2015
年度 修士論文
J-PARC
における中性子寿命精密測定実験
−データ解析と検出器アップグレード−
九州大学大学院 理学府 物理学専攻
粒子物理学分野 素粒子実験研究室
角 直幸
指導教員 吉岡 瑞樹
概要
中性子寿命τn= 880.3±1.1 [sec] (PDG2014)は、初期宇宙の元素合成量を予測する「ビッ
グバン元素合成理論」やクォークの混合の強さを表す「CKM行列のユニタリ性」にとって重
要なパラメータである。歴史的に行われてきた中性子寿命測定実験は、その測定手法によって
次の2つに分類できる。“Neutron-Counting 法”は、低エネルギーの中性子を貯蔵容器に閉
じ込め時間と共に減少する中性子量から寿命を測定する。“Proton-Counting 法”は、崩壊で
生成された陽子と中性子流量をそれぞれ異なる検出器で検出しその比から寿命を測定する。こ
れまでにそれぞれの手法においてO(0.1)%の精度で寿命が測定されている。ところが、両者
の結果には3.9σ の乖離が見られており、この違いを説明するために新たな手法による測定が
求められている。そこで我々は、大強度陽子加速器施設 J-PARCの物質・生命科学実験施設
の中性子源を用いてO(0.1)%精度を目標とした新しい手法による中性子寿命精密測定を行っ
ている。この手法“Electron-Counting法”は Kossakowskiらによって原理検証された手法
で、崩壊で生成された電子と中性子流量をガス検知器 Time Projection Chamber (TPC)を
用いて検出し測定する。これによって“Proton-Counting 法”で最も大きな不定性である検出
器間の計数の規格化の問題が回避できる。加えて、J-PARC大強度ビームと中性子光学技術を
駆使したビーム輸送系を用いることで高精度の寿命測定を可能にしている。
2014年と2015年に初の物理データを取得した。本研究ではこれらのデータの解析を行い
信号事象と想定される背景事象を定量的に評価し“Electron-Counting 法”を用いて中性子寿
命がO(1)%の精度で測定できることを示した。また、データ解析にあたってGeant4を用い
た粒子シミュレーションとTPC検出器応答を精緻に調整することで、実験データを再現する
シミュレーションを開発した。
また、本研究のデータ解析から最終目標であるO(0.1)%精度に向けた検出器の改良点を検
討し、検出器の改善項目を「大口径化」「低ガス圧化」「有感壁面化」の3点とした。「大口径
化」は大型・大強度の中性子ビームを受け入れ統計精度の向上を、「低ガス圧化」は最も不定
性を生む事が予想されるTPC動作ガスに起因する背景事象の絶対数の減少を、「有感壁面化」
は同じくガス起因背景事象に対する排除能力の向上を目的としている。この改良を以って1ヶ
月のデータ取得で、O(0.1)%精度の測定が可能であることを示した。
5
目次
第1章 研究背景 13
1.1 中性子の基礎特性 . . . 13
1.2 中性子寿命の物理 . . . 14
1.2.1 ビッグバン元素合成 . . . 14
1.2.2 Cabibbo-Kobayashi-Maskawa (CKM)行列 . . . 16
1.3 本研究以前の中性子寿命測定実験 . . . 18
1.3.1 Neutron-Counting法 . . . 19
1.3.2 Proton-Counting法. . . 20
1.3.3 Electron-Counting法 . . . 21
Kossakowskiらの先行実験 . . . 21
1.4 本論文の構成と役割 . . . 22
第2章 J-PARCにおける中性子寿命測定実験 23 2.1 実験原理 . . . 23
2.2 実験施設 . . . 24
2.2.1 J-PARC . . . 24
2.2.2 MLF . . . 25
2.2.3 BL05 . . . 27
2.3 実験装置 . . . 29
2.3.1 Spin Flip Chopper . . . 29
2.3.2 6LiF中性子シャッター . . . 30
2.3.3 中性子ビームモニター. . . 30
2.3.4 宇宙線べトーカウンター . . . 32
2.3.5 鉄・鉛遮蔽体 . . . 34
2.3.6 真空容器 . . . 35
2.3.7 Time Projection Chamber . . . 36
2.3.8 55Fe X線源台 . . . . 38
2.3.9 プリアンプ. . . 39
2.4 データセット . . . 41
2.5 先行実験との比較 . . . 42
第3章 シミュレーション開発 43 3.1 粒子シミュレーション . . . 43
3.1.1 実験装置の実装 . . . 43
3.1.2 TPCガス . . . 44
3.1.3 中性子ビーム分布 . . . 45
3.1.4 55Fe X線源分布 . . . . 45
3.1.5 宇宙線分布. . . 46
3.2 検出器シミュレーション . . . 47
3.2.1 テンプレート波形の作成 . . . 48
3.2.2 アノード・カソードのゲインキャリブレーション . . . 49
3.2.3 フィールドワイヤーのゲインキャリブレーション . . . 52
3.2.4 ドリフト速度の実装 . . . 54
Error Function法 . . . 54
na極限法 . . . 55
第4章 データ解析 57 4.1 データ解析の方針 . . . 57
4.2 解析パラメータ . . . 57
4.2.1 Drift Time . . . 57
4.2.2 Range . . . 58
4.2.3 Deposit Energy . . . 58
4.2.4 Time of Flight . . . 59
4.2.5 Distance from beam Center . . . 60
4.2.6 X value . . . 60
4.2.7 Field Energy Deposit Maximum . . . 61
4.3 中性子β 崩壊の抽出 . . . 62
4.3.1 シグナルイベントの見積り Sβ . . . 62
4.3.2 バックグラウンドイベントの見積り . . . 62
環境/宇宙線Benv . . . 62
TPC内部放射化 Bact . . . 63
上流起因γ 線 Bup . . . 63
3He吸収反応 B 3He . . . 64
CO2吸収反応 BCO2 . . . 64
散乱中性子6LiF吸収反応 B LiF . . . 65
7
4.3.3 Time of Flightの引き算 . . . 66
4.3.4 ガス起因バックグラウンドの見積 . . . 71
4.3.5 抽出効率 εβ . . . 73
4.4 3He吸収反応の抽出 . . . 75
4.4.1 シグナルイベントの見積り S3 He . . . 75
4.4.2 バックグラウンドイベントの見積り . . . 75
中性子β崩壊 Bβ . . . 75
窒素 N吸収反応 BN . . . 75
酸素 O吸収反応 BO . . . 76
散乱中性子3He吸収反応 B scat3He . . . 77
4.4.3 抽出効率 ε3He . . . 77
4.5 解析まとめ . . . 78
第5章 検出器アップグレード 79 5.1 精度O(0.1)%に向けた課題 . . . 79
5.2 大口径化 . . . 80
5.3 低ガス圧化 . . . 81
5.3.1 TPCガスの選定. . . 81
5.3.2 検出効率の低下 . . . 82
5.3.3 プリアンプの発熱による温度勾配 . . . 82
5.3.4 新ASICアンプ . . . 84
5.4 有感壁面化 . . . 85
5.4.1 実装方法 . . . 86
5.4.2 MWPC面の追加 . . . 87
5.5 検出器アップグレードのまとめ . . . 87
第6章 まとめ 88
付録A 宇宙線べトーカウンターの検出効率改善 89
付録B 中性子による元素の放射化 94
付録C 元素に対する中性子吸収・散乱断面積 95
付録D 異なるガス圧データの引き算 96
図目次
1.1 中性子の運動エネルギーと対応する温度、速度、波長による分類 . . . 14
1.2 ビッグバン元素合成理論の予測する宇宙初期の軽元素合成割合 . . . 15
1.3 ビッグバン元素合成理論の予測するパラメータと観測結果の比較 . . . 16
1.4 軸性/極性ベクトル結合定数比λとCKM行列の|Vud|の関係 . . . 17
1.5 中性子寿命の変遷 . . . 18
1.6 2種類の中性子寿命測定手法の比較 . . . 18
1.7 Neutron-Counting法に用いられる中性子蓄積容器 . . . 19
1.8 Proton-Counting法に用いられる測定装置 . . . 20
1.9 Electron-Counting法に用いられる測定装置 . . . 22
2.1 TPC中でのβ崩壊のエネルギー損失 . . . 24
2.2 J-PARC陽子加速器と実験施設 . . . 25
