カ フヱー と文 芸
一 銀 座(周 辺)の ロ シ ア 系 カ フ ヱ ー を 中 心 に 一
岡 暗 一 珈 瑳 店
色 や か な る情 熱 の カ フエ エ は 不 思議 な る都 市 の 光線 の筋 で 夜 の紫 の焔 と深 紅 と虹 を纏 ひつ つ 星や 街 燈 の 交叉 の うち に散 らば る カ フエ エ は 華や げ る 漂流 人の天 幕 とな り 匂 は しき彷 篠 女 の 王 宮 とな り
もろ もろの孤 濁 な る情 熱 像 を燃 や し出 して 衣 裳 あ る鰯 膿 の 色 縷 を燈 す
瓦期 や 影縛 の彩 薫 あ る街 巷 か ら
男 女 の流 星 はほ の か に カ フエ エ にす べ り入 り 秘密 の計 画 あ る魔 の 鳥 のや うに
青 い 肉髄 を卓 や 椅 子 に飾 り立 て る 夜 の時 計 の廻 縛 に つれ て
客 は朧 ろげ な る焔 とな り 酒 の牧 師 も花 の 兇 漢 も 累 累 と してす れ ち がふ
カフエ エ は 夜の 都 市 のi新らL、い 教 會 とな つ て 悶 ゆ る臓悔 人 を呼 び 入れ もす るが
化粧 せ る闇 の貴 婦 人 がす る どい 表情 で 生 き た心臓 を と りに くる地獄 に もな る カ フエ エ は夜 街 の彩 られ し天文 嘉 で 情熱 の深 夜や 四 季 や 時刻 表 を うつ し出 し 多 くの人情 技 師 や 散歩 の魔 女が
死や 恋 愛 の現 實 文宇 を讃 み に くる小建 築 で あ る。
(中西 唐堂 薩 東京 市 』 け予清詩 社 、 大正U年1280‑82)
序 論
先 ずcafeのH本 語 表 記 に つ い て 断 っ て お か な け れ ば な らな い 。cafeの 目本 語 表 記 に は 平 仮 名 表 記 や 漢 字 表 記 も あ る に は あ る が 、カ タ カ ナ 表 記 が 通 例 で あ る。 〈カ フ ェ 〉・〈カ フ ェ ー 〉 を 始 め と して 、 カ タ カ ナ 表 記 が 多 種 多 様 で あ る こ と は 、 前 記 の 中 西 悟 堂 の 表 記 か ら も容 易 に 推 測 可 能 だ が 、 本 稿 で は 特 に(近 代 日本 と い う)時 代 性 を 考 慮 して 、 原 則 と し て 〈カ フ ヱ ー 〉(や 〈バ ア 〉)と い う表 記 を 用 い る。 そ れ は 実 質 的 に 本 邦 初 の カ フ ヱ ・・一・・一で あ っ た 「プ ラ ン タ ン 」 の 以 下 の よ うな 広 告(『 青 鞘 』 大 正 2年12月 一 大 正3年 ・#g)を 意 識 して い る せ い も あ る 。
開 口 口 口 口 口 肌 ・ ・ 口 口 ・ 開
力7ヱープランタン
此度當プランタンは二階を鑛げて食堂を新設致しましだ嚇度御來遊を願ひます︑私の嗜好は私の店を街中と云ふ戚から離し度思つてましだ︑そして此度新設した食堂ぱ多少成功しだと
存じます︒海蓬の檬な気持のするヅエランダで臼吉町の暗い通を見下ろしながら石上るコーヒーは趣昧
の無いものではありません︒
階下は著名な文士書家の落書が壁の殆全部をうづめてます︑不用意の間にそれー面目が表はれる所或は極端に皮肉なカリカチユアー}度では見つくせぬ程興昧のあるものです︒
ドーぞ御來遊の程所bます︑そしてプランタンは常に趣昧の上に立つてる事を御覧下さい︒
カ7ヱーブランタン
松山省三
螢業時間午前十時頃ヨリ午前幽時頃迄
テー7ルドツト金畳圓
ラン手午前十国時ヨリ午後鼠時迄及午後玉時ヨリ七時迄︑A三十銭B五十銭
(ンバクス予ギサンドウ井ツチ金十二銭カキフライサンドウ井ツチ
年末年始の御贈答になる模茶菓券を登責致します ︑
本稿 は カ フヱ ー(部 分 的 に喫 茶 店 ・洋食 店 ・バ ア も 含む)と 文芸 との 関わ りを 主 題 とす る ものの 、 カ フヱ ー 関連 文 献 を網羅 す るわ け では 全 くな い し、 そ の必 要 もな い。 また 、紙 福 の 関係 か らカ フヱ ー の総論 も意 図 してお らず 、 本題 と して は特 定 の カフヱ ー に焦 点 を 当 て る こ とにな る。対 象期 間 も、與謝 野 晶 子が 「お も しろ きCAFE だ に無 き都 にて 友 よ何 をか語 らん とす る」(「灰 色 の 日」『新聲 』明治42年11月)と 詠 ん だカ フ ヱー 前 史か ら、実質 的 な カフ ヱー 元年(明 治44年)を 経 て 、カ フヱ ー が 全盛 期(昭 和4‑7年 頃)を 迎 え る ものの 、 当局 の 取 り締 ま りを受 けて行 き詰 ま りを 迎 え(昭 和9年 〉、 カフ ヱー ・喫 茶 店 が激 減 した昭 和11年(二 ・二六 事件 の 年)ま で に限 定 す る。対 象 地域 も、"目本 の 都 會生 活 の檜 舞 毫"、"臼本 中 の人 問 の 渇仰 の 的"、
"現 代 文 化 の象徴"
、"日本 の 中心"と して の"銀 座 時代"(安 藤 更 生 『銀座 細 見 』[春 陽 堂 、昭稲6年35‑6)と 特別 視 され た銀座(周 辺)に 限 定 し、伝 統 的 大歓 楽 地 の 浅 草 な どは 敢 えて含 め ない。
引用 文献 は 、原 典 、近代 デ ジタル ライ ブ ラ リー(国 立国 会 図書 館)、個 人 全 集 な ど に拠 った が 、註 釈 。コ メン トは最 小限 に 止 めた。 引用 に際 しては 、旧字 体(旧 漢 字 ・ 変体 仮 名 ・合 掌 な ど)を 原 則 と して新 字体 に改 め た。 副題 は 、適 宜 省 略 した。 ル ビ は 、パ ラル ビ と した。 補訂 ・補 足 は 、[]で 示 した。 漢 数字 は 、 差支 えの ない 限 り、
原則 としてア ラ ビア数 字 に改 めた。 〈ペ ー ジ〉(頁 、p.麦)るいはpp.)自 体 の記 載 は 省 き、 数宇 の み で記 載 した。 イ ン ター ネ ッ ト情 報 は言 うに及 ばず 、辞典 ・事 典 ・年 表 類 か らの 引用 につ い て は 、既 知事 項 で あ るた め 、 出典 を必 ず し も明記 しない。 新 聞記 事 の 引用 に つ いて は 、紙 面 の 関係 で レイ ア ウ トを已 む無 く変 えた 場合 もあ る。
戦前 につ いて は(時 代 性 を考 慮 して)元 号 を基本 的 に使 用 し、戦 後 にっ い ては 西贋 を基 本 的 に使 用 した。
銀 座(当 時 は東 京 市 京 橋 区)の カ フヱ ーや バ ア を描 い た風 俗 小説 に は 、広 津 和郎
