本i文先篇
111
(8)
一本文として今鏡の畠山本を用ゐる︒
一畠山本は︑松村博司先生﹃歴史物語﹂︵塙書房︶に︑﹁現存本中おそらく金沢文庫断簡に次いで古く︑鎌倉中期
頃と鑑定されている﹂とあり︑現存する今鏡の完本の中では︑最古の本文を有する︒
一畠山本を翻刻したものに︑和田英松氏﹁今鏡畠山本﹂︵和田本︶と︑﹃新訂増補国史大系今鏡﹄︵国史大系本︶
とがある︒本文篇は両書に拠り畠山本の本文を定めた︒校訂に当り︑次のやうな方針を採った︒
1和田本と国史大系本とが相違する場合︑普通和田本に拠るが︑和田本が誤と思はれるところは国史大系本に
拠る︒上記を判断するに当り︑蓬左文庫本などの他本も参照する︒
2畠山本である和田本と国史大系本とが一致しても︑蓬左文庫本に比べると畠山本に誤脱があると認められる
場合は︑蓬左文庫本で補ふことがある︒蓬左文庫本以外の板本などで補ふことは︑最少限にと茸めた︒
3読み易くするため︑畠山本の仮名に適宜漢字を宛てた︒但しこの場合︑畠山本の仮名はそのまま振仮名とし
て残し︑直ちに畠山本の原文に復元出来るやうにした︒
4仮名遣は改めず︑そのままにした︒
ダウタイソウ5畠山本の行間に註せられた記載は︑︵原本傍書︶として示した︒﹁唐の大宗﹂の如く片仮名で振仮名がある場合︑
そのまま示した︒ 凡例
(9)
凡 例一一 一畠山本の本文を遺漏なく示すため︑和田本と国史大系本とが相違する箇所は︑漢字仮名の相違を含めて全て頭
註に掲げるやうにつとめた︒但し
1和田本で﹁む﹂とあり︑国史大系本で﹁ん﹂とあるもの
2和田本で﹁こことあり︑国史大系本で﹁ここ﹂とあるもの
3和田本で﹁申と﹁殿ととあり︑国史大系本で﹁申し﹂﹁殿の﹂とあるもの
4和田本で﹁所&﹂﹁人壁﹂とあり︑国史大系本で﹁所々﹂﹁人々﹂とあるもの
などは︑頭註に掲げるのを略した︒
一和田本と国史大系本とが相違する場合︑和田本に従ふ際は他本を挙げず︑国史大系本に従ふ場合は他本も挙げ
るのを原則とした︒ 6漢字は印刷の便宜上略字体とした︒﹁共養﹂﹁たまふ覧﹂﹁さい将﹂などは改めることをせず︑そのまま示した︒7畠山本では段落を分けてゐないが︑本書では理解し易くするため︑改行して段落を設けた︒8句読点︑濁点は新たに付け直した︒語の清濁は最近の研究に基づくやうにつとめた︒会話︑引用文の﹁﹂
も新たに付け直した︒
畠山本を蓬左文庫本などの他本で校訂した場合は︑全て頭註に掲げた︒
頭註の略称として左のやうにした︒
和本和田本︵畠山本︶
国本国史大系本︵畠山本︶
(10)
一
蓬本蓬左文庫本
前本前田本︵尊経閣文庫本︶
金本金沢文庫本今鏡断簡
東本東京大学蔵伝二条為定自筆本
長本東京大学蔵長沢伴雄校本
板本慶安三年刊板本
人名は誰を指すか明らかにするため︑︵︶を付けて行間に註記した︒
録
I 目
四のならびたむけみのりのし
五もみぢのみかりつりせぬうらノ︑
六たまづさところか︑のみてら
七白河の花宴鳥羽の御賀
八春のしらべやへのしほぢ
四三二一つかさめし きくの宴こがれのみのり はっ春ほしあひもち月 雲井子日
すべらぎの中第二 すべらぎの上第一 新世継巻第一
10 5
/
目 録2
十四
十五
十六十七
十十十十九
三二一
ふぢなみむめのにほひ
ふしみの雪のあした
雲のかへししら河のわたりはちすの露をの蔓みゆき
うす花ざくらなみのうへのさかづき宇治のかはせ
ふぢなみの中第五 おとこ山むしのねおほうちわたり内宴をとめのすがたひなのわかれはなぞのシにほひふた葉の松 すべらぎの下第三ふぢなみの上第四
10 5
目一ゆめl和本︑国本﹁かめ﹂︒本文に拠り改廿七うた弾ね
む︒
︑一J廿八ねあはせ
録
廿三 廿二
廿四
廿五
廿六
廿廿十十
一 九八
ゑあはせの奇から人のあそび
たびねのとこゆみのねかりがね
ますみのかげ
たけのよむめのこのもと
花ちる庭のおもみやぎ野しがのみそぎ
むらかみの源氏第七 みかさのまつきくのつゆふぢのはっ花はまちどりつかひあはせかざりたちこけのころも花のやまみづぐきふるさとの花の色騨能ふぢなみの下第六
ほりかはのながれ
ありすがは 一ゆめのかよひぢ
10 5
録4 目
廿九むらさきのゆかりにゐまくらむさしのシ草もしほのけぶり
舟三しきしまのうちぎ弾ならのみよつくり物がたりのゆくゑ 舟二あしたづ瀞蛎能いのるしるしからうたまことのみち
かしこきみちノ︲︑ 舟源氏のみやす所花のあるじ蝿無麓もふし蛍ぱ
月のかくる豊山のは
州一はらか︑のみこ
うちぎぁ第十 むかしがたり第九 みこたち第八
10 5
5序
三さてI和本﹁さまて﹂︒国本︑蓬本に拠り
改む︒ 二ぬ1国本﹁ぬい﹂ |序l和本︑国本なし︒補ふ︒
やよひおなともはつせまう弥生の十日あまりのころ︑同じ心なる友だちあまたいざなひて︑初瀬に詣で侍
てら
やまとかたたびひしつゐでに︑よきたよりに寺めぐりせむとて︑大和の方に旅ありき日ごろするに︑みちとをあつこかげたよやすむほど道遠くて日も暑ければ︑木陰に立ち寄りて︑休むとて群れゐる程に︑みづわさしつえ
めわらはおいひぢたる女の杖にかぁりたるが︑女の童の花がたみにさわらび折り入れて︑臂にかけ5ひとりぐこもと二とをほどくるたる一人具して︑その木の下にいたりぬ︒﹁遠き程にはあらねど︑苦しくなりてところ
