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司馬相如伝の受容と展開

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Academic year: 2021

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(1)

《講演記録》

司馬相如伝の受容と展開  

山田尚子

過分なご紹介にあずかりまして、誠にありがとうございます。本日の題には「司馬相如伝の受容と展開」としたのですが、あまり大きな視点からの話にはなりませんで、やや細かい話が多くなってしまうかと思うのですが、どうかお許しをいただきたいと思います。司馬相如は、中国の前漢の人物で、中国文学のジャンルのうちでも、特に「賦」に優れた人物として知られています。その伝を、きわめてざっとではありますが、ここで見ておきますと、司馬相如は、前漢時代の蜀郡成都(今の四川省成都市)の人で、字を長卿といい、景帝のとき武騎常侍(騎馬して侍従し、帝の狩猟などに従う官)となりましたが、その景帝が辞賦を好まないので官を辞して梁に遊んだ、といわれます。このときの梁王は、景帝の弟で、劉武という人でしたが、当時の有名な文人たちを優遇して、一緒に住まわせていたようで、司馬相如も彼らとともに寝泊まりして、交流を持ったといわれます。司馬相如は、そのときに「子虚賦」を作ります。梁王武の没後、成都に帰る際に臨邛を過ぎ、富豪卓王孫の娘である卓文君と駆け落ちをします。その後たまたま「子虚賦」が武帝の眼にとまり、郎(侍従官)を拝し、中郎将(帝の侍衛を統括する)となり、孝文園令(文帝の陵園を管理する職の長官)となりましたが、病気で引退をしています。相如の死に際して、武帝はその作品

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をすべて回収させようとしました。それは、相如が死んでしまうと、彼の作品が散佚してしまうのではないか、ということを恐れたためでしたが、帝の使者が家に行ってみると相如はすでに没しており、家には、かねて献上するつもりの「封禅文」以外には残っていなかった、他の作品はすべて、作るとすぐに誰かが持って行ってしまって、そもそも手元に残っていなかったといわれます。賦に長じ、作に「子虚賦」、「大人賦」、「長門賦」などがあります。日本でも、恐らくは『史記』の司馬相如列伝、『漢書』の司馬相如伝、『文選』、『蒙求』などを媒介として、古くからその伝や作品が知られていたと思います。資料一は、で、で、のです。

     日本における司馬相如伝の受容  郷里を出るとき、昇仙橋の橋柱(橋門)に、出世するまでは二度と橋を通らないという決意を書きつけた。

…『蒙求』「相如題柱」・『史記』司馬相如列伝所引「華陽国志」

梁の孝王のもとで鄒陽や枚乗といった文人達と交わった。

…『史記』司馬相如列伝・『漢書』司馬相如伝・『文選』巻十三「雪賦」

富豪の娘、卓文君が相如の琴を聞き、二人は駆け落ちの末に結ばれた。

…『史記』司馬相如列伝・『漢書』司馬相如伝

貧しかった相如の家は、ただ四方に壁が立っているだけであった。

…『史記』司馬相如列伝・『漢書』司馬相如伝

賦の作者として高い評価を得た。

…『史記』司馬相如列伝・『漢書』司馬相如伝

相如を迎えたときの太守や県令の恭しい様子を見て、蜀(司馬相如の郷里)の人々はたいへんな栄誉だと思った。

…『史記』司馬相如列伝・『漢書』司馬相如伝・『蒙求』「相如題柱」

つまり、ここに挙げたものは、日本の作品に故事として使われているものということになります。…の先には、それが中国す。と『は、 資料一

(3)

ろ、す。資料一に、

像にはさまざまな側面があって、日本人はこうしたそれぞれの側面を故事として、自分たちの、その時々の状況に応じて使ったものと思われます。く、資料一る、か、の、譚ではないかと思います。『今昔物語集』や『十訓抄』などの説話集に見えるほか、『唐物語』などにも描かれています。それから④の、貧しかった頃の相如の家は四方に壁が立っているだけであったというのは、建物がみすぼらしくさびれた状況、あ使す。も、使す。方、め、は、②、それから⑤、つまり賦の製作に優れた人物として描かれる例が圧倒的に多いと思います。本日お話ししますのは、①それから⑥の故事についてです。最初に①に注目し、後で⑥について触れるということになると思います。もう少し具体的に申し上げますと、句題詩の表現に見える司馬相如の故事をめぐって、最近気が付いた点についてお話してみたいと思います。①の故事、つまり、司馬相如が都で仕官するために郷里を出るとき、昇仙橋の橋柱に、出世するまでは二度とこの橋を通らないという決意を書きつけたという、昇仙橋の故事は、平安前期まで、この故事を使った用例が見出せておりませんが、十世紀の後半になりますと、この故事を使った表現が漢詩文の中に見えてまいります。資料二は、この故事が記された、『史記』の該当箇所です。

