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(『東 京 朝 日新 聞』 大正8年1月25日[朝 刊37)

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(『讃 費 新 聞 』 大 正8年1月30日[朝 刊]6)

当時 の 『東 京 朝 段新 聞』 に は次 の よ うな広 告 が現 れ て い る。

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(1)大 正9年12月18H[朝 刊111。

(2)大 正10年2月3日[夕 刊]3、 大 正10年2月6日[夕 刊]2。

(3)大 正10年5月17日[夕 刊]3、 大 正IO年5月31H[朝 刊]7。

(4)大 正10年6月2β[夕 刊]董。

(5)大 正10年8月31臼[朝 刊]7。

関東 大震 災 後 の模様 は 、次 の よ うに新 聞 記事 に現 れ て い る。

銀座(周 辺)の ロシ ア系カ フヱー を中心 に一一63 カフヱ ー と文芸

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店 主 の辻 衛 が兄 の辻 永 を介 して 黒 田清 輝 な どの 東 京美 術 学校 グル ープ 小 品展 を 企画 してい た こ とが 、 次 の よ うに新 聞記 事 に 見 られ る。

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カ フ エ ー ロ シ ヤ が 小 品 展 .を 開 く

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(讃費 新 聞 』 大 正12年11月2日[朝 刊]4)

「Uシ アjに い た 女給 の珍 しい写 真 が 、次 の よ うに 新聞記 事 に見 られ る。

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「ロ シ ア 」 で 自殺 騒 ぎ の あ っ た こ とが 、 次 の よ う に 新 闘 記 事 に 見 ら れ る。

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fmシ ア 」は 、 文芸 関係 で は 、次 の よ うに安成 二郎 ・辻 潤 ・内 田百聞 の 文 章 に現 れ てお り、 また詩 人協 会 の準 備会 で も利 用 され て い る。

安 成 二 郎 「バ ラ ツ クか ら バ ラ ツ ク へ 」

さ て 銀 座 で あ る 。 バ ラ ツ ク の 出 来 た の は ラ イ オ ン 、 カ フ エ ー ロ シ ア 、 こ こ へ 私 は 、 大 杉 栄 が 鎌 倉 に ゐ る 時 分 、 そ の 鎌 倉 も大 杉 も今 は 無 く な っ た が 、 久 しぶ りで 銀 座 で 出 會 つ て 一一緒 に 晩 飯 を 食 ひ に 行 つ た こ と を 思 ひ 出 す 。 カ フ エ ー ・ロ シ ア は 焼 け て も バ ラ ツ ク が 出 来 た 。(『中 央 公 論 』大 正12年11月 「説 苑 」欄142)

辻 潤 「ど りん く ・こ うら うん ど」

ロ シヤ 美人 と云ふ と僕 は震 災前銀 座 の カ フ エ ロシヤ にゐ た リヨ ウ リヤ さん の こ とを思 ひ 出す 。彼 女 は さ して美 入 と云 ふ わ けで は なか つ たが 、教 養 が あ り、

愛嬌 が あつ て、 歌 も よ く唱 つ た。H本 で聴 いた 中 ではf天 然 の美 」 の メmデ ィ が 一番 好 きだ な ど とセ ンチ メ ン タル な こ とを云 つ てゐ たの も よか つ た。 プ ウ シ ユ キ ンや レル モ ン トフな どを よ く護 ん で ゐ た ツけ 、米 国の 工 業学 校 へ入 る為 め に英 語 を しき りに勉 強 してゐ た一 英 語 は 臼本 へ来 て か ら始 めた ら しい が、 ヂ キ にデ ィケ ンス な どを讃む や うに なつ た ら しい一 しか も、 自分 で は エ ン ヂニ ヤ ア にな るの だ と云 つ て ゐた か ら感 心 だ。 日本 の ウエ イ トレス に も リヨ ウ リヤ さんの や うな 人 が早 く ドシ 〉 と出 て来 る と面 白 い と思 ふ。(『絶 望 の書 』184‑85)

内 田百聞 「書 はひ ね もす 」

「僕 は 須井 先 生 の講 義 に 出た 事 もな く、語學の教室で出席 を取 られた事 もない の です が 、須 井先 生 に 初 めて お 目に掛 か つ たの は 、大 正の 終 りか 昭 勅 の初 め頃 です 。 そ の頃 は僕 も若 かつ た の で或 る晩銀 座 をほつ つ き 、露 西亜 料 理 の店 へ這

