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珠洲市の農業戦略

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珠洲市の農業戦略

著者 横川 道雄

雑誌名 金沢大学文化人類学研究室調査実習報告書

巻 28

ページ 33‑44

発行年 2013‑03‑31

URL http://hdl.handle.net/2297/34535

(2)

4 .珠洲市の農業戦略

横 川 道 雄

1.はじめに 2.農業の概要 3.農業戦略 4.今後の展開 5.おわりに

1.はじめに

古摩比橋を渡り、初めて若山町(経念・古蔵・中田・火宮・向)を訪れたとき、森の深い緑と 田畑の淡い緑に囲まれて、どこか懐かしくてほっとした。お話を聞きにお宅を伺うと、多くの方 が庭先で野菜を栽培されていた。自分達で食べる分だけという方が多かったが、どれも立派で新 鮮そのもの。お土産でいただいたトマトは甘くてとてもおいしかった。

本章では、地図や数字では目立たない、自家消費野菜の栽培や直売所(JAすずしグリーンセン ター)に注目し、若山町の農業について考察する。また、日本における北陸地方の農業、北陸地 方における能登半島地域の農業、能登半島地域における珠洲市の農業について考察し、珠洲市の 農業戦略を見てゆく。

2.農業の概要

農業は、気候や地形、地質などの自然条件、都市との距離や交通インフラなどの位置的条件、

食習慣や歴史的背景などの文化的条件、地域レベルでは農業集落の性質や運営、国・世界レベル では農業政策や食糧問題などの政治的条件、という世の中の動きに左右される条件に制約される 産業である。また、製造業など他の経済活動と異なり、作物や家畜といった生き物を相手とする。

日の当たり具合、風の吹き方、雨の強さなど、農家ではない者にとっては気にならないほどの小 さな自然環境の変化が、その年の生産つまりは収入に大きな影響を与える。

(3)

隣り合った集落でも全く同じ条件ということはない。条件の中で、地域の特性(=優位性)を 生かした農業の展開が必要である。視点と視野を変えることで見えてくる農業の形態と果たすべ き役割について考察する。

2.1 日本の農業

1960年以降の日本の農業について、国の施策からみていく。

1961年に制定された「農業基本法」は、高度経済成長とともに広がった農工間の所得格差の是 正を目的とし、農業生産性の引き上げと農家所得の増大を目指した。農業の構造改善政策や大型 農機具の投入による日本農業の近代化が進められた。生産性を飛躍的に伸ばすこと、農家の所得 を伸ばすこと(ただし、兼業所得の増大という意味合いが強い)、農業生産を米・麦中心から畜産 物・果実・野菜など多様な広がりのある生産としたこと、という成果はあった。しかし、農家の 兼業化や都市部への労働力の移動を加速してしまい、農業の担い手不足や食料自給率の低下の要 因も生んだ(wikipedia「農業基本法 概要」)。

1970年には「米の生産調整政策(=減反政策)」が始まった。「農家の自主的な取組み」という 立場を取り、転作地には転作奨励金という補助金を出し麦・豆・牧草・園芸作物などの作付けを 推進した。一方で、稲作に関する土地改良事業などの一般的な補助金には、配分された転作面積 の達成を対象要件とするなど、実質的に義務化された制度である。一部の農家は、積極的に転作 に取り組み、農業構造の転換を図ろうとしたが、多くは米を引き続き栽培するためにやむを得ず 転作を受け入れるという立場をとった(wikipedia「減反政策 経緯1970年~1994年」)。

1999年は、日本農業の大きな転換点となった。「農業基本法」に代わり、「食料・農業・農村基 本法」が制定された。「国民生活の安定向上及び国民経済の健全な発展」を理念として、国土や環 境の保護など、生産以外で農業や農村の持つ役割を高めること、食料自給率を高めることなどを 目的としている(wikipedia 「食料・農業・農村基本法」)。

2012年12月16日に投票が行われた「第46回衆議院議員選挙」では、自由民主党(以下、自民 党)が294議席を取得した。自民党の政権公約には、農林水産業の高付加価値化や農商工連携強 化を進め、競争力のある「攻めの農林水産業」を展開すること、民主党政権下では大幅に削減さ れていた農林水産予算を復活させ、農家所得の向上・担い手育成、農地の維持・農業基盤の整備、

農山漁村の維持発展を図ること、食料安全保障として、食料自給率及び食料自給力を維持向上す ることが掲げられている。また、TPPに関しては、「聖域なき関税撤廃」を前提にする限り、交渉 参加に反対するという姿勢である(自民党政権公約 2012:25)。

日本の農業は、お米(稲作)とどのように向き合うかに動かされてきた。先達が苦労して切り 開いた田んぼに対しての畏敬すら感じる。しかし、食習慣の欧米化によって日本人の食べるお米

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の量は激減し1)、米の作り過ぎという状況が生まれた。田んぼを大事にするあまり、米以外の生 産への転換が遅れ、その間に次世代の担い手である若者たちは、都市に流出してしまっていた。

体を酷使する上に、収入も低く不安定なイメージの強い農業は、都市での生活に慣れた者たちを 引き戻すことはできなかった。どうにか田んぼと農村を保つために、様々な理由で補助金を付け て延命してきたという印象が強い。