かたむかしはくれば︑おはしあへる所は蛍からしけれど︑宮この方よりものし給にや︒昔もこひくち恋しければ︑しばしもなづさひたてまつらむ﹂といふけしきも︑口すげみわなシとしよほどむかしくやうなれど︑年寄りたる程よりも︑昔おぼえてにくげもせず︒﹁このわたりにみやこもぁとせおちやましろこまおはするにや﹂など問へぱ︑﹁もとは都に百年あまり侍て︑その後︑山城の狛の畑いそぢ三のちおもかすがのわたりに五十年ばかり侍き︒さて後︑思ひかけぬ草のゆかりに︑春日野わたりにすとし住み侍なり︒すみかのとなりかくなりし侍もあはれに﹂といふに︑年のつもりきほど肴どろ聞く程に︑みな驚きてあさましくなりぬ︒むかしよはひ﹁昔だにさほどの齢はありがたきに︑いかなる人にかおはすらむ︒まことなら
序一
序6
|けるに1国本﹁けり﹂ み
わら がみ
ば︑ありがたき人見たてまつりっ﹂といへば︑うち笑ひて︑﹁つくも髪はまだおほとけいつ
う う
ろし侍らねど︑仏の五シのいむ事を受けて侍れば︑いかず浮きたる事は申さむ︒おほぢふたもあちをよおや祖父に侍しものも︑二百年に及ぶまで侍き︒親に侍しも︑そればかりこそ侍らざもシとせ
おう雄よはひつたりしかども︑百年にあまりてみまかりにき︒幅もその齢を伝へ侍にや︑いまノ︑まい皇つれと待ち侍しかど︑今はおもなれて︑常にかくてあらむずるやうに︑念仏などもを5
こたりのみなるも︑あはれになむ﹂といへば︑﹁さていかにをはしけるつ蛍きにながよはひからふみよかたみか︒あさましくも︑長くもをはしける齢どもかな︒唐の書読む人の語りしは︑三
ちよもLとせなぁ
よ
千代へたる人もありけるに︑百年を七かへりすぐせるもありければ︑この世にもとも
おほぢか曇る人のおはするかな﹂と︑この友だちの中にいふめれば︑﹁祖父はむげにいきさいみややしきものに侍りき・后の宮になむつかへまつり侍ける︒名は世継と申き︒をのm
き くち
ものがたりおやづからも聞かせ給らむ︒口にまかせて申ける物語と蛍まりて侍めり︒親に侍しは︑わかみやづかへなま学生にて大学に侍き︒この女をも若くては宮仕などせさせはべりて︑唐の奇︑
やまとつくよ︾﹄9︶つかさむすめ皮大和奇など︑よく作り詠み侍しが︑越の国の司におはせし御女に︑式部の君と申︵彰子︶まと9は塗たかつかさ︵倫子︶たまつぼねし鼻人の︑上東門院の后宮と申し塾時︑御母の鷹司殿にさぶらひ給ひし局に︑あ
ま
むま
とやめと申して︑まうで侍しを︑﹃五月に生れたるか﹂と問ひ給しかば︑﹃五日に応むま
はむしがかたふれむまなむ生れて侍ける︒母の志賀の方にまかれりけるに︑舟にて生れ侍ける﹂と申す▲ねうらなみうへむまむまに︑﹃さては五月五日︑舟の中︑波の上にこそあなれ︒午の時にや生れたる﹂と序 7|やしなひたて1国本﹁やしひたて﹂
おや
もシたびね侍しかば︑﹁しかほどに侍けるとぞ親は申侍し﹄など申せば︑﹁百度錬りたるあいにしへ いま いにしへ
かぎねな曇りとて︑古をかまみ︑今をか蛍みるなどいふ事にてあるに︑古もあまいまか安み
としつもりなり︒今鏡とやいはまし︒まだおさノ︑しげなるほどよりも︑年も積らずみめこかまみ かた よ
みけうかた
もさ蔓やかなるに︑小鏡とやつけまし﹂﹂など語れば︑﹁世に人の見興ずること語い簿 むまご はむく
り出されたる人の孫にこそおはすなれ︒いとあはれにはづかしくこそ侍れ︒式部5たれ と
むらさsしgぷよ君誰がことにか﹂と問へば︑﹁紫式部とぞ世には申なるべし﹂といふに︑﹁それな鱈かものがたりつくい簿よたぐひは名高くおはする人ぞかし︒源氏といふめでたき物語作り出して︑世に類なき人
き
みちあにおはすれば︑いかばかりの事どもか︑聞畠もち給へ覧︒うれしき道にも逢ひきむかし
ふつたたま︾﹄し﹄つたた虫こえけるかな︒昔の風も吹き伝へ給ふ覧・しかるべき言の葉をも伝へ給へ﹂とい郷ほ ものがたり
へぱ︑﹁かたた︲︑うけたまはる事多かりしかども︑物語どもにみな侍らむ﹂といmちかよつた
へば︑﹁その後の事こそゆかしけれ﹂といふに︑﹁近き世の事も︑をのづから伝g
としつもわかむかし?︾へ聞蚤侍れば︑おるノ︑年の積りに申侍らむ︒若く侍し昔は︑しかるべき人の子ほうしなど三四人うみて侍しかど︑この身のあやしさにや︑みな法師になしっシ︑あるぢみと玄ごもみは山踏しありきて︑あとも留めはくらざりき︒あるは山寵りにて︑おほかた見る
よ やしな
ことかたよ世も侍らず︒た茸養ひて侍五節命婦とて侍し︑うちわたりの事も語り︑世の事も晦寺﹄し﹄
な さ よはひ
くらからず申て︑琴のつま鳴らしなどして聞かせ侍るも︑齢のぷる心地し侍し︑はや とのもり をのこ
うゐかうぷり一やしなた早くかくれ侍て︒又主殿のみやつこなる男の侍も︑初冠せさせ侍しまで養ひ立て序8
|みつぎ1国本﹁三つぎ﹂ かすがさとわすあさぎよみか怠うち塗︑この春日の里にも忘れずまうで来るが︑朝浄め御垣の内につかうまつるにっさみなもとしすゑなが怠くけて︑この世の事も聞騨侍︒源を知りぬれば︑末の流れ聞くに︑心汲まれはくり︒よつぎ
ことしかのえとらとしもぁとせよそぢ世継が申をける万寿二年より︑今年は嘉応二年庚寅なれば︑年は百年あまり四十みとせすよと一みの春秋に︑三年ばかりや過ぎ侍ぬらむ︒代は十つぎあまり三つぎにやならせ給覧
おり
ことしみかど
とぞおぼえ侍︒その折︑万寿二年に今年なると申たれば︑かの後一条の帝︑世を5たも
歩 ち
と のこ
保たせ給事廿年おはしましシかば︑万寿二年の後︑いま十かへりの春秋は︑残りあた
みよ侍覧︒神武天皇より六十八代に当らせ給へり︒その御代より申侍覧﹂とて︒三
井
もこき1国本﹁にき﹂
く
9 一すべらぎの上第一l和本.国本なし︒目録に拠り補ふ︒
