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経濟政策學の存在論的基礎付弓 ヒ

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(1)

経濟政策學の存在論的基礎付

弓 ヒ

高橋

一︑序    識

 A 癬闘備隅判臨糊甑醐畢の終濡

 8﹃存雀鉱醐﹄の一献翻

二︑郷誌欝・政讐脳學の左ゼ在瓢醐的墓㎜礎付

 A 規範−翼的設定

 君 理解一現實分析     ︐

 C 當爲−政策指導

嚇﹃結     欝

 経搏桝政策學の山仔寮瓢瀬的基礎付 ︵高橋︶

薫七

(2)

一触序

叢八

      A債僅判断論箏の終焉

 経濟票の研究に志す者の愚心は︑経濟就會に就いての禮系的知識の獲得にある◎然るに︐経籍就會は既存的・

現存的・及び可能的存在と嚢ふ三つの﹃在り方﹄をもつ︒これに封駕して一般に﹃維風動學﹄・﹃理論経濟學﹄

及び﹃隔意政策學﹄と言ふ昏夢科墨の分科が生すると考へられる︒またそこには抽象的なる一般性に於ける本

質の研究のみならす︑更にその外に特殊具腿性に於ける経営現象の研究も要求せられる◎從って︐一般的抽象

性を問題とする﹃理論経産學﹄の外に﹃維濟史學﹄と﹃維濟地理學﹄とがその存在の理由をもつに至る︒前者

は特殊具罷的なる維濟現象の時闇曲面を問題とし︑後者はその室闇的面を取り上げる︒猫ほ叉︐維濟主膿を異

にするに躍れて.﹃國民露霜墨﹄・﹃国家経至愚﹄︵財政學︶・及び﹃私維濟學﹄︵維螢學︶の羅別も獲生する︒こ

れらの分化せる諸々の経濟麟學の申にあって﹃理論維濟學ヤ﹃鶴亀史學﹄・﹃財政學﹄︑及び﹃経螢學﹄は既に科

學としての充分なる地位を確認せられ︑また最近﹃経濟地理學﹄も漸く猫立の科學として誕生を観はれたけれ

ども︐わが﹃維濟政策學﹄の域立は樹は建設の途上にあると云はれて居る︒統制経濟の段階に入ってから︐経

濟政策を離れては如何なる経濟生活も可能でない様になって來たにも拘らず︐その理論的考察を行ふ可き璽経

緯政策學﹄が未だに﹃技術論﹄の域を脱し切れぬ憾みのあるのは︑同じく技術論に始つた財政學や維螢學等が

(3)

科學へと昇華した事實に鑑みて︑科學の存在上罰しい事ではあるまい︒既の意味に於いて︑吾々は鏡野政策が

全熟濟生活を占領せるかの観を呈せる今日︐特に﹃維濟政策學﹄の方法を問題の誌上にのせる必要を感ずる︒

 從來.﹃経濟政策論﹄の任務は︐経論生活に封ずる一定の理想を締て︐現下の経濟生活に就いての理論的研

究を基礎として斯かる理想實現に必要なる一定の手段を究明したり︐また實際に行はれたる維濟政策をば斯か

る研究に照して批判する事に在るとせられて居た◎この様な方法は實践的綻濟政策に通俗的に要求せられると

ころのものを其の儘とつて科學的研究の基準となすものに愚ならない︒これは︑一九世紀に於いて一般に行は

れて居た見解である︒その場合に於ける理想は︑多くは﹃維濟の健余なる嚢蓮﹄とか﹃理想的維濟生活の樹立﹄

とか云ふ塞虚なものに過ぎなかった︒斯かる理想が現實の維濟政策的措置に癒して信癒するに足る指針となり

得ないのは.云ふまで亀ない︒從って︐多くの場合無意識的に絶封化せられた政治月立によって露語の経濟政

策的措置が講ぜられぎるを得なかった○その結果︐一九世紀に於いては終濟政策論の研究も軍に維濟政策的事

       ざ      の實の羅列的記述に憤るか︐叉はそれに癒して極めて岨面的な批制を加へること以上には出なかったのである︒

 との様な軍純な聖慮政策論に封ずる批判として二〇世紀に入ってから驚濟政策論の研究に封して一定の限界

を認め︐その目的設定を維験科學としての維濟學の範園外に置くことを宅越するものが現はれて來た︒経濟

學に於ける憤︑値判臨論雫はもマックス・ウェバー︵ン画獅踵 毒⇔びの璽︶の﹃祉會科野離及び榎津政策的認識の客獅⁝

 の性﹄なる一論丈に端を恕し︐一九〇九年及び一九=ご年の﹃蹴會政策學會﹄に於いて盛んに論争せられた︒ヴ

   締濟政策學の霧在論的某礎付 ︵葛矯︶       薫九

(4)

       ︑      六〇      〆エルナー・ゾムバルト︵芝農蓉種○︒o鑓審誉︶もこのウェバーと同唄陣螢に鵬し塾 一九〇九年の學會に於ける討論

       る       らへの参加以外に︑既に早ぐも一八九七年の﹃就會政策の理想﹄なる論文及び著書﹃三つの翼翼塵﹄︵一九三〇

年刊︶に於いて彼の立場を間明して居るのである◎・

 マックス・ウェバーの主張は・シュモラー︵G◎O剛副ヨ◎岡田⑰触︶等の倫理的軽軽學派に封ずる批判として現はれ・

﹃壷網の倫理化﹄と﹃垂心の政治化﹄とに封ずる徹底的排撃を敢行せるものである︒経濟學は﹃少くとも技術       の的・維濟的なるものと倫理的なるものとの限界領域に在る﹄と考へるシュモラー⁝派による歴史的精紳の畳醒.と共に︐経濟學に於いて﹃倫理的進化論と歴史的相田主義との結合が支配し始めたが︐それは倫理的規範から

       えモその形式的性格を剥奪し︑文化贋値の総裁を﹃倫理的なるもの﹄の領域に引き入れる事によって道徳的なる亀

のを内容的に規定し︐斯くて國民心濟學をぱ維験艶麗礎に立つ一つの﹃倫理的科翠﹄の鯉嚴にまで高めようと

企てたものであるゆ﹄ 斯かる方法に窪してマックスウェバーは﹃寝藁﹄︵◎◎◎一一2︶を科學の問題に混入するこ

とは悪魔の業であると反封ずる︒彼によると︐科學とは事實の思惟秩序であり.政策とは理想の陳述であるか.