「女 給 」(『婦 人 公論 』 昭 和5年8月 一昭和7年2月)、 永 井荷 風fつ ゆ のあ とさ き」
(『中央 公 論』 昭 和6年10月)、 武 田麟 太 郎1銀 座 八丁」(『東京 朝 日薪 闘 』[夕 刊]
昭 和9年8月22β 一10月20El)な どが ある。そ の 中で 、広 津 のベ ス トセ ラー 小説
「女 給 」は 曰 くつ きの もの で、(文 士)吉 水薫 の モ デ ルが 菊 池寛 だ った た め 、中央 公 論祉(『 婦 人公 論』発 行所)と 菊 池 との問 で 細 寺は告 訴 騒 ぎ にま で発 展 した もの の和 解 が成 立 、後 に 大阪 の 帝 国 キ ネマ(帝 キ ネ)に よっ て映 画化 され 、そ の 主題 歌 「女 給 の唄 」 の レコー ド(西 條 八十 作詞 、塩 尻 精 八 作 曲、羽 衣 歌子 歌唱[A面]、
二 三吉 歌唱[B面])が 、 昭和6年1月 に ビクタ ー か ら発売 され ヒッ トして い る。
その 冒頭 に、女 給 の 小 夜 子が 銀座 通 りで擦 れ違 っ た 中学 生達 か ら 〔あ りゃ ネ コか
い 、 トラ か い 」 と言 わ れ る 場 面 が あ る(『 広 津 和 郎 金 集 』 第5巻 沖 央 公 論 社 、1974 年]7‑8)。 銀 座 に ネ コ が い て も全 く 不 思 議 は な い が 、 トラ も存 在 し て い た とい う こ と に な れ ば 、不 審 に 思 う人 は 多 い は ず で あ る 。因 み に 作 者 が 自 ら註 記 し て い る よ う に 、
"ネ コは カ
ッ フ ェエ ・黒 猫 、 トラ は カ ッ フ ェ エ ・タイ ガ ー の 略"で 、 銀 座 ボ ー イ の 間 で は こ の 略 称 で 通 用 して い た こ と を 知 れ ば 、 こ の 不 審 は 自 ず か ら氷 解 す る わ け だ が 、 実 は タ イ ガ ー(銀 座5丁 目 西 側[現 在 の7番 地8号])ば か り か 、 銀 座 通 り筋 向 い の 銀 座511"HPtc側(現 在 び)8番 地1号 〉 に は 、 曾 て ラ イ オ ン ま で 存 在 し て い た 。 即 ち 、 カ フ ヱ ー一 「ラ イ オ ン 」 で あ る。(そ の 他 、動 物 園 張 りに 、 イ ー グ ル ・キ リン ・ ピ イ ロ ッ ク ・フ ォ ッ ク ス な どの 動 物 名 を 冠 した カ フ ヱ ー も銀 座 に は 存 在 し、 そ の こ と が ア ン ド レイ ・レイ フ エ ル トの 漫 画
ピ"り豪『訟P
イ レ 尉 ン,{}….
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軸 銀痩に猛獄出現ε聞き勇を鼓してカフェーへ︑肋
學独害ん藍が︑書髭,イナγ濯φ・タイ労‑泥再ゴ悪彊此君ま壽箋を聾して撞つて艶若と・塾夘︒寧塾だ窪警て薯ガ阜‑轟ぎ・・な幽響韓鍛簿辣戒鶏3害鶴獣臨酬
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で も 講 刺 され て い る。)
そ の カ フ ヱ ー 「タ イ ガ ー 」 と カ フ ヱ ー 「ラ イ オ ンjは 、 実 は 西 條 八 十f当 世 銀 座 節 」(昭 和3年)に 次 の よ うに 詠 み 込 ま れ て い る 。
東京 銀 座 は 怖 し どころ
虎 と獅 子 とが酌 に 出 る
み イ ちや ん 、 は ア ちや ん、 上 りだ よ
う りすな さ け
注い だ リキユ ール の 薄 情
も し よ
例 へ 百夜 を来 れ ば とて
り ぎ
チ ツ プ ニ 十 銭 ぢ や 惚 れ は せ ぬ 。
(『西 條 八 一{一全 集』 第8巻[国 書 刊 行 会 、1992年]再 版[2003年]10)
"虎"が 「タ イ ガ ー 」、̀獅 子"が 「ライ オ ン 」 とい うわ け だ が 、 実 は 八 十 が 「当 世 銀 座 節 」 を 書 い た 時 点 で は 、 両 店 の 所 在 地 は 銀 座5丁 目で は な く 尾 張 町 妻丁 翼だ っ た(銀 座5‑8丁 目の 成 立 は 昭 和5年)。 な お 、"み イ ちや ん"・"は ア ちや ん"は 女 給 の 愛 称 、"リ キ ユ ー ル"は 岡 じ く 西 條 八 十f東 京 行 進 曲 」(昭 湘4年)で お 馴 染 み 、
"百 夜"は 深 草 少 将 の 小 野 小 町 邸 へ の 百 夜 通 い で 有 名
、"チ ツ プ"は 当時 の 女 給 の 生 活 の 糧 。 さす が に 流 行 に 敏 感 な 八 十 な らで は の 手 際 だ が 、 今 後 の 行 論 に も 関 わ る の
で 、 こ こ で カ フ ヱ ー に つ い て の 定 義 と 実 態 を 予 め 見 て お く こ と に す る。
第1章 カ フヱ ー の 定 義 と実 態 先 ず 幾 つか の参 考 例 を以 下 に 引用 す る。
● 木 下 杢 太 郎 「博 士 と 悪 魔 と 」(『詩 歌 』 大 正2年3月;『 木 下 杢 太 郎 詩 集 』[第 一一一書 房 、 昭 和5年])
博 士
ぱ あ
[中略]あ ち らで も酒 緯
かふ え
い や こ ち ら で も 、 ま た あ す こ で も茶 騨 一
([1"木下 杢 太 郎 全 集 』 第1巻[岩 波 書 店 、1950年]282>
● 大 庭 何 公 「カ フ エ ー 〈下)」 『ペ ン の 踊 』(大 阪 屋 号 書 店 、 大 正1◎ 年 〉
私 は敢 て バー とカ フエ ー とを 混問 しよ うと思ふ もの で はな い 、が 臼本 化せ ら れ た 此 二つ の もの は 、 それ 自身混 同 してゐ るの だ。 イ ヤニ つ 処 では な い、 バ ー とカ フエー と レス トラ ンの 三 つが 巴のや うに 混一 され て ゐて 、何 の 不思 議 もな い 有 様 であ る。 西 洋 で はB、C、R此 の三 国 の境 界 は 甚 だ明 確 で 、 カフエ ー とバ ー とは飲 む こ とを本則 とし、 レス トランは 食ふ こ と を本 位 とす る。 そ して 前 二 者 の 区別 は 、バ ー が 強 いや ら甘 いや らの酒 を 主 とす るに対 して 、カ フエ ー は珈 瑳 茶 、麦 酒 お よび 強 い酒 を飲 ませ る処 と相 場 が定 つ て ゐ る。(1D
● 広津 和 郎 『年 月 のあ しお と』(講 談 社 、1963年)