次の一手として、農業が生命維持に不可欠な食料を生み出すことを強調し、国民の安心感を創 造する産業として再評価がなされている。また、農村で暮らすことの魅力を農業の価値として付 加し、グリーンツーリズムやUターン・Iターンや定年帰農などにつなげようとする動きも見ら れる。ただし、このような個人の価値観に委ねられた政策では、農業の立て直しに必要な力(=

多数による粘り強い支持)とはならず持続的な展開・成長は難しい。自民党の言う「攻めの農林 水産業」は、国内のみならず世界と競争できる力を付けていくことが必要であり、品質の向上だ けでなく、農地の集積と効率化による低価格の実現も避けられない。地域で異なる気候・地形・

地質の自然条件の制約に対して、自然環境との兼ね合いと経済的自立を成し遂げることが今後の 課題となるであろう。

2.2 北陸地方の農業

北陸地方の農業は、基本的には水稲単作で、兼業農業という性格を依然として持っており、む しろその傾向を強めている。しかし、米の生産調整と兼業農家の高齢化によって、状況は変わり つつある。農業から離脱する農民が増え、その分の農作業が、特定の農家や法人組織に委託され るようになってきている(田林 2003:66)。

北陸地方の農業は、東日本と西日本の文化圏や東京大都市圏と京阪神大都市圏の影響、かつて の暖地型稲作圏と寒地型稲作圏などが交差するという意味での東西性、海岸から平野、丘陵、山 地という順に配置されているという地形条件が大きな影響をあたえること、さらに積雪の影響が 地形条件と結びついて内陸の山地ほど厳しい条件となるという離海性、都市への近接性と遠隔地 性などによって特徴づけられる。都市は平野の中心部に立地するので、地形条件とも密接に関連 している。また、若狭地方や能登地方、佐渡地方には特異性も存在するが、これは自然条件や位 置的条件のほかに、歴史的背景に関係する文化的伝統とも関連があると考えられる(田林 2003: 67)。

1961年に農業基本法が制定されると、水稲作の重要性は増大し、水稲作を唯一の農業活動とし ながら恒常的通勤兼業に従事するという形態が一般化した。1970年からの米の生産調整と「総合 農政2)」は、水稲作への信頼性をうすめ、農民の兼業への依存を高めた。1970年代と1980年代は、

それぞれの農家が個別に所有する機械を用いた省力的な水稲作3を維持しつつ、恒常的な農外就 隣り合った集落でも全く同じ条件ということはない。条件の中で、地域の特性(=優位性)を

生かした農業の展開が必要である。視点と視野を変えることで見えてくる農業の形態と果たすべ き役割について考察する。

2.1 日本の農業

1960年以降の日本の農業について、国の施策からみていく。

1961年に制定された「農業基本法」は、高度経済成長とともに広がった農工間の所得格差の是 正を目的とし、農業生産性の引き上げと農家所得の増大を目指した。農業の構造改善政策や大型 農機具の投入による日本農業の近代化が進められた。生産性を飛躍的に伸ばすこと、農家の所得 を伸ばすこと(ただし、兼業所得の増大という意味合いが強い)、農業生産を米・麦中心から畜産 物・果実・野菜など多様な広がりのある生産としたこと、という成果はあった。しかし、農家の 兼業化や都市部への労働力の移動を加速してしまい、農業の担い手不足や食料自給率の低下の要 因も生んだ(wikipedia「農業基本法 概要」)。

1970年には「米の生産調整政策(=減反政策)」が始まった。「農家の自主的な取組み」という 立場を取り、転作地には転作奨励金という補助金を出し麦・豆・牧草・園芸作物などの作付けを 推進した。一方で、稲作に関する土地改良事業などの一般的な補助金には、配分された転作面積 の達成を対象要件とするなど、実質的に義務化された制度である。一部の農家は、積極的に転作 に取り組み、農業構造の転換を図ろうとしたが、多くは米を引き続き栽培するためにやむを得ず 転作を受け入れるという立場をとった(wikipedia「減反政策 経緯1970年~1994年」)。

1999年は、日本農業の大きな転換点となった。「農業基本法」に代わり、「食料・農業・農村基 本法」が制定された。「国民生活の安定向上及び国民経済の健全な発展」を理念として、国土や環 境の保護など、生産以外で農業や農村の持つ役割を高めること、食料自給率を高めることなどを 目的としている(wikipedia 「食料・農業・農村基本法」)。

2012年12月16日に投票が行われた「第46回衆議院議員選挙」では、自由民主党(以下、自民 党)が294議席を取得した。自民党の政権公約には、農林水産業の高付加価値化や農商工連携強 化を進め、競争力のある「攻めの農林水産業」を展開すること、民主党政権下では大幅に削減さ れていた農林水産予算を復活させ、農家所得の向上・担い手育成、農地の維持・農業基盤の整備、

農山漁村の維持発展を図ること、食料安全保障として、食料自給率及び食料自給力を維持向上す ることが掲げられている。また、TPPに関しては、「聖域なき関税撤廃」を前提にする限り、交渉 参加に反対するという姿勢である(自民党政権公約 2012:25)。

日本の農業は、お米(稲作)とどのように向き合うかに動かされてきた。先達が苦労して切り 開いた田んぼに対しての畏敬すら感じる。しかし、食習慣の欧米化によって日本人の食べるお米