ら理想や規範を取扱ふ事は経験科學の任務であり得ない事になる︒斯くて︑ウェバーは認識︵理論︶と債値舗

断︵政策︶との原期的分離について二つの事を規定したのである◎ 一つは.倫理學派に封して規範的・倫理

的目的め翼理窟當と事實認識の転勤妥當とは問題の面を異にするが故に.倫理的規範と丈短贋値とを混溝する

事︐即ち﹃科學の倫理化﹄は誤謬であると去ふ事︑他は霊験的に定立した理論から實践的個別問題の解決のた

(5)

めの規範が一義的に導き出されると云ふ﹃画報の政策化﹄の見解は拒否されなければならないと云ふ事であ

る︒斯くてウ轟バーは﹃存在﹄︵留貯Yと﹃當爲﹄︵Gり◎一一窪︶との原理的分離を主張し︐信仰と云ふ天上の問題と

認識と云ふ地上の問題との棍同を戒めざるを得なかったのである◎

 事實︑シュモラー一派が︐獅噛的に一般的利釜の存在を創設して︐その上に客観的政策が直ちに一義的に成

立するかの如くに論じた事は議しくない︒とれを否定したウェバー慧ゾムバルトの功績は之を認めなければな

らぬが︐しかし又此の黙から直ちに科學としての政策學一般の不可能を論期する事ぼ當を得たものとは云へな

い︒若しも何等かの方法によって債値判断の客観性が認められるならば.科學としての政策學の確立の可能性

が獲得せられるに至るであらう◎       お 此の瓢に就いては.有名な.漏りにも有名な﹃債値軍部論争﹄を想ぴ出さなければならない︒ゴヅトルは論

      理的.目的論的︑倫理的︑観念論照顧値判断の外に﹃存在論的債値刺臨認に着目した︒所謂債値剰噺論争の口

火を切ったのは︑信念上正しい翻念論的債値判事である︒これは篭りにも主観性が擁すぎる︒然るに存在論的

証値判噺⁝は野禽織⁝成罷の在り方に着目して制断ずるが故に︑これを﹃存在上正しいもの転伽器○︒鉱蕊飢畠甑㈹のに

害する判断と呼ぶ︒とれは︑肚會構成罷を構成する作用に就いて下されるものである︒斯くて︐ワイッペルト

︵奎騒︶の云ふ繕・繧判断論争は存在論的穰判断の確立と共に難を告げる筆なったのであ恥      奪 扱て︑此の様な債値判断論争が重篤學に於いて行はれた背後にその時代を風靡した哲學の鎭座するのを槻る

   纒磁町政一策學の存在紘購的墓礎付 ︵費斑橋︶      響胴

(6)

      六二

ことが出遮る︒即ち︑.一九世紀の末葉にヴヰンデルバンド︵♂爵鼠鉱冨薮︶やリッケルトの哲學が﹃存在転から       へ ﹃當爲﹄を峻別した金轡をうけてマックス・ウエバーが現はれたのに封して.今疑ではハイデッガーの﹃存在

論﹄と同二陣螢に癒する所の盛漁期者ゴッ︸ルの四十年來の所論が顧みられる様になって來たのである◎

﹃存在論﹄の瑚諭

 ﹃存在するものは種憐なる仕方で藷られる﹄とは︐アリストテレスの根本命題である︒町凡て科學に於いて.       勘その最も本來の目的に從へば灘在るところのものそのものを取扱ふ︒﹄そして汎ゆる在る竜のは種々なる悶.在       勒り方﹄○︒耳翼薯の凶器に於いて﹃自らを自己自身に於いて示すもの﹄鎌器︒り︷島擁糞︒欝B攣饗H︒︒瓜ぴq・轡蓉紙衣浄として

現象する︒然らば︐﹃黒影政策學﹄は國民母野と云ふ﹃耐會構図膿﹄︒︒oN︷斜壁O魯隷留の如何なる﹃在り方﹄に

就いて研究するものであるか?・

 汎ゆる存在する竜のは.何等かの仕方に於いて存在し何等かの様相に於いて現象する限抄に於いてのみ︐科

學の研究野選となる︒それ故に︐常に存在の仕方が閥はる響きである︒しかも︐種々なる存在の仕方の巾で既

存的・現實的・可能的の三現象様相が原初的に撰ばれる︒在るものは︐在るものであると共に︐在りたる竜の

であり︐叉在り得る所の凡てでもあるが故に︐汎ゆる竜のはそれが在ると云ふ限りに於いて科學の研究封象と

なゆ得る︒

(7)

 從來・.維濟學に於いては歴史・理論・政策の三部門に匿曝せられるのを通則とした︒その際.歴史の日指す所は経濟事態をその生起を通して既存的存在の仕方を把握する事であり︑理論は現實的存在の仕方を取扱って維濟過程に於ける法則の爽見に努力し.政策の使命はこれらの知識を實践に結びつけてU的實現の手段を明ら