この 間 二十代 の タ クシー の 運転 手君 に 、機 等 は カ ッフ ェ とい うもの が どん な も の だ か解 らな いの で す が 、 どん な ものだ った ので す か 」 と訊 かれ て驚 い た こ と が あ る。そん な に も早 く時 は変遷 す る もの なの か。 「そ うだ ね、今 の キ ャバ レー や ナ イ トクラブ の 前身 見た よ うな もの かね 」 と私 は 答 えて 置 いた。{
併 しキ ャバ レー や ナ イ トクラブ の前 身 の よ うな大仕 掛 けの カ ッフェが むや み に出 現 した の は、 昭 和年 代 に 入 って か らで 、 当時 の カ ッフ ェは銀座 の一 、 二 の 例 外 を除 けば、 一一品洋 食 屋 の 延長 の よ うな 小 さな もの で あっ た。 それ で い て今 の 喫 茶店 とは違 い 、 サー ヴ ィスの 女 た ちは 、客 か らの チ ップ で生 活 して い る の で あ る。(『広津 粕 郎 全集 』 第12巻[中 央 公論 社 、1974年]214)
● 小松 崎 年)
茂(画)・ 平 野 威 馬 雄(文)『 懐 か し の 銀 座 ・浅 草 』(毎 目 新 聞 社 、1977
ビ ヤ ホ ー ル が 名 を 変 え た カ フ ェ ー と い う名 称 は 、 本 来 な ら、 今 日の 喫 茶 店 に あ た る わ け な の だ が 、 日本 で 発 生 した カ フ ェ ー の性 格 は 純 然 た る バ ー で あ っ た 。 だ れ もそ こへ 行 っ て コ ー ヒ ー だ け を飲 ん で 、 帰 る わ け で は な か っ た 。 そ ん な ケ チ な こ とは ダ メ だ っ た 。 長 い 挟 を ひ る が え し 、 白 い エ プ ロ ン を か け た 美 しい 女 給 さ ん た ち が 、 サ ー ビ ス を す る の だ か ら、 ま さか 、 コ ー ヒ ー 一 杯 と い うわ け に は い か な い 。 ど う して も ビ ー ル か 、 カ ク テ ル か ウ イ ス キ ー と い う こ と に な る 。 コ ー ヒー だ け な ら 、 町 中 に こ ろ が っ て い る ミル ク ホ ー ル か 、 カ フ ェー ・パ ウ リ ス タ へ 行 け ば よ か っ た 。(208)
● 平野 威馬 雄 『銀 座 物 卜 街 角 の うた一 』(日本 コ ンサル タ ン ト・グル ー プ 、1983 年)
当 時 、 カ フ ェ ー 的 な も の に は 、 は じ め か ら 三 種 あ り、 パ ウ リス タ の よ うに 、 コ ー ヒー 、 紅 茶 、 カ レー ラ イ ス な ど酒 類 ぬ き の 、 の み もの や 菓 子 だ け を ひ さ ぐ
め ぢ
店 と 、 白 い エ プ ロ ン に 長 い た も と を ひ る が え した 美 しい 女 給 さ ん の サ ー ビ ス を うけ な が ら 、 ビー ル や カ ク テ ー ル 、 ウ ィ ス キ ー を た の しむ とい う バ ー 形 式 の も の 、 そ れ か ら 、 純 然 た る ミル クホ ー ル … …(76)
● 初 田亨 『カフ ェー と喫 茶 店一 モ ダ ン都 市 の た ま り場 叫 』INAX 1993年 〉
AI.BLTIYfl8(INAX、
カ フ ェ ー は フ ラ ン ス 語 で[cafe]と 書 く.コ ・一 ヒー 店 の 意 味 を もつ 用 語 で, 目本 の 喫 茶 店 に 通 じ る が,銭 本 で 使 わ れ る カ フ ェ ー と喫 茶 店 は,必 ず し も 同 じ 意 味 を も っ て い な い.貨 本 で は,カ フ ェ ー は 女 給 を お い て,洋 食 や,洋 酒 お よ び ビ ー ル な ど を サ ー ビ ス す る 飲 食 店 の 意 味 に 用 い られ て き た.同 じ よ うな 店 に
9バ ・一一一一一」 「サ ロ ン 」 と い っ た 名 称 を もつ 飲 食 店 も あ る が,こ れ ら の 営 業 内 容 が 明 確 に 区 別 され て い た わ け で は な く,混 同 し て 用 い られ て い た.一 方 喫 茶 店 は, 時 に ア ル コー ル の サ ー ビ ス もす る が,椅 子 や テ ー ブ ル を 備 え た 空 間 と と も に, 訟 一 ヒー,紅 茶,ジ ュ ー スや,パ ン,ケ ー キ な ど の 軽 い 飲 食 物 を 提 供 す る 店 を さす 用 語 に 用 い られ て き た.カ フ ェ ー に 女 給 は つ き も の で あ っ た が,喫 茶 店 で は 女 給 が 店 の 中 心 的 な 役 割 を 果 た し て は い な い.つ ま り,女 給 が い て サ ー ビ ス を し,ア ル コ ー ル を 出 す と こ ろ が カ フ ェ ー で,ア ル コ ー ル を 中 心 と しな い 所 が 喫 茶 店 と して 認 識 され て き た の で あ る.(5)
昭 和8年(1933>1月 に は警 視 庁 に よ って 「特 殊飲 食店 営業 取締 規 則1が 定 め ら れ て い る[中 略].こ こで 言 う特殊 飲 食 店 とは,洋 風(イ ス,テ ー ブル)の 設備 を
もっ た店 で,婦 女 が客 席 で接 待 す る料 理 屋,飲 食店 の ことで,普 通 飲 食 店 との 違 い は,女 給 が接 待 をす る か しな いか とい う点 に あ った.沖 略]当 時 の 喫 茶店 に は,特 殊 飲 食 店 の もの と普 通飲 食店 の2種 類 の営 業 内容 を もつ もの が あ った こ とがわ か る.こ れ らの 内容 か ら判 断 す れ ば,カ フ ェー の多 くが特 殊 飲 食店 に 入 り,喫 茶 店 の 多 くが 普通 飲 食 店 に 入 る と考 えて よい だ ろ う.特 殊 飲 食 店 と普 通飲 食 店 に分 け て統 計 を と り始 め た翌 昭 和9年(1934)と14年(1939),15年
(1940>こ そ 前 年 よ りい く らか減 っ てい る ものの,特 殊飲 食 店 と普 通 飲 食 店 を合 計 した喫茶 店 の数 で比 べ る と,喫 茶 店 は そ の後 も増 え続 けて お り,昭 和13年
(玉938)には3307店 を 記録 して い る.こ の数 は,関 東 大震 災 の前 年 で あ る大 正 Il年(1922) ,の100倍 以上に もなる.