後一条のみかどは︑前一条院の第二の皇子におはします︒御母上東門院︑中宮
彰子と申き︒入道前太政大臣道長のおと式の第一の御むすめなり︒このみかど寛ながとをかひとひむま弘五年長月の十日あまり一日の日生れさせ給へり︒同年の十月十六日にぞ親王の5
毎百や﹄
たま た
としよ宣旨聞えさせ給ひし︒同八年六月十三日東宮に立参せ給︒御年四つにおはしましくらゐさ ゆづ
き︒一条院位去らせ給て︑御いとこの三条院東宮におはしまし緯に︑譲り申させた くらゐ
給しかぱ︑その御かはりの東宮に立参せ給へりき︒かの三条院位におはします事いつ
すぐ
むつきぐらゐ︵後一条︶ゆづは︑五とせばかり過させ給て︑長和五年睦月の廿九日に︑位をこのみかどに譲りたま二とし︵敦明︶申させ給ひき︒御年九にぞおはしまし塾︒さて東宮には︑かの三条院の式部卿の皿たおほぢ︵荊骨控さg御子を立て申させ給へりき︒摂政は︑やがて御祖父の入道おと茸左大臣とて︑前
つ㎡つぎとし︵頼通︶のみかどの関白におはしまし畠︑ひき続かせ給て︑次の年の三月に︑御子の宇治 すべらぎの上第一
くも井 一
すべらぎの上第‑JO
二如く1国本﹁ごとく﹂ −
三雲井1国本﹁霊ゐ﹂
四みかうしl和本﹁みこうし﹂︒国本に拠り
改む︒ に1回本﹁には﹂ ■写︾﹄
ゆづ
のおと笈大将と聞えさせ給しに︑譲り申させ給にき・その日やがて内大臣にもなたま きこ たま
らせ給ふと︑聞えさせ給ひき︒︵敦明︶うづきその八月九日東宮わが御心とのかせ給き︒三条院も卯月に御ぐしおろさせ給・たま
よやまひ
五月にかくれさせ給ひぬるにも︑世の中さう〃︑しくおもほしめすにや︑御病な■宮守﹄
︵後朱雀︶
ど聞えて︑かくさらせ給ぬれば︑御かどの御をとうとの第三親王をこのかはりに5た
さ9︵敦明︶gことしごと立て申させ給︒廿五日にぞ前の東宮に院号聞えさせ給て︑小一条院と申︒年毎の二Sこほりかは︵延子︶みつかさくらゐ︑もとの如く給はらせ給︒御随身など聞え給き︒堀河の女御の﹁見おも
よたまふるがたりえし思ひの﹂など詠み給へる︑古き物語に侍めれば︑こまかにも申はべらず︒うへ︵後一条︶としたま寛仁二年正月には︑上の御年十にあまらせ給ひて︑三日御元服せさせ給へれば︑たてまつおとな
すがた
きびはにおはしますに︑御かうぶり奉りて︑大人にならせ給へる御姿もうつくし加三うおほうちう︑いとめづらかなる雲井の春になむはべりける︒卯月の廿八日には︑大内やうつくいだしろかねうてなたまみはしみ鉱たありさまノ︲︑造り出してわたらせ給・白金の台︑玉の御階︑磨き立てられたる有様いとき
あ8
みよくも四みかうしよらにて︑明らけき御代の曇りなきも︑いと賀あらはれはべるなるべし︒御格子みすあたら
うへ ごろも よそひ
も︑御簾も︑新しくかけわたされたるに︑雲の上人の夏衣︑ごたちの装など︑い溌廷い漫朱堂むめっぽすJとヅ涼しげになむはべりける︒大宮も入らせ給︒春宮もわたらせ給て︑梅壷にぞ喝︵迩長︶きここよひおはします︒入道おと賀の四のきみは︑威子の内侍のかみと聞え給し︑今宵女御まい
ふぢつぼかみなころきさきたたま︵彰子︶に参り給て︑藤壷におはします︒神無月の十日あまりの頃︑后に立鼻せ給ふ︒国II
く も 井一大宮1国本﹁太宮﹂二高賜院行幸1国本﹁高陽院の行幸﹂ きさき︵威子︶あれおと塾たぐひさか母も后も︑姉妹におはしませぱ︑いと類なき御栄えなるべし︒︵彰子︶みゆきかつらおこぁろ鱈いしもへ廿二日に上東門院に行幸ありて︑桂を折る試みせさせ給︒題︑﹁霜を経て菊のせいしみどりいろあらたさこ︵迦長︶おほさおと没たてまつ性を知る﹂︑又﹁翠の松色を改むることなし﹂などぞ聞え侍し︒太政大臣奉らせ︵後朱雀︶とし給へるとなむ︒八月廿八日︑東宮御元服せさせ給︒御年十一にぞおはしましシ・︵巡長︶かいうかのえさる九月廿九日に入道おと武︑東大寺にて御戒受けさせ給き︒同四年庚申三月廿二日5
つくい鱒くやうgさ倉︵彰子・娚子・威子︶けいたまありに︑無量寿院造り出させ給て︑供養せさせ給︒后みところ行啓せさせ給ふ︒御有さまふるものぴたりはぺおなかさ様ども︑古き物語にこまかに侍れば︑さのみ同じ事をや申重ね侍べき︒十月には︑ひえのぽかいかさう入道のおと蛍比叡に登り給て︑恵心とかいひて︑御戒重ねて受けさせ給︒
みづのえいぬ
治安二年壬戌七月十四日法成寺に行幸せさせ給き︒入道おと式金堂供養せさせき さ き
みなけいつみもの
みなゆる
給しかぱ︑東宮も︑后たちも︑皆行啓せさせ給き︒罪ある者ども︑皆許されはべ皿︵彰子︶たまおなりにけり︒三年正月に︑太皇太后宮に朝親の行幸せさせ給ひき︒春宮も同じやうけい
︑ふたりたぐひ
に行啓せさせ給ける︒二人の御子おはしませぱ︑いと類なき宮のうちなるべし︒はぁたかっかさ︵倫子︶ありさ座むかしがたり十月十三日に上東門院の御母鷹司殿︑六十の御賀せさせ給︒その御有様昔の物語はぺに侍れば︑この中にも御覧ぜさせ給へる人もおはしますらむ︒︵緬通︶くらべむまらむ万寿元年九月十九日︑関白殿の高陽院に行幸ありて︑競馬御覧ぜさせ給べきに脂︵彰子︶まて︑太皇太后宮︑まづ十四日にわたりゐさせ給てぞ︑待ちたてまつらせ給ける︒一︵彰子︶い二いへっかさかあいかくて廿一日に大宮は内へ入らせ給き︒高陽院行幸には︑かの家の司加階などし
すべらぎの上第‑I2
二遺子内親王1国本﹁選子内親﹂ 一おとこ宮1国本﹁おとみ宮﹂ むらかみ︵艮平︶っかさ︵師珂︶ごはべりけり︒村上の中務の宮の御子源氏の中将を︑入道おとゾの御やしなひ子と魚︾︾﹄§聞え給︒この度三位中将になり給き︒