2.3 物質・生命科学実験施設の外観 . . . 26
2.4 中性子生成水銀標的容器 . . . 26
2.5 MLFビームライン . . . 26
2.6 中性子光学基礎物理実験装置BL05の外観 . . . 28
2.7 BL05 ビームライン . . . 28
2.8 BL05中性子寿命測定装置 . . . 29
2.9 スピンフリッパーと磁気スーパーミラー. . . 30
2.10 Spin Flip Chopperの全体像 . . . 31
2.11 Spin Flip Chopper . . . 31
2.12 Spin Flip Chopperの性能 . . . 32
2.13 6LiF中性子シャッター. . . . 32
2.14 中性子ビームモニター . . . 32
2.15 宇宙線べトーカウンター . . . 34
2.16 宇宙線トリガーカウンター . . . 34
2.17 鉛遮蔽体 . . . 34
2.18 鉄遮蔽体 . . . 34
9
2.20 Time Projection Chamber . . . 37
2.21 TPCの模式図 . . . 37
2.22 TPCの断面図 . . . 37
2.23 ビームダクト下流から覗いたTPC . . . 38
2.24 55Fe X線源台 . . . . 38
2.25 プリアンプ回路図 . . . 39
2.26 DAQ回路の概要 . . . 40
3.1 Geant4シミュレーションの様子 . . . 44
3.2 TPC中4箇所のImaging Plateで取得した中性子ビーム分布 . . . 45
3.3 55Fe X線源の放出角度. . . 46
3.4 55Fe X線源の光電吸収位置 . . . . 46
3.5 宇宙線のエネルギー分布 . . . 46
3.6 宇宙線の角度分布 . . . 46
3.7 アノードテンプレート波形 . . . 48
3.8 アノードテンプレート波形のノイズ . . . 48
3.9 ガスの劣化によるドリフト電子の減衰 . . . 49
3.10 55Fe X線源によるゲインキャリブレーション . . . 50
3.11 宇宙線の飛程とエネルギー損失(温度修正前) . . . 51
3.12 宇宙線の飛程とエネルギー損失(温度修正後) . . . 51
3.13 アノード・フィールドワイヤー信号の電圧依存 . . . 53
3.14 フィールドワイヤーのゲインキャリブレーション . . . 53
3.15 Error Function法によるドリフト速度導出 . . . 54
3.16 TPC中のドリフト時間 . . . 55
3.17 宇宙線の角度とドリフト時間の関係 . . . 55
3.18 na極限法によるドリフト速度導出 . . . 56
4.1 TPCで得られる波形のパラメータ定義 . . . 58
4.2 Time of Flight と 中性子バンチ位置の関係 . . . 59
4.3 Time of Flight の Fiducial時間 . . . 59
4.4 Distance from beam Center . . . 60
4.5 シグナル / バックグラウンドイベントのイメージ . . . 63
4.6 3He吸収反応と中性子β崩壊の切り分け . . . . 64
4.7 Time of FlightとTPCのカウントレート . . . 67
4.8 Time of Flight イベントの内訳 . . . 67
4.9 Drift Time引き算の様子 . . . 68
4.10 Range引き算の様子 . . . 68
4.12 Distance from beam Center引き算の様子 . . . 69
4.13 X value引き算の様子 . . . 70
4.14 Field Deposit Energy Maximum引き算の様子 . . . 70
4.15 ガス起因バックグラウンド (Anode X value) . . . 72
4.16 ガス起因バックグラウンド(Anode DC) . . . 72
4.17 解析パラメータの実験データとシミュレーションの比較 . . . 73
4.18 β崩壊信号の飛程とエネルギー分布 . . . 74
4.19 窒素・酸素の中性子吸収反応 . . . 76
4.20 散乱中性子3He吸収反応 (100 kPa) . . . . 77
5.1 統計到達精度 . . . 80
5.2 散乱中性子3He吸収反応 (50 kPa) . . . . 81
5.3 宇宙線のトリガーレートとガス圧の関係. . . 83
5.4 ガス圧とTPC内部の温度の関係 . . . 83
5.5 温度計の設置位置 . . . 83
5.6 ASICアンプテストボード . . . 84
5.7 中性子寿命測定用ASICアンプ GTARN . . . 84
5.8 有感壁面で得られる時間原点を用いた場合のDCとドリフト時間分布 . . . . 85
5.9 追加MWPCによって時間原点を取得可能な飛跡 . . . 87
A.1 各宇宙線べトーカウンターの検出効率測定 . . . 90
A.2 Front Veto Counterの傾斜 . . . 91
A.3 Front Veto位置の修正 . . . 91
A.4 環境イベントの到来方向(傾斜修正前) . . . 92
A.5 環境イベントの上流下流差(傾斜修正前) . . . 92
A.6 環境イベントの到来方向(傾斜修正後) . . . 93
A.7 環境イベントの上流下流差(傾斜修正後) . . . 93
C.1 中性子吸収断面積 . . . 95
11
表目次
1.1 中性子の基礎特性 . . . 13
2.1 BL05の各ビームブランチの性能 . . . 27
2.2 中性子ビームモニターの性能 . . . 31
2.3 宇宙線べトーカウンターの構成要素 . . . 33
2.4 Time Projection Chamberの環境イベントのトリガーレート . . . 35
2.5 TPCの概要 . . . 37
2.6 55Fe X線源のエネルギー . . . 38
2.7 プリアンプの性能 . . . 39
2.8 取得したデータセット . . . 41
2.9 先行実験と本実験の比較 . . . 42
3.1 TPCガスインプットパラメータ . . . 44
3.2 ドリフト速度解析結果まとめ . . . 56
4.1 Time of FlightのFiducial / Sideband . . . 60
4.2 β崩壊シグナル抽出条件 . . . 62
4.3 TPCガス 中性子吸収断面積、γ線 及び 反跳原子のエネルギー . . . 65
4.4 6LiF板に含まれる元素の割合とγ線放出の吸収断面積 . . . . 65
4.5 中性子β 崩壊と3He吸収反応のTime of Flight引き算の結果 . . . 67
4.6 図4.9 - 4.14の凡例 . . . 67
4.7 ガス起因バックグラウンドの解析結果 . . . 72
4.8 β崩壊シグナルの抽出効率 . . . 74
4.9 3He吸収反応シグナルの抽出条件 . . . . 75
4.10 中性子吸収後二体崩壊する断面積とエネルギー . . . 76
4.11 3He吸収反応シグナルの抽出効率 . . . 77
4.12 中性子β 崩壊と3He吸収反応の信号数と抽出効率のまとめ . . . 78
5.1 主なガスの標準状態でのガス密度と熱中性子に対する散乱及び吸収断面積 . . 82
A.1 各宇宙線べトーカウンターの検出効率とTPCに対する立体角 . . . 89
A.2 宇宙線べトーカウンター全体の検出効率まとめ . . . 91
13
第
1
章
研究背景
この章では、中性子の基礎特性、中性子寿命が影響する物理やこれまでの中性子寿命測定実 験など本研究の背景について記述する。
1.1
中性子の基礎特性
中性子は、1932年Chadwickによって発見された[1]。質量は939.57 MeV/c2 で 電荷を持
たないスピン1/2の複合粒子である。原子核に束縛されていない中性子は880.3±1.1 秒の平
均寿命で、陽子 と 電子 および 反電子ニュートリノへβ− 崩壊する
[2]。
n→p+e− +νe (1.1)
中性子はそのエネルギーによって吸収や散乱の性質が異なるため、対応する温度、速度、ド
ブロイ波長に従って図1.1のように呼び分けられている。低エネルギーの中性子は、強い波動
性を示し、光学的な制御や容器への貯蔵を行うことが可能である。中性子寿命実験には、そ
の制御のしやすさからエネルギーが1 meV程度の冷中性子(CN:Cold Neutron)、もしくは
100 neV程度の超冷中性子(UCN:Ultra Cold Neutron)が用いられる。中性子の基礎特性を
表1.1にまとめる。
質量 939.565379±0.000021 [MeV/c2]
電荷 (−0.2±0.8)×10−21e
スピン 1/2
平均寿命 880.3±1.1 [sec]
Neutron classification
-9