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業に従事していた。1990年代になると、兼業農民が高齢化にともない農業から引退し始め、いか に農業の継続し、いかに農地を荒廃させないかが課題として深刻化した(田林 2003:40-42)。

東北地方と並び「米どころ」と評される北陸地方。豊富な雪解け水と広大な耕地を利用して、

日本の重要な穀倉地帯となっている。積雪によって冬季の農作業と出荷が難しい自然条件。鮮度 が求められる生鮮野菜を三大都市圏へ輸送するには距離が離れすぎている位置的条件。水稲以外 の農業に力を入れてしまうと兼業が維持できなくなってしまう労働条件。コシヒカリが消費者の 嗜好に合い、高価格で取引されるという経済条件。こうした条件が北陸地方を水稲単作に向かわ せたと考えられる。米が農業生産の中心であるがために、国の施策の影響を強く受ける地域であ る。

しかし現代は人口減少時代であり、米の消費量が減っている。今後もコシヒカリが人気であり 続けるとは限らず、取引価格が低下する可能性もある。温暖化により栽培が困難になるかもしれ ない。水稲単作であることは、自然環境・経済環境の両方に対してリスクが高い。

平野部の水田地帯は、大型の農業機械による効率的な畑作も可能であるため、価格競争でも戦 えるだろう。輸送技術がさらに進歩すれば、日本の三大都市圏に限らず世界に売り出すことも可 能だと思う。かつては裏日本と呼ばれた日本海側であるが、中国・韓国・ロシアなど大陸には近 い。今後は、日本国内の需要ばかりではなく、周辺諸国の需要も注視していく必要があるだろう。

2.3 能登地方の農業

能登半島は、標高200~500mの丘陵地帯が続くため平地は少ない。輪島市の白米千枚田に見ら れるように、傾斜の急な山地を海岸線まで余すことなく開拓している。山と海との距離が近い地 形条件や都市との時間的・空間的距離は、農業と人々の生活にどのような影響を与えるのか。ま た、農業は文化にどのような影響を与えているのか。

表1は、能登地方を農業経営や土地利用、農産物、農業生産所得、就業構造などで区分した先 行研究である。水稲作を中心とした農業が行われていること、冬季は積雪により農業生産が困難 であることは加賀地方、北陸地方(北陸四県)と共通するものである。しかし、平地が少なく耕 作面積(水田面積)も狭いので、小規模農家が農業を主軸として漁業、林業、畜産業、杜氏、瓦 焼き等の他の生業も兼ねる、半農半漁・半農半X(エックス)4)の生活であった。また、通勤兼 業を供給する都市との距離が大きく恒常的兼業が困難であるため、農業への依存度が高いこと、

兼業の内容が不安定であること(出稼や臨時的土木日雇など)が特徴としてあらわれている。

2011年6月、七尾市、輪島市、珠洲市、羽咋市、志賀町、中能登町、穴水町、能登町に広がる

「能登の里山里海5)」が日本で初めて世界農業遺産6)に認定された。能登地方では、自然や神仏 との関わり、農耕儀礼や地域共同体の運営は、稲作の年間リズムを中心に行われる。能登各地に

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伝わる、田の神をもてなす、収穫と祈念の祭り事である「あえのこと」は、能登独自の行事であ る(「能登の里山里海」世界農業遺産活用実行委員会HP)。

1 能登地方の農業区分

(出所:田林2003:47)

農業は、食習慣や歴史的背景などの文化的条件に制約を受ける産業であるが、制約されるより も文化を生み、育てる営みの方が顕著である。「あえのこと」の他にも「田休み」や「庭祭り」、「虫 送り」など田んぼや稲作と関わる行事が行われる。世界農業遺産への認定は、伝統的な農業・農 法、農村文化や生物多様性、農村景観などがシステムとして保全・維持されているからである。

認定への取り組みの背景には、何らかの理由を付けて注目してもらわなければ、伝統・文化が途 絶えてしまうという危機感があったのではないか。つまり、このまま次の担い手が生まれず、農 業遺産を保全・維持している世代が退くと、地域文化を次世代に伝承できなくなってしまうので ある。農地のような目に見えるものだけでなく、農業の文化形成要因も後継者は引き継がなくて はならない。認定を活用した観光客やIターンの新規就農者の呼び込みは、大いに行わなくては ならない。だが、彼らはあくまでもよそ者である。地域活動の主体である地元民が、U ターンし たくなる魅力づくりと発信、自立的な定着できる環境整備が必要である。

2.4 珠洲市の農業

戦後の農地改革で自作農は増加したが、土地が細分化され経営規模は零細である。

1976年の聞き取り調査によると、珠洲市においては葉タバコ栽培・養蚕・施設園芸・果樹など の畑作と、椎茸栽培を含む林業、漁業、肉牛・豚の肥育、酪農などとを水稲作と組み合わせてい る農家が多かった(五味 1980:839)。

能登半島の先端に位置し、農業生産物の消費地に恵まれないこと、輸送手段の未発達、地元で

研究者(発表年) 指標 能登地方の農業区分 補足

松井勇(1943年) 農業経営方法 耕種・養畜地域、耕種・養蚕-養畜地域、耕種・養 畜・養蚕地域の混在

佐渡地方も同じ区分である。加賀地方は耕種地域、耕種・養蚕 地域の混在。

農林省開拓局

(1948年)