︵後朱雀︶みやす一打と幸二後冷泉︶二年八月三日春宮の御息所嬉子︑男宮うみたてまつり給て︑五日かくれさせ給
gみ かな
き︒入道おと茸の六君におはする︒御さいはひの中に︑あさましく悲しと申もをろかにはくれど︑後冷泉院をうみをきたてまつり給へれば︑いとやむ事なくおは5
おりかな
たぐひ
いきさきたあね︵研子・
します︒その折の悲しさは︑類なく侍しかども︑生きて后に立ち給へる御姉たち威子︶
よりも︑おはしまさぬあとのめでたさは︑こよなくこそはくめれ︒みとせ︵彰子︶さまかgさき三年の正月十九日︑太皇太后宮御様変へさせ給き︒后の御名もとずめさせ給て︑
よそぢみ上東門院と申き︒四十にだにまだ満たせ給はぬに︑いと心かしこく世をのがれさ皿
gこ たま
二きこせ給︒めでたくもあはれにも聞えさせ給ひき︒大斎院と申しは︑選子内親王と聞さ
よたてまつうた
えさせ給し︑この御事を間かせ給て︑詠みて奉らせ給へる御歌︑gみ
みちいながやみ君はしもまことの道に入りぬなりひとりや長き闇にまどはむむらかみ︵安子︶︵兼家︶この斎院は︑村上の皇后宮のうみをきたてまつらせ給へりしぞかし︒東三条殿の 子日I3子
こことば国本﹁こと葉﹂日 一御すまゐ1国本﹁御すまひ﹂ ︵道長︶あたなが︵威子︶ご御いもうとなれば︑この入道殿には御をばに当らせ給ぞかし︒長月には︑中宮御さむきこひめ︵章子︶かねたかきこいへ産と聞えさせ給て︑姫宮うみたてまつらせ給︒左兵衛督兼隆と聞え給しが家をぞ︑うぷやおとこうぷやしなひ御産屋にはせさせ給へりし︒男宮におはしまさぬはくちおしけれど︑御産養など︑
毎冨︾﹂
ひめ
心ことにいとめでたく︑ことはりと申ながら聞え侍りき︒この姫宮は︑後冷泉院きさき
︵後冷泉︶まいころいではみの后二条院と申し御事なり︒東宮にはじめて参らせ給ける頃︑出羽の弁見たてま5つりて︑
はるごと
おほすふた
み春毎の子日は多く過ぎぬれどか舅る二葉の松は見ざりきよ
とぞ詠めりける︒としはじめてうきむはい同四年正月には︑上東門院に年の初のみゆきありて︑朝観の御拝せさせ給き︒
つれところ
ありさま
からゑいろみづ常の所よりも︑御すまゐ有様いとはえた︲︑しく︑唐絵などのやうに︑山の色︑水加こたちたていし
くらゐ ころも
のみどり︑木立︑立石など︑いとおもしろきに︑位にしたがへるいるノ︑の衣のそでひらやなぐひひらをめいる袖︑近衛司の平胡罐︑平緒など︑目もあやなるに︑きぬの色まじはれるうちより︑からまひこままひそでふところ
唐の舞︑高麗の舞人︑左右かたた︲︑袖振るほどなど︑所にはえて︑おもしろしなこことぱおよはぺども︑言葉も及ばずなむ侍りける︒しも
︵道長︶君ほきおと蛍やまひをも霜月には︑入道太政大臣御病重らせ給て︑千人の度者とかやいひて︑法師になおかずたまはきこるべき人の数のふみ賜らせ給と聞え侍き・法成寺におはしませば︑その御寺に行ずふせgこ幸ありて︑とぶらひたてまつらせ給︒御調経︑御布施などさま入!︑聞え侍りき︒すべらぎの上第‑14
二侍り1国本﹁侍﹂ 一は1国本﹁ぞ﹂ ︵後朱雀︶むまご︵後一条︶︵後朱掻︶やまひおりふし東宮にも行啓せさせ給・御孫︑内︑東宮におはしませば︑御病の折節につけても︑
さか むかし たぐひ
しはす−︵遡長︶御栄へのめでたさ︑昔もか塾る類やは侍りけむ・師走の四日には︑入道殿かくれとし
はじめせちゑくらゐたまさせ給ぬれば︑年もかはりて春の初の節会などもと笈まりて︑位など賜はする事ほどすはぺ
gさらざ
︵威子︶ひめ︵郁子︶も︑程過ぎてぞ侍りける︒長元二年如月の二日︑中宮又姫宮うみたてまつらせ給ひめ Bさg ひめ
みかどgさBへり︒この姫宮は︑後三条院の后におはします︒二人の姫宮たち︑二代の帝の后5ありさま
におはします︒いとかひ卜︑しき御有様なり︒しもたかっかさどの︵倫子︶︵彰子﹀︵威子︶︵緬通︶︵教通︶おほい六年霜月に︑鷹司殿シ七十の御賀せさせ給とて︑女院︑中宮︑関白殿︑内の大との いとな わらはまひ よはひ
臣︑かたた︲︑営ませ給き︒童舞などいとうつくしくて︑まだいはけなき御齢どもからそで4ありさまは ぺ
また
に︑唐人の袖振り給有様︑いとらうありて︑いかばかりか侍りけむ・又の日内にめ
まひ
まひくもうへゆるきこ召して︑昨日の舞ども御覧ぜさせ給へり︒舞人雲の上許さる箆人ノ︑聞え侍りき︒皿まひ
たまはこのゑくは
舞の師も︑っかさ賜りて︑近衛のまつり事人など加へさせ給けりとなむ︒かの御りむじきやくあかぞめよ賀の屏風に︑臨時客の所を赤染の衛門が詠める︒そで き
はるたむらさきの袖をつらねて来たるかな春立つことはこれぞうれしきところよ
いふgこ二又子日かきたる所詠める奇も︑優に聞え侍りき・よろづよきみひねひ万代のはじめに君が引かるれぱ子の日の松もうらやみやせむ5︵後一条︶ おな
やよひうへなやきこ同じき九年弥生の十日あまりの程より︑上の御悩みと聞えさせ給て︑神ノ︑にたてまつ
いのきこつかひ
みてぐら奉らせ給へる︑さまか︑の御祈り聞え侍りき︒殿上人御使にて︑左右のつ 春 I5は
三はっ春I和本︑国本なし︒目録に拠り補
ふ
︒
二色l和本﹁髄﹂︒国本︑蓬本に拠り改む︒ 一のl和本なし︒ むまひとしみそぢひとたたま御馬など引かれ侍りけり︒御年三十にだにいま一つ足らせ給はぬいとあたらし︒
たも
すゑよ▲召や﹄ありさま
されど廿年保たせ給︑末の世にありがたく聞えさせ給き︒まだおはします有様に︵後朱雀︶くらゐゆづのちて︑御おとうとの東宮に︑位譲り申させ給さまなりけり︒後の御ことのよそおしくらゐ おとこ