昭和8年 以 前 の特 殊 飲食 店 と普 通 飲 食 店 の喫 茶店 の 数 は不 明 だ が,昭 和8年 以降 で みれ ば,特 殊 飲 食店 の喫 茶店 の 数 が減 って い るの に対 して,普 通飲 食 店 の喫 茶 店 の数 が増 えて い る こ ともわか る.昭 和8年 で は特 殊飲 食 店 の 喫 茶 店 の 数 が1701に 対 して,普 通 飲食 店 の 喫茶 店 が900と,特 殊 飲 食 店 の喫 茶 店 の 方 が
約1.9倍 と多 か っ た の に 対 して,昭 和15年 で は 特 殊 飲 食 店 の 喫 茶 店 が1129に 対 して,普 通 飲 食 店 の 喫 茶 店 が1738と,逆 に 普 通 飲 食 店 の 喫 茶 店 の 方 が 約1.54 倍 と 多 く な っ て い る.そ れ ぞ れ の 数 値 を9カ フ ェ ー 」 とf喫 茶 店 」 と 読 み か え れ ば,昭 柏8年 以 降 も 喫 茶 店 は 増 え 続 け て い た の に 対 して,カ フ ェ'一一の 方 は 減
る傾 向 に あ っ た こ と が わ か る.(10)
先 の 特 殊 飲 食 店 と 普 通 飲 食 店 の 違 い を 併 せ て 考 え れ ば,女 給 が い て ア ル コ ー ル と 食 事 を 中 心 に サ ー ビ ス し て い た の が カ フ ェ ー で,ア ル コ ー ル で は な く,コ ー ヒ ー,牛 乳,菓 子,し る 粉,そ して 食 事 な ど を 女 性 の サ ー ビ ス な く提 供 して い た の が 喫 茶 店 とい え よ う.な お 昭 和8年(1933)に 発 行 され た,昭 湘6年(19.31) の 統 計 か ら カ フ ェ ー と喫 茶 店 の 実 態 を み て き た が,同 じ よ うな 傾 向 は 昭 和2年
(1927>調 査(本 の 発 行 は4年)の 『東 京 市 商 工 名 鑑 』 や13年(1938)の 『東 京 商 工 名 簿 』 で も窺 え る.(31)
昭 和 の初 め には,喫 茶 店 は友 達 と語 ら う場,休 む こ とので きる場,大 衆 的 な社 交 場 と して 利 用 され て いた の で あ る,昭 粕 初期 は,カ フェ ー が都 市 の 中に歓 楽 地 と して楽 しい場 を つ く りだ して い った 一 方 で,喫 茶 店 は気 軽 に訪 れ る こ とので き る都 市 の 中の"た ま り場"と して認 識 され てい った の で あ る,カ フェ ー と喫 茶店 は,大 正 時 代 の初 め頃 か ら別 々 な道 を歩 み は じめ,関 東 大震 災後 に は その 違 い を明確 な もの に して い るが,と もに都 市 生活 に 欠 く ことの で きな い場 に成 長 してい る.(40)
こ れ で 見 る と 、 喫 茶 店(飲 み も の 中 心)、 カ フ ヱ ー(レ ス トラ ン 兼 用 で 飲 食 ・酒 類 中 心 、 女 給 が 特 色)、 バ ー(酒 類 中 心)と い う3区 分 が で き る よ うで あ る 。
第2章 カ フヱ ー一の起 源 と変遷
本 稿 は別 に銀 座 カ フヱー 史を描 くつ も りで は ない が 、 カ フヱー の 起源 と変遷 につ いて 最小 限の 記述 を してお く こ とは必 要で あ ろ う。 そ こで2つ の 参考例 を以 下 に引 用 す る。
● 中央職 業 紹 介事 務 局(編)『 東京 大阪 両 市 に於 け る職 業婦 人 調 査 女 給』(中 央職 業 紹 介事 務 局 、 大正15年)
始 めて カ フヱ ー の 出来 た のは 明 治 四十 四年 に 東京 市京橋 区銀座 通 りに 東京 美 術学 校 出身 の洋 画家 松 山省 三氏 が プ ラ ンタ ン と云ふ カ フヱー を開業 した に創 ま る と云ふ こ とで あ る。 さ う して間 もな くパ ウ リス タ 、 ライ オ ン、 ブ ラ ジル等 の カ フ ヱー が 開店 した ので あ るが 当 時の 市 民 の大部 分は カ フ ヱー の何 た るか を知
らな かっ た の でプ ラン タ ンな どでは最 初 の 聞 は 出入 の顧 客 も特 定 され て ゐ て洋 画 家や 著 述家 、思 想家 とで も云ふ や うな所 謂 新 しい 人達 の 集所 の様 な もの で 、 主 と して コー ヒー を喫 し、 ウヰ スキ ー を岬 つ て談 り合 つ て 居つ た もので あ る。
丁 度 農…村 の青 年 達 の 寄合 場 所 で あ る髪 床 や の役 冒を つ とめ て ゐた の で あっ た。
それ が 此等 の 人 達 の縛 とな り小説 となつ て漸 次 一般 に紹 介 され理 解 を得 て 、 や れ ウー ロ ン茶 の 香 が何 うの 、カ ステ ー ラ の感 触 が彼 うの、五 色の酒 は何 うの 、 カ フ ヱー 情調 は と非 常 な勢 を 以て カフ ヱー の 流行 とな り、 其設備 等 は他 の飲 食 店 に 迄影 響 した の で あっ た 、 それ も こ ㌧五 六年 此 方 の こ とで 関東 大震 災 を以 て 一 新紀 元 を劃 した の で あ る、 沖 略]汁 粉 屋 ま で が、 一躍 椅 子 、テ ー ブ ルに ニ ツ ケ ル 製の 丸 盆 と変 り、束 髪 の娘 さん が 白い エ プ ロン 姿で 立働 く状態 とな つ た こ
とは 、行 燈 が ラ ンプ とな りガ ス、 電燈 と進 歩 した と変 りは な い。(164‑65)
● 東京 都 中央 区役 所(編)li"中 央 区史』 下 巻(東 京 都 中央 区 役所 、1958年)
大 正初 年 に は 、第 … 次 大戦 が起 り経 済的 に 漁夫 の 利 を 占め た 日本 は空 前 の 好景 気 に あお られ た。 市 内 の繁 華街 が 好 況 に刺 戟 され 、歓 楽 気 分 を反 映 した 享 楽街 と しての性 格 を濃 化せ しめ る事 となっ た 。 大 衆 の フ トコ ロが 予想外 に恵 まれ る と、 彼等 は 洋風 ・高級 を標 榜 し、 高 尚 とスマ ー トを モ ッ トー とす る銀 座 に集 ま り、 しか も誰れ 彼 れ の 区別 な く一切 平 等 の 歓待 を うけた こ とは、や がて 銀座 の 高 級性 を破 壊 し、 高 尚 を無 視す る よ うにな つ た もの とい わ ね ばな らない 。 少 く
もこれ が た め に、 銀座 が大 衆性 を帯 びた こ とは争 え な い事 実 であ る。[中 略1 この高 級性 が失 わ れ 、代 つ て銀座 がそ の 全貌 として 大衆 化 した こ とは 、 そ の 一 面 にお い て銀 座 を著 しく繁 昌 させ 、 しか も大歓楽境の形成 を促進 させた こと は 何 人 も否 定 しえな い事 実 で あ る。 そ して 大 歓楽境 形成 の 渦 中 にあつ た の が カ フ ェーで あ る。 大正 好況 時 代 の 市民 は とか く豪 奢 に 走 り、 そ の結果 と して 、 い た ず らに末梢 神 経 の発 達 を うなが し、断 然 食 味的 な欲 求 を捨 てて 、感 覚 的 に 、 猟 奇 的 に きつ い刺 戟 を欲 す る以外 、何 もの の欲 求 もな くな つ た。 勢 い享 楽 気分 が カ フ ェー 興隆 に拍 車 をか け 、しか もカ フ ェー が食 事 をす る場 所 で あ る よ り も、