10 10-8 10-7 -6
10 10-5 10-4 -3
10 10-2 10-1
1 10 102 103 104 5
10 106
-4
10 10-3 10-2 10-1 1 10 102 103 104 105 106 107 108 109 1010
-13
10
-12
10
-11
10
-10
10
-9
10
-8
10
-7
10
1 10 102 103 104 105 106 107
Energy [eV]
Temperature [K]
Velocity [m/s] Wavelength [m]
Fast Epithermal Intermediate
Cold Thermal Very cold
Ultracold
図1.1 中性子の運動エネルギーと対応する温度、速度、波長による分類:本研究では、中
性子制御の観点から冷中性子を用いている。
1.2
中性子寿命の物理
中性子の崩壊は、複雑な核子間相互作用の影響のない最も単純なセミレプトニック崩壊とし て標準理論の検証に有用な現象である。この節では、中性子寿命が影響を与える物理として代
表的な「ビッグバン元素合成」と「CKM行列のユニタリ性」について記述する。過去に行わ
れてきた中性子の寿命測定実験には大きく分けて2つの手法が存在し、どちらの値を採用する
かによってこれらは異なる結果を予測する。
1.2.1
ビッグバン元素合成
ビッグバン元素合成理論(BBN : Big-Bang Nucleosynthesis)は、宇宙初期の軽い元素*1の
合成量を予測する理論である。図1.2は、ビッグバンからの経過時間と軽元素合成割合の関係
を示している[3]。ビッグバン直後の宇宙は高温高密度状態であり、クォークやグルーオンは
プラズマ状態になっていたと考えられる。ビッグバンから10−4 秒が経過すると宇宙全体の温
度が低下し、クォークとグルーオンは陽子と中性子を形成する。この頃の宇宙は依然として
高温であるため、陽子と中性子は、光子/ニュートリノ/電子/陽電子と平衡状態にあり次の式
1.2, 1.3が成り立っている。
n+e+ ↔p+νe (1.2)
n+νe ↔p+e− (1.3)
1.2 中性子寿命の物理 15
この時の陽子と中性子の存在比は、
n/p= exp(−Q/T) (1.4)
で与えられる。T は宇宙の温度、Qは陽子と中性子の質量差Q= 1.293 MeVである。ビッグ
バンから10−4 秒後の宇宙の温度は高く
T ≫Qであるので
n/p∼1 (1.5)
が成り立っている。
ビッグバンから1秒が経過し宇宙の温度がT ∼0.7 MeVまで低下すると、式1.2, 1.3の平
衡状態が崩れる。この時の中性子陽子比は n/p= exp(−Q/T) ∼ 1/6であり、その後陽子と
中性子が結合し軽元素が合成され始める200秒後頃までの間に中性子はβ 崩壊によっておよ
そn/p∼1/7まで減少している。その後合成される元素の割合は中性子の量に依存するため、
中性子寿命τn は重要なパラメータとなっている。
6Li/H
N
7Li/H 7Be/H 3He/H
T/H D/H
Yp
H
SBBN f.o. D b.n.
e± ann. n/p dec.
ν dec.
t/sec
T /keV
0.1 1 10 100 1000 104
105
106
1000 100 10 1
1
10−2 10−4 10−6 10−8 10−10 10−12 10−14
SBBN f.o. D b.n.
e± ann. n/p dec.
ν dec.
T /keV
1000 100 10 1
1
10−2 10−4 10−6 10−8 10−10 10−12 10−14
図1.2 ビッグバン元素合成理論の予測する宇宙初期の軽元素合成割合[3]:はじめは陽子
と中性子が同数存在する宇宙に200秒頃から重水素やヘリウムが生成され始める。中性子
寿命は880秒と軽元素合成のタイムスケールと近く、合成割合に大きく影響するパラメー
タとなっている。
ビッグバン元素合成理論の予想するパラメータである ヘリウム/水素比 Yp = He/H とバリ
オン/光子比 η= Ωb/γを図1.3に描画する。図中の曲線は、後述する“Proton-Counting法”
および “Neutron-Counting法”の2つの測定手法によるそれぞれの寿命の値をインプットと
する理論予測であり、宇宙背景放射観測衛星Planckによるηの観測結果との交点がYp を与
幾つか存在する。この内、2007年に発表されたPeimbertらの観測結果[5]と2013年のAver
らの観測結果[6]は理論の予測値と一致しているが、2013年にIzotov らによる観測結果[7]
は一致していない。理論の予想値は中性子寿命に強く依存するため、精密測定を行うことで
BBNの予測精度の向上に繋がる。
Baryon to photon ratio
0.2 0.3 0.4 0.5 0.6 0.7 0.8
-9 10 ×
Ratio of He/H Abundance (Yp)
0.235 0.24 0.245 0.25 0.255 0.26
0.6 sec ± 879.6
Neutron-Counting Method:
2.0 sec
±
888.0
Proton-Counting Method:
Planck:2013
Peimbert:2007
Aver2013(PDG recommended) Izotov:2013
図1.3 ビッグバン元素合成理論の予測するパラメータと観測結果の比較:中性子寿命をイ
ンプットとする理論曲線とPlanckの観測結果の交点がビッグバン元素合成の予測するヘリ
ウム/水素比Ypとバリオン/光子比ηである。
1.2.2
Cabibbo-Kobayashi-Maskawa (CKM)
行列
Cabibbo-Kobayashi-Maskawa(CKM)行列は、弱い相互作用におけるクォーク間の遷移を
記述する行列である[2]。
VCKM =
Vud Vus Vub
Vcd Vcs Vcb
Vtd Vts Vtb
(1.6)
=
0.97427±0.00014 0.22536±0.00061 0.00355±0.00015 0.22522±0.00061 0.97343±0.00015 0.0414±0.0012
0.00866 +0−0..0003300032 0.0405
+0.0011
−0.0012 0.99914±0.00005
(1.7)
|Vud|2+|Vus|2+|Vub|2 = 0.9999±0.0006 (1.8)
|Vud|2+|Vcd|2+|Vtd|2 = 1.000±0.004 (1.9)
このCKM行列の各世代で、クォークについてユニタリ性が式1.8, 1.9に示す通り確かめら
れている。ユニタリ性の破れは3世代以上のクォークの存在を示唆する事になるため、その検
証は素粒子物理学の中で非常に重要な課題である。第一世代のユニタリ性のうち最も大きな寄
1.2 中性子寿命の物理 17
|Vud|2 =
(4908.7±1.9) [sec] τn(1 + 3λ2)
(1.10)
前者は、最も良い精度で測定されているが原子核は核子の複合状態であるため理論が複雑で あり精度向上には理論の不定性を抑える必要がある。一方、後者の理論は単純であるが、式
1.10の入力パラメータである中性子寿命 τn と軸性/極性ベクトル結合定数比λ ≡ gA/gV の
不定性が大きく原子核による精度を下回っている。このため中性子寿命の測定精度を向上する
ことでCKM行列のユニタリ性検証の向上に繋がる。図1.4は、λと|Vud|の関係を示してい
る。Unitarityの横の帯はユニタリ性を満たす |Vud|の範囲を表しており、原子核超許容β 崩
壊(図中 Super allow decay)で得られている|Vud|はこれを満たしている。縦の帯はParticle
Data Groupによるλの値[2]であり、両者の中性子寿命から得られる予測範囲との交点はユ
ニタリ性を満たしていない。よって、中性子を用いたユニタリ性の検証にはτn およびλの決
定精度の向上が望まれている。
λ
Ratio of the axialvector and vector couplings
-1.265 1.270 1.275 1.280
|
ud
CKM matrix element |V
0.964 0.966 0.968 0.970 0.972 0.974 0.976 0.978 0.980
2.0 sec
±
888.0
Proton-Counting Method:
0.6 sec
±
879.6 Neutron-Counting Method:
Super allow decay
Unitarity
PDG Average 2015
図1.4 軸性/極性ベクトルλとCKM行列の |Vud|の関係:横帯のUnitarityはユニタ
リ性を満たす|Vud| の範囲。同じく横帯の Super allow decayは原子核超許容 β 崩壊
で得られる|Vud|。縦帯のPDG2015はλの実験結果の世界平均値。2 本の斜めの帯は、