(4)

記、蜀、迎、駆。云、橋、也。入長安、題其門云、「不乗赤車駟馬、不過汝下」也。

は、く、す。資料二分、り「陽国志に云ふ」ではじまる箇所です。ここに引かれる「華陽国志」は、六朝の晋代の書物で、四川雲南地方の歴史や地理を記て、が、は、す。た『は、る、じ、がありますが、「索隠」の注は、『漢書』にはありません。『史記』の本文にのみ、この注が付いています。は、て「分、資料二す。お、資料二に引用した『史記』の本文には傍線がついた箇所がありますが、この傍線部分については後で説明することにしますので、今の「す。は、ふ、り、り。き、ふ、ば、ざらん」となり。」つまり、「華陽国志」という書物によると、蜀の大城の北、十里のところに升仙橋という橋があって、そこには送客観がある、相如が初めて都長安にのぼったとき、其の門に「赤車駟馬に乗らずんば、汝が下を過ぎざらん」つまり、馬(車、は、た、う内容です。は、書、も、す。は、れを編纂した李瀚が自分でつけたといわれる最も古い注、いわゆる李瀚の自注が記された本が残っていますが、残念なことに、この自注本には欠けている部分があります。この「相如題柱」の箇所は、ちょうどその欠けている部分にあたっていて、自注が残っていません。そこで、ここでは、この自注に準ずるものとして、大永五年(1525)書写の国会図書館本の注文を掲 資料二

(5)

げました。

〔蒙求、相如題柱(国会図書館蔵大永五年(一五二五)書写本)401〕※李瀚自注本はこの箇所現存せず。如、卿、人。 ママ橋、曰、橋。将、蜀。迎、先駆。蜀人以相如為栄寵

は、す。で、の『資料二の「と、す。は、は、橋の「門」になっているのに対して、『蒙求』では、標題の四字句が「相如題柱」になっていることからもわかるように、「橋す。ら、は「く、日本においては「門」よりも、「柱」となっているストーリーのほうが広く受け入れられていたのではないかと思われます。

ここまで、司馬相如の昇仙橋の故事について説明してきましたが、ここから、やや唐突ですが、今度は、平安期の句題詩の表現に話をうつしたいと思います。近年、平安期の句題詩については、大きく研究が進みました。句題詩についての詳しい研究は、レジュメの最後に(※本稿)、て、生、で、照していただきたいと思いますが、本日の話に関わる事柄について、やや煩雑で申し訳ないのですが、ここでお話しておきたいと思います。句題詩というのは、漢字五文字の題、これが句題と呼ばれるものですが、この句題を詩題として作られる詩のことです。句 資料三

(6)

題とはそもそも、かつて作られた古い五言詩の一句を題としたものですが、平安中期以降になりますと、詩の一句をとるのではなく、新たに詩題を作る、新題と呼ばれる句題が増えてまいります。句題詩が詠まれる場は、宮中や貴族の邸宅で催される詩宴(詩の宴、詩会とも呼ばれる)で、句題は、その場の季節や状況にふさわしいものが撰ばれます。は、合、す。て、韻、聯()、聯(六句)の対句、平仄などは、近体詩の規則に従って作られます。しかしながら、平安中期以降の句題詩の場合には、中国の近体詩には見られない独自の構成方法があったことが知られています。資料四に掲げたのは、近年明らかになった、平安中期以降に定着したといわれる、句題詩の構成方法です。

     句題詩の構成方法  ※句題詩…漢字五文字の句題を詩題として詠まれた詩。①首聯  題目=詩題の五文字をそのまま詠み込む。②頷聯  破題(本文)=詩題の文字を別の文字で言い換えて題意を敷衍する。③頸聯 破題(本文)=詩題の文字を別の文字で言い換えて題意を敷衍する。 ※1 ②、③のいずれかで故事や典拠を踏まえた表現を用いるのが望ましい。その場合には、特に「本文(譬喩・比興)」と呼ぶ。 ※2 詩題に双貫語(山川、管絃など)が入っている場合には頷聯、頸聯の上句、下句でそれぞれを言い換え、詠み分ける必要がある。④尾聯 述懐…詩題に即して思いのたけを述べる。