む しろ女 給 のサ ー ビス を 中心 とす る享 楽 の 場 で あ る こ とに 、 大衆 が期 せ ず して 共鳴 したの で あ る。 後年 にお け るカ フェー の 流行 に は こ うした蓋 然性 がす で に この 頃 めば えて いた の で あ る。(985‑86)
こ の 後 、 カ フ ヱ ー は 全 盛 期(昭 和4‑7年 頃)を 迎 え る 。 即 ち、 由 利 貞 三 が 『新 東 京 歌 集 』(白 帝 書 房 、 昭 和5年)で 言 う 「か ふ え い 文 化 」(184)、 松 綺 天 民 が 『東 京 食 べ あ る 記 』(誠 文 堂 、 昭 和6年)で 言 う 肋 フ エ ー 時 代 」(32)、 村 島 帰 之 『弊 婁カ フ エ ー一一』(文 化 生 活 研 究 会 、 昭 和4年)の 改 題 が 示 す 『カ フ ヱ ー 時 代 』(ア ポ ロ 社 、 昭 和6年)で あ る 。と こ ろ が 、昭 和8年 に は 内 務 省 に カ フ ヱ ー 駆 逐 方 針 を 発 表 され て 、
昭 和9年 には行 き詰 ま りを迎 え 、昭和10年 に は世 間 の 白眼 視 的評 緬 を改 め させ るべ くfみ ど り会 」(女給 品 位 向上 会)・「女 給 学校 」が設 立 され る もの の、昭 和11年(二 ・ 二 六 事件 の 年)に は銀 座の カ フ ヱー ・喫 茶店 が36軒 に まで減 少 して い る。
第3章 銀 座 の カ フヱ ー と文 芸関 係者
銀座 の カ フ ヱー と文 芸関 係 者の 概論 につ い ては 、前 記の 安藤 線 座 細 見』 が便 利 で あ ろ う。
濁 歩 に 「号 外 」 とい ふ短 篇 が あ る。 あの 酒 場正 宗 ホ ール は 、 實は銀 座 の 加 六 を描 い た ものだ が 、 あの 中へ 出 て来 る人 々 、 あれ が 元来の 銀座 の客 で あ る。銀 座 の カ フエ は文士 がは じめた の だ。 た しか に銀 座 のカ フエ は カ フエ リテ レエル と して 出発 した の だ。 従つ て 当初 の 客 は文 士 と新聞 記者 が 主 だつ た。 カ フエ は 奔放 な 思想 と、清新 な 空気 を求 めて 止 まな か つ た明 治 末期 の 文人 が創 始 し、支 持 した もの だっ た。 岩 野泡 鳴 、永 井荷 風 、押川 春 浪 、 小 山内 薫 、吉 井 勇、 松 山 省 三 、 中澤 臨 川 、生 田葵 、平 岡権 八郎 、岡 田三郎 助 、尾 竹 紅 吉 、松崎 天 民 等 の 名 は 臼本 カ フエ 史上 に記憶 さ るべ きで あ る。
そ れ は何 とな く垢 ぬ け の した 、っ 温ま しや か な美 を持 つ た 、 中産 階級 的 な 、 自由 主義 的 な世 界 だつ た。 そ こで最 も大 切 に され た の は會 話 で 、そ の次 は 酒 だ っ た 。 女給 は 、勿 諭 女 給 は美 しか つ たが 、 それ はほ ん とに つ \ま しく酒 間 を斡 旋 す るだ けだ つた 。恋 も芽生 え 、涙 もあつ た けれ ど、それ は 美 しく整理 され た 、 目立 た ぬ点 景 で あっ た。 凡 てが一 定 の趣 味 を持 つ て ゐ て 、誰 も無 作 法 にそ れ を 冒す 者 は なか つ た。 今 のや うに彩 つ た空 気 で な く、輝 く空 気 が流 れ てゐ た 。
ガ ス燦 々 た る 日吉 町[9プ ラ ン タン」所 在 地]の 宵 、 如何 に 生命 と文学 が論 じ られ た こ とか。 獅 子叫 ぶ ライ オ ンの夜 、 ビー ル は青 春 の歌 と共 に溢れ た の で あ る。
柳 、柳 、瓦 斯 、柳 、柳 、瓦 斯 、柳 、柳 、あ ㌧纏 々た る梛 枝 、雨 と共 に靡 び き 、 吾 妻 下駄 鋸 然 と して 金 春薪 道[「 き ゆ うぺ る」 所在 地1に 鳴 っ た ので あっ た。 当 時 京 童 の戯 詩 に 曰 く、
銀座 の細 雨 軽塵 を湿す 電 車 チ ンチ ン柳 色 新 な り 君 に勧 む ライ オ ン…杯 の酒
東 新橋 を出 つれ ばカ フエ な か らん。
この 空気 は 大正 も十年 を過 ぐる頃 か ら次 第 に俗 化 し出 した が 、大震 災 を境 と して は俄 然 一一変 した 。 客は 一斉 に銀 座 へ 殺 倒 した の で あ る。 そ して 、 災後 の あ の 急椿 へ の バ ラ クの 安 ツボ さは何 とな く安 會社 員 の気 持 を安 易 に させ 、今 ま で は 自分等 の よ りつ けな い様 な場 所 だ と考 へ て ゐた の が 、一 つ 這入 つ てみ よ うと い ふ 気 を起 させ た。 それ か ら銀 座 の俗 化 が は じまつ た 、銀座 のカ フエ は全 く こ
れ 等 田舎者 に 占領 され て 、 トンカ ツ屋 、牛 肉屋 と化 し玄 つ た ので あ る。 意 気 も 旨好 もケ シ飛 ん で しまつ た。 彼等 が 求 め るの は機 智 あ る會 話 で もな い。 輝 き揺 め く空気 で もな い。實 に、 第 一 に女 、第 二二に女 、第 三 に女 、そ して、酒?、
酒 は ビール で 澤 山だ 。 腹 が空 い た ら、 象の や うな 胃の臆 は トン カ ツが一 番 さ。
會話?そ ん な もの は 中学 校 で習 つ た とで も云ふ だ ら う。
だ か ら、む か し乍 らの室 気 や 品格 を維 持 し よ うといふ カ フエ は一 斉 に凋 落 し た。 プ ラ ン タン は今 日そ の設備 か ら云つ て も、客 か ら云つ て も二流 以 下 に落 ち て しまつた 。 ライ オ ンは 白髪 染 の剥 か 』つ た老 婆 のや うだ,云 ひ 知 れ ぬ混 乱 が 銀座 の 上へ 降 りか 』つ て 来た。 この形 勢 を看 取 した の が タイ ガー で あ る。彼 は この 客 の趣 婦 に適 ふ た め に先 づ女 を集 めた。 そ して 、女 は極 め て 自由 に客 に接 近 した。 厚 い 化粧 を した女 が 、熱 い 息 を吹 き乍 ら客 に しな垂 れ か 』るこ とは 、 銀 座 で は タイ ガ ーが 始 めた の だ,,酒 と云へ ば素 性 も知れ ない ベ ソを か いた や う なパ ア テ ン ダア が注 い で よ こす。 ビール は ユ ニオ ン ピール 。 それ で も客 は ワン サ と押 し寄 せ た もの だ。 否 、 第一 次銀 座 カ フエ の 指 導者 な る永井 荷 風 先生 さへ
やに きが
も毎 晩 こ ㌧へ 来 て は 脂 下 つ て ゐ た もの で あ る 。
つ ゴい て ク ロ ネ コ 、 ゴ ン ド ラ 、 エ ロ と グ ロ との 乱 舞 だ 。 毎 段毎 晩 女 ば か りを 目 当 て に カ フ ヱ 通 ひ す るや うな 二 本 棒 に 銀 座 は 全 く 躁 躍 さ れ て しま っ た の だ 。
(200‑03)
こ の 後 、 安 藤 は"千 九 百 三 十 年 代 の 銀 座 カ フ エ に は ど ん な 客 が ゐ る か?〜 寸 娩 い て み よ うで は な い か 。"(203)と して 鰯 々 の 文 士 を 取 り 上 げ る。 そ の 人 名 一 覧 は