Neutron-Counting Method及びProton-Counting Methodの中性子寿命から得られる
1.3
本研究以前の中性子寿命測定実験
この節では、これまでに行われてきた中性子寿命測定実験について記述する。図1.5は寿命
の変遷を表している。歴史的に行われてきた実験は、貯蔵容器の中でβ崩壊せずに残った中性
子を数える“Neutron-Counting法”とβ 崩壊陽子を数える“Proton-Counting法”の2種類に
分類できる。ところが、これらの実験結果の間には図1.6に示す通り 3.9σ (寿命に対して1%)
の不一致が見られている。この不一致を説明するためには、異なる手法による先行研究以上の
精度での中性子寿命測定が必要となる。そこで本研究では、1989年にKossakowskiらによっ
て原理検証された“Electron-Counting法”[8, 9]を採用し、O(0.1)%の精度を目標とした中性
子寿命精密測定を行っている。
図1.5 中性子寿命の変遷[2]:全体のエラーバーは、各論文の結果を引用してまとめたも
の。中央の濃いエラーバーは、各論文の結果のばらつきを反映したスケールファクターを
含んでいないものである。現在の測定精度は、中性子の寿命に対して O(0.1%)∼1 secで
ある。
Publication Year
1990 1995 2000 2005 2010 2015
Neutron Lifetime[sec]
878 880 882 884 886 888 890 892 894
Publication Year
1990 1995 2000 2005 2010 2015
Neutron Lifetime[sec]
878 880 882 884 886 888 890 892 894
0.6 sec
±
Neutron-Counting Method average: 879.6
2.0 sec
±
Proton-Counting Method average: 888.0
) σ 2.1 sec (3.9 ± Difference : 8.4
図1.6 2種類の中性子寿命測定手法の比較:論文の発表年に対するそれぞれの手法による
1.3 本研究以前の中性子寿命測定実験 19
1.3.1
Neutron-Counting
法
Neutron-Counting法は、中性子を容器に一定時間蓄積し崩壊せずに残った中性子を検出し
寿命を測定する方法である。この手法を用いた実験のひとつとして、フランスのグルノーブル にあるInstitut Laue-Langevin (ILL)で行われたSerebrovらの実験では、図1.7の装置で測
定が行われた[10]。超冷中性子の持つ運動エネルギーは、100 neV程度と非常に低いため重力
によって運動が制限されている。また、100 nm程度の比較的長い波長を持つため容器壁の物
質表面で全反射し超冷中性子は容器内に閉じ込めることができる。図1.7の「UCN供給ガイ
ド」には原子炉からの中性子をモデレータを通して超冷中性子にしてから導き、「UCN蓄積容
器」に閉じ込められる。一定時間後に容器を開け「選択バルブ」を切り替えることで「UCN
検出器」で崩壊せずに残った中性子を測定する。中性子を蓄積してからの時間の異なるt1, t2
後の中性子計数をS1, S2 とすると次の式から中性子寿命を求められる。
ln(S1/S2)
∆t =
1 τn
+ 1
τwall
(1.11)
ここで、∆t=t2−t1 でありτnは中性子寿命、τwallは中性子と容器壁との相互作用によって
吸収され失われる中性子の項である。この項によって失われる中性子を見積もる事が最も大き い系統誤差になっている。
τn = 878.5±0.7 (stat.)±0.3 (syst.) [sec] (1.12)
図1.7 Neutron-Counting法に用いられる中性子蓄積容器[10]:1.UCN供給ガイド2.バ
ルブ3.選択バルブ4.フォイル5.真空容器6.クライオスタットと真空容器の仕切り7.冷
却システム8.UCN蓄積容器9.クライオスタット10.貯蔵槽回転用駆動装置11.ステッピ
1.3.2
Proton-Counting
法
Proton-Counting 法は、中性子が β 崩壊して生成される陽子を検出することで寿命を測
定する方法である。この手法のひとつとして、アメリカのメリーランド州にある National
Institute of Standards and Technology (NIST)で行われた実験では、図1.8の装置で測定が
行われた[11]。ビーム軸に平行な4.6 T の磁場と両端に+800 Vの電圧をかけた電極を有し
陽子を閉じ込める事が可能な装置に中性子を通過させ、β 崩壊で生成される陽子をトラップす
る。上流側の電極をグラウンドに落とすことで、トラップした陽子をシリコン検出器に導き測
定する。崩壊せずに装置を通過した中性子は下流の6Li標的で次の吸収反応を起こす。
6
Li +n →α+t (1.13)
この反応で放出されたα粒子や三重水素tを周囲に置かれた検出器で捉えることで中性子の流
量を測定する。β 崩壊陽子のカウントレートSp と 中性子流量測定のカウントレート Snは、
Sp =εpN
Lp
τnv
(1.14)
Sn=εnN ρσLn (1.15)
と表される。ここで、εp, εnは陽子・中性子検出器の検出効率、N は入射中性子流量、vは入
射中性子速度、ρ, σは標的中の6Liの数密度と吸収反応断面積、Lp, Lnは陽子・中性子検出器
の長さ及び厚みである。式1.14, 1.15から中性子寿命τnは、
τn =
1 ρσv
( Sn/εn
Sp/εp
) Lp
Ln
(1.16)
と求めることができる。この実験の最大の不定性は、標的中の6Liの数密度となっている[12]。
τn = 887.7±1.2 (stat.)±1.9 (syst.) [sec] (1.17)
図1.8 Proton-Counting 法に用いられる測定装置[11]:装置に中性子ビームを入射し透
過した中性子の一部が6Liの標的で吸収され放出されるα粒子や三重水素tを周囲の検出
器で捉え流量を測定する。β崩壊で生成された陽子は中央の領域にトラップされ、上流の陽
1.3 本研究以前の中性子寿命測定実験 21
1.3.3
Electron-Counting
法
Electron-Counting法は、中性子がβ崩壊して生成される電子を検出することで中性子寿命
を測定する方法である。この手法を用いて先述の2手法と同等の精度での中性子寿命測定はこ
れまで行われておらず 1989年にKossakowskiらによって行われた実験で原理検証されるに
留まっている[8, 9]。このためElectron-Counting法を用いた中性子寿命精密測定を行うこと
で中性子寿命に関する議論を一層深めることが可能となる。
Kossakowskiらの先行実験
フランスのグルノーブルにあるInstitut Laue-Langevin (ILL)の原子炉中性子を用いて、図
1.9の装置で測定が行われた[8, 9]。原子炉中性子を回転するチョッパードラムでバンチ化し
グラファイト単結晶のモノクロメーターによるブラッグ散乱で特定の波長および速度の中性子
のみを取り出す。中性子バンチは6LiFのコリメーターを通ってガス検知器Time Projection
Chamber (TPC)に輸送され、中性子の β 崩壊の電子を捉える。TPC には動作ガスとして
4HeとCO
2 の他に微量の3Heが封入されており3Heによる中性子吸収反応(以降 3He吸収
反応と呼ぶ)
3
He +n →t+p (1.18)
をTPCで取得することで入射中性子の流量を測定することができる。
Proton-Counting法ではβ 崩壊と中性子流量の測定に独立な検出器が用いられていたが、
Electron-Counting法では1つの検出器で測定を行うことができる。これによって式1.16の
Lp/Ln= 1とすることができ陽子の代わりに電子を捉えるので中性子寿命は、
τn =
1 ρσv
( Sn/εn
Se/εe
)
(1.19)
から求める事ができる。ここで ρ, σ は3He のガス密度 及び 吸収反応断面積である。また、
吸収反応断面積と中性子速度の積 σv は、中性子の吸収断面積が 1/v 則に従うことから速
度に依らない定数になることが知られている。このため任意の速度 v に対して、熱中性子
v0 = 2200 [m/s]の吸収反応断面積σ0 = 5333±7 [barn]を用いることができる。
σv=σ0v0 (1.20)
この実験によって次の結果を得ている。
τn = 878±27 (stat.)±14 (syst.) [sec] (1.21)
22 第1章 研究背景 of the decay-electrons rate to the neutron density was determined simultaneously
with the same apparatus. This ratio yields directly the neutron lifetime.