かるべきによりて︑位おりさせ給心なるべし︒男御子のおはしまさぬぞくちおしはぺさくほし歩からことき︒いづれの秋にか侍りけむ・﹁菊の花星に似たり﹂といふ題の御製︑唐の御言5
はgこの葉聞え侍りき︒
一 一
司天記取詑稀色分野望看露冷光
ざえ みかど
とか人のかたり侍し︒御才もかしこくおはしましけるにや︒菩提樹院にこの帝のえい よ
御影おはしましけるを︑出羽の弁が詠めりける︒ひかり
いかにしてうつしとめけむ雲井にてあかずかくれし月の光を0︵章子︶みだうちあみかどすがたかの菩提樹院は︑二条院の御堂なれば︑御こシろざしのあまりに︑父の帝の御姿と玄
をたま 斡も
をかき留めて︑置きたてまつらせ給ひけるなるべし︒思ひやりまいらするも︑いかなはぺとあはれに悲しくこそ侍れ︒は三
つ春
I
すべらぎの上第‑16
三とて1国本﹁て﹂︒
四御あにl和本︑国本﹁御あれ﹂︒蓬本に拠
り改む︒五御はらI和本﹁御は△︒国本︑蓬本に拠
り改む︒
八きさきl和本︑国本﹁さき﹂︒蓬本に拠り
補ふ︒ 六御だう1国本﹁みだう﹂七むまごl和本︑国本﹁むご﹂︒蓬本に拠り
補ふ︒
二一
おはします1国本﹁をはします﹂
とl和本︑国本﹁歳﹂︒蓬本に拠り改む︒
さき
︵彰子︶︵後一条︶をな後朱雀院と申すは︑先の一条院の第三の王子︑御母上東門の院︑先帝と同じ御みかど
つらのとことしむまはらからにおはします︒この帝寛弘六年己の酉と申塾年の霜月の廿五日に生れさきこ た
せ給へり︒七年正月十六日に︑親王と聞ゑさせ給・寛仁元年八月九日東宮に立皇としきこぐらゐつとし
せ給︒御年九と聞へさせ給き︒長元九年四月十二日位に即かせ給︒御年廿八︒とし
ぎうゑすとし
むつきないかその年︑御即位︑大嘗会など過ぎて︑年もかはりぬれぱ︑いつしか睦月の七日5をと宜三︵頼通︶おほきをとゞ︵螺子︶たてまつの日︑関白左の大臣とて︑宇治の太政大臣をはしまし易︑女御奉らせ給︒御門の四あに︵敦服︶をむなぎみむらかみ︵具平︶︵隆姫妹︶むすめ五御兄にをはしまし畠故式部卿のみこの女君の︑村上の中務の宮の女の御はらにをたてまつ
はせしを︑関白殿の御子にしたてまつりて︑女御に奉り給えるなり︒一条院の皇︵定子︶た后宮の︑うみたてまつり給へりし一の御子にをはしませば︑東宮にも立ち給べかうしろみ
︵後一条︶︵後朱雀︶りしを︑御後見をはしまさずとて︑二の御子にて先帝︑三の御子にてこの御門︑加患り愈鍵七むまご薊埋をひっ薮っ二人御堂の孫︑関白の御甥にをはしませば︑うち続き即かせ給へるなり︒︵伊聞︶そとゞつくしことかの一条院の皇后宮は︑御せうとの内の大臣の︑筑紫にをはしまし騨事蛍もにおぽさま︵敦康︶思しなさせ給て︑御様かへさせ給へりし後に︑その式部卿のみこは︑うみたてまから ぐし のち
つらせ給るなり︑唐国の則天皇后の御髪をろし給て後に︑王子うみ給けむやうにかれさg︵太宗︶こそおぼえ侍しか︒されば彼は前の御門の女御にて︑かの御門かくれさせ給にけ略
︵高宗︶よそむてらす
さg
こくらゐつれば︑世を背きて︑感業寺といふ寺に住み給けるを︑前の御門の御子位に即き給てら
みよ
八きさきたたまて︑かの寺にをはして見給へりけるに︑御心や寄り給けむ︑さらに后に立て給へつ 春 17は
一ことにI和本︑国本﹁こと﹂︒蓬本に拠り
補ふ︒
二うけ給l和本︑国本﹁う給﹂︒蓬本に拠り
補ふ︒
四かけ1和本﹁かれ﹂︒国本︑蓬本︑後拾過
集に拠り改む︒ 三申さl和本︑国本﹁申申さ﹂︒蓬本に拠り
改む︒ そなよもとgささ
さま
りけるを︑これは同じ御世の元の后なれば︑いたくかはり給はい様にて︑なのめさま
よ︵定子︶ひなる様に侍き︒かしこき御世の御事申侍もかたじけなく・かの皇后宮の女房︑肥どのかみもとすけ むすめせい
−なさけつれかよ後守元輔と申が女清小納言とて︑ことに情ある人に侍しかば︑常にまかり通ひなこと二︵敦康︶︵蝉子︶むすめどして︑かの宮の事もうけ給なれ侍き︒その式部卿のみこの御女にをはしませぱ︑建辮深きめいあたやよひついたちsさ色た
とし
帝には姪に当らせ給へり︒かくて弥生の朔日に︑后に立塾せ給ぬ︒御年廿二にぞ5をはしましシ・
︵ 禎 子
︶
もときさgもと怠さ8
座い
元の后は皇后宮にならせ給き︒その元の后は︑東宮にをはしまし鴬時より参りひめ
給へりき︒三条院の姫宮にをはします︒それは御年廿五になり給へり︒陽明門院ぐし
︵三令未︶みと申はこの御事なり︒御髪のうつくしさを︑故院え見まいらせぬ︑くちをしくと三番なささ8て︑さぐり申させ給けむも思やられて︒同じ后と申せど︑やむごとなくをはしま別ひさうらまいころうち︵後朱髄︶す︒久しく内へ参らせ給はざりける頃︑内より︑ぐさ四たもところあやめ草かけし快のねをたえてさらに恋ぢにまどふ頃かな稲巽わす とう
みやすどころと侍けむ︒御返は忘れ侍にけり︒東宮にをはしまし弾時の御息所に︑この御堂の︵嬉子︶gみまいきこごれむぜいゐむいま六の君参り給て︑内侍督と聞へ給し︑後冷泉院の今の東宮にをはしまし鼻︑うみを う
︵禎子︶まい置きたてまつりて失せ給にしかば︑この宮は︑其後参り給へるなり︑故内侍督の喝かすみをもようたたま御もとにも︑﹁霞のうちに思ふ心を﹂と詠ませ給ける御歌︑給給ひけると聞侍しものを︒
すべらぎの上第‑I8
六御よそひl和本︑国本﹁御よにひ﹂︒蓬本
に拠り改む︒ 五ゆげいのすけ1国本﹁げいのすけ﹂ よぱふ1国本﹁よそふ﹂二すましl和本︑国本﹁まずさし﹂︒蓬本に