永 井荷 風 、 吉井 勇 、 村松 正俊 、辻潤 、長 岡義 夫 、 廣 津和 郎 、酒 井 虞 人 、 田島 淳 、室伏 高 信 、松 崎 天 民 、瀬 戸英 一 、 高 田保 、近 藤経 …、西 村酔 香 、 中村 武羅 夫 、山 内義 雄 、 岡 田 三郎 、古川 緑 波 、 三上 於菟 吉、 安藤 盛 、宮川 曼 魚 な ど何時 も変 らず 銀 座 界 隈 のカ フエ を歩 るい て ゐ る連 中で あ る。(204)
とい っ た具 合 だが 、(文士 以外 の 銀 座常 連 客 を含 む)各 論 が 面 白いの で 、以 下 に適 宜 摘録 す る。
[永井荷 風]
永 井荷 風 老 先 生 は、 何 しろプ ラ[ン]タ ンの 草分 け時 代 か らお 客 で 、今 に変 ら ず 銀 座 を歩 る き廻 つ てゐ る。 嘗 てプ ラ ン タ ン楼 上で 酔 っ た押 川春 浪 に殴 られ た 事 件 は 当時 知 らぬ者 もな かつ た が、 近 頃 はそれ も知 つ て ゐ る者 は稀 で あ ら う。
一一時 は偏 奇 館 上 に隠 逸 の 生活 を送つ て ゐた が、五 十の 聲 を聞 き出す 頃 か ら又 そ ろ銀座 へ現 れ て愛 慾 戦 線 に馬 を進 めて ゐ る。 タイ ガア にお 久 あ り し頃 は き まつ て表 の 梯子 段 の 取付 きの ボ ツ クス に長 身 白暫 の姿 を見 ぬ夜 とて は なか つ た。 そ のお 久 が後 に 偏 奇館 の 梵 上 に胡 坐 をか いて 、 日本 文 学 全集 の 印税 二 萬 圓 ス ツパ リ渡 して しまひ な 、 とか 侮 とか勢 ひ の い \啖 呵 を切 つ た とか。 それ は さて措 き
この 資本文 学 全集 と タイ ガア が聯 関 して も う一度 我 が壮 吉 大 人 にひ ど く崇 つ た こ とが あ った。
沖 略]
或 る晩 、辻潤 は酔 つ てゐ た。 室 伏 高信 も一 緒 だつ た。 こ二人 が タイ ガ アの 二 階 へ上 っ て 来た。荷風氏はいつ もの通 りお久 をは じめ多 くの美女給に取 り巻かれ て、 例 の ボ ツク ス に納 つて ゐ る と ころだ つ た。 平生 は好 々爺 然 た る辻 潤 も、 曲 つ た こ とは 毛筋 ほ ど も我 慢 が な らぬ 、本 場 争 ひ な ら誰 で もや って 来 い とい ふ チ ヤ キチ ヤ キの江 戸 ツ子 だ。 彼 のカ ンシヤ ク玉 は俄 然 バ ク発 して しま っ た。 イ キ ナ リ荷 風子 の テー ブ ルへ 行 つ て 曰 く、
「て め え 、何 時 社 會 主義 者 にな つ た んだ 」 荷 風 子 少 々面喰 つ て
「イ ヤそ の話[荷 風 が 山本 實彦 の 改 造祉 を共 産 主義 系 と決 め つ けて 、その圓本 初 期 時代 の画期 的 な 『現代 日本文 学 全集 』 に 『永 井荷 風 集』 を含 め るこ とを拒 否 す る旨 の声 明 を 『時事 新 報』 紙 上に 発表 して いた に もか か わ らず 、水 面 下 で は密 か に何 万 といふ 額 の印 税 を受 け取 り、ガ永 井荷 風 集』出版 の許諾 を与 えて い た こ と]な らあ とで プ ラ ンタ ンへ 行 っ て よ く話 しませ う]とか何 とか逃 げ を打 つ の を聞 か ば こそ 、お 久 なぞ が 出て 来 て と り倣 さ うとす るの を… 蹴 して 、散 々タ
ンカ を切 っ た揚 句 が 、
し
「いつ たい て め えな ん ざあ 江 ツ戸子 だ な ん て ぬか す が 、 さ うちや あ るめ え 、 大 方 名 古屋 種 だ ら う」
くつ む の ぐ
闘 くな らく、荷 風 先生 の 考 は緯 匡温 、久 一郎 と称 す。 尾 張 の人 な り。 と。
愛 給一 変 な言 葉 だ が 、愛妓 で もな し.愛 娼 で もな いか ら仮 りに か う呼 ん で 置か うか一一 の前 で 罵 られ た荷 風 小 史一 寸 気 の毒 で もあ るが 、 この 出 入 りど う 考 へ て も荷 風 氏 の方 に分 は 無 ささ うだ。
お 久 事件 以後 、 荷 風氏 は あ ま りタイ ガア へ現 れ な くなつ た が、 近 頃 はサ ロン 春 、 ゴン ドラあた りへ愛 陣 を 張つ て ゐ る ら しい。(204‑07)
[酒井 眞 人]
お 久 の話 に は ど うして も… と役 買つ て 出 な けれ ば な らな い のは酒 井 眞人 で あ る。 お 久 その かみ ライ オ ンに現 れ て 、色 槌 せ た銘 仙 の 着物 か何 か で 、誰 に も認 め られず 、 うら淋 しげ にセ ル ヴイ ル してゐ た 頃 、 これ にひ そ か に思 ひ を寄 せ た の が 、高 輪 中学 校 教論 酒 井 眞人 だつ た の だ か ら、お 久 も知 己の恩 に感 じて もい 》 わ け だ。 彼 れ 眞人 、 酔 へば バ ネ仕掛 の オモ チ ヤみ た い に暴れ 廻 る くせ に 、事 ひ
とた びお 久 の事 にな る とか らイ クヂ無 く、 飴 をお みや げに 買つ て 来 て 、ひ そ か に長 岡義 夫 に頼 んで 渡 した りなん か した もの た 。ア メル といふ 言 葉 が それ か ら 一 時 友 達 の間 に流 行 した
。 文藝 雑誌 の ゴ シツ プ なぞ を 見 る と翼人 は酒 客 とい ふ こ とに なつ て ゐ るが 、名 字 ば か り酒 に関 係 が あつ て も、彼 の アル=オ ル に対 す る力 は極 めて微 弱 で 、 生 ビール を二杯 も飲 む と直 ぐに大 きな聲 で も出 さ うとい
ふ方 だ。 だか ら知 らな い 人が み る と さ も大酒 を飲 む や うに見 え るの だ。 彼 は酒 客 といふ よ りも酔 客 と云 った 方 が正 しい。
沖 略]と こ ろで この酒 井 眞 人 ど うした もの か 、お 久 に は餓 り芳 しい 成績 を挙 げ なか っ た らしい。 彼 だ って 震災 前 に は ウー ロン茶 で 大 いに 艶聞 を謳 はれ た も の だが 、 不思 議 にお 久 とは ウマが 合 は なか っ た ら しい。 お 久 が ラ イオ ン をや め て タイ ガ アへ 行 く と、彼 も タイ ガア の常 連 に なっ た。お 久 が ク ロネ コへ 行 くと、
彼 もク ロネ コの 常連 に なつ た。[中 略]
お 久 に連 開 して は、脚 本家 の瀬 戸英 一 氏や 、音楽 家 近藤 柏 次郎 氏 を思 ひ 出す。
二人 と も よ くお 久 の と ころへ通 つ た。 両氏 と も此 頃 は あん ま り銀 座 に 姿 を現 さ ない 。(207‑09)
[広津 湘 郎]
慶 津 和郎 氏 も銀 座 に は縁 の深 い 人で あ る。 氏 の今 の 夫人[(旧 姓)松 沢 は ま、
大正12年 に知 り合 っ てい た]は た しか そ の昔 ライオ ンに居 た こ との あ る 人だ と 思 ふ 。地 震 前 に は よ く京 橋 向ふ の キ タニ ホ ン に通 っ た。其 処 の女 給 「西野 さん」