2. Principle of the experiment
The basic layout of the experiment is illustrated in fig. 2. Cold neutrons exit from a primary neutron guide. A rotating drum serves as a double chopper and forms neutron packets. The beam is monochromatized by a graphite crystal in order to limit the spatial spread of the packets during their flight path. The 90° deflection out of the main neutron beam provides favourable background conditions.
The neutron packets pass through a secondary guide and enter a He+CO2-filled
drift chamber which works in the time projection mode. A 6LiF beam stopper finally absorbs the neutron bursts.
During a time interval.:1t,the entire neutron packet moves inside the drift volume
and the number of decay electrons .:1Ne is detected in a47T geometry. The decay
constant An= T is given as
A =J...(.:1Ne ) .
n N .:1t
(2)
The number N of neutrons in the packet is evaluated by observing, simultaneously
to the decay electrons, the products of the 3He(n, p)t reaction in the drift chamber. For this purpose a small, well defined quantity of 3He is admixed to the counter gas (see sect. 5). The decay electron and (n, p) events can be well discriminated due to their very different ionization power in the detector gas. By this method the neutron decay and neutron density are measured simultaneously in the same detector and provide a direct measure for the neutron lifetime.
1m
gas container (4He+3He+CO 2)
(6Li F) drift chamber
sense wires(MWPC)
secondary n- guide
...
:
E P 1e - :
---:t-: • • • • • • • • • • • • • • • • • •t.:
Fig. 2. Schematic view of the experimental setup. Only a part of the radiation shielding is shown.
図1.9 Electron-Counting法に用いられる測定装置[8, 9]:Kossakowskiらによる先行
実験。回転するチョッパードラムとグラファイト単結晶でバンチ化・単色化した中性子
をTime Projection Chamber(TPC)検出器の中に入射し寿命を測定する。β 崩壊電子と
3
He吸収反応を1つの検出器で捉えることで不定性を抑えた測定を可能にする。
1.4
本論文の構成と役割
本論文の構成をまとめる。
第1章:中性子寿命の物理的意義とこれまでの寿命測定を踏まえた研究背景を紹介した。
第2章:中性子寿命実験で使用した施設 及び 装置を紹介する。
第3章:実験データ解析にあたって必要なシミュレーションの開発について記述する。
第4章:実験データの解析を行い信号事象の抽出 及び 背景事象の見積りについて記述する。
第5章:解析を通して認識した次期高精度測定に必要なアップグレードについて記述する。
第6章:本論文の内容をまとめる。
本研究は、第3章以降の全ての章に記載された項目について貢献している。ただし、引用の
ある幾つかの小節 4.4.2 - 4.4.3節 と 5.3.4節に関しては共同研究者による成果を掲載してい
る。これまで、本実験に関する博士論文は1本[13]、修士論文は3本[14, 15, 16]提出されて
23
第
2
章
J-PARC
における中性子寿命測定
実験
この章では、茨城県東海村にある大強度陽子加速器施設J-PARCの中性子源を用いた中性
子寿命精密測定実験について記述する。
2.1
実験原理
本研究で用いられるElectron-Counting法(1.3.3節)による中性子寿命測定実験の原理をよ
り詳細に解説する。はじめに式1.19中の信号数S について、TPC検出器で得られる計数N
にはバックグラウンドB が含まれている(N = S+B)。式中の添字を測定する粒子の種類
n, eから、発生する現象3He, βに書き直すと中性子寿命導出の式は次のようになる。
τn = 1
ρσv
(N3He−B3He)/ε3He
(Nβ −Bβ)/εβ
(2.1)
TPC検出器で測定されたイベントに抽出条件を課すことで、β 崩壊候補Nβ と3He吸収反応
候補 N3He を取り出す。それぞれのバックグラウンドB は、データ解析とモンテ・カルロシ
ミュレーションから導出する。信号の抽出効率εは、シミュレーションから導出する。
中性子のβ 崩壊は以下のように表される。
n→p+e−+νe+ 782 keV (2.2)
中性子β崩壊の3つの生成物の内、TPCで検出することができるのは最大782 keVのエネル
ギーを持つ電子のみであり、中性粒子である反電子ニュートリノ と 最大エネルギーが0.754
keVと小さい陽子は検出することができない。寿命測定に用いられる100 kPaのHe/CO2 混
合ガス中では、図2.1に示す通りβ 崩壊電子は放出のエネルギーに依らず200 keV以下のエ
ネルギー損失をする。
次に、3Heによる中性子吸収反応は以下のように表される。
3He吸収反応の陽子と三重水素はそれぞれ573 keV と 191 keV のエネルギーを持つが、電子
と比べ単位距離あたりのエネルギー損失が大きため全てのエネルギー764 keVをTPCに落
とす。よって、TPCへのエネルギー損失の大小をもって3He吸収反応とβ 崩壊を区別する事
が可能である。
Electron energy [keV]
0 100 200 300 400 500 600 700 800
Deposit energy [keV]
0 100 200 300 400 500 600 700 800
1 10
2
10 Neutron beta decay deposit energy at TPC gas 100kPa
782keV:End point of the electron energy 782keV:End point of the electron energy 782keV:End point of the electron energy
図2.1 TPC中でのβ 崩壊のエネルギー損失:横軸はβ 崩壊電子のエネルギー、縦軸は
TPCに落としたエネルギーである。エネルギーが60 keV以下の電子は全エネルギーを
TPCに落とし、150 keV以上の電子はエネルギーを落としきる前にTPCから飛び出す。
60 keVから150 keV間のエネルギーではβ崩壊の発生する位置と方向、多重散乱によっ
て結果が異なる。このため、β崩壊事象のエネルギー損失の上限は200 keVとなっている。
2.2
実験施設
この節では、中性子寿命測定実験が行われている施設 J-PARC / MLF / BL05 について記
述する。
2.2.1
J-PARC
Japan Proton Accelerator Research Complex (J-PARC)は、茨城県那珂郡東海村にある
世界最高強度の陽子加速器施設である。図 2.2にJ-PARCの陽子加速器施設の全景を示す。
陽子はまず330 mの直線加速器(Linac)で加速され、次にシンクロトロン加速器Rapid Cycle
Synchrotron (RCS)で3 GeV まで加速される*1。陽子ビームは25 Hz (40 ms)のバンチ構
造を持っている。大部分の陽子ビームは物質・生命科学実験施設(MLF:Materials and Life
2.2 実験施設 25
science experimental Facility)に送られ標的に衝突させることでミュー粒子や中性子を生成し
ている。本実験では、この施設で得られる中性子を利用して行われている。一部の陽子ビーム は、Main Ring (MR)に送られここで30 GeVまで加速された後、ハドロン実験施設(Hadron Experimental Facility)やTokai to Kamioka (T2K) 実験のニュートリノ生成標的に送られ
利用されている。
Linac(330m)
