1 はじめに
近年記述情報の開示に関する議論が盛んとなり,有価証券報告書においても従来からの財務情報 に加え,記述情報を一層充実するような政策がとられるに至っている。記述情報の中でも経営目標 指標を通じて,企業と資本市場との間における建設的な対話を促進し,中長期的な企業価値向上を 目指す動きが活発である。この経営目標指標は,最近 KPI(Key Performance Indicators)として 言及されることが多い1)
3−2 アンケート調査等から見た KPI の開示状況 前述した IFRS 適用企業にとっては,KPI を開示する合理的な理由のあることが理解できた。一 方段階的損益を開示している日本基準適用企業にとっては,IFRS の容認していないような損益情 報をわざわざ KPI として開示する誘因はあまりないであろう。従って,IFRS 適用企業に比べて, KPI 開示例はさほど多くはないことが推測される。しかし日本基準適用企業でも,統合報告書を作 成するに際しては,各企業の価値創造プロセスを分かりやすく報告するため,価値創造の進展度合 い等を示す定量的な尺度として,最近では KPI を開示する実務が散見されるようになってきた。 KPI 開示に関する統計データが整備されている訳ではないが,森口(2015)や KPMG ジャパン (2018)による調査結果が発表されている。例えば,森口(2015)は,KPI が注目を浴びているに もかかわらず,KPI の活用目的,活用度,活用効果等の活用実態が不明であったことから,様々な 観点に基づき2013年にアンケート調査を実施したものである。アンケート調査の結果,KPI として は,具体的な指標は不明であるあるものの,財務に関する指標と顧客・市場に関する指標が比較的 多く採用されていること,そして財務 KPI と非財務 KPI の割合についてはほぼ半々であることな どを指摘している。 また KPMG ジャパン(2018)も,我が国企業の統合報告書を手掛かりに KPI 開示実態を調査し たものであるが,統合報告書の中において開示された KPI を内容面から,財務 KPI と非財務 KPI に大きく分けた場合,2018年では概ね6対4の割合であったことを明らかにし,以前に比べ非財務 KPI の割合が増加したと指摘している。
さらに同調査では,採用されている財務 KPI 上位5つの指標としては,!売上高,"当期純損 益,#ROE,$営業損益,%一株当たり情報であるとする(p.17)。一方非財務 KPI は多様な性格 があるため,製造・知的・自然・人的・社会関係 KPI という5つのカテゴリーに分けて調査を行 い,製造 KPI としては設備投資額,知的 KPI としては研究開発費,自然 KPI としては CO2温室効 果ガス排出量,人的 KPI としては従業員数,社会関係 KPI としては会員数・顧客数という指標が それぞれトップを占めていることも明らかにしている(p.18)17)
。 これらの先行研究からは,次のような点を指摘できる。
(1)前述した IFRS 適用企業のケースでは,様々な KPI の開示されていることが分かったが,KPI を開示するという会計実践は,日本基準適用企業でも盛んなようであり,必ずしも IFRS 適用 企業に限定されるものではないことも明らかになった。つまり,Non-GAAP 利益(情報)であ る KPI の開示は,適用する会計基準には依存しないということかもしれない。 (2)本稿における IFRS 適用企業という限定された事例ながら,開示されているほとんどの KPI は財務 KPI という印象がある。しかし KPI を開示している日本基準適用企業に関する先行研 究からは,財務 KPI のみならず非財務 KPI の開示も行われていることが窺われ,この点から 見る限り IFRS 適用企業以上に多様な KPI が開示されているのではないかと推測される。日本 企業の開示の方向性は,投資家を含めた利害関係者のニーズに即した望ましい動きと評価でき る。但し,非財務 KPI と言いつつも実際はかなり財務的色彩の濃い指標もあり,中身は玉石 混交の感が強い。
いると解釈ができよう。財務 KPI であれば,そもそも汎用性が高く,外部利用者にとっても 比較的馴染みのある指標が採用されることも多かろう。