かにするにあるとせられて居た︒とれは.常識的には一慮承認せらる碧きものを有する様であるが︐必ずしも

さうではない︒軍に理論的認識を古写上行爲に慮怨する事によって.﹃臼的鐸手段の心癖﹄を樹てると云ふ丈

けではなしに.舷に逃避難行爲それ些些の冊有なる存在の仕方に就いての認識が可能なのではなからうかア

吾々は今それを問ふ事を主題としたいのである︒

 此のことを明らかならしめるために︐吾々は暫らくマルチン・ハイヂッガ⁝︵憲㌶跡回麟︒賦①器窪︶の﹃存在      D論﹄○暮◎δ駐︒のご翻に耳を傾けよう◎

 ﹃世界内存在﹄︵ぎ11鎚2B♂<①鳩目○︒のぽ︶としては︐入間ならざる存在即ち﹃物在者﹄<◎魯鍵伽窪窃と人聞的

       ゆ         ゆ存在即ち﹃實存﹄b霧・ぎとがある︒後者は誰︑前者は何と云はれるものである︒實存は毒見するものであり︐

物在者は嚢見されるものである︒これは廣義の物腰者と實存との幌別であるが︐墨型の物在者の中には更に狭

義の﹃物在者﹄と﹃用心者﹄N昏鍵儀窪霧との匿別が見られる℃吾々が世界の中に見出す﹃物﹄は何か?例へ

ば︑そこ蕉靴を見る︒それは誰かの脱ぎ捨てた靴である︒即ち︐それは吾々の關心を懐ける物であって︐軍な

る物ではない◎吾々が通常見出す存在者は﹃何かのための物﹄である○斯くの如き存在者を﹃用在者﹄と蒙

   郷鴨濟政策學の霧鹿紘卵朗難㎜襟7付 ︵高橋︶      ・       六三

(8)

       六凶

ふ︒この用在者の何かのためと諸ふ意義を無硯して︑これを輩なる物と槻る時に挾義の趨﹃物在者﹄が生ずる◎

 用在者ば臨監の交渉d平熱轟・配慮翻霧︒お2に於いて魚見される︒吾々は︑配慮に於いて出合はす存在者

を﹃用具﹄N2σqと云ふ︒嚴密に云ふと︑唯だ一箇の用具なるものは存在しない働用具の存在には常に﹃用具

全艦﹄Nの出資養㊦が属して居る◎用具は本質的には﹃何々のためにある或物﹄︵図蒙β虹難豊⁝⁝︶である◎

﹃のために﹄︵dヨ&ξと云ふ構造には財物による或物の指示が含まれて居て︐特定の指示としては有用性・使       用可能性などが暴げられる◎用寝者は何かのためのものであり︑何かに關係を有して居る◎用在者が如何なる

ものかと云ふ事は︑それが何に嗣係を亀つかと云ふことに外ならない◎用具との交渉は﹃のために﹄の指示多

様性の下に置かれて居る︒斯かる殿方に適懸する﹃覗﹄︒︒︷6樗即ち配慮に於いて覗ることが用具観即ち﹃用覗﹄

dヨ︒・汐欝である︒この用覗によって用在者が畿見せられるのである︒

 扱て︐か繋る用在者の存存は︑﹃事椿⁝﹄ご穏の醸慧黛aωに存する◎事幡⁝と.は用在者が如何なるものかと歎ふ事で

      ヨもある︒それは結局何に役立つかと云ふ事になる︒用在者の存在より事前に事情が興へられ.事惜それ自身は事

惰全艦の前夢見に基いてのみ書見ぜられる︒﹃事情全艦﹄如癖の≦き無駐鵯慧ぴ簿とは︑﹃のために﹄の關係全艦で

ある︒だから︐用在者の存在が獲見せられる以前に︑喫の駐在者の聾する事情全禮が開示せられて居なけれμ       ならない◎此の様に﹃用親﹄は手許に在る用具關聯の事情的交渉の中で働く︒それは叉その時々に於ける用具

世界とそれに所厩する公爵的環境世界の用具全膿に臆する多少とも明瞭なる概観による指導の下に立つ︒此の

(9)

       を  も  ゼ  ゑ  や  も  ゑ  や  も  も﹃概観﹄の本質的な黙は︑その中に配慮の着手せらた所の事情短慮の原初的理解にある◎配慮を開明する概

観は︑その光をば實存の﹃存在可能﹄︒︒①ぎ峯9窪から受取る︒配慮の概再議用覗は︐それん\の場合の使用や

仕事に於いて︐観たものx解繹と云ふ方法で實存に用在者を近付け檬とする︒配慮したものの・特別の︒用硯

的な解繹的接近は︑﹃洞察﹄d魯窪﹃磐轟と名付けられる纏その特別なる二黒は﹃若し脇⁝⁝ならば︑斯うだ﹄

ノ<①暑の︒である◎洞察が此の葬式の申で働き得るためには︑配慮が既に一つの事事關聯を﹃概見的に﹄了解

して居なければならない︒﹃若しも斯うならば﹄≦の§を穿って表現ざれて居るものが既に﹃是々のものとし

て﹄鑑︒︒痔︒︒=薮創霧理解されて居なければならない︒これが嫉めには︑用具理解が﹃断定﹄℃物象簿︷◎瓢に於

いて表現されて居る必要はない︒﹃熱る竜のとしての至るもの﹄年三器鋤紛金壷麟︒・・なる圖式が既に断定以前の理

解性の構造の中に表現されで居る︒

 次に﹃愈愈者﹄を見直すには︑先づ用在性を無親して物在者への照準を着けなければならない︒或る脇のを

見出すのに︑前以って照準をつける事を﹃嘉言﹄<◎四一︒ぽと云ふが︑為重者への照準をつける事を﹃凝硯﹄

頃叫蕊8簿と云ひ︐﹃用親﹄Oヨ︒︒8欝から覆臆する◎凝覗に於いて始めても物が軍なるものとして捕へられる◎

即ち︑吾々が先づ事前ふ手許に在る物は新たに眼の前に在るものとして眺められる◎これは世界内存在者との.