拠り改む︒
三まちとりl和本﹁まちとりて﹂︒国本︑蓬
本に拠り改む︒四うちつ㎡きI国本﹁うちつき﹂
七ことl和本︑国本﹁ここと﹂︒蓬本に拠り
改む︒
八みかき1国本﹁みうき﹂
かうやうゐむ
長暦元年神無月廿三日︑関白殿高陽院に︑上東門院わたらせ給て行幸ありて︑きむだちかぁいとしあまた君達︑院司など︑加階どもし給き︒かくて年も明けぬれば︑又正月二日︑上東門さむ
睦をゐむありさまあらし院に朝親のみゆきありて︑いつもと申ながら︑猶この院のけしき有様︑山の嵐よ一よこゑいけちとせかげ二三まろづを呼ばふ声をったへ︑池水も千歳の影をすまして︑待ちとりたてまつり給き︒せむ簿いく後一条︶四つぎ先帝かくれさせ給へれども︑かくうち続きてをはします︒二代国母と申もやむご5となく︒︵後冷泉︶けいうちまいこと又三日は︑東宮の朝親の行啓とて︑内に参らせ給︒御門みゆきよりも︑事しげ
五ゆげいすけからいものから︑はなやかにめづらしく︑靱負の佐一員など︑ひきつくろいたる
つ﹄シごつ六そでいるけしき︑心ことなるべし︑すべらぎの御よそひ︑みこの宮の御袖の色かはりてめ
ごはいありさまたちゐ
よるこ
づらしく︑御拝の有様など︑袖ふり給も︑立居の御よそいうつくしくて︑喜びのmなみ簿をさむらききそで七こと涙も押へがたくなむありける︒つらなれる紫の袖も︑事にしたがへるあけもみど八みかさうちはるきこりも︑はなやかなる御垣の内の春なりけるとなむ聞ゑ侍し︒
︵螺子︶こぞ︵頼通︶をとぎ中宮は去年より︑いつしかただならずならせ給て︑霜月の十三日︑左の大臣の ほしあひ
I9ほしあひ
三まいるにもl和本﹁まいるも﹂︒国本に拠
り改む︒
四しめりたるl和本︑国本﹁しめたる﹂︒蓬
本に拠り補ふ︒ こしげきl和本︑国本﹁しげ﹂︒蓬本に拠り
補ふ︒ 一鞍ほ1国本﹁なを﹂ たかくらいつざとし
をむな︵祐子︶
高倉殿に出でさせ給へりしが︑次の年の四月一日︑女みこうみたてまつり給て︑また
またとしをないたむぱのかみゆきたふいゑ又うちっ蛍き又の年も︑同じやうにまかり出で給て︑丹波守行任のぬしの家にて︑一︵謀子︶ぞなう長暦三年八月十九日︑なほ女みこうみたてまつり給て︑同じき廿八日失せさせ給とし こと
にき・御年廿四︒あさましくあはれなる事かぎりなし︒いと武秋のあはれそひて︑ありあけつさかげいろゆふぺ二なみ薦有明の月の影も︑心をいたましむる色︑夕の露のしげきも︑涙をもよをすっまな5るべし︒︵師子︶な公てら︵後朱雀︶ぷくかくて九月九日︑内より故中宮の御ために︑七寺に御調経せさせ給︒御門御服
たてまつ
みすひをものまいこゑた一 一 一
奉りて︑廃朝とて︑清涼殿の御簾をもをろしこめられて︑昼の御膳参るにも声立
そう
四ゆふぺほたるてシ奏しなどすることもせず︒よるづしめりたるま弾には︑夕の螢をもあはれとぐる握りふしながめさせ給て︑秋のともしびもか畠げっくさせ給っ鼻︑心苦しき折節なりける皿れいみすまに︑廿日ぞ解陣とかいひて︑よるづ例ざまにて︑御殿の御簾なども巻きあげられ︑
は
つみな
すこし晴る塾けしきなれど︑なを御けしきは︑尽きせずぞ見えさせ給ける︒神無す
いみすゑう
おほむほうじこずゑ
月も過ぎぬれば︑御忌も末になりて︑かの失せさせ給し宮にて御法事あり︒梢の戯も︑雛のけしきも︑思知りがほなる様なり︒くれなゐ払はい昔のあとも︑法の し
さま
はらむかしのり
には さよ こと
つ庭とて︑清めらる鼻につけても︑事にふれてあはれ尽きせざりける︒5しもつ息ないかひはじい霜月の七日の日ぞ︑内には始めてまつりごとせさせ給・南殿に出でさせ給ひて︑︵威子︶いづも︵螺子︶官奏などあるべし︒後一条の中宮に侍ける出雲のごといふが︑この宮に侍し伊賀すべらぎの上第一
二長元二年l和本﹁長久二年﹂︒国本に拠り
改む︒
三のやよひのころl和本︑国本なし︒蓬本
に拠り補ふ︒ |きみ1国本﹁君﹂ 少将がもとに︑|きみなげかずみいかばかり君歎くらむ数ならぬ身だにしぐれし秋のあはれを
よ
あぎ
つゞあきうと詠めりける︒秋の宮うち続き︑秋失せさせ給つるに︑いとらうありて思やられ生ご︾﹄またとし︵緬通︶丹ら︵後朱笹︶せうけるも︑あはれにこそ聞ゑ侍にしか︒又の年の七月七日︑関白殿に︑内より御消
そく
息ありて︑5こぞけふわかほしわみ去年の今日別れし星もあひにけりなどたぐひなき我が身なるらむよ なさけをほ
と詠ませ給て侍けむこそ︑いとかたじけなく︑情多くをはしましける御時かなと︑やうきひいほしあひそらうけ給しか︒楊貴妃のちぎりも思出でられて︑星合の空︑いかにながめあかさせ
たづゆ給けむといとあはれに︑﹁尋ね行くまぼろしもがな﹂とや︑おぼしめしけむと︑
つた建
つく
きをしはかられてこそ伝へ聞與侍しか︒詩なども︑をかしぐ作らせ給けるとこそ聞加かへシ侍しか︒﹁秋のかげいづち帰らむとす﹂となどいふことを︑
みち たれ
路山水にあらざれば︑誰かとむるにたへむあと
§跡乾坤にまかせたれば︑尋ぬる事えむやつく あめつち
など作らせ給へりけるとこそうけ給しか︒乾坤といふは︑天地といふことにぞ侍るなる︒5二はなえむうたしうぐひす鱈いた長元二年三月四日︑花の宴せさせ給て︑﹁歌の師は鴬にしかず﹂とかいふ題賜かつらをきこつぎとし三やよひほりかは︵頼宗︶びて︑桂折る心みありと聞え侍き︒次の年の弥生のころ︑堀河の右大臣︑その時2Iほしあひ
己 九 八七
記 扶
く 、生桑なに
に百行略が|
|錬I記く国
国抄和 、に本
本に本百| な
弓拠 、錬和し
く り国抄本。
