吉川家伝来「山道草花鶴亀文繍箔胴服」について
著者 神谷 榮子
雑誌名 美術研究
号 286
ページ 1‑11
発行年 1973‑03‑30
URL http://id.nii.ac.jp/1440/00006504/
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止
古川家伝来 ﹁ 山道草花鶴亀交繍箔胴服 ﹂
について
今春(昭和四十七
年三
月﹀重要文化財に指定された山口県岩国市在住の
吉川重喜氏所蔵﹁山道草花鶴亀文繍箔胴服﹂は︑昭和二十七年四月六日
から五月五日まで一ヶ月間開催された東京国立博物館の﹁日本染織美術
特別展﹂に出陳された以外は殆ど公開されなかった︒陳列や撮影の機会
山 斗 は
く︑この胴服が少いことは︑染織品保存上の観点からはまことに望まし 唱i
のように槌色の著しい紅が多量使用されている染織品にとっては願って
もないことである︒陳列・撮影といっ
た近年の問題に限らず吉川家で
は︑秀吉から拝領したといわれる時点から今日に至るまで保存上の好条
件を具備され大切に伝えて来ら
れた
︒それ故この胴服は図版1の原色写
真
から で
も窺い得るように︑紅︑薄紅︑黄紅︑蔚黄︑瀦色︑浅葱︑薄浅
葱︑紫︑金茶︑白等の繍糸も色鮮やかに︑摺箔部分の金箔も剥落が極め
て少
く︑この種の繍箔としては稀に見る保存状態の良好な遺品資料とし
て今日に残されているのである︒
かつて筆者は美術研究二
四二
︑
二四三︑二四四号の三号に亘って上杉
吉川家伝
来﹁
山
道草 花鶴亀
文繍箔胴服﹂
につ
いて
神
炊 宋
子
ノト、/口I
家伝来の謙信所用と伝えられる八領の胴服に関して考察を行ったが︑そ
の折の調査・
考察事項に照合してこの古川家伝来繍箔胴服の考察を試
み︑紹介論文にしたいと思う︒
吉川家の家伝によると︑この胴服は天正十五(一五八七﹀年に朝鮮征伐
の功績によって︑吉川家の祖先になる吉川広家
(A
掛町︑t占湾)が太閤より
拝領したものといわれている︒
ぬいは︿註2すりはくこの吉川家伝来の繍箔胴服は︑十色余りの色糸による刺繍と金の摺箔
註3で胴服の表に出る部分を全面埋め尽くした豪華な衣裳で︑山道︑即ち稲
うわもん妻形文様の繍箔地に︑雪持芦︑松︑雪持笹︑桐︑鶴︑鶴の雛︑亀が上文
として刺繍で散し文様風に配してある︒表面のすべてが繍と箔で覆われ
註4ねり
ぬき
註5註6ている地裂は自の練緯で︑刺繍のために白い紙の裏打が表裂全面にして
あり︑縫い合わせ目など摩擦で損傷した部分から処々にその裏打紙が見
られる︒損傷は摩擦による損傷が多少ある位で︑その他は保存状態は良
好︑仕立ても当初のまま後から手は加えられていない﹁信﹂な状態であ
美
術
号
研
l¥ 究
ノ
、 (寸法の単位はcm)
1!;~lfff'H
襟肩ア> r I l I J ' i
f1
Ig
幅│ ! │ │
I h I h I il
襟 k 幅l i │ │
1 m 重 量 参 照三一キ
X 2
荏 下 り 立 棲 妊 幅 合 棲 前 身 幅 一E一 桁 袖口 (襟折返し側〉袖丈 身丈1 十 6 . 0 1
‑ 卜8 . 0 1‑1 ‑1 2 8 . 2 1 0 . 8 0 1
臼0 1
ベ ( 立 て 込 〉 ド 1 .0 1 叫 7 3
叶 美 野1.
5 2 1 6 . 0 1
1.5 1 8 . 5 1 5 . 0 1 5 . 0 2 8 . 0 0 . 8 7 5 3 . 0 7 . 7 4 9 . 0 1 1
1.5 5 2 0 g
美2
術4
研2
号究(外内側側も可
1.
8 9
卜2 0 │ E 1 1 1 1 8 0 │ 川
151
鈴2 10 . 9 7 1 5 6 . 5 1 1 1 . 2 1 4 8. 0 1 叫 8 8 0 g 1
美星野(内側〉
2 . 0 2 1 1 5 . 0 1
‑ 卜 1 .0 1‑
I ド9 . 5 1
1.0 2 1
ベ (内側〉1
1.0 ト 5 5 1 川 叫
向 上2 . 0 7 1 3 . 0 1 0 . 5 2 5 . 0 1 9 . 0 1 8 . 0 3 9 . 3 約
l5 8 . 5 5
1.5 1 2 3 . 5 4 4 0 g
向 上( 合
1 1
も可)1.
7 5 1 1 4 . 0 1
9'~E 卜4.5 卜4.01 3 8 . 0 1
1.5 0 1 5 6 . 5 1 1 1
1.5 1 5 0 . 0 1 1 2 3 . 0 1 7 山│
美野〈内側〉
1 叶州刑 m507 16 0 0 l l
(外側〉9 . 5 ド 8 5 . 1 1 叶 6 1 0 g 1
向 上1.
9 7
卜3 . 5 叶 3 2 . 5
卜8 . 0 1 1 6 . 5 1 3 7 . 5 1 約 1 [ 5 6 . 2 1 2 2. 5 1
(内側〉1
1.5 1 4 8 . 71 叶 γ │
美僻1.
6 0
卜6 . 0 1‑1 川 │ ‑ │ 1 2 1 f i lo │ B 9
卜2 . 0 1 1
( 立 て 九 )1
岨 o1 川[ 4 m g │ ??
1.
5 7 1 不 明 │ 約 1 0 仲 川 2 2 0 i z z;1
卜3 . 0 1 1
品1 5 0. 0 1 1 1 7 . 0 不 明 │重野
1.
7 7 1 川 1 ‑1 ‑1 ‑ ! 削 1
││i6 1 0
I1│5 2 0 2 1 3 1
割5
主1 5 2. 0 1
劫;2
千o四2o1 n 1V │l 16 1 5 g
│l│2
美4
註4
術号研5 4 1
究1
頁表 量 覧
法
一畏は通し裏で︑その裏裂︑胸紐の裂︑胸紐附部分の三角裂は何れも る ︒
同種と思われる紅の練緯で︑
どの部分も紅の槌色が少く鮮やかであ
る︒綿入れではなく袷仕立てで︑総重量は四二0グラム︑上杉家伝来
の謙信所用といわれている胴服八領中袷仕立の﹁
ω
浅葱綾竹雀紋繍︑襟摺箔胴服﹂(一覧表の
ω
︑挿
図
8︑美術研究二四三号参照)が四四O
グラ
ムであるからほぼ同じ重量といえる︒襟は内側には裏側の紅練緯が用
いてあり︑襟幅が八センチという寸法とを考え合わせると上杉家伝来
の伝謙信所用﹁
ω
金銀欄鍛子等縫合胴服﹂(一覧表のω
︑美
術研
究一
一一
六 号図 版
1︑
川 一二 頁挿 図 1︑ 美術 研究 二
四二号三頁下段一四行照
合)
同様
︑
首に当たる部分を立てたまま着装したと推測される︒
この胴服は︑槌色の著しい紅染部分が多量であるにもかかわらず︑
刺繍部分の紅色の糸も︑裏裂等の紅練緯も鮮やかによく色をとどめて
おり︑紅染の保存のよい点では︑これまでのところ︑上杉家伝来の伝
謙信所用﹁
ω
紅地雪持柳繍︑襟辻ヶ花染胴服﹂(美
術研
究二
四二
号図
版
ー︑
同四
頁
J
一一 一頁 参照 )
に次ぐ遺品だと思われる︒
繍箔で表現された山道の地文の上に刺繍で配された上文は︑何れが
主体であるかさだかでないが︑一見したとき︑最も目立つのは芦であ
るように思われる︒
この芦は正面︑背面にそれぞれ十五︑六本前後
ハ襟︑袖︑身頃の脇などには葉の部分が多いので本数は明らかにならないて
合計三十一︑二本配されているようで︑少量ではあるが一本に一︑二個
所︑中には雪を戴かない芦もあるといったように恰も残雪を葉の上に
留めたような雪持芦になっている︒雪の量はともかく︑この手の雪持
状
‑‑‑‑ー 一一J 益|補 I{~ι[ 中入蹄 l 紐
l
紐 同三 角 裂 袖 の 子l!Ii O)m l
l袖 幅 後 身 幅!liall!1
1&~
慨 ヂ 胴 服 │ ナ シ │ ナ シl r │
開 │ 欠1
(紺主革)1
1'袖1 2 4 . 0 1 3 5 . 0
持 柳 繍 ー
│
背3
割.レ 紅 平 絹 三 角 裂伝 花染胴服 有 ナ シ
4 3 . 0
綿 入 平 ぐ け 和 (紐と共裂) 広布1 1 2
1.0 3 2 . 0
上 裏・鶏色平絹〉
3 x 4 3
キ 多
平 問 │ 有 │ ナ シ │ 吋 レ │ 綿 入
15
四 つ 話 │ 乳│
謙 ‑紅 絹
3 8 . 3
I n'fjl /'‑ I3 7 . 5 +
(総 )4~5 I (裏と共裂〉(
4 )
地五重樺牡丹唐草文 紅 平 絹所 ( ナ シ ナ シ
lT5
レ [ 号 厚fl
平 ぐ けF│
ナ シ│
!用 (裏・ 平絹) I I v v • V 'FF‑.I
8 . 3 x 3 7 .
(5)浅 葱 絵裏綾竹雀紋繍,襟摺 紅 平 f有
背
6
割.レ 三 角 裂1
同 箔描( 胴服 有 ナシ4 6 . 3
袷 平 ぐ け 紐 (紐と共裂〉 広相1 1 9 . 0 3 9 . 5
日
展 ‑紅平絹〉
2 . 3 x 5 4 . 5
/¥
山表向門 I H I
背 許 レ1 ~
A1 s f
ゆ 都 世 │ 乳1 P;~T20.51
領 』岡弘・紅平絹〉 有 ナシ
3 6 . 5
綿 入 十5
I (裏と共裂〉広袖2 0 . 5
I3 6 . 0
7襟 護 服白 ず 胴 形 吋 子
1
i有 ナ シf1 H 1
吋 レ3 5 . 5 1 ~
綿 入 平 ぐ け 靴A1
紅 平 絹 │ ナ シ │ 凶1 2 2. 01
ぉo
‑紅平絹) I I I V V . V I
3 x 3 5 . 7
(8)警捜茶‑小相崩黄平絹
1 l 7 J 2
替 州 こ胴!民1 ,
有 ナ シ 裾1 1 H 1 ~~:S71 ~ 21
・ケ 綿 入 表A1
赤 四 つ 打. 5 + (
総) 4
紐(裏 :~t~). 5 1
(Ji!:~til!) 1
1 '/ J
i'' 1 1 1
ll l l 1 1
11 9 1 9 . . 0 0 1
13 7 . 2 1
1
家 伝 来 叩 鶴 吋 栴1 H 1 7 V 1
叩 レ │ ネ合 │ 年 九 七 ( 品 品1 )
広袖1 2 0 . 0 1 3 2 . 0 1
同}]!x ナシ ナシ4
1.5
(裏・紅平絹〉 1.
9 x 5 3
布川家(伝哀来紙衣胴〉‑紅平,f.再
l !
世 [ 有 │ ナ シ │ ナ シ1 m
綿 入A1
紅 雫 絹 摺 箔 │ 三 角 裂 │平幅は1 5
紐 (裏と共裂〉広紺1 │ │
I2
1.0
IZ
m33
S2
:0 。
問 主 宇
222
草 若 干 珊 服 │ ナ シ │ 有 │ ナ 袷 [紫J 6 0
紐 │ ナ シ │州1 2 2. 0 1 問
裾。 4 5 . 0
月民 形 目 同 期 初
吉 川 家 伝 来
﹁ 山 道 草 花 鶴 色 文 繍 箔 胴 服
﹂ に つ い て
との胴服は重量を測定する以前の昭和
3 8
年度修理で,裏打と樹脂加工が行われたため本来のものの重量は不明である。※
b a 挿図1
a.芦 陀 鴛 鴛 , 山 に 菊 の 段 文 様 縫 箔
b.芦 に 水 禽 模 様縫箔
芦の模様は︑室町・
桃山期の染織品の
作例には多く見ら
れる
(挿
図 lab
︑
挿図
2Y
ただこの
胴服に見られる声
は曲線的で︑芦と
も薄ともとれる図
様であり︑これは
東 京 国 立 博 物 館 蔵 岡 山 美 術 館 蔵
桃山期に入って模 様が次第に曲線的
な流麗さを増して
桃 山 時 代 桃 山 時 代
行く傾向にある時
期のものであるこ
部 分 部 分
とを感じさせる︒
比較のために高台
寺や豊国神社の桃
山期の蒔絵に見ら
れる薄模様の二︑
三を示した
(挿
図 34)︒ 次に雪持笹(挿
図
5)
︑この笹は有
美
制7
研
究
l¥.
t:I
~
伝謙信所用(3)白地桐紋綾・襟 繍 胴 服 襟 部 分 室 町 時 代 米 沢 上 杉 神 社 蔵 挿図2
1
Jl1JiJlI 桃1111時代 京 都 盛 岡 や11社 蔵 桐 1W.n-~絵庇柑
挿図3
職文様の桐竹鳳風(挿図
6)
四
に見られる竹を想わせる形で︑
特
に幹にその様子が濃く窺われる︒芦同様に少量の雪を戴いた雪
持経一となっており︑笹二本が一組となったものにそれぞれ雪が
一塊宛置かれている︒この形の雪持笹が室町・桃山時代には屡
とあったのであろう︑東京国立博物館蔵の桐竹鳳風等模様繍箔
肩裾
(折
図
7a)の竹はこの種の雪持笹である(挿図
7b
)︒
二本
てい
る
︒
一組
とな
ったこの雪持笹は正面に五個所︑背面に四個所配され
正面襟左下方ハ向っ正面に五木︑背面に三本見られる松は︑
芦や笹て右下方)の三階の松には頂に一塊の雪が戴せであり︑
に倣ってこの一本だけは雪持松にしてある︒この計八木の松
は︑三階の松は正面に一本だけ︑五階
の松は正面に三本︑背面に一本の計四
木︑六階の松は背面に一本だけ︑七階
桃 山 時 代 高 台 寺 霊 屋 内 部
の松は正面・背面に各一本宛で︑この
胴服より時代が上る上杉家伝来の伝謙
信所用﹁
ω
白地桐紋綾︑襟繍胴服﹂の襟(
挿図
2﹀に見られる松は同種の三階
桐 薄 蒔 絵 扉 京 都
の松
であ
る︒
桐は五七の桐紋で︑この種の桐紋は
挿図4
室
町・
桃山期の工芸品に屡ミ見られる
(柿
図
2︑3︑4︑7︑
9)
︒この桐紋は
紋所の位置である背と︑
肩 に 近 い 両
古 川 家 伝 来
﹁
山
道 草 花 鶴 危 文 繍 箔 胴 服
﹂ に つ い て
a.桐竹鳳)弘等模椋縫箔同紙 a b.同 上 背 面 裾 部 分
桃 山 時 代 東 京 国 立 博 物 館 蔵 挿 図7
古川│家 伝 来 繍 箔 胴JJR 背 面 裾 部 分 桃 山 時 代 岩 国 古 川 │ 重 喜 氏 蔵
挿 図5
b
胸︑両前袖︑両脇︑その他は適宜胴服全体に散ら
して
ある︒数は
正面︑背面に各八個︑両脇に各一仙の計一八個であるが︑桐紋の
配し方は上杉家伝来の伝上杉謙信所用﹁
ω
紅地雪持柳繍︑襟辻ヶ花染
胴服
﹂
の桐紋(美術研究二四二号図版I︑E︑同七頁﹀や同じく上
杉家伝来の伝謙信所用﹁
ω
浅葱綾竹雀紋繍︑襟摺箔胴服﹂の九枚笹の丸に雀の紋(抑図8︑美
術
研究
二四
三号 図版
I︑ 川
一三 頁挿 図
日 ) ︑
京都の豊国神社蔵﹁伝太閤所用紗綾胴服﹂(挿図9
﹀の
桐に菊紋の
配し方と同類である︒この胴服の桐紋の大きさは隔も高さも共に
御 抱 之 類 桐 竹 鳳 麟 近 年 御 再 興 装‑*織文司会より│
八・二センチ
から八・
= 一 セ ンチ であ る︒
麹 塵
鶴も桃山期
挿 図6
,
1氏尖叢告:ミ見受けられ の工芸品に屡
る形で︑挿図刊の岐
阜県・関市春日神社
の繍
箔一
屑裾
小袖
には
類 似 の 鶴 が 見 ら れ
る︒正面には飛瀦し
ているのが凶羽︑背
面には飛類している
のと立っているのが
各一羽で計二羽︒大
五
美
討す
rbEE
1 uu y
守 ︐
a︐
究
/i、
号