配慮的交渉を指導して居た存在理解が韓換したのである︒

 撮て︑﹃實轟轟﹄なる用覗的利用や使用から﹃理論的﹄研究へa蜜蝋は︑次の様な形で読明され易い︒即ち︑

   輝濟政策學の存在論的基礎付 ︵高橋︶       六五

(10)

       ︑〜       ︐   六六

存在者への純輝注硯はその時々に於ける仕事の配慮を抑制する事によって生すると云ふ風に特徴付られ勝ちで

ある︒斯くて理論はその存在論的可能を﹃實践の喪失﹄即ち﹃欠如﹄男畿養鋤◎瓢に員ふ事になる様であるが.し

かし用具使用を抑止する事が既に理論であるとは云へないから︐停滞的・観察的用覗は全く配慮された・手許

にある用具に固着して居る◎ ﹃濃抹的﹄交渉は自己固有の停滞の仕方をもつて居る◎そして︐實践がその特殊

の親︑即ち理論を所有して居ると同橡に︑理論的研究はそれ自身の實践なしには存在しない︒物在者のみなら

す︑用在者と難も亦科滝壷研究の主題となり得る事は︑傳記章露華して來る環境の研究によつても明らかであ

る︒叉實在の申では︑日常手許に在る用具關聯もその歴史的獲生及び捕滅︑並びに事實上の役目はわが経濟學

の封象となり得るものである︒從って︐用在者ほ選る墨壷の封象となり得るためにその用具性格を喪失する必

要をみない︒實存が用具露寒と關はり得るためには︑事情を理解して居なければならない◎換言すれば︑實存

に一つの世界が開示されて居なければならない◎ ﹃生存は理解として自己の存在を可能性へ投企して居る◎こ

の理解の完成を吾々は﹃解繹﹄︾諺審理轟と呼ぶ◎解繹の申で理解は理解されたものを理解的にわがものにし      獅て居る︒解毒は理解されたもの髭認知であり︑理解に於いて投企せられる可能性の完成である◎﹄

  ω科學としての纏濟地理學の誕生のためρ騨ひは︑わが國に於いては十絵年前に川西博士︑黒正博士などによって行

    はれた○私も亦これど同一方向を辿ったが︑今Hから灘ると意に充たない雛もあるので為事﹃廣域圏纏濟電理學﹄

    なる題名の下に忙しくその存在論的墓.礎付を企てた︒しかし︑それが何時のHに庭上所から撫で來るかは︑今H橡

    測出來ない◎否︑それのみならず更にそれがお39によって紳碑の灰蝶になって三って居るか勇知れない◎

(11)

 岡@宇野弘藏﹃縄濟政策論﹄      ・

㈹竃馬≦ゆ曲舞ごδ噛○曹突く寡焦.q・︒碁算・凶誓器︒剛象︻琶§耀乙誓閉居︒豪頓9①騰醇搾①畏駐堵お虞陣一ごb豊養蓬総

   ≧静ぎ︒§吋老奮⇔霧︒副巣邑︒ξ︒.︑︵ぢ慧∀

   ︵邦課︶ ﹃朔職曾科鴨攣方法瓢醐﹄︵岩波詐入庫  一三ふハ八︶

ω薫§驚︒︒9三・讐︐計葱亀⑦g吋もQ◎誉与9圃葬.         ・

   戸田蕊武⁝雄謬 ﹃批會政讐爪の理獺⁝﹄

9ノく.o︒三茎銭補嗣︶陣︒一︶灸乏診・ぎ勇蚕ハ露9託①.   小島昌太郎課﹃三つの纏濟學﹄

⑥9切奪︒︒︒蓼呂葭鳩<︒衡琶蕊︒ξh邑①一尾§粛学ハ︷Φ薮︒3ゴ庭こづ.α母ユ・猛鳥巽︒︒酔薮︒・づ.剛雛霧︒固試写..い.塗訟●蒙・︒︒㌧

   6同回○︒●お¥

ω蜜該⇒g30舅≡冒色8>昏響ゆ︒︒︒其Q︒5

⑧ 便億凋細論畢に就いては︑既に論じ霊されてるるので︑詳論をさけるQ叡垣輿一﹃政泊纏嬢衆の方法﹄︑井藤孕彌

  

@﹃財政學原理﹄及び﹃租親原則學説の構造と生成﹄鞍壷櫃︒

の懸︑驚へ三魯ぎ影Oc巳−9酢察雪照臨F二三︒︒︒ξ津舞3自認︒蕊︒回葺ド困囲.野致・

   /ヨ︒テωξごづ.ぎ琶転コ葺島㌘魯酔●⑩芝9篤誘く︒ヨづ.①暑#亀隆邑g門門℃島三︒・象26剛勇婦一ρぎ㌶≦魯ジ.卿暴︒︸鼠三耳袋≧︒一更.︑^お守邑び鵠魯払◎虜野・三肉︒同言び・巽多塞毫魚§葬・ゆいρ鉾︒・畠 .r      .  ・

M

鷺鼠じ類︒箆︒σq鳴び︒︒魯回§島N魯二﹂首乙ω.ω鮮

M

13

t魯;峯・韓三田﹂・ぎ9︵寺島實仁課﹃存詮と噂闘﹄︵上下二懸三笠書房︶滲︑照︒

14

q・rO︒.蕊︒◎●

  輕.濟政策學の准雀論的墓礎付 ︵高橋︶       六七

      峯

(12)

六八

﹃纒濟政策學の存在論的基礎付

 前述せる序論によって︑吾々は下堤政策學が如何にして﹃生活上算しい﹄ド冨奮誉ぽ貫維濟政策の扇標を設

定し︐鰹濟生清の關聯を深く徹底的に考へ篤し︑その上に立って生活上正しい剰断に即せる﹃當爲﹄◎︒◎濠鵠を

蜜践に移し得るかを識る上に於ける汎ゆる手懸夢及び示唆を得るごとが出來たであらう︒こ㌧に︑吾々は﹃規

範﹄﹃理解﹄及び﹃當爲﹄の三つの面に於いて維濟政策學を新しく﹃存在論﹄○簿◎ざ讐qにの立場から基礎付ける

ことが出來るであらう◎

      A規範一穏的設定

 維濟の根本理解は︐當然國民生活の存綾を以って維濟政策の最高にして窮極的なる目標となさざる可からざ

る事を教へ︐またこれが生活上正しい維濟政策の意味の肯定に導くのである︒從って︐経濟政策は國民D生活

重力の促進のための物質的前提を創の拙すことになる◎かくて︐今臼経濟政策は︑イ訟ッセンQΦ蕊密器窪︶       りの主張する檬に︑論義の國防維濟政策即ち廣域維濟政策へと獲展せざるを得ない◎.