3 GeV Rapid Cycle Synch.
(25 Hz,1MW)
Materials and Life science experimental Facility
Hadron Experimental
Facility 30 GeV Main Ring
(0.75 MW)
Neutrino to Kamiokande J-PARC
図2.2 J-PARC 陽子加速器と実験施設:陽子はまず Linacで加速された後 RCS で3
GeVまで加速される。ビームはMLFに送られ、標的でミュー粒子や中性子を生成する。
ビームの一部はMain Ringに送られ30 GeVまで加速されてハドロン実験施設(Hadron
Experimental Facility)やT2K実験のニュートリノ生成標的に送られ利用される。
2.2.2
MLF
物質・生命科学実験施設 (MLF:Materials and Life science experimental Facility) は、
RCSの陽子ビームからミュー粒子や中性子を生成して利用する施設である(図2.3)。陽子ビー
ムはミュー粒子を生成するグラファイトターゲットを通過後、液体水銀ターゲット(図2.4)に
入射され核破砕反応によって中性子を生成する。この中性子は数MeVの高いエネルギーを
持っているので、20 Kに冷却された液体水素モデレーターによって減速され1から20 meV
の冷中性子となって各ビームラインで利用される。モデレーターには「結合型」「非結合型」
「ポイズン型」の3種類存在し、本実験で用いるBL05は、最も高いビーム強度が得られる結
図2.3 物質・生命科学実験施設の外観:建物
の中央に中性子生成標的がありその両サイド に実験ホールを持つ。
図2.4 中性子生成水銀標的容器[17]:容器
内に循環する液体水銀の核破砕反応で中性子 を生成する。
図2.5 MLFビームライン[18]:中性子生成標的を中心に23本のビームラインが取り囲
んでいる。本実験は結合型モデレーター(Coupled moderator)に接続されたBL05 NOP
2.2 実験施設 27
2.2.3
BL05
Beam Line 05 (BL05)は、中性子光学グループ(NOP:Neutron Optics and Physics)が
中性子光学基礎物理実験のために開発したビームラインである(図2.6)[19, 20]。1本のビーム
ラインを図2.7の通り「偏極」「非偏極」「低発散」の3つのビームブランチに分けて利用して
いる。中性子の輸送にはニッケルとチタンの金属膜を様々な波長に対応できるように厚みを変 えて交互に積み重ねたスーパーミラーで作られた導管を用いている。更に、スーパーミラーの 面に垂直に磁場をかけることで、特定のスピンを持った中性子のみを反射する磁気スーパーミ ラーを用いて偏極中性子を作り出している。
3本のビームブランチの特徴と利用方法を表2.1にまとめる。
• 偏極
磁気スーパーミラーで偏極した中性子を利用できる。 中性子寿命測定実験で用いられる。
• 非偏極
コリメータを用いないことで大強度の中性子ビームが利用できる。 中性子電気双極子モーメントの予備実験に用いられる。
• 低発散
中性子の発散が抑えられた中性子ビームが利用できる。 中性子小角散乱実験に用いられる。
ブランチ 低発散 非偏極 偏極
ビームサイズ [mm2] 80×20 55×45 80×50
中性子強度 [n/s/cm2] 5.4×104 9.4×107 3.9×107
ビーム発散角[µstr] 5.4×10−2 1.0×102 1.9×102
平均偏極率 - - 96%
図2.6 中性子光学基礎物理実験装置BL05の外観:NOPグループのロゴマークが掲示さ
れている位置がモデレーターから16 mの距離である。
(A)
(B)
(C)
(D)
16.0 m 12.0 m
7.2 m
図2.7 BL05 ビームライン:(A)上流ビームベンダー (B)偏極ビームブランチ出口 (C)
非偏極ビームブランチ (D)低発散ビームブランチ中性子モデレーターから7.2 m位置で、
スーパーミラーベンダーによって3つのビームブランチに振り分けられる。16 m位置以前
はコンクリートによって運転時は遮蔽されており、16 m位置以降が実験エリアになって
2.3 実験装置 29
2.3
実験装置
この節では中性子寿命測定に用いられる装置について記述する。図2.8はBL05の中性子寿
命測定実験に用いられる装置を天井から眺めた図である。(X)偏極ビームブランチから導かれ
た中性子はSpin Flip Chopperを通って短くバンチ化され、(e)中性子ビームモニター および
(2)6LiFシャッターを通って(6)Time Projection Chamberでβ 崩壊 または3He吸収反応を
測定する。通過した中性子は(7)6LiFビームキャッチャーで吸収される。各装置の詳細につい
ては以降の小節で紹介する。
Spin Flip
Chopper TPC
1m (D)
(A)
(a) (b) (c) (d) (e)
(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
(B) (C)
(Z) (Y)
(X)
z
x
BL05BL04
Fence
Concrete Shield of BL04
BL06 (constructing)
図2.8 BL05中性子寿命測定装置:(X)偏極ビームブランチ (Y)非偏極ビームブランチ
(Z)低発散ビームブランチ(A)ビームダンプ(B)鉛遮蔽体 (C)鉄遮蔽体(D)6Li ビームコ
リメーター(a)短波長中性子フィルター (b)ガイドコイル (c)スピンフリッパー (d)磁気
スーパーミラー (e)中性子ビームモニター(1)Zr窓(2)6LiF中性子シャッター (3)宇宙線
べトーカウンター(4)鉛遮蔽体(5)真空容器(6)Time Projection Chamber (7)6LiFビー
ムキャッチャー (8) ターボ分子ポンプ
2.3.1
Spin Flip Chopper
Spin Flip Chopper (SFC)は、中性子のスピンを利用して中性子バンチを生成する装置で
ある[21]。検出器に中性子を連続ビームとして導入すると、ビームダクトなどの物質に吸収
され即発γ 線が常時発生し、TPC中でコンプトン散乱によって叩きだされた電子が β 崩壊
のバックグラウンドとなる。そこでSFCは中性子ビームを検出器より短くバンチ化すること
で、バックグラウンドを抑えるために用いられる。SFCは、図2.9の「スピンフリッパー」と
「磁気スーパーミラー」で構成される。SFCの全体像 および 実際の写真を図2.10, 2.11に示
スピンフリッパーは磁場を用いてラーモア歳差運動の原理で中性子スピンを反転する装置 で、ガイドコイルの一部にビーム軸方向の振動磁場をかけている間のみ中性子スピンを反転す る。磁気スーパーミラーは、強磁性体と非磁性体の多層薄膜に平行に強力な磁場をかけると磁 場とスピン反平行な中性子はポテンシャルを感じずに通過する、一方スピン平行な中性子はポ
テンシャルを感じ反射される。図2.12にSFCの性能を示した。偏極中性子の一部を反射し任
意の時間に鋭いバンチを作ることができている。
図2.9 [左]スピンフリッパー[右]磁気スーパーミラー
2.3.2
6LiF
中性子シャッター
SFC等で発生した γ 線は周囲の鉛遮蔽体で吸収されるが、一部のγ 線はビームダクトを
通ってTPCに進入する。このγ線がコンプトン散乱によって叩きだした電子がβ崩壊事象に
対するバックグラウンドとなる。このバックグラウンドを見積もる目的でTPCの直前に6LiF
中性子シャッターが設置されている(図2.13)。6Li は、中性子の吸収断面積が940±4 barn
と大きく吸収後のγ線放出確率が0.083%と小さい*2。シャッターの厚みは5 mmであり、中
性子を99.98%吸収可能である。一方、γ 線にとっては十分薄いためシャッターの開閉による
吸収・散乱の影響は無視できる。よってTPC上流の環境を変えずにTPC中に中性子バンチ
の存在しない状態のデータ取得を行い、バックグラウンドを見積もることが可能となる。
2.3.3
中性子ビームモニター
TPC上流で発生するγ 線量は中性子流量に比例するため、6LiFシャッターの開閉時の中性
子流量を測定する必要がある。しかし、シャッターを閉じるとTPCの3He吸収反応から中性
子流量を見積もることはできない。そのためシャッターの上流に中性子ビームモニターが設置 されており、開閉時の相対的な中性子強度の規格化が可能になる。中性子ビームモニターで測
定した流量の絶対値は直接解析に用いず、中性子流量はシャッター開時のTPC中での3He吸
2.3 実験装置 31
340
0
20
40
2350
(A) (B) (C)
(F)
(E) (D)
(H) (G)
図2.10 Spin Flip Chopperの全体像:(A)第1スピンフリッパー (B)第1,2磁気スー
バーミラー (C)6Li シャッター (D)第2スピンフリッパー (E)第3磁気スーバーミラー
(F)ガイドコイル (G)中性子吸収材ボロンゴム (H) 鉛遮蔽体 黒線はSFCの中心軸。
TPCに到達する中性子は赤線に沿って輸送される。赤線を外れた中性子は内壁のボロンゴ
ムに吸収され即発γ線は鉛遮蔽体に吸収される。
図2.11 Spin Flip Chopper:運転時は上面にも鉛遮蔽体をかぶせている。
収反応から測定する。
中性子ビームモニターには CANBERRA社の MNH10/4.2F を用いている (図 2.14, 表
2.2)。内部には微量の3Heガスが封入されており中性子の 3He吸収反応をアノードワイヤー
で増幅し中性子流量を測定する。
本体素材 アルミニウム
有感領域 100 mm×42 mm×40 mm
窓厚み(両側) 2 mm
封入ガス Ar (130 kPa) + CH4 (13 kPa) + 3He(little)
動作電圧 1000 V
熱中性子検出器効率 ∼4×10−5
Time of flight [msec]
0 5 10 15 20 25 30 35 40
N
e
u
tr
o
n
c
o
u
n
ts
[a
.u
.]
