と長

袖口と扶を結ぶ線がこのような曲線になる︒名古屋城の信長所用の鎧下着 さから考えても下前の組は左脇にある紐通しの穴を迫 っ て表に山し ︑ 二本

や水戸の徳川家伝米の鎧下着は尾 州

の 徳

川 家伝来のこれよりも曲線が多少 の組を左右の 脇 から後にまわし ︑ 前に持って来て紡んだものと似われる︒

ゆるいか ︑ 直線にしてあるかである︒ 袖 口 ︑ 褐と も に沌があり ︑ 袖口の沌は 0 ・ 四センチから 0 ・ 五センチ ︑

かつては下前の妊附の縫目がほころび て

いたが現在は繕われているの

裾ぬは 0 ・ 二センチ前後である︒妊の尖端の被先は剣先風に尖 っ

て い

る ︒

で ︑ 現状は破損巧損が殆ど見られず良好な保存状態である︒ 背縫の折被せは表裏ともわれわれがいう正しい方向(美術研究二二八号二 O

6 1  

上 杉

家 伝

来 鉛

下 請

・ 着

込 み

・ 頭

巾 等

四 領

二 個

(13)

1 , 1 ; i 

l V f  

11 'J 

耳 ︑

掃 図

3 参間りになっている︒叩ち挿図日の実測図に示したように﹁上﹂

と 記入してある側が向くなっている︒

縫糸は︑表裂と表裂の縫い合わせには当初は茶色 S 撚紺糸が則いられて

Lo o

‑ 茸 つ 臼

いたが︑茶色の鉄媒染でその糸は巧損し︑ほころびを生じたりしたようで

あ る ︒ 近年の繕いのための糸は色を替えて当初の糸とは区別してある

︒ 一

裂と裏裂の縫い合わせには紅色 S 撚絹糸が用いてあり︑表裂と 一 袋裂の縫合

わせにも紅色 S 撚絹糸が用いてある︒表裂の縫代と一装裂の縫代のとじは白

S 撚絹糸で行われている︒縫目は︑平縫は 0 ・一五センチから 0

・ 二

セ ン

チの細かい針口で︑くけ目は 0

・ 四

センチから 0

・ 五

セ ン

チ の

くけ口と

しては細かい針目である︒

このように総じて細かい針目の丁寧な仕立てのように見受けられるが︑

しかし処々に︑室町 ・ 桃山頃の仕立ての特徴である鷹揚さ││例えば左右

相称であるべき佃所の寸法が多少違う場合が多いというようなーーや技術

の 幼 稚 さ が 兄 ら れ る ︒

重量は四六五グラムで︑大 ぶ りであるためか絹の袷としては重いようで

あ る ︒

( 去

図版 V 参

照 ﹀

前述したように控がか っ た黄色に以染した縮緬に︑赤味の多い茶色︑薄

藍 (

黄 色

地 の

上 に

簿 藍

を 置

い て

あ る

の で

緑 に

見 え

る )

︑藍 の三色の摺染めで型紙

は四枚以上(四︑五枚カ)則いて雪輸に根芹の文様を表出している︒

文 様

は︑竪の一か え り(織の文丈に相当する一リピート﹀が一一センチ︑横の一か

え り

( 織

の 築

間 幅

に 相

当 す

る 一

リ ピ

ー ト

) が

・ 二 0

三 セ

ン チ

で あ

る ︒

縮緬の生地は上杉家伝来の紅縮緬鎧下着

( ω

﹀に比較すれば織闘も整っ

て おり︑厚手であるが ︑ 上質とは言い難いであろう︒二越の縮緬'で︑糾糸

は S

撚 と

Z 燃の強撚糸が二越ずつ交互に入っており ︑

密 度

は 一

セ ン チ 間

二四

に ︑経糸は五 二 本前後︑総糸は 三

二 越

前 後

で ︑

上杉家伝来の紅縮緬鎧下着

6 2  

の 納 制 (

一 六

一 良照合)より多分に密である︒裂幅は 一 畏 が 観 察 で き た時点の調

査で︑ーから耳までの個所は見当らず︑片側が耳でも片側が裁 ち 口で︑結

い川︑此も裂の幅の広い個所の広さ以上ということで三八セ

ン チ

以上という

こ と に な っ

た ︒

上杉家伝来のが四八センチ前後三六頁照合﹀であるから︑

こ の

納制も凹八センチ位はあったものかも知れない︒

( 一 目裂)

後一染の紅平和で︑経糸は緯糸に比較して細いが︑緯糸の二分の一位の太

の や

三 分の二位の太さのと不揃いである︒密度は一センチ聞に︑経糸が

円六本前後︑総糸が四 O

越 前

後 で

あ る

︒ 以上の調査で︑徳川家明会所蔵の束照宮御

一 議黄縮緬根芹雪輪小紋袷は︑

形状︑法量︑仕立て方︑裂地等の立場からも近世初期の特徴が備わって

お り

︑ また近年におけるほころびの縫い部分を除いては当初の状態をよ く残している﹁うぶ﹂な遺品資料である︒初期の縮緬︑初期の多色型染 としても数少い貴重な資料で︑伝来がよく︑且つ裂地に施された型染の 文様も美術工芸的価値に優れ

総合して桃山末から江戸初頭にかけての 得難い優品だと認められる︒

さて︑上杉家伝来の鎧下着

・ 着 込 み

・ 一 政

等四領二個の総括に移ろう︒

これら凶領二個は︑何れも疑う余地のない﹁うぶ﹂な武装服飾で

︑保 存状態も良好に今日に残されている

中でも鎧下着三領は保存状態が極めてよく︑古様を備えた形態︑多色

型染︑縮緬とい っ

た三点からは近世初期の服飾

・染織の上

で特に注目され

(14)

る︒形態は西欧服飾の影響を襟の形や釦留め︑ ループ等部分的に受け

入れてはいるが︑ やや時代の下る鎧下着(図版

v a

︑挿図目︑打︑同等

参照﹀に見られるような大胆な曲線裁部分はない︒ 三領を通して窺わ

れることは︑基盤は当時の小袖にあるようで︑ ただ鎧下着としての機

能に適応させて単純化した感が強い︒特に謙信所用と伝えられる白平

名 古 屋 城 蔵

絹鎧下着

( ω )

にはそれが言え︑袖を筒袖に︑丈を短く︑身幅(前身幅︑

後身幅ともに)を多少つめた小袖と言えよう(美術研究二二八号︑拙稿﹁伝

上 杉

謙 信

所 用

小 袖

十 二

領 ﹂

l 報 告

a  愛知

ー照合﹀︒形態と同様に地質にも実

a 正面, b 背面, c 部 分

用面の配慮が心憎いばかりになさ

れ て い る こ と は こ の 概 要 ( ﹁ 上 ﹂ ︑ 美

術研究二九一号三二頁)で述べた通

りである︒実用一点張りの白平絹

鎧下着

( ω )

がある一方︑ ω の鎧下

b  伝 信 長 所 用 麻 鎧 下 着

着のように実用面も充分に考慮さ

伝 信 長 所 用 鍛 子 鎧 下 着 a 正面, b 背面, c 部 分

愛 知 名 古 屋 城 蔵

挿図 1 7 b 

c  挿図 1 6

上 杉 家 伝 来 鎧 下 着

・ 着 込 み

・ 頭 巾 等 四 領 二 個 下

二 五

東 京 国 立 博 物 館 蔵 a  a正面, b 背 面

伝 家 康 所 用 葵 紋 縁 飾 繍 鎧 下 着 挿図 1 8

6 3  

参照

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