農業経営と土地利用、農業

の集約性 裏日本地帯 若狭地方(=山陰地帯)を除いた北陸と東北日本海側が裏日本地

帯に区分。

尾留川正平(1950年) 耕作景と換金作物 東北・北陸水稲単作地域、畑作物の麦-甘藷・陸稲 福井・石川・富山県の範囲での区分。

小笠原義勝(1950年) 土地利用 古日本・中心地帯・周辺地区 若狭・佐渡地方も同じ区分である。その他の北陸地方は古日本・

中心地帯・核心地帯。

除野信道

(1949年) 主要農産物と農地収益 主要穀物、農地収益中位 県単位での区分である。

斎藤光格

(1961年)

農業労働の収益性、  労働

力投下時間 収益性高く、労働粗放的な地域 北陸地方の範囲での区分。

尾留川正平他

(1964年) 農地収益 低位集約的土地利用 農耕地面積当たりの粗生産額の多少により区分。加賀地方は中 位集約的土地利用。

安藤正紀

(1978年) 農業生産所得 米を主体とした結合型、畜産も加わる 石川県が相当する北陸中部の範囲での区分。

山本正三他(1979年) 農業生産所得 米のモノカルチャー 北陸地方の範囲での区分。

山本正三他(1987年) 就業構造

(農業と兼業の組み合わせ) 出稼農村空間

業に従事していた。1990年代になると、兼業農民が高齢化にともない農業から引退し始め、いか に農業の継続し、いかに農地を荒廃させないかが課題として深刻化した(田林 2003:40-42)。

東北地方と並び「米どころ」と評される北陸地方。豊富な雪解け水と広大な耕地を利用して、

日本の重要な穀倉地帯となっている。積雪によって冬季の農作業と出荷が難しい自然条件。鮮度 が求められる生鮮野菜を三大都市圏へ輸送するには距離が離れすぎている位置的条件。水稲以外 の農業に力を入れてしまうと兼業が維持できなくなってしまう労働条件。コシヒカリが消費者の 嗜好に合い、高価格で取引されるという経済条件。こうした条件が北陸地方を水稲単作に向かわ せたと考えられる。米が農業生産の中心であるがために、国の施策の影響を強く受ける地域であ る。

しかし現代は人口減少時代であり、米の消費量が減っている。今後もコシヒカリが人気であり 続けるとは限らず、取引価格が低下する可能性もある。温暖化により栽培が困難になるかもしれ ない。水稲単作であることは、自然環境・経済環境の両方に対してリスクが高い。

平野部の水田地帯は、大型の農業機械による効率的な畑作も可能であるため、価格競争でも戦 えるだろう。輸送技術がさらに進歩すれば、日本の三大都市圏に限らず世界に売り出すことも可 能だと思う。かつては裏日本と呼ばれた日本海側であるが、中国・韓国・ロシアなど大陸には近 い。今後は、日本国内の需要ばかりではなく、周辺諸国の需要も注視していく必要があるだろう。

2.3 能登地方の農業

能登半島は、標高200~500mの丘陵地帯が続くため平地は少ない。輪島市の白米千枚田に見ら れるように、傾斜の急な山地を海岸線まで余すことなく開拓している。山と海との距離が近い地 形条件や都市との時間的・空間的距離は、農業と人々の生活にどのような影響を与えるのか。ま た、農業は文化にどのような影響を与えているのか。

表1は、能登地方を農業経営や土地利用、農産物、農業生産所得、就業構造などで区分した先 行研究である。水稲作を中心とした農業が行われていること、冬季は積雪により農業生産が困難 であることは加賀地方、北陸地方(北陸四県)と共通するものである。しかし、平地が少なく耕 作面積(水田面積)も狭いので、小規模農家が農業を主軸として漁業、林業、畜産業、杜氏、瓦 焼き等の他の生業も兼ねる、半農半漁・半農半 X(エックス)4の生活であった。また、通勤兼 業を供給する都市との距離が大きく恒常的兼業が困難であるため、農業への依存度が高いこと、

兼業の内容が不安定であること(出稼や臨時的土木日雇など)が特徴としてあらわれている。

2011年6月、七尾市、輪島市、珠洲市、羽咋市、志賀町、中能登町、穴水町、能登町に広がる

「能登の里山里海5)」が日本で初めて世界農業遺産6)に認定された。能登地方では、自然や神仏 との関わり、農耕儀礼や地域共同体の運営は、稲作の年間リズムを中心に行われる。能登各地に

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の商工業を誘引する要素に乏しいことといった珠洲市の関係位置がある(五味 1980:843)。 珠洲市の農業就業実態は、市全体として農業労働力の老齢化が著しいとともに、兼業化も著し くなっていて、しかも不安定な日雇・臨時雇・出稼などが、兼業農家の半数を超えるという状態 を示している。地区的にみると次の4類型に分けることができる(五味 1980:847)。

2 珠洲市の地区別農業就業実態

(出所:五味 1980:837)

1973年10月~国営農地開発事業(開発パイロット事業)珠洲地区、1979年6月~1991年3月 国営農地開発事業珠洲第二地区によって583haの畑地整備がなされ、スイカやカボチャ、能登大 納言小豆、大浜大豆、ハーブ、能登牛など地域の特徴的な農産物が生産されている(珠洲市都市 農村交流再生計画 2003:2)。