入っ た ところ が、一杯 飲 ん で ゐ る僕 の所へ 向 うの薄 暗 い 隅 にゐ た人 が 席 を移 し、

何 だ かお 互 に しや べ つ て ゐ る内 に面 白くな りま して 、 それ が 今 よ りは三 四 十年 お 若 かつ た須 井 先 生 な ので す が 、銀 座か ら長 駆 して駒 込 の待 合 へ行 き ま した。

そ れ か ら飲 み直 し、夜 もす が ら飲 み績 けて 、外 が 明 か る くなつ て か ら帰 っ て来 ま した。 そ の時 須 井 先 生 は僕 の ステ ツキ を突 いて 帰 られ ま した。僕 の大 事 な ス テ ツキ なの で 、二 三 日後 にお 宅へ お邪 魔 してそ の ス テ ッキ を戴 い て来 ま した。

お 宅 が どの辺 の見 當 だ つた か 、今 考 へて も思 ひ 出 せ ませ ん。 お 宅 へ伺 つ た の は そ の 時一 ぺ ん き りで す。 須 井 先生 に就 いて話 せ と云 はれ ま したか らお 話 ししま した が 、以 上 申 し上 げ た事 は 数年 前東 中野 の 臼本 閣 で須 井 先生 の 古稀 の お祝 が あっ た時 、 矢張 り指 名 され て 申 し上 げた 事 と全 く同 じで寸分 違 ひ ませ ん。 これ か ら後 、喜 ノ字 の お 祝、米壽 の 賀の お 祝等 が 目出度 く開 かれ る事 と思 ひ ます が 、 そ の節 は 僕 も亦 昌出 度 く末 席 に列 な りた い と思 ひ ます 。 そ の時 今 晩 の様 に 、肝 煎 りの幹 事 さんが 僕 に 何 か云 へ と云 はれ ま した ら、矢 張 り銀 座 の 露西 亜 料理 か ら須 井先 生 を拉 した 同 じ話 を申 し述べ るつ も りで す。 只今 この席 で豫 告 い た し て 置 きま す 」

宴 が終 つ て席 を起 つ 時 、須 井 さん に あの露 西 亜料 理 の店 の名 を僕 は覚 えてゐ ない ので す が 、御 記憶 が あ ります か と聞 い た ら、 言 下に 「カ フエ ロシ ア」 と答 へた。(『東海 道 刈 谷 騨』[薪 潮 社 、1960年];『 内 田百 聞 全集 』 第8巻[講 談社 、 1972年]403‑◎4)※ 須 井 とは 、独文 学者 ・随 筆家 の吹 田順 助(1883‑1963) の こ と。 これ は吹 田の 自叙 伝 『旅 人 の夜 の歌 』(講 談 祉 、1959年)出 版 記念 会 で百 聞が 行 な った テ ー ブル ス ピー チ で あ る。

詩人 協会

昭和3年1月18Hに 第2回 総 会 準備 会 が 開催 され 、萩原 朔 太郎(会 則 起 草 委員 ・ 評議 委 員 ・常 務委 員 〉 らが 出席 して い る く伊藤 信 吉 ・佐 藤 房 儀 「萩 原 朔 太郎 年譜 」

『萩原 朔 太郎 全集』 第15巻[筑 摩 書房 、1978年]403)。 ※ この後 、1月21日 の第 1回 総 会 で詩 人協 会 が 成 立。

● 「ロ シ ヤ 」(京 橋 区 瀧 山 町 「朝 臼新 闘 社 」 裏 手 の 大 通 り [現 在 の 銀 座6丁 目6番 地 付 近])

バ ア 「mシ ヤ 」 は 、 文 芸 関 係 で は 、 次 の よ うに 松 崎 天 民 ・谷 崎ma‑一 郎 の 文 章 に 現 れ て い る。

松崎 天民 「カ フエー の 女」

カフエ ー の女 に も、 憂 き煩 ひ は 「生活 」 と云ふ 問題 で あ る。 そ れ で も 日本 の カ フエー に は 、 貞操 を 壷物 にす る こ とを、表 看 板 に して居 る様 な 女 は 、未 だ〜

人 も見 えな い けれ ど、 欧州 交 戦 の諸 国 には 、 カ フエ ー の女 一 即一 費 春 婦 が 澤 山あ る と云ふ 。 現 に 近 頃、 京橋 区 の東 京 朝 目新 聞 裏 手の 大通 に、 新 に開 店 し

た ロシヤ 、バ ー に は 、金 髪 の若 い女 が 三人 居 て、頻 りに醜 業 を営 んで 居 る との 噂 が ゐ る。 一 本 の ヱ ビス ビール も、 一杯 のベ ル モ ツ トも、其 処 のバ ー で は 五十 銭 を食 る さ うで あ る。 同 時 に 三人 の異 国 人 は 、三 圓乃 至五 圓 の紙 幣 に依 つ て、