と、り、は、で、は、詩題の五文字をそのまま詠み込みます。次の頷聯すなわち第三句および第四句と、頸聯すなわち第五句、第六句は、中国における律詩の規則によって対句を構成しなければならない箇所にあたるわけですが、特に日本の句題詩の場合には、この頷聯と頸聯で、それぞれ詩題の五文字を別の文字で言い換える、ということをいたします。詩題を別の文字で言い換えることで、題意を別の表現で敷衍するわけです。このように詩題を別の表現で言い換えた頷聯、頸聯のことを「破題」と呼びます。そして、太字の※印の1に示しましたように、頷聯および頸聯で言い換えをする、つまり破題をする際に、どちらかの破題については、 資料四

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故事や典拠を踏まえて作るのが望ましく、その場合には、特にその破題のことを「本文」と言います。最後に尾聯、つまり第句、は、て、す。し、踏まえて表現されることが求められます。資料五は、る、た(細は参考文献②を参照のこと)。これを見ながら、構成方法について、もう一度確認をしてみたいと思います。

     句題詩の例〔中右記部類紙背漢詩集、松樹臨池水(松樹

池水に臨む)

、大江匡房〕

題目

仙家

池水 00正泓澄仙家

池水 正に泓澄として

松樹臨来殊有情松樹臨み来る 000

殊に情有り

本文

松樹

残月暗草聖

煙を帯びたり

残月暗し  ※草聖=張芝(『蒙求』「伯英草聖320」)

松樹

晩風清波臣

緑を

たり

晩風清し   ※波臣=魚のこと(『荘子』外物篇)

破題

亜枝

色を

そそ

金塘の裏

密葉

陰を

ひた

玉岸の程

述懐

勝地宸遊看不飽

勝地

宸遊 看れども飽かず

千秋万歳幾相迎

千秋

万歳 幾たびか相ひ迎へん

 

は、

た。は、に、で「で、 たっています。レジュメでは、詩句のそれぞれの文字に傍線を付けて、詩題のどの文字の言い換えになっているのかを示して に、句、が、合、が「」、 の五文字、すなわち、「松、樹、臨、池、水」の五文字がそのまま詩のなかに読み込まれています。 深くたたえられ、澄んでいる様子を表わしたものです。詩句の文字に傍点を打ちましたが、第一句、第二句の首聯では、句題 す。の「は、す。 資料五

(8)

芝、す。使は、に「す。どんな故事かといいますと、張芝が書の稽古をするのに、硯では小さすぎるので、池のほとりで水に臨んで書を学び、そのせす。て、の「わけです。そして、「煙を帯びたり」の「煙」は、この一字で松の緑を表わす語ですので、「煙」が「松樹」の言い換えとなりす。て、は、で「」、で「て、芝のそばに緑に煙る松の木がある光景を描き出すことで、「松樹

池水に臨む」という詩題を敷衍していることになるわけです。

に、が、の「は、て、す。は、

水」を言い換えた「玉岸」との関係を表わす「陰を浸す」 す「が「を、た、は、た「と、 の「が「す。は、た「と、た「 の「が「す。た、の「」、 に、句・が、す。の「」、 きますので、やはり詩題の五文字を言い換えて題意を敷衍していると考えることができます。 衣たり」とあって、魚が緑を着ていると表現することで、松の木が池のほとりに立っている情景を表わしているものと解釈で が「臨」の字の言い換えになっているわけです。

最後に、第七句、第八句、すなわち尾聯は述懐です。この詩では、詩宴が開催された場所をたたえ、この詩宴の開催者の寿命が松のごとく永遠でありますように、と結んでいます。以上のような構成方法に加えて、このような句題詩の構成方法で、もう一つここでお話をしておかなければならないことがす。は、で、は、資料四て、す。は、」、に、語のことです。詩題に、この双貫語(例えば「山川」のような双貫語)が入っている場合には、頷聯と頸聯で破題するときに、

(9)