2.5 若山町の農業

若山町の土は粘土質であるため、田んぼに向いている。お話を聞きに伺い、農業の話を始める とまず田んぼ・稲作が話題となった。基盤整備やため池・用水について、「庭まつり」や「あえの こと」について、田んぼの委託についてなど、若山の皆さんにとって「農業=稲作」であること が感じられた。

しかし、ここでは若山町の畑作に注目してみていきたい。

畑には砂地の方が向いている。そのため若山町では出荷するための畑作はあまり盛んには行わ れていない。一時期、減反政策で転作が進められ、養蚕のための桑の木や、ビニールハウスでの 菊の栽培が行われた。しかし、稲作に比べて作業の負担が大きいため高齢者には厳しく、長続き しなかったという。自家消費のための野菜は、庭先の小さな畑で少量多品種につくる家が多い。

種を蒔く時期をずらして、一度に収穫時期が来ないように工夫しているようだが、ご近所からの おすそわけも重なり、食べきれないこともあるという。

表3、図1は若山町の経営耕地面積の推移である。樹園地はリンゴの果樹園などがあった。おい しいリンゴが採れたようだが、雪が重く枝が折れるという被害があり、今ではほとんど残ってい

①飯田・蛸島 農業に主体的に取り組む者が少なく、兼業率が高いとともに、恒常的勤務が卓越する。ただし、飯田 は商工業中心の兼業であるが、蛸島は漁業中心である。

②上戸・三崎/

正院・宝立

農業が比較的盛んであるか、もしくは農業に主体的に取り組む者の多い地区であるが、兼業種では 恒常的勤務と出稼・日雇・臨時雇が半々である。

③若山・直 農業に主体的に取り組む者が多く、したがって兼業率も高くないが、兼業種では恒常的勤務が多い

④西海 兼業率は比較的低いが、農業労働力は女性化・老齢化が著しく、兼業種では出稼・日雇がほとんど である。

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ないようである。リンゴや葉タバコの農地は、開発パイロット事業により新たに開かれた耕地で あったという。

3 経営耕地面積(若山町5地区合計)

(出所:農林業センサス)

1 経営耕地面積(若山町5地区合計)

(出所:農林業センサス)

3.農業戦略

これまでの農業は、自然条件や位置的条件などの制約のなかで、消費者のニーズに合った 作物を生産することを目的として営まれてきた。生産者と消費者が直接顔を合わせる機会は

面積計 田の面積 田の割合 畑の面積 不作付地 樹園地の面積

1960年

1970年 10540 9600 91% 890 30 40

1975年 8852 7527 85% 1053 17 272

1980年 9417 8177 87% 839 48 261

1985年 9592 8339 87% 753 13 375

1990年 9264 7888 85% 960 25 416

1990年(販売) 8724 7430 85% 897 25 397

1995年 8754 7399 85% 1083 207 272

1995年(販売) 8141 6862 84% 1017 202 262

2000年 6782 6097 90% 615 0 10

2000年(販売) 6152 5571 91% 520 17 61

2005年(販売) 5093 4469 88% 579 6 5

91%

85% 87% 87% 85%

84% 91%

88% 0

2000 4000 6000 8000 10000 12000

面積計 田の面積 畑の面積 樹園地の面積 の商工業を誘引する要素に乏しいことといった珠洲市の関係位置がある(五味 1980:843)。

珠洲市の農業就業実態は、市全体として農業労働力の老齢化が著しいとともに、兼業化も著し くなっていて、しかも不安定な日雇・臨時雇・出稼などが、兼業農家の半数を超えるという状態 を示している。地区的にみると次の4類型に分けることができる(五味 1980:847)。

2 珠洲市の地区別農業就業実態

(出所:五味 1980:837)

1973年10月~国営農地開発事業(開発パイロット事業)珠洲地区、1979年6月~1991年3月 国営農地開発事業珠洲第二地区によって583haの畑地整備がなされ、スイカやカボチャ、能登大 納言小豆、大浜大豆、ハーブ、能登牛など地域の特徴的な農産物が生産されている(珠洲市都市 農村交流再生計画 2003:2)。

2.5 若山町の農業

若山町の土は粘土質であるため、田んぼに向いている。お話を聞きに伺い、農業の話を始める とまず田んぼ・稲作が話題となった。基盤整備やため池・用水について、「庭まつり」や「あえの こと」について、田んぼの委託についてなど、若山の皆さんにとって「農業=稲作」であること が感じられた。

しかし、ここでは若山町の畑作に注目してみていきたい。

畑には砂地の方が向いている。そのため若山町では出荷するための畑作はあまり盛んには行わ れていない。一時期、減反政策で転作が進められ、養蚕のための桑の木や、ビニールハウスでの 菊の栽培が行われた。しかし、稲作に比べて作業の負担が大きいため高齢者には厳しく、長続き しなかったという。自家消費のための野菜は、庭先の小さな畑で少量多品種につくる家が多い。