そ改本に 、
噸纒画改司
蓬.!・むな
毒 1−−に
扶 窪
爵 窄
五おら和本︑国本﹁侍ら﹂︒蓬本に拠り改
む︒
六ともし火l和本︑国本﹁とをしみ﹂︑蓬本
に拠り改む︒ 三式部卿大ゆうI国本﹁式部卿大ゆふ﹂四またI和本﹁まさ﹂︒国本に拠り改む︒ |申し餌1国本﹁申し﹂二をとり1国本﹁おとり﹂ ︵延子︶たてまつそち︵伊周︶をとまむすめはら︵細通・教通︶東宮大夫と申し塾︑女御奉り給き︒帥の内の大臣の御女の御腹なり︒をと武たち二をとかみなづきころおほ︵敬通︶8こにも劣り給はず︑いとめでたく侍き︒神無月の頃︑大二条殿の内大臣と聞ゑ給し︑︵真子︶まいこの君内侍督になりて参り給て︑かたみ︑はなやかにをはしき︒
︵後三条︶みやふみはじめ三ゆうたかちかsこはかせ十一月には︑二の宮御書始とて式部卿大輔挙周と聞ゑし博士︑御注孝経といふ
ふみをしきれまき四老な書︑教へたてまつりて︑蔵人実政︑また尚複とて︑それも御師なるべし︒同じ四5
すけくにのりと9と8つなくにつな
こおる
ゆみば年の三月にも︑佐国︑孝言︑時綱︑国綱といふものども試みさせ給き︒弓場殿につくたてまつかつら湧はかせ五おてぞ作りて奉りける︒もと桂を折りたるは︑博士をのぞみ︑いまだ折らぬものは︑六ごとはかせなをつくともし火のシぞみなむありける︒句毎にもろこしの博士の名シど置きければ︑作
りかなふる人かたくなむありける︒
七八おほすみのかみ唾ぷくにたぢまのすけぞう九をな己くにぞう寛徳元年八月に︑大隅守長国但馬介になり︑民部丞生行同じ国の橡になし給てi
こまうどくにつ
とし
高麗人のかの国シ着きたる︑とぷらはせ給き︒御なやみとて︑あくる年正月十六さ ぐし とし
よたも日︑位去らせ給︒御髪をろさせ給・御年三十七になむをはしまし塗︒世を保たせわかさまを給こと九年なりき︒まだ若くをはします様︑惜しみたてまつらずといふ人なし︒︵後一條︶やとせはるすはぁきさき︵彰子︶先帝は廿九にをはしましき︒これはされど八年の春過ぎさせ給へり︒母后のあまながさいはなかなげり長くをはしますに︑かくのみをはしませぱ︑御幸いの中にも︑御歎きたえざる喝むまご︵後冷泉︶︵後三条︶べし︒なを御孫の一のみこは御門︑二のみこは東宮にをはしませぱ︑いとやむごありさ皇
となき御有様なるべし︒すべらぎの上第一22
四御とし廿五ときこえさせ給きI和本︑国
本なし︒蓬本に拠り補ふ︒ 三伊勢大輔1国本﹁い勢大輔﹂ ニもち1和本︑国本﹁もと﹂︒蓬本︑後拾迩
集︑紫式部日記︑紫式部集に拠り改む︒ |ぱl和本国本なし︒蓬本に拠り補ふ︒ よっぎみかどこくもことはぁきさき︵彰子︶こと世継も︑帝の御ついでに国母の御事申侍れば︑この御門の御母后の御事︑この
つぎついでに申侍くし︒御年廿一二にをはしまし塾時︑後一条院︑御朱雀院うち続き
つちみかどうみたてまつらせ給へり︒土御門殿にて︑後一条院うみたてまつらせ給へりし七
あそ
みすい鱈さかづきうた︵紫式部︶夜のおほみ遊びに︑御簾のうちより出され侍りける杯にそへられ侍し歌は︑昔の5つぼねよ御局の詠み給へりし︑さかづき二ちよめぐめづらしき光さしそふ杯はもちながらこそ千世は廻らめ
とぞおぼえ侍︒
をさな
その女院は十三より后にをはしましき︒一条院かくれさせ給て︑後一条院幼くなでしこはな
︵彰子︶は塗きさき
をはしましけるに︑撫子の花をとらせ給ければ︑御母后︑0みしなでしこはな見るま塾に露ぞこぼる蚤をくれにし心も知らぬ撫子の花
ころ
いむ争い一一一五節の頃︑昔を思出で鼻殿上人参りけるに︑伊勢大輔︑ゐ
うすごほり
はやくみし山井の水の薄氷うちとけざまはかはらざりけりよい鱈四とぞ詠みて出し侍ける︒寛弘九年二月に︑皇太后宮にあがりゐさせ給き︒御年廿 もちづきa3
も ちづき三の1国本なし︒ 二なほ1国本﹁なを﹂ 一御な和本︑国本﹁御なと︒蓬本に拠り
改む︒ 匁写幸﹄みかどくらゐつ五と聞えさせ給き︒後一条院の帝︑位に即かせ給て︑寛仁二年正月に︑大皇太后
さま とし な
宮にならせ給き︒万寿三年正月十九日︑御様かへさせ給︒御年三十九︑御名は清きさき−なきことし浄覚と申けり︒后の御名とぎめさせ給て︑女院と聞ゑさせ給︒年ごとのっかさくを雄 ぐし
らゐ給らせ給ことは︑同じやうにかはり侍ざりけり︒長暦三年五月七日︑御髪をあきもと
ろさせ給・顕基の入道中納言︑5よ
やどい二むかし世をすて畠宿を出でにし身なれどもなほ恋しきは昔なりけりよ
︵彰子︶たてまつと詠みて︑この女院に奉り給へる御かへし︑ま なぐさ よ
っかの間も恋しきことの慰まばふた塗び世をばそむかざらましよ
はじめぐしのちみなこぁろ
と詠ませ給へる︒初は御髪そらせ給て︑後に皆をろさせ給心なるべし︒中納言︑いみをむとのあぶらたてまつ後一条院のおぼえの人にをはしけるに︑御忌にをはして︑御殿油も奉らず侍りけ加たづうらまいれば︑﹁いかに﹂と尋ね給けるに︑﹁女官ども内に参りて︑かきともしする人も
き かな
かど三むゆかかしらなし﹂など聞箆給に︑いと悲しくて︑御門のかくれさせ給て︑六日といふに頭をふかこも
とし
きなみだながるして︑山深く寵り給へりけり︒年三十七になむをはしける︒聞く人涙を流さずや﹂し﹄︵遇昭︶ふかくさ︵仁明︶いみぐしといふ事なくなむ侍りける︒花山の僧正の︑深草の御門の御忌に御髪をろし給け
つ
かな
むにも︑をくれぬ御心なるべし︒なを尽きせずおぽしけるにこそと悲しく︑御か脂︵彰子︶は湧包ささ