で、が「は「」、が「は「に、」、を、に、い、す。資料六には、詩題に双貫語を含む場合の句題詩の例を掲げます。

     詩題に双貫語が含まれる場合の例〔中右記部類紙背漢詩集、松竹有清風(松竹に清風有り)、藤原明衡〕

題目

幾成林青松 00

翠竹 幾ばくか林を成さん

有清風催詠吟ら清風有り 000おのづか

詠吟を催す

本文

固夢響き爽やかにして夜吹く

丁固の夢

 ※丁固(『蒙求』

「 丁固生松

214)。

猷襟

かす

かにして暁に扇ぐ

子猷の襟    ※子猷=王徽之。

破題

迎夏淇園

夏を迎へて炎景を忘る

    ※淇園=竹の産地。

当晴秦嶺

晴れに当たりて雨音を学ぶ

  ※秦嶺=五大夫の故事。

述懐

適対此叢偸作道

たまたま此の叢に対ひ ひそかに作りて道ふ

可憐澗底独淹沈

憐むべし

澗底に独り淹沈するを

詩題が「松竹に清風有り」となっていて、この詩題の「松竹」が松と竹との双貫語になっています。ここでは、特に問題となる頷聯と頸聯を見ておきたいと思います。まずは頷聯ですが、この詩の場合、この頷聯が句題詩の構成方法のうちの「本文」す。の「

」、の「

す。の「は、 す。て、の「の「」、の「の「が、 の「

す。に、で「を、で「て、 す。は、之、て、て、 す。で、し、の「 「 丁が、 資料六

(10)

」、は「に、す。て、が、」(で、す。方、の故事にもとづき、こちらは「松」を言い換えた表現です。すなわち、この頸聯では、前の句で「竹」を、後ろの句で「松」をというように、それぞれ詠み分けていると考えられます。そして、以上のような句題詩の構成方法は、句題の詩序の構成方法とも深く関わります。詩序は、詩宴で詠まれた詩群の冒頭に置かれるもので、詩宴の主催者の意向を受け、その詩宴がなぜ、どのような場所で行われたのかを明らかにするもので、多くの場合、儒者がその執筆にあたります。資料七に掲げたのは、句題の詩序の構成です。

     句題詩序の構成(1)第一段  詩宴についての説明(誰が何時、何処で、何故、如何なる詩宴を催したか)(2)第二段  詩題についての説明(句題詩の首聯から頸聯にあたる)

     

①題目

     

②破題

     

③本文(譬喩・比興)

(3)第三段 序者の謙辞

詩序は、大きく三段に分けられます。第一段は、その詩宴について、何時、誰によって、何処で、何故、どのように行われた詩宴なのか、などを説明する箇所にあたります。第二段は、詩題についての説明です。最後に第三段で序者の謙辞を述べて結す。は、す。は、目、題、あたるものを、この順序で置き、詩題を敷衍します。つまり、まず詩題の五文字をそのまま詠み込み(「題目」に当たります)次に詩題を別の文字で言い換える「破題」を置き、その次に故事や典拠を踏まえた表現を用いることによって詩題の文字を言い換える「本文」を置く、という構成をとるわけです。 資料七

(11)

ここで強調しておきたいのは、句題詩および句題の詩序において肝心なのが、破題の作成、これは破題の一種としての「本文」の作成も含めてということでありますけれども、この破題の作成であるという点です。詩題を如何に言い換えるかということに、製作者は最も心を砕くわけです。もっといえば、句題詩および句題の詩序の良し悪しは、破題の出来不出来にかかっているといっていいと思います。逆にいえば、この破題の言い換えさえ上手くいけば、つまり破題の作成さえできれば、なんとか句題詩を作成できる、ということにもなると思います。て、は、が、す。資料八

   

  をご覧いただきたいと思います。

資料八に掲げました『文鳳抄』、それから、資料九に掲げました『擲金抄』は、いずれも破題を製作するための、つまり詩題を言い換え、対句を作成するための対句語彙集です。『文鳳抄』は菅原為長撰、『擲金抄』は藤原孝範撰ですが、この二つの書物は、ほぼ同じ時期に成立しているといってよいと思われます。

   

・昇名旧来往跡危 ママ 常侍、後遷中郎将。奉使入蜀郡。郡守郊迎。蜀人謂之為龍。漢書 如、卿、里、橋。 ママ 烏鵲橋、在七夕部 ・仙鵲結翎人龍題字 〔文鳳抄、橋〕 たか。 『文長(撰。年(年(き、 資料九

資料八

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