種を蒔く時期をずらして、一度に収穫時期が来ないように工夫しているようだが、ご近所からの おすそわけも重なり、食べきれないこともあるという。

表3、図1は若山町の経営耕地面積の推移である。樹園地はリンゴの果樹園などがあった。おい しいリンゴが採れたようだが、雪が重く枝が折れるという被害があり、今ではほとんど残ってい

①飯田・蛸島 農業に主体的に取り組む者が少なく、兼業率が高いとともに、恒常的勤務が卓越する。ただし、飯田 は商工業中心の兼業であるが、蛸島は漁業中心である。

②上戸・三崎/

正院・宝立

農業が比較的盛んであるか、もしくは農業に主体的に取り組む者の多い地区であるが、兼業種では 恒常的勤務と出稼・日雇・臨時雇が半々である。

③若山・直 農業に主体的に取り組む者が多く、したがって兼業率も高くないが、兼業種では恒常的勤務が多い

④西海 兼業率は比較的低いが、農業労働力は女性化・老齢化が著しく、兼業種では出稼・日雇がほとんど である。

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ほとんどなかった。そのため、生産者は小売業に主導権を握られ翻弄されてきた。しかし、

直売所や通信販売、ネット販売が普及し、簡単に消費者と直接つながることができるように なった。「つくれるものをつくる」農業から「売れるものをつくる」農業、「ニーズをつくる」

農業へと転換していかなければ生き残ることはできない。また、作物の特性を熟知する生産 者が加工や販売に関わることで、ユニークな付加価値を付けることができ、生産者の所得の 向上にもなる。所得と仕事の多様性、外部とのつながりが確保されれば、閉鎖的で単調であ るという農業のイメージを変えることになり、就農する若者も出てくるかもしれない。こう した農業の魅力を引き出すためには、戦略的な農業マーケティングが必要である。

3.1 直売所・グリーンセンターについて

直売所では、周辺の農家が流通に直接携わっている。朝採れた農産物を農家自身の車(主に軽 トラック)で持ち込む小規模流通である。JAすずしのグリーンセンター(飯田町、営農支援セン ター)で、お客様に話をうかがった(2012年8月)。

Aさん(鈴内、女性)

自家消費野菜を栽培しているが、自分で作らなかった野菜を買い足しに来る。

値段の安さが良い。

Bさん(民宿経営、料理人、60代、男性)

民宿で提供する料理の食材を買う時に利用する。必要な野菜はそろう。地物野菜を買いたい というお客様にはグリーンセンターを勧めている。

Cさん(女性)

夏の時期には、ほぼ毎日覗きに来る。スーパーに行く前に来て、野菜は先に買っておく。グ リーンセンターは、昼前には人気商品がなくなってしまう。生産者の名前よりも、品質の良 さで選んでいる。

Dさん(女性)

スーパーに行く前にグリーンセンターに来る。地元の新鮮な野菜が欲しい。スーパーでは、

肉などの足りないものを補足的に買う。

Eさん(正院、女性)

週3回くらい来店する。安くて新鮮な野菜がいつも変わらない値段で買える。お店のなかで、

店員さんや他のお客様と気楽におしゃべりができる。スーパーでは肉や魚、セロリ(近くで 作っていないような野菜)などを買う。

Fさん(女性)

(10)

週に2回くらい、野菜やお花、仏壇菊を買いに来る。

Gさん(飯田、女性)

週に4・5回くらい、スーパーに行く前に来る。浅漬けに使う朝採れの小ぶりナスを買う。地 物の野菜や花(仏壇菊)が安くいつもある。

Hさん (飯田、料理店経営、料理人、50代、男性)

週に3・4回くらい。大きさや向きをそろえた袋詰めをしているモノを選ぶ。お客様を意識し ているのかを見る。スーパーの色つきネットは品質・鮮度の誤魔化しである。

Iさん (女性)

野菜、組合の醤油、用途に応じてスーパーと使い分ける。

店内は、お客様と店員、お客様同士の会話が多かった。私が突然声をかけても快く応えてくだ さる方ばかりであった。おすすめの調理法なども丁寧に教えて下さった。一つ一つの商品をじっ くり手に取って見定めている様子も見られる。商品に対しての目はとても厳しい。傷があるもの や乱れた袋詰めのものは売れ残っていた。生産者は、開店前に出品に訪れて、商品を並べ終える とすぐに帰ってしまいお客様と会うことはあまりないようだ。販売価格も上げられず、とても小 さな需要で意欲を保つのは難しいかもしれないが、地元民たちの信頼は、次の段階へ登るときの 支えとなると思う。

3.2 能登野菜7

能登という地域名と独特な野菜を組み合わせ、地域ブランド8とすることにより、高付加 価値化・差別化を図ろうとする動きがある。能登野菜振興協議会は、能登野菜の生産・販売拡 大のために認定を行っている。

「能登」という記号には、日本中で認知される力があると思う。まず、地図を見れば一目で能 登半島の位置は確認できる。そしてその形の特徴と、日本列島のおよそ真ん中であるということ から人の記憶に残りやすいであろう。また、メディアで能登が取り上げられる場合、美しい海や 優しい人たちを強調することが多いと思う。こうした既存の能登に対するプラスイメージが、能 登野菜のイメージを引き上げてくれるだろう。また、石川県にはすでに全国区となりつつある加 賀野菜がある。加賀野菜の人気にあやかって台頭することも考えられる。