因みに,Elzahar et al.(2015)は,英国企業の KPI の経済的帰結を検証したところ,財務 KPI の開示のみが企業の内在的資本コスト(Implied Cost of Capital)の低減に影響を及ぼすこと, 企業価値と正の相関関係があることを明らかにしている。英国と単純に比較はできないものの, かかる事情に鑑みれば,企業に財務 KPI の開示を重視する動機付けがあることも納得できる。 (4)企業に対しては,財務情報だけでなく,社会的あるいは環境的なリスク要因への対応が21世 紀に入り急速に求められるようになった。最近ではかかる非財務情報に起因するリスク要因乃 至業績変動要因をサステナビリティ情報として整理し,企業に開示を求める動きが急務となっ ていると思われる。各企業がこのように盛んに KPI を開示するようになった背景として,い わゆる ESG 情報を市場が求めるようになったことは否定できない。株価低迷の要因として市 場との対話が不足していると指摘される日本企業だからこそ,非財務 KPI を積極的に開示す る動きを見せているのであろう。企業活力研究所(2018)も,企業価値向上のために,一層の 非財務情報開示の必要性を強調し,多様な開示の仕方を提言している。 4 KPI 開示と企業分析上の留意点及び課題 本節では,以上のような KPI の開示実態を踏まえて企業分析をする場合の留意点に加え,いか なる課題が残されているのかを検討してみよう。 (1)まず外部利用者の視点から,KPI を利用した企業分析をするならば,時系列比較と同業他社 比較とで分けて考える必要があろう。 同一企業の業績を時系列で比較する場合,尺度や考え方が変更されていない限り,同一の KPI を利用して,当該企業の業績を評価することが可能である。もちろん,従来からの財務指標と 併用して総合評価を行うことになる。特に IFRS 適用企業の場合,前述したように日本基準適 用企業と異なり損益計算書で段階的損益が開示されない以上,企業が独自に開示した段階的損 益とも言うべき KPI を分析で利用する価値が高いことは言うまでもない。 企業間比較を行う場合は,仮に同一名称の KPI であっても必ずしも同じベースで算出され ているとは限らないため,単純に名称の同一性に基づいて KPI による比較分析をすることは, 業績評価のミスリードを惹起する恐れがある。Black et al.(2018)も KPI による投資家の誤 導リスクに懸念を示しているように,企業間比較を行う場合,ベースを揃えた指標を使うべき である。それが困難であれば,KPI を利用した分析に拘る必要はなく,従来と同様な分析アプ ローチを採用することもやむを得まい。参考程度に KPI を利用するに留まろう。 (2)もし可能であれば,従来から行われてきたことと変わりはないが,利用者が脚注等を利用し て,独自な分析指標を作成し企業間比較をするのも一考であろう。最近では,決算説明会資料 等において,有価証券報告書等で開示されている以上に詳細な情報を自発的に開示している企 業も多く見られるようになった。この中の情報には,工夫を凝らせば有用な分析指標となり得 るものも含まれているから,利用者の問題意識と分析センスが今こそ問われていると理解すべ きだろう。開示された情報を生かすも殺すも利用者次第である18)
績指標という側面を意識し過ぎると,KPI を利用した利害関係者との建設的な対話という目的が達 成し難い。かかる事態は是非避けなければならないことに異論はなかろう。 そこで,提案したいのは企業の開示する KPI を参考に,分析者が独自に修正を施し,他社比較 が可能なように開示された KPI を修正して利用することが可能となるような余地を施すことであ る。詳細な調整表の開示あるいは一時的損益項目の例示など工夫をすることは,十分に可能な選択 であろう。今後ますます IFRS 適用企業が増加していくことが予想される以上,従来からの GAAP に基づく財務比率だけでなく,KPI を利用した分析は無視できないと考える。大事なことは,企業 サイドの配慮に加え,分析サイドのニーズに応じた KPI の分析方法や適切な修正技法の開発であ る。 注 1)大西・福元(2016)によれば,KPI 活用の起源については,ROI を分解した著名なデュポン・システムにさかのぼる としており(3頁),元来は企業内部における業績評価のための指標であったことが推測される。 2)様々な KPI 概念が提唱されているが,この点について,大西・福元(2016)はコンパクトに整理している。 3)大西・福元(2016)は,KPI に対する考え方を,!産業別の成功決定要因,"組織目標における達成指標,#戦略の 実行プロセスにおける指標という3類型に分類して整理し,指標間の関係性が重視されるように考え方が変化している とする。さらに,実務と学術での KPI に対するアプローチあるいは姿勢の違いもある点を指摘し,我が国では KPI の とらえ方が依然として流動的であることも伺わせている。 4)記述情報とは,財務情報以外の開示情報を指す。