へしもいとあはれに︑御母后さこそはおぼしめしけめとをぼえて︒︵彰子︶ちぁ︵遡艮︶つくこの東北院は︑この院の御願にて︑父をと茸の御堂︑法成寺のかたはらに造らすべらぎの上第一24
七あきたかのl和本︑国本なし︒蓬本に拠
り補ふ︒
八けるl和本﹁る﹂︒国本︑蓬本に拠り補ふ︒ 六待賢門院1国本﹁待賢門﹂
五 四 三 二
に 御 し よ 侍
堂 を も り
和 I に |
本 国 い 和 国
、 本 ろ 本 本
皇 圃 歯 亙 胃
随潔
蓬 本
に
拠り 邑 拠
補 補り
ふ
◎
ふ
。
かたちすがたまつほかせ給へり︒山の形︑池の姿もなくてならず︑松のかげ︑花のこずゑも︑外にはす
みもちづきみかほひかりぐれてなむ見ゑ侍る︒九月十三日夜より︑望月のかげまで︑仏の御顔も光そへら
はじ
かむだちめまいあつ︵頼通︶おほきれ給へり︒御念仏始まる程に︑上達部︑殿上人参り集まり給へるに︑宇治の太政ぞとます主た宝のぷとしかむ置場め大臣の︑朗詠侍なむと勧めさせ給ければ︑斉信の民部卿︑年たけたる上達部にて︑
いだ
ぞりふし
﹁極楽の尊を念じたてまつること一夜﹂と︑うち出し給へりけむ︑折節如何にめ5はかせつくいよでたく侍りけむ・斉名といふ博士の作りたりけるが︑生ける世に︑如何にいみじ
よ いま つく
こと二い漕ぐおぼえ侍けむ︒この世ならば︑今の人の作りたる事よも出し侍ざらまし︒殿上三しをにいろさしぬきgはじ人紫苑色の指貫︑この御念仏よりこそ着始め給しか︒四つちみかどすゑ聖ちこの御堂の土御門の末にあたりて︑上東門院と申なり︑この後︑代々の女院の虹菅亨﹄このゑれい五院号には︑門の名聞え侍めり︒陽明門も︑近衛にあたりたれば︑この例によりて叩
たいけむもむ
おほゐみかどみかどっかせ給えり︒郁芳門︑待賢門などは︑大炊の御門︑中の御門に御所をはしまさ心ご︾﹄六さ潜れど︑なぞらへてつかせ給えるとぞ聞ゑ侍る︒待賢門院の院号の定め侍りけるに︑
﹁なぞらへてつかせ給ならば︑などさしこゑて郁芳門とは︑つけたてまつりける
凸ご︾﹄七あ息たかれうのこを八にか﹂など聞ゑければ︑顕隆の中納言といひし人の︑﹁この御料に残し置かれけ
るにこそ侍めれ﹂とさ蚤れけるとかや︒さてぞっかせ給にけるとなむ︒御門の御嘔
まゑ
みかどこのゑま毎ほら前などにては︑土御門︑近衛などは申さで︑﹁上東門の大路よりはいづかた︑陽おほち
をな
明門の大路よりはそなた﹂などぞ奏なる︒されば︑一条︑二条など申にも同じ心宴の四申し塾1国本﹁申し﹂
きお五能因法師I和本︑国本﹁能回法師﹂︒蓬本
に拠り改む︒
く
三附皇大后宮嫡子1和本︑国本﹁賄皇大后
嬉子﹂︒蓬本に拠り補ふ︒ 二きくの宴l和本︑国本なし︒目録に拠り
補ふ︒
とし一
一はl和本なし︒国本︑蓬本に拠り補ふ︒なるべし︒この上東門院は︑御年は八十七までをはしましき︒つぎみかどおほむは刀三この次の帝は︑後冷泉院と申き︒後朱雀院の第一の皇子︑御母内侍かみ︑贈皇
虹︾︾﹄︵巡長︶おほさをと残むすめ大后宮嬉子と聞ゑき︒入道太政大臣の第六の御女なり︒上東門院の同御はらから
みかど むま
にをはします︒この帝︑万寿二年乙丑歳八月三日生れさせ給えり︒長暦元年七月5おほむくらひた二日御元服︒やがて三品の御位たまはらせ給︒八月十七日東宮に立騨せ給き︒寛ぐらゐつ
とし
徳二年正月十六日位に即かせ給︒御年廿一にぞをはしましし︒やよひころ
さ麓
︵章子︶た永承元年弥生の頃︑いっきたちをのノ︑定めさせ給・七月十日中宮立易せ給き︒みやすどころ
ひめみや
なす東宮の御時より︑御息所にてをはしまし塾︑後一条院の姫宮なり︒神無月も過ぎみかどことしとよみそぎいみたうかて︑帝今年ぞ豊の御涙せさせ給︒正月十六日御忌の月とて︑踏歌の節会もなし︒皿︵頼通︶︵敏通︶おと玄︵歓子︶おほ四十月に関白殿の御をとうとの右の大臣︑女御たてまつり給︒大二条殿と申し豊御
ことなり︒
むらかみ
シち同四年十一月に︑殿上の調合せさせ給き︑村上の御時︑花山院などの後︑めづ五
らしく侍に︑いとやさしくをはしまし易にこそ︒能因法師の﹁いはねの松も君が 一一きくの宴すべらぎの上第一お
こてl和本﹁して﹂︒国本︑蓬本に拠り改む︒ |の1国本
‐
之
1−−
とし
鱈いりいづれの年にか侍けむ︑九月十三夜︑高陽院の内裏にをはしましけるに︑をとす式こいはま水音涼しくて︑岩間の水に月やどして︑御覧ぜさせ給て読せ給ける︑いはまなが岩間より流る鼻水ははやけれどうつれる月のかげぞのどけき よはべみぢすたったかはため﹂と一番の奇に詠みて侍る︑この道の好き物︑時にあひて侍き︑﹁龍田の川にしき
たぴよしはす︵頼通︶︵寛子︶むすめの錦なりけり﹂といふ牙も︑この度詠みて侍ぞかし︒四年師走︑関白殿の御女︑まい
きさきた女御に参り給︒これ四条宮と申蚤御事也︒六年二月十日后に立ち給えり︒皇后宮︵ 禎 子
︶
もときささと申き︒元の后は︑皇大后宮にあがりゐ給き︒
ねあはせ
五月の五日︑殿上のあやめの根合蚤させ給き︒その奇ども寄合の中に侍らむ︒5きさき︵寛子︶さとみみふれ后の宮里にをはしましける時︑良暹法師︑﹁もみぢ葉のこがれて見ゆる御舟かな﹂みかどはぢといふ連嵜︑殿上人のえっけざりけるをも︑帝の御恥におぽしめしけるなども︑鞍さけおほきくえむひらいと情多くをはしましけるにこそ︑九月九日︑菊の宴せさせ給て︑﹁菊開けて水の
きし つく き
一つりどの岸かうばし﹂といふ題︑作らせ給けるとぞ聞墓侍し︒七年神無月の比︑釣殿にあそびふみつくきこあそびことておほみ遊あり︒文作らせ給けりとぞ聞ゑ侍し︒か様のおほみ遊常の事なるくし㎡金のみのり