3.3 加工・流通

食品加工は、自家消費用として生産・採集していた第一次産品を加工し、付加価値を高め販売 することによって、原料生産を活発化することができる。能登地方では、家庭単位で伝承される ほとんどなかった。そのため、生産者は小売業に主導権を握られ翻弄されてきた。しかし、

直売所や通信販売、ネット販売が普及し、簡単に消費者と直接つながることができるように なった。「つくれるものをつくる」農業から「売れるものをつくる」農業、「ニーズをつくる」

農業へと転換していかなければ生き残ることはできない。また、作物の特性を熟知する生産 者が加工や販売に関わることで、ユニークな付加価値を付けることができ、生産者の所得の 向上にもなる。所得と仕事の多様性、外部とのつながりが確保されれば、閉鎖的で単調であ るという農業のイメージを変えることになり、就農する若者も出てくるかもしれない。こう した農業の魅力を引き出すためには、戦略的な農業マーケティングが必要である。

3.1 直売所・グリーンセンターについて

直売所では、周辺の農家が流通に直接携わっている。朝採れた農産物を農家自身の車(主に軽 トラック)で持ち込む小規模流通である。JAすずしのグリーンセンター(飯田町、営農支援セン ター)で、お客様に話をうかがった(2012年8月)。

Aさん(鈴内、女性)

自家消費野菜を栽培しているが、自分で作らなかった野菜を買い足しに来る。

値段の安さが良い。

Bさん(民宿経営、料理人、60代、男性)

民宿で提供する料理の食材を買う時に利用する。必要な野菜はそろう。地物野菜を買いたい というお客様にはグリーンセンターを勧めている。

Cさん(女性)

夏の時期には、ほぼ毎日覗きに来る。スーパーに行く前に来て、野菜は先に買っておく。グ リーンセンターは、昼前には人気商品がなくなってしまう。生産者の名前よりも、品質の良 さで選んでいる。

Dさん(女性)

スーパーに行く前にグリーンセンターに来る。地元の新鮮な野菜が欲しい。スーパーでは、

肉などの足りないものを補足的に買う。

Eさん(正院、女性)

週3回くらい来店する。安くて新鮮な野菜がいつも変わらない値段で買える。お店のなかで、

店員さんや他のお客様と気楽におしゃべりができる。スーパーでは肉や魚、セロリ(近くで 作っていないような野菜)などを買う。

Fさん(女性)

(11)

漬物が多く見られる。自給的なもので人知れず伝承されている可能性もある。また、地域性とし て半農半漁村らしさを強調することも考えられる。例えば、ナスのいしる漬け(珠洲市)は農と 漁の融合である。「秘伝」、「未知なる出会い」というようなプラスアルファを付加することが必要 である。

能登半島には能登空港がある。航空機の貨物室を活用するフライト農業は考えられないのだろ うか。フライト農業は、花卉・軽量野菜などの鮮度が重視され、重量の割に単価の高い作物が適 しているとされる。能登地方に適した作物があるかどうかも検討しなければならないが、それ以 上に、担い手となる農家と後方支援をする農協に意欲があるかが重要である。農業に関して稲作 への依存度の高い能登地方では、「米さえ作っていればいい」という傾向があるようで、転作や新 品種開発の意欲が低いとされている。こうした意識改革こそまず取り組むべきことである。

4.今後の展開

以上、視点と視野を変えて珠洲市若山町の農業を考察した。日本という国のスケールで農業を 考えることと、若山町という集落のスケールで農業を考えることは、全く違う次元のことではな いかと予想していた。しかし、見え方が違うだけで、稲作と畑作のバランスに苦悩しているとこ ろは同じである。現在は、稲作中心でも何とか続けられているが、人口減少時代で、国民のお米 の消費量が減っていくことは確実である。稲作と兼業でわずかでも余裕がある今のうちに、地元 に根付いた地域ブランド化や、新たな流通経路の構築に取り組む必要がある。

5.おわりに

今回の調査は、私にとって初めての石川県の農村でした。立派なお宅に圧倒され、ほんの少し 方言に悩み、見たことも聞いたこともないモノ・コトの連続で、あっという間に1週間が過ぎて いました。6月に見学させていただいた、若山庭まつりでは、赤ん坊からお年寄りまでいろんな人 が一緒に笑って踊っていて、見ているだけでとても幸せな気持ちになりました。

最後になりましたが、私たちの実習に協力していただきました皆様に、心から御礼申し上げま す。

(12)

1国民1人・1年当たり供給純食料の米は、昭和35年度(1960)は126.2kg。平成23年度(2011)は57.8kg。

(農林水産省食料需給表 2011)

2総合農政

米偏重農政から脱皮して、畜産その他へ重点を移行する農政。(お金と農業環境HP)

3省力的な水稲作

農作業が機械化されたことで、以前は10aの田んぼに500時間要していたのが、48時間に激減した。そ のため、稲作農家は兼業でも十分対応できるようになった。

4半農半X

半農半Xとは小さな農のある暮らしをして、残りの半分はX(エックス)~つまり好きな事(仕事、天 職)をやろう、という事です。人によって当然Xの部分は様々です。農の部分は決して商売でなくていい。

自分と自分の家族が食べられるだけの食があればそれでいい。本当に必要なものを満たす小さな暮らしを して、好きな事をして積極的に社会にかかわって行く、そんな生き方・考え方を意味しています。(半農半 X研究所news vol.001 2003)