人 々の 枕席 に も持す る と云ふ 。 珍 し物 好 き の 日本人 の中 に は、 一杯 の 酒機 嫌 に 浮れ て 、此異 国 の 輪 落 の女jを 弄ん で居 る者 も紗 か らず あ ら う、 生 れ た 国の

さまよ

白夜 の巷 を 彷 復 うた 末 は、憂 きに 流れ て 日本 の都 に まで漂 泊 して居 る彼 等 三人

な げ

の運 命 を思 ふ と、 人 を馬鹿 に した様 な秋波 や 微 笑や 、 事 も無 気 な る挙 動 の 中 に も、人 知れ ぬ涙 が流 れ て居 や う。

握 手 され る さへ 、罪 深 い こ との様 に思 つ て 、顔 紅 らめ る 、 日本 のカ フ エ ー の 女 は 、た とへ そ れ が表 向 だ け とは云 へ 、未 だ 〉 異 国人 よ りは幸 福 で あ る。恋 も 無 くて 、 た ゴ金 を得 や うが た めに のみ 、 貞操 を費物 に しや うとす るに は 、 日本 の カ フエ ー の女 は鯨 りに道徳 的 で あ る。但 しそれ も何 時 ま で績 くこ とや ら、此 の後 、五年 と経 ち十 年 と過 ぐる間 には 、 ロシ ヤ、バ ー の様 になつ て行 くの では あ る まい か。 「カ フエ ー の女 」は 、そ の職 業 的 に も、道徳 的 に も、今や 寒 心す べ

き危 機 に 立つ て 居 る の であ る。(『恋 と名 と金 と』[弘 学 館 、 大正4年]176‑77) 谷 綺 潤一 郎 「濁 探 」

その 頃露 西 亜 生れ の 魔性 の女 が 、銀座 の裏 通 りに怪 しげ なバ ア を開 い た と云 ふ事 を新 聞で 知 つ た私 は 、俄 かに激 しい好 奇 心 に捕 はれ た。 丁度 私 は あ る創 作 の原 稿 を書 き上 げ る為 めに 、訪 客 を避 け て埼 玉 の知 人 の家 に閉居 して 居 た最 中 で あっ た が 、其 処 で新 聞 を讃 む と同 時 に何 だか物 に愚 かれ た 如 く筆 を捨 て 》東 京 に馳 せ帰 つ た。 さ うして戻 つ て来 た 明 くる 日の晩 に、友 人 の 浅川 と村 山 とを 唆 か して 早速 バ アへ 出か け て行 つ た。

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ussianBar"と 英 語 で記 した 丸行 燈iの看 板 の 下 を く ゴつ て 中 に這 入 る と其 処 は廊 下 に なつ て居 た。左 側 の部 屋 か ら ドシ ン と強 く ドー ア を開 けて 荒 々 しい 足 ど りで現 はれ た の は 、非 常 に太つ た怪 物 のや うな 四十恰 好 の婦 人 で あ っ た。

獅 子鼻 の 口の 大 き い 、団 栗 眼 の猛 悪 な顔 に 変 な作 り笑ひ を 浮べ て 、わ れ 〉 三人 を右 側 の 一室 へ 押 し込 む が如 く引 き擦 り込 ん だ。 彼 あ 女 の後 か ら、彼 の 女 よ り は 美 しくて若 さ うな二 人 の女 が直 ぐに績 い てぞ ろ ぞ ろ と闘入 して来 た 。 「ハ ヴ、

ユ ウ 、エ ニイ 、 ドリン ク?」 と一番 背 の 高 い のが威 勢 の い ㌧聲 で 云っ た。 や が て彼 等 は て んで に洋 酒 の杯 を捧 げ て 、狭 い室 内の 大 きな ソオ フア に腰 か け て居 る われ 〉 三人 の膝 を 目が けて 、一斉 に猿 のや うに跳 び 上つ た。彼等 の一 人 は い き な り私 を蓉 の 上へ 乗 り倒 して、裸 膿 の腕 を首 筋へ 絡 み着 けた ま 》執 拗 に酒 と 色 とを押 し費 りす 可 く、 肉感 的 な嬌 態 を演 じて見せ た。

「お い も う帰 ら うちや ない か。 な んだ馬 鹿 々 々 しい。 僕 は不 愉快 でた ま らな く な つた 。」

浅川 が 大 き な聲 で、 夢 中 に なつ て戯 れ て居 る私 の様 子 を苦 々 し さ うに 眺 め て 云 つた 。 日本 語 を解 せ ぬ女 た ちは怪 誘 な顔 を して嘲 け るや うに浅川 の姿 を眺 め

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