-7 10
-6 10
-5 10
-4 10
-3 10
-2 10
-1 10
1
Experiment : Performance of SFC @ 220kW
neutron/sec
6
10
×
Flipper OFF : 1.2
decay/sec
-2
10
×
Flipper ON : 8.9
0 t
図2.12 Spin Flip Chopperの性能:SFC出口のビームモニターでの中性子流量。Flipper
OFF時はスピンの反転が行われず全ての中性子がTPCに到達する。Flipper ON時はス
ピンが反転され中性子はTPCに到達しない、フリッパーコイルに流れる電流を瞬間的止め
ることで任意の時間に中性子バンチを作ることができる。図は6バンチモードで運転した
様子。
図2.13 6LiF中性子シャッター:ステッピン
グモータで2枚の6LiF板を切り替える事が
可能。中央に穴のある板は6
LiFシャッター
が開いた状態、穴のない板は閉じた状態に対 応する。
図2.14 中性子ビームモニター:SFC出口の
中性子ビーム上に設置し相対的な中性子流量 を測定する。
2.3.4
宇宙線べトーカウンター
宇宙線µ粒子などの高エネルギー荷電粒子がTPCに作る信号はβ 崩壊のバックグラウンド
となるため、TPC外部由来の信号は識別する必要がある。宇宙線べトーカウンターは、厚さ
2.3 実験装置 33
ファイバーを埋め込みファイバーの片端をまとめて光電子増倍管 (PMT:Photon Multiplier
Tube)で読みだす構造をしている。シンチレータは最大のもので1500 mm×250 mm×12 mm
であるため、より広い範囲を覆うために複数枚を敷き詰めている。それぞれのシンチレータは
反射材と遮光シートで覆われている。べトーカウンターの特徴は表2.3にまとめた。PMTの
ノイズと宇宙線の信号を見分けるために同じ構造を2枚重ねにし両者のコインシデンスを取っ
ている。
シンチレータ 製造会社 株式会社 シーアイ工業
製品名 CIMS-G2 [23]
サイズ(最大) 1500 mm×250 mm×12 mm
発光波長 420 nm
崩壊時間 3.0 - 3.2 nsec
光減衰長 900 - 1100 mm
密度 1.04 g/cm3
波長変換ファイバー 製造会社 株式会社クラレ
製品名 Y11 [24]
直径 φ1 mm
吸収波長 430 nm
発光波長 476 nm
減衰長 >3.5 m
光電子増倍管 製造会社 浜松ホトニクス 株式会社
製品名 R329 [25]
光電面直径 2 inch
有感波長 300 - 650 nm
増幅率 1.1×106
表2.3 宇宙線べトーカウンターの構成要素
べトーカウンターは鉛遮蔽体の周囲を覆うように Top, Front, Back, Side BL04, Side
BL06, XFront, XBack の計7台設置されている(図2.15,図A.2)。
宇宙線べトーカウンターの宇宙線検出効率を見積もるために真空容器の直下にシンチレー
タを積み重ねて10 cmの厚みを持たせたシンチレータが2つ設置されている(図2.16)。宇宙
線µ粒子はこのシンチレータで20 MeV程度のエネルギーを落とす、一方MLFの環境γ 線
は最大で2.6 MeV程度*3なのでPMTから得られる波形に対して十分高い閾値を設定するこ
とで宇宙線のみをトリガーする事ができる。付録 Aに示すように、TPCに到来する宇宙線の
99%程度を識別することができている。
*3地中・コンクリート中に 40K(1461 keV), 208Tl(2615 keV)、空気中に 222Rn とその崩壊チェインの
図 2.15 宇宙線べトーカウンター:下面以
外の鉛遮蔽体の周囲を覆っている。凹字型
のFrontの欠けている部分はXFrontで塞が
れる。
図2.16 宇宙線トリガーカウンター:鉛遮蔽
体治具上の真空容器真下に設置されている。 べトーカウンターの検出効率測定に用いら れる。
2.3.5
鉄・鉛遮蔽体
MLFの環境γ 線がTPCへ進入しコンプトン散乱によって電子を叩きだすとβ崩壊にとっ
てバックグラウンドとなる。また、DAQのデッドタイムが増加する要因にもなるためTPC
の周囲は鉛遮蔽体(図2.17)で覆われている。鉛遮蔽体の厚みはビーム上流面が 10 cm、他は
5 cmである。更に、隣のビームラインBL04からのγ 線は、BL04シャッターの開閉状態に
よってバックグラウンド環境が変化し見積もることができない恐れがあるため20 cm厚のL
字の鉄遮蔽体(図2.18)を追加で設置している。宇宙線や環境γ 線由来のトリガーレートは鉛
遮蔽体と宇宙線トリガーによって表2.4の通り94%低減される。
図2.17 鉛遮蔽体:厚みはビーム上流面が10
cm、他は5 cmである。TPCをあらゆる環
境放射線から守るために設置している。
図2.18 鉄遮蔽体:L字型の20 cm厚の鉄遮
蔽体。BL04からのγ線を防ぐために設置し
2.3 実験装置 35
トリガーレート
TPC 120 cps
+ 鉛遮蔽体 58 cps
+ 宇宙線べトーカウンター 7.7 cps
表2.4 Time Projection Chamberの環境イベントのトリガーレート
2.3.6
真空容器
本実験では3Heの吸収反応によって中性子流量を測定するため 、データ取得中の3Heガス
の数密度を把握する事が重要となる。TPCの動作ガスを循環すると3Heガス密度が変動し測
定が困難となるため封じきりで実験を行う。このためTPCはおよそ500Lの真空容器中に入
れられ、一度全体の真空引きを行ってから動作ガスを詰める。真空容器は、アルミニウムと
鉄で作られ信号線とHV供給線を繋ぐフィードスルーが壁面に備えられている。図2.19に鉛
遮蔽体の治具中に置かれた真空容器を示す。真空容器中のビームダクト内壁は全ての6LiFで
作られ、ダクトの最上流は厚さ50 µmのZr薄窓でSFCからの中性子を受け入れる。一方、
ビームダクトの最下流には 6LiF製のビームキャッチャーがあり、その更に後ろに真空ポン
プ*4 が接続されている。最高で3×10−4
Paの真空度に到達する事が可能である。
図2.19 真空容器:鉛遮蔽体の治具中に収められた真空容器と真空ポンプ
*4低真空用のドライポンプ (Adixon APC28排気量28 m3/hour) と 高真空用のターボ分子ポンプ
2.3.7
Time Projection Chamber
Time Projection Chamber (TPC)は、ドリフト部とMulti Wire Proportional Chamber
(MWPC) 部の 2つから構成されるガス検知器である。図 2.20 が本実験で用いられている
TPCであり、図2.21, 2.22 に、模式図 及び 断面図を載せる。また、概要を表2.5にまとめ
た。動作ガスとして、中性子に対して散乱・吸収断面積が小さい4Heを85 kPaと クエンチガ
スの役割を持つCO2 が15 kPaの混合ガスを用いている。また、中性子の流量測定用に3He
をおよそ100 mPaほど導入している。
TPCでは次のステップを経て信号が検出される。
1. ドリフト部を荷電粒子が飛ぶとTPC動作ガスが電離され、電子・イオン対がその飛程
上に発生する。
2. ドリフト部には上下方向に一様電場がかけられており、電子は上方にイオンは下方に一
定速度で移動する。
3. MWPC部に到達した電子はアノードワイヤー近傍の強力な電場で急激に増幅されワイ
ヤーに信号が発生する。
4. アノードワイヤーでの電子増幅と同時にフィールド / カソードワイヤーに信号が誘起