 扱て︐此の様に﹃生活上里しい﹄維濟政策の本質の理解は如何にして得られるであらうか?

 経濟政策は.先づ大規模なる構成作用を國民維濟に向ける︒次に︐維濟政策の椿成作用は國家財政から家政

に及び︑そして叉企業・ンツェルン・組合・市場等の﹃目的構成膿﹄にも干渉する◎斯かる政策の實践は経

(13)

濟政策家自身の手に委ねられて居るが︐その目的設定に際しては漁家的立場から﹃存在上慌しい﹄もの︐に就い

ての判断が彼を助ける︒夕嵐的立場に於ける﹃存在上盤しい﹄・︒鼠霊媒旧劇臓ものは叉吾々の維濟生活に於いても

﹃生活上正しい﹄一癖①諺こρ銘αqものとして愛序する︒生活への構成一般の立場から正しいものに蔑する制断は

必然的に國民の生活重力への影響を脳裡に置いてのみ下される︒斯くて︐凡ての紫野は︐田切の野々のものに

就いて︐それが構成儲に役立つ様に決定するためには︐構成罷全罷への關聯から出て思考する義務がある︒例

へば︑便格の公定は︑必然的に撃手も買手もそれを聖域龍の立場から存在上正しいものとして︐從って又國民

の生活重力を促進するものとして認められる事に依存するQそしてその上に立って政治的に形成せられる︒政

治や宗敏も︐それが維濟生活の面に現れる限りに於いて︐常に経黒黒値の實現を以ってしなければならない︒

経濟債値は窮極に於いて世界槻によって決定せられるにしても︑それが維濟生活の面に降り立つ限りに於いて︐

吾々はそれに熱して客観的なる存在論的便値判断を下すことが出苦る︒斯くて︐経濟政策の理想たる債値と現

實分析の封象となるものどは等質物でなければならず︐叉その欄には蓮絞關係が成立し得る様なものでなけれ

ばならない︒換言すれば︐政策理想は現實化の可能性のあるものでなければならないのである︒理想はかくて

現實に即すべきではあるが︑併し現實そのものであってはならない︒政策學の成立の前提としては︑現實把握

と理想設定とが不可欠の要素となって居る︒射って︑之の中の一つでも科學上不可能となれば︑政策學は不可

能となる︒然るに︑上述せる所構よつて︐経費政策の主龍は存在論的偵学制断に從ってその目的を設定して︐

   郷⁝濟政策學のみ仔・在脇㈱的甚⁝礎付  ︵官薗橋︶      山ハ九

(14)

φ       七〇

 いまそれが實現のための手段を講ずる事が爾禺來るのである◎

 斯檬にして︑生活上正しい維濟政策の本質は︑国民の生活に議して窮局にして最高の指導を輿へる黙に診

る◎このことが肯定されるためには︐﹃指導﹄なる作用を維濟生活の全般的寄身の中に正しく組み入れる蒸と

に成功しなければならない◎この檬にして維濟生活は﹃構成﹄されて行く︒構成は維濟生活の﹃規制﹄として

把握せられる◎経濟政策は.國民経濟政策として︐維濟生活の指導規制に於いて其の重みを實践的に嚢揮する

ことを妨げる事なく︑その目標設定によって維濟生活の四規制全腸を支配する◎このことを指摘することによ

      る   のって︑経濟政策は生活の大峰聯の中に於いて認むべき場所を地無した鐸である︒

      君 理解一三實分析

 然らば︑如何に﹃指導規制﹄を行ふかと去ふ事が次に問題となるが︐その前に吾汝は﹃纂情理解﹄の把握が

必要である︒即ち︐壁越生活の關聯は如何に構成されて居るかと云ふ﹃現實分析﹄が行はれなければならな

い◎これを上ることなくしては︐経濟政策の目標が如何に疋しく樹立せられて亀.生活上塗しい﹃當爲﹄たる

政策を行ぴ難い事となる︒/︷

 叢に吾々の﹃事情理解﹄叉は貫︐現實分祈﹄の封象となるものは.云ふまでもなく.實践的経濟政策的措置の

罷系である◎それは︑﹃既存しつ製・現前する將來﹄︵鳴饗露鼠機護窪急襲蒔⇔N鼻§浄︶と云ふ﹃時聞性﹄に

於いて存在し︑既存的・現實的及び可能的なる三つの存在の仕方をもつ︒

(15)

 吾々は先づ歴史的に獲着して現在に至れる器機的維濟政策をば︑國民経濟と云ふ﹃耽會構成罷﹄の中に於け

る全艦的關聯に於いて客観的に儀式﹃寄るものとしての労るもの﹄津譲霧巴の簿≦霧に從って﹃概観﹄するこ

とに在る︒概観の本質的な黙は事情全膿の原初的理解に在るが故に︑吾々は實践帯心濟政策の諸措置をば全膿

として膿系的に理解する事に努めなければならない︒この現實分折に重黙を置く磯部敏授は︑最近の著書に於

いて次の様に述べて居る◎ 曰く︐﹃盛暑政策の達意を理解する最も篤實な道は︑實際に施行されて居る維濟政

策の検討を通じてその基底となれるものを把捉するにある◎⁝⁝なほ︐吾々はもとよりわが國の問題を問題と

するのであるが毫今臼を理解するに必要なる限り今日を育んだ過去にも湖らねばならす︑叉他方わが國の施策

に示唆を輿へる諸外電の施策への一瞥をも省略するを得ないのである︒維濟政策の將來に封ずる見透しは著し       みく消極である︒この鮎に關しては︑述べるに適當な人々が他にあるであらう︒﹄と︒實際︑今日術ほ多くの學

者はウェバーの立場を守り︑黒磯分折に重黙を置き︐﹃當爲﹄は實際家の仕事とみて居るのである︒

 斯かる態度が正しいかどうかはやがて後に探り上げらる轟き第三の問題に厩するが︑兎に角﹃現下分析﹄が

維濟政策學の申に於いて重要なる部分を形成して來た事は事實であり︐叉その必要もあるのである︒維濟政策

學に於ける現實分析は︑維濟現象をぱ何かによって意慾されたものとして取扱ぴ︑これを政策主膿によって意

慾されたものとして︑即ち目的に封ずる手段の膿系として把握するものである︒これは︑目的論的方法によっ

て指導されるものと云へる︒目的論は現象をば口的手段の範疇によって把握するものであるが︑この關係は軍

   経濟政鷹果墨・のみ仔在弧卵的嬢⁝礎㎝付 ︵高橋︶       七圃

(16)

      七二        .