5)指標等という表現の中には,例えば ROE や ROA や EBIT 等の財務数値以外にも,非財務指標も含まれていると考え られている。
6)仮に,KPI を単純な割り算で定義するならば,組織体で一つの指標だけを利用するのではなく,適切な目標等に合致 させた分母と分子の組合せを考案すべきである(Harber and Schryver2019)。
7)山田(2019)は,米国における KPI 開示状況を概観し,やはり Non-GAAP 指標の利用が増加していることを明らか にしている。 8)野村(2018)は,最近における IFRS の我が国企業への浸透状況を踏まえ,損益計算書に記載されている段階的損益 情報の比較可能性が希薄になっていると指摘する(58頁)。 9)米国での Non-GAAP 指標が幅広く利用されている背景としても,損益計算書での表示方法が規定されていなかった 点や GAAP における認識・測定での問題があると指摘する(山田 2019)。 10)なお,理解可能性と比較可能性を高めるため,IASB は MPM を開示する場合,損益計算書で開示した段階的利益と MPM との調整表を注記で開示することも求めるようである。
11)Elzahar et al.(2015)によれば,英国では,既に2015年からアニュアルレポートの中で上場企業による KPI を利用し た業績評価を行うことが求められるようになり(UK Companies Act 2006),Accounting Standard Board(ASB)がこれ を受けてガイドラインを発行しているとする。
ない。従って,一概に KPI としてのコア営業利益を開示する意義がない訳ではない。 16)Schilit and Perler(2010)は,企業による KPI の操作を指摘している。
17)KPMG ジャパンによる過去の同等の調査結果と比較した場合,非財務 KPI の重要性が主張されている割に,実際に は非財務 KPI の活用がまだ進んでいない点にも注目したい。また統合報告書における KPI の開示箇所について,KPMG ジャパン(2018)はハイライトセクションにて一覧形式で開示する傾向があるとも指摘している(p.17)。
18)Givoly et al.(2019)は,投資家が希求する情報に応えるべきアナリストは,KPI を予測することが重要な仕事になる とする。またアナリストの KPI 予測内容を検討したところ,KPI 予測は利益予想よりも正確であることも指摘する(p.25)。 まさにアナリストによる工夫が,利益情報以上に KPI 活用では問われていることが分かる。
19)中條(2019)も,事業利益を開示する企業は多いが,事業利益を開示する説得性・定義の多様性に疑問があり,改善 の余地があるとしている。
20)Harber and Schryver(2019)は,財務目的に止まらず,持続可能性の追求や企業リスク管理(Enterprise Risk Manage-ment)に適した KPI を開発することの重要性を指摘する。また小西(2018)は,サステナビリティ情報へのニーズの 高まりに応えるために,KPI の開示の重要性が増すとする。 21)SAAB の目的は,非財務情報が財務情報と同様に比較対比できるような基準を設定することとされている。 22)雑誌「企業会計」2019年9月号(Vol.71)は Non-GAAP 指標の取扱いという特集を組み,「定めのない指標をどう使 いこなすか?」という副題を付しているように(P.71),KPI の利用方法はまだ模索されている最中なのであろう。 参考文献
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