も廣 津 氏 の情 史 中何 頁 か を 占め る一 人 で あ る。 廣 津 氏 は カ フエへ 来 て も酒 を飲 ま ない。 嘗 て氏 はそ の 小説 「小 さい 自縛 車 」 の 中で そ の心 境 を書 い た こ とが あ る。 い まそ の 一節 を抄 出す る。
自分 は[中 略]新 橋 か ら銀座 の カ フエ を 、片 つ ば しか ら歴 訪 して歩 い て ゐ るの だつ た。[中 略]銀 座 の表 通 りのカ フエ は夜 の 一トー 時 頃 にな る と一 斉 に店 を 閉 ぢて しまふ が 、裏 通 りには 、十 二 時 に なつ て も一弔寺に なつ て も、 店 を開 い て ゐ るカ フエ が何 軒 か あ る。 自分は い つ の間 に か、 さ う した カフエ の 店 を し ま ふ 時 間 をす っ か り覚 え て しまつ た。 實際 、 さ う した カ フエ の時 間 表 が 自分 の 心 に出来 上つ て しまつ た と云つ て も、誇 張 で は ない。
自分 は一 軒 の カ フエ が閉 め か 』る と、他 の店 に行 き、そ の カ フエ が 閉 めか \ る と又他 の 店 に行 く。 さ うして歩 い てゐ る と、午 前 一時 半 か二 時 頃 ま では 、 何 とか腰 をか け てゐ られ る店 があ る もので あ る。 腰 か けて ぼ んや り してゐ る と、方 々 のテ ー ブル の 上 の電燈 がだ ん 〉 に 消 えて行 く。ウエ トレスが そ こ ら を片 づ け始 め て。 テ ー ブル の上 に 椅 子 を さか さに載せ 始 め る。 そ して総 て の テ ー ブル の 上 に椅 子 が さか さに載 り、 自分 の腰 か け て ゐ る と ころの 上以 外 の 総 て の電 燈 が 消 えて し まっ た時 分 に なつ て 、や つ と立上 る。
[中略]
廣 津 氏 は カフ エ の苦 労人 だ。 この 人 に して 「女 給 」 の作 あ り。 た しか に現代 銀 座 に働 く女 給 の 全貌 を描破 してゐ る。 一 別 に 「女給 」 が 小説 と して 、名篇 だ と云 つ て ゐ るの では な い。(209‑11)
[菊池 寛]
菊 池 寛 は一 時 タ イ ガアへ よ く来て 、 到頭 例 の小 説 「女給 」 事 件 な どを惹 き起 した が、彼 の遊 び振 りは 全 くあ の 「女 給jを 見れ ば 澤 山 だ。 な ど とい ふ とまた
殴 られ るか も知 れ な い が 、つ いで に 「女給 」 の話 を一寸 書 く。 元 来廣 津 氏 は あ の 小説 を書 くに就 い て 、モデ ル は と し子 を使 ふつ も りは な く、その 頃 朱雀 に居 、 以 前 は ライ オ ン に居 て お秋 と名 乗 り、今 は サ ロ ン春 に ○○ と呼ばれ て 居 る女 を 書 くつ も りだつ た の ら しい が 、それ が急 に と し子 の 方 を書 くこ とに なつ た のだ と傳 へ られ る。 菊 池 寛 は近 頃 毎晩 サ ロ ン春 に現 れ る。 そ の 一晩 に使 ふ 金 は五 十 金 を 下るま い。 毎 晩 小つ ちや なハ ンチ ン グを冠 つ て秋 子 、 ナ \子 等 を相 手 にポ
ツ クスへ 納 つ て居 る。 彼 の財 布 はべ ラ捧 に でか い。(21H2) [村松 正俊]
村松 正 俊 の銀 座 生活 も長 い。 大 方二 十 年 に な るだ ら う。 フ ラ ンス か ら帰っ て か らは ダ ン スに熱 心 に なつ て鯨 り銀 座 へ は規 れ な くなつ た。 彼 は ライ オ ン 党で あ る。 一 時 は一'日に 八遍 も来 た といふ か ら随 分 な凝 り方 だ。 彼 の銀 座 情 史 もラ イ オ ン を中 心 に拡 が つ て居 る。[中 略1
彼 の銀座 情 史 中の クライ マ ツ クス は ライ オ ンの綾 子 との それ だ ら う。綾 子 当 時 は 角 のナ ンバア ワ ンで天勝 好 み の美 貌 は 大 い に銀 ブ ラ連 の血 を湧 か した が、
村 松 正俊 もそ の騎 士の一 人 で 、或時 は 彼 女 と散 歩 を しなが ら も、そ の気 持 の遣 る瀬 な さに 二人 で圓 タクに 乗つ て … 日に 六十 圓 も乗 り廻 した とい ふ。(212)
[室伏 高信]
室 伏 高信 もよ く カ フエ を歩 く。 彼 の 本 拠 は 一一時 は ライ オ ン だつ た が、 後 タイ ガ アへ 遷 つ た。銀 友連 は彼 を略称 して パ パ といふ 。批評 社 を経営 して居 た 頃 は 、 毎 晩 銀座 で 彼 を 中心 に した饗 宴 が 開 かれ た。 近 頃 は 大岡 山 あ た りへ隠 棲 して鹸
り出 て 来 ない。(212‑13)
脹 岡義 夫]
長 岡義 夫 は酒 量 は 多 くな い が、類 ひ 稀 な る愛酒 家 で あ る。 彼 の 最 も行 くの は タイ ガ ア 、 ライ オ ンで 、近 頃 は ゴン ドラへ も行 く ら しい。 彼 は酒 を飲 み 、 女給 と仲 好 しにな るが 、 決 して惚 れ な い。(213)
〔尾 崎 士郎]
尾 綺 士郎 は鹸 り銀座 は歩 るかな い。 彼 の今 の 夫 人 清子 さん は ライ オ ンで得 た の だ けれ ど、 それ は 全 くふ と した こ とな の で 、彼 が 時事 新 報へ 「世紀 の 夜 」 を 書 い て居 た 時分 、ふ とライ オ ンへ 這入 つ て 、其 頃 二 代 目の綾 子 を名 乗つ て ゐ た 清 子 さん を 見て、 断 然 好 きに なつ て しまつ たの であ る。 そ れ か ら毎晩 彼 は ライ オ ンへ 現 れ て 、そ れ か ら一 ケ 月程 の後 に は既 に恋 の 勝利 者 で あつ た。(213)
[原桂 一郎]
故 原 首相 の 嗣子 文 名原 桂 〜郎 も よ くライ オ ンへ 現れ た。 彼 は酒 を飲 まな い、,
紅 茶 を飲 む だ けで 六 時 間位頑 張つ て居 るの だか ら偉 ひ もの だ。(214) [安田與 四郎]
文 士 では な いが 、経 済 雑 誌 「ダイ ヤモ ン ドj安 田輿 四郎 氏 は よ くライ オ ンへ 来 て ウヰ スキイ を飲 ん で居 た が 、近頃 は サ ロ ン春へ 現 れ て 居 る。「何 故 ライ オ ン へ 行 か ない んで す?」 と云ふ と、「イヤ、あす こはパ ンヤになつたか ら。私は酒 飲 み で 、パ ンヤ に 用 は ない の です 」 な ど と云つ て 居 る。 不 知美 人 な き酒 場 と、
美 人 あ るパ ン屋 と、 氏 は果 して何れ を選 むや を。(214)
〔ス ポー ツ マ ン]
銀 座 カ フエ の客 に は不 思議 に ス ポー ツマ ンが眼 立 つ。ラ グ ビー 、柔 道 、相 撲[、〕
野 球 等の 選 手 が一 つ の グル ー プ をな して 居 る。 これ は古 く押川 春浪 、阿 武天 風 な どの天 狗連 が プ ラン タ ン辺 りで メエ トル を上 げ た 鯨波 な の か も知 れ な い。
明 大先 輩 の加 藤 隆 生 、慶慮 の浅 見 、早稲 田 の 山中 、明 治 の倉 田な ど大 将株 で あ る。 〜 方銀 座 カ フ エ の治 安 く?)は これ ら運 動選 手 の實 力 に よつて 保 たれ て 居 る こ とは否 み 難 い。 實 際銀 座 の カフエ に は 下 らな い不 良 少年 は勘 い 。 これ は か 」る スポ ー ツマ ンの横 行 に敵 対 し難 い か らで あ ら う。 そ の代 り時 には そ の ス ポ ー ツマ ン 自身 が 悪化 して 困 る時 な ど もあ る が。(214‑15)