に孤立的に他の目的手段關係と無關係に存在するものではなく︑その閥に上下の段階關係が存在し︑それらの

竜の製統禮を構成するのであみ︒

 斯様に目的論的方法によって直轄分析を行ふところの政策學に於ける現量分析は︑井藤博士の嚢ふが如べ︐

麗實貰が政事的に照らして蟹を具象するや否や︑︑又如何馨程度に於いて会商脇﹄として採呈

げらる轟きである◎若し現實世界に於いて政策目的が達成されて居る場合には︐政策學の構成は不必要とな

る︒理想と現實との聞に隔離の存する場合に始めてそこに政策學の必要をみる◎政策目的は現實化ぜらる可き

である◎從って辱現實を理解しなければ︐政策原則を樹立する事も出卜す︐叉政策目的が如何なる程度で現蟹

化されるかと云ふことも明らかにし得ない事になる◎此の意味に於いて曾爾分析が不充分な場合には︐その上

に立つ政策學も室想となるおそれがある︒爾ほ此の現露分祈に於いて顧みられなければならないのは︐現在の

経濟政策艦系をその生成の歴史り相に於いてみる事と︑同一類型の維濟政策を行って居る他圃のそれを他山の

石とする事とである︒この事によって適正なる脚﹃當爲﹄に封ずる示唆をうける事が出來るであらう︒

 そして︑理論維濟學に於ける﹃経濟循環﹄及び﹃経濟攣動﹄に就いての抽象的理論が斯かる現舞分析を助ゆ

ることは云ふ迄もない◎と云ふのは︐理論蘇蜜學も露盤政策學も同回の意味に於いて﹃政治的﹄経濟の在り方      騎.を問題とし︑研究野象に於いても世界槻に於いても共に根本的に同叫であるからである◎爾者はともに欲求と

充當との持綾的調和の精榊に於ける人聞共同生活の構成と去ふ経濟の課題に立ち向ふ黙に於いては同輔である

(17)

が︐理論経濟學が一般的︒抽象的に問題をとりあげるのに反して.維濟政策學は特殊具無性に於ける實践的三

盛政策の直覧を分析する︒從って.ワグナーの如く爾者の根本的性質の差異を認適す︑露なる程度の差異と解        のするものが生する︒斯かる抽象度の相違が既に爾者の猫立性を保蔑するのみならす︑更に又そこには﹃當爲﹄

への關説の有無と云ふ明自なる標識があらはれて居るのである︒斯くて︑理論維濟學と維濟政策學とは各々濁

立の科學として存在し得る事になる︒これは︐露なる﹃便宜的考慮﹄︵ワグナー︶とか﹃認識の里芋﹄︵イ識ッ

セン︶とかを超えた確乎たる分類の基準となり得るものである︒

 斯檬にして︑既存的並びに現實的存在としての維濟政策的措置の﹃在り方﹄に就いての理解即ち﹃現實分析﹄︑

は之を客槻的に行ふ事が可能である︒こ蕊までは問題がない︒しかし︑経濟政策學に於いて問題となって來た

のは︑維濟政策の﹃目的設定﹄とそれに基く﹃政策指導﹄とである︒璃的設定については既に述べたから︐残

されてみるのは後者のみである◎それは即ち可能的存在の仕方に封ずる當爲を問題とする事に外ならない◎

      C 當爲−政策指導

 扱て︑経論生活は絶えず憂動ずるからそれに叡慮して﹃事惰全学の理解﹄としての面に於ける維濟政策の理

論的研究も亦進められなけれはならないが︐それのみに停滞せす更に斯かる理論的研究は維濟の本質からの統

轄によって指導されなければならないのである︒この二重の關聯に藩駕すると︐維憲政策士は一方理論的であ       串﹁ると共に他方慧智的なものとして特徴付られる象になる︒斯くて︑維濟政策學の任務は軍に野饗の客観的現象

   郷脇糟政憐階學の左り・羅論的難︸礎付 ︵官陶橋︶      ・七三

(18)

       七四

を後から追って︑それの竜つ關聯を確立し︑それの生成の根本を論明して行風と云ふ追随的仕事の中に局限す

ることを以って満足せす︑更に経濟宅膿が新しく経濟生活を構成して行くのを指導すると嚢ふ實践的仕事にま      勃 ︑で鑛大して行かんとする事にまで及ぶ.維濟現象なる竜のは.経濟政策實践者が自らその一員である経濟生活