5「能登の里山里海」

里山とは、集落、農地、それらを取り巻く二次林、人工林、採草地、竹林、ため池などがモザイク状に 組み合わさって形成され、人が適度に利用することで、豊かな自然が形成・維持されてきた地域です。

里山は、人の生活・生産活動の場であると同時に、多様な生きものの生息・生育空間ともなり、さらには 地域固有の文化や景観も育むなど多様な価値を併せ持っています。

人が様々な海の恵みを得ながら生活するなど、人の暮らしと深い関わりを持つ沿岸域を里海と呼びます。

里海は生産性が高く豊かな生態系を持ち、魚類の産卵場所や稚魚の生育場所など、海の生きものにとって も重要な場所です。(「能登の里山里海」世界農業遺産活用実行委員会HP)

6世界農業遺産(Globally Important Agricultural Heritage Systems(GIAHS):ジアス)

近代化の中で失われつつあるその土地の環境を生かした伝統的な農業・農法、生物多様性が守られた土 地利用、農村文化・農村景観などを「地域システム」として一体的に維持保全し、次世代へ継承していく ことを目的とする。創設の背景には、近代農業の行き過ぎた生産性への偏重が、世界各地で森林破壊や水 質汚染等の環境問題を引き起こし、さらには地域固有の文化や景観、生物多様性などの消失を招いてきた ことが挙げられる。 (「能登の里山里海」世界農業遺産活用実行委員会HP)

7能登野菜

能登の風土を活かした生産が行われ、優れた特長・品質を有する野菜

・能登地区(JAはくい以北)のJA組合員が栽培し、能登地区(宝達志水町以北)で栽培されていること

・明文化された栽培協定・指針を実践し、栽培履歴が記帳・整理されていること

【能登伝統野菜】

能登の伝統食などに育まれ、古くから栽培されている野菜

・概ね30年以上の栽培歴史があること

・部会などの組織を作っていること

・優れた特長を有していること

【能登特産野菜】

能登を代表する野菜として、今後とも、生産・販売の拡大を進めていく野菜

・能登の農業振興品目として、生産・販売の拡大を図る必要があるもの

・栽培協定に従い生産されたもので、他産地に対して優位性・独自性を打ち出せる要素を持っていること

・能登を代表する野菜として、広く一般に流通していること 出荷に際しては次の点に留意する

・品質、規格の統一ができていること

・生産計画が樹立され、計画的な生産出荷が励行されていること

・苦情に対する処理などのブランド管理の体制が確立していること

・生産者組織による自主的な検査態勢が確立しており、かつ、農業協同組合の職員又はこれに代わる者に よる格付検査が励行されていること

漬物が多く見られる。自給的なもので人知れず伝承されている可能性もある。また、地域性とし て半農半漁村らしさを強調することも考えられる。例えば、ナスのいしる漬け(珠洲市)は農と 漁の融合である。「秘伝」、「未知なる出会い」というようなプラスアルファを付加することが必要 である。

能登半島には能登空港がある。航空機の貨物室を活用するフライト農業は考えられないのだろ うか。フライト農業は、花卉・軽量野菜などの鮮度が重視され、重量の割に単価の高い作物が適 しているとされる。能登地方に適した作物があるかどうかも検討しなければならないが、それ以 上に、担い手となる農家と後方支援をする農協に意欲があるかが重要である。農業に関して稲作 への依存度の高い能登地方では、「米さえ作っていればいい」という傾向があるようで、転作や新 品種開発の意欲が低いとされている。こうした意識改革こそまず取り組むべきことである。

4.今後の展開

以上、視点と視野を変えて珠洲市若山町の農業を考察した。日本という国のスケールで農業を 考えることと、若山町という集落のスケールで農業を考えることは、全く違う次元のことではな いかと予想していた。しかし、見え方が違うだけで、稲作と畑作のバランスに苦悩しているとこ ろは同じである。現在は、稲作中心でも何とか続けられているが、人口減少時代で、国民のお米 の消費量が減っていくことは確実である。稲作と兼業でわずかでも余裕がある今のうちに、地元 に根付いた地域ブランド化や、新たな流通経路の構築に取り組む必要がある。

5.おわりに

今回の調査は、私にとって初めての石川県の農村でした。立派なお宅に圧倒され、ほんの少し 方言に悩み、見たことも聞いたこともないモノ・コトの連続で、あっという間に1週間が過ぎて いました。6月に見学させていただいた、若山庭まつりでは、赤ん坊からお年寄りまでいろんな人 が一緒に笑って踊っていて、見ているだけでとても幸せな気持ちになりました。

最後になりましたが、私たちの実習に協力していただきました皆様に、心から御礼申し上げま す。

(13)

(能登野菜振興協議会HP)

8地域ブランド

平成18(2006)年4月に商標法の一部が改正され、「地域名+商品(サービス)名」が地域ブランドとし て国から認定される「地域団体商標制度』がスタートした。

平成19(2007)年6月には、地域資源(農産物や産地の技術や観光資源等)を活用して食農(農工)連 携によって農産物加工品などの新商品を開発・市場化することを支援する法律「中小企業地域資源活用促 進法」が施行された。

参照

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