[小唄幸 兵 衛]
この ほか銀 座 の カ フエ に は 、 これ は と思 ふや うな 人 々が 居 る。例 へ ば 近頃 ラ ヂ オ に断 然進 出 して居 る小 唄 の師 匠小 唄 幸 兵衛 の 如 き も大 の カ フエ通 で 、 白頭 を驕 して タイ ガア 、松 月あ た りを游 犬 して居 る。 幸兵 衛 が 唄 の常 に茜 套 に 堕せ ず して新 色 あ るは 故 あ るか な と思 はれ る。(216)
これ で見 る と、女 給 が 銀座 カ フヱー 常 連 客(銀 友連)の 嗜 好 を左 右 した場 合 もあ る
こん
こ と は 確 か だ が 、 そ れ だ け で 常 連 客 の 嗜 好 を 説 明 で き る わ け で は な い 。 今 和 次 郎 (編 纂 代 表)『 新 版 大 東 京 案 内 』(中 央 公 論 社 、 昭 和4年)に 記 され て い る 通 り、"酒 に 酔 ふ 為 め に 、 苦 境 を 脱 れ る 為 め に[、 〕一 人 で 考 へ な い 為 め に 、 友 情 を 暖 め る た め に"(154)も カ フ ヱ ー は 必 要 で あ っ た 。 ま た 、 ア ン ケ ー ト回 答 集 「灘 幣 縦 筆 自動 車 ゴ と 「活 動 篇 眞1と 「カ フ ェ ー 」の 印 象 」(1=中央 公 論 』 大 正7年9月)の 中 で 久 保 田 万 太 郎 が 記 して い る 通 り、"人 を 待 合 せ る た め と 、中 途 半 端 な 時 間 を つ ぶ す た め"σ 説 苑 」 欄92)に も カ フ ヱ ー一は 必 要 で あ っ た 。 ま た 、西 脇 順 三 郎 「MemoryandVision〈3)」
(『英 語 青 年 』1952年2月)・ 「丸 善 の 思 出 」(『学 鐙 』1969年1月)に 見 られ る よ う に 、 神 田 の 古 本 屋 や 日本 橋 の 丸 善 で 買 っ た 本 を 、 帰 りが け にfパ ウ リ ス タ」 で 余 り 甘 く な い コ ー ヒ ー を 飲 み な が ら 得意 気 に 拡 げ て 見 る よ うな 学 生 に も カ フ ヱ ー は 必 要 で あ っ た(『西 脇 順 三 郎 全 集 』第10巻[筑 摩 書 房 、1972年]第2版[1983年]19、624)。
ま た 、 平 塚 ら い て う等 の 雑 誌 『青 鞘 』 が 「プ ラ ン タ ン 」(創 業 期 の マ ネ ー ジ ャ ー は 、 極 め て 興 味 深 い こ と に 、 後 に 共 産 主 義 者 と な る 近 藤 栄 蔵 だ っ た)の 広 告 を 載 せ た よ
うに、 婦 人運動 関係 者 に と って も カ フヱー(の 広 告 収入)は 必要 で あ った 。 ま た、
大杉 栄 の帰 朝歓 迎 会(大 正12年7月28日 、伊 藤 野枝 ・秋 田雨雀 らが 出席)や 藤 森 成 吉 の 会(大 正14年6月20B、 堺利 彦 ・石 川 三 四郎 ・白柳 秀 湖 ・秋 田雨 雀 ジ)が出 席)が 「パ ウ リス タ」 で開 かれ た り、第1次 共 産党 事件(大 正12年6月5El)で
の検 挙 直前 、佐 野 学 が 臼本 を脱 出 して ロシア へ入 国 した際 に神 楽 坂 方 面の カフヱ ー で尾 行 を 見事 に撒 い た よ うに 、社 会 運 動 関係 者 に とって もカ フヱ ー は必 要 で あっ た。
つ ま り普選 に象 徴 され る大 衆 化時 代 の到 来 と共 に 、カ フヱ ー は誰 に も開 か れ た歓 楽 境"一 っ の遊 離 され た ユ ー トピア"(小 林 儀 三郎 『コンマ ー シ ャル ガ イ ド』[コ
ンマ ー シ ャル ガイ ド社 、昭 和5年]183)一 に な った わ けで あ る。
こ こで 一 つの問 題 に遭 遇 す る。例 え ば 大カ フ ヱー 通 の荷 風 の場 合 、「タイ ガー 」(荷 風 の 表 記 では 「タイ ガ」・汰 牙 」・「太講 」・「太語 楼D偏 愛 は 余 りに も有名 だ が 、(昭 和ll年 ま で の荷 風 目記 に 登場 す る カ フヱ ー類 を統計 的 に見 た 場 合)そ の他 に もfオ
ぱん さ
リ ム ピ ツ ク 」・fき ゆ うぺ る」 ・「萬 茶 亭 」 ・「モ ナ ミ」 ・「ラ イ ン ゴル ド」 な ど は 偏 愛 し て い た と言 え る 。 しか し 「コmン バ ン 」・「ゴ ン ドラ 」・「サ ロ ン 春 」・「プ ラ ン タ ン 」 ・
「ラ イ オ ン 」な どは 、(愛 好 して い た と は 言 え)偏 愛 して い た とは 言 い 難 い 。 ま し て 、
「エ ス キ ー モ 」・「キ リ ン 」・「ク ロ ネ コ」 ・「パ ウ リ ス タG・ 「バ ツ カ ス 」 な ど は 、む し ろ 好 ま な か っ た 。"永 井 荷 風 と か 小 山 内 薫 とか い う よ うな ハ イ カ ラ な 大 人 は"、 「パ ウ リ ス タ]"へ は 姿 を 見 せ な か っ た"と 小 島 政 二 郎 も 「奥 野 信 太 郎 」(『小 説 新潮 』1966 年3‑6月)で 記 し て い る(『 な つ か し い顔 』[鶴 書 房 、1967年]38)。 この 差 は 何 に 起 因 す る の か と言 え ば 、 そ の 答 え は 次 の2つ の 参 考 例 に よ っ て 与 え られ る で あ ろ う。
● 中央職 業紹介 事 務 局(編)『 東京 大 阪 両 市 に於 ける職 業婦 人 調 査 女 給』(既 出) 顧 客 の種類 を大膿 学 生 、勤 人 、 商人 の 三 つ に分 け る と、 カ フヱ ー も亦:之等 の三 つ の何 れ か の 『向 き』 と云 ふ 様 に も云 はれ る こ と 玉な る。 今 二三 の 實情 を例記
してみ る と
緑 に黄 や 白色 光 の眩 い 電燈 の 下 で は青 年紳 士 が シヤ ンパ ンや コ クテ ー ル の 杯 を 挙げ て ゐ る… … 中央 の蓄=音機 毫 か らは フオ ツ ク ス ツロ ツ トの ダ ンシ ン グ ミユ ー ジ ツ クが静 か に響 き初 め た… … 青 い絹 の衝 立 を距 て ㌧ウエ イ トレ ス とお 客 が相擁iして ダ ンス の姿勢 を とつ た ……。
蔭欝 な青電 燈 の淡 い 光 りの 下で は ビロー ド服 の長 髪 青 年 が紅 茶 々碗 の 飲 み 残 りを見 つ めて 深 い思 ひ に沈 で ゐ る… …傍 には 黒塗 りの ピア ノは重 苦 しい 色 を照 り返 へ してゐ る… …。
ラヂ オや 蓄 音機 の騒 々 し さを外 に若 い 金 釦 の学 生 が女 給 と丸 テ ー ブル を囲 ん で囁 い て ゐ る… …傍 で は 女給 と鳥 打 帽 の学 生 が 「都 の西 北 」を唄 つ てゐ る 、 其横 では赤 ら顔 の 中年 男 が熱 燗 をチ ビ リ〉 と女 給 を相 手 に管 を捲 い て ゐ る
じ む
と云ふ 様 に店 の 空気 が 違 ひ 、此等 全 部 を総 括 してカ フヱー 情 調 と云 はれ てゐ て 、