の機構を認識して一方それに適薄し乍ら︑他方その機構を攣硬し得るのである︒それ故に︑経濟政策は.剛面

に於いて現實分析の翁忌であると共に︑幾時に他面に於いて政策暴騰の敏論であると云はぎる鴨を得ないので 鋤ある○

 この様にして實践的経濟政策燈系と嚢ふ﹃事情全罷﹄の申には︑絶えず政策的措置が働き績け︑これが理解

性の構造の上に立って未來に向って生活上曝しい困民経濟の岡.構成﹄へと作用するのである◎その際︑維濟政

策的措置即ち﹃當爲﹄︒︒︒剛一窪はその光をば存在可能から受取ることが出纏る︒即ち︑﹃理解﹄の面に於いて得ら

れた蜜践的経濟政策艦系の理解性の構造に就いての客観的なる理論的研究を基礎として︑その上に立って﹃可

能的存在﹄としての當爲を﹃若しも斯うならば﹄芝の§琵8の國式に照らして展開することが可能となる︒こ

の場合にゴッ︸ルの所謂﹃存在論的二値判断﹄が下される限り唾それは客観性を有する︒

 斯⁝様にして︑経濟政策學は嚇箇猫立の﹃夏号﹄譲圃︒︒︒︒の蕊︒ξ津と成ったけれども︑それは決してその中に﹃技

術論﹄が︑全然含まれない事を主張する課ではない︒自然科學が︑因果法則の探求に始って技術の完成に終る

のに封して祉禽科學は客観的なる行動原理の理解に始まり政策への指針の授輿に絡る轟きである◎この意味に

(19)

於いて︑實際生活は政策原則を基礎として蓮螢されるものであって︑理論維濟學の知識のみではこれを蓮螢し

得ない︒理論維濟學が現實の維濟生活の在り方に就いて定立せる法則を︐政策學の中に包含させて始めてそれ

が入闇債値生活の向上に心して遙かに直接に貢献するやうになるのである︒斯くて︑維濟政策學は理論維濟學

よりも實際的・實用的であり︑謂は穿理論維濟學と現實の維濟生活との橋渡をなすものとなる︒こ瓦に技術論

の存在理由を見出す︒政治・債値判断・世界観から自由なる理論を擁護したウェバーやゾムバルトと難も債値

判断を問題としないのではない︒所與の目的に封ずる手段の適慮性に關する日的論的債︑値判断を行ふ事が抜術

論たる維濟政策學の課題となるのである︒ゾムバルトの云ふ所︐によると︑實践華甲民維濟學︵維濟政策論︶︑

は一定の目的を総て瓦これが實現への手段を求め︑維濟の領域に於ける實践的管理任務を理解し︑官吏に封し       あてその活動に必要なる知識を輿へる技術論である︒併し乍ら︑技術論は規範なる名総を以って誤まり呼ばれて

居るが︑技術論は規範自膿即ち目的を論究すべきではなく︑目的實現に役立つ手段のみを論及婆べきである︒

技術論は斯様に債値判断を行はぬから︑目的自禮は技術論では決定せられない︒此の黙に於いて︑技術論は︑       恥ゾムバルトの云ふ所によると科學に似て居る事になるのである︒

 凡そ偉大なる知識領域・は︑その中に實践的知識を包卸するが故に.生活及び職業に利用し得べきものとな

る︒從ってそ煎はその專門とする知識領域に就いての﹃科學﹄の外に﹃抜術論﹄をも形成しなければならな

い︒野幌や讐學は今日でも術ほ斯かる技術論を多分に包撮して居る︒斯くて︐技術論は︸般に就心々羅にも存

   経濟政策學の・存在駄醐蘭円莱h礎付 ︵賢回総⁝︶       七五

(20)

七六

 するが︐その存在の仕方は自然科學のそれとは異る︒

られて居る︒自然の領域慮於いて技術は常に既知物とのみ關評する︒無電や塞申窒素固定の如き最も飛躍的な       み  [科昊る物彊や化學の樹立せゑ.無様厳法饗︑自然事物の肇と埜とに關する藩論に利用せ

技術上の革新でさへ︐既知の素材ど力との連絡以外に樵り立つものではない︒之に反して︐祉會の旗域では企

業家或ひは点景政策主謄の汎ゆる行爲に於いて問題となるのは︐既知の要因と未知の要因とを結合して所望の

作用を招致することである︒﹃精紳形象﹄Oの寡鵯甑傷即ち法規︑統計︐訓令︑租税制度及び各穂の組織等に沈

   ︐・〜       ヘノ   ぎ      エ響回せるものが既知物であり︑尚ほ・禾だに﹃心籔﹄○り⑦鉱︒に停まる一切のものが未知物である◎

  扱て︐経濟生活に就いての知識膿系は技術論を以って始められたとさへ云はれみ程である︒家計の書︐官房

財政の書は︑わが経費科學に於ける最初のものである◎資本主義の獲展と共に︑技術論はその数を増した◎私

経濟論︑財政論︑實践雪雲民経詳論︵経濟政世論︶などはその主要なるものである◇二十世紀に入ってから

は特に私経濟論︑例へば組合制度論︑銀行論︑保磁論などが注目を惹く獲展を示し︐経濟科學の講壇を占領し

始めたが慈濟肇論は沈衰して居たと云はれ物・併し乍ら三篠が畠なものから統馨れたものへ蕪

的なものから精濃化されたものへと推移するに俘れて︑此の﹃統制維濟﹄なる維濟膿制は極めて著しい程度に

於いて維濟政策についての知識を要請する様になる︒此の秋に方って︑競買政策學も亦面翫を一新しで︑理論      ノノ的研究の鎌を磨ぎすまし且つその申に技術論を正しく包構して科墨として署員の存在を主張すべきである︒

(21)

 高這の艦系は全くその本質を異にせる知識領域の結合によって生する事がないとの意見癒みうけられるであ

らうが︑併し乍ら斯かる統一は︐ゾムバルトの云ふ檬に︑純輝なる實践的同質性に基く秩序付けによって可能        鋤とせられるのである︒﹃馨學綱要﹄を書く場合に︑第一篇には﹃科墨﹄たる解剖學や生理墨が︑第二篇には﹃技

術論﹄たる外科學や小晃科學等が充てられる◎これと同じ様に︑わが﹃維濟政策學﹄にあっては︐現實分析の

外に︑規範と當爲とを取扱ふ︒これは︑ポッカルドウ︵囲W◎合O脚瞬甑◎︶がいみじくも名付けた所の﹃観照的政治維

濟學と作用的政治経濟墨﹄図8き糞貯℃◎回資望89⇔鑓鳳銭養§儀◎℃跨蝕爵との綜合に麻睡するものと嚢へるで  粉あらう︒斯様に理解して始めて︑経濟政策學は轟轟分析の上に立って︑それを理解すると共にそれを批判し︑