される。
5. MWPCの雪崩増幅で発生したイオンはカソードワイヤーで、ドリフトされたイオンは
下面のアルミナイズドマイラーで吸収される。
TPC中での座標軸は有感領域の中心を原点として、中性子ビームの進行方向をz 方向に、
地面から天井に向かってy方向、BL04側からBL06側をx方向と定義する。アノード信号、
信号時間、カソード信号からそれぞれx, y, z で荷電粒子の飛跡を3次元的に再構成すること
ができる。ただし、y方向に関してはドリフトされた電子を検出しているため相対的な位置関
係はわかってもイベントの絶対位置を知ることはできない*5。
ドリフト部の基礎構造とMWPC部のワイヤーフレームは、低バックグラウンド化のため
に放射性物質の混入の少ないPEEK材*6 で作られている。TPC下面のアルミナイズドマイ
ラーに−9000 Vの電圧を与え、MWPC面の電圧を0 Vにすることで上下方向の電場を作り、
周囲に巻かれたドリフトワイヤーで平行一様電場に整形している。TPC の内壁は全て6LiF
のタイルで覆われておりガスで散乱された中性子を吸収する。
6Li +n →α(2.07 MeV) +t (2.72 MeV) (2.4)
α粒子や三重水素tがTPCに戻り信号を作らないようにするため、6LiFのタイルの表面はカ
プトンテープで覆われている。
*5TPCを上下に通過したイベントのみy方向の絶対位置を知ることができる。
2.3 実験装置 37
図2.20 Time Projection Chamber
Drift cathode
Beam catcher
Drift direction
Cathode wires (bottom)
6Li tiles
Beam axis Neutron beam bunch
e
-Sense/field wires Cathode wires (top)
Drift wires
図2.21 TPCの模式図
5.9 keV X-ray
Beam entrance / exit
Preamplifiers
Fe source & collimator
Rotation stage
D
ri
ft
MWPC plane
Aluminized PET film Resistor chain
6Li tiles Signal readout
Drift HV
Drift wires
50cm
y
x
55
図2.22 TPCの断面図
有感領域 290 mm (x)× 300 mm (y)× 960 mm (z)
動作ガス 全圧 50 - 100 kPa
混合比 4He : CO
2 : 3He = 85 : 15 : a few ppm
アノード ワイヤー φ20µm W(Au鍍金)
ジオメトリ 24本 12 mmピッチ (z方向)
フィールド ワイヤー φ50µm CuBe
ジオメトリ 24本 12 mmピッチ (z方向)
カソード ワイヤー φ50µm CuBe
ジオメトリ 162本×2組6 mmピッチ(x方向)
アノード電圧 +1200 - +1720 V
ドリフト電圧 −6000 -−9000 V
表2.5 TPCの概要:MWPCはアノードとフィールドワイヤーはz方向に交互に張られ、
その上下をx方向に張られたカソードワイヤーが挟む構造を持つ。ドリフト電圧はTPC
2.3.8
55Fe X
線源台
本実験ではTPCのアノードワイヤーのエネルギーキャリブレーションに55Fe X線源を用
いている。放出されるX 線のエネルギーと割合を表2.6にまとめる。55Fe X線源台はTPC
側部に取り付けられステッピングモータで線源の位置をコントロール(図2.24)し、側面のス
リット(図2.23)に合わせることでTPC内にX 線を入射する。入射されたX 線はTPCガ
スで光電吸収され、電子が周囲の電子を更に電離することによって数mm程度の点状に電離
電子が生成される。スリットにはMWPCからの距離が75 mmのNear (Up)と225 mmの
Far (Down)の2つが存在しており、両者のデータを比較する事でドリフト中の電子の減衰・
拡散を見積もることに利用されている。
EX [keV] 放出確率[%] 準位 EX[keV] 放出確率[%] 準位
0.556 0.037±0.010 Mn Ll 5.770 (6.9±0.4)×10−6 Mn Ka3
0.568 0.025±0.006 Mn Lh 5.888 8.5 ±0.4 Mn Ka2
0.637 0.028±0.007 Mn La2 5.899 16.9 ± 0.8 Mn Ka1
0.637 0.25±0.06 Mn La1 6.490 1.01 ±0.05 Mn Kb3
0.640 0.0022±0.0006 Mn Lb6 6.490 1.98 ± 0.10 Mn Kb1
0.648 0.19±0.05 Mn Lb1 6.536 0.00089±0.00005 Mn Kb5
0.720 0.011±0.003 Mn Lb4 6.539 (8.5±0.5)×10−8 Mn K
b4
0.720 0.017±0.005 Mn Lb3
表2.6 55Fe X線源のエネルギーEX(半減期2.73年)[26]:表中で太字でないX線はTPC
で検出できない低エネルギーか放出確率が小さいため、太字の4つが出ているとして解析
する。55
Fe核のβ崩壊を100%としているためX線の放出確率の和は100%にならない。
図2.23 ビームダクト下流から覗いたTPC:右
手に見えるスリットの上側Near (Up)または下側
Far (Down) の一方から55Fe線源のX線を入射
する。
図2.24 55Fe X線源台:6LiF板でTPC
のスリットを塞いでいる状態。ステッピ
ングモータが左右に90°回転することで
2.3 実験装置 39
2.3.9
プリアンプ
それぞれのワイヤーで収集された電荷を増幅し電圧に変換するためにプリアンプが真空容器
中のTPCの上部に立てて設置されている(図2.20, 2.22)。幅広いダイナミックレンジに対応
するため1 V/pC の高ゲインアンプと 0.1 V/pCの低ゲインの2種類を利用し、アノードと
下部カソードには高ゲイン、フィールドと上部カソードには低ゲインプリアンプを接続してい
る。プリアンプの性能と回路図を表2.7、図2.25にまとめる。
高ゲインアンプ 低ゲインアンプ
ワイヤー アノード/カソード(下部) フィールド/カソード(上部)
チャンネル数 24 ch / 40 ch 24 ch / 40 ch
ゲイン 1 V/pC 0.1 V/pC
時定数 0.5 µsec 0.5 µsec
消費電力 500 mW/ch 500 mW/ch
等価雑音電荷 8000 80000
表2.7 プリアンプの性能[13]
図2.25 プリアンプ回路図[13]:それぞれの抵抗値と静電容量は次の通り。[高ゲイン] R0
接続なし,R1 = 0 Ω [低ゲイン] R0 = 300 Ω,R1 = 10 kΩ [共通] R2 = 5.1 MΩ,R3 =
1 kΩ,R4= 24 kΩ,R5= 11 kΩ,C1= 1.5 pF,C2 = 330 pF,C3= 47 pF
2.3.10
Data Acquisition System
この節では、データ収集系(DAQ:Data Acquisition)について記述する。図2.26にDAQ
回路の概要を示した。TPCの各ワイヤーの信号はプリアンプで増幅 および 電圧に変換され
Flash Analog to Digital Converter (FADC)で波形を記録する。Anode と CathodeH は高