伝 謙 信 所 用(5)浅 葱 綾 竹 雀 紋 繍・襟 摺 箔 胴 服 室 町 時 代 米 沢 上 杉 神 社 蔵 挿図8
きさは長さが
0センチから
伝 太 閤 所 用 紗 綾 胴 服 背 面 桃 山 時 代 京 都 豊 田 神 社 蔵
三 セ ン チ で あ
る︒
鶴の雛は正面
背面とも身丈の
約三分の二の位
置から下方(こ
挿図9
の胴
服で
は︑
ほぼ
袖下線の位置か
ら下方)に配し
てあり︑大きさ
ノ
、
挿図10 草 花 鶴 亀 等 模 様 縫 箔 肩 裾 部 分 桃 山 時 代 岐 阜 県 ・ 関 市 春 日 神 社 蔵
は胴の大きさが長さ約二センチ︑頭の尖端まで入れると約
三センチ
であ
る︒正面には二四羽
(左
右の
身頃
に 二 . 一
羽宛)︑背面には二一羽(右の身頃
に八羽︑左の身頃に四羽)配してある︒これら計三六羽の鶴の雛は見返っ
たり︑首を後向きにして胴体の羽に埋めるような恰好をしているのも混
ぜながら(図版E)殆どが右向の行進をしており︑
逆方
向︑
即ち左を向
いているのは前身頃に四羽見えるにすぎない
(左
前身
頃ー
ーー
向っ
て右
││
に三
羽︑
右前
身頃
││
向っ
て左
ーー
に一
羽)
︒
これら鶴の雛は単純な表現な
がら図様も刺繍技術も極めて生気に盗れた巧みさで︑他の上文を凌いで
いる︒この雛に多少類似の鶴の雛模様が前述挿図刊の親鶴の下方に見ら
れる
︒
亀は蓬莱山模様に出てくる首が長い蓑亀で︑室町
・桃山・江戸前期の
模様の亀はこの種のものが多く︑挿図刊の向
って左下端に見られる亀は
との種の蓑亀を真上から見た図様である︒胴服の裾に近い位置に正面に
二匹(左前身頃││向って右
!l
l裾
に一
匹︑
右前
身頃
ーー
ー向
って
左 1
│脇縫寄
りに
鶴と
相対
して
一匹
)︑
背面に一匹(左後身頃の背割れ寄りに)配されて
いる︒大きさは尾の尖端までの長さが七センチ前後である︒
地紋の山道は︑室町・桃山時代の染織文様には屡ミ見られ︑上杉家伝
伝 謙 信 所 用(7)1'‑1地 紗 綾 形 雲 文 倫子・襟唐織胴Jl~ 襟 部 分 主Isj ' 時 代 米 沢 上 杉 村1社l説 挿図11
繭 黄 地 山 道 菊 桐 文 片 身 替 唐 織 部 分 桃 山 時 代 防 府 毛 利 報 公 会 蔵 挿図12
吉川家伝来﹁山道草花鶴亀文繍箔胴服﹂について
襟唐
織胴
服﹂
(挿
図日
)︑
毛 利
来の伝謙信所用﹁例白地紗綾形雲文総子︑
東京国立博物報公会蔵﹁紅蔚黄地山道菊桐文片身替り唐織﹂(挿図ロ)︑
館蔵﹁紅白山道菊桐枝垂桜文様唐織﹂(挿図日﹀等に見られる山道文様
は︑この胴服の地紋と同種である︒この胴服の山道文様は金の摺箔︑白
に近い薄紅の繍︑燈色がかった紅(サモンピング)の繍の順で組合わさり
く 一
・六
セン
チ︑
ジグザグ模様を構成している︒それぞれの幅は︑金摺箔の部分が最も狭
一・八センチ︑二センチ幅と三種あり︑薄紅部分は
‑八センチから二・二センチまでの幅︑サモンピングの部分が最も幅広
で二・四センチから二・五センチ幅となっている︒
次にこれら文様の表現技術について述べると︑地文に当る山道文様中
の金摺箔部分を除くとすべてが繍︑即ち刺繍で表現されている︒そして
この胴服に見られる刺繍の特徴は︑刺繍糸も刺繍技術も室町・桃山期特
有の︑中国明の影響の濃いものである︒用いられている刺繍糸は芦の
穂︑亀の尾に二色撚り合わせた杢糸が用いてある以外は
紅 白 山 道 菊 桐 枝 垂 桜 文 様 唐 織 部 分 桃 山 時 代 東 京 国 立 博 物 館 蔵
すべて撚りのない絹の平糸である︒刺繍の技法は︑大部
註7分が裏面には糸が廻らない渡し繍で︑大きく糸が渡って
註8いる部分には抑えの線繍が︑葉脈とか輪郭などのような
線描的個所を利用して巧みに入っている︒芦の穂や桐の
まといぬい当ω9いわゆる纏繍で繍われてお花一房の茎︑鶴の脚などは︑
り︑針目の半分から三分の一ぐらいを返えして進行する
返えし繍である︒表裂全面に紙の裏打がしであることは
挿図13
前に述べたが刺繍のために表裂にひきつりを生じない工
作である裏打が施されている点も桃山刺繍の多くの作例
七
美 術
究
l¥
ずふEE
︐ ︐
︐
J 74︐
ふ・ ,"
11 ト1~-I
同・白
ノ
、
‑'n J llcm
5.8cm
(Ja:・万
紐の三角裂{一一 l高さ
と同様である︒
刺繍糸は紅︑自に近い
薄紅︑燈色がかった黄紅
(サ
モン
ピン
グ)
︑蔚
黄︑
裁
色︑浅葱︑薄浅葱︑紫︑
金茶︑白の撚のない絹の
平糸の十色と︑二色を撚
り合わせた杢糸は︑芦の
穂に用いられている紫と
自の絹の杢糸︑亀の尾に
用いられている金茶と蔚
実測図
黄の絹の杢糸の二種で︑
計十二色が使用されてい
山 道 草 花 鶴 亀 文 繍 箔 胴 服
る︒
色糸の使いわけは︑上
杉家伝来の伝謙信所用胴
服八領の中︑刺繍の多い
吉川 家 伝 来
﹁
ω
紅地雪持柳繍︑襟辻ヶ花
染胴
服﹂
﹁
ω
白地桐文綾︑襟繍胴服﹂﹁
ω
白挿図14
地五重棒牡丹唐草文綾︑
襟繍
胴服
﹂
﹁
ω
浅葱綾竹雀 紋 繍
︑ 襟 摺 箔 描 絵 胴
/¥
服﹂
(以
上
美術
研究
二四
二︑
二四
三号
の拙
稿
参照)など室町・桃山期の刺繍
遺品同様︑葉や茎は蔚黄や鶴色の緑系︑花は基調にその花の色︑雪は白
といったように総じて実物の物に即した︑或はそれに近い色の濃淡を効
果的に繊細に使い分けながら︑処々に写実からは離れた色が或時はアタ
セントの役を︑或時は柔か味を添える役目を果すように配してあ
り ︑
ま
た葉や花をきっぱりと途中で色を変えたり室町・桃山期の特徴がよくあ
らわれている︒
刺繍技術は丁寧で優れており︑個々の模様がくっきりと鮮やかに表現
されている︒大きく渡った渡し繍の繍糸も︑よく目がつんで揃ってい
る︒ただ︑鶴の雛を除く全図様に生彩さを欠く難が感じられ
るの
はま
こ
とに残念である︒
山道文様の摺箔部分は刺繍が完了した後で行われたことが明らかであ
る︒それは摺箔部分に入っている鶴の雛の脚などに金箔がわずかではあ
るが刺繍糸の上から附着していることから明ら
かで
ある
︒
また摺箔の剥落部分の処々に刺繍の下絵の墨の線(図版皿a参MUが見
られ︑これは室町・桃山期の他の繍や繍箔の例(挿
図叩
参照)と同様であ
る︒
以上︑紅の濃淡と金摺箔の華やかな山道地に︑雪持芦︑雪持笹︑松︑
桐紋︑鶴︑鶴の雛︑蓑亀を配したこの胴服の模様を詳述したが︑この模
様は︑希望と生気に満ちた早春の景に︑これから千年を生きようとする
三六羽の鶴の雛まで交じえた吉祥模様を配したもので︑将来の発展︑子
孫の繁栄を願った︑いわば戦国武将の悲願を盛った模様ということが出
来るであろう︒
(形状︑法量︑仕立て方)
形状︑法量は一覧表と挿図凶の実測図に示した︒袷仕立で︑裏は通し一襲︑
袖口には両袖とも約0・一センチの植があり︑裾には植はなく表裏が突き
合わせになっている︒背縫の折被せは表裏ともわれわれがいう正常な方向
(美
術研
究二
二八
号︑
二
O頁
︑挿
図
3参
照﹀
にな
って
いる
︒
縫い方は︑伝上杉謙信所用の浅葱紬小袖(美術研究二二八号︑小袖同参照)
や同じく伝上杉謙信所用の例浅葱綾竹雀紋繍︑襟摺箔描絵袷胴服(美術研究
二四
三号
︑胴
ω
参照)︑伝直江兼統所用薄浅葱鍛子袷胴服(美術研究ニ四四服号︑三八頁︑挿図お︑同四一頁︑註日参照)の袷仕立とほぼ同様である︒
即 ち
袖下と背縫︑両脇縫は四つ縫がしてあり︑袖附︑襟附は三枚一緒に縫って
から一枚がくけつけてある︒具体的にいうと︑袖附は︑表袖と表身頃と一畏
身頃の三枚が一緒に縫ってあり︑その後で裏袖がくけつけてある︒
襟 附
は︑予め表襟と裏襟が縫い合わせてある襟裂の表襟の襟附と表身頃︑裏身
頃の三枚が一緒に縫われ︑その後で︑裏襟の襟附部分がくけつけてある︒
その襟附には一屑山から右身頃の方は三四・二センチ下った位置に︑左身頃
の方は三五センチ下った位置に底辺一一センチ︑高さ五・八センチの二枚
くけ合わせの袷の三角裂がかがりつけてあり︑三角裂には一・九センチ
幅︑長さは右が五三・七センチ︑左が五二・七センチの袷の胸紐が挟み込
んである︒紐は両方ともわなが上︑縫目が下につけてある(挿図
uy
縫糸は白S撚の絹糸で︑縫目は四つ縫や三つ縫の平縫は0・七J
一セ
ン
チの針目で︑二枚合わせの平縫は0
・四
J0
・五センチの針目になってい
る︒くけ目は︑裏袖のくけつけが一・五J一・七センチの針目︑裏襟のく
けつけが0
・六
J0・九センチの針目︑胸紐のくけ目は0・七
J0
・九
セ
ンチ︑三角裂のかがりつけは0・四
J0
・六センチである︒
古川家伝来﹁山道草花鶴亀文繍箔胴服﹂について
(表
裂)
白の練緯で︑経糸は細く︑綿糸の約1一2の太さで︑二本ずつ寄ってお
り︑密度は一センチ聞に経糸は四四木前後︑緯糸は三二越前後である︒
(裏裂︑紐裂)
紅の練緯で先染︑経糸は薄賞︑総糸は紅である︒経糸は細く︑緯糸の約
1一4の太さで︑二本ずつ寄っており︑密度は一センチ聞に︑経糸は四四
木前後︑緯糸は三O越前後の部分から三六越前後の部分と打ち込みが多少
不揃いである︒
(三
角裂
)
胸紐がついている部分の三角裂は一見裏裂や紐裂と共の紅練緯のようで
あるが︑後染であること︑経糸の二木ずつ寄っている寄り具合がゆるいこ
となど異質な点があげられる︒経糸は細く︑緯糸の約1一4の太さで︑二
本ずつ寄っており︑密度は一センチ問に︑経糸は四四本前後︑緯糸は三八
越から四O越前後である︒
以上の調査によって︑吉川家伝来﹁山道草花鶴亀文繍箔胴服﹂には︑
次の諸事項が結論として述べられる︒
この胴服は疑う余地のない
﹁うぶ﹂な胴服で︑この種の繍箔としては 極めて保存状態がよく今日に伝えられている︒
形 態 の 上 で は 桃 山 時 代 の 胴 服 に 共 通 す る 特 徴 を よ く 備 え て お り
︑ 胴 服 と し て の 形 が
︑ 初 期 小 袖 の 上 に か さ ね て 着 た も の で あ る こ と を 明 ら か に 九
美 術
l¥
ノ
、
Eヨ
マ コf 研 究
伝 謙 信 所 用(4)白 地 五 重 搾 牡 丹 唐 草 文 綾・襟 繍 胴 服 室 町 時 代 米 沢 上 杉 神 社 蔵
挿 図15
示している︒
即ち
一覧
表︑
並びに実測図(挿図凶)に示したように︑桃
山期以前の小袖の特徴で第一にあげられる狭い袖幅
( a
﹀︑広い身幅(後
身幅
は
b︑
前身
幅は
h)
が先ず注目され︑次の襟一屑あき
(C
﹀が狭く︑立棲
( e
︑襟
下﹀
が短
く︑
桁(
・
1)
が短いことが初期小袖の上にかさねて着た衣
服であることを明らかにしている︒
また︑この胴服の袖は比較的年代の上る胴服に多い広袖(干袖﹀で︑桃
山期の胴服でも多少年代の下るものや後世の羽織には檎︑乃至は袷に相
当する大きさの裂の持出し分があるが︑この胴服には上
杉家伝来の謙信
所用と伝えられる八領の胴服同様に檎がない︒経はないが︑襟は裾まで
ついておらずに立棲(襟下)があり︑こういう形は上杉家伝来の八領の胴
服の中で二領だけ妊のない胴服があって
( ω
金銀
欄鍛
子等
縫介
刷版
︑
ω
白地五
重機
牡丹
唐草
文綾
︑襟
繍胴
服の
二領
︑
美術研究一二六号︑二四三号参照)
石川│家伝来 太 閤 拝 領 紙 衣 胴 服 静岡・宇 都 谷 石 川 俊 一 氏 蔵 挿 図16
。
その二領も襟は裾までっか
ずに立棲がある︒桃山期で
も時代が下る胴服や後世の
羽織には背割れや裾脇あけ
のあるものは稀であるが︑
この胴服には背割れがある
(上杉家伝来の八領の胴服に
は背
割れ
のあ
るも
の六
領︑
裾
脇あけのあるもの二領)︒胸
紐は三角裂を紐附部分に用
で︑時代的に上ると思われる胴服に多い形式である︒
い た 大 き く 派 手 な く け 紐
これらを総合した形態から︑これに近いと思われる形態の胴服は︑上
杉家伝来の胴服八領中の
ω
白地五重棒牡丹唐草文綾︑う つ の や
の5︑挿図日﹀と静岡市宇都谷の石川
家に太閤より拝領したとして伝え
襟繍胴服(一覧表
られる紙衣胴服(一覧表︑抑凶日)の二領で︑特に後者は吉川
家の胴服同
日に
秀吉
が小
田原
征伐
に向
った
際︑
様太閤より拝領したものといわれ(これは天正一八│一五九O│年三月十九
石川
家の
宇都谷峠で馬の草桂が切れた時︑
祖先が二足の草鞍を差し出して
かで
︑
その
言葉
に気
をよ
くし
た秀
吉が
︑
﹁一
足は
勝っ
てお
帰え
りの
折り
に﹂
と言
った
と
胴服を脱いで与えたのがこれであると
それ以後︑石川家には﹁お羽織屋﹂という名がついて︑
いわ
れる
︒
大名
がこ
こで
お羽
織拝
見に
立ち
寄り
︑
上り
下り
の
家運が栄えたということである)︑
吉川
家の胴服が天正一五年︑石川
家のが天正一八年と年
代もほぼ同じで︑胴