術ほ又將來に向っての﹃生活上灘tい﹄維濟的指導への指針を興へることが可能となる︒

 此の意味に於いて︐維濟政策學者は.学際家がなし得るよりも譲り良く現在の所與と將來の所輿とを同じ様

に概観し得るものと鼓へるであらう◎

        畑﹃毒結    言  ・

 前述せるところによって︐吾々は稗學としての経濟政策學の性格を畳々明かならしめ得たと信ずる︒斯かる

経濟政策學は翁忌的経濟政策に役立つものとして吾々の生活に奉仕することが可能である◎それ故に︑これは

實際家がパンを求めて居るのに石を與へるの結果に陥る.ζとを避けることを可能にする︒斯檬にわが経濟政策

   纏濟政策墨の春在論的基礎付︵高橋︶   ﹁        ︑七七

(22)

      七八

學が大いに吾々の國民生活に役立ち得るものとなるとは弐へ︑高田博士の云はれるが如く.﹃理論的考察﹄を行

ふ高命政策墨な﹃個別的なる政策を一々取扱ふ課ではない︒その性質としてはあくまで︑経蔵の一定なる本質       ⑳的定型について︐維濟の上に如何なる政策の加へらるべきかを考察する︒﹄﹃維濟政策學は維濟政策のいは穿基       励礎理論である︒この原理が事實上に適用されて始めて個々の政策が決定されるであらうβ﹄此の場合には︑意

思︑知識及び行政技術が集結して實際の政策を形成するに至る︒從って︐イ瓢ッセン血豆の述べて居る様に.

・﹃三寸政策學は勿論實際家の考へる檬に庭面箋を日賦自在に創り出すことは禺來ない︒これは凡て眞の正しい

科學にとっては自明の理である︒科學が事理の蜜蝋を隅々々に至る吏で充すことは出直ない相談である︒しか

し乍ら.意思と知識との無關聯なる並存は︐國民に蜀して常に高償に支佛はれたのである︒︿婁暇讐需跨⑦霧         劾︵足跡は私を灌 れしむ︶◎﹄       箋

 斯べの如くに論じて細るとも経濟政策學は︐維濟の根本理解に基き.客観的なる存在論的償値判断による生

活上正しい経濟政策の目的設定を可能ならしめ︐實践的維濟政策斑葉ρ慕情關聯的理解の確乎た難地盤から存

在上正しい目的に向って配慮をめをらす所の﹃用硯﹄による存在上知しい政策指導を可能ならしめる﹃當爲﹄

の確立にまで及ぶことによって存在論的方法を馬鞭する事が可能となるであらう︒斯くて匁維濟政策墨は存在

論的に基礎付られる事によってこ﹄に始めて客親的理論性を獲得し︐輩なる﹃技術論﹄から高潔猫立の﹃科學﹄

へと昇華することに成功するであらう︒      .

       〆

(23)

 扱て︑﹃方法論的反省が盛んに行はれる様になるのは︑﹄ーーワルター・オイケン︵イく簿胴囲蓉押窪︶による

と一⁝!﹃各科學の病氣の徴候である︒しかし︑方法論だけによって今まで嘗って病氣に罹つ疫科學のなほつた      殉ためしがないのである︒﹄そこで︐吾々は此の存在論的に莱礎付けられた新しい方法論に基いて積極的にその内

客を創り上げる仕事にあたらなければならない◎蓋し︑方法と内客とは相提携して進展しなければならないも

のであるからである︒この事はまた方法論の理解と深化とを助け︑結局に於いて病める科學を健康化する所以

でもあるのである︒そしてもこの健康なる悪騒の経濟政策學こそは統制幽魂の衝心的運5盤に方って方向探知器

となり得るものであるから︑速かにその内容を墜備する必要に迫られる︒然らばその内容如何ア これは︑自

ら別箇のテーアを形減するものである◎

  ︶

σ 蜜塁蜜羨2勘○鍔乙飼臓窪餌嚢く︒囲冨鼠曇︒ぎ籠℃○訟捗一ぎ圃8び幹§.

② ○〇三6巳葭窪茂斜︒を疑蓉夢貯苫浮岬急告鐵餌︑讐8ユρぢ熔.Q︒.岡8携

③ 磯部喜一﹃縄濟政策概論﹄︵昭和十九年︑有斐閣︶惇一一二頁◎

ω ㎜井藤叩孕彌﹃租税原則墨丁⁝説の構造と姪で域﹄㎏三〇頁◎

④ 智絵窪℃◎や︒陣ごoQ●お・

⑥鋭芝お義﹃ξ鶴・る穿箆蓉ゲ留・℃9︸駐魯g◎ぎ8巳・●囲︒ま這回︒・鼠害照◎

ω  宮田囎膏代藏﹃漸幽家緯⁝濟學の立三物﹄山ハ菅夙滲照◎

⑤ 豊〜騎稔﹃⁝鞭濟墨−の國民的主繭臨性﹄三︸九頁滲照恥O

 郷⁝濟政一策學の轟仔 在紘脚的幕礎付 ︵官岡橋︶七九 ψ

(24)

三8)(三7)(王6)(エ5)(三尋)(夏3)(12)(王1)(署。) (曾)

       八○

≦窪蚤︒︒⁝三︶翼噌蒙鎗ご邑翼鈴甑σ碁譲εき瞬臨ごポぢいρo︒.図跳       

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Hぎ貧3ぎ憂︒審一︸︑閃§量竜︒壽簿・<◎;塁塞嫉◎︵舞塁3憩蚕糞◎℃魯g︒︒量い・︒・︶G

高田保馬﹃纏贋學方法論﹄︵改造肚経濟學全集 第五霧﹃縄濟學の基礎理輪隔︶四九七頁⇔ ︐

同上︑五〇二頁︒   ︑

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︵一九凶五︒一︒一〇︶

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