伝上杉謙信所用金銀欄緞子等縫合胴服について 上
―伝上杉謙信・上杉景勝所用服飾類調査報告一―
著者 神谷 榮子
雑誌名 美術研究
号 216
ページ 11‑32
発行年 1962‑01‑24
URL http://id.nii.ac.jp/1440/00006844/
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止
伝上杉謙信所用金銀禰鍛子等縫合胴服について
上
ー
l 伝上杉謙信・上杉景勝所用服飾類調査報告
神
ノシよ、
/口!
.ill..
万三
子
内
,..,.,. 管
1
対比対照の美しさ
はじめに
2
意匠全体としては極めて派手であるのに渋さがある この胴服調査の目的
3
色調は寒色の統一とみられるのに温かみがある 乙の胴服の概要
4
鋭く引きしまった隙のない美しき 四
﹁うぶ﹂に関する解明
七
む す
び1
染織品と﹁うぶ﹂の問題
2乙の胴服の﹁うぶ﹂に関する疑点
は じ め l 乙
3
乙の胴服の﹁うぶ﹂解明の調査 仕立て方︑裏打︑縁取等の精査による解明
昨秋(昭和三十五年十一月﹀重要文化財に指定された山形県米沢市の上
4
﹁うぶ﹂の解明後もなお残る二つの問題
杉神社所蔵︑伝上杉謙信・上杉景勝所用服飾類は︑総数約九十点中の七
註1十六点で︑発見当時の昭和三十年︑山辺知行氏によってミュ!ジアム五
五 寄せ裂仕立に関する考察
1寄せ裂仕立について
十 六
号 誌
上 に
︑
その全貌が紹介されたところでも知られるように︑多種
2
寄せ裂意匠の発展︑並びにこの胴服の意匠成立の背景
3乙の胴服における寄せ裂の特異性
類にわたる服飾品のすべてが︑室町・桃山期のものと認められ︑その上
ω 十六種類の裂の積類︑その品質
制十六種類の裂の用量
それらは作りが﹁うぶ﹂であり︑更に保存の良好な点は驚異的であると
4
当時の胴服は酒落着であった
いう︑極めて稀有な好条件を具備した︑染織史に携わるわれわれにとっ
この胴服の美しき
ては又となく有難い貴重な資料の一群である︒
11
伝上杉謙信所用金銀欄鍛子等縫合胴服について
上
美 術
第
‑ r "
H
十
ノ、
研 究
A'(A CH U丸山町方向がARCそれ
ぞ れ の 泌
になる
A
身凶
KM
官
A' トT
ト目立E3 w
1 1.8 司.l..- 1 1.7-l-1 1.7斗← 1 1.6 斗←1 1.5~i
.T. ~II 事
Hil 誕
A }t:: .T.....JI
,~ 11
号
このような
染織品の資料
としての好条
件に恵まれた
由来について
は︑前記山辺
氏の紹介文に
もあり︑それ
をここで再び
略述するなら
ば︑それらは
元来が上杉家
に伝来したも
ので︑それも
代々︑門外不
構成図解
A(実視
JI図
1)出の家宝とし
て秘蔵され伝
えられたとい
﹄F円ノ︒
この秘蔵
の家宝という
挿 図
1.ことが︑その
散逸を防ぎ︑
時の経過に
応は疑問を持ちたくなるまでの︑あまりにも締麗な保存状態を可能にし
た の
で ︑
われわれは今更ながらそういう伝来を感謝する立場にある︒さ て︑それが今次大戦後上杉家から一括神社に奉納され︑神社の所蔵にな
っ た
この調査に私が加えていただいたのは︑前記重文指定の際︑この大量 ︒ の服飾類の調書作成にあたり︑文化財事務局毛利登・東京国立博物館山 辺知行両氏の手伝を依頼されたのにはじまる
︒
指定後︑返却まで文化財 事務局預りの期間が比較的長期であったことから︑精査のおすすめをい ただいたので︑上杉神社並びに文化財事務局の御厚意に甘え︑山辺知行 氏の御指導を仰ぎながら︑その間約半年精査を進めた
︒ しかしその期間
をそれにかかりきりというわけにもいかず︑また何分大量であるため︑
全部に亘る精査が行える筈はなかった
︒
自然︑その順序は興味をひかれ
るもの︑問題を含むものからということになり︑ ここに幾っか報告の段
階に至ったものが出来たので︑順次発表させていただくことにした︒
この胴服調査の目的
上 杉
謙 信
( 占
抑 止
一
td紅白所用と伝えられるこの胴服を︑
他にさきがけ
て先ず調査したのには次の理由がある
︒
A
意匠が際立って立派であること
︒
B
この寄せ裂は︑普通一般の場合の寄せ裂とは異って︑大変に賛沢 な凝ったものであるように思われたこと
︒
C
その仕立て方の複雑さから︑この胴服は︑
よほど精細な調査を行
h
ノ
工 ︑
艮 り
︑
ι4JJしRド
Y J ﹁うぶ﹂だとは断定出来なかったこと︒
以 上
三 点
で ︑
A に関しては︑その美しさの分析を試みて︑種々角度を
変えて当 っ てはみたが︑結局は目的を達し得ず︑単に試みた調査を呈示
する程度に止った︒
B︑ c ︑に関しては︑後述する調査報告に従って考
察︑解明を行いたいと思う︒
この胴服の概要
註2
この胴服は︑現在神社にある﹁謙信公御召長持入記目録﹂には﹁織物
縫合せ裏白茶御陣羽織﹂となっている︒しかしその形が陣羽織というよ
註3
り胴服に近いため︑胴服として扱っている︒
図版
I︑ E で見られるように︑この胴服は︑多数の裂が接ぎ合わされ
て出来ている ︒
注意して見ると︑それは前後共 ︑ほぼ等分に分割された十筋の竪縞に
なっており(挿凶
l参 照
﹀ ︑
その縞の中が種々の切子形の裂の啄めこみに
なっている︒言いかえれば︑これは切子形にカットした裂を一定の幅を
以って繋ぎ︑その幅を縞一筋として袖幅に二筋︑後身幅に三筋︑前身幅
に二筋合わせ︑襟幅は一筋で仕立ててある(挿図
1参 照
﹀ ︒
即ちこれは日
本のきものの特徴である直線裁断を ︑効果的に利用した意匠構成で︑
{ 至
町ごろから江戸前期ごろまでに多い片身替りや袖替り︑段を︑そのよう
註4
な仕立て方による意匠構成の単純な形だとすると︑これはその複雑な形
だということができよう︒
そこには十六種類の金綱︑銀欄
︑ 紋
子 ︑
絹 子
︑ 倫子の名物裂級の裂
と︑その裂の境界線を縁取った︑黄︑刑制︑蔚黄の三種類の平絹と︑一長裂
に用いてある黄色平絹を加えた二十種類の裂が用いてある︒
伝上杉謙一円刷用金銀欄椴子等縫合胴服について
上
十六種類の表裂の中︑十三種類にはひきの強い紙の裏打がしてあり︑
縁裂の中には固い紙捻の芯が入っている︒
ち
に藍染と思われる紺色なめし革製の乳がついている(挿図
1参 照
﹀ ︒
紐 は
前身の襟つけの内側(裏側﹀
失われているが︑乳がついているところから判断すると︑この紐は打紐
註
5であったと考えられる︒
形は挿図
1に示す通りで︑この身幅が広く袖幅の狭い︑桁の短い形は
一見して室町・桃山期のものであることが見当づけられる︒さらに表
1によって︑同じく上杉に伝わる他の九領の胴服と比較してみると︑その
法量は︑大部分が他の九領の数字の枠内にあり︑わずかに身丈︑袖幅︑
袖幅と後身幅の比率が枠外に出ている︒この枠外に出ている分もそれぞ
れわずかで︑この程度では問題にすることが出来ないと思われる︒まし
てこの胴服が︑先に述べたような複雑な意匠構成であることを考えれ
ば︑身丈や袖幅が二センチ前後長いのは当然だといえるのではなかろう
カ
ここで本論に入るにあたり︑二において述べた の問題︑即ち作りが
C 瓦﹁うぶ﹂であるかどうかを先ず検討することが ︑他の問 題を扱う上の使
法 か
と 考
え ︑
CBA
と逆の順序でこれをすすめたいと思う︒
四
つ つ ぶ ﹂
に関する解明 1
染織品と﹁うぶ﹂の問題
染織品を広く服飾品として構成面も含めて扱う場合︑﹁うぶ﹂かどうか
ということは︑先ずはじめに検討されなければならない重要な問題で︑
13
美 術 研
第
百
十号
ノ、
究
│ 制 幅 l 袖日
│
ぉ o 1 1 : 1 . 5 弱 卜 .0 9 1 1 6 . 0 1 2 . 8 1 ナシ│据貯│ま許証 1 x 1 ム │
l ←
│
ぉ 0 11 : . 1 8 弱 1 5 6 51 川 卜 15 1 有 i 背割レ│綿入赤ゆるぎ打紐│ 3 6 . 5 I , " . / . . . . I 3 5
十(総) 3 . 5 I
(裏と共裂〉乳l
│叶 1 : 2 . 1 弱 │ 回 5 1 1 3 . 0 1 8 . 7 ド 背 │ 4 6 . F 3 i I
袷r~│紅…│三角裂 I 3 . 2
X5 4 . 5 I
C紐と共裂〕│
ト 0 11 : . 1 9 弱 卜 6 51 ω 卜 1 . 2 有 │ 背 3 8 F . 3 レ l I 綿入│赤四ツ打丸紐│
.'111 /....I 3 7 . 5
十(総) 4 . 5 I
c裏と共裂〉乳 i
│
ぉ 5 1 1: 2 . 0 強 1 5 7 . 5 1 1 5 . 0 ト 1 . 0 1 ナ シ lT5 レ i … ) 1 紅税問│ナシ│
ド 0 11 : . 1 7 強 │ 曲 o 1 1 8 . 0 1 9 . 0 ト ド 判 綿 入 │ 四 段 伊 │ ナ シ │
│ベ 1 : . 1 9 I I I 1 5 6 . 2 1 1 3 . 5 卜 1 . 5 1 有│砂ケ 2 6 . 5 j I 綿入│非四ツ打丸紐
~"/ . . . . I 2 2 . 5
十(総) 4 . 5 l I
c裂と共裂)手 L │J
I同型
C吋ト 7 . 5 1 1: 2 . 2 強 1 5 4 . 5 1 1 5 . 0 卜 3 21 有│明レ l … ) 1 ナ ν│ ナシ 142 型
3 4 . 5 1 : . 1 7 強 5 4 . 5 1 2 . 0 1 1 . 5 有 lTJ│ 綿入 ナ シ ナ シ 小袖型
C*)て背割レや裾脇アケがあり丈が短いので袴下に着用した小袖かとも思われる。
(8)の よ う に 紐 の あ る も の は
のように紐がないものは小袖式に帯でくくって締め,袴をはいたことが考えられる
b四
その確認があってはじめて研究に入っていくことができる︒それは︑他 の美術品において本物か偽物かが先ず問題になるのと同様に︑染織の研
究においては︑この﹁うぶ﹂
の程度を判定することが︑最低にして最も
必要な条件になっている︒
﹁うぶ﹂というのは﹁出来た当初の形のまま﹂ということで︑﹁生﹂
字を当てる︒
﹁ う
ぶ ﹂
の程度というのは︑それが出来た当初の形そのま まであるかどうか︑どのくらい補修が入っているか︑仕立てかえはどう
か等のことである︒
では︑何故このような問題を最も重要視するかというと︑それは染織 ロ聞には幸なことに︑偽物がほとんどないから︑他の美術品の場合のよう な偽物︑本物の判定はほとんど必要ない
︒
ところがその代り︑驚くほど
原形を残しているものがないのである︒ いいかえれば︑
偽物の心配がほ とんどないかわり︑原形として信頼できるものも滅多にないのである︒
即ち︑美術資料としての価値を全面的におくことのできる染織の遺品資 料というのは滅多にないのであって︑そういうことから︑染織の方では
このアフぶ﹂
の問題を︑他の美術の場合の本物︑偽物の問題に匹敵する
までに重要視するのである︒
では︑どうして染織品には﹁うぶ﹂なものが少いかというと︑それは︑
染織品の大部分が衣服であるという︑生活必需品としての消耗品である
内UFO
わが国の場合特にそれが仕立てかえのきく直線裁断であるとい
こ シ
﹂ と
︑
うことから︑
﹁消耗されつくす﹂という宿命的なものを持
っ ている ︒ た
またまそれが残ったとしても︑
ほとんどのものは時代を経る聞に幾度か は修理され仕立てかえられている
︒
それが今日博物館あたりで行う︑元
の
伝上杉謙信所用胴服形状比較表
一一~I 身丈 r-;;: I . b 由 形 │ 袖 幅
(1)
金 銀 欄 鍛 子 等 縫 合 胴 服
1125. 0 15
1 .
0Ic~ 抽 1 24 . 0
C~
.黄色平絹〉
125.0I
51 .
0c I
袖口22.0))
胴服(裏 易自色平絹〉
) 白 地 真 向 傑 唐 織 胴
1123.0 150. 0 1広 柚
120.5R~
c 裏・紅平絹〉
問 箔 │ 山 卜 1 .
51広 制
119.0拙
i絵胴
Hf I c 裏・紅平絹)
ト
22.0ド
801広 抽 卜
9.5l5)
白地桐文綾,襟繍胴
HU〈哀・紅平絹)
唐 文 綾 卜 叶 叶 広 袖
119.0襟繍胴fJ~
c 裏・紫平絹)
110
1 .
5卜
8.51広 い 。 襟唐織胴)jfI c 哀・紅平絹〉
紋 出 綾 茶 漉 某 卜
21 .
2卜
8 4 4柚
11)9.0片身替胴服(哀・溺黄平絹) I I C
袖口22.5紅 平 絹 胴 服 ト
m卜
80│〈 J L A ト
7.0(9)
(哀・溺色平絹)
等 卜
19.31460Ic~ 柚 1 20 . 0
(10)
描絵胴Jl~ (裳・茶色平絹ー桁損
)1~~_.-
1.~.- I c
袖口19.0)表
1の状態の記録をとり︑かつ科学的処置を考慮した上での修理や仕立てか
えではないから︑遺品資料としてそれを扱うわれわれにとっては︑ぼろ
のまま保存しておいてくれた方がよい︑全く有難くない手入である︒
C*)
こ の 種 の 小 袖 型 の 胴 服 は , 普 通 の 小 袖 と わ が っ 他の胴服同様羽織式に用いたかと思われるが,
(9) (10)の丈をつめであったり︑という程度のものは ︑ ﹁うぶ﹂な資料とみてよ
こうした中にあって︑痛んだ裏裂が取りかえられたり︑すり切れた裾
いぐらいに貴重である︒
まして︑全然手が加っていない﹁うぶ﹂なものというのは︑
こう
述べ
てきただけでも推測はつかれようが︑非常に少い︒それは正倉院の染織
註 7
品││ただし明治以前ーーのように︑特殊な保存条件にあったものと
カ
hよほど大切に扱われてきたもの︑例えば拝領品であるため家宝にし
て伝えたとか︑この上杉の遺品の一群のように︑先祖の大事な形見とい
伝 上 杉 謙 信 所 用 金 銀 欄 鍛 子 等 縫 合 胴 服 に つ い て
上
うことで家宝として秘蔵するといったような︑
﹁虫干以外は手を触れてもならぬ﹂ぐらいに取扱われたものしか残っていないのである︒
2
この胴服の﹁うぶ﹂に関する疑点
とこ
ろで
︑
この﹁うぶ﹂なことでも一驚された上杉の遺品群のなかで︑
何故にこの胴服だけが﹁うぶ﹂でないかも知れないという疑をかけられ
た の
か ︒
それには次の理由がある︒
A
三において述べたように︑表裂の中︑裏打しである裂としてない裂
があること︒
付)
裏打というのは︑元来補強の意味で行われる場合が多いから ︑
、F
、
』ー
の場合も弱ったり痛んだりした裂に︑後で裏打が行われたのではな
かろうか︑即ち裏打自体︑が後のものではなかろうか︒
︑
1︐ノ門H' ' ' E
︑ ︑
裏打しである裂と裏打してない裂との間に ︑ ﹁うぶ﹂と補修のち
がいがあるのではなかろうか︒
B
同じく三において述べたように︑表裂には縁取りがしであること︒
付)
この縁取りは︑縫いなおしの際︑裂の寸法がつまるところから︑
縁取りをすることによって︑その縁裂で表裂のつまる分を補足して
いるのではなかろうか︒
( 吋
この縁裂に︑比較的似通った色と地質の三種類の裂が用いてある
のは︑その問に﹁うぶ﹂と後補との何らかの関連があるのではなか
ろう
か︒
しかしこの胴服の場合この仕立が極めて複雑であるため︑この問題は
容易には解決できず︑疑問を残したまま今日に至ったのであった︒
一 五
美
術
百 十
号
研 究
第
こ こ
で 一
つ ︑
A
の糾に関する問題で非常に不審に思われた点を加えて
お き
た い
︒
A
に関して︑これが﹁うぶ﹂であると仮定すると︑必然的にその裏打
は始めからあったことになる︒最初からあった裏打ということになる
と︑この胴服と同時代の室町・桃山の刺繍が引き合いに思い浮かぶ︒
室町・桃山ごろの刺繍の裏打は︑その時代の刺繍が柔い平絹に︑相当
な密度で︑それも大きく糸を渡す技法であったから︑
予め紙で裏打し
て︑その柔い裂に張りを持たせ︑刺繍しやすく且つ刺繍の部分にひきつ
りが生じないよう︑いわば出来上りを締麗にするために行われた︒従っ
てこの場合の裏打は︑補強の意味││薄い裂に相当な密度で糸が刺され
ることは︑糸の刺されたところにかかる力が他の部分にくらべきついか
ら︑カの不均衡となって裂が痛むこともあろう︒その意味の多少の補強
もあるかと思われるがーーよりは︑美しい仕上げにするために行われた
裏打であった︒
すると︑この胴服の場合もその裏打は︑補強の意味というよりは︑仕
立ての上で考えられた方便とも見れるのではなかろうか︒ 考えてみる
と︑この切りこまざいた多数の裂を︑それも十六種類もの異質の裂で︑
更に布目がのびてしまう斜めの接ぎ合わせを至るところで行って継ぎ接
ぎしながら︑胴服の形に整えあげるという技術は容易なことではない︒
それも江戸後期の裁縫技術が極度に進んだ時代ならともかく︑この時代
にこれだけ難しい接ぎ合わせは︑裏打なしでは行えなかったであろう︒
しかし︑そのような仕立上の方便としての裏打であるなら︑全部の裂
に裏打をして然るべきではなかろうか︒そこに︑強いて裏打する裂と裏
一 六
打しない裂との差をつけるのであれば︑当然考えられることは︑張りの
ある裂には裏打をせず︑柔い裂には裏打をする︑ということになるので
はなかろうか︒そうすると︑この場合比較的厚みを持った張りのある裂
というのは︑金欄・銀禰であり︑柔い裂はというと紋子︑緒子︑総子と
なる︒然るに裏打のしてある裂に金欄・銀禰の類が相当あり︑裏打のな
い三種類の裂の中︑ 一種類紋子がある︿挿図
9参 照
﹀ ︒
これは一体どうい
うことであろうか︒やはりここに後補の問題があるのではなかろうか︒
3
この胴服の﹁うぶ﹂解明の調査
そこで︑これらの問題を解く方法として︑その仕立て方の精査を行う
ことにした︒というのは︑この複雑な意匠の複雑な構成は︑ 一にその仕
立によって成立しているので︑それを細かに解明していけば︑後補の問
題があればその解明は途中障害物に突きあたり︑ ﹁うぶ﹂であれば順調
に進んで︑裏打の問題も縁裂の問題も解決すると考えたからである︒
仕立て方を知る方法の一つに︑ それを解いていく仕方がある︒
は︑縫い合わせの順序や縫い方その他の構成法を︑仕立てるときとは全
然逆に行うことで︑その構成全般を恰も解剖して理解するように認知す
るのであるから︑教えを請うことができないもの︑ いいかえればその実
物に依るよりほか知る方法のない場合には︑ 理想的な方法だといえよ
う︒従って︑染織品の解体修理は︑その意味では最も好都合な機会で︑
そのため詳細な記録がとられる︒ しかし解体修理は︑染織では前述のよ
うな﹁うぶ﹂の問題があるから︑よほど痛んだものとかの特別な場合で
あって︑大半は外観でそれを察知しなければならない︒
こ れ
20 t記長級.
18袖 口 玉i*
17袖下縫い合わせ
‑ ‑ ‑ ‑
24脇縫い合わせ
挿図
2.構 成 図 解
B連結線と番号は縫い合わせ方とその順序,即ち仕立て方順序を示す
(11.‑..28)。乙の順は挿図
3の
1‑10から続くものである。
※
の状態から縫い合わせの順序を判断する︒ では︑その場合はどのような方法をとるかというと︑先ずその縫い目
これが出来ると︑実際には解
体しなくともこれを解くことを仮想して調査をすすめることができる︒
伝上杉謙信所用金銀欄鍛子等縫合胴服について
上
縫い方の技法は縫い上りの状態を︑その他の構成法は︑出来上りの状態 をよく観察することで︑解いて知るほどには完全にいかないが︑相当程 度知ることができる︒ また遺品資料には︑すり切れたり破れたりして内
側の見えるものが多いから︑そういう個所から内側の調査が可能なこと
も屡々で︑そういう場合は解いたと同様な結果が得られる︒そういうこ
とで︑外観からの調査でも︑慎重に丁寧に行えば︑或程度の正確性は期
せられる ︒
以下︑外観からの調査ではあるが︑ この胴服の仕立て方を考察し︑
、}
ー
れにかか っている﹁うぶ﹂に関 する疑問を検討していこう︒
で は
最 初
に ︑
この胴服を解いていくと仮定しよう︒それにあたり︑そ
の経過を明瞭にさせるため︑便宜上︑竪縞一筋を一条として︑第一条か
ら第十九条までの仮称を設定した(挿図
1﹀ ︒
な お
︑説明の繁雑を避ける
ため︑表裂の経過を主に︑裏の経過を従に‑記述する︒胴服は現代の羽織
のもとの形であるから︑解く順序は︑羽織と同様であってよい筈で︑
応︑羽織を解くつもりで当りをつけながら︑その縫い目の状態に素直に
従って解き始めることを仮想すると
( こ
の 順
序 は
︑ 仕
立 て
の 順
序 と
は 完
全
に 逆
を た
ど る
こ と
に な
る ﹀
︑
先ず︑襟がはずれる(挿図
2の お
﹀
襟附のところの裏側を見ると︑そこは裏襟が白の絹糸でとじつけてある(針目は約
一センチ︑襟の両端になる先の方は約 0 ・五センチ)
︒袖附の裏はとぢつけではない
ので︑この襟附がこの胴服の場合は最後に行われたことになる︒従って先ずこの襟附
のとぢつけをとり︑襟附を解いて襟をはずすことが考えられる︒この胴服の縫い合わ
せ目は︑裏裂同志の縫い合わせ以外︑即ち表裂と表裂 ︑或 は表裂と裏裂の縫い合わせ
には必ず玉縁取りがしである︒この玉縁取りは玉縁が縫い目に挟み込んであって︑縫
い合わせの際同時に縫いつけられている(後述の﹁
B縁取について'一の﹁付玉縁と
接ぎ目﹂の項参照﹀ので︑そういう縫い合わせを解くことは︑玉縁をはずすことであ
17
七
美
術 研
第
百 十 ノ
、
号
究
る︒乳は現代の羽織の乳と同様︑この襟附に挟み込んで同時に縫いつけてある︒この
乳は二つに折 っ た長さが三センチ︑襟附に挟まれている縫代は約一センチとみられ
幅
は 一
・ 二 センチ︑紺色の鹿革のなめし革が
三 つ に
畳んであって︑上側が輪︑下側向
きの外側に切り放しのまま出ているその端は糊様のもので貼りつけてある︒襟附に挟
ま れ て い る
縫 代 の 部 分は︑三つに畳んだ際の内側の分を切り取 っ てあるらしく二重に な っ て い て
︑ そ
の 部分は染
っ て お ら ず白いまま︑その部分と染 っ た部分との境い目は
藍がよく発色しておらず緑色になっている︒なお︑この玉縁を挟んだ縫目に用いてあ
る 糸 は
︑ ど
の
個処も萌黄の絹糸であ
る ︒ 襟 の 周 囲 の 玉 縁 を は ず す ( 同
27¥.J
襟の周囲の玉縁は︑表襟と裏襟とに挟まれて縫いつけられているから︑これをはず
すことは表 襟と裏襟
と を 解 き 放 す }
﹂ と で あ る ︒ 両 袖 が は ず さ れ る ( 同
この袖附は玉縁を挟んで 凹 つ 縫
が し て あ る ︒ 従 っ てこの縫目を解くことは︑表の袖
附︑裏の袖附︑玉縁を同時にはずすことになる︒
両 脇 の 縫 い 合 わ せ を 解 い て 開 く ( 同
お︑処﹀
こ の 脇
縫 も玉縁を挟んで四つ 縫 が し て あ る の で ︑ こ の 縫 目 を 解くことは表 の 脇︑裏
の 脇
︑ 玉 縁 を
同 時
にはずすことになる ︒
表 と 裏 の 背 縫 い の と じ 合 わ せ が は ず さ れ る
︒
背 縫 い の と じ 合 わ せ は 裾 か ら 約 一
0・
五 セ ン チ
上 ま で と じ
て あ る ︒ 前 後 の 裾 脇 あ け か ら 裾 に ま わ っ て い る 玉 縁 を は ず す
( 同 ハ
U︑1ム
︑ っ ム ノ
ヮ つ ん つ ム
¥ こ の 玉 縁 は
︑ 表裂と裏裂に挟みこまれて 同時に縫われてい
る か ら
︑ こ
の 玉
縁をはず
す こ と は
︑ そ
の部分の表と裏の裂を 解きはなすことにな
る ︒ 背 縫 い を 解 い て
︑ 右 の 身 頃 と 左 の 身 頃 を は な す ( 同
19
¥.J
裏 も 同 様 ︒ 裏 の 背 縫 い は 白 の 絹 糸 で ︑
0・ 五センチから
0・ 七 セ
ン チ ( 裾 か ら 約 七
セ ン
チ 聞
は
0・ 二 セ ン チ か ら
0・ 三センチのこまかい針目﹀の針目で縫ってある︒
両 袖 の 袖 口 の 玉 縁 を は ず し
︑ 次 い で 袖 下 の 縫 目 を 解 い て 開 く ( 同
l ¥
phd
︑ 只
U
︑
7s
ノ
噌i司1
1 i
﹂
袖口の玉縁 をはずすことは
︑ 襟
の 周
囲
や 裾
の 玉 縁 を は ず す 時と同様︑その部分の表
と裏を解きはなすことになる︒袖下は袖附や脇縫と同様︑玉縁を挟んだ四つ縫になっ
て い
る の で
︑ こ
の 縫
目
を 解
く と 同時に︑表 と 裏 の 袖下がはがされ︑玉縁がはずされる
ととになる︒なお︑袖口幅より三 ・ 五センチ上ったところ(挿図 1 参照﹀にZ撚の赤
絹糸のとぢ がある︒これは
右 は
二 本
ど り
一 重まわしで結び切り︑左は 一
本 ど
り 二 重 ま
わしで結び切り︑結び目から先の糸の長さは
0・
五 か
ら ・
0六 セ
ン チ
に な
っ て
い る
︒ と
︑ 現 代 の 羽 織 を 解 く 順 序 と 全 く 同 様 に
︑ 何 の 障 害 も な く す ら す ら 解 け て
ハ少くともここから後
│ i 仕立て方順序の日
t m
ーーには手が入っていない
ことになる﹀︑挿図
2に 示 す よ う な 五 枚 の 裂 に 分 解 さ れ る
︒ 現 代 の 羽 織 や 着 物 の よ う に 解 け て
︑ そ の 結 果 が こ の 五 枚 の 裂 に な る と い う こ と は
︑ 完 全 な
︑ 直 線 裁 断 の 特 徴 を 持
っ た
日 本 の 衣 服 だ と い う こ と で あ る
︒
小 袖 系
︑ 即 ち 現 代 の 着 物 に 繋 る 系 統 の も の は
︑ こ の 五 枚 の 裂 に 在 二 枚 が 加 っ た 七 枚 で あ り
︑ 胴 服 系
︑ 即 ち 現 代 の 羽 織 に 繋 る 系 統 の も
の
は
︑ 五 枚 か 或 は そ れ に 稽 二 枚
︑ が
加
った七
枚 か で あ る
︒
従 っ て ︑ こ れ は 仕 立 て の 形 式 上 か ら 明 ら か に 日 本 の 胴 服 だ と い え る
︒ さ て 日 本 の 衣 服 は
︑ 普 通 こ れ 以 上 細 く 解 い て い く こ と は で き な い
︒ と
こ ろ が こ の 胴 服 は 特 別 で
︑ な お 次
々
と 解 い て い く こ と が で き る
︒
何 故 な
ら ︑
挿 図
23︑
を 見 て も わ か る よ う に
︑
普 通 の 衣 服 の 場 合 は
︑ 組 合 わ せ の 単 体 で あ る べ き そ れ ぞ れ が
︑ 更 に 幾 つ も の 小 片 か ら 構 成 さ れ て い る か
らである︒
で は
︑ 次 に 障 害 な く 解 け る の は 何 処 で あ ろ う か
︒
こ の
︑ 竪 長 の 五 片 の 裂 を 見 渡 し た と き
︑ わ れ わ れ は
︑ 日 本 の 衣 服 の 縫
16い 方 が
︑
前
述
し
た
よ
う
な
直
線
裁
断
に
よ
る
竪
長
の
裂
を
組
み
合
わ
せ
る
必
然
性
民 ど 子
C
解 図 成 構 挿図
3.連 結 線 と 番 号 は 縫 い 合 わ せ 方 と そ の 順 序 , 即 ち 仕 立 て 方 順 序 を 示 す ( 1
‑10)。
※
この仕立方
1)闘はこの後挿図
2の
11に続く。
各 条 縫 合 せ 線 脇 の 上 方 に 記 入 し た 上 " は 縫 合 わ せ 後 の 被 せ が 上 に な っ て い る仰
lを示した。
※
る筋を解きながら剥いでいくことを先ず考える︒ で︑布目に添った竪の縫目が基準になっていることから︑自然︑竪に通
伝 上 杉 謙 信 所 用 金 銀 欄 鍛 子 等 縫 合 胴 服 に つ い て
ところがそれは︑肩山や袖山に︑添った別の縫目に遮られる︒
J:
こ れ
は ︑
その縫目が解こうとした竪の縫目より後に縫われたことを物語るので︑
従ってこの段階で始めて解ける個所は︑この
一屑山︑袖山の縫目(挿図
2の 口
︑ ロ
︑ 口
︑ 凶
﹀
だということがわかった︒
ところで︑この一肩山︑袖山の縫目には注目しなければならない
︒何故
なら︑直線裁断による日本の衣服の特徴の一つに︑ ﹁肩山︑袖山に縫目
がない﹂ことが大きく挙げられるからである︒
では︑何故これには縫目があるのだろうか この胴服の竪縞は︑挿図
1をみてもわかるように︑襟を除いてはほぼ 同じ幅だということができよう︒室町・桃山期における小袖や胴服の形
態が心憎いまでに利用され︑見事にこなされていることを︑ われわれは
この意匠に発見するのだが︑その縞の幅をこまかく観察したとき︑この 一屑山にある縫目の謎が解ける︒挿図
1︑ 2 を照合してこれを解こう︒
後身頃の縞幅は︑後身幅を三分したものであり︑前身頃の縞幅は前身 幅を二分したものであることは既に述べたところである︒ こ の こ と が ︑
一屑に縫目を生じさせた原因であるというのは飛躍かも知れないが︑それ
には次のことが考えられるからである︒
即ち︑後身幅の三分の
(ω 印の 日×
︿
ω存ぎ己・斗
nB
﹀と前身幅の二分の
(N吋
nB
×己認さ 5
・ 印
B
︒
)
の数字に幅のあることである︒平均して一
‑八センチの差があることが︑その縞に前身頃から後身頃に続かせる可 能性を失わさせた︒本来ならば前から後へ続く筈の縞が︑この胴服のこ ういう縞の構成のために肩山で食違いをおこし︑そこに必然的に縫目を つくらねばならない結果を来して︑この日本の衣服の型破りが生まれた
19 九
美 術
第
‑‑r'
仁l
十
'
"
‑ヴ ノ、
n w 究
のである ︒
袖山の場合は︑身頃のような食違いはないわけで︑従って縫目の生じ
る必然性はない ︒ これはあくまでも肩山の延長線として︑仕立ての上か
ら︑意匠の上から︑均衡を保たせる意味でつくられた縫目であろうと考
えられる ︒
この肩や袖の山が解けて五片の裂は九片になった︒更にそれが竪に分
割されて
十九片(挿図
3︑ 解
い た
個 所
は
ltM ﹀
になり︑さきに仮称した(挿図
1﹀第一条より第十九条までの解体となっ
たのである ︒
扇 面 散 し 鉄 線 唐 草 模 様 片 身 替 縫 箔 桃山時代 東 京 国 立 博 物 館 蔵 挿 図
4.二
Oさきに三において︑この胴服が︑日本の衣服の特徴である直線裁断を
や袖替り︑段と同類であることを述べた︒ 効果的に利用した意匠構成であるといい︑その点から同時代の片身替り
この段階に至ってその説明を行うと︑それは挿図
4j8
に見られる片
を見出すことで明らかであろう︒即ち︑ 身替りや袖替り︑段の意匠構成と︑この胴服のそれに共通した次の諸点
( 1 )
五枚なり七枚なりの︑日本の衣服の裁断時における単体に︑その
意匠構成の基準がおかれていること︒
向日本の直線裁断というものに︑実に合理的で効果的な意匠上の切
断区画がなされていること︒
紺 ・ 緋 羅 紗 袖 替 り 陣 羽 織 米 沢 市 上 杉 神 社 蔵
( 3 )
大小の差は
あれ︑区画さ
れた部分には
色や模様︑地
質等の対比対
照の美しさの
意図がうかが
伝 上 杉 謙 信 所 用
わ れ
る こ
と ︒
( 4 )
単純︑複雑
の 差
は あ
れ ︑
挿 図
5.何れも直線に
よって構成さ
れた意匠であ
四 季 草 花 挟 様 段 縫 箔
桃 山 時 代 東 京 国 立 博 物 館 蔵 挿図
6.る こ
シ ﹂
︒
こうしてこの胴服は︑ その意匠が室町 ・桃山期の特例のように見えな
がら︑実は何のことはない︑同時代の片身替りや袖替り︑段と同類であ
っ た
の で
あ る
︒
さて︑次の分解は十九条のそれぞれに及ぶ︒ しかしここまでくれば︑
この胴服の構成要素は明らかになり︑これ以上の分解想定による調査は
不必要である ︒そこで今 度は各条の縫目を観察しながら︑継ぎ合わして
いくことを考えよう ︒
構成する立場に立
っ て
調査をすすめるにあたり︑ はじめに︑この胴服
の︑仕立ての上に終始つきまとう二つの事項︑即ち裏打と縁取(玉縁﹀に
伝 上 杉 謙 信 所 用 金 銀 欄 鍛 子 等 縫 合 胴 服 に つ い て
上
ついて触れなければならない︒この裏打と縁取は︑この胴服の仕立てが
他の胴服の仕立てと異る点であり︑また前に述べたように﹁うぶ﹂の問
題で嫌疑のかかっている点でもある︒従って︑ それらの構成の状態を調
ベ ︑それを仕立て方に従って調査し考察していけば︑ ﹁うぶ﹂の問題は
自ら解決するのではなかろうか︒
A
裏打について ω 裏打のしてない裂と︑裏打のしてある裂ーーその分布については挿図
9参 照
裏打のしてない裂 ︒
註
8白地青海波に雲文鍛子(裂の種類別番号は
1﹀茶地石畳に藤巴文様金欄(同
¥.J 6
白地石畳に藤巴文様金欄(同
12
¥、ノ
ー ー
ー 以
上 三
種 類
中
6とロは同文││
裏打のしてある裂
黒無地縮子(裂の種類別番号は
2)
薄練色笹蔓花文様紋子(笹蔓手﹀(同
3
¥、ノ
緑色小牡丹唐草文様鍛子(同
¥.J 4
白地紗綾形に蘭文様倫子(同
5
¥.J
花色雷文菱棒竜に花形文様竪縞金欄ハ同
黄地紗綾形に竜文様鍛子(同
8
¥.J
濃蔚黄地記入棒に竜文様段子(桑山紋子﹀(同
¥ノ9
薄青緑色雷文に花の段文様銀欄(同
10
¥.J
黒雲文紋子(同
21 11
¥ノ
美
4
桁
十 ノ
、 l
V f
第
~ー・同 究
~ ~-- 総~-
~~-~総ぶ齢、、総ぶミミ
図 際 約 一 平
青緑色花鳥文様竪縞銀禰(同
13
¥、ノ
鵜色雲文鍛子(同
14
¥.J
薄樋脚色紗綾形文様鍛子(同
15
¥ーJ
蔚黄地笹蔓花文様紋子(笹蔓手)(同
16
¥、ノ
l l
i 以上十三種類中 3
と凶は同文││
先ず︑黒無地縮子の剥落した裏打紙の露出部分からその接ぎ目の観
例裏打紙
干u 王
感 :
関 関 悶 │
N 州 側 I I 州 剛 N
他の十二種類の裂に用いてある裏打も︑これと同様の
紙らしく思われる ︒ それは表裂︑裏裂を通しての触感
と︑衣桁にかけて透し見た感じからの判断である︒
付裏打紙のっけ方
黒無地縮子の部分を見ると︑裂の繋りがなくなって
いるにもかかわらず︑剥落しない部分がかなりある
(挿図叩参照﹀︒これは︑糊によって貼りつけられている
からで裂の落ちてしまった裏打紙の露出部に︑薄くひ
かれた糊のあとが見られる︒他の十二種類の裂も︑何
れもこれと同様裏打紙に貼りついている︒
では︑この裏打紙は︑表裂が接ぎ合わされる前即ち
各小片の裂の時に貼りつけられたものか︑それとも接
ぎ合わされた後貼りつけられたものか︒それを知るた
目で表裂と一緒に縫われているかどうかに当るので︑表裂と一緒に縫 めに︑各々の接︑ぎ目を調べる︒それは︑裏打紙が接︑ぎ
い合わされているのであれば︑接ぐ前に貼りつけられたことになり︑
そうでない場合は接いだ後裏打したことになる︒
察を行い︑次いで︑表裂を通しての縫い目の触感︑及び裏裂を透かす
黒無地縮子(裂の種類別番号は
2 )
の痛みがひどく︑その裂の個所は ようにして当る裏側からの接ぎ目の観察で︑裏打のある裂はすべて接
ぎ合わされる前の小片の時に裏打がなされていたことを知る︒接︑ぎ目
を確認︒それは比較的厚みのある︑ 裏打の露出部が多い(挿図叩参照)︒そこから見て裏打が紙であること
ひきの強い紙のように思われた︒ の状態は挿図日@⑥に示すようになる︒
コ長打自体が後のものではないか﹂という﹁う ここでわれわれは︑
の胴服の構成面からいって分子ともいうべき小片に︑ ぶ﹂の疑の
A
糾の問題が今解かれたのを知る︒裏打はどの裂にも︑
分子として単独 にあったときから貼りつけられていたのである︒
B 縁取について
伝 上 杉 謙 信 所 用 金 銀 欄 鍛 子 等 縫 合 胴 服 に つ い て
挿図
9.裏打のない個所の分布図(斜線部分〉
0
の中の数字は裂の種類別番号 ( ① 一 跡 向 と 屯 雲
① 茶地石畳に藤巴文様金欄
⑫ 白地石畳に藤巴文様金欄〈①と同文〉
以上註
8,挿図
12参 照 上
、
ヲ陣ー
ω 縁裂(縁取に用いてある裂﹀の種類︒ーーその分布についはて挿図ロ参照︒
黄色平絹ハ縁裂種類別記号は
a﹀
ね り ぬ き
練緯︒緯糸は一センチ聞に三十二本前後︑撚はゆるく︑S 註
9
撚 か
Z
撚 か 不
一センチ間の経糸本数を調ベるこ
註 叩
とはできなかった︒この経糸は生糸であるから撚はなく︑それが二本ずつ寄 明︒
経糸は︑この縁裂が竪裂使用のためっ て
い て
︑製織の際︑筏羽に二本ずつ入っていたことが明瞭 である︒黄色の
あとぞめ
染色
は後
染︒
この平絹は︑この胴服の裏裂に用いてある黄色平絹に似ているので︑異同
を明瞭にさすため哀裂を調べる︒
(裏裂の黄色平絹)
この黄色は縁裂の黄色より茶色がかっている︒同じく練緯︒緯糸は一セン
チ聞に四十六本前後︑撚はゆるくわかりにくいが
S
撚らしい︒経糸は一センチ聞に四十四本前後︑縁裂と同様︑生糸だから撚がない ︒これも二本ず
つ 寄
っ て
お り
︑製織時︑筏羽に二本ずつ入っていた状態が明瞭である︒染色は後
これでわかるように︑裏裂の黄色平絹は︑縁裂の黄色平絹に非常に似ては 染
いるが︑色と織目の密度から︑別のものであることが明らかになった︒
鶴色平絹ハ縁裂種類別記号は
b﹀
練緯︒緯糸は一センチ聞に三十二本前後︑撚はゆるく︑S撚 か
Z
撚 か 不 明︒経糸は黄色平絹と同様竪裂使用のため︑
一センチ間の経糸本数を調べることは不可能︒経糸は生糸︑従って撚はない︒二本ずつ寄っている状態は黄
色平絹と同様
︒後
染 ︒ 蔚黄平絹(縁裂種類別記号は
C
﹀ 練緯︒緯糸は一センチ聞に三十二本前後︑撚はゆるいが︑S撚のよ うに見
美 術
十
号
ノ、
研 究
第
百
え る
個 所
が あ
る
︒ 経
糸 本
数
は 他
の 二
種 と
同 様
に 不
明 ︒
生糸が二本ずつ寄っている
状態は他の二種類の経糸と
同 じ
︒ 後 染 ︒
これら三種類の縁裂を比
較すると︑何れも練緯で︑
緯糸の密度は三種同じ︑そ
の太さも三種同様に思われ
た︒撚は何れもゆるく︑
S撚か
Z撚か判別しにくい ︒
経糸はその密度を数値によ っ て調べることはできなかったが︑その生糸
の 太
さ ︑
二 本
ずつが寄っている間隔は三種とも同じとみられる ︒ 染色は
何れも後染である︒
以上のことから︑この三種類の縁裂は同質の異色とみて差支えないの
ではなかろうか ︒ そうなると︑これは同一或は同種の白の練緯を︑三種
類に色を違えて後染したことになり︑三種間の染色時における前後は不
明ながら︑少くとも製織時における時期は同一ということになって︑ そ
の間にあった﹁うぶ﹂と﹁後補﹂の疑(﹁う ぶ
﹂ の
疑 の
BMW)
は或程度うす
らいだことになる︒
また︑この縁裂や︑先に比較に出したこの胴服の裏裂は︑上杉の他の
服飾品に見られる多くの平絹︑更に同時代の岐阜県関市の春日神社の能
装束に見られる平絹の類に酷似しており︑室町・桃山期の練緯の棋が
二 四
よく出ている点︑
それらが時代的に下る後補であることは考えられな
し 、
。
子
H W
玉縁の出来方
嬬
この玉縁には固い芯が入っている︒それが紙捻であることは︑縁裂の
地 破れの個所から露出している芯を見て確認した︒直径 0 ・三センチほど
無
の太さの紙捻で︑太細がないよく出来た紙捻である︒縁裂三種類の間に
黒 挿 図
10.も︑その紙捻の芯の太さ︑固さの差異は認められない︒ また︑芯はどの
部分も縁裂に密着しているので︑表裂と裏打の場合と同様︑芯と縁裂は
糊づけされていると思われる︒縁裂の用布の用い方は前にも触れたが︑
三種類とも竪裂が使つである ︒この 竪裂が用いてあることは︑相当な長
さを可能にすることであり︑また︑ 玉縁のどの個所にも継ぎ目が認めら
れないところから︑これは恐らく︑長い紙捻を相当量作り︑それに挿図
日@のように縁裂を糊づけして︑表裂接ぎ合わせに準備されたものと考
え ら
れ る
︒
付玉縁と接ぎ目
そうして用意された玉縁裂は挿図日の@で見られるように︑表裂に挟
まれて
( 襟
の 周
囲 ︑
袖 口
︑ 裾
脇 あ
け か
ら 裾
に か
け て
は 表
裂 と
裏 裂
に 挟
ま れ
る ﹀
︑
接ぎ合わす二枚の裂と共に︑固く縫いつけられている︒縫い目は見るこ
とが不可能なので︑ 玉縁を挟んだ両側の表裂を︑聞くようにして針目を
調 べ
る と
︑
0 ・二センチから 0 ・三センチの蔚黄の絹糸の揃った調子が
どの部分にも見られた︒この幾重にも重った︑裏打紙の糊づけの裂まで
二枚あるかなり部厚い縫目が︑どこも同じ調子で︑ よく引き締っている
ところをみると︑解いて見たわけではないから断定はできないが︑返し
こ う
し た
︑
針︑それも技術のよい職人の丁寧な仕事であるように思われる︒
しっかり締った接ぎの縫いが終ると︑挿図日@のように︑
上側に裏返しになっている表裂が矢印の方向に移されて︑挿図日⑥のよ
@ 軽 装 表
予 ' ¥ J s i j
芸
i 裏 打 縫 打 い 紙紙 糸
表 裂
一 一
ム一 一 一 寸
縫 い 糸
口開
裂
/
¥1/品州今川
⑤ t j
糊
@で 密 着
き ーせ てあ 紙 る 捻 の
J' 仏
、 挿図
11.接 ぎ 目 , 裏 打 , 玉 縁 の 図 解
@ 接ぎ目断面図
⑥ 山割り接ぎ目断面図
@ 接ぎ目縫い方
③ 玉縁の出来方 伝上杉謙信所用金銀欄鍛子等縫合胴服について
上
うな接︑ぎ目が出来上る︒山割りの接︑ぎ︑即ちこの胴服の一屑山︑袖山︑袖
下︑脇(この中︑袖下と脇は四つ縫になっている)は挿図日@の矢印のよう
に︑表裂は上下共反対側に移されて挿図日⑥のような出来上りになる︒
襟の周囲︑袖口︑裾脇あけから裾にかけては表裂と一畏裂の山割りの接ぎ
で︑技法は前述山割りの中︑片側が裏裂になっただけである︒
玉縁の長い裂は︑現代のそういう場合の方法から考えると︑恐らくこ
の接ぎが終ったときに︑その長さに合わせて切られたであろう︒
ここでわれわれは﹁縁取りは︑縫いなおしの際︑ つまった分を補足す
る目的で行われたものではないか﹂(﹁うぶ﹂の疑の
B ω
)
という﹁うぶ﹂
に関する疑を思いおこそう︒
挿図日を見たとき︑そのような補足がそこに認められるだろうか︒若
しこれが︑縫いなおしの際の︑ つまる寸法の補足を兼ねた縁裂であるな
ら ば
︑
どちらかの表裂にこの縁裂が先ず接がれ︑ その縁裂ともう一枚の
表裂が接ぎ合わされて然るべきだろう︒このように二枚の表裂に挟まれ
てつけられている縁裂は︑図を見てもわかるように︑何等補足の目的を持
っていない︒この縁裂があろうとなかろうと表裂の寸法には関係ない︒
で は
︑
どうしてこういう面倒なことまでしてそれらの接ぎ目に必ず玉
縁を入れたのだろうか︒勿論︑装飾の意味があったろう︒ しかしそれば
かりではなさそうだ︒それは︑こういう裏打の施された裂の曲り角は特
にすり切れやすいので︑ それを守るためと︑こういう接ぎ方の場合︑上
側になる裂の被せが出張って来がちだから︑それを防いで表裂が落着く
ようにするためということとで設けられた小さな堤防であったろうと思
わ れ
る (
挿 図
口 ⑥
⑥ 参
照 ﹀
︒
25
二 五
美
術
十
号
研
第
百 究
こうしてその縁取には︑胴服本体への補足が認められず︑ それとは別
の目的が見出された︒即ちこれは︑この縁取の目的は補足にはないこと
の確認で︑更に︑ その点から見た胴服の縫いなおしは考えられないとい
うことになって︑さきの問題(﹁うぶ﹂の疑の
B ω
)
は 解
決 し
た ︒
ではこの辺で︑これまでの段階の﹁うぶ﹂に関する総まとめをしてみ
ょ う
︒
先ず未解決は
未解決
1﹁うぶ﹂の疑
A糾
裏打しである裂と︑裏打してない裂との聞に︑ ﹁うぶ﹂と補修
の違いがあるのではなかろうか︒
右の一項目だけになり︑未解決ではあるが解決の見通しがつきかけてい
るものに
﹁うぶ﹂の疑 B 例
縁裂に︑比較的似通った色と地質の三種類の裂が用いてあるの
は︑その聞に﹁うぶ﹂と後補との何らかの